09年その2版井戸端会議風伝言板

 個人的には、とてもよい年でした。嫌なことが何一つなかった。めでたいこともあったし、つながりがより深くなって、信頼関係が結べ、本音も言えるようになり、いろんな事ができるようになった。何よりも、いい人が一杯いるんだって、そう思えたことが嬉しい。
  格差社会はますます厳しさを増しているけれど、自分がお役に立っていると実感できたし、政権交代によって、みんなも動けば変わることが少しづつわかってきたような気もする。民主党がどこへ行こうとしているかは、まだ見えてこないけれど、私たちが意見を言う、具体的に動くことで、それも良い方向へ行くのではないかという気もする。まだまだこれからだけどね。

No.50

『闇の奥』の奥

 エコロじいさん
09/12/30

今読んでいる本をご紹介します。

藤永茂
『闇の奥』の奥/コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷

イギリスの古典文学、コンラッド著「闇の奥」を邦訳した著者が、ここではヨーロッパの精神を解明する。

19世紀末、自動車が普及し、タイヤのゴムの需要が急騰。
  ゴムの原産地コンゴを私有するベルギー国王は大儲けだ。
  その陰で奴隷収奪により一千万人の殺戮が行われた。ナチのホロコーストに匹敵する規模だが、日本で知る人は少ない。また、おびただしい数の人の手首が切り落とされ、秀吉の朝鮮侵略時の「耳塚」を思わせる。

「闇の奥」は欧米ではよく知られた古典文学で、映画「地獄の黙示録」のモデルにもなっているそうだ。そして映画の結末がなぜあんなに難解なのかといえば、コッポラ監督自身が自分たち白人の、非白人にたいする差別意識の全貌を把握できず悩んでいた点に原因があるのだと、藤永氏は指摘する。

歴史事実による確かな検証を重ねながら、現代人の差別意識の深層を解き明かしていくサスペンスあふれる名著です。非常に込み入った内容なのに、文体は平易で解りやすい。これを名文といわずして何といふべきか。著者の視野の広さ、自由な精神が、読み物としての面白さをとても豊かにしている。冬の夜ふけに読書のダイゴ味を毎晩、味わっています。





No.49

ガザ虐殺を繰返させないために

 エコロじいさん
09/12/25

友人からの情報を転送します。

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ガザ虐殺を繰返させないための12・28大阪米領事館申入れ行動
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1400人以上の命を奪ったガザ大虐殺から1年が過ぎようとしています。イスラエルは戦争犯罪者の処罰を行わず、ガザ封鎖の継続によって人々の生活を蹂躙し続けています。
  こうした状況にも関わらず、オバマ政権は従来の親イスラエル政策を改めることができません。ガザ虐殺を繰返させないために、まず、アメリカによる強力なイスラエル支援を止めさせましょう。
  私達は、オバマ政権に対し、以下のことを申入れるため、行動を起こします。

●イスラエルに対する軍事援助の即時中止。
  ●政府機関・企業・宗教団体等を通じたイスラエル入植地への支援・関与の停止。
  ●以上を含む、アメリカの中東和平破壊政策の抜本的見直し。
  抗議や追悼の意思表示のため、プラカードやキャンドルなど、各自お持ちください。年の瀬の忙しい時期ですが、ぜひご参加ください。

2009年12月28日 午後4時半〜(1時間ほど)
  駐大阪・神戸アメリカ総領事館前(地下鉄、京阪「淀屋橋」駅

  呼びかけ ●パレスチナの平和を考える会・ATTAC関西・関西共同行動・神戸ラブ&ピース・どこまでも9条の会・日本聖公会大阪教区宣教部・反戦と生活のための表現解放行動・RAWAと連帯する会





No.48

12・19緊急報告会報告

 りっちゃん
09/12/20

昨日6時半から東京しごとセンターにて京都朝鮮第一初級学校への在特会暴挙についての緊急報告会という集会があったの。青山での「レイバーフェスタ」に参加して、在特会が来るって情報があったから早めに抜けて、5時過ぎに着いた。在特会は、わたしの見たところ20名ほど。拡声器で「海に投げ入れろ!」「朝鮮半島に帰れ!」とか叫んでいました。まるで、警察官(例の車3台分)に守られて、駄々っ子がわめいているカンジでした。

今回は、守るべき人がいないから、在特会と討論会とかやるかも、だったら何か手伝うことがあるかなと思っていたけれど・・・中に入れてもらえない、かわいそうな在特会ならほっといてもいいかと、コーヒーと煙草を吸いに喫茶店に行って、5時15分に行ったら、満杯だったのよ。会場はぎゅうづめ。立っている人もいっぱい。会場外にも2、30人いた。主催者側の報告では200人とか。主催者の一人から入場できなかった人へのお詫びの挨拶があった。嬉しい誤算ですね。

在特会は6時10分頃、帰宅途中?ぞろぞろと少ない人数の彼らについ「お気の毒」とささやいてしまいました。ちょうどであった三鷹の主催者とおしゃべりもできた。三鷹の時に何人かの在特会のメンバーが戦争体験の話を聞いていたらしい。質問とかもしていたとか。それはとってもいいことだと思う。慰安婦の問題にしろ、在日朝鮮人の歴史にしろ、在特会の人たちは知らないことが多すぎるもの。自分と違う意見を耳にするってこと大事だよ。在特会のメンバーに私も聞きたいなぁ。欲求不満がたまっているみたいだけれど、それってなぁに?って。多分、本人も気づいていないのだろうけれど、話しているうちに共通するものがいっぱい見つかるように思うんだ。
  で、彼女と一緒に「無駄足だったけれど良かったね」と帰宅。何よりも、善意の人たちがいっぱい集まったことが嬉しい。

レイバーフェスタでは「外泊」という映画を見た。儒教の国で泊り込みの運動をすること自体が女性解放にもつながるということなのかな?運動自体は政党と組合の分裂もあって挫折するのだけれど、非正規雇用者と正規雇用者とが協力してストライキをしたことはさすが韓国!!と驚嘆する。朝鮮半島の女性はたくましい。日系ラテン労働者演劇「出稼ぎ移民・テオドロ ウアマン」の寸劇も面白かった。主役を演じた人の芸に感服。ひょっとこに応用できないかなぁ。畑を耕す手つき足捌きが絶品。次のフォルクロールでもダンスに参加。見てて楽しかったよ。レイバーソングは難しいねぇ。替え歌はやはり最新の話題でないと。オリジナルは聞き覚えがないから、音楽的共感は得づらい。テクニックも未熟だと・・・歌に関してはつい厳しい見方をしてしまう。「人生を返せ!」のフレーズは良かったな。歌で共感を得るのはなかなか難しいものなんだなぁ。だからこそ精進せねば、かな。





No.47

府中派遣村大相談会報告

 りっちゃん
09/12/20

府中派遣村大相談会の報告が19日に届きました。私の感想はカッコ内に書き込みます。

09年12月12日−13日 年末大相談会報告
  府中緊急派遣村 年末大相談会を力を合わせてやりきりました!

12月12日(土)、13日(日)の2日間にわたり、府中緊急派遣村は「年末大相談会」を府中駅前のグリーンプラザで行ないました。
  2日間で訪れた相談者は20名、ボランティアスタッフは55名が駆けつけ、カンパは2日間で約9万円、そのほかお米が40キロ以上など多くの物資カンパが寄せられました。

今回の相談会は、前回4月相談会に比べて、ひじょうに困難な条件のなかでの相談会でした。
  府中市が名義後援を拒否したばかりでなく、前回4月の相談会の時に使った府中公園を使用不許可としたため、やむなく駅前の屋内施設グリーンプラザの複雑な配置の会議室にせざるを得ませんでした。会議室は7階になるため、私たちは、グリーンプラザの外で途切れることなく情宣を行い、相談者を案内・誘導しました。また、グリーンプラザは調理室がなく、火も使えないため、炊き出しの調理は300m離れたボランティア事務所で行い、相談会の会場まで運搬しなければなりませんでした。
  (一番困ったのが炊飯器4つでブレーカーが何回も落ちてしまったこと。ごめんね。芯が少し残っちゃったおにぎりに当った人。調理室を借りられたらそんなこと起きなかったのにねぇ。コンロも足りないから、何を調理するかその順番と時間配分も大変。Nさんの鮮やかな陣頭指揮のお陰で何とかクリヤーできたけれど・・・こんなことを言ってはなんですが、賄いをしながらのおしゃべりも楽しかったぁ。Tさん風邪なのに駆けつけてくれてありがとう。あのあと大丈夫だったかなぁ。こじらせていないといいけれど・・・)
  今回の相談会は、相談室で落ち着いた相談を行ないながら、外での情宣・案内係、炊き出しのための調理係、そしてそれを運ぶ運搬係など、2日間にわたり分散した体制をとりながら力を合わせてやりきりました。(大きなお鍋を台車でガラガラと・・・非効率でしたよ。府中市にはこんないい人がいっぱいいるのにねぇ。歴史のある街だからさすが懐が深いと思っていたのに・・・)

とりわけ、屋内施設であるグリーンプラザの7階にある相談会場にどうすれば、相談者が気軽に足を運べるのか、ということに腐心しました。
  相談会の受付をグリーンプラザの外、けやき並木に机を置いてつくりました。迷いながら相談に来た人に付き添いながら7階の相談室まで案内しました。2日目の炊き出しも、けやき並木の受付で行ないました。できるだけ多くの人に相談会を知らせよう、と市内の練り歩きもやりました。チラシ及びパンフは、2日間で1500枚以上配ったと思います。通りがかりの多くの方が、カンパ箱にカンパを寄せてくれました。
  (調理の手がすいている時はチラシ配りもお手伝い。小雨が降ったり、夕方とかはホント寒かった。でもみんなの気持ちがあったかかったから、ちっとも苦じゃなかったよ。反応はよかった。「おれには関係ない」とばかりに乙に澄ましている人もいたけれど、受け取ってくれた人は大事にバックとかにしまってくれたり、みんな「明日はわが身」っていう感じがあるのかもしれない。先行き不透明な時代だから・・・私も何年か前はやばかったし、今は大丈夫だけれど、この先はどうなるか・・・決してひとごとではないね。自分は大丈夫という確信がある人は、ぜひボランティアなり、カンパなりで協力してほしいね。)

今回の2日間の20人の相談者は、数としては前回4月の相談会の57件の相談に比べると少ない結果に終わりました。しかし、今回の相談会は、4月相談会以上の数多くの豊かな経験を私たちにもたらしました。4月のときに相談した当事者が、自主的にスタッフとなり、炊き出しや情宣活動、受付係、案内・誘導の係を率先して引き受けてくれました。北風が吹く寒い中を1枚でも多くの人にチラシを手渡そうと、一人でどんどん遠くまで配りに行ったSさん。相談会の会場には顔を出さずに、炊き出しの仕込を黙々と引き受けてくれたCさん。炊き出しの調理の味付けから情宣係、相談会場の案内係まで一人で何役も奮闘してくれたTさん。就活中のAさんは、リクルートスーツ姿で1日中情宣に立ち、「派遣村はけっして見捨てません!」とマイクで訴えました。「派遣切り」解雇撤回を勝ち取ったYさんは、マイクで自分の経験を切々と話してくれました。同じく解雇撤回を勝ち取った0さんは、子連れで相談会の受付を引き受け、初めて訪れた相談者の緊張をほぐしてくれました。(回りの大人もみんな優しく相手をしたり、とてもなごやかだったよ)

みんな、派遣村に助けられた経験をもとに、今度は自分が助ける側に立ちたい、役にたちたい、という思いで今回の相談会に集ってくれました。「救う」−「救われる」という一方的な関係ではなく、派遣村には、困ったときはお互いさま」、同じ仲間としての助け合い、連帯のきずながつくられつつあるのではないか、と思います。(苦労している人は、ほんと、優しいんだ。いつかわたしがこけた時もみんな心配してバンドエイドを張ってくれたり・・・感動しちゃったよ)

また、今回の相談会には、今までになく幅広い支援者が集まりました。弁護士、社労士の他に、労働相談の経験豊富な労働組合役員や専門的経験をお持ちの方々が相談員としてスタッフに加わっていただきました。その意味では、いままで以上に密度の濃い、ていねいな相談ができたのではないか、と思います。

政権交代で、貧困や格差の問題に画期的な解決策が打ち出された、とは誰も言えないでしょう。「派遣村の再来を阻止する」と民主党政権は力んでいるようですが、実際は昨年以上に雇用情勢、生活困窮などの深刻さは増していると思われます。(そういう意味では相談者が入りづらかったのはとても残念。困った時には遠慮なく連絡をして下さい。かならず、応えてくれると思うよ。私はイベントの時しか手伝っていないけれど・・・)
  残念ながら、私たち府中緊急派遣村はまだ解散の時期が来ている、とはとても言えない状況です。むしろ、小なりといえども府中緊急派遣村の必要性がますます求められていることを強く実感します。
  私たちは、今回の相談会−きわめて困難な相談会の中でこそ、派遣村運動の可能性と団結の力を確信することができました。

府中緊急派遣村は、自力・自前で、当事者もスタッフも同じ目線で、1人でも困っている人がいれば、自分のこととして親身に相談に乗り、不当なことには全力で怒り、行動する、そういう身の丈に合った活動を今後も続けていきたいと考えます。

私たちは、今、府中緊急派遣村の旗をつくろうとしています。その旗には次のスローガンが書かれる予定です。「一人は万人のために、万人は一人のために」

(街頭演説?マイクでしゃべるのは苦手なのに初体験しちゃった。会場の案内の他には、「この冷たい世の中が嫌いなので、派遣村にお手伝いに来ています。とても楽しいいです。」なんてことをしゃべったような・・・みんなと一緒に料理を作ったり、食べたり、ほんと、楽しかったよ。みんなもおいでよ。貧乏人同士仲良くやっていきたいね。そのことが一番、いい世の中に変えていく力になるような気がする。)

今後とも、みなさまのご支援・ご協力・ご参加をよろしくお願いします。(こちらこそ「よろしく!!」なのだ)

■12日にNHK「首都圏ネットワーク」の取材、13日にTBS「朝ズバッ」の取材がありました。
  放送予定:くNHK絵合1>12月24日(木)午後6時10分[首都圏ネットワーク]。乞うご期待。





No.46

東京大空襲訴訟

 りっちゃん
09/12/20

『軍・民差別 壁厚く』、『冷たい仕打ちだ』、15日の東京新聞。「判決要旨」も載っていた。「アメリカ合衆国にたいして損害賠償を請求することができたのにもかかわらず、被告が、サンフランシスコ平和条約締結の際に、上記損害賠償請求権を放棄したことは外交保護義務に違反し」との主張は、ハーグ陸戦条約の解釈から、「その前提となる原告らの損害賠償請求権の存在を認めることが出来ない以上、失当と言わざると得ない」だって。「原告らは、東京大空襲の被害者に対して救済立法を行わなかったことは、憲法の上記各規程に違反すると主張するが、上記各規定から、具体的な救済義務を導き出すことは困難といわざるを得ず、原告の主張は失当である。」だって。「失当」ってなんだか嫌な言葉だねぇ。法律もその解釈も人間が人間らしく生きるためのものではないのかなぁ。法律をこねくり回し、屁理屈こねて、人間性を否定しているという感じを受けるよ。冷たい。

「軍人軍属等と同様に、救済や援護を与えることが被告の義務であったとする原告らの主張も、心情的には理解できないわけではない。しかしながら、」「当時の日本国民のほとんどすべてが何らかの形で戦争被害を負っていたとの結論に到達せざると得ない」でも、「選別することは到底困難」で「政治的判断に委ねざるを得ない」んだってさ。うちも焼け出され組。母が大切にしていたアルバムは、あちこちからあとで写真をかき集めたものだった。そういう金銭ではあらわせない物も含めて、その損失たるや・・・さぞ、爺ちゃんたちはご苦労されたことだろう。ま、人的被害がなかっただけマシと言えばマシなんだけれど・・・夏に出合ったおばあちゃんは親兄弟すべて亡くしているからねぇ。それを単に「選別不能」と言い切っていいんだろうか?戦争で大儲けした人たちも一方ではいるわけで・・・強制連行。劣悪な労働条件。非常時だから許されちゃって、財を成したおうちの3代目だっけ。「あ、そう」さん。

東京大空襲は、どう考えても戦争犯罪だよ。効率的に人を焼き殺すために焼夷弾を落としたんだから・・・それを言えば、重慶への空襲もそうだって言う人がいた。それも補償すべきなんだろうなぁ。そういう戦争での負の部分をきちんと計算したらいいんだと思う。攻撃するための軍事予算は国家が負担しているのでしょう。で、その被害は受けた個人が支払う?おかしいよねぇ。国家予算も国民の税金なんだけれど、私なんかが、軍事予算は無駄だといっても国家は聞きゃあしないし、大体、戦争になる時にはそんなことはとても言えない雰囲気になっちゃっているわけで・・・だからこそ、今のうちにきちんとその辺の計算をしておけばいいんだと思う。どれだけ補償しなければならないかを。要するにこの判決は、国にそんな金はないということみたいだね。だったら、戦争なんてするな。戦争のための軍事予算なんか組むな。武器も軍隊も要らない。持たないのが一番いいんだよ。九条は正しいのだよ。

東京大空襲訴訟の原告団は、「空襲被害者等援護法」の立法運動を進めているとか。@死者への弔慰金と遺族年金A医療保障B財産喪失者への補償C被害の実態調査D追悼碑・展示館の建設。アメリカに損害賠償を請求できないものかねぇ。同時に日本がやったことは、日本が補償すべきだと思うよ。そっちもグングン裁判日本軍性暴力被害者裁判など、司法の冷たさには、なんともかんともです。19日のレイバーフェスタの川柳にも変わってほしいものに、マスコミと並んで、裁判所があったよ。私も同感。心情的に理解するなら「失当」なんて言うなよな。何とか助ける方法を考えてよ。冷たいのは木枯らしで充分。世の中をあったかいものにしていきましょう。ということで、次は暖かい話題を。





No.45

国家の貧困

 りっちゃん
09/12/11

雨宮処凛さんと森田実さんの対談本。はじめに、キャバクラ嬢の「店長のセクハラ及び給料未払い」への抗議活動に同行したことが書かれている。9日の新聞にキャバクラ労組結成の記事が載っていた。一歩前進したのだね。しかし、「キャバクラだからセクハラされても仕方ない」などとの書き込みもあったそうだ。なんと冷たい反応か。情けない。

このような処凛さんの活動に対して、森田さんは「雨宮さんたちの活動が素晴らしいのは、孤立した人たちをつなげていることです。一番の底辺の人たちを、草の根でつなげている。実はそれこそが社会の再建なのです。」と大いに評価している。
  それを受けて「それは自分たちでも感じます。やはり破壊されたのは社会だけでなく、精神的に破壊された部分がすごく大きいですね。
  私としては「助け合い」みたいな、新自由主義の社会ではもっとも不合理で、無用の長物とされることを復権させたいという思いがあります。それはある意味、他人にたいして徹底的に優しくなるということなのかもしれません。そういう姿を見せることでしか、破壊されたものは取り戻せないのではないでしょうか。みんな、徹底的に人間不信になっています。・・・
  だけど私は今のこういう社会がイヤだし、それに対する抵抗として、支援したいし、一緒に闘いたい。労働/生存運動を通じて、生まれて初めて、競争相手ではない人と出会えて、競争以外の人間関係を手に入れたという人が本当に多いのです。」

そう、私も政治に興味を持ち出したのは、今があまりにも冷たい世の中になってしまっていることに愕然としたからだ。ずいぶんと排除されたっけ。今つくっている歌の歌詞にも、「泣きながら、泣きながら歩いてきた」と書いたけれど、ほんと、そんな感じだった。今は友達がいっぱいできたし、いろんなことができて楽しいけれど・・・右とか、左とか言っている場合じゃぁない。とにかく“変えくっちゃ”。こんな社会は嫌だよ。もっと心豊かな社会にしたいね。やっと貧困率の調査が出たね。もちろん私もその中の一人。稼ぎ悪いから・・・病気もwだから無理できないし・・・

森田「全国民がこの問題を知りました。また、この問題を通じて、現代社会というのがどんなに恐ろしい社会になっているのかということを、そして、その原因が、政府による経済介入を縮少し、規制緩和や民営化で市場原理にもとづく弱肉強食の競争社会をつくり上げてきた、いわゆるアメリカ流新自由主義にあることを知りました。」

だから、政権交代。民主党も少しは動いている。でも、まだまだ「友愛」が誰に対してかは見えてこない。

森田さんは大家族の中で育ったそうだ。「産業の発展と地域社会の崩壊、大家族制の解体が、伝統的な大家庭が持っていた福祉機能、 助け合い機能、育児機能、老人介護機能、教育機能など、人間生活に必要なあらゆるものを奪いました。今日の核家族化した家族を、大家族にすぐに戻すことはできませんが、少なくとも、社会のなかに代替機能を作り出す必要があると思います。」

雨宮「逆に、新自由主義はすごく家族を大事にしろとも強調します。それは、本来、政府と企業が肩代わりするべきだった問題を家族に押し付けているのですね。「家族なんだからフリーターの子供を親は養え」という形で、企業の問題から目をそらさせるという利用のされ方もしている。
  しかし、家族のほうにも余力がない。結局、社会問題が家族内に凝縮されていきます。それによって家庭内暴力の問題だとか、親子間の殺人みたいなことも起きています。「ロストジェネレーション」といわれる就職氷河期世代の団塊ジュニアの人たちと、その親である団塊世代の分断もそうです。団塊世代の親からすると、自分の子供が、いつまでもフリーターで、結婚もしていないという状況がまったく理解できない。本当は、これは社会構造の問題であって、団塊ジュニア世代自身のせいではありません。」

廻りにも、ひきこもりやフリーターを抱えている親世代が多い。介護世代でもあるから、みんな大変なんだよなぁ。

雨宮「刑務所の福祉施設化という話はよく聞きます。高齢の方や、障害を持った方が多いそうですね。
  私の友達で大学でトラブルを起こして、逮捕された人がいますが、彼はすごく貧乏なので、留置場の生活が素晴らしかったと言ってました。「ちょっと体の調子が感ければ医者はすぐ来るし、クーラーは利いているし、3食すごくおいしいご飯が出てくる」って。
  正社員にしても毎日20時間ぐらい働いている人はたくさんいるので、8時間労働が守られている刑務所の方が、ある意味人間らしい生活が送られるということになっています・・」
  森田「刑務所のなかは、自由はともかく生存は保証されるわけですね。」

雨宮「ドイツの場合は失業したら、家賃補助制度や、国のお金が入るそうです。「失業即ホームレスになる日本がおかしい」ということをドイツの学生の方が言っていました。
  日本だと派遣切りされた人たちは、会社の寮なのに、容赦なく追い出される。それに対して、フランスに住んでいる日本人が、「なんて人権意識のない国と企業なんだ」と、すごくショックを受けていました。フランスの場合、普通の賃貸物件でも、冬の間は、絶対に追い出されないそうです。どんなに家賃を滞納していても、冬の間は大家さんは賃貸人を追い出してはいけない、という法律があるらしいのです。本当にそういう部分では、この国には人権意識がまったくないと思いました。」

森田「結局、地方自治体も、派遣とか、パートが支えているのです。今、それがなくなったら、行政サービスもなくなります。だから、地方自治体は派遣問題の解決に対して、とても消極的なのです」。ワンストップサービスだって、職員の人手が足りないそうだ。急に増やしても能力や知識のない職員では結局役に立たない、困っちゃうねぇ。キャッチフレーズで終わってほしくない。実際に使える制度であってほしい。

雨宮「今、プレカリアート(不安定な労働者)運動をやってる人たちは同時に、反戦も掲げています。それは、自分たち貧乏人が、何らかの事態が起きたときに、たぶんまっ先に戦場に連れていかれてしまう層だからです。」
  貧乏人には、刑務所も軍隊も非常に近いところにある。だからこそ、問題意識も持てるわけで、生活が安定している人ほど社会状況に疎いということだね。「それはマスコミの人に限りません。ある程度、定収入があって安定している人は、貧しい人たちを、「自分の住んでいる社会からはみ出した人」と見ていて、自分たちとは無関係ない存在だと思っています。もちろん、政治家の人もそうです。そこが一番怖い。その視点が一番恐ろしいですね。やはり、住む世界が違うと、貧しい人が騙されて引っ掛かってる貧困ビジネスの問題とか、全然わからないのです。」

森田さんは小沢氏の“国連の決議があれば自衛隊海外派遣もOK”との論理を危険視している。同感だね。
  「私は、小沢氏がその論文を『世界』に発表してからずっと小沢氏を批判し続けています。私の立場は、戦争をやる政権は支持できないというものです。戦争が最大の罪悪ですから、戦争をする政権は絶対に許せません。」
  「「戦争をやって何が悪いのか」と言う人が、政治家には意外なほど多いのです。
  かつての自民党議員の大半がそうでした。民主党の政治家のなかにもかなりいます。大新聞の記者にも非常に多いです。
  さすがに、女性でそういうことを言う人はあまりいません。戦争の悲惨さを、一番受けるのは母親ですし、多くの女性は母親の体験を受け継いでいきますから。戦争を体験していない世代の男性には、戦争を美化する人は少なくありません。危ない政治家が多いのです。」
  私は、『岸壁の母』になんか絶対になりたくない。男にはそういう感覚がないのだろうか?性の違いよりも、自分は金と権力を持っているから、絶対そうはならないという立場だからかな。他人の子はどうなってもいいということか?

森田さんは政治に詳しい。政治史というのかな、勉強になる。「日米関係といっても、それはアメリカ主導の日米同盟です。戦後、特に1957(昭和32)年の岸信介内閣成立以後、アメリカ化が、日本の政治の大きな流れになりました。これに反対する者は、国賊視されてきたのです。今の政界でアメリカ政府に率直にもの申す保守政治家は亀井静香氏と鈴木宗男氏のほかは、ほとんどいません。」
  今、問題になっていることはすべてここが根っこだと思う。日本は独立すべきだよ。

「まだ所持金1万円ぐらいあるときに、友達に頼ったり、行政に頼ったりすれば、ホームレス化しないのに、人に迷惑をかけてはいけないと思い込んでいるので、所持金が10円や20円になるまで頑張ってしまう。だからみんな、すごく「迷惑」という言葉に、縛られているのですね。」
  行動している処凛さんならではの実感だね。
  「そういう「迷惑をかけるな」という考え方の裏には、物事を全部、金銭に換算しようとする発想がありますよね。いくらの経済的損失があったとかですね。それは障害を持つ人たちだとか、働けない人たちの問題ともすごくリンクします。障害者の生存にこれだけのお金がかかるみたいな言われ方にはすごく、イヤなものを感じます。」
  「働けない人の生存に対して「迷惑だ」と言う社会は、とんでもなく残酷でひどい社会だと思います。でもなんとなく、言ったもん勝ちで、「お前は迷惑だ」と言う人の声のほうが通りやすい世の中ですよね。」

だからこそ、「こんなひどい世の中で、どう生存し、いかに死なないかという、ただ一点だけで、いろんな人たちが合流しはじめているのです。ニートの人、引きこもりの人、心の病を抱えた人、ワーキングプアの人、名ばかり管理職の人、本当にぼろぼろで過労で死んでしまいそうな正社員の人たち。そういう人が合流しだしています。そして、この運動を通して、「みんな苦しかったけれど、実は自分たちは多数派なんだ」ということが初めてわかったと思います。」

森田「派遣切りされて、派遣村で助けられた人たちは「大変お世話になりました。おかげで命をつなぎました。今度は自分が恩返しをしたい」ということをテレビで言っているのを見ました。その「恩返し」という言葉が、非常に人の気持ちを打ちました。あの運動を多くの国民が好感を持って見ている原因の一つはこの「恩返し」という言葉にあるように思います。」
  「Gは義理、Nは人情、0は恩返しです。横浜港では「義理と人情と恩返し」を合言葉にして、みんなで協力し合い、助け合っているそうです。」

保守も革新もない。これからは、“義理と人情と恩返し、助け合い”だね。他にも、韓国事情、医療問題、砂川闘争についても詳しく書かれている。安保は憲法違反との判決、当前だと思う。砂川闘争での『赤とんぼ』の合唱が感動的だったとか。歌のほうも頑張ろう。柔らかい歌で、心を和ませる。分断されがちな世の中で、共感できる歌を歌っていきたい。





No.44

京都朝鮮第一初級学校への在特会暴挙

 洋子
09/12/9

アジェンダから京都朝鮮第一初級学校への在特会暴挙への抗議と動画が送られてきましたので転送します。

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皆様
  私は朝鮮第一初級学校に二人の子どもを通わせている保護者の金と申します。
  ご存知の方もいらっしゃると思いますが、先日4日に名前を言うのも忌まわしいようなレイシスト(人種差別)団体が、京都朝鮮第一初級学校のすぐ前で騒乱を起こしました。

http://corea-k.net/date/000.wmv

今まで生きてきてこんな腹立たしく悔しい思いをしたことがありません。
  学校の前で子どもたちに聞こえるように、“スパイの子どもたち!”“朝鮮学校を日本からたたきだせ!”などと、人として信じられない暴言を拡声器の爆音をもって騒ぎ立てました。子どもたちはおびえて、中には涙を流すこどもたちもいたそうです。

私が悔しい、腹立たしいと思ったのは、何もその団体に感じたことではありません。朝鮮語のことわざに“糞を避けるのは怖いからで無く汚いからだ”という言葉があります。私が本当に許せないのはこのような事態が許されている“この社会の規律と良識”に感じています。

当日警察も、子どもたちがおびえてるにもかかわらず“自分たちは間に入っている立場”とし、制御しようともしない。スピーカーを校門のまん前で校舎に向けて騒いでるにもかかわらず、禁止させない。これが言論の自由ですか?法や警察はこどもを守ってくれないというのがむなしくてたまりませんでした。

自由使用の公園なのにも関わらず“不法占拠”とののしり、地域の方々も使っているゴールポストを動かしたり、利用する子どもの安全のために設置されたスピーカーの線を切り、朝礼台と一緒に校門前に投げつける暴挙。器物破損ではないのですか?強制執行は一般市民に権限があるのですか?子どもたちがおびえ、泣いているのに脅迫罪ではないのですか?そこにいる個人や団体を誹謗中傷し侮辱罪ではないのですか?日本は多くの先進国が批准している人種差別撤廃条約に加盟してないから許されるのですか?

そこに駆けつけた私たちは声がかれるまで警察に訴えたのに取り合ってくれませんでした。私は学校に駆けつける前に、某大学で人権教育の招かれ、“人権とこどもの学ぶ権利”を物知り顔で語っていました。このときほど“人権と子どもの学ぶ権利”が虚しく聞こえたときはありません。私はこの問題が一部のレイシスト集団の問題ではなく、それを許容する日本社会の“良識”を問いたいです。

たしかにこのような集団は日本人の一部かもしれません。“日本人は悪い人ばかりではありません。信じてください”とおっしゃりたい方もいるでしょう。そういう意味では日本の方々も被害者かもしれませんが、今回の問題の本質ではありません。明確にこのような事態が起こったことは、これが許されたことになると思います。いまこそ“日本社会の良識”にとうべきだと思っています。いままで本当に悔しい思いをいっぱいしてきましたが、もうたくさんです。今後このような事態が起こったとき、また私たち朝鮮人は門扉の前で歯を食いしばり、血の涙をのみながら我慢に我慢を続けないといけないのでしょうか?正直に今回子どもたちに“守ってやれなくて申し訳ない”との考えが頭を離れず夜も悔しくて眠れませんでした。亡くなった祖父母や一世たちが空の上からこの事態を見ているならば、どんな思いをしてるでしょうか?自分たちの曾孫までもこんな仕打ちをされているのかと嘆き苦しんでいるでしょう。

長々と書きたて、最後まで読んでいただきありがとうございます。もうこのような事態が起こらぬよう皆さんどうかこの社会を良識とあるべき姿を考えてください。。。




ウーン、こういう問いかけになんと答えたらよいのやら・・・言葉に詰まります。正直、これが現実です。情けないですが・・・
  今も、救急車がサイレンを鳴らしているにも関わらず、その直前を右折した車が・・・「何を考えとるんじゃ、馬鹿!」と思わずつぶやいてしまいました。日本の社会の良識が崩れています。私自身もこの冷たい世間に悔しい思いをしてきました。「♪貧しさに負けた、いいえ世間に負けた」なんて歌っている場合じゃぁない。このままじゃぁ、恥ずかしいよ。何とかしなくっちゃ。在特会暴挙の件については京都の警察署に抗議メールを京都市役所に問合せメールをしておきました。我慢していては、どんどん社会の良識が崩れてしまう。できることはやっていかないとね。

ちなみに投稿文章の中に一般市民とあるのは間違いです。在特会はごろつき集団だと私は認識しています。





No.43

悪魔の使者小沢一郎

 りっちゃん
09/11/24

1994年に出版された本。著者はヤコブ・モルガン。『日本改造計画』の批判本であり、小沢一郎がユダヤ・フリーメーソンの忠実なる下僕であるとの観点から、「この男は日本と日本人を必ず不幸にする」と断言している。

フリーメーソンと言えば、モーツアルトもそうだったよねぇ、と言う程度の知識しかない私には、「わっかりませ〜ん」状態です。そればっかり出てくると少々ウザクも感じますが・・・検索したら、表向きの看板は「友愛」だって。あらぁ。
  「日本に巣くったユダヤ・フリーメーソンの結社員たちは日本人でありながら日本を解体し、世界政府の属領にすべく必死の暗躍を続けている。彼らは世界平和を叫び、日本の国際貢献を説き、国連中心主義を推進しようとしている。この一群は、かくして、周到な計画のもとに準備された政治スキャンダルを利用して自民党政権を倒し、強引に連立政権を樹立し、政治改革と称して小選挙区制を導入し、日本に恒久的なユダヤ・フリーメーソン政権を確立することを目論んでいる。日本政治はいまいやが応でも小沢一郎を中心に巨大なモーメントを形成しはじめた。」
  符丁があっているといえば、あっているなぁ。「友愛」、いいと思うんだけれど・・・誰に対しての「友愛」なのか、ですね。密約が明らかになって、国民とのお約束(憲法)と、米国との密約とどちらを大事にするか? 今後に注目です。

小選挙区は良くないです。この本にも書かれていたけれど、死に票が多すぎて、国民の意思が尊重されているとはとても思えない。弱小政党はますます票が集められなくなる。これで比例代表がなくなったら、2大政党のみしか残らなくなる。そしてホンのちょと多い方が独裁することもありうるし、ねじれ国会で立法府が麻痺なんてこともまたありうる。馬鹿馬鹿しいねぇ。中選挙区の方がましだったよ。

「小沢がめざす日本改造のプログラムとは次のとおりだ(古いのは割愛)
  ●二大政党制をつくり一方の領袖として政治を独占化する
  ●官僚制を崩壊させ地方分権をはかると同時に新たな独裁制をひく
  ●憲法を改正し、自衛隊を改組して国軍とするが、この軍隊は日本国民のための軍隊ではなく「世界政府」に奉仕する軍隊である
  ●市場開放、規制緩和を行い日本の防衛体制を崩壊させる
  ●コメ輸入を関税化し食糧安全保障にき裂を入れる
  ●消費税を導入、歯止めのない国際貢献に走る」

地方分権はいいんだけれど、道州制は、怖いねぇ。軍事態勢なんだよねぇ。米国からの「独立」を謳いながら、米軍とともに「国際貢献」ってなんなのか?ペシャワール会の伊藤さんだって、ISAF(国際治安支援部隊)への憎悪のとばっちりだった。世界のあちこちで紛争を起こしている当事者と一緒に行動して平和なんか築けるはずがない。
  「地域紛争を起こさせ、あとで平和を維持するために国連が軍隊を送るのは自分の家に自分で放火し、保険金を受け取るのと同じ行為である。
  真に世界平和を望むなら、なぜ兵器の売却を阻止するための方法を講じないのであろうか。アメリカやイギリス、フランスが武器を売り、国連の平和維持軍の名のもとに自国の軍隊を投入して貴重な若者たちの血を流す。そしてこのことにより巨大な富を手にするのは一部の兵器産業(ユダヤ系が多い)だけである。これは大規模な国際的マッチポンプの構造である。
  「俺が放火するから、お前は消し役にまわれ」式の論理がまかり通っているのである。」
  そうでなくとも、米軍基地があれば、当然、米国を憎む国からの攻撃目標になる。日米同盟を深化させるって、一体どういう意味なんだろう?強化させるというのは、自衛隊が隷属させられるってことだったけれど・・・

ア〜ア、普天間基地、国外ならいいのだけれど。それが駄目で県外になるのだったら、竹島はどうかな?米軍基地があっても日本の領土は主張できるから漁業権には差しさわりがないでしょう?北海道なら、第三次世界大戦はロシアとアメリカの戦争になるとの噂があるから、米軍も喜んでお引越ししてくれるかもしれない。一番のお勧めは、永田町。皇居でもいいかな。米軍が沖縄に集中しているのは、日本がいかに米国に隷属しているかを、日本人の目に曝すまいとしているというのもあるんだよね。だから、中央において、米軍基地が攻撃にあった時には一番に政治家さんたちに犠牲になってもらうことにしておけば、どうすればいいのか、もうチット真剣に考えてくれるのでは・・・

