07年その2版井戸端会議風伝言板

参院選で日本国民のバランス感覚のまともさを証明、ねじれ国会とも言われたが、これも間接民主主義だからこそとも言える。手間ひまがかかるのは当然か。今年一年、とうとうわたしは無職で終わってしまった。病気はやっかいです。自分が思うように身体が動かない。去年、無理をしすぎたから・・・替えがきかないもの、身体を大事にしなくては・・・ピー公という扶養家族もできたことだし・・・

No.53

恐怖の存在

 りっちゃん
07/12/30

著者はマイクル・クライトン。『ジェラシック・パーク』を書いた売れっ子の作家だそうな。ウーン、強烈な印象とでも言いますか。帯には、気象災害を引き起こす環境テロリストの陰謀、とあります。アクションが派手で、また、殺人方法が自然物というのだから、飽きさせはしないけれど、わたしの好みではない。マープルさん見たいな、何というか普通の、心理的なのが好みなものだから・・・

推理小説でもあるんだけれど、地球温暖化について、データーをこれでもか!!という感じで積み重ね、疑問を投げかけている所も、衝撃的であります。

こっちが一番のテーマかな。ベルリンの壁倒壊後、冷戦の敵(東)という恐怖に代わって、いろんな恐怖が作られていることが変わり者の教授によって語られます。

「一九八九年の秋ごろに、大きな変化があったと思えばよろしい。それ以前のメディアは、〈危機〉、〈破局〉、〈大変動〉、〈疫病〉、〈破滅〉ということばを、さほど過剰に使ってはおらなんだ。たとえば、十九八〇年代を通じて、〈危機〉という単語が報道で使われる回数は、〈予算〉という単語が使われる回数とさほど変わらなかったんじゃ。加うるに、一九八九年より前には、〈恐るべき〉、〈空前の〉、(戦慄の)というような形容は、テレビの報道番組でも新聞の見出しでも、それほど頻繁に使われることはなかった。ところが、一九八九年を境に、その状況は一変する」

「いまいったような単語の使用が増えでくるんじゃよ。たとえば、一九九五年に〈カタストロフ〉という単語が使われた回数は、一九八五年の五倍じゃった。二〇〇〇年になると、一九八五年の十倍になる。論調も変化した。恐怖、不安、危険、不確実さ、パニックを強調する傾向が強まっていくんじゃ」

「社会統制のためにいちばん効果的なのは、恐怖を通じてコントロールすること。それに尽きる」

「西側諸国、とくに合衆国の市民は、自分の主権国家が軍産複合体と呼ばれるものに支配されていると思いこんでおった。じつさい、一九六〇年代、アイゼンハワーはそのことをアメリカ国民に警告しておる。また、二度の世界大戦を経験したあととあって、ヨーロッパも軍産複合体の支配が自分たちの国においてなにを意味するかを十二分に承知しておった。しかし、もはや軍産複合体は社会の中心的駆動機関ではない。現実には、この十五年というもの、わしらはまったく新しい複合体――軍産複合体よりはるかに強力で浸透力の強い複合体の統制下にある。わしはそれを、〈政治・法曹・メディア〉複合体と呼んでおる。すなわち、PLMじゃ。その本質は、一般に恐怖を広めることにある――表向きは安全の確立を標榜しつつな」

「政治家は人民をコントロールするために恐怖を必要とする。弁護士は訴訟と金儲けのために危険を必要とする。メディアは読者や視聴者の関心をそそるために恐怖を必要とする。こんな三者が結託すれば、人をコントロールする力は圧倒的に大きい。その力をふるえば、思いのままに恐怖を広められる。たとえその恐怖にまったく根拠がなくとも――その根底に事実のかけらさえなくともじゃ」

「西側社会の文明がいかに驚くべきものであるか――いままでそれに思いあたったことはないか?工業化諸国は自国の市民に前例のない安全、健康、快適さを手に入れさせた。平均寿命はこの一世紀で五〇パーセントも伸びておる。そのくせ、現代人は絶望的な恐怖ととなりあわせで生きておるじゃろう。見知らぬ者を恐れ、病気を恐れ、犯罪を恐れ、環境を恐れ、自分たちが住む家を恐れ、自分たちが食う食いものを恐れ、自分たちのまわりにあふれるテクノロジーを恐れ――とりわけパニックを起こしやすいのが、目に見えんもの相手の恐怖じゃ。病原体、化学物質、添加物、汚染物質。現代人はいつもいつもなにかに怯え、神経質になり、いらだち、抑圧されておる。さらに驚くべきは、自分たちの住むこの惑星全体の環境が破壊されつつある、と信じこんでおることだ。あきれてものもいえん!魔法を信じるのとまるっきり変わらんわい。あんなものは、とんでもない妄想じゃ。」

と、地球温暖化もその一つと指摘しているのであります。この会話の聞き手はピーター・エヴァンズ。ちょっと頼りなげですが、一応ヒーローです。環境保護団体へ多額の寄付をする予定だった大金持ちの担当弁護士。彼が大物弁護士に地球温暖化について質問を受けたときの答えがこれ。

「もちろんです。みんなそうでしょう」「だって、地球温暖化といえば、それがどういうものであるのか、だれでもぱっとわかるんですから」「新聞を読んだって、テレビを見たって、どこもかしこも――」

そういえばそうだわ。私も・・・なんとなく、人間が自然に対してあんまりいいことをしてないような気分はしているけれど、じゃぁ、どういうこと?と訊かれたら、解ってないわな。

そして、何でも出来ちゃう、スーパーマンのようなケナー氏も京都議定書について、環境問題に熱心な主婦アンを追い詰めます。
  「京都議定書の義務づけるとおりに施策を行なった場合、二一〇〇年に低下する気温は、摂氏〇・〇四度だ。わずか百分の四度でしかない。この結果について、いいたいことはあるかな?」
  「それならなぜ、温暖化をくいとめるだけの条約を結ばない?結果的に、あれにはなんの効果もないじゃないか」
  「二酸化炭素の排出量を削減できると、きみはほんとうに思うのか?」
  「トム・ウィグリー他、世界じゅうの科学者と技術者十七人からなるパネルがあって、そこで入念に検討を加えた結果、排出量の削減は不可能だという結論が出ている。彼らの論文はサイエンス誌に掲載されているんだがね。それによると、既知の技術では、どんな代替エネルギー源に切り替えたところで、二酸化炭素排出量は削減できない。それどころか、現在の排出量の何倍にも増えてしまう。風力発電や太陽発電はもとより、原子力発電をもってしても、この問題を解決するには力不足であって、それにはまったく未知の新しいテクノロジーが必要だ、というのが彼らの結論なんだよ」

さらに、彼女が裕福で、広大な邸宅と別荘を持ち、スプリンクラーがいつも回っている庭園を持っていることがお仲間の、後に人食い人種に食われちゃう俳優のテッドにばらされてしまうのです。お気の毒。「うちは一定の水準を維持しなければならない立場にあるのよ。夫のビジネス上、どうしても必要なの」。アンが環境保護にのめりこむのはこの辺の問題かもね。

でも、彼女の言うとおり、京都議定書は第一歩。絶対に正しいと思い込むのは愚だけれど、やってみて間違ったとはっきりしたら訂正すればいいと思う。一人で近距離に行くなら自動車ではなく自転車を使うとか、無駄をなくすというのも大事だし、後進国にだけ押し付けて、先進国が知らん振りというのはいかに何でも卑怯千万。両説があり、作者もメッセージで、推測は所詮推測に過ぎないといっている通りだもの。

イエローストーン公園での管理の間違い(インディアンの知恵をなぜ活かさなかったのかしら?アホやねぇ)や、付録1の「優生学」も勉強になりました。何でも『絶対』と思い込むのはよくないね。特に、少数意見を無視したり、押しつぶしたりしてはね。最後に又教授のお話から、これ、全くその通りとは思うのよねぇ。でも、無収入で無駄金を使わないようにして何とか生きている身としては・・・寄付もママならない。

「今回裁かれるべきは、愚にもつかんヨタに乗せられて西側の富を際限なく浪費している罪じゃ。審判の場には、そんな浪費をしなければ助けることができたであろう、おびただしい赤ん坊、アフリカとアジアの赤ん坊たちの写真を飾るべきじゃろうて」





No.52

奥田泰弘さんを偲ぶ会

 りっちゃん
07/12/25

一昨日、金さんに誘われて行って来ました。冷たい雨で足が痛かったけれど、遠くから来ている人もいたし、なんと、国分寺や小平からの参加者がたくさんいました。行ってよかった。福生の関係者が少なかったのがちょっと淋しかったなぁ。

奥田先生の講座を受けたのは、多分、公民館保育室がおかしくなった頃。元々は“女性の学習権の保証”だったのが、なんだか職員の話すことやまとめが???職員に任せておくとやばいよ、と、自分たちで“公民館保育室懇談会だより”を出したり、学習したりしていた頃だと思う。子どもを連れながら、当番で保育しながらと、大変だったけれど、みんなで協力してやっていたんだよなぁ。予算凍結という事態になり、“幼児の学習”のためと、目的も変わり、それに付随して、期間も限定され、サークルの活動中に保育者との懇談会が開かれ、最終的には、主催の講座のみになってしまった。予算凍結の時はすごいショックっだった。「子どもを部屋に入れてもいいよ」なんてサークルの仲間に言ってもらって感動していたら、後で「迷惑だった」というのも耳に入り、ダブルでショックを受けたり・・・で、こっちはあせっているのに、奥田さんは終始にこやかで・・・なるべく見習おうとは思うけれど、私は瞬間湯沸かし器でもあった父に似ているから・・・なかなか難しいわな。

コーラスのサークル自体は、参加者の子どもたちが大きくなっていたのもあって、公民館保育室を利用することは自然消滅してしまった。できれば、女性の学習権の保障であるという問題意識を、子どもがいるいないに関わらず、サークルとして持って欲しかったのだけれど・・・理解してくれた人もいたけれど、全体への浸透は不発だった。私自身は予算凍結を期に、自主保育に興味が移り、共同保育サークル「おもちゃ箱」を作り、その後、自主保育サークルに頼まれて、保育を担当。保母試験に2年かけて免許取得。十数年、公民館保育室(制度ではなく部屋を借りたお母さんたちに雇われて・・・)を使っていた。子どもたちが最初はお母さんと離れるのが嫌で泣き、抱っこしているうちに、他の子どもたちの遊びを見るようになり、他の保育者との信頼関係も築き、いつの間にか、降りて遊ぶようになるという経過も、さらに外遊びなどを通じて、自然に親しんだり、運動面での発達や、まとまって行動することを憶えたり、子ども同士で学んだり、という成長ぶりを毎回見せてもらったことが私たち保育者の財産でもあった。裏の八高線では、運転手さんが3点セット(ライトの点滅、汽笛、手を振る)で答えてくれたことも懐かしい想い出です。

つい話がずれちゃったかな。なんかね、ちょうど私たちだけいい目を見ちゃったかなという反省もあったのよ。その後のお母さんたちのことを考えるとねぇ。自分たちのやりたい活動ができなかったわけだから・・・で、私たち利用者の立場に立ってくれなかった職員に「公民館職員としての自覚はないのか?!」と、詰問したら、「僕は市役所の職員です」と答えたのよね。加藤さんが「実際、そうなんだよ」って。職員が専門職だったら、職員もやりやすいんだよね。一般職だと上に意見を言うのが難しいのかもしれない。それを支えるのが市民とも言える。建物が立派でも、職員が利用者ではなく、市のご都合だけを見ているようでは、公民館としては機能しないんだということを身に沁みて体験したということです。

奥田さんは、その後、いや、その時もそうだったのかなぁ。尽力はしたけど、覆すことはできなかったのかもしれない。公運審を専門家の代表としてずーと続けていたと思う。利用者、つまり、私たちの仲間の誰かも一緒に活動してくれていた。備品のこと、職員がコロコロ替わらないで欲しいとか、利用者の立場になって、やってくれていたと思う。公運審便りもちゃんと発行されていた。

ご近所ということもあって、地区PTAとしてお子さんを引率したこともあったし、第九も一緒に歌っている。子ども会の会長をやれば、と勧められ、断ったこともあった。悪かったかなぁ。

他市の人たちにとっては、偉い先生であったかもしれないけれど、確かに中央大学の教授だし、たいていは講師という立場だったろうし、社会教育畑でも活躍した人だから・・・ただ、福生市に住んでいるものにとっては、何というかなぁ、市民としては対等というのかな、公運審の人にとっても仲間というのかなぁ、ちょっと感覚が違うような気もする。それは加藤さんについてもそうなんだなぁ。「月刊社会教育」に論文とかも書いていたそうだけれど、私たちにとっては、公民館職員、ま、半分冗談で「私たちの公僕」とか言っていたわけだから・・・

二人から一杯おそわることもあったけれど、私たち保育者が子どもたちからいっぱい学んだように、二人も私たちからいっぱい学んだんだと思うよ。それは市民同士も同じ。今でも、仲のいい友達は、保育懇のメンバーでもあった。侃々諤々と意見交換をした仲間だからと思うよ。偲ぶ会のリレートークの中で、奥田さんがおだやかににこやかに、でもはっきりと「それはあなたが悪い」と言われたという話があった。福生の公民館の仲間の間では、それって結構日常茶飯事。お互いがお互いから学ぶ関係。だから、きついことも言うし言われる。もちろん、励ましたり支えられたりという場面もあるよ。それが社会教育。そして、公民館がその一番やりやすい場。どんな人にも教育の場が保障されないとね、社会教育というのは自分だけのものではないからね。だから、無料なのさ。そして、要は職員。ネットというのかな、人間の信頼関係も知的財産(アメリカの要望書になんだらかんだら書いてあるけれど、基本的には人類の共有財産だと思うよ)を切り結んでみんなのものにしていくという重要なお仕事なんですよねぇ。伊東館長からお菓子の差し入れがあったけれど、もちろん有り難く頂いたけれど、それより、福生のお仲間へのお知らせをちゃんとやったのかい?そっちの方が大事だよ。せめて、一緒に公運審をやっていた人くらいには知らせないと・・・

奥田さんの調査、1990年「公民館の条件整備に関する全国調査」のまとめに時間がかかったことを悔やんでいらしたようだけれど、その十数年の間に日本がずいぶんと変わってしまった。公民館の状況も厳しいものがあるのではないだろうか。コミュニティセンターなどの類似施設が公民館本来の意義を見失わせてはいないだろうか?有料化なんてとんでもないことも起こっているのではないか?何よりも正規職員から臨時職員への移行、専門職という概念が不足しているための質の低下など、心配がいっぱい。今の私自身は、公民館に定期的に通うことすらしていないが、後退させることのないよう、頼むぜ!! 伊東さん!!

皆さん「ご冥福を」祈っていらしたけれど、福生9条の会のメンバーとしては、幽霊になってでもいいから、二人とも「出て来て仕事せい!!」と言いたい気分。奥田さんと加藤さんが抜けたのはなんとも痛い。私たちには代わりは勤まらないんだから・・・





No.51

龍平の緊急行動

 りっちゃん
07/12/21

19日、首相官邸前にて、薬害肝炎訴訟の全面解決、全員救済を求めて、福田総理の政治決断を訴える緊急行動があるという葉書を頂いたので、昼の集中時間帯にいってきました。

都内へのお出かけは「よっこらしょ!」でもあり、切符を買う段には、財布が「アイタタタ!」ではありますが、病を押して来られている原告の方のご苦労や、ハンセン氏病の方が熊本から支援にいらしていると聞けば、やっぱり行ってよかったよなぁと・・・

行きの電車の中で思ったのだけれど、70年安保の時、わたしはすでに社会人だったから、「どうせ大人の社会は出来上がっちゃっているから、変わりはしないだろうなぁ」という諦めがあった。でも、そのせいで、龍平さんがアメリカで不用とされた血液製剤を飲まされ発病したのなら、あきらめてはいけなかったんだよなぁと・・・何でも米国の言うことに「イエス」と言っちゃうのは、安保があるせいでもあるんだよね。もちろん安保があっても、「NO」は言えるんだけどね。だって、なんでアメリカの製薬会社の在庫一成処分セールに日本人の命を差し出さないといけないのさ。知ってるのに知らん振りして、ばれたら責任逃れをする日本政府って、おかしいよね。最初に「NO!!」を言っておけばいいのに、・・・で、言わない人たちは安保があるから、日本の防衛で借りがあるからって言い訳をするでしょう?日本人の命を粗末にして何が防衛だよ。安保を許してはいけなかったんだなぁ。

チラシ配りと、チラシがなくなったら、「命の切捨て、許さない!」と書いたカードを掲げる役をやりました。道路の反対側に向けて、手すりの一段目に上ったら、優しいおまわりさんが「危ないから降りてください」だって。「後10年くらいは大丈夫だよ」とは答えたものの、一応指示に従って・・・結構手が疲れたから、それでよかったようで・・・ふうっ、私も病人だった。しかも、慌てて出たので、薬を飲み忘れ、手持ちのを飲んだけれど、高血圧用の予備はなかった。いけねぇ、早く帰って飲まなくちゃ・・・

糸数さんや菅直人さんさんも応援に駆けつけていた。通る人にチラシを配りながらも、通りづらそうなのがちょっと悪いかなぁとも・・・昼時というのもあって、駆け足の人も多く、でも、その割にはもらってくれたかな。で、チラシが足りなくなっちゃった。ちょっともったいなかった。でも、あの場所だと、チラシを配るよりも、人が集まる方が、きっと有効なんだろうな。

車のドライバーさんがみんなこっちを見ていた。ちょっとはらはら。関心を持ってくださるのはうれしいけれど・・・

今朝の新聞では、「原告団が福田総理に、一人1500万円で決断要求」「国提案より500万円減額」「患者間の線引きを取り除いた結果」と載っていた。原告の方たちが肩を落として、帰ってこられたのが印象的。“分断”は政府の常套手段。それにのらないのが正解とはいえ、病人だもの、早期解決もして欲しいよなぁ。

母は薬害ではないけれど、C型肝炎だったから、原告の方のつらさがわかるような気がする。焼いた骨はしっかりしていたんだよなぁ。肝臓さえ悪くなければ、平均寿命は軽く超せただろうに・・・静脈流からの出血や肝性脳症のためにお風呂でおぼれそうになったり、その度に甥が夜病院に連れて行ったり、救急車を呼んだり、廻りも大変だった。早期発見、早期治療で、インターフェロンが使えるといいのだけれど、合う人と合わない人がいるとか、高齢だと効かないとかで、母は治療ができなかった。もっと若いうちだったら・・・早期解決、全面解決、全員救済を望みます。

龍平の緊急行動

薬害肝炎訴訟全国弁護団ホームページ





No.50

六ヵ所村ラプソディー

 たかちゃん
07/12/14

お忙しい時期に、急なお誘いになってしまいましたが、ぜひ、皆さんでいらしてください。「六ヵ所村ラプソディー」自主上映会です。

ご存じのとおり、青森県六ケ所村の核燃料再処理工場の本格稼働が2月に迫ってきているのに、あまり、情報として流れてこない現実です。まず、知るところからということで、各地で上映会が開かれています。

日時: 12月16日(日) 17:45 開場
                 18:00 プチ演奏会 『市民吹奏楽団アンサンブルヴィルトゥーソ』
                 18:30 上映

会場: 福生市民会館小ホール

チケット: 前売り券 1,000円 当日券 1,200円 高校生以下は 500円です。保育の予約は12/14まで(おやつ代100円)

問い合わせ: 福生生活者ネットワーク Tel/Fax 042-553-0701/080-1191-9707(山崎)

(せっかくのたかちゃんのお誘いですが、当日は予定あり。別な日に行こうかな。)

http://ameblo.jp/rokkasho/

www.rokkasho-rhapsody.com/index2





No.49

プレイヤー・ピアノ

 りっちゃん
07/12/14

著者はカート・ヴォネガットさん。
  この本の舞台は、ニューヨーク州イリノイ市。
  『ガラパゴスの箱舟』のメアリーさんが住んでいた所はニューヨーク州のイリアムです。彼女の夫は、ゼンジの勤めていた会社、マツモトが工場を機械化したためにリストラされ失業。同様に、子どものいる町の住人がほとんど転出したために、教師のメアリーも失業しました。
  (ピー公は只今カーテンをよじ登っています)

「すべての生産手段が完璧に自動化され、すべての人間の運命がパンチ・カードによって決定される世界」とこの本の裏表紙に紹介されていますが、それは“嘘”。だって、血筋が重要視され、パンチ・カードの記入も間違いがあり、さらに、人格の記入もあるというのに、おおもとの資料、大学卒業時のグラフにその後の変更が効かないというのですもの。

つまり、コンピューターを操作しているのは、人間、一部の支配層であるってこと。

主役はポールかな?冒頭に猫が出てくる。掃除機に吸い込まれ、吐き出され、逃げようとして高圧線に触れて死んでしまった猫。機械をかじる鼠を退治させようと考えていたポール。ポールの悩みについては、本をお読み下さい。

ここでは、某国の国王、シャーの言葉を紹介したいと思います。これが面白いんだなぁ。

まず、案内にたったアメリカの国務省のお役人ハリヤードが自称「ドジ終点部隊」(道路住宅補修点検部隊)員につばを吐きかきられた場面で、
  「シャーは」とハシュドラールがいった。「わたしたちがニューヨーク市からここへくるあいだにいつも見たこれらの奴隷、どなたの持ち物ですか、それが知りたいとの仰せです」
  「奴隷じゃありません」バリヤードは寛大にほほえみながらいった。「あれは市民です。政府に雇われているんです。彼らはほかの市民とおなじ権利を持っています―言論の自由、信教の自由、それに投票権。戦前まで、彼らはイリアム製作所につとめて機械を動かしていましたが、いまでは機械が人間よりもっとうまく、自分で自分を動かすようになったのです」
  「あはあ!」バンュドラールが通訳しおわるのを待って、シャーがいった。
  「あはあ!」
  「そして、機械よりもいい仕事ができないため自立していけない人間は、政府に雇われて、軍隊か、でなければ道路住宅補修点検部隊にはいるのです」
  「あはあ! ハブー・ボナンザ=パック?」
  「え?」
  「シャーの仰せられますには、『彼らに払う金はどこから出ますか?』」ハシュドラールがいった。
  「ああ。それは機械にかかった税金と個人の所得税から出るのです。そして、軍隊と道路住宅補修点検部隊の人びとは、よりよい生活のためにより多くの製品を買い、その金をふたたび経済システムの中へもどすことになります」
  「あはあ!」
  ・・・・
  「クッポ!」 シャーは悲しげに首を横に振った。
  ハシュドラールは顔を赤らめ、それからおずおずと、すまなさそうにいった。「シャーの仰せられますには、『共産主義です』」
  「クッポない!」
  「・・・人間的過失を機械で除去し、不必要な競争を組織化で防止するーこの方法によって、われわれは平均的人間の生活水準を大幅に向上させました」・・・
  「あはあ」シャーはうなずいた。タカル」
  「タカル」ハシュドラールが答えた。「奴隷です」
  「タカルない」ハリヤードはシャーに向かって直接にいった。「し・み・ん」
  「ああー。し・み・ん」そういうと、シャーはうれしそうにニヤリと笑った。「タカルー市民。―市民―タカル」
  (ピー公が「遊んで!ニィアオ!」というので、鈴でお相手。わたしは彼の「母ちゃん」でもあり「奴隷」でもあるようだ。一時中断)

EPICAC14号 最新式コンピューターの説明を聞いて、
  「地球から月まで4回も届くほどの電線がおさめられています」
  「シャーの仰せられますには」と、ハシュドラールがいった。「我が国の人民は利口な女と寝て、良い脳を安くこしらえます。ですから、月まで千回も届くほどの電線が倹約できます」

大統領の演説に「偉大な賢人」と聞いて、EPICACに向かい、解ければこの世から悲しみがなくなるという謎を問うが、答えはなかった。「パクー!」
  「パクー」とは、スラシ族のつくる小さいドロと藁の人形。「ニセモノの神」という意味で言ったのだろう。スラシ族は、コレラにかかって全滅。

平均的アメリカ人の家庭を訪問したシャー。帰り際に陽気に叫び手を振った。「ブラフーナ!」「ブラフーナ、タカル」(生きよ!)
  亡くなった友人の妻との浮気に悩むその平均的アメリカ人は、その後、家を破壊し、逃走する。

「あなた方にはまったく費用の負担をかけずに」と、ハリヤードはつづけた。「アメリカはあらゆる分野の熟練した技術者と管理者を送りこみ、あなた方のお国の資源を調査し、近代化の青写真を描き、それを発足させ、国民のテストと分類をおこない、借款を準備し、機械を据えつけるでしょう」
  シャーはふしぎそうにかぶりを振ってから、ようやく口をひらいた。「ブラッカ=フート・タッキー・シーン。スーリ、サッキ・EPICAC、シキ・カヌー・プー?」
  「シャーの仰せられますには」とハシュドラール。「『われわれがその第一歩を踏みだす前に、どうかEPICACに聞いてくださいませんか――人はなんのためにあるのか、と』」

日本政府もシャーほどの知恵があればねぇ。

ポールも参加したメドウズの祭典?は、まったくばかばかしい限り、まるで新興宗教の刷り込みのための道場のようだよ。アメリカって、遅れてるぅ!!

でもって、「幽霊シャツ党」による革命はおきるのだけれど、民衆は首脳たちの命令を聞かず、機械を破壊つくしてしまう。首脳たちは「ようし、じゃあ湯を沸かすのも、料理をするのも、明かりも暖房も、みんな薪を使うことにしよう」
  「そして、どこへ行くにも二本の足であるこう」
  「そして、テレビを見るかわりに本を読もう」
  「北部ニューヨーク州にルネッサンスがやってくるぞ! われわれは世界最大の脅威の二つ、人間の心と手を再発見するんだ」と意気込むのだけれど、
  民衆は、ジュースの自販機を直すんだよなぁ。実に楽しげに・・・で、首脳4人は当局が待つ納屋に向かう。「記録を祝して」と酒を飲んで逮捕されに・・・
  ここんとこちょっと、男っぽい。褒め言葉ではありませんよ。男の美学などいらない。女のわたしは「なんだ、ちっとも変わらないじゃァないか!!」と不満です。(男ってアホ?!)

でも、まぁ、この本も、ヴォネガットさんの皮肉がいっぱいで面白いよ。テレビは見ないで、こういう本を読もう!!





No.48

また法律がひとつ

 あひるさん
07/12/12

賞味期限切れで、不当表示なのは、食品会社というよりマスコミそのもの。

賞味期限切れの食品を売った北海道の菓子屋、伊勢の菓子屋、関西の有名料亭など、最近次々と話題にされてきました。
  一体それで何人が亡くなったのでしょう。
  ふと野球監督の妻と、元女剣劇スターの喧嘩が連日報道されていたころを思い出しました。1999年のことです。くだらない騒動、テレビをきっかけに、3月末に始まったようです。そして、その春、周辺事態法が成立しました。
  おばさんの喧嘩の結果は、どう考えても、ほとんどの庶民生活に何の影響も与えません。一方、ことあれば、周辺事態法の影響を受けない庶民は極めて少数でしょう。

聞きたくない、聞く必要のない事柄の情報をばらまいて、民心を攪乱させ、聞く必要のある、聞きたい話題を隠すのが、アメリカかでも、日本でも、マスコミの存在理由です。
  マスコミは、攪乱、混乱、錯覚させるのが仕事ですから、彼等が選ぶ話題は、庶民の生活に対する影響の深刻さとは無縁なのです。どうでもよければ、どうでもよいほど、マスコミの話題としてもってこいなのです。

誰も深刻な被害にあわない賞味期限やら、含有量不当表示といった事件ばかりおっているのには、きっと驚くほど重大な法律の成立が狙われているに違いないと思っていました。新聞、テレビの共謀で。しかしそれが何なのかということは、素人の悲しさ、わかりませんでした。そして、案の定、驚くほど重大な法律が衆議院を通過しました。

「電子投票法改正案が衆院通過」国政選でも可能に−週内成立へというのです。新聞には、小さな記事が載るだけです。

アメリカの大統領選挙で、電子投票装置による悪辣な改竄が行われていることは、グレッグ・パラストの「金で買えるアメリカ民主主義」でも書かれています。

さすがに、「マスゴミ」ではないブログには、この法律を憂える記事がいくつか書かれていますが、もはや手遅れ。

ブログの中には、「電子投票法改正案が通ったら、民主党は野党のままになってしまう。騙されないよう民主党に注意を喚起する。」という純真な?意見さえあるようです。
  しかしそもそも民主党、実態は与党別動隊、政権交代が目的なのではありません。
先日の大連立騒動でそれはあきらかでしょう。全く理不尽な談合をした小沢を、三顧の礼をもって、再び迎え入れた詐欺師達の集団です。

これで、傀儡政権に都合の悪い選挙結果は、さらに出にくくなるでしょう。それでも影の与党民主党は痛くも痒くもないのです。事実上、闇の大連立成立ではありませんか。

電子投票法「改正」案というのは、もちろん、電子投票法「改悪」案です。
これはやがて、憲法「改正」投票という憲法「改悪」投票にも導入され、傀儡政権の傀儡軍隊が、堂々とアメリカ兵の身代わりになって戦う日がくるでしょう。

新聞社の社主が、アメリカの走狗となって大連立政権を押し進めても、新聞に一方的な記事を載せても、同じ穴のむじな、マスコミは大きな問題にしません。権力がない野党関係の坊様がビラをまくと、しっかり有罪になり、それをマスコミはしきりに報道し、あきらめを吹き込みます。

マスコミは「社会の木鐸」でなく、社会の恥部を覆う「いちじくの葉」にすぎません。60年以上、腐敗した傀儡政権を助け続けてきたマスコミこそ、賞味期限切れ、不当表示の塊です。

小選挙区制導入も、小泉911選挙も、マスコミが改悪に向けて旗を振ったのです。これからも同じでしょう。「二大政党」という事実上の連立独裁政権へ、「憲法改正」という「憲法破壊」へと導く一方、属国化を推進する制度である「年次改革要望書」に対するテレビ報道は全く見られません。新聞報道もごくわずかです。憲法9条を問題にする議論はテレビで見られても、安保条約を議論する番組は存在しえないのです。民放でも、準国営放送でも。属国化を策する報道は許されても、独立を目指す放送はありえないのです。売国マスコミというより、属国マスコミといったところでしょう。

どこかのブログにうまい言葉が載っていました。読売新聞は、名前を売国新聞にした方が良いと。これは、読売に限らず、ほとんど全てのマスコミが、それに相応しいと思うのですけれど。

食品会社なら、賞味期限切れや不当表示があれば、内部告発で改善の可能性も多少あります。一方、マスコミは、あれだけ賞味期限切れや不当表示があるのに、内部告発が一面記事に載ったり、ゴールデン・タイム番組で放映されることは永遠にありません。マスコミの現場で、そういう発言をすれば、マンションでビラをまいた坊様のような社内村八分という目にあうだけでしょう。

テレビの具合がずっと悪いのですが、大型ハイビジョン・テレビを買ったとて、中味は賞味期限切れ、不当表示ばかりと思うと、買い換える気力が全く沸いてきません。

所詮テレビは、下記ページの論者も言うように、宣伝・扇動の装置。古代ローマ社会の民衆慰撫の仕組み「パンとサーカス」に対応した、アメリカ帝国の現代版民衆慰撫装置、電子サーカスなので。電子サーカスを見ながら、北朝鮮の人より美味しいものをたべ、より温かい服を着て、北朝鮮を罵倒していれば、この属国でも、なんとか日々はすごせるのです。ホームレスになるまでは。

http://mazoero.hp.infoseek.co.jp/pann.html

もうひとつ、こういう意見もあるのです。

http://news.livedoor.com/article/detail/3232185/





No.47

遺骨問題

 りっちゃん
07/12/11

先月のタリの会で、遺骨問題が載っているリーフレットを購入。ピー公は只今「後追い」「人見知り」の時期で世話が焼ける。やっと昨日読了。題名は、『2007在日朝鮮人 歴史・人権週間』。編集は、「在日朝鮮人歴史・人権週間」実行委員会。

はじめに
  世界人権宣言では「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利を承認することは、世界における自由、正義および平和の基礎である」としている。
  「固有の尊厳」と「平等」は、「平和の基礎」となるが、在日朝鮮人の改善はいまだなされていない。
  このような現状を在日朝鮮人問題の発生原因と以降の歴史そして、今日の国際的な人権擁護のすう勢から見つめ改善されることが今、求められている。昨年、国連の人種主義等に関する特別報告者は日本の現状について次のように指摘した。
  「もっとも甚大な現れ方をしているのは文化的・歴史的性質を有する差別である。」「コリアン・中国人コミュニティについては、こうしたマイノリティに対する差別の歴史的・文化的根深さが日本では認識されていない。」
  (D・ディェン国連特別報告者「日本公式訪問」2006・1報告書。反差別国際運動日本委員会訳)
  在日朝鮮人の人権問題は文化的・歴史的性質を有しており、その民族性を尊重するならば約一世紀に及ぶ歴史を知ることが不可欠である。
  このようなことから多くの日本人と在日朝鮮人がともに在日朝鮮人の過去の歴史を知り、現在の人権状況を考えるために『在日朝鮮人歴史・人権週間』(11月3〜17日)を設けることにした。この趣旨に基づき2007年のテーマである@1905年条約 A強制連行犠牲者の遺骨問題、そして、B 在日朝鮮人に対する日本政府の抑圧政策と日本が批准した人種差別撤廃条約から問題点を見ることにした。
  このリーフレットが在日朝鮮人の歴史と人権について理解を深める契機となれば幸いである。

●1905条約
  ・・・高杉晋作がイギリスのスパイだった説にも、ウ、ウーンという印象だったけれど、1905年条約における伊藤博文も、ゲッ、こんな悪い奴だったの?!

1905年11月17日の状況
  a)ソウル南山一帯(王宮を囲み)に軍隊を配置し17、18両日歩兵大隊等により威圧した。
  17日午前11時、日本の全権公使である林権助は韓国各大臣を日本公使館に招集し条約採択のための御前会議の開催を要求し、韓国各大臣を「途中逃げ出さぬやうに監視」させ王宮に連行した。(外務省編『日本外交文書』)
  b)閣議に外国使臣である伊藤、林らが出席、介入したことは不法である。(海野福寿『駿台史学』91号)
  c)伊藤は「あまり駄々を捏ねる様だったら殺ってしまへ、と大きな声で囁いた」肉体的・精神的強制を加えた。(西四辻公堯『韓国外交秘史』)
  d)調印は「外部大臣之章」と刻まれている職印でなされたが、これは日本公使館員らによってもたらされた。(外務省編『日本外交文書』)

・・・でへっ。ほかにもいっぱい証拠が記されている。やはり隣国の教科書とのすり合わせというのかな、直す所は直すか、両方併記して立体化するとかした方がいいね。今のまま人物観や歴史観があまりにもへだったているのはよくないよ。

・・・で、この条約が問題なのは、日本政府がこれは合法だから、朝鮮人「慰安婦」、強制労働は「適法」的に行われたと主張しているんだって・・・ウッソー?! 「お詫びと反省」はしているのにぃ?! 

条約の内容は、@外交権を剥奪Aソウルに韓国統監部が設置される。
  「内政は日本人が指揮し、外務は東京で管轄するのだから・・・ただ皇帝の尊号が残っているだけ」(『大韓毎日申報』1906.3.9)。韓国統監(初代伊藤博文)が国王以上の絶大な権限を握り、「条約」も「法」も思いのままに作り出すことになる。

・・・あら、アメリカの都合によい法律をじゃんすか通しちゃった小泉と同じじゃん。今の日本ってアメリカの植民地?あはっ、そうかも・・・

・・・植民地政策をしてしまったことはもう今更撤回できないけれど、今、やるべきことはちゃんとやりましょうよ。で、
  ●強制労働で日本に来て、亡くなった方たちの遺骨の問題。

ある韓国の学者は「日本の当局と企業が死亡事実を遺族に通知しなかったことは法的な問題をも引き起こしている。現在、韓国の遺族の中には死亡通知がなされなかったため戸籍整理をできずにいるケースもある。例えば、女性が再婚をしたものの戸籍整理ができないため再婚した家庭で財産権を認められなかったり、再婚後に生まれた子供を戸籍に上げられずにいる。これは日本当局と企業が犠牲者に対して最低限の措置すら講じなかった結果である」と言う。

・・・おお!! 過去の問題ではないんだ。現在進行形の問題。急げ!!

・・・遺骨問題については、以前から、まあよくほっぽといたものだとあきれてはいたけれど・・・働かせていた企業には、名簿とか給料の記録とかあったはずだから、すぐに調べていれば、身元の確認はできたはずなのに・・・責任逃れのため?政府も企業名を公表しないとは・・・祐天寺にあるとわかり、東京調査団の招請のもと訪日しようとしたら、付き添いの通訳をつけることも許さず、遺族だけで来いとの要求で実質的に日本への入国を阻んだこともあるとか。真実を追究されることを恐れているのか?企業を守りたいから?おかしいねぇ。

・・・「拉致問題」の遺骨の処理で不満を持つ日本人も多いだろうに、自国がやったというか長年やらなかったことに怒りも不満ももたないのはどこかおかしくありませんか?

