06年その2版井戸端会議風伝言板

何と良く働いたことよ。怪我も多かった。ひどく疲れた年でもあった。いじめ自殺が問題になりながらも教育基本法の改悪が通ってもしまった。もっと平和裏にきちんとした話し合いというものができないものか、その方法を私自身も身につけられたらとつくづく思う年でもあった。

No.37

太平洋戦記と不戦日記

 りっちゃん
06/12/31

沖縄の最後(古川成美)、ニューギニア戦記(金本林造)、戦中派不戦日記(山田風太郎)をやっと読了。本の整理をしながらなもので・・・

山田風さんは、私の愛読書「女牢秘抄」(主人公がおきゃんで頭も技もいいし、読むと元気になれるのよ)の著者でもあり、また、父に毎年年賀状を下さった方でもある。自称ニヒリストなそうですが、洒脱な方という印象。もう、当時お酒をお猪口一杯飲んだだけで寝込んでしまう父に「大兄が正月にきて七合五勺の酒をのんだら小生も探偵小説をかきます」なんてからかって・・・。病気のお見舞いの手紙もあり、根は優しい方でもあります。そう、不戦日記にも、病の老人もいるからと言われれば、いざと言う時は助けに行く約束をしちゃうし、自分も焼き出されだというのに、食べ物を道端の老人や子どもに分けちゃう・・・自覚がないけど人が好いんだろうねぇ。

医者の卵だと言うのに、医者の祖父に言わせたら、「馬鹿もん!」かな。叔父から聞いた話しだと、学校からの情報で、「日本は必ず勝つ!」なんて家で言おうものならそう一喝されたって。これからの日本をすぐ考えた祖父とは違い、8月15日は相当ショックだったようです。負けたことを理解するのに相当時間が掛かっている。

自殺し損ねた東条や、「自分と神道との関係は、神官として毎年一回、天照大神の着物を冬から夏に更える場合だけであった」と言い訳する梨本宮に腹を立てるのは人間として理解できるけれど、「骨の髄まで軍国主義的教育を叩きこまれた」風さんは、負けるよりは最後まで戦え!とか、天皇は日本の宝だとかも書いてあった。日本人は個人主義と利己主義との違いもわからん、とか、考えるということを知らないとか、とっても冷静な眼も持ち合わせながら・・・青年期だから揺れるというのもあるのだろうけれど・・・それしか知らなかったというのもあるのだろうね。怖いねぇ。一つに凝り固まった教育は・・・

「戦いて国を滅ぼすか、屈して永遠の汚辱に見えるか。実におそるべき関頭なり。決して小説中に於けるがごとき簡単なる命題にあらず。これ生きんとする本能と、光栄をつらぬかんとする理知との戦いなり。人間内部における動物と神との格闘なり。日本人はいずれをえらぶか。断じて屈するなかれ。恥を知り死を恐れざる民族たれ!」または、「それは、こうして死に物狂いで戦争をしている連中に対する、平和な人間の憤りだった。彼は呟いた。――『こんな風に殺し合いをするなんて、まるで正気の沙汰じゃねえ』ソオヴァジュ君はそれを引きとって――『畜生にも劣る奴らだ』(モーパッサン『二人の友』」平均的なあの頃の日本人よりは、ずーっと考えている。にもかかわらずなのだ。

知らないということで唖然とするのは、捕虜になることが別に恥辱でもなんでもないということを知らなかった兵士たちのこと。沖縄でもニューギニアでも、怪我や病のためもう戦えないのをわかっていながら、白旗をあげることができずに死んでいった人の何と多いことか。

ニューギニアでは、自分の行き先さえ知らされずに船に乗り込んでいる。ベトナムのアメリカ兵が、「殺す」ことのみを教わり、ベトナムの地理も歴史も民族性も教わらなかったのと本質的に同じであり、程度としてはもっとひどい。

戦中日記にある「敵米国は、日本兵相手においては、一寸刻みのひた押し戦法を取る。すなわち戦車一台を50人の歩兵取り巻き、上空に一機の飛行機を廃止、一歩一歩、警戒しつつ前進し来る。これに対してわが兵は、モグラのごとく穴を掘り・・・」はニューギニアにも書いてあった。「菊と刀」に書いてあったように、日本兵は恐れられていたんだね。と同時に、兵士の命の重さの違い。「特攻隊」の考え方そのものが、じいちゃんの言う「馬鹿だ」と思う。物量でかなわない敵に飛行機ぶつけて、ますます飛行機が減ってしまうではないか。そして、なによりも兵士の命も捨てて構わないという考え方に「大馬鹿もん!!」である。

兵士の死亡原因のほとんどが餓死であったと聞いてはいたが、ニューギニアでもひどいものだ。補給路の確保さえ確認せずに陸路でのポートモレスビー攻略作戦を敢行している。

「それは『南海支隊よ。お前たちは、各自が背負った八升の米を食い終わるまでにポートモレスビーを攻略せよ。それが不可能な場合は、執拗な敵兵の他に、空腹と飢餓とを相手として死ぬまで戦いなさい。糧を敵に求めると言う戦訓もあるではないか』と命令するに等しい」

ジャングルなら、逃げる途中で食べ物を見つけられるかも、と言う私の想像は甘かったね。蛸壺に閉じこもっていては、食べ物を探しに外にはでられない。敵に見つかる。狩猟をする武器も弾薬もない。伝聞として死んだアメリカ兵の肉を食べたとあるけれど、また、日本兵のをという話しも聞いたことがあるけれど、確かに、それしかなかったんだろう。本当に戦争とは残酷で醜いものだ。

みんな栄養失調に陥るから、赤痢やマラリアにもかかりやすい。これは上層部の責任でしょ。なのに、けが人は名誉の負傷、病気は戦線離脱だからというので、車にも船にも乗せてもらえない。湿地帯の木に上って、食料を探しに降りる体力もない。木から落ちた時が死。情けないよね。人の命を軽視する日本軍って。アジア民族の解放?自分の国の兵士さえこんな扱いだもの。そんな偉そうなことを言う資格はどこにもないよ。

沖縄では地元民に、青酸カリを渡したり、住民の避難先に兵士も一緒になって、多数の犠牲者を出してしまう。何のための戦い? 目的がずれちゃうんだね。本当なら、一般人を守るための戦いのはず。今の日本でも「おんな子どもを守るため」とか言う声が聞こえるけれど、現実には、かつての戦争でも、これからの戦争でも、一般の人の方がはるかに犠牲者が多い。

「ここ、島のいや果てに来て遂に瀬戸物の食器を手に入れたのである。しかし、彼はそれを入手した時の住民の言葉が気になるらしく、頭をかきながら私に打ち明け話をした。『兵隊さん、貸して下さらんかという言葉はもう使いなさんな。兵隊さんに貸して、ものが戻ったためしがありますか、くれろといえば茶碗ぐらいあげます。さあ持ってゆきなさい』泉のそばで中年の主婦からそういう痛烈な言葉とともに、茶碗と皿をもらってきたのであった」

中国での略奪(奪光)と八路軍の軍歌(奪ってはいけない。それは軍閥のやることだ。住民に対価を支払いなさい)を思い浮かべる。ニューギニアでの民家への押し入りについても、日本兵は自分のしていることが悪いことだとまったく意識していない。地元民への差別意識から?それとも、軍隊で教えてもらってないから?両方だね。

日本が負けたのを悔しがる日本人。(子どもを兵隊にとられ、空襲に脅え、家を焼かれ、食べるものに事欠き、それでも我慢したのは、聖戦必勝を信じたから・・・)アホやなぁと敗戦があったからこそ生まれることになった私はつくづくそう思う。我慢したらいけないのよ。沖縄の主婦のように、文句言わなくっちゃ。教えてやらなくっちゃ。

友が「自分を省みるということができない人が増えた」という。被害者意識ばかりの人が・・・北朝鮮の国力も考えずにむやみに恐れる人も。銃器も兵器もいらない。なぜなら、その目的は人を殺すものでしかないから。自分を守るのなら、なんでも利用できるし、自分に栄養をつける事(自分力)が一番大事。なんてことを話す。国防も同じ。





No.36

爺川柳

 ボヤキの金太
06/12/23

三菱の 手先になった 裁判官   (さては、出世をネラッタな)

悪法も 金で買います ヤベェ首相

さくらバレ ヤベェ内閣 師走かな    (さくらまで使って・・さくらに追銭)

居直って 払えばいいだろ ヤベェ首相     (チンピラだね!)

露見して 蛙に小便 ヤベェ首相     (それでも引っ込めない)

まちのこえ ヤラセ買収 やり放題     (まちのこえとはタウンミーティングのこと、ズイブンヒドイことするね)

教基法 狂気の法に してしまい     (日の丸・君が代大手を振って)

つかみ金 官房長官 くせになり     (タウンミーティングの張本人は当時の官房長官!)

談合は オール与党の なせるワザ     (知事全部アヤシィ〜)

天の声 金のなる木 持っている      (悪代官は昔から変わらないねぇ)

夕張の メロン悲しい ツメの跡      (開発のつけは市民へ〜)

乱脈の 政府調査費 つけがきた      (領収書も要らなかったなんてっ!)

官房の 金庫も同じ 政調費     (自由勝手に何億円!それにタカルやくざ者)

四男を かばって居直る都知事かな     (石原さん、シナンの相が出ていますぞぉ〜)

吉兆で わいろもらって 知らん顔     (せがれの当選祝いだって?俺の甲斐ショだ!)

万三に 任せて安心 革新都政     (革新都政を実現しよう)

百人一首パロディ(天津風〜)
   伊吹風 子どもの未来を吹きとじて 自公(アベ)の責任 永久にわすれじ




教育基本法についての2首は、まったくです。なんだか涙が出そう。子どもたちの行き先が本当に心配です。こんなものを跳ね除けて、成長してくれ!と願わずにはいられない。

革新都政の「万三」がわからなかったので、問い合わせたところ、
「万三」とは元足立区長の吉田万三のことです。立候補の名乗りをあげた人です。
とのことでした。都政への私の返歌

誰でさえ 石原よりは ずっとまし

でも、でも、当選してくれないと意味がない。政党間で調整してほしいんだよね。統一候補を出してほしい。あいつには軍団がついているから、あんな奴でも、人を人とも思わない発言を繰り返している今でも、当選の可能性は高い。絶対に落としてほしいんだ。

ふむふむ、政調調査費は乱脈だったのね。本間・政府税調会長辞任の本来の原因はそこかぁ。まったく女性問題をとやかく言うのはおかしいと思ったよ。女性のことが問題になるには、ゴタゴタする原因は、男性の人間的欠陥があるからで、政治家としてふさわしくない、というのが今までの通念だった。小泉なんか絶対そうだよ。なのに不問。で、本間さんは「誠実なお付き合いをしています」と言ってた。私は好感を持った。自民党さんはこういう時、知らぬ存ぜぬで通していたからね。「お、素直でいいじゃん」。なのに、それを表に立てて、乱脈、つまりたかっていた人たちを守るために切ったんだな。よぉくわかったよ。

ありがとう、金さん、改め、ボヤキの金太さん。これからも爺川柳の投稿、期待しています。





No.34

教育がなっとらん!!

 りっちゃん
06/12/19

先日、求職活動中の私は、保育ママさんのパンフレットをもらいに、小平市役所に寄りました。小平就職情報室での相談で、「いま自分ができる、一番やりたいものを、幅広い選択肢の中で選びたい」となって、寄ることにしたのです。そこで驚くべきことが・・・

散々待たされた挙句出てきたのが、小平市認定家庭福祉員制度運営要綱と補助要綱。これではわかりづらいからいくつか質問をしました。その「補助者ってなんなの?」「ここに突然出てくるけれど、説明文はないの?」「ないとしたらこの文章そのものがおかしいよ」

パンフレットをもらうだけだからと連れを待たせていたので、急いではいましたが、突然「その口の聞き方はないでしょう!!」と怒り出しました。職員が・・・。びっくりして思わず「あなたは本当に市役所の人?」と聞いてしまいました。「あのね、市民にはいろんな人がいるの、どんな人にもきちんとした対応をするのが職員というものよ」と教えて差し上げましたが・・・「やれやれ」です。

市役所の職員というのは、市民の税金で給料をもらっている、市民のために働くのが本分で、それこそ「その口の聞き方はないでしょう!!」なんですけれどね。困ったことにこの若い兄ちゃんだけでなく、取り次いだおばさんも「やりたいんですって」と私を紹介していたんだよねぇ。「違います。やりたいかどうかを確かめるためにパンフレットがほしいのです」とわざわざ訂正を入れる手間を喰いました。

「まったく」教育がなっとらんのです。しかも、回りにこの異常な雰囲気がわからないはずはなく、「しら〜」とした雰囲気がその課に漂い、上司も誰もピタッと動かないことをしっかり確認して、急いでおりましたので、帰りましたが・・・

この市民(私のこと)、黙って打っちゃっては置かないで、ここに書き込むこともあるとは、わかっているのかなぁ。因縁の児童課です。市長が変わっても職員の質は変わってないや。小林正則市長、ご苦労さんだけど、職員教育にも力を入れてね。私も市民の義務というか、年上の責務かなぁ、職員を教育せねば・・・やれやれ、しんどいこっちゃ。





No.33

九条新党宣言

 りっちゃん
06/12/18

天木直人さんと筆坂秀世さんの対談本です。これは教育とは何ぞやという読み方もできます。傷ついた者の悲哀とそこからの立ち上がりとも読み取れます。政党批判も鋭い。何しろ外交官と政治家のプロだもんねぇ。

この二人と私は共通することが多い。失恋の傷と一緒にするな!と怒られそうだけれど、似たような経験をし、心の傷を負っているし、団塊の世代でもあるし、「支持政党なし」もご同様。そして、九条を誇りに思っていることも、日米安保条約をいつかは破棄したいと願っていることも・・・

天木さんはイラク戦争反対の公電により駐レバノン大使を辞めさせられたし、筆坂さんは、初めて知ったけれど、やり手の参議院議員でかの有名な「自衛隊のいるところが非戦闘地域」(つまり、無理やりでも自衛隊派遣したいが見えちゃった)の発言を引っ張り出した人なのだそうな。だからだろうと私は思うのだが、セクハラ事件を機に辞めさせられちゃった。共産党もね。お二人はこの言い方では嫌がるかな。自らの意思で辞めたと言ったほうがいいのかもしれない。でも、私から見ると、権力者のお邪魔になったので、都合よく辞めさせられたのだ。

さて、この二人、それぞれに癖がある。元官僚は、庶民の生活感とは金銭感覚がずれている。それに上からものを言う感じがする。小泉批判は楽しくも読めちゃうけれど、時にはこだわり過ぎの感もある。元政治家は、自分の意見を求められているのに、まず共産党だったら、という話が先にあり、しかも、ちょっとあいまい。穏やかにと気を使いすぎる。

天木さんの「はじめに」、筆坂さんの「おわりに」を読むと、対談の結果、二人が得たものの大きさがわかって面白い。上記のクセを互いに反省。というよりこれが教育だなぁと実感する。新しい(前の方が断然よかったと書いてもむなしいねぇ)教育基本法では、こういう教育のことは論外になるんだろうけれど・・・何せ無理やり押し込み教育法だもの。ついつい愚痴になる。

筆坂さんが「天木氏と私の間には、一致する意見も、一致しない意見もあった。このことをこの本では隠さずに掲載した。それは「言葉以外失うものは何もない」二人だからこそできたのだと思う。まったく違う人格と経歴を持った二人が、すべてで一致することなどありえない。私は、むしろそのことをこれからも大切にしていきたいと考えている」と書いている。失うものがある人も、意見や立場の違う人間が1対1できちんと話し合えば、必ず得ることがあるものだし、だからこそ面白いのに・・・。だけど、いつも間にかそれができづらい世の中になっている。いじめがどこにも蔓延している。詐欺も横行。話し合いができる雰囲気ではなくなった。

詐欺といえば、お二人の違いの一つ、「国民は愚かだ」と断言する天木さんに、国民の信託を受けて議員をしていた筆坂さん、その議論で、05.9.11についての私なりの結論が出たよ。選挙率が高かったのはよかった。だけど、みんな「改革詐欺」にあっちゃったんだよ。国民は愚かだった。これからは騙されないように賢くなってね。言葉と裏腹の現実をきちんと見て、次はしっかり情報を選択し、よく考えて1票を投じてください。

とまぁ、この本を読むと、また一つ賢くなれた。だから、教育の本でもある。

この本を読んではじめて知ったことも多い。例えば「自衛隊イラク派遣違憲訴訟」がほとんど却下されたなかで、「訴の利益」があるのではと、天木さんだけ切り離されて審理が続行していること。私の分まで頑張って!! イラクの人達を考えると胸が痛むんだもの。アメリカを中心とした「民間軍事会社」が兵站業務、収容所管理、ハイテク兵器の操作などに多く関っていること。儲けのためには、軍隊以上に好戦的になるだろうって。ゲゲッ。20数ヵ国の米軍駐留経費全部の合計より日本一国の負担の方が多いとか。思いやり予算が湯水のごとくか。冗談じゃねぇ。

筆坂さんが天木さんを「本当の外交官」と評している。筆坂さんも「本物の政治家」だねぇ。ロッキード事件のことや、若者の心理、北朝鮮ミサイル発射問題など「なるほど」とうなづくことの多いこと。もったいない。プロはその道におかなくて。筆坂さんを復帰させたい。天木さん、もう官僚は嫌だろうけれど、外務大臣やってほしいなぁ。

九条新党 八つの構想の最後、「当面の目標は日米軍事同盟をこれ以上進めさせない、米軍再編成への協力の誤りを徹底的に追及する、そして国民投票で改憲を拒否できるように国民に訴えていくことに専念する」に大賛成。

憲法前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」というのは、つまり、政府や既存政党にお任せではなく、主権者である国民ひとりひとりが、戦争への道を阻むために、何かごとかをなしうる力があり、そうする義務も背負っているということなんですね。

ということで、九条新党をよろしく!!





No.32

「戦争への道を許さない!歌い、語る 女たちのつどい」のお誘い

 りっちゃん
06/12/4

友だちから誘われたし、その日なら行ける。みなさまもいかが?

日時  12月16日(土)午後1時から4時半まで

場所  ハクジュ・ホール(代々木八幡)

参加費 1000円

主催  戦争への道を許さない女たちの連絡会

プログラム 第一部
・憲法朗読        高田 敏江
・憲法の歌        新谷 のり子
・女たちは語る      吉武 輝子
・わたしが一番きれいだったとき
  朗読          山田 邦子
  ピアノ・トーク    吉岡 しげ美
・リレートーク
  吉沢 久子、清水澄子、俵 萌子、江尻美恵子、銀林美恵子、中島通子、永井よし子、古今亭菊千代、ほか(順不同)

      第二部
・「一本の鉛筆」   歌        クミコ
             ピアノ     上条 泉
・ミュージック・ベル  柿本愛、吉武輝子
・リレートーク
  小山内美江子、三木睦子、土井たか子、久保田真苗、輝岡淑子、樋口恵子、石崎あつ子、山崎朋子、宮本なおみ、ほか(順  不同)




「戦争への道を許さない!!歌い語る女たちのつどい」に行ってきたら、この所の体調の悪さが一気に解消しちゃった。

吉武輝子さんがね、「砂利になれ!」って。大きな石では止められなくても砂利なら止められるって。

教育委員会の準公選が政争の具になってほとほと疲れて、今は赤城の山で猪に囲まれて暮らしている俵萌子さんが「疲れるときもある、でも元気が出ればまた動ける。赤城の山で戦争を語る会を開いたら、若者が一杯来てくれた。それぞれがやれることをやればいいんだ」とも言っていた。

つどいで初めてとうとう教育基本法が参院本会議でも可決され、防衛庁が防衛省になってしまうことを聞いたが、舞台に載った人もつどいに集まった人も、みんな、元気で、戦争は絶対に嫌!!というのを聞いて、本当に力強かった。

私も砂利だ。うん、私もここのみんな同様賢いから、小泉の「オレオレ詐欺」同様の「改革詐欺」に国民が引っかかってしまったことに心を痛めたけれど、戦争への道を阻む「砂利」として、これからも元気にやれることをやっていこうと思った。

戦争になれば、(いや、マスコミの動きを見ているともう戦争状態)、国民の自由は奪われる。企業への優遇減税の後は消費税の値上げがあるだろう。教育基本法の改悪のおかげで、教育ももっとおかしくなるだろう。若者の世代は、働かされ、生活に追われ、「考えるゆとり」を失っている。それでも私たちは、しんねり強く、凛として、自分らしく生きて生くだろう。人生を楽しく暮らせるように工夫しながらね。私もその一人。

これからも「戦争は嫌だ!!」と声をあげながら・・・おっともう一つ、「石原にもうんざり!!」





No.31

「教育基本法改悪を許すな!市民の絆大集会」のご案内

 りっちゃん
06/12/4

社民党 党首 福島みずほさんの名前でご案内が来たよ。防衛庁法案・国民投票法案・共謀罪法案の成立を阻止しよう! うんうん、阻止したい!! でも今週はちょっとお疲れ、なので、ここに載せるだけで勘弁してね。社民党以外でも、私にご案内くれたら、載せますよぅ。体調良かったら行くからねぇ。

皆様にはご健勝にてご活躍のことと存じます。

さて、政府提出の教育基本法案は、与党単独の採決強行で衆議院での議論を打ち切りました。

「いじめ自殺」「高校単位未履修」「タウンミーティングやらせ問題」とまさに教育のあり方にかかわる深刻な問題の議論を封じるような暴挙に、社民党をはじめとした野党は厳しく抗議しましたが、与党は単独で衆議院での委員会と本会議採決を強行しました。

とりわけ、タウンミーティング問題は重大です。「教育基本法改正を要望する」という国民の意見があったかの如く「やらせ偽装」したことが明らかになり、社民党の追求で「依頼発言者に5000円の謝礼を支払っていた」という事実が判明しました。全174回総額20億円をかけて実施されたタウンミーティングが、政府・与党の都合のいいように世論を偽り、メディアを欺いてきた責任は、当時官房長官だった安倍総理自身にあります。

与党は参議院教育基本法特別委員会での強行採決も視野に、防衛省昇格法案や共謀罪、国民投票法案とあわせて「強行突破」を辞さない姿勢です。教育が権力者のほしいままに操られ、批判や異議申し立てを許さない「戦前の教育」に回帰する道を開いてはなりません。

このため、私対は広範な各界の方々と連携を強め、これらの悪法の成立を阻止するため、緊急の「市民の絆・大集会」を下記の要領で開催させていただくことといたしました。

若い方も、お年寄りの方も、学生も、社会人の方も、こぞってご参加ください。お待ちしております。

1、日時 : 12月7日(木) 18:30〜

2、場所 : 社会文化会館 5F 大ホール

3、名称 : 防衛省法案・国民投票法案・共謀罪法案の成立を阻止しよう!
         教育基本法改悪を許すな! 市民の絆大集会

4、主催 : 社会民主党

5、プログラム : 
            司会・進行  阿部知子 政策審議会長・衆議院議員
            主催者挨拶  福島みずほ 党首
            教育基本法特別委員会の報告  衆議院の闘い 保坂展人・衆議院議員  参議院の闘い 近藤正道・参議院議員             各界からのリレートーク
             ◎ジャン・ユンカーマン  映画監督
             ◎斉藤貴男        ジャーナリスト
             ◎星川 淳        翻訳家
             ◎小河義伸        日本キリスト教協議会副議長
             ◎高田 健     許すな!憲法改悪・市民連絡会
             ◎俵 義文 子どもと教科書全国ネット21事務局長
             ◎西川重則 平和遺族会全国連絡会代表
             ◎清水澄子 平和フォーラム副代表

まとめ      又市征治 幹事長・参議院議員

※連絡先 : 社民党平和市民委員会 TEL03-3592-7507 FAX03-3506-9080





No.30

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

 阿古十郎
06/11/29

アメリカのインターネット・テレビで、大変面白い講演を見ました。英語のままでは、まず大半の方に見ていただけないので、翻訳しました。

Democracy Now!
2006年11月24日金曜日

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

ハワード・ジンは我が国において最も著名な歴史学者の一人だ。彼の古典的作品「民衆のアメリカ史」我々のアメリカ史に対する考え方を変えた。25年前に最初に刊行された、本は百万部以上売れ、毎年販売部数が伸びるという出版界の事件になっている。[以下に文字おこし原稿あり]

第二次世界大戦で、爆撃手として軍務についた後、ハワード・ジンは生涯にわたる反体制派の平和活動家となった。過去40年間にわたって、彼は公民権運動や社会的公正の為の多くの闘争で活動している。歴史的に黒人女性の大学であるスペルマン・カレッジで教えていたが、学生達の為に立ち上がった業務命令違反のかどで解雇された。最近彼は、卒業式の演説をするため、同大学から招かれた。ハワード・ジンは沢山の本を書いており、ボストン大学名誉教授である。彼は最近ウイスコンシンのマディソンで講演し、Lifetime Contribution to Critical Scholarshipに対するヘブン・センター賞を受賞した。彼の講義「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」をお送りする。

ハワード・ジン:

マディソンはとても特別な場所です。ここにやってくる度に特別な感情を抱きます。私は違う国にいるように感じています。それで今は嬉しく思っています。アメリカの政治に愛想をつかして、どこかよその国に移住する人もいます。いいえ。マディソンに来てください。

そこで、私はまずお礼を申し上げることになっています。皆さんがどなたであれ、おいで頂いて嬉しく思います。照明が私を目覚めさせようとまぶしく照らしています。

さて、皆さんは何か占領された国に暮らしているように感じられませんか?朝目が覚めた時に、そういう感じがすることが良くあります。「占領された国に暮らしているのだ。エイリアンたちの小さな集団がこの国を乗っ取って、自分たちのしたい放題のことをしようとしており、実際にそうしているのです。」と私は考えるのです。つまり彼らは私にとってはエイリアンなのです。メキシコの国境を越えてやってくる人々は私にとってエイリアンではありません。そうです。アメリカで暮らすためにやってきたイスラム教徒は、私にとってエイリアンではありません。つい最近の移民の権利を訴える素晴らしいデモで、例えば「いかなる人間も、エイリアン(外国人)ではない。」というプラカードをご覧になったでしょう。私はこれは本当だと思います。ワシントンの連中を除いてですが。

彼らがこの国を乗っ取ったのです。彼らが政策を乗っ取ったのです。彼らは我々を二つの悲惨な戦争に引きずり込んだのです。我が国にとって悲惨であり、中東の人々にとってはさらに悲惨です。そして、連中はこの国の富を吸い上げ、それを金持ちに与えています。多国籍企業に与えています。ハリバートンに与え、武器メーカーに与えています。彼らは環境を破壊しています。しかも連中は10,000発の核兵器を握って離しません。それなのに、イランが十年すると核兵器を一つ持つようになるかも知れないという事実を、我々に心配させたいわけです。全く、どこまでおかしくなっているのでしょう?