この本にもあったけれど、日本って攻撃に弱いんだよね、地理的に。で、わたしが思うに、まぁ、もう米軍に占領されっぱなしとも言えるけれど、どこかの国に占領されてしまっても、食糧だけは自給自足体制を取れれば私たち国民は何とかなると思うのよ。で、小沢さんもHPの政策に「食料の完全自給を目指す―  外国からの輸入に頼らず、国民が健康に生活していくのに必要な最低限のカロリーは、国内ですべて生産する食料自給体制を確立する。」と書いてあるんだけれど、一方で「貿易・投資の自由化を主導」とも書いてある。矛盾しているよなぁ。カビの生えた米を食糧に使っていたことがあったじゃない?だいたい、何であんなものを輸入しなきゃいけないの?他のものもそうだけれど、円高だからねぇ。外国産は割安で、貧乏人の私もよく買ってしまう。でも、日本産、特に近場の野菜・果物の方が栄養や味もいいし、なにより保存のための添加物も少なくてより安全なのは確か。農業政策を充実させて欲しいよ。そのためには自由化は慎重であるべきではないのかしら?「農業政策を根本的に見直すことで、わが国が通商分野で国際的に主導権を発揮する環境を整える。」ってどういうことなんだろう?自由化に負けない体質の農業にしていくのか?それとも。文句を言わせないようにばら撒き政策をするのか?税金を使って。

「政治を国民の手に取り戻す」では、「危機管理体制の確率」。これも矛盾しているよなぁ。総理大臣の権限を強化しちゃうんでしょう。つまり、国民に文句を言わせないってことだよねぇ。
  著者は、しきりに日本の官僚が優秀だと言っているけれど、それはどうかなぁ。で、官僚体制を潰して小沢が独裁体制を作ろうとしているって。今マスコミが大騒ぎしている事業仕分けってそういうこと?何を大事にするかという基本線がはっきりしていないからやたらと削っているけど・・・子どものための文化事業だけは残ったとか。でも、いっぱい無駄を洗い出して欲しい。今までが官僚のやりたい放題で、国民からのチェックはなかったからねぇ。審議会なんかもお手盛りが多かったようだし・・・会計検査院はどうだったんだろう。それこそ専門家なのだから、仕分けに参加してもらった方がいいのに・・・

政権交代も、この本を読むと、なんだか怖いなぁ。用心が肝要だねぇ。それにつけても、ここを是正しないと
  「議論をするときは客観的に正しいかどうかで発言すべきであって、他人の顔色を見ながら大勢に合わせるのでは進歩はない。だが一般的に日本人は毅然とした態度で正しいことのために発言したり行動するのではなく、臨機応変にその時の強者に迎合する、あるいは流されていく、これが大多数の日本人のとる態度であろう。」
  昔からこうではなかったんだけどなぁ。いじめ問題とかが浮上しだしてからだよ。議論好きの日本人もいっぱいいたのに・・・今日の新聞でも医療事故の裁判について、ネット上、匿名での非難中傷が多いって。嫌な世の中だねぇ。「核の傘」なんてムード的なものに頼らずに、自分の足で大地を一歩一歩踏みしめて進んで行きたいねぇ。自分の足が弱くなったから、なおのこと、そう感じるよ。





No.42

武江年表

 りっちゃん
09/11/19

著者は、斎藤月岑。神田の草創名主の家に生まれたんだって。15歳で家督を継いだとか。
  「名主の職務は上からのお触れの下達、人別改め(戸籍簿と居住証明、キリシタン禁止)、火の元の取締り、奉行所への願書や訴訟の奥印、町内訴訟の裁断、家屋敷の売買譲渡の証書の検閲、税務の処理、非行者の説諭、治安維持をつかさどった」。お江戸に住んでいた「士民」(市民ではないところがみそ)の「士」を管理するお上と「民」間の伝達役でもあり、民の仲も取り持つ、広範囲にわたるお役だったのねぇ。よくこんなものを書く時間があったなぁという気もするし、だから、庶民の生活を熟知していたんだとも思った。

出だしは、「天正十八年〔一五九〇〕庚寅
  今年八月一日、台駕はじめて江戸の御城へ入らせ給へり。そのころは御城の辺、葦沼汐入等の地にして田畑も多からず、農家寺院さえ所々に散在せしを、慶長に至り始めて山を裂き地をならし、川を埋め溝を掘り、士民の所居を定め給ひしより、万世不易の大都会とはなれり。」
  最後は、「明治六年〔一八七三〕癸酉
  ○一月一日、晴。○同一日、今般御改暦に付き、人日、上巳、端午、七夕、重陽之五節句を廃され、神武天皇御即位、天長節の両日を以て自今祝日と御改めに相成り候旨御布告」。五節句って、江戸幕府の定めた祝日だったのね。1/7七草粥、3/3お雛様、5/5子どもの日、7/7七夕、9/9菊。覚えやすいし、間隔もいいし、男女平等だねぇ。なかなかやるじゃん。ふむふむ、江戸時代の風習を消し去りたかったわけだ。新しい政権は。しかし紀元節は2月11日じゃなかったけ?ここでは1月29日になっている。天長節とは天皇誕生日のことだって。ふーん。

金子光晴による「解説」も面白い。
  「江戸に関することと言えば、封建制度のもとでの人間蔑視、藩公への藩士たちの強いられたみじめな忠誠、あるいは武士の切り捨て御免、町人文化の淫靡、低俗、遊里を中心に栄えた流行風俗、個人よりも家中心の家長の絶対権力、家系を絶やさないための蓄妾の正当化、その他の悪政、悪風俗、鎖国による世界の水準からの万般のおくれなどと、否定面ばかりが取り立てられてきたのは、それによって明治の親政の優越性を強調するための国策の線に添うての選択であって、政治的色彩の濃いものであることは言うを俟たない。勿論、江戸の政治が圧力政治で、その政策が愚民政策であり、人民の平和が、生簀の中の平和であったことは弁解できないし、明治の政治が、圧力の上では、さらに重さを加えながらも、列国の趨勢に鑑みて、諸般の平等自由を人民に約束している点を進歩と見ることができる。さらに血肉と化してすでにわれわれのものとなっている日本人気質とも言うべきもののなかから、あきらかにそれと指摘できる、「岡っぴき根性」とか、権力や利害に弱い「長いものには巻かれろ主義」とか、「なあなあ主義」とか、封建制下の上から下までの人間の身の処しかたで、今日の処世の智慧としてのこっているものがなかなか多いことも事実である。
  誤られていることを正すと同時に、短所は短所として認めねばならない。贔屓の引き倒しになってはなるまい。正確に江戸を認識することで、今日の日本及び日本人を鏡に写し、形容について真底を質疑することは、これからの日本人の拠り所をしっかりさせるためにも、以外に肝要なことなのではないかと思う。それにはまず私達の受けついているものの多い、近い江戸を正しく認識するために、江戸をつまびらかに知ることが必要である。」

「名の示すごとく、斎藤月岑の『武江年表』は、江戸三百年にわたる精細な年表であるが、政道向きの記述ではなく、あくまで江戸城下の市井にかかわりをもった、生きた年表であることを特筆しなければならない。そして、その範囲に於いては、本書ほど幅ひろく、且つ採択の妥当性、記事の正確さに於いて、信憑するに足るものは他に類例を見ない」のだそうな。
  「この本を通読して、いまさらながらおどろくことは、火事と、諸国の名刹からの本尊仏像の出開帳の記事がおびただしいことである」。地名とかがわかればそれなりに面白いのだろうけれど、ひたすら眠くなる。電車の中で読むのにちょうどいい本でもあった。火事はホントに多い。対策として、茅葺から板葺きそして瓦に変化。道路を広げたり、橋を掛けたり、土手を築いたり、火除け地を造ったり、そのときには代替地を用意。火消しも時々組織替えが行われている。

ご開帳はね、庶民のお楽しみでもあったようだよ。見世物なども詳しく載っている。なかには、竹細工などの工芸品もあったりして、江戸時代の工芸技術の高さもうかがえる。「オッ」と思うのは、鎖国の前なのだろうけれど、「安南(今の)ベトナム」「柬埔塞カンボジア」「呂宋ルソン(今のフィリピンの島のひとつ)」「太泥ダニ(マレー半島にあったバタニ王国)」「暹羅シャム(今のタイ王国)」「占城チャンパ(今のベトナム中部にあった国)」「田弾デンタン(註に番丹の誤りかと。)」「阿蘭陀オランダ」「亜馬港臥アマカワマア」「新伊西杷弥亜イワイスハニア」「漢又刺亜カンケイラヤ」などの国とのお付き合いがあったこと。「慶長九年〔?(イン)補〕この年、朝鮮より使来りて和平を乞ふ。故に生捕の者を帰さしむ」とある。慶長3年に秀吉が死んで、4年が関が原。やっと和平交渉がはじまって、「慶長十二年には朝鮮信使初めて来聘」となる。15年には琉球来聘。この両国だけはその後もちょくちょく載っていた。

週刊誌の集大成って感じかな。ファッション、グルメ、有名人の死、歌舞伎や力士などの興行、流行り病、通貨、流星や日食など自然現象、地名の由来、噂話しの類も。沢庵が流罪になった時の「最上川早瀬に月も流されてしばし浮世に住むかひもなし」や、十返舎一九の辞世「この世をばどりやお暇にせん香とともにつひには灰左様なら」などの歌や句も載っている。

地震、台風、洪水、噴火、冷害などの自然災害も多い。元禄十六年「○十一月二十二日、宵より雷強く、夜八時地鳴る事雷の如し。大地震、戸障子たふれ、家は小船の大波に動くが如く、地二、三寸より所によりて五、六尺ほど割れ、砂をもみ上げ或るひは水を吹き出したる所もあり。石垣壊れ、家蔵潰れ、穴蔵揺れあげ死人夥しく、泣きさけぶ声街に囂し。また所々毀れたる家より失火あり。八時過ぎ、津波ありて房総人馬多く死す。内川一ぱい差引き四度あり。此の時より数度地震あり。相州小田原は分けて夥しく、死亡の者凡そ二千三百人、小田原より品川迄一万五千人、房州十万人、江戸三万七千余人(内二十九日火災の時、両国橋にて死ぬるもの千七百三十九人といへり)也し由、ものに誌せり。」富士山かねぇ。気象の記録としても貴重だねぇ。そういう時には、御救米銭、御救い小屋等。封建制度の中でも救済策をそれなりにやっている。

承応2年「今年、玉川の上水を都下に通じて、衆庶の用に充てしめ給ふ」。人口の増加に伴って、上水を完備したということだね。庶民の生活を重視していたのかな。今も玉川上水は、貴重なグリーンベルト。大事にしたいねぇ。

明治になってからの福祉政策としては、三年「深川浄心寺前に、貧民細工物職業営みの為、建物を設けられ、爰に止宿せしめらる」。五年「娼妓芸妓は人身売買同様の所業に付き、御解放の上其の主人へ引き渡し候様、又従前の娼家をば貸座敷と心得候様御布告有り(此の頃遊技巷歌女を徘徊するもの頗る多し)」などという記述がある。ウーン、今と同じで制度が整っているようで、当人にとっては無効或いは反ってよくなかったりすることもあったようだね。上から目線って奴ですかねぇ。身分制度は否定されるべきものではあるけれど、封建制度の中の検校なんかも一種の福祉政策。家制度もそうだね。「小身の武士家禄奉還の儔、又は元御用達町人など、商売を始む。骨董分けけて多し。或ひは貨食舗、酒肆、茶店、汁粉、蕎麦、鮓、漬物、紙類、煙草、蝋燭、乾魚、其の余色々の物を售ふ人多し。・・・しかれども、多くは商買の道に疎き輩なれば、羸余を以て活計するに足らず、まもなく閉店の人多かりし」。私のご先祖もさぞかし苦労をされたことだろう。靖国神社の前身、招魂社の記述も多い。躍起となって力を入れたことが伺える。元年「神道仏道混淆を改めらる。神社は神職に改められ」。やれやれですね。影響は大きかったのかなぁ。江戸に多かったお寺はだいぶ減ったみたいだね。

火事とご開帳が多すぎるけれど、ちょろちょろっと細かい記事で、「ホーウ!!」と思うことも多い。有名人の評価も今と違ったりする。手厳しい〔補〕も読み応えがある。地名の由来、噂話の類、流行からも庶民の生き様が見えてくるし・・・また時間があったら読んで見たい。ここに紹介するには歴史が長すぎて盛りだくさんすぎる。。

今の週刊誌と違うのは、例えば、元禄15年「12月14日、浅野家の義士四十七人本意を達す(ことは人口に膾炙するをもてここにいはず)」と、一つのことにぐだぐだと同じことばかり書いたりはしないってこと。慶長5年1600年関が原のことだって、「始めて京都に所司代を置かる。?(イン)庭云ふ、濃州関が原御勝利の後、始めて関東より京都所司代を差し置かる」と、しか書いていない。これは提要に「一 この編に載る所は、中人以下の耳目に触るるところにして、地理の沿革或いは坊間の風俗、事物の権輿に至るまで、獲るに随ひて誌す。もとより公辺の御事は伺い知るべきにあらず、たまたま伝聞せることも、憚多ければここに漏らせり」。お上に遠慮しているともとれるけれど、自分たちの生活を優先させているともとれるなぁ。

解説に「明治の中頃すぎ、大正に入ってからも、神田の大火、新宿の大火等の大火災のあとをたたず、火事に走り出す人の気持ちも、そのまま、まだ東京人の習慣性の中に受けつがれていた。関東の大震災で、東京人は、丸山本妙寺の出火と安政の大地震の恐怖を一つに合わせたものを経験し、昭和の大空襲で、前代に見ない規模の災厄に出会って、江戸庶民と同じ、諦観による執着の浅さと、それを不可抗なできごととして擦過させ、そこを思考の場として追求することを怠る性向を持ち合わせており、今日猶、それを持ち越している私たちじしんのなかの依って来るところのふかいことを痛感させられる。同時に又、やけ跡のバラックで即日戸板の上に商品を並べて商いにかかるという、庶民の雑草的根づよさも、東洋的性格という以上に、直接、江戸庶民の生きかたを今日そのままうけついできているように思われる」。

せっかくの政権交代も、それを活かせるかどうかは、私たち庶民が、積極的に声をあげ行動していくかどうかにかかっているのだろうね。あきらるのも、お上にお任せもやめときましょう。

?(イン)は、竹冠に均と書くのだけれど、出てこない。イン、または、タケと読むのだそうだ。





No.41

府中派遣村 大相談会

 りっちゃん
09/11/11

府中緊急派遣村から、大相談会のお知らせが届きました。ボランティアも募集しています。
  本来なら、国や地方自治体がやることなんだけれどねぇ。困っている人が現実にいるのだから、自分たちでやるっきゃない。


現在、生活を重視する政権に代わり、セーフティネットの充実が図られつつありますが、年末を控え経済の悪化と弱者へのしわ寄せへの流れが急に好転する兆しはありません。依然として、全国で経済危機・不安を理由にした解雇や不当な賃下げや残業代未払いが横行しています。そうでなくても、いつクビになるかわからない、という不安を抱えている人も増えています。
  今年8月の完全失業率は、5.5%、7月の有効求人倍率は0.42倍、そのうち正社員の有効求人倍率は0.24倍。完全失業率には不安定な雇用形態である派遣社員などは含まれていないので、実質的に失業している人はもっと多くなります。また先日、日本で初めて貧困率が公表され、2007年の段階で、15.7%であったということが判明しました。OECD(経済協力開発機構)加盟30ヵ国中、下から4番目という悪さ。リーマンショックによる世界不況の始まる前にこの貧困率です。現在、どのような状況なのか、後は推して知るべし、というものでしょう。
  そんな中、昨年の暮、日比谷に派遣村が登場し、労働者派遣法の問題性や、生活保護の実態が一気に社会問題化しました。私たち府中緊急派遣村も地域で何かできないかと、今年2月20日に実行委員会を結成し、電話やメールによる相談を受けてきました。4月18日〜19日にかけては三多摩大相談会と銘打ち、相談会を開きました。そこには府中市だけではなく、広く多摩そして東京近郊の方からも相談が寄せられました。労働相談に答えるべく労働組合を結成、団交の末次々と解雇撤回の勝利解決を勝ちとってきました。また生活保護申請に同行し、窓口での追い返しなどの行政による水際作戦も突破。さらに生保を食い物にする悪徳施設送りを許さず、居宅保護を認めさせてきています。
  その後、行政などによる生活や労働の問題に関して、一定の改善がされているとの報道がありますが、現実に困っている人たちにはその改善がまだまだ追いついていないのが実態です。
  そこで、私たちはふたたび相談会を開催することにしました。派遣・パート・期間社員、契約社員などの非正規雇用、正社員を問わず、一人で悩まず、あきらめず、泣き寝入りせず、気軽にご相談ください。また、気がついたら借金が高額になっていた、住むところがなくなってしまった、仕事がなくなってしまいどうしていいか分からない、お金がなくてもう生活していけない、生活保護を受けたいがやり方が分からない、といった生活相談も受け付けます。
  秘密厳守・相談無料です。どなたでも参加できますのでお気軽においでください。

■日時:12月12日(土) 10時〜17時
           13日(日) 10時〜17時
 ※両日とも夕刻より生保申請や労働問題に関する当事者の方に向けた説明会を開催します。

■場所:府中グリーンプラザ7階講習室ほか
     (京王線「府中」駅そば)

主催:府中緊急派遣村実行委員会





No.40

フリーマーケットin府中

 りっちゃん
09/11/11

とってもにぎやかで、楽しくて、重宝なものが安く買えるフリマのお知らせが届きました。ボランティアも募集中。5日は、こげらコンサートなのでお手伝いできなくて、残念。開催主旨の「良心」という言葉が、いいなぁ。「良心」のある人にいっぱい出遭えるのが、うれしくて・・・6日は行くからね。


第11回 朝鮮文化とふれあうつどい
 フリーマーケットin府中公園

        (京王線府中駅北口徒歩8分、武蔵野線北府中駅徒歩8分)

2009・12・6(日) am10:00〜pm3:00

【催し物・模擬店】
   朝鮮の音楽と舞踏・朝鮮学校紹介展示・抽選会・テコンドー演舞・チョゴリを着ての写真撮影・七輪焼肉・本格キムチ・チジミ・サンゲタン・トッポギ・チャプチェ・ビール他

【同時開催】
   「在日一世と家族の肖像写真展」
   ――過去から未来へ、絶望から希望へ――
   若者に伝えたい、在日一世の生き様を・・・

●場所:府中市中央文化センター第2講堂
  ●日時:12月5日(土) am12:00〜pm6:30
           6日(日) am10:00〜pm6:30

【開催主旨】
  在日朝鮮・韓国の人々への差別と迫害を許さず、人間としての良心を失わないために。

【雨天時】
  中央文化センターにて、文化公演を行います。また、フリーマーケットは中止とさせていただきます。

●主催:チマ・チョゴリ友の会





No.39

田ノ浦負傷事件

 京子
09/11/9

友人からのメールをBCCにて転送します。

田ノ浦の事件、現在確認した情報をお送りいたします。
  中国電力が山口県上関町に建設を予定している上関原発の予定地、田ノ浦での抗議行動で、負傷者が出ました。シーカヤックの男性が一名、低体温症、意識を失った状態で救急車で病院に搬送されました。現在意識は回復し怪我はない状態ですが、熱が出て肺炎発症の可能性があり治療を受けています。

今回の負傷事件は、11月8日午前8時過ぎ、田ノ浦の取水口予定海域付近でおこりました。
  中国電力の雇った台船はコンクリートブロックを海に投入する危険な作業を開始。それを守るように推進側の漁船が台船を取り巻き、作業阻止のために作業船に近づこうとするシーカヤックを竹の棒で突いて押し出すなどしていました。
  シーカヤックの男性は、作業台船のクレーンワイヤーに手をかけて工事を妨害しようとして、推進派の漁船ともみ合いになり、男性は海中に転落。なお男性が抗議しようとすると、今度は推進側の漁船の中に引きずり上げられ、船の上で4人の男性に手足を羽交い締めにされ、首を絞められて意識を失う状態になった模様です。
  台船による作業が終わるまで取り押さえられ、他のシーカヤックが気づき救出するまで、どのくらいの時間が経過したのか、正確にはわかりません。

作業台船には中国電力の作業員が同乗していましたが、いつもの中国電力の作業服ではなく、台船の作業員と同様の作業服を身につけていたようです。シーカヤックの仲間が顔を覚えていて確認しています。この一部始終を中国電力社員は確認していながら、一切制止もせず黙認していた模様です。

コンクリートブロックをアンカーでつり上げ海中に投入するという超危険な作業が、祝島の漁船、シーカヤック、そして推進派の漁船の頭の上で行われていたのですが、中国電力の社員や作業員以外の人々は、ヘルメット等一切被っておらず、大変危険な行為が繰り返された模様です。

問答無用と言わんばかりの対応で、祝島やシーカヤックの人々を人としても扱わないような傍若無人な対応、また、推進派の漁船と祝島の漁船やシーカヤックを直接対峙させ、自身は表に出ないような姑息な手段を使って埋め立て工事を強行しようとする中国電力には、公的企業としの社会的責任が問われるべきです。

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◆抗議先:中国電力
 (手紙)〒730-8701 広島市中区小町4番33号 (TEL) 082-241-0211 (FAX) 082-523-6185
 (メール宛先)○中国電力(株)原子力情報の
メールフォーム

◆中国電力:上関原子力発電所準備事務所
  (立地部長:西村博文)電話:0820-62-1136 ファックス 0820-62-1228 496851@pnet.energia.co.jp
  (第1土木部長:小田康博)電話:0820-62-1298 ファックス 0820-62-1228 462453@pnet.energia.co.jp

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11/5〜6の田ノ浦の様子は下記参照ください。
  11/6の田ノ浦   11/5の田ノ浦




これって、負傷事件ではなく、傷害事件もしくは殺人未遂ではないの?警察に届けたのかなぁ? 中国電力は、どこまで関与しているんだろう。社員が知っていながらほうっておいたということは、不作為による殺人未遂になるんじゃぁなかろうか?
  もう晩秋、海に落ちて濡れた体のままだったわけでしょう? 工事が終わるまで取り押さえられていたのを知りながら助けようとしなかったってことはそういうことだと思うけれど・・・それとも教唆?





No.38

ビルマ(ミャンマー)・チベット写真展とスライド&トーク

 一ノ瀬
09/11/2

アウンサンスーチーさんの4度めの単独インタビューのとき秘密警察に捕まって以来、タイ側から取材を続ける山本宗補さん。マイナス40℃、標高6千メートルのヒマラヤでインドに亡命してくるチベット人を取材する野田雅也さん。命がけでビルマとチベットの真実を取材し続ける2人を迎えます。またとない機会ですので、是非いらしてください。

ビルマ(ミャンマー)・チベット写真展とスライド&トーク
  二人のフォトジャーナリストが語るアジア
  「あなたの持っている自由を持たない人のために用いてください」アナウンサンスーチー―

 ■写真展■
  2009年11月17日(火)〜11月22日(日) 9:00〜21:00
  (初日は11:00〜 最終日は19:00にて終了)
   於:国立市公民館 1階ロービー 入場無料

 ■スライド&トーク■
  フォトジャーナリスト 
山本宗輔野田雅也
  2009年11月21日(土) 13:00開場 13:30開演
   於:国立公民館地下ホール 資料代800円

主催:ビルマ・チベット写真展実行委員会
  ※ビルマは現在、軍事政権の下「ミャンマー」と呼ばれています。





No.37

自主防衛隊

 りっちゃん
09/11/2

朝鮮大学校へのツアーと称して、「在特会」がやってくるとの情報が入った。はた迷惑な、下品な団体に一般の人達の入場が妨害されるのが心配で、2通ほどメールをした。知らせてくれた人もあちこち電話をした。それを受け止めてくれた人がまたメールをした。そうしたら、学園祭当日、最終的に55人集まった。嬉しいなぁ。日本には「在特会」みたいな、弱いものいじめをする人も残念ながらいるけれど、善意の人もこれだけいるんだぁ。それぞれの人が自主的に集まってくれたんだ。「排外主義は許せない」、「弱いものいじめをする団体は許せない」、「いざという時には自分が盾になって守る」との心意気。いいなぁ。「防衛隊」のみなさん、ほんとうにありがとう。そしてご苦労様でした。目の悪い人まで日差しの強いところで待機していてくれたんだ。感謝です。

朝鮮大学校の側も対応策はばっちり。「学生達や来てくださるお客様に学園祭を楽しんでいただくことを主眼とする」。揉め事が起きれば一般の人は入場しづらくなるものね。「在特会」に言いたいことだけを言わせておくのは、腹の立つことでもあるけれど・・・。血気盛んな人には、酷でもあるのだけれど・・・みなさん、大学側の意思を尊重して我慢された。このことにも感謝です。打ち合わせで「手も足も出さない。口も出さない」の方針が伝達される。ならばと、「頭を冷やせ!!お坊ちゃんお嬢ちゃん」と書いた人もいたけれど、却下されちゃった。園内で「朝鮮人は友人」、「仲良くしましょう」などと書かれた紙を手に持って廻った人もいる。「慰安婦問題展示会」の三鷹よりも門前にゆとりがあり、去年彼らがわめいていた場所も展示の板が設けられ、一段と離れた所でわめいていた。100名ほど集まるのではとの予想を裏切って、38名だったって。時々奇声をあげたり、通行人に例によって侮蔑の言葉やら下品なことを投げかけていたらしいけれど、一時間半ほどで帰りました。いくらがなっても何せメイン会場の中庭には声が届かない。まぁ、恥ずかしいけれどね、あんな日本人もいるってことが・・・バッチを外して個人として来れば、楽しいことが一杯だったのにねぇ。焼肉もおいしかったよぅ。学生達の演奏も楽しかった。「在特会」のみなさん、残念でしたねぇ。お気の毒様。「防衛隊」のみなさんも、学内で、博物館見学、映画や劇の鑑賞を楽しまれたようで、本当によかったぁ。

在特会のサイトには、「体験ツアー」と書かれて、ブルーリボンバッチ着用を歓迎とある。去年はブルーバッチ着用者の入場をお断りしたことを言いがかりにしていたんだ。嫌味でしかない。麻生さんもバッチをしていたけど、「一日も早く拉致問題の解決を」という意思表示を、される側の責任者がつけているっていうのが、全くもって、破廉恥というか、無責任というか、馬鹿というか。あのバッチをなんと名づけようかしら、「おれは偉いんだぞうバッチ」?「これ付けていればなんでも許されるんだそうバッチ」?「これが目に入らぬかバッチ」?
  バッチなんかつけてなくたって、日本人のほとんどが拉致問題の解決を望んでいる。朝鮮大学の先生方だって、学生達だって。そのせいでチマチョゴリを切られた子ども達だって。両国の首脳同士が解決を計らないから、話し合いのテーブルに着く努力をしないから、エライ迷惑を受けている。日本人よりももっと切実に解決を望んでいると思うよ。

警備をするお巡りさん達も、日差しの強い中ご苦労様。たくさん人員配備してくださって、ありがとう。でもあんまり目立ちすぎてもこれまた入場しづらくなることもある。難しいねぇ。三鷹では出る時に「通して!」と、お巡りさんにお願いしたくらいだった。「防衛隊」の皆さんにも「緊張していてもお顔はにこやかにね」とお願いしちゃった。入場者はお邪魔虫の存在もなんその、例年よりもずーっと多かったそうだよ。たくさんのお客さんが来て、行事を楽しまれることが、一番の「在特会」対策ですねぇ。でも、「在特会」がいなければもっと入場者は増えたかもしれない。

隊長が、「できればみんな中に入れて、討論会すれば、とも思う」って。一方的に「在特会」ががなるのではなく、「私たちにも反論させてほしいよな」と、私も思うけれど・・・アッ、離れていたから名付け親さんにお礼が言えなかった。三鷹で旗を持っていた青年、来ていたかなぁ。『賞味期限切れのかぼちゃ』、いたく気に入っているんだ。あのね、かぼちゃは熟成した方がおいしいんだって。甘くなるだって。

防衛隊の解散時に、大学側の警備担当の方から御礼の挨拶があった。「私たちと同じ思いの人たちがいるというのが嬉しかった」とのこと。うん、日本人にも「差別」が嫌だって言う人は一杯いるんだよ。私は特にあの下品さが嫌なんだけど・・・辛淑玉さんが政権交代を「下品な金持ち」から「上品な金持ち」に変わっただけと・・・確かに。結局は日本人全体の意識も変わらないと、政府も動かないし、世の中も変わらないということかも。「在特会」の罵声を気にも留めず、平然と入場されたお客様に一番感謝しなくっちゃね。





No.36

首相所信表明

 りっちゃん
09/10/28

27日の東京新聞に全文が載っていた。なんだか嬉しくなった。オバマの平和賞同様、言葉だけでは駄目、実現させなければ・・・というのはあるけれども、方向性としては、私が願っているものと同じなんだもの。

「国民の利益の視点、さらには地球全体の利益の視点に立って・・・これまでは作ることを前提に考えられてきたダムや道路、空港や港などの大規模な公共事業について、国民にとって本当に必要なものかどうかを、もう一度見極めることからやり直すという発想に転換いたします。・・・「コンクリートから人へ」の理念に沿ったかたちで。・・・」
 
都道338号線を考える会で、願っていることなんだよねぇ。道路も確かに“人”のためだよ。だけど、今、これから先、未来に残すものとして、玉川上水や子どもたちが遊べる林とどっちを選ぶのかってことを、もう一度真剣に考えてほしいのだ。大事なものを壊してまで必要なのか?って。人口が減るからこれから車も減るはずだし、温暖化対策としても減らしていかなければならないんだし・・・

「青森県に遊説に参った際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない、一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職につけず、自らのいのちを断つしか途がなかった、その哀しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年三万人以上の方々のいのちが、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。お婆さんのその手の感触。その目の中の悲しみ。私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。」
  私ももらい泣きしちゃう。絶対に忘れないでほしいし、よくぞ3万人の自殺者のことを所信表明で言及してくれました。日本は決して豊かではないのです。経済的な問題ではなくて、心の問題なのです。

「政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、わたしの友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。」
  私自身も弱者。そう自覚してから、在日の人や、派遣村、障害者の人たちのことも見えてきたし、一緒にやっていきたい、生きていきたいと思っています。というか、彼らのやさしさに私自身が支えられているっていうのかな。弱者の視点に立った暮らし、それを政治が実践すれば、自殺者は減るし、みんなも生き生きできると思うんだな。

「柔軟性のある、ミスが起こってもそれを隠さずに改めていける、新しい時代の制度改革をめざします」
  制度だけでなく、イジメもそうだし、バッシングも多すぎる。もっと人間らしい暮らしをしたいよね。人間はミスもする、だけど改めることもできる。そこが他の動物と違うところだと思うんだ。「もっと柔軟に」人間らしく生きたいよ。

「子育てや教育は、もはや個人の問題ではなく、未来への投資として、社会全体が助け合い負担するという発想が必要です。」
  全くそのとおりですね。わたしが子どもの頃とだいぶ違ってしまった。地縁や血縁も薄れ、子育てがほんとうにキツイ時代です。みんなで子育てしましょう。

「すべての人々が偏見から開放され、分け隔てなく参加できる社会、先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、多文化が共生し、だれもが尊厳を持って、生き生きと暮らせる社会を実現することが、わたしの進める友愛政治の目標となります。」、外国人学校支援法もよろしく。

障害者と共に働くチョーク工場の紹介、その社長への住職のお話し、「人間の究極の幸せは4つです。愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること。働くことによって愛以外の3つの幸せが得られるのです」。私も失業中はつらかった。経済的不安もさることながら、自分を見失いそうで・・・誰の役にも立たない存在・・・だから、今は収入ほとんどないし、体力的にも弱くなってしまったけれど、なんだかんだ少しは人様の役に立てているみたいで、幸せ、なのだ。

「ここ10年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の「絆」が、いまやずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。・・・次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です」。私も模索中かな。「国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ」ではあるけれど、そこがなかなか難しい。「私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です」。
  それがねぇ。例えば府中市も、豊島区も公園の使用を認めなくなった。何のための公園?首相は変わったのに、地方公共団体は小泉の「人に冷たい」路線をかえって強めているという感じだねぇ。炊き出しは無償のボランティア。その足を地方の「官」が引っ張っている。この現実を何とかしてほしい。逆に、「官」からの補助金などを目当てに偽善を行うものもいるし・・・上から下への流れから、下から上への流れへ転換しないといけないのだけれど、自分の意見を言うということに日本人全体が慣れていない。上鈴木地区338のポスターに母が作った「エゴじゃぁない、地球の未来のためだ」と言うようなのがあったけれど、エゴでもいいから、先ずは自分の感じたことを発言していくことからはじめたら、と思う。ひとりひとりの小さな思いをすべて封じ込めてしまう雰囲気が今の日本にはありすぎると思う。いろんな意見を先ずは出し合って行かないと、共感も、合意も得られない。私自身、口下手なのもあって、おかしいと思っても口に出せないままのことがどれだけあるか。

「人間のための経済」。セイフティネットの整備、緊急の課題です。「農林漁業を立て直し、活力ある農山漁村」、「中小企業」対策。「人材育成の強化」。課題は一杯。「このことは、決して生易しいことではありません。
  しかし、私は確信しております。資源小国・日本が、これまで石油危機や公害問題を乗り越える中で培ってきた技術にさらに磨きをかけ、世界の先頭に立って走ることで、必ずや解決に向けた道筋を切り拓くことができると。」先頭に立たなくてもいいけれど、「人間のための経済」に転換すれば経済的にも安定した社会になれるはずだよ。

「唯一の被爆国として核廃絶を主張し、また、非核三原則を堅持してきた日本ほど、「核のない世界」の実現を説得力を持って世界に訴えることのできる国はありません」。そうあってほしいけれど、密約問題をどう処理するのか、現実に即してなんて馬鹿な選択はこれ以上しないでほしい。“核の傘”(国民の安全の為には無効もしくはかえって危険)から抜け出ない限り、他国の信頼は得られないよ。「緊密かつ対等な日米同盟」は、うーん、まず「対等」になってほしい。“辺野古問題”も米国の恫喝に負けないでほしい。「緊密」でなく少し距離を置いた方がいいし、安保条約ではなく平和条約がいいな。「世界の架け橋」になりたいよ。「民衆間で相互の文化への理解や共感を深め合っていく」ことに私も努力をしないとねぇ。

「今なら間に合います。
   これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への路を辿るのか、それとも、新たな志と構想力を持って、成熟の先の新たなる飛躍と充実の道を見出していくのか、今、その選択の岐路に立っているのです」
  そうなんだよ。今しなければならないのは、発想の転換で、今までやってきたことのすべてにたいして、見直しをしてほしいんだ。それは、「官」だけではない。“仕事”のことだけでもない、“暮らし”、“生き方”の問題なんだなぁ。「無血の平成維新」、歴史の転換期、一種の革命とも言える。民主党にやり切れるかどうかは大いに疑問ではあるけれど、この所信表明自体はなかなかのものであると思う。

国民全員にこの所信表明全文を読んでほしいよなぁ。でも、なぜか、ネットで検索してもなかなか出てこない。産経ニュースにやっとこさ載っていた。テレビでは、ノリピー裁判の陰に隠れてしまったようだ。米国筋には都合の悪い所信表明だったようだね。マスゴミは政権交代後も相変わらず健在というところか。理念はよし、されど現実は道遠し。それでも、方向性さえはっきりしていれば、時間はかかるけれども、いつかはたどり着けるさ。





No.35

辺野古通信

 洋子
09/10/28

普天間移設が早くも腰砕け発言。抗議をせねばと、アジェンダからのメールを転送します。

岡田克也外務大臣への抗議を

10.22沖縄から18名の陳情団を迎えて緊急集会が開かれました。沖縄の思いは80%が基地撤去です。普天間基地閉鎖、辺野古新基地阻止を願っているのに、岡田外相の「県内移設やむなし」、鳩山首相の同調発言、嘉手納に統合とはあんまりではありませんか。
  民主党は沖縄の負担軽減を掲げていたはずです。オバマに「ノー」と宣言してください。辺野古通信をお届けします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

岡田克也外務大臣への抗議をお願いします。
  琉球新報2009年10月24日
  ◇岡田外相「県外考えられず」 普天間移設、嘉手納統合案を支持
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-151734-storytopic-53.html
  ◇「普天間」放置を危惧 岡田氏、移設先検証 官僚丸投げ
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-151738-storytopic-53.html
  前政権と同じく、米国の恫喝に屈し、官僚に取り込まれ、拭うことが出来ない沖縄への差別の視点… わたし達の怒りをストレートにぶつけましょう。
  メールフォームからだけでなく、同時にfaxを送ること、電話をすることも有効です。
  ■外務省大臣官房国内広報課
  (直)03-6402-2701
  (FAX)03-6402-2700
  ■外務省 ご意見・ご感想
  https://www3.mofa.go.jp/mofaj/mail/qa.html
  ■岡田克也【国会事務所】
 (電話)03-3508-7109
 (FAX)03-3502-5047
  ■岡田克也【三重事務所】
 (電話)059-361-6633
 (FAX)059-361-6655
  ■岡田克也  (メールフォーム) webmaster@katsuya.net
  ■民主党本部「国民の声」係
 (FAX) 03-3595-9961
  https://form.dpj.or.jp/contact/
  その外、民主党首脳のfax
  ■鳩山由紀夫 03-3502-5295
  ■菅 直人 03-3595-0090
  ■小沢一郎 03-3503-0096
  ■平野博文 03-3502-5025
  ■前原誠司 03-3592-6696
  ■北澤俊美 03-3503-3889
  ■山岡賢次 03-3502-8855
  ■輿石 東 03-3593-6710
  また、ブログ「村野瀬玲奈の秘書課広報室」が提供してくださる各種名簿もご活用下さい。