日本政府は遺族への連絡すら怠ったばかりか、なんら対策を講じない結果、日本各地では遺骨を無縁仏として、さらには「合葬」し、「粉砕」するという事件も起こっている。

・・・ウーン、私自身の骨はできれば、「粉砕」して、散骨して欲しいと願っているものだから、骨や遺体にこだわる気はさらさらないのだけれど、まだまだそういう習慣が残っている朝鮮では、その思いが強いのでしょうねぇ。で、それはそれで大事にしてあげるのが、国際社会での礼というものだと思います。一日も早く、日本政府と雇用した企業は、今わかる範囲、正直に公開して、自ら調査して、できる限り遺族に遺骨を返して欲しいです。「動け!!」です。・・・ただこれがねぇ。日本政府とか官僚って、すぐ思考停止しちゃうから・・・

朝鮮人遺骨問題を自己にひきつけて考えてみよう。発見された名簿には、ひとつひとつの命であり、人として生きた個人が記録されている。しかし、戦時下の日本人には、強制連行された朝鮮人の、死に至ったその人の悲しみに心寄せることは不可能だった。その人の妻が、子が、家族があり、忘れがたい友があったことを想像することは日本人には不可能だった。35年間植民地として支配し、同化政策の中で相手を支配してきた日本人にとって、朝鮮人に家族があることなど、想像の外だったのだ。(・・・本当にそうなのだろうか?想像しようとしなかっただけでは・・・)
  「大東亜」「五族協和」を僭称し、自らをアジアの指導民族であると称し、朝鮮人や中国人を劣等な民族とみなすことを日常の意識にしたからこそ、15年間の戦争を戦いえたのであり(・・・これは間違い。15年間も普通の日本人も我慢を強いられ、あげく徹底的に負けたのよ)、敗北して、なおその意識に変化を加えねばならぬ特別な努力など戦後57年間してこなかった(これは言えてる)。政府も国民もちゃんと公式にそれを克服しようとはしてこなかった。「靖国問題」の本質はここにある。
  札幌別院に残る百体を越える朝鮮人の骨(地崎組とそれに関係する企業より預かる)は生々しくこの答えを求めている。考えられなかったのなら今からでも良い。百体を超える朝鮮人の前に深刻に考え始めろと要求している。
  「従軍慰安婦」問題が日本の中で公然と問題にされたのはようやく90年代に至ってからだった。強制連行に関してはこれから私たちの課題にできるか否かが問われている。しかし今私たちは「拉致問題」をめぐる「大合唱」の中で課題とすべき強制連行を後景に追いやっている。
  「国立追悼施設」どころではない。目の前の犠牲、57年間追悼されざる犠牲にどう答えるのか。この追及から身をそらしていては私たちの教団は戦時教学から少しも抜け出られずにいることを証明することになるのではないか。現代におけるラジカルなテーマに、私たちは、教団は直面している。
こだま第70号(2002年1月1日発行)より転載。

・・・教団だけの問題ではないね。日本人としての私たち自身の問題だわ。で、
  ●人種差別の問題

・・・遺骨問題でも解決の糸口を阻んでいる、企業を守るために“ナイショ”にしちゃうという政府のやり方が、“イジメ”でも「はじめに“なかった”という結論ありき」だし、差別(在日朝鮮人に対してだけでなく、すべて)に置いても、“ない”“知らない”なんだよねぇ。冒頭のD・ディェン国連特別大使の言葉、「認識していない」のではなく、「認識しようとしない」のが、今の日本政府のやり口。だから平然と「人種差別撤廃条約」も批准できちゃうんだよね。で、実際には何もしない。

・・・日本政府だけではない。私たち日本人も、その傾向が強い。「見て見ないふり」。やめましょうよ。そういうのって、「卑怯」だよ。

日本社会に人種差別があれば、それは日本社会自体が差別という病に蝕まれているからではないのか。自分が暮らしている社会が差別に蝕まれていることをどう受け止めるのか。憎悪に凝り固まって、他者に対して侮蔑を投げつけている社会を、どう変えていくのか。

・・・もうひと言加えるのなら、他者をいたぶらなければ自分を保てないほど、日本人はすでに自分を見失っているのではあるまいか。もっと、自分のいい所を認めて、自分たちなりに良い方向へ歩んで行こうよ。第9条もあることだし・・・

・・・とまぁ、在日朝鮮人の目から見た日本をうかがい知ることで、また、あらためて、日本って病んでるよなぁ、今こそ、アメリカ追随の姿勢をただし、日本のあるべき方向性を明確にし、方向転換する時期だなぁと・・・遺骨問題に関しては、隣国への礼節を大事にしましょうよ。礼節を守るって日本人のいい所だよね。





No.46

騙し絵日本国憲法

 りっちゃん
07/12/7

著者は清水義範さん。文章による騙し絵、憲法のパロディ、であると同時に、日本国憲法自身をも騙し絵的なところが一杯あるぞ!!と皮肉っている本でもある。

21の異なるバージョンによる前文
  第一章 シンボル
  第二章 9条
  第三章 ハロランさんと基本的人権
  第四・五・六・七・八章 寄席中継
  第九・十章 亜匍驢団の掟
  第十一章 場つなぎ
  という憲法に即した問題を取り扱いつつ、家庭崩壊、疎開先での苦労話、恋愛、S・Fなどをからめた、とても真面目(?)で深刻な小説もあり、抱腹絶倒のパロディものもありと、盛りだくさんの内容。

読むのも面白いけれど、これは是非実演しないとなぁ、と・・・落語家とか、誰かやりませんか?これ、売れますよ。

中でも、前文の「実演販売」「長島茂雄風」「歌舞伎風」など私でもできそうだよ。

カバーの裏には、
  「日本の読者は知恵と言葉を基調とする笑いを誠実に希求し、笑いによる慰撫または笑いの行使は、悩みを解決する手段として永久にこれを保持する。前項の目的を達するため、立ち読みはこれを認めない。」とあるけれど、これは売る側の願いだね。

笑っているだけでは、問題は解決はしないから・・・作者が言いたかったのは、こんだけ問題あるよ、だからいろいろ批判やら、自分の都合の言いように捻じ曲げようとする人も出てくるよ。流れに乗っかって憲法改正を叫ぶ前に、自分がこの日本という国をどうしたいのか、自分の生き方ともども、よく考え、よく議論したらどうかな?ということかなぁ、と思いました。

ただ、作者の清水義範さんは、“進駐軍に押し付けられた憲法”という意識が強すぎるかなぁ。「日本の青空」という映画を見た人なら知っているけれど、原案は日本人が出しているんだ。旧弊な日本政府には押し付けたのかもしれないけれどね。

それと、岩田行雄さんの「検証・憲法第9条の誕生」に詳しく書かれているけれど、原案を提出した法制局や、帝国議会での真剣なやり取りなんて、みんな“平和のために”の一念で一生懸命だったんだ。改正案委員会での一つ一つの言葉の選択、いろんな立場、党からの意見を、ひとつにまとめるって大変なことだったんなぁと思った。吉田茂外務大臣の「近年の戦争は、多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争また然りであります」という答弁なんて圧巻だねぇ。で、いろんな意見を取りまとめたものだから、どうしてもアイマイな文章になっちゃったというところが、9条にも、ほかの条文にもあって、そういうところをハロランさんが「おとなの憲法」って言うんだよね。清水さん、そんなこんなをいっぱい皮肉ってもいます。私は単純だから、言われてみれば、その通りだなぁ、とも思うのだけれど・・・

今は、米軍の下働きか、弾除けにされちゃう危険性が高いから、憲法改悪の動きに警戒もしているし、反対。理想に向けた前向きな改正には賛成するよ。いつかそんな日が来るといいね。

土屋賢二さんという人が解説にも書いています。
  「本書は憲法についての本だが、憲法について何かを主張した本ではない。「憲法記念日は知っているが、憲法はよく知らない」という人も、憲法について笑うと同時に、憲法を自分の生き方も問題として考えさせる問題提起の本だと思う」と。

でも、マァ、まずは手にとって、買って、読んで、おおいに笑ってください。





No.45

ヴィーナスという子

 りっちゃん
07/12/6

著者はトリイ・へイデン。いつもながら、読み応え充分。トリイの働きかけと、子どもたちの変化に目を奪われつつも、ひとりの子どものために、医者、ケースワーカー、校長、トリイが連携し、会議を開き、今後の方針を決めるということが、うらやましく、日本ではどうなっているのかいなぁ。虐待についても新聞報道では児童相談所の対応が遅い!という非難だけで・・・これからどうやっていくのかがちっとも見えない。この本の主人公であるヴィーナスにしても、親の問題、社会の問題が下地にあるから、医療、福祉、教育と各分野の協力が必要なんだよね。家庭の中に踏み込むのって難しいから、低体温症と凍傷で入院という悲劇は防げなかったけれども、その後もトリイを中心にヴィーナスの成長のために横の連携は続くのだ。

トリイの生徒ってどうしていつもみんな可愛いんだろう。トリイ自身がそう感じているから私たち読者にもそう伝わるのだろうけれど・・・それにしても・・・うふっ、可愛い。

今回の生徒は、「take your seat」(席に着きなさい)と言うと、椅子を持ち上げちゃう、お調子者であるがゆえにトラブルメーカーのビリー(9歳)、胎児性アルコール症候群、多動と注意力欠損の双子シェーンとゼーン(6歳)、トゥーレット症候群、数種類のチックと異常な几帳面さでそれを妨害するものには暴力を辞さないジェシー、そして、何の反応も示さないヴィーナス。

うわーっ。1対1でも大変そうなワルガキたちが4人。いつもなら、反省用の椅子は1脚なのに、今回は5脚。そう、教室で何を話しかけても、ただ時間をすぎるのを待っているように動かないヴィーナスも、誰かが触れると大暴れするのです。やれやれ、トリイの生傷がたえないだろうなぁ。

この本でいちばん問題なのは、助手ジェリーがトリイの教育方針に従ってくれないこと、やさしく忍耐強く子どもたちに接しているので、最初はトリイも自分を恥ずかしく思ったり落ち込んだりしてしまうのだ。例えば、

シェーンには金魚鉢を運ぶのは、理由も含め、いけないことだと言ってあった。なのに、鉢を落とした。ジェリーのしたのは、「泣かないで、ただの事故なんだから」とシェーンを慰めたのだ。これを聞いてトリイは恥ずかしく思う。わたしだったら、「当然の結果だ。だから駄目っていったでしょう」と言って、片づけを手伝わせたはずだ。ジェリーの反応の方がずっとずっと慈悲深かったと、トリイは感じてしまった。

ヴィーナスが言葉を発するのを期待してチョコを食べさせるが、ほかの子が欲しがってヴィーナスに接触、大暴れ。ヴィーナスを落着かせるために、押さえつけようとするが、ジェリーに足を持ってもらいたかったのに、「わたし、こんなのできない」「この子を傷つけているわ」と手を離してしまう。結果、ヴィーナス脱走。子どもたちが帰った後で話し合う。
  ヴィーナスは何事にも反応しないことや暴力的な行動をすることによって自分の環境を支配しようとしていたのだ、とわたしは感じていた。そうなってしまった理由が何であれ、そのようなヴィーナスのやり方が、問題に対処するのに不適切であり、有効なやり方ではないという事実は残る。そのような対処の仕方をもっと有効なものに変えさせるのがわたしの責任なのだった。だが、残念ながらそのためには、まずわたしの意思を彼女に押し付けることをしなくてはならなかったのだ。
  だが、それは見た目にはひどいものだ。それに説明できないものでもあった
  「わたしはこの場をコントロールしなければならないのよ」と説明しても、ジェリーは「どうしてちょっと待てないの?」「わたしはただの助手、でも“目的のために手段を選ばず”っていうこのやり方に賛成できないの」
  しかし、こういうことをしなければという学問的な必要性と、それを行動に移すという厳しい現実との間には大変なギャップがあった。さらにいえば、正しい力の行使とやりすぎとの間の線引きには、いつも悩んでしまうくらい微妙だった。それに、子どもは一人ずつ違う、という現実があった。それから状況もいつも違う。公式など決してないのだった。

心の底では、わたしはジュリーが信じているような種類の人間になりたかった。十分な愛情をもって接することで世界を変えることのできるような人間に。このような理想を持ち続けること、善は悪に打ち勝つ、愛はなにものにも勝つ、どうしようもない人間などいないのだ、と信じ続けることはとても大切だと思っていた。現実では、世界はそんなふうではないとしても、世界を変えていく唯一の可能性は、わたしたちがそうできると信じることができるかどうかにかかっているのだから。

と、マァ、こんなふうにトリイも悩んでしまうのです。それに、“教師による虐待”や“人種差別”を問題視される時代でもあり、“押さえつけたり”教材に“白人のヒーロー”を使うことに、周りから言われたり、見られたりすることに気を使わねばならなかったのです。でも、ヴィーナスにとって大事なことは、選択性無言症を克服して、他者との信頼関係を作り上げていくこと、つまり、効果をあげなければ理想なんて何の意味もないのです。トリイの本が読み応えがあるのは、トリイが苦労しながらもいつも子どもたちのために全力を尽くし、子どもたちの変化が私たちにもくっきりと見えるからです。その教育力を、今回はジェリーの“寛容という強硬路線”がトリイの足を引っ張ってしまいます。一番困るのは中途半端ということなんだよね。ヴィーナスを落着かせるために“押さえつけ”ることができずに脱走するままにしていたら、また、“暴力”でことを解決する、教師の指導に対しても“暴力”で対抗し、“逃げる”が勝ちという“ワザ”を学習させてしまう。落着かせて、ほかの子に怪我をさせるのはよくないけれど、ヴィーナスの気持ちはわかる。学校は決してヴィーナスの存在を否定はしない。別な方法で意志を伝えられるといいね、ということを納得するまで、時間はかかるけれど、繰り返し経験させないといけないんだよなぁ。

子どものひとりが良くない行動をしたとして、ジェリーの反応は「どうしてあなたがあの本を投げたのか、話し合いましょう」というものなのに対して、わたしの反応は「拾ってきなさい」だった。もし子どもの一人が席から離れて教室を走りまわったとしたら、ジェリーはそのことに対しては何もいわず、おとなしくすわっている子どもたちを褒めるのだった。この方法も、席を立った子が頭越しに他の子どもたちを殴るために立ち上がったのでなければうまくいったかもしれない。あるいはおとなしくじっとすわっている子がいたとしたら、うまくいったかもしれない。だが、たいていの場合、一人が立ち上がると全員が立ち上がり、攻撃モードになって教室中を走りまわるのだった。

必要なのは「臨機応変」と「わかりやすさ」かな。

トリイファンは良くご存知だと思うけれど、彼女の教師のしての“ワザ”に、学習フォルダー、朝の会、コボルトの箱、想像上の旅、反省用の椅子、パーティ、料理づくり、“抱きしめる”なんていうのもあるけれど、今回は試行錯誤して「信号」にたどり着く、これはとってもわかりやすい。障害のために善悪やルールを覚えることが苦手でも、「赤」のカードをトリイが見せれば、行動を起こしかけていても、「まずいのかな」と理解できる。連鎖反応が抑えられれば指導もよりやりやすくなる。この「信号」と音楽の効果は抜群。クラスの雰囲気がとても楽しいものになるのですが、ジェリーは、

「行動修正って非人間的だもの。子どもをまるで動物園みたいに扱っているわ」と・・・ジェリーの経験不足もあるのでしょうけれど、動物並の行動を人間並みにしていくのが教育といえばわかるかな?

トリイはこう反論します。
  「受容と寛容を示し、相手が自分自身に対していい気分でいられるようにするってことが大切なのはわかっているわ。でも、こういう単純な事実は残るのよ。つまり、わたしたちが積極的にことの善悪を教えなければ、子どもたちはそれを学ばないってこと。どう振る舞うべきかを子どもたちに教えるのは、わたしたちの責任なのよ。あの子達がやることすべてが正しいとはかぎらないわ。あの子たちにはいい振る舞いとまちがった振る舞いの違いを積極的に教えて、より良い振る舞いを見せてあげなければならないのよ。それが結局はあの子達がもっと幸せで、もっと充実した人間に育っていくってことなのだから」

ジェリーは、
  「わたしたちとは違う生活をしている人たちのことを、わたしたちが価値判断することなんてできないのよ。私は貧困層ではないし、発達が遅れているわけでもない。でもうちのクラスの子どもたちのほとんどは、そういうグループに属しているのよ」と・・・でも、これって“お可哀想に”の発想じゃないかなぁ。人種差別のある国、貧困家庭、障害のある子どもだからこそ、自立のために、社会で生き抜くために、学力をつけ、自分をコントロールする力や善悪の基準を学ばなければならないのだと、私は思う。

歌を歌うことすら拒否したジェリー、そして、学力テストと、WISC(ウィクスラー児童知能検査法)IQテストで言語得点145、動作得点142、総合IQ142という結果を出したビリーにもこういわれてしまい、クラスにいづらくなって転勤を自ら申し出ることになりました。ジェリーも学べば良かったのになぁ。彼女は助手だけれど、「ガラパゴスの箱舟」のメアリーのように「自分は正しいのだろうか?」と振り返る時を持てばねぇ。

チックのせいで罵りの言葉を発しだしたジェシーのマネをグウェニーをします。それが面白くてゼーンやシェーンもまねをして・・・
  男の子全員がこの時点で大笑いしていた。まだ罵りの言葉を怒鳴り散らしていたジェシーまでもが、笑いの仲間に入っていた。グウェニーも笑いだした。みんな笑っていた。爆笑の渦だった。罵りの言葉が飛び交った。さらに爆笑。更なる罵り。みんながおなかを抱えてげらげら笑った。
  わたしも笑った。みんなに言いたい放題いわせておくと、最後にはみんなはあはあ喘ぎながら椅子にすわった。
  これを楽しいと思っていないのはジェリーだけだった。彼女は離れたところに立って寛容な笑みを浮かべ、騒ぎが収まるのを待ってから実に如才なくこういった。「ジェシーとグウェニーのことを笑うのは、あまり親切なこととはいえないんじゃないかしら」
  ビリーがジェリーのほうを向いていった。「いい気持ちだったよ。おもしろかった」
  「自分でもどうすることもできないことを人から笑われたら、どういう気持ちがするかしら?」とジェリーは聞いた。
  「そうだな。そういうことをしちゃいけないときもあるよ。でも、だいじょうぶなときもあると思うんだ。だっておれたち、別にあいつらのことを笑ったわけじゃないもの。おかしかったから、笑っただけだよ」とビリーがいい返した。
  一瞬沈黙が流れた。
  ビリーが続けた。「ジェシーになにか変なところがあって、でもあいつが気を悪くすると思って、あいつがおかしなこといったときに笑うのとやめるとするだろ。そういう時って、おれたちがほんとうにジェシーにはなにかへんなところがあると思ってる時なんだよ。でも、おれたちがさっき思っていたのは、そんなことじゃないんだ。おれたちが思っていたのは、あいつがおかしなことをいったという、そのことだけ。っていうことは、あいつがほかのみんなと違うってことを忘れてたってことなんだよ。だから、それはそれでいいと思うんだ。たまには笑わなきゃ。だっていった中身がほんとうにおかしいんだもの」

IQ高いだけはあるねぇ。ビリーの言うのは本質を突いています。このクラス以前からビリーのことを知っていたのに、頭が良すぎるせいもあったと気づかなかったトリイは大失敗? 検査後に納得し、「信号」によって席に座る習慣をつけさせた後、普通学級だけでは物足りなくなるだろうと、AP(高等措置)と呼ばれている才能ある子どもたちのためのクラスでも通わせるよう手配したのです。チョコを無理やりヴィーナスの口に入れたりしたのも大失敗?だって、ヴィーナスはチョコ大嫌いだったんですもの。トリイでもそういう失敗はある。失敗に気づいたら直せばいい。次に活かせばいい。もう一つ、気づかなかった問題。退院しても言葉を発しないヴィーナス、うつ状態ではないかと心配はするのだけれど、それが虐待が明るみとなり、問題家庭にせよ、自分の家庭に帰れなくなったというヴィーナスの思いだったとは・・・大人の良かれ!!という判断と子供の気持ちはまた別だったんだね。もちろん、結果としてはやさしく親身な里親に育てられるようになって幸せになるのだけれど・・・察することができなかったトリイ。深く反省します。で、兄弟に会えるように工夫をします。それを大泣きして打ち明けたヴィーナスを抱きしめて、それから薄皮を剥ぐ様にゆっくりとではあるけれど、子どもたちの協力もあって、会話ができるようになるんだ。(私も元半ノラの子猫を縁あって飼うことになったのだけれど、病気で早死にしてもこの子は兄弟とじゃれていた方が幸せだったのかも、と思うと、淋しそうにしている時は一緒に遊んであげて、それで更新が遅くなってしまった。うちに来たからには贅沢もさせられないけれど・・・私流に只今教育中。「仲良く暮らそうね、ピー公!」)それにしても、障害児一人一人面接して検査をするという制度があるのは、素晴らしい!! いつもながら、選択性無言症のヴィーナスからの信頼を勝ち取れたトリイも素晴らしい。

家庭の問題もあって、時間がかかったけれど、ヴィーナスのほんのかすかな兆候、“右手がこっちの本を指差すように動いた”“微笑んだように見えた”“ほかの子を見ている”を見逃さないトリイ、決してあきらめずに挑戦続けたトリイ、そういう現場の教育者を信頼するって、とっても大切だと思う。私も子どもの教師に意見やら文句やらは言ったけれど、現場を見ているのはその担任だけだから、ま、お互い、情報交換をして、なるべく信頼して、子どもたちだけでなく、大人も育ち合いましょうよ。って、わたしはもう部外者だから、忙しすぎる先生たちの余計な仕事を何とか排除するシステム作りに協力したいなぁ。

理想も大事なんだよ。方向性というのかな。だけど、飾っておくだけでは駄目なんだ。そっちの方向に一歩ずつ進まなくては・・・で、その時のやり方というは教育なら教育現場に携わっている人に信頼して任せるというのも大事なんじゃないかな。9条についても、若い人たちがいらだっているのは、とっても理想的なのに、9条自身が生かされずに、飾られたままであるということにあるのではないか、現実は「自衛隊」の防衛庁が省になったり、米軍再編成、テロ特措法なんて、逆方向にいっているものね。で、その現場って、ない。『平和省』があればいいのにねぇ。相続のことでは事務センターというところの反応の鈍いこと。私自身とご近所の郵便局員はサッサカ事務処理をしているのに、その確認やらなにやらで、いつも「一週間か2週間」かかってしまう。銀行でのその日一日だけの事務処理と大違い。なにが民営化だよ。プンプン。現場の人たちは一生懸命やってくれているのに、上、おおもと、郵政省が「お役人根性」だから悪いんだなぁ。現場を信頼しろよ!! これ、実感です。





No.44

ガラパゴスの箱舟

 りっちゃん
07/11/17

第二次大戦で捕虜となったドレスデンで空爆を受けた経験のあるヴォネガットさんの皮肉満載。人間の巨大脳は無責任で、たよりにならず、おまけに恐ろしく危険で、まるっきり現実離れしている――つまりは、完全なできそこないだ、と繰り返し述べている。巨大脳のしわざについて、

1、いろんな謎で退屈しのぎをすることができた。例、長い距離を泳げない生物がどうしてこんなにたくさんガラパゴス諸島へたどり着くことができたのか?

2、結婚詐欺師ジェイムズ・ウェイトのような巧みな二枚舌を使えた。

3、単なる意見が、確かな証拠と同じように人間の行動を支配していたばかりか、とつじょとしてくるりと裏返ることもあった。例―ガラパゴス諸島が地獄のようだったり天国のようだったり、うすぎたない海港にすぎなかったダイヤキルが観光地としてにぎわっていたり、紙幣や株券や債券や抵当などの価値に対する人間の意見にとつぜんの逆転があったために、観光事業が壊滅したり・・・

4、紙切れでできた富にたいする自分たちの意見を変えただけで飢餓が発生した。

5、人間が自分自身やお互い同士に加えている暴行、ことのついでにいうならば、ほかのすべての生物に加えている暴行を、もしどこかの惑星からの訪問者がながめていたとすれば、環境ぜんたいが発狂したからだと思ったかもしれない。みんながこんなに逆上しているのは、自然がみんなを殺そうとしたからだと思ったかもしれない。
 しかし、百万年前の地球は、今日と同じように水気も栄養もたっぷりで――その点では、全銀河系の中でもユニークな惑星だった。つまりは、その惑星にたいする人々の意見が逆転しただけのことである。

6、メアリーは生徒たちに、人間の脳こそ進化の生みだした最もすばらしい生存の道具だ、とも教えた。しかし、今、そのメアリーの巨大脳は、彼女に自殺するよう誘いかけた。・・・彼女の脳は、彼女にこう教えた。「みんなはおまえのいないところでおまえのことを笑って、頭のおかしい、あわれな女だと思うわ。それにどのみち、おまえの人生は終わったのよ。夫をなくし、教師の仕事をなくし、子供はいないし、ほかになんの生きがいもない。」

7、わたしもしばしば自分の巨大脳から忠告を受けたが、その忠告は自分の生存という点からみて、いや、それをいうなら、人類の生存という点から見ても、いかがわしいという形容でさえ手ぬるいほどのしろものだった。たとえば――その忠告を真に受けて、私はアメリカ海兵隊に志願し、ベトナムで戦ったのだ。おおきにありがとさんよ、巨大脳め。

8、彼らの所持金の価値は架空のものだった。この宇宙そのものの性質と同じく、アメリカのドルと日本の円の魅力は、すべての人間の頭にあるだけだった。

9、百万年前、できるだけたくさんの人間活動を機械に譲りわたそうとしたあの謎の熱狂について――これこそ人間が自分たちの脳はまったくのできそこないであると認めた、その証拠のひとつでなくてなんだろうか?

10、ロイの巨大脳は彼を説得してこう信じこませた。ダアヤキルと同じく赤道地帯にあるビキニ環礁で1946年に行われた合衆国の原爆実験に、自分は水兵として立ち合ったことがある。そこでロイは、自国の政府相手に何百ドルかの損害賠償の訴えを起こすつもりだ、といいだした。なぜなら、ビキニで浴びた放射線のために、まずメアリーとのあいだに子供が生まれなくなり、そして、こんどは脳にガンが発生したからだ。

11、ゼンジの巨大脳は、彼の国で一番の大金持ちである天皇と同じぐらい金持ちになる夢をもてあそびはじめた。

12、その当時の結婚がそれほど厄介なものだったのは、これまた、さまざまな悲嘆の扇動者、あの巨大脳のしわざである。

13、当時の人間の脳は、生命をどこまで粗末に扱えるかについて、ひどく口数の多い、無責任な発案者になっていたため、未来の世代の利益のために行動することまでが、ちょうど限られた範囲の愛好家が楽しむゲームのように扱われた――たとえば、ポーカーや、ポロや、証券市場や、SF小説の執筆のようなゲームのように。

14、当時の巨大脳は、残酷という以外の目的のない残酷な仕打ちができるだけではなかった。下等動物にはまったく感じられないさまざまな苦痛を感じることもできた。

15、当時の脳は恐ろしく巨大だったため、その持ち主をも欺くことができた。

16、わたしから見ると、この男が熱心な自然保護論者として自分を売り込んだのはお笑い草であるとしか思えない。彼が取締役になっている会社や、彼が大株主になっている会社の大多数は、悪名高い水や大気の汚染者であったからだ。しかし、何かを大切にするという能力を欠いてこの世に生まれてきた※マッキントッシュにとって、それはお笑い草ではなかった。そこで、この欠陥を隠すために、彼は名優となり、すべてのものを心から大切に思っているふりをして、自分自身をすら欺いたのだ。
・・・百万年前に権力の座についていたおおぜいの病的人格者と同様、※マッキントッシュもたいていのことを、ほとんど何も感じないで、衝動的にやってのけた。その行動の論理的な説明は、ゆっくり創作されて、いつもあとでつけたされるのだった。
 いまをさかのぼる巨大脳の時代、こうした種類の行動がその歴史の要約にほかならなかったのは、わたしが光栄にも参加した戦争だった。それをベトナム戦争という。

17、この新式爆弾は、巨大脳を持った軍事科学者たちから、大きな恩恵とみなされていた。核兵器ではなく、通常の兵器を使って人びとを殺傷している限り、彼らは人道的な政治家と賞賛されるのだ。

18、そういえば、最近(百万年後のこと)あまり聞かなくなった巨大脳のアイデアがある――それは奴隷制度だ。

「わたし」は運命の“ガラパゴスの箱舟”となった、バイア・デ・ダーウィン号にすむ幽霊。100万年後にこれを書いている。運良く、経済危機、飢餓、暴動、戦争から逃れ、サンタ・ロサリア島に漂着した男性ひとりと女性が9人。メアリー・ヘップバーンの生命をどこまでも存続させようとする意欲でもって人類は進化し生き残る。というのがお話の筋ですが・・・こんな調子で、巨大脳を持つ現代人(「わたし」からみると100万年前の人たち)を、徹底的に皮肉っているにもかかわらず、100万年後の人類たちのひとりひとりの記述はない。「男女を問わず、だれもが見かけどおりの人間なのだ」という程度。

1986年当時一番初めに登場するのが結婚詐欺師のジェイムズ・ウェイト。履歴や詐欺師としてのテクニック等が詳細に描かれている。そして、彼の死の前の、彼を善人と信じたメアリー・ヘップバーンとの船上の結婚式。自分の財産をメアリーに残すと約束して・・・

ヴォネガットさんは、なんだかんだ言っても、人間が好きだったのね。きっと。

そして、皮肉の中味には、経済危機や戦争、原爆、機械化、リストラ、差別、教育問題、少子化、夫婦関係、環境問題など、私たちが抱えている問題をすべて網羅しています。S・Fの読者が少ないことまでも。

新自由主義への批判?登場人物のひとり、船には乗れなかったアンドルー・マッキントッシュ、(55歳、アメリカ人、親譲りの巨万の富を持つ実業家で冒険家、男やもめ)が、ホテルの外に飢えている民衆がいるにもかかわらず、犬に超高級サーロインステーキ2皿を与えた行為について、こう述べている。

今でさえ、それから百万年を経たいまでさえ、こうした人間の無作法を書きしるすだけで、心が痛む。
  百万年後のいまでさえ、人類に代わって謝罪したい気分になる。私に言えるのはそれだけだ。

差別については、バイア・デ・ダーウェイン号にオナシス夫人が乗ることになって、有名人がわんさか乗船予定となり、無名のヘップバー夫妻が乗船名簿から除かれてしまったこと、人類が生き続けることに貢献したのがこの二人だったことで皮肉っている。

結婚生活については、ゼンジのつくったマンダラックス(自動通訳機兼パソコンのようなもの)が示すであろうというこの言葉
  結婚――主人と、女主人と、奴隷2名から成るが、合計では2名にしかならない共同生活体。――アンブロース・ピアス(1842−?)

教育問題については、
  最期の授業でメアリーがおそわれた懐疑「ひょっとすると、わたしは表の通りからこの教室に迷い込んで、年若い生徒たちに人生の謎を説明しようとしている、気のふれた中年女かもしれない。そして、生徒たちは、わたしがなにごとにつけても完全に間違っているのに、わたしのいうことを信じこむんだわ」。教師って、自信も必要だけれど、一方で、こんな懐疑も持つべきかなぁと思った。教師に限らないかもしれないけれど・・・この問題は、「ヴィーナスという子」トリイ・へイデンの感想に続く、です。

冒頭の言葉からも、ヴォネガットさんが「自然と、人間が好き!」であることがよくわかります。「アマチュア博物学者 ヒリス・L・ハウイー(1903−1982)の思い出に捧げる」という詩、それとアンネのこの言葉。私もそう信じたい。

      いろんなことはありましたが、それでもわたしは
      だれもが心底は善人だと信じています。





No.43

労働契約法と民主党とマスゴミ

 あひるさん
07/11/14

また一つ、悪法が制定されるようです。労働契約法。

これが、参議院で通れば、民主党というのが、本当に第二自民党である証明になるでしょう。

新聞・テレビは例によって全く触れません。
  障害者「自立」支援法の時もそうでした。
  雨宮という最近元気な女性は、障害者「自殺」支援法と呼んでいます。

小生、これらをまとめてマスゴミと呼んでいます。
  あれは、アメリカ幕府、アメリカ資本、それに小判鮫のようについて行く支配体制の広報部隊なのです。

最近の小沢事件にふれて、読売の渡辺の愚劣なふるまいについての議論がありますが、それはそもそものマスゴミの使命なのです。
  早稲田大学の有馬哲夫教授が書いた力作『 日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』は、日本を洗脳教化すべく導入されたテレビ・システムと、アメリカCIAの走狗として活躍した正力松太郎の行動を見事に描いています。テレビはそういう育ちであり、いまでもそうなのです。渡辺は、まさにアメリカの走狗、読売・正力松太郎の直系なのです。

朝日新聞で、小沢の出来事に関する愚劣な論説を昨日か、一昨日読みました。中選挙区制に戻そうという動きを批判するものでした。
  要するに「二大政党を実現しないでどうする。」というのです。

二大政党を実現している、悪の枢軸、アメリカ、イギリスを見れば、二大政党、とんでもないしろものということは自明ではないですか?
  アメリカの走狗、マスゴミこそが、小選挙区制を後押ししたのです。

朝日を赤などといってそしる向きがありますが、とんでもない。
  売国奴というのはあたっているかもしれませんが、それはアメリカの走狗だからです。その点で、読売や産経と基本的な立場はかわりません。自民党と民主党のようなものです。プロレスのようなものです。

日本を良くする方法は、国民が新聞を読むのを、テレビを見るのを、やめ、良い本を読み、インターネットで連絡しあうようになる以外になさそうです。

まあその可能性は決して高くはありませんが。座視してもいられません。

緊急行動の呼びかけ〜会社やりたい放題法=労働契約法を廃案へ

働く女性の全国センター




労働条件が悪くなれば、みんなやる気をなくしてしまう。転職も多くなる。そうしたら、その会社での経験を積み上げることができなくなる。物をつくる会社なら、つくるものが粗雑になる。サービスなら、お客様の満足が得られなくなる。結局企業にとってもマイナスになると思うのになぁ。経営者はそのことにいつ気付くのだろう。日本全体の経済がガタガタになる前に気付いて直していかないと・・・

なのに、悪法ですか? 経営者の思うがままの労働規則ですかぁ。経営者対労働者の力関係では、今までの労働規則でも与えられるものであって、よほど労働組合がしっかりしていなければ、労働者の意見なんか取り入れてもらえるものではありませんでした。小さな会社では、なおのこと。それが、不利益変更可能だなんて・・・

「産前産後の賃金保障が減額され、交通費のカットを提案された。異議を唱えたところ、退職勧奨と正社員からパートになれと雇用形態の変更まで迫られた」
  「多数労組が、妊娠した女性の意見も聞かず育児休業休暇の除外協定を会社と結 んでしまった」

今でもこんな状況ですって。マスコミが小沢の「ドタバタ劇」を面白がって報道している間に、悪法がまかり通ってしまうなんて、許せないわ。プンプン。





No.42

篠笛とカヤグムの音楽会

 りっちゃん
07/11/14

タリの会賛同イベント、ユニフェム主催チャリティコンサートのお知らせです。

  ・・・2007年12月2日(日)

       福原道子さんの篠笛,カヤグムの演奏。

        2500円(昼食込み)1:30より演奏。

        昭島市「清水庵」(042-543-8644)
         (JR立川駅北口10番乗り場,拝島駅南口行き・昭島駅行き,中神駅バス停下車)

   ※参加される方は、谷池さん(042-576-4594)へご連絡下さい。

カヤグムは朝鮮の楽器。めったとない組み合わせですので、ぜひいらしてください。私は別な用があって聞きにいけないのだ。残念だなぁ。

タリの会は、歴史を見つめ現在の溝を確かめながら、在日の朝鮮人・中国人、日本人が、地域で、お互いのため息や想い、あるいは怒りに触れ合うことによって「友だち」になろう、という会です。音楽を通じてもお友だちになれるね。きっと。





No.41

「ドタバタ劇」から見えたもの

 りっちゃん
07/11/12

まず、なんと言っても「大連立」の怖さ。小泉の衆院選後に、通ってしまった法案の数々。それによって国民生活がどれだけ悪くなることか。その再来を許してはいけません。数による圧制。独裁政治そのものです。幸いに民主党が今回は抑えてくれましたが、それも、参院選での国民の意思、自民党批判が効いている今だからであって、「先々ご油断めさるな!!おのおの方」でございます。小沢がいる民主党は、怖い。

国連の旗の下、自衛隊のISAF(国際治安支援部隊)参加、恒久派兵法、なんていう“とんでもないこと”がありうるかもしれない。それに、米軍再編自身は着々と進んでいるようだし・・・民主党がほんとうに自衛隊を平和部隊として、武力でない、国際援助をしたいのなら、災害救助隊と名を変え、制服を変え、そういう訓練をし、そういう装備をしなければならないと思う。今のままでは、現地に行ってもテロの目標となるだけ。

次に、この騒動でもって、何かが隠されてしまったのではないかという疑問。友人によると、郵政法案の見直しが隠されたとのこと。薬害肝炎や年金問題も影が薄くなったし、「イタリアなど72カ国が、死刑の執行停止を求める決議案を国連総会に提出」なんていうのもニュースにはなっていないよね。他にはないか?心配である。マスコミの報道といったら、まったく・・・。給油新法についての論議も、すっ飛ばされてしまっているのではないかしら?

ドタバタの以前にペコペコがあったよね。あれは痛快だったなぁ。民主党でも真面目な議員は本気なのだろうけれど、小沢は選挙対策としか考えていないと思う、民主党の政策。反自民を明確にした「地方を大事に、格差をなくす、構造改革見直し路線」、特に、「特措法延長反対、イラクからの撤退という反軍事路線」に慌てたアメリカが小沢参りをしていた。日本が日本国民の意思どおりに動くとなると、アメリカがペコペコするんだな、ペコペコさせたいと狙ったわけではないけれど、日本は日本として毅然としていれば、こうなるんだなと実感したよ。

なぜ、こんなドタバタがおきたかについては、その影で小沢個人に何らかの圧力がかかったのではという意見が、一番的を得ているのかな、と思う。特措法が延長できないとなると、困るのはアメリカだからねぇ。国際社会からの、「米国が無法な戦争をおこした」という非難を、日本も一緒だからと緩和・免罪できると思っていただろうから・・・今までのアメリカのやり口だと個人的に脅しをかけるか、田中さんの場合のように、リベート問題を流して、引退させるとか。でも、今回は、国民の意思が参院選で明らかにされているから、個人的な脅しは通用しなかったということになる。民主党だって、今の今では、無視はできないからねぇ。国民の意見って凄い力があるんだなぁ。国民主権です。

「大型対談 新しい日本の進路を問う時代に」で、品川さんがこう発言している。

「今回の参議院選挙というのは、ある意味では国民の、本当の意味の主権者としての判断が一部出たのではないですかね。これは国の根本のところに関しては、やはり譲れないという、そういう判断が出たんだと思います。
  いま言われたように、都市で自民党が負けたことに関しては、これは改憲の問題だったと私も理解するわけです。
  地方の場合は、私が講演に回っていると、「東京の論理」という言葉が流行りだしています。関西財界や九州財界の中枢部の人たちが、「東京の論理には従えない」というようなことを言います。それは、安倍内閣や構造改革への批判を含んだ言葉で、まったく新しい、これまでにないことです。」

シャッターが下りてしまった商店街、使い捨て雇用でやる気をなくした従業員、売り買いで儲けを狙うだけの株主、商品に責任を感じない経営者。経済界も「新自由主義」に侵食されて、今までの経済発展に寄与した日本型経営システムが崩れてしまい、これから「どうすんねん?」。「滅私奉公」や「企業戦士」に戻って欲しいとは思わないけれど、今の新自由主義では、どんどん暮らしが悪くなる。暮らし以前の問題、戦争に巻き込まれる可能性も高い。そうしないためには、小泉の構造改革の見直しをはじめ、問題は山積み。子どもたちの教育を含めて、“人間”を大事に育てていかないと、根本的解決は難しいし、時間がかかると思う。それでも、遅まきながら「国民主権」。“声を上げることによって、一人一人の一票によって、変わる!!”という一番大事なことが、今回の「ドタバタ劇」で学べたのではと思います。いやぁ、そういう意味では、よかったねぇ。

これからも声をあげていきましょう。そして選挙では、一票を大事にしましょう。大連立を防ぐために、各政党には小連立または選挙協力をお願いしたい。選挙権のある方には、ぜひ、票をバラけて、2大保守党以外の野党、無所属も視野に入れてくださるようお願いしたい。今、そしてこれからが正念場。





No.40

立川朝鮮学校公開授業

 りっちゃん
07/11/9

タリの会からのお知らせで、行って来ました。小ぶりでこぎれいな感じの校舎。一クラスも人数が少なく、今、義務教育で期待されている30人学級を先に実施されているといった所でしょうか。廊下に張り出されている子どもたちの作品には、ハングルも日本語もありました。お母さんたちの会話は、ほとんど日本語でしたねぇ。子どもたちも家に帰れば、ほとんど日本語ですごすのでしょうか。

教室の中の表示や先生の指示はすべてハングル。教科書は、国語がハングルで日本語が別な教科書となっていました。公用語という感覚が私たち日本人には欠落していますが、多分、公用語=日本語ということなのでしょう。

子どもたちは、どこも一緒、からかったり、つついたり、振り向いたり・・・でも、噂の「授業中にうろつく児」なんていうのは皆無。明るい、親しみやすい印象です。目が届いているからもあるけれど、小平市民祭での紹介にあったように「将来の国際人となるため」という目的、自負というものが明確だから、というのもあるのではないでしょうか。

かつての授業参観では、特に高校がひどかったけれど、廊下や階段の汚さが良く目に付きました。ここは小学校と中学校というのもあるのでしょうけれど、とてもきれいで、子どもたちがきちんと掃除をしているのだと思いました。講堂の椅子とピアノのカバーは埃だらけでしたけれど・・・椅子はお母さんたちが率先して拭いてくださいました。小さい学校というのは、その辺が大変でもあり、小回りも利くのですね。廊下で出会った上級生も自然な挨拶をしてくれました。礼儀が身についていますねぇ。

ピアノといえば、縦型を3台、グランドを2台見ました。もしかしたら、わざわざ移動して目一杯見えるようにしたのかもしれないけれど、それでも児童数で比較したら、多いですね。民族楽器もありますから、教材は充実していると思いました。タリの会のメンバーも、テレビとかの機器も充実しているとおっしゃっていました。

我が母校が戦後、指導教官制・モザイク制を実施している頃、予算獲得に都の教育委員会に日参したそうだけれど、「教育ってお金がかかるんです!!」贅沢すぎるくらいでちょうどいいんです!! 自分たちが教わりたい教師・科目を選択できた、そういう時代から外れてしまったのが、いまだに残念。名残はあったし、自分から学ぶという大事なことを教わりもしたけれど・・・

で、この学校の場合、私立学校でもないのだそうです。私立助成金の署名もずいぶんしたけれど、ここにはその恩恵がなかった。在日の人たちも税金は負担しているのに、なっちゅうこっちゃ!!であります。ここも見た目はきれいでも、古い建物だということでした。枝川にも朝鮮学校があるそうですが、そこは、ゆすったら倒れてしまうのではないかと思えるぐらい、なのだそうですが、只今、日本では(ッてここも日本だぞぉ)、耐震のための工事をしていますが、それもできません。憲法25条は、日本人にしか適応できないのでしょうか?不公平ですね。未来を背負って立つ子どもたちという点では同じなのにねぇ。

公開授業後に「コスモポリタン」(この学校の紹介)の上映と子どもたちによる演奏会がありました。校長さんが若いです。他の先生も。ひょっとしたら、若い人でないと暮らしていけない程度のお給料なのかもしれないと、裏をつい読んでしまう私。読みすぎかな?民族性を大事にと考えてはいるけれど、今の時代はそれも難しくなっているとのことでした。同時に、日本に定住することを前提にしているので、教育課程とかは同じにしているそうです。だったら、政府が私立学校として認可するのに問題は何もないと思うのですが・・・。一時期は都立校だったそうですよ。途中で廃止になったそうですが、そのままでよかったのにと思うのですが・・・。それに、日本の民族教育はどうなっているんでしょうかねぇ。声ばっかり。または天皇制ばっかり・・・。授業では、子どもたち自身の考える、行動する力を大事にしているとのこと。もうひとつ大事なのは、明るい未来を子どもたちに提示するということでした。

えっー。でも、私、ゴミ屋(正式にはリサイクルセンター、汚い、危険、臭いの3K仕事でしたが、仲間が良かったから楽しかった)で学んだのだけれど、過去は楽天主義、未来は悲観主義で。これはね、本当に指の切断事故があってみんなで「本当にそうだね」って納得したんだけれど、最悪のことを予想して、そうならないように予防するってとっても大事。なんとかなるさ、では、また事故が起きてしまう。起こさないようにどうしたらいいのかをきちんと考えて行動していかないと・・・なのです。だから、明るい未来を子どもたちに譲りたいけれど、悲観的なものも提示しなければならないのではないかと思う。

現実に、展示写真の中に、制服を日本人に切り裂かれたものがあった。そういう可能性かこれからもありうる。また、「平和」についての子どもたちの文章も掲示されていたが、明るいものばかり。今、国会で討議される(できればめでたく飛んでけぇー!!(廃案)になって欲しい)給油新法も、北朝鮮の核実験などもマイナス材料である。それを子どもたちにも認識してほしいなぁ。もちろん、日本人が通う学校でもです。

子どもたちの演奏会では、ダンスがことのほか素敵でした。クラブ活動とのことでしたが、もし授業であれをやったら、私は泣いて登校拒否しちゃうだろうな、開脚できないもの、強制も嫌いだし…。バレエを習っている人も多いのだろうか。本格的です。手の動き顔の表情まで豊かです。合唱は、発声に難ありだけれど、私が身に付けてしまった(この頃は怪しいが…)、「洋楽」が朝鮮の歌でも通じるのかどうかという問題はあるし、とっても力強い歌声だし、全員が指揮者を見て参加しているし(日本じゃぁこうはいかないと思う)、でも、地声っぽいから、かんじんな所でハモッテいない。ごめんね、つい得意分野ではうるさくなって…

民族楽器の演奏も力強かった。大学生たちのも聞いているので、少し余計な所も力んでいるのかもしれないとも、ここで学んで、だから、大学になると、ああなるのかと納得もした。子どもたちの力ってすばらしいねぇ。収穫の祝い歌だそうだけれど、お囃子の小太鼓、カネそっくりの楽器は、やっぱり文化がつながっているんだと実感するよ。

学校運営が、特に経済面で厳しいとのこと。助成金、保険適応、往復の安全面等、すべてにわたって、不公平な扱いを受けて、先生方、保護者の方のご苦労が偲ばれます。私の応援なんて微力ですが、また機会があったら出かけますので・・・厳しい現実を少しでもいい方向に変えていきましょうね。





