草原には、牛の放牧が行われています。早春の放牧。 枯れ草の中から芽が出るのが待ちどおしいですね。3月の後半に草原に火入れが行われます。 一面の焼け野原に若草が芽生えて緑の草原になります。古来から行なわれている牧野管理です |
草が繁り牛たちは喰ったり寝たりの生活。朝露の中でたくましく育ちます。明治21年 佐比賣村、志々村、山口村により三瓶牧畜組合が設置されたとのことです。昭和50年頃に終了したと言われています |
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放牧地の草原に咲くヤマラッキョウの花。根元には牛の糞が!。モウ君の落し物ですが栄養(肥料)になり花の色も鮮やかです(10月) |
明治33年10月3日より7日間、全国で初めての連合(中国5県)の畜産共進会が開催されました。この共進会は全国的にも初めてのことでしたが現在の共進会のさまざまな規則や表彰形式の基礎となっているとのことです この記念碑は、昭和35年10月、60周年にあたり当時の中国和牛協会により建てられました。当時は鉄道も自動車もなく中国5県から牛馬の尻を追って数十日を峠を越えて会場に集まり戻ったとのことです ( |
放牧と森林 | 昭和30年頃の北の原(高台が粟畑) |
・明治22年に、多根、小屋原、池田、志学、上山、角井、山口地区集まり三瓶放牧組合ができ、昭和23年には佐津目も加わり三瓶畜産農業協同組合ができたとのことです
・放牧期間は、春:5月1日~7月10日頃まで、秋:9月5日~11月末頃まで
・放牧頭数は、明治8年頃は900~1000頭、昭和25年頃には1300頭にもなったとも言われています
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42万石の大藩から一転して1万石の小藩へ転落したのであったから、家臣団の縮小など図ったが、財政は極度に困窮した。 その対策として殖産興業に努め、桐・油木・櫨・柿・梅・漆などの植栽を励行し、会津から名工喜兵衛呼び寄せて漆器製造を興したり、三瓶山麓の高原で牛の放牧を試み、大田南の粕戸に博労市(牛市)を開設した。 |
島根県安濃郡誌から
此の裾野ハ古来有名ナル家畜ノ放牧場ニシテ三瓶牛ト稱スル著名ノ良牛ヲ産スル所ナリ
今モ猶ホ演習上支障ナキ限リ放牧ヲ許シ、又耕地ノ無料貸下ゲヲ為シテ産業上ノ便ヲ圖レリ |
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