そこで問題は、一体どうしてこういうことが起きるような羽目になったのでしょう?連中はどうやって好き勝手ができたのでしょう?連中は国民の意志に従ってはいません。つまり、彼らは、戦争を始めた直後の極めて短い時間の間に国民の意思を創り出したのです。政府なら武力紛争が始まった直後にそれができるのですが、戦争ヒステリーの雰囲気を創り出せるようにしたのです。そこでしばらくの間は、アメリカ国民の心を掴んでいたのです。それはもはや真実ではありません。アメリカ国民は何が起きているのか理解し始め、ワシントンの政策に反対するようになりましたが、もちろん連中は依然としてあそこにいます。連中は依然として権力を握っています。疑問は、ですから、連中がいかにしてまんまとこれをやってのけられたのかということです。

それで、疑問に答えようと、ナチス・ドイツの歴史をちょっと調べてみました。いえ我々がナチス・ドイツというわけではありませんが、誰からでも、人の歴史からも教訓は得られます。この場合、私はヘルマン・ゲーリングの思想に興味があったのです。ご存じかもしれませんが、ヒットラーの副司令官で、ドイツ空軍のトップでした。第二次世界大戦が終わった時に、ナチス指導者がニュルンベルクで裁判にかけられた際に、ヘルマン・ゲーリングもナチス政権の他の指導者達と一緒に刑務所に入れられました。そしてニュルンベルク裁判の被告に面接する仕事を与えられた心理学者が彼を訪問したのです。

それでこの心理学者は記録をとり、実際、戦争から数年後に「ニュルンベルク日記」という本を書きました。自分が書いたことを本に書いています。ヘルマン・ゲーリングとの会話を記録したのです。彼はゲーリングに、ヒットラー、ナチスがドイツ人を一体どうやってあのように馬鹿げた戦争と侵略の破滅的な政策を支持するようにできたのか尋ねたのです?で、手元にそのノートがたまたまあるのですが。我々はいつも言うのですね。「たまたま、これが手元にありまして。」

ゲーリングは言っています。「もちろん国民は戦争を望んではいない。なぜ畑にいる貧しいまぬけが、自分の命を戦争にさらそうなどと望むだろう?だが、結局、政策を決定するのは国家指導者だ。国民はいつでも指導者達の命令に従わせることができる。連中に、連中は攻撃されているのだと言って、平和主義者は愛国心に欠けると非難するだけで良いのだ。これはどこの国でも同様に機能する。」

私には最後の行が興味深いものでした。「これはどこの国でも同様に機能する。」つまり、ここで、彼らはナチスです。あれはファシスト体制です。アメリカはデモクラシーです。けれども、自分の国を何制度と呼ぼうと、これはどこの国でも同様に機能するのです。自分の国を全体主義国家と呼ぼうと、あるいは自国をデモクラシーと呼ぼうと、同じように機能するのです。つまり、国家指導者達は国民を、丸め込んだり、無理強いしたり、唆したりして戦争をさせることができるのです。国民を脅かし、国民が危険な状態にあると言い、もしも支持しなければ、非愛国的と見なされるぞと国民を脅迫し、無理強いして。そして、これが9/11直後にこの国で本当に起きたことなのです。これがブッシュがイラクの大量破壊兵器という妖怪をよみがえらせた直後に起きて、しばらくの間アメリカ国民がこれを支持するようにさせたわけです。

けれども問題は、どうやって連中がまんまとそれをやりおおせたかです?新聞はどうでしょう?テレビはどうでしょう?政府がしていることを暴くのは新聞の仕事ではありませんか?テレビの仕事ではありませんか? ジャーナリズムの仕事ではありませんか?ジャーナリスト達はI・F・ストーンから学ばないのでしょうか?「ひとつだけ覚えておくように」と彼はジャーナリズムを勉強している若者に言いました。「ひとつだけ覚えておくように。政府は嘘をつくものなのです。」ところがマスコミはそれに注意しなかったのでしょう。マスコミは支持したのです。彼らは大量破壊兵器というアイデアを喜んで受け入れたのです。覚えておいででしょう。コーリン・パウエルがイラク戦争開始の直前に国連に登場し、彼によればイラクが所有するのだといううんざりするほど大量の武器を国連で説明し、大変な詳細まであげたのです。この弾筒がいくつあるか、これが何トンあるか、云々と。そして翌日、新聞報道は称賛で輝いていました。彼らは、質問してみるという、自分たちの仕事をしなかったのです。彼らは尋ねるという自分たちの仕事をしなかったのです。「どこに?あなたの証拠は何ですか?どこからそうした諜報情報を入手したのですか?誰と話をしましたか?あなたの情報源は何ですか?」

大学の新入生として皆さんは学ばれたのではありませんか?「おい、君の典拠は何だね?脚注はどこにある?」そうではないのです。マスコミはただ、ワシントン・ポストはこう書いたのです。「イラクが大量破壊兵器を所有していることを疑うことができる人がいようとは、想像することが困難だ。」そしてニューヨーク・タイムズは、ご存じのように、ひたすら我を忘れてコーリン・パウエルを称賛したのです。もちろん、これはみな本当でないことがわかりました。全て嘘だったことがわかりました。しかし報道機関はその職務を果たさなかったのです。その結果、テレビを見ているアメリカ人、新聞を読んでいるアメリカ人には、代替の情報源は無く、代替の意見はなく、何がおきてるかについて代替の批判的分析はありませんでした。

そこで質問です。新聞で読んだものをなぜいまだに国民は信じているのでしょう、テレビで見たものをなぜ国民は信じるのでしょう?そこで私は、それは歴史の喪失とどこか関係があると主張したいのです、そう、スタッズ・ターケルが「国家的健忘症」と名付けた歴史を忘れているのか、それともまずい歴史を学ばなかったのか、皆さんが教わっている類の歴史の勉強のせいです。コロンブスは英雄だった。テディー・ルーズベルトは英雄だ。アンドリュー・ジャクソンは英雄だ。大統領や将軍や実業家だったあらゆる人々。彼らは偉大だ。彼らはアメリカを偉大にした人々だ。そしてアメリカは世界において常に良いことを行ってきた。そしてアメリカにも、もちろんちょっとした問題はあった。例えば、奴隷制度のようなものが。しかしアメリカはそれを克服した、等々。いいえ、そういう類の歴史ではありません。

アメリカ国民がもし本当に歴史を知れば、アメリカ国民がもし歴史を学べば、もし教育機関がその職務を遂行していれば、もしもマスコミが国民に歴史的大局観を提供するという自分たちの職務を果たせば、そうすれば国民は理解するでしょう。大統領がマイクの前に立って、あれやこれやの理由、自由の為にあるいはデモクラシーの為に、あるいは我々が危機にあるので等々の理由から、我々は戦争を始めなければならないと言った時に、もしも国民が多少の歴史知識を持っていれば、大統領達が一体何度国民に、あれやこれやの理由で我々は戦争を始めなければならないと宣言したか知っていたはずです。人々はポルク大統領かこう言ったことを知っていたはずです。「我々はメキシコに対する戦争を進めなければならない。なぜなら、国境でおきた事件があったためで、我々の名誉が戦うことを要求しているのだ。」

もしも多少の歴史を知っていれば、マッキンリー大統領がどうやって国民をスペインとキューバに対する戦争に引きずり込んだかを知っていたはずです。「我々はキューバ人をスペインの支配から解放するのだ。」と言いながら。そして実際そこにはごくわずかの真実はありました。アメリカは戦争を始め、スペインに対して戦い、我々はスペインをキューバから追い出しました。我々は彼らをスペインからは解放しましたが、我々から解放してはいないのです。そこで、スペインが追い出されて、ユナイテッド・フルーツが入り込み、やがてはアメリカの銀行や、アメリカ企業は入りました。

それで、もしも人々が自分たちの歴史を知れば、思い出せたはずだと思います。アメリカ陸軍が既にフィリピンにおり、そしてアメリカ海軍が既にフィリピンにいる時にマッキンリー大統領が何と言ったか、そして偉大なヒーロー大統領の一人セオドア・ルーズベルトが、戦争をしたくてたまらずにいたことを。マッキンリーがどこにフィリピンがあるのか知らなかったことを知っていたでしょう。ただ今では大統領達は頻繁に事前に要点を教えて貰って、どこに何があるか教えてもらっています。ジョージ・ブッシュは「ここがイラクだ。」と言いました。リンドン・ジョンソンは「ここがトンキン湾だ。」と言いました。連中は事前の教育が必要なのです。

皆は分かっていたはずなのです。大統領が、もしも皆が歴史を知っていれば、マッキンリー大統領が「我々はフィリピンに入って、フィリピン人を文明化し、キリスト教化する。」と言ったことを。そしてもしも彼らが自国の歴史を知っていれば、もしも歴史本が、大半のページをわずか三ヶ月しか続かなかった米西戦争にさくかわりに、歴史の本が二十世紀初期フィリピンにおける戦争について多少ページをさいていれば。何と七年も続いた血まみれの戦争で、住民の虐殺や、皆殺しを行ったフィリピン戦争については、事実上ほとんどページをさいていません。そういう歴史は本に載らないのです。アメリカはフィリピン人を文明化しキリスト教化して、我々の支配を確立したのです。

皆分かっていたはずです。大統領が「私たちは中東にデモクラシーをもたらすつもりだ」と言うのを聞けば、一体何度アメリカが侵略した他国にデモクラシーを押しつけたか分かるはずなのです。皆、チリにデモクラシーをもたらしたかどうか分かっていたでしょう。チリで民主的に選出された政府を、アメリカは1973年に転覆させたのです。アメリカがまたもや民主的に選出された政府を転覆した時に、アメリカがどのようにしてグアテマラにデモクラシーをもたらしたかを皆が知っていたはずなのです。そう、アメリカは民主的選挙が好きで、アメリカは自由選挙が好きです。ただそれはよその政府がおかしな方向に行かない時に限ります。おかしな方向にゆくと、アメリカは陸軍かCIAか秘密工作員を送り込んでその政府を転覆するのです。

もしも国民がそうい歴史を知っていたら、瞬間たりともブッシュ大統領を決して信じたりはしなかったでしょう。彼が、あれこれの理由と自由とデモクラシーの為に、そしてイラクは脅威なのだから、我々はイラクを攻める、と言ったときに。当局が皆に言う物事に対して懐疑的になるには多少の歴史的な理解が必要なのです。

皆さんが歴史を知れば、I・F・ストーンが言ったように政府は嘘をつくものだということが分かります。ストーンは言いました。政府は常に嘘をつくものなのです。もちろん、アメリカ政府だけではありません。それが政府というものの本性なのです。そう、連中は嘘をつかざるをえないのです。概して、政府というものは自分たちが支配する社会の人々を代表してはいないのです。政府は人々を代表してはおらず、また、政府は人々の利害に反して行動するので、権力を握り続けるための唯一の方法は、人々に嘘をつくということなのです。もしも政府が国民に真実を告げれば、政府は長くは続きません。ですから歴史は、偽りを理解し、政府が何を言おうと、それを慌てて信じ込むのではなく、懐疑的になることの手助けになります。

もしも多少の歴史を知っていれば、恐らくはもっとより基本的なことを理解できるはずなのです。この戦争に嘘をついたり、この侵略に嘘をついたり、あの干渉に嘘をついたりという問題よりも、もっと基本的なこと、もしもみんなが多少の歴史を知っていれば。ある種社会の基本的事実、我が国の社会を含め、政府の利害と国民の利害は同じではないことを理解できるはずなのです。

これを知っておくことはきわめて重要です。我々全員が共通の利害を持っていると政府は必死で説得しようとするからです。もしも政府が「国益」という言葉を使う場合には、国益などありません。あるのは、彼らの利害と我々の利害です。国家の治安とは誰の治安でしょう?国防とは、一体誰の防衛でしょう?こうした言葉や文句は全て私たちを「素晴らしい大きなきずな」に囲い込もうとして使われているのです。わが国の指導者の人々は我々の利害を心に留めておいてくれると思いこむように。これを理解することはとても重要です。とんでもない、連中は我々の利害など気にかけてはいません。

イラクに出征する若者が話すのを聞く機会がおありでしょう。若者がベトナムに出征する時に同じことを聞いたのを思い出します。記者が若者の所にいって言うのです。「ねえ、あなた、あなたは出征してゆきますが、それをどう考えていて、なぜそうするのです?」すると若者は答えます。「お国のために行くのです。」違います。彼は彼の国の為に行くのではありません。そして彼女は彼女の国の為に行くのではありません。戦争に赴く人々は彼らの国の為に戦っているのではありません。ちがうのです。彼らは自分たちの国に対して何も良い行いをしてはいません。彼らは自分たちの家族に対して何も良い行いをしてはいません。彼らは現地の人々に対しても何も良い行いはしていません。ともかく彼らは、彼らの国のためにそうしているのではありません。彼らは、それを彼らの政府のためにしているのです。彼らはそれをブッシュのためにしているのです。こういう言い方の方がより正確でしょう。「私はジョージ・ブッシュの為に戦うべく、出征するのです。私はチェニーの為に戦うべく、出征するのです。私はラムズフェルドの為に戦うべく、出征するのです。私はハリバートンの為に戦うべく、出征するのです。」そうなのです。こういう言い方の方が真実を語っています。

ですから、実際、この国の歴史を知るには、アメリカ国内では、最初から、権力を握っている人々と普通の人々の間に利害の衝突があったことを知るべきなのです。私たちは、イギリスに対してアメリカ革命を戦った一つの幸せな大家族だったのではありません。思い出します。学校では、彼らは愛国者で、バレー・フォージやバンカー・ヒル、その他で我々全員がともに働き、英国兵士やイギリス人に対して戦った、等々というように思われたのです。決してそんなことはなかったのです。統一された国ではなかったのです。

ワシントンは将軍達を南部に送らざるを得ませんでした。若者に対して武力を行使して軍務につかせたのです。独立軍の兵士はワシントンに対して反乱したのです。将校に対して。陸軍には階級紛争があったからです。独立戦争以前の植民地の至る所で階級紛争があったのと同じように。そう、軍隊を知っている人なら誰でも、軍隊にいったことがある人ならだれでも、軍隊というのは階級社会であることを知っています。兵卒がいて、将校がいます。そして独立戦争では、兵卒は靴を貰えず、衣服も貰えず、食料も貰えず、給料も貰っていなかったのです。一方将校は華麗な生活をしていたのです。それで、彼らは反乱したのです。何千人もです。

そういうことを学校の歴史で学んだという記憶はありません。なぜなら神話があるからです。いわく、アメリカは、一つの幸福な大家族だ。黒人奴隷も含めてでしょうか?私たちが彼らから、一マイル、一マイルと、じわじわ土地を奪い取った先住アメリカ人を含めてでしょうか?私たちは一つの幸福な大家族でしょうか?そうしたこと全てから取り残されていた女性達は。そうではありません。基本的な事実を理解することは非常に重要です。国を運営する人々と私たちとでは、我々の利害は同じではありません。

ですから、歴史は理解に有効なのです。他の国民と同じ国民だということを理解するのに。幼い頃からずっと教え込まれているような、アメリカは世界で最も優れている、アメリカはナンバー・ワンだ、アメリカは最高だ、というわけではないことを理解するのに。これは、社会科学におけるアメリカ例外主義と呼ばれるものです。アメリカ合衆国は、国家というものの法則の例外だ。つまり、国家というものの一般法則は、国家はかなり悪辣なものだというのです。だがアメリカ合衆国、我が国は正しい。アメリカは世界の中で善を行っていると。

そう遠くない昔、私はラジオ番組に出ました。インタビューされたのです。普通の商業放送局でした。普通の商業放送局にでてインタビューされるのは好きです。局の連中は、誰を呼んでいるのか良く知らないからです。そこで彼が言ったのです。「ジン教授、アメリカは、概して、世界の中で、世のため人のためになる力だったと思われませんか?」「いや、いや、いや。」なぜこう尋ねないのでしょう。「大英帝国はアフリカでは世のため人のためになる力だったと思いますか。ベルギー人はコンゴで世のため人のためになる力でしたか。あるいはフランスはインドシナで世のため人のためになる力でしたか?海兵隊を中米に何度も何度も派遣した時に、アメリカ合衆国は、世のため人のためになる力だったと思われますか」そうではありません。

けれども、アメリカにはご存じの別の認識があるのです。アメリカは違うというのが。我が国は偉大だ、と。まあ、アメリカには確かに偉大な点があるでしょうが、それはアメリカが他国にしたことではありません。アメリカが黒人にしたことではありません。アメリカが先住アメリカ人にしたことではありません。彼らが組合を組織し、反抗して立ち上がるまで12時間労働に苦しんだこの国の労働者にアメリカがしたことではありません。そうではないのです。我々は自分に正直でなければなりません。

これは実行するのはとても難しいことです。自分自身に対して正直になることは。皆「私は忠誠を誓います」等というよう育てられているのです。「全員のための自由と公正」「アメリカに神の恩寵がありますように」なぜ我々なのでしょう?なぜ神はアメリカに恩寵を与えるのでしょう?なぜ神はアメリカだけを恩寵を与えようと選び出すのでしょう?ねえ。なぜ「皆に神の恩寵がありますように」ではないのでしょう?もしも実際、私たちが育てられていれば、もしも我々がアメリカの歴史を理解するように育てられていれば、アメリカも他の国民と同じだ、ただしアメリカはより大きく、より多くの銃砲と爆弾があるので、もっと暴力が行えるのだということが分かるはずなのです。他の帝国がそこまではできなかったことを、アメリカはできるのです。アメリカ人は豊かです。そう、アメリカ人の全員がというわけではありません。アメリカ人の一部がそうなのですよね?しかし、我々は正直でなければなりません。

人々がアルコール中毒者更生会に入会するのは、立ち上がって、自分自身について素直になるためではありませんか?帝国主義者更生会という名前の組織を立ち上げる必要があるかも知れません。この国の指導者達が、その会の全国網テレビ放送にでて言うのです。「そう、皆さんに本当の事をお話しする時期ですね。」そうなれば、私はそうなるとは期待していませんが、そうなれば爽快でしょう。

そして、もし我々がこの歴史を知っていれば、人々が他の人々に対してひどいことをするようにどうヒステリーを作り上げるのか、恐れさせられたがゆえに、人々に自分たち自身の利害と反対の行動をさせるための方法として、恐怖がどれだけ頻繁に利用されたのかを理解できるでしょう。南部における大半のリンチの動機になったのは恐怖とヒステリーだったのではありませんか?黒人への恐怖、黒人に対するヒステリーが、白人に我が国の歴史の中行われたことの中でも最も残虐なことをさせたのではありませんか?現代でもそうではありませんか?恐怖が、イスラム教徒に対する恐怖、単にテロリストに対してだけでなく、一般的に?もちろんテロリストへの恐怖、特にイスラム教徒に対する恐怖もありますね。アメリカ国民に繰り返して吹き込んだ非常に醜い感情で、一種のヒステリーを創り出し、それが、政府が国民を支配し、彼らが次々と起こす戦争に我々を送りこめるようにし、脅かして、また次の戦争にというわけです。

もし我々が多少の歴史を知っていれば、冷戦に伴ったヒステリー、共産主義に対するヒステリーのことを理解できるでしょう。共産主義が存在しなかったわけではないのです、テロリズムが存在しているのと同様に。共産主義が問題なのではありません。共産主義は存在しました。そしてソ連がありました。ソ連は自国民に対して圧政的で、東ヨーロッパを支配していました。けれどもソ連の脅威にたいする極端な誇張があり、それ昂じて、いや彼らは東ヨーロッパにいるというだけではないのだ。彼らは西ヨーロッパを侵略しようとしているのだ、となったのです。

ついでながら、その証拠は何もありません。近年、ソ連専門家だったCIAアナリスト達が人前に現れて、ソ連が西ヨーロッパを侵略するつもりだという証拠は何も無かったと言っています。しかしそれに対抗してNATOが組織されました。それに対抗してアメリカ合衆国は膨大な核の兵器庫を築き上げたのです。

ソ連はいつもアメリカ合衆国より遅れていました。政府はソ連を脅威だといって持ち上げましたが、結局の所、誰が最初に原子爆弾を手に入れたのでしょう?誰よりも原子爆弾を沢山もっているのは誰でしょう?日本の二つの都会に暮らす普通の人々の上に原子爆弾を実際に落とした唯一の国はどこでしたか?ですから、だれが原子爆弾を使うのでしょう。原子爆弾を溜め込んでいるアメリカが、死にものぐるいで追いつこうとしている国々に対するヒステリーを創り出したのです。もちろんイランは決して追いつきません。北朝鮮も決して追いつきません。ソ連は追いつこうとしました。けれども、この妖怪のような脅威を創り出すことによって、何兆ドルものこの国の富を軍事予算に費やしたのです。

共産主義に対するヒステリーが高まりました。ソ連が原子爆弾を投下しようとしていたので生徒が机の下に隠れたりしたということだけを言っているのではありません。ソ連が原子爆弾を投下しようとしていたという証拠は何もなかったのです。ついでながら、アメリカ統合参謀本部が、アメリカ政府首脳部の連中が、実に様々な時に、予防戦争を、ソ連に核兵器を投下することを提案したという証拠があります。しかし、アメリカは、非常に不気味で、どこにでもあるような脅威を創り出したので、子供達は、そう、机の下に隠れたのです。そしてまた、世界のどこであれ、アメリカ合衆国の気に入らないことが起きると、それが世界共産主義者の脅威の一部になりました。

それで、共産主義と対処する為なら、ラテン・アメリカのどこの国でも、我々の好きな国に押し入れたのです。共産主義者の脅威があったがゆえに、アメリカは陸軍をベトナムに派遣し、結果として数百万人の人々が亡くなったのです。ベトナムが世界における共産主義者の脅威の象徴になっていたためです。考えてみれば、既に共産主義の北と反共の南に分割されていたベトナムが、この小さな国の半分が共産主義者になるのを恐れることがどれだけ馬鹿らしいことか。すぐ北では10億人の人々が共産主義になっていたのです。これはどうも奇怪です。

けれども、恐怖とヒステリーを創り出せば、奇怪な考え方がまかり通るようになるのです。そして今我々は、もちろん現在の状況は、テロリズムという厄介なものに直面しているわけです。のべつ幕なしのジョージ・ブッシュや彼の閣僚の演説、ひっきりなしに連中が使う言葉「テロリズム」と「テロ」を考えてください。あれはアメリカ国民を脅かすために彼らが創り出した呪文です。