No.39

問う!「給油新法」

 りっちゃん
07/11/7

東京新聞の「問う!「給油新法」シリーズが面白い。賛否両論の意見が交互に載っている。一回目は、井戸を掘る医師、NGOペシャワール会の中村哲さんが書いている。

アフガニスタンは今、大干ばつで国民の半分がまともに食べられない状況だ。日本ではそうした実情すら知られていないが、「タリバン=国際テロ組織=悪」とのつくられた図式は定着している。現地の実態を踏まえずに賛成・反対という論議は、哲学論争のようだ。
  アフガン国民は九割以上が農民や遊牧民。2000年以降は干ばつに襲われ、急速に国土の砂漠化が進んでいる。以前は100%近かった食料自給率は今年、3割を下回る可能性があり、国民は飢餓の恐怖で、戦争どころではない。
  そこへ爆弾の雨が降り、誤爆で多くの市民が犠牲になっている。ある建物にテロリストが潜んでいたなら、たとえ市民がいてもロケット砲が打ち込まれる。それが「対テロ戦争」の実相だ。
  当然、米国などへの反感は広がっている。農村に根を下ろすタリバン勢力は、いまや首都を包囲した状態。力でテロを抑え込むのは不可能だ。ただ、実態は国粋運動に近く、国外に広がりようはない。国際テロ組織と一部つながりがあっても本質的に別物だ。
  アフガン国民の多くが自衛隊の給油活動を知ったのは最近のこと。今回の日本での延長問題が現地で報道されたからだ。従来、対日感情は非常に良く、わたしたちの活動もそれに支えられてきた。日露戦争、ヒロシマ・ナガサキ、非核三原則は、よく知られている。
  しかし、今や人々の目に日本の給油活動は、「殺人幇助」のように写っているのではないか。民生支援をすると言っても、給油をしながらでは説得力に欠けるだろう。
  自衛隊の派遣は有害無益だ。日本は慌てず、まずは戦争に参加しないこと。それだけでも積極的な意味がある。そのうえでかんがい事業など民生支援を独自にやればいい。
 対テロは、国際社会の要請だという声がある。しかし、その国際社会の中に、少なくともアフガンで苦しむ一般の民衆は含まれていない。

さすがに現地で、現地の人たちとともに灌漑事業に取り組んでいるから、状況をよく知っていらっしゃる。で、全文、載せました。次は、大学教授の西修さん。

「国際社会がこぞって反テロ活動に従事する中」の国際社会には、アフガンの人たちは入っていないんだってばさぁ。「こぞって」? むしろ、「国際社会」の少数だっていうのは、あとでね。「新法案では国会の事前承認が省略されているが、1年間の時限立法で任務が給油と給水に限定されており・・・」時限だったら、もう辞めようよ。「後方支援」だって、戦争加担には変わりない。憲法前文の「名誉ある地位」を持ち出しているけれど、メンツなんかよりも、アフガンの人たちのことを考えてよ!! 君は心の痛みを感じないのかい? 「持続的な反映」という国民の利益? アメリカに追従することが本当に国民の利益につながるのだろうか? お向かいの大正2年生まれの方が言ってましたよ。「いくら戦争に負けたからって、アメリカにそこまでヘコヘコする必要はないでしょう?」って。

3回目は中東問題に詳しい東京外語大学院教授、酒井啓子さん。これも全文載せます。

6年間のテロとの戦いで、米国がアルカイダの軍事拠点を攻撃したことやフセイン政権を倒した効果はあった。しかしアフガニスタンやイラクで既存の秩序を壊した後、新秩序の構築がまったくできていない。中東社会に対米不信が広がっている原因だ。
  そもそも米中枢同時テロ前から、米国のパレスチナ政策を「不公平な正義」とする見方があり、イラク戦争でさらに米国の不条理なやり方への反発が出てきた。
  反政府活動をする人たちには、テロリストもいるが、「自分の家族が殺されたから反撃したい」「地位を失ったから恨みを持った」などの思いにかられた普通の人々も大勢いる。掃討作戦で市井の人々が理不尽な死に方を強いられたことで、生き残った人たちの間に増大するフラストレーションが、自爆テロに結びつくこともある。
  だから、日本が軍事行動を優先するのはおかしい。米国の政策が偏っているのならそれを正し、イラクなどで被害を受けた人々への経済的、社会的支援をするなど、非軍事部門でやるべきことはたくさんある。
  日本は非軍事部門の政策をまったくやっていないわけではない。イラクに自衛隊を派遣した一方で政府開発援助(ODA)を相当拠出した。復興資金も国連や米国、欧州連合(EU) よりも着実に援助を実施している。
  しかし、政治家の間では評価が非常に低く、メディアも自衛隊以外のことを報道しないから、国民は「自衛隊を派遣しないと、反テロ活動ができない」と受け止めてしまっている。
  海上自衛隊のインド洋派遣よりも、イラクやアフガニスタンの難民・教育支援など、ODAを起用した援助の方が、少ないコストでテロ抑止の効果が上げられる。米国との関係を考慮するから合理的な判断ができなくなるわけで、米国という要素をいったん除き、純粋に日本が中東地域に何をするのが効果的かという「費用対効果」を考えてみる必要がある。

で次の人、これも大学教授、北岡伸一さん。冒頭が「アフガニスタンでのテロとの戦いで、日本が貢献しているのは給油活動だけだ」と、酒井さんの言った大間違いをすでにしている。「国際社会に示す」も大間違い。ついでに「給油活動継続に反対する民主党の小沢一郎代表は、政権を獲得すればアフガンで治安維持活動をしている国際治安支援部隊(ISAF)に参加すると表明している」という小沢も大間違い。「「武力行使を伴うISAFへの参加は違憲」とする自民党や他の野党の主張は誤り」というのも誤り。「法整備が必要。民主党の政権獲得後、他党の反対で法整備が頓挫し、「やはり部隊には参加できない」となれば、国際社会で恥の上塗りになる」って、お前もメンツしか考えてないのかい? 現地の人たちにとってどうしたらいいのかを考えて欲しい。

次が現在無所属の衆院議員、江田憲司さん。まずね、「海上阻止活動は16カ国百隻で始まったが、いまや5カ国17隻が参加するだけ。各国はどんどん撤退している。」って。「国際社会」ってつまりこういうことよ。国連に加入している国は何ヵ国?絶対的少数だよね、この数は。アメリカとそれに追随する国のみ。 さらに、

給油活動といえども軍艦の派遣であり、兵站なくして戦争はできない。敵対する陣営からは、米軍と一緒に日本が戦っていると見られても仕方がない。いくら「後方支援」「非戦闘地域」とオブラートに包んでも、政府の憲法解釈では認められない集団的自衛権の行使に踏み込んでいる。
  小泉政権以降、政府は十分な説明責任を果たさないまま、それまでの安全保障政策の相場を大きく踏み外し、なし崩し的に既成事実化してきた。私がイラク戦争への燃料転用疑惑を追及してきたのも、そんな危機感があるからだ。
  この考えでいくと後方支援であれば米国に追随して、世界中に自衛隊を派遣できることになる。米国同様、日常的に戦争やテロを向き合うことになるリスクを背負うことになるがそれでいいのかと国民に問いたい。

もと自民党のようだけれど、よくわかっているなぁ。小沢がいる民主党は、小泉のいる自民党と同じか、もっと危険です。平和憲法を持つ国、日本は、非軍事部門で国際貢献しましょう。それが結果的に「名誉ある地位」となるのです。目的じゃぁないよ。目的は、アフガンやイラクの人たちが平和に暮らしていけるようにすること、もちろん日本もね。





No.38

ベトナム症候群

 りっちゃん
07/11/6

著者は、松岡 完さん。大学教授だからか、最初は視点がはっきりしなくて読みづらかった。2度読んだら、情報量が豊かで、視点も見えてきた。
  『お節介なアメリカ』で、チョムスキーさんが指摘されているように、アメリカには民主主義がない。その理由がこの本で良くわかりました。大統領に権限がありすぎる。
  議会の方にだって、止める力がないわけではない。

  「一九七六年には国家緊急事態法も成立した。大統領が国家緊急事態を宣言し軍事力を行使する際には、それがどの法律にもとづくかを議会に報告しなければならない。しかも原則として二年の期限がつけられ、上下両院の決議があれば即座に停止する義務、その間の支出報告義務も課せられた。」
  「戦争権限法によれば、議会による宣戦布告か立法措置による承認が得られた場合、あるいは外国の攻撃による緊急事態を除き、大統領は軍事行動発動後四八時間以内に議会に報告しなければならない。六〇日、最大でも九〇日以内には撤退しなければならない。それ以前でも、議会が共同決議を行えば即座に撤収しなければならない。可能な限り議会と事前協議を行わなければならない。」
  「一九七四年に成立した予算統制法。それまで大統領は、割り当てられた予算を意図的に支出しないことで議会に抵抗できた。しかし予算執行の差し止めには議会への報告義務が生じ、また四五日以内に議会が同意しない限り差し止めそのものができなくなってしまった。それは「歴史的立法」だとまで評価されている。」
  という法律はあることはあるのですが、実質的には

「武器輸出でも、外国勢力への援助でも、軍事力の発動でも、議会はたいてい後から大統領にお墨付きを与える役回りを演じ続けたのである。」

原因のひとつは、「ロバート・ニッカート下院議員のいう「わが国の制度上の根本的欠陥」。議会は情報の収集・分析力という面で行政府に一歩譲らざるをえない。危機が重大であればあるほど時間的な余裕はないし、アメリカ人の生命や財産の保護を持ち出されれば、議会も大統領の行動に異を唱えにくい。「カードの大部分を握っているのは議会ではなく大統領」なのだと、ジョン・ケネディ大統領の側近だったセオドア・ソレンセンは述べている。」

もうひとつは、大統領選についての国民の意識。「直接選挙がよいとする者は62%にのぼるが、89%は現在の政治制度が世界で最もすぐれていると、75%はアメリカが世界から好感を持って見られていると信じている。米国民は、あえて現実を見ることを避けているのかもしれない。」
  大統領選のインチキについては、ベンジャミンさんが『9・11捏造』の第4章「選挙泥棒2000、2004――2つの大統領職を盗んだブッシュ」に詳しく書かれていた。(ごめん、伝言版には記載していない)日本よりひどいね。人種差別もからんで、地域によって、配布ミスや故障で長時間待たされたり、プログラム上の改変があるのか打ち込んだ名前と違ったり・・・こんなあからさまな違反ってあり?って感じだった。

この本では、今のアフガンやイラクの泥沼化は、ベトナム症候群の影響としているのだけれど、そういうくくり方でいいのかなぁ。インディアン虐殺からの歴史上、「自分たちこそ正しい!! (自分たちにとって都合の悪い)悪は征伐するんだ!!」という発想法がアメリカ人に根付いちゃっているんじゃないかと思うんだけど・・・相手を思いやるっていうのがないんだなぁ。想像力の欠如?ベトナムでの反省が足りないことは確か。

「ベトナムでの思いもかけない敗戦はアメリカに、それまでとは違う目でみずからを見つめ、多様な価値観を受け入れ、異文化への蔑視と排斥の歴史を真撃に反省する機会を与えた。」「ジミー・カーター大統領は、ベトナム戦争からアメリカは「わが国自身が危険にさらされているのでない限り、諸外国の内政問題に軍事的に介入することはできないし、またそうすべきでもないということを学んだ」と述べている。」妊娠中絶を認める動き、消費者保護、同性愛者の容認、資源・環境問題の解決、マイノリティへの配慮などなど、反省に基づいた動きはその時には確かにあった。

「ライターの名をとって、「ジッポー・ジョブ」と呼ばれた、ベトナム人の小屋への放火、狩猟まがいのヘリコプターからの機銃掃射。枯葉剤のおぞましい影響。度重なる僧侶の焼身自殺。ナパーム弾で大火傷を負い、泣き叫ぶ裸の少女。逃げまどい必死で川を渡るベトナム人一家。米国内の反戦デモで射殺された学生の遺体。サイゴンの路上、白昼のゲリラ処刑・・・。
 きわめつきは1968年3月16日、ソンミ村ミライ地区で米軍が500人を超える住民を虐殺した事件である。米兵は、ベトナム人の生活習慣も価値観もわからないまま、彼らを虫けら同然に扱うのが普通だった。
 多くの米国民がアジア系市民を侮蔑し、差別していることを考えれば、ソンミ事件は鏡に移されたアメリカ自身の姿だった。米国民の間に、反省ではなく感情的な愛国至上主義が生まれ、虐殺の指揮官として責任を問われたウィリアム・カリー中尉を救う運動が沸き起こったのもそのためである。」

大統領が変われば、政策も変わる。「ブッシュ政権は発足直後、妊娠中絶・銃砲規制・死刑廃止などへの反対を打ち出した。」そして、戦争好き。時がたったから、反動が起きた。ということなのかな。日本と同じだね、「英霊」の死が無駄死にだったと思いたくない。日本軍はいいこともしたんだ。あらあら・・・でも日本には第9条がある。それと、小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』(これも抜けてる)でも、パラオには日本統治時代の建物が残っているけれど、アメリカのはない、と書かれていたけれど、やはり・・・

「飢餓や難民発生の原因をなくすには、場合によっては政府を一から作り直さなければならない。民主的な外観を持つ制度さえつくればよいというわけではなく、社会の仕組み全体を変える必要がある。反対勢力を無力化し、治安を維持するのも容易ではない。即座に国内の民族紛争、人口爆発、貧困、国内の資源不足、隣国との紛争などが解決されるわけでもない。
 世界保健機関(WHO)によれば、アメリカの国内総生産に占める入道援助の割合は、先進国中で最低レベルである。たとえば対ロシア援助を見ると、民主化支援に直接関連するものは全体の二%あまりにすぎない。どうやら米国民は、人道や民主主義の促進をめざす、地味で長期にわたる努力はお気に召さないようである。
 さらに問題は、限定的な軍事介入や経済的な支援だけで、人道や民主化といった壮大な目的を達成できないということを、米国民が十分理解していないところにある。」

どうもね、反省するところを間違えているようで・・・
  一応、 ワインバーガー国防長官のドクトリン(1984年 アメリカの死活的利益が存在すること、はっきりと勝利の見通しがあること、政治的・軍事的目標が明確なこと、継続的に再検討と修正を行うこと、世論と議会の支持があること、軍事介入は最後の手段とすること)があるのだけれど、「軍事介入は最後の手段とすること」も忘れ、とにかく勝ちたい!! 泥沼は避けたいから、短期決戦、米軍兵士の犠牲が多いと米国民がうるさいから、地上戦を避け、結局空爆になる。ハイテク兵器で、一気に片がつくはずなのに、これが誤爆が、アフガンでもイラクでも少なからずある。なんたって、「兵器の賢さはそれを使う人間の賢さに比例する」のだから・・・

それに、結果を急ぐからか、後で困るようなものまで標的にしているんだなぁ。「湾岸戦争ではイラクは、電力施設の9割、製油施設の8割を失った。石油の精製・貯蔵。輸送施設、橋梁、道路、鉄道、放送局、工場、給水施設など、ありとあらゆるものが空爆の洗礼を受けた。たった10日で石油輸出能力は3分の1に、飲料水供給量は4分の1に落ち込んだ。生産や流通のいたることころで打撃を受けた農業も不振に陥った。」これなら、確かに勝てるでしょう。でも、一般市民の生活が、戦後成り立たなくなるではありませんか? だから恨みを買って泥沼化してしまう。何のために戦うのかというのがすっかり忘れ去られている。相手国の民主化にはまったく結びつかない戦い方である。

元々、アメリカ自身の民主主義が怪しいから、「死活的利益」が、アメリカ国民のためというより、ブッシュのためだったり、ベトナム戦争のきっかけ、「トンキン湾事件」も“やらせ”、9.11も“やらせ”、真珠湾攻撃も、“盗聴しながらお茶会”(情報公開で公式記録にあるのが誰でも見れるって))だからねぇ。国際貢献たって、
  「アメリカは1985年以来国連分担金の滞納を続けている。一国一票制度のもと、アメリカの発言力がその貢献度に比べて異常に低いことへの不満から、分担金の5分の一を差し引くようになったのである。湾岸戦争勃発までにその累積額は5億ドルを超えた。アメリカはこの時、突然5000万ドルを支払っている。多国籍軍による武力行使に国連加盟国の支持を得るためである。
  国連重視を掲げ、その利益だけは手にしようと懸命でいながら、同時にそれにともなう財政負担は御免こうむる。」という態度では・・・あ〜あ、この態度のどこが国際貢献なんでしょうかねぇ。

「ベトナムで戦ったことじたいが道義的に正しくなかったとする人々も多い。冷戦の論理やドミノ理論。共産主義と民族主義の混同。ベトナムの文化や歴史、風土や社会への無理解。アメリカ的価値観の押しつけ。これらが反省の材料となる。何よりもアメリカは、世界最強国家といえどもその力には限りがあるのだという事実を学んだはずだった。
  これこそ、アメリカが二〇世紀で味わった最大の悲劇が、二一世紀のアメリカに残した遺言というべきだろう。アメリカは、ベトナムで得た貴重な経験に思いをいたし、新世紀の世界と関わるうえでの自己認識をつくりあげなければならない。唯一の超大国となったからといって、けっしてベトナムを風化させてはならない。」 アメリカ国民の真摯な反省に期待したいよ。アフガン・イラクからもきっちり学んでくれぇ!!

ヨソの国にお節介を焼くよりも、自国の政府のやりたい放題に、怒りを持てばいいのに・・・これは日本も同じ。なんていうのかなぁ、現実を直視し、何か行動を起こすことがわずらわしいから、自分で自分を騙しちゃっているっていうのがあるんじゃないかなぁ。思考停止状態の人が多いって言うのかなぁ。いまは地球にとって、とっても大事な時期。みんなで感じて、考えて、動こうよ。「動けば変わる」って、川田龍平さんが言ってるよ。





No.37

後期高齢者医療制度について

 金太+りっちゃんの補足
07/10/24

はじめに
  この制度は昨年6月21日に国会で自民党・公明党の多数で議決された『健康保険等の一部改正する法律』の3つの内の1つです。
  この法案は2月に提出されて、論議を尽くさず、短時間で成立しました。国民にあまり知られたくなかったからです。案の定、(10/25)徴収を半年凍結で与党が合意、だそうな、もう一度、国会の場で検討しなおした方がいいんじゃなぁい?
  その基本は、「骨太方針2005」に基づく内容で、実効性ある社会保障給付費の削減策の一環をなすものです。そのルーツは80年代の臨調行革(第二臨調)にあります。

考えてみましょう
  社会保障とはなんでしょうか。

  今年の7月10日の日記に『おにぎりが食べたい』と書き残して、死後1ケ月で発見された北九州市小倉北区の元タクシー運転手のことが報道されました。
  この人は肝臓病を患い、働けなくなり昨年末から生活保護を受給してきました。ところが、小倉北区役所から『そろそろ働け』と言われて辞退届けを書かされて生活保護が打ち切られました。当時の日記には『働けないのに働けと言われた』と書き残していました。
  一昨年1月には同じく北九州市八幡東区で、介護保険で要介護認定を受けていた68才のの高齢者が生活保護を認められずに孤独死しました。
  昨年の5月には門司区で身体障害者(56歳)がミイラ化して発見されました。この方も生活保護の申請に2回市役所を訪ねたが、申請書すら貰えず追い返されていました。
  北九州だけではありません。北海道函館市でも、元ホテルマン49才が餓死しました。
  秋田市でも、生活保護の申請が拒否されたので市役所の庭で自殺した。
  香川県小豆島で82才の女性が生活保護却下後、餓死されました。
  今年の3月には、石川県輪島市で餓死した人がいます。
  厚生労働省が公表している白書には、05年度の餓死者は82人と書かれています。
  家族介護の悲劇な問題も後を絶ちません。
  老々介護の疲れから、嘱託殺人を犯したり、心中を謀ったり後を絶ちません。
  福島県郡山市で障害があり常時介護を必要としている30才になる長女を2ケ月放置し死なせてしまった56才の父親が逮捕されました。新聞報道の数行の記事では詳しい情報は得られませんでしたが、30年育てた親の気持ちを考えると本当に悲しくなります。

社会保障とは、
  憲法第25条(国民の生存権、国の社会保障的義務)
  すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
  日本の社会保障制度は、「公衆衛生(保健・医療・環境)」「社会福祉(児童・母子・高齢者・障害者)」「所得保障(年金制度・生活保護)」「労災・雇用」「住宅」などを指します。
 ※ 自民・公明政府と財界は、少子高齢化の不安を煽り、「自立、自助」を進めなければ大変なことになるぞ、だから、「給付の削減と国民負担増」が必要だというのです。本当にそう?せめて公平で納得できるものならば・・・だけど・・・弱いもの、取れるところからブンダクロウってことのような気がするんだけど・・・政府は憲法25条、ちゃんと読んでる?守ってる?守りたくないから改憲って言ってるのかなぁ?

後期高齢者医療制度はどんな仕組みになっているのでしょうか
  対象者は75才以上の1300万人を後期高齢者として分けて、
  厚生労働省の試算では、患者負担1.1兆円+給付費10.3兆円=11.4兆円
  給付費の内訳は、
  公費が5割(国が4割・都道府県が1害い市町村が1割)
  高齢者の保険料が1割
  後期高齢者支援金(若年者の保険料)4割・‥‥・給与明細にそのことを知らせること‥

広域連合議会(都道府県単位)で保険料を決めます。介護保険料の味を〆て!
  これまでの広域連合は防災やゴミ処理など自治体を超えて連携するための組織であって「特別地方公共団体」と呼ばれ、発足も脱退も自由でした。が、後期高齢者医療制度の母体として全自治体に参加を義務付け。参加する自治体から選出される議員により運営されるため、地域住民の声は直接には反映されず、国の政策がそのまま実施される危険が孕んでいます。

8月31日に東京都広域連合議会後の議員懇談会(非公開)で保険料の試算が示されました。
  最も高い例(調整交付金30%)では、平均年額15万5千円
  最も低い例(調整交付金100%)では、年額9万6千円です。
  厚生労働省の全国平均、7万4千4百円。特定検診はやらないこと、葬祭料の給付はしないこととなっています。46都道府県はこれらの事業は実施することを前提としていますので、当然数値は高くなります。

問題点1
  △ 保険料はすべての75才以上の高齢者から徴収する
  これまで挟養家族として保険料を納めていなかった高齢者200万人(推計)は、75才になると広域連合へ、65才〜74才の人は国保に移り、保険料が徴収されます。
  雇用主の側は扶養家族が減って負担が少なくなります。
  △ 保険料はすべて年金から差し引かれます。月1万5千円以下の年金の人は、窓口納付になりますが、「分納・納付猶予」ができません。未収になると「資格証明書」が発行されます。
  △ 65才〜74才までの国保税もしっかり年金から差し引かれます。
  △ 保険料は2年ごと見直し、その度に金額が引上げられる可能性があります。
  △ 区市町村独自の保険料減免ができなくなります。それは、保険料や減免規定が広域連合の条例で全都一律になるためです。

経済的問題だけではありません。医療そのものも変質します。

医療給付の制限と診療報酬の引き下げ

@後期高齢者だけに適用する別立て診療報酬になる
  △在宅で看取るまで主治医による一貫した対応。それに見合う診療報酬体系にする。
  ※ かかりつけの主治医さん、いらっしゃいますか?いても高齢者だったりして・・・往診できるのかなぁ。見取るまでしていただけるのかしら?
  △医療提供形態と診療報酬を一体として、抜本的に改編、外来・入院などで、主な疾患や治療方法ごとの包括定額制とする。
  ・「在宅(及び居住系施設)を重視した医療」「安らかに終末期を迎えるための医療」「複数疾患を抱える後期高齢者を総合的に見る医師」(07.2.5厚労省「後期高齢者医療在り方に関する特別部会」)
  ・「在宅療養支援診療所の強化を行ないつつ、より本格的な在宅医療、時間外診療の診療報酬を構築する」(06.11.23辻哲生厚生労働省事務次官)
  ・国民健康保険中央会…・登録人頭定額払い制を軸とした「かかりつけ医」診療報酬を提言(06.12)
  ※ 在宅の言葉が増えていますが、どこの家庭も経済的にきつく共稼ぎが当たり前の時代。誰が病人の世話をするのでしょう?介護保険だけではカバーできないのは皆さん経験済みではないですか?
  △厚労省「後期高齢者医療の基本的考え方」を公表(07.4.11)
  ・「医療関係者の連携調整の役割を担う医師」=「後期高齢者を総合的に見る医師」を提起(在宅・通院とも)
  ・「複数医療機関の頻回受診と検査、投薬の多数・重複」是正を強調
  ・夏から秋頃には診療報酬体系の骨格まとめ、2008年1〜2月に診療報酬点数を中医協に諮問・答申
  ※ 包括定額制って、かっこよい言葉ですが、つまり、切り下げ?医師不足の上に、頭打ちの収入だったら、引き受けてくれる医師がますます減るって事?

A都道府県単位の「診療報酬の特例」の導入
  △都道府県は、国に対して、(医療費適正化計画の)目標の達成のために必要があると認める時は、「診療報酬に関する意見を提出することができる」となっていますが、決定権は厚生労働大臣にあります。
  ※ 直接投票で選ばれる市町村単位では、意見も言えないってこと。

※以上みてきたように、後期高齢者医療制度は、過酷な負担と医療給付の格差など被保険者の声が無視される制度です。
  ※死ぬまで保険料が取られ、「心身の特性に見合った給付」といって勝手に後期高齢者だからと、格差医療を押しつけられる。
  ※保険料が滞ると保険証を取上げられる。
  ※政府管掌健康保険も「全国健康保険協会」を設立し、都道府県単位に「支部」がつくられ、「支部」の医療給付費を反映した都道府県保険料を設定する。(2008年10月制度開始)
  ※市町村国民健康保険は、都道府県単位で「保険財政共同安定化事業」を創設し、「給付面の広域化」を図り、将来は都道府県単位の財政運営に(06.10)
  ※「共同事業と医療費適正化計画の2つを推進し、将来は都道府県単位の財政運営に」(2006年7月10日:厚生労働省・唐沢国民健康保険課長)
  ※医療費適正化とは、都道府県を競わせて「いかに患者に保険医療使わせなく」することです。

金太さんが一杯資料もつけてくれたけど、長くなるので、私の一言で勘弁してくれ。
  欲しい人は、メールください。

資料1 社会保障における負担増・給付抑圧、庶民への大増税、大企業・大資産家への減税を表にしたもの
  ※ 税金を適正に徴収すればいいのではないかしら?法人税、累進課税などを活用すれば・・・
  資料2 財界、日経連 労問研報告より
  ※ 日経連のお言葉はなるほど一見いい言葉が並んでいます。「魅力ある日本へ」。「ダイナミックで徳のある国をめざして」。問題は誰にとってか、ということです。短期的には企業にとって都合がいいかもしれませんが、国民の心が荒んだら、勤勉、責任感など日本人の資質が損なわれます。仕事をする上にも反映されるでしょう。結局、企業にとってもマイナスなのでは?
  資料3 厚生白書、表題と動向
  ※ 確かに65才以上の高齢者が1980年で9.1%、2005年で19.6%増えています。けれど、皆さん収入に見合う税金を払ってきています。そのおカネはどこへ消えたの?高齢者が増えるのはわかっていたでしょうに・・・今まで何をしていたの?
  資料4 19年度国保税(23区・西多摩4市)と後期高齢者医療制度保険料(試算)の収入別比較一覧。
  ※ 例外なく負担増です。都は年間収入300万前後にアップ率が高く、西多摩は、高収入ほど高くなっています。西多摩は良心的だね。





No.36

お節介なアメリカ

 りっちゃん
07/10/24

著者はノーム・チョムスキー。情報も内容も一杯。ここで紹介できるのはホンの一部。安いので、ぜひ買って読んで欲しい。
  彼の皮肉たっぷりの文章がこれまた楽しいのだ。まずは、チョムスキーの私案を見てください。

「アメリカが、イランにイラクを侵攻させるよう促すことである。わが国はそのために必要な兵器や兵站の支援(ミサイル、爆弾、基地など)を安全な距離をおいて提供すればよい。つまりアメリカの代理として、「悪の枢軸」の一国に、もう一国と戦わせるのである。」その利点とは、

「第一に、フセイン体制は崩壊する。フセインは、その側近もろとも木っ端微塵になり、大量破壊兵器も、生産施設とともに破壊されるだろう。
  第二に、アメリカ人の犠牲者はほとんど出ない。当然、多くのイラク人やイラン人が死亡するだろうが、これは、アメリカにとってたいした問題ではない。ブッシュの取り巻きはフセインが一九八〇年にイランを攻撃したのち、強力にイラクを支援した。彼らはその当時、あるいは湾岸戦争後の制裁体制によってもたらされた莫大な人的被害を、まったく意に介していなかった。
  フセインは化学兵器を使用する可能性が高い。しかし、それも問題ではないだろう。現在の政権首脳陣は、レーガン政権期に「バグダッドの野獣」フセインが、イランに対して、化学兵器を使用したとき、強力に彼を支援していたのだ。そしてフセインが、お決まりの表現にならって自ら「自国民」と呼んだクルド人に対して(それは、アンドリュー・ジャクソン大統領にとってチェロキー・インディアンが「自国民」であったのと同じ意味であるが)、毒ガスを使用した時期も、である。
  現政権の首脳陣は、「野獣」フセインが最悪の残虐行為を行ったあとも支持を続け、クウェ−ト侵攻のまさにその日にいたるまで、核兵器、生物兵器を含む大量破壊兵器の開発技術を提供しさえしたのである。
  第三に、国連も問題にはならないだろう。国連はアメリカの指示に従っているときに限り必要で、そうでなければ不要な存在であるということを、〔あらためて〕世界に説明するまでもない。
  第四に、イランには、戦争を起こすためにも、「フセイン後」のイラクを治めるためにも、米国政府よりずっとふさわしい条件が整っている。イランは虐殺者フセイン本人も、そして彼の大量破壊兵器計画も、支援したことがないのだから。
  イランの首脳陣は信頼できない、と真っ当な反論をする向きもあるだろう。しかし、さらに信頼できないのは、残虐行為を行った以降もフセインを支援し続けた人間たちのほうなのではないか。
  さらにいえば、この案に従うことで、われわれが指導者たちに対して示しているこの盲信ぶりが、われわれ自身が当然のように嘲笑の種にしてきた、全体主義国家のそれとまるで同じではないかと恥じ入る必要もなくなる。
  第五に、イランがイラクを解放すれば、アメリカ人が侵略をした場合よりも、はるかに人々に大歓迎されるだろう。イラク人はバスラやカバラの大通りで歓声をあげるだろうし、われわれはイラン人の記者らとともに、解放者の高潔と正義に喝采を贈ることができるだろう。
  第六に、イランは、イラクに「民主主義」を導入していくことができるだろう。その人口の大多数がシーア派であることを見ても、イランがイラクを統治するなら、アメリカ統治の場合と比較して、後継政権にシーア派を参加させることに関して問題が少ないはずだ。
  イランがイラクを統治しても、アメリカはイラクの石油を問題なく利用できる。現在すでに、米国政府の許可があれば、米国企業がイランのエネルギー資源を活用することは可能であるはずなのだから。
  たしかにイランにイラクを解放させるというこの私案は、非常識なものであるが、利点がひとつだけある。それは、現在進行中の計画よりもずっと筋が通っている、ということだ―現政権の宣言する目的が少しでも実現に近づくのなら、まだこの提案のほうがマシではないか。」

戦争解禁にも書いてあったし、リバーベンドさんも書いていたけれど、今のイラクでは、イラン系の派閥が一番影響力が強いみたいです。まだまだ、混乱は続くでしょうけれど・・・最終的には私案どおりになるかもしれません。

「イラク戦争はテロの脅威を増大させ、報復または抑止を目的とする大量破壊兵器の開発および使用の可能性を高めるだけであるというのがほぼ全世界的に一致した見解」で、世界中からより嫌われたアメリカ。国連でも孤立しています。拒否権を使っている数の一番多いのがアメリカ、次にイギリスだそうです。「14年連続で、国連総会は、アメリカの対キューバ禁輸措置を否決した。この決議において、一八二票もの反対に対して賛成は、アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島とパラオが投じた計四票だけだった。ミクロネシアは棄権した。この状況は、実質的には、反対一八二票に対して賛成はただ一票ということだ。」アパルトヘイトよりひどいと言われる「壁」で分断されているパレスチナ問題でも、解決への道、平和外交の「邪魔」をしているのです。京都議定書でも、核の不拡散についても同様。つまり、「国際法を無視することは、ブッシュ陣営の誇りである。ブッシュが国務長官に指名したコンドリーザ・ライスは、すでに自身の見解の概略を『フォーリン・アフェアーズ』(二〇〇〇年百号)で説明していた。同誌で彼女が非難の的にしていたのは、まさに人々の「国際法や国際規範の概念に反射的にとびつこうとするやり方、そして権力を正当に行使するためには諸国の支持(あるいは、可能ならば国連などの国際機問の支持)が不可欠であるという考え方」であった。」ということなのです。

イラクには大量破壊兵器はなかったけれど、手段(致死性の生物毒素やミサイルおよび核兵器に転用可能な精密機器などを含む)はあり、国連監視下にあったけれど、イラク戦争中に、すべてが略奪されたそうです。行方不明。何のための戦争でしたっけ? 
  「カーター元大統領は、次のようにアメリカを非難した。
  〔アメリカこそが〕こうしたNPT(核拡散防止条約)弱体化の主要因になっている。自分たちが、世界をイラク、リビア、イラン、北朝鮮に於ける核拡散の脅威から守っているのだと主張しているにもかかわらず、その指導者層は、現行の条約に定められた制約を無視してきたばかりか、(対弾道ミサイル、地中を貫通する「バンカーパスタ1、そしておそらく新型「小型」爆弾などを含む)新型兵器を実験・開発する計画を推し進めている。また、過去の誓約をも放棄し、いまや核兵器を先制使用すると表明して非核保有国に対し威嚇を行う始末だ。」
  これでは、北朝鮮が核実験をしたいと思うのも当然なのかな。
 イラクと違って軍事的脅威を有している北朝鮮(イラン同様、「アメリカが「正当な標的」に求める必要条件その1〔無防備であること〕を満たしていない。」つまり、イラクは無防備だから標的になったということ)に対して「二〇〇七年二月には、「北朝鮮政権に対する圧力が増大し、また、追い詰められた米国政権が、『悪の枢軸』の一国である同国にうまく対処しようと模索する動きがあったため、ここしばらくは絶望的と思われていた交渉プロセスが再開する運びになった。もっと正確にいえば、「追い詰められた米国政権」は、いまや必死の思いで、何らかの成功の糸口にすがろうとして、交渉の体制に戻ることに同意したのである。」「外交というものは誠実に行われた場合には、機能しうるということだ。」と、書いてありました。今だけでないといいけれど・・・

明るい話題をひとつ、私はこれを読んですっかりチャベスファンになりました。
  「「ベネズエラは、こうして今日もマサチューセッツの家庭の暖炉の火を守っている」というコピーの全面広告が、最近アメリカの主要新開各紙に掲載された。この広告はベネズエラの国営石油会社PDVSAとヒューストンにあるその子会社CITGOが出したものである。この広告が説明しているのは、ベネズエラの大統領ウゴ・チヤベスが奨励するプログラムで、ボストン、サウスブロンクス、その他の所得水準の低い地域に向けて、同国が暖房用の灯油を格安で提供するというものだ。この試みは、これまでの南北アメリカの対話のなかでも、最も皮肉な振る舞いのひとつである。」
  「べネゼエラからアルゼンチンにいたるまで、南半球諸国は、ほぼ全面的に中道左派政権に占められていることもあり、まったくアメリカの手に負えない状態になりつつある。中央アメリカ諸国においてさえ、いまなおレーガン大統領時代の「対テロ戦争」による後遺症があるため、反米的運動がおさまる気配はまだ乏しい。」アメリカに散々な目にあわせれてきた国々だもの、当然といえば当然。そして、「キューバとベネズエラが、より密接な関係を構築しつつある。キューバ-ベネズエラ共同プロジェクトは、カリブ海沿岸諸国にもかなりの影響を与えている。そこでは、ミラクル作戦と呼ばれるプログラムのもと、ベネズエラの出資により、キューバの医者が、以前はその恩恵を受けられる見込みのなかったような人々に、〔低価格で〕医療を提供している。
  チャベスは、何度となく、監視下での選挙や国民投票に勝利してきた。容赦のない、苛烈なメディア攻撃にもかかわらず、である。選挙によって誕生したチャベス政権の支持率は、彼の任期中、うなぎのぼりである。」
  いま、べネズエラは南アメリカの中心的な貿易圏である、メルコスル(MERCOSUR)に加盟しつつある。メルコスルは、すでに、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイが加盟しており、アメリカの支援を受けた、いわゆる米州自由貿易地域(FTAA)に代わるものを提示している。」
 「同地域で争点となっているのは、(世界の他の地域の場合と同様に)既存のものに代わる社会や経済のモデルをどうつくりあげるかである。途方もなく大規模な、かつてない大衆運動が展開しており、国境を越えた統合が、経済的課題に関してのみならず、人権、環境問題、文化の独立、そして個人レベルの交流といった領域にわたって進んでいる。こうした運動は、こっけいなことに、「反グローバリゼーション」と呼ばれている。それは、彼らの支持するグローバリゼーションは人々の利益に資するものであり、投資家や金融機関のためのものではないからである。」
 「二〇〇五年のパキスタン地震では、「キューバはパキスタンに最大の医師団と救急隊を派遣している」。しかも――おそらくべネズエラの出資もあろうが――その費用はすべて自国負担である、とジョン・チェリアンはインドの『フロントライン』に、(パキスタンの主要日刊紙『ドーン』を引用して)述べている。パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領は、キューバの医療チ−ムの「心意気と温情に」に対する、「深い感謝を」フィデル・カストロに述べた。報告されているところでは、この医療チームは、一〇〇〇人以上の熟練した人員で構成され、その四四パーセントは女性であった。彼らは、西側の救助チームが撤退したあとも、人里離れた山村に残って「凍てつくような気候と、自分たちとは異質な文化のもと、テント生活しながら」働き続けていたという。」
  ね、とってもいい話でしょう?そういう協力関係っていいな。なんだか頼もしいよ。日本もこの輪の中には入れるいいのにね。

今、全体主義に陥っているアメリカに、チョムスキーは、例外主義であると言っています。例外主義の見本の一番に、玉音放送が載っていました。「私が米英に宣戦布告したのは、日本国の自衛と、東亜の安定とを実現するという誠実な希望からなのであり、そこには決して、他国の主権を侵害し、領土を拡大しようなどという意図があったわけではない」。ナチでは「ドイツはいまこそ、国境を越えて、「世界が暗黒化する危機」を防がなければならない。ナチス政権下で復活した、その「新たなる精神的力」で、ドイツはついに「自らの歴史的使命を担う」ことができるのだ――アメリカ、ロシアを中心とした「冷酷な集団」がもたらす「滅亡」から世界を救うという使命を」。「最も高いレベルの知性や道徳的高潔さを備えた人物でも、こうした病理に陥るものなのである。インドや中国におけるイギリスの犯罪行為が最悪の状態に達していたとき、ジョン・スチュアート・ミルは、その情勢をよく知っていながら、人道的介入に関する古典的な論考を書き、そのなかでこう訴えている。イギリスは、介入行動を積極的にとるべきである。たと、自国が「世界でもたぐいまれな存在」――世界に平和と正義をもたらすために、自ら犠牲を払うことをいとわず、ひとえに「他国に奉仕」している国家――であることを理解しない後進的なヨーロッパ諸国から「誹謗中傷を浴びる」ことになるであろうとも、だ」。
  自国だけが正義であるという例外主義なイメージは、ほぼ世界共通に見られるようだ。アメリカの場合、一貫して見られるテーマのひとつは、苦難にあえぐ世界に民主主義と独立をもたらすために貢献する、というものである」。

言葉ではそうだけど、実際には自分にとって都合のいい『予防』戦争は起こすし、独立しようとする国、本物の民主主義を起こそうとする国に敵対しています。暗殺者やテロリストもかくまっているって。だから、本物の民主主義が必要な国はまずアメリカというわけ。チョムスキーの著作がなかなか掲載されないというのもその証拠のひとつだね。
  『戦争解禁』と基本的に同じ内容ながら、アメリカ人のチョムスキーは、アメリカに対して非常に厳しい。でも、アメリカ国民は別であるとも断言している。
 「 国民は、軍事費を大幅に削減し、教育、医療研究、職業訓練、環境保全、再生可能エネルギー、その他の社会プログラム、そして、国連およびその他の経済的・人道的援助関連の予算を大幅に増やすよう求めている。また、ブッシュ政権の富裕層に対する減税措置を撤廃するよう訴えている。概して、国民の意向は、事実上、政府の予算決定と正反対なのである」。そして、「急激に拡大するアメリカの貿易・財政赤字について、国際社会は当然ながら、大いに懸念している。この懸念に緊密に関連しているのが、アメリカ国内のみならず、西側諸国全体で、ますます顕著になっている民主主義の欠如だ」。と指摘しています。

では、日本はどうなんでしょう。「三つの主要勢力のなかで〔アメリカ〕一国だけが、経済において、そして他のほとんどの分野においても中心的存在だが、その軍事的優位性については、歴史上のどの大国にも勝るものであり、しかも急速に拡大する一方だ。また、この国は常にヨーロッパ、および二番目に大きな産業経済大国である日本からの援助をあてにすることができる」。あらあら、ですわね。そうして、その分、国民の生活保障がおざなりになっていく。アメリカ国民同様、自分たちの生活を守るために声を上げることが、その援助を減らして、世界の平和にもつながっていくのです。

チョムスキーの皮肉たっぷりの文章は楽しいが、内容は大真面目。この本の「はじめに」にはこう書かれている。
  この国の深刻な不平等と、戦争状態の悪夢のなかにあっても、まだ普通の人々には変化を起こす力があることを、チョムスキーはわれわれに思い出させてくれる。彼は、「ごく最近の流れも含めて、歴史から得られる最も明らかな教訓のひとつは、権利は与えられるものではなく、勝ち取るものである、ということだ」と記している。この「オープン・メディア・シリーズ」のめざすところ、そしてチョムスキーの仕事の目的は、読者がよりよいかたちの社会的公正、人権、そして民主主義をつくりだすために、自分たちの権利を行使できるよう働きかけるとともに、メディア・システムが彼らを支えるかたちで確立されるよう強く求めることである。





