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国引(くにび)きの丘国引(くにび)き神話

杵築(きずき)の御埼

杵築(きずき)御埼(みさき)(日御碕(ひのみさき))
距 離(きょり)  30Km


杵築(きずき)御埼(みさき)(日御碕(ひのみさき))
距 離(きょり)  30km

国 引(くにび) き 神 話(しんわ)



 むかし、むかし、その 昔 (むかし)神代(かみよ) 昔 (むかし)
 むかし、むかし、その 昔 (むかし)
神代(かみよ) 昔 (むかし)
 この郡 (こほり)を、意宇(おう)號 (なづけ)たのは、 国引(くにび)()しし 八束水臣津野命 (やつかみづおみつののみこと)が「八雲立(やくもた)出 雲 国(いずものくに)は、 狭布(さぬの)(幅の狭い布)(つも)れる(くに)のようだ。 初 国(はつくに)(ちい)さく(つく)られている。 (つく)()おう」と()(たま)われた。

 「栲 衾(たくぶすま) 志羅紀(しらき)三埼(みさき)を、(くに)(あま)()りやと()れば、(くに)(あま)()り」と()(たま)いて
童女(おとめ)胷 鉏(むなすき) ()らして
大魚(おふお)()支太(きだ)((えら))()()けて
波多須々支(はたすすき)((すすき))穂振(ほふ)()けて
三身(みつみ)(三()りに()った)(つな)()()けて
霜黒葛(しもつづら)(霜枯れた黒いくずかずら)聞々耶々(くるやくるや)(繰るや繰るや)
河船(かわふね)毛々曾々呂々(もそろもそろ)
國々來々(くにこくにこ)」と引來(ひきき)
()(たま)いし(くに)は、去豆(こず)(小津)折絶(おりたえ)(山塊の切れ目)よりして、八穂米支豆支(やほしねきずき)(杵築)御埼(みさき)である。 (ここ)()ちて(かた)()てし加志(かし)(杭)は、石見国(いわみのくに)出雲国(いずものくに)との堺有(さかひな)る、佐比賣山(さひめやま)である。 また、()()(たま)いし(つな)は、(その)長濱(ながはま)である。
平田(ひらた)から日御崎(ひのみさき)までの 島根半島(しまねはんとう)西端(せいたん)
(かた)()(たま)いし(くい)は、佐比賣山(さひめやま)三瓶山(さんべさん)
()()(たま)いし(つな)は、(その)長濱(ながはま)
国々来々と引き来て縫い給いし国

杵築(きずき)の御埼

国引(くにび)きの(おか)から遠望(えんぼう) 島根半島西端(しまねはんとうせいたん) 杵築(きずき)御埼(みさき)(日御碕(ひのみさき))

杵築(きずき)の御埼

佐比賣山(さひめやま)(三瓶山(さんべさん))山頂(さんちょう)から遠望(えんぼう) (その)長浜(ながはま)出雲大社(いずもおおやしろ)

国々来々と引き来て縫い給いし国

石見国(いわみのくに)出雲国(いずものくに)との堺有(さかひな)佐比賣山(さひめやま)北三瓶口から
平田から日御崎までの島根半島西端
堅め立て給いし杭は佐比賣山(三瓶山)
持ち引き給いし綱は長濱(園の長浜)
三瓶山西の原

国々来々と引き来て縫い給いし国



国引きの丘から遠望 島根半島西端
杵築(きずき)の御埼(日御碕)

園の長浜(長浜)、出雲大社
佐比賣山(三瓶山)山頂から遠望
園の長浜(長浜)、出雲大社


国々来々と引き来て縫い給いし国

石見国(いわみのくに)出雲国(いずものくに)との堺有(さかひな)佐比賣山(さひめやま)北三瓶口から
 また、「北門(きたど)(北方)佐伎(さき)(くに)を、(くに)(あま)()りやと()れば、(くに)(あま)()り」と()(たま)いて
童女(おとめ)胷 鉏(むなすき) 取()らして
大魚(おふお)支太(きだ)()()けて
波多須々支(はたすすき)穂振(ほふり)()けて
三身(みつみ)(つな)()()けて
霜黒葛(しもつづら)()るや()るやに
河船(かわぶね)毛々曾々呂々(もそろもそろ)
国々来々(くにこくにこ)」と()()
(つな)(たま)いし(くに)は、多久(たく)折絶(おりたえ)よりして狭田(さだ)(くに)である。
多久川 (講武川、佐陀川) から小津 (平田) までの国、宍道湖の北側
国々来々と引き来て縫い給いし国