その効き目も薄れてきたと私は思います。多少の理解が始まったように思います。それが、世論が戦争反対になったという事実の背景です。国民はもはやアメリカがテロリズムを打ち負かすためにイラクで戦っているとは信じていません。なぜなら証拠がそれほど圧倒的に出てきて、大手マスコミでさえ報道するようになっているからです。国家情報評価がそうです。政府自身の諜報機関がイラクでの戦争がテロリスト集団を成長させる原因になって、中東のイスラム教徒集団の好戦性と急進主義を増していると言っているのです。

しかし、国民に国民の利害に反することをさせるため、国民の若い子供達を戦争に送り出す羽目になるようなことをさせるため、戦争という目的の為に、国家の富の枯渇を引き起こし、大金持ちをさらに富ませるためのことをさせるための企みとして、テロリズムが共産主義に置き換わったのです。テロリズムについて、誰かがテロリズムに対する戦争の話をするとき、連中が用語の上で矛盾していることを悟るのはさほど難しいことではありません。もしも戦争そのものがテロリズムだったら、どうやってテロリズムに対する戦争を起こすことができるでしょう?なぜなら、テロリズムにテロリズムで対応しているので、世界のテロリズムを増やすだけだからです。

そして、もちろん、政府が戦争をすることで行えるテロリズムは、アルカイダやらあれこれもろもろの集団のテロリズムより、遙かに遙かに大きな規模なのです。政府はとてつもなく大規模なテロリストなのです。アメリカ合衆国は、アフガニスタンに対して、イラクに対して、ずっとテロリズムを行っており、今や彼らはそのテロリズムを中東の他地域にも広げると脅しているのです。

そして、恐怖とヒステリー利用の歴史や、冷戦と反共ヒステリーの歴史は、今我々が経験していることに対して人々に注意を喚起するのに非常に役立ちます。つまり、イランの場合、例えば、けしからぬことですが、マスコミはイラン核兵器でひどい役割を果たしています。彼らは核兵器を欲している。彼らは核兵器を持っているとは言っていません。彼らは核兵器を欲している。私もそうです。核兵器をほしがるのは簡単です。膨大な軍事力をもった国に向かい合っていて、そうした膨大な軍事力をもった国の軍事力にはとうで対抗できそうもないような小国は、アメリカ合衆国がとった戦略の真似をしているのです。アメリカ合衆国は言いました。「我々は抑止力を持たねばならない。」「なぜアメリカは10,000基もの核兵器を持っているのだろう?」と尋ねた場合、一体何回これを聞きましたか。「我々は抑止力を持たねばならない」そう、彼らも抑止力が欲しいのです。核兵器一基をですね。

イラクはそういう状況にありませんでした。ご存じでしょう。コンドリーサ・ライスの発言を。「キノコ雲」我々は広島と長崎の上にキノコ雲を創り出した唯一の国なのです。イラクはキノコ雲を創り出せる立場にありませんでした。中東と核兵器のあらゆる専門家が言っていました。イラクが核兵器を開発するには5から10年かかる。それなのにアメリカは核兵器に対するヒステリーを創り出していたのです。

今アメリカは同じ事をイランにしているのです。そして国連の国際原子力機関はイランの核兵器の危険性について語っている議会報告とは真っ向から矛盾しています。もう何度も何度もイランで査察した国際機関は言っています。彼らはアメリカ国民に、ある種中途半端な教育をしてくれています。政府は言っています。政府は「連中はウランを濃縮している。」という言い回しを使います。これは気味が悪いですね。「彼らはウランを濃縮しているのだ」と。本当のところそれがどういう意味か私は知りませんが、ぞっとします。国際原子力機関の報告を読むと、たしかに、彼らはやっているのです。彼らはウランを3.5%まで濃縮したのです。核兵器を一つ作る為には、彼らはそれを90%まで濃縮しなければならないのです。彼らは一発の核兵器開発からさえ、遙かに遙かに遠いところにいるのですが、「濃縮ウラン」という言葉は、何度も何度も繰り返されるのです。

ですから、そう、我々は多少の歴史的な知識が必要なのです。イラクを思い出してみてください、ベトナムをめぐるヒステリーを思い出してください。「わー、共産主義者が南ベトナムを占領するかもしれない!」それからどうなるのでしょう?サンフランシスコまでわずかあと一歩。とんでもない。レーガンがニカラグアのコントラを支持していた時、彼が言っていたのを覚えておられる方もいるでしょう。「ニカラグアがどこにあるかご存じでしょう?連中がテキサスにやってくるまでにさほどはかかりません。」私はそれはおかしいと思いました。私は考えたのです。一体なぜニカラグア人がテキサスに来たいと思うだろう?これは別にテキサスを中傷しているわけではありませんが、仮に連中がテキサスに来たとして、それから何をするのでしょう?ユナイテッド・エアラインのワシントン便に乗るのでしょうか。彼らは何をするのでしょう?けれども、起きているものごとに対する自覚を、ヒステリーがどれほど完ぺきに損なってしまうかを理解するには、こうした歴史の一部を知ることが本当に極めて重要なのです。

少し違うお話をしたいと思います。残り時間がどれほどか心配になってきました。どれだけ長くお話したのでしょう。まあ本音は、どれだけお話したのか心配などしていません。気にしていません。時計を見ては時間を気にしているふりをしているだけでして。何時に話を始めたのか覚えていないので、どれだけの時間お話したのかわかりませんが。

ともかく、どこかの時点でイラクにおける戦争は終わります。どこかの時点でアメリカ合衆国はベトナムでしたことを、イラクでもするのです。「我々は決して去らない。我々は決して去りはしない。我々は勝利する。我々は最後まで頑張る。我々は急いで逃げたりはしない。」といっておいた後で。ある時点で、アメリカ合衆国はイラクから大急ぎで逃げ出すしかなくなるのです。連中がそうすることになるのは、この国の中で反対する感情が益々、益々強くなってゆくからです。そして益々多くの兵士がイラクから帰国して「二度と戻らないぞ」と言うからです。彼らが、イラクへの軍隊補給を益々難しくするからです。若者の両親達がますます「私たちの若者をベクテルやハリバートンの為の戦争に送ることを許すつもりはない。そんなことをするつもりはない。」と発言するようになるからです。ある時点で、そう、ある時点で、政府が今してはならないと言っていることを私たちはすることになります。つまり大急ぎで逃げ出すのです。

大急ぎで逃げ出す必要はありません。歩き去る。泳ぎ去る。とにかく、出来る限り早く去ることです。あそこでアメリカは何もいいことをしているわけではないのですから。アメリカは状況を良くする助けをしてはいません。アメリカは平和をもたらしてはいません。アメリカはデモクラシーをもたらしてはいません。アメリカは安定をもたらしてはいません。アメリカがもたらしているのは、暴力と混沌です。アメリカはそうしたこと全てを引き起こし、人々が日々亡くなっています。民主党の指導者が「さあ、2000年5月14日なり何年何月何日なりまでには撤退すべきだと思う」という時。よろしいですか。その日まで、毎日より多くの人々が死に、より多くの人々が手足を失い、目が見えなくなるのです。ですからそれは耐え難いことです。そこで、我々は出来る限りのことをしなければなりません。

ベトナムの場合には、ある時点で政府が戦争を続けられないことに気がついたのです。GIがベトナムから帰国して戦争に反対しました。政府は彼らを予備役将校訓練団に参加させることはできませんでした。余りに多くの人々がカナダに逃げました。余りに多くの人々が徴兵書類に署名をしようとしなかったのです。最後は、徴兵制を廃止しなければならなくなったのです。政府は国民の支持を失いつつあったのです。政府は軍の支持を失いつつあったのです。ある時点で。

これに似た何かがおきるでしょう。私たちが、それがなるべく早く起きるようにできれば、もちろんその方がいいのです。我々が多くの高校に行けば行くほど、これは極めて実務的なことですが、ごく実務的なことで、誰でも出来ることですが、それは地方の高校に行って、両親達全員に、高校の全生徒に自分たちの情報を軍徴兵官に渡す必要は無いことをしっかり理解してもらうことです。お分かりですね。益々多くの人々のチームが軍徴兵官のプロパガンダに反論するようになるのです。

連中が苦労していることを知っています。連中は軍の新兵補充で自暴自棄になりつつあります。出来る限りのことをやっています。もちろん、連中は力を集中しています。連中は軍徴兵官を最も貧しい高校に派遣しているのです。なぜなら労働者階級の子供達こそが最も勧誘に弱いことを、一番生活に困っていて、教育が必要で、技術が必要で等々ということを知っているからです。それで連中は労働者階級を餌食にしようとしているのです。ユージン・デブスは言っています。ユージン・デブスを引用させていただければ、ただユージン・デブスは第一次世界大戦の時の演説で発言して、それで彼は監獄に送られたのですが。「常に支配階級が戦争を始めてきた。常に労働階級が戦争を戦ってきた」そしてもちろん、それは常に真実です。そこで我々はどこかの時点でイラクを脱出するのです。

一つご提案したいのです。私たちはイラクよりも先のことを、いやイランよりも先のことを考えなければなりません。この戦争やら、あの戦争やら、その次の戦争やらに反対して苦労したいとは思いません。無限に連続した反戦運動をしたくはないのです。疲れることですから。それで戦争そのものの廃絶について、考え、話し、教育する必要があるわけです。

先日私は、理髪師と話をしていました。私たちはいつも世界政治の話をしているのです。彼が政治的には実に気まぐれなのです。大半の理髪師同様に。彼は言いました。彼はこう言ったのです。「ハワードさん、ねえ、あなたと私は多くの点で意見が合いませんが、一つだけ一致することがありますね。戦争は何も解決しない。」私は思いました。「そうだ」人々がそれを理解するのは困難なことではありません。

そこでもまた、歴史が役に立ちます。我々には、戦争の、その次の戦争の、そのまた次の戦争の歴史があります。それで何が解決できたでしょう?戦争が何を果たしたでしょう?第二次世界大戦、「良い戦争」、私が志願した戦争で、私が爆弾を落とした戦争でさえ。戦争の後で私は手紙を貰いました。将軍の将軍であるマーシャル将軍から、私個人にあてられ、他の1600万人の兵士にあてられた手紙を、そこで彼は書いていました。「我々は」戦争に勝った。新しい世界になるだろう。」さて、もちろん、新しい世界になどなりませんでした。新しい世界にはならなかったのです。戦争のその次の戦争のそのまた次の戦争です。

ある種の考え方があります。あの戦争が終わったときに、私が志願した戦争、私が熱心な爆撃手だった戦争、あの戦争で、ある考えが、戦争末期に次第に、戦争についての考え方が育ちました。つまり、戦争はそれに関与する全員を腐敗させる、というものです。戦争はそれに関与する全員を汚染するのです。我々も始めは善玉なのです。第二次世界大戦の時のように。相手は悪玉です。彼らはファシストでした。それ以上悪いものがあるでしょうか?それで、相手は悪玉で、我々は善玉なのです。戦争が進むにつれ、善玉が悪玉のように振る舞い始めます。この現象はペロポネソス戦争にまでさかのぼることができます。善玉のアテナ人、悪玉のスパルタ人にさかのぼれます。そしてしばらくすると、アテナ人がスパルタ人のように冷酷で凶暴になるのです。

そして我々も第二次世界大戦でそうなりました。ヒットラーが残虐行為をした後、我々は自分たちで残虐行為をしました。ご存じのように、我々は日本で600,000人の民間人を殺害しました。我々はドイツでも恐らく同数の民間人を殺害したでしょう。これらの人々はヒットラーではありませんでした。彼らは東条ではありませんでした。そうではなかったのです。ごく普通の人々です。略奪する国家にすんでいる私たちのような一般の人間で、彼らは略奪する国に住んでいたのです。それがなんであれ、取り込まれてしまっていて、恐ろしくて自由に発言できなかったのです。それでともかく私は結論に至ったのです。そう、戦争は皆を汚染するのです。

戦争は、これは記憶すべき大切なことです。我々が独裁者に対する戦争をする時には。アメリカの主張の一つはこうでした。「我々はサダム・フセインを追い出しに行く」それはもちろん、たわごとでした。政府は気になどしていません。わが政府はサダム・フセインがイラク国民に暴政を行っていることを気にかけたでしょうか?アメリカは彼がイラク国民に暴政を行うのを手伝ったのです。アメリカは彼がクルド人に毒ガスを使うのを助けたのです。アメリカは、彼が大量破壊兵器を蓄積するのを手伝ったのです、本当に。

我々が戦争で殺害する犠牲者は、圧制者の犠牲者なのです。私たちがドイツで殺した人々はヒットラーの犠牲者でした。私たちが日本で殺したのは日本帝国陸軍の犠牲者でした。そして戦争で亡くなる人々は、益々軍人ではない人々になっています。戦争における民間人対軍人の死亡率の比率変化をご存じでしょうか。第一次世界大戦では、軍人10人の死亡に対して、民間人1人の死亡でした。第二次世界大戦では、50−50で、半数が軍人で、半数が民間人でした。ベトナムでは、70%が民間人で30%が軍人でした。それ以降の戦争では、それはおよそ80%から85%が民間人です。

数年前、私はイタリア人でギノ・ストラーダという名の軍医と知り合いになりました。彼は10年から15年、世界中で戦争犠牲者を手術してきたのです。彼はそれについての本を書きました。グリーン・パロッツ(緑のオウム):軍医の日記です。イラクやアフガニスタンや至る所で彼が手術をしたあらゆる患者の中で、そのうち85%は民間人で、三分の一が子供だと彼は書いています。もしもあなたが理解すれば、そして、もしも国民が理解すれば、もしもこういう認識についての話をみなさんが広げれば、戦争について政府が皆さんに何と語ろうと、脅威が何であれ、目標がデモクラシーやら自由やらのなんであれ、なぜアメリカは戦争をしなければならないのかと連中が言うとき。それはいつでも子供達に対する戦争なのです。膨大な人数で亡くなるのは子供達なのです。

ですから、戦争は、そう、アインシュタインが第一次世界大戦の後でこう言っています。「戦争を人間化することは不可能だ。廃絶することだけが可能だ。」戦争は廃絶されるべきです。そしてそれは大胆な計画だというのは分かっています。それは分かっていますが、私たちはそうすべきなのです。たとえ大胆な計画でも、それは実現されるべきなのです。皆さんはその行動を始めなければなりません。1830年代のこの国の奴隷制度の終焉も、実に大胆な計画でした。それでも皆が頑張ったので、30年かかりましたが、奴隷制度は廃止されました。私たちは同じようなことを何度も実現できるのです。ですから我々には沢山の仕事があります。我々にはやるべきことが山ほどあるのです。

歴史から我々が学べることの一つは、歴史というのは、首脳陣が我々に対して押しつけられるものことの歴史だけではありません。歴史はまたレジスタンスの歴史でもあります。何十年も圧政に耐えたが最終的には立ち上がって独裁者を打倒した人民の歴史です。これを私たちは様々な国々で起きるのを目にしています、意外なことの連続です。完全に支配していたように見えた支配者が、ある日彼らが目覚めると突然、市街には何百万人もの人々がいて、支配者は荷造りをして、去るのです。これがフィリピンで、イエメンで、いたるところで、ネパールでも起きました。市街に何百万人もの人々がいて、支配者は立ち去らざるを得なかったのです。そうです、これが私たちがこの国で目指していることなのです。

我々がすること全てが大切です。私たちがするあらゆるささやかなこと、私たちが張るあらゆるピケライン、我々が書くあらゆる手紙、我々が参加するあらゆる市民的不服従の行動、誰か兵士採用担当者に私たちが話しかけること、誰か両親に私たちが話しかけること、誰か兵士に私たちが話しかけること、あらゆる若者に私たちが話しかけること、教室の中で我々がするあらゆること、教室の外ですること、違う世界になるように我々がすること全てが大切なのです。たとえその時点では無駄なように思えても。そういう方法によって変化がおきるからです。何百万人もの人がささやかなことをすると変化が起きるのです。歴史のある時点で、こうしたことが一つにまとまり、そして何か良いこと、何か重要なことが起きるのです。

ご静聴有り難う。

http://www.democracynow.org/article.pl?sid=06/11/24/1442258


北朝鮮ミサイル脅威と拉致事件がさしあたって日本政府の「呪文」。それをてこに、教育基本法を、憲法を壊し、アメリカの手先として国民を大砲の餌食に差し出すのだ。民主党も防衛庁省昇格関連法案に賛成、同じ穴の狢であることをさらしている。国民洗脳が商売のマスコミは、もちろん本質的なことは語らない。




歴史から学んで、できたのが日本国憲法。コスタリカは軍隊を捨てたし、アメリカではこういう講演会も開かれている。うん、2度と戦争をしない。日本だけでなく、世界でそうなるようにしたいね。そのためにも、日本人も政府に騙されては駄目よ。

顎さん、じゃなくて、阿古さん、翻訳ありがとう。英語苦手の私は大助かり。





No.29

熊さん、八つぁん、&大家さん

 金さん
06/11/29

おかしいぞ介護認定

八公  老人ホームで痴呆の婆さんがいじめられたって、ひでえことするなぁ。
 熊公  そんなこともあるかも知れないが、この時期にテレビで何度も何度も垂れ流すのか考えたか?
 八公  それって、なんでぇ?
 熊公  この4月に介護保険が改悪されたろ。障害者支援費も改悪されて負担が増えて大変!だ。
 八公  うちの婆さんも要介護2から要支援2になっちゃった。調査員が「お変わりありませんか」って言うから「へい、お変わりございません。このようにベットから起き上がるのに大変です」と言ったんだ。
 熊公  調査員の野郎! 今度あったらただ置かねぇぞ! 俺のゲンコツは痛てぇぞ! 
 大家  馬鹿言っちゃいけないよ! 調査員はきちっと書いている。悪いのは小泉政府だよ。調査員の調査資料をコンピューターのブラックボックスに掛けると全部軽くなるようにできている。
 八公  なんです、そのブラックホールって?
 大家  ブラックボックスというのは手品で外から見えない箱を取り出し、次から次といろんなもの出てくる箱のようなもの。種も仕掛けもある箱のこと。政府は最初から150万人分減らすように仕掛けている。
 熊公  福祉にペテンはいけませんよ。
 大家  調査員がいくら特記事項を書いても認定委員が見向きもしないと調査員が嘆いている。
 熊公  八!要介護1以下の軽度になると、ベッドの取り上げだぞ!
 八公  そうよ!それで困っているんだ。畳に寝たらもう起き上がれない。どうしてくれるんだ!
 大家  老人虐待!障害者虐待!は、今の小泉政府のすることだ。
 熊公  うちのおっかぁは国民年金が月5万円そこそこなのに、今年から介護保険料が5万5千2百円も取られる。1ヶ月分以上天引きされるって頭から湯気出している。
 八公  規制緩和!官から民へ!新自由主義!っていい事かと思っていたが、とんでもねぇことなんだなぁ。
 大家  税金とは所得の再分配の性格を持っているもので、低所得者には控除の優遇をするのは民主主義の基本だ。ところがどうだ。熊おまえも厚生年金もらってて今年から立派な課税世帯になったろ。それはな、年金から差し引く控除が減らされてオマケに老人控除がなくなったためだ。日銀の福井総裁は1千万円以上の収入の他に年金を700万円ももらっているが、介護保険料は熊さんのかみさんの1・5倍8万2千8百円しか払わない。
 熊公  なんだ!こりゃ!  八公  新自由主義っていうのは金持ち天国!やらずぶったくり!手前勝手放題ということか。格差社会奨励!
 大家  マスコミの応援もあってこの前の選挙で国民が選んだ結果が生んだものだ。
 八公  ところでよぉ、終戦の日に、純ちゃんが靖国神社にモーニングを着て参拝したね。
 熊公  懲りない人だね、公約だ公約だと言ったが、いつの選挙で公約したんだ。
 大家  自民党の制裁選挙のときに行ったことだよ。もっぱら遺族会の票が欲しくてパホーマンスだったという話だ。
 熊公  なぁ〜んだ。くだらない。
 八公  くだらなくないよ。戦争をする国になっちゃうか心配だよ。
 大家  そうだよ! 60年も戦争しなかったのは憲法のおかげだ。

国家財政のあり方を問う

 大家  第16代仁徳天皇は、ある日高殿から村を眺めると民家から煙が立ち昇っていないことに気づき、「向こう3年間いっさいの税金を取り立てるな」と命じた。3年後は村中に煙がたなびいたことを喜ばれたという話が小学校の教科書に載っていた。
 熊公  小泉政府とはまったく反対だね、庶民に大増税の追い討ち!格差社会いいことだと国民に困難の押し付け。
 八公  消費税も10%以上にしようとしている。困ります。
 熊公  家のおっかぁは、福祉目的ならいいんじゃないと言っているが。これ以上は困る。
 大家  「福祉目的」には騙しのテクニク(技法)がある。いいかな、国家予算はどのように使うかは国の基本法=憲法で決められている。まず国の義務として国民の暮らしに使え(25条)。教育に使うこと(26条)。次に軍備に使ってはならぬ(9条)。この憲法が保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利(11条)、個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重(13条)だから、教育や福祉など国民生活につながる予算を組まなければならない。それが[福祉目的]として消費税が増税されると本来予算に組まれていた国民生活の分が、無駄な軍事費・米軍への貢物、無駄な公共投資(10兆円も使う東京オリンピックも含めて)に回されてしまう。いかにも国民への換言顔しているが、その実は横取り作戦=国家的悪徳商法…詐欺だよ。
 八公  家のかみさんのやっている「つもり預金」みたいだ。お父さん今日は飲んだつもりで500円を缶に入れろと取られちゃう。特別の日に使うことになっているのに、いつも生活費になっている。
 熊公  この野郎、俺の家にこの頃ちょくちょく来て飲んでゆくのはそのためか!
 大家  ここでもめてどうするんだ。悪いのは小泉内閣だよ。

子どもの未来が心配です

 熊公  八! 慌てて脚絆なんか持ってどこへ行くんだ。
 八公  さっきね、大家さんが長屋の学生と脚絆がないとかどうとかいっていたんだ。だから持っていってやろうかと思ってよ。
 熊公  大家さんキャハン持ってどこに行くんですか?
 大家  ハッハッハツ!脚絆じゃないよ。規範の話をしていたんだ。安倍首相が教育基本法について改正をするのは、規範がないからと話していた。ところが文部科学省が教育基本法について地方で説明会を開いた。その時に八百長発言を依頼していたことがバレテしまった。文科省もしぶしぶ認めたが青森だけではなかった。しかも日当まで払っていたって言うから呆れたもんだ。その金は税金だよ。
 熊公  学校の親分が「やらせ質問」をやらせるなんて教育者の風上におけねぇ。
 八公  いま「イジメ」問題が大変だ、教育の法律が悪いのでないの?
 熊公  おめえは、ノー天気だなぁ。教育基本法は素直な子どもをめざしているんだ。イジメの根源は、子どもたちに勉強を競争させて分け隔てするからだ。できねぇガキはつらいぞ。
 大家  熊! さすが元ガキ大将! よくわかっている。
 熊公  俺はイジメなんかしなかったよ。「弱きを助け!強きを叩く!」だ。先生からも教わったが、優等生のS君やA君が放課後に俺たち落ちこぼれに丁寧に教えてくれた。わかったときには嬉しくて勉強をやる気になったもんだ。
 大家  さきの戦争の後、これからの教育は、子どもたちの健やかな成長と二度と戦争をしてはだめだよと戒め、何よりも人格の形成に力を入れました。しかも平和憲法を定着させるために教育の力を待つこと。また、これまでの教育が国からの横やりで動かされてきました。これからは絶対に横やりをしてはいけません、と、しっかり書かれている。
 八公  10月14日に明治公園に誘われていったが、大変な人出だった。週刊金曜日の佐高社長や上原国立市長の皆さんがひな壇からお話していた。学校の先生や俺たち土建の組合員や地域の人たちがほんとに大勢の人が集まった。
 熊公  頭にくるよなぁ!マスコミは庶民の声をハナから無視するんだ。政府の回し者じゃねぇいのかな。
 大家  それは言えるな。11月8日には、文化人・芸能人や大学の先生たちが先頭になって国会を、「人間の鎖」となって包囲した行動が行われた。同時にリレートークといってな、先生方が交代でお話をする。これもマスコミは無視。
 八公  ところで規範ってなんですか?
 大家  「てほん」「模範」[判断・評価・行為などの拠るべき基準規則]という事だ。いま言ったように[手本]にもならない有様で、「規範」よリ「羈絆」というところかな。
 熊公  何です、その「羈絆」って?
 大家  羈絆とは、行動する時手足まといになるもの、束縛になるものという意味だ。「ほだし(絆)」=自由を束縛するもの、馬の足にかけて歩けないようにする縄の意味でもある。手本にならないやり方は「隠すより現れる」と言ってな、国民をそれこそ羈絆(束縛)しようとしていることではないかな。
 八公  あん畜生は、前にも「謙虚」「ケンキョ」と言って、アジアの人を足蹴にしてはばからない態度は許せねぇ。
 熊公  「ケンキョ」検挙と言って、イラク戦争反対のビラを撒いた若者を警察は捕まえている。平和運動を敵視している。とんでもないことが進んでいる。
 大家  教育基本法の改悪は、子どもたちをますます競争に駆り立て、格差社会に放り込んでしまう。その結果は、イジメ問題は収まらない。これまで教育基本法を無視してきたところが大問題だ。

爺川柳

松坂を 逆輸出する 野球界

文科省 ヤラセイジメの デパートだ

安倍こべの 発言つづく 基本法

ヤラセとは オレがやらせた アベシンゾウ

自殺シロ とんでもないこと いう都知事

軍隊は ヤラセイジメの 総本山

若者の 死屍めざす 基本法

放送の 自由をしばる 安倍内閣

 


金さんから頂いたニュース、面白いし、分かりやすいので、転載しました。金さん、庶民の味方だねぇ。

昨日、社会保険事務所に行ってきて年金額を教えてもらったんだ。結婚前と後に厚生年金の期間もあるので60歳からチョピッともらえる。報酬比例。月にして8000円弱。62歳からは2万円弱、65歳からは7万弱。全額65歳からかと勘違いしていたので、ちょっとうれしかった。金額自体は覚悟していたけれど、「これでは食っていけませんよね」と係りの人に言ったら、気の毒そうに「そうなんです」と言ってました。今住んでいる家の半分は自宅(まだ手続き済んでないけど)だし、蓄えもいくらかはあるから、年金だけで生活する人よりはましだけど・・・正直、あんまり長生きはできないなぁ。寿命が分かると計算も予算も立つのだけれど・・・長寿は不安の元です。で、その金額から、介護保険料と税金の支払いもあるんだぁ。ギエー!! それにしても、ここからアパート代出したら、まったく生活できないねぇ。足りない人は生活保護なのかなぁ。でも、すでに窓口で断られる人が増えているって言うねぇ。暮らし、ますます大変です。経済大国って、どこの話なんだろう?