No.35

戦争解禁

 りっちゃん
07/10/15

著者は国際政治学者の藤原帰一さん。

国際政治とは「国際協調とか国際社会の理想とか、きれいごとが並ぶ時もありますけれど、実は非常に地味な世界ですよね。平和だからって暮らしが良くなるわけでも人生に希望が見えるわけでもない。ただ「戦争がなくて、ああよかった」っていう世界なんですよ。場合によっては談合でもいいから、とにかく切った張ったを避けるという、地味な仕事なんです」だそうです。

「「私はすべての戦争に反対するという立場はとらない、戦争が避けることのできない状況は現実に存在すると考える。だからといって、すべての戦争に賛成する必要はないし、不必要な戦争は避けなければいけない。」「要らない戦争を戦うことがどんな結果をもたらすのか、ようやく目を向ける人も増えてきた。理念ではなく現実として平和を考える人が、この本によって少しでも増えたなら、と心から願っている。」

副題は、アメリカはなぜ、いらない戦争をしてしまったのか。9.11事件〜2007年3月までの『SIGHT』での連載インタヴューをまとめたものです。それをまた大まかにまとめてみます。

9・11事件は、
 戦争ではなく犯罪です。刑事警察の対象になるもので、テロ対策には守備防衛が重要。それなのに、戦争をおこしてしまった。

その結果、
  一つ目に空爆。爆撃を受ける側からすれば、一般市民が死んでもかまわないというやり方。イスラム系の社会全体で、アメリカが一般市民を殺した事件として記憶され、新たな憎悪とテロの温床を作ることになる。ふたつ目は特殊部隊を派遣しても地理に暗いよそ者が、山の中に隠れたテロリストの幹部を捕まえるのは難しい。3番目は地上軍を投入しても、対ゲリラ戦では、米軍側に多大な犠牲が生まれます。4番目は、軍事抑止が無意味だということです。冷戦時、抑止によって世界戦争が避けられたと考えられてきました。国というものは勝ち目のない戦争はしない理性があると想定されていました。でも、テロに対してはこういう抑止は効かないのです。自分の命を投げ出しても相手を殺そうとする人たちですから、脅しに効き目はない。戦争によってテロに対抗してしまうと、永久戦争を始めることになってしまうんです。

世界には、
  冷戦終結後、ほったらかしにされた国々があります。アフガニスタンだと、米ソの代理戦争が続いて、高度の武器が流れ込み、ソ連が撤退したらアメリカもほかの国も関心を失ってしまった。国連が平和維持活動を始めたが内戦が激しくなって国連は手を引いた。その隙にタリバンが実権を握って、そこにアルカイダの拠点もできた。国家が崩壊するということは、そこの住人だけの問題ではなくて、国際テロリズムの拠点だってできてしまうのです。そんな国が中東、アジア、カリブ海地域、アフリカにも沢山残っています。

解決方法は、
  ベトナムは、ソ連の後ろ盾を失い、カンボジアでは中国との代理戦争が続いていた。クメール・ルージュはタリバンに比べてもはるかに粗暴な存在。そこへ日本とオーストラリアがASEAN(東南アジア諸国連合)と協力して、カンボジアに何とか和平の仕組みを作りました。自衛隊は停戦監視団を送りましたし、日本の警察もいきました(92年)。それでベトナムも東南アジア各国との関係を優先して、結局ASEANNに加盟します。こういう枠組みをつくることはできるんです。こういう地道な作業が大事。日本なら、アフガニスタンでもNPOの活動などで信用がありますし・・・

正しいイラクの戦後復興策は、
  国連による暫定的領域管理。そのためには、安保理で議決を取って、イラクに長期的に関与し続けることを各国が約束する土台を作った上で進めるほかはない。それでフセインの政府とも違うし、また圧制でもないってことを明確に示して、しかし治安についてはがっちり取り組まなくちゃいけない。安定した暮らし、治安の回復と物資の供給を保証して、その土地の人から信頼されることが第一です。占領で一番大事なことは、占領統治がその土地の住民から信頼されることなんですよ。悪いやつを断つことじゃない。そこの前提が、今、まったく間違っている。これをつくるのは確かに時間がかかるし、本当を言うと、ここまで荒れちゃったところをすぐ修復できるとは僕は思わないです。紛争の峠を越えるまで待つっていう残酷な選択もあるかも知れない。今の国連だけではこの状況に関与する力はないですから。だから日本が何かするとすれば兵隊を送るよりも先に、イラクの復興を可能とする統治の仕組みづくりに関与すること、つまりイラクにおける暫定的領域管理のために主導権を握ることです。嫌がってるドイツやフランスを連れてきて、トルコやインドもコミットできるような、国連によるイラク暫定統治の仕組みを作ることが日本の役割でしょう。これは理想論じゃなくて、実は紛争地域への関与では常に繰り返されてきた、教科書通りのことなんですよ。日本はほかのところ、たとえばカンボジアでもアンゴラでもPKOに関与して、成果も上げている。日本は紛争地域への関与では成果を挙げてきた国に入ると僕は思います。

なのに、日本政府ときたら、
  アメリカが決定したから兵隊を送るだけってなってる。それが間違いだと思います。今回のことで我々の政策の信用も落とすし、さらにはほかの国からも信用を失うんじゃないでしょうか。
  政治業界だと、北朝鮮の危機がある以上、米軍と協力しないと日本も安全を保てない。そのアメリカが金と兵隊をよこせといっている。断ったらアメリカになにをされるかわからない。やるしかないじゃん。新聞も含めて、「おれたちはプロなんだから戦闘の正当性とか何とかそんな青臭い学生みたいな議論してねえで、現実に起こっていることの対処を考えろよ、そうしないとこの国も危ないよ」って言い方をします。でも、原則がぶれてるせいでこの不幸がおきているわけで、その現実を検証しない限り、自分たちの国の平和も国民の安全も守れないじゃないかと思うんです。
 (人道支援のための自衛隊)っていう議論が最初からウソ。人道復興支援ってNGOとの協力なしにはできないんです。紛争地城に入るんだから軍事の専門家が必要なんだけど、復興協力ではNGOの方が専門家なんですよ。だから、自衛隊が人道復興支援の専門組織であるかのような議論はまるで成り立たない。結局、日本での〈現実主義〉というのは、〈アメリカがすることが現実だ〉っていう〈現実主義〉なんですね。
  ―ははははは。イエスマンじゃないですか。

アメリカって、
  ヨーロッパの植民地帝国と違って、恒常的に植民地を統治しようとしないんです。だから制度もインフラも残らない。その引いちゃった空白をどう処理するかが問題なんです。そちらの方が難しいですから。
  イラク戦争は終わっていません。フセインは独裁政権でしたが、今は真空状態。アメリカ軍がいてもいなくても混乱は続きます。撤退すればイラク戦争は終わりとなりますが、統治能力のない政権の下、イラク国内の混乱はまだまだ続きます。
  大ざっぱに言えば、今回の事件はアメリカの終わりの始まりだと思いますよ。アメリカが一番強いのは、戦争に勝てる力を保持しながら戦争はしない状態なんです。だからこんな地域介入を繰り返していったらかえって力は衰えてしまうんです。外交の信用はもちろん、経済力、軍事力ともに下がっていく。それとアメリカに頼っていれば国際関係が安定するという時代の終わり、でもあります。
  アメリカに協力する国が減ると、アメリカのできることも少なくなるし、また国際機構の出番も減ってしまう。で、アメリカは自分の信用が下がる過程で国際機構の信用も一緒に下げてくれます。アメリカには邪魔するだけの力がありますから。

国民にも、
  大統領をゴアにするか、ブッシュにするか、アメリカ国民に選択の機会があった。ゴアなら、イラク戦争はなかった。さらにブッシュを再選させた。国民にも責任がありますよ。
  国民が政府が提供するメディア工作に嬉々として乗ってったんですね。そういう意味じゃ、国民も共犯者なんですよ。ほんとうにそう思う。つまり政府が騙してる以上に、国民が自分で自分を騙したがってたんです。そのくせ今状況が変わってくると、騙されていたんだって被害者の振りをするでしょ。自分が自分を騙してたことに目を向けないんでしょうね。

怖いのは、
  核戦争が世界核戦争になるものならば抑止が働く可能性がありますが、もし意外と被害が小さい限定核戦争というのが一回でも起これば核兵器は使える兵器になっちゃうんです。
  テロリストっていうのは外に向かって強気の行動をするだけじゃなくて、おれたちが体張ってるんだから、お前らも戦えよと、いうこと聞けよって、自分たちの側に対しても徹底して抑圧を敷く、無限の忠誠を要求するんですよ。だからテロに頼ってる社会は実に不幸で、惨めなんです。
  僕たち、ヨーロッパや日本に住んでいる人が戦争の犠牲者になる可能性はごく低い。でも中東やアフリカという〈僕たちの世界の外〉では常に戦争が当たり前という時代になりかねない。自分たちに被害がおよぶテロさえなければいい。あとは誰がどんなに殺し合おうとかまわない。だから今は世界の終わりではなくて、残酷な世界の継続といった状態です。


体調が悪いと、頭の回転も鈍く、まとめになったかどうか・・・経済的に余裕のある人は本を買って読んでください。

一番怖いのは、ブッシュの言うテロリストのみならず、日本でも、アメリカでも、『おれの言うことが正しいんだ』『お上に反対するものはけしからん』的風潮があったために、要らない戦争に反対する声が圧倒的に少なかったこと。いや、話題にもならなかったというべきか。これは国内の問題でもそうだよね。やっと少し俎上にあがってきたようではあるけれど、それだって、一般の人たちの話題にはあまりなっていない。国会でだけ? 他国に“民主主義”を押し付ける前に、自分の国に“民主主義”があるのかどうかを検証した方がよさそうだよ。

振り込み詐欺で騙される人が多い昨今、美辞麗句の類や『正義』、『恐怖』、『国際貢献』の中味をよくよく確かめないとね。もっと、いろんな人と意見交換ができるといいのだけれど、今は、信頼関係があちこちで切れているから・・・なんか淋しいね。

憲法論議と、このことは別と、書かれていましたが、確かに武力による抑止力というのはあるかもしれません。それでも、日本がそれを持たなければならないということにはならないと思います。心を癒す国際政治の章で「たとえば日中友好という掛け声とか。パンダやピンポン。シンボルによって友好というフィクションをつくり上げるわけですよ。フィクションを信じる人がいて、そこに協力の可能性を見るようになれば、フィクションだって現実になる。シニカルな言い方ですけど、それも政治ですよ。第二は、共存の喜びなのかなと思います。殺される恐怖がなく生きていけるんだって思えることは、やっぱり強い開放感をもたらすと思います。殺しあわなくてもいいってのは、単純だけど強烈な魅力のある未来なんです」とありました。改憲論者は「理想主義」と批判するけれど、世界にただ一つでも、実際にはボロボロでも、やっぱり9条を翻させておかなくては・・・と思ったよ。
 それに、武力での抑止は他国に任せ、日本は武力無しで国際貢献をし、これからどんどん軍事費を減らした分、国民生活の向上に当て、ほかの国が、日本ずるいじゃん、おれたちも真似ようとなったらしめたものと思うのですが・・・なにせ、ケチ生活が身についているものですから・・・もっともいくらケチでも、他の国の国民生活向上に直接役立つのでしたら、そういう費用はケチるつもりはありませんが・・・『無駄』はよそうね。





 
No.34

『制裁論を超えて』出版記念シンポ

 
ハンクネットのみっちゃん
07/10/14

『制裁論を超えて』出版記念シンポ
NGOはいま何をするべきか――人道と制裁のはざまで――

福田内閣は、北朝鮮に対する制裁措置の継続を決めました。日朝平壌宣言の約束も履行せず、外交交渉も放棄したまま硬直状態に陥って、何も解決できなかった安部政権の愚を教訓とすることもなく、六者協議の足を引っ張るだけの決定です。

にもかかわらず、日本のNGOからは制裁継続への批判が聞こえてきません。人道援助を掲げるNGOの多くは「北朝鮮抜きの人道援助」を唱えてきました。NGOのこうした姿勢には何か根拠があるのでしょうか。

「北朝鮮問題」は、核や拉致ばかりでなく、日本の植民地支配、歴史認識、戦後補償、安保問題などの複合的な問題がからんでいます。単に日朝関係のみではない朝鮮半島と日本、ひいては東アジアの未来をいかに展望するかが問われています。

日朝平壌宣言5周年を経たいま、これらの問題をめぐる意見交換と共同の議論を深め、制裁ではなく<連帯>を模索うるために、『制裁論を超えて――朝鮮半島と日本の<平和>を紡ぐ』(新評論,2007年)を手がかりに、NGOの課題をともに考えたいと思います。皆さんのご参加を呼びかけます。

中野憲志編『制裁論を超えて』(新評論、2007年)

日時: 10月27日(土) 18:00〜21:00(17:30開場)
      会場: 東京しごとセンター 5階 第2セミナー室(収容50名)

          東京都千代田区飯田橋3丁目10番3号
          電話03−5211−2307
          資料代: 500円

パネラー:
川崎 哲さん(ピースボート)、金 朋央さん(在日コリアン青年連合)、中野憲志さん(先住民族・第四世界研究)、藤岡美恵子さん(法政大学講師)

主催:平和力フォーラム
    東京都八王子市宇津貫町1556 東京造形大学・前田研究室
    電話042−637−8872  E-mail:maeda@zokei.ac.jp
    協賛:新評論、週刊金曜日、在日朝鮮人・人権セミナー、北朝鮮人道支援ネットワーク(ハンクネット)、反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)、在日コリアン青年連合(KEY)東京




早速の投稿ありがとうございます。まったく、日本って、六者協議でもアメリカの言いようにされているような感じがするよ。拉致問題に捉われて、北東アジア全体の平和と経済(つまり暮らし)のことを考える大きな視点も持てず、結局拉致問題の解決もできないようにしている。

私は、当日「隣人と共にコンサート」へ行くので残念ながら参加できませんが・・・どなたかお時間ありましたら、ぜひ!!





 
No.33

「川田龍平を応援する会・三多摩」発足の集い

 りっちゃん
07/10/14

こちらは8日、国分寺労政会館でありました。体調悪く遅刻してしまいましたが、椅子が足りないくらいギッシリ集まっていました。

「空白の期間、おだやかに暮らせました。為政者というのは、腹の立つことしかしてくれないから・・・」という発言には思わず笑ってしまいました。みんなも同感したんじゃないかな。「小泉の“改革”は、国民の暮らしすべてにわたって、ぶち壊すことだった。」そうなんですよね。本当に、医療、社会保障、雇用、教育、防衛、すべて、絶対多数の力で、問題のある法律がどんどん通ってしまった。できれば、龍平さんには医療問題を中心にやって欲しかったけれど、無所属とは弱いもので、大政党が先。で「環境問題委員会」だそうです。環境も大事だからね。地震国日本に原子力発電所があるというのも問題だし、温暖化、京都議定書にサインしない超大国っていう問題もあるしねぇ。

これからの日本、暮らし、本当に大変です。煙草タイムに、若い人とおしゃべりしたのですが、政治への不信、大きいですねぇ。でも、政治って、政党間の争いだとか、選挙での違法行為や、法律を潜り抜けてずるをすることと勘違いしている人が多いけど、違うんです。私たちの生活と直結している、大事なことなんです。今の日本では、2世、3世や、お金のある人、政党のいうことを聞いて、その地盤なり支援を当てにできる人しか、当選できないようになっているけれど、私たちの暮らしをよくするために、私たちが楽しく暮らせるようにと考えてくれ、私たちの意見を国政に反映させてくれる人を選ばなくてはいけません。これから、多分、国民も痛切に感じてくると思うけど・・・

「市川房江」さん以来だそうです。川田龍平君の当選は。「動けば変わる!!」この標語も良かったですね。この会はまだまだ未知数。基本的に、自分たちがやりたいことをやる。みんなに提案する。情報交換をする。広がりのある活動が出来るかもしれない。っていう感じかしら? 来ている人は、年齢も関心もさまざまのようでした。「若い人が多いのでうれしい」という発言には、若い人たちが苦笑。「これで?」。他よりははるかに多い。

「若い人が政治に無関心」という発言もありましたが、「自民党は信用できない。民主党はもっと信用できない。社民・共産は論外。だから投票できなかったんです。第三の野党を作りたい」という発言もありました。関心があっても受け皿がなかった、ということかも知れませんね。私がそのとき思ったのは、いやいや、若い人だけじゃぁないよ。同世代だって、みんな無関心なのか、わかっていて面倒だから関わらないのか、政治の話はオフリミットという態度の人が多いよなぁ、と。

これって、いじめじゃないかなぁ。この間も、うちの近くの踏み切りで、50代男性の自殺が報じられていた。暮らしが成り立たなかったのか、病気が原因か、理由は書いてなかったけれど、この国では、弱者はとことん、ほったらかされている。みんなそういうことを「見て見ないふり」? でも、格差社会が広がれば、他人事ではすまなくなってくるよ。それでも、自分だけ何とか暮らせればいいのかなぁ。私もしんどいので、まず自分が何とか生きることを先にしてはいるけれど、こんな記事を読めば胸が痛いし、何とかできないものかしら?位は思うよ。世界の中でも、イラクの子どもたち、アフリカの子どもたち、働くだけで学校へ行けない子どもたちのことを思うと・・・

なので、皆さん、政治に関心を持ってください。川田龍平を応援する会に入会しませんか? どう動くかはあなた次第。川田龍平氏をどう活用するかもあなた次第。って、私は、一応入会。この伝言板だけで今のところ手一杯。投稿大歓迎です。





 
No.32

集団自衛権ってなに?報告

 りっちゃん
07/10/14

6日に開かれた九条の会・小平の学習会の報告がすっかり遅くなってしまった。10月はコーラスの方でも忙しくて・・・レジュメの大まかな所と感想(♪)をごく簡単に。のつもりでしたが・・・

1、改憲スケジュールに大打撃を与えた
   (1) 自民・歴史的敗北、民主・大躍進の意味
     ♪これは、民主党への支持があったというよりも、年金問題とかで自民党は信用できない!!っていうのと、メディアが2大政党の対決!!というイメージしか流さなかったからねぇ。
     ♪9条改憲反対の世論が05年45.7%→06年53.5%→07年55.8%(読売調査)と少しずつではありますが、伸びているそうです。これはちょっとうれしい。日本人の平和感覚、信じたいもの。
   (2) これからどうなる
     福田内閣は“ハト派”か?・・・福田は自民党「新憲法草案」の9条を担当。
     つまり、バリバリの鷹派です。閣僚も全員、そっち系統の会派に入会しているそうです。(例:日本会議、改憲、靖国、拉致…♪「一日も早い解決を私は願っているんですよ」、ここにこの名前が書かれているのはとっても残念至極。人一人の命を大事にする=戦争をしないこと、なんですけれど、しっかり政争の道具に利用されちゃって…横田さん可哀想!!)
     ♪新聞記事で読んだんだと思うけど、核廃絶の団体の面会を福田さんが断ったんだって、理由が「政治的団体だから・・・」私は思いました。「てめえは政治家じゃないのか!!」、と。升添さん、「地方自治体が信用できない」「文句を言うなら、地方交付税をやらないぞ!!」みたいな発言をしたとか。国民のおカネを自分のおカネと勘違いしては困るのよね。「あんたの態度は、年金を横領した奴らとおんなじジャン!!」と、私は思いました。福田内閣も、憲法以前、人間の質の問題で信用できないと思っています。

  【自民党「新憲法草案」】 第九条の2「我が国の平和と独立並びに国および国民の安全を確保するため、…自衛軍を保持する」/「自衛軍は、…、国際社会の平和と安全を確保するために…活動を行うことができる」
     ♪国民の安全を守るには、戦争をしないことが一番。独立ならまずアメリカから独立したいよね。この場合の「国際平和」がブッシュの「正義の戦争」同様、反対の意味に使われているので要注意!!
   【民主党「憲法提言」】 「国連憲章上の『制約された自衛権』(国連が関わるまでは、ということで、いつでもいつまでもOKということなんだって)について明確にする」/国連多国籍軍の活動(例:一回目のイラク戦争時)や国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にする」
     ♪次の総選挙までは大丈夫かなぁと思うけど、なんたって怖いのは、国民が第一野党のつもりで票を入れたのに、第二与党になる可能性があるんだよね。民主党って。そうなったら、また小泉の時と同じに独裁政権だよ。なんでも通っちゃう。それと、小沢さんがやたらと国連と言うのも、ちょっとね。国連自身が、平和への試みに努力しても、軍事超大国アメリカについてはお手上げ状態だから…、それと、アフガンだって、まだ空爆を続けているって言うじゃない。民間人の犠牲があるのに、無料のガソリンスタンドを何で日本がやらなきゃならないのさ。私は嫌だよ。平和へ貢献したいのなら、中村医師に学べ!!です。
   【公明党「加憲」】 おんなじ加憲でも、鈴木さんの提案とはだいぶ違うようで…2項を尊守するのは評価したいけれど、自衛隊の保持を認めちゃうとか、積極的な国際貢献という言い方が気になる。できれば、9条の会にはいって欲しいくらいなんだけどなぁ。創価学会って宗教団体でしょう?戦争、嫌いなはずだよねぇ。いのち大事にしたいよねぇ。
 で、明文改憲前面から、当面は解釈改憲が重点になるので、胡散臭い言葉に騙されないように気をつけましょうとのことでした。

2、テロ特別措置法と集団自衛権
   (1)「テロ特措法をめぐる諸問題」
    ※「テロは犯罪、法による裁きを」の原則
     ♪これは、次の次に投稿予定の「戦争解禁」にも繰り返し書いてありました。国際警察の仕事だって。実際に捕まらなくても、彼らを孤立させ、テロ活動の予防ができたって。いらない戦争でテロも拡散、核も拡散。
    ・「テロ特措法に基づく支援活動は、テロリストの拡散を防ぐための国際社会の一致した活動」(福田首相所信表明演説)♪は嘘っぱちです。この「国際社会」とは、国際社会で孤立している米国のことです。
    ※テロ特措法の問題点
    ・なぜ特措法か(通常の法律では許されていないから)
    ・国連の基本精神に背をむけた報復戦争
    ・初めて戦闘地域にショウ・ザ・フラッグ(たとえ外国の部隊に守られてもいいから、日本の旗を見せろ!!って命令されちゃった)
    ・集団自衛権の行使…NATOは集団的自衛権として八項目を決定
    ・日本の主体性、自主性なし…給油量の「入力ミス」やイラク作戦米艦への給油
    ※新法提出の問題点
    ・地理的限定や行動内容の限定はどうなるか…周辺事態法、武力攻撃事態法との関係
    ・参院選挙で示された民意の無視と参議院の存在の否定、国会の承認もなしに派兵

(2)集団的自衛権とは何か、何のために必要か
    ※従来の政府の憲法解釈…「憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要な最小限度の範囲にとどまるべきであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」
    ※52年と60年の日米安保条約(冷戦が終わって、米国が唯一の超軍事大国になったので、自分が世界を仕切りたくなっちゃった。防衛目的でなく攻撃が目的)
    ♪つまり、米国政府の都合により、米国の意のままにヨソの国へ攻撃できる、米国の税金を使わなくても良い、子分にできる軍隊が欲しいっていうだけよ。

3、アメリカの世界戦略と日本の集団的自衛権行使要求
  (1)アメリカの世界戦略
    ♪「戦争解禁」と「お節介なアメリカ」で書くので、ここでは略。軍事超大国が世界を支配(北東アジアの経済もね)したいから、エネルギー資源のある地域を押さえたかったということです。
  (2)「米軍再編」とは
    @前方展開能力を高めたハイテク部隊による先制攻撃戦略→国際テロとの長く続く戦い
    A同盟軍の動員
    ♪ つまりぃ、一般人が沢山殺されるって事と、消耗の激しいゲリラ戦を日本にやらせようってこと?
  (3)「米軍再編」における日本の役割
   「在日米軍の再編についても、抑止力の維持と負担軽減という考え方を踏まえ」(福田首相所信表明演説)
    ♪ 自爆するような人たちに、抑止力は期待できません。グァム移転問題一つ見ても、負担軽減するのは米国です。日本は完全に負担増。「NO」を言えばいいんですけどね・・・
    @地理的・物的条件を最大限に活用 ♪アジアから中東へかけて、攻撃するのに都合のいい日本。思いやり予算もあるしね。
    A日米の軍事一体化…基地の共同使用、共同演習、指令機能の一体化…第2次アーミテージ報告(2007年2月)「より良い調整のために、米国は太平洋軍への日本の防衛省代表の配置、また統合幕僚幹部への米軍代表の配置を促進すべきである。これは、地域での作戦統合の強化に向けた第一歩とみなすべきであり、集団自衛権についての日本の国内的決定いかんにかかわらず行われるべき」 (これは勧告というより命令ですね)
    ♪属国扱いもいいかげんにしろよ!!日本政府も「イエスマン」を止めてよ!!みんなはこんなこと言われて腹が立たないの?
  (4)安倍首相が提起した4類型の意味
    @公海上を併走する米艦が攻撃を受けた時自衛隊も応戦(安保では、公海では許されていない)
    Aアメリカに向かうかもしれないミサイルを日本が撃墜(することが相手国にわかっていたら、まず日本を先にミサイル攻撃するって)あとは略。

♪9条の会も、もっと広がりのあるものになるといいのだけれど・・・若い人がもっと参加できるようだといいのだけれど・・・今回の学習会はわかりやすかったけれどね、身内で勉強会しててもなぁ。





         
No.31

九条フェスタ報告

 りっちゃん
07/10/2

すいません、ミーハーで。鈴木邦男さんの顔を見るのが目的で9月29日、9条フェスタに行ってきました。目じりが下がっていてとても優しそうなオジサマ。若い女性にもてそう。そして、おんな組いのちで辛淑玉さんがお勧めの今野 東さんは落語家?!重信メイさんは凄いシャン!!でした。

今野東さんは民主党の参議院議員、票につながらない難民問題に力を入れています。彼がまとめ役担当。鈴木さんの紹介は「右翼なんですけど、鈴木さんの本を読んだら「右翼じゃないジャーン」」。重信メイさんについては、「そのあまりにも美しいお顔や目を見るととてもしゃべれなくなるので、見ないようにします」ですって。重信房子のお嬢さん、大きくなるまで国籍もなく、戦争状態が当たり前の中東で暮らしていました。今はジャーナリストとして仕事をなさっています。そこから見た日本と9条は?

「中東では9条のことは知られていませんが、日本のイメージとして平和主義であること、原爆を落とされたのに経済発展を遂げた国として、好まれています。国連で安保理事国になりたいそうですが、それよりも、平和主義でもってリーダーシップをとっていけばいいのでは。9条の考え方を世界に提示していってほしい。」

鈴木さん「右翼はすべての悪は今の憲法のせいだ、絶対改正!!の立場にあり、左翼は絶対擁護と思われています。僕はなぜか、護憲のほうにばかり呼ばれて、改正派には呼ばれないんですよね。(笑い)アメリカは善意で押し付けたのだろうとは思いますが、押し付け憲法は改正したい。もっと国民が自由になる憲法にしたいと願っています。しかし、今の状況での改正では、自由のない自主憲法になってしまう。それなら、今のままの押し付けられた憲法の方がマシです。不思議なことに、アメリカにいって聞いて見たら、誰も日本の9条のことを知らない。押し付けたことも覚えがない。反省がないんですね。9条については、核武装をしない、派兵はしない、徴兵制は布かないとか足していったらどうでしょう。」「9条だけを守ればいいというのはだらしがないと思います。もっと革命的な憲法を作ってもいいと思いますよ。戦前のウヨクは革命家でした。組合の手帖を見せてもらったことがありますが、それに憲法が載っている。憲法前文の次に9条。改正しちゃっているじゃぁありませんか。(笑い)天皇は文化的象徴であって、もっと自由であっていいと思います。元号は天皇が決めるとか、警護をもっと少なくオープンにするとか。憲法よりずーと以前から天皇制はあったのだから、憲法に載せるべきではないという人もいますよ。」

メイさん「天皇については、あまりにもカチカチで、ただニコニコしているだけという印象。もっとやりたいことをやらせてあげていいと思います。報道なども自己規制が多すぎます。」「なにが必要で、なにが必要でないかを憲法についてコミュニケーションをしては。」「もっと中学生でもわかるような文章にしたらどうでしょう。そうしたら、もっと憲法について話がしやすくなるのでは・・・」

鈴木さん「いっそ英語にしてしまえば・・・」(笑い)

今野さん「そういえば、公用語が憲法で決められていない国って日本ぐらいなんです。言葉と領土がこんなにぴったりしているのは珍しいんです。」「憲法って、『国民は』ではじまるのが多いですよね。あれを『この国に住んでいる人は』に変えたいんですよ。難民の方たちが収容所に入れられていますが、14畳に定員11名。刑務所並なんです。」

メイさん「私の母も刑務所に入っていますが、憲法で人権が保障されていても、いったんはずされた人は人間として扱われていないんです。報道でも、罪を犯したかどうかまだ決まっていない人に対して、名前も映像も出して、質問なんかもひどい言葉遣いだったり・・・いくらいい憲法でも、現実とのギャップが大きければ形骸化してしまいます。」

鈴木さん「日本とはこういう国だ、という軸が揺れています。」「平和、理想、夢、もっと前向きに大改正したらいい。死刑の廃止とか。核を唯一持てる権利を持っているのが日本です。それを破棄しているんだから、他の国は全部捨てるべきと言っていいんじゃぁないですか。」

メイさん「反グローバリズムでは、ウヨクもサヨクも手をつなげられます。」

鈴木さん「もうユヨクでもサヨクでもどっちでもいいです。」「まず国民があって、国家がある。」「国民が話し合って、まとまればいいんです。」

だね。国民にとって、いい憲法であることが大切なんです。そして、現実を少しづつ憲法に近づけて変えていく努力も必要だね。国民投票で、いい結果が出るといいのだけれど・・・ちょっと心配。このまとめもメモを見て書いたけれど、汚い字だし、順番わからないしで、ちょっと心配。でも、「イラク特措法」、本当の名前は凄く長いそうで、今野さんがまるで寿限無のように一息で語ってくれました。(拍手)司会の方が、守屋弘が歌ったという「憲法第24条の歌」を絶唱。(拍手)とってもなごやかで、にぎやかで、笑いの絶えないシンポジウムでしたよ。パネリストが3人とも魅力的。またどこかでお会いしたいなぁ。





No.30

空海の風景

 りっちゃん
07/10/1

著者司馬遼太郎があとがきで、
  「空海の生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光をあててその起伏を浮かび上がらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれてあるいは空海という実体に遇会できはしないかと期待した。・・・読み手からいえばあるいはそれは筆者の幻視だろうということになるかもしれない」
  と書いている通りの作品です。

最澄と空海、その人物と宗教の違いが主に描かれています。同じ時代に生きていたのね。歴史に弱いなぁ。
  すでにあった奈良の6宗に飽き足らなかった二人。年長であり、桓武天皇の好意を受けていた最澄は天台宗の経典を得に、請益の還学生(げんがくしょう)として、潤沢な国家予算付きで遣唐使の船に乗る。一方空海は、高級官僚になるための大学で儒教を学ぶ内に仏教に目覚めて「三教指帰」を書き、7年間山野を歩き回り、雑密のかけらを採集?、修行していたらしい。経典、言語などもこの時期に勉強していたらしい。この修行時代の終わりに明星が空海の口の中に飛び込んだという。「三教指帰」には「兜率天から自分に対して勅命が下った」と書いてあるそうな。で、船に乗る前年に得度。留学生(20年)として最澄と同じ遣唐使船にのる。同じ船団だが、船は別。嵐にあって漂流。最澄は運良く、先に到着、長安によらずに目的を遂げ、帰りの船を待つ間に、密教を順暁から付法された。司馬さんによれば、
  「このとき最澄自身には自分が何を得たのか、十分わからなかった。(後になって最澄は気づき、最澄らしくきまじめな、いわば好ましい態度で狼狽する)」

空海は遅れて長安に到着。書や詩の交換など社交も十分にし、筆の作り方から建築まで、唐の文化を吸収し、サンスクリット語を習い、そして、インド僧不空(空海は不空の生まれ変わりと言われている)の密教の正系を伝承している恵果から、二つの思想(大日経系と金剛頂経系)を伝えられる。
  「恵果の空海に対する厚遇は、異常というほかない。
  空海を一目見ただけで、この若者にのみ両部を譲ることができると判断し、事実、大急ぎでそのことごとくを譲ってしまったのである。空海は日本にあってどの師にもつかず密教を独習した。恵果は空海を教えることがなかった。伝法の期間、口伝の必要なところは口伝を授け、印契その他動作が必要なところはその所作を教えただけで、密教そのものの思想をいちいち教えたわけでなく、すべて空海が独学してきたものを追認しただけである。空海の独学が的はずれなものでなかったことをこの一事が証明している。」

伝法の儀式灌頂(かんじょう)は、キリスト教の洗礼に似ている。インドでは王の即位の時の重要な儀式だそうな。6月30日の胎蔵界の灌頂、7月上旬金剛界の灌頂の投花で、曼荼羅の中の大日如来に落ち、「遍照金剛」(大日如来の密号)をもらう。8月10日には密教世界の王位ともいうべき阿閣利の位をさずかる伝法灌頂を受ける。写経、曼荼羅や密具などの製作、最後にお礼の祝宴(500人)など、経費が相当かかった。日本国の代表として十分な経費を持たされていた最澄と違い、
  「留学生の空海は、恵果から、一個人として譲り受けたのである。その経費は、20年間の留学費をそれに充当したとはいえ、そういうものだけでまかないきれるはずがなさそうであった。ともかくも空海は工面し(多分親戚知人からのカンパ?)て、一応事なきを得た。しかし、このぼうだいなものを買うについての経済的苦しみは、かれの気分を、ときに重くしたにちがいない。要するに空海は、日本国から義務を負わさせられず経費をあたえられずして、密教を「請益」してしまったのである。
  空海の帰国(後)の態度の痛烈さは、こういうことにも多少の理由があるであろう。彼は、その思想が宇宙と人類をのみ相手にしているというせいもあって、国家とか天皇とかという浮世の約束事のような世界を、布教のために利用するということは考えても、自分より上の存在であるとは思わず、対等、もしくはそれ以下の存在としてみていた気配があるし、また国務でもって天台宗を導入した最澄に対し、空海の天台体系への仏教論的軽視ということはあるにせよ、ごくつまらぬ存在であるかのように扱ったのは、このあたりに根のひとつを見出しうるかもしれない。空海は、極端にいえば私費で、そして自力で密一乗を導入した。」

先に帰国した最澄は、中途半端な密教で、桓武天皇の命を受け、国師となり、旧仏教の僧侶に灌頂し、天皇のためにも灌頂しちゃっている。
  「最澄は、仏教は人間が解脱する方法を教える道だという。だから教であるべきだという。経は、当然ながら経典を基礎とする。ところが奈良仏教は「論」であるために経典を基礎としていない。本来の仏教は、釈尊から自分はこう聞いた、ということが書かれている経典を中心とし、それについての体系を必要とする。奈良仏教にはそれがない。中国で成立した天台宗こそ真に釈尊の教えを中心としたものであり、真の仏教とはそれである、という」
  その上、無理やりに密教の灌頂を受けさせられちゃったから、のちのち対立しちゃったようです。翌年帰国した空海は、唐から持ち帰った密教の経典等を目録にした「御請来目録」を提出。なぜか一年博多に留まり、その後も京には行かなかった。桓武の後の平城天皇の退位と藤原氏によるゴタゴタが一段落後(前?)に、京に移り、嵯峨天皇と付き合い始める。最澄から空海の時代になったと言えるのかな? 東大寺の別当も頼まれている。東大寺では、大仏の前で上げられるお経は空海が持ち帰った「理趣経」であり、空海が創作した「四度加行」もやるそうだ。奈良との関係も空海は良好。

理趣経の冒頭には
  「妙適清浄の句、是菩薩の位なり
   欲箭清浄の句、是菩薩の位なり
   触清浄の句、是菩薩の位なり
   愛縛清浄の句、是菩薩の位なり」
  とあるそうだよ。カーマスートラの影響もあるのかな。生きているということは素晴らしいということだと理解できる・・・釈迦の教団は禁欲なんですって。
  「解脱とは人間が本然としてあたえられている欲望を否定する。その欲望の束縛から脱して自主的自由を得るというのが、釈迦以来、仏教における最高目的になっている。・・・その至高の自主的自由の境地を涅槃とよぶ。とくに生きながらの涅槃を有余涅槃とよぶが、生きながら涅槃に入りうる人など稀有というべきで、多くは煩悩のもとである身体が離散した時に涅槃に入る。要するに死である。死はだれにでも来るものではないか。死をよろこぶ教えとはどういうものか。・・・空海は死よりも生を好む性質の男であった。」

「毘慮遮那仏は釈迦のような歴史的存在ではなく、あくまでも法身という、宇宙の真理といったぐあいの思想上の存在である。毘慮遮那仏の別称は色々ある。遍照ともいう。光明遍照ともいう。浄満、あるいは、厳浄などともいう。あたかも日光のごとく宇宙万物に対してあまねく照らす形而上的存在という意味であり、ごく簡単に宇宙の原理そのものといってもいい」それが『華厳経』で、『大日経』では、「毘慮遮那仏は華厳のそれと本質は同じながらさらにより一層宇宙に偏在しきってゆく雄渾な機能として登場している。というだけでなく、人間に対し単に宇宙の塵であることから脱して法によって即身成仏する可能性も開かれると説く。同時に、人間が大日如来の応神としての諸仏・諸菩薩と交感するとき、彼らの持つ力を借用しうるとまで力強く説いているのである。」それとこの「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」とする『理趣経』の理解によって、空海の宗教が完成するということらしい。

だからかな、最澄が「下僧」とかってへりくだって、空海の持っている経を次々と借りるのだけれど、理趣経だけはお断りされちゃった。もっともこれだけ取り上げられたら、「立川流」になっちゃうものね。で、空海のお返事には、
 「 且ク、三種有リ。一ニハ、聞ク可キノ理趣、二ニハ見ル可キノ理趣、三ニハ念ズ可キノ理趣ナリ。モシ、可聞ノ理趣ヲ求ムレバ、聞ク可キ者則チ汝ガ声密是ナリ。汝ガ口中ノ言説即チ是ナリ。
   見ル可キ者色ナリ。汝ガ四大等、即チ是ナリ
   汝ガ一念ノ心中ニ、本来、具サニ有リ。更ニ他ノ心中ニ索ムルヲ須ヒザレ
   モシ心ノ理趣ヲ覓ムレバ、汝ガ心ノ中ニ有リ。別人ノ心ノ中ニ覓ムルヲ用ヒザレ。モシ仏ノ理趣ヲ求ムレバ、汝ガ心ノ中ニ能ク覚者アリ、即チ、是ナリ。・・・モシ
衆生ノ理趣ヲ覓ムレバ、汝ガ心ノ中ニ無量ノ衆生有リ。其レニ随ツテ覓ム可シ
   汝ガ理趣ト我ガ理趣、即チ是ナリ。モシ、汝ノ理趣ヲ(汝自身が)求メントセバ則チ汝ガ辺ニ即チ有リ。(汝は)我ガ辺ニ求ムルヲ須ヒザレ」
  本の虫では、真理は得られない。自分の中にあるものだよ。自分で見て、自分で聞くんだよ。他人様に頼ってはあかんよと、と諭したんでしょうねぇ。密教では特に師から直接教わることが重要だったみたい。もともと雑密は民間の呪術から伝わったものらしいから・・・本では得られないわね。伝わると言えば、長安には、インド・イラン・ソグド(ペルシャ系)・チベット・ウイグル等とも交流が盛んだったようです。宗教もゾロアスター教・マニ教・景教(キリスト教)など、これも交流というか影響しあっているんでしょうねぇ。

二人の違いは書にもあわれているそうです。空海の書論には
 「古人の筆論にも、書は散である、とある。つまり書の極意は心を万物に散じて心情をほしいまましつつ万物の形を書の勢いにこめるのである。ただ字画のただしいことのみをもってよしとしてはいけない。すべからく心を境物(下界のもの)に集中させよ。思いを万物に込めよ。さらには書勢を四季の景物に象り、かたちを万物にとることが肝要である。」
  と書かれているそうな。
  「ともかくも空海の書は、型体にはまらないのである。
  このことは、空海の生来の気質によるとはいえ、あるいは、自然そのものに無限の神性を見出す彼の密教と密接につながるものであるかもしれない。自然の本質と原理と機能が大日如来のものであり、そのものは本来、数でいうと零である。零とは宇宙のすべてが包含されているものだが、その零に自己を即身のまま同一化することが、空海の即身成仏ということであろう。空海において、すでに、彼自身がいうように即身にして大日如来の境涯が成立しているとすれば、彼の書というのは、最澄のように律儀な王義之流を守り続けているというのも、おかしいであろう。かれは、嵯峨にあたえるときには嵯峨にあわせ、最澄にあたえるときは最澄にあわせ、さらには額を書き、また碑文を書くときにはそれにあわせた。型体はときによってさまざまであり、多様なあまり、空海がどこにいるかも測り知れなくなる。   ・・・空海がどこにもいないというのが空海の密教にとってももっともふさわしいのではないか。空海の書は、霊気を宿すと言われる・・・空海の書にもし霊気があるとすれば、それだけが空海の本体なのであろう。」

ふぅー、長くなってしまったけれど、ドロシー・ギルマンの「一人で生きる勇気」に書かれていることとおんなじ。「自然と共に生きる」「変化する」「正直な自分でいるために、自尊心と自主性が大事」「誕生の後に生があるか否か」そして、彼女は東洋的なものや、霊性にも興味を示していた。仏教もいいけれど、仏教用語は覚えきれないや、というのが私の印象。仏だの菩薩だの名前がごちゃごちゃして。空海=弘法大師=お大師様で、だから出身地の四国88箇所のお遍路さんはお大師様と二人連れなんだと・・・大日如来=毘盧遮那如来=大仏様=不動明王=お不動様、これも知らなかったよ。勉強にはなったけれど、やっぱり私には推理小説の方があっているわ。