多久川 (講武川、佐陀川) から小津 (平田) までの国、宍道湖の北側
国々来々と引き来て縫い給いし国

 また、「北門(きたど)良波(えなみ)(くに)に、(あま)()りやと()れば、(くに)(あま)()り」と()(たま)
童女(おとめ)胷 鉏(むなすき) 取()らして
大魚(おふお)支太(きだ)()()けて
波多須々支(はたすすき)穂振(ほふり)()けて
三身(みつみ)(つな)()()けて
霜黒葛(しもつづら)()るや()るやに
河船(かわぶね)毛々曾々呂々(もそろもそろ)
国々来々(くにこくにこ)」と()()
(ぬい)(たま)いし(くに)は、宇波(うなみ)折絶(おりたえ)よりして、闇見(くらみ)(くに)である。
松江市東方 (手角町あたり) から講武川、佐陀川までの国、松江市東北部 国々来々と引き来て縫い給いし国

松江市東方 (手角町あたり) から講武川、佐陀川までの国、松江市東北部 国々来々と引き来て縫い給いし国

 また、「高志(こし)(北陸)都都(つつ)三埼(みさき)(能登半島の珠洲岬)を、(くに)(あま)()りやと()れば、(くに)(あま)()り」と()(たま)いて
童女(おとめ)胷 鉏(むなすき) 取()らして
大魚(おふお)支太(きだ)()()けて
波多須々支(はたすすき)穂振(ほふり)()けて
三身(みつみ)(つな)()()けて
霜黒葛(しもつづら)()るや()るやに
河船(かわぶね)毛々曾々呂々(もそろもそろ)
国々来々(くにこくにこ)」と()()
()(たま)いし(くに)は、三穂(みほ)(さき)である。()()ける(つな)は、夜見島(よみのしま)(弓ヶ浜半島)である。 固堅(かた)()(たま)いし加志(かし)(杭)は、伯 耆 国 有(ははきのくにな)火 神 岳(ひのかみのたけ)である。
松江市東方から美保関までの国、島根半島の東端
固め立て給いし杭は、火神岳(大山)
持ち引ける綱は、夜見島(弓ヶ浜半島)
三穂(みほ)の埼 都都の三埼

松江市東方から美保関までの国、島根半島の東端
固め立て給いし杭は火神岳(大山)
持ち引ける綱は夜見島(弓ヶ浜半島)

都都の三埼
国々来々と引き来て縫い給いし国

 「(いま)国引(くにび)きを()えた」と()(たま)いて、意宇社(おうのもり)御杖(みつえ)()()てて「意惠(おゑ)」と()(たま)われた。それでこの(こほり)を、意宇(おう)というのである。
日御碕から美保関までの島根半島
国々来々と引き来て縫い給いし国

日御碕から美保関までの島根半島
国々来々と引き来て縫い給いし国

 いわゆる意宇社(おうのもり)は、郡家(ぐんけ)東北(ひがしきた)(ほとり)()(なか)()(じゅく)(こやま)である。(まわり)八歩(はちあし)ばかり。その(うえ)()(しげ)っている。
田の中に在る塾 (じゅく:こやま)
田の中に在る塾である

国引(くにび)神話(しんわ)はここまで
こーでこっぽす

国引(くにび)神話(しんわ)はここまで
こーでこっぽす



X(出雲国風土記 国引き神話)

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国々来々(くにこくにこ)(ひき)() ()(たま)いし国一覧(くにいちらん)

国々来々(くにこくにこ)(ひき)()

()(たま)いし国一覧(くにいちらん)


(かい) 1回 2回 3回 4回
(くに)(あま) 志羅紀(しらき)三埼(みさき) 佐伎(さき)(くに) 良波(よなみ)(くに) 都都(つつ)三埼(みさき)
国々来々(くにこくにこ)
国々来々と引き来て縫い給いし国