買った腎臓を移植した医師が「理念はいらない、患者のため」とか言ってたけど、理念がないって言うのは恐いよ。アフガンではストリートチルドレンが臓器目的で誘拐されているって言うじゃない。この患者を助けるために、他のいのち(たいてい貧者)はどうなってもいい、ということにならないか心配だ。教育基本法も、実行段階で、ちゃんとしなかったから問題がいっぱい出てきているけれど、理念を捨てて、規範だけ作るって、つまり、誰かの言うとおりの人間に育てたい、ってことなんだよね。それにぴったりなのは、兵士。自分がいま人を殺しているんだなんて事を考える前に、引き金を打てる人間に、命令に忠実な人間に・・・ということは憲法改悪も絡んで、意図しているのは、戦争ができる国、アメリカの手下として、戦争の最前線に立てる国に、この日本をしようとしているって事なんだよね。そのことに、日本国民が早く気づけばいいのだけれど・・・ホント、日本の子どもたちと未来が心配です。





No.28

イジメをなくそう!!という標語をやめよう!!

 りっちゃん
06/11/25

「大田総理いじめ問題最終結論」というテレビ番組を横目で見た。夕飯時、甥が見るので、つい見ちゃう。大田光と言うどうも漫才の人らしいが、いい提案をしていた。最終結論までは見ていない。流れが面白くなかったのもあるし、他にやることいっぱいあったから・・・

いじめをなくそうと言うのをなくそう。その標語ではいじめを隠してしまうだけだ。それに、いじめたい気持ちと言うのは誰にだってある。いじめの原因、変わった奴をやっつけろ!!がいけないのなら、いじめる奴もいていいのではないか、という主張だ。私も「ねばならない」が嫌いなたちだから、この意見賛成だな。私自身もいじめにあったけれど、結構助けもあったし、対応策も学べた。今のいじめは陰湿だけれど、だからと言って本来のいじめを根絶するのもおかしいと思う。

その前日かな、新聞記事で「管理型」「馴れ合い型」では「馴れ合い型」にいじめの発生率が高いとか。おいおい、「指導型」って言うのはないのかよ。それが教師の普通の姿だろうに、と思ったね。2者択一は非常に危険。問題点が見えなくなる。そう、いじめがあったら、先生が指導すればいいのだよ。先生だけでなく保護者も学校全体もね。クラスの子どもたちも参加してどうしたらいいのかを考えればいいのだ。地域の第三者もその中に入るといいね。日本には大体第三者が参加しづらい。PTAでもAはどこ?だし、教育委員会も実質有効なところは少ない。その辺も教育基本法と言う宝を持ち腐れにしてきた原因の一つかも。

うちの子は、小学校2年まで表面「馴れ合い型」本心は「管理型」の担任のおかげでいじめにあっていた。それを引きずって3年の「指導型」(しめる時はしめる、任せる時は子どもたちの自由にというタイプ)の担任となった。ある時、「鼻くそボンバーが汚い」と学級会で指摘された。当人が「みんながいじめるからそれに対抗するためのもの」と主張。それを言えるチャンスをくれたと同時に、いじめる側へのお説教なしに、その主張をなるほどでとどめた担任の力量に感心した。この担任の期間中、落語を語ったり、いぬかきで25m泳ぎきったうちの子を「すごい!!」と感心してくれる子もいたし、クラス全体がのびのびとしていた。

生徒それぞれの良さを認める(生徒に認めさせる力量のある)教師の元ではー今の少数派を槍玉に挙げるーいじめは発生しないのだよ。

ところが、大人の社会と来たら・・・自民党造反派復党のニュース(これも横目)を見ていても、長いものに巻かれろ、自分の主張は捻じ曲げても、金に頭を下げろ、だもの。程度の問題はあるけれど、少々のいじめは体験しておかないと、大人になってから苦労してしまうねぇ。

自殺に追い込まれてしまうのは、仲良しグループの中で、タダ一人だけ阻害されていると感じる時だ。自分と違う価値観の別に仲良しでもない関係なら、阻害されても、「気にしない」でどうもやり過ごしことができるようだ。ズボンを脱がされて自殺してしまった子の場合、友達が加害者だったようね。そういう場合が一番危険。自分を傷つけるような人間は友達ではないのだよ。周りの人はぜひそう教えてあげて欲しい。

教育基本法の現行法には、「ねばならない」(例えば、不当な支配はしてはならない)のは政府であることと、理想、教育のあるべき姿がきちんと書かれている。年数もね。改正(悪)案は曖昧でいて、実は、法律や条令で子どもたちを縛ろうとしている。これはいじめを発生させた先生たちと一緒だよ。みんな、教育のこと、しっかり見据えてね。子どもたちのいのちがかかっているんだから・・・





No.27

大きな流れにいるということ

 センサポ
06/11/23

初めまして。ネットでフラフラしているうちに、こちらのページに辿り着きました。

りっちゃんさんの伝言板のコメント
「みんなそれぞれの場で、出来ることでいいから、やっていこうよ。
世界平和への道、9条を守ること、子どもたちが生き生きと暮らせるように、いのち大切にしていこうよ。」

これ、まったく同感です。

自分の情報源は、ネットのニュースと週刊金曜日といったところでしょうか。今は新聞はとって無く、テレビのニュースもスポーツ以外はなるべく見ないようにしてます。もちろん政治関係の討論番組も。どれもジャーナリズムの精神を忘れた、体制側のちょうちん担ぎばっかりで、見たり読んだりしていると、イライラして不愉快になってくるんですよね。巧妙にスリこもうとしているのがミエミエで。これでも純真無垢な衆愚の皆さんは、なるほどもっともと、受け入れちゃうのだろうなぁと。そう思うと、ホント不愉快で。

そんな訳で、教育基本法が改正されたということは、断片的に知りました。実は、教育基本法の改正で、どう変わるかというのかは、わからないです。そういう意味ではこの件に関しては自分は語る資格はないのかも知れませんが、どうせ、しょうもない改正案で、なんだかんだ言って体制側に都合のいい方向に持っていくのはわかりますから。その気になれば、すぐ調べられますしね。

それよりも、そのニュースを知ったときに、思ったことがあります。

自分も以前若い頃は、平和関係の運動に積極的に関わってきましたが、今はご無沙汰です。平和運動自体もすっかり下火な感じがします。個人的には下火の理由として、それ関係の人たちって、原理原則に固まってしまう、妥協できない、等々。でその結果、壁ができてしまう、広まらない、一番大事なものを失ってしまう、等々。そこら辺が平和運動というか、市民派というか、左翼系?の人とかの、いいところでもあり限界であるとも思うのですよね。

自分の失敗談ですが、自分にとってある意味大きな転換点だったのが、イラクで高遠さんたちが拉致された時。

あの時、とある人たちから連絡が入って、自分もいても立ってもいられなくて首相官邸前の抗議集会に1回だけ参加したりしました。で、自分はサッカーが好きで(野球と違い、サッカーは政治的なところがこれまたおもしろいのですよね)、それなりに観戦仲間が数人いたんです。で、それまではサッカー仲間ということで、政治の話は避けてきました。もともと平和運動する人たちって、その人たちだけで固まってしまうから、広まらないのだろうなぁ、と思っていたので、それ以外の付き合いを広める必要があると思ったんですよ。で、いざ戦争だ、徴兵だ、というときにみんなで立ちあがろうと、ネットワークを作る必要があると思ってました。

それで、イラク派兵に続く高遠さんの拉致はまさにその時だと思ったので、サッカーの連中を中心に、高遠さん達を救おう、というメールを送りまくったのですが、見事逆効果、期待外れ。多分あれが原因だと思いますが、そのときの仲間は今だいぶ疎遠になりましたね。

政治って、投票という行為によって、あらゆる有権者が本質的には関わっていますが、実際には政治は政治家がやるもの、という感覚がある。そして、政治に関わることを忌み嫌う傾向がありますよね、日本って。そんな中で、政治に興味を持っていない人に政治の現実を知ってもらわないといけないのですが、政治ネタというのは語るのが難しく、そこら辺が市民運動やる人のジレンマですよね。確かに政治宗教ネタというのは、趣味のサークル等の円滑な活動を阻害する要因になりますからね。

それから平和運動について印象的だったのが、イラク拉致の首相官邸前の抗議行動で、主催者側から歌手が出てきて、ビートルズの「イマジン」をそのまま英語で歌うわけです。みんなで歌って、官邸の小泉に伝えましょう、という訳です。もちろん歌っている人もそれなりにいました。でもこれってつくづく平和運動の限界を感じましたね。

「イマジン」は平和を喚起する歌かも知れないけど、英語わからなくちゃ歌えないっつーのに。そんな簡単なことが見えなくなってしまってるんですよね。

ちなみに、サッカーの日本代表がフランスワールドカップに初出場したときに、その予選で絶対絶命の試合で、サポーターが選手を応援するために用意した歌は「翼を下さい」、理由はみんなが知っていて競技場で歌えるから、ということでした。この落差というのは何なんですかね。

とにかくあれ以来、1つ1つのことにあまり向きになっても仕方が無い、今のところ護憲系の人たちは負けっぱなしだけど、そういう流れの中の1つとして捉えて、長期的に巻き返していくような姿勢が必要だし、そうでなければ、気力も体力も持たない、その結果ますます減速していく、ということだと思います。

そこで、冒頭のりっちゃんさんの提言に戻るのですが、みんなそれぞれの場でできることをやっていく、それを有機的に結び付けていくしかないと思います。自分もマイペースで実際に何ができるか、ということを意識していこうと思います。

初投稿なのに、長々と失礼しました。




センサボさん、始めまして!! おっとぉ。教育基本法、今参院の特別委員会で野党が「不当な支配」について質問しているようよ。まだ改正じゃなくて改悪されていません。野党、頑張っています。

現行の教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく」と規定。政府の改正案も、この表現を踏襲しつつ、「法律の定めるところにより、行われるべきだ」との規定が追加された。 (朝日コムより)

現行法の「不当な支配」と言うのは権力、即ち政府によるそれを指しているんだけどなぁ。法律がそれにあたらないというのはへ理屈に過ぎない。現行法にそう書いてあっても、君が代問題での不当な解雇が続出。上からの締め付けが強いから、イジメとか履修漏れとかが起きているって言うのに・・・プンプン。テレビは見なくてもいいから、私が挙げた教育基本法の問題点は目を通してくださいませ。

でも、実感です。物言えば唇寒し・・・政治系だけでなく、意見を言うたびに実感しています。以前はそんなことなかったのに・・・政治系は特に反発されやすいですね。で、なんとなく黙ってしまう人が多いのかも知れません。でも、声だけはあげたいな。

沖縄の知事選、がっかりだったけれど、五十嵐仁の転成仁語には、
「沖縄県知事選挙と同時に投開票された福岡市長選では民主党推薦候補が自民党推薦の現職候補を破り、尼崎市長選でも無所属の現職が自民・公明両党推薦の新人を2倍以上の差で破っています。沖縄でも糸数さんがあそこまで追い上げることができたのは、野党が統一して対立候補を立てたからです。」
とありました。

平和省をつくろうのシンポジウムの喫煙室で出会った人も、「数が少ないってことはないのです。意図的に切り離されてばらばらに思わされているだけです。教育基本法の事だって、国会の周りにはすごい人です。マスコミが流さないだけ。」とおしゃっていました。マイペース、自分自身の判断で、この伝言板を運営していますけれど、ネットではいろいろ見れるからね。友達へのリンクも活用してくださいね。

投稿の方も、またどうぞ。政治系だけでなく、お知らせでもなんでもありです。





No.26

昭和史からの警告

 りっちゃん
06/11/23

「この本では昭和元年(1926)から、太平洋戦争(日米戦争)が始まる昭和16年(1941、真珠湾攻撃のあった12月8日)までと現在の日本とを対比対照して、70年前と現在を重ね合わせることで、両者がものすごく似通っている、ということを中心にまとめた。
 「日本人よ、気をつけよ。私たちは、また新たなる日中戦争を始めさせられる。そのように仕組まれているぞ」という動機で始まった、船井先生と私の対論である。」

対談しているのは、副島隆彦と彼が道教の思想家と尊敬する船井幸雄。この二人のやり取りがいい味を出している。“冷酷に予言”と副島自身が表現しているが、非常に緻密に客観的に調査・分析した結果の予測を、ほんわかと船井が認め、読む人を納得させる力となっている。悪い予測と言うものはなかなか並の人間には認めがたいものだからね。

「私も折に触れて副島さんの話しを聞き、今回のテーマとなる「副島史観」にほぼ全面的に賛成しています。日本が明治、大正から昭和20年まで歩いた大日本帝国の歴史が、大方は仕組まれたものだったということ。そして、世界にはそれを仕組んだ人たちと、その日本国内の手先を務めた者たちがいて、彼らが「内側から鍵を開けた」んだということ。まずはこの2点です。
 内側から鍵を開けた者、つまり日本人なのに日本を裏切って、昭和初期のこの国を地獄に引きずり込んだ人間は誰か。この答えについては、正直なところ副島さんのお話は私にとっては大変に意外で驚きました。
 さらには、日本が仕組まれたとおりに戦争に突入していった過程が、またここにきて繰り返されようとしていることです。これはまさに、最近の私が危惧していたことでもあり、確かに納得できます。違いは、副島さんが「日本がそれから逃げられないんだ」と断言しているのに対して、私は「何とか戦争は回避できないか、せめて可能性を探ってみたい。方法はあるはずだ」と考える点ですね。」

仕組んだ人と鍵を開けた者。明治維新では、イギリスであり、高杉晋作・伊藤博文・井上馨がイギリスの手先。伊東律子史観によれば、幕府の裏にいたフランスとイギリスとで、中国のように、領土の奪い合いになるのを避けて大政奉還さ。勝と徳川さんは偉かった。と言っても種本は「勝海舟」。

太平洋戦争では、真珠湾攻撃の無線傍受を聞くお茶会がホワイトハウスであったんだって。もうおわかりね。9.11は伝統?ヤラセの名人アメリカです。米内光政・山本五十六等海軍幹部のほとんどがアメリカに魂を売っていたとか。そもそも、陸軍だけでは戦争はできないからねぇ。米内と言う名ははじめて知ったけれど、広島の原爆を「天佑」と言ったとか。それだけでも日本人に対する重罪だね。で、そんな奴は生き残るんですね。もちろん東京裁判はアメリカ主導だったから・・・当然というか・・・

で、恐いのが、明治維新では志士。戦争では海軍は平和主義だったと、かっこよく認識されていること。これは、司馬遼太郎と阿川弘之の罪であるとか。カッコウ(ほとんどテレビの情報でしょうけれど・・・ちなみに写真では勝海舟は2枚目です。志士は?誰かはへちゃむくれだったけど・・・)で判断してはいけないね。しっかり読み取る力、情報を選ぶ力を国民一人一人が持たないと・・・

さあ、問題は今です。副島さんの予言が一つ外れているんだ。ポスト小泉は福田ではなかったですねぇ。次が安倍で、2008年、戦争準備内閣となる、との予言だったのですが・・・悪い方にはずれ。ということは今ジャン。教育基本法、野党、頑張ってくれぇ!! 「不当な支配」で、子どもたちはますます息苦しくなってしまうよ。

2005年9.11後の組閣直前に、アメリカのネオコン派の牙城AEIの所長クリストファー・デムスと、安倍晋三、前原誠司、外務省の鶴岡公二、防衛庁の山口昇、元ワシントン公使で前述の阿川弘之の息子、阿川尚之、今のアメリカから大事に育成されいる者たち(意味わかるよね)が、議事堂裏のキャピトル東急に結集。中国との戦争スケジュールが組まれたとの予言。この面子、覚えておかなくては・・・

まだまだ予言は続きます。

まず来年か再来年、京都あたりで新幹線爆破テロが起きる。これで日本中は騒然となるでしょう。「テロ対策と治安維持のため」と宣伝が行われて、治安警察(政治警察)の強化が叫ばれるでしょう。
 あるいは日本海側が狙われます。数年後に新潟あたりにミサイルが落ちて、ここで2000人くらい死ぬかも知れません。その直後に、「ミサイルは北朝鮮が発射したテポドンらしい」といった発表があるでしょう。こうなると日本中が一瞬で騒然となりますよ。国民の間にテロへの恐怖のパニックが起きて、「政府は何をやっているんだ。自衛隊を出動させろ。憲法を改正しろ。非常事態だ」となって、みんなで血相を変える。そして戒厳令が敷かれて、私が序章で言った対朝鮮戦争の志願兵までが出てくるでしょう。
 後は、中国が上海万博を終える2010年以降に、今も燻っている海底ガス油田問題を裏からこじれさせて、いよいよ日本を中国との戦争に追い込むでしょう。」

これらの事がヤラセだとしたら、9.11同様、客観的に、保険はどうなっているか?、犠牲者に偏りはないか? 何か不自然なことはないか? これらをチェックすること。恐怖でパニックを起こさないこと。みんなこれも覚えておいてね。

この本の副題は「戦争への道を阻め」です。副島さんが冷酷に予言するのは、日本国民がしっかりと目を開いて、冷静に対処し、最悪の事態を自分たちの力で防ぐことを、期待しているからだよね。私も、日本人は馬鹿じゃないと思いたい。騙されたり、刷り込まれたり、私自身も結構あると思うけれど、これは素直なせい。馬鹿ではないのだよ。きっと。だから、アメリカの戦争経済を理解したら、米軍基地に“NO”を言う日も来るさ。きっと。





No.25

平和省をつくろう!!

 りっちゃん
06/11/20

沖縄はがっかりだったねぇ。でも、まだまだ。

平和省プロジェクトJUMP 国際シンポジウム
 コスタリカで平和省運動に取り組む
 リタ・マリエ・ジョンソンさんを迎えて

というのに行って来ました。久しぶりの遠出だけれど、思ったより寒くなかったわ。いいお話でしたよ。

"keep walking
  keep building"

理想を高く掲げた教育基本法も、実践してこなかったのではないか?そんな疑問が湧いていたところだから、すごく納得。女性の参政権、農地解放、自分たちが苦労して築き上げたのではなく(何もしなかったというわけでもないけれど・・・)、ヒョッコと手にしたものだから、努力を怠っていたようね。

コスタリカでは、ラスールという詩があるのだそうな。

Before directing
  the lightning in the sky,
  We must first harness the storms
  in our own hearts.

平和の文化を育てるために、政府機関内の監督・調整と言うのかな?それも仕事だけれど、学校の先生に平和のスキルを教える。学校でも、子どもたち自身が、平和部隊となる実践をしているの。

紛争(けんか)が起きると、調停員、仲介役の子が、まず、心の上に手をおいて、
 feeling peace
 and
 speaking peace
と言うことを勧めるのから始まるだそうな。折衝と言うか、交渉能力が育つね。これはいいことだわ。

イジメでも虐待でも、落語で言えば、大家さんみたいな人がいたらいいのになぁ・・・と思っていたけれど、そういう人を育てる。そのスキルをアップするということなそうな。

そして、すべての国民が、peace makerとなるように・・・

日本にもインストラクターがいるらしい。護身術の次には、これを習いたいなぁ。

ちなみに、参加者は、オッチャンもオバちゃんもいたけれど、結構若い人が多かった。これはとても力強い。

今の日本の状況について、リタさんがこんな話をしてくれた。

近所の様子が段々きな臭くなってきた。ついにある晩、銃声が聞こえた。うちでも銃を買おうと言う話になった。が、翌日、お父さんが目を覚まし、外を見ると、青い空と美しい花が見えた。もし、銃を買ってしまったら、恐怖に負けて、この窓をよろい戸で囲んでしまったら、家族はまるで牢屋の囚人のようになってしまう。ならば、と、お父さんは外に出て、説得する側にまわりました。恐怖と平和、あなたはどちらを選びますか?





No.24

五日市憲法に学ぶ・憲法ってなあに

 福生市民九条の会
06/11/16

福生市民九条の会から公民館のつどい 分科会へ参加のお誘いです。

  11月26日(日) 10:00〜
  福生市公民館(市民会館) 公民館のつどい 分科会

憲法のルーツをたどることは現代的な意義があります。そのむかし明治の初年に山深い五日市の村で猛勉強をしていた若者たちがいました。真剣に議論し、心血を注いで、個人や人権を尊重する、現憲法にさえ劣らぬ水準の私擬憲法を作り上げたのです。

江井秀雄先生を招き、発掘者のメンバーである直接の当事者から学びます。どうぞお出かけください。




教育基本法改正案が明日衆院だそうな。絶対多数だから、通っちゃうよ。アメリカの属国として「戦争をする国」になり、子どもたちはそれを担う“必要な資質”を備えた者にするための教育基本法改正(悪)案だよ。何とか阻止したいねぇ。

みんなそれぞれの場で、出来ることでいいから、やっていこうよ。世界平和への道、9条を守ること、子どもたちが生き生きと暮らせるように、いのち大切にしていこうよ。





No.23

沖縄県知事選 糸数候補を応援しよう!!