空海は死んだのではなく、入定したというのだそうな、維那と呼ばれる僧が廟所の中にいる空海の衣食の世話をしているそうな、その人以外は、だれも知らない。「「知る必要もないんですもの」と笑って私の質問を避けた若い僧もあり、その避け方の明るさが印象的であった。」 うん、どっちでもいいじゃないかな。事実がどうかよりも、お大師様が今もいると信じるかどうかの問題だし、それで自分たちが元気に生きていけるのに役立てばいいではないのかな。次に書くのは、9条フェスタの報告。鈴木さんが「ウヨクでもサヨクでもどっちでもいいよ」とおっしゃっていたのが印象的でした。





No.29

隣人と友に

 りっちゃん
07/9/29

合唱コンサート「隣人と友に〜隣人と共に〜」のお知らせです。そうそうたる呼び掛け人の中に、国平寺の住職さんも載っている。行かなくては・・・

隣人チラシアジアの平和と共生はみんなの願いです
  それは和解から生まれるのではないでしょうか?
  和解は、なおざりにしてきた過去の歴史と向き合うことから始まります
  日・朝・韓の作曲家たちが奏でる美しいハーモーニーを聴きながら
  私たちが進むべき道を共に探ってみませんか

2007年10月27日(土) 15:30開場 16:00開演

かつしかシンフォニーヒルズ(モーツァルトホール) 03-5670-2233
  入場料 3,000円(全自由) 1,500円(2階・学生席)

演奏曲目
 尹忠男 「海の男」 朝鮮民謡から
 朴範薫 「青山別曲」 高麗歌曲から
 金学権(指揮・作曲) 「スニのための鎮魂歌」(詩・許南麒)
  スニは12歳の少女」。父を探しに朝鮮からやって来て、巡り合えたのが広島。ここで原爆の犠牲となる
 池辺晋一郎(指揮・作曲)「海の墓標」(詩・芝憲子)
  山口県の長生炭鉱水没事故を扱った組曲。朝鮮人130人余りが犠牲に。遺体は今も海の底にある。
 林 光(指揮・作曲) 「空と風と星と詩」(詩・尹東柱)
  尹東柱は29歳の時、日本軍部に逮捕され獄死した詩人。曲は新作初演

ピアノ:斎木ユリ 合唱:栗友会(指導:栗山文昭) バリトン独唱:小林昭裕





No.28

一人で生きる勇気

 りっちゃん
07/9/29

著者は、「クローゼットの中の修道女」や「テイル館の謎」を書いたドロシー・ギルマン。推理小説と思って買ったら自伝でした。副題は、「新たな国」。

「自分ひとりで子ども二人を育ててきた末、下の息子がまもなく大学へ行くために家を離れようとしていた。私は初めて、世話をしなければならない対象を失った。自分の心一つと向き合わなければならなくなったのである。」

「人」という字は、互いに寄り添うということ。なんて言うとかっこいいけれど、特に日本の母親は息子の世話をするのが大好き。いい加減自立してほしいと愚痴をこぼしつつ、夫よりもよほどまめに世話をしてしまう。それがかえって息子の自立を阻害していることに気づいていないわけではないのだけれど・・・それだけ、自分を必要としている存在がほしいという気持ちが、人間にはあるのだろうなぁ。

「人」という関係は、一人でも生きて行ける、でも二人だともっと楽しい、もっと人生が豊かになれるという関係。寄り添って生きるということは、互いの自立を妨げるものではあってはいけない、と思う。

子どものときも、結婚生活でも、「私自身のしたいことのほうは、鍵のかかったクローゼットの奥まった所に押し込まれた」。遠くの土地にあこがれながらも、どこへ行ってもパニックに襲われるという経験を味わっていた。苦しみの原因は〈非存在〉。・・・「私は自分の〈存在〉にこだわりたかった。やっと、とうとうというほうがいいかもしれないが、自分自身をかまいたかった。つっかい棒なしで。裸でただ一人、掛け値なしの自分を。それで私はノヴァスコシアを選んだ。・・・私は名前のない病気、ぴったりした名前が見つかるまでとりあえず文明症候群とか社会恐怖症とか呼んでおくことにするその病気から回復したいと強く望んで、その土地に移り住んだのである。」

そのあたらしい国での生活が描かれています。ギルマンの心の成長ぶりや、女性への応援メッセージも含めて。
  ハーブと野菜を育てる暮らし。うーん、うちにもあります。ハーブ。やたらと元気よく、根を抜いても抜いても生えてくる始末の終えない植物です。経費節約のため、野菜も育てていますが・・・なかなか思うようにはいきません。手をかければ、それだけのことはあるので、人間さまよりはマシかな。でも、結構疲れます。自分から望んだのかどうかの違いが大きいです。

ギルマンと決定的に違うのが、職業。私は病気療養中のため失業中なのですが、もし、職を得たとしても、年齢・経験・女性という壁で、たいした職は得られないでしょう。ギルマンは、「創造的職業」をすでに持っています。自負心、自尊心が持てる職業をです。子どもの頃から書いていたそうですし、早いうちに離婚をし、プロとしてやってきたという経験がありますから・・・それはとても大きな違いです。

庭で言えば、例えば畑を耕す部分は人を雇うということもできるわけです。先の経済的不安も違いますし、家の改造も旅行もお付き合いもケチる必要がありません。うらやましいといえばそうですが、今までの人生の選択が違っていたのだからしょうがないです。現時点からどう生きるかという問題でしょう。

たくさんの本を読んでいます。それも哲学とか心理学とか。すごいです。私は推理小説とか、軽い本が多いから・・・「クローゼット」の中を時折覗いていた、というのも違うなぁ。私は結婚している時は子育てを楽しんでいたからなぁ。コーラスも。でもコーラスの経験では食えない。枠の中で暮らしていたことにそれほど不満も感じていなかったし・・・子どもの頃から、自分がやりたいことをやるよりも、人に頼まれてとか人の期待に応えて動いていた。どうも私は、それが身についてしまったみたいで、自分自身の夢ってあったのだろうか。中国語を習っていた頃、「下放したい」というのがあった。土いじりがことに好きというわけではない。多分、弱者とともに、というより弱者の側にいたいということだったのではと思う。そういう意味では、しっかり弱者の道を歩んでいる。でも、それだと、弱者を救うゆとりはない。カンパすらケチる身の上。時折悔しく思うときがある。

「正直な自分でいるために、なによりも大切なのはまず自尊心だ。それと、自主性である。自主性とは、自分を治めること。他から干渉を受けず、自分の心に正直に。自尊心がないと、簡単に、魂を略奪された者(今適切な言葉が見つかるまでそう呼ぼう)になってしまう。一緒に暮らしている人を通して生きるのだ。自分自身を考えずに、自分の考えに基づいて行動をせずに、自分で冷酷な現実に立ち向かう判断を下さずに。生きることはすなわち隠すこと、取り繕うこと、反応すること。行動するのではなくただ感応することになってしまう。自分をまっすぐに見ずに、近所の人や夫や友達がどう思うか、どう感じるかを映す鏡を通して自分を見るのだ」

いやぁ、厳しいです。その通りかもしれません。自分の心に素直になるというのは、とっても難しいです。自分の中に迷いもありますし、積極的に動いたとしても、日本では、目立つことは叩かれます。私は目立ちたくありません。叩かれたくないから?んー、でもないと思うのですが・・・実際目立たないように努力しているのに、叩かれています。怖くはありません。ただ、意見を言っただけで、相手に無視されたり、全体からシカトされたり、その分非効率。困ったなぁと思うときが多々あります。会話が成り立たない社会になりつつあるのかもしれません。それとも、私のどこかが悪いのか。

「そして私たちはいつも罪悪感に悩まされるのだ。あんなことをしたと言っては悔やみ、あれをしなかったと言っては悔やむ」

離婚を決意した時、離婚しなかったらきっと悔やみながら夫と暮らすことになるだろう。それはしたくないと思った。逆の場合、それも悔やむかもしれないとは思ったけれど、悔やんではいないですねぇ。ただ、計算が甘かったなぁ。国民年金の金額は最低生活を営む程度はあるのだろうと思っていた。とんでもなかったですねぇ。それと、「根はみんないい人」というのは、保護された環境にいて信じられたことで、現実は予想よりはるかに「冷酷」でしたねぇ。私にとって離婚は、やむを得ざる選択で、友だちからは「交通事故みたいなもの。出会っちゃったものはしょうがない。後遺症に悩むだろうけれど…」、「バカだねぇ。浮気しても離婚せずにいる人が一杯いるのに、思いだけで離婚しちゃうなんて…」との評価を下されたけれど、どちらもありがたい友だちです。結局は「片思い」になるだろうことは予想されていたけれど、いろいろあって、相手が人様に迷惑をかけるのを見るのがつらかったし、他の人を思いながら夫に食わせてもらうのはいたたまれなかったし、私自身劇痩せするほどパニックっていたから、泣けることも含め自由になれたことで、精神的には救われました。ただ、「離婚した女」は、「離婚しなかった男」にとっては極度に迷惑な存在となってしまったようで…、その後も何かとショックに見舞われました。今は遠くから幸せを祈っています。

そう書いちゃうともう区切りがついたと思われるかな。でもなんか、どこかでつながっている感じはするのよね。凄く気になる。向こうも気にしているような気がする。全く何の連絡もないのにね。ジェイン・エアのように声が聞こえるわけでもない。それでもあの人が頑張っているようだと、私も「頑張ろう!」となるし、HPが動いていないと病気かしらと心配してしまう。こんなことを書くとまた友達に怒られるなぁ。「男々(めめ)しいぞ!!」って。

「私はガブリエル・マルセルの『存在の神秘』を読み直している。いま、人生における究極の孤独と、もっとも深い喜びについて考察している二節にさしかかっている。「われわれは非常に強く感じることができる。しかし同じ部屋にいるだれか…見ること、声を聞くこと、もしそうしたかったら触れることさえできるだれか…が、数千キロも離れている愛人より、あるいはもしかすると故人よりも、遠い存在であるという場合もある。自分の隣に座っている男はいま同じ部屋にいる、だが自分にとってはそこに存在していない、その存在が感じられない、ということがあり得るのだ…。その人とは…親交なしのコミュニケーションしかないと言える。彼は私のいうことを理解するが、私を理解することはない」
  「これの反対の現象も起こりうる。誰かの存在を強く感じるとき、その存在が私の内なるものをふたたび活気づけることがある。わたし自身に対してわたしが暴かれる。もしその強い刺激を受けなかったら、それほど自覚することはないだろうと思えるのだ」

確かにその通りではありますが、コミュニケーションがなければ、単なる自分の中の思い、勘違い、妄想となる可能性もあるわけです。実際のコミュニケーションは必要だと思いますよ。友人でも、恋人でも、夫でも、同居人でも、故人でないかぎりは・・・

「自分を哀れに思う瞬間の自分に気がつくと、こんなに濃厚で生き生きした感情を捨てることに抵抗をおぼえる。怒りさえ感じる。自己憐憫は、生きていることが実感できる素晴らしくも偽者の感覚だ。ウスペンスキーは、自己憐憫は最も楽しめるネガティブな感情であり、捨てるのがもっともむずかしいものだと言っている。」

タハァッ。自己憐憫、やりましたねぇ。一杯。今も時折。「私は捨てられた女」なんてね。向こうは向こうなりに、自分を守るために選択をした結果なのだろうし、男と女の関係とは、気持ちが変わればそれでオシマイという関係だから、文句を筋合いではない。ただ、社会が男社会の上に、私にその準備がなかったから、かなり苦労はしたけれど・・・しゃあないです。

こんな社会の中で女であることでの苦労は、ギルマンも同じこと。
 「シングル・ウーマンが品物を注文したときに、名前を言うといつでも受けるあの質問。「それでご主人のお名前は?」「夫はいません」私がそう答えると、必ずお気の毒にという顔をされるので、私はつい明るくこう言いたくなる。「人食いに食われてしまったのよ、ハリケーンに遭って船が沈没して漂着した島で」。一度など、これは自分でもずいぶんいじわると思ったが、いつもの質問を受けた私は、夫の名前を書き、住所まですっかり書き込んでから、無邪気にこう聞いた。「でも離婚してからもうずいぶん長いから、もしかして私の住所も書いた方がいいかしら?」」
  さすが作家の対応振り。お見事です。見習いたいものです。

「新しい経験をすること」「変化すること」「今を生きること」「何もしない時を楽しむこと」「やらねばならないことではなく、今、やりたいことをやること」をギルマンがお勧めしています。

「肝心なことは、変化しなければ、わたしたちは『わが町』のエミリーのように、人生のある日、ある時を選ばなければならなくなる。そしてその時に釘付けにされるのだ。同じところをぐるぐる回り、外に足を踏み出すこともできず、動くことも成長することもできなくなる。なぜなら新しい考えを持つこともまた、わたしたちを変えてしまうからだ。実際、そのように生きている人たちがいる。変化を嫌う人たちだ。そんな人たちは死んでしまう。物理的にではなく、心が死んでしまうのだ。私たちのまわりには、思っている以上に死んだまま生きている人たちがいる。」

これは第1章 新たな国 の冒頭の言葉にも書かれています。
  「主なる問題はいまや、死後に生があるか否かではなく、
  誕生の後に生があるか否かである。
           ――――アルベルト・セント=ジェルジ博士(ノーベル賞受賞者)

私は、ギルマンと違って、一人で生きてきちゃった、これからも一人で生きていくよりしゃあないというだけで、勇気とか夢とかがあったわけではないのだけれど、苦あれば楽あり、人生いたるところ青山あり、というのも実感しています。つらい時もあるけれど、だからこそ必死にちっちゃな楽しみを見つけて生きてきました。今という時をなるべく楽しもうと・・・そういう意味では、私は生きてるし、幸せであるとも思っています。淋しさを感じるときは、何かを投げかけても反応がないとき。それって、相手が生きながら死んでいるのかもしれないね。結局、まともな反応が返ってくる人とは付き合えている。それでいいのかな。

ギルマンがこんなことも書いています。
  「おかしなことに、辞書によれば、“空”(から)の定義に、〈保有しているものや囲んでいるもののない状態〉とある。
  そして、“自由”の定義には、〈縛られないこと、閉じ込められないこと、強制的に引き止められないこと〉とあった。
  この二つの言葉のちがいは、ほんのわずかである。」

この本は生き方についての勉強になります。義務教育での「道徳」の授業はやめにしたようですが、哲学とか、この本みたいな授業なら、やった方がいいんじゃないかなぁ。ジェンダーや差別の問題とか、いじめが起こるメカニズムとか、子どもたち自身にとっても身近な問題として、また、解決しなければならない問題としてやったら、とっても力になると思うけれど・・・「道徳」っていう名前だと、「道教」や「儒教」を連想して、押し付けっぽく聞こえるから、「哲学」または「生き方」とか、「生きること」と名前を改めたらどうかしら?と思いました。

で、私はこの本の後に「空海の景色」を読みました。なんか共通しているところが・・・“空”については「空海」で、また書きますね。





No.27

集団自衛権ってなに?

 りっちゃん
07/9/21

九条の会・小平から 秋の憲法学習講演会のお知らせが来ていました。掲載するの忘れてたぁ!ごめん!

集団自衛権ってなに?

講師:全国九条の会事務局 川村俊夫さん

日時:10月6日(土) 午後1時半より

場所:小平市中央公民館ホール (西武多摩湖線「青梅街道」駅下車、線路沿い南へ徒歩約3分)

参加費:無料 (資料代などでカンパをお願いすることがあります)

憲法を学びなおしましょう。9条を持つ日本国憲法を守ろう。

すでに行われているアメリカ軍との共同行動を、どうする?
  参院選の結果を受けて、今問題になっているのがインド洋とイラクへの自衛隊派兵、テロ特措法とかイラク特措法の継続問題です。実は、これこそ、集団自衛権の問題解明の糸口のような気がしませんか?

憲法解釈の拡大・変更による集団的自衛権の行使にノーを!
  第二次世界大戦での従軍慰安婦問題、沖縄での集団自決問題、ミサイル防衛での日米共同など、憲法9条にかかわることが次々に出てきています。中でも集団的自衛権の行使問題は、飛び切りに重要です。憲法9条を守り抜くために、しっかり学習しましょう。ぜひ、9条の会・小平の秋の学習講演会に来てください。


責任放棄男、安倍も、その後継者たちもイラク特措法は「対外公約」だ!、って言っていたけれど、その前に、国民とのお約束「憲法」に違反しているではないか?どうしてそのことには口をつぐんでいるんでしょうねぇ?

フォットジャーナリスト郡山総一郎さんの言葉は衝撃的だったなぁ。「すでに日本は戦争に加担している」。私自身にそういう自覚はなかったから・・・ボロボロの9条、修復したいし、もっと生かしたいねぇ。





No.26

マミー・ストーヴァー

 りっちゃん
07/9/19

この本は、帯に「風刺とユーモアにあふれる、娼婦と兵隊との想像を絶する性の記録」とある、なんというかねぇ、たくましい女の生き方が描かれていて、「凄い!」と感心しちゃった。小説ですが、ドキュメンタリータッチでモデルは多分実在。日本の従軍慰安婦と比較すると、全然違うんだよね。新聞広告“THE FACTS”で、アメリカにも同じような施設があったじゃないか、慰安婦も売春婦だと言うのがあったけれど、それに対する私なりの反論として、本の紹介をします。

綿花祭で優勝したブロンドの美人が、ハリウッドのヤクザ(?)と契約を交わし、いいように利用され、顔に怪我を負わされ、ハワイの売春宿のマダムへの紹介状とともに船に乗せられ、たまたま同乗していた作家と知り合う。その人がこの本の書き手。で、彼から缶詰工場の仕事を世話してあげようと言われるけれど、ハリウッドでスターになる夢を見ていた人が、それは選択しないわな。で、大金持ちになることを目標にする。「アメリカ海軍の全員と寝る」とも「私に選択する余地はないのよ」とも言いながら・・・で、「パトロン」になることを断った作家にはそれなりの弱みを意識させ、親への手紙の転送、後に儲けた金を銀行に預ける、株式会社の設立などの手助けをしてもらう。

娼婦には13か条の禁止事項があった。本土への電話・送金、自動車の所有、不動産の所有、タクシーの乗車、ワイキキの浜へ入ること、一流のカフェまたはバーの常連になること、ゴルフ場に入ること、軍人と結婚すること・・・。「娼婦たちは定められた場所に閉じこもり、仕事に精を出し、税金を払うように運命づけられていた」

収入はマダムと折半。医療費と衣料費と経費もかかる上に、そういう状態だから、たいていの女性は男に貢いだり、使ってしまう。頭のいいマミーはがっちり預金もし、服も、作家に手伝ってもらってニューヨークの一流の店のを取り寄せてもらったりしている。さらに儲けたお金で不動産会社を設立。そして、戦争。「娼婦たちには新政策ニューデイールが布告された」。娼婦たちの愛国心で、基本料金5ドルから3ドルへの値下げ。しかしマミーは黙っていない。自分たちは高級娼婦で10ドルをとっていた事を主張。5ドルのデラックス料金の許可を得てしまうのだ。

料金だけではなく効率性にも工夫。部屋を改造しベッドを4台設置。フル回転で儲ける。更に将校たちと仲良しになって、禁止事項、一流レストランやワイキキへの出入りもどんどん実行してしまう。戦争状態を利用して、自由を獲得していった。真珠湾攻撃で日本人が手放す住宅を安く買い付ける。軍人と結婚。作家と同じ高級住宅地に新居をかまえる。娼婦をやめ、顔の整形手術をし、落着いた生活をすることを宣言してこの本は終わる。

従軍慰安婦との違いは、まず、自分から仕事として選んだかどうかということ。もちろんマミーだって、選ばされたという側面がゼロではないけれど、「金持ちになる」という目的で選んではいる。慰安婦の場合は、連行もしくは「挺身隊」だと騙されてというケースが多い。負けたからというのもあったが、それで「金持ち」もしくは派手な生活を送れたものは皆無だろう。軍との交渉なんていうケースも多分皆無でしょう。それこそ証拠があるのかなぁ、あったら見せてほしいものだ。また、前線にもあったというのも、多分例がないのでは・・・基地周辺ならやたらとあっただろうが・・・その辺も日本軍ならではのことではないのか。

マミーの回転率は、慰安婦のそれよりも格段に多いようだが、美形と言うのもあって、売春の基本?「擬似恋愛」を演出する要素とでもいうのかな、マ、それがなければ、デラックス料金に行列はできないわな。慰安婦の場合、強姦、性的暴力という証言が多い。日本兵の欲求不満をぶつける対象でしかなかったのではないか?設立目的自身、強姦予防で、それがもれるとまずいから、軍の中に囲ったという印象を受ける。

ハワイでも、売春婦は差別されていた。政府当局からだけでなく、レストランの経営者や作家の女中、ガールフレンド、そして作家自身も、マミーの生き方に驚嘆しながらも、差別を否定したりはしない。でも、人間としての最低限は認められているというのかな、非難はあっても、彼女の反逆を押しとどめることはできなかった。

日本兵は、天皇から頂いた銃や馬よりも低い位置と言われていたように、また食料なしで戦わされたり、人間以下の扱いだった。命そのものを粗末にされていた。その兵隊の下の位置に、慰安婦があった。だからね、人間以下の以下の扱い。命だって、尊厳だって踏みにじられてしまったのだと・・・この本を読んだら、そのことが鮮明に見えてきたのよ。全然違う!!

以上が反論。ただ、どんな状況にあろうと、マミーのたくましさは見習いたいなぁと、今を生きている私は、そう思うのよね。目的意識とか、頭の回転とか、体力とかが弱くて、彼女ほどはたくましくはなれないことも自覚しつつ・・・少なくとも、自分なりに人生を楽しんで生きていきたいなぁと・・・。





No.25

2次会での話

 りっちゃん
07/9/18

慰安婦問題講演会の2次会に、北朝鮮への粉ミルクカンパをしている方が出席されていました。粉ミクルは向こうの病院から指定された日本製を、手渡ししていたそうです。それが経済制裁のおかげでここしばらくできなかったんですって。「“子どもたちに贈りたい”という私たちの自由意思を阻害された」と、おっしゃっていました。

今回の水害に対する援助を、現在行っているそうです。たくさんの国が援助に動き出しているのに、日本政府は無視だって。国際貢献がお好きなはずなのにねぇ。ハンクネット 朝鮮の水害復旧支援カンパにご協力を!をご覧ください。

でね、拉致問題の方たちも、そういう援助を行うことによって、北朝鮮の人たちとの信頼関係を築けば、もっと話が先に進むのにねぇ、と。ところで、アメリカが拉致問題の後押しをしてくれるのには訳があるんだよ、という裏話。なんたって、大国は自国の経済的国益をきちんと考えてますから・・・北朝鮮の資源、それから、ロシアの石油のために北朝鮮にパイプラインを引きたいというのがあるのだそうな。中国なんて、すでに50年間の採掘権を頂いている山があるとか。つまり、日本が経済的に北朝鮮に進出するのを遅らせたいから、「日本は拉致問題を解決させてからね!!」とこう言われちゃっている訳さ。拉致問題にこだわっていると、ウヨさんの好きな日本の国益がまたアメリカにさらわれちゃうということです。

植民地時代の鉄道や港を建設した日本の企業は、いまだに海図とかを保存していて、2002年の日朝平壌宣言が締結したらとてぐすねひいていたのに、小泉(その裏に控える米国)にストップをかけられてしまったとか。

北朝鮮の民衆としては、中国製品は品質も悪く、金儲け主義に騙されることも多く、できれば買いたくないけれど、他が入らないので、仕方なく買っているとか。日本製品は品質はいいけれど、高い。韓国製品は、言葉が一緒で、いい加減さもぴったりで、商談とかもうまくいくのだそうです。日本人はきちんとしすぎてかえって商談ではトラブルが多いとか。で、統一に向けてというのもあって、韓国製品がこれからは伸びるであろうということでした。

日本が何もぼろもうけする必要もないし、兵器を作っている企業に儲けさせたいとも思わないけれど、それぞれの得意とすることもあるだろうし、民間外交で、理解を深めることもあるだろうし、日本も経済的につながれるといいなぁとは思う。広がりのある付き合い方をした方が拉致問題も解決の道が見えてくるんじゃないかなぁ。

私も本音で、「核実験で、おれたちは偉い!!ってそぶりを見せたのはバカみたいに見えた」と言ったら、「今までのコンプレックスの裏返しで、そうしちゃったんでしょう。在日は長崎と広島で被害者もたくさん出ましたから、反対すべきだったんでしょうけれど、力が及びませんでした」、と反省していました。

在日朝鮮人としての悲哀の話も。北と南をつなぐ役割をにないたいと思っても、両者の文化、例えば、お酒の飲み方一つ、共通していることが多く、日本育ちで日本の文化を身につけている彼らの方が、取り残されてしまう感があるのだそうです。旅行しても、服装が全く違うので外国人扱いになってしまうとか。そうそう、北朝鮮を知るツアーをやりたいそうです。テレビ報道なんかの印象はだいぶつくられているそうで、普通の生活、庶民の暮らしぶりをぜひ自分の目で見てほしいとの事でした。

朝鮮大学校の若い女性の学生から、早稲田大学との交換会で、「北朝鮮はわけの分からない国だから」と言われ、希望を失いがちだったけれど、みんなの話を聞いて元気が出たとの発言がありました。オジサン、オバサンも若い人の参加が多かったことに希望が持てました。でもねぇ、早稲田の学生さん、「訳がわかんない国」だと思うのなら、どうして、“知ろう”と思わないのかなぁ?それって単なる思考停止じゃん。日本の学生の方が意欲や希望を失っているって事?しっかりせい!!

2次会もいろいろ話し合えて、面白かったです。以上、2次会の報告でした。堅い話もいいけれど、食べながら、飲みながらの話も、相互理解に役立つね。もっと参加者が多いとよかったなぁ。講演会の方は盛会でした。





No.24

九条と731部隊のイベント

 りっちゃん
07/9/18

No.23の講演会でもらったチラシが2枚。イベントの紹介です。

9条フェスタ 輝け9条!世界へ未来へフェスティパル

とき: 2007年9月29日(日)
ところ:きゅりあん
(品川区立総合区民会館)
「大井町駅」前
1日チケット:500円 / 小学生100円
連絡先:9条フェスタ2007事務局
http://www.9joren.net/9jofesta/


15周年特別記念講演
元731部隊幹部たちの取材を通して
講演:吉永春子さん
ドキュメント「魔の731部隊」上映
日時:10月21日(日)
    13:30開場 13:45〜16:30
場所:中野ZERO本館 視聴覚ホール
「中野駅」南口下車徒歩10分
参加費:500円
「731部隊展」・「毒ガス展」同時開催
中野ZERO西館 美術ギャラリー2階
20日(土)13:00〜19:00
21日(日) 9:30〜18:30
主催:ABC企画委員会
電話/Fax:042(348)1127
731部隊




No.23

雑感および慰安婦問題講演会報告

 りっちゃん
07/9/17

えー、まず岸田秀の「日本がアメリカを赦す日」とかいう本を捨てたことをご報告。小林よしのりさんと違って、なんか結論的には一緒のようにみえるのだけれど、国を精神分析すること自体乱暴だし、自分の視点が欠けているし、言葉の使い方がデタラメで、「のびのびした子がいるから学級崩壊が起きる」みたいな、精神分析をやっている人がまるでわかってない!!と思ったら、別に専門医でもなんでもないみたいで、自分勝手に分析というより悪口を書き連ねているようなので、精神衛生上良くない本だという判定を下しました。なんかねぇ、自分も反省したよ。人の批判は簡単。自分が偉そうにできるしね。それにしても何でこんな本が売れるんだか。

生き方として、悲しいことを数えずに、ということを心がけているのだけれど、もう一つ、人とのかかわりの中で、違いを言い立てる前に、共通、共感することをまず押さえよう、と、あと「言葉」にこだわったほうがいいのかなぁと・・・

15日の慰安婦問題についての講演会報告。自分なりのですが…。琴秉洞先生のレジュメ、はじめに、には

そもそも「従軍慰安婦」問題は、日本によるアジア侵略戦争時、日本軍隊によって、アジア諸民族の多くの女性たちが、性奴隷として日本軍に奉仕させられた事実から発したもので、「従軍慰安婦」問題の本質は人類社会の普遍的な人権侵害、人権蹂躙問題であり、日本の紛ごう事なき、そして恥ずべき国家犯罪である。ここでは、慰安婦問題がどうして生まれ、どう展開し、どう結末しているのか、それを要約的に見ることにします。

基本的に、その通りなんですけれど、引っかかるのが「性奴隷」という言葉。日本には、「奴隷制度」ってありましたっけ?例えば子守っ子、丁稚奉公、吉原の公娼制度とか、似ているのはありましたけれど・・・なんか違和感を感じます。性的暴力の対象となった事については確信していますが・・・それと国家犯罪は国家的犯罪では・・・軍隊が関与していたことは国家として認めていますが、100%法的な責任があるとまで断定できるのだろうか?タリの会としては「きっちり歴史を見つめる」のが目的だったのに、自分は、今あらためて、う、うーん状態です。岩井さんがおっしゃっていた「空気」の問題もからんでいるのではないかと…琴先生の話に「ちょうちん行列」の話も出てきたけれど、その時に「バンザーイ!」と叫んだ人々も含め、国民一人一人の責任というものもあるのではないか? ただし、その時に生きていなかった私が、それを責める資格があるのかというと、難しいなぁと…ただ、今を生きる私は、これからはそうでない選択をしないとなぁと思うのみです。


(一)一枚の陸軍省文書は何を語っているか(資料1、件名「軍慰安所従業婦等募集に関する件」昭和3月兵務課)
   @ 陸軍省中央部、正式に慰安婦制度を確立
   A 印を押した人々
  (二)慰安婦問題の背景
   (1) 日本軍隊の特性
   @ シベリア出兵の教訓・・・性病の蔓延・・・
   A 南京事件の教訓・・・強姦事件の多発
・・・何せ日本兵そのものが虐げられていましたから、それをまた下へぶつけるとなると、女性を虐げるということになってしまうのですねぇ。許されることではないのですが、被害者が加害者になってしまうのです。
   (2) 「慰安婦募集」と「国家総動員法体制」
   @ 奴隷状態の朝鮮人民(カイロ宣言)
   A 総動員法制定と「慰安婦制度」の確立
   B 「慰安婦狩り」の元凶、陸軍中央と革新官僚
   C 強制連行政策と二つの必要性
    1.兵力大動員による労働力不足
    2.物資増産への予備力動員
   (3) 皇民化運動と連行政策
   @ 皇民化運動の始動
   A 「内鮮一体化」の目的
(資料3、朝鮮総督南二郎(陸軍大臣)「内鮮一体の窮極の目的は半島同胞をして忠良なる皇国臣民たらしむるにありまして、内鮮人間に於ける一切の区別を撤廃するのを以って本旨とし、かつ終局の目的とする」
・・・差別撤廃と区別撤廃、たった一文字で偉い違い。
     B 「軍人」20万人、強制連行150万人
  (三)「軍規振作」の実態
   @ 軍の強姦対策
(資料4、川原副官通牒「…支那事変勃発以来…武勲ノ反面ニ幾多ソノ弛緩ヲ実証セル事犯ヲ生起シ就中総帥指揮ノ神聖ヲ冒涜シ軍存立ノ本義ヲ害スル軍紀犯ナラビニ武士道的精神及躾ノ欠如ニ因由スル諸犯多発シ軍紀ヲ害スルノミナラズ軍ノ威信ヲ失墜シヒイテハ聖戦ニ対スル内外ノ嫌悪反感ヲ招来シ治安工作ヲ害シ国際関係ニ悪影響ヲ及ボシ聖戦目的ノ達成ヲ困難ナラシメアルモノアルハ真ニ遺憾トスル所ナリ戦争状態長期ニ亙ルニ従イトモスレバ軍紀弛緩ノ諸因ヲ包蔵シアルニ鑑ミコレガ振作ニ関シテハ格別ノ配慮ヲ要ス・・・事変地ニ於テハ特ニ環境ヲ整理シ慰安施設ニ関シ周到ナル考慮ヲ払イ殺伐ナル感情及劣情ヲ緩和抑制スルコトニ留意スルヲ要ス 環境ガ軍人ノ心理ニオイテハ軍紀ノ振作ニ影響アルハ?実ヲ要セザル所ナリ故ニ兵営(宿舎)ニ於ケル起居ノ設備ヲ適切ニシ慰安ノ諸施設ニ留意スルヲ必要トス特ニ性的慰安所ヨリ受クル兵ノ精神的影響ハ最モ率直深刻ニシテ之ガ指導監督ノ適否ハ志気ノ振興、軍紀ノ維持、犯罪及性病ノ予防等ニ影響スル所ナルヲ思ハザルベカラズ」
・・・負け戦が見えればなお一層心が荒む。
   A 犯罪者が「勇敢な兵」
   B 軍医の意見、なぜ朝鮮女性が対象に
(資料5、麻生軍医意見 「娼婦 昨年一月小官上海郊外勤務中、一日命令ニヨリ、新ニ奥地ヘ進出スル娼婦ノ検微ヲ行イタリ。コノ時ノ被検者ハ半島婦人八十名、内地婦人二十名余ニシテ、半島人ノ内花柳病ノ疑イアル者ハ極メテ少数ナリシモ、内地人ノ大部分ハ現ニ急性症状コソナキモ、甚ダ如何ワシキ者ノミニシテ、年齢モ殆ド二十歳ヲ過ギ中ニハ四十歳ニナリナントスル者アリテ既往ニ売淫稼業ヲ数年経来シ者ノミナリキ。半島人ノ若年齢且ツ初心ナル者ノ多キト興味アル対象ヲ為セリ。ソハ後者ノ内ニハ今次事変ニ際シ応募セシ未教育補充トモ言ウ可キガ交リ居リシ為ナラム。一般ニ娼婦ノ質ハ若年齢程良好ナルモノナリ。・・・娼婦ノ約半数ハ年齢二十歳以下ノ者ト言ウヲ得ベシ。故ニ若年ノ娼婦ニ保護ヲ加エル事ガ重要ニシテ、意義アル事ナリ。サレバ戦地ヘ送リ込マレル娼婦ハ年若キ者ヲ必要トス。而シテ小官其地ニテ検微中シバシバ見シ如キ両鼠頸部ニ横疵手術ノ瘢痕ヲ有シ明カニ既往花柳病ノ烙印ヲオサレシ、アバズレ女ノ類ハ敢エテ一考ヲ与エタシ。此レ皇軍将兵ヘノ贈り物トシテ、実ニ如何ワシキ物ナレバナリ。如何ニ検微ヲ行ウトハ言エ。一応戦地ヘ送リ込ム娼婦ハ内地最終ノ港湾ニ於イテ、充分ナル淘汰ヲ必要トス。マシテ内地ヲ喰イツメタ如キ女ヲ戦地ニ鞍替エサス如キハ、言語道断ノ沙汰ト言ウ可シ。此レト類似セル問題トシテ現地支那ノ娼婦及ビ難民中ノ有病売淫者ヘノ?毒性疾患ノ浸潤驚ク可キモノアルガ如シ。此レ等ニ対シテハ軍トシテ若シ必要ナラ軍用慰安所トシテ我ガ監督下ニ入ルルカ、然カラザル者ニ対シテハ断乎トシテ処置ス可キナリ。」
・・・アバズレ女にしたのは男でしょう? “贈り物”ですか?人間ではなく・・・処置って、どう処置したんでしょうか?・・・
  (四)国家による「募集」システム
   (1) 慰安婦問題の歴史的位置
   @ 殖民地期の最大の民族受難
   A 原点は関東大震災
   (2) 「募集」システムと責任
   @ 天皇の責任とその法的根拠
   1、憲法(第一章四条、五条、六条、八条、十条、十一条)
   2、総動員法通過と貴族院の性格
   3、天皇は軍隊の統率者(軍人勅諭)
   A 満州での関特演→2万人予定、1万名(総督府協力) ※『関東軍』中公新書、島田俊彦、1941年
   B 吉田清治証言『朝鮮人慰安婦と日本人』の真偽 ※偽証論?しかし、s19.7.12 内務大臣の首相宛報告
    (資料8 経済統制に伴う警察事務に従事するものの増員説明
    「半島に於ける民衆は民度低き為に戦時下に於ける労務の重要性に対する認識なお浅く勤労報国隊の出勤をも甚だしく徴用なりと為し一般労務募集に対しても忌避逃亡し或は不正暴行の挙に出ずる者あるのみならず未婚女子の徴用は必至にして中にはこれらを慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり此等悪質なる流言と相俟って労務事情は今後ますます困難に赴くものと予想される。こうして労務の緊迫化に伴い曩に第1次及び第2次の現員徴用を実施し更に第三次徴用も目下計画中であるが朝鮮内外に於ける労務者の供給確保の為には労務動員手段の強化、労務者移動防止稼働率の向上は必至にしてこの成果を発揚する為には」
・・・朝鮮の人たちの間では騙されないように情報を流していたということね。
  (五)女性たちの行き先
   @ 日本軍の行った処はどこへでも〜(満州から全アジア地域)
   A 前線でも後方にも慰安婦(資料写真 ビルマ、ハルマヘラ島、沖縄)(一番危険な所に朝鮮女性)
  (六)軍管理下の慰安婦
   @ 料金規定による民族差別
     (資料12 常州駐屯間内務規定
       第九章 慰安所使用規定
       第六十一 実施単価及び時間
         1、下士官兵、営業時間ワ午前九時ヨリ午後六時迄トス
         2、実施単価および時間
            使用時間ハ一人一時間ヲ限度トス
            支那人      一円00銭
            半島人      一円五十銭
            内地人      二円00銭
           以上ハ下士官、兵トシ将校(准尉含ム)ハ倍額トス
           (防毒面ヲ附ス))
  (七)死して異域の鬼
   @ 玉砕の道連れに
   A 「旅のつばくろ」 帰る国なし
  (八)真に問われているものは何か
   @ 慰安婦問題で真に問われているのは何か。3月10日付の「朝日」は社説で「国家の品格が問われる」と題してこの問題を論じた。15年前私は「朝鮮時報」に慰安婦問題を35回にわたって連載したことがあったが、「連載を終えて」の結語部分をここに再録したい。
     「慰安婦問題で、日本が真に問われているのは、民族としての、国家としての倫理観であり、品位と尊厳である。」
   A 真の謝罪はどうあるべきか。
    1、元慰安婦の方々に真心をこめた安倍首相自身の言葉で謝罪すること。
    2、安倍謝罪文を閣議と国会で確認すること。
    3.道義的責任を認めるだけでなく、補償をすること。
    4、後世に同じ問題を起こさないことを誓い、教科書ではっきり教えること。

結び
 今年2月、米下院の公聴会で元慰安婦の李容洙さんは、「日本政府が私に土下座して謝るまで、抗議を続ける」と云った。また、8月、安倍首相がインドネシアを訪問した時、代表的英文紙に元慰安婦の声が載せられていた。安倍首相に「平手打ちをくらわせたい」というものであった。この慰安婦問題にどう決着をつけるのかという問題の根本がここに示されている。  安倍首相は、この元慰安婦の方々の声に応えるべきである。
 率直に日本政府、安倍首相は、この慰安婦にされた方々に心から謝罪すべきである。
 ヒントは、「アジア女性基金」の「首相のお詫びの手紙」にある。200万円の金とともにこの手紙の内容を聞かされた時、多くの慰安婦は涙を流したという。真の謝罪でない謝罪でも、彼女らは涙を流したのである。真の謝罪が行われた時、彼女らはもとより、関係諸民族のみならず世界は、日本国を真の道義国家への回生の動きとして歓迎するものと思う。
 こうしてこそ、日本は国際社会の同意を得ることができるだろう。

※琴秉洞さんの講演内容をもっと詳しく知りたい方は、『告発「従軍慰安婦」』(同時代社 定価1575円)をお買い求めください。


この後の質問で、声を上げなかったもしくは上げられなかった元従軍慰安婦がたくさんいることを指摘される方がいました。周囲の状況がそれを許さないというのもあるだろうし、法的責任がはっきりしないままの謝罪では許せない人もいるだろう。裁判になっても、今の日本では、国に有利な結果となってしまうし・・・軍が関与しているのは、琴さんの集めた資料からも充分証明されているけれど、逆にきちんと管理されていなかった面も見えている。地域や個々のケースでだいぶ状況が違っていたのかもしれない。軍も意図的に証拠隠滅もしているから、法的責任を問うのに充分な証拠を集められるのか?今回、「アリラン峠を越えて」という、郭金女さんの証言と生活を撮影したビデオ上映もあったが、元従軍慰安婦の証言を、今のうちに集めておかないといけないなぁと思う。そして、生き抜いた女性たちが今は幸せである事を痛切に願う。


今回の講演会の目的として、慰安婦問題をなかったことにしようとする動きに対して、というのがあったと思う。その顕著な例というか、同じ日本人として恥ずかしいのが、破廉恥な全面広告をだした議員44人+3人。記事に対する反論は、藤原肇さんのコラムで代用させてもらいます。おもしろいよ。

次の資料は、米下院「慰安婦」決議の日本語訳全文

日本政府は1930年代から第2次世界大戦期間に、「慰安婦」と呼ばれる若い女性を日本軍に性的サービスを提供する目的で動員することを公式に委任した。日本政府による強制の軍隊売春制度「慰安婦」は、集団の性的暴行や強制流産、辱め、身体の切断や死亡、究極的に自殺を招いた性的暴行など、残虐性と規模で前例のない20世最大規模の人身売買の一つだ。

日本の学校で使われている新しい教科書は、慰安婦の悲劇や太平洋戦争中の日本の戦争犯罪を縮小しようとしている。

日本の公共・民間の関係者は、慰安婦の苦しみに対する政府の真剣な謝罪を盛り込んだ1993年の河野洋平官房長官の慰安婦関連談話を希釈したり撤回しようとする意図を示している。

日本政府は、1921年に女性と児童の人身売買を禁止する条約に署名し、2000年には武力紛争が女性に及ぼす影響に関する国連安全保障理事会決議1325号も支持している。

下院は、人間の安全と人権、民主的価値、法律の統治や安保理決議への支持など、日本の努力を賞賛する。

日米同盟はアジア太平洋地域での米国の安保利益の礎で、地域安定と繁栄の根本だ。

冷戦以降、戦略的な環境の変化にかかわらず、日米同盟はアジア太平洋地域で政治・経済的な自由と人権、民主的制度に対する支持、両国国民と国際社会の繁栄確保などを含む共同の確信利益と価値に基盤を置いている。

下院は、日本の官僚や民間人の努力で1995年に民間レベルのアジア女性基金が設立されたことを称賛する。アジア女性基金には570万ドルが集まり、日本人の贖罪を慰安婦らに伝えた後、2007年3月31日付で活動を終了した。以下は米下院の共同意見。

1、日本政府は1930年代から第2次世界大戦終戦に至るまでアジア諸国と太平洋諸島を植民地化したり戦時占領する過程で、日本軍が強制的に若い女性を「慰安婦」と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない。

2、日本の首相が公式声明を通じ謝罪すれば、此れまで発表した声明の真実性と水準に対し繰り返されている疑惑を解消するのに役立つだろう。

3、日本政府は、日本軍が慰安婦をせいの奴隷として人身売買を行った時事は決してないとする主張に対して、明確に、公開的に反論しなければならない。

4、日本政府は、国際社会が提示した慰安婦に関する勧告に従い、現世代と未来世代を対象に残酷な犯罪について教育を行わなければならない。


非常に良くまとまった文章だと思う。 アメリカにへつらいたかったであろう44人+3人にもいい薬だったと思う。けどね。

それだけ確信があるなら、証拠もそれなりに持っているわけで、それを日本政府に手渡しておくれ!と思う。それと、新聞記事もだけれど、何でアメリカでなの?という疑問がわくんだよね。「謝罪」を求めるのなら、被害者の国からではないの?日本が言い訳をするにしても当事国でなく、何でアメリカ?変だよねぇ。

前述した違和感。「奴隷」とか「人身売買」は、アメリカの得意技だったんじゃぁござんせんか?と言いたくなる。実際日本が「慰安婦狩り」をした手法は、「人身売買」よりも「連行」が多かったのではないかと感じています。もし、「人身売買」があったのなら、「買」の側の責任はどうなるの?「連行」にしても、映画「ガイサンシーとその姉妹たち」では、国民党軍に連行され、日本軍にプレゼントされている。慰安婦と同胞である彼らの責任は? ちょうちん行列に参加した日本人が道義的責任を問われるのなら、彼らには法的責任をも問うべきだと思います。で、私は、日本軍に100%の法的責任はないのではないかと思えちゃうんだよね。もちろん大部分の責任は問われてしかるべきではあるけれど・・・

更に、直接関係のない「日米同盟」がしっかり盛り込まれている。日米の安保利益でなく、米国の安保利益とかかれてますねぇ。「価値観が一緒」に対する反論は、品川正治さんの講演会記録をお読みになってください。

でね。その一番の原因である植民地政策なり、実質的「奴隷」なり、「戦争」なりをおこしている現在の当事国、アメリカの責任を問いたいなぁと・・・思いません? 教科書だって、「原爆投下は仕方なかったこと」なんて書かないでほしいと思いません? この文章自身は、おせっかいオバサンの親切みたいな所もあって、素直に受け取るべきなんでしょう。けれど、「自分も反省しろよ!!」であります。で、多分、そういうことが言えない日本政府への苛立ちが、破廉恥広告にもつながっているのではと感じています。





No.22

ゴーマニズム宣言EXTRA

 りっちゃん
07/9/8

副題「パトリなきナショナリズム」。小林よしのりの漫画。沖縄論の続編です。

やっぱり結論は違うんだよね。私は「非武装」。中立ってなんかうそ臭いから、非武装中立とは言わないけれど・・・「非武装日本らしく」かな?