()った(くに) 杵築(きずき)御埼(みさき) 狭田(さた)(くに) 闇見(くらみ)(くに) 三穂(みほ)(さき)
()(つな) (その)長濱(ながはま)     夜見島(よみのしま)
加志(かし)
(くい)
佐比賣山(さひめやま)
(三瓶山)
    火神岳(ひのかみだけ)
(大山)
(くに)
(あま)
志羅紀(しらき)
三埼(みさき)
佐伎(さき)
(くに)
良波(よなみ)
(くに)
都都(つつ)
三埼(みさき)
国々(くにこ)
来々(くにこ)
国々来々と引き来て縫い給いし国

()
(くに)
杵築(きづき)
御埼(みさき)
狭田(さた)
(くに)
闇見(くらみ)
(くに)
三穂(みほ)
(さき)
()
(つな)
(その)長濱(ながはま)     夜見島(よみのしま)
加志(かし)
((くい))
佐比賣山(さひめやま)
(三瓶山(さんべさん))
    火神岳(ひのかみだけ)
(大山(だいせん))

(くい)(やま) 麓(ふもと)神社(じんじゃ)祭神(さいじん)


加志(かし)
(くい)(やま)
佐比賣山(さひめやま)
(三瓶山(さんべさん))
火神岳(ひかみだけ)
大 山(だいせん)
(ふもと)神社(じんじゃ) 佐比賣山(さひめやま)神社 大神山(おおかみやま)神社
主祭神(しゅさいじん) 注1 大 己 貴 命(おおなむちのみこと) 大穴牟遅神(おおなむちのかみ)
(くい)(やま) 佐比賣山(さひめやま)
(三瓶山(さんべさん))
火神岳(ひかみだけ)
(大 山(だいせん))
(ふもと)
神社(じんじゃ)
佐比賣山(さひめやま)神社 大神山(おおかみやま)神社
主祭神(しゅさいじん) 大 己 貴 命(おおなむちのみこと) 大穴牟遅神(おおなむちのかみ)

主祭神:大国主命の別名出雲大社HP、何れの神社も名を継ぎ古を伝えています

 

・明治4年7月に松江(まつえ)広瀬(ひろせ)母里(もり)の3県が成立する
・明治4年11月には3県合併して島根県が生まれる(県庁は松江)
・島根県の県名は、島 根 郡(しまねのこおり)に属していたことからとされている
島根郡(しまねのこほり)という地名は、「出雲国風土記(いづものくにのふどき)」に

島 根 郡(しまねのこほり)(なづ)くる所以(ゆえ)は、国引(くにひ)()しし八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)(なづ)けたまひて(おほ)(たま)ひし()なり。(かれ)島根(しまね)といふ」…山川出版

 とあり、八束水臣津野命によって名付けられたとされています
・明治9年(1876)8月には、出雲(いずも)石見(いわみ)隠岐(おき)伯耆(ほおき)因幡(いなば)5カ国をあわせた大島根県が誕生する
・明治14年(1881)9月、伯耆、因幡の鳥取県が誕生し、出雲、石見、隠岐の島根県となる
島根の歴史・文化(島根県)
・島根県の人口(明治15年1月1日):669,410人
 鳥取県の人口(明治15年1月1日):380,915人
 出典:wikipedia

大田市
江津市
浜田市
益田市
川本町
美郷町
邑南町
津和野町
吉賀町
隠岐の島町、海士町、西ノ島町、知夫村
石見の国・出雲の国・隠岐の国


安来市
松江市
出雲市
雲南市
奥出雲町
飯南町

 

三瓶山(さんべさん) 西(にし)(はら)看板(かんばん)紹介(しょうかい)


三瓶山(さんべさん) 西(にし)(はら)看板(かんばん)紹介(しょうかい)



三瓶山西の原 三瓶山西の原の看板 三瓶山西の原の看板

三瓶山 西の原 

 

国引(くにび)神話(しんわ)(えん)姉妹都市(しまいとし)


国引(くにび)神話(しんわ)(えん)姉妹都市(しまいとし)


松江市(まつえし) と 珠洲市(すずし)


この度の令和6年能登半島地震により被災された皆様、ならびにご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
皆様の安全と被災地の一日も早い復興そして被災された皆様の生活が一日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。