 セバちゃん
06/11/15

沖縄知事選が目前に迫ってきました。この知事選の結果がひとり辺野古新基地建設阻止にとどまらず沖縄がこれからも「基地の島」にとどまるのか「平和の島」に転換するきっかけをつかむのか「分かれ道」にもなるような気がします。

糸数けい子候補は選挙公約のなかで『普天間基地の危険は、移転ではなく閉鎖を。どうしてもというなら国外へ』、『この美ら海に新基地は許せません』と明快に主張しています。政治家のことばは“いのち”です、こんな胸のすくような「正論」を吐く政治家を沖縄でもヤマトでも見たことがありません。

私たちヤマトンチューは、沖縄戦でも戦後60年でもいつも沖縄に戦争、基地を押しつけてきたという思いと反省があります。少しずつでもいいから、できることから「借り」を返していきましょう。糸数候補勝利に向けて以下具体的提案を行います。

1,カンパ 次の口座に直接振り込んでください。たとえ千円でもあなたが振込みに足をはこんでくださるそれが参加すること。
  《郵便振替》口座番号: 01730-8-56552 口座名: 「がんばれけいこ」
  《銀行振込》★沖縄銀行・ 二中前出張所 店番号:110 口座番号:1378498 糸数けいこ後援会 代表 糸数慶子

2,賛同署名と檄文:お名前(都道府県)だけでもOK、一言激励のことばがあればこれに添えて思いを伝えましょう。
   11月18日(土曜日)午前6時までにmail、FAX、TELをお送りください。18日「檄文」にまとめ女性知事候補にMail にて送ります。
Mail:peace@yukichan.cc 池邊 幸惠
TEL&fax:0798-36-5689  竹林 伸幸




yahooの掲示板でとらぶったセバちゃんだけど、天木直人さんの応援に出かけたり、こういうメールをくれたり、なかなか活動的なことは尊敬してます。地味な性格の私にはついていけないところもあるんだけれど・・・

アメリカの基地が沖縄にあるということは、戦争が大好き、戦争がないと経済が成り立たないアメリカに日本が加担しているということなんです。軍事的に。沖縄が“NO”を言うことが、世界平和につながるのです。もちろん、その前に日本が“NO”を言えばいいことだし、そうすべきなんですけどね。

沖縄県知事選は2日告示、投票日は19日。即日開票。糸数候補と稲嶺恵一知事の後継候補が互角で、大接戦。知事選への関心度は高く、76%が「必ず投票に行く」。「なるべく行くつもり」と合わせると96%に上っているとか。糸数けい子さんの出陣式の第一声が次の文。

今回の知事選は、米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古への新基地建設問題が最大の争点。子や孫の時代まで基地の重圧を担わせてしまうのか、それとも基地のない平和な島をつくるのか。五十年、百年先を見据え、沖縄に新たな基地はいらないという県民の意思を、日米両政府に示すチャンスだ。現稲嶺県政は「解釈でなく解決する」と言ってきたが、基地問題や失業率は改善するどころか、悪化している。中小企業に光を当て、観光と他産業を連携させ、すそ野の広いものづくり産業を進めることが重要だ。自公政権で福祉や医療が切り捨てられ、県民の命や暮らしは厳しい。さらに憲法や教育基本法の改悪も検討され、戦争の道へ近づいている。沖縄からノーの意思を示そう。沖縄に生まれ、沖縄で育ち、沖縄を愛している。自治と自立を確立し、やさしさと安らぎのある沖縄を実現したい。県政奪還に向けて、支援の輪を広げてほしい。

私が気に入ったのは、応援サイトぎりぎりKの会で見た「赤いリボン」。手持ちでもいい、結び方もそれぞれで、という戦術が、「もったいない」派であり、「個」を大事にしたい私にとって、最高に思える。基地のなくなった沖縄には、そのセンスはきっと重要になると思う。ぜひ当選して欲しい。皆様もぜひ応援ください。





No.22

イジメによる自殺を防ぐために

 りっちゃん
06/11/11

一番必要なことは、豊かな遊びです。かくれんぼなら、鬼が考え付かない所を探す。くもの巣が顔にかかるのなんか気にも留めずに床下にもぐりこんだことがありました。缶けりなら、鬼と味方の動き観察していれば、味噌っかすに近い私でも缶を蹴るチャンスが巡ってくるんですねぇ。夢中になると多少嫌なこともたやすく乗り越えられる。考えたり、工夫をしたり、待ったりした結果の達成感を子ども時代に充分味わうことが大切です。
あなたは子どもにそういう機会を与える努力をしていますか?

次ぎに大切なのは、普段から「あなたは必要な存在である」「愛している」ということを伝えているかどうか。学校の中のいじめほど陰湿なものはありません。担任を頂点とした一党独裁体制とでも言いましょうか。クラス全員がイジメに加担しているのです。今の子ども社会では、クラス以外のお付き合いがほとんどありません。クラスで「キモイ」「キタナイ」の評価を下された子が、他に自分の価値を見出すところはどこでしょう。学校での価値観が影響されない、習い事やの地域のサークルもあったほうがいいけれど、一番身近なのは家庭。お母さん、お父さんにとってかけがえのない存在であることをちゃんと伝えていますか?

それと、子どもにきちんと向き合っているかどうか。アハッ、絵を見せたのに、振り向かずに「上手だねぇ」と答えたから背中にも眼があるのかと思ったと、息子に言われちゃいました。これは悪い見本。でも、人に甘やかしていると言われても、泣けば必ず抱いてあげたよ。臨時職員として勤めた保育園では、よく担任に「その子はいつも泣くんだから、ほっといてください」とか言われたけれど、どうしてなのかなぁ。忙しすぎることが問題かな。労働条件の改善が必要なんでしょうね。いずれにせよ、泣くというのは何かを訴えているわけだから、何かしら大人が対応してあげないといけないと思う。日ごろ泣き虫さんがある時、怪我をしていたのに誰も気づかなかったと言うことがあったんだよね。私は雑用係でもあるから食器の片付けで部屋を出て行くときに泣いていたんだ。あと二人いるからとそのまま行ってしまったのだけれど、その二人も背中を見ることをしなかったんだね。帰りがけにお母さんに怒られちゃったけど、気づいてあげられなかったのは、保育士3人の完全なミスでした。「泣いてもほっておく」のはいけないね。ちゃんと対応しなくては・・・大人がちゃんと対応してくれるという経験をたくさんした子は、言葉が達者になったときには、言葉で訴える力がつきます。逆は「言っても無駄」とあきらめちゃう子になります。

子どもはなぜか親には「いじめ」にあっていることを隠します。息子も認めませんでした。親にかっこ悪いことを知られたくないのでしょうかねぇ。中学の時には親の手を借りたくない、という感じでしたね。担任を変えるように教育長に頼んでこようかとまで言ったのに、断られちゃいました。一人では「イジメ」は解決はしないのですが、からかいやちょっとした怪我は「無視」してやり過ごす方法を選んだようです。私は毎日「はらはら」でしたよ。手にタバコによるやけどはないか、服が汚れていないか。チェックです。「イジメ」に負けているかいないかの一番の目安は成績です。成績が下がったら、「努力しなさい」なんてアホなことは言わないでね。自分の子を見て、異常に成績が落ちたら、授業に集中できない何か原因があると考えてください。聞きただすというよりも探るという感じの聞き方にしてね。子どもの面子は絶対につぶさない。情報は女の子のお母さんから収集。これが一番の早道です。

わが子がいじめにあっているからと言って、慌てることはありません。「いじめる」子がなにかしら「うらやましく」思うことがあるのです。「変わっている」=個性があることがたいてい標的にされます。いじめられたら親は誇りに思うくらいでいいと思うのです。ただし、本人はきついです。毎日のことですから・・・学校を辞めるというのも手ですが、できれば、本人も親もそれは選びたくないでしょう。「いじめ体験」を何とかプラスに持っていく工夫をしましょう。

「勉強をしなさい」とは言われなかったけれど、そう持って行かれた、と息子に言われました。だって、いじめにあいたくなかったら偏差値の高い学校に行くのが早道なんだもの。ただ、そういう情報を伝えただけよ。

戦前の全体主義を思うと、日本人のこれが性格かしら?と悩んじゃう時もあるけれど、少なくとも、私が子どもの頃の「イジメ」は「いじめっ子」が問題児であり、「いじめる」ことが悪いことだというのが一般的認識だった。だから「いじめ」にあっても、自分をマイナスにとらえることもなかった。今の「イジメ」では「いじめる」側が多数派で、それを「悪い」ことであるとたしなめる大人もクラスメートもいない。しかも、学校という閉鎖的、かつ、普遍的な場所である。そこで「いじめ」にあうと、自分が悪いことになってしまう。この状況は異常です。でも、それが当たり前、多数派に従え、まずいことは見て見ぬふりをして育ってしまった大人がいるからか、日本の社会が変わってしまったのか、大人の社会でもそういうことが多々ある。合唱団で私も苦労しました。今はさっさか辞める、そういうところには近づかないという方法をとって防御していますが・・・

会社なり趣味の団体は、違うところへ移れば解決するけれど、義務教育ではねぇ。おいおい、それじゃぁ、現行の教育基本法があんなにいいのに、どうしてこうなるのさ、となるわけです。先生の資質の問題も大きいけれど、忙しすぎる。「日の丸・君が代」の押し付けでわかるように、上からの締め付けが相当厳しいことも大きい。多数派の子ども達が「いじめ」をせざるを得ない状況というのは、先生方にとっても不自由な状況に置かれているということなんでしょうね。改正(悪)の前に、現行法を守れよ!! と保護者も、先生方も、運動すべきだったのでしょう。私も、PTAもやっていたし、子どものことでは随分先生方とやりあったのだけれど・・・力が足りなかったねぇ。若い世代に「ごめんなさい」だわね。

で、今の私が出来ることは、自分の意見を発信すること。また長文になってしまったけれど・・・参考にしてください。子どもの自殺はなんとももったいない。生きてさえいれば、いいこともたくさん見つけられるよ。やるべきこともね。





No.21

教育基本法改悪反対!!

 りっちゃん
06/11/10

「教育基本法は、教育における理念をうたったものです。それをなぜ改悪する必要があるのか。何か意図的なものを感じています。
 愛国心の強要をはじめ、教育の自由を損なう、上からの押し付けが多くなるのではあるまいか。その結果、人間としての成長を促す教育ではなく、今以上に、何も考えない、何事にも無関心な人間を育ててしまうのではないか。と、非常に不安に感じています。
 マスコミなどでも、何が問題なのかと言う論議が少しも伝わってきていません。国民の納得を得られないまま、それを強行するとなると、政治にもさらに不信感がつのります。
 今、問題になっているイジメによる自殺・必修科目履修漏れなどは、基本法の精神を忘れ、受験のための予備校化している学校、上からの指示に従うことに汲々としている学校の姿を如実に現しています。
 どうして、現実を理想に近づける努力をせずに、もっと悪い方向へ向けるような改悪をするのですか?
 国民が納得できる論議をきちんとしてください。
私は、改悪に反対です。」

のんびりしていたら、今国会で成立しそうだって言うんで、慌てて、あちこち上記の抗議メールを送りました。実を言うと改正案を見ていないまま。で、現行法との比較が出来るサイトを見ました。印象としては、現行法はきっぱりとした意思が感じられます。毅然としているとでも言いましょうか。名文ですねぇ。改正案の方は、ごちゃごちゃと書きすぎで何を言いたいのかよくわからない。意図的にそうしているのか、それとも、アホが作った文章だからか、それも判然としません。まずは現行法の前文をご覧ください

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

主語は「われら」です。これは日本国民総体でもあるけれども、責任の取れる主体として具体的には政府を指します。つまりこういう基本的法律では、政府が国民一人一人に対しての約束を書いているのです。従って、文の最後は「普及および徹底しなければならない」と強い調子になります。次は改正案。

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

こちらは「われわれ日本国民」が主語。これ一つで、「責任回避」の姿勢が見えてしまいます。「推進する」。こういう約束は、「推進はしているのよ。努力もしているんだから・・・出来ないのはしょうがないでしょ」と言い訳が簡単。

平和が正義に変わり、それを希求する人間の育成を期するのではなく、われわれは希求し、尊び、となっている。改正案は文章へんてこでしょう?やたらとくっつけるからへんてこになっちゃうのよね。「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育」って、とっても素敵な言い回しだなぁと感心してます。「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育」ってなんか安っぽい。もちろん、私は「伝統」も好きよ。でも、わざわざここで言うことでもないと思うな。

現行法第1条教育の目的「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、“真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた”心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」の“ ”内が「必要な資質を備えた」とはしょられて、次の目標でだらだらと細かく書いている。

抜けているのが、義務教育の9年と言う数字。男女共学。社会教育は「教育の目的の実現に努めなければならない。」から「振興に努めなければならない。」に格下げされている。(実現しなくてもいいってさ)

やたらと細かく分類して載せているから、ごちゃごちゃしてわかりずらい。特に障害者の項を設けているのは、障害者のことを思ってか、それとも差別か。(後者じゃないのかい?)

そして「伝統」が2度も出てくる。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」 「伝統」を大切に思うのなら、この現行の教育基本法も大事にしたらぁ? せめてまともな日本語を使ってよねぇ、と心底思いました。そう、改正案ではなく改悪案でしたね。まったく。




九条の会アピールが届いたよ。「子どもたちを『戦争をする国』を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。」とあったよ。“真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた”心身ともに健康な国民の育成ではなく、お国のためなら命を簡単に投げ出す“必要な資質”を備えてればいいってわけかぁ。とんでもない。子どもたちよ、命を大事にしておくれ。





No.20

護身術

 みいくん
06/10/30

28日はお友だちと一緒に活動している、サークルの公開講座がありました。簡単にいうと、女性の護身法です。今回は40代以上の女性を対象に、サークルの活動の一環として講師の先生を呼んで、公開講座を行いました。

まず襲われないために、必要な事って何だと思いますか?歩くときの態度もけっこう重要なのです。まずは背筋を伸ばし、胸を張って、どうどうと大またで歩く。これだけでも、けっこう違うそうです。

なぜかというと、女性を襲う男性は、自分より強い男性は避け自分より力のなさそうな、子どもや女性を狙います。そのため、手ごわそうな堂々とした女性は避けるそうです。

そして、もしそう怪しい人が近づいてきたら、まずは大きな声を出して制止。
「いや!」「やめて」「ダメ!」「来ないで!」「来るな!」
と大きな声&通常よりも低い声(ドスを効かした低音)で相手の行動を思いとどまらせる事が一番。80%ぐらいは、それで思いとどまって逃げちゃうそうです。

そういう理性に訴えて正気に戻させる方法が通用しない相手に関しては、女性の力でも、相手から逃げる方法を色々と実践で教えて頂きました。

大きな声を出したり、体を動かすだけで、けっこう楽しいし爽快でした。
何より、そういうときにどう対処したらよいかがわかっているだけで、自信につながりますね。




ほんと、なんかすっきりしたね。足がまだ痛いので、蹴りだけはパスしたけれど、身体を動かす講座って楽しいね。

蹴りでは、みいくんのはすごい迫力でしたね。あれで相手を失神させてその間に逃げる。良いお手本でした。みいくんは廻し蹴りがもともとお得意だからなぁ。

冗談はさておき、講師の冒頭の言葉「ここに来た皆さんは偉い。自分で自分を褒めてください」がまず良かったなぁ。あの帰りにも、人身事故があったし、今朝もイジメによる自殺の報道があったけれど、こんな時代では、自分を認める力が非常に大切だと思う。特に女性は、セクハラでも痴漢でも、被害者なのに、「そんな露出した格好をしているからだ」とか非難されてしまう。だからこそ、自分を否定しない、肯定する力も養わないとね。

その「露出した格好」は、yahoo掲示板でも話題になって、私は加害者が悪いという否定をしたけれど、講師はもっとはっきりと「それは嘘です」という否定でした。襲われるのは圧倒的におとなしそうな、服装も地味な人が多いとか。理由はみいくんが書いている通り、自分に従いそうな自分より弱そうな人を選ぶから・・・露出した格好でも堂々としていればよろしいということね。

詐欺とかの対処法でも「世間とずれようが、自分の感を信じましょう。相手に失礼ではとか考える必要はありません。自分の感が正しいのです。」

セクハラの話も出たね。PTAの会長が酒席で隣の女性の膝を触るとかって。結論は、「そんな会長はリコールすべきだ!!」でした。「嫌!を早くいわないと勘違いされちゃうよ」「好きな人ならうれしいことでも、そうでないなら"嫌"を言わなきゃぁ・・・」「"嫌!!"がきっぱりいえる人と席を替わってもらう」「その場で、大声で周りの人に触られた!!って言っちゃう。冗談めかしていても相手は止めるよ」なんてそれぞれの意見交換もためになったし、おもしろかったし・・・

「嫌!!」を言う練習も非常に良かったね。うーん、今、家族の歴史をたどってみると、それがいえない男性が多すぎたという感もあり、男性も練習すべきだよと思ったね。「嫌」「NO」が言えないと話も相談もできやしない。現実問題、ちょっと困っている。

その後、遅れたけれど「朝鮮音楽の夕べ」も良かったよ。古楽器というのかな、縦笛は尺八より高音だけど首を振る演奏方法はそっくり。カヤグムは日本の琴の「引っかく」のではなく「爪弾く」という感じでした。チャンゴ(長鼓)はうちにあった鼓(つづみ)と大きさが違うだけ。棒でも叩いていたなぁ。ソヘグムはバイオリンみたいだけれど、そのアリランの二重奏は、情感にあふれていて、感動したよ。最後に観客も一緒に輪になって踊っていたけれど、足が治っていれば踊りたかった。盆踊り大好きなんだもの。

そう、ちょっと違う、ちょっとおんなじ、文化が朝鮮からも流れてきたのがよくわかるよ。情緒もね。底は一緒。

滅多と拝めない、お不動様も近々と見てきました。お不動様の左右に東西南北の明王様がいるのだけれど、南の軍茶利様がね、「嫌」って印を結んでいたよ。





No.19

61年前の息子への手紙

 りっちゃん
06/10/27

松を切り倒した時の筋肉疲労が原因か、足の筋肉を切ってしまって、仕方なく座ってできる父母の書簡整理、一覧表に記帳完了。戦後すぐの結婚だから、一家の歴史でもあり、戦後の日本の歴史も垣間見ることができた。戦中の葉書は年度がつぶされている。戦後の2年間は、手紙の底が切られている。やだねぇ〜。

戦中は離れ離れだったのもあり、家族間の書簡の数がすごい。話題も身内というか、友人というか、互いの無事を心配していたり、今の日本の雰囲気とは随分と違う。家族というものの変化を考えさせられるけれど、それはまた今度。今は、玉音放送を聞いた祖父が息子(私の叔父)へあてた手紙を載せます。民主党が伸びることを予言していた祖父だから、さすがに先を読んでいる。でも、ちょっと今の日本はずっこけているかなぁ。それがどこなのか、考えたいな。昔の字だから適当に判読した所もあるけれど・・・

8月15日
恰度12時に○○に着く。
陛下の玉音をラジオにより拝して、涙が下った。もう日本も来るところまで来たのだ。私の言ふた通り陛下が御変わりなければ無条件降伏だって、日本民族魂があれば必ず全世界の文化に最大の貢献をすることが出来るのだ。是からは内容の貧しい日本民族でなく、実質的な賢明なる日本の指導をして、立派な一等国になることは何でもない。私の言ふ通りに日本は間もなくなるのだから大いに安心して居って宣かろう。ヘボ将棋が負けるのを知って居って最後まで頑張って雪隠づめにされるなんて、馬鹿のすることだったんだ。
世の中が急に明るくなったような気もするし、又なんとなく不安なような気もする。
決して嘆くな、驚くな、屁こたれるな。そして、一生懸命に努力して頭と脳をみがけ。なまけるな。
焼跡の東京を見た。あか地に雑草が生いて青々となって来たので些か落付きを見せて来たが、もう東京都ではない、江戸村と言ふ感じだ。
明日から病院で懸命に労く事にする。遊んで居ては駄目だ。空襲の心配もないから気は楽だ。
今月中はゆっくり身体力を養って居け。動員も中止になるだろう。出来たら○子ちゃんと○○にでも行って海水浴をやって魚でもうんと喰って来い。
その内学校のほうもしらべる。その上で通知を出すから、それまで待って居れ。
切手、便箋がないので、兄上、○○様、○○さん等に御礼状を出せないから、母ちゃんより宜しく申し上げて呉れ。

私はこの時はこの世には存在していなかったけれど、じいちゃんの口調が懐かしい。まずは身体力を養い、脳をみがいて、世界の文化に貢献する一等国になる。すごいなぁ。で、今の日本はどう?透析する人がやたらと多い。いいもの食いすぎ。子どもの体力は落ちているし・・・頭も使わない、人の傷みを感じない人も増えている。経済的に一等国でも、アメリカにへつらって実質的には借金国。軍事的に貢献したい人が増えているけれど、文化はどうなっているの?

父は結婚したての頃は、長唄で活躍していたらしい。出演依頼の手紙が多かった。私たちを育てるために、一家の大黒柱としての選択か、だんだんと遠ざかってしまったようだ。「この世のものでない音」と評されていたのにもったいなかったな。これもなんか日本を象徴しているね。稼ぎにならない趣味・文化、特に日本独自の文化はどこへ行っちゃった?よさこいも沖縄の蛇皮線もいいけれど、やっとこの頃見直されてきた所。「邦楽をやっていると言うのが憚られる」と、誰かの手紙にあったな。こんな日本に誰がした?

休憩時に「美味しんぼ」を見ているけれど、国際化といっても、本当に、相手国を尊重してのことではない国際化はおかしいよね。日本の文化も尊重していないし・・・じいちゃんの陛下とか魂とかには異論がある。一等国も経済的にだけでなく、本物の一等国になるには、まだまだだなぁ。「内容の貧しい日本民族」のままなのかも知れない。「賢明なる指導」がネックだね。怠けるなって。へぇへぇ、身体もいたわりつつ、ぼちぼちとね。おじいちゃん。





No.18

清美さんの応援歌を作りました!

 
ごろんぴー
06/10/24

初めまして。社民党とは全く関係ない一介のサラリーマンで、辻元ファンの者です。

「辻元清美さんの活躍を願っています」というページを見かけたので、投稿します。
音楽は素人ですが、清美さんの応援歌を作りましたので、聞くに堪えないでしょうが、良かったら聞いてみて下さい。

http://www.geocities.jp/onken_music2/
です。

歌自体は、清美さんが議員辞職している間にイラク戦争が起こって、清美さんがいればなぁ、という無念の気持ち、復帰を強く願う気持ちを込めて、参院選の前に作ったものを若干手直しして、この度初公開しました。

微力でも清美さんのようなまともな政治家を支える力になればいいなぁ、と願って、パッとできた歌です。なるべく簡単で、リズミカルな感じで・・・

よろしくお願いします!




うれしいなぁ。久しぶりの投稿です。こちらこそはじめまして!! 生活も容量もケチケチ精神(かっこよくいえばシンプルライフだぜ)でやっているものですから、音無しなんです、このパソコン。だから、「いえいえ、素敵ですわ」とお答えすることができなくて、残念。みなさま、ぜひ聞いてください。

辻元さんのページはだいぶ更新していないのもあって、ご希望とは違ってこちらに載せました。堅いことを書くのは苦手だそうですが、おしゃべりしているようにで構いませんので、思ったことをどんどん投稿してくださいな。何かのお知らせでもいいですよ。清美さんのことをまともな政治家だって。その感覚、いいなぁ。これからもよろしく!!





No.17

「あなたと考える 憲法・国民投票法」

 りっちゃん
06/10/18

九条の会・小平から、送られてきたニュースに講演会のお知らせが・・・これも28日だよ。重なる時は重なるねぇ。もちろん、一番聴きたいのは朝鮮音楽。次が護身術。講演会はどうもね。で、パスさせてもらうけれど、宣伝だけはしとこうかな。

九条の会・小平 学習講演会「あなたと考える 憲法・国民投票法-見つめよう子どもの未来ー」

講師: 杉井 静子さん(弁護士)
日時: 10月28日(土)午後1時半〜4時
場所: 小平中央公民館学習室4

この夏、杉井さんは同名の著書を出版しました。ちょうど、九条の会・小平の例会でも「国民投票法について学習して、その内容を知りたい」と言う声が出ていましたので、杉井さんにお願いして、実現の運びとなったものです。
著書の内容は、
1.なぜ今、国民投票法が作られようとしているのか
2.問題だらけの国民投票法案
3.なぜ改憲なのか?
というもので、その内容にそって講演をお願いしてあります。
まさに、私たちが九条を持つ日本国憲法を守る運動をすすめていく上で知っておきたい内容ではないでしょうか。

と、書かれていました。なんかなぁ。今頃お勉強?と言うか、子どもの代じゃぁないよ。第三次世界大戦の可能性は!! って気がするけど・・・ウヨちゃんが平和ボケって言うのもわかる気がするなぁ。まぁ、のんびりでも何もしないよりはまし。みなさん、ご参加ください。





No.16

バカみたいに突っ立っている男

 りっちゃん
06/10/15

今日はこだいら市民祭り。こげらの本番、一曲目は「笑おう」。「笑うことは人の心を優しく変えてくれるね。」という歌詞だが、「笑い」にもいろいろある。直前に見せられた「薄ら笑い」には、腹が立ってならなかった。

こげらは車椅子の人も一杯いる。それを係りの人たちが舞台にあげる。電動車椅子など、さぞ重いだろうとご苦労がしのばれる。人数も多いので集合場所が広く要る。その集合場所へ行くときに、小平料飲組合が出していた「輪投げの店」のテーブルが出っ張っていて、さらに、バカみたいに突っ立っている組合のオッサンが通せんぼをしていた。障害者たちが集まっているのが見えていないのか、見ても何も感じないのか。さらに、注意したあとに、「ごめんなさい」の一言もなく、「薄ら笑い」。店番をしていたオバサンにも注意した所、やはり、一言も言葉を発せずに「薄ら笑い」。

腹が立って睨みつけても、何の反応もない。こいつらはまったくのバカか、恥知らずか。昔の日本人は、そばに障害者がいたら、道を譲るなり、手を貸しただろうに。まったく、この頃の日本が変なのは、外国人のせいじゃなくて、こいつらのように、純粋日本人のバカが増えているからだとつくづく思った。

演奏後にどういう団体か、聞いたら、料飲組合だって。つまり飲み屋さんの組合? あんねぇ。だったらなおのこと、人の人情とかに篤いはずじゃぁないの? オモテッツラでなく、人の悲しみとか人生の切なさとか、裏側も熟知している専門家のはず。まったくなさけない世の中になっちまったもんだ。

何日前か、上水で子どもの行列に遭遇。PTAのおばさんか、橋に突っ立っている人がいた。行列の隙間を利用して自転車で通り抜ける最中に、そのオバサンが「危ない!!」と声を発し、慌てて子どもを誘導するために移動した。それをもよけて、「危ないのはこっちだい!!」と言い返して無事過ぎたが、まったく、交通誘導員なら、こっちが近づいた段階で、「どうぞ!」なり「ちょっと待って!」の指示をくれるのが普通だろうに。それをボーっと突っ立っていたら、何のためにいるんだ?