そして、イラクの人質3人のバッシングから、自称“愛国者”たちに失望したという小林さんの気持ちの変化に拍手です。

――彼らの守るものは「国」ではない。「権力」になってしまっている。――

そうなんです。私が「今の日本はおかしい!」と感じたのは、子どもたちのイジメが、大人の社会でも起きはじめたと感じた時からです。「同調圧力」と小林さんが表現されている、まさにそのことです。

私は決してアメリカが嫌いというのではないです。でも、年次要望書に「イエス」を言い過ぎる。アレができたあたりから加速度的におかしくなったんじゃぁないかなぁ。強いことが正しいこと。みんな考えようともせずに、多数意見に右へならえをして、そうでないものを叩く。人を叩くことでしか自分の存在価値が認められない、弱虫になっている。これはウヨさんだけではない現象ね。

この本は、「沖縄論」ほどまとまってはいない。でも、いい言葉および反論したい大事な言葉があちこちに点在。

まず、パラオの独立を米国に認めさせた前大統領。「大事なのは、その国に住む人たちが、自分たちの変化をコントロールしていかないと問題が起こる。これをどうやってコントロールするかというと、やっぱり法律。それは国民が決める」です。これって基本だよね。

次に、米太平洋艦隊司令長官、C・W・ニメッツ提督の言葉を刻んだ碑。「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」

小さい国だって、日本人だって、バカにしちゃあいけません。たった一匹の蟻だってかまれりゃ痛いんです。それをしっかり学ばなかった米国はベトナム戦争で負けました。アフガンとイラクも、早く撤退すればいいのに・・・

広島の平和団体のモニュメントへの小林さんの怒りはいったい何を指しているのかなぁ?「この悲惨な体験を教訓に、日本が二度と他国への侵略は行わないと、『平和憲法』をつくっています」。私は、兵隊を粗末に扱った軍部に一番腹立つけどなぁ。小田実さんのいう「被害者=加害者」の関係かなぁ。どこか捩れているような気もするけれど、片方だけの認識は良くないと思う。

――沖縄戦では、日本軍が住民を壕から追い出した事例があった。死に直面した日本兵が住民を犠牲にして生き残ろうとした例が多くあった。だから沖縄の反戦運動家は「軍隊は住民を守らない」と子どもたちに教える。――住民に対して銃を突きつけ、壕から出て行けと脅した兵隊は、「私の命か」「他者の命」かの極限状況で、「私の命」を優先させた。私の命を大切にした!――

ここのところは、小林さんの捉え方が間違っている。天皇から頂いた銃や馬よりも劣っていると常日頃言われていた兵隊たちが、「自分の命」を大切にするだろうか。負傷し,飢えていてもなお投降をせずに日本兵であり続け玉砕していった兵隊だよ。小林さんも書いたように、「大君の辺にこそ死なめ」という崇高な心を持っている偉い人たちだから、「天皇の軍隊」だから、住民のいのちを犠牲にしても、守らなければならなかったのではないの? もし、一人の人間として自分の命を守りたいと考えたのなら、自分の身内の女性なり、子どもを連想して、とても追い出すことなんかできない人たちだったと思うよ。非情なことができてしまったのは「天皇の軍隊」というおごり、傲慢さからなんだ。だから、「軍隊は住民を守らない」という言葉は適切な表現だと私は思う。

――軍が、軍それ自体を守るのは「私心」であって、「公心」ではない。軍は民間人を守ってこそ「公心」なのだ。――

本当は、そうあるべきなんですけれどね。いまどきの官僚、政治家を見てもわかるじゃないですか。公私混同。自分を権威付けるためには「公」であるといいはり、結局自分に利することばっかりしていませんか?

――これは「有事法制」にも直結する話だ。――例えば日本本土が戦場と化し、北朝鮮のテロ部隊が日本の都市に潜入したというような非常事態には、国民の住居を立ち退かせて自衛隊が使うこともあり得る。それは非常事態なのだから、多くの国民の生命財産を守るため自衛隊に協力するのはいいだろう。だが住居を明渡した住民を自衛隊と国は、必ず守らねばならない。ただ出ていけでは沖縄戦の「壕追い出し」と同じになる。――

うん、公の方が私よりも優先させるべきなのだ、という論調にも、「有事法制」にも、私は反対。小林さんの言うテロ部隊がどういうものかよくわからないのだけれど、潜入だったら、立ち退かせて自衛隊がもろに使うなんてことはありえない。こっそり住民にまぎれないと・・・
  戦場に化すくらいの大部隊なら、先に住民が避難しているはずだよ。それこそ自衛隊が避難誘導させないといけないんじゃなぁい?
  どこの国であれ日本をやっつけたいと思ったら、そもそも大部隊を上陸させるなんて戦術はとらないと思うな。東京か原発に爆弾落とした方が決着が早いもの。

――そもそも彼らリベラル派は「個人の自由」を信奉し、伝統や慣習を破壊する立場である。――

リベラルって、現実を直視し、幅の広い考え方をする人のことかと勘違いしてました。でも、小林さんの言うのもちょっと違うみたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB

新自由主義に対して、底辺の人の底上げと、地域社会の再編成を考えているみたいです。資本主義を修正できるかどうか、難しいようですが・・・

――美意識の欠けた人々には公共性というバランス感覚も育たない。教育基本法に愛国心や愛郷心を明記しても、美意識は育たないのだ。安倍総理の言う「美しい国」からは猛烈な勢いで遠ざかっているのが日本の経済政策の帰結としての現状である。――

漫画に画一化された地方の街並みが描かれている。ほんとにつまらない風景。美しい田園風景が見たいねぇ。経済的に旅行もママならない身だけれど・・・行っても見られなくなったかしら?地域の経済復興、農林水産業への梃入れ、過疎・少子化対策、問題は山積みです。無駄な防衛費をそっちに回してほしい。

――覚悟なき国民は、一定の出生率の維持ぐらい子孫のために考えろ!――

徳川時代の宗教でも書いたけれど、「ご先祖に申し訳ない」という感覚は、財産(金だけでなく、例えば地球とか教育・文化とか)を先祖から子孫へ、と伝えるのが当たり前であるということなんだと思う。小田さんは大学の授業料は公費でと提案していた。これが一番頭の痛い問題なんだよね。親にとって。

――女に能力があるのに、その能力を発揮してはいけない、美しくなってはいけない、生き生きしてはいけないなんて、そんなバカなって思うよ。――

おっ、いいこというなぁ。わかってるじゃん。男が女を支配するのではなく、認知、応援、援助してくれるとうれしいな。ブランドで身を飾ることが美しいとは思わないけどね。

――「悲惨でも勝てばいい」と居直る国民に、戦争の悲惨さを教えることはできるのか!?――

中国はそれこそ欧米のみならず同じアジア人にも踏みつけにされ悲惨な戦争を味わった経験がありますから・・・ただ、核については、わかってない。確かに可能性は他民族よりありますけれどね。汚染された地球に生き残ってそれがうれしいですか?教えないとね。核の悲惨さを。

それと、中国はそういう脅しというかテクニックが上手です。本気で覚悟をしているからなんだと思うけれど・・・日本は何もしていない。覚悟もないからねぇ。まともに考えてもいないんじゃぁない。防衛問題、もうすでに属国なんだから、別な国の属国になることを何で恐れるんでしょうねぇ。人口集中、資源のない国、食糧自給率の低さで、どう戦っても負けるのはわかっているから、おカネは防衛費でなくまず日本の底力、生活を整える方が先と考えてます。もちろん武力で防衛することにも反対なのですが・・・最低必要な防衛をどんな風にするのか、具体案を聞きたいです。米国のお古とか不用品を買わされても、何の役にも立たないんでしょう?どうやって守るつもりなんだろう。面子でなく国民をですよ。

――平和の反対は無秩序、戦争の反対は外交であれば、戦争で国内が無秩序にならないために何をすればよいのかといえば、相手の国と話し合い、外交するしかないじゃないですか。その努力を反戦平和の人たちがやっているのかどうか。平和平和平和。戦争は悲惨だ悲惨だ悲惨だ。平和を願いなさい平和を願いなさいと自国民に向かってだけ言うのではなくて、中国にも言わなければならないはずです。――

前半は、なるほどです。後半は本当にそうですね。政府がいうべきなんだけれど、やらないのなら、自分たちが声を上げなければ・・・と実感しています。

平和団体の中にも「同調圧力」があるから、一応ははいっているけれど、基本的には私も個人での闘い。でも個人ではなかなか力にならない。まずは「同調圧力」をどうくずすか、かな?ここに意見を書くだけでなく、動くこともできたら、もっと地域にも関わらないと、と思うのですが・・・女一人生きていくってこと自体、大変なんだよなぁ。それでもできることをぼちぼちとやっていきますです。はい。





No.21

徳川時代の宗教

 りっちゃん
07/8/31

金太さんによると狂暑の夏。療養中の身にというか脳みそに堪えて、R・N・ベラーの「徳川時代の宗教」を読み出してからまとめるのに、一ヶ月かかってしまったかも。これもまとめというより、書き散らしに近いかな。でも、面白いし、いろいろ考えさせられました。

「日本は、自国を「近代産業国家」に変えた唯一の非西欧国家であった。したがって、日本はすべての国家が辿るであろう道のりのいくつかのうちの一例であった。『徳川時代の宗教』で、私は、近代日本の文化ルーツが日本の成功に寄与したことを示そうと試みたのである。」

上記が著者の狙い。原書は1957年刊。学位論文を発展させたものだとか、道理でやけに小難しい。
  非常に丁寧に日本の徳川時代の文化について調べてあるが、都合のいいところを取り上げてまとめている感もある。

「われわれは、すでに、日本の価値体系の特徴が「政治」価値を優先すると主張してきた。その政治価値は、特殊主義と遂行という二つの類型変数の結合したもの、あるいは、社会体系の目標達成の次元に適合する諸価値として規定できる。」
  「・・・家族であれ、藩であれ、全体としての日本であれ、当該集団の構成メンバーの一人が属しているのは特殊な体系ないしは集合体である。これらに献身することが、心理とか正義とかに対するような普遍主義的献身よりも優先する傾向を持つ。」
  「とりわけ、政治的権威に対する強烈かつ圧倒的な忠誠は、恩という観念の中に存在している。政治的権威は、それに服従する民衆に恵(恩)をほどこす義務がある」

ベラーの使う「普遍主義」や「価値」というのが、どうもキリスト教に認可(裏づけ)された現在の資本主義を善とするための言葉に過ぎない気がしますが・・・
  いわゆる忠義という絶対的縦関係の言葉は、恩と報恩と捉えたいですね。戦国時代には、どこに味方するかは、自分で(家)で選んでいたわけで、裏切りも一杯あったことですし・・・『徳川家康』を読んだ影響からかもしれないけれど、次の文章に賛同。

「将軍家がすべての民衆に与える偉大な恵の一つは、平和である。このことは何度となく繰り返されて説かれる。とくにこの時代の初期は、およそ150年に及ぶ戦国乱世の後であったから、平和は確かに偉大なる恵みにちがいなかった。確かにこの事実は、将軍家の正当性を主にイデオロギーの上で基礎づける一つであった。さらに、藩と将軍家の支配は、民衆にとって「恩」と考えられる飢饉救済、洪水防止、土地開発、その他同様の計画を実行した。一般的に、好ましい経済的、政治的条件は、政治的権威によって与えられる恵みと感じられた。」

平和で安定した社会を管理している藩・幕府への報恩としての忠義。これは武士だけでなく商家の家訓にも書かれており、「奉公の観念をさらに拡大したものは、自己の家庭の平安ではなく、全体社会の平安に対する関心である」。二宮尊徳も「 天賦の才によって、身分相応に生活し、勤勉と節約をし、余った金は貯蓄して、荒地を回復、発展させ、負債を支払い、貧しいものを救い、村や地方を救うための基金とし、また、日本全体が繁栄し、その繁栄が外国に及ぶまで、家々、村々を助けるものは、彼が天、地、人から受けた恩に報いているのである」

価値体系の中で「第一に中心となるのは家庭」第二が生産と消費を選択する行為のバランスを保つこと、第三が公と個人の利益のバランスを保つ。「己の分をわきまえる」。

すべて家を守ることにつながります。消極的に自分の家を守るだけでなく、自分の主に当たる組織のために尽力をします。それが忠義?ベラーの言葉では「遂行」かな。まさしくA型タイプ。「勤勉」「倹約」いかにも日本人の性格ですね。
  ベラーによれば、「忠義」、「勤勉」、「倹約」といったことが、士農工商、すべての人への教育がなされていたようです。裏を返せば、そうでない人も一杯いたとも思うのですが、建前としてもあるし、「ご先祖様に申し訳ない」という言葉もあるし、家制度がきちんとしていた封建時代では、効き目があったのでしょう。
  普通の人たちの普通の暮らしの中の文化、(例えば、従順、勤勉、質素を重んじる労働力)が単なる個人の利益の追求ではない「資本主義」への移行をスムーズにさせたというのがベラーの主張したいことのようです。
  さらに、日本の近代化の特徴として、官僚主導、信用取引も指摘しています。(明治維新についての分析も的確で面白いけれど、長くなるのでカット)。

1985年のペーパーバック版まえがきが、初版本に対する丸山という人の批判も含め、なかなか興味深いです。

「私がこれまで仮定していたのは、経済が近代化をみるうえで重要な領域であり、経済を伝統主義的束縛から解放したり、経済固有の法則に沿って発展させるものはどんなものでも近代化を促進させるものである、ということであり、また経済的発展がただたんに本質的に善であるばかりでなく、近代化の他の善さも、多かれ少なかれ、経済的発展からもたらされもする、とした。
  ところが、丸山は、経済的発展が政治的民主化もしくは倫理的普遍主義とはかならずしも相関していない、というのである。彼の主張によると、経済的発展は、他のある変化を伴わないと、経済自体を持続させる条件さえ否定しかねない、という。」

ですね。今のアメリカの経済やら政治やら、とても「資本主義」が善、とは言えませんもの。

「日本の国際的経済競争における成功は、一つには世界のなかで最も効果的に管理された社会の一つである日本社会の性格に基づいている。日本の官僚は、よく訓練され、献身的で、有能である。」
  「丸山真男やその派の批判者が一九五〇年代に期待していた意味の民主主義は、日本にはない。日本は、管理された社会の典型的モデルであり、多くの産業社会が進んでいくと思える社会のタイプである。」
  「日本の女性は、他の産業社会の女性と比べると、社会的平等の要求の点でほとんど進歩していない。」
  「われわれは問わねばならない。(『徳川時代の宗教』に述べられているような)日本の伝統とこの近代的推移が絶えず促した急速な経済成長の結果から、この成長を可能にした真の条件が否定され始めることはなかったかどうか。」
  自然のリズムの季節感を味わい得る生活様式から庭のないマンション住まいへ。神棚、仏壇を置くのにふさわしいスタイルでないために、子供らは祖先を敬う心情をもつこともなく育ってしまう。おそらく隣近所の人々とはお互いに他人の関係となっている。夫や父は、遅くまで働かねばならないし、通勤距離が長くならざるを得なくなっている。東京や他の主要都市の地価は天文学的に上昇している。多くの日本人には、もはやどのような「故里」もなくなっている。われわれは、日本の事業団体が家族や地域集団の古い忠誠観念を新しい産業社会に導入し得た、この様を述べてきた。もし古い忠誠観念が壊れたなら、これに代り得るものがあるといえるであろうか。
  「日本は、多くの人々が目標とした、他の近代社会の経験した運命と同一の運命を、典型的に辿るように思われる。世界のナンバー・ワンの地位を占めることは、心地のよいことではないらしく、誰もこの地位に長くとどまろうとしない。」
  「一九五〇年代には「アメリカの世紀」を唱える人がいたが、いまなお、そう思う人は少ない。いくらか経た今日、アメリカは、かつて保持していた競争力の優位を失っている。この力はなお巨大であるが、アメリカは、もはや未来に役立つ模範的思想から他の国々に刺激を与えない。」
  「どこかの国が、今日その役割を果すとするなら、それは日本である。しかし、急速な近代化に不可避的に伴うと思われる損耗――成功のための諸条件をいずれ否定することになる損耗――は、日本にありありとみられ、そのために、将来数十年間、日本が優越さを持続すると予想することは、ほとんどむずかしいと思われる。」
  「私の見落したのは、富と権力の限りない蓄積からは良い社会が招来しないどころか、むしろ発展し得るどの社会にも必要な諸条件が否定されがちなことである。私は、目的と手段を取り違える過ち、すなわち手段を目的にしてしまう過ちを犯してしまった。」

以上、切り張りですが・・・
  で、彼はいま、あらためて日本の文化の特徴と、これからについてこう書きます。

「日本宗教は根本的には調和――人間間のそれと自然とのそれ――に関心を寄せる。伝統の諸々の要素をみると、調和の解釈にはいくらか違いがあっても、それぞれ特有の見方がある。しかも、それらのどれも、結局のところ、儀式、振舞い、ほとんど舞といった生活の表象に凝集し、これらに表現されているものは、宇宙のいっさいの存在に慈しみを持ち、心配りをしている情念である。
  神道では、人は八百万の神々を尊崇し、神々は森羅万象のうちにひそみ、人間のあらゆる営みを見守る。神道は、祭りで最高潮に達し、神々と人間がともに喜び、舞で大地の恵を祝うが、この舞こそは生活の範を示すものとなっている。
  仏教の信条では、仏性はあらゆる存在、人間、動物、山、皮、瓦のかけらから道の塵にさえ存在する。人は、この知恵に応え、仏性をあらゆる存在に、また人間自身のうちに表現しようとする。ごく普通にお茶を飲み、歩き、臥しかつ睡眠をとる。それでいて、どんな行為をしても、それらは数知れない他人の行為に対し非のうちどころなく、適切に応じたものとなっている。そのために、宇宙それ自身は互いに呼応しあう舞手がリズムの巨大なネットを織りなしているとみられている。
  儒教にあっては、天地が人類の秩序と同じ秩序をもつと認められている。生活は各人それぞれの役割に応じた遂行をし、他人を配慮する儀式的パターン(礼)である。
  第三章で私は、二つの日本宗教の本質的な側面を述べた。つまり、慈愛の存在に対する感謝と存在の根拠との合一。両者は、私がここで述べている共通のパターン、つまり慈しみのある舞の調和を入念に形づくっている。
  他のほとんどすべての文化の人々よりも、日本人は生活を享受する人々を生み出すために、基本的に生活をこのように理解している。しかし、日常生活の多くの事柄を行う、表面的な、美しい形式が、実際のところ社会の究極的な目的を実現しているかどうか、疑わしいかもしれない。
  そのことが実際行われていたなら、自然風景は荒廃したであろうか。個々の人間の尊厳は集団の要求のために容易に犠牲になったであろうか。一切の存在に対する慈しみは、本質的な社会行為の動機としては非常に低く位置づけられ、そして富と権力の蓄積は高く位置づけられていたのではないのか。それどころか、慈しみの舞のパターンは生活の目的を設定するどころか、それ以上に他の目的のための手段として用いられているようにみえる。これは、個人を、集団の要請に敏捷に対応するように社会化させたり、達成または集団への忠誠の圧力から表現的に逃避させたりするのに役立っている。」

私が思うに、富=幸せとは言えない。なにもNO.1でなくともいいじゃない。封建制度の中では、家制度はそれなりに合理的だったと思うけど、覆水盆にかえらず。個人を大切にする時代になっているのだから・・・一番大きいマイナスの影響は、家単位での伝統と教育とそれによる信頼が損なわれたことだと思う。特に指導者層、官僚、政治家の類の徳育がお粗末。それでも日本人の資質、「勤勉」「質素」「自然との調和」は基本的には変わっていないし、その中で、これから、日本人も、地球も、元気でいられるためにはどうしたらいいかを考えるしかないんじゃないかな。個がばらばらでは力にならないので、新しい地域、新しい連帯が必要だとは思うけれど・・・

地球と人類の存続のために、一番の大前提は、核兵器の使用が絶対にないことと環境問題の対策だね。どちらの面でも、日本が主導的に動けるし、動くことになると思うし、そうでなければ、地球の未来はない、といっても言いすぎではないと思う。

資本主義は修正せざるを得ないでしょう。自由競争のツケは中国を見るだけでもはっきりわかる。公害、環境問題、貧富の差の拡大。国単位でなく、これからは地球規模での管理が必要になるでしょう。

S・F的?でも、現実ではないですか?時間的にもあんまり余裕ないと思うけどな。





No.20

タリバン人質解放

 りっちゃん
07/8/30

ずーっと心配していたので、ちょっとホッ。残された韓国人人質19人のうち12人が解放されました。毎日新聞クローズアップ2007の記事です。

イスラム諸国大きな役割。インドネシア「もう殺すな」と説得。サウジアラビア独自ルートで交渉。韓国「自己責任論」を封印。そして、アフガン政府関与できずの見出し。これだけでも、いろんな国が人の命のために尽力したことがわかる。アメリカとアフガン政府が人の命を軽視したことも。“人質解放交渉をめぐる各国の動き”という図まであります。それによると、アフガン政府と米国は、タリバン兵の釈放を拒否と載っています。前振りには、米国の「テロとの戦い」に追随するアフガニスタン政府は、解決に向けた動きに関与できず、統治能力の欠如を露呈した、とも。

一方、韓国政府は、
  「韓国政府がどれほど努力しているか、拉致団体(タリバン)に知らせることに重点を置いた」。人質解放合意を発表した韓国青瓦台(大統領官邸)報道官は28日夜、タリバン側の譲歩を導いた韓国の交渉戦術についてこう説明した。
  韓国政府が今回とった戦術は、政府が努力する姿を「見せる」外交だ。事件発生直後から外務次官や閣僚級の青瓦台高官を次々と現地へ派遣。アフガン政府高官とタリバン兵釈放問題で義論する姿を内外にアピ−ルした。
  「テロ集団と直接交渉しない」との立場をとる米国を意識し、事件直後は米国を意識してタリバンとの直接交渉を避けた。だが7月下旬に男性人質二人が殺害された後は方針を転換した。これ以上アフガン政府に対応を任せると、さらに多数の命が危険にさらされるとの判断があったとみられる。
  ・・・「自己責任論」を韓国政府は「交渉に悪影響を及ぼす」と強硬に抑えつけた。「無防備に布教活動した」とインターーネット上に流れた批判に対し警察当局は今月10日、3人を名誉棄損容疑で摘発した。被害者救出に向け団結した世論を作り出すことで、交渉基盤を強化した。
  韓国政府は身代金支払いによる解決策を模索し続け、タリバンへの金銭の支払いがあった可能性を否定はできない。しかし「拘束中の仲間の釈放」という要求を拒絶したままタリバンに、「韓国軍の年内撤退」との既定方針を受け入れさせ、人質解放にこぎつけたのは、あらゆる手段を用いた政府の努力の産物だ。

だからいつも言っているじゃぁないですか。米軍は日本人を守ってはくれないと・・・韓国の人たちも、わかっているから米軍撤退もスムースなんですかねぇ。ここでまたカブがしっかり下がりましたね。アフガン政府も米国も、交渉もできないくらい無能なのか、かたくななのか、これではいつの日か崩壊しますね。

日本政府は何をしたのでしょうか。隣国の人の命がかかっているのに・・・自国の人の命がかかっている時も「自己責任論」でしたから、何もしなかったのかな。あほです。同じ北朝鮮による「拉致事件」だって、この韓国の「見せる熱心さ」を見習えばいいのに・・・とは思うのですが、イラクでの自国の人の命をを見捨てたように、本心からではないから、できないのでしょう。

やれやれ、情けない。





No.19

戦争体験を聞いて

 りっちゃん
07/8/25

伝言板のno.7、8/24、小平で開かれた「若者と語り合う戦争体験のつどい」を聞いてのまとめと感想です。

まずは、特攻隊員で将校だった岩井さんの話、特攻とは死ぬのが目的であって、生きて帰るということは不可能であったこと。軍部はそれを承知していたこと。中国で暮らしている時には差別は当たり前のことと捉えていたが、日本で教育を受けて、@これは不正義な戦いである。A日本は必ず負ける。B徴兵されたら死ぬだろう。と漠然と分かっていたのに、時代の“空気”には逆らわず、「お国のために死ぬ」事を覚悟した。

斉藤さんは、1944年19歳で徴兵。インテリではなかったから何の疑問も持たず、「お国のために戦える」ことを喜んで応召。日本の兵士の扱いは、岩井さんの話どおり「死んでもいいから戦え」だから、どんどん兵士が足りなくなって、20歳以降では間に合わなくなっていたのね。訓練が終わって移動の時に4列の右端にしか銃が無かったとか。兵器も足りなかった。食料も底をついていたらしく、どんぶりご飯の底の方にしかご飯がなく、お腹がすいて困ったとか。将校や班長とかは山盛り。ぴちぴちの軍服が3ヶ月でだぼだぼになったとか。上官、将校や班長殿は山盛りご飯。岩井さんのような、特攻は待遇がよかったそうな。で、階級は上だけれど、戦争体験のほとんどない上官の「逃げろ」で、みんな八路軍の捕虜となって、最初に言われた言葉が、「お疲れ様でした」だったそうな。同じ軍隊でもこれだけ違うのかと・・・ご飯も一杯いただけたとか。訓練期間の最後に、「蟻の兵隊」にあったように、罪をこじつけられた農民だろう人を全員で刺殺したそうです。人を殺す度胸をつけるための訓練。人を殺すのが軍隊なのです。若者の質問に、困った様子で、その償いになったかどうか、八路軍の衛生兵として多少は中国の建国に役立ったかなぁと、戦後八年経っての帰国でした。

宗像さんはもともとキリスト教だったそうで、「天皇と宗教とどっちが偉いか?」なんて質問に当惑したこともあったそうな。イジメももちろん。で、キリスト教徒も立派な皇軍の兵士になれる」ことを証明したいと、海軍兵学校に入学したとか。聖書を持つことをせっかく許されたのに、やはり、周りの“空気”か、在学中に聖書を開くことはなかったそうな。日本の軍隊は、日本の国民を守らなかった。軍部も一般の兵士も、兵站部というのかな、補給部隊を軽くみていた。そして補給が間に合わない分、食料その他は自分たちで、現地から奪えが方針だった。「三光作戦」(中国語で光は「尽くす」の意。殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くした日本兵のやり方を表現した言葉)は当然の帰結。(それも間に合わなければ、兵士は餓死。90%餓死という数字は妥当な線ね。それでいて「英霊」だなんてよく言えるよ)つまり、軍部は兵士を殺したようなものだ。「上官の命令は朕の命令」。若い人には分からなかったようだけれど、つまりは“天皇”の命令という意味。「私は貝になりたい」のフランキー堺はこういっていたのに、今のリメイク版では「上官の命令は絶対だ」に変わっている。あいまいになっていることに危惧を感じる。天皇の戦争責任はきちんと追求すべきだ。今は何もかも逆さまな時代。戦争をしたいという“空気”が新たに起きている。そこでは“戦争をする”ことが善、9条を守るということが悪という。ならば、われわれは悪人になりましょう。

宗像さんは原爆についても、アメリカ人の大半はキリスト教徒、自分の手を汚せば、トラウマになる。ところが、原爆のような近代兵器は、上から落として後は知らん顔。罪の意識を感じることがない。その分残虐である。久間発言、ジョゼフ発言、これをアメリカに抗議しなくてはいけない。と。


私がこの伝言板でいつも書いている戦争の状況というもの、特に日本軍の非道さが、体験者から語られたことに自信がもてた。戦争はしてはいけない。特に日本は。一人一人考え行動することがまだまだ苦手の日本人。「上からの命令」で平気で人を殺してしまえる。「自分の命」を大事にしないから、人にも残虐。お国(政府)は相変わらず、国民を粗末にしている。責任転嫁できる天皇制もまだ存続している。戦争が起きたら or 起されたら or アメリカの傭兵にされたら、兵士も国民も、命を粗末にされちゃうよ。駄目駄目。悪人と呼ばれてもいい。9条を守ろう。

宗像さんはお説教で慣れているから話が分かりやすかった。岩井さんと斉藤さんのお話も、やはり、重みがあった。インテリの責任というものを感じさせられた。過去のことではない。現在、“空気”を感じ取った人、情報を得ている人、指導者の立場にある人は、ちゃんと発言をしよう。そして、私が今感じているのは、発言だけでなく、行動をしたいということ。天木さんが提案していたアメリカの新聞への意見広告、ぜひ参加したい。一口千円の参加だけど、アメリカの一般国民に、原爆の残虐さを伝えて、核廃絶への道を開きたい。

他にもできることはないかしら?





No.18

農地法 耕作者所有原則転換?

 りっちゃん
07/8/24

今朝の新聞の一面に載っていたけれど、一体これはどういうことなんだ?なんか、怪しい。

農林水産省は、戦後の農地制度の基本理念だった「自作農主義」を放棄する方針を固めた。耕作者自身が農地を所有することを原則とした農地法の規定を修正する方向で、来年の通常国会に同法改正案を提出する見通し。同省は農業の体質強化のために経営規模拡大を促す改革を進めているが、農地の「所有」よりも賃貸借などによる「利用」を重視した法体系に転換することで、大規模農家や法人に農地が集まりやすいようにする。

教育基本法もそうだけれど、新しい「理念」を設けることなく、「理念」を放棄するのは絶対によくない。それと、「改革」という言葉で、今までどれだけの法律が改悪されてきたか、アメリカの言いなりになって、「国益」を貢いできたかを考え合わせると、すごく怪しいと私には感じるのだが・・・

かつて「地主」が小作人に耕させていた時には、働けど働けど、農民は貧しかった。中国の革命って、その地主からの解放だった。日本は米国のおかげで、農地解放がなされた。よかったとは一概に言えないけれど、農地解放自身ははいいことだ。みんな、働き甲斐をもてるようになった。

1952年に制定された農地法は、立法目的を定めた第1条で「農地はその耕作者自らが所有することを最も適当であると認め」るとした。これはとっても大事な条文だと思うよ。

農地法の抜本改正に乗り出した農林水産省は今秋、農地政策の具体的な見直しも打ち出す方針だ。その最大の狙いは、賃貸借による農地の集積と経営規模拡大。23日までにまとまった骨格によると、農地の貸し手と借り手を仲介する新機関を全国の市町村に設置するとともに、利用状況や賃料など詳細な農地情報を都道府県ごとに一元化したデーターベースを作る。必要な費用は08年度予算の概算要求に盛り込む。
  同省は、大規模な経営体に支援対象を絞った07年度の補助金改革などで規模拡大を促しているが、大規模農家に農地が集まっても細かく分散している場合が多く、農作業効率化の障害になっている。このため、あたらしい仲介機関は地域で貸し出される農地をいったんまとめて借り受け、大規模農家や法人に再配分して分散のない「面的集積」を図る。
  併せて、現在は農業委員会、市町村、土地改良区、農協などがばらばらに持っている農地情報を一元化する。区画ごとの所有者、耕作者、賃料などの詳細情報を整理して地図にも反映し、面的集積を勧める上での基礎データにする。データベースは個人情報を含むため公開しないが、地域の賃料水準などは公表し、新規参入希望者が利用できるようにする。
  このほか、全国で38.6万ヘクタールに上る耕作放棄地を5年後をめどにゼロにする目標を達成するため、自治体による耕作放棄地の有効活用を支援する事業を始める。作物の植え付けだけでなく牧草地にしたり山林に戻すことも選択肢にする。
  また、現在は相続した農地で20年間営農を続ければ相続税が免除されるものの、農地を貸し出すと免除の対象から外れるため、規模拡大の妨げとなっている。これを大規模農家に農地を貸し出した場合は免除が受け続けられるように改める。
  更に、一般企業の借地による農業参入を耕作放棄地のある地域などに限っている現行の規制を緩める。ただ、企業の農地所有自由化は見送る方針だ。

なんだか、アメリカ式の大規模農園、元植民地の大規模プランテーションをまねしたいというような感じがするんだけれど・・・小さい子どもたちが低賃金、劣悪な条件で働かされて学校へも通えない、そんな状況を日本国内でつくりたいのかしら?

農地を持っているだけで、収入が得られるというのも、余りいいことではない。あたらしい地主階級の出現か? いや一人一人は中途半端な面積だから、たいした収入にはならず、かえっていつかは企業や、大規模農家にとられてしまうのではないかしら?

私が願っている、“若者も農業で食っていける”ということにはとてもなりそうもない案だわ。小作人になったって、そんなの面白くもなんともない。さらに、過疎地は、たいてい不便な山間だったりするから、この大規模で効率的な農業には当てはまらず、ほっぽり出されたままではないかなぁ?

食の安全などどうでもいい、働く人の意欲も関係ない、効率よく、ただ儲かりゃいい。そんな農業にならないか、とても心配。政府からの補助金はたっぷり。税金の無駄遣いにならないかしら?また有識者会議。誰がメンバーかしら?せっかく農協というものがあるのに・・・農民の意志を尊重して欲しいけれど、どうも、大規模農家と企業優先のようだわ。「改革」って誰のため?





No.17

従軍慰安婦問題

 りっちゃん
07/8/14

タリの会よりイベントのお知らせです。

抗議

「従軍慰安婦」問題

歴史の真実を見つめましょう

日時 2007年9月15日(土)

開場 1:30 開会 2:00〜4:30

場所 小平市中央公民館講座室
     東京都小平市小川町2-1325

内容 ビデオ:「アリラン峠を越えて」

    講演:琴秉洞(クム・ビョンドン)氏

資料代 500円     主催  タリの会


「アリラン峠を越えて」(伊藤孝司氏作品)
  朝鮮民主主義人民共和国在住の日本軍性奴隷被害者(元『従軍慰安婦』)、郭金女(クァク・クムニョ)さんの証言と生活を撮影したビデオ。隣国でありながら、過去日本による被害の実態がほとんど知らされていない朝鮮での貴重なドキュメンタリー映像です。
  撮影、ナレーション担当の伊藤孝司さんは日本の侵略で被害を受けたアジアの人々を20年近くにわたって取材してきたフォトジャーナリストで、朝鮮にもたびたび訪れ、多くの被害者たちを取材してきた方です。

琴秉洞(クム・ビョンドン)先生
  1927年、福岡生まれ。元朝鮮大学校講師、元朝鮮大学校図書館副館長。主要著書、編書として『関東大震災と朝鮮人』共著(みすず書房)、『耳塚』(二月社)、『関東大震災朝鮮人虐殺関連児童証言資料』編・解説(緑陰書房)、『金玉均と日本』(緑陰書房)、『日本人の朝鮮観ーその光と影』(明石書店)、『告発「従軍慰安婦」』(同時代社)など、近代日朝関係史に関わる書物を多く著されている。また『朝鮮新報』にも連載、解説文など多数掲載されている。

慰安婦関連調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 平成5年8月4日
  いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めてきたが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧によるなど本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲などが直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理なども、甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意思に反して行われた。
  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
  なお、本問題については、本邦に置いて訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、充分に関心を払って参りたい。





No.16

過去は変えられないけれど、未来は変えられる

 りっちゃん
07/8/12

8月10日放映の「太田総理」見ましたか? 原爆投下の損害賠償を請求すべきかどうかについてでした。

もちろん、他にも空襲とかの被害もあるし、重慶への空爆は日本が加害者であるし、現実に戦争に負けた国が勝った国に損害賠償というのも無理があるとは思うけれど・・・でも、いろいろ考えさせられた。印象に残ったことだけ記します。

まずは原爆の体験者の話。昼間に戦争展に行って、「焼け爛れて皮がむけ、まるでお化けの行列のようだった」というのは見てきたばかり。それでも体験者の話は重みがある。涙が自然とこぼれました。そして、「アメリカ人に対してどう思いますか?」という質問に、「当時は恨みました。でも、爆弾投下をしたのは一部の指導者。一般のアメリカ人ではありません」。

ケント・ギルバートが広島で原爆記念館の見学中に、「どう思いますか?」と聞かれて、何も感じていない自分に気がついたというけれど、加害者というものは、自分を守るために自然と防御のためにそうなるのでは、と私は感じた。原爆投下についての認識が他の国とアメリカでは、だいぶ違うのはそのせいだと思う。

核の傘に入っているということは、良くないとは思っていたが、大体の日本人と同様、それはバランスをとって抑止になるという説明をなんとなく受け入れてもいた。しかし、ここで言われた「日本は核の使用を認めている」と外国人には捉えられてしまうのだと知って、びっくり。そうなんだ。“いざとなれば、日本を守るためにアメリカに核爆弾を使ってもらいます” そういうことなんだ。被爆国日本は、“核の傘に入っていてははいけない”、とあらためて思った。

それと、米国の中学の教科書にもジョセフ発言と同様に、「原爆は戦争を終結するためにやむを得なかった」と書かれていることにもびっくり。そんなぁ、あれは人体実験だったんだよ。非人道的もいいところ。日本も歴史を改ざんしている教科書があるけれど、アメリカも教科書にうそが書かれているんだ。冗談じゃないぜ。アメリカの国民と日本国民との認識のギャップを埋めなければ・・・加害者側の方が受け入れるのは大変だとは思うけれど、衝撃を受けるとは思うけれど、要は、過去の話ではなくこれからの問題。

「アメリカで今問題になっている慰安婦問題が人道上の罪なら、原爆投下こそ、人道上の罪ではないか?」という発言も力強かった。人道上というより、人類が生き残るかどうか、地球が残るか消滅するかの問題と言ったほうがいいかな?

そして、今の問題でもある。アメリカが世界各地で行っている空爆、被害者には無垢の人たちがほとんどだ。原爆でも、戦闘員なんてほとんどいなかった。軍事的意味合いはゼロ。過去を云々するのが目的でなく、現在の状況、これからの核使用の可能性を少しでも減らすために、損害賠償も一つの方法として有効なのではと、私も太田総理の提案に賛成する。





No.15

米国の脅しに負けるな!!