No.34

朝鮮大学校学舎小平移転50周年記念フェスタ

 りっちゃん
09/10/24

11月1日(日)午前11時より午後4時まで朝鮮大学校で学園祭が開かれる。小平に引っ越して50年になるそうだ。私の所属するタリの会では、KoKoストリートにて、活動報告の展示を行います。ぜひ覗いて見てください。

お勧めは、朝鮮自然博物館の、「東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武」。めちゃ、かっこいい。
  もうひとつは、創立50周年記念文学部同窓会制作映画 「星の流るるせせらぎの辺で」上映会。鷹の台近辺、玉川上水、通称「飛行機公園」など、いつも見ている風景がいっぱい、涙あり、笑いあり、考えさせられることもいっぱいの映画です。

わたしがトライしたいのは、ペットボトルでのチャンゴ作り、チョゴリ試着、そして中庭での焼肉。たまには贅沢しちゃおう。

詳しくは朝鮮大学校のHPを見てください。





No.33

「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」

 りっちゃん
09/10/16

上記の団体から賛同の呼びかけとシンポジウムのチラシが届いた。趣旨には一応賛同するけれど、賛同金は出せないよ。こちとら貧乏人だい。体力的にいけるかどうか疑問だけれど、ご紹介だけはしておきましょうかね。

シンポジウム
  ー「韓国併合」100年と植民地支配など過去の清算そして和解への道ー
  「慰安婦」問題の一日も早い解決をめざして

パネリスト:吉川春子さん(元参議院議員)
        :西野留美子さん(バウネットジャパン共同代表)
        :高柳美知子さん(“人間と性”教育研究所所長・日朝協会代表理事)

来年2010年は「韓国併合」100年に当たります。36ねんに及ぶ植民地支配など過去の清算(謝罪・賠償)も行われておらず、朝鮮民主主義人民共和国との国交さえありません。こうした状況を打破して韓国・朝鮮との友好親善そして和解への道を切り開く取り組みが求められています。これを機会に多くの人々と協力共同して、その取り組みを進めたいと考えています。
  今回は緊急の解決が求められている「慰安婦」問題を取り上げます。
  近年、日本政府に対して「慰安婦」問題の解決を求める決議が米下院・欧州議会・韓国議会をはじめ世界で行われています。日本でも宝塚市議会をはじめ10の地方自治体で政府に解決を求める意見書が採択されています。
  先ず、「慰安婦」問題の発端から現在までの歴史をたどり、国際的な運動や日本各地の運動を紹介し、一日も早い解決をめざして取り組みを強めていきたいと思います。
  また、教科書から「慰安婦」の記述が消されていることを重視し、「その復活を要請する運動を紹介し、「慰安婦」を中心に沖縄の集団自決など、教科書・教育問題にメスを入れます。
  そして、元「慰安婦」の人々が90年代初めまで沈黙を続けなければならなかったのはなぜなのか、その背景の一つである性差別・人権侵害の歴史に迫り、「慰安婦」問題の緊急の解決への道を探ります。

日時:2009年10月31日(土) 開場:午後1時 開会:午後1時30分
  会場:文京区民センター・2A会議室

     文京区本郷4-15-14
     地下鉄三田線「春日駅」下車出口A2から1分、JR「水道橋」徒歩約10分
  資料代;500円
  主催:「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」
  事務局:
日朝協会、日朝協会東京都連合会

メイン集会「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざして」−政府による戦後補償の完全処理を強く要求するー、が、2010年5月15日(土)、在日本韓国YMCAで開かれる予定だそうだ。だいぶ先の話なので、また近くなったら、載せようと思っている。うーん、なんだかねぇ、あんまり過去の清算にこだわると、また若い日本人に敬遠されちゃうんじゃないかなぁという気もする。未来を描くにあたって、過去の清算なり、謝罪なり、補償なりをきちんとすることは大事だけれど、未来像が見えてこないで、ひたすら「お前らが悪い」と言われているような雰囲気も・・・。だいたい、私も含め、その頃はまだ生まれていなかったんだし、悪いのは、軍なり政府なりで、その「空気」に踊らされた国民にも責任はあるだろうけれど、あまりにも強調されると、ねぇ。「排外主義」に陥る人たちの気持ちもわからないではないという心境にもなる。福祉優先の日本に変わるには金もかかる。「完全」じゃなくて、「お互いに納得する」補償、教科書もあっちから見た歴史とこっちから見た歴史を併記とか、無理に一致させることもないような・・・。「自民党」の「あいまい」「ずるずる」や「ごまかし」路線はやめよう!!でも、正解は一つしかないと考えるのもねぇ。
  ゲストに総連と民団を予定しているとか、両者がちょくちょく顔を合わせるのはいいことだねぇ。朝鮮戦争を終結してほしいよ。今はまだ休戦中なんだもの。日本の平和のためにも。日朝の国交も早く実現してほしいねぇ。

賛同の呼びかけ、では
  1)朝鮮植民地支配や「韓国併合」に対する思いにつき、一言メッセージをお寄せください。
  2)以下の郵便振替または銀行口座に賛同金をお寄せください。
    個人の方は一口(1000円)以上、団体の方は一口(5000円)以上とさせていただきます。皆様のご厚意をお願いいたします。
    郵便振替 口座番号00130-7-662895 植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす「併合」100年日本委員会
    三井住友銀行・普通預金口座番号:3931080 受取人:併合100年日本委員会





No.32

府中緊急派遣村の「芋煮会」

 りっちゃん
09/10/9

府中緊急派遣村・派遣切りを許さない会から「芋煮会のお知らせ」が届きました。この日は、何でも展に行く予定でしたが、金さんの了解も得て、「芋煮会」の方をお手伝いに行くことにしました。この頃ちょいと疲れが出ていますが、それまでに何とか体調を整えておかないとです。その翌日は市民まつりもあることだし・・・

■日にち  10月17日(土)
  ■時間   ・集合:10時 ・開始:12時 (10時から準備を開始します。手伝える方、よろしく!)
  ■場所   府中の森公園 バーベキュー広場 (京王線東府中駅下車、徒歩10分)
  ■参加費  カンパ制 (野菜などの現物or自由カンパ)

秋も日々深まる今日この頃、そろそろ暖かい食べ物が恋しくなる季節となりました。そこで、府中緊急派遣村は10月17日に芋煮会を行います。
  これまで、府中派遣村では生活相談に来られた方たちとともに地域での繋がりを大切にするため、月に一回程度の割合で集まり(ミーティング)を持ってきました。
  また、一方で派遣切り問題に取り組むべく労働組合を結成し、現在いくつかの企業と団体交渉を行っています。
  そして8月26日、不当解雇などにあった当事者の人たちを支援すべく、「派遣切りを許さない会」を立ち上げました。
  派遣切り・不当解雇とたたかってきた大川さんはついに解雇撤回・勝利和解を勝ち取りました。また、佐藤さんも勝利解決に向かって最後の交渉に入っています(9月末現在)。
  今度の芋煮会では、生活相談に来られた方たちのミーティングと、派遣切りを許さない会からの勝利報告なども含めた交流会をかねて行いたいと思います。上記の日程で行います。誰でも参加できますので、お気軽にお誘い合わせの上、ご参加ください。





No.31

核兵器と憲法9条

 金太
09/10/6

9月28日に豊島公民館で九条の会東京連絡会の日本大学の野口邦和先生から『核兵器と憲法9条』の講義を受けました。

日本が核兵器を保有できない理由
  野口先生の見解とおっしゃっていましたが、常識的な人なら当然と思われる内容です。
  《国内的には》
  ・日本国憲法第九条の存在
  ・原子力基本法第二条の存在
  ・非核三原則の存在(国是要法制化)
  《国際的には》
  ・核兵器不拡散条約(NPT)の批准

原子力基本法って
  第一条(目的)
  この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
  第二条(基本方針)
  原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

核密約と非核三原則
  非核三原則のうち「持ち込ませず」の原則は、日本政府自身によって破られていました。
  そもそも核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過、核兵器を搭載した米航空機の日本立寄りはできないことになっています。それを、事前協議の対象からはずし、黙認してきました。
  宗谷海峡、津軽海峡、大隈海峡、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道、の五つの国際海峡の領海幅を国際協定である12海里(約22km)とせず、3海里(約5・6km)としました。それは、米艦船の核持込を政治問題化させないためと言われています。
  3海里を採用しているのは日本と韓国ぐらいです。

内閣法制局長官の答弁は撤回されていない
  1998年6月17日の第142回参議院予算委員会で当時の大森政輔長官は「『自衛のための必要最小限度を越えない実力を保持することは憲法第九条第二項によって禁止されておらず、』ということから、論理的な帰結として、要するに、核兵器の使用もわが国を防衛するために必要最小限度のものにとどまるならばそれも可能であるということに論理的にはなろうかと考えます。」この内容は撤回されていません。
  こんな危険な思想が国会でまかり通っていることは許せません。世論に訴えてすぐに取り消しを求めましょう。

核兵器の登場
   第一次世界大戦からイラク戦争まで、順をおって見ると戦闘手段である兵器体系、軍事技術が飛躍的に進歩し、戦争の被害が爆発的に拡大されました。戦場と非戦場、戦闘員と非戦闘員の区別を消失させました。
    第一次世界大戦
     戦死者2千万人のうち、戦闘員と非戦闘員の割合は 95:5
    第二次世界大戦
     戦死者6千万人のうち、戦闘員と非戦闘員の割合は 52:48
     広島およそ14万人、長崎およそ7万人。
    朝鮮戦争
     16:84
    ベトナム戦争
     5:95
    イラク戦争
     1:99
  戦争が人類破滅への道につながっています。





No.30

非モテ!

 りっちゃん
09/10/6

著者は三浦展さん。副題は「男性受難の時代」。帯には「草食系男性は肉食系女性に食い散らかされる!」なんてあったから、興味本位の本かとおもっていたら、真面目な調査に基づいた、生き方についての本だった。うん、私もそう思うよ、ということが一杯あった。男社会というのかなぁ、仕事ばっかりの人生では、行き詰っちゃうと思うんだ。男も女も。もっと、豊かに生きようよ。

「アキバ事件」が起こって、原因が「派遣社員」だったからというよりも「モテ」問題ではないか、と思ったのがこの本を書くきっかけになったそうだ。

グラフでも、『30歳をすぎると正社員と非正社員の年収の格差が出てくる』
   『派遣社員男性は結婚が遅い』・・・派遣社員だと結婚が10年遅れる。
   『派遣男性は未婚の割に一人暮らしが多い』・・・フリーターでは16.3%、派遣は34.2%。
   『職業、雇用形態によって生活満足度には差がある』・・・正社員よりは低いが、フリーターよりは高い。
  確かに、派遣社員の生活は孤独で先が見えちゃう傾向はあるが、だからといって犯行に走る決定的原因とも言えない。

本人は「顔が悪い」と言っていたけれど、私は、造りはいいほうじゃないか、と思っていた。著者は、「私はあえて言おう。KにとってKの顔は充分に悪いのだ。・・・少しでも容姿が悪い(と思っている)若い男は絶望する社会なのだ。
  言い換えれば、現代日本の若者にとっては、「モテ」と「容姿」こそが人生最大の問題なのであり、格差社会の根本に位置する問題なのである。」とする。まぁ、どっちが先かという問題は残るけれど・・・関連はしている。

「正社員と非正社員はどちらが人間的に成長しやすいか」。そりゃ、正社員だよ。安定していることによって、社員教育が当然行われる。著者によれば「派遣社員と一言で言っても、システムエンジニアのような専門的技術を持ったスペシャリストで、比較的長期契約で高給で雇用される人もいれば、部品の組立のような単純労働を毎週のように職場を移動しながら行う「使い捨て」に近い人もいる」。と言うけれど、システムエンジニアも昼夜働かせられ健康を害しポイッという例をよく聞く。高給取りでも「使い捨て」であることは変わらない。で、正社員にもその傾向があるように思う。育てようとしない。非正規ではないのだからと長時間労働をさせる。で、病気になればポイッ!?

「正社員や結婚という制度は、そこに属する人間に束縛を与え、自由を奪うが、一方で安定した身分の保障を与える。そして正社員として働き続けることは(結婚生活を続けることもだろうが)、多くの場合、人間に様々な経験を与え、様々な能力を引き出し、その人間の成長を促す。忍耐力、分析力、交渉力などなどが、正社員として働くことのなかではぐくまれていく」。長いこと専業主婦をし、離婚したあと苦労した私には耳が痛い。「自由もいいもんだ」けれど、経済的にしんどい時は、「自由」どころではないし、心にも余裕を持ちにくい。さらに、雇用に関して主婦の経験は対象外である。人間的には成長していたと自任していても。

グラフ『非正社員は正社員よりモテない人、容姿に自信がないという人が多い』・・・「モテる」正12.9%、非15.3%、「どちらでもない」正46.9%、非21.5%、「あまりモテない」正23.8%、非26.8%、「モテない」正16.4%、非36.5%。
  モテと容姿については、正社員は可もなし不可もなし。中間的である。それに対して非正社員は「モテない」「容姿に自信がない」という人が多いのである。
  『学歴と容姿やモテにあまり関係がない』・・・大卒以上の女性は容姿に自信がない人が相対的に少ない。また、学歴別にモテ度を見ると、大卒以上の女性は37・7%がモテると思っている。30年位前までは4年制大学に行く女性はどちらかといえばモテとは無縁の女性であることが少なくなかった。モテる女性というのは短大の方に多かったが、時代は大きく変わったようだ。
  グラフ『容姿やモテは「どちらでもない」人が結婚しやすい』
 『Y世代(25〜32歳)の男女はモテる人ほど勉強が好き』
 『学校のレベルが低いとモテないし、容姿への自信も低い』
 『家の経済状態が悪い男性はモテない』
  「モテたいというのは本来自然な欲求であろう。だが現代においてそれは、単なる自然な欲求ではあり得ない。それは、雇用されていなくても、仕事をしていなくても、自分が誰かに承認されたいという欲求を意味しているものと思われる。だからこそ、思い通りに仕事に就けないことに苦しむ現代の男性は、仕事で承認されにくいことの代償として、モテることをより強く求めるのかもしれない」。

結婚相談所を営む友人から、「三高」が先ず前提条件というのは聞いていたが、今は「三低」もそこに加わっているんだって。
  「これは「低姿勢・低依存・低リスク」を意味する。ウィキペディアなどによれば、「低姿勢」は女性に対して威張らない、「低依存」は家事や身の回りのことを妻に頼らない、「低リスク」はリストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職業に就いていることである。また、危険に挑戦せず、人生万事穏やかで、良い意味で事なかれ主義を通せる人という意味もあるそうだ。「低姿勢」には女性を喜ばせる、楽しませるという意味も含まれているかもしれない」。
  グラフ 『容姿への自信と身長は比例する』
    『フリーター、失業者、無業者は背が低い』
    『年収と身長は比例する』
    『年収が高いと結婚は早い』
    『身長が高いと結婚は早い』
    『身長と対人能力は少し関係しているようだ』
    『モテる男女は経験も多い』
  「現代の恋愛は自由競争市場であり、特に男性にとっては「優勝劣敗」「弱肉強食」「適者生存」の社会ダーウィニズム的様相を呈している。
  それに対して、昔の見合い結婚制度は様々な規制や商習慣に縛られた市場のようなものであり、自由が少ないかわりに誰もが少しずつ恩恵をこうむる、すなわち誰もが結婚できるというメリットがあった。」
  「このように、あたかも経済活動のように、規制緩和された恋愛の自由競争市場においては、必然的にモテる者とモテざる者の格差、特に男性のモテ格差が拡大するのである」。
  ウーン、それもあるけれど、決定的に出会いの場が少ないという気がする。今の若者には地域の場もないし、趣味も閉鎖的、仕事で忙しくて遊ぶ時間もないのでは。世話したくても、若い人が廻りにいない。男性はいても女性の独身者はいないなぁ。世代間断絶?

グラフ『モテと容姿の格差は希望格差を生む』
  『非モテ男は経済状態が悪い人並みに希望が持てない』
  「昔は勉強や仕事によって、モテや容姿に限らず、生まれた家の経済力なども含めて、つまり個人の責任に由来しない格差を個人のその後の努力で克服できると信じることができた。ところが、経済が混迷し、社会保障制度が崩壊しつつある現在の日本で、こつこつ勉強したり働いたりすることが無意味に感じられ始め、その結果、モテや容姿といった感覚的な要素が若者の中で重みを増しているのかもしれない」。

グラフ『モテる男は礼儀と空気』
  『年を取るとリーダー的な男性がモテる』
  『モテる女性はやっぱり空気が読める』
  『リーダー的な女性がモテる』
  『女性にはコミュニケーション力のある男性がモテる』
  『女性にモテる女性は素敵な先輩型』
  『女性の男性に対する要求は多い』・・・「やさしい」「包容力がある」「会話を大切にしてくれる」「健康」「頭の回転が速い」「頼りがいがある」「家事を手伝ってくれる」「ほっとする」「明るい」「面白い」「仕事ができる」「男らしい」「おおらか、のんびりしている」「真面目」「車の運転が得意」「よく働く」
  ウムム、わからないでもないが、「一緒にいたいと思う人」ではなく「一緒にいると便利な人」だわねぇ。
  グラフ『男性が好きな女性のタイプと女性が自分にあてはまることの比較』・・・   「やさしい」男性が求めるタイプ54.4% 女性が当てはまると答えたのが14.0%、「明るい」男45.4% 女31.0%、「素直」男36.5% 女25.5%、「礼儀正しい」男35.0% 女20.4%、「気がきく」男34.8% 女20.1%、「健康的」男34.4% 女17.1%、「きれい好き」男29.7% 女13.6%、「癒し系」男29.4% 女13.6%、「さわやか」26.0% 8.4%、「品がよい」23.2% 9.0%。
  「このように男性が好きなタイプの女性は現実にはあまりいないのである。まあ、反対に女性が求める男性(「三高」+「三低」のような)も非常に少ないのだからおあいこである。男女とも、いそうもない異性を求めているのである。」
  これでは、なかなか結婚までは難しいわねぇ。さらに、女性は趣味が多様化しているそうだ。「女性が社会進出し、年収や学歴などの階層が高い女性が増えれば、女性は自分より階層が低い男性とは趣味が合わなくなるし、階層が同じ男性とすら合わなくなるだろう。女性よりも男性の方が階層がずっと上でないと趣味が合わないということになりやすい。しかしそういう男性の数は限られている。それが未婚化が止まらない理由の一つであろう」。

正社員力というものを分析したそうだ。で、「こう見てくると、どうもやはり正社員というのは、何事につけて可もなく不可もない中庸な人がなりやすいようである。しかし、それで本当にいいのか? 高度成長期やバブル時代は、クラスタAもクラスタFも企業の中に居場所があったのではないか? クラスタEも地道にこつこつと工場や経理の仕事をしていたのではないか? そう考えると、現在の日本の社会、企業は、多様な人を正社員として受容する能力を失っているのではないか、さらに言えば主流でない人を排除する社会になっているのではないかとも思えてくる。もっと多様で異質な人々が共に働いている組織や社会こそが、いかなる困難にも負けない強さを持っているはずではないか。」と。同感。実感。排除された経験多々。こっちは打たれづよくはなったけれど、排除した側はどうなんだろう?人が入れ替って持ってはいるみたいだけれど・・・

「自分の頭で考え、自分の心で感じたことに依拠して、自分の人生を選んでいくことができるためには、『自分が自分であって大丈夫』という自己肯定感が膨らんでなければなりません。自己肯定感が膨らんでない人は、自分が他人からどう評価されるか、どう思われるかということがとても気になって、自分の考えや自分の気持ちに従って、自分の行動や人生を選ぶことが困難になります」(京都教育センター公式ホームページ
  「自分の目で見て、手でさわって、何かをつくったり、感じたりする経験が現代の子どもには少ないから」、「偏差値のように自分を客観的に数値化して他者との比較でランキングされることが多い。だから、他人はどうであれ、俺は俺の経験からこう考えるから、こうしたい、というふうに行動できないようである。つねに他者がどうするか、どう思うかが気になるからである。そして、自分が他者と違ったらどうしようかと気になるからである」。
  「教育にお金をかけろ!」に大賛成なんだけれど、「育児手当」には「うー?」。「塾にも通わせられない」というのは・・・どうもね。もっと根本的に、教育を考え直してもらいたいな。Kも、育ちの中で、自己肯定感が育たないままだったのでは、だから「おれはモテない」と思い込んで、何でも悪い方へ捉えてしまい、人生の選択も誤ってしまったのでは、と思う。可哀想だよ。

グラフ『非正社員は友達的な関係が苦手か?』
     『モテと友達数は比例する』
  「本当ならば、俺はこれを好きじゃないのに、なぜ君はこれを好きなのかわからないと正直に言い合って、最終的に、なるほど君がこれを好きな理由はこうなのかと、より深い相互理解に至るような議論をするべきだと私は思う。だが現代の若者は(若者だけではないが)、そういう議論を避けるようになっている。」

グラフ『モテない男は社会に対して破壊的』
  「リスクのない、はずれのない選択行動を異性に対して取るとどうなるか。今は認められていないから貧乏だが将来は成功して金持ちになりそうな男に賭けてみるという選択はされなくなる。いや、それほどリスクがはっきりした相手でなくても、小さなリスクでも非常に気になるのである。
  社会全体として見た時、そうしたちょっと変な人たちが排除されてばかりいると、彼らの中に抑圧感が鬱積し、大きな事件・犯罪を引き起こす危険性があるだろう。事実、私の調査によれば、Y世代の男子のうち、モテない者では「人を見返したい」「何かを破壊したい」「戦争がしたい」などの破壊的欲求が強いのである(図517)。このように破壊的欲求が強いのは、他には家の経済状態が悪い男子である。経済状能が悪いことと同じくらいモテないことは破壊的欲求を拡大させる。リスクを回避するあまり、より大きなリスクが生み出されるかもしれないのである。」

「an・an」から見た変化という章(佐藤留美)も面白いけど、最後の一言だけ。「だが、あらゆる現象には揺り戻しがある。女たちが、有史以来の男尊女卑に反旗を翻した如く、女があまりに男に無理難題を要求していると、そのうち今度は男が女に反乱を起こすかもしれない。
  いや、既にその芽は出始めているのではないだろうか。インターネットのネット掲示板を見ると、自らを「毒男」と自称する独身男たちの「女なんて信用できない」とばかりに激しい女性憎悪を覗かせる書き込みが続出し、「女には興味がない」とばかりに男性同士でばかりつるむ男、はなから「結婚する気はない」と言い切る男、相手が望んでもセックスに応じない男が、女たちが知らないうちにじわじわと増えつつあるように思う。」

「女性は、男性に家庭の外で好きなように仕事をさせ、家庭の些事の一切に対してはまったく無能化することによって、男性をまるで赤子のように、女性なしには生きる能力のない、女性に完全に依存しなければひとときも生きることのできない存在にとどめ、男性を支配していたのだ。
  ところが、女性が家庭の外に活動の場を広げるやいなや、怖れていたとおり、女性の男性に対する支配が家庭の外部にまで及ぶようになった。それが現在の状況だ。学校でも会社でも、恋愛関係でも仕事の関係でも、消費や趣味の領域でも、今や男性は女性の敵ではない」。これは実感はない。一部だけではないかな?女性の方が実力があっても相変わらず足を引っ張られていることが多いような。

「より大きな仕事、責任の重そうな仕事を任されるということは、たしかに人の承認欲求を満たす。だから、多くの人は仕事に喜びを見いだす。特に、20年ほど前まで、希望しても、能力があっても責任ある仕事に就けなかった女性たちは、だからこそ今仕事をすることに男性以上に大きな喜びを感じられる。だったら、そういう仕事は男女を問わずやりたい人にやってもらえばよい。
  逆に言えば、男女を問わず、家事や趣味に時間を費やしたい人は、そういう生活を選べるべきなのである。」
  「雇用だけではない。趣味や娯楽、消費の面でも男性の領域はもっと広げられねばならない。第3章で見たように、男性の趣味があまりに下流的であるために、女性が男性を相手にしなくなっている。これは男性が仕事ばかりしているためである。」
  「男勝りの女性が増えて活躍することで、社会はますます男性的になっている。これは皮肉なことである。
  逆に言えば社会から女性原理、母性原理が排除されつつある。女性的な、何でも受容し許容し生存させようとする優しさ、ゆとり、平和、安心、安定の原理が失われているように思える。社会は競争的、排他的になり、猜疑心に満ち、不安で不安定になっている。殺伐とし、ぎすぎすしてきている。こういう時代には、逆に男性は仕事とは対極の遊びの世界に移り住んだほうがよい。」
  「かつての男性の領域がこれだけ女性に浸食されているのに、男性は女性の領域をまだあまり浸食していない。つまり男性の領域は狭まっているばかりで、広がっていないのだ。そこに現代の男性の生のつまらなさ、閉塞の一因がある。」
  「落語の世界などに垣間見られる江戸時代の男性の暮らしはもっと豊かだ。下手なりに俳句を詠んだり、川柳を作ったり、都々逸や常磐津を謡ったり、もちろんお茶をたしなんだりしている。おそらく女性に生活の些事を任せられたから、男性は趣味に遊ぶことができたのであろう。
  それと比べると、近代以降の男性は富国強兵の戦士として位置づけられたためか、趣味の世界から遠ざかってしまったようだ。だが、戦士のような無粋な仕事は、もうそれがやりたい女性に任せればよい。そして男性は逆に趣味の世界を広げればいいのである。男性が従来の男性の役割を捨てて家庭を居場所にしたり、趣味の領域を広げたりできる社会をつくることで、初めて現代の男性は女性と実質的に平等になれるだろう。そして、趣味が広がるばかりの女性ともようやく話が合うようになり、モテるようにもなるだろう」。

そういうことを「ジェンダー・バイヤス・フリー」というのですけど・・・とにかく男性も青年も(子どもも)「もっと遊べ!!」「やりたいことをやれ!!」に大賛成。そのためにもセイフティネットを有効なものにしてほしいな。つまり、少子化対策には、一番にセーフティネットの整備ということですよ。鳩山政権さん。





No.29

アボジが帰るその日まで

 りっちゃん
09/9/29

映画「あんにょんサヨナラ」を見てからもう3年もたってしまった。小平の国平寺で。あの時はパスしたタリの会の今は一員である。居心地も良いし、輪も広がった。この本の著者、竹見智恵子さんとは全生園へご一緒した。

映画の中で、お父さんが亡くなられた中国で韓国式(儒教式)の祭祀を一人執り行っていたのが、李熙子(イ・ヒジャ)さん。あのシーンも迫力があったなぁ。この本の第一章では、彼女の半生が書かれている。各項には、少し小さいけれど、心あたたかなカット。清重伸之さんの作品です。

戦争というものは、終わればそれでハッピイということにはならない。家族を亡くした人の悲しみ、親を失くした子の苦しみは後々まで続く。このあいだ横綱町公園で出合ったおばあちゃんは、空襲によって家族のうちひとりだけ生き残ったそうだ。今でも親兄弟がいないという現実が耐え難いようだった。子どもはいてもまた別らしい。娘時代を一人で生き抜くにはずいぶんとつらいことも経験されたのではと思う。この本では跡継ぎ婚にも触れている。私の遠縁にもあったと聞いている。「兄から弟へ、弟から兄へ、妻を使いまわしているようで不愉快だ」。しかし、社会福祉なんてなかった、戦後の混乱期には、食っていくため、稼業を続けるためには、選択の余地のない現実でもあった。戦後も女性の権利なんて、簡単に無視されてしまう。

李さんの住む韓国はまして儒教の国。「残された子が男ならばまだしも、女の子では頼りにならない」というご近所の進言により、お母さんは、夫の生死も知らされないまま再婚、李さんもこの言葉に深く傷つく。慰安婦問題もそうだけれど、直接の加害もさることながら、この手の、身近な人たちからの偏見、差別が、2次被害となる。これも結構キツイ。中国の慰安婦の中にも後年自ら命を断った人もいる。言った側は善意のつもりだったりする。これを改善するためにも、日本の国の責任を明確にする、謝罪をすることが必要なのだけれど、裁判では、「国家無答責・除斥期間」により棄却という例が多い。門前払いってとこかな。「国家無答責」とは、「大日本帝国憲法」では公務員は天皇に対しては責任があるけれど、国民に対しては責任を持つ必要がなかったということらしい。だとしたら、その改訂憲法である今の憲法を根本から改めないとなぁと思った。天皇制を無くして、国民主権の憲法がいいなぁ。「排斥期間」は時間がたっているからということらしいが、李さんの例を見てもわかるとおり、戦後は生きるのに必死で、やっと落ち着いてから問題に取り組めたということもあるし、何よりも日本政府がやるべきことをやっていない、やらないでもいいことを勝手にやって、しかも隠してきたということがある。それを門前払いとはなんとも冷たい裁判所である。三権分立は一体どこにあるのだろうか?

「いちばん最初に父の記録に行き当たったのは1989年でした。日本陸軍が作成した「被徴用死亡者連名簿」の江華島出身者を見ていくと、そこに父の名前「李思鉉イ・サヒョン」が載っていました。
  それにしても、なぜ日本政府は誠意を持って、私たち韓国の遺族に徴用者の戦死を知らせてくれなかったのでしょうか。名簿には留守家族の連絡先が記入されているのですから、知らせる気があれば、通知書類の発送作業は容易にできたはず。日本政府の都合で父たちを戦場に連れ出しておきながら、戦死という重大な事実を帰りを待つ家族に知らせないというのは、いくら敗戦で混乱していたとはいえ、日本政府に大きな手抜かりがあったとしか思えません。
  いったい日本政府はなぜそのような非人道的な態度をとったのか。死者に対しても礼を欠くばかりか、遺族に対しては死者を悼む気持ちをズタズタに引き裂く行為ではないでしょうか。
  そう思うと、40年以上も父の戦死の事実を知らされなかったことへの怒りが、わたしの中でふつふつと湧き上がってきました。」

名簿は、1970年代から数回にわたって日本政府から韓国政府に返還された。はっ?25年間ほったらし?で、返還しただけ?その留守名簿や死亡者名簿が国家記録院に。韓国もそのまま保存していただけ?家族へ連絡しなかったの?国って何のためにあるの?

「国家記録院に通って父の記録探しを続けているうちに、『支那派遣軍第6方面軍大11軍隷下部隊留守名簿』という分厚い資料に出会いました。この名簿には徴用した朝鮮人を地域別に記載しています。
  「京畿道江華郡松海面」と書かれたページを見ていくと、「李原思連」という名前に目が留まりました。ハッとしました。父の日本名です。
  父の欄には、本籍地、留守家族の名前、死亡した年月日などが記載されていますが、よく見ると、そこに「合祀」という印が押されています。
  はて、「合祀」とは何でしょう。」

「創氏改名」とやらのお陰で、日本名を知らなかった家族には、調べようもない。そのせいで遺骨が戻れない例も多いみたい。これも日本政府の責任だよね。「合祀」は、厚生省が恩給手続きの為の個人情報を靖国神社に教えていたから・・・でも、徴兵徴用された時は日本人扱いの朝鮮・韓国人に、果たして恩給は出したの?うちは葬式は神教なので、ちょこっと調べたら、お墓にある骨は骨でしかなく、魂は別なんだって。ま、もともと生き残った人の心を慰めるために想像されている“魂”なんだろうけれど・・・だから、李さんのお父さんの魂もすでに韓国に帰っている気もするのだけれど・・・でもねぇ。
  「韓国人は、戦争中、日本の天皇制と神社に苦しめられました。朝鮮全土に神社を造って参拝させ、天皇への忠誠を誓わせたりしましたから、神社というものを植民地支配のシンボルとして忌み嫌っていますから、・・・」「いったい靖国神社は、だれの了解を得て父を合祀したのだろう。家族の知らないあいだに合祀するなんて、あまりに勝手すぎる。こんなことが許されていいわけがありません。」
  この怒りは当然です。

28日の新聞記事では、ニューギニア戦線遺品展が国際交流施設「インドネシア文化宮」で開かれており、国から渡されたのは空っぽの骨箱だけで、故人の最期を知りたいとたくさんの人が訪れているとか。「西部ニューギニアでは約5万人が戦死したが、大半の遺骨は日本に戻っていない」。「戦没者追悼の式典に一億円以上かけるより先に、遺骨を弔い、戦地でなくなった若者たちの尊厳を守るべきではないのか」。ニューギニアでは、戦死というよりも餓死だった。兵站部無しで進軍だもの。日本人兵士への戦争犯罪だよ。その責任を問われたくないから、「英霊」にしちゃって自動的に靖国へ、ってことじゃぁないの?