子ども達に対しても、教育上、「まわりも見て!」「邪魔にならないように!」というべきで、「危ない」と子どもをかばうばかりでは、ろくな人間にならない。つまり、ただ突っ立っているだけの人間で、なんかあったら人のせいにするオバサンになりかねないね。

「教育が悪い」とは、日の丸・君が代の強制は違憲と言われた人たちが、犯人を教職員組合に押し付けるためにそうわめいているだけで、こういう普通のボケーっと突っ立っている人たちを何とかして欲しいよ。

先生方を管理管理で縛り、子ども達も偏差値だ、受験だなんだで縛り、そうやって、何も感じない、考えない種族を増やしたのは、いったいどなたでしょうね。都知事なんか代表格だね。あの厚顔無恥の顔。通せんぼのオッサンと瓜二つ。

ということで、一見健常者に見えて、日本語も通じないバカたちに比べ、何とまぁ、こげらのメンバーのあったかいこと。再認識できたことを幸いといたしましょう。





No.15

「あなたは大丈夫!?」公開市民講座

 りっちゃん
06/10/3

引越しを手伝ってもらった時にチラシを頂きました。朝鮮伝統音楽の夕べと同じ日だけれど・・・

引ったくり、振り込め詐欺の対処法、シニア女性のための護身法など、世知辛い世の中、自分で自分の身を守らないとね。

日時 : 2006年10月28日(土) 午後2時〜4時

場所 : 福生市福祉センター 2階学習集会室

対象 : 40歳以上の女性

講師 : インパクト東京 (女性講師による防犯対策と簡単護身術)

主催 : サークル彩 お問い合わせメール





No.14

国平寺不動明王特別拝観記念演奏会《朝鮮伝統音楽の夕べ》

 りっちゃん
06/9/22

日時:佛紀2550年(2006年)10月28日(土) 午後6時30分から午後8時30分まで

場所:国平寺本堂(東村山市萩山町1-15-15)

会費:1000円

演目:韓国伝統舞踊《五方舞》、伝族楽器ピリ、センソの演奏《清清曲》、テグン散調、サルプリ舞、カヤグム併唱《緑陰芳草》《湘南歌》、ソヘグム演奏《アリラン》、長鼓舞

映画の後にチラシを頂きました。アリラン以外は知らないけれど、お隣の国の音楽聴いてみたいし、不動明王も見られるし、いってみようかな。ご近所の方もぜひどうぞ。





No.13

坊主の説教もいいもんだ!!

 りっちゃん
06/9/16

今日、「あんにょん・サヨナラ」という映画を見に行った。お父さんが軍に徴用され、靖国神社に合祀されているのを知って、合祀の取り下げを求める裁判をおこしたイ・ヒジャさんと彼女を支援する古川さんとの心のふれあいの軌跡の映画。

驚き、あきれ、恥ずかしかったのは、靖国神社。軍服来て行進なんかしちゃってる。まるで見世物。「お化け屋敷」ならお祭りにあっていいけれど、多分あれは敗戦記念日なんだろうな。やってる方はすっかりのっているけれど、みっともないったらありゃぁしない。さらに、彼女たち一行を阻んだり、女性を「ここをどこだと思っているんだ!!」の怒声とともに引っ叩くんだよ。「在日は帰れ!」と叫ぶ若者も。ウヨはネットの中だけと思っていたのに・・・現実に見せられるとショックなだぁ。

涙は、古川さんのおばあちゃんの短歌、二人の息子を帰せ!!という内容に、思わず、つつーっと。南京大虐殺も、ひめゆりの塔も悲しいことではあるけれど、こうやって、人ひとりの命が具体的に見えるととたんに心が揺さぶられる。

数年前、靖国神社の掲示板でも泣いたよ。支給された缶詰などを貯めて、トランクに入れてある。出撃することになったので、それを贈ります。最期の孝行です。って、バカ!! 親より先に死ぬのは親不孝の最たるもんだぞ!! そんな缶詰食えるかって、いいたいけど、下の子がいたら、食べさせなくっちゃぁね。で、その親の気持ちがつらくて泣いた。靖国神社も平和のための資料展示だけなら、許せるのになぁ。歴史的に見たら、軍国神社だって。言われて見ればそうだし、あの場所にあの広さはどうしたって普通の神社ではないねぇ。

日本のとくに若い人が、インドネシアなどでは、西洋を駆逐したことに感謝されているということのみを強調することに、「アホ!!」と叫びたくなる。原爆を乗せた飛行機の操縦者が、「原爆を落とさなければ、何万人ものアメリカ兵が犠牲になっていた」というのと同じで、自分を正当化したいだけで、客観的に、歴史的に物を見るということができないというのも、情けない。

普通のいいお父さんや息子であったろう兵士たちがなんであんなひどいことができたのだろうか? という疑問は映画の中では解決がついていない気がした。前にも南京大虐殺でかいたけれど、それは日本の兵士たちも被害者であったからだよ。被害者が自分の問題を解決するためにより弱い人に向かって加害者になりやすい。これ今のイラクの状況。本来は宗教と関係なかったのに、民主主義も他の宗教への寛容も失くしてしまっている。日本兵もほとんどは貧しい層で、補給部隊なしに突入となれば自分で奪うしかなくなったんだろう。それに、大東亜というとかっこよく聞こえるけれど、差別意識は今よりもひどかったからね。天皇を頂点に、軍隊では上の層にいじめられる。下を叩けば自分が浮かばれると思いがちなんだよ。人間って。醜いねぇ。女性を叩いたおっさんも家庭や仕事ではうだつが上がらなくて、ああいうところで権力を振るわないと自分が浮かばれないのかも・・・情けない。自分を恥ずかしく思わないのかなぁ

そんなことをわかりやすく、会場となった国平寺の住職がお説教してくれた。プロだなぁ。

33歳の娘が60歳のお母さんを殺した事件のお葬式に行ってきました。普通はそんなことしません。でも、人間って殺せちゃうんです。彼女も生きるために殺さなければならないとなってしまったんでしょう。生きるというのはとても厳しいことです。つらい時もあります。死んだり殺したりした方がある意味、簡単なんです。だからこそ、命が尊いのです。戦争もそうです。平和をたもつ、戦争を起こさない、そのほうが戦争をするよりもずーっと大変で厳しくて、勇気がいって努力が要るのです。

清岩院の住職も「お花祭りとは仏陀の誕生日。「天上天下唯我独尊」とは、春に色とりどりのお花が咲く。どの花もそれぞれ美しい。人間もひとり一人違う、一人一人が尊いのだ。と、大変わかりやすいお説教をしてくれた。今日の映画とお説教も同じことだと思った。一人一人を大事にすることが平和につながると思う。

ついでに言うと、今日、麻原の死刑が確定した。もっと、ちゃんとした宗教界が頑張れば、オウムとか統一教会とかの怪しい信仰宗教なんか出る幕なかったろうに・・・と思う。坊主の説教っていいもんだわ。また何時か聞きたいね。

この国平寺には、たくさんのお骨がロッカーに収められている。何時か韓国が統一されたら、祖国の土に返してあげられるようにって。そういう長い間の地道な努力と、映画を見にきていたたくさんの若いひとたち。なんか、少し元気が出るような・・・といっても私自身はここんとこのお疲れ、特にメガネを変えたものだから・・・ウヨのわめき声に、頭痛がよりひどくなったかも。で、主催者タリの会の交流会はパス。

入会も悩みながらパス。ネットで何処かの組織に入っているといわれたのがまだ尾を引いているのかな。縛られるのだけはごめんだ。おんな組いのち、と小平市民九条の会だけで、後は自由に参加がいいかなぁ。お知らせは欲しいなぁ。というところかなぁ。慰安婦、遺骨の問題もここに書いただけで何もしない、できない自分がやはり恥ずかしいとも思うのだけれど、今のところは目一杯。病気の方は安定しているといわれる割に疲労感があるので、体調崩さないように自分で気をつけないと・・・

日本人の共同監督が挨拶で、今、日本と韓国はあまりよくないといっていたけれど、そうでもないんじゃないかなぁ。民間交流はますます盛んになっていると思うんだけど・・・例えば、藤塚さん(北園高校の名物漢文の教師)。清朝学者であったお父さんの資料(清朝と李朝の輸墨手札、清朝刻版書籍)を現金つきで寄贈したんだよね。人生最期の締め括りとしてすごいことをしたなぁと・・・民間交流は、活発だと実感しているけどなぁ。一部ウヨや、マスコミに振り回されないように気をつけようよ。





No.12

いいよ!! 天木さん!!

 りっちゃん
06/9/13

天木直人さんの「外交力でアメリカを超える」を読んだ。何よりも、元気でご活躍というのがうれしい。次ぎに、自由な身になって、いろいろ考えた末に護憲にたどり着いたというのがうれしい。私と一緒ジャン。この共感できるというのが、またうれしい。

題名に”超える”があるのが、やっぱり男性だなぁ、とは思うし、捏造に関しては、やっぱりお役人的表現かな。もう自由な身なんだから自分が思ったように書いてもいいと思うんだけれど・・・“9.11は米国とイスラエルが仕組んだ陰謀だと言う説”では、「普通の人間の発想では考えられないことです」とあるけど、確かにそう。こんなことをする奴が普通じゃない。なのに、説そのものを普通じゃないととらえているみたいだよ。さすがに元外交官、「米国やイスラエルにとっては実に都合のよい絶妙なタイミングで起こった」のはよくわかっていらっしゃるんだけどね。

普通じゃないブッシュは、イラク戦争でも、フセインが外交を通じて全面降伏していたのに、「もう決めている」だったとか。なんかね。広島・長崎の原爆は必要なかったのを思い起こすよ。9.11が真珠湾攻撃。イラク戦争の勃発は原爆投下。その後の空爆は、東京大空襲。アメリカってちっとも変わってないなぁ。進化したのは武器だけ。

”ウヨ”さんたちがよく非難する”弱腰外交”は日本が武力を持たないからだと言うけれど、だったらどの程度の武力? と聞くと誰も返事をしない。軍事力があるから強い、何でもできるという発想はアメリカそのもので、日本や中国からのお金で何とかやりくりしているけれど、自分の経済力そのものでは抱えられない軍隊を持ち、世界のあちこちで人を殺している。それで、また世界の人々に憎まれてしまっている。普通のアメリカ人って、私好きよ。人がいいんだよねぇ。「こんなにいいことしているんだから、憎まれるはずがない」と大半の人は思ちゃっているような気がする。人がよくても単細胞では困る。相手の立場にたってものを考えること、テレビを鵜呑みにしないことをしてほしいんだけどなぁ・・・

天木さんは中から見ていたから、その原因は日米関係にあると断言している。アメリカの顔をうかがわないと何もできない日本から、平和憲法を前面に出して、あちこち紛争はあっても「絶対に戦争にはしない」という強い意志でもって、話し合いをすることこそ外交である。とおっしゃってます。いいねぇ。ロシアにだって、「無腰の者を撃つなんてけしからん。平和憲法の日本では、銃を持っているものはごく少数なんだぞ。それを声をかけずに撃つというのは殺人なんだぞ!! ちゃんと教育しておけ!!」位言えばいいのにねぇ。アメリカが平和憲法をつぶしたがっているから、その顔を立てるとなるとそういうことは言えなくなってしまう。中国、北朝鮮に対してもだね。アメリカの腹はそのうち日本を手下にあちこち戦争を仕掛けたいのだから、それを知っている日本の上層部は動きが取れないんだね。

日米軍事同盟の再編の怖さもよくご存知で「小泉首相は、米軍再編に対する協力を、基地住民の反対の声をいっさい無視して強行するという、もう一つの、そしてより大きな歴史的誤りを犯そうとしています。私は声を大にして訴えたいのです。このような小泉首相の誤りを傍観する私たちは、のちの世代の人々に顔向けができるのか」と心配されています。私もよ。

さらに、「日米軍事同盟の名の下に日本人の生命と安全が米国に提供させられたのと同様に、日米経済同盟の名の下に、日本の資産と日本人の暮らしも米国に差し出されてしまったのです。
 1985年のプラザ合意による人為的なドル安・円高政策とゼロ金利政策によって、日本の資金がどんどんと米国へ流れるような構造が出来上がりました。その資金は米国債の購入に当てられ、米国の経常赤字を補填してきました。
 日本の外貨準備約90兆円の81%にあたる73兆円は、米国の国際の購入に使われてしまっています。しかも、その米国国債は日銀の金庫ではなくニューヨーク連邦銀行の金庫に保管され、日本が売ろうとしても売れない状態になっているのです。このお金でアメリカはイラクを爆撃し、罪もないイラクの子どもたちの命を奪い続けているのです」

私たちが暮らしに多少困っても、世界の子供たちを救うために、そういうお金が使われるなら、我慢もできるけれど・・・

だからこそ、「憲法9条を守ることは今の国際政治の枠組みさえも変えていく」ことを願って、世界の平和を願う人々とつながっていきたいですね。今後の天木さんの活躍を祈ってます。いいじゃん、日本政府の外交官でなく、平和のための外交官で。

そうそう、この本は、なんとなく平和が好きな人の必読の本だと思うけれど、もう一つの魅力は、天木さんの心の揺らぎが書かれているところ。「つらかった老母の涙」とか、「仕事を終えて同僚たちと楽しそうに飲みに出かけるその後姿を見ながら、自分にもついこの間まで、確かにそういう時があったなあと思い出」したり、「組織に従順な人生を送ったほうが楽な人生を送れたかと思ったりも」したり、人間らしくっていいなぁと思う。ただ、女とちょっと違うかな。男の人って、仕事に捉われちゃうんだよね。発想を逆にしなくっちゃ。仕事以外の本音を喋れる友達、自分らしいことを尊重してくれる家族、給料や地位の高でなく価値のある仕事、が欲しいね。うん、引越し準備しながら、仕事も探さなくっちゃ。ぼちぼちとね。まずは健康、元気で生きなきゃぁ。





No.11

9・11テロ捏造

 りっちゃん
06/9/5

「日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ」帯に「驚いた!!」ベンジャミン・フルフォードさんの写真。もう、しょうがないなぁ。ジャーナリストならもっと早くに気づけよ!! まあね。「あまりにもひどい人間の悪業を前にすると、とくにそれが自分もかかわっているとなると、人間は事実を否定しがちである」から、仕方ないのかもしれないけれど・・・大半の人はアメリカ政府の発表にのっかって、テロ行為を非難しちゃっているからなぁ。でも、いつでも訂正可が人間の特質。素直が一番。私は、あの映像を見たら、あまりにも決まりすぎ???がずーっとあったし、被害者の家族の「おかしい!!」という本もたまたま見かけたしねぇ。だから、今頃「驚く」なんて・・・とつい思ってしまう。

良心的な専門家たちの証言や情報など、詳しく書かれている。これでも納得しない人って、ぷふ。つまり、かかわり度が高いってことかな。面子だとか、自分の存在が損なわれるとか、生きるためには黙っていたほうが利口だとか。一部の人が権力を握ると、それもお金儲けのためにとか、自分たちだけが偉いとか、妄想が入ってくると本当に怖い。独裁国家にもうなってしまっているのか。

「9・11は、アメリカ政府が戦争をするために自分で起こしたものであるが、あの事件のあとで、愛国者法が制定された。この法律を分析すると、ナチス・ドイツの法律とソ連の法律を足して2で割ったようなもので、完全に独裁国家の法律だ。9・11の後、愛国者法に反対した議員と一部の新聞社に炭素菌が送られたが、ナチスと同じようにして、脅迫と暴力で政権を握っているのである。
アメリカ愛国者法を分析すれば、1930年代にナチスが通過させた抑圧的な法律とよく似ていることがわかるはずだ。逮捕して拘束したい相手がいたら、何の手続きも踏まずにすぐ捕まえてしまうことができる。相手を「テロリスト」と呼びさえすればいいのだ。拘束されることに抵抗する権利、そして報道の自由の権利は破棄されている。」

大手の情報は当てにならないようね。フルフォードさんもネットしかない情報がたくさんあると言っている。アメリカ政府は信用できないけれど、アメリカ人はなかなかかしこい。イラク戦争では「やっちゃえ!!」ムードだったのに、今は、ニューヨーク市民の49%が、自作自演説を支持し、83%が「アメリカ政府は嘘をついていると思う」と答えているそうな。日本人は?いまだに騙されているの? そろそろ賢くなろうよ。それとも、情報が「愛国者法」のあるアメリカよりもひどい状況なのかなぁ。

権力を握っている人たちの妄想ってすごいよ。スカル・アンド・ボーンズという秘密結社はブッシュ三代、ロックフェラー家やロスチャイルド家の面々などがメンバーで、自分たちこそエリートと錯覚し、世界で唯一の超大国となったアメリカの社会機構のほぼすべてを牛耳っていると目され、構成員同士で協同、結束して支配エリートの、支配エリートによる、支配エリートのための「新世界秩序」の完成を目指している。そのアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)に書かれていることこそ私には驚き!!だ。

「これを読んでみてびっくりしたのは、その文書に書いてあることは、ブッシュが大統領になってから実際に現実になったことが多いことだ。例えば、彼らは中近東に基地を持つべきだと立案していて、その後、実際につくった。中近東に米軍基地をつくる必要があるけれど、そのためには「新しい真珠湾攻撃」のような事件がないと、国民が従ってこないと書いてある。9・11もイラク戦争も予定されていたことの一環だったことがよくわかる。
これまで述べてきたように、アメリカの歴史上の多くの重大事件が綿密に計画されていた自作自演のイベントであり、9・11はその典型的な事件であった。だからPNACの文書を読んでみて、わたしが最も心配しているのは、この政策立案に書かれていて、かつ、まだ実現されていないことだ。イラクの他にも例えば中国の台頭。生物兵器の開発。宇宙軍を創設する必要性など不気味なことがたくさん書かれている」

岸信介がA級戦犯を逃れたのは、石井部隊の資料をアメリカに上げたから?とにかく日本がはじめた非人道的研究を続けているのは確かだわね。微生物学者らが不審な死を遂げているという情報も詳しい。イスラエルがアラブ人に効く生物兵器を研究したけれど、遺伝子が近すぎて失敗だって話はお笑い種だけど、SARSはアジア人だけしかかからないそうな。中国の台頭がこういうやつらは気に喰わないだろうから、アジア人だけに効く生物兵器の開発は大いにありうるね。はぁ〜、妄想を現実のものにしてしまう力を彼らに渡してはいけません。権力は分散しなくては・・・日本はアメリカ追随をやめましょう。

詳細な情報とか証拠とかが本文に、他にフルフォードさんの意見が載っている。ちょっと見づらい。けど保育では自主性を育てるカリキュラムを提案したり、なかなかよいです。

「アメリカで塩漬けになっているお金」って、外貨とか、アフガン侵攻のための戦費代わりに買ったアメリカの国債とかかな。そうよ。日本政府の赤字に外貨は含まれていないらしい。で、結構持っているらしい。それを有効に生かせとの提案はいいなぁ

「もちろん日本が自分のお金をつかう権利を取り戻して、地球を助けようとする時は、非常に慎重にやるべきだ。まずアメリカに損をさせることを絶対避けなきゃいけない。それはそう難しい問題じゃない。アメリカの国債が暴落したり、国際金融秩序を混乱させることを避けるやり方は絶対必要。米国債を担保に新しい資金を調達することなど、いろいろな工夫がある。アメリカが世界を助けるために日本が資金を提供することで、アメリカにとってもおいしい話になる。日本やアジアと競ってアメリカやヨーロッパなどが地球を助けるために頑張る。みんながハッピーになるやり方がとても大事だ」

「今、アメリカの中の知識人や軍事評論家や共和党の多くは、ペンタゴンを人道支援のために組織改良すべきだと指摘する。日本がその人たちと組んで、さきがけとして自衛隊を国連の指揮下に置いて「環境を守る、貧困をなくす、平和を守る地球防衛隊」に変える。その目玉として、米軍の空母を超える人道支援平和艦大和をつくるべき、津波だろうと、地震だろうと、嵐だろうと、世界中どこへでも災いがあったときにすぐに何十万人分の食糧、テント、緊急医療施設、工業用車両、輸送機などを運べる艦隊を平和隊の目玉にする。災害のない時は発展途上国で人道支援をすればよい」

平和のための戦争というのもあるから、くれぐれも注意は必要だけれどね。武器は持たない、使わないが原則とされないと・・・国連もあまり信用ならないし・・・でも、自衛隊をそんな風に変えることには大賛成。戦艦大和?なんで男ってそういうのが好きなんだろう? 救世軍のように軍隊組織を真似るのはいいけれど、目的をくれぐれも間違えないように!! 日本が他の国を“超えたり”“勝つ”必要なんてどこにもない。ぼちぼち、そこそこでいいのよ。人間なんて、自然のごく一部。





 
No.10

永遠の不服従

 りっちゃん
06/8/28

著者:辺見庸さんはジャーナリストでもあり文学者でもあり。だからジャーナリストには手厳しい。確定死刑囚が縊り殺されたその拘置所にその当日に、サッチーの保釈で群がるジャーナリストを「糞バエ」だって。そのとおりだけどね。まったく女性の法相の時にやたらと死刑の実施が多いのはどうしてなんだろうね。プレッシャーをかけられちゃうのかしら?それとも男社会に負けじと変にリキが入るのかしら?いずれにせよ、同じ女性として悲しいし悔しい。で、そういう情報はネットでないと手に入らないという現実。まったく、マスコミが翼賛化しているという指摘も、(本当は残念なんだよ)正しい。

芥川賞をとられたとか。感覚が非常に繊細。やたら難しい漢字を使ってる。でも、内容はわかりやすい。同感の部分が多いからだね。中には文学的すぎたり饒舌にすぎるところもあったけれど・・・

わあがあよおはー
 賢治が小学校時代もっとも影響を受けたのは3.4年担任の八木栄三先生で、(中略)この人はのちに早稲田大学を出て中学の教師となったが、「君が代」じゃない「わが代は千代に八千代に」といって問題をおこし、警察に引っ張られたことがあり、敗戦の時まで終始にらまれていた。(堀尾青史『年譜 宮沢賢治伝』から)
 宮沢賢治の作品群には、つまるところ、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(大日本帝国憲法・第一章第一条)だの「天皇は神聖ニシテ侵スヘカラス」(同第三条)だのといった当時の強圧的制度がいうもおろか、いかなる影も落としてはいない。土台、国籍不明といっていい作品さえ多々あるし、人と宇宙への無限に深いまなざしが、例えば「皇統連綿」などという概念を(彼は一度だってそう書きはしなかったけれども)ちっぽけで怪しげなものとして、はるか彼方に遠ざけてしまうのである。

というように、題名のあとに、何処かからの転載の文章があって、彼独自の本文がある、という構成になっている。本文はもっと長いけれどね。で、
にしても、「わが代は千代に八千代に」とは大した傑作ではないか。
と続く。うん、平和を希求する国歌ができるまで、これでしのぐのもわるくないかなぁ。

もし悪が他の悪を除去するために必要ならば、この悪の鎖は一体どこで終わりとなるのか?(H・R・ジョッリフ「ギリシャ悲劇物語」の序説から)の本文は、
米国は、オイディプスがあの「三叉路の殺人」を忘れたように、数多くの殺人を失念している。あるいは忘れたふりをしている。
と続く。ねっ。おもしろいでしょう。

面白いなんていったら怒られちゃうかな。真剣に怒ってもいるし、憂えてもいる。

イスラエル軍のF16戦闘機がその1トン爆弾をパレスチナ・ガザ地区の民家に投下、爆発させた。コンクリート造りの建物5棟が一瞬にして瓦礫になった。現地時間2002年7月22日深夜のことだ。これにより15人が殺され、150人が負傷した。死亡者のうち9人は子どもである。これはいわゆる誤爆ではない。イスラム原理主義組織ハマス幹部のシャハダ氏の爆殺が目的であったとイスラエル政府が公言している。だが、人を一人殺すのになぜ一トン爆弾なのか。爆破空間を広げて、ターゲットが逃亡できなくするためだったという。この作戦に当たり、軍幹部はアリエル・シャロン首相に対し、民間人多数に殺害が及ぶことになると具体的に説明したのだが、シャロンはそれでも作戦実行を指示したとされる。これは明々白々たる虐殺行為である。