 りっちゃん
07/8/9

「小沢氏、米の要請拒否」。特措法延長について、一面のトップにこんな文字が載るなんて、感激! 米国の主張、「国際社会に協力」の国際社会って、いったいどことどこの国? アメリカとイスラエルだけではないかしら? イギリス、カナダでさえ、どう撤退するか悩んでいるくらいだもの。

テレビでは、「民主党と小沢氏は、よく考えるべきだ」とか、最後に脅し文句を言っていたけれど、負けるな、小沢。これはお前らには政権を握らせないぞ!!という意味だろうけれど、ごめん、私も、民主党と小沢氏を余り信用はしていないけれど、ここは日本の自立性と、国民の安全のためにも、「NO」を貫いて頂戴。貫けたら、小沢さんを見直しちゃうよ。

アフガニスタンの韓国人人質も、早く解放してほしいねぇ。タリバン兵の解放が条件のようだけれど、結局、よその国がヘンに介入するから、ことがややこしくなるのだよ。武力で押さえつけようとしても、すべての自爆テロや人質事件を未然に防ぐことは不可能なんだなぁ。やはり、その国の政治はその国にまかせないと・・・

アルカイダが、「アメリカ及び海外の米軍基地へのテロ」を予告したね。もちろん、日本も米軍基地がある限り、危険性は常在している。米軍基地があるから日本が安全だなんて、どうしてそう思えるのか、私には不思議でならない。あるから、狙われる、口実を与えてしまう、ということになぜ気づかないのだろう。

最も、アルカイダ自身アメリカの諜報機関のつくりものという説もある。これもありうる話だ。9・11がどの程度のヤラセかは私にはわからないけれど、前後の事情や、あの映像の鮮明さ、のちに出た証拠の数々から見て、ヤラセであることは確実だし、そうであれば、ビン・ラディンや、無事サウジアラビアに帰国できたラディン家との協力関係もあっただろうし・・・もともとアメリカが援助して作った組織がアルカイダだったしねぇ。

なので、“日本もテロに狙われるから、米軍基地が必要なんだ”と、そう日本に思わせたいという目的で、米国の諜報機関がテロを起こす可能性もあるけれど、もともと基地がなければ、また、イラクに自衛隊が派遣されていなければ、口実にはされないのだよ。「平和主義を貫く日本」「世界平和を願い、平和外交をしている日本」でテロを起こす理由はないのだから・・・

天木直人さんも、小沢代表の記者会見発言の衝撃を書いているので、そちらも読んでください。

やっぱり、9条の存在って大きいし、それを活かさない政権は、おバカなんですよ。





No.14

奪われる日本

 りっちゃん
07/8/6

著者は、「拒否できない日本」を書いた関岡英之さん。あら、関岡さんも右翼?帯に日の丸。その下の表紙は真っ赤な■。第三部は皇室の伝統を守れ。日本の伝統は天皇家だけにあるわけではないのですが、そのことは何度も書いているので、ここではパス。まともな右翼さんが日本の現状を憂え、日本の将来への提言をしていることに共感します。

検証「平成の大獄」―郵政、そして医療―が充実しています。郵政“改革”の目的は年次要望書に執拗且つはっきりと書かれていたように、簡易保険の廃止→アメリカの医療保険会社の営業拡大のため。

《米国政府は、日本政府が以下のような規制緩和及び競争促進のための措置をとるべきであると信じる。…郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務にかかわることを禁止する》
  《米国は日本に対し、民間保険会社が提供している商品と競合する簡易保険を含む政府及び準公共保険制度を拡大する考えをすべて中止し、現存の制度を削減又は廃止すべきかどうか検討することを強く求める》

この居丈高な物言い。日本の民間保険会社は、簡保を敵視はしていなかったし、国民健康保険も含めて準公共保険があればこそ、日本人のほとんどが中流で落着いた生活を享受できていたんだ。そこを崩されると、格差はますます拡大し、消費が落ち込み、経済が失墜していくという。格差の拡大は心の豊かさも奪っていく。

05年の衆院選挙では「国益擁護派」をつぶすための「対米迎合派」による刺客とマスコミ操作。小泉は売国奴でありますねぇ。保守にも良心的な議員がいたとわかったのはめっけものではありますが・・・実力のある人が落選。恐怖政治、横暴な国会運営を招いてしまった。年金問題等で、国民をないがしろにしているのがさすがにわかって、今回の参院選では自民歴史的敗退。しかし、民主の躍進は、主人公の名前が変わるだけなのでは、と、私は心配なのです。

地域格差の拡大が、自民党の地盤をも崩したようで、国民新党に票が流れたようです。当然です。独裁政治にならないためにも、ぜひ票はばらけて欲しい。それに今の自民党は、お年寄り、地方に対して冷酷としか思えません。新自由主義、グローバル資本主義に染まっている、小泉・安倍路線では・・・

これからの日本、食料自給率を高めるためにも、地域を、農林漁業を大事にしないとね。東京近郊では農業試験場の跡地が公園になっているけれど、地方では健在なのかしら?地方の国立大学は?研究費教育費に予算をちゃんと配分して、人材の育成、技術開発をして欲しい。高校の農業科、農業を志望する生徒への奨学金、農業に新たに携わろうとする人への資金援助とかも。ちゃんと暮らしていける見通しが立てば、農業人口も増えていくと思うよ。

今までも国益がだいぶ奪われてしまった。そしてこれからは、健康保険、混合診療、簡易保険が狙われています。命に直接関わる問題です。すでにお年寄りの自己負担が増え、診療をひかえている人が増えています。WHOに世界第一位と言われた医療制度が、アメリカ並になってしまったら…命をおカネで買う時代に突入か?「国民皆保険は日本の至宝」なんですよぅ!

テレビなどでは、アメリカの保険会社のコマーシャルがジャンジャン。「医療費、大変ですよぅ、わが社のはお手軽で安いよぅ」…保険ですから、保険料が安ければ保障もお安い。会社ですから、自分が損をすることはしません。で、そのために、お年寄りやサラリーマンの自己負担を増やしたり、診療費をケチったり、「国民皆保険」を潰そうとするなんて、許せないわ。

薬のことも、怖いです。新聞折込に「新薬誕生へ」人を救う薬は、あなたの治験参加から生まれます・・・というのがあったよ。私の祖父は医者で、「薬は古くからあるものの方がいいんだ。人体実験を自然と重ねてきたから安全なんだ」と言っていました。今までなら大学病院で、医者が各患者の状態を把握した上で、今ある薬では効果が期待できないなどの理由で、患者本位で判断して、治験を実施していたのだ。それを、自己責任だかなんだか知らないけれど、患者が、製薬会社と直接で大丈夫なのかしら?医者と違って、会社は営利が目的。実験台になっちゃうんだよ。応募なんかしないほうがいいよ。どんな副作用があるかを、あなたの身体で調べるんだから…今飲んでいる薬で効果があるのなら、新薬なんか飲まない方がいいよ。気をつけて!! 騙されないようにね。

これも年次要望書どおりに日本が動いてしまっているということなんだろうなぁ。怖いです。皆さん、いのち大事にしてくださいね。

川田龍平さんが参議院議員として、その辺の所はしっかりやってくれると思う。彼自身、厚生省と製薬会社に命を奪われる立場にいるのだから…でも、無所属だから、国民のみんなで後押しをしてね。無所属での当選は1965年の市川房枝さん以来だそうです。ボランティア特に若者の参加が、力強かった。当選で終わりにしないで、これからこそ“動けば変わる”です。医療問題から目を離さないようにして下さいね。

共済保険も狙われているそうですよ。ご用心ご用心。





No.13

久間発言

 りっちゃん
07/8/3

今日の毎日新聞「世界の目」“久間発言 失言か 観測気球か”アナトリー・コーシキン(ロシア・戦略策定センター上級研究員)の記事を転載します。


日本の久間章生前防衛相が米国による広島と長崎への原爆投下は戦争終結のため仕方なかったと発言した問題は、日本だけでなくロシアでも驚きを呼んだ。前防衛相が原爆投下を「ソ連の北海道占領計画」と結びつけたからだ。

ソ連軍による日本の本土占領という考えがスターリンでなく当時の米軍指導部の発案だったことは文献が示している。日本を米ソ英中の4カ国で分割占領する秘密計画はルーズベルト米大統領の時代に策定され、ソ連軍は北海道と本州の北東部の広大な領域を占領することになっていた。

ソ連が日本の一部に親ソかいらい国家を作ろうとしていたことを示す文書は見つかっていない。憶測を生んだのは、スターリンがトルーマン米大統領にあてた45年8月16日付の書簡のようだ。その中でスターリンは日本軍がソ連軍に投降する地域に北海道の北部を含めるよう提案し、「日本軍は1919〜21年にソ連極東を占領下に置いた。ロシア軍が日本本土の一部を占領しなければロシア社会は激怒するだろう」と書いた。トルーマンの回答は否定的で、ソ連による象徴的な本土上陸計画も断念させた。

当時のソ連には北海道に「社会主義国家」を樹立するための資金も経験も人材もなかった。ソ連は中国や朝鮮半島からも可能な限り短期間で軍を撤退させた。中国から完全撤退した当時はまだ蒋介石政権で共産党の勝利は保障されていなかった。

「原爆が戦争を終結させた」という説はチャーチル元英首相も否定したし、米占領軍のマッカーサー司令官も60年に「原爆を使用する軍事的必然性は全くなかった」と語っている。しかし、今では米国人の75%が日本への原爆投下は正当で必要だったと考え、報道によれば、驚くべきことに今の日本人の20%が同調しているという。

前防衛相の発言に加え、これを米国のジョゼフ核不拡散担当特使(前国務次官)が支持したことで、ロシアの軍事専門家たちは懸念している。これはイランやイラクでの核兵器使用を正当化するキャンペーンの始まりなのではないかと。


対ソ連対策もアメリカのでっち上げですか。となると広島長崎への原爆投下は、人体実験のみが目的ということになる。非情。しかし、この人の肩書きがすごいねぇ。「戦略策定センター上級研究員」。冷静且つ客観的文章。日本にはこの類の専門家っているのかしら?かつらのおっちゃんは完全ド素人だし、感情的に叫ぶ人はいても、具体的には「日本を守る策」なんて聞いたことないし・・・ミサイルは使えない買い物だったし・・・。核兵器使用の正当化キャンペーン、おおいにありうる。米国人75%、日本人20%、ふぁー、これをまず減らさないとねぇ。





No.12

沖縄論

 りっちゃん
07/8/2

小林よしのりさんの漫画「沖縄論」を読む。

右翼と言っても侵略戦争には反対。イラクの自衛隊派遣もアメリカの侵略のお手伝いであると認識。沖縄戦で日本軍による住民殺しがあったことを認め、沖縄に米軍基地があることに、日本人として無関心ではいられない。普天間基地の辺野古移設にも反対。なんだぁ。小田実さんとほとんど一緒だよ。ただ、沖縄に基地があることがベトナム戦争でも、アフガン・イラクに対しても、日本人も加害者であるということだという認識が足りないだけかな。

「ユタ」や「ノロ」の存在。「ニライカナイ信仰」。自然の中に神の存在を感じる。そして、自衛隊の救助への住民の反応に「情が足りない」と言う。いいなぁ。小林よしのりさんって、人間的で。

沖縄人はDNA や血液型の分析では南方系でなく本土の日本人と同質であり、言語も宗教感覚(仏教の影響は薄い)も同じとのこと。

沖縄の歴史が詳しく書いてある。琉球王朝は、薩摩と支那(明・清)の両方に属していたとか。薩摩の文化を吸収したと書かれている。支那の文化も吸収しただろうし、「テーゲー主義」やお昼寝の習慣も、沖縄文化と言える。尚円王のクーデターのきっかけとなった言葉、「物呉ゆしどぅ我御主」(人民が安心して生活できるようにするのが君主である)。尚泰王が首里城を薩摩に明渡して上京する時に詠んだ歌「戦世も済まち、弥勒世もやがて、嘆くなよ臣下、命(ぬち)どぅ宝」これもいいなぁ。

この「命どぅ宝」が反戦のスローガンであり、小林さんにすると、親米派も、「国民の命と財産こそが国益」というから一緒だと言うけれど、財産っておカネだけ?沖縄の自然は?土地は?自負心は?親米派の関心は自分のお金のことだけじゃないかな?日本人としての誇りはゼロ、国民への責任感もゼロ、と私には思えるけどね。

コザ騒動での米兵車両のみへの放火、米兵を袋叩きはしても相手の銃を使わないやり方、これこそ「命どぅ宝」だと思う。徹底しているなぁ。こういうことができるというのは、沖縄戦での日本兵の余裕のなさに比べ、本当の心の豊かさを沖縄の人が持っていることの証左だと思う。

瀬長亀次郎さんの戦い、感動ものですね。イデオロギーというよりも、「ムシルヌ、アヤヌ、トゥーイ、アチュンドゥ」(むしろの、綾の通り、まっすぐに、生きるんだよ)、正しいものを正しいと言い、間違ったことには「NO!!」と言う。親米イエスマンとはそこが違う。米軍への宣誓を拒否する意思表示に着席したままの瀬長さんの行動を、あはっ、入学式での国歌斉唱とは次元が違うだって。あのね。子どもを人質にとられているって感覚わかるかなぁ。成績に影響するかもしれないんだから・・・結構きついんだよ。ただ埋もれちゃうと目立たないけれどね・・・着物姿で一番前の席の時は、やけに目立った。

「わしの歴史観、国家観とは全く違う」のに、共産党の瀬長さんの功績を認めるなんて、素晴らしい人だねぇ。右翼の人って、ちゃんと左翼の人のことを勉強して吸収しちゃうんだね。偉いなぁ。左翼の人はどうなんだろう。私は赤軍派とか「ばっかみたい」で切り捨てていたと思うけど・・・瀬長さんのことも知らなかったし、ベトナム戦争で使われた武器の部品が日本製だったことも、2,3年前映画でやっと知ったくらい、不勉強です。暮らしに追われているからなぁ。それに、必要な正しい情報って、流れてこないんだもの。マスコミを当てにしないで、自分から、小林よしのりさんの本とかを買って読まないとね。

ん、ん、「沖縄を含む日本国の安全保障の手段として、まず日米安保条約を肯定し、沖縄のアメリカ軍基地の存在意義を認めている」ことが勇気ある発言ですって?そりゃ、間違っているよ。アメリカが沖縄に基地を置いているのは、日本を守るためじゃぁない。日本も含め、アジアとソ連ににらみを利かせていたんだよ。日本はアメリカの基地があることで、アメリカの仮想敵国から狙われる危険性を常に背負っていたんだ。核の傘だって、核爆弾の雲の下をイメージしただけでも、その危険性はわかると思うけどなぁ。

沖縄って、アジアや中東、アメリカに抵抗する国を侵略するのに都合のいい位置なんだ。今度の再編では、自衛隊を軍にして、アメリカの手下として、前線で戦わせようとしている。最もこの漫画、2005年のだから、よしのりさんもすでに了解しているのではと、思うけどね。

それに、自主防衛、武力でないとできないと思い込んでいないかなぁ。武力では負けるに決まっている。石油などの資源がない日本、食料自給率の低さ、人口の都市集中、どれをとっても武力は無意味。GNP1%の軍事費は、全くの無駄遣い。アメリカの中古、不良品を買って、アメリカの軍需産業を喜ばせているだけだよ。

その予算分を、憲法9条を世界に広げ、格差をなくし、食料自給率を高め、自衛隊を災害救助隊にするなんてことに使った方が、ずーっと、国民を守ることにつながると思うけどなぁ。

それでも、下手な左翼より、小林さんの方が、現状をよくわきまえていると思う。独立国になりたい。拒否もできる日本になって欲しい。そこんとこは共通だよね。情もあるしねぇ。なんか、近いものを感じるだよね。これからも、思ったことずばずば発言していってください。活躍期待してます。





No.11

参院選結果分析

 りっちゃん
07/7/31

祝川田龍平さん当選。掲示場にて、若い女性二人が「川田龍平しかいないわね。消去法だけど・・・」といっているのを聞いてから、こりゃ、大丈夫そうだなとは思っていた。選挙事務所へシール貼りのお手伝いに行った時も、若い人たちがたくさん手伝いに来ていた。これもなんか心強かった。キャッチの「動けば変わる」、そう思っている人がいて、動いているというのは、これからの日本にとっても頼もしいことだと実感。おじちゃん、おばちゃんパワーもなかなかだけどね。

ただ、全体的には、正直がっかり。あひるさんの心配したとおり、自民対民主とのマスコミ報道に、またもや有権者がはまってしまった。あおりを受けた弱小軍団、共産党、社民党は、またもやジリ貧。前回より2議席、1議席の減である。小選挙区制も痛いねぇ。両党ともゼロ。どっちもマスコミに載せられちゃって、自分たちの存在価値をアピールするのを忘れ、自民党攻撃ばかりでかえって民主党に協力したというのもあるんじゃないかなぁ。国民新党小林興起さんのサイトを覗いたら、塾生が地方選に出るとか、龍平さんの応援にも市議会議員が大活躍。各地域から力をつけるというのも大事だね。

ネットで勝負の天木直人さんは惨敗。龍平さんの方は、少しはマスコミに登場していたようだが、小泉に敵視されている天木さんはマスコミの話題にはならなかったようだ。参院選は政党よりも人柄だと思うのだが・・・

龍平さんには、命にかかわるW医療問題”及びW国民皆保険”をしっかりやっていただきましょう。天木さんには民間外交を・・・

東国原さんの言葉が的を得ているねぇ。民主党は「一応国民の信任を得た形。お試し期間ですからね。これから真価が問われる」。特に、憲法九条のこと、あそこは怖い人が一杯いるからねぇ。アメリカのために日本人がよその国に出かけて、殺したり殺されたりということにならないように、投票した人はしっかり監視して欲しいよ。「地方への財源譲渡、農家の戸別所得保障、林業の100万人雇用創出という民主の公約の実効性はどうなのか疑問を持つが、きちんとやってくれるなら大歓迎」。うん、ばら撒きではなく、100年後を見据えた農業・林業政策、地域振興政策、ぜひやって欲しい。自然とともに生きるのが、日本らしさでもあるし、これからの地球環境のためにも、絶対いいことだと思う。

しかし、日本人っていうのは素直というかなんと言うか、マスコミ=官製『プロパガンダ』の強烈さ、何とかならないものかしら? 自民党の代わりに民主党が、また数の圧倒的多数で、横暴な国会になりませんように。少数意見も含め慎重なる審議を、『国民の幸福のために』なる結論の出せる国会になりますように、祈るしかないのかなぁ。

『中流の復興』で、ガン告知、余命が限られていると書いていた小田実さんが亡くなられた。「生きている限りお元気で」という挨拶に、私もそうありたいと思った。

彼が言っていた「市民による政策提言」、そこまで行くかどうかはわからないけれど、五日市に習って、党派を超えた左翼も右翼も誰でも参加自由のW勉強会”みたいのをやりたいなぁ、と・・・誰でも何でも勉強会、暮らしいい日本をつくろうかい、暮らしと政治は直結しているよ、生きていることが楽しいと思える社会を作るための勉強会、うーん、なんかいいネーミングはないかしら?





No.10

愛国者は信用できるか?

 りっちゃん
07/7/23

『愛国者は信用できるか?』の著者は鈴木邦男さん。はじめましてなんだけれど、なかなか純粋で、好ましい印象を受けたわ。
  小林よしのりさんも好きなんだなぁ。意見は違っても筋が通っているから・・・

鈴木さんは、四十年間、愛国運動をやってきて、そのことに誇りを持ち、同時に反省すべきこともあるって。愛国心を表わそうとして暴走したり、また愛国心さえあればすべてが許されると思ったこともあるって。それだけ、愛国心の危うさをよくご存知だそうです。

・・・ところが、今の日本は、「ともかく愛国心を持て」「愛国心は常識だ」「愛国心さえ持てばいい生徒、いい日本人になれる」と言っている。冗談じゃない。そんな単純なものではない。だから、この本では初心に返って愛国心とは何か、を考えてみた。愛国心は宝石にもなるし凶器にもなる。一面だけを見るのは危険だ。その素晴らしさと危うさの両面を皆に教えてやろう。うん、これは僕にしか書けない本だろう、といささか自負している。・・・

40年間一筋で、学んでもいる。赤軍派などとも付き合って、民族主義という点で一致していることも確認している。彼らは北朝鮮、アラブで、「愛国心」で独立を果たし、果たそうとしている人たちと一緒に活動しているから、日本に住んでいる私たちよりも、「愛国」とか「民族」を意識しているのだと思う。社会主義革命と名づけていても、国内的には土地の開放運動だし、対外的には、独立運動だからね、実質的には。日本は、土地の開放もアメリカにやってもらっちゃったから、どっか弱いんだよね。豊かではあるんだけれど…いいんだか悪いんだか…

鈴木さんって、お付き合いの広さ、情報収集とか、すごい人だなぁとおもう。私は、左翼の端くれと自称もするけれど、まぁ、生き方としては平凡な人間でもあるから、トロツキーのことまで教えていただいちゃってありがとうって感じ。永続革命ね。そう、国民のためになっているかどうか、常にチェックして改革は怠らず、ですねぇ。そのためには国民がアンテナを高く立て、自ら動かないと…

「愛」と「恋」の講義も勉強になりました。私の片思いは、恋であって愛ではなかったんだぁ。私の胸の中の彼が現実の彼とは違って当然なんだなぁ。ということは、鈴木さんが思っている「国」も、もしかしたら想念の中だけではないかしら?

国=天皇制?国民の天皇への尊崇の情?少なくとも、私や身近にいる人達の感覚とは全く違う。「国」で一番重要な構成員はまず国民ではないかしら?そういう意味でも、玄洋社の憲則の順番は間違っていると思う。鈴木さんの言うように、「民権」を大事にしていたのなら、そのために「国権」(天皇制)が必要なのだと考えていたのなら、一番に「人民の権利を固守すべし」、が来るはず。

国民、言語、文化、歴史、習慣、それらが「国」なのでは…日本の歴史の中で天皇の出番って少ないのよ。明治が一番権力を持っていた時代ではないかしら?天皇家の文化って、花嫁衣裳にしても、普通の日本人の文化とは違うんだよね。あれも一つの文化ではあるけれど、日本を代表する文化とは思えないなぁ。私は江戸時代が好きなの。ルーツが辿れるから親しみが湧くのね。徳川家の(たいていは貧乏)御家人だったから、天皇って、悪いけれど、どうしても端っこで生きている人って感覚なのね。これって多分出身地で、だいぶずれる感覚だと思う。会津の人だったら、「憎し!!」かも知れないよ。万世一系とかって聞くと、うん、上手に泳いできた血筋だからねぇ、と思っちゃう。だから、終戦の時に命乞いをしていたという話もそうだろうなぁとうなづいちゃうんだよね。
  鈴木さんは若いころに刷り込まれちゃっているのと、とっても素直でいい人だから、「天皇が聖断を下した」なんて、いいほうに取れてしまうのでしょうけれど・・・

鈴木さんのように血気にはやるタイプはどこかで家系が切れてしまいそうだけれど、天皇家はしぶとい。それがいけないというのではないのよ。それはそれなりにその家の持ち味。ただ、日本には、天皇家だけでなく一杯「何とか家」はある。鈴木家も…。少なくとも風土記に出てきた神様の数だけその子孫はいるのよ。あれは天皇家が編纂したものだから、差っ引かない(足すかな?)といけない部分もあると思うけれど…

民族主義を自称するなら、民俗学の本も読んでほしいなぁ。「日本人の笑い」面白かったよ。伝統文化もいろいろあるから…各地方の祭り、伝説も。文学や音楽も。日本的なものは一杯あるよ。ちっとも国(政府)から大事にされていないけれどね。そう言えば、国=政府という見方もあったね。本当なら、国民の代表者であるべきなんだけれど、今は、ブッシュのポチ路線だからねぇ。国民の生活はどんどん脅かされている。国民のために働くことを忘れた官僚と政府は、愛されなくて当然。

鈴木さんが、幅広い日本らしさの中で、天皇制が一番日本らしいというのなら、鈴木さんの意見として尊重するよ。代わりに、私は違う感覚だよというのも認めて欲しいな。
  で、きっとそれがわかる人だと思うから、右翼でも好ましい人と思えるんだろうなぁ。

“愛国”ではなく、W憂国”のために腹を切った三島由紀夫。文庫本をだいぶ読んだけれど、自由を求めてあがいている印象を受けたなぁ。憂国と愛国、その危険性についてはこう記されている。
  ・・・憂国は部分的で短期的だが、愛国は全体的で長期的だ。「憂国の士」はそれほどいない。しかし、「愛国」は全員が強制される。「愛国心を持つのは当然だ」「国民の常識だ」と言われる。戦争の時は特に顕著だ。その全体の流れに対し消極的な人間は、「非国民!」「売国奴!」と言って袋叩きにされる。つまり、愛国心は、そうでない人間を排除し、罵倒するために使われることが多い。これは危険なことだ。「憂国」よりも「愛国」の方が何百倍も凶暴だし、残忍だ。・・・
  さすがです。愛国一筋40年。よくわかっていらっしゃる。

鈴木さんの優しさは、「皇太子妃に押し付ける国民の我侭」にもよく表されている。
  ・・・実は、女帝反対論者にも、そうしてもらった方がいい(別居あるいは離婚)と内心思っている人がいる。「皇室に入った女性の第一の役目は男の子を産むことだ。それが出来ないのならば去るべきだ」と言う。でも余りに非情で、残忍な言葉だったから、活字になることはなかった。ところが、そのタブーも解かれ、「離婚」も週刊誌では堂々と論じられている。
  皇太子さまが言うように「人格否定」だ。女性は子供を産む機械でしかないのか。何を言われても、どんなバッシングに遭っても、反論も出来ない。ただじっと耐えるしかない。これでは精神・肉体に異常が生じるのも無理はない。
  天皇を熱烈に尊崇している右翼の先生に聞いたことがある。「民間から皇室に入る時代になった。先生の娘さんがそうなったらどうしますか」と。「光栄ですよ」と言うのかと思ったら、違う。「かわいい娘をあんな不自由な所にやれるか!」と言う。唖然とした。天皇を熱烈に尊崇すると言いながら、内心は別なことを考えている。
  皇室のお仕事は大変なお仕事、残酷なお仕事だ。それを国民は強制している。そして、「やめないでくれ」「皇室をずっと続けてくれ」と言っている。バッシングし、がんじがらめにしながら、要望だけはしている。
  皇室の大切さが分かり、ずっと続いてほしいと思うのならば、もっともつと自由にしてもらったらいい。少なくとも、国民の「憧れの対象」になってもらいたい。・・・
  うーん、「憧れの対象」自身、プレッシャーだと思うけど…天皇制を廃止すれば、単なる一家の「お嫁さん」としての悩みですむし、その程度なら、解決できる能力をお持ちの方だと思うけれど・・・「国民の象徴」というのはやはりきついなぁ。私も娘をあんな窮屈なとこへやれないよ。

「一国平和主義に陥っている」と書かれてしまったが、「護憲」という言葉も誤解の元なんだろうけれど、憲法前文にある通り、九条自身、世界の平和につながっているのよ。世界では、私たちが思うよりもずーっと知られているし、取り入れられている。もっと広げる、活用すべき時でもあるよね。鈴木さんの「愛国心」も、広がりのあるものだと思います。

「愛国心」を人に押し付けない「愛国者」なら、「愛国心」の危険性を充分承知している「愛国者」なら、好ましい人だといえるね。
  数に寄りかかって大声で「愛国心」と叫ぶ人、団体は、もちろん信用できない。おお、こわ!!





No.9

めっけ、慰安婦問題の証拠

 りっちゃん
07/7/21

『親米と反米』を読んだら、めっけ!! 慰安婦の動員に日本政府や軍の強制はなかったという広告を出した破廉恥議員44名+3名さん。証拠がないから事実なかったなんて、アホなこと抜かすな。ちゃんと調べもせんと。この本の「RAAと政府公認の占領軍慰安婦」をよおくお読みなさい。

内務省が組織した特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association RAA)だってさ。米兵のために、作られた慰安所だよ。
  ――終戦とともに発足したばかりの東久適内閣は、八月一八日、閣議決定により「占領軍兵士によるわが婦女子に対する犯罪予防対策」として全国への電報指示で占領軍兵士のための政府保証の慰安婦を募り始めた。戦時中、日本軍兵士が朝鮮半島や中国、アジア各地の女性たちに対して犯してきた組織的性暴力が、今度は占領軍兵士によって日本人女性に向けられるに違いないと考えたこの国の支配層は、「身震いするような恐ろしさ」(ダワー、前掲書)に囚われたのである。そのため、戦中期に彼らが日本軍兵士のためにしてきたのと同じように、しかし今度は米兵たちのために、政府自らが慰安婦を組織しょうと決意するのだ。――
  米兵のためにこんなものを作ったのなら、日本兵のための施設もそりゃ、国なり軍なりで作ったわさ。恥ずかしさを知らないのは、あなた方も一緒だけどね。

女性に対する2重の差別。犯されては困る、その貞操を守らねばならない、妻、あるいは母としての女性。そして、その代わりに差し出す性奴隷としての女性。まったく、年頃の男性を兵士として集めてほとんどを餓死させ、その男性のパートナーとしてあい相応しい年齢の女性を今度は、特別挺身隊員と呼んだとか。詐欺だよね。全く汚いねぇ。権力者って。しかも、管理が悪く、性病に罹患させちゃって・・・踏んだりけったりだよ。戦中のアジア人女性に対しては、人種差別も含めて3重の差別か。彼女たちの背負ったものの重さを思うと・・・同性としては義憤を、日本人としては“いたたまれない”というのかなぁ。桜井よしこはよくあんな破廉恥な広告を出せるよなぁ?

横田基地のある福生にもそういう施設が作られたとか、反対があったとかの、冊子を読んだ記憶がある。通称「赤線街」がいまだにあるよ。別な冊子では、戦後初めての祭りで、復員兵が大勢参加するとの話を聞いて、米軍(占領軍)が何を勘違いしたのか、びびって、戦車を用意したとの記録もあったな。今では笑い話だけれど、こっちは平和が来たと「わっしょい!!」やっている所へ、砲弾を打ち込まれる可能性があったわけだ。戦争って、気の弱いやつがやるものではないかしら?恐怖のために。腹が据わっている人間なら、話し合いで解決できるんじゃないかしら?と、この冊子を読んだとき思ったんだ。だから、北朝鮮のテポドンごときでぎゃあぎゃあいう奴は弱虫なんだろうと思ってしまう。

私はインスタントコーヒーとGパンの愛用者。確かに、アメリカからの影響は大きいけれど、植民地文化という指摘はちょっと小難しく考えすぎじゃぁないかしら?という気もする。日本は外国文化を何でも貪欲に取り入れちゃうのが得意。アメリカに限ったことではない。食べ物だって、宗教だって、何でもありの日本。願わくばいい物を取り入れて欲しい。家具が戦後復興の手がかりにもなったようだけれど、規格品だから、日本の和ダンスと比べたら、アメリカのって、安っぽいんだよね。便利ではあるけれど・・・同時進行で、日本のいいものへの政策も必要だったんじゃないかな。今、技術者は残っているのかしら?それが心配。普段着はGパンが便利だけれど、ハレの着物は、伝統技術に裏づけされたものであって欲しい。成人式で見た、チャラチャラの鷹の羽の紋付、あれはよそうよ。

基地のそばに住んでいた私の日常生活そのものはアメリカとはほとんど関係ない。ご近所にハウスもあったけれど、広いがぼろいというだけで、『限りなく透明に近いブルー』のような、ヤクとかディスコとかとは無縁の生活だったよ。そうそう、4時半ごろに、米国国歌と「君が代」が流れるんだよねぇ。一応日本を立ててくれてるつもりなんだろうけれど、天皇家をたたえる曲を流されても、悪いけどこっちは迷惑なだけなんだけど、と思ったものだよ。それがいつの間にか国歌になっちゃって、学校で強制されてるって、嫌な日本になっちまって・・・日の丸は、あの赤が血に見えるという人の気持ちもわかるから、複雑ではあるけれど、デザインがシンプルで他に変えようがないようにも思うけれど・・・君が代はねぇ。たくさんいる何とか家のうちの一家族をたたえる曲を、国歌とするのは、どうしたって無理だわな。ま、今は、その無理が通る道理の通らない世の中ではありますが・・・

友好祭では、まずい規格品のケーキと、やはりまずいハンバーグを食べるのが、結構楽しみだった。子どものころは独立記念日だったのが、梅雨時だと人の集まりが悪いから稼ぎが悪いのを嫌がって、だんだんずれて今は夏の終わりか秋かな。子どものころは羽振りのよかった米兵とその家族も、日本でアルバイトもしなくてはならないほど、生活が厳しそうだとの印象を持った。日本がそれだけ豊かになったのか、アメリカの経済が落ちてきたのか、私には判断がつかないけれど・・・お、つい横道にそれてしまった。

横道ついでにもう一つ、懐かしいテレビ番組の数々、「ララミー牧場」「アニーよ銃を取れ」「名犬ラッシー」「ベン・ケーシー」「奥様は魔女」・・・私も見たよ。基地における暴力的米国を見えなくすることに役立ったというのも確かにあるね。「パパはやたらにお人よしのサラリーマン」という影響が、かつては尊敬されるべきだった「父親像」を破壊したのかもしれない。それと、「悪」をやっつけちゃう「正義」という単純な構図は、日本製のこれまた私にとって懐かしい「伝助劇場」や藤山寛美の“お笑い”の、涙と笑いを誘う大団円――悪者も同情されるべき人間だった、ご近所の仲間内でのめでたし、めでたしの解決――に比べて、底が浅かったなぁ、とあらためて思うのだった。ああいう共感する“お笑い”、今はなくなっちゃったねぇ。人を小馬鹿にする“笑い”が増えて・・・イジメ時代、格差社会、人を見下して自尊心をかろうじて保っている時代だからかなぁ。

著者の吉見俊哉さんは三つの課題として、――第一は、消費と暴力、テーマパークの「アメリカ」と軍事基地の「アメリカ」を別々のものとしてしまうのではなく、両者の構造的な結びつきを発見していくこと。第二は、第二次大戦後の日本における「アメリカ」の受容と反発を、韓国、台湾、フィリピン、太平洋諸島といった東アジアの横断性のなかで考えること。第三は、そうしたアジアにおける「アメリカ」の問題を、戦時期までのアジアにおける「日本」の植民地主義からの連続性において考えること――を挙げている。

第一に関しては、別々でいいんじゃない。私は親米。アメリカの人たちはとっても優しい人たちが多い。旅行ではみなさん親切で・・・お世話になりました。もちろん私は反米でもある。ブッシュとその仲間、お金儲けばかり考えている奴らが牛耳っているアメリカ、戦争を仕掛ける国アメリカの横暴には大反対。年次要望書どおりに日本を“改革”している日本人にもだけど・・・

かつての日本の植民地及び軍施設がそのままアメリカのものとなり、アジアをもアメリカが支配しているとの指摘には、なんとも耳が痛いという感じ。戦後60年経っていても、責任は我にあり、ということになりますか。

マッカーサーが意図的に、自分を引っ込め、人間天皇を前面に出して、国民の象徴という言い方ではあるけれど、以前の体制をそのまま残したという指摘には、なるほどやっぱりそうかぁ。天皇家が一般国民から見えるようになったことは、天皇家にとってはきついだろうなぁとも思う。特にお嫁さんが・・・天皇制は非人間的だよなぁ。さらし者じゃん。

「アメリカの権力や資本の意向から離れて自由に生きることのなかった戦後の日本」、その結果として、アメリカの日本支配が見えない所で進んでしまったというのは、この所の小泉、安倍の『イエスマン』のおかげで、日本が暮らしづらい国になり、戦争をさせられる国になりつつある動きで、はっきり見えてきたのは確か。ベトナム戦争における加害者としての日本、イラクでいまだに空自がアメリカ軍に協力している加害者としての日本に、気がついている人がどれくらいいるのだろうか。参院選の掲示場に立ち止まってみている人がいるから、少しずつ変わってきていることも確かだけれど・・・間に合うかどうか、それが心配。





No.8

二大政党・「壊憲」隠し作戦発動

 あひるさん
07/7/20

本の山から偶然興味深い本が出てきました。一部を抜き書きしてお知らせします。

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「小選挙区制は腐敗を生む」

著者: 本澤二郎
  エール出版社
  1993年11月25日 第一刷発行

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    はしがき

自民党は裾野の広い政党である。右翼的な体質の政治家もおれば、それらを極端に嫌う面々も少なくない。
  楽器にたとえると、太鼓もバイオリンもギターもある。それぞれの楽器が一斉に奏でると、これはもうレッキとしたオーケストラである。いつも美しい音色を聴かせてくれるのであれば、聴衆はうっとりとしていられるのだが、時には狂った旋律を奏でることもある。
  いうところの小選挙区制の導入は、まさにその部類である。古くは鳩山内閣、田中内閣が仕掛けて失敗し、昨今は小沢一郎ら小選挙区制推進論者の演出によって海部内閣、宮澤内閣がこれに挑戦し、いままた細川内閣によって強行されようとしている。
 細川内閣は「非自民」「第二自民」と称される政権である。看板は変わったものの、影の主役は、自民党最右派としてその存在を誇示してきた小沢党(新生党)に他ならない。
 「小選挙区制になればカネがかからない。政権交代も可能である」と小選挙区制推進論者はしたり顔にいうが、多少とも政治の世界に首を突っ込んだ者でさえあれば、小選挙区制導入の真の狙いがそんなことではなく、平和憲法を改正・改悪しようというものであることは明白だ。

もっとも、昨今の若いマスコミ関係者の中には、これすら知らない者もいるというし、仮に知っていても、沈黙を守って平然としている輩もいる。
  しかし、筆者にはそれは出来ない。こうした政治的風潮、いうところの「ナショナリズムの高揚」であるが、決して日本にとって好ましい結果をうむものではないと思うからだ。軍拡を前提とした改憲潮流に対して、ワシントンも北京も重大な懸念を寄せている。
  自らワシントンを歩き、また北京の人たちと話し合いをしてみれば、そのことを間違いなく悟らされる。そして、これらの懸念を無視すれば日本の孤立化を招く。戦前回帰でしかない。小選挙区制を純粋に分析した場合でも、これには重大な欠陥がある。今日の日本の選挙風土のもとでは、腐敗がさらにひどくなる可能性が強い。
  宮澤喜一前首相も指摘しているように、小選挙区制は、社会に対立、対決のムードを招き寄せるだろう。政界も経済界も先鋭化するだろう。バブル不況によるイライラが、著しくマイナスに働く。社会の不安定化を増大しかねないのだ。
  小選挙区制の先輩国であるイギリス、アメリカ、フランスが、一体、日本に対していま何を誇示できるであろうか。過去における輝かしい文化は影をひそめ、今日において、その制度疲労は誰の目にも明らかだ。
  「中選挙区制は悪」、「小選挙区制は善」といった余りにも単純な割り切り方で、国民の代表を選任するシステムを論じるのは危険この上ない。
  改めていうまでもない。国民の政治不信は「リクルート」に端を発した。これを解消するには政治家とカネの問題にメスを入れる以外にない。政治家の腐敗行為に対して敢然と防止策を講じることだ。
  ところが、いま、改憲派、右派の政治勢力によって、これがまんまと選挙制度問題にスリカエられようとしている。「腐敗行為の元凶は中選挙区制である。小選挙区制にすることが、腐敗をなくすことである」とここに改憲派の天才的ひらめきを見てとることが出来る。
  しかし彼らは、決して「改憲のために小選挙区制が必要なのだ」と本音を語ることはしない。恐ろしくしたたかなのである。
  本書で小選挙区制を真正面から論じようとしたのは、戦争への傾斜を阻止することこそ言論人の最低限の責務と思うからである。なお、文中の敬称は略させていただいた。

  一九九三年十月一日

著者

なぜマスコミは小選挙区制の危険性を厳しく批判しないのか

「○○審議会」にだまされてはいけない。政府の隠れミノが多い

「われわれはいつも時の政権と争ってきた。ジョンソンとも、ニクソンとも、カーターとも、レーガンともそうだった。今のブッシュともだ。わずかにフォード政権とは良好な関係だったが、ごく短期間の大統領だった。だがそれでOKだ」 一九九一年の夏、二十六年間「ワシントン・ポスト」紙の編集局長、編集主幹を務めたB・ブラッドリーが第一線を引退、副社長に就任した直後に吐いた言葉が、これである。
  筆者は、これを「政治記事は裏がわかると面白い」(エール出版社)のあとがきに引用した。
  このブラッドリーの言い分を自信をもって受け止めることの出来る編集長がいまこの日本に何人いるだろうか。
  マスコミは国民の知る権利に答えなければならない使命と責任を負っている。言論機関は、他の営利事業と一線を画しているが、それはこのような言論の役割からきている。
  倫理、道義については、公職に就いている人たちと同程度か、それ以上のものを求められているといっていい。中立・公正な報道が大原則であって、これを踏みはずすようでは、自由主義社会での言論機関とはいえない。
  少なくとも権力の走狗となることだけは、なんとしても避けなければならない。言論・報道機関の最低のルールである。是は是、非は非という姿勢を貫くことが、国民への義務である。
  しかし、いま一部におかしな報道機関がないではない。九三年九月十一日付朝日新聞が報じたところによると、自民党の政治資金団体である国民政治協会に献金した報道機関は、判明したものだけで十五社もあった。
  フジテレビ、北海道文化放送、新潟総合テレビ、関西テレビ放送、愛媛放送(以上フジテレビ系)、宮城テレビ放送、南海放送(以上日本テレビ系)、東北放送、静岡放送(以上TBS系)、東日本放送(テレビ朝日系)、ニッポン放送、文化放送(以上AMラジオ)、静岡新聞社、四国新聞社、奈良日日新聞社。
  フジテレビは民社党の政治資金団体である政和協会にも献金していた。
  不偏不党の倫理からして、その姿勢が問われることはいうまでもない。
  審議会が、政府や役所の隠れみのであることを、国民は誰一人として知らぬ者はいない。政府や役所が準備したレールの上を走らされるわけだが、政府や省庁は審議会の案という衣を着せることによって、それらを正当化させてしまう。
  役所に都合のよい方針を正当化させるために審議会は有効に使われてきたし、今もそうである。そこで、ここでは竹下、宇野、海部の三内閣のもとで登場した第八次選挙制度審議会について取り上げてみることにする。
  この第八次審議会に中立・公正・不偏不党を標榜しているマスコミ関係者が大挙して参画していたのである。ことの重大性からあえて言及せざるを得ない。
  いうまでもなく小沢ペースの小選挙区制への道は、この審議会によって 正当化″されたかにみえるからである。参加した顔ぶれに驚がくするばかりである。
  問題の第八次選挙制度審議会委員の顔ぶれは、次のとおりであった。
  会長 小林与三次、副会長 佐藤功(東海大学法学部長)、第一委員長 堀江湛(慶応大学法学部長)、第二委員長 河野義克(元参院事務総長)、委員 阿部照哉(京大教授)、新井明、新井裕(元警察庁長官)、石原俊(経済同友会代表幹事)、内田健三、江幡修三 (元検事総長)、亀井正夫(日経連副会長)、川島正英、清原武彦、草柳大蔵、斎藤明、坂本春生(元札幌通産局長)、佐々木毅(東大教授)、中川順、成田正路、播谷実、藤田晴子(明るい選挙推進協議会理事)、堀家嘉郎(弁護士)、皆川辿夫(地方財政審議会委員)、山岸章(連合会長)、山本朗(都道府県選管委員会連合会会長)、屋山太郎、吉岡一郎(元内閣法制局長官)

