満州開拓慰霊碑指書きの名号

山 口 御 番 所 跡(やまぐちごばんしょあと)



山口御番所跡

出雲(いずも)(くに)石見(いわみ)(くに)国境(こくきょう)通行人(つうこうにん)監視(かんし)

北三瓶口からの男三瓶山

出雲の国と石見の国の国境 SpotWide
北三瓶口からの男三瓶山

出雲の国と石見の国の国境
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山口御番所跡

・山口町の町から立石に至る場所に山口御番所跡があります
・山口御番所では出雲と石見の国境で通行人を厳しく監視したそうです
・当地は、三次~赤名~志学~山口~口田儀~今市へと通う宿場町として様々な人の行き交う場所で、交流により独特の文化が発展しました
・山口御番所の向こうに三瓶山が見えます


山口御番所跡の案内板



寛永6年(1629)の御検地帳に既に記録されている山口御番所は出雲と石見の国境に近く(現在地)に設置され士分の役人が常勤して国境や通行人を厳しく監視した。
             藩内に出入りする商人等は通行札を渡され入国を許された。
             明治4年(1871)廃藩置県と共に廃止となり資料になるものは、役人の引揚げと共に整理されたと思われる。
             旧道は伊佐川に沿って御番所の前を通過した。神在 繁 調書

御番所の説明
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・天平5年(733)編纂の出雲国風土記(島根県教育庁) によれば、当地は、神戸郡(かむとのこほり)、餘戸里(あまりべのさと)と記されています
・神戸郡(かむとのこほり)は、朝山郷、日置郷(へき)、鹽冶郷(やむや)、八野郷(やぬ)、高岸郷、古志郷、滑狭郷(なめさ)、多伎郷)の八郷と餘戸里(あまりべ)
・餘戸里とは、乙立、一窪田、高津屋、上橋波、下橋波、吉野、佐津目、山口
出雲国風土記の国引きの神話はこちら



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