現在の有事関連3法案に相通じるなにかがある。いや、3法案には三矢研究と地続きのなにかがあるというべきか。三矢研究はもうひとつ、核戦争の可能性についてもシミュレーションしたという事実を伝えている。「密室」の言語圏では「核」は少しもタブーではなかったのだ。安倍信三官房長官が早稲田大学で「戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で、違憲ではないという答弁がされています。ですからそれは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」と発言した心性と論理も、そうした密室言語圏となんらかのかかわりがあるのではないかと私は想像している。安倍発言の弁明にまわった福田官房長官による非核3原則見直しに通じる発言もまた、福田や安部らがカーテンで閉ざされた彼らだけの密室にあっては、憲法だけでなく非核3原則も邪魔者扱いにする話をごく普通にしているであろうことを示唆するものである。

・・・いまだって、どこからか間遠に人の悲鳴が聞こえてくるのだ。でも、私たちは隣人とほぼおなじ顔をした庶民であることを選び、悲鳴など聞こえなかったことにして暮らしている。そうするうちにも、戦争構造は膨らみつつある。
どうすればいいのか。庶民から「市民」になればなにかが解決されるというものでもあるまい。・・・この国ではもともと「私」が希薄なのである。今は、服従しない「私」を少しずつ立ち上げるしかない。

彼はアメリカ政府に異議を唱えることにより、親ソビエトと非難され、また、ボルシェビズムとソビエト政府に異議を唱えることによって、反ソビエトと非難され、またユダヤ人に異議を唱えることによって親アラブと非難され、同様の原理をアラブの行動に適用してことによって反アラブと非難され、イスラエル共和国民に異議を唱えることによって反ユダヤ主義と非難され・・・・(バースーキー著「ノーム・チョムスキー 学問と政治」)

誰に対しても物怖じせず自説を主張するチョムスキーには、正面から「僕だって・・・」とは言えないのはあまりにも文学者すぎるのか、穏やかな日本人だからなのか、徹底的な行動をする勇気がないのか。文学者以外は私も共通だけどね。だから

きたるべき(あるいはすでに到来した)戦争の時代を生きる方法とは、断じて強者への服従ではありえない。人間(とその意識)の集団化、服従、沈黙、無関心(その集積と連なり)こそが、人間個体が時に発現する個別の残虐性より、言葉の真の意味で数十倍も非人間的であることは、過去のいくつもの戦争と大老殺戮が証明している。暗愚に満ちたこの時代の流れに唯々諾々と従うのは、おそらく、非人間的な組織犯罪に等しいのだ。戦争の時代には大いに反逆するにしくはない。その行動が時に穏当を欠くものやむをえないだろう。必要ならば、物理的にも国家に抵抗すべきである。だがしかし,もしもそうした勇気がなければ、次善の策として、日常的な態度のプロセスから離脱することだ。つまり、ああでもないこうでもないと異議や愚痴を並べて、いつまでものらりくらりと服従を拒むことである。弱虫は弱虫なりに、小心者は小心者なりに、根源の問いをぶつぶつと発し、権力の指示にだらだらとどこまでも従わないこと。激越な反逆だけではなく,いわば「だらしのない抵抗」の方法だってあるはずではないか。本書『永遠の不服従のために』はそうした脈絡から編まれた、柔らかで永続的な抵抗を勧めるテキストでもある。

しかし、チョムスキーのこの質問と分析は、的確だなぁ。で、今や着々と準備が整いつつあるのかな? 始まっているのかな? 加担はもうしているんだね。日米軍事再編成。いや、米日かなぁ
「いったい、日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発したというのですか」「(戦後日本は)だれもが知るところの真の戦争犯罪人である天皇の下、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていた。それも米国の覇権の枠組みのなかで」





 
No.9

主婦マリーがしたこと

 りっちゃん
06/8/16

主婦マリーがやってしまったのは堕胎。それも、最初はお隣に頼まれて、人助けのつもりだった。その後、調子良く、副収入として、売春宿を始めたり、友だちの占い師に堕胎を必要とする人を紹介してもらったり・・・うん、ちょっと、ちゃっかりしっかり主婦だったのねぇ。なんかどこにでもいるような性格なんだけれど・・・

映画にもなっているそうですが、事実あったことを弁護士であるフランシス・スピネルさんがまとめた本です。堕胎の原因は男にもあるのに、たいていは女一人で何とかしなくてはならない。今の日本は「優生保護法」というのがありまして、名前から言って問題は多々あるようですが、これのお世話になって助かった女性は結構いると思います。男性のサインは必要ですが、ちゃんとした病院で中絶手術をすることができます。が、当時のフランスでは、内緒にする必要が多くて、マリーがしたように(石鹸水を注入する)なんて危ないことをやっていたのですねぇ。他にも自転車で転ぶとか、変なものを飲むとか、一人、原因は特定できませんが亡くなった方もいます。だから、素人がこんなことをするのを禁じるというのは必要だけれど、いくらなんでも死刑は・・・これ読んだら、やっぱり死刑廃止がいいなぁと思ったよ。

1943年6月8日、マリー=ルイーズ・ジローは堕胎を施したとがで国家裁判所のパリ法廷に出頭した。この事件について『プチ・パリジャン』誌はくわしく報じていない。裁判は傍聴禁止でおこなわれた。裁判長は退職したのちにふたたび任命された司法官で、フランスが解放されたとき「狂人」と宣告された男だ。

当時、死は日常茶飯の事柄だった。アフリカの砂漠でもウクライナの氷原でも、おびただしい数の人々が収容所や監獄や輸送車の中で死んだ。世界は広大な墓場と化していた。死者、行方不明者があふれ、死体は埋葬されることもなかった。運命が一つの世界の崩壊にのみこまれた時代だ。このような状況では、死刑の判決が下されたことで人々を動揺させることはほとんどなかった。

1943年7月30日午前5時25分、ロケット刑務所の中庭に据えられた死刑台で40歳のシェルブール市の主婦マリー=ルイーズ・ジローの運命は終わった。フランス国家主席フィリップ・ペタン元帥は「家族の擁護」という名目で恩赦を却下した。

国家が嵐に見舞われ状況が厳しいときには、国家はみずから定めた規則を破り、必要に応じて規則を変え、司法官の力を弱め、盲従する従僕にするか、あるいは協調するものを見つけださなければならない。「政治犯」を裁く裁判も、政治犯以外の「普通犯」を裁く裁判もすべておなじである。両者にはもはや境界線が無い。区別はまったくの形式にすぎない。国家は国民を確実に支配するために日常生活を牛耳り、裁判はかつてないほど社会秩序を堅固にすることを任務とする。

ということで、マリーは殺されてしまったのです。

「マリー=ルイーズ・ジロー裁判に関する一件資料をひもとけば、正義が空間と時間に置いて相対的であることをまのあたりにし、めまいに襲われずにはいられない」著者が、自分の職業上書かずにいられなかったことなんですね。

1971年4月3日、343人の女性が妊娠中絶を経験したことを認める宣言書に署名した。が、いかなる起訴もおこなわれなかった。
 1975年1月17日。騒然たる論争のすえ、国会は厚生大臣シモーヌ・ヴェイユ夫人の提案に従い、堕胎に対し5年間、刑法典の条項を適用することを停止した。堕胎はもはや犯罪ではなくなった。まもなく、「意思による妊娠中絶」(I・V・G)費の一部を社会保険で払い戻しされることが話題となった。
 いくつかの留保があるとはいえ、現在では堕胎はもはや裁判官に従属せず、各人の良心と医師団の善意に従属する。
 それでは、堕胎屋の女はいなくなったのだろうか? いなくなったと思うのは間違いだろう。1979年にはまだ約15の県内では妊娠中絶を受けることは実際に不可能であり、約30件では「戦闘段階」にあった。医師たちは合法的に彼らに認められている職業的良心の条項を援用して拒絶したからだ。
 こうした対応の仕方が結局は私立病院・・・そして堕胎屋の女たちに幸いした。
 アヴェロン県のある女性が新聞記者に語っているとおりだ。
 「合法的になったところで、そんなにややこしいなら、いつものようにするわ・・・」
 もぐりの医療行為がなくなったかどうかを知ることは不可能である。厚生省の役人はもぐりの施術者の活動は「明らかに減少している」と「考えている」が・・・

ドイツ政権下のフランスという特異な状況ではあるけれど、2世代前の話なんだよねぇ。さらに、フランスって遅れてるなぁという印象も。アメリカなんかも宗教的にか中絶に対しての抵抗がすごいよね。誰だって、妊娠したら生みたいよ。そんな手術を受けなくてはならない女の方がサイン一つの男よりつらいんだよ。身体だって痛めるしね。そして、戦争(一見平和でも)状態にある時って、合法的に殺されることもあるってことね。Wで怖い話でした。





No.8

猫のゆりかご

 りっちゃん
06/8/7

「ポコノンの書」第一の書
はじめ神は大地を創造された。そして、広大無辺な孤独の中から地上を見下ろされた  
そして神は言われた。「泥から生き物を作りだそう。私のしたことが、泥に見えるように」神は、動き回る生き物を種類にしたがって創造された。その一つが、人だった。泥から生まれたものの中で、人だけが話すことができた。泥からうまれた人が、起き上がり辺りを見まわし、話しはじめると、神はそのそばに行かれた。人は目をしばたたいた。  
「いったい、これには何の目的があるのですか?」と人はていねいにたずねた。  
「あらゆるものに目的がなければいけないのか?」と神はきかれた。  
「もちろん」と人は言った。  
「では、これの目的を考えだすことをあなたにまかせよう」と神は言われた。そして行ってしまわれた。

第5節
<フォーマ>を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人にする。(フォーマとは、無害な非真実)

第7の書
 ドラッグ・ストアを一手にする人間が世界を支配する。
 まず、ドラッグ・ストアのチェーン、食料雑貨店のチェーン、ガス死刑室のチェーン、それに国民的競技から、共和国の建設を始めよう。憲法をつくるのは、そのあとでいい。

第14の書
思慮ぶかい人間が、過去100万年の経験をつんだ、地球上の人類に希望できることは何か?
ゼロ

ポコノン教には「カリプソ」もある。第59番は
 おお、セントラル・パークで
 居眠りしている酔いどれも
 昼なお暗いジャングルで
 ライオン狩りするハンターも
 それから、中国人の歯医者さん
 イギリスの女王様――
 みんなそろって
 おんなじ機械のなか
 ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス
 ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス
 ナイス、ナイス、ヴぇリ・ナイス
 こんなに違う人たちが
 みんなおんなじ仕掛けのなか

何番かは明記されていないが、サン・ロレンゾでポコノンが宗教をあらたに作ったいわれが歌われているのがこれ
 おれは考えたんだ
 みんながぴりぴりするよりも
 しあわせになれるなら、そう
 なんとか筋を通せばよい
 おれは嘘をこしらえた
 すべてがぴったりおさまるように
 すると楽園になったじゃないか
 みじめなみじめなこの島が

"パパ"モンザーノはわるいやつ
 だけど"パパ"がいなければ
 おれはきっと悲しいだろう
 だって、悪者の"パパ"なしで
 このごろつきのポコノンが
 善人面できるわけがない

“動的緊張”が均衡していれば、人々は、幸せになれる。とさ。なかなかポコノン教だけでも面白いのだが、全編逆説的風刺、皮肉がちりばめられていて、息つくひまもなく読める。ただ、まとめるには、面白すぎ。SFです。原爆を発明したハニカーさんが、アイス・ナインなるものを子ども達に残し、その子どもたちそれぞれが、アメリカ、ロシア、“パパ”に渡し、“パパ”がアイス・ナインを「よし、世界を滅ぼしてやる」(ポコノン教徒が自殺する時の言葉)と叫んで飲み込んだがために「世界が終末を迎える」という筋です。

ポコノンの書の扉には「馬鹿なことはやめろ! すぐこの本を閉じるのだ! <フォーマ>しか書いてないんだぞ!」 この「猫のゆりかご」の扉には「本書に真実はいっさいない」、とある。小説も宗教も人間がつくった虚構でしかない。

題名の「猫のゆりかご」は、綾取りの多分日本では「つり橋」かなぁ。ハニカーの3男が虚無的に「猫いますか?」と言うのだが、子育てした者として、保育士としては、無いものを見る、しかも共通認識できるところが人間なのさ、と思うのだが、ハニカーさん、原爆をこしらえるほど無知な方だから、子どもも満足に育てられなかったのねぇ。本人が「猫のゆりかご」を知っていたのになぁ・・・

他にも生き残る人に、白人のしかも俗人が多いこと、ポコノンが集団自殺を勧めてしまうこと、ポコノン教は面白いのに、結局キリスト教を茶化しているだけで、キリスト教の影響力の強さを感じてしまうことなどこの本に不満も感じる。

だから、ポコノンのしめくくりの言葉
 もしわたしがもっと若ければ、人間の愚行の歴史を書くだろう。そしてマッケープ山の頂きにのぼり、歴史を枕に横になる。そして地面から、人を彫像にする青白い毒をつまみあげ、みずから彫像となるだろう。おそろしい笑いを浮かべ、仰向けになり、天にいる誰かさんを見上げるのだ。親指を鼻の頭につけ、手のひらを広げた格好のまま。
なんてことを、主人公に実行しないでほしいと思うのだ。

アメリカ大使夫人の投書、”アメリカ人はありえない愛の形を、それがあるはずのない場所で永遠に捜し求めているのです”という言葉も意味深です。アフガンでもイラクでも憎まれる一方のアメリカ。「アメリカの外交政策は、愛を空想するよりも、まず憎悪を認めるべきだ」 本当に!!

大使が朗読したこの詩は実際にあるのかしら? エドガー・リー・マスターズの『スプーン・リヴァー・アンソロジー』から、とあるけれど、これも<フォーマ>?

おれはミショナリー・リッジの戦いの最初の産物だった
 心臓に弾丸がくいこむのを感じたとき
 おれは故郷にとどまって牢屋にはいっていればよかったと思った
 カール・トリナリーの豚を盗んだ罪で
 それがいやさに、おれは逃げだして軍隊にはいったのだ
 軍刑務所に一千回ぶちこまれるほうが
 この羽根を生やした大理石の像と
 この御影石の台の下に寝るよりどれだけマシだろう
 台にはこんな文字がある、「PRO PATRIA」
 いったい、なんという意味なんだ
「いったい、なんという意味なんだ?」ホーリック・ミントン大使はくりかえした。「その意味は、"国のために"」そして、つぶやくようにまた一言つけ加えた。「どの国をとわず」と。

この他にも、理想の女性、モナが主人公に「シンワットです!」叫んだ。「人の愛をひとり占めにしようとする男です。それはとても悪いことです」というあたり、次の次の章で俗人の妻が「ねえ、なんていったかしら?あのとき、あなたの命を助けた薬?」「スルファチアゾールだよ」(何の薬か調べて納得)というあたりも、一夫一婦制のマヤカシが見えたりする。もう笑ったり、首をかしげたり、忙しい本です。書ききれないや。皆様、是非ご一読を!! 著者はカート・ヴォネガット・ジュニア。





No.7

一事が万事

 あひるさん
06/8/3

話題のボクシング世界選手権試合を見ました。

ファンだからではありませんで、低劣な大言壮語、それにもかかわらず大変な人気、というマスコミのでっちあげた不思議な虚像の実態を見たかったためです。弱い選手ばかり当てて、「強い」というイメージを作って人気をあおる作戦と聞いていましたから、亀田興毅、本当に世界に通じる選手かどうか、興味津々で昨夜の試合を見たのです。

試合前には、どうでもよい一家の生活レポートを延々一時間も放映。テレビ局には「試合はいつはじまるのか」という電話がたくさんかかったといいます。

試合開始早々予想外の1ラウンド亀田ダウン。馬脚現る!と嬉しくなりました。そのあと立ち直ったというのですが、素人目には、どうもさえません。最終ラウンドは、かなりふらふらにみえました。「もうこれは判定負けだなあ」と思っていたら、なんと2対1の判定で世界王座。我が目が信じられませんでした。放送後テレビ局には判定のひどさを訴える電話がたくさんかかったといいます。

世界に恥ずかしい首相や与党を堂々いただいている属国ですから、世界に恥ずかしいチャンピオンがいても当然なのですけれども、あまりに露骨にすぎました。実力がきびしく問われる業種には二代目、三代目はなかなか生まれにくいのだろうとかねてから思っています。逆に言えば、二代目、三代目だらけの業種は実力よりも、縁故と金がものを言う世界なのでしょう。

例えば野球、ボクシング、ゴルフなどは前者。政治家は圧倒的に後者。どうみても凡庸だったり、異常だったりして、普通の職業であれば、とうてい一人前の仕事もおぼつかないような人物達が次々とトップに立てる世界というのは異常です。政治家はボクサーと違って見ている前で勝負がつくものではないのでごまかすのは簡単。それで敗戦後60年も八百長政治が続いているのに違いありません。恥ずかしい首相も次の首相もチャンピオンと同じ手法でマスコミや電通や暗黒街の皆様が作り上げているのでしょう。

でも今回の八百長ボクシング放送は、とてもよいことだったと思います。日本はおかしい国だというのをあらためて世界に広めることができたからです。勝ち組、主流なるもののうさんくささ「雰囲気」だけでなく、実際うさんくさいものだと証明してくれたからです。これまで発表される度に目を疑っていた、与党・首相の支持率の結果も、今回のボクシングと同じ操作で作られているのだろうとわかって安心しました。テレビ報道は、嘘ばかりだと一人で思っていたのではないことがわかってまた納得。

「マスコミは公器だ」という妄言がありますが、「マスコミは権力の提灯」でしょう。少なくともTBSの場合は「マスコミは興毅」ではあるようです。

森田実氏あたりが、「マスコミの誠意を期待したい」などと良く書いていますが、街頭で偽物をうる連中を大規模にしたのがマスコミや広告代理店の本質。準戦時下日本において、マスコミは大本営広報部以上の存在ではないでしょう。へたに良心を前面に出して、意義ある番組編成をしようなどと言おうものならたちまち左遷。愚にもつかない宗教政党の躁病的芸人にたわごとを言わせ、視聴率をとって愚民化を推進すれば覚えはめでたいのです。あの局にはオウム事件テープ秘匿であきれたことがありますが、こうなると社会に対しては害毒しかない業種だと思えてきます。戦争で儲ける企業・政治家の役には立つでしょう。でも民放の愚劣さ、いずれもどんぐりのせいくらべ。

NHKがたまに良い番組を作ったりするので、次期首相そして親分のアメリカ様には目障り。アメリカには公共放送などないので、つぶしてしまうか無力化するという方針がNHK視聴料騒動の背景でしょう。竹中が退いても、宗主国並に全放送が事実上の民放になるのも時間の問題。

ミニコミや地方紙には優れたものがあるようですが、皆が愚民化道具である大手民放を見つづける限り、八百長マスコミに助けられて八百長政治は長く続くでしょう。




見事なる八百長試合、やんや、やんやの拍手受け。ですかねぇ。初回ダウン・終始劣勢 疑問残すって言う見出しでしたが・・・何の疑問も無いですね。倒れなかったことこそが、唯一の勝因と言うことは、つまり、判定では絶対に勝つということで・・・あははのは。

ブッシュ政権の核政策は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否するなど、NPTによる核軍縮への国際合意に完全に背を向け、国益によって対応をあからさまに変える「二重基準」が顔を出している。
 米国は核疑惑があるイランを厳しく非難するが、インドとは3月に原子力技術や核燃料を提供することで合意した。NPTに一貫して署名せず、68年に核実験をしたことを不問にして協定を結ぶのは納得できない。
 イスラエルは最初からNPTに加盟していない。事実上の核兵器保有国だが、それも不問のままだ。これらの国々にはNPT加盟を強く求めるべきだ。不拡散の追及が終局の目標となり、核軍縮が遠くに追いやられてしまっている。二つは車の両輪で、片方だけの主張であってはならない。

これは元長崎大学長土山秀夫さんの国際平和シンポ「核なき明日へ」での冒頭発言だそうだけれど・・・ブッシュのやり方も八百長と言えるかなぁ? 日本は被爆を経験し、第9条も有しているんだから、イランにもブッシュにも、北朝鮮にもイスラエルにもインドにも、核はイラン!! って言わなくっちゃ。




Yahooの投票を見ても、「きっこの日記」をみても、圧倒的に亀田興毅負け派が多いのは嬉しいことです。(94から98%)マスコミが強引なインチキをしても、人はちゃんと見ているということでしょうか。郵政アメリカ献金911選挙時に、これぐらい「マスコミと政治家の八百長」が見えていたら素晴らしい結果になっていたでしょう。せめて憲法破壊の為の国民投票では、アメリカと属国指導部の八百長政治に対して、これぐらい怒りが沸騰してほしいものです。





No.6

「主権在米経済」

 りっちゃん
06/7/30

著者はあの小林興起。刺客が小池百合子と言った方がわかりやすいね。副題が「郵政米営化」戦記、これからも貢ぎ続ける日本でいいのか?です。まったく、そのとおりです。テレビだけじゃなくてこういう本も読んで欲しいっス。

法外な解散、刺客まで放って、彼らを追放した理由がよくわかりました。邪魔だったんですねぇ。真面目に勉強する人たちが・・・「拒否できない日本」(関岡英之)を読んで、「年次改革要望書」(訳すと「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づくアメリカ政府から日本政府への毎年の改革への要望」)をテーマにして、いかに日本政府がアメリカ政府の要求(命令)どおりに動いているかということに衝撃を受け、勉強した人たちなのだ。自民党執行部の切り崩しにもめげずに「郵政米営化」に反対票を投じた人たちなのだ。

「日米貿易摩擦」「日米構造協議」がいつのまにか「構造改革」と名がすり替わり、「米営化」を民営化と勝手に、(だって、もう民営化してるんだもん。みんなウソをつかれていたんだよ)キャッチフレーズに使われて、この国の民は将来禍根を残す選択をしてしまった、ということがよくよくわかります。

興起氏は官僚出身。自身は日米貿易を担当してはいなかったが、「貿易摩擦」当時の官僚は、「日本もアメリカから輸入しろ」と言うアメリカに、「では輸入するものが何かあるのか、たいした製品もないではないか」と答えたとか。まったくです。

「日米構造協議」の頃、アメリカが持ち出した2百数十項目に対して、興起氏らの勉強会で140項目をつくったが、これを自民党の総務会を開かずに封殺したのが、小沢幹事長。やっぱりね、彼が民主党になぜいるのか、そりゃ、側面から小泉を支えるため。アメリカと同じ2大政党にするのが小沢ら、でなくアメリカの意図なんでしょうね。政治家にアメリカのイエスマンが多すぎる!!

こういう真面目に勉強し考える人を落としたと言うのは、うーん、もったいない。と言って、いつか自民党に戻ることを予想している興起ちゃん、甘いよぅ。

「「一灯を引き提げて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ。ただ一灯を頼め」。今の政治家には、この西郷隆盛のような信念と気概がない。今の時代、昔のように政治で命まで落とすことはない」だって。命は惜しまないと後述しているけれど、政・官・業・ヤクザの結びつきを調べていた人も殺されたんだよ。もちろん、政治のためなんて表面には出ないさ。あたりまえじゃん。無いんじゃなくて、あってもあなたが知らないだけ。

消費者へのきめ細やかなサービス、地域の防火・防犯にも責任を持つような、地域社会とともに歩むような、そういう商店街が寂れた原因が大店法改正、これもアメリカの国益に利しましたねぇ。もちろん年次要望書どおりだそうです。自民党をぶっ壊せ?イエ自民党の支持基盤でもあった商店街が壊されつつあるのです。

京都議定書を無視しているアメリカだもの、自然破壊につながる公共事業もばんばんやるよう要求してたね。それが莫大な借金と、この梅雨での土砂災害につながっているんだよぅ。みんなぁ。日本の将来のこと考えてよね。こんな世の中だから子どもは生みたくない、ではなく、子どもたちのためにいい日本にしようよ!!