三穂(みほ)の埼 都都の三埼
三穂(みほ)(さき)   都都(つつ)三埼(みさき)
地理院地図   地理院地図

都都(つつ)三埼(みさき) 地図
都都の三埼


三穂(みほ)の埼

地理院地図 三穂(みほ)(さき)


高志(こし)都都(つつ)三埼(みさき)を、(くに)(あま)()りやと()れば、(くに)(あま)()り」と()(たま)いて・・・国々来々(くにこくにこ)()()()(たま)いし(くに)は、三穂(みほ)(さき)である

編纂命令
和銅6年(713)の制令:元明天皇
・郡郷の地名等に好字を用いて報告
・産物の品名を報告
・土地の肥沃状況を報告
・地名 (山や川や原野) の由来を報告
・古老が伝える土地の伝承や旧聞異事を報告
編纂責任者
執筆者
国造兼意宇郡大領 (くにのみやつこおうぐんかみ)
出雲臣広嶋 (いずもおみひろしま)
神宅臣金太理 (みやけのおみかなたり)
編纂時期 和銅6年(713)の制令によって作り始め、天平5年(733)に完成
編纂内容 ・第一部:国の総括的記述
・第二部:各郡別の記述
・第三部:国の特別記述
編纂命令
・和銅6年(713)の制令:元明天皇
・郡郷の地名等に好字を用いて報告
・産物の品名を報告
・土地の肥沃状況を報告
・地名 (山や川や原野) の由来を報告
・古老が伝える土地の伝承や旧聞異事を報告
編纂責任者、執筆者
国造  (くにのみやつこ)意宇郡大領(おうぐんかみ)
出雲臣広嶋(いずもおみひろしま)
神宅臣金太理(みやけのおみかなたり)
編纂時期
・和銅6年(713)の制令によって作り始め、天平5年(733)に完成
編纂内容
・第一部:国の総括的記述
・第二部:各郡別の記述
・第三部:国の特別記述

 

意 宇 社(おうのもり)


意宇社(おうのもり)御杖(みつえ)()()てて「意恵(おゑ)」と()()われた.
意宇社(おうのもり)

(みなみ)から(きた)()かって撮影(さつえい)しました Spot

意宇社(おうのもり) 意宇社(おうのもり)
クリック:意宇社ご案内
(きゃく)(もり)(意宇社(おうのもり)推定地(すいていち)):島根県立八雲立つ風土記の丘地理院地図
意宇社(おうのもり)御杖(みつえ)()()てて「意恵(おゑ)」と()(たま)われた Wide
意宇社(おうのもり)

(みなみ)から(きた)()かって撮影(さつえい)しました

意宇社(おうのもり)

意宇社(おうのもり)

意宇社(おうのもり)

クリック:意宇社(おうのもり)案内(あんない)
(きゃく)(もり)(意宇社(おうのもり)推定地(すいていち))島根県立八雲立つ風土記の丘地理院地図


神 原 神 社(かんばらじんじゃ) 古墳(こふん)三 角 縁 神 獣 鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)


神原神社 神原神社古墳・三角縁神獣鏡
(左)神原神社、(右)神原神社古墳、場所:地理院地図

神 原 神 社(かんばらじんじゃ)古 墳(こふん)



三 角 縁 神 獣 鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)


神原神社

神 原 神 社(かんばらじんじゃ)
神原神社古墳・三角縁神獣鏡

神原神社(かんばらじんじゃ)古墳(こふん)地理院地図
・239年(景初(けいしょ)3年)倭国(わこく)卑弥呼(ひみこ)()遣使(けんし)銅鏡(どうきょう)を百(まい)(たまわ)る(wiki)

古墳時代(こふんじだい)(3世紀後半)神原神社古墳(かんばらじんjたこふん)(wiki)発掘(はっくつ)景初3年(めい)三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)(wiki)出土(しゅつど)する



大原(おほはら)(なづ)くゆえは郡家(ぐんけ)正西(まにし)(さと)百十六(あし)に田十(ところ)(ばか)りあり。(たいら)なる(はら)なれば(なづ)けて大原(おおはら)といふ

神 原 郷(かむはらのさと)
 郡家(ぐんけ)正北(まきた)(さと)なり。古老(おきな)(つた)えて()へらく「天下(あめのした)(つく)らしし大神(おおかみ)御財(みたから)()()(たま)(ところ)なれば、神 財 郷(かむたからのさと)といふべし。しかるに(いま)(ひと)なお(あやま)てり」といへり。(かれ)神原(かむはら)()をいふ


