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・バスを降りて登ると右手に金生坑跡(水抜き用・鉱石を運ぶ坑道)
注.××間歩(~江戸時代)、××坑(明治~)と名付けているようです
・バスを降りて登ること3分
・右手に金生坑跡(水抜き用・鉱石を運ぶ坑道)
注.××間歩(~江戸時代)
××坑 (明治~)
と名付けているようです
・歴史の道百選
(Wiki)
尾道道:17世紀以降、銀座へ運ぶため用いた。総延長約130 km
比較的安全であった陸路で瀬戸内海側に運ぶこととなり尾道への道が整備された
・1768(明和5年)年10月の輸送量は、灰吹銀12箱(180貫目)、年貢銀8箱(77貫目)、銅208箱(2,496貫目)で、 それに使用された馬は全体で140頭にもおよんでいる(石見銀山ことはじめⅠ)
・ちなみに銀1貫の価格は現代で約125万円とのこと(
古文書ネットさん)
→612.840貫(1690年)×125万円=7億6600百万円にもなります