アメリカの占領政策は「日本解体」にあった、の項には以下の反論。

太平洋戦争終結後、アメリカは日本の占領政策を実行するに当たり、基本原則としての「3R」、重点的施策としての「5D」、補助政策としての「3S」を策定した。「3R」とは、「Revenge」(復讐)、「Reform」(改革)、「Revive」(復活)。「5D」とは、「Disarmament」(武装解除)、「Demilitarization」(軍国主義の排除)、「Deindustrialization」(工業生産力の破壊)、「Decentralization」(中心勢力の解体)、「Democratization」(民主化)。「3S」は「Sex」(性)、「Screen」(スクリーン)、「Sport」(スポーツ)。

私が思うに、興起ちゃん誤訳が多すぎるよ。(英語は苦手、歴史と理屈が私の根拠)「Revenge」は報復。東京裁判の意図、間違った戦争の原因を追究し、2度とバカな戦争を起こさないための政策という意味だよ。でも、責任の所在をはっきりしなかったというか、意図的にあいまいにしたアメリカってずるい!! それを受け入れた日本人も・・・。改革にreformを使っているということは、興起ちゃんは「日本解体」が目的と書いているけれど、その意図は無いということだわね。「Decentralization」 は、財閥解体のことじゃないかな。独占禁止法とか、今でもあるのかなぁ。なんだか、外資が入ってますますでかい方が優位になっているようだけれど・・・それってどうなんだろう。消費者の感覚からすると遠くなっている。もっと身近な方がいいなぁ。当時も、今の私が思うにも、一番怖いのは、企業と軍事が結びつくこと。金儲けのために戦争を仕掛けることは止めてほしい。特に今のアメリカ。とってもコワーイ。資本力があれば、保険をかけていれば、貿易センタービルの一つや二つなくなったってどうってことない。テロに罪をなすりつけて儲け=戦争を起こすための投資だぁ!!なんて考えないでほしいよ。

「Sex」はもちろん女性解放。選挙権を得られたのもアメリカのおかげ(だけじゃぁないとも思うけどね)。ただ現実を見ると、性産業の大流行りは興起ちゃんの指摘どおり。ヤクザさんがご活躍かな。メールを見てもうんざりするほど。これじゃぁ、日本人はだめになっちゃうよ。お手軽な性が少子化にも影響してるんじゃないかな。「性」と言うものはもっと大事なものだと思うけど・・・

土地開放もあったよね。駅からはるかかなたの家まで自分の土地だけを通っていけるなんて地主さんはもういないかな。バブルの活用で、ヤクザさんは土地持ちになっているかもだけど・・・。

問題はアメリカの意図よりも、当時の日本人がどう選択したかじゃぁないかなぁ。第9条押し付け論なんて、私はどうでもいいのよね。いいものはいい。違うかなぁ?年次要望書もそうでしょ?アメリカはアメリカの国益のために日本に要求を突きつけている。それに「NO」を言えない日本政府への批判は正しい。興起ちゃん、がんばってぇ。だけど、そのなかに第9条の解体もあるんだよ。とんでもない。わたしはぜったいに「NO」 だよ。「国家の品格」があれば、軍事力がなくても「NO」は言えるさ。受け入れるかどうかも、軍事力があろうとなかろうと、関係ないな。相手の国の品格にかかわる問題ではある。

でも、日本の国益にとってもいい提案なら、もちろん受け入れましょう。興起ちゃんもそう書いている。あまりなさそうだけど・・・今のアメリカ自身が病んでいるからねぇ。アメリカが品格を取り戻すには、日本人の「NO」をたくさん受け入れることも必要かなぁ。「NO」を言うのは、アメリカのためにもなるよ。きっと。





No.5

2006「平和のための戦争展・小平」

 りっちゃん
06/7/27

ー戦争のない世界をめざしてー

日時: 8月17日(木)〜20日(日) 午前10時〜午後7時(最終日は、午後6時まで)

場所: 小平市中央公民館1階ギャラリー (西武多摩湖線青梅街道駅より徒歩5分)

展示内容: 小平と戦争・東京地区への空襲、絵で見る沖縄戦、世界の人々から見た日本国憲法、基地の現状、教育・子どもと戦争

特別企画: 岩田行雄「憲法第九条はどのように誕生したか」講演会
8月19日(土) 午後1時30分〜  福祉会館第1集会室 (中央公民館とは線路斜め向こう側)

送られてきたチラシの呼びかけ文中に憲法と教育基本法の改正とあった。ふぁ?改正でなく改悪じゃぁないの。押し付け憲法とかいうウヨちゃんの宣伝に乗って、そうでないことを今更講演してどうなるってぇのさ。9.11の映画上映とか、要望書の研究とか、日米ミサイル防衛の意図とかの方が興味深いのになぁ。甘いなぁ、とは思うけれど、戦争展は毎年見ごたえがあるのでお勧めです。横田基地のアメリカの空域がすごく広くて、これで独立国?と思い知らされたこともあるし、戦場からの絵手紙では、心あったまったこともある。講演会もよかったらどうぞ。

日本の「ミサイル防衛」ってどんなもの?という記事(ニュースがわからん)で引っかかるのが、まず、「この構想は米国で生まれた」ってとこ。敵が発射した弾道ミサイルをイージス艦に積んだ海上配備型ミサイル(SM3)によって大気圏外で迎えうつ。これがあたらなければ・・・そのミサイルはどこへ、宇宙のごみ?それともいつか民間の家に落っこちるの?・・・地上に配備した地対空ミサイル(PAC3)で打ち落とすというものだそうな。海上配備型は甘く見ても3回に1回は失敗。地上型は半径数十キロしか守れないので、基地周辺だけだってさ。つまり、一般市民を守ることが目的ではないってこと。99年度からの日米共同技術研究では、269億円、今年度から9年かける予定の開発の負担は、1168億〜1402億円との見込み。不良品購入予算は別にしてだよ。まったく、今、「主権在米経済」をまとめる所だけれど、こっちは「主権在米軍事」ですねぇ。うっ、うっ、うっ、一日も早い独立を願っておりまする。





No.4

トリイ・へイデン

 りっちゃん
06/7/27

トリイ・へイデンの「ひまわりの森」を読んだ。2回目だった。

私たち一家の中心は母マーラだった。美しく聡明で活力にあふれる母には、風変わりで、思いつめたら梃子でも動かないところがあった。その無邪気な頑固さは、10代での悲惨な戦争体験が原因と思われた。
いつも心に闇を抱え、ここではないどこか別の場所に幸せが待っているはずだと信じる母のために、わが家は引越しをくりかえしてきた。母が不安的な気持ちに陥らないよう、父は心を砕き、私と妹も母を気づかい、友達を家に呼ぶこともままならず母に翻弄される毎日だった。そして、ここカンザスもまた母の心を満たすことはできなかった。
そんなある日、母の様子がおかしくなった。母は近所の少年をかつてナチスに奪われたわが子だと思い込み、私や父の説得もきかず、やがてその少年につきまといはじめたのだった。そして、ついに恐ろしい事件が起きた・・・・
少女時代のおぞましい体験によって心を蝕まれた母と、彼女を抱えて懸命に生きる家族の姿を、17歳の娘レスリーの目を通して感動的に描く。情緒障害児との心の交流を綴り、日本でも圧倒的な支持を集めているベストセラー作家が実話をもとに、愛と祈りを込めて贈る初の長編小説。

トリイはいつも子どもたちの視線からものを見ている。そこがいいなぁ。だからこの本も主人公はマーラではない。責任感のある子、レスリーだ。妹ミーガンのせりふ「あたし、ここの家の子だってことがあんまり好きじゃない。ほんとのこというと、だいっきらい」は、レスリーの気持ちでもある。

マーラの状態がおかしくなってからは、卒業間近の学校を休まねばならなかった。そんなレスリーに、金持ちの議員である父とファッションを趣味とする母の離婚を目の当たりしているレスリーの恋人は、「それでも君は運がいいよ。君たちがお互い愛し合ってるってことさ。レスリー。きみはお母さんのために家にいるし、妹はいつも何か役に立とうとしているし、ホント、それがどれほど運のいいことか、君にはわかってないんだよ。この国にいる何百万もの子どもが、君のところみたいな家族の一員になれるのなら、お母さんの抱えている問題を我慢しても喜んできみと立場を交換したがるだろうよ」

レスリーはこう答える。「愛情は助けにはなるわ。でも、それだけじゃだめなの。事態を変えないとだめなのよ。外に出て、どうしてものごとがまちがっているのか、それをよくするにはどうするかを見つけださなきゃだめなの。そこがパパとわたしの違うところなの。そこがパパのまちがっているところなの。世界をよりいいものにしようとするなら、事態を変えないといけないのよ。パパは近づいてきて両腕で抱いてくれるわ。そうしたら確かに気分はよくなる。でも事態はよくはならないのよ。パパがママにやっているのはそれなの。ママを抱きしめて、キスして、ママに自分はすばらしいと思わせる。でも、それでもママの抱えている問題はあいかわらずあるの。何も変わらないのよ」

マーラの障害はナチスによる性的虐待が主な原因だけれど、父親に過度に可愛がられ、良家のお嬢さんとしての期待が大きすぎたし、さらに皮ひもによる体罰もあった。マーラーの夫のほうも、次男は神父になるという貧しくもあり厳格でもある家で育ち、自分に自信がなかったという発言もある。マーラーを連れ合いとして選んだのも、保護する必要を感じたというよりも、保護する相手が彼に必要だったのかもしれない。

マーラが16歳の時寄宿学校からホステルへ連れて行かされる。そこは、売春宿とも、アーリア人の子孫を作る場所とも言えるのかな。で、最初の子「クラウス」は、17歳の時に出産。ブロンドの髪の美しい子、として喜ばれ連れ去られる。次の子は、反抗のためか、マーラー自身が殺してしまう。そのため、収容所送りとなり、終戦時には、チフスにかかって死ぬ間際だった所を夫オマリーに救われる。で、ふたりで「クラウス」を探すために住んでいたのが「ひまわりの森」だった。その場所のことをマーラーは美しい花に囲まれた家、幸せだった場所と子ども達に話して聞かせていた。

マーラは大好きなひまわりの植え付けを見に行った先で見かけた子を、「クラウス」と思い込んでしまう。チョコを「クラウス」に上げて手なずけたり、付回したり、それを嫌がって警察に訴えると言う「クラウス」の両親はナチスだと思い込んでしまう。

「オマリーはすごく私のことを怒っているわ。かんかんに。彼、私のことが嫌いになるんじゃないかしら。みんな私のことを嫌いになると思うと怖い」

「どうしてオマリーは私に我慢できるの? 私はこんなに汚いのに。あんなに大勢のひどい男たちに身体を触らせたのに、あんなに大勢の汚い豚どもに。それで、どうして、私自身が汚い豚じゃないといえる? どうしてオマリーは私と一緒のベッドに寝ることができるの? どうして私を愛することができるの?」その答えがみつかっっていたら悲劇は起こらなかったかもしれない。

「クラウス」を救うために、「クラウス」とその両親を殺し、自分も警官に撃たれて、夫に見守られながら死んでしまう。もちろん子どもたちは、犯罪人の子どもとして見られて、新たに苦労を背負い込むことになる。逃げ出すんじゃない、自分で体験し、自分の世界をつくりたいのだと、レスリーは父の反対を押し切り、ウェールズにある「花の森」へ出かけ、ひと夏を過ごす。秋の嵐の季節になって、「花の森」はマーラーの意図的な誤訳で、ウェールズ語では「狼の森」であることを知りショックを受ける。

「私はずっと、母は世界で一番すばらしい人だと思ってきたの」「母はもっとも勇気ある、最高の人だと。だって、あれだけのことを乗り越えてきたんだから、でも、今は何で以前はそう思えたのかしらって思うの。私が学んだことは、母は百万回も魂を売ってきたに違いないってことだけのような気がするのよ」

ウソをつかれていたことを父に言うと、「ママはそれが花って意味だと思いたかったんだよ」「こうであってほしいと心底願っても、実際はそうじゃないってことがあるんだよ。ときどき、こうであってほしいと強く思うあまり、実際のものが受け入れられなくなるってこともあるんだよ」

「私、ママのことを愛し続けたいわよ。今でもママのことを愛してるんだと思う。でもね、今度のこの悲劇は全部ママが作り出したことだとしか思えないのよ」

「そうだな、そうかもしれない。パパにはわからないよ。でも、それは愛情の問題ではないと思うんだ。愛と完全さとは、お互い関係のないものだよ。相手がいい人だからとか、完全な人だからその見返りにその人を愛すると言うものじゃないだろう。何かの代償、つまり人生で経験したすべてのつらいことを埋め合わせるために、その人を愛するというものでもないだろう。愛するっていうのは、ただその人を愛するんだよ」

「でも、そんなことをしてなんになるの? そんなことをしても最後は傷つけられるだけじゃない。もし愛することが何かの埋め合わせにならなかったら、愛することがその人の欠点を直したり、前よりよくなるんじゃなければ、その人がやっぱり前みたいに苦しんでいるままなんだったら、何でわざわざそんなことをするの?」「それはそういうことに出会ったら、愛するということが自分たちの自由な意思でできる唯一の行動だからだよ」

うーん、愛情論は難しい。答が私にも見つからない。

マーラーの悲劇はオマリーにも責任があるともいえる。聡明で生き生きとしていたマーラーが子育てだけに専念していたのはもったいない。しかも、他の家庭との行き来なしで。障害者を抱えた家庭というのはそうなりがちになってしまうのかもしれないが、それでは子どももつらいよね。オマリーは子どもたちの育ちよりもマーラーを大事にしていたのは確かだね。

ただ、問題の無い家庭というのは、ひょっとしたらありえないのかもしれないなぁ。普通の家でも、問題を抱えながら、気がつかなかったり、気がつかないふりをしたり、また、それなりに対処して、子どもたちは乗り越えて大人になっていくのかもしれない。さらに虐待は連鎖もするしねぇ。あれはいけない、これはけしからんと言うのは簡単だけど、与えられた環境の中で子どもたちは育つしかないし、またそこから育っていくともいえる。人間には無限の可能性があるかぁ。あるんだけれど、難しい。障害児学級の教師としてトリイは、変化を期待して子どもと格闘することも、オマリーのようにただ抱きしめることも、そして、状況を考えて原因を取り除くべく親や社会に訴えてきたことも、すべて経験している。その結果、問題が解決できた例もあるし、その限界を嫌というほど感じたこともあるだろう。つらくても生きていくということはそういうことなのかもしれない。





No.3

ジダンへの差別発言

 りっちゃん
06/7/18

今日の社説に中途半端なご意見が載っていた。差別発言にもレッドカードを、ってそんなルールがサッカーにあるかどうか?

ジダンが言われたというのは「おまえはテロリストで、その母や娘は売春婦だ」というようなことだったが、同じ言葉を投げつけられてどう反応したらよいか戸惑ったのが、つい先日読んだ「ストリートキッズ」という本の主人公。あ、テロリストは関係ないけどね。

「おまえの父親はだれだかわかんないだろう」「おまえの母親は売春婦だ」といわれて戸惑うのは、これが真実だから。そして投げつけた方はそういう生活とは無縁の両家の子女たちだから、単なるご挨拶と主人公は捉えるのだ。「ハイ、そうです」と言ったら、投げつけた方はどう反応するのだろう?なんてことを考えながら、で、できれば自分の生活を知られたくない(同情されるのが嫌?説明が面倒?稼業の面での秘密保持?)から、黙っている。良家の子女もけんかを売ったつもりが買ってもらえなくて、それもまた戸惑う。

主人公の母はヤク中毒のため、子どもをおっぽり出して、商売に励んだり、ヤクザな男にひっかかたりの繰り返し。子どもは、自分で自分の食糧を得るために、のちに「お父さん」と呼ぶ義手の男の財布を盗み、その腕を見込まれて、ウラ稼業の特訓を受け、その稼業の長の温情か投資か、いいとこの高校に行かせてもらい、大学へ進学、将来は英文学の教授になることを夢見ている。その分ウラ稼業もせんとね。良家の子女のヤク中を治すために奮闘する時も母の時の失敗を思い出したりして、なかなか大変なのだ。

もちろん、小説であって、(「お父さん」とのからみがなかなか面白いと言うか、「お父さん」の人間性が魅力的)、実際のストリートチルドレンは母親や、母親をいたぶる男たちと同じ生涯を送ることが予想されちゃうけれど・・・

ジダンがストレートに怒りを爆発させられたのは、この言葉が真実ではなかったからだろうなぁ。それとも、ストリートキッズよりもお子ちゃまだったのか。

私としては、「売春婦」よりも「買春男」の方が、ずーっと汚いと見えるのだけど・・・どうして「買春男」を差別しないのかしら? 





No.2

ハツカネズミと人間

 りっちゃん
06/7/9

「怒りの葡萄」は読んだという記憶しかない。が、これは面白いし、わかりやすい。みんな悲しいねぇ。だからこそ、傷つけあったりしないで生きていきたいのだけれど・・・なかなか難しいねぇ。

主人公ジョージとその連れ、ちょっと知恵遅れで力持ちのレニーには夢がある。「おれたちみてえに、農場で働くやつらは、この世の中で一番さびしい男たちさ。家族もねぇ。住む土地もねぇ。農場へ来て働いちゃ、小金をかせいで町へ行き、きれいさっぱり使ってしまう。それが終わると、また別の農場へ行って、汗を流しながら働く渡り者だ。先に何の望みもねぇ。」「おれたちふたりは、そんなじゃねぇ。先には望みがある。互いのことを気にかけあう話し相手が、ちゃんとある。他に行くところもねえからと、酒場へ入って金をむだ使いすることもいらねえ。ほかのやつらは、ブタバコにでもぶち込まれりゃもうそれっきりだ。だれがかまおうと、だめになっちまう。だけど、おれたちはそんなじゃねぇ」「そのわけは?だって、おらにはおめえがついてるし、おめえにゃおらがついていて、互いに世話をしあうから。そういうわけさ」「いつの日か――おれたちは金を合わせて、一軒の小さな家と2エーカーの土地を持ち、一頭の牛と何頭かのブタを飼う。」「そして、土地のくれる一番いいものを食って、暮らす」

「共依存」という気味も感じられるけれど、具体的な男の夢はそれなりにいいものだとも・・・で、その夢にキャンディも参加を表明します。「今晩、みんながわしの犬にしたことを見たろう?あの犬は生きていても仕方が無いし、だれの役にも立たないというんだ。ここを追い出されるなら、わしも誰かに撃ち殺してもらいたいよ。でも、そんなことはしてくれまい。わしは行き場もなく、仕事もできなくなるだろう。」「ともかく、自分の土地に住んで、自分の所で働かせてもらえるんだ」と、怪我の保障金である虎の子を出す約束をします。

「みんな頭の中に小さな土地を持っている。でもだれ一人、その土地をほんとうに手に入れた者はいねえ。」とさめた目の黒人クルックスも「飯場へ行ってトランプ遊びもさせてもらえねえとしてみろ。どんな気がすると思う?」と孤独を訴えます。内心は仲間になりたいのでしょう。

ジョージに性悪女と判定されたカーリーの妻も「あら、あたしはなにももめごとなんか起こしやしないわ。たまにはだれかと話がしたくなるじゃない?あんな家にずっとひきこもってなんかおれないでしょ?」と愚痴ります。実際もめごとはやきもち焼きのカーリーが起こすだけなんですが・・・それでも黒人を脅すのは簡単です。

「いいかい、黒んぼ。おまえがへらず口をたたくんなら、あたしがおまえにしてやれることはわかっているね?」「お前を木にぶら下げて、つるし首にすることぐらい、おもしろくもないほどわけなくできるんだからね」

最後の悲劇まで書くとスタインベックに悪いかな。ハツカネズミを可愛がりすぎて首の骨を折ってしまってまでもポケットに入れておくレニー、彼は決して悪人ではないのです。みんな、悲しいねぇ。なんとかならないだろうか。物語ではなく、今もいっぱいある悲劇のこと。せめて、自分は人を傷つけないように、自分がひどく傷つかなくてすむように心がけるので精一杯かなぁ。





No.1

テレビの罠

 りっちゃん
06/7/9

去年の9月衆院選の小泉現象を香山リカさんが分析しています。正直なところ、人間のおろかさを見せつけられるのは、「もうかなわんなぁ」と気が重くなります。結論から言うと、「「小泉劇場」から「スピリチュアル占い師」へ」が最後の章だから、まぁ、テレビなんてそんなものです。うちにテレビが無いことはとってもいいことだったんだというのがあの選挙で認識できましたよ。ほんと。

小選挙区制もあって、テレビの罠もあって、ああいう結果になってしまったのだけれど、怖いのは、日本人がみんなおかしくなってしまったんじゃないかということ。「自分の頭で考えて多様な選択肢から何かを選び取るエネルギーさえなく、少しずつ修正していくのではなく一気にリセットを、と望んでしまう真理は健康的とは言えるだろうか。精神医療の現場に「すべてをリセットしたい」「複雑なことは考えられない、黒か白しかない」と訴える人が現れれば、われわれは「この人の心理的エネルギーはかなり衰退している」と考える。そして、「あなたの心はリセットでは癒されない。じっくり休んで、まず現状を受け入れられるようになるのを待つべきです」などとアドバイスする。まぁ、今の私も、そんな所かなぁ。いろいろと疲れがたまっています。退社まであとちょっと。

「必要なのは「明確さ、わかりやすさ」であり「改革、世直し」だと言い、そう思う自分は前向きで現実的、と自信を深めている候補者、有権者にはもう一度問いたい。「状況を単純化して捉えようとしたり、とにかく過激な変化を求めてしまったりする時、人の心はしばしば疲労や病に陥っていることがあります。あなたは違いますか?」と。もしかするとこれは、それぞれの「心の健康度」が問われる選挙なのかもしれない。」

「文化の小児化」が進行していると、ホイジンガの概念も紹介している。「ホイジンガは、今世紀前半の大衆化の進展をまのあたりにして、「あそび」が「小児病」に陥っていると判断した。真剣な「あそび」は厳格なルールのもとに行われる非日常的な営みである。それに対し小児病化した「あそび」は厳格なルールなしに続けられる日常的な気晴らしのことだといえよう。かつて政治や芸術やスポーツは真剣な「あそび」として演じられていた。それが大衆の手によってふしだらな「遊び」の水準に引きずり落とされているということである。」

川柳にあったな。「子は増えず、子どもっぽいのがあふれてる」 まさにそういう時代です。私は、コーラスで真剣に遊んでいる。その楽しさがなかなか理解してもらえない。子どもの頃の「かくれんぼ」「缶けり」も真剣だった。今の子どもたちの遊びの貧弱さといったら・・・そこらあたりかもしれないね。原因は・・・大衆の質が変わってしまったのは・・・

どうも、自民党はB層をターゲットにしたらしいよ。これはうなづけますけれどね。政治家自身がB層だから・・・でも、みんなぁ、B層でいいの?
B層――小泉内閣支持基盤 主婦層&子どもを中心/シルバー層
具体的なことはわからないが、小泉総理にキャラクターを支持する層。
だってさ。高IQでなくてもいい、主婦やシルバー層大いに結構。ニートも応援するよ。(ちなみに働き方は私もニート層。もうひとつちなみに、この企画書の「子ども」って、選挙権のある子どものことだから、つまりニート層かな) だけど、なんとなく投票ではなく、日本の将来を考えて1票を投じましょうよ。

田中康夫氏周辺の話は的を得ているね。「ハーメルンの笛吹き」とは懐かしい。当たってほしくないのだけれど・・・

田中康夫氏、「少子高齢時代の将来への不安と現在への閉塞は充ち満ちているのに、やっかいなことには、食うや食わずからは程遠い、中途半端に豊かな日本では、ハーメルンの笛吹きのごとく、リヒャルト・ワーグーナーの旋律を口ずさむ新種のアドルフ・ヒットラーが徘徊している。」

浅田彰氏 「負け組」の弱者たちは、「勝ち組」に抵抗するどころか、小泉に与することで自分も「勝ち組」に乗ったかのような錯覚を覚えている。結局は自分で自分の首を締めることにしかならないのに」、「真の「強者」に抵抗するんじゃなくて、自分たちよりちょっと上の連中に嫉妬して引き下ろそうとする」。「高級官僚や六本木ヒルズ族を妬む以上に、雇用の安定した郵便局員なんかを妬んで、小泉の郵政民営化を支持した」

田中康夫氏 「もやもやした気持ちがあるんだけど、本当に強い相手には刃向かえない。だから、自分とほぼ等身大での所で、ちょっと良い思いをしているように思えるやつを叩きたい。で、郵政公社の配達している人をやっちまえみたいなリンチをね」

金子勝氏 「彼らは必ずしも市場原理主義に対して強い批判意識を持たず、それを受容している。そして今回の総選挙では、小泉「構造改革」で増大したこの「下流社会」の若者たちが「政治のバブル」を支える側に回った。おそらく「政治のバブル」が崩壊すれば、彼らが最も被害を受けるだろう。だが、そうなっても、彼らは今を壊してくれる強者の出現をひたすら待つしかない。それがナショナリズムなのか、アナーキーな破壊なのか、今のところわからない。」

滋賀県知事戦は、その反動と言えるのか、わかりやすく、「もったいない」を強調したというが・・・ それこそ痛みを伴っても、環境を守ろうとする選択をしたのだといいけれど・・・ 「政治のバブル」がはじけた時に、何を大事にしていくのか、その順番をしっかり自分なりに刻んでおかないと、その場の笛に踊らされてあっちへこっちへ右往左往という無駄なことをするんじゃないよ。大体そんな余裕は無いのだから・・・





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