日本人兵士の家族には、戦死の通知と骨箱を送った。韓国にはそれも無し、しかも落ち着く暇もなく朝鮮戦争が始まる。李さんの小学校入学の年に。小田実によれば、朝鮮戦争そのものにも日本に責任があるとか。100%ではないにせよ、「無い」とは絶対に言えないわねぇ。はぁ。で、今も責任をとろうとはしていない。で、「在特会」なるものも幅をきかすということになる。自分が生まれた国を愛したくてもねぇ・・・困ったもんだ。新国民歌の「人の誠」はどこにあるんだか。歌詞といえば、この本の冒頭「私が生まれたのは、京畿道江華郡ソンヘ面ソンジョン里です。春にはレンギョウの花が咲き乱れ、秋には裏山の木々の葉が燃えるように色づく、海辺のひなびた小村です。」で思い出すのが「故郷の春」という曲。「桃の花、杏の花、山つつじ」が咲き乱れる故郷の村。可愛らしい曲だよ。日本は料理もそうだけれど、歌も世界の名曲が一杯歌われている。でも、なぜか、朝鮮や中国の歌は少ない。もっと歌われてもいいのにね。で、気軽に歌える合唱団を作りたいなぁと考えている。行動する右翼に対抗して行動する合唱団、野外で、自然発生的にみんなで口ずさむ感じがいいなぁ。

第二章は、通訳無しの「江華島ふたり旅」。言葉が通じない分、心で感じることが多かったのか、著者自身の戦争体験が描かれている。「わたしが1歳半の頃に、父が南方の戦場へと「出征」していった」、「突然知らない男性が汚れた軍服姿で現れ、そのまま家に住み着いたのでびっくりした」、「母に言わせると、父はまったく戦争に行く前と後では人が変わってしまったそうだ。帰還した後の父はほとんど家族と口を聞かず口を開いた時は軍隊調で家族のだれかれを怒鳴りつけた。手を上げることはなかったが、軍隊式に振舞うので子ども心にも近づくのが恐ろしく、なるべく外で遊んで過ごした」。

著者のクロアチアへの訪問では、「現地に足を運んでわかったのは、女たちの人道的で、民族の壁を越えた地道な活動であった」、「男たちが戦闘に熱中するなか、女性たちは敵味方なしにひそかに食料を届け合ったり、足りない日用品を分け合ったりしていたという。戦時下では、男たちはますますその「男性性」を発揮する。これは世界共通のようだ」。「クロアチアでは、もうひとつ、なるほど、と思い知ったことがある。それは、戦争が終わった直後の男たちの荒れようだ」。戦後の女も大変なら、男も戦後を引きずって生きなければならなかったのだねぇ。お父さんからもらった一枚の葉書に水牛が描かれていたとか。その縁か、著者は「フィリピン・レイテ島の農村に水牛をおくる活動を続けている」そうだ。「ラテンアメリカと日本」で提案されているように、こういう活動にこそ、ODAが使われるといいのにねぇ。

裁判は継続中。「父の墓石に父の名前と事跡を彫り刻む」まで、李さんの闘いは続く。「日本がふたたび戦争に踏み出してはならないという気持ちと、靖国神社が拘束していた死者たちの魂を即刻解放すべきだという人間らしい気持ち」を持った多くの友だちと共に。





No.28

イスラムの怒り

 りっちゃん
09/9/27

著者は内藤正典さん。コーラン、気に入っちゃった。キリスト教の聖書は何をいいたいのかわかりづらいし、原罪がなんとも暗すぎて、おどろおどろしい。でも、コーランって、わかりやすいし、人間性が豊か。なので、先ずは一夫多妻について。

『孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。だがもし(妻が多くては)公平にできないようならば一人だけにしておくか、(後略)(コーランの引用は井筒俊彦訳『コーラン』岩波文庫版による。上巻、女の章、三節)』
  「複数の妻と結婚した場合、「平等に扱え」というのは、遺産の相続、子どもへの平等な処遇、果ては、ベッドを共にする回数にいたるまで、原則的に「平等」でなければならないということだ。そんなご苦労なことをあえてする男は、よほど奇特な人物か、大金持ちである」。プフッ。ちなみに婚外交渉は厳禁です。
  「ムスリムに、「おまえの宗教は一夫多妻で女性差別だ」と批判した時、彼らがなんと反論するかを聞いているとおもしろい。
  まず間違いなく返ってくる答えは、「では尋ねるが、西欧はキリスト教道徳のおかげで一夫一婦制をとる国が多いが、ホントに守っているのかね」というものである」。次はラマダンについて

『これ信徒の者よ、断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ、汝らより前の時代の人々の場合と同じように。(この規律をよく守れば)きっとお前たちにも本当に神を畏れかしこむ気持が出来てこよう。(この断食のつとめは)限られた日数の間守らなければならぬ。但し汝らのうち病気の者、また旅行中の者は、いつか他の時に(病気が直ってから、或いは旅行から帰った後で)同じ数だけの日(断食すればよい)。また断食をすることが出来るのに(しなかった)場合は、貧者に食物を施すことで償いをすること。しかし(何事によらず)自分から進んで善事をなす者は善い報いを受けるもの。この場合でも(出来れば規律通りに)断食する方が、汝らのためになる。もし(ものごとの道理が)汝らにはっきりわかっているならば。(『コーラン』上巻、牝牛の章、一七九〜一八〇節)』
  『コーランが、人々のための(神からの)御導きとして、また御導きの明らかな徴として、また救済(または「善悪、正邪の識別」)として啓示された(神聖な)ラマダン月(こそ断食の月)。されば汝ら、誰でもラマダン月に家におる者は断食せよ。但し丁度そのとき病気か旅行中ならば、いつか別の時にそれだけの日数(断食すればよい)。アッラーは汝らになるたけ楽なことを要求なさる、無理を求めはなさらない。ただ汝らが所定の日数だけ断食のつとめを守り、そして汝らを導いて下さったアッラーに讃美の声を捧げさえすればそれでよい。そのうちに汝らにも本当に有難いと思う心が起きて来るであろうぞ。(同一八一節)』
  『断食の夜、汝らが妻と交わることは許してやろうぞ。彼女らは汝らの着物、汝らはまた彼女らの着物。アッラーは汝らが無理しているのを御承知になって、思い返して、許し給うたのじゃ。だから、さあ今度は。(遠慮なく)彼女らと交わるがよい、そしてアッラーがお定め下さったままに、欲情を充たすがよい。食うもよし、飲むもよし、やがて黎明の光りさしそめて、白糸と黒糸の区別がはっきりつくようになる時まで。しかしその時が来たら、また(次の)夜になるまでしっかりと断食を守るのだぞ。礼拝堂におこもりしている間は、絶対に妻と交わってはならぬ。これはアッラーの定め給うた規定だから、それに近づいて(踏越え)てはならぬ。このように、アッラーは人間にそのお徴を説き明かし給う。こうすればきっとみんなも敬神の念を抱くようになるかも知れぬとお思いになって。(同一八三節)』

「人間性」を愛してくださる神様のようよ、アッラーって。私は八百万の神様を信じている口だから、なんかねぇ、似ているなぁって思う。ちょっと昔の日本人と共通しているんじゃぁないかなぁ、ムスリムって。こんなエピソードも。
  「摂生に努め、げっそりした私を一年ぶりに見たトルコの友人がニヤリと笑って言った。
  「おまえのような甘い(いい)男からは、糖が出るものさ」
  友人は、国立病院の内科部長である。私は、それまで、今日は何キロ歩いた、今日は何カロリー食べた、と神経質に高血糖の「原因」と闘っていたのだが、この一言は、私の頭を覆っていた鬱陶しい霧を吹き飛ばしてくれた。私は、久しぶりに心の底から笑った。
  私は尋ねた。「トルコの医者は、糖尿病の患者にそんなことを言うのか。そんなこと言ったら、患者は摂生しないだろう」
  彼の答えはこうだ。「私だって、西洋医学を学んだから、何が原因で、どういう病気になるか知っている。だが、弱っている患者さんを眼の前にして、因果関係をくどくどと言ってきかせるのは、非人間的だろ」」
  これって、私のおじいちゃんだよ。患者さんのために一番いいことだと思ったら、偽薬も使うし、経済的事情とかも考慮するし、患者さん自身の生命力を生かすのが医者の勤めだと言っていたもの。

ちょっと昔の日本人同様、ムスリムは、家族や共同体をたいへん大事にします。そして性に対しては、「秘め事」なんだな。だから、サッカーのジダンが頭突きをしたのに、その理由を口にしないのは、多分お姉さんについて性的なからかいの言葉を相手がしつこく言ったのではないかと、著者は推察する。そして以下のジダンの主張が、ムスリムの今の心境を代弁しているのではないかとも。
  「インタビュアーが、「では、頭突きを後悔しているのですか?」と尋ねると、ジグンは、「後悔していない」ときっぱり答えた。
  「このような事件が起きると、いつでも、自分のように(暴力的に)反応した者が罰せられる。だが、悪意の挑発をした者は罰せられない。それは不公正だ。挑発した側も罰せられるべきではないか」

「なぜ、ムスリムが、性的侮辱に対して暴力的反応に出るのかと問うても、彼らは、家族の絆がかけがえのないものであり、それを侮辱されることに耐えられないとしか答えない。その程度のことで暴力に訴えるのは行き過ぎだと非ムスリムは考えるが、それを言ってもムスリムには通用しない。
  私たちが知っておくべきは、彼らの規範には私たちとは異なる、越えてはならない一線があるということである。
  世界のムスリムは、九・一一以来、幾度となく、「あなたの宗教は暴力を肯定するのか?」という質問を浴びてきた。そして、彼らは必ず否定してきた。イスラムは平和を愛する宗教である、イスラムは暴力を肯定しない。この主張を私たちは繰り返し聞いてきた」。
  「彼のように宗教を表に出さない人であっても、踏み越えてはならない一線を越えられた場合、相手に対して、突発的な暴力で応ずることを事件は示した」。

日本の報道と違って、イラク戦争やパレスチナでの子どもの犠牲についても生の映像を見れるムスリム達は、怒っています。「子殺し」に対して。すでに一線は越えている。9.11はブッシュのやらせだけど、それ以外のテロが止まないのは、それなりに理由があるということだ。もっとも「ビン・ラディン」が今でもアメリカの手先として行動していないという保障はない。まだ捕まっていないって、なんだか怪しいなぁ。

イスラムの側はキリスト教に悪意は持っていない。なんせ、兄弟宗教で、自分たちの方が優れていると思っているから。逆にキリスト教は、世界中に広がったのに、中東だけは広がらない。ムハンマドは生身の人間で、キリストの神性がいかにも嘘っぽく見える。さらに、フランス革命などで合理主義が当たり前になって、宗教をかたくなに信じている人たちを軽蔑する傾向になり・・・
  「信仰をもっている人は、ある意味で、楽に人生を生きていくことができる。困ったときには、神様に丸投げすることもできるし、現実的には、宗教指導者の判断を仰ぐこともできる。
  信仰をもたないと、何ごとも自分の頭と理性で処理しなければならない。日本人の多くもそうだが、ものごとを全部自分で解決しなければならないということになると、なかなかしんどいものである。
  頼れる神様を失ってしまうと、生きていくことの辛さを味わうことになる。近代以降、理性の人をめざすことが進歩だと思い込んでしまった西欧人は、いまさら後戻りすることもできない。こうなると、楽に生きられる人に対して、一種の妬みを抱くものである」。なんかうなずけるね。

フランスではムスリムの女学生がスカーフをかぶって学校に通うのを禁じられたというのが報道されたっけ。「二〇〇四年に、フランスは公立学校での「宗教からの中立」を厳守させる「宗教シンボル禁止法」を新たに制定した」。これも、一種のスケープゴードのようだよ。かぶるかどうかは本人の意志だと思うけれどねぇ。サンコンさんが言っていたように「理解の前に相手を尊重すること」が大事だと思う。

『アラビアのロレンス』、私も見た憶えはあるのだけれど、内容はあまり憶えていない。砂漠とらくだが印象的だったけど・・・
  「沙漠の真っ只なかで、遠くからやってきたアラブの部族長が、井戸で水を飲もうとした案内人を突然、銃で撃つ。部族長の男は、彼の部族の所有する井戸で水を飲もうとしたから殺したと言う。ロレンスは嫌悪で顔をしかめるが、アラブの部族長は、これが掟だと平然と言う。
  このシーンは、「沙漠の民、アラブ人の残酷さ」をうまく表しているようにみえるのだが、実際には、相当上手に忍び込ませた偏見である。沙漠を行き来する遊牧民たちにとって、たしかに水は貴重である。映画では、「だから、一滴の水をめぐって彼らは命をかけて殺しあう」ことになっている。アラブ人のイメージとムスリムのイメージは重なりあう。
  しかし、なぜ「だから、一滴の水を分けあう」と考えなかったのだろう。「困ったときには助けあい、一滴の水でも分けあう」のが、イスラム的道徳であって、ムスリム一般の感覚としては、このような殺しあいを正当化しない」。
  「西欧がさかんに宣伝してきた「アラブ人=沙漠の民=野蛮人=イスラム教徒」という図式的理解には、相当な誤認と偏見が含まれている。『アラビアのロレンス』は、もっとも野蛮なアラブ人の姿を沙漠の民のなかに「発見」し、それを一般化することによって、中東への支配を正当化するという意図が巧みに織り込まれた大作だったともいえる」。

ヨーロッパでは、今、排外主義が台頭しているそうだ。オイルショック後に
  「「遠くからやってきて、厳しい労働環境で仕事をしてくれる奇特な人たち」だった外国人労働者は、「ドイツ人の仕事を奪うし、失業したら失業手当で遊んで暮らしている邪魔者」に変わった。
  受け入れ国の社会は身勝手なものである。この態度の急変は、ドイツだけでなく、外国人労働者を戦後の高度成長に利用した、西ヨーロッパ諸国に共通する」。多文化主義はどこへいっちゃったの?日本でも当時「ムスリムの多い地域では、「イスラム教徒=恐い=何をしでかすかわからん」という短絡的な見方はかなり強かった。何か事件が起きると、新聞には「犯人は中近東系か」のような見出しが載ることもしばしばあった。未知の文化に遭遇したとき、あっけないほど簡単に警察情報を鵜呑みにした報道が目立ったことを、私は覚えている」、だったそうだけれど、ヨーロッパの人権意識もけっこう底が浅いのかもね。

「日本は制度として多文化主義を採っていない。外国人も、郷に入っては郷に従えという意見をもつ人は多い。その一方で、ともに同じ人間なのだから文化の違いを乗り越えていっしょに生きていくべきだという声もある。どちらが正しいかが問題なのではない。移民を受け入れることになれば、日々、誰がどこまで協調すべきなのか、日本社会として譲れない一線はどこかを考えなければならなくなる。大切なことは、考えることを放棄して、感情的なナショナリズムや排外主義に傾斜しないことである。もし、そうなると、ヨーロッパやアメリカが陥ってしまった相互不信の連鎖に日本もはまってしまう」。

キリスト教がイスラムを敵視するのは、西欧だけであって、中東では仲良しなんだって。これはリバーベンドさんも言っていた。著者がゼミ生を連れて行ったトルコのアンタキア、「モスクとキリスト教会が隣り合っているこの町では、お互いの祭日に「おめでとう」と言葉を交わし、祝っていた」そうだよ。「共生」だね。「尊重」と「理解」だね。ペシャワール会の中村医師も言っていた。男性は全員が部族や地域を守る戦闘員でもある。「タリバン」とはもともと「学生」の意味で、感違いによる誤爆もあった、と。ムスリムを理解するのに、この本はとってもいいよ。ムスリムファンになっちゃった。

「辛い思いをしている人は、イスラムでは弱者とみなされる。弱者を助けることは、ムスリムの義務、それも神の定めた義務であるから、周囲の人間は弱っている人のために善行を積まなければならない。つまり弱者は、いわば周囲の人間が善行を積むために、神の意志でそこに存在するわけであるから、それほど悲嘆に暮れる理由がない。過度に嘆き悲しまずに済む思考回路が、イスラムには存在するのである」、って。経済的弱者に対しても同じこと。新自由主義が吹き荒れた国は、ぜひ見習ってほしいシステムだね。

唯一神でもあり、絶対的な存在でもある「アッラー」だけれど、おもしろいのは、国の法律上は許されているが宗教上は悪行である、お酒を酌み交わしながらの会話、「ムスリムは、来世を信じているし、誰しも天国に行きたいと願っている。「酒なんか飲んでいて天国に行けるの?」と聞くと、たいていは、「酒を飲んだって、俺は善行も積んでいる」と言い張る・・・」。要は、自分で判断しているんだなぁと・・・自己選択自己決定の宗教なのでは・・・だから上記のシステムに従いながらも、どの程度かは自分の判断なのだと思う。なかなか優れているなぁと・・・

感心ばかりはしていられない。本題に戻ろう。ジダンの話しの続き。暴力の応酬について、
  「正しいか間違いかという次元の話ではない。誰だって、命に変えても守りたいと思っている存在を、あからさまに侮辱されて平静を保てるだろうか。何を言われても、暴力を振るった方が負けだ、と言う言説は、私のように戦後民主主義の興隆期に子どもだった世代は、耳にたこができるくらい聞かされてきた。
  この種の平和主義は、自分たちが暴力的になることを抑止するために、自らに言い聞かせる分には説得力がある。それは否定しない。
  しかし、この種の平和主義を、数世紀にもわたって理不尽な暴力と抑圧のもとに置かれてきた世界のムスリムに向かって説いても有効性はない。右の頬を殴られたら左の頻を差し出せという平和主義を象徴するような話が、新約聖書のマタイによる福音書(五二一九)に出てくる。しかしキリスト教化した西欧の、いったいどの国が、こういう平和主義を実践したというのか。実際、パールハーバーで右の頬を殴られたアメリカは、左の頬を差し出すどころか、殴った当事者である日本軍のみならず、膨大な数の市民を原爆や空爆で殺戮した。
  中東のムスリムは、トルコ人でもアラブ人でもイラン人でも、アメリカによって日本に原爆が投下され、大変な犠牲者を出したことをよく知っている。アメリカと戦って敗れた日本が、ここまで復興し発展したことを率直に尊敬している。
  しかし、中東地域のムスリムはいまのところ、産油国の一部の人々を除いて経済的な豊かさを享受してはいないし、不公正な状況も改善されていない。
  にもかかわらず、暴力を止めろと非難され、民主化を説かれ、表現の自由を守れと批判され、女性抑圧の宗教だと非難され、欧米のスタンダードをグローバルスタンダードとして受け入れることを迫られるのでは、平和は実現しない。過激なイスラム組織に若者が吸い寄せられていくこと自体、希望のない現実においてのオルタナティブであることを、忘れてはならない。」

「イスタンブールでユダヤ教の指導者(ラビ)と異なる宗教との共生について話したことがある。そのとき彼が言った言葉が忘れられない。「1947年まで、我々とムスリムとのあいだにはなんの問題もなかった。その後、濁った水で魚釣りをする人たちが現われた。そのおかげで、アラブ・イスラエルの対立が生じたのである」。1947年というのは、国連がパレスチナ分割を決議し、翌年イスラエルが建国されたことを指す。イスタンブールのユダヤ教の指導者がイスラエル建国に疑問を投げかけたのである。
  今のイスラエルとパレスチナの衝突を、あたかも宗教戦争のようにとらえるのが、いかに間違っているかを、ラビは説いた。」

中東の平和のために、はたして鳩山民主党政権がオバマさんとどんな尽力をしてくれるのか、しっかり見ていかなくては・・・『中東ハンパが日本を滅ぼす』1〜5も見てね。





No.27

「帝国アメリカ」に近すぎた国々 ラテンアメリカと日本

 りっちゃん
09/9/24

著者は石井陽一氏。17年間、日本海外移住振興株式会社、海外移住事業団で働いていたんだって。サンパウロやリオデジャネイロでの勤務もあったそうだ。だから、詳しいんだね。

「日本もラテンアメリカ諸国も、伝統的にアメリカへの軍事的、経済的依存度が高いしがらみがあるゆえに、アメリカになかなかノーと言えない宿命がある。本書の表題「帝国アメリカに近すぎた国々」は、往年のメキシコの独裁者ポルフィリオ・ディアスの言葉「哀れメキシコよ。アメリカにあまりにも近く、天国からあまりにも遠い」に発想したが、本書では距離的な遠近というよりも、軍事的、政治的、経済的な近接性と従属性を含意するものだ。しかし、今回の世界金融危機の発生を契機として、帝国アメリカの政治力も経済力も失墜し、日本もラテンアメリカもその近接性、従属性に安住するわけにはいかなくなり、それぞれの対米関係の見直しを迫られている」。

小泉以降の日本は、全くの唯々諾々だったよね。民主党がこれからどう舵取りをするのか、「日米同盟を強化」なんて記事にあるのを見ると、なんだか心配だけど、いくらなんでもこれまでどおりというわけにはいかなくなると思う。ラテンアメリカは米国に翻弄された歴史を持ち、アメリカ寄り(というか、傀儡?)の政権の時に、「新自由主義化というIMFの毒薬」を飲まされちゃったようで・・・苦労だったねぇ。で、どこも、今はそれぞれの国が、アメリカとの距離をどう置くか、自分なりに舵取りをしているところのようだ。

フジモリがいたペルーとチャベスさんのベネゼエラにやはり興味が湧く。フジモリって日本にまだいるのかと思っていたよ。今は誤認虐殺の責任を問われて、
  「二〇〇八年二月中旬、笹川日本財団理事長が、リマ郊外の警察官用刑務所に収監されているフジモリに面会している。塀に囲まれた二棟の平屋の一棟がフジモリ元大統領専用で、二棟の間にカボチャやイチゴを育てながら晴耕雨読の日々で、長女ケイコ(国会議員)とその孫娘との面会を楽しむ、すべてを諦観の姿であった。ただ、ペルーでのフジモリ人気は依然高いという(二〇〇八年二月三〇日付産経新聞記事)」だそうだ。私って何事にも疎いなぁ。で、

「正直、勤勉、技術」と「貧者の革命」というスローガンを掲げて選挙を戦い、大統領の座を射止めたフジモリは、就任後、アラン・ガルシアとは逆さまの政策を打ち出した。「フジショック」と言われる緊縮政策をとり、価格を市場に委ねたので一時的にはガソリン価格が三〇倍、砂糖価格が一三倍に引き上げられるなど、思い切った経済調整政策をとった。ショックを和らげる緊急措置として労働者への一カ月分の臨時ボーナスの支給を義務付けたり、人民食堂と言われる共同炊飯グループを組織させてそこに食料の一部を現物で供与したりした。一時は暴動の発生も懸念されたが、インフレの漸進的収束とともに理解を得たと言える。
  また、中期経済計画を示しIMFの承認を得て、国際金融機関やアメリカとの関係を回復した」。ふーん、なんか矛盾しているような・・・前任者のアラン・ガルシアが、左翼政党「アメリカ大陸革命人民同盟(APRA)」の党首で、対外債務の返済を年間輸出額の一〇%に抑えると宣言し、IMFはペルーを投資不適国と宣言し、外国からの資金の流入が途絶え、山間部はテロ組織に支配され、インフレが年間7000%。す、すごい。左翼政権だから生活物資などは低く抑えたけど、その分余計インフレになったらしい。
  「失業者が増えると、とかくインフォーマル経済(非正規経済、地下経済)に流れ込む。しかし、このような影の部分があるとはいえ、民営化収入や援助収入などで財政を立て直し、年率七〇〇〇%まで上り詰めた超インフレを九四年には15%台まで引き下げ、マイナスを繰り返してきたGDP成長率も同年までに一二%とプラスに転じさせた彼の腕前は並のものではない」。フジモリも凄いけど、米CIAのエージェントなるモンテシノスが2番目の顧問になって、「ペルーの再建に日本の援助資金を使おうとしたアメリカの差し金だったかもしれない」。で、昔の日本のオヤジタイプのフジモリが強硬路線で、テロ組織の親分を逮捕、山間部の治安を回復、鉱業界を活発に。国会運営をやりやすくするためにクーデターを起こして国会を封鎖。なんてこともしていたんだ。

結局は、そのモンテシノスの汚職でフジモリは失脚するのだけれど、最初の顧問エルナンド・デ・ソトの理論を地でいって、「九五年、大統領に再選してから起きた事件がMRTAによる日本大使公邸占拠だが、この時期にフジモリは、リマの国有地を占拠していた三〇〇世帯に地券を交付し、水道、電気を引いた」。「これで不法占拠者は晴れて土地の所有者になれ、土地を担保に銀行借り入れし、堂々と事業も起こせる」ようになったから、フジモリ人気がまだ残っているんだって。もちろん、日本は、「フジモリ政権の第一期に相当する九〇〜九四年度の五年間に日本が供与したODAは九七〇億円にのぼり、ペルーへのトップドナーになった」。

教訓としては、右か左かではなく、国民の生活に結果的によい方がよい政権ということかな。最も民営化とか雇用の不安定の問題が残っているから、まだ課題は一杯なのだけれど・・・。それと、インフレの問題とかなかったのに、規制緩和や民営化をしちゃった日本って一体何?だわね。国民の生活なんかどうでもいい、“アメリカの要求どおり”何でもやっちゃったんですね。

「私がベネズエラの首府のカラカスを訪れたのは約三〇年前、夏休みにラテンアメリカを取材旅行していたときの二日ばかりのストップオーバーだったが、アメリカの都市並みにアメリカの新車が走っていて、その当時は中古車が多かったほかの国の都市に差をつけていた。天与の石油のお陰で豊かなのだなと感じた」。「九〇年代のベネズエラの大統領は、新自由主義に迎合」。「九八年の選挙では反新自由主義を掲げたウーゴ・チャベスが低所得者層の支持を得て当選したので、民営化はストップした」。

「チャベス登場の背景には、ワシントン・コンセンサスの下で、原油の開発を部分的に外資に開放したことへの抵抗、ただでさえ大きかった格差の拡大、などがある。
  ラテンアメリカを一般化することはできないが、概して国際金融機関などからの援助を得る条件として突きつけられたワシントン・コンセンサスによる改革は、次章以降で展開するように、累積財政赤字の縮小、あるいは拡大の抑制、ハイパーインフレの収束に効果を挙げる一方、民営化や労働市場の規制緩和にともなう失業の増加、公益性事業の縮減、格差のさらなる拡大を招くことになる」。

「ラテンアメリカの都市につきものなのが貧民窟である。有名なのが、山肌に所狭しとあばら屋が密集するリオデジャネイロのファベーラと、ベネズエラの首都カラカスのランチョ。また、田舎から出てきて公有地に一夜のうちに段ボールで小屋を作り、その状あたかも落下傘で降りてきたかのようなので、パラカイーダス(落下傘)と呼ばれるメキシコ・シティーの貧民窟などがある。唯一貧民窟がないのがキューバの首都ハバナである」。貧しくとも音楽があふれているキューバの方が、やはり人間の幸福につながるのかなぁ。うーむ。少なくとも、貧民窟を見ない振り、ほったらかしの社会は、イヤだ。

「チャベスも「変化」を公約しており、貧困と社会的な疎外(たとえば先住民)の解消、参加型民主主義の実現、貧富の格差をもたらした新自由主義への反対、地下資源(とくに石油)の主権回復、石油収入の貧困層への還元、汚職の払拭などを理念としている」。フジモリとは逆の「変化」だわね。国連での「悪魔」(ブッシュのこと)発言があって、私はファンになった。  02年に軍事クーデター、罷免を求めるゼネストもあったが、
  「〇五年中央銀行法を改正し、石油販売により得られた外貨を従来のように中央銀行に納めず、大統領管理の開発資金に入れるようにした。これを貧困層向けの識字化教育、医療の無料化、農地改革の資金などにあてた。石油収入を十分ではないにしても貧困層に還元したことは一応の評価に値するであろう。
  憲法の三〇七条では、大土地私有制度は社会的利益に反する、と定義されており、〇一年に未利用の土地を収用できる法律が作られ、〇七年までに約二〇〇万ヘクタールが収用されたが、収用のために軍特別部隊を創設したことで強権社会主義という批判も出た。農地改革は、資本主義国においても行われていることで、そのこと自体で社会主義とは言えないであろう。また、ラテンアメリカで農地改革を実施しようとすれば、多少は強権的手段を用いないとできないことは、現実問題としては理解できる。
  このほか、一九九〇年代に民営化した企業のうち、電話、製鉄、セメントの三社は国営に戻した。戻したということは、民間株主の持ち株を政府が買い戻すということである。本当は全部買い戻したいようだが、このところのベネズエラ原油価格の低落で、いまのところ三社以上は買い戻せないようだ」。

今回の金融危機もあるし、インフレもほかの国より高いし、苦労はしているようだ。「独裁者」といわれることもあるらしいが、現状では、まだまだそうでないとやっていけないこともあるのかも知れない。

中南米諸国はもともと、インカ帝国。スペインに侵略されて、その時からの大地主がたんといるらしい。相続税がないんだって。米国のインディアンと同じで、土地は耕す人のもの、みんなの共有財産という文化に付け込んで、私的財産にしちゃったということ。日本はねぇ、GHQが農地改革をやってくれたから・・・脳天気過ぎるけれど・・・良かったんだろうなぁ。中南米ではこれから農地改革をどうやっていくか、新自由主義のおかげでますます広がった格差社会をどう是正するか、アメリカとの距離を計りながら、やっていかねばならないから、大変だねぇ。でも、それぞれ工夫してやっているから偉いねぇ。日本も見習うようだね。

「アメリカは、そして世界は、いままでアクセルだけがあって、ブレーキのない車に乗せられていたようなものである。それにしても、世界経済を牽引してきたアメリカが、市場に対する監視の目の必要性という極めて当たり前のことを思い出すのがあまりにも遅すぎた。そして、そのことで世界中に大迷惑をかけていることに対するアメリカの謝罪がオハマ演説に欠けている」。アメリカはまだまだ世界に対してリーダーシップをとりたいらしい。でも、もう単独では無理だよ。中国をはじめとする大国だけでなく、中南米諸国も発言力を増してくるだろう。民主党が日本を独立国としてとらえるならば、日本も今までとは違ってアメリカにとって発言を無視できない国になるだろう。

「世界銀行、米州開発銀行に二八年勤務した小野節子は、その著書『女ひとり世界に翔ぶー内側からみた世界銀行28年』(講談社)の中で「(世銀の)職員たちは、東西冷戦という大きな戦争の中で、開発という戦略を使いながら戦っている兵士のような存在だったが、経済思想は左から右まで、いろいろな考えをもつ人たちが共存して働いていた」「ところが、レーガンからブッシュ(先代)の時代になると、冷戦構造の消滅とともに、これが急速に変化した。開発の思想は、アメリカの思想を反映した『ワシントン・コンセンサス』といわれる保守的なマクロ経済政策の促進と市場の発展を原動力にするものでなければならなくなった。この条件に賛同できない職員は、徐々にやめていくか、自分の考えを隠すようになった」(五五〜五六頁)とこの時代の世銀の内部事情を記述している。どうも国際金融機関の中に、ワシントン・コンセンサス派によるパージのようなものがあったようだ」。
  “世界銀行=米国資本家のためのもの”という図式も変わってもらいたいねぇ。

「ODAについては、従来の資源が無限にあることを前提とした開発経済学に基づく援助には限界が来ており、インフラ中心援助からペルーの経済学者エルナンド・デ・ソト理論を加味して、被援助国の潜在資本を生かしながら、援助が草の根に到達し、格差を縮めることに少しでも資するような方向に軌道修正するべきであること」。「食料問題もあるので農業援助に重点を移行すべきであろう。工業や鉱業に比較して農業と林業は持続可能性が最も高い。そして農業援助は土地制度の改革を離れては考えられない。先進国は途上国の農地改革を援助すべきである。たとえば、付帯的に起こる農業金融、識字化、営農指導などの援助である」。

「日米安保条約」については、「リオ条約」だって当てにならなかったんだから、もっと当てにならないってさ。条約の文章ではっきり理解できるのは「日本にアメリカの陸、海、空軍が基地をもつことができるということ」だけ。「中立国宣言」をして、「単独自衛権の自衛の軍隊はしっかりもつ」ことを提言している。私は「軍隊は要らない」派だよ。でも、先ずアメリカから距離を置くことが先決だね。ラテンアメリカともっと近くなりたいねぇ。





No.26

日本人のいちばん身近な国際問題

 エコロじいさん
09/9/21

「日本人のいちばん身近な国際問題」と題して友人のミニコミにエッセイを連載させてもらっています。今日はその4回目。りっちゃんにも登場して戴いたので、ご報告かたがた送信します。(「井戸端会議風伝言板」向きに、ミニコミの内容とは多少変えてあります。)

「日本人のいちばん身近な国際問題」(4)

●今年8月、三鷹で●

NGO 「フィリピン・元『慰安婦』支援ネット・三多摩」は、「ロラネット」の愛称で知られている。「ロラ」はタガログ語で「おばあさん」。年配の女性に親しみをこめて呼びかける言葉だそうだ。

今年8月1日〜3日、東京の三鷹で「ロラネット」は、中学生のためのお話と「慰安婦」展を開いた。夏休み中の子供たちを主な対象 として、戦争と戦後の歴史を伝えたいという主旨である。ところがこれに対し、「在特会」という極右団体が、準備段階から凄まじい妨害を行い、会期中には連日数十人が徒党を組んで押し寄せた。この動きを予測した会場の市民恊働センターは、あらかじめ警備会社を雇い、警察にも警護を要請した。警備会社のガードマンたちの働きで、右翼集団を門の中まで入れることはなかったが、展示を見に来た市民がもみくちゃにされてやっと入れるような状態だった。メガネを飛ばされ負傷した人もいた。近くまで来たけれど、この様子を見て、驚いて帰った人も多かった。

私は1日(土)朝から会場設営の手伝いに行き、午後4時まで現場にいた。外では妨害デモで騒然としている時、建物の中では対照的に、静かに、なごやかな雰囲気で、展示会が開かれ、WAMの渡辺美奈さんと、ロラネットの山田久仁子さんのお話を聴く会が、行われていた。120人くらいの参加者がいたと思う。会場の9割ほどだった。(注・WAM : 女たちの戦争と平和資料館。東京・早稲田。)

私は折々に、階段脇の窓から外の様子をのぞいたり、玄関の外まで出てみたりした。門の向こう側から「ざいとっかい」がつぎつぎに交代で演説し、ひっきりなしにシュプレヒコールを叫んでいる。言っていることは「従軍慰安婦などいなかった」「民間の売春業者だった」「中学生向けのポルノ展をやめろ」など、事実をことごとく無視して、たわごとばかりを言っているにすぎない。人を傷つけるのが目的の、言葉の暴力だ。

玄関の外で私といっしょに「ひどいねえ」と立ち話をしながら眺めていた女性2人は「おーい、そこの賞味期限切れのかぼちゃ!」と言われた。「あら、私たちのことじゃないの?」と一人が言って、三人であ〜っはっはと大笑いした。少しあとになって、敵の言うことに反応しないように、という会場警備係からの指示が出た。向こうは熱くなっているので、これ以上刺激しないように、何を言われても冷静に無視しなさい、ということらしい。たしかに笑いは敵を刺激するですよ。反省。でも、ロラネットの中には、黙って言われ放題ではストレスがたまってしかたない、敵をひるませるくらいの言葉を言い返した方が良い、という人も少なくなかった。

カボチャと言われたうちの一人、I・Rさんは(りっちゃんです)合唱団に入っているので、こんなときみんなで歌えたらいいのにねえ、と言い、この日から歌を選んだり、朝鮮歌謡「コヒャン・エ・ポム=故郷の春」のような、私たち日本人も朝鮮語で歌えそうな簡単な歌を、書き写したりしている。私は革命歌「インターナショナル」が好きなので、このさい広めて流行らせたら良いと思うなあ。「ワルシャワ労働歌」なんかも良いよねえ。でも、新しい時代を拓くには、これまでになかったような全く新しい歌が必要なのかもしれない。ともあれ、歌を歌うことで、気持ちをそろえ、力を生み出すことができたらすてきだね。

フランスに「ジョリモーム劇団」という大道芸集団があって、日本にもミニコミ的な映画で紹介されている。歌と寸劇で時代を鋭く批判し、街行く人々に訴える。彼らは、拠点となる小劇場をパリに持っているが、路上コンサートもやっていて、デモや政治集会でも人気者だそうだ。ロシア革命から今日の南北朝鮮の民衆まで視野に入れて表現する。いろいろなレパートリイの中で「インターナショナル」「ワルシャワ労働歌」などを、攻撃的とか勇ましいとか荘重な、とかいう雰囲気ではなく、陽気で軽やかに歌うので、こんな歌い方もあったのかあ〜 !と、私は感心して心地よく聴いた。内容は過激。表現はユーモアにみちて楽しい。のだ。(注・「歌は何のために/ジョリモーム路上コンサート」ビデオプレス製作。2005年)http://www.cie-joliemome.org/

●在日と日本人●

さて、ロラネットの展示会の初日、私は夕方から国分寺で在日の人たちとの会合があったため、最後までいることができず、気持ちを後に残しながら辞去した。数人の友人達とまとまって門を出ると、警官隊に守られる形勢で誘導されながら歩き始めた。そのとき、道路の反対側にいるザイトッカイの中年男から「人非人!」と言われた。私は傷つくことはなかったが、あんな調子で悪意をこめて何かを言われたら傷つく人が、私たちの社会には、いるだろうと考えた。発せられた言葉の意味だけでなく、そんな言葉を発するという悪意にみちた行為が、人を傷つける。同じ言葉、同じ行為でも、日本人が日本人に向かって言うのと、日本人が在日の人に向かって言うのとは、言葉の暴力としての意味も度合いも異なるだろうし。くだらないことを言っているからと聞き流しておくわけにはいかない気がするのだ。

私たちが出会うことのできる、在日の人たちは、在日であることを表明し、それぞれの生き方を確立している人たちがほとんどだ。しかし現実には多くの場合、「在日」は、私たち日本人の目には見えないかもしれない人たちである。在日であることを知られれば、偏見と差別に晒される。だから、日本名を名乗り、日本人にまぎれて暮らしている。あるいは帰化した人もたくさんいる。だから、在日という人たちは、日本人の目にはなかなか見えない状態で、それでも確かに存在する。そういう存在だ。そういうふうに生きることを強いられてきた人たちだ。そういう人たちと、そういう人たちの中にある「在日性」を、さらに追いつめ抹殺しようとするのが、在特会にほかならない。

北朝鮮への差別感。在日の人々への偏見と嫌悪感。そんなものが、日本中にあふれている。関東大震災時に6400人が殺された。民族の記憶に刻まれた、あの陰惨な事件を思い起こさない在日韓国・朝鮮人はいないだろう。今は刀剣や銃の所有が制限されていて、ほんとうに良かったと私は思う。

ザイトッカイの若者たちを観察した人たちの感想などを読んでいると、「あの若者達=加害者も、じつは社会矛盾の被害者である」といった論調がある。たしかに正論だと思うが、その論理では、日本人が自分たち日本人社会内部の矛盾を語っているにすぎない。日本人社会のあり方が原因で、(あらかじめ日本人社会から疎外されている)在日の人たちをますます傷つけ苦しめている。この基本関係を認識することが、まず必要だと思う。この点が、日本人にとって、自分も差別の加害者のひとりであることを自覚するかどうかの分かれ道ではないだろうか。

加害者をどう見るかということは、大事な視点ではあるけれど、そのことに入り込みすぎると、彼らの暴力を防ぎ、在日の人たちをどう守るかという課題(*)から、論点が少しずれていくような気がして、私はそれが不安なのだ。そこには善良な日本人の、「差別」ということにたいする問題意識の、典型的な落とし穴があって、多くの日本人が誘い込まれて行く迷路の入口が隠されているように思えてならない。ひとりの日本人である自分と、在日の人たちとの関係。私はそれをいつも考え、常にそこへ立ち戻り、そこから世界を見ていよう。つまりは、そこから自分を見ることでもあるのだが。(*「在日」を日本人が守る? ずいぶん思い上がった物言いだが、ここでは適切な言い方がうかばないので・・・。)

●時代の臭気●

ロラネットの展示会、2日目以降、私は会場へ行けなかったのだが、聞いたところでは、妨害は3日目の最後まで続いたそうだ。主催者たちは本当に消耗したことだろう。 展示会の数週間前に、会場となった三鷹市市民恊働センターは、右翼の妨害に押されて会場使用許可をいったん取り消した。しかしロラネットは、それに抗議すると同時に、そこからまた粘り強く、センターと協議を始めたそうだ。私はそのことに感動した。

最初の計画では6日間の予定だったが、3日間に縮小され、その上、会場として使うスペースを変更するなど、妥協する点は妥協しつつも、中止することなく実現した。ロラネットの人は言う。「わたしたちの大切なロラたちの名誉と尊厳にかけて、ここで負けるわけにはいかない」。じつを言うと私の中で、これまでは「名誉」とか「尊厳」とかいう言葉は、あまりに抽象的で、なんだかうさん臭い得体の知れない言葉だったのだが、このとき私の人生で初めて、これらの言葉が本来の意味にふさわしい状況で正しく使われ、くっきりと明確な意味を結んだように思われた。

ロラネットには、ザイトッカイがいくら押し寄せても、決して失われないものがある。あんなやつらの妨害で、会期が短縮したとか、市民が入場できなかった、とかいう外側の様子からは見えない、ロラネットの10年に及ぶ地道な活動の中身が、ちゃんとあるのだ。

でも同時に私は考える。ナチスドイツが台頭したときのドイツ社会は、今の日本に似ていたのではないか。ナチスは民衆の期待に応える形で、議会制度の手順を踏んで権力を握った。武力によるクーデタなどではなかったのだ。ザイトッカイは、旧来にはなかった新しいタイプの右翼で、今年に入って俄かに目立った活動を繰り広げている。埼玉県の蕨市で、福岡で、大阪の在日の人たちの街・生野で、そして今回の三鷹で、激しい個人攻撃や脅迫を伴う示威行動を行っている。背後には安倍晋三や中川一政らの力が関わっているという情報もある。それにまた、今は分散しているが、既成の右翼団体を、急速に結束させるきっかけになる危険性もはらんでいる。しかもそれは世界的な新右翼の動きとも連動している。他民族を徹底して差別し排除する思想も、ナチスと同じだ。日本社会がそういうものを生む時代に入ったということだろうか。

これにかんして、ある友人からメールが届いた。この人は、日本政府による北朝鮮「制裁」措置にたいして、その直接の機関である経済産業省へ抗議に行った、NGO「ハンクネット」のメンバーだ。

【友人のメールから】

おろかな奴らには違いないので、動揺せずこちらのやることをやればいいのですが、見過ごせないのは、彼らの出現で恐怖や不安を感じている在日が実際に大勢いるということです。在特会に負けない人でも辛い気持ちになるのです。「朝鮮人をたたき出せ〜!」などとシュプレヒコールするのを聞くと、私たちが連想するのは関東大震災です。

排外的な人々は今までもいましたし、チマチョゴリ切り裂き犯のようなひどい奴らは今に始まったわけではありません。ただ、在特会のような団体行動はこれまでなかった現象ではないかと思います。ああいう突飛な集団が堂々と出現する背景には、彼らを容認する雰囲気とか思想とかが、日本社会ぜんたいに強まっているからではないかと思うのです。

在特会に脅威を感じるとか、反在特会運動をしようとかではなく、社会にじわじわと蔓延している排外主義に敏感に対処していくことが大事だと思っているところです。

日本政府はまた新たに北朝鮮への制裁を強化しました。その中で、在日朝鮮人の私的な小包が郵便局から突き返され、共和国にいる親戚に日用品も送れなくなっています。「北朝鮮には何をしてもいいんだ、在日がどうなろうと人権なんか関係ない」と言うかのように、いわゆる左翼でさえ問題にしたがらない日本の状況です。このような状況では誰よりも日本人が率先して抗議することが必要だと思います。今回私たちが経済産業省に行ったのはそういうことです。

今日まで残念ながら三鷹へは行けず、知り合いに呼び掛けるほか全然お役に立てませんでした。しかし、機動力に欠ける私ですが、微々たる力でも何かはしていきたいと考えています。

●去年9月、ケルンで●

2008年9月、ドイツ で、ネオナチが計画した国際会議を、市民達が実力で粉砕する、という出来事があった。弁護士・内田雅敏氏 のサイトから、事件の概要をメモさせて戴いた。http://www.news-pj.net/npj/uchida-masatoshi/20090225.html

「ケルンの右翼団体が、オーストリア、イタリア、フランスなどの右翼によびかけ、「反イスラム化国際会議」を1500人規模で計画。これに対して、反対勢力の政党、労組、左翼団体は、対抗デモを組織し、4万人が会場周辺に集まり、会場入口を封鎖。空港からの鉄道線路上にも人々が入り込んで封鎖し、ヨーロッパ各地からの参加者を空港に足止め。バスやタクシーも関係者の乗車を拒否し、市電も止まった。各ホテルは宿泊を断り、レストランは予約を拒否。居酒屋では右翼にビールを売らず、右翼は船でライン川を逃げ回ったが殴られる。法律論から言えば、右翼の動きは合法的だ。それを阻止する市民側がむしろ違法性を問われるような行動をしている。空港に閉じ込められた参加者を、警察が保護して会場へ送り届けようとすれば、途中で道路に座り込でいる1万5千人の市民を排除しなければならない。市民の安全を優先するとして、警察は集会の中止を命令。ケルン市長は「民主主義の勝利だ」と宣言した。

ドイツの隣国オーストリアでは極右勢力が議会の3割を占めた。30歳以下の世代の支持率は極右がトップだ。ヨーロッパでは法律を超えてでも右翼の動きを止めなければという危機感が生まれている。ナチスドイツは合法的に権力を握った。合法であることが正義の証明ではないという歴史の教訓が生きているのだろうか。」

WAM「女たちの戦争と平和資料館」は早稲田にあり、展示室を常時公開しています。
  http://www.wam-peace.org/jp/index.php





No.25

上関現地から

 京子
09/9/15

友人からのメールをBCCにて転送します。
  注)祝島(いわいしま)は、瀬戸内海有数の漁場とされる周防灘と、伊予灘の境界に位置する山口県熊毛郡上関町の島である。瀬戸内海の海上交通の要衝に位置し、万葉集にも登場、古代から栄えた歴史を持つが、高度経済成長期から人口が流出。現在は漁業と有機農業で生計を立てる過疎地域。対岸・上関町四代田ノ浦に建設が予定されている上関原子力発電所(上関原発)に反対する島民が、人口の9割以上におよぶといわれる。(ウィキペディア)

9月10日より12日まで3日間カヤックで阻止行動に参加してきました。
  きのうは中電側も休みを取ったので、祝島のお父さん、お母さんたちも島で休まれたかと思います。
  「ぼくらカヤック隊も現地の原くんところで休みを兼ねてこれからの話をしましたが、さすがに疲れが出ました。
  海にいるときは気合いも入り、力も湧いてくるのですが、 初日のかんかん照りと、3日目の雨が応えているのだと思います。
  そんなぼくらみたいなまだまだ若造?も疲れがあるのだから祝島のお父さんやお母さんたち(ほとんどが60後半から70代のように思います)はさぞかしお疲れも出てることだ、と思います。
  さすがに漁や日々の暮らしでの鍛え方や、27年間の反対運動での修羅場で養われた精神力はぼくらとは比べ物にはならないでしょうが、それでもやはり心配です。
  50代でも島では若い人と呼ばれていますが、この人たちがお母さんたち女衆を船に乗せて中電の警戒船に向かって獅子奮迅の活躍をします。
  お母さんたちは陸上でも、そして海上でも拡声器を手にあらん限り中電社員に訴え続けます。

「わたしら漁師は海を売った憶えはない!海を壊したらわたしらは生きていけないんです!」
  「原発がそんなにいいもんなら、どうぞあんたのところの本社がある広島に持って帰りなさい!そして広島の人に聞いてみなさい!」
  「そんなにいいもんなら、どうしてお金を出すんですか?本当にいいものならお金はもらわんでも建てさせてあげます。あんたらは嘘ばっかりじゃないですか!恥をしりなさい!」
  「27年間のわたしらの苦しみはあんたらにはわからんでしょう!わたしらはそんな悪いものはいりません!持って帰ってください!」
  「あなたたちは上関住民です、言うたけど、海を壊して原発を建てるために一時的に住んでるだけでしょう!そんなあなたたちが安全だとか、海は汚れませんとか、魚は減りません、とか言っても移動や定年になったらどこか他に行くんでしょう? わたしらは死ぬまでここで暮らすんです。この海があるから暮らしていけるんです。だからなにも要りませんと、ここで暮らすわたしらが言うんです。」
  ・・・・書き出したらキリがないですが、お母さんたちの言葉は聞きながら何度も涙があふれました。

中電の副所長や社員の言葉は、パンフレットやコマーシャルで言うような子どもだましの原発の宣伝文句を並べ立て、原発の雇用で他所に行った子どもたちが帰って来るとか、27年間何も知らされず、無知や偏った知識しか祝島の人がないかのような、そんな見下した言い方にしか聞こえない内容を並び立て、そして工事の開始協力を懇切丁寧にお願いする。
  そんな形式を1時間おきに繰り返す。
  それはさも仕事としてマニュアル的にやっているとしか見えません。
  あたかも中電のチャーター船に乗り込んだ、とても中立公正に報道するようには見えない多くのマスコミのカメラを意識するかのように。
  それはカヤックで近くで見ていても恥ずかしさを通り越して腹立たしいまでに、そのパフォーマンスを現場にいる祝島の人たちではなく、テレビのニュースで見ている人に向けて、そんな何も知らない人やいままでもテレビでしか見ていない人の目に、”丁寧にお願いを繰り返す中電と、それを過激に阻止する反対派”、と映って欲しいのだろう、と見え見えでした。
  もちろんそんな言葉はこころに何も響きません。
  でも最初は祝島の人たちが言わない限りはだまって無視しようと思った自分のこころはかき乱しました(笑)。

「まだ原発建設許可はおろか申請すらしていないのに、何故埋め立てを急ぐのか!」
  「温暖化に貢献する原発なら、放射能のリスクはどうなのか!」
  「その出される温排水は温暖化と環境汚染を加速するではないか!」
  「あなたたち社員は原子炉内部の仕事に従事するのか!作業させるのは皆下請け労働者じゃないか!そこで彼らは被曝しているではないか!被曝の上にしか成り立たないのが原発ではないか!」
  「もうすぐ東海村JCOでの臨界被曝事故で下請け作業員が死んで、そして近隣の住民たちが被曝してから10年が来るけれど、わたしはその近くで住んでいて、子どもを被曝させてしまったのではないか、と泣きながら話すお母さんに直接会ったことがあります。この臨界事故について、同じ原子力政策を推進する立場の責任ある者として、これについてどう思うか!臨界被曝、JCO事故についてしっかり答えろ!」

・・・時に、力の限り中電の船の目の前で、御用マスコミの前で大きく叫びましたが、彼らは、このような質問には何も言いません。それは無視してる、と言うより何も応えられない、言葉が出ない、という感じです。
  自分で言うのもなんですが、ほんとうにこころの底から出る言葉は力がある、と感じました。

また、さも自分たち中電はあなたたちのことは判ってるんだ、と言わんばかりに、行動に参加する祝島の漁師のお父さんたち一人一人の名前をあげ、説得するふりをして明らかに圧力をかけていたと思うのですが、舫をとった船の上、初日、2日目と何も言わず黙って悠然と構えていた親父さんたちが、さすがに3日目のお昼過ぎ、同じような言い方で漁船団近くで言い始めた中電の社員たちを前に立ち上がり、
  「あんたたちの中にも帰りたい人もいるじゃろう?だと?そんな気持ちでここに来とる人間は一人もおらん!そんな気持ちなら最初から来とらん!わしらの27年間をどう思ちょるんか!どういうつもりで言うちょるんか!わしらをバカにしちょるんか!黙って聞いておれば勝手なことばかり言いおって!  ここへ来て謝れ!」
  と、マイクも拡声器のない船の上からあらんかぎりの大声で一喝したこともありました。
  もちろん彼らは何も言い返す事もできません。
  原稿を読むかのように同じような言葉を繰り返したり、泣き落とし的な言葉を並べたり、丁寧な言葉で応対しているつもりでしょうが、本当に自分自身の心から出された祝島の人たちの言葉とはくらべものにならないロボットのような言葉には力も何もありません。
  その上、ところどころに人を見下すかのような横柄な姿勢が垣間出るのを祝島の人たちはしっかり、じっと見ています。
  そこかしこに、祝島の漁師さんやお母さんたちから人間としての誇りや尊厳、それらを歴然と感じさせてもらい、同じ海の上に居させてもらう事をとてもありがたく思いました。

陸上からの祝島のお母さんたちの言葉や各地から駆けつけた人たちからのエールや言葉は海にいて心強かったです。
  「祝島のお父さん、がんばれー!」
  「祝島のお母さん、がんばれー!」
  などの声援は、お父さんたち、お母さんたちの励みだけではなく、ぼくらの心にも大きな勇気を与えてくれました。
  そして、その声は中電の社員たちにはじわじわと効いていたはずです。
  現地の状況は、その一見中立に見える報道を見ても、あくまで祝島の反対と中電の対立、という図式にしたいのでしょう。
  他の地元の反対する人や、駆けつけたぼくらカヤッカー含め県外からも反対の声をあげ、埋め立て、建設阻止をしよう、という想いやその現実を見せたくないのは明らかです。
  それは逆に考えると、いま祝島、上関町以外の山口県や県外から反対の声が広く大きくなるのを嫌がっている、そうなればやりにくい、と思ってる事の裏返しだということです。
  だから、なんとしてでもいま、なにがなんでもやってしまいたい、とかなり焦っているのだと思います。

ちょうど、選挙前の自民党のように、いま無党派が大きく動き出されればマズい。その前に、いろんな重要法案を通そうとした、そんな空気に似ています。
  なので、もちろん現地に行って海上行動はもちろん、陸上行動に参加出来る人は、すごくありがたいですし、出来るだけたくさん行っていただきたいと思うのですが、でも行けなくてもこの、いまここで起っていることを一人でも多くの人に伝えて、そして直接、山口県庁や、中電や、議員たち、そして現地に声を届ける。
  これは今すごく!力になると思います!

それぞれの心から湧き出る想いをストレートにメールやFAXやもちろん電話でも直接届ける事は、きっと大きな大きな力になると信じます。   なので、みなさんぜひ、どうぞよろしくお願いします!
  中国電力 TEL 082-241-0211 FAX 082-523-6185 
ご意見・お問合せ(原子力情報)
  山口県土木建築部港湾課 TEL083-933-3810(管理班、港政班) FAX083-933-3829 E-mail

*今日も中止になってうれしいです!冨田たかくんのブログでの報告ありがたいです。初カヤックおつかれさま! ありがとう!
  http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/

明日も良き日でありますように!!





No.24

生き地獄天国

 りっちゃん
09/9/15

雨宮処凛さんの自伝。いやぁ、凄まじい生き方です。彼女もいじめられっ子だったそうですが、わたしの息子とは、対処の仕方がだいぶちがう。頑張る。「私は焦る。みんなが私を馬鹿にして笑う声が聞こえる。こんなことで、成績まで落とすわけにはいかない。クラスで最低でも三番以内に入っていないと、両親にも冷たくされてしまう。これ以上誰かに嫌われたら、私はもう生きていけない。そう思うと、急に息が苦しくなった」。そして、パワフルで積極的。まぁね。結局弱いものいじめだけど・・・「小学校も高学年になると、掃除の班が一緒だった、気の弱そうな下の学年の子を放課後理科室に呼び出して、殴ったり、理科室にあるいろんな薬品を食べさせたりした。頭から白い粉をかけたら、次の日その子の頭頂部が禿ていたことがあった。その子の禿げ上がった頭を見ても、自分が特別ひどいことをしてるとは思わなかった。だって、私がいつもやられていることだから」。

うちの場合、どこかのん気だったよなぁ。授業参観に行ったら、忘れ物の表が壁に。なんとわが子がダントツ一位。その度胸の良さに感心しちゃったりして・・・。しかし、処凛さんにやられた子、被害が禿だけで、良かったねぇ。薬品によっては、命にかかわるし、そんなことになったら、処凛さんだって、もっと大変なことに。

その後も、バンドの追っかけ。厚化粧、不登校、家出。家庭内暴力、ファック隊。「自分がセックスの対象でしかないことは、充分わかっていた。でもそんな風にしてでもミュージシャンが私なんかを必要としてくれることが、たまらなく幸せだった」。がむしゃらに前へ前へという生き方。もちろん、また孤独や虚しさにさいなまれる。リストカット、ハッシシ、ヘンな錠剤、シンナーまでいって、お母さんがカウンセラーを受け、マニュアル「家を、子供の居心地のいい空間にすること」どおりになって、少し落ち着く。人形作りを目標に美大を受験、浪人生活。

「東京に来て、無意味に時間ばかりが過ぎていくことに、私はたまらなく焦っている。私は何も掴んでいない。まだ私は何もしていない。
  物音ひとつしない、高円寺の小さな部屋で私は頭を抱える。
  誰かとつながりたい。誰かの声が聞きたい。この静けさにも、ひとりぽっちの夜にももう堪えられない。私だけ、世界から取り残されてるみたいだ。
  気がつくと、またリストカットの日々に戻っていた。」
  「幸せそうな奴、笑っている奴、みんなまとめて殺してしまいたい。この世界全部、燃やしてしまいたい。そうしたら、少しはスッキリするかもしれないのに。
  そしてその憎しみは、いつも自分に向かった。」

服毒自殺、胃洗浄、人形作り。
  「黒髪の、ちっとも幸せそうじゃない女の子。
  私はこの子に、“ふぶき”と名をつけた。」
  「私はそんなふぶきが自分自身のようで、愛しくてたまらなかった。自分のことは大嫌いだけど、なぜかふぶきのことは大好きでしょうがない。」
  人形の展示会のDMを「マリスミゼル」に送り、その縁でライブに参加。
  「今、客席にいる女の子たちも、前の私と同じ気持ちなのだろうか?前の私と同じように、何かを紛らわすためにメンバーの名前を叫んでいるのだろうか?
  そう思うと、彼女たちを抱きしめたいような気持ちになった。
  ターンした瞬間、メンバーの一人と目があった。
  私は嬉しくて楽しくて、思わず笑ってしまった。
  あんなに自然に笑ったのは、生まれて初めてかもしれない。」

「ただ、私がイヤなのは、貧乏よりも何よりも、何も変わらないこの状況だ。毎日毎日、自分にジリジリする。人形を作ることもできない。バンドを組んでもメンバーに逃げられる。普通の労働力としても使いものにならない。だれが何のためにここまでわたしを苦しめるのか、考えてみても答えは出なかった。そのうえ悔しいことに、気に入ったアルバイトを見つけて続けていても、そんな時に限ってアトピーはひどくなり、自分から辞めざるを得なくなる。
  私は自分の運命を呪った。そして社会を呪った。呪い尽くしても全然足りなかった。
  そんな時、大事件が起こった。オウム真理教による地下鉄サリン事件だ。
  1995年3月、私が二十歳の頃だった。
  全身が震えた。わたしが待っていたことって、こういうことだったんだ!
  私は、朝から晩までテレビに齧りついて、オウム報道を見続けた。心臓がドキドキして、お祭騒ぎみたいなオウム騒動に参加できない自分を嘆いた。
  私を必要としてくれないこんな世界、今すぐ消えてなくなればいいのに。私はいつも心の中でそう叫んでいた。オウム信者が私の代わりにサリンを撒いてくれた気がした。」

全生園でも、「必要とされる存在」という言葉が目に付いた。私自身も、「迷惑な存在」と「排除」の対象になったことがひどくつらかったし、自分を見失いそうな気がした、それでHPをやりだしたんだ。「自分だけは自分を愛してあげよう」。それで、ちょっと我儘に生きている。そして、お声がかかれば、体調と相談の上だけど、喜んでお手伝いに出かけている。ほんの少しでもお役に立てば、とても嬉しい。

処凛さんにとって人生は、「生き地獄」だった。がむしゃらにあがいた分、ひどく遠回りもし、つらい状況でもあったけれど、その分、たくさんの人とめぐり合い、学び、どんどん変化していった。ここまでの心理とか状況とかは、たくさんの若い人たちが経験していることだと思う。在特会の若いメンバーもそうなのかも知れない。「朝鮮人!」とか「売春婦!」とか人様を侮蔑しないと、自分がやっていけない状況。はぁ、どうしてこんな生き方しかできない日本になってしまったのだろう。私たち大人に責任があるのだと思う。決して、こんなヘンテコな社会にしたいと願っていたわけではないのだが、経済優先のつけですかねぇ。わたしが若者の時、70年安保の時、大人の出来上がった社会に、あきらめたのが良くなかったと反省はしているが・・・

イベント“ジャンル撲滅キャンペーン″、打ち上げの席の隣の「ボーっとしたオジサン」(鈴木邦男氏)をはじめ、得体の知れない知り合いがたくさんできた。おんなじように感じている人がいるって知ってからは、ますます行動的に。「とにかくこの世の中、なんか変えようよ!」。右翼、通称「突撃隊」に入隊。北朝鮮、イラクにも行き、映画にも主演。そして
 「 私はもう、一人で生きていけるだろう。
  天皇陛下に幻を押しつけなくても、ちゃんと生きていけるだろう。
  別に本当の自由なんて、怖くない気がする。」

今の処凛さんは、雨宮処凛公式ホームページを見てください。プレカリアート(不安定なプロレタリアートという意味の言葉で、フリーターや派遣、ニートなどなど、「不安定さを強いられる人」という定義)運動の第一人者。
  「生きることと運動することと書くことが、幸福なことに連動している。だって、今度の敵は相当デカいのだ。それはグローバリズムでありネオリベラリズムであり、そして突き詰めると資本主義なのだから。
  ハッ、なんか、「病気がさらに悪化している」と思われそうだが、とりあえず、私は元気だ。
  これからもたくさんの同志と出会い、そしてたくさんの別れを経験するだろう。
  だけど、私はやっぱりいつでも世界の当事者でいたい。世界と繋がって、こんな無力な自分でも、世界をほんの少しだけ変えられると、錯覚でもいいから思っていたい。
  って、ホント、変わってねーな……。」
  人生、しっかり楽しんでいるようです。よかったねぇ。若いみなさん、ぜひ、彼女のがむしゃらさを見習って、先ずは動いてみてはいかが? 私?私は「賞味期限切れのかぼちゃ」だもの。ぼちぼちとね。





No.23

全生園から学ぶ

 りっちゃん
09/9/13

8日、友人に誘われて初めて全生園に行って来ました。広いとは聞いていましたが、今のようにゆっくりとしか歩けない者にとっては、本当に広い。一つの村のようなものかも。公会堂に歌を聞きに行ったのですが、盛況で、患者さんがもちろん優先で、看護婦さんたちも、「患者さんの様子が見えないので心配」という位、そのまた後ろでは舞台がさっぱり見えない。それで、中抜けして資料館へ。高松宮記念館と書いてあったかな。全生園の中で一番立派で最新の建物。途中で見かけた郵便局や集会場、住宅などはずいぶんと古そうだったが。「ゴミはお持ち帰りください」との表示も目に付いた。ウーム観光名所のようだ。

ハンセン病は「らい菌」に感染することで起こる病気で、手足などの末梢神経が麻痺したり、失明したり、体の一部が変形したりして、見た目ですぐわかるからか、昔から、偏見や差別の対象となっていました。たしか、キリストが直した患者さんも、らい病が多かったのではないかしら?足の裏の感覚がなくなるので、傷を負っても気が付かなくて、欠損してしまったりということもあったそうです。私も気をつけなくっちゃ。足が痛い原因のひとつに、気が付かなかった足の裏の傷を庇っていたっていうのもあったみたい。今日見かけた患者さんも車いすの方が多かったなぁ。

明治後期から、患者を強制的に療養所に収容する隔離政策が行われていたようです。家族が隠していても、近所の人の通報とかで、無理やり連れて行かれたり・・・ひどいものです。1909年に開設された全生病院でも堀や土塁が作られています。それでも、自由を望んで逃亡する人がいたようで、穴倉のような独房が資料館にありました。結婚しても断種手術を受けさせられたり、人権とは程遠い施設でした。人件費の節約のためでしょうか、開墾や、不自由な患者さんの世話、看護、治療行為、洗濯などもすべて自分達でやらなければならなかったようです。そのため、かえって、症状が悪くなるという状況でした。うーむ、ただね、強制は絶対に良くないけれど、お互いがお互いを助けるとか、痛みを庇いすぎないで、動くのもリハビリになるというか・・・薬が効いても来たのだろうけれど、痛む足でも歩くと後が調子いいんだよね、私の場合。府中平和祭でもこけたから、ゆっくりと歩いて、決して無理はしていないけれど・・・。

本人の意思なんてまるで無視、社会から隔絶された施設で、「必要とされる」ことを切望する日々。それでも、人間って素晴らしいなぁと思うのは、独房入りを覚悟の逃亡もですが、「村芝居」や「盆踊り」などを楽しんでいたということ。「村芝居」なんて総合芸術だから、相当な練習と技術が必要だと思うけれど、近在の人が見に来るくらい、なかなかお上手だったようです。経済的に豊かなはずの今の日本では、「お神楽」や「村芝居」や地域のお祭も、廃れつつあります。こういう伝統行事は、一旦切れてしまうと復活はなかなか難しい。あきる野の二ノ宮神社での「村芝居」なんて、ごくごく例外なのではないでしょうか。文化が豊かとはとても言えないですよねぇ。今の若い人たちの遊びは、どんどん貧しくなっているのではないかと心配です。もっと遊んでほしい。一億総批判家とも言える時代だけれど、交渉時に「NO」と言うことも下手になっているのでは、という気がします。「おれおれ」詐欺が多いのもそのせいじゃぁない?

ハンセン病は、もともと、感染症とは言っても、うつりにくい病気なのだそうです。1943年に治療薬ができ、46年から日本でも試用され、49年からは広く使用され、治る病気となりました。それなのに、「らい予防法」が廃止されたのは、1996年になってからです。おかしいですねぇ。1998年に入所者らによって熊本地裁に国のハンセン病政策の転換が遅れたことなどの責任を問う「らい予防法意見国家賠償請求訴訟」が提訴され、2001年原告勝訴の判決が下されています。自ら動く、偏見差別に負けないこの生命力は、文化の豊かさからも来ているのではないでしょうか。音楽、文学、絵画、手芸、陶芸などなど。皆さんの笑顔がとっても素敵に輝いていました。自治会主催の金容子さんのコンサートも、皆さんとても楽しまれていたようです。ご近所の方もたくさんいらしていて、いつも桜の時期にはお花見に来ているとか、そんな交流もステキですねぇ。





No.22

徒然草in USA

 りっちゃん
09/9/4

著者は島田雅彦氏。オバマさんと同じ年の文学者。「アングロサクソンが世界を牛耳るようになって、ちょうど四〇〇年。歴史を振り返ると、帝国の寿命は約四〇〇年である。漢も四〇〇年で末期症状を迎え、三国志の時代になった。私は経済学者でも政治学者でもなく、歴史を多少かじった文学者に過ぎないが、アメリカ帝国の落日を内部から見つめる機会を得たので、ここに徒然なるままに私が考えたことを綴った」そうだ。大きな視点が、私にはわかりやすいや。

「〇九年三月までの九カ月、ニューヨークに暮らしてみて、道路や地下鉄などのインフラが老朽化している現実にはびっくりした。地下鉄の老朽化は著しいし、いつも工事中で、ローカル(鈍行)列車が突然急行に変わってしまうのは日常茶飯。大雨が降るとすぐ水びたしになり、鼠がウロチョロしている状態だ。マンハッタンに架かっている橋はどれもボロボロで、錆びていたり、ボルトが緩んでいたりする。地震が起こる可能性はないからいいものの、強度は相当低いレベルだ。車道も歩道もデコボコだらけだ。アメリカのインフラ整備は失業対策のための大規模公共事業を立ち上げる必要がある危機の時期にこそ行われるべきだろう」
  ウーン、アメリカってなるほどひどい状態なんだなぁ、というのがわかる。無責任にドル紙幣をじゃんすか印刷して、体面を保っていても、実態はこれほどまでも貧しいのだ。

アメリカの凋落の原因はもちろんブッシュにある。「結局、アメリカは自らに敵対するイスラム勢力をスパルタ式に育て、鍛えたことになるのではないか。9・11以後のテロリストとの戦争を八年間継続した結果、当初アメリカが意図したこととは裏腹に、全世界の反米勢力を勢いづかせて、植民地と変わらない状態に置かれていた中東あるいは中南米の国々の政治的な自立を促し、その地域の指導者を活気づけてしまったではないか」。
  「アメリカは、二〇年前にソビエト連邦が辿った轍をほとんど忠実になぞっているように思えてならない。アフガニスタン侵攻と占領によって、ソ連は疲弊し、結局は撤退し、その直後に連邦が崩壊し、経済危機に陥った。それを再国有化などの断行によって克服し、原油高にも乗じて、経済大国として復活した。もし、アメリカが二〇年遅れてソ連の命運を辿るなら・・・合衆国が崩壊する可能性もないわけではない」し、「貧者たちの不満が爆発し、アメリカの各州で「ロス暴動」クラスの暴動が連鎖的に多発すれば、これははっきり、内戦と呼んでいいだろう。いまのアメリカならば、いつ起こっても不思議ではない」。オバマさんがどこまでできるか、これからの問題でもあるけれど、「アメリカの階級制度の縛りは、日本では想像できない。貧富の格差は途轍もなく大きい。よく言われることだが、日本は社会主義的平等が達成された国である。アメリカは成功の夢をつぶす国である」現実をどこまで是正できるか。

「モンゴロイド先住民の殺害と建国、独立は分かちがたく結びついており、その記憶を消し去ることはできない。アメリカの歴史を振り返れば、自分たちが犯した罪と向き合うほかない。加害者である自分たちはいつか復讐されるのではないかという恐怖が無意識に植え付けられ、強迫観念になっているという印象すらある。アメリカ史とは、その恐怖を克服するために同じことを繰り返す「反復強迫」の歴史なのだ」。この姿勢を変えない限り、「帝国の賞味期限を迎えてしまった米英は、影響力をより縮小していくしかない」。なるほど。

そんなアメリカにいつもでも追従してどうするんじゃい。「今後の日本の方針として真剣に考えるべきなのは、東アジアにおいてどのポジションにつくか、ということだ」。「対中政策や東アジアの安全保障においても、北朝鮮の拉致問題についても、とりあえずアメリカに仲介を頼むしかない。相変わらず被占領国の政治姿勢である。思いやり予算のような使途も明確でない金を米軍に払い続けることで中国を封じ込めることができるという考えはもう通用しない」、「アメリカの同盟国として、日本は一見他人事として見ているだけのようだが、日本円はアメリカの政策と戦争を支えてきた。自分が払っている税金の何%がアメリカの戦争に使われ、私企業を救うのに使われているのか、計算すれば黙ってはいられない」。
  「対米従属は時代遅れである」。

「対等な日米関係を築くためには、オハマのReunited(再統合)に対する、Reindependence(再独立)を目指さなければならないのだが、それを主導する政治家が不在である。中国とのいっそうの連携を目指し、在日米軍の縮小を主張する民主党の小沢一郎だけが、ひょっとすると、今後のアメリカの世界戦略に適った政策を打ち出しているのかもしれない。
  外務省がずっと同じ方針を守り抜いている結果として、日本の政治家も同じく対米従属という状態に甘んじてきた。日米安保によって確保される政治・経済的な同盟関係の下では、何も考えないで済む。日本の政治的な無風状態も日米安保によってもたらされた。別に自ら政治的、外交的安全保障上のビジョンを立ち上げなくても、すべてアメリカ政府の決定に従っていればいいという思考停止状態に陥っているのだ」。そして、その影響が私たちの暮らしにまで・・・
  「アメリカには何も文句をいえないので、その反動が中国や韓国に及ぶというような昨今の日本のナショナリズムも日米安保体制の産物ではないか。政治的無関心や危機管理能力の低さなどもそうだ。どうせアメリカの方針に従わなければならない、とか、いざという時にはアメリカに守ってもらうしかない、といった諦念は明らかに戦後の日米関係に起因するものだ」し、「相変わらず日本では自殺が多い。今後はますます増えるに違いない。若者を覆う無気力、死にたいのか生きたいのかよくわからない欝状態。これは、学生運動が盛んだった時代とは根本的に違う。これも、対米従属という国家方針と関係しているだろう」。雨宮処凛の「腐った平和」が、彼女に「リストカット」をさせていたとも言える。在特会だって、「日本の独立」を望むのなら、弱いものいじめよりも先に、米国からの自主独立を訴えるべきだろう。

日本の歴史の転換期。
  「アメリカ方式が破綻し、次はどうしたらいいか迷っている時、日本は面白くなる。アメリカの影響から脱し、日本人がもう一度自立するために必要なことを考えた時、独自なものが生まれる気がする」。
  「やはり、独自の技術を駆使した製造業が衰退すると、その国が空洞化していく感じがする。製造をやめたら消費するしかない。その道をアメリカが歩んできて、最終的な局面では、兵器を作り続け、戦争をし続けるしかないという状態に陥った。産業自体の多様性が失われて、基幹産業である産軍複合体だけを回転させた結果が今の状態だとするならば、もっと健全な平和的産業、たとえば環境悪化を食いとめるための技術を磨き上げるしかないのではないか。浄水や空気清浄の技術などは中国やインドで必要不可欠になってくる」
  「日本文化の良さは、容易にアメリカ化しない、容易に標準化しないというところにある」。
  「日本では弱肉強食の原理に反することがまかり通るのだ。弱者こそが生き残る、奇妙なものこそが生き残るという風変わりな原則が通用する。本来ならば淘汰されるべきものが保存されてしまうのが日本なのだ。かつて、岡倉天心が唱えたのは「博物館としての日本」という概念だった。
  仏教や儒教がそれを生みだしたインドや中国で廃れてしまっても、その痕跡は日本で見出すことができる。ゆえに日本とは失われた文化伝統を保存する博物館のような国である。
  その概念はむろん、平和によって担保されることはいうまでもない」。

「絶対多数の幸福を目指すならば、この国の中に資本原理の彼岸を作り出していくほかない」。はっきりしていていいですねぇ。つまりは、
  「・・・ここ一〇〇年で、日本から失われてしまった言語、文化、伝統の多さには、愕然とする。
  今後は、明治以来の近代化、西洋化によって失われた文化的多様性の復活が最大の目標になる。その営みは、自然界で絶滅危倶種を保護するとか、動植物の多様性を確保する里山や雑木林を復活させる動きと対応する。また、政治経済のシステムにおいても多様性を確保することこそが国家存続の安全弁になる。またそうすることによって、日本は再生する」。

輸出産業は大変かもしれないけれど、「日本円に対する信頼度が高いということは、将来的に世界通貨としての潜在価値を秘めているといってもいい。これまでは世界経済の決済をドルで行ってきたが、ユーロが強くなったり、人民元が影響力を持ったり、多くの通貨がドルと連動して下がる中、円が高値を維持したりしているのを見ても、世界基軸通貨は今後、多様化していく方向に進むのは確実と思われる」。
  これって、米国がひどく嫌がっていたこと。フセインもドルでの決済をやめようとしたから、イラク戦争を仕掛けられたという説がある位。でも、もうドルは通用しなくなるのでは・・・。「米国追随は時代遅れ」。さて日本の新政府はどう動くのか。注目です。





No.21

横綱町公園(被服廠跡)

 りっちゃん
09/9/3

痛い足を引きずって、1日は横綱町公園に行ってきました。駅を降りた途端、出店がズラッ。お祭みたい。震災記念日でたくさんの人がお参りに訪れているのでした。

公園内、慰霊堂の脇に朝鮮人犠牲者の碑があります。その前で行われた朝鮮人犠牲者追悼式に参加してきたのです。「月下の侵略者」文禄・慶長の役と「耳塚」という映画をみんなで見に行った時に、チラシをいただいたので。それとね、私の祖父母は、あの近辺に住んでいたのです。震災の時には、被服廠ではなく、上野の森に逃げたので、親戚全員たすかったのですが、田舎が心配してよこした人が、行方不明。母によると、なまりがあったから、間違えられて自警団に殺されたのだろうと・・・なので、その人の分もお参りして来ました。

あの時何が起きたかー関東大震災に乗じた虐殺ー
  1923年9月1日の関東大震災では、その直後から「朝鮮人が井戸に毒を流した」、「朝鮮人が攻めてくる」などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、「不逞」な朝鮮人に対し「取締」や「方策」を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国K人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。

震災86周年の課題ー真相の究明と謝罪を求めてー
  自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行われたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行い、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。

チラシの裏面からの転載です。ひどいものです。戦争状態というのは、こういうことも起こすのですね。公園内の復興記念館には、自衛団が住民を守るために、警護に当たったという説明付きで大きな絵が飾ってあります。あらら・・・です。

なんでもうやむやに済ませちゃっているから、「慰安婦問題」など無かったって言う人が出てくるのよ。ま、今度の選挙で、うちの選挙区では、そんな破廉恥議員が落ちたので、よかったぁ、なのですが・・・

東京大空襲の名簿も見てきました。3月10日だけで10万人とか係りの人が言っていたけれど、名簿は、親戚とかが残っていて、その人の申請で書かれるので、一家族、全員亡くなった場合は、申請もできない。また、そういう事例が多かったのではと思う。今は約七万九千人の方の名前が載っているそうです。名簿の前でお経を上げていた品のいいおばあちゃんとお話をしました。お一人だけ残されてしまったとかで、涙を流されていました。

うちはおじいちゃん以外は疎開していたから、全員無事。ただ、震災後に越した池袋の家も4月13日の空襲で焼けたし、新宿の病院も焼けた。ウーン、散々だったねぇ。おじいちゃんも。2回も焼け出されたのだから・・・

平和、大事にせんとねぇ。

いまも「北朝鮮」への恐怖をあおっている人たちがいる。私の知っている在日朝鮮人の人たちはみんな真摯で明るくて、いい人ばかり。いろんな差別がまだまかり通っている。日本って、恥ずかしい国だなぁとつくづく思う。雨宮処凛の本に「腐った平和」という言葉があった。平和ってやっぱり努力してつくっていくものだと思う。碑文には、「この歴史 永遠に忘れずに 在日朝鮮人と固く 手を握り 日朝親善 アジア平和を うちたてん 藤森成吉」とあった。藤森さんとは、戯曲『何が彼女をさうさせたか』を書いた人だそうだ。忘れずにいるというのも結構大変。「被服廠」という言葉さえ、なかなかネットに出てこなかった。横綱公園は観光地になってしまったようだ。お祭みたいという最初の印象がなんだかちょっと心配。





No.20

海賊対処法

 金太
09/9/1

ソマリア沖で自衛隊は何をしているか。東京新聞編集委員の半田滋さんから、7月27日の九条の会東京連絡会の集まりでお話を伺いました。半田さんは長年防衛省担当をしてきました。

海賊とは犯罪行為なので、海の警察である海上保安庁が対処するのが第一義なのですが、そこに自衛隊を派遣しようというのがこの法律です。しかもこの法律が成立する以前からすでに「当面の応急措置」として自衛隊法に基づいて自衛隊が派遣されていました。 非常に異例の展開です。ここに「海賊対処法」の特徴があります。

私は現地ではどんな様子なのか、取材に行ってきました。アデン湾は日本の本州ぐらいの広さがあり、当日は高さ4Mの波が立っており、船はほとんど見えません。「海賊は出ていますか?」と聞くと「いや、もう海賊はいません」との答。「じゃあ、なぜここにいるの?」と聞くと「命令だからです」という。後日、日本で海上幕僚長に「海賊はもういないようだけどやめられないの?」と聞くと「やめるかどうかは現地の判断なので」との答。どこも責任持って判断しない。いかにも日本らしいが、そんな体制で派遣が続けられているのです。

海賊達の船は、5Mのハシゴを積んだ、船足の遅い船です。海面から20Mもあるタンカーや自動車運搬船など船足が速い船は襲われる危険性はまずない。襲われる危険性のある船足の遅い小型船は喜望峰を迂回する航路を通っている。これだと2週間ぐらい余計に時間がかかるけど、今は不況なので、スエズ運河の高い通行料が節約できるので喜んで迂回路を行く。警護活動の必要性といってもこういう実情なのです。

海賊対処法の切り替えは日本では7月24日、現地では7月29日です。この切り替えに喜んだのは日本船主協会です。自衛隊法では警護の対象船舶は「日本関係船舶」に限られていました。これが海賊対処法に切り替わると日本人がオーナーであれば、節税のために船の登録が外国でも、外国人が乗組員であっても、外国から外国へ送る荷物を運搬する船でも守れるようになる。日本船主協会は、日本の税金を使ってこういう船を守ってくれるのが要望でした。

どれだけの自衛隊がこの海賊対処活動に出ているのかというと、護衛艦2隻・海上自衛隊厚木基地のP3C哨戒機とそれを警護するために中央即応連隊という部隊から50人が派遣されている。また8年前から洋上補給船「ときわ」がこの海で各国の艦船に洋上補給をしている。またそれを護衛するために護衛艦「あけぼの」が派遣されている。「専守防衛」であるはずの自衛隊からこれだけの戦力が海外展開しているのです。

@イラク戦争時にアメリカが中心となって組織した多国籍軍、コンバインド・タスク・フォース150(CTF150)が今ソマリア沖に展開している。日本の補給艦はこのCTF150に対し洋上補給している。CTF150は対テロ軍事行動部隊ですが、さらに警察活動としての海賊対処部隊がCTF151として分離・新設されました。
  Aヨーロッパ中心の部隊としてEUのアタランタ作戦とNATOの二つがある。前者にはアメリカは入っていないが、後者にはアメリカを含むものです。
  Bこれらとは別に個別参加している国が日本、中国、ロシア、インドなど6カ国ある。以上で合計20ヶ国が参加しています。

ソマリア沖の海賊とは何者なのでしょうか。よく漁民説と言われていますが正直なところよくわかっていません。海賊の活動領域は一千キロメートルにも及んでおり、トロール船を母船として大移動して、獲物を見つけたらそこから小型船が出撃するという方式をとっています。これは北朝鮮の工作船と同じやり方で、北朝鮮の場合は軍だからできるのですが、普通の漁民にもできるのかというと疑問が残ります。もともとソマリアは英仏伊3カ国の植民地で1991年に内戦が激化しました。ソマリア自治政府のおかれているプントランドで1999〜2001年に民間の軍事会社ハートセキュリティ社が海軍つくりのための軍事教練を行っている。結局、軍隊はできなかったが、プントランドは海賊の出撃基地にもなっている。もしそうなら、海賊はソマリア暫定政府と本当に何の関係もないのかという問題にもなります。

海賊対処のような海上警備行動は本来は海上保安庁の仕事です。今回は「海上保安庁にその能力がない」という理由で自衛隊が代替している。でも海上保安庁には「しきしま」「やしま」「みずほ」という大きな船がある。ヘリコプターを搭載できる船は13隻もあり、これらで充分護衛活動ができるはずです。また海上保安庁は他国の海軍と連携した経験がないから、という説明もされました。でも実は海上保安庁には他国と連携して海賊対処活動をしてきた実績があります。東南アジアのマラッカ海峡は海賊がよく出るところで、1999年には日本の船が襲われるという事件も起きた。当時の小渕政権は海上保安庁で海賊対処に乗り出し、「アジア海賊対策地域協力協定」をアジア14カ国と結んだ。2006年にはシンガポールに「情報共有センター」もでき、6カ国の公務員がそこに詰めています。そこのトップは日本の海上保安官です。

海上保安庁のこうした実績を隠してまで、なぜ自衛隊派遣に固執するのでしょうか。その背後には1990年代からの一貫した流れがあると見るべきです。1991年の湾岸戦争を背景に1992年の「PKO協力法」ができてから、カンボジア、モザンビーク、ルワンダ、東チモール、ゴラン高原、などでのPKO関係の自衛隊海外派遣はもう当たり前のようになってしまった。

民主党の政策集インデックスでも「PKOの積極参加」が明確にうたわれています。2000年のアーミーテージ・レポートには「憲法九条が正常な日米関係を疎外している」という見解が示され、その後、自衛隊の海外活動はテロ特措法による洋上補給、イラク特措法による「人道復興支援」など、新しい段階に入りました。去年、名古屋高裁はこれを憲法九条違反だと判断しましたが、こうした流れの中で日本国民の感覚の中に慣れとゆるみが出てきたと思います。「海賊対処ならいいじゃないか」という世論が過半数を占めるようになっています。憲法九条が本当にきわどい所まできている。





No.19

大不況には本を読む

 りっちゃん
09/8/31

著者は、橋本治さん。「日本の行く道」同様、とっても丁寧に説明していて誰でも納得できるような文章。でも、端折らせていただこう。
  「いるんだかいらないんだか分からないもの」を買って、経済を拡大させる」。これが資本主義の特徴でもあり、今の大不況を起こした原因でもあり、なんというかな、私が許せない「いじめ」体質日本の元凶だと思うんだな。第一、
  「しかし、よく考えると分かるのですが、これをそのままにすると、ゴミばっかり増えます。二酸化炭素の排出量も増えます。」なんです。私はゴミやでも働いていたからねぇ。ゴミを処分するのって、手間もお金もかかるんだよ。作る時には、作る側は、そんなことはちっとも考えずに、ただ売れればいいって。エコだって騒いでいるけれど、私のような貧乏人は必要でないものは買えないし、交換したら、その分ゴミになって、地球が汚れるんだ。「もったいない」精神はどこへいっちゃったんだか・・・

「一九八五年の日本が、アメリカからのクレームをわずらわしがって日本車の輸出をやめてしまったら、どうなるでしょう。もちろん、日本は不景気になります。「大不況」かもしれません。それは「困ったこと」かもしれませんが、もしかしたら「人類の歴史に残る大英断」だったかもしれません。なぜかというと、それは「不況になる」ではなくて、「不況にする」という意図的操作だからです」。今の若い人たちの不満は、大人たちがいつも受身で、いつもごまかしてきたからじゃぁないかなぁ。こういうふうに積極的にやれば、
  「「農業国」であった日本が近代化を進め、工業化を進めて農業をやめて行けば、耕作放棄の地に荒廃が起こるのは当たり前のことです。事は、林業に於いてだって同じです。「輸入木材の方が安い」という理由で、やたらに植林をした山をそのままに放置しておけば、山は荒廃します。「山が壊れる」という事態だって、起こりうるのです。日本で農業や林業を放棄してしまえば、農業や林業によって成り立っていた地方都市は、壊滅してゴーストタウンになってしまいます。でも、自動車の輸出にストップをかけてしまえば、こういう「危機」に対しても、十分な目を向けることが出来たのです」。
  今、私は貧乏人だけれど、結構幸せ。必要なもの以外にお金を使わないってだけで、食べ物を捨てたりしないで、庭の茗荷とかも、自分でも食べるし、ご近所や友達に分けて、物々交換的に食糧事情結構いいし、サイクルっていうのかな。別に我慢を強いられてはいないし、人との交流もできるから、精神的に豊かというか・・・いいよ。
  「「自分のところで作れるものは、たとえ割高であっても、自分のところで作る」が原則で、「輸入」というものは、足りないものを仕入れるだけでいいのです。そのような形で「世界経済を安定させる」という方向だってあったのです」。

「アジアの地域は、さっさと「豊かな先進国」になってしまった日本を目標にしたりライヴァル視したりしていますが、日本がさっさと「もう作りすぎの輸出はやめた」にしてしまうと、変な目標を失って、おだやかになります。「輸出産業」が活発になると、どの国も富みの格差や自然破壊が起こったりするもので、日本は、そういう動きにブレーキをかける素敵な役割を果たすことが出来ます」。自分に自信を持つ、自分の国を認めることが出来れば、人や他国をいじめることもしないで済むし・・・だからさぁ、もうここらで価値観すべてひっくり返そうよ。私たちの年代以降はどうも人との関係を競争的にとらえてしまうけれど、お互いに助け合うというか、シェアーすればいいのでは、と思うよ。一番にならなくていいよ。みんなそれぞれの良さを発揮すればいいのさ。

「「大不況が収束したらどうするのか」と考える―「その時に我々はどう生きるのか」と考える。このことだけが、この大不況を収束しうる根本の力となりうるのです」。前書きにあったけれど、出版界も産業化してしまったから、
  「景気の動向に左右されないものーそれは「人のあり方」です。景気がよかろうと悪かろうと、人は人として生きて行かなければなりません。その一点で、人は「景気の動向」なんかに左右をされません。しかし、景気に影響されるのもまた「人のあり方」です。景気がよければ贅沢になるし、景気が悪ければ倹しくなる。人のあり方は「左右されない」と「影響される」の間で微妙に揺れて、かつて出版は、その微妙な「幅」の間に収まっていたのです。だからこそ、出版は不況に強かったし、そうである間、他業種の景気のいい時に「出版だけが景気が悪い」ということもなかった」んだけれど、出版界もみんなも好景気に浮かれちゃって、忘れちゃったんだよね。
  「我々は「景気」という外状況につられて、自ら考えることを放棄していた」

「途方に昏れる前に、まず「方向」を考える ー それが「進歩」というものを可能にする人間のあり方で、だからこそ私は『大不況には本を読む』という形で、普通では一つになりにくいものを、一つにして考えているのです」。で、この本に題名につながるわけだ。

江戸から明治に変わった時に、なんか脅迫的観念にとらわれちゃったような気がする。「この章で私が改めて言いたいことは、既に「今はただ、これを“不思議です”ですませてしまいますが」という形で保留にしていた、「貿易をしないと言えば武力侵略を受ける可能性があった、日本の近代の初めの時期のこと」です。結局日本は武力侵略を受けなかったので、このことはあっさりと忘れられていますが、「世界的な近代の初め」である十九世紀の貿易は、「貿易をしないと言えば武力侵略を受ける可能性があったもの」なのですね。「自由貿易協定」とか「WTO=世界貿易機関」とかいろいろ言っていますが、その貿易の出発点は、結構ヤバイものだった。そして、世界は今でもその尻尾を引きずっているのですね。だから、「世界一の輸出大国になってしまった日本への嫉妬」というものは、十分に起こりうるのです。
  それを日本は忘れているから、「自分達のあり方」を世界に向けて説明出来ない−だから、この経済危機の中でモタモタしているのではないかと、私は思うのです」。もたもたしててもいいと思うけどね。

「ついでに、「経済は一流、政治は二流以下」の自己規定をしてしまう日本ですが、もう一つ「文化は一流」でもあります。あまりそういう考え方をしないところが、「政治と経済」だけを語ってよしとしてしまう日本オヤジのバカのありどころで、「自分達の文化は一流かもしれない」とは考えず、へんなコンプレックスで金儲けにばかり邁進してしまうところが、日本の思想性のなさです」。同時に「日本は、そういう国なのです。どういう国かと言えば、「大した思想はないが、実質では勝つ」です。つまりは、「思想性ゼロの素敵な国」ということではありますが」だって。

もたもたしながらも、アメリカみたいに「戦争には「勝てば儲かる」という一面もあって、だからこそ「様子見のアメリカ」は「戦争に投資をする」ということもしていたのです」はしていない。この頃危ないけれどね。少なくとも表立ってはできなかった。

「そうして日本人はーもしかしたら日本人ばかりでなく「豊かさ」を実現した世界中の人間はー「未来に備える経験値」となるような「自分の過去」を、「もう安定した現在はあるし、自分の“終わってしまった過去なんて、どうせたいしたものでもない」と思って、いともあっさりと捨ててしまったのです。  残るのは「他人の過去」だけです。「自分とは関係のない他人の過去」なんかをいつまでも突きつけられていたくはない―そう思えば、こちらもあっさりと拒絶されます。もしかしたら日本人は、「未来に備える経験値となるような過去」を捨てるのと同時に、「不幸な過去」を抱えたままでいる人間に対する「気の毒に〜」という共感の感情も捨ててしまったのかもしれません。そうして、「いつまでも若い」を実現するような、「未来の急変」が予測されないような「ひたすらなる現在」が、そのままずっと続いて来たのです」。だから、いじめや自殺やウツがやたら多い社会になっちゃんじゃぁないの?

「幸いなことに、「長く続いた現在」は壁にぶつかって、「見直される対象としての過去」に変わりつつあるわけです。これを見逃す手はありません。だから、「本を読んで、本に書かれていないことを探す」が必要になるのです。それはつまり、「本好き」と言われていた日本人が長い間忘れていた、「自分の頭で考える」をすることでもあるのですが」。

はてさて、衆院選の結果を見ると、どうもそれぞれひとりひとりが自分で考えたというよりも、流れに乗っかっちゃったという印象。投票率も期待したほど上がっていないし・・・自分で考えて、動き始めたら、世の中はきっとよくなると思うのだけれど・・・





No.18

被爆体験

 りっちゃん
09/8/22

21日、林の中で広島での被爆体験を聞くという催し物がありました。たくさんの子ども達も神妙に聞いていました。只今、私は坐骨神経痛。痛みをこらえながら聞いたので、印象に残ったことだけをごく簡単に書いておきます。

「戦争を終わらせるために、これ以上の犠牲を出さないために落とした、と米政府は言うけれど、全くの嘘。戦後、被爆者を呼んだ時、治療のためかと喜んで出かけたが、赤チン一つ塗ってくれなかった。実験の結果を調査するためだったのだ。どうして、ドイツやイタリアでなく日本に落としたのか?」(答えはおっしゃらなかったけれど、“イエローモンキーだから”でしょうねぇ)

「国からは何の情報も入らなかった。ただ、廻りで、畸形の子が生まれたり、被爆2世の子どもが白血病でなくなったり、癌患者がおおかったりした。それで、結婚する時も子どもを生む時も今もずーっと不安なままだ。」

「チェルノブイリの被爆者が広島の赤十字まで、治療を受けに来た。なぜ核爆弾、核施設を持っている国が自分の国民を治療できないのか?できないのなら持つな!!」

『国民を守るために』なんて大うそですねぇ。どの国も・・・「核抑止力なんてありません」、ともおっしゃっていました。「広島の原爆よりも格段に進化している原爆が、たった一つ落ちても、大変なことになる。一つでも失くしていく、そして廃絶まで、皆さんも協力してください」が締めの言葉でした。

「温暖化にも核実験の影響があるのではないか?」とも。「死にいたる虚構」を読めば、いろんな健康被害があるとわかる。人間を害する“核”に依存するのはもうやめようよ。





No.17

ヘイトスピーチは許せない!

 洋子
09/8/21

下記の集まりに6時まですが参加してきました。はじめにビデオの上映、行動報告、質疑応答と進みました。ビデオを観て改めて卑劣さに心底、怒りを覚えました。これと闘うために会場に集まった多くの人々(百2,30人くらいか)の人たちの熱気溢れる話と討論を聴くことができ、新たに勇気をもらった集会でしたので簡単にですがお伝えします。

●(チラシより抜粋)ヘイトスピーチは許せない!『行動する保守』にどう向き合うか
  私たちは4月11日に埼玉県蕨市で行われた「在特会」による外国人排除デモへの抗議行動をきっかけに集まり、この問題について話し合ってきました。またこの間、各地で、「在特会」のヘイトスピーチに対抗する行動が取り組まれています。これら対抗行動の様々な経験と出会い交流し、排外主義を封じ込めるため、今後何をするべきなのか、皆さんと広く話し合う機会を持ちたいと私たちは考えます。この集会への多くの方の参加を期待するとともいに、集会の実現に協力していただける方を求めます。
  DATE     8月14日(金)午後3時〜9時
  PLACE    文京区区民センター2A
  WEBLOG   
排外主義を封じ込めるために

●ビデオ
  4.11の蕨の「在特会」の行動、 6.13の京都での行動、 7.20の福岡での行動、 8.1三鷹での行動 (7.18の大阪では「在特会」の集まりがしょぼくビデオなし。)
  各々の場所での「在特会」の動き、日の丸を立て、がなりたててデモしている恥ずかしいビデオが、各々5分強くらいずつ流されました。
  三鷹での騒動のビデオには編集で付け加えた主催者スタッフの「親子で平和を考える集いなのに、一般の人が来てくれるかな」、と言われている映像も入っていました。

●抗議行動のようす(蕨、京都、福岡の3箇所は対抗行動を書きとめた資料があります。)
  ○蕨では3日ほど前にニュースが入り、抗議行動を起こさねばとのことで市民の平和活動をしている人たちが実行委員になり動いたとのことでした。
  ○京都では、一般市民大勢が抗議したそうで、四条河原町では300人以上の人が「在特会」を取り囲み、先方が殺気だったとのことでした。
  ○福岡では30人ほど市民運動の人たちが、行動をおこしたとのことでした。
  ○大阪では集会が間延びしてしまったとのことでした。
  ○三鷹は実行委員会には参加できていなかったようです。三鷹でのようすがわかる人居ませんかの呼びかけに、三鷹の会場で本を売っていた方が立たれ、街中での騒音を話され、怪我した人を病院に運んだ話や市の職員の対応、警察の人の対応を話していました。

●熱心な質疑応答も行われました。「人種差別撤廃法」しっかり勉強して活かせるはず、行政が間違いを正すように行動を起こそう、マスコミに伝える、外国にも訴えよう など真剣な話合いがつづいていたのですが、用事があり帰らざるをえませんでした。その後の進みゆきが気になります。注視していかなければならないと考えます。

私は、三鷹での「慰安婦」展には2日夕方6時近くになりましたが、仲間3人と会場に着きました。門が閉じられており「今日は終った」と警察の人に言われ、問答している内に中の人が降りて見え、入れ観ることができました。大変だった騒動の話を中で聴きましたが、皆さんぐったりして居られました。早くいけなかったこと残念でした。




この問題は、私が一番気になっている、日本人の心の貧しさが如実に現れているんだ。ある意味、「在特会」のメンバーもその被害者なのではなかろうか。この問題はこれからも取り上げたいし、「行動する右翼」を見習って、なんか「行動」を起こしたいとも思っています。もちろん罵声や暴力なんて下品なことはしないけど・・・こっちは上品に対応したいもの。

洋子さんよりいただいた資料より、何点か、載せておきますね。
  「彼らは当たり前に地域と関係を作り暮らしている外国籍の人々を「犯罪者」扱いをして、国外への追放を求める活動を続けています。そのあげく彼らは個人攻撃を開始し、長期に地域に滞在する一家を「追い出せ」とまで言い出したのです。
  このことをネットなどで知り、当日「在特会」のデモに抗議しようと蕨市外から駅前に40名ほどの個人が集まりました。それぞれの思いは異なるにしても、共通していたのは彼らの煽る排外主義への危機感と、弱い立場にある人を標的にして攻撃する彼らの卑劣さへの怒りでした」。

「私たちのアピールは在特会にではなく、京都の市民に向けられたものです。私たちを過剰に敵対視し挑発を繰り返してくる在特会に応じることなく、準備していた日本語、朝鮮語、中国語、スペイン語、英語、エスペラント語のプラカードや旗を掲げました。その内容は「外国人排斥反対」「No More Facism」「生きる権利に国境はない」「自由の敵に自由を許すな」(←これには私は異論があるな)「いじめるな」等。

「デモの隊列から私たちにあらゆる罵声を浴びせる彼ら彼女ら、特に若い参加者の表情は、私たちにはややショッキングなものでした。私たちの仲間からは「あの若者達はなぜあれほどの憎悪を抱えているのだろうか?」という感嘆の声が洩れていました。まるで、自らを圧迫する経済社会状況の不安に耐え切れなくなった人間が、その原因となる「外敵」を見出した(←「マインドコントロール」で植えつけられたというべきかな)ことで制御不能の興奮状態に達し、身体ごとの断末魔を上げる・・・あれは少なくともそんな光景を予感させる声と表情でした。」

「「犯罪外国人」と「犯罪左翼」を欲望しながら全国行脚するあの連中と同じ土俵の上で滑稽な相撲を取るわけにはいかない(桜井と相撲をとるのはやや不利である以上にきわめて不快そうである)」(←同感すぎて笑っちゃいました)

「レベルが低すぎる、相手にするのもばからしい」・・・そんな空気が「左翼」界隈にあったのも事実だ。僕の中にもそういう思いは漂った。しかし、連中がネット上に垂れ流している動画などを見ると「不逞鮮人は出て行け」などと叫んでいるではないか。こんなことを放置できるお前は誰なのだ?「不逞鮮人」が僕の頭の中でこだまする。このこだまにすり寄っていたのは「在特会なんて相手にするのも・・・」という自分の内なる言い訳の声であり、それは気色悪い日本人の声でしかないのだった。僕はしばらくあれこれと考えもしたが、内なる日本人の声を断ち切ることを選んだ」

今、わたしが思っているのは、これは「いじめ問題」なんだ。彼らにも発言の自由はあるけれど、「ぶっ殺せ!」なんていう物騒な言葉とか、女性と見れば「売春婦」なんて間違ったことを平気で叫んでいる。これを警察が見逃しているのはよくない。ご近所の人からすれば、静かな環境にいる「自由」もあるのだから、あの音量も取締って欲しい。「いじめ」で問題なのは、被害者の保護もさることながら、加害者がそれ以前に「可哀想」で「惨め」な状況にあること。その解決がなければ根本的な解決にはならない。それと廻りの人が「見て見ない」振りをするのが一番よくない。普通の人は、彼らのビデオを見ても同調はしないと思う。でも、その前に「見ない」。彼らの存在すら、知ろうとしないのではないか?それが一番問題かなぁと。彼らの絶叫を聞いていると「僕ここにいるんだよ、見て見て!!」と言っているようにも思える。そして、面倒なことに巻き込まれないように、差別問題などやるべきことを自粛・放棄してしまう人たちがいることも、困ったものだ。そんな日本の空気を彼ら自身が嫌がっているのではあるまいか。





No.16

死にいたる虚構

 りっちゃん
09/8/16

六ヶ所再処理工場に関する署名をしたら、送られてきた本。読んでまとめなくては・・・と思いながら、こういう重い本は、つい先延ばしになってしまう。夏が苦手というのもあって・・・

副題は「国家による低線量放射線の隠蔽」。ジェイ M. グールド、ベンジャミン A. ゴルドマン共著、肥田舜太郎、斎藤紀共訳。発行は、PKO[雑則]を広める会。この本が欲しい方は、連絡すれば、配布してくださるようです。

日本人なら、ほとんどの人が知っていることなんだよね。ピカドンが落ちた後救助の為に広島市内に入った人も原爆症にかかったことを。「黒い雨」のせいで死んだ人が大勢いることも。フォールアウト〈放射性降下物)の怖さは知ってはいたけれど・・・1950年から、1963年、合衆国とソ連とで大気圏核実験禁止が合意されるまで、フォールアウトが降り注いでいたんだなんてことは、子ども時代で気がつかなかったよ。毎日、外で元気に遊んでいた。多分小雨ぐらいは気にしなかったと思う。「自然資源保護委員会(NRDC)の実施した地震記録を検討すると、この時期に大気圏へ放出された核分裂物質の量は広島型原爆4万発に相当した」んだって。中国では1980年までだってよ。おいおい、うちの子も、フォールアウトを浴びちゃっているよ。

第二章「チェルノブイリのフォールアウト」の危険性は、ヨーロッパだけかと思っていた。『スパゲティが危ない』と、話題になったのを記憶している。でも、アメリカでも、
  「政府のデータでは1986年5月の合衆国死亡率も統計的に有意の増加であることを示している。統計では1986年5月の合衆国死亡率は前年同月よりもなんと5.3%も増加している。これは1000分の1以下の危険率で統計的に有意性があり、そればかりでなく5月度死亡で見る年度増加率は実際に、合衆国の過去50年間のうちで最高であった。それに続く3カ月間の死亡率増加も高率であった。
  図2−1はエネルギー省環境測量研究所の1986年5月の記録であリ、ニューヨーク、ニュージャーシー州都市部ミルク工場で測定した新鮮ミルク含有放射性ヨウ素レベルの変化である。半減期が8日であるヨウ素131の放射性活性は急速に低下するのでピークは5月半ばになった。セシウム137、ストロンチウム89、ストロンチウム90、バリウム140など、他の放射性同位元素も確認された。
  図2−2は太平洋岸南部諸州の1986年6月の乳幼児死亡率が1985年6月と比べ2.8%も一気に増加したことを示している。合衆国全体の6月度死亡率は前年比で12・8%もはね上った。乳幼児死亡率は1,000人の新生児出生数のうち最初の1年間に死亡した乳幼児数で定義されるが、公衆衛生状況を月単位で示すもっとも鋭敏な指標の一つである。
  図2−3は二つの年齢群(25歳から34歳までの若年群、65歳を越える高齢群)、及び三つの疾患群(感染性疾患、エイズ関連疾患、肺炎)において1985年5月と1986年5月の死亡率を比較し、有意の増加のあることを示している。これらの変化のどれをとっても、千に一の偶然よりも可能性は小さいものであり、すべてが偶然に同時発生する可能性は百万に一つより小さい。」

アメリカの太平洋岸で死亡率が高かったということは、日本にも雨が降った地域には、当然影響があったということだ。アメリカでは、郵便番号の区域ごとでデータが残っていた。そして、それを統計学的にしっかり分析した結果が、この本に書かれているということだ。日本にはデータが記録されているのか?調査する科学者はいなかったのか?国民の安全を守って欲しいね。これは厚生労働省のお仕事だよね?

第三章「沈黙の夏」では、鳥の繁殖失敗の原因が、チェルノブイリと食物連鎖によるものであることを。第4章「サバンナリバーの大惨事」、第五章「スリーマイル島」では、核兵器工場でも原子力発電所でも、その事故による影響が多大で且つ、将来にわたるものであることが書かれている。第六章「隠蔽」では、日本政府もよくやっている、「影響は無い、無いったら無い」を前提として、行われたさまざまな工作が統計的に暴かれている。
  「このように長期的に見ると、無数にある改ざんや情報操作も、事例研究で見られたように低線量放射能の漏洩に関係した有意の死亡率上昇を完全に覆い隠すには不十分だった。たとえそれが国の安全保障の名で行われようとも、もしアメリカ人が核の事故とその影響について無知にさせられるとしたら、それは言葉にできないほどの悲劇である。「国家の安全保障」を引合いにして、自分たちや子供たちの健康を守る機会を否定することを正当化はできない。十分な知識なしには、学会も公衆衛生学会も死亡の主因について研究することはできない。サバンナリバー、スリーマイル島、チェルノブイリから事故防止の教訓を学ばないで、どこに学ぶところがあるだろう。」
  どこの国も政府というものは国民を騙すものなのだよ。そして偽科学者が出世するというのもよくあることだ。“心”というものが無いのかねぇ。そういう連中には・・・いやいや、自分の子孫のことも地球の未来のことも“頭”に無いのかも知れない。

第七章「大気圏核実験」では、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」より
  「人が自然に加えるあらゆる暴行の中で最も警告すべきことは、大気、大地、河川、海が危険で致死的な物質により汚染されることである。環境があまねく汚染され、その生命すら変質してゆく時に、化学物質は放射線の未知のパートナーとして呪うべきものとなる。核爆発で空中に放射されたストロンチウム90はフォールアウトの雨滴として降り注ぎ、地中に留まり、草、とうもろこし、小麦にしみこみ、やがて人の骨に住みつき、その「死」までそこに留まる。」
  その、ストロンチウム90の怖さは、
  「ペトカウ博士は低線量放射線が高度に毒性化した「遊離基(フリーラジカル)」と呼ぼれる酸素分子を生成し、それが高線量率の時よりも低線量率の場合に一層効果的な細胞膜破壊をもたらすことを実験してみせた。それより2、3年前、T.ストッケ博士と共同研究者たちは超低線量のストロチウム90は高線量の時よりも、ラットの骨髄をより効果的に障害することを観察した。ぺトカウの理論は、高線量]線への瞬間被曝や原爆のガンマ線への瞬間被曝と比べ、フォールアウトの低線量放射線に長時間被曝した時に極めて重篤な免疫機構の障害が生じることを説明している。」

青年層の死亡率の高さも、すでに大気圏核実験で、免疫系に障害を受けていたせいではないかと、
  「7−6図は30−34歳の青年における敗血症−これは正真正銘の免疫不全疾患であるが−のすさまじい増加を示している。青年の敗血症は1945年以前には少なかったので記録されなかった。しかし、その後1950年から54年生まれの者たちに急速に増加し、1985年には100万人に7人という率に達した。
  この事実は今日、青年がかかっている広範囲の免疫不全症の、潜在的な原因についても問題を提起している。つまりそれらの疾患はエイズ、ヘルペス、慢性エプスタイン・バー・ヴィールス病(CEBV、一般にはユッピイ・インフルエンザと呼んでいる)、トキシック・ショック症候群(TS S)、骨盤感染に関連した子宮外妊娠による死などであるが、それらは1945年以前は稀にしか、あるいは全く知られていなかったものである。今日、青年はまた、カンジダ症(カンジダ・アルビカンス感染症)にかかるが、これはひどい愁訴や酒に酔ったような状態(appearance of drunkenness)をもたらすと同時に胎児に先天性欠損症を引き起こす。前者は最初、日本人が原爆被爆者の間で気がつき、ついで第二次大戦後、アメリカ兵たちの間で「酔っ払い病(drunken illness)」と呼ばれた症候群である。ある日本の科学者はカンジダ・プロアルビカンスの自然界での増殖は、1945年の原爆による突然変異によって起きたものと考えている。第十章では、今日、合衆国で急速に増加している三つの病気−エイズ、CEBV、ライム病はそれらの原因ヴィールスが放射線による突然変異で生じたのではないかと考えられている。」
  「もし仮説が正しいとすれば、戦後に見られた免疫系の障害は大気圏核実験による放射性降下物が雨となって濃厚に降下した地域に、より多くみられるはずである。」

エイズはアフリカでも雨が降りやすい地域で大流行したんだって。えっ、私も免疫不全の病気だと思うよ。患者数がどんどん増えているんだ。医学が発達したから見つかる度合いが増えたのかと思っていたけれど、これも放射能のせい?そういえばチェルノブイリ前は元気だったような・・・発病はしていなかったよ。アレルギー疾患も凄く増えているよねぇ。アトビー、花粉症、喘息、みんな免疫系の病気だよ。乳幼児死亡率の高さ、胎児や乳幼児への影響も怖いけれど、大人になっても癌はもちろんのこと、免疫系の病気も怖いねぇ。たくさんの人が健康を損なうということは、労働力の低下にも、もちろん経済にも影響してくる。

第八章「乳幼児死亡率とミルク」。これは、原子力発電所が人口の少ない農村に集中していること、そこでつくられたミルクが、全国に、都市にも運ばれているから、危険性はどこにも存在すると言うことです。第九章「コネチカットにおける癌」、第十章「放射線とエイズ」は題名でわかるね。

第十一章「まだ遅すぎはしない」では、
  「上院議員のグレンは「もしその(核製造の)過程でわが国民を毒殺しているなら、我々を敵から守るために、それ(核)は少しも役には立たない」と結諭している。」
  「次の世紀にすべての核施設を処分するためには、少なくとも、それらを建設するのと同じくらいの巨額な費用が必要となる。40年間の核兵器に限っての防衛費と、30年間の民間核産業への助成金のおおまかな合計だけでも、二兆ドルになる。我々が科学的力量やその他の人的資源をともに消耗させていることを考えると、我々の赤字支配の経済が何故、非武装の日本やドイツの経済に太刀打ちできなくなってしまったのかが、今や明らかではないか。」
  「シャーロット・シルバーマン博士は1980年に、白癬に対する放射線治療を受けた子供が何年も後になって重大な精神機能低下を来たした、という研究を発表した。シルバーマン博士は自分の調査結果と、イスラエルの子供と同じじような状況の要約を、東京での第6回国際放射線研究集会で次のように発表した。
  脳の機能、知的能力、学業の成績についての幾つかの調査結果は、被曝した子供に障害があることを示している。これらは放射線による脳障害を示唆したこれまでの報告に一致し、それを発展させている。」
  「しかし、まだ希望のもてる理由がある。我々は、直面した医学的、経済的な危機を前にして、我々の核技術への依存を減らすよう、議会を通じて国民に啓蒙することがますます可能になりつつある。まだ、遅過ぎはしない。我々は世界の中で、いままで通りにきれいな空気を吸い、放射能汚染の少ない食物を食べることができるよう、「原子の恩恵」をなんとか避けてきた地域に(実際は少ないが)注目するべきである。」

地震大国日本なのに、原子力発電所が一杯あって、この調査で比較対象に使われた原子炉から半径160キロメートルの範囲に、日本全土が覆われているって。日本全土が超危険地帯。六ヶ所再処理工場の問題もあるしねぇ。私もつい、嫌なものに目を向けたくないという傾向があるけれど、ちゃんと危険性を認識しなくては・・・子どもたちや未来への責任があるからねぇ。
  そうなんだよねぇ。今がチャンス。すべての価値観を問い直す時。どんな地球であって欲しいのか?子どもたちにどんな大人になって欲しいのか?ばら撒きなんかやっている場合じゃぁないよ。どんな未来を描くのか?、それが今度の総選挙で問われていることだと思う。即解決とは行かないけれど、少しづつ、人間の知恵で、いい方向に向かっていきたいものだねぇ。





No.15

在特会

 りっちゃん
09/8/1

今日から3日まで、三鷹市民協働センターで、『中学生のための慰安婦』展が開かれています。右翼団体「在特会」が因縁つけてきて会場使用が危ぶまれていましたが、主催者ロラネットの粘り強い交渉によって、開催となりました。在特会のほうも粘っこくって、ネットで動員をかけて、妨害を計っているとの情報。今日は他にも用事があって忙しかったけれど、合間を縫って行ってきました。いたいた、ゴチョッと。

「慰安婦」の人たちを「売春婦」って言うんだ。他にも一杯下品な言葉をわめいていた。最初は凄く腹が立ったよ。こいつらと同じ日本人かと思うと情けないやら恥ずかしいやら・・・けれど、そのうち笑えて来ちゃった。昨日に引き続き楽しい日になった。だってぇ、私を「朝鮮人!」(イヤァ、なんか悪いなぁ。朝鮮人って色白の美男美女が多いんだよねぇ。褒められちゃったよ)、「売春婦!」(ありゃ、さっきは賞味期限切れのかぼちゃだったのにぃ)、「朝鮮に帰れぇ!」(お隣の女性が「だったら天皇を連れてけよ。天皇制なんざぁ要らない」に同感)。クックックッ。お巡りさんが挑発しないでくださいだって。こっちが笑っているとますますカッカさせちゃうみたいだった。

でもねぇ、家に帰ってから、慎校長の「あの人たちも人間ですから」という言葉を思い出したら、なんだか、気の毒と言うか・・・あそこまで、人を貶めることばかり言うっていうのは、よほど溜まっているものがあるんだろうねぇ。彼らは彼らなりに生きづらさを感じているんだろうねぇ。Wamの渡辺美奈さんは、彼らがあせるのは、保守が危なくなっているからだろうって言っていたけれど、それ以前にやはり日本がだいぶ病んでいたということかな。でも、会場一杯の人。みんな、入口の右翼を掻き分けて、まぁお巡りさんもいたけど、協働センターに入ってきたわけで、たくましい人たちがこれだけいるかと思うと、これから日本も立ち直れるかなとも思った。

ロラネットと在特会、三鷹市の関係についての説明は、「会場使用不承認に抗議します」の一部がわかりやすいので、以下に転載します。

・ロラネットのロビー会場使用は4月から申し込み、今までの慣例で口頭で行われてきました。協働センターは自ら広報しておきながら、在特会のパネル展示妨害行為に屈して会場使用を不承認としたことは、平和で正常な市民活動を応援する姿勢を放棄したものです。市や三鷹市市民協働センターが断固たる姿勢を貫くことこそ、誇りある三鷹市の平和条例や三鷹市市民憲章に基づく行為です。

・「在日特権を許さない会」(在特会)は「韓国人は朝鮮半島へ帰れ」など、民族差別、排外主義の言動を街頭で宣伝しており、人種差別撤廃条約(1995年に日本政府は締結)国際人権規約に抵触している団体で、登録団体としては、ふさわしくないと考えます。

・日本軍性奴隷制の被害者と共に、平和と人権の実現を求める市民団体である私たちのとりくみを「サルでもわかる売春婦問題」と主張する右翼勢力団体「在特会」と並列におき、その会場使用を拒否する決定は、あまりにも見識を欠いたものです。

・戦時の日本軍性奴隷ーいわゆる「慰安婦」―問題については、すでに日本政府は河野談話・村山談話・内閣総理大臣の手紙にあるように、歴史的事実として認め謝罪し、今後も後世に伝える教育をすると明言しています。
   「在特会」の歴史認識はこれを否定するものであり、誤っています。また、三鷹市議会において「日本軍『慰安婦』問題の解決を求める」政府宛の意見書をすでに可決していますが、この精神を否定する「在特会」を私たちの市民団体と同列において、会場使用者として審議することは市、自らも上記を否定していることに他なりません。

素晴らしい!! これを書いたロラネットも、これを受け止めた三鷹市も。ぜひ、小平市も「断固たる態度」を見習って欲しい。

資料の表紙には、「過去の戦争責任、戦後補償に向き合わず、軍事や経済で大国の仲間入りをもくろむ品格にかける恥ずかしい日本、そんな日本を許しているのは私たち市民でもあります」とあった。みなさまも、右翼団体の妨害を許さない断固たる態度で、ぜひ足をお運びください。「在特会」がたむろしていても、口先だけだし、お巡りさんもいるし、別に怖くはないよ。騒音で、ご近所迷惑だけどね。それにしても、あのエネルギー、いいことに使えば良いのに、もったいない。「賞味期限切れのかぼちゃ」は今日一日、楽しかったけど疲れたよ。若いっていいねぇ。

翌日になって、ちょいと思ったのだけれど、「在特会」を右翼と呼ぶのは、真面目な右翼に悪いわ。欲求不満団体と呼ぶべきでは・・・ウーン、今の日本、みんな何かしら抱えてはいるけれど、欲求不満を解消させるために、性的なことにこだわったり、人を貶めたり、マイクで大声でわめくのは、やめてもらいたいねぇ。ほんと、迷惑。





No.14

経産省訪問記

 りっちゃん
09/8/1

今日、ハンクネットの呼びかけに応じて、経済産業省へ行ってきました。目的は、「朝鮮民主主義人民共和国にいる親族に心づくしの食料品や日用品等の小包さえ送れないというような在日の方達への人権侵害が日々行われており、こうした状況について、経済通産省貿易管理課の担当者と話し合い」をするためでした。

ちゃんと予定通りの電車に乗れたのになぁ、なぜか集合時間に遅れて、遅刻。行ってビックリ。なんだかねぇ、空港みたい。ン十年前は、食堂とか売店とかがあって、一般の人も自由に出入りできたのに、「どうしちゃったの?」って感じ。警備の人に聞いたら、こんなふうになったのは今年の4月から。テロ対策以降、入場者には、「行き先は?」とか「御用は?」とか警備の人が声をかけていたのが機械化されたということ。スイカのようなカードを持っていないと入れないんだ。職員は身分証明書かな?来庁者は受付票に日時・氏名・電話番号・訪問先・用件などを書き込み、アポを取っておかないといけないとか。「テロ対策」を口実に、国民を遠ざけているみたい。“ブッシュのやらせ”(9・11)が民主主義を壊していく過程の象徴のように思えた。

その手前のロビーで警備の人と話しているハンクネットと合流。ハンクネットの代表が、事前に電話・メールなどで連絡を取り、面会したいと日時も伝えてあり、担当課は「組織として検討します」というお返事で、会えないとは別に言っていなかったんだって。で、わざわざ大阪から出かけてきたのに、警備の人が言うには、「『すでに話をし尽くしている。後は電話をしてくれ』と担当課に言われている。アポが取れていないと入庁してもらうわけには行かないんです」。代表は、「話し尽くしてなんかいないから来たのです」「事前に行くことは伝えてあるのだから、会えないのならその理由を直接担当課の人に教えてもらいたい」と。で、とっても丁寧で親切な警備の方で、何度もやり取りしてくれたのだけれど、『電話で』の一点張り。おかしいよねぇ。国民が、公務員に「話がある」のに、『話はし尽くしたから』って勝手に決め付けるのは・・・せっかく来たのだし、せめて、この場に降りてきて、『せっかく来ていただいたのに、今日は都合が悪くて申し訳ない』とか、公務員でなくても挨拶ぐらいはすべきだと思った。警備の人も困っていたよ。私がつい横から、「これって失礼だと思いませんか?」と口を出したら、立場上はっきりとは言えないものだから、「そちらとしてはそう思われるのも・・・」と。で、ご自分の電話で、担当課にかけて、代表に手渡してくれたんだよ。だって、『電話なら応じる』って警備の人に言っていたのだもの。だのに、担当の鈴木さんは「会議中」で、電話に出た岩本さんは「わからない」だって。はぁ?警備の人だって私たちへの立場がないじゃぁないか。で、また『組織として検討中』になって、内閣府訪問の時間になったので、そっちへ行ってからまた戻りますと約束して内閣府へ。

そっちは、待っていたようで、団体名と苗字を言ったら、紙の面会票を渡してくれて即入庁。対応は山田さんと言う人と体格のいい若い人2人。クールビーズ?皆さん半袖。山田さんは茶色のアロハ。似合ってました。大昔、出合った“渋谷の顔”さんを思い起こすような、ざっくばらんな話し方でした。最も慰安婦問題は「歴史を知っているから」とおっしゃっていたから、どうも、私たちと「歴史認識」がだいぶ違うようで・・・で、今日の目的については、「他省庁についてとやかくは言うものではない」「我々の所管ではない」というお答え。経産省との約束も迫っていたし、口を挟む雰囲気ではないしで、黙っていたが、内心「だから、日本の官僚機構は何も動けなくなっちゃったんだよなぁ」と思った。「やってはいけないこと」位注意し合わなくっちゃぁ。うん、でも、もしかしたら「そうしろ!」って言っているのかも。自分の国や国民がどうなろうと、アメリカにイエスマンの国だから・・・残念ながらこの国は・・・アメリカにとっては、日本と朝鮮が緊張関係にあると何かとお得だものね。

再び大急ぎで経産省へ、ちょっと警備の人をお待たせしてしまったかも。今回の言い訳は『今日は責任ある者がいないので対応できない』。代表は「それなら、責任ある人がいる時は対応できるのですねと聞いてください」。答え『来週以降電話の対応は致します。面会については検討中です』。もう笑えちゃうよ。ずーっと、『検討中』。国民が話し合いたいということに、公務員は応えなければならないものだから、『駄目』とは言えない。でも、本音は『話合いたくない』し、『顔も見たくない』ということだね。ハンクネットのうち、代表も含めお二人とは「はじめまして」だったのですが、発送のお手伝いで顔なじみのお2人も、皆さん、お話も、お顔もソフトタッチで、ちっとも怖くなんかないのにねぇ。きっと、会って話をしたら、こちらの言い分に頷いちゃうものだから、それが怖くてしょうがないのかなぁ。

この訪問で、日本の民主主義が、だいぶ壊れてしまっているなぁというのを実感しました。在日の人たちの人権問題であると同時に、「話し合いたい」という私たちへの日本政府による人権問題だと思いました。



経済産業省が発表した輸出禁止措置の内容
  1、北朝鮮を仕向地とするすべての貨物について、経済産業大臣の輸出承認義務を課すことにより、輸出を禁止する。
  2、北朝鮮を仕向地とする第三国からの貨物の移動を伴う貨物の売買に関する取引について、経済産業大臣の許可義務を課すことにより、仲介貿易取引を禁止する。
  3、上記の措置のうち、人道目的等に該当するものについては、措置の例外として取り扱うものとする。
  4、上記の措置は、平成21年6月18日から平成22年4月13日までの間、実施するものとする。



実例
  ○朝鮮民主主義人民共和国に住む娘に、食品など国際郵便で送るため郵便局へ行ったが、局職員から「北朝鮮に対して制裁中なので郵便物は送れない」と断られた。
  ○共和国にいる孫に、サッカーシューズ2足、タオル数枚、市販の医薬品4点(消毒薬、サロメチールなど)を送ろうと最寄の郵便局窓口にて発送手続きをしたが、後日郵便局本局から「北朝鮮へは送れない。詳細は経済産業省に問い合わせてくれ」と言われた。
  ○共和国にいる親族に、医学書と食品数点、100円商品数点を「国際郵便」で送ったところ東京税関より送れない品があるとの連絡を受ける。税関職員に対して「具体的に何が違反で、どれなら許可するのか?」と問いただすと、その職員は「一回に送る「書籍類」が多い」との返答があった。
  ○共和国で開催する「在日同胞書芸展」に出品するため、高麗書芸研究会の作品20点を国際郵便で送ろうとしたが税関から返送された。

ともだち展を開催した時、「北朝鮮には民主主義がないから、絵の出入りを許すはずがないと思っていた」との感想を聞いたが、なんのことはない、日本がそういう国だったのだ。あ〜あ、恥ずかしいねぇ。出版物も送れないんだって。朝鮮民主主義人民共和国を、民主主義の国にしたいのなら、なおのこと、いろんな物や情報を送った方がいいのにねぇ。アホみたい。ハンクネットの代表は、孫にサッカーシューズが送れないことがいたく気になるようだった。自分のことのよう思えるのだろうね。





No.13

携帯解約

 りっちゃん
09/7/29

12年位前でしょうか、多分タダの機種だと思うけれど、携帯電話を購入したのは・・・そのまま使っていたので、「おもちゃみたい」と笑われていましたが、ふだんほとんど使わないし、電池切れや肝心な時にうちに忘れたり・・・それでも、持っていたのは、なんか心細かったのかしらねぇ。ソフトバンクから買い換えるようにDMが何度も着ていて、そのつもりでいたのだけれど、ふと、「もういらないか」と思うようになりました。買い物嫌いの私は、店に行くのも「どっこらしょ」なのに、せっかく行ったのに混んでいたりして、買い替えしそびれたのもあったのですが・・・

友達に電磁波過敏症の人もいるし、なんとなく持っているのは無駄遣いというのもあるしで、今日解約してきました。なので、わたしの携帯に電話しても通じませんので、メールか、自宅へ電話をください。

私はたまたま「電磁波鈍感症」のようですが、わたしの病気も電磁波過敏症も、免疫機能の異常が原因のようです。今読んでいる「死にいたる虚構」によれば、大気圏核実験による低線量放射能の影響で、私たちの年代は、すでに免疫機能が侵されている可能性が高いとか。核兵器もなくなって欲しいけれど、地震国日本での原子力発電所もやめて欲しいなぁと、願っています。必要のない電磁波も、だね。もっと前から解約しておけばよかったかなぁ。





No.12

爺川柳

 金太
09/7/21

爺川柳

個人故人 意味もわからぬ 鳩山氏
  黒い鳩 死んだ人から 寄付を受け
  自民党 今日から戒名 自分党
  自民党 表紙を変えても 自民党
  石原も 安心したよ 准与党
  民主党 挙げたこぶしを どう下ろす

都々逸

字が読めないのが 麻生総理よ 意味がわからぬ 鳩山氏
  顔も悪けりゃ 根性も悪い ほんにお前は 悪い人




いくらなんでももう自民党はないでしょう。政権交代はして欲しい。でもねぇ。小沢氏がまた大連合なんて言い出して、自民と民主が一緒になったら、翼賛会もいいところ。みんなその怖さがわかって民主党に入れているのかなぁ。衆院選では、バランスよくバラけてくれるといいのだけれど・・・

最後の句、悪人顔はどっちのことなのかな?麻生炭坑では、強制連行された朝鮮人たちがずいぶんとひどい扱いを受け、犠牲者がだいぶ出たとか。悪人顔になるのも当然の歴史?でも、悪人顔というより、ゆがんでいるというか、頭とか心が空っぽというか・・・お気の毒な顔に私には見えるのだけれど・・・どっちも基本的にはお坊ちゃん顔かなぁ。「悪」がなんなのかもわかっていないところが怖いねぇ。「KYを越えている」。確かに。ただ、発言したご本人も同じ穴のムジナなんだけれどなぁ。





No.11

鶴彬こころの軌跡

 りっちゃん
09/7/18

16日、東中野のポレポレ座で「鶴彬こころの軌跡」という映画を見た。川柳は母もやっていたので、親しみを感じたのだが・・・「巻かれても ばかりいられず デモ行進」せつ。さあて、何のデモに参加したのやら。鶴さんのは、壮烈というか、力強さというか、全然違いますねぇ。

「暴風と海との恋を見ましたか」
  「万歳と挙げた手を大陸に置いてきた」
  「玉の井に模範女工のなれの果て」
  「屍のゐないニュース映画で勇ましい」
  「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
  「胎内の動きを知るころ骨がつき」

すざまじい。(作品は鶴彬に年代別に載っている)。映画の中に出てくる小林多喜二の遺体の写真もすざまじい。お尻から膝まで真っ黒。拷問の痕だ。治安維持法、特高が活躍した暗い時代。それでも自分の生き方を曲げなかった人たちがいたんだ。

鶴彬も、徴兵されている時に治安維持法違反で大阪の監獄に入れられ、水責めにあっている。そして除隊の時に、一級上げてやると言われるのをきっぱり断り、2等兵のままで除隊。いいねぇ。ただ、特高に付けまわされて、職がない。経済的に困窮した生活。そして、病。ふらふらと道を歩く鶴さんに、自分も失業中高熱を出して、ふらふらと郵便局まで行かねばならない時があったけ、と思い出したら、また涙。自己憐憫ですかねぇ。でも、あの心細さはつらかった。そんな状況に手を貸してくれたのが、「川柳人」を発行していた井上剣花坊の夫人井上信子。川柳作家のカンパを募るのだった。そして、2度目の徴兵の時に、お母さんかなぁ、今度こそ死んで帰って来い、みたいなことを言われて見送られ、即日除隊となって、行き場のなくなった鶴にも「うちにいなさい」と言ってくれる。ありがたいねぇ。

また逮捕。獄中で赤痢にかかり、手錠つきのままベッドに。享年29歳。最期まで活動を支えた、信子を演じた堅山文枝は懐かしくもあるし、やはり名演だねぇ。ぜひ映画を見てください。

「燐寸の棒の燃焼にも似た生命」これが15歳の時の川柳。





No.10

聞く耳持たず

 りっちゃん
09/7/18

13日、西東京3・2・6号調布・保谷線の判決を聞きに出かけた。5分過ぎに611法廷にたどり着いたのだけれど、すでに判決は出た後だった。門前払いというのかなぁ。住民の意見には聞く耳持たずっていう印象の判決文(判決要旨)だった。裁判官は山田俊雄。ここも小平3・3・8号線と同様、これから人口も減るし、交通量も減ることが予想されるのに、本当にこの道路は必要なのか?大気汚染や騒音による健康被害は?大きな道路が出来ると、抜け道を通る車が増えるのでは?すでに住宅地になって、ここでの生活に慣れている住民が引越しを迫られる。そんな犠牲を強いてまで必要のある道路なのか?地球の緑が減っちゃうぞ、それでもいいのかぁ?という問題だと思うのだけれど、住民の声は行政にも、司法にも届かなかった。

ひどいなぁと思うのは2点。まず、交通量の予測について、何も書いていない。つまり検討もしなかったと言うこと。次に「その人格権が侵害されることが、高度の蓋然性を持って予測しうることの証明はない」とか、「その生命、身体に対する侵害の危険が発生する蓋然性が高いことの立証はない」と書かれているように、健康被害がないという証明を被告側がするのではなく、「ある」という立証責任を住民側に押し付けていること。「ある」という住民側のアセスも提出したはずだけれど、これも行政側のみを鵜呑みにし、比較・検討もしていない。裁判費用は原告側が持たなければならないから、経済的なことを考えたら、これから裁判しづらくなるねぇ。国や都の決めたことに文句を言うな!!ってことかぁ?

翌日は、都道3・3・8号線の定例会で、外環についての学習会があった。大深度地下の工事って怖いねぇ。大深度だと土地の所有権が主張できないから、工事をする側からすると面倒でないということらしい。でもねぇ。圏央道高尾山のトンネル工事が始まってから裏高尾の御主殿の滝が枯れちゃったって。これも「関係があるとは証明できない」との言い訳だって。西東京の人が言っていたよ。「健康被害がないはずはない、そんなこともわからない馬鹿なのか?」って。これもそうだよねぇ。高尾山の沢も危ない兆候があるそうだよ。で、外環予定地に水が湧き出ている場所がしっかりあるし、近くには、善福寺池。石神井と井の頭公園もある。え!?、3つとも枯れちゃうの?今のうちに遊びに行って置かねばと思ったよ。10代の頃いとこ達とボート漕ぎに行った懐かしの場所なのにぃ。三鷹、武蔵野市は飲み水の60〜70%が地下水なんだって。地下はね、みんな見えないから、のん気に考えちゃうけれど、ちゃんと自然のバランスが取れているのだよ。それを人間の不遜さで壊したら、元に戻すなんて出来ないよ。地表にも道路を作るし、ジャンクションなどで、地盤は蓮根状、大丈夫なのかなぁ。

課題検討会という地域PIが開かれたそうだ。外環本線賛成、推進論が80件中5件(例:現状より良くなるという保証をしっかりして、その上で、外環を造ってほしい)。外環本線、不要、慎重論43件(例:道路より医療問題、年金、子育て教育、地球環境のために予算を使うべき)(大深度を通すには不安な点が多すぎる)。その他19件(例:立ち退きによるコミュニティ喪失が心配、退去者は十分な説明なしで大きなストレスに・・・)等、たくさんの意見が出された。しかし行政は、意見は単に聞き置くのみで質問に対しては意味ある回答はなかった。にもかかわらず「一定の理解を示した」とされ、着工がOKとなった。PIとは、パブリック・インポルブメント、住民参画という意味のはずだが、実際はPはペテン、Iはインチキの略だった?

臓器移植法改正案(A案)が可決。これも怖いねぇ。人間の身体も自然の一部。とっても複雑で人智の及ぶところではない。それなのに、充分な議論もせずに通しちゃった。川田龍平メルマガでは、
  「「脳死は一律に人の死」ではありません。移植を待つ患者や家族と同様、臓器提供・拒否者と家族の立場、すべてのいのちが尊重されるため、「臓器移植に関わる脳死以外は人の死ではない」という改正案提案者の答弁を守らせ、今後もしっかり運用を注視していきます。子どもの脳死臨調設置法案で提案した生体移植や子どもの臓器移植に関する判定基準や虐待児への対策、また臓器提供者の家族へのケアなど課題に対して、さらなる改正案を準備していきたいと思います。」
  とのこと。自然からのしっぺ返し、高尾山ではもう起きているというのに・・・そのことを受け止めたら、地球の未来のためにどうしたらいいかは一目瞭然だと思うけれど・・・自然からの警告にも、“聞き耳持たず”の人がいるんだなぁ。日本の未来を決定する力を持っている偉い人たちがそうなんだもの。やれやれです。

「人間も子ども達も自然の一部。それを忘れてはいけません」。「子ども達が遊べる林は大事にしなくては・・・」という講師の言葉が心強かった。





No.9

愛国と米国

 りっちゃん
09/7/17

鈴木邦男さんは好きだけれど、この本は中途半端だなぁと思った。右翼が天皇批判をしづらいのはわかるけれど、せっかく昭和天皇の戦争責任ヤ人柄について触れているのに、彼自身はどう判断しているのかがまったく書かれていない。

(『朝まで生テレビ!』で)「野村さんは言った。マッカーサーに会って天皇は、「全ては自分の責任」だと言った。それに「終戦の詔勅」では、「五内為に裂く」と言われている。終戦というこの辛い決断をするに当たり、また、国民の死と苦労を思うにつれ、体がバラバラに裂けそうだ。そう言われたのだ、と。」
  「この時、向いに座っていた小沢遼子さんがすかさず言った。「でも、実際に裂いた人はいたじゃないの」」。
  「「裂いた人はいた」というのは、特攻の父・大西瀧治郎や陸軍大臣阿南惟幾などが自決したことを言ったのだろう。また、戦地で玉砕した人々のことを言ったのだろう。それに比べて、天皇はそんなことはしない。退位もしていない。そう言いたかったのだろう」。
  (「私は貝になりたい」の映画を見て)「、あらゆる所で、「陛下の命令だ」「陛下のためだ」と名前を使われたことを知らなかったのか。あるいは、知っていても、戦争だから仕方ないと思ったのか」。
  (2・26事件について)「断固討伐を命じた。この「強さ」の裏には、保阪正康の言うように「恐怖」もあったのだろう」。ここまで書いているのになぁ。

東條さんに責任を押し付けて自分の身を守った、情けない人だったというのは、『昭和天皇・マッカーサー会見』に書かれていた。天皇歴代の歴史から(って、わたしの知識はテレビとか小説のイメージだけどね)から見ても『やっぱり』だけどね。で、小沢さんの鋭い指摘に、邦男さんは何も答えていない。まぁ、これを紹介するだけでも右翼としては進歩的なのかもしれないけれど・・・

戦争は人を「鬼」にしてしまうことについても中途半端だなぁ。せっかく北朝鮮に行ってきたというのに・・・
  「農家に押し入り、民間人を殺す。それも、「面白がって」殺しているとしか思えない絵だ。拷問の絵も多い。民間人を米兵が押さえつけ、殺す。一気に殺すのではなく、大きなペンチで歯を抜く。牛の背にくくりつける。火あぶりにする。子供を地面に叩きつけて殺す。あるいは、捕えた人間に犬をけしかけて噛み殺させる。
  そして、米軍に責め殺されるのは女性が多い。それも美しい女性だ。そうした絵が気になったので、多く感じたのかもしれないが(もっとも、これは北朝鮮の「プロパガンダ」の面も大きいだろう。アメリカは否定するだろうし、別の本を読んだら、北と南の朝鮮人同志の戦いで死んだ人が多いと出ていた。しかし南の同胞を「敵」として描くよりは、アメリカを「敵」と描いた方がすっきりして、わかりやすいと思ったのかもしれない。もちろん、北の宣伝としてだ)。だが、僕が一番驚いたのは、そんな事ではない。面白がって責め、残忍に殺す米兵の(顔)なのだ。よくここまで描けるものだと思えるほどに、米兵の顔は憎々しげだ。悪党だ。悪魔だ。そして、ハッと思った。ここには鬼がいる。本物の鬼がいる。本物の「鬼畜」がいると思った。」
  考えてみたら奇妙だ。「鬼畜米英」と戦った日本人の意識には、「鬼」はいなかった。少なくとも信川博物館で見たような、リアルな鬼はいなかった。日本人は鬼とは戦わなかった。だから、こんな鬼の出てくる戦争画はなかった。一方、北朝鮮は、鬼と戦った。いや、彼らとしては、鬼に一方的に侵略され、虐殺されたのだ。変な表現だが、日本人が「求めていた」鬼がここにいた。そんなことを感じ、それらの絵の前で立ちすくんだ。

日本に「鬼」の絵がなかったのは、ご自分でも書いている通り、日本が戦場ではなかったからだよ。朝鮮戦争のように、実際に一般人が被害に会うことはなかった。空襲と原爆で多数の被害者が出ているけれど、直接ではないからね。ある意味、「鬼」の顔にならずに気楽に「鬼」の行為ができてしまったというか・・・その方が怖いことなのだけれど・・・。イラク戦争もテレビで見たように、ロケット弾がまるで花火のようにおきれいな画像。囚人に対する虐待はすざまじかったけれど、絵を描く前に写真がテレビで公開されちゃっているから、その必要がない。中国語の「鬼子」は、日本兵のこと。そう表現されるようなことを実際にしていたから言葉として絵として残っているのだよ。もちろん、「プロパガンダ」の要素もあるだろうけれど、それを言い訳にしてはいけないよ。

拉致問題については、蓮池さんも言っていたし、私もそう思う。さらに6カ国協議は日本のせいでうまく行かなくなったと中国に非難されたってね。まさしくそうだよ。
  「北朝鮮の外交のうまさ、したたかさを日本人は知らない。経済制裁を強化すれば、いつか北朝鮮は折れて出る。話し合いに応じ、核も放棄し、拉致被害者も全員返す・・・。そう思っている。しかし、何十年、何百年、「強硬意見」を吐いていても、事態は全く変わらない」。
  「金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑が田口さんの家族との面会後、記者会見で、こんなことを言っていた
  「北のプライドを守りながら、心を動かすことができる方法を考え、拉致被害者を帰国させる努力をすれば、奇跡は起こる」」.
  「安全圏にいて強硬意見を言うだけでは、事態は全く変わらない。どんな形でもいい、北朝鮮との交渉の場を探り、つくるべきだ」。

9・11のブッシュのやらせについても、DVDをもらって見ただろうに、その感想が書かれていない。「「陰謀説」が流れた。いや、時がたつに連れ、それを言う人が増えているような気がする」だけだ。自分なりにアメリカをどうとらえるか決めかねているのかなぁ。
  「今、アメリカに向かう覚悟が問われている。憎むにしろ、愛するにせよ、必死になって立ち向かうのだ。必死に憎み、必死に愛したことがあるのか。僕も問われている。皆も問われている。命を賭けてアメリカを考え、立ち向かう覚悟が必要なのだ」。
  と言うのなら、(私はアメリカを憎みもしないし、愛してもいないし、またその必要もないと思うけれど)アメリカがどういう体質の国家か、いいところと悪いところと両方を自分なりに理解・判断する必要はあるんじゃあないのかなぁ。

軍事的にも、経済的にも、外交面でも、少しアメリカから距離を置いて、先ずは対等な立場を築かないとね。16日の東京新聞に新「日米安保宣言協議へ、という記事が載っていた。密約がありながら、恥ずかしげもなく国民に「知らぬふり」を決め込んで、今まで以上にアメリカの貢君やら“パシリ”をやり続けていたら、日本はどうなっちゃうんだか。あな恐ろしや。





No.8

マルクスの逆襲

 りっちゃん
09/7/16

著者は三田誠広。「大学のキャンパスで、ヘルメットをかぶりタオルで覆面をした学生たちが、ゲバ棒(角材や鉄パイプ)振りまわしてゲリラ戦を展開するような場面を描いている」『僕って何』という本を書いた人だそうだ。大学の先生もしていて、読んだ学生に「昔はよかったのですね」、「先生、これって戦国時代ですね」と言われたとか。

私は70年安保のデモに参加はしたけれど、すでにOLだったから、大学紛争については知らないし、ヘルメットの色の違いも「へぇーっ、そうだったんだぁ」。「大人たちが作り上げた体制までは崩せない」というあきらめみたいなものはあったしねぇ。著者ほど郷愁は感じないなぁ。マルクスの『共産党宣言』は読んだけれど、著者の受け止め方とだいぶ違うような気もする。「いわしの頭」のような信じるものでもないし、理念とも感じたことはない。「疎外」は、夏見漱石かと・・・むしろ、非常にクールに世の中を分析している一つの理論だと思っていた。支配者というものがいて、どの時代もあまりにも圧制が続けば、抵抗するものが出て、支配者が入れ替わるものだと・・・「なるほど」と単純に思っていた。ただ、唯物史観とやらがいまいち納得できなかった。人間って実際はもっと複雑なものでは・・・それと、無産階級が支配すれば解決するといっても、実際に支配するものは少数で、一党独裁になるわけでしょう。庶民は「支配者は自分たちのことも考えてくれる」とそれこそ信じちゃうというか、お任せしちゃうところがあるから、結局権力を持っているものが、自分達だけの都合のいい世の中にし勝ち。経済論の一つだなんて、後で聞いてビックリした。へぇー。

この本では、その経済論の一つアダム・スミスの「神の手」なるものが、イギリスのジェントリーを想定して、資本家や経営者達に良識があるという前提に立って、政府の介入なしに、自由経済でいいという理論だと。その反対に「金持の富を国家管理にして適切な投資をすれば、生産性が高まり誰もが幸福になる(資産を奪われた金持は幸福ではないだろうが)というのがマルクスの理念である」のだそうだ。で、ソ連は失敗したけれど、なんと、
  「戦後日本の経済成長は、まさに社会主義と同様の統制経済によって成立したことが見えてくるだろう。実は、日本はマルクス主義国家だったのだ。だからマルクスの予言のように、欧米の資本主義国を追い越すような高度経済成長が実現した。マルクスがまちがっていなかったことのまざれもない証拠が、日本の経済成長だということもできる。
  敗戦の段階で、日本国民はすべてが大貧民だった。しかも、戦前のファシズムによる統制経済を推進した官僚機構はそのまま残っていたため、ただちにプロレタリアート独裁と同様の、国家主導の計画経済を実施することができたのである。」

確かに、日本の経済は社会主義的とも言われていたなぁ。でも、今は違う。
  「日本の官僚機構は強固で、わたしの見るところ、二十世紀末までは、社会主義国なみの統制力をもっていた。小泉純一郎というカリスマがあらわれて、構造改革と規制緩和というビジョンを打ち出すまでは、日本はマルクス主義国家だったといっていい。しかもその末期には、ソ連や東欧諸国と同様の、長期間の官僚支配による保守性と、官僚と民間の癒着によるシステムの空転が、国を滅亡させかねない経済の停滞と、制度の崩壊をもたらしたといえるだろう。」

「郵便局や銀行がかかえた資産は、行き場を失ってしまった。このあたりから、政府と官僚機構の迷走が始まることになる。」「ある程度、基幹産業が整備されたあとは、民間企業の自由競争にゆだねるとともに、世界の動きを見すえて、新しい産業を起こすための基礎研究や技術開発に、政府の資金を投入しなければならなかった。しかし政府と官僚は何もせず、ただ資金を地方にばらまいただけだった。
  それを批判する国民の目がなかった。わたしはそこに最大の問題点があったと思う」。

まことにそのとおりであります。で、著者は、「日本の行く道」でもあったように見た目が大事と、田舎を元の「美しい田園風景」にしようと提言している。「わたしたちの精神の支えとなる郷土に固有の風景を復活させるところから、わたしたちは再出発すべきではないだろうか。」と。

「このファンドには人格はない。良識もない。ひたすら金が金を生むことだけを求めて、投資した企業の経営に参画し、時には企業の乗っ取りを謀る、捕食動物のような本能的な攻撃性をもったモンスター、それがファンドなのだ。」。福祉の遅れた日本だから、庶民はせっせこ貯金に励んだ。「日本の労働者のわずかな預貯金が、銀行や証券会社を通じてファンドに投入され、モンスターの活動を支えているのだ。」確かに言えているなぁ。でも、一方でセイフティネットも充実させて欲しい。すでに救われない人がドッチャッといるのだから・・・。

「一人一人にできることは限られているが、多くの人が結集すれば、世の中を動かすことも不可能ではない。退職金などの資産を保有している人々が、金儲けのファンドに投資をするのではなく、良識のある経営者を支援したり、地域の伝統工芸や地場産業を支援したりして、持っているお金を、この国のため、あるいは郷土のために投資するという気概をもつようになれば、この国は変わっていくだろう」。気概も先行き不安なままでは、みんな自分のことで精一杯になってしまわないかなぁ。セイフティネットのほころびを修復するのと、同時進行でやれるといいねぇ。

「労働者が意欲を失い、働くモチベーションをもてなくなった社会は、必ず疲弊するだろう。無国籍資本に頼らない穏やかな経営、会社や地域社会がコミュニティーであるような、そういう社会を実現しない限り、日本という国に、未来はない。
  わたしは同世代の高齢者にも、子どもたちの世代にも、そしてこれから社会に出る若者たちにも、呼びかけたい。
  いまからでも遅くはない。団結しようではないか。そして、新しいコミュニティーを築くために、一歩を踏み出すのだ。
  ゲバ棒を持つ必要はないし、過剰に禁欲的になることもないが、金銭の魔力に惑わされずに、一人一人が良識をもち、自分にできることを少しずつ始める。まずは家族を大切にすることだ。仲間と楽しくやることも大切だ。そして郷土や、この国のために、自分にできることはないかと考えてみる。
  そこから、この国の未来がひらける。
  マルクスの逆襲が、これから始まるのだ」。

ぼちぼちとね、できることから。はい、やっていきたいです。





No.7

モハメッド・アリ

 りっちゃん
09/7/12

1974年、ザイールでのモハメッド・アリとジョージ・フェアマンとのヘビィ級王座決定戦、「キンシャサの奇跡」と言われる試合のドキュメント映画を見ました。

「蜂のように舞い、蜂のように刺す」は知っていたし、この試合も見た。けれどスポーツが苦手で、そう興味があったわけではない。ベトナム戦争への兵役を拒否し、王座を剥奪され、4年間試合を禁じられたことは、「だっけ?」という程度の記憶。カシアス・クレイからモハメッド・アリへの改名についても同様。私ってほんと、鈍感だったねぇ。イスラム教徒であることを公表と同時にリング名を変えている。「アメリカでの名前から、本来のアフリカの名前に変えた」ということだね。ザイールの黒人たちに、「アフリカの黒人は、アメリカの黒人が失くした“威厳”を持ち続けている」。で、また涙が出てしまいました。涙腺が弱くなっています。

アリの舌戦はすごい。相手も黒人なのに、「アフリカがふるさと」で、みんなを自分の味方にしてしまう。「ダンスをするんだ」と公言。相手を怒らせて体力を消耗させる作戦であることを悟らせないためか。興奮してしゃべっているのに、ちゃんと計算をしている。「アリ ボンバイエ」という掛け声も、「殺しちゃえ」というような怖い台詞なのだが、ウーン、ボクシングは勝たないと意味がない。子どもたちのための病院設立の約束も勝たないと守れないものねぇ。私好みではないけれど、アリはアリなりの「自分のできること」のベストを尽くしたのだと思う。カリスマって、こうやって作るのかぁ、とも思った。

「兵役拒否」の「理由」は、「ベトコンとなぜ戦うんだ?彼らは僕に何も悪いことはしていない」というようなことを言っていた。本当にそうだよ。非常に的をえた発言だ。「ハンサム」と自分のことを言っている。そう、「2枚目」ではないが、味のある顔である。そういえばうちの子もアメリカで「ハンサム」と言われたっけ。私もそう思う。マイケル・ジャクソンも子どもの頃はいい顔していたねぇ。黒人らしい顔。何で、整形したんだろう。黒人としての誇りとか自信がなかったんだろうねぇ。可哀想でならない。

自信と言えば、日本人も、民族としての伝統というのかなぁ、邦楽について、井崎さんが「リズムが単純」って言っていたけれど、「越後獅子」なんて、リズム面白いよ。お囃子だって。みんな知らないんだよなぁ。自分の国の音楽を。着物の着方だって着付けを習わないといけなかったり、左前で着ちゃた人もいたしなぁ。まぁ、伝統なるものを与党が言い出してからこっち、少しは着物姿も増えたから、それは良かったなぁと。日本人としての自信が出れば、「北朝鮮」や「中国」での出来事に大げさにびびったりすることも減ってくれるだろう。民俗の音楽、文化、名前や言葉。大事だねぇ。マスゴミの報道の仕方も問題だけどね。

わさわざアフリカで試合。飛行機の中で「パイロットもみんな黒人なんだ。アメリカでは考えられない」とうれしそうに報告するアリ。そして、黒人のミュージシャンも試合前の演奏会に出演するためにみんな集まってくる。ホテルの部屋にクーラーがついてなくてもいいさ。アフリカだもの。暑くて当たり前。彼らのアメリカで開花された音楽と、アフリカに住む人たちのダンスや歌、これがまたかっこいいんだなぁ。自然発生的に唱和するところがいい。日本の木遣りのスタイルだね。

4日に在日韓人資料館と高麗博物館とハシゴをしたけれど、民族教育をきちんとしている在日朝鮮人たちの方が、心豊かなのではないかなぁ。在日韓国人や日本の学校に通った子の方が、差別やイジメだけでなく、自分のルーツというか、アイデンティティをもてないという問題を抱えて、成人になっても苦労するのではないかと思う。アリの生き方のように、強くしぶとく生きられるといいけれど、彼も改名するまでは大変だったのだと思う。自転車を盗まれて、そいつをぶん殴りたい、というのが、ボクシングを始めるきっかけだとお母さんが言っていた。私は相手を傷つけたくないというのが先にたって、かえって中途半端にしてよくないのかもしれないな、とチラッと反省。でも、私はアリではないから、自分流で「できること」をやるしかないのだとも思う。世界一短い詩「ME WE」もステキな言葉だね。先ず自分を大切に、そして仲間との連帯。





No.6

長さんの救援事件簿

 りっちゃん
09/7/9

丸木美術館へ行った時に、車を出してくれた長さんからいただいた本。長さんは、福生九条の会の代表者のお連れ合いとしか認識していませんでしたが、長年、日本国民救援会杉並支部の事務局長をなさっていたとか。その時の運動をまとめた本です。

「日本国民救援会は、1928年4月に創設され、天皇制政治と軍国主義のもとで進歩的な人たちが捕えられ投獄されたとき、その犠牲者と家族を自らの危険も顧みず救援した組織です」。ということは、中研の浅川謙治先生も救援してもらったのかなぁ。「戦後は松川事件や白鳥事件、メーデー事件などの政治的謀略事件に対する活動、ビラまきやポスター張りなど言論・表現の自由を守る闘い、警察の違法行為や人権侵害に対する国家賠償請求裁判を進める活動、労働者に対する不当な解雇や差別などから労働者の権利を守る運動、無実の罪で訴えている人たちを救援する活動などを進めてきました」。うむ、冤罪を晴らす活動もやっていたのね。偉い!!「日本国民救援会は、国民の人権を守り、発展させるために活動してきた、いわゆる人権のボランティア組織です」。うむ、この言葉にウソはないと思うけれど、部外者から見れば、歴史的にも、共産党員を弾圧から守る組織だったのでは・・・と思うけど。浅川さんも投獄されていたときには共産党員だったはずだよ。ま、お陰さまで彼から私は中国語(?)を教わることが出来たのだから、ありがたいことなのですが・・・

目次にいっぱい「弾圧事件」とかあるけれど、そうなんだよなぁ。『公安警察』にも書いてあったけれど、警察に狙われているんだなぁ。おかしいよねぇ。昔みたいに地下にもぐっているわけでもないのに。ちゃんとした政党なんだけどなぁ。私は、身内で固まっている印象が強くて、あまり好きではないのだけれど・・・あっ、ごめん、長田さんもだけれど、わたしの知っている人は、ひとりひとりみんな良い人だよ。組織がです。今は、共産党に伸びてほしい時なので、一票入れようと思っています。

この本でも、扱った事件はほとんど共産党関係かな?隣でビラを撒いていたとか、獄中で話を聞いて冤罪とわかってとか、縁があって、救援活動に入ったというケースが多いです。そういう意味では、人情系とも言えるのですが・・・高円寺自転車盗難事件、若い活動家が乗っていた自転車に盗難届けが出ていたとかで、しつこく署に呼び出された件では、教訓として、「活動家は、特に無灯火、二人乗りは防衛の面からも慎むべきである」だって。おじさんたちが青年を心配しての言葉だねぇ。固い文面なんだけれど、ほのぼのさが感じられるよ。「自転車などの所有を常に確認し、無断使用をしないこと。特に人の集まるセンターなどに警察が盗難車をわざと置くといった、謀略まがいの例が出ている」。『公安警察』を読んだあとでは、ありえるなぁ、と思うよ。共産党員でなくても、気をつけなくっちゃ。2,3年前だと、無灯火で呼び止められてもこっちがオバサンでボロ自転車だとわかると「早く修理してね」で終わったのだけれど、この頃鍵がついていないから、って呼び止められて、盗難届けが出ていないかをチェックされるんだなぁ。もう6回。のん気に走らせている時だと良いけれど、「遅刻だっ!!」ってあせっている時は、ほんと困る。ちゃんとチェーン式の鍵をかごに載っけているのに・・・これが若い人だと、かばんの中身までチェックされるそうだよ。過剰警備ではないのかなぁ。もっと他にやることあるだろうに・・・若い警察官が気の毒でもある。無駄なことをさせるなよ。

そんなフラストレーションが原因なのか、堀川事件、タクシー運転手にいちゃもんつけて挙句に逮捕、「暴行」の偽証人まで用意しちゃった警官がいた。他に目撃者がいないと、警察官の方が正しいことになっちゃうし、えらいこっちゃだねぇ。偽証人はメキシコに行っちゃうし、それもどうもヤクザさんから「田中角栄」の名前が出てくる位だから、警察組織として、かばっちゃったんじゃぁないかという気がする。それを解きほぐして、控訴審で逆転無罪、国家賠償訴訟でも勝利判決を勝ち取るというのは、やはり組織がしっかりしているからでもある。うん、認めなくてはね。いい所は。11年間かかったそうだ。その間に悲劇も。偽証警官と偽証人は同級生だったのですが、その高校の先生は証人として出廷を前に自殺されているとか。なんか警察に言われたのかしら?「一方、偽証警官今井は、論旨免職で退職こそしましたが、巡査から巡査部長に出世していました。「時効」を理由に検察庁は偽証罪として起訴さえしませんでしたが、本来なら懲戒免職にすべきでしょう。また偽証の船水も、海外に逃亡していたのですから罪に問われるべきですが、依頼した今井が時効だからと不起訴としました。警察のこのような身内を庇う体質は今日もなお続いています」。というよりも、警察組織(つまりもっと偉い人たち)を守るために、いろんな手を使って庇い、最後は切って捨てたという印象。同級生だからと訳もわからず偽証した人もなんか気の毒だなぁ。メキシコ行きは自分の意志だったのだろうか?違うよなぁ。多分。

「山中事件」も凄い。1972年石川県での殺人事件なのだけれど、一審二審で死刑判決が出ていたのに、9回の現地調査、資金調達のための映画、美術展、コンサートなど広範な活動を経て、最高裁で逆転無罪。長さんは都本部の役員とかで、大活躍。その分、市長選の革新統一候補として立候補していたお連れ合いや支援者に「申し訳ない思いでいっぱいでした」となるんだけどね。「法廷が終わり外に出ると、傍聴者は大きな拍手で迎えられました。しばらく待っていると、11時52分、霜上則男さんが両親にしっかりと支えられて姿を現しました。「一審・二審の死刑判決から救い出したのです」「両親のもとへ取り戻すことが出来たのです」。このときほど救援運動をしていてよかったと思ったのは、私だけではなかったでしょう。この山中事件に係わることができたことは幸せでした。おもわず熱いものがこみ上げました。」

冤罪って、多いよねぇ。「山中事件」の場合も、犯人の自供で、主犯にされちゃったのだけれど、合理的な証拠の積み上げをしないで、自分達の思い込みやあせりで「誘導しちゃった」自供に頼りすぎるよね。しかもベルトコンベアー式死刑執行。やめてほしいなぁ。

長さんシリーズでまた本を書く予定とか。できれば、もっと長さんを前面に出してほしい。組織もひとりひとりの集合体。人間臭さ、人間同士のふれあいが大事だというのは、この本にも散りばめられている。お連れ合いさんとの会話とかも入れてほしいなぁ。ほのぼのタッチ、期待しています。





No.5

すばらしき愚民社会

 りっちゃん
09/7/7

著者は小谷野敦さん。題名と内容がだいぶ違う。愚かなのは、大学教授や、本を書いている知識人だそうだ。ご自分もその範疇に入る。いろんな人と論争をしている。喧嘩好き?で、大学の先生の仕事を干されてしまったようだよ。お気の毒と言うべきか。今の時代は発言する人は嫌がられるからねぇ。「猫を償うのに猫をもってせよ」というサイトを持っている。

裏表紙に、「日本の「大衆社会」は、新たな段階に突入した。三流大学が増殖し、物を知らないバカでも大学に入ってしまう。さらにネットという匿名の場の出現により、バカが堂々と意見するようになった!だが本当に「愚民」と呼ばれるべきは、大衆に媚びる、軟弱な「知識人」どもではないのか!?世間を敵に回す覚悟で彼らの欺瞞を叩く。過激かつ痛快な大衆論」とあるけれど、大衆については、「愛すべき人だ」というようなことしか書いていない。でも、彼らにも選挙権があり、彼ら(私も含めて)の生活が今、脅かされているのだから、大衆が政治を自分のものとするにはどうすべきかを書いてほしかった。それこそが知識人の役割ではないのか?知識人同士の喧嘩は、勝手にやっていれば・・・

論争については、あんまり興味がわかなかったけれど、なるほどと思ったのは、「階級」を認めない日本人、の項
  「そもそも、西洋の貴族は「地主」 でもある。地主であり、農場を経営していて、かつ支配階級なのだ。これに対して、日本でそういう形態の支配があったのは平安時代以後の荘園制だろう。鎌倉幕府は守護、地頭を任命したが、こうした武士階層は単に徴税権を持っていただけで、土地を自ら経営していたわけではない。土地は依然として貴族のものだったが、戦国時代に荘園制は解体し、土地の所有者は農民になった。徳川幕府の許でも、大名や旗本はやはり徴税権を持っていただけで、だからこそ幕府に転封を命じられれば家臣団だけを率いて新しい領地に移ったのである。島津氏が薩摩藩を不動産として持っていたわけではないのだ。  こんな奇妙な「支配層」は西洋にもシナにもインドにもない。だから明治初期の版籍奉還と秩禄処分で下層武士は全てを失い、大名も「華族」の称号と屋敷や動産は残ったが、西洋の貴族とはまるで違うものだったのだ。明治期のフランス人やロシア人が、日本の「貴族」は土地を持っていない、と聞けば、貴族でなくとも士官になれる、以上に驚いただろう。明治の「元勲」と呼ばれたのは、薩長土肥の家臣たちだったが、要するに成り上がり者であって、大名家の出身者が総理大臣になったのは、最近の細川護無が初めてである。」

日本には革命はなかった。「明治維新」が中途半端だったから良くなかった、とかいう考え方もあるけれど、私は「無血入城」を決めた、西郷さんと勝さんは好きだな。彼らは江戸の庶民のことを一番に考えたのだと思うよ。日本が英・仏の争いで荒されることも阻止したかったのだと思う。で、今もって中途半端であいまい。でも、それでいいとも思う。そこが日本のいいところでもあるし・・・ただ、明治政府になってから、「武力」に頼ろうとしたのが、後々の間違いを犯すことになったのだと思う。で、今も、いろんなことに目をつぶっているのは、これからに問題を残すねぇ。著者は、天皇制廃止論だそうな。私も。東條さんたちだけに責任をおっつけてはいけないよ。侵略戦争の最高責任者だった昭和天皇は亡くなっても、「最大の責任を持つはずの天皇が、その後も四十余年にわたって「象徴」として在位しつづけ」させてしまったことには、反省しないといけないなぁ。「悪名高い匿名掲示板「2ちゃんねる」の管理人を自称する西村博之は、既にいくつもの名誉穀損裁判で敗訴し、削除および賠償を裁判所から命じられているが、いずれも実行していない」。どうも高校の後輩らしいのだけれど、「ちゃんと責任はとれ!!」と私も思う。

「実際には階級ないし階層はあるのにそれを見ようとしないこと、それが日本の病根なのである」には同感だけれど、一方で「日本が世界的にみても格差の少ない社会であることは、いまなお事実である。全体から見れば些細な格差を、あたかも重大問題であるかのごとく論じる・・・」と逆なこともいっている。当事者にとっては、格差がたいしてないからこそ自分だけ落ちこぼれてしまうシンドサがあるのではないか?だから自殺する人が年間3万人以上。同時に、今だから、まだアメリカのように瓢箪型にならないように手が打てるのではないか?この本は「反貧困」が出る前だから、わかってないのもしょうがないけれど・・・

第十章 禁煙ファシズムと戦う、はもう最高にいい。他の悪法もだけれど、これも「いつの間にそんな法律ができていたのか、まるで気づかなかった」。「健康増進法」。煙草は嗜好品。吸うか吸わないかは自分で決める。こんな生きづらい世の中だもの。私は吸っていてやっと生きていけてるんだから・・・でも、排除されている分、喫煙所での喫煙者同士の連帯感がなんともいいのだよ。「われわれは迫害されていますなぁ」、見知らぬ人との会話が楽しい。車や電磁波、過労死、核兵器、いのちを脅かすものは他に一杯ある。そういうものは権力と結びついているから、なかなか減らないし、批判もあまりない。小谷野さん、ぜひ私の分も戦ってください。私?先ずは一服。





No.4

さんせいホール学習会

 りっちゃん
09/7/4

【未来を開く歴史〜東アジア3国の近現代史】
  第12回学習会

特別講演 『在日二世として生きてきて そして 朝鮮学校を取り巻く状況について』

愼基成氏 (西東京朝鮮第一初中級学校 学校長)

2009年7月25日(土) 午後1時半〜4時半
  於.さんせいホール 
(JR国立駅南口 富士見通り徒歩5分 国立公民館手前 向陽ビル地下1階)
  参加費 500円(会場費・資料代)
  主催 【未来を開く歴史】学習会・三多摩実行委員会

行かなくっちゃ。聞かなくっちゃ。慎校長のお話は、すご〜くいいのです。お人柄もすご〜くいいのです。皆さん、ぜひお集まりを。





No.3

戦争展

 りっちゃん
09/7/4

2009「平和のための戦争展・小平」
    一戦争のない世界をめざして―

日時  7月23日(木)〜26日(日)
      午前10時〜午後7時(最終日は、午後6時まで)
  場 所 小平市中央公民館1階ギャラリー
  主 催 2009 「平和のための戦争展・小平」実行委員会

今年はアジア太平洋戦争の終結から64年を迎えます。私たち市民の有志は、1995年から「平和のための戦争展・小平」という催しを始め、市民の皆さんに戦争の悲惨さと平和の尊さを資料展示という形で伝えてきました。この間1万人を超える方々が会場に足を運び、展示をご覧になリ、アンケートにその気持ちを残されました。その声の多くは過去の戦争をうれい、現在も続いているアフガンでの戦争などを心配するものでした。
  私たちは日本国憲法の成立の歴史と精神に学び、小平の地でその理想の実現のため不断の努力を続けたいと思います。今年も多くの市民の「戦争展を継続して欲しい」という声に耳を傾け、標記の催し(15回目)を下記のとおり開催いたします。
  市民の皆さまのご来場をお願い申し上げます。

展示内容
  A 小平と戦争・私たちの8月15日
  B 戦争に反対した人々
  C 基地の現状
  D 教育・子どもと戦争
    若者のコーナー

     特別企画
  講演
  7月25日(土)午後1時30分〜 中央公民館視聴覚室
   「戦争とメディアの役割」 元朝日新聞記者 古賀牧人
  文化行事
  7月26日(日)午後1時30分〜 中央公民館2Fホール
   合唱 「無言館・一本の鉛筆他」 合唱団「みらい」
    指揮 相澤登美子  ピアノ 田口悦子
   朗読 「馬ぬすびと」 サークル「むぎわらぼうし」
    演出 楯岡眞弓





No.2

外国人学校振興法

 りっちゃん
09/7/4

先週の土曜日、在日韓人歴史資料館高麗博物館と、「外国人学校振興法」のシンポジウムに行ってきました。在日韓人歴史資料館は、初めて行ったのですが、生活用品などの展示が私にとっても懐かしく感じたりして・・・皆様もぜひ一度足をお運びください。一番見て欲しいのは「強制連行なんかなかった!」っていう人たちかなぁ。高麗博物館には、朝鮮学校のことが特集されているというので、駆け足でしたが、応援が目的で・・・チマ友のことは載っていたけれど、うーん、ウリの会の紹介がなかったのが残念。タリの会も・・・名前くらいあって欲しかったなぁ。支援の輪が広がりつつあることを宣伝して欲しかった。

シンポジウムは、ちょっと遅刻。暑い日だったよ。ちょっとの道のりもふうふう。会場は在日韓国YMCAアジア青少年センター。ホテルにもなっていて、「山上のキリスト」らしき絵が飾ってあった。主催は「外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク」
  第一部は、 「外国人学校に関する法制度の歴史とそれを巡る昨今の動きについて」田中浩一橋大学名誉教授の報告。
  第二部は、 ●各校からの報告パネルディスカッション(エスコーラ・ピンゴ・デ・ジェンテ(ブラジル)、東京朝鮮学園、ホライゾン・ジャパン・インターナショナルスクール(?英語)、東京韓国学校、インディア・インターナショナルスクール、東京中華学校)
         ●外国人学校ネット作成の「外国人学校振興法」要綱の解説ー李春煕弁護士

朝鮮学校とお付き合いを始めてから、いろんなことを知った。素直で明るい子ども達、先生も若いのにしっかりしているし、給料安くて大変だろうに、頑張っている姿が好ましい。学校の中も(耐震構造になっていないし、だいぶ古い校舎らしいのだが)きれいにしている。授業の雰囲気もいい。授業内容も日本の公教育のそれをクリアしている。でも、差別はひどいねぇ。日本人として恥ずかしいよ。保護者からしっかり税金を取っておきながら、「各種学校」扱いで補助金がほとんどない。経済的な問題だけでなく、中学、高校への進学も、卒業資格が認められないから、途中で転校しないといけない。学校保健・保険・給食などからも排除されている。もちろん日本人の一部ではあるけれど、チマチョゴリを切ったり、子ども達を脅したりする不届き者もいる。公的機関が差別をやめれば、そういう人たちも減るだろうに。公式にはゴチョゴチョ言い訳じみたことを言っているらしいが、民族教育をしていることが気に食わないのだと、私は見ている。日本でもやればいいじゃん。日本の民族音楽もいいよぅ、お勧めしますよ。

タリの会でも話題になったが、もともと「憲法」の「教育の義務」の対象は、「国民」に限らず、「住民」にすればいいのだ。九条であんなひどい拡大解釈が許されているのだから、(私は許してないけれど・・・)こっちもそうせいよ、と思う。大体、日本に住む子ども達の教育をないがしろにしていては、将来にとってよくありません。特に、今、保護者が派遣切りなどにあっているブラジル人学校の子ども達のことが心配。早いところ法制度を確立して欲しい。朝鮮学校の補助金運動だって、国から変わってくれたら、市区町村も動きやすいではないか。国会提出間近と聞いたが、早期実現するといいねぇ。

ちょっと野次馬的な聞き方をしてしまったが、各校のお話が興味深かった。インドの学校の先生は英語を話していた。歴史からいってそういうことなのかと。韓国学園の先生は、片言の日本語、在日の方でなく、本国から任命されて来日されたのかなと・・・ホライゾン・ジャパンの授業料は年間120万円とか、朝鮮学校とは桁が違う。"インターナショナルスクール”という名に弱い日本人保護者もいるから・・・後の質問で「振興」という言葉が引っかかるという質問があったが、教育も商売にしたい人たち(米国の主張するグローバル化に教育分野も入っていたような・・・私も引っ掛かるなぁ)にこの「振興法」が利用されるのは困るなぁ。月曜の東京新聞では「支援法」となっていた。「ほどこしの支援」では良くないと思うものの、「当たり前の支援」と解釈すれば、「振興」よりはいいかも。日本の学校になじめない日本人の子ども達も通っているとか。インド式数学の授業を受けさせたいと希望する日本人保護者もいるとか。朝鮮学校や韓国学園、中華学校はナショナル・スクールと言われるらしいが、日本ともう一つの国の言語・文化を学べるということは、これもインターナショナルではないか。子どもたちが世界に目を広げられるチャンスという意味でも外国人学校は、外国人だけでなく、日本人も希望すれば、入学できるようにするといいと思う。

どこも良くて各種学校扱い。一条校とやらになればいいのだが、公的補助が全く或いは雀の涙ほどしかない。月謝に消費税がかかったり、通学定期が認められなかったり、寄付の免税措置がない、公的施設が借りられないなど、さまざまな苦労を背負って運営している。

ブラジル人学校は、生徒数が激減。教師も半数に。学校も保護者も財政的に相当しんどいみたい。37校で、児童数6615(08/6)→3878(09/1)→2888(09/6)。やめた子どものうち、ブラジルに帰国したのが51%、日本の学校へ通っているのが12%、在宅が22%。年齢は5歳までが35%、〜10歳が27%、〜14歳が23%、15歳以上が15%。親の再就職の問題も緊急だけれど、子ども達のことも緊急だよ。教育権ももちろんなおざりにしてはいけない、友達に合えない生活というのもよくないねぇ。こういう時こそ地方自治体の出番だと思う。みんなどうしているのかをちゃんと把握して、適切な援助をして欲しいねぇ。と言いつつ、バテバテで伝言板に載せるのが遅くなってしまった。以下に資料にあった要綱案を載せておきますので、目を通していただけるとうれしいです。


外国人学校振興法と関連法規改正案 要綱案

第1 外国人学校振興法制定の必要性
  1 外国人学校の現状
  (1)日本に住む外国人は、すでに215万以上となる(2008年末、外国人登録者数)が、その子どもたちの多くが外国人学校に通っている。
  2007年9月現在、日本には73校の朝鮮学校、98校のブラジル学校、その他、中華学校、韓国学園など数十校のナショナル・スクールと、インターナショナル・スクールなど、210校以上の外国人学校があり(『日本の中の外国人学校』より。なお、小・中・高校を併設している学校は1校と数えている。)、数万人の子どもたちがそこに学んでいる。外国人学校は、外国人・民族的マイノリティの子どもたちの教育を受ける権利保障の拠点として、きわめて重要な役割を担っている。
  (2)朝鮮学校、中華学校、韓国学園など従来から存在する外国人学校は、「各種学校」(学校教育法第83条)としての認可を取得しているが、これらの学校は「一条校」でないとの理由で、日本学校と比べて、上級学校への受験資格、助成金の額、寄付金に対する税制上の優遇措置の不適用など、さまざまな差別がなされている。そのほか、一条校でないがゆえに、学校給食や学校保健、学校保険などからも排除され、同じ地域に住む子ども達なのに、同じ栄養状態、健康状態が保障されないという問題や、各種の奨学金制度の対象から除外されているなど、多くの問題がある。
  (3) 近年ブラジル学校、ベルー学校など、南米系の外国人学校が急増しているが、これら南米系の外国人学校は、ほとんどが各種学校の認可も取得しておらず、単なる「私塾」としてしか扱われていない。その結果、@地方自治体からの補助がない、A授業料には消費税が課される、B学校に対する寄付金について税制上の優遇措置を受けられない(この点は各種学校も同様)、C通学定期券の対象とならない、D各種スポーツ大会への参加もできないなど、学校運営には多くの困難な問題が生じている。
   多くの都道府県は、各種学校・準学校法人の認可基準において、一定額の自己資金の保有を求めるなど、厳格な要件を課しているが、ブラジル学校・ペルー学校の多くが、このような基準をクリアすることは、たいへん困難である。いくつかの都道府県では各種学校の認可基準緩和が実現し、現在までに5校が各種学校としての認可を取得しているが、多くの都道府県では、認可基準を緩和していない。

2 制度的保障の必要性
  (1)このような外国人学校をめぐる諸問題が生じる根本的な要因は、日本の現行教育法制上、外国人学校が正規の教育機関として位置づけられていないことに求められる。さらにいえば、外国人・民族的マイノリティの子どもの教育を受ける権利が明文で保障されていないことが問題の核心である。
  (2)そこで、我々は、外国人学校の制度的保障実現のため、外国人学校振興法の制定と、教育基本法、学校教育法などの関連法規の改正を求め、本要綱をまとめた。
  各法案の概要は第2で述べるが、その骨子は以下のとおりである。
   @ 教育基本法の改正
    外国人・民族的マイノリティの子どもには、日本国憲法および国際人権諸条約によって、教育を受ける権利を保障されており、居住国である日本政府は、この権利を補償する義務を負っていることを明記する。
   A 学校教育法の改正
    学校教育法に「外国人学校」のカテゴリーを新設し、学校教育法上、一条校に準ずる正規の教育施設として位置づける。
   B 外国人学校振興法の制定
    国、都道府県などに外国人学校振興のための義務を課すとともに、外国人学校について、受験資格、助成金、税制上の優遇措置などあらゆる場面で一条校に準じた取り扱いを行うこととする(私立学校振興助成法など関連法規の改正も含む)。

第2 外国人学校振興法と関連法規改正案
  1 法改正の全体像
  (1)教育基本法の改正
  ・外国人・民族的マイノリティの子どもには、日本国憲法及び国際人権諸条約によって、教育を受ける権利(教育権)が保障されており、居住国である日本政府は、この権利を保障する義務を負っていることを教育基本法に明記する。
  (2)学校教育法の改正
  ・外国人学校を、学校教育法上、一条校に準じる教育施設として位置づける。
   →外国人学校を各種学校ではなく、「日本に居住する外国人を対象として普通教育を行うことを主たる目的とする教育施設」として明確に位置づける。
   ※学校教育法を改正し、「第11章の2 外国人学校」を追加する。
  ・認可の方法、基準について
   →文部科学大臣の定める外国人学校設置基準に基づき、都道府県知事が認可を行う。
    外国人学校設置基準は、児童・教員数、校地・校舎の面積等、運営・設備面での外形的基準を設けるにとどまり、原則として教育内容に介入しない。
    外国人学校設置基準の策定にあたっては、外国人学校の設置者となるべきものにとって過度な負担とならないよう配慮しなければならない(現在、各種学校として認可を得ている学校はおおむね認可が取得できることを想定)。
    行政から独立し、当事者である外国人を構成員として含む第三者機関(外国人学校審議会など)を設置し、かかる第三者機関の意見を尊重して認可を行うものとする。
  (3)外国人学校振興法の制定
  ・外国人学校に対する各種の振興策を定める(下記2参照)。
  ・学校教育法上の認可を取得していない教育施設であっても、国際的評価機関認定校や本国認定校については、外国人学校振興法における振興の対象となる外国人学校とみなす(みなし外国人学校)。
  ・みなし外国人学校以外の未認可施設に対しても一定の支援を行う。

2 外国人学校振興法の概要
  (1)対象
  ・学校教育法にもとづき外国人学校としての認可を得た学校に加え、@国際的評価機関の認定を受けた学校、及び、A本国認定校についても、みなし外国人学校として外国人学校振興法における振興の対象とする。
  (2)振興策の主な内容
  ・外国人学校の自主性の尊重、差別的取扱いの禁止
  ・地方公共団体の任務
    外国人学校における教育の充実や児童・保護者の負担軽減のための措置など
  ・文部科学大臣の任務
    調査・研究・資料整備、地方公共団体に対する指導、助言、あっせんなど
  ・事業者などの責務
    公共交通機関や、奨学団体などの民間事業者なども、外国人学校の児童・保護者の負担軽減に努める責務などを有する(通学定期券や奨学金の付与など)。
  ・保護者に対する援助
    都道府県は、外国人学校の保護者に対し、図書購入費、交通費などの経費援助を行う。
  ・義務教育実施機関としての認定
    外国人学校を義務教育実施機関とし、外国人学校に就学した場合は就学義務を履行したものとみなす。
  ・上級学校に対する受験資格の付与
    外国人学校の卒業生に、上級学校への受験資格を付与する。
  (3)未認可施設への支援
  ・国及び地方公共団体は、未認可施設(外国人学校としての認可を取得していないが外国人の子どもに対する教育活動を行っている教育施設)に対しても、認可取得経費や経常費などの補助を行う。
   この点、「待機児童ゼロ作戦」において、未認可保育所に対しても、認可保育所への移行経費の助成、消費税の免税措置などが行われている前例を参考とし、「不就学ゼロ」を目指すことが必要である。
  3 その他の関連法規の改正案
  (1)私立学校法の改正
  ・私立学校法を改正して外国人学校に関する規定を設ける。
  (2)私学助成や税制上の優遇措置について
  ・外国人学校設置法人を、私立学校振興助成法による助成の対象とする(経常費に対する助成も可能とする)。
  ・助成などの措置を講じるにあたって、一般の私立学校との間で、また、外国人学校間で、差別的取扱いをしてはならない。
  (3)その他
   関係法令を整備し、外国人学校について、あらゆる場面で一条校に準じた取り扱いを行う(学校保健など)。





No.1

 母なる夜

 りっちゃん
09/7/4

ヴォネガットさんの3作目。ハワード・W・キャンベル・ジュニアの告白を著者が編集したということになっている。
  「この人物はあまりにも公然と悪に仕え、あまりにも密かに善に仕えたが、その罪は彼の時代が負うべきである。」
  題名の「母なる夜」とは、ファウストに出て来るそうだ。単純に言えば「悪」なんだろうけれど・・・ホローコーストや人種差別はあってはならないと思うけれど・・・アメリカ=“善”でないことは、ドレスデンの空爆を体験したヴォネガットさんは、承知の上。風刺や皮肉もちりばめて・・・面白く読みながら、いろいろ考えてしまう。人間の心って難しい。
  ナチの人たちはあまりにも厳格な親に育てられ、成長し親の束縛から逃れても、子どもの頃と同じように権威に従ってしまったのではないか?、という説を読んだことがある。オウムの場合はどうだったのだろうか?

イスラエルで監禁されている時にアイヒマンと言葉を交わす。質問のほうは、ヴォネガットの創作だが、答えの方はどうも史実にのっとっているようだ。
  「あなたは六百万人のユダヤ人の虐殺について有罪だとお考えですか」とわたしはたずねた。
  「全然思わんね」と、アウシュヴィッツ監獄の建造者であり、火葬炉へのベルトコンベアーの導入者であり、チクロンBというガスを世界一大量に消費したこの男は答えた。
  この男のことをよく知らないわたしは、仲間内だけに通じる皮肉をー仲間内ならば皮肉として通じるだろうと思ってーぶつけた。「いかがでしょう、あなたは単なる一軍人でしたから」とわたしは言った。「世界中どこでも軍人ならそうであるように、上長からの命令に服従しただけでは?」
  「・・・わしが展開しようとする弁論をどうして知った?」これを聞いて、彼は
  「私は、アイヒマンを裁こうとする裁判所に対する「法廷助言者」として、こういう自説を述べておきたい―アイヒマンには善悪を見分ける能力がなかった。いや、善と悪だけでなく、真実と虚偽、希望と絶望、美と醜、思いやりと残酷さ、喜劇と悲劇などは、アイヒマンの頭の中ではまるきり区別なしに処理されていたのだ―まるでラッパを貫通する散弾のように。
  わたしの場合は違う。私はうそをつくとき、いつもうそだと意識しているし、そのうそを信じた人がどれほど残酷な目にあうか想像できるし、残酷さは悪だということもちゃんと心得ている。わたしには、尿道結石を知らぬ間に排出することができないのと同じように、無意識のうちにうそをつくことなどできない。」と思うのだった。

ハワードの父は仕事中毒、母はアル中であったようだ。10歳の時に、母の異様な行動に怯えた体験を持つ。それ以来、母との距離を置くようになる。ドイツに転勤以降は、ドイツに育ち、脚本家となり、女優をしていた、ベルリンの警視総監の長女と結婚。両親が米国に帰国後もドイツに留まる。ナチの宣伝大臣ゲッペルスの下で、
  「わたしは一九四五年の終戦まで、英語圏に対するラジオによるナチ宣伝の原稿書きと放送によって生活費を稼いだ。国民啓蒙宣伝省のなかでアメリカ問題に関するトップの専門家と見なされていたのだ。
  戦争が終わると、わたしの名前は戦争犯罪人リストの最初のほうに挙げられた」。が、「青い妖精の代母」とハワードが名づけていた男に依頼され、米国のスパイにもなっていたハワードは、吊るされる運命から逃れ、ニューヨークに移住。屋根裏部屋にひとり住む。窓から見える小さな公園からときおり「オリーオリー・オックス・イン・フリー」という声が聞こえる。かくれんぼをしていた子どもたちが終わりを告げる、「もういいから出ておいで、うちに帰る時間だよ」というような意味合い。

ひっそりと暮らしていたハワードに、友達ができる。画家のクラフト。そして転機が訪れる。ハワード・キャンベルが、”あの”ハワード・キャンベルであることがばれてしまったのだ。イスラエル政府、ソ連、ドイツから追われることとなる。「代母」からは、米国政府は「オりーオリー・オックスフリー」とと呼ぶようなことはないと最初から言い渡されている。そこへ現われたのは、人種差別扇動家のジョーンズ達。この人たちがまた変わっていて、人が良くて面白い。酔っ払いでホームレス経験者の元司祭現秘書の「キーリー」、黒人のお抱え運転手、心臓発作で急死した副総裁。彼らは、行方不明となり、すでに死亡していると思っていた妻のヘルガを連れてきたのだ。

彼らはハワードを崇拝していた。もちろん放送も毎回聞いていた。
  「戦争中に真実を語った勇気に対して」とジョーンズは答えた。「あのころ、ほかの者はみんなうそをついていたからな」
  娘をドイツ軍人と結婚させたかった舅は、彼がスパイであることを以前から疑っていたが、最後に会った時にはこう言っていた.
  「きみが敵のために役立ったより以上にわれわれドイツ人のために役立ってくれたからだ」とノトは言った。「わしははっきり気づいた。わしがいま抱いている考えのほとんど全部、一人のナチ党員としてこれまで感じたり行ったりしたあらゆることを誇りにさせてくれる思想のほとんど全部は、ヒトラーからでも、ゲッペルスからでも、ヒムラーからでもなく―まさにきみから教え込まれたのだ」彼はわたしの手を握った。「ドイツは狂気に陥ったとあやうく思い込むところだったが、きみだけがそれを防いでくれた」」と。プロパガンダとは、実に凄いものだ。後に吊るされる舅も彼のお陰で心安らかに死ねたのかもしれない。

「無知」でもない、「精神異常」でもないハワードは、プロパガンダの影響力を知っていたのだろうか?射撃の標的を、ナチの一員としての立場を強固にするためにデザインしていた。
  「わたしは―ドイツ国内やジョーンズ家の地下室以外ではただばかばかしいと見なされるような―衝撃的効果をねらって、うんと大げさに、そして実力よりははるかに素人くさく描いた。
  にもかかわらず、それは成功であった。
  その成功にわたし自身が面食らった。」
  「わざと素人めかした描き方のおかげで、それは公衆便所の落書きに似ており、あの悪臭と病的な薄暗さ、じめじめとした音、そして便器の上でのあの汚らしいプライバシーを連想させ―したがって、戦地に送られた兵士の魂の状態をまさしく反映していた。
  私は意外にうまい絵を描いていたわけだ。」と述解する。アイヒマンへの皮肉同様、相手がどう受け止めるかについては、計算不足だったというわけだ。彼の放送を理解していたのは、ルーベルトだけだったのかも。

初めの方でイスラエルの刑務所の看守たち(交代で4人)の話から、暗示されることは、@すでにゲッペルスを知らない世代がいるということ、第二次世界大戦も長い人類の歴史の中のほんの一齣に過ぎない。A死への呼びかけは実に甘いささやきと感じられること。「ライヒェントレーガー・ツー・ヴァッヒェ」(死体搬出係は衛兵所まで)を繰り返し聞いているうちに、自分から志願してしまう。B自分の生命や他人の生命を救うためにどんな行動も起こさず、自分からガス室まで出向いた人々を侮蔑する人間は、ナチの親衛隊になって生き残ることをも恥じないこと。強い者勝ち?そういう人間はなぜか、人道に反するという裁判にはかけられないのだ。Cアウシュビッツの司令官へスの首吊りのために足を縛るのも、スーツケースを縛るのも同じような仕事であること。「あの戦争を体験したほとんどあらゆる人間は・・・」「不感症」。

その答えになるかどうか、ハワードも自分の部屋から出て行くつもりが、
  「 若いエブスタイン医師―少年時代をアウシュヴィッツで過ごした男―の部屋に通じる踊り場まできたとき、悪臭のせいでとうとうわたしの足は止まってしまった」。そして、エブスタインにイスラエル政府に通報するよう頼むのだった。それを見ていた母親は
  「「おまえだってこういう目つきを始めてみたわけではないだろう」と、彼女はドイツ語で息子に言った。「人からどこへ行けといわれなければ動けない、今度はこうしろと言われるのをいつも待っている、なにかしろと言われれば、だれの指図であろうと言われたとおりにする。はじめてじゃありません。アウシュヴィッツでこういう人を何千人も見たはずです」
  「覚えがないな」とエブスタインははねつけるように言った。
  「いいでしょう―」と母親は言った。「じゃ、代わりにわたしが思い出します。私は覚えてる。いつでも思い出せる」

ハワードは、もしかしたら、母親の狂気の原因から目をそむけた時から、「知的」ではあっても、自分なりに考えたり、選択することをせず、廻りの要請にこたえる人生を歩むことになったのかも知れない。ヘルガとの関係も、濃密ではあったが、ベッドの範囲から越えることもなく、話し合うこともせず、2人だけの国、彼女からの批判抜きの無条件の愛によって、精神的安定を得ていたのだ。それでは、本当の愛とは言えまい。本当の人間関係を紡ぐことから逃げていたとも言える。

ハワードが犯した罪とは、そういうことなのだと思う。そして、プロパガンダについては、受け取る側にも責任がある。「自己の知性ではなく心情に耳を傾ける男女が存在するかぎり、おそらく人類と共に永遠であろう」。みんな自分の都合の良いように受け取るのだ。

子育てについての教訓も含蓄が深い。「彼らは年じゅうほんものの大人の様子をうかがい、大人がなにを理由にして争うか、大人がなにを欲しがるか、大人はどうやってその欲望を満足させるか、大人はなぜ、どのようにうそをつくか、大人はなんのせいで頭が狂うか、その狂い方がどれほど多様であるか等々を学び取っているのです」。そう、子どもは実によく大人を観察している。そして、たいていは反面教師とはせず、真似をして育つ。大人が今をどう生きるかによって、日本の将来も変わってくるのだ。気をつけようね。





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