西の原 牛の放牧

三瓶山 草原の放牧



西の原 牛の放牧

三瓶山 草原の放牧



新芽がおいしいですね 4月29日Wide


・現代によみがえる縄文の森
1.三瓶小豆原埋没林
2.三瓶山
・豊かな暮らしを育んだ三瓶火山
三瓶山の牧野景観
 三瓶山の山裾に広がる草原景観。火山地形を利用して400年以上続けられてきた牧畜の歴史を物語る
4.三瓶そば
5.三瓶温泉
6.浮布の池
7.物部神社
8.佐比売山神社多根神楽
9.小笠原流田植囃子
10.定めの松
・火山が生んだ石見銀山
・暮らしを支えた火山のめぐみ
・現代によみがえる縄文の森
 2.三瓶山
・豊かな暮らしを育んだ三瓶火山
三瓶山の牧野景観

 三瓶山の山裾に広がる草原景観。火山地形を利用して400年以上続けられてきた牧畜の歴史を物語る
 4.三瓶そば
 5.三瓶温泉
 6.浮布の池
 7.物部神社
 10.定めの松
・火山が生んだ石見銀山
・暮らしを支えた火山のめぐみ

西の原 和牛の放牧




 草原には、牛の放牧が行われています。早春の放牧。 枯れ草の中から芽が出るのが待ちどおしいですね。3月の後半に草原に火入れが行われます。 一面の焼け野原に若草が芽生えて緑の草原になります。古来から行なわれている牧野管理です

西の原 牛の放牧
西の原 牛の放牧

新しい芽が伸びて牛たちも懸命に草を食べています 8月19日


 草が繁り牛たちは喰ったり寝たりの生活。朝露の中でたくましく育ちます。明治21年 佐比賣村、志々村、山口村により三瓶牧畜組合が設置されたとのことです。昭和50年頃に終了したと言われています

牧草は おいしいですか!


西の原 牛の放牧
「あ!カメラだ!きれいに写してね」
西の原 牛の放牧
「はい。ポーズ。どうだ!決まっているでしょう。牛小屋で生活している牛はウンチが付いていたりするけど山野で生活しているから肌はきれいだし毛艶もいいでしょう。ところでカメラの腕は確かだろうね?」
西の原 牛の放牧
「なんだ!どうした?。カメラ持ったそこの人、こちらにきて一緒に暮らそうよ。健康に暮らせるよ!」
西の原 牛の放牧
「これないらしいよ。声をかけたのに無駄だったね。元に戻って食べよっと!」、と言っているような気がしました。モー君ありがとう。私は午年なのでごめんなさい。でもきれいに写せましたよ!
西の原 牛の放牧
「あ!カメラだ!きれいに写してね」
西の原 牛の放牧
「はい。ポーズ。どうだ!決まっているでしょう。牛小屋で生活している牛はウンチが付いていたりするけど山野で生活しているから肌はきれいだし毛艶もいいでしょう。ところでカメラの腕は確かだろうね?」
西の原 牛の放牧
「なんだ!どうした?。カメラ持ったそこの人、こちらにきて一緒に暮らそうよ。健康に暮らせるよ!」
西の原 牛の放牧
「これないらしいよ。声をかけたのに無駄だったね。元に戻って食べよっと!」、と言っているような気がしました。モー君ありがとう。私は午年なのでごめんなさい。でもきれいに写せましたよ!


西の原 牛の放牧

5月29日11時半 若草を沢山食べました。ねまってお休みですね

西の原 牛の放牧

母牛と子牛も放牧、草を食べれるかな?


東の原 和牛の放牧


ヤマラッキョウ 東の原 牛の放牧

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左:放牧地の草原に咲くヤマラッキョウの花。根元には牛の糞が!。モウ君の落し物ですが栄養(肥料)になり花の色も鮮やかです(10月)
東の原 牛の放牧
ヤマラッキョウ
放牧地の草原に咲くヤマラッキョウの花。根元には牛の糞が!。モウ君の落し物ですが栄養(肥料)になり花の色も鮮やかです(10月)
・当地では牛の放牧を「牛をゆるす」といいます(方言ですね
ヤマラッキョウの花はこちら


第1回中国連合畜産共進会記念碑


第1回中国連合畜産共進会記念碑
 明治33年10月3日より7日間、全国で初めての連合(中国5県)の畜産共進会が開催されました。この共進会は全国的にも初めてのことでしたが現在の共進会のさまざまな規則や表彰形式の基礎となっているとのことです
 この記念碑は、昭和35年10月、60周年にあたり当時の中国和牛協会により建てられました。当時は鉄道も自動車もなく中国5県から牛馬の尻を追って数十日を峠を越えて会場に集まり戻ったとのことです
飼葉(かいば)の調達は先遣隊が草を刈り穀物を仕入れて到着を待ち牛馬に与えて会場に向いました)

・明治33年10月3日 第1回中国五県連合畜産共進会を安濃郡佐比買村志学で開催(七日間)島根県歴史大年表から
・共進会を掲載するホームページ紹介します
岡山県畜産史 第1編 第3章 第3節 畜産共進会




北の原の放牧と森林


北の原の登山道に「放牧と森林」の案内板があり、放牧の役割が記されています
放牧と森林 昭和30年頃の北の原(高台が粟畑)
北の原 放牧と森林 北の原 放牧と森林
北の原 放牧と森林
上左 ・ 上右 ・ 
明治の終わり頃の北の原(姫逃池周辺)、広大な草原と姫逃池には多くの島が見られます

・明治22年に、多根、小屋原、池田、志学、上山、角井、山口地区集まり三瓶放牧組合ができ、昭和23年には佐津目も加わり三瓶畜産農業協同組合ができたとのことです
・放牧期間は、春:5月1日~7月10日頃まで、秋:9月5日~11月末頃まで
・放牧頭数は、明治8年頃は900~1000頭、昭和25年頃には1300頭にもなったとも言われています


藩史大事典(平成2年2月20日発行)の「吉永藩」の項には牛の放牧が記されています
(吉永藩は寛永20年(1643)~40年間の小藩、所領は安濃郡の20ヶ村)
 42万石の大藩から一転して1万石の小藩へ転落したのであったから、家臣団の縮小など図ったが、財政は極度に困窮した。
 その対策として殖産興業に努め、桐・油木・櫨・柿・梅・漆などの植栽を励行し、会津から名工喜兵衛呼び寄せて漆器製造を興したり、三瓶山麓の高原で牛の放牧を試み、大田南の粕戸に博労市(牛市)を開設した。

三瓶の裾野

島根県安濃郡誌から
 此の裾野ハ古来有名ナル家畜ノ放牧場ニシテ三瓶牛ト稱スル著名ノ良牛ヲ産スル所ナリ
 今モ猶ホ演習上支障ナキ限リ放牧ヲ許シ、又耕地ノ無料貸下ゲヲ為シテ産業上ノ便ヲ圖レリ


注.島根県安濃郡(wiki)誌 安濃郡役所 大正四年七月七日発行の記事から 
 注.島根県安濃郡(wiki)誌 安濃郡役所
大正四年七月七日発行の記事から 

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