大原(おほはら)(なづ)くゆえは郡家(ぐんけ)正西(まにし)(さと)百十六(あし)に田十(ところ)(ばか)りあり。(たいら)なる(はら)なれば(なづ)けて大原(おおはら)といふ

神 原 郷(かむはらのさと)
 郡家(ぐんけ)正北(まきた)(さと)なり。古老(おきな)(つた)えて()へらく「天下(あめのした)(つく)らしし大神(おおかみ)御財(みたから)()()(たま)(ところ)なれば、神 財 郷(かむたからのさと)といふべし。しかるに(いま)(ひと)なお(あやま)てり」といへり。(かれ)神原(かむはら)()をいふ



出雲(いずも)(くに)石見(いわみ)(くに)(さかい)なる佐比賣山(さひめやま)三瓶山(さんべさん)

出雲(いずも)(くに)石見(いわみ)(くに)(さかい)なる佐比賣山(さひめやま)三瓶山(さんべさん)


三瓶山東の原

三瓶山(さんべさん)(ひがし)(はら)から女三瓶山(おんなさんべさん)(標高957m)、Spot
石見(いわみ)(くに)雨水(うすい)(ごう)(かわ) 出雲(いずも)(くに)雨水(うすい)神戸川(かんどがわ)
三瓶山東の原

(ひがし)(はら)から女三瓶山(おんなさんべさん)(標高957m)
石見(いわみ)(くに) 出雲(いず)(くに)
雨水(うすい)
(ごう)(かわ)
雨水(うすい)
神戸川(かんどかわ)

飯 石 郡(いひしのこほり)
 飯石(いひし)(なづ)くゆえは、伊毘志都弊命(いびしつべのみこと) 飯石(いひし)と云う

佐比賣山(さひめやま)
 郡家(ぐんけ)正西(まにし)五十一(さと)一百四十(あし)なり。石見(いわみ)出雲(いずも)との二國(にこく)(さかい)なり


飯 石 郡(いひしのこほり)
 飯石(いひし)(なづ)くゆえは、伊毘志都弊命(いびしつべのみこと) 飯石(いひし)と云う

佐比賣山(さひめやま)
 郡家(ぐんけ)正西(まにし)五十一(さと)一百四十(あし)なり。石見(いわみ)出雲(いずも)との二國(にこく)(さかい)なり


火山灰(かざんばい)東北地方(とうほくちほう)まで(つも)りました

 三瓶山の火山灰(かざんばい)

東北地方(とうほくちほう)まで(つも)りました



今から11~10万年前に三瓶山が噴火噴出した火山灰は東北地方まで降灰し積りました
・当火山灰は地質の鍵層(Wiki)三瓶木次テフラ:SKP (Wiki)と言われています



出雲(いずも)神話(しんわ) 紹介(しょうかい)


国引き神話

国引(くにび)神話(しんわ)
出雲国風土記
八岐大蛇神話

八岐大蛇神話(やまたのおろちしんわ)
古事記・日本書記


三瓶山(さんべさん)(きた)(はら)国引(くにび)きの(おか)

三瓶山(さんべさん)(きた)(はら)

国引(くにび)きの(おか)


(きた)(はら)には、新羅(しらぎ)から()()せた島根半島(しまねはんとう)山塊(さんかい)(なが)められる「国引(くにび)きの(おか)」があります
国引きの丘 国引きの丘
国引きの丘

杵築(きずき)の御埼
杵築(きずき)の御埼


八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)(あま)った(くに)志羅紀(しらき)三埼(みさき)から最初(さいしょ)()()せた山塊(さんかい)

・「国々来々(くにこくにこ)」と引寄(ひきよ)佐比賣山(さひめやま)(つな)()めた八穂米支豆支(やほしねきずき)(杵築)御埼(みさき)日御崎(ひのみさき)から平田(ひらた)までの山塊(さんかい))
地図:北の原Google 航空写真

北の原 国引きの丘


 

杵築(きずき)御崎(みさき)(その)長浜(ながはま)



佐比賣山(さひめやま)三瓶山(さんべさん)山頂(さんちょう)から(その)長浜(ながはま)杵築(きずき)御崎(みさき)眺望(ちょうぼう)
距離(きょり):30km9月21日Spot