審議会委員の顔ぶれを見ると小選挙区制導入とマスコミの役割が判る

この中にはマスコミ関係者もいた。わけても朝日、毎日、読売など日本を代表する報道機関の責任者が、それぞれの社を代表する形で、審議会の委員に就任していたのである。
  会長の小林は、日本新聞協会会長で読売新聞社長であった。日本新聞協会といえば、日本のマスコミの代表そのものである。ましてや、彼の出身母体の旧内務省は憲法改正、小選挙区制導入に少なからぬ関心を示してきた。
  その小林が審議会会長に就任したことは、日本のマスコミの置かれている現状を実によく説明していた。欧米のマスコミでは考えられないことだ。日本言論界の衰退ぶりを雄弁に物語っている。
  新井明は日本経済新聞社長だ。内田は法大教授で、元共同通信編集局長、川島は朝日新聞編集委員、清原は産経新聞論説委員長、斎藤は毎日新聞論説委員長であった。
  読売新聞は小林会長のほか委員に播谷調査研究本部長を送り込んでもいた。念が入っている。
  テレビ側も前日本民間放送連盟会長で、テレビ東京会長の中川が、そしてNHKは成田考査室長が、それぞれ委員として加わっていた。

マスコミ出身の評論家は、草柳(産経)と屋山(時事)である。
  こうした顔ぶれをみると、小選挙区制の導入を柱とした答申を、日本のマスコミ界が文字通りリードしたことが歴然としてくる。これでは報道倫理などどこかに吹っ飛んでしまったかのようだ。
  しかも、朝日、毎日、読売は日本の言論機関を代表している新聞社だ。民放も代表を送り、NHKもまた、これに一役買っていた。まさに小選挙区制答申は、あげて日本のマスコミによってリードされたことはみえみえなのだ。
  別項で触れたが、鳩山内閣の単純小選挙区制をハトマンダーと批判し、これをつぶした主役は、言論機関であった。田中内閣の小選挙区制比例代表並立制をカクマンダーと称して、廃案にもっていったのも、朝毎読といった日本を代表する新聞であった。
  憲法の平和主義を守らなければならないというマスコミの使命観が反対の大いなる理由だった。国民の多くが第九条改正に反対していたからである。
  「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意」(憲法前文)した以上、平和主義の擁護はマスコミにとっても当然すぎる対応であった。
  戦後日本のマスコミは、憲法の平和主義をモノサシとして国内政治、外交を論評してきたが、それはアジア諸国など国際社会との真の和解のために不可欠であったからでもある。言論機関が日中正常化実現にキャンペーンを張り、引き続いて日ソ、日朝の正常化の推進に努力してきたのも、それらが平和外交として当然すぎる帰結であったからである。

なぜ「中選挙区制は悪」というデマをマスコミが支援するのか

米ソ和解という国際政治の大変革は、平和外交の正しさを立証して余りある。「憲法九条は、ますます光輝に満ちてきている」というのが、ごく平均的な日本人の受け止め方、認識ではなかろうか。もし、マスコミが今この立場、価値観を放棄したのであれば、そのことを国民に説明する必要がある。果たして、この時機、どうして日本が世界の警察官のまねごとをするような制度改革が必要なのか。小選挙区制導入に対するマスコミの対応への疑問は、全てこの一点にあるのである。
  「中選挙区制は腐敗する」「中選挙区制は諸悪の根源」というデマゴーグを、なぜ言論機関がリードしようとするのか。全く解せない。
  軍拡へのステップは、宮澤前首相が文藝春秋の九三年十月号でも示唆しているように、タカ派外交官によってリードされている。PKO協力法の推進役は、防衛庁というより外務省だった。
  タカ派外交官に占拠されたかにみえる霞が関(外務省)は、国際舞台でのハデな役回りに興味を示している。国連の安保理での華々しいデビューを狙っている。それゆえ常任理事国入りしたいのだ。
  そのためには、国際紛争に自ら手を染めなければならない。河野洋平にいわせると、それはミニアメリカである。だが、日本の憲法第九条は、それを許してくれない。
  となれば、改憲である。そして改憲へのステップが小選挙区制の導入である。こうした当たり前すぎる政治の流れを、日本のマスコミはちっとも解説しようとしない。それもこれも、マスコミが改憲への音頭を小沢一郎らと一緒になってとろうとしているからなのか。そうとしかいいようがない。
  日本の言論機関は、そのことで再び戦前の二の舞いを演じようとしているのだろうか。
  外務省の意向は、ナショナリストを狂喜させるだろう。その第一人者が小沢一郎ということになる。小沢こそ外務省タカ派の代弁者なのだ。旧内務省の面々も小躍りして小選挙区制実現に満を持している。
  再建された軍需産業も、いまが好機ととらえている。こうした日本の政治状況は、しかし、決して日本にとって好ましいものではない。
  筆者はことし三月から四月にかけて米国政府の招待で渡米し、各方面の人たちと話し合いをしてきたが、日本の改憲への潮流に対してはいずれも懸念を示していた。
  知日派の多くは「日本がそうなったらまた同じ愚を繰り返すことになる。どうして歴史の教訓がわからないのか」といって困惑するばかりだった。「アジア諸国が許さないだろう。改憲は米国もヨーロッパ、アジアもノー″だ」ときっぱり拒否する政府高官も少なくなかった。
  八十七歳にして平和と軍縮を訴え続けている宇都宮徳馬は、言論人として戦前読売新聞に寄稿していた経験を有している。しかし、軍国主義がはびこる中で、その機会を失っていった。それまで軍部の横暴を批判していた新聞社そのものが軍部に屈服してしまったからである。
  当時、全ての報道機関が正義を貫いていたら、あるいは軍国主義を阻止できたかも知れなかった。
  個人主義の確立していない日本では、言論機関の影響力は、他のいずれの機関をも圧倒するほどに大きい。言論、報道によって社会は動いている、といっていいのである。ジャーナリズムの責任の重さをみてとることが出来る。
  政府の審議会が隠れみのであることは、マスコミ界の常識だ。それゆえそこへのこのこと参加した言論人の責任はいかにも重い。現に、マスコミはまともな論評を、小選挙区制に対して、全くしていない。いま、まさに言論界が重大な岐路にさしかかっているのである。

連立与党は小沢戦略にいいように操られていていいのか

小沢は政治腐敗の原因は中選挙区制にありとひたすら叫んでいる。しかし国民の側は政治家とカネにメスを入れるよう望んでいる。そのために腐敗行為に対して防止策(法律)をつくることだ。イギリスはこれで成功したのだから、これをやったらいい。
  しかし、小沢は決してそうは考えようとしない。制度の欠陥だと、問題をスリカエてしまって、腐敗防止へのメスを回避している。連立与党と政府案にも、これが欠落している。連立与党も細川内閣も小沢戦略にいいように操られているのである。
  ところで、小沢は「リクルート」「佐川」「大手ゼネコン」といった世紀のスキャンダルを契機に、小選挙区制の導入を訴えていることになっているが、これは事実に反する。
  小沢の実父・佐重喜が鳩山内閣で小選挙区制導入に汗をかいたことは既に触れた。佐重喜はまた、池田内閣のころ、党の政治制度小委員会の委員長に就任して、小選挙区制の導入を訴えていた。小沢佐重書中委員長の答申は、党組織調査会長の三木武夫に対してなされている。
  筆者は「裏から見た自民党派閥」(エール出版社)で「小沢委員長は、自民党が近代的政党に脱皮できない原因を選挙制度の欠陥も大きな要因″と決めつけているのだ。自民党の非近代性の元凶を中選挙区制に求めている点で、今日の小沢一郎と同じだ」と指摘しておいた。また「この小沢小委員会による三木武夫組織調査会長あての答申は、いみじくも小選挙区制導入が親子二代の政治的野心であることを示唆している」(同著)とも述べておいた。小沢に詳しい政治評論家の早坂茂三は、もう一つ新しい事実を、「文藝春秋」の九三年十月号で明らかにしている。
  「今秋の臨時国会は与野党ともに政治改革のオンパレード。にわか改革論者も結構いるが、こと小沢一郎に限ってはモノが違う。彼の小選挙区制導入論は、すでに十三年以上も前からの持論であり、いわば筋金入りの日本改造論と言ってよい」
  「一郎の小選挙区導入による政治改革の絵図面は、彼の父・佐重喜さんの追悼文集『人間小沢佐重喜』が昭和五十五年に刊行された際の文集の中で披露されている」
  早坂もまた、小沢の小選挙区制導入が突如表面化したものでないことを証言しているのである。小選挙区制導入こそ小沢の当初からの政治的野望であったのだ。
  追悼文集の中で小沢は「私の主張の第一は、選挙制度の改正、イコール小選挙区制の導入である」と書いていたのだった。父親の野望は、息子の野望ともなって日の目を見ようというのだ。執念である。憲法改正を射程の距離に入れるためには、これは何としても越えなければならないハードルなのだ。それこそが小選挙区制の実現なのである。
  それは純粋な政治改革論ではない。政治家とカネにメスをいれる話では全くない。次元がぜんぜん違うのである。それにもかかわらず、この小沢戦略に社会党までもが乗ってしまうという今日の政治状況は、なにやら戦前回帰を危惧させる。
  小沢の小選挙区制論は、前著「小沢一郎・日本改造計画の危険性」(エール出版社)でも触れたが、小沢著の「日本改造計画」(講談社)によると、小選挙区制の必要性について彼は「ぬるま湯構造を打破するためだ」としている。このぬるま湯という表現を筆者も政治記者時代、ずい分活字にした記憶があるが、最右派の小沢が使うとなると正直妙な気分にさせられる。
  彼は野党ボケしている社公民と自民の談合政治を非難している。自ら談合政治の主役であったことなど、すっかり忘れたような口ぶりなのだ。天にツバしているのである。
 「世界の激変に対応し、日本の平和と繁栄の基礎を再構築するためには、なれ合い、もたれ合いの構造を壊し、政治のあり方を根底から変えなければならない」
  最近の小沢流スリカエ論の材料は「世界の激変」とか「国際情勢の変化」をテコにして、改革の必要性をことさら指摘し、とどのつまりは「選挙制度の改革」が必要と決め付ける手法だ。
  世界の激変とは、つまるところ、米ソの軍拡レースという誤まれる政策の結果、ソ連経済が破たんし、その後ソ連邦自体、崩壊してしまい、勝ったはずの米国もまた、軍拡によって経済が揺らいでしまったことだ。

小沢一郎氏が絶対口にしない戦略と最終目標は何か

このことは戦争を否定し、徹底した平和主義を選択してきた日本の路線の正しさを証明している。しかし、ナショナリストにとってはそうではない。
  米ソ対立の解消を契機に、日本も国際政治の舞台で軍事的役割を果たそうとする。河野自民党総裁に言わせれば、そうした小沢流政治は「ミニ超大国」「ミニアメリカ」「ミニ世界の警察官」という国家主義への道である。戦前回帰なのだ。
  しかし、そのためには憲法第九条がどうしても厚い壁として小沢の眼前に立ちはだかっている。これを突き崩す作業が小選挙区制の導入なのだが、こうした真実を彼は絶対口にしない。
  「ぬるま湯構造を打破するためには、中選挙区制を廃止しなければならない」という一点を主張することで、いかにも正当性が存在するかのようにふるまっている。
  小選挙区制の利点について小沢は著書の中でいくつか挙げている。
  「どんなに得票が拮抗しても一票でも多い方が議席を獲得し、少ないほうは議席を得られない。これほど明瞭な多数決原理の考え方を反映している選挙制度はないであろう」
  小沢にとって多数決原理がベストなのだ。少数意見はハナから完全に無視している。

「選挙戦は、それぞれの政党の代表者の間で争われ、各党が政策を競うことになる。選挙戦のあり方としては理想的である」
  果たして政策論争になるだろうか。各党本部がそれぞれ公約を掲げるため、国民は事前に各党の公約を知っており、したがって小選挙区ごとに各党候補が党本部の公約をオウムのように繰り返すのか大分怪しい。たとえば、小沢の新生党が消費税を一〇%に引上げると公約した場合、国民はそのことで同党を採点することが出来る。わざわざ小選挙区での新生党候補者による消費税一〇%論を聞くまでもないのである。選挙通も政策論争に対しては疑問視している。
  小沢はまた小選挙区比例代表併用制を否定し、並立制を主張するが、それは「二大政党制が確立しやすくなる」と期待しているからだ。彼のいう二大政党制とは、非改憲勢力を政党外に放り出してしまうことを前操にしている。
  さらに小沢は小選挙区制によって政権交代が起きやすくなることを挙げている。そうすることで「日本の政治が抱えているほとんどの問題が解決できそうだ」と自賛している。
  これらも首をかしげたくなる理屈である。イギリスでは保守政権が十八年も続いている。政権交代どころか、保守、永久政権が定着した格好である。もちろん、二大政党で律することも出来ないでいる。自由民主党が第三党として躍進している。
  米国でも共和党、民主党に対して、第三の政治勢力が台頭している。九二年の米大統領選でみせたペロー現象がそれだ。ドイツはいうまでもなく小沢の嫌う比例代表制であるため、八二年以来、保守・中道の連立政権が続いてる。
  小沢は小選挙区制を導入すると、「日本政治の課題が全て解消する」としている。
  それでは一つ聞きたい。政財官のゆ着体質、構造は断ち切れることが出来るのか。小沢の新生党が政府の利権大臣を全て分捕ってしまっていることを考慮に入れると、政財官ゆ着構造のさらなる深化を心配したくなる。行政改革こそいまもっとも大事なことだ。北海道開発庁や沖縄開発庁は不要だとされているが、これをどうするのか。米国クリントン政権は二十五万人の公務員の削減を打ち出したが、日本もまたそれ以上の行革が求められているところである。小選挙区制導入によって決着をつけてくれるのか。
  どうもそうではない。小沢の最大の眼目は「日本改造計画」で触れているようにミニ超大国化である。軍事国家路線である。
  世界の紛争地に自衛隊を大々的に派遣しようというものではないか。国連旗のもとでの日本の軍事的役割の増大に対して中国はもとよりワシントンでも警戒する向きが少なくない。
  「日本は歴史の教訓を生かすべきだ」とする世界の声を、小沢の「日本改造計画」は無視している。小選挙区制導入の先には、本当に明るい未来が約束されているのか、どうやら大分疑わしい。

     あとがき

政治腐敗の元凶は、選挙に莫大なカネがかかることである。法定選挙費用は全ての政治家、政党によって無視されている。ウソをつくことが、赤じゅうたんの第一歩なのだ。国民の付託を受けた代表者が、この有様では、まっとうな政治活動などとても期待できるわけがない。
  金丸信のような悪徳政治家は選挙以外にも、蓄財や家の子郎党を養うための不正なカネを集めてきたが、普通の政治家が自らの信条を放棄してカネによって動く理由は、やはり一般的には選挙に巨額なカネが必要だからだ。
  どうして天文学的なカネを使うのか、というと、その理由は票とカネが正比例するからである。原因は間違いなく政治風土、民度の低さにある。この点で、今こそ有権者の質が問われているのである。
  日本における民主主義は、実際問題、言葉としてしかまだ根付いていない。「カネで支配される政治」「カネで動く一票」が罪悪であることを民主主義の原点に戻って考えるならば、まず小中学校における義務教育の場で、繰り返し民主教育を徹底する必要がある。教育の真価、教師の質の良否は、むしろこの分野でこそ判断されなければならない。文部省の責任も大きい。
  しかし、教育による訓練は、残念ながら当面する不正・腐敗の対策には間に合わない。悲しいことだが、英国など諸外国が実行したように、強い罰則によって規制するしかないのである。
  警察や検察庁が公正・中立に徹底して取り締まりを強化すれば、現在の公職選挙法や政治資金規正法でも、かなりの成果を期待できる筈であるが、そうだとしても両法のザル法ぶりは政治家本人が広言しているほどである。
  水も漏らさぬきちんとした法改正が求められる。しかし、この点についての対応は、細川政権の改革案によっても不十分だ。企業の使途不明金へのメスを入れない限り、政治資金規正法ばかりいじくってもラチはあかない。
  そして、なんといっても腐敗防止のための法制度を確立することである。英国では数百万円の選挙資金によって選挙が行われ、ビタ一文でも規定の枠からハミ出すと、資格剥奪の対象とされてしまう。日本にもこれと同じような制度を導入するしかないのだが、細川政権の改革案の中に腐敗防止法はない。実に不思議なことである。
  政権を担当すると、一転してかつての自民党と同じだ。むしろ、改革を云々していた分だけその変節ぶりは悪質でさえある。
  本書は国会で本格審議されている小選挙区制問題がほとんどその中身が検討されないまま、ただただ「いい制度だ」「カネがかからない」としてもてはやされている党利党略、思惑フンプンの実情に鑑みて急遽まとめられたものである。
 「小選挙区制はカネがかからない」という主張が、全く根拠のないものであることを明らかにした。
  同時に、そうまでして小選挙区制導入にこだわりをみせる人たちのかくされた狙いにもスポットを当てざるをえなかった。若い読者のために、過去に小選挙区制導入を目指した鳩山内閣、田中内閣の狙いと経緯にも触れてみた。
  小選挙区制は、一人のボス選びであるがゆえに、地域や家庭に対立を生じさせる、という宮澤喜一元首相らの不安にも言及した。
  本書全体を通して筆者が読者に対して、最も強調したかったことは、小選挙区制導入への狙い、思惑が、平和主義を葬り去ろうとする工作の第一段階にはかならないということである。
  もっとはっきりいうと、小選挙区制は平和憲法を改正(悪)するための秩序づくりにあるのである。これは、小選挙区推進論者が決して口を割ろうとしない点である。
  あらゆる政治行為は、政党や利益団体の利害に基づいているものだが、そうしたなまなましさをかくす為に国民に向けては、常に甘い言葉でカモフラージュされている。この偽善の皮をはぎ、かくされた真意を解き明かすことこそが政治ジャーナリズムの役割と義務である。本書はそうした観点から誕生したものである。御批判を乞う次第である。


本書の裏にある、同じ著者による別の本の広告が、実に象徴的です。

『小沢一郎・日本改造計画の危険性』

「 田中闇将軍と同じ政治手法を使う小沢氏は細川連立政権の陰の総理ともいわれている。その彼は日本をどこへ持っていこうとしているのか。この危険な政治家の真の狙いを追求する。」

森田実という評論家が、盛んに小泉政治、安倍自民党政治を批判し、小沢・民主党を持ち上げています。また、本質的な問題を扱おうとしないマスコミに対して、良心に立ち返るのを期待するようなことを再三書いています。しかし、この人物、小選挙区制度導入騒動の時にも、一貫して、小沢と小選挙区制度導入を支持していました。森田実氏もマスコミも、完全に確信犯。会社幹部が賛成している案件に、万が一反対の社員がいても、反対した報道ができるはずがないではありませんか。「正しかろうと間違っていようと」トップの意向に逆らえば、首か冷や飯は確実です。

会社幹部、政財界の意向が、昔は、「小選挙区制度導入」で、それがとうとう、今や「改憲」になっているのです。マスコミは「年金」と「二大政党・政権交代」を争点であるかのように報道します。これは政財界の、そして小沢の悲願、「壊憲」隠しの企みだろう、とにらんでいます。

マスコミがかつて「郵政改革」という偽のテーマを争点にして、与党に大量議席を与えた企みの焼き直しでしょう。




あひるさん、久々の投稿ありがとうございました。しかし、長いですねぇ。要約すれば「自民党もだけど、民主に入れるな、おっかさん!!」ということなんだろうなぁ。台風の後、ポスターが無事か回って見たけれど、今回はなんだか掲示場の前で足を止めている人がいるんだよねぇ。いつもなら素通りだと思うんだけど・・・参院選、みんな先のことを考えて“二大政党・「壊憲」隠し作戦”なんかに騙されないで、投票してくれるといいねぇ。若い女性たちが「消去法でだけど、川田龍平しかいないよね」と言っているのが耳に入りました。思わずにんまり。社民・共産も伸びてほしいなぁ。





No.7

若者と語り合う戦争体験のつどい

 
9条の会・小平
07/7/19

戦争を知らない若者のみなさん!
 若者と語り合う戦争体験のつどいに行こう

とき: 8月25日(土) 1:30〜4:00   ところ: 小平福祉会館小ホール

主催: 9条の会・小平「若者と語り合う戦争体験のつどい」実行委員会

憲法9条は、痛苦の戦争体験から生み出された日本から世界に向けた平和の誓い
 まもなく、戦後62年。安倍首相は声高に改憲を叫んでいます。被爆地・長崎出身の(この件で前になってしまった)防衛大臣は、「アメリカの原爆投下はしょうがなかった」とまで言い出しました。そんなときだから、戦争体験者の話を聞いて、リアルに戦争を問いただしてみましょう。戦争の現場で当時の若者はどのように行動し、そのとき何を感じ、その後どう考えてきたのでしょうか?

つどいを成功させるために 若者のみなさん、実行委員会に参加してください
 つどいは三人の方の鼎談形式で進めたいと考えています。できるだけ若者のみなさんが聞きたいこと、知りたいことに答えるようにしたいと思っています。司会もできるだけ若者のみなさんにお願いします。ぜひ、この実行委員会に参加してください。事務局に要望をお寄せください。

今回、戦争体験の語り部を引き受けたみなさんの自己紹介です
岩井忠正さん(元人間魚雷「回転」特攻隊員、美園町)

 私は太平洋戦争の末期に大学生から海軍に徴兵されて将校となり、その上、人間魚雷「回天」さらに人間機雷「伏竜」(特殊潜水服着用、海底から敵船攻撃。成功すれば自爆)という二つの部隊で特攻訓練を受けました。その私はもともと学生時代からこの戦争に疑問を持ち軍隊を嫌悪していました。なぜこんなことになったのか?この今でも(形を変えることはあっても)起こりうる失敗について語っておかねばならぬと思わされるこのごろです。
斉藤正則さん(元中国残留兵、小川西町)

 私は、1944年、19歳のとき徴兵され、この年の12月、「北支」派遣軍として中国山東省で3ヶ月教育訓練をさせられました。訓練終了後、津浦鉄道が通る兔城に駐屯、主に鉄道を警備し、守備範囲内で討伐にも参加しました。1945年の日本敗戦後も武装解除されず、国民党軍の要請で八路軍討伐を行いました。10月頃八路軍に包囲攻撃され、捕虜となり、以降、およそ8年、八路軍とともに行動しました。1953年捕虜交換協定により上海から帰国しました。中国での戦争体験を通して、平和憲法を守り抜きたい気持ちを話したいと思います。
宗像 基さん(元特殊潜航艇艇長 学園西町)

 私は台湾で生まれ、台北一中学校を卒業。1941年12月に海軍兵学校に入学し、卒業後、軍艦木曽乗り組みを経て、特殊潜航艇長となりました。終戦まで指導官として後輩の指導にあたりました。敗戦後、キリスト教会の牧師となり、伝道とともに平和運動に取り組んできました。1957年ブラジルに行き、軍事政権下で20年を過ごしました。1977年に帰国、広島で被差別部落問題と平和運動に取り組んできました。1990年、小平学園教会の牧師となり現在に至っています。戦争中の自分の体験を通して平和を訴えたいと思います。

連絡・問い合わせ:九条の会・小平事務局 tel・fax 042-343-0456





No.6

中流の復興

 りっちゃん
07/7/16

著者はベ平錬の小田実さん。なあんだ、言っていること、私とほとんど一緒じゃん。憲法9条が大事だ。米軍は日本を守ってはくれない。安保はいらない。武力も要らない。石油もない、食料自給率も低い国なんだから戦争なんかできない。軍事費は無駄。自衛隊は災害救助隊に。被害者が加害者になる。昔の戦争に比べ、普通の人がたくさん殺されるようになった。ゆとり教育がいい。格差社会はよくない。投票はその時その時自分で選ぶ。等々

だけど、文章がちがうんだよね。

私は、米軍基地の近くに生まれて、結婚してからも別な米軍基地のそばに住み、主婦感覚でなあんとなく感じたことと、ここ数年、本や講座で学んだことで、今の結論が出たんだけれど、私の場合は「武力は要らない」の一言で終わってしまう。

小田さんのは、言葉を繰り返し、繰り返すたびに何かを織り交ぜていくようで、なんだか私の感覚からいうとまどろっこしいというか、すっきりしないというか。これが人を説得する方なのだろうか。せっかちで単純で言葉の足りない私に全く欠けていることなのだろうか。文章を削りたいのにできなくて、いらだってしまった。多分、全部必要な言葉なのだろう。しかも、「あとがきにかえて」で、ガンのために余命が限られていることを読めば、ますます重い本になってしまった。

今の日本をいい方向に変えていく力を持った人がどんどん亡くなっている。私なんか、後何年食っていけるか、希望的観測でも年金だけではどうにもこうにも足りない。下手に長生きなんかしたくない立場にいるのに・・・

さて、愚痴は置いておいて、まとめを書かなくては・・・重いなぁ。

のっけの話が死臭。ご自分の体験です。戦争の現実です。本物の戦争は、映画の戦争みたいに音楽付きのかっこいいものでは決してありません。

次は「正義の戦争」なんてないんだというお話です。日本は「正義の戦争」だと言い張って戦争を仕掛けました。そして「正義の戦争」の戦勝国に負けました。日本は、南京や重慶を空爆しました。アメリカが、東京などの都市を空爆しました。原爆を落としました。どれも「正義」ではありません。非戦闘員を大量に殺した無差別攻撃ですもの。「正義の戦争」なんかどこにもないのです。それをよく言い表した詞が紹介されています。

ヒロシマというとき 栗原貞子(一九七二年)

 〈ヒロシマ〉というとき

 〈ああ ヒロシマ〉と
   やさしくこたえてくれるだろうか
   〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
   〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
   〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
   壕のなかにとじこめ
   ガソリンをかけて焼いたマテフの火刑
   〈ヒロシマ〉といえば
   血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
   〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
   返ってこない
   アジアの国々の死者たちや無告の民が
   いっせいに犯されたものの怒りを
   噴き出すのだ
   〈ヒロシマ〉といえば
   〈ああ ヒロシマ〉と
   やさしくかえってくるためには
   捨てた筈の武器を ほんとうに
   捨てねばならない
   異国の基地を撤去せねばならない
   その日までヒロシマは
   残酷と不信のにがい都市だ
   私たちは潜在する放射能に
   灼かれるバリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
   〈ああ ヒロシマ〉と
   やさしいこたえがかえって来るためには
   わたしたちは
   わたしたちの汚れた手を
   きよめねばならない
(『栗原貞子全詩篇』土曜美術社出版販売より)

「大きな戦争がようやく終わって、戦後の新しい時代が来たとき、人権の問題については、国連が「世界人権宣言」を出しました。人が抑圧され虐殺されるような世界で、人権の問題をちゃんと考えなくてはいけない、これから新しい世界をつくろうじゃないかということを、「世界人権宣言」が示したわけです。アウシュビッツに対して「世界人権宣言」を出した、少なくとも原理的には出しました。
 アウシュビッツに対して「世界人権宣言」が出たなら、戦争のために世界の人間が無茶苦茶に殺されるということに対しては、「世界平和宣言」を出していい、そうすべきだということになる。しかし、国連から「世界平和宣言」は出ませんでした。国連は、国連をつくった連中が戦争をしたのだから、出せるわけがありません。そういう「世界平和宣言」に値するものを、一国の憲法の形で出したのが日本の憲法です。だから、日本の憲法はおのずと世界的なものなのです。「世界平和宣言」なのですから」

だから、小田さんは言います。日本はもっと誇れ、と。軍需産業に依存せずに、平和産業だけで経済成長できた日本を誇れ、電気釜を創った技術力を誇れ、と。それができたのは中流の階層が厚かったからだとも。そして根本はやはり平和憲法だと。

まず、24条、25条で、小さな人間の暮らしを具体的に保障しています。それが実現するためには、戦争があっては出来ません。だから九条があり前文がある。納得ですねぇ。「率先して全世界を平和な世界にしようと提案しているんです」

ただし、現実として、日本がアメリカの属国である以上、ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、すでに、アメリカの補給基地として、支援国として、加害者でもあるんだよね。イスラエルとパレスチナのことも、黙っていては、イスラエルの攻撃を認めていることになってしまう。すでに加害者。アメリカの政策の被害者であり、同時に、小さな国に住む小さな人間への加害者。

小田さんは第三世界も含め、富を分配して、みんな中流の生活がおくれることを望んでいます。私もです。そのために何ができるか、すぐには解決できないけれど、まず自分の暮らしを守れ、と。当然のごとくみんなで助け合える社会をめざして。

具体的な提言として、間接民主主義・選挙だけに頼るな。直接民主主義、例えばデモへ参加するとか、小さな人間が政策をつくるとか・・・小田さんが実行した一つが、「市民=議員立法運動」。そこで見えたのは、役人主導とインチキな民主主義。でも絶望してはいけませんって。自分たちのあり方をちゃんとしておけって。市民による教育の「政策提言」では、ゆとり教育をするなら、6・4・4制にしようって。なるほど、6・3・3制のままだったから、無理だったんだね。

もう一つ、「非同盟」と手をつなぐように、って。

非同盟諸国首脳会議は、一九六二年にユーゴスラビアの首都ベオグラードにて初めて開催された。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、ヨーロッパなどから、二五か国の正式参加、三か国のオブザーバー参加を得た。東西冷戦のさなか、超大国、列強による政碧厳しく批判し、いずれにも属さぬ第三勢力として結集。大国による小国の支配と抑圧、戦争の危機からの脱出を目指し、反帝国主義・反植民地主義闘争の支持を掲げた。東西冷戦終結後も非同盟諸国会議は継続し、二〇〇六年九月にキューバで開催された第一四回会議では、アメリカ合州国などの覇権主義的支配に反対し、より公正で平等な国際関係を築こうと表明。正式参加国は118か国にのぼった(国連加盟国の三分の二弱)。

確かに、今、アメリカからすぐには離れるのは難しいけれど、こういう小さな国とのお付き合い、及び、アメリカとの友好条約を結ぶなど、安保のみでアメリカとつながるのではなく、いろんな国と色んなお付き合いの幅を広げることから始めるというのはいいことだと思う。

小田さんは、ラテンアメリカなど、いろいろ問題もあるけれど、資源がある国だし、平和を希求する国々でもあるから、韓国ともども、平和産業でやっていくためにも、手をつなぐ必要があるのではないかって。

ぜひ、そのあたりは、外交に強い、天木直人さんにやってほしいなぁ。

最初に書いたように、私にこの本をまとめるには重すぎて広すぎて、だから、後は、ぜひこの本を買って読んでください。

まずは自分のいのち、小さな人間の一人一人のいのちを大事にすること。そのためには暮らしを良くする努力を重ねること。自分のいのちや暮らしの根本的保障として憲法があり、それを守ることが、自分の命や暮らしを守ることでもあること。そして、日本の憲法は、全世界の平和につながっていることを、意識すること、かな。

小田さん生きている限り、大事なことを書き続けてね。まだ消化できていないけど、私も生きている限り元気にして、口下手なりに伝えていこうと思うから・・・





No.5

爺川柳

 金太
07/7/15・盆 

 =従軍慰安婦=

  米下院   拉致の本家は   大本営
  (アメリカさえ非難している)   

  靖国派   意見広告   赤っ恥
  (ワシントンポストに慰安婦は儲けた?と)

  憲兵に   調達された     慰安婦ら
  (憲兵政治の成せるワザ=強権政治)

 =安倍首相=

  我を張るの   もう止めようや  晋坊や
  (「日米同盟に変わりなし」と胸を張る)

  お血筋か    南平台の   轍を踏む
   (「岸やめろ!の大唱和」祖父直系)

 =久間発言=

 アメリカの  片を持ったが  首が飛ぶ
   (原爆は止むを得ない=久間防衛大臣)

  長崎の  出身忘れ  大暴言
   (自分の選挙区を忘れてはいけません!よ)



      都々逸

     (情報保全隊)

     壁に耳有り   障子に目有り
       昔アナログ   今ハイテク

          (年金)

     消えた年金  仕掛けた野郎
       いつも損する   庶民かな

     社会保険庁   解体させて
       後は野となれ  山となれ

          (後期高齢者福祉)

     喜寿を迎えて  いま姥(うば)捨て(すて)に
       福祉国家の  名が廃(すた)る



お釈迦様のことばに「ダンマバダ(法句経)」があります。

「すべての者は刀杖におびえる。
すべての者は死を恐れる。
わが身にひきくらべて、他人を殺してはならぬ。また人をして殺させてはならぬ」(第129偈(げ))

どうです。日本国憲法第九条の精神そのものではないでしょうか。
 偈とは仏の功徳をほめたたえる詩。四句から成る。梵語。

安倍晋三首相と閣僚一同に聞かせたい「ダンマバダ」があります。
 「およそ、自分が愚かであると考える者は、それだけ賢者である。しかるに、自分が賢いと考える愚者は、まさしく愚者と言われる」(第63偈)

ブッシュ大統領に送る「ダンマバダ」は、
 「戦場で百万人に勝つよりも、自分自身に勝つ者こそ、最上の勝利者である」(第103偈)

私の家は先祖伝来の浄土真宗本願寺派の門徒です。先日お寺にお参りした際に住職から伺ったお話から得た知識です。便利ですねぇ今はインターネットで「ダンマバダ」が和訳で読めます。




人生経験の豊富な方は、何でも知っているんだなぁ。今度、都々逸の歌い方を教えてほしいなぁ。

今の日本は、どうしちゃったんだろう。年配者を踏みつけにする政策ばかり。少子化対策には有効とは思えないけれど一応おカネをかけているみたいだけれど、年配者からはお金をふんだくることばかり・・・自己負担が増えて、介護保険も、医療も手控えている人が増えていると聞いている。年配者に暖かい、そして、知識や能力を生かす社会にしたいねぇ。それがみんなにとってもいい社会なんではないかしら?社民党・共産党も一杯議席が増えてほしいなぁ。どうぞ、少しでも日本がよくなりますように!





No.4

ポスター貼り初体験

 りっちゃん
07/7/12

今日は、参院選の公示日。体調悪いけど、これだけはとポスター貼りを引き受けていた。事前に下見もして、一番高い場所だと手が届かないので、風呂用の椅子も準備。受付を済ましてポスターを貼る位置(番号)が決まると、私に連絡が来ることになっている。朝一に草むしりをして大汗をかいたので、休憩がてら電話を待つ。携帯が鳴る。声聞きづらいんだよなぁ。古いせいか、私の耳が悪いのか。「11」「イレブンです」やっと聞き取って出発。

最初の掲示場は一番乗り。「やったぁー」、慌てずに済む。でも、「ごめん、川田龍平君」。顔にしわがよっちゃった。不器用だからなぁ。引き受けたの失敗だったかしら・・・。ちょっとしょげて次へ。なぜかおばちゃんが足を止めて、見つめている。「小平の地元出身ですので、よろしく!!」などしゃべりながらもスムースに貼れた。「ん、こつをつかんだかな」。次ではおっさんが、その次もおばさんが「あらぁ、この人も出るのぉ」と声をかけてくれた。テレビなどではどうも政党ばかりで、無所属は出番がないらしいから・・・不公平だよなぁ

自民党の保坂氏のポスターの画鋲、ポスターの邪魔にならないようにか、透明のかっこいい画鋲だった。金持ちは違うなぁ。でも、これ出っ張っているから、通る人の邪魔にならないか、ちょっと心配。

張り終わって帰り、自民党の丸川氏のポスターを張っているお兄さんを見かける。一番上だというのに、脚立を持っていない。多分社民とか共産党なら、手馴れているから、道具もちゃんとしたのを用意するんだろうになぁ。自民党はバイトさんかな? ちょっと気の毒。貼る手順のマニュアルが、うちらとは違いカラー印刷だった。金持ちは違うなぁ。

カラーではないが、マニュアルどおりに貼れば、不器用な私にも貼れたよ。もう一枚、顔じゃない所にしわよっちゃったけど・・・後はきれいに貼れた。ホッ。なんにせよ、初体験は、やり終えた後が気持ちいい。私にもできたぞ。





No.3

怒れ、九条!

りっちゃん
07/7/10

セバちゃんの投稿から、この本の著者でもある天木直人さんが健在であること、プログを開設したこと、さらに参院選に出馬することを知り、うれしく思いました。イラク戦争を起こしたアメリカに加担しようとする小泉に、最初からはっきり反対意見を言っていた人ですから・・・そして外務省を辞められて、自立された方ですから・・・

まずは2007年01月05日の全文をお読みください。

米軍再編
美しい基地の国ニッポン

2007年にこの国で起きる最悪の出来事の一つは、安倍政権の「美しい国」ニッポンが「米軍再編」の名のもとで侵食されていくことである。

私は米国の「テロとの戦い」を無条件に支持した小泉前首相によって日本が後戻りできないほど戦争国家米国に従属させられていくことに警告を発してきた。この現実に日本国民が気づかないかぎり、いくら「憲法改悪反対!」と叫んだところでむなしい。そのことを機会あるごとに訴えてきた。

しかし残念ながら、防衛や安全保障問題になると、難しいこと、専門的なこと、と思い込んで国民は関心を示さないようだ。その間に国民の知らないところで日本が米国に軍事的に占領され、従属化されていっている。

「週刊現代」の新年初号(1月20日)は、この悲しい現実をわれわれに教えてくれた。巻頭のグラビア特集号は圧巻だ。写真は言葉よりも雄弁だ。

イラク帰りの米兵が実戦演習の説明をしている。それをありがたく聞いている陸自隊員。自由に出入りする核搭載の米原子力空母とそれを受け入れる横須賀市(小泉前首相の地元だ!)、住民の家屋を押しのけて存在する広大な米軍補給施設などなど。どれをとっても異常な光景である。基地問題は沖縄だけではない。日本全土が米軍基地に侵食されているのだ。いかに日本国民が日米軍事同盟の現実に無関心であっても、このグラビアを見せつけられておかしいと思わない者はいないだろう。戦後60年以上もたって、とっくに米国と対等な独立国となっているはずの日本が、ここまで米国に軍事占領されてしまったのだ。日本各地で米軍の実弾演習が大手を振って行われている。

この在日米軍が、日本を守ってくれるために存在するのならまだ許せる。しかし実態はそうでない。米国の戦争のために日本の国土も予算も日本政府の手で差し出されているのだ。

『在日米軍』(岩波新書)の著者でピースデポ代表の梅林宏道氏が声をふりしぼって警告する。

「在日米軍は決して日本を守る存在として機能しているのではない。米軍のグローバルな軍事戦略を支えている部隊に過ぎない。米軍再編を容認することは、日本の安全保障政策の大転換ともいえる出来事なのに、何の議論もなしに進んでいる…」

小泉元首相が国民から隠したかったのはこの現実である。だから改革、改革と叫んで国民の関心をそらしたのだ。毎日の生活に疲れはてている羊の群れのような国民は、この現実を直視し怒りをたぎらせなければならない。


この従属化は、軍事面だけの問題ではない。経済も医療も税金も年金も、生活のすべてにわたって、アメリカの都合の良いように、私たちが暮らしづらくなるように動いている。なんせ、アメリカの年次要望書どうりの法案が、強行採決の連発だもの。

「希望の持てない若い世代、会社に縛りつけられたサラリーマン。定年退職後に残されたものは老後の経済的不安や疾病、介護の不安である。ついこの間まで経済大国を誇っていた日本の国民が、ここまで生活に不安を抱かなければならないとは。この国の政治は何をしていたのだ。」国民のためにという発想そのものがないからなぁ。官僚にも政府にも・・・

この本のなかで、いえ、戦後の歴史を通じて、一番大事なことは、
 「国家は、不完全な国民を統治するため、警察や軍隊のような暴力を合法的に占有する。また、さまざまな法律によって国民生活に一定の縛りをかけ、国内の秩序を保とうとする。しかし国家指導者も時に過ちを犯してしまう不完全な存在であり、多くの限界を有している。だから、国民の側が彼らに対して一定の規制をする必要がある。
 憲法は、こうした国民の側が政治指導者の行為に歯止めをかけ、権力や秩序のバランスをとる装置に他ならない。憲法を制定することで、特定の権力者の暴走を抑制し、社会秩序を保とうとするのが立憲主義である…
 しかし現在の「自称保守主義者」たちは、この立憲主義の基礎を崩壊させようとしている。憲法を権力者に対する縛りではなく、国民に対する縛りへと転化し、権力の肥大化を志向する。多数者の圧制による平準化を嫌い、個の自由なる精神を尊重する保守思想家にとって、これは本末転倒以外の何ものでもない…
 9条についても同様の混乱が見られる。アメリカに寄り添うことを国是とする保守勢力は、憲法の条文よりもアメリカの政治的意向を優先する。これは日米同盟が憲法の上位概念であると表明するものであり、日本という国家の主権を脅かしかねない。憲法をないがしろにし、国家主権をアメリカにゆだねようとする者が、「保守主義」を掲げる日本は、どうかしている…「保守」を自称するならば、九条を死守することで、わが国の主権を保守することをめざすべきではないか。九条を保守することによってアメリカの意向への追随に歯止めをかけることこそ現実路線であり、日本人の主体性を保守することにつながる…」

平たく言えば、国民と政府のお約束を、政府側が国民をコケにして、ズルズルと拡大解釈をし、勝手に破ってきたのが、戦後の歴史であり、経済成長したにもかかわらず、主体性を