三瓶山から薗の長浜・杵築の御崎を眺望

志羅紀(しらき)(みさき)から()()せた杵築(きずき)御崎(みさき)()(つな)の「(その)長浜(ながはま)


佐比賣山(さひめやま)三瓶山(さんべさん)山頂(さんちょう)から(その)長浜(ながはま)杵築(きずき)御崎(みさき)眺望(ちょうぼう)
眺望距離(ちょうぼうきょり):30km 9月21日Wide
三瓶山から薗の長浜・杵築の御崎を眺望

新羅(しらぎ)(みさき)から()()せた杵築(きずき)御崎(みさき)
()(つな)の「(その)長浜(ながはま)
三瓶山から出雲大社付近を眺望 出雲大社の国旗掲揚塔と国旗

・よく()ると出雲大社(いずもたいしゃ)国旗掲揚塔(こっきけいようとう)国旗(こっき)()えます

国旗掲揚塔(こっきけいようとう)は、平安時代(へいあんじだい)御本殿(ごほんでん)(たか)さとのこと
(48m-1m=47m)

当時(とうじ)(かす)みも()佐比買山(さひめやま)からよく()えたことでしょう

・左は出雲大社付近拡大、右は国旗掲揚塔


(その)長濱(ながはま)佐比賣山(さひめやま)



()()せた(くに)(かた)めた(くい)佐比賣山(さひめやま)(三瓶山1126m)と、引綱(ひきつな)(その)長浜(ながはま)

日御碕(ひのみさき)から温泉津沖(ゆのつおき)までの日本海(にほんかい)航行(こうこう)は、佐比賣山(さひめやま)がランドマーク

養老(ようろう)2年(718)佐比賣山(さひめやま)外敵(がいてき)新羅(しらぎ)(たい)する(のろし)()かれる。(その)長浜(ながはま)からもいち(はや)確認(かくにん)ができそうです

薗の長浜と三瓶山
国引きの浜弓なりや鳥渡る
稲佐の浜 弁天島と三瓶山 稲佐の浜 弁天島と三瓶山
佐比賣山(さひめやま)(その)長浜(ながはま) 稲佐(いなさ)(はま)弁天島(べんてんしま)から

稲佐の浜 弁天島と三瓶山

(みぎ)()は「句集 簸川」角川書店より)

稲佐(いなさ)(はま)では全国(ぜんこく)神々(かみがみ)をお(むか)えする「神迎神事(かみむかえしんじ)」が()(おこな)われます

稲佐(いなさ)(はま)弁天島(べんてんじま)から、佐比賣山遠望(さひめやまえんぼう)(UP)
薗の長浜と三瓶山

佐比賣山(さひめやま)遠望(えんぼう)(奉納山から)
国引きの浜弓なりや鳥渡る
稲佐の浜 弁天島と三瓶山

稲佐の浜 弁天島と三瓶山

弁天島(べんてんじま)から佐比賣山遠望(さんべさんえんぼう)(UP)

右句は「句集 簸川」角川書店より

稲佐(いなさ)(はま)では全国(ぜんこく)神々(かみがみ)をお(むか)えする「神 迎(かみむかえ)神事(しんじ)」が()(おこな)われます

 YouTube しまねっこCH 

動画稲佐の浜の夕日(4分)

水海(みずうみ)神門水海(かむとのみずうみ)

郡家(ぐんけ)正西(まにし)(さと)五十(あし)なり。(めぐ)り三五里七十四歩である。 即ち水海(みずうみ)大海(おほうみ)との(あいだ)(やま)()る。
(なが)さ廿二里二百三四歩、(ひろ)さは三(さと)である。()れは意美豆努命(おみずぬののみこと)国引(くにび)きましし(とき)(つな)である。 俗人(ぞくじん)なずけて薗松山(そののまつやま)という

地形(ちけい)は、(つち)でも(いし)でも()い。白沙(しろすな)のみが()もっている。(すなわ)松林(まつばやし)のみが茂繁(しげ)っている。(よも)風吹(かぜふ)(とき)は、沙飛(すなと)(なが)れて(まつ)(はやし)をおほい(うず)める。

(いま)(とし)ごとに(うず)まって、半分(なかば)だけ(のこ)っている。(おそ)らくは(つい)()もれることは()むなむか。

--- 出雲国風土記 ここまで ---
-- 出雲国風土記 ここまで --

注1.縄文時代(じょうもんじだい)島根半島(しまねはんとう)分断(ぶんだん)する日本海(にほんかい)(るび)であったが、風土記時代(ふどきじだい)には斐伊川(ひいかわ)神門川(かむとかわ)土砂堆積(どしゃたいせき)により出雲平野(いずもへいや)ができると()()(みずうみ)となる

注2.(かわ)土砂(どしゃ)(その)長濱(ながはま)(すな)(うず)まるなどのため海側(うみがわ)排水路(はいすいろ)差海川(さしみがわ)(もうけて)けて排水(はいすい)する。 汽水湖(きすいこ)であることからシジミの生産高(せいさんだか)全国(ぜんこく)で6位





八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)神社(じんじゃ)



長浜神社(ながはまじんじゃ)(うん)引寄(ひきよ)せる神社(じんじゃ)


長浜神社 長浜神社
長浜神社

長浜神社の絵馬

(その)長濱(ながはま)長浜神社(ながはまじんじゃ)

国引(くにび)きにちなんで、国引(つなひ)きジャンボ綱引(つなひき)大会(たいかい)毎年(まいねん)10月の日曜日(にちようび)開催(かいさい)され、10人1チームで直径(ちょっけい)84mmの太綱(ふとつな)境内(けいない)(すな)(うえ)()()います

(みこと)(つな)()(くに)()()せる絵馬(えま)

長浜神社さん

長浜神社(youtube:4分)

長浜神社(トラベルクリエイト)

佐比賣山神社(トラベルクリエイト)
上左、 上右、 下左


国引(くにび)きの()()佐比賣山(さひめやま)神社(じんじゃ)


国引(くにび)きの()()

佐比賣山(さひめやま)神社(じんじゃ)


佐比賣山神社
佐比賣山神社

佐比賣山(さひめやま)()() 古 (いにしえ)(つた)える神社(じんじゃ)

和銅(わどう)6年(713)、元明天皇(げんめいてんのう)(みことのり)により風土記編纂(ふどきへんさん)(めい)ぜられる
郡郷山野(ぐんごうさんや)()を3文字(もじ)なら2文字(もじ)に、凶音(きょういん)をもつ()好字(こうじ)()えるように)出雲国風土記(島根県)
神亀(しんき)3年(726)、佐比賣山(さひめやま)から三瓶山(さんべさん)改名(かいめい)(三瓶山 歴史と伝説 石村禎久著)

出雲国風土記(いずものくにふどき)は、天平5年(733)に完成(かんせい)佐比賣山(さひめやま)古名(こめい)()される

佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)


八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)神社(じんじゃ)



富 神 社(とびじんじゃ)


富神社鳥居 富神門
富神社 富神社
富神社 富神社
拝殿 本殿
富神社

富神社
上:拝殿下:鳥居・富神門

住所:出雲市斐川町富村596番地
地理院地図

富神社(神社探訪・狛犬見聞録)
富神社(トラベルクリエイト)   

 

参考資料や文献

・校正出雲風土記 日御碕神社本の写 海野文庫 寛永11年
・出雲風土記抄 岸崎時照著 桑原家所蔵本 天和3年
・訂正出雲風土記 千家俊信著 梅之舎大人訂正 文化3年
・出雲風土記假字書 富永芳久著 安政3年
・出雲国風土記 沖森卓也・佐藤信・矢島泉編著 山川出版 平成17年11月30日第1版
・句集簸川 ひのかわ 日高俊平太 角川書店 平成21年9月25日
・出雲國風土記 加藤義成校注 松江今井書店 平成22年12月1日改版16刷
・解説 出雲国風土記 島根県古代文化センター編集 島根県教育委員会 今井書店 平成26年10月27日第3版
・企画展図録 出雲国風土記 ─語り継がれる古代の出雲─ 島根県立古代出雲歴史博物館 平成29年3月25日初版


佐比賣山神社 多根神楽 立石神社 山口八幡宮 国引きの丘
佐比賣山神社 多根神楽 立石神社 山口八幡宮 国引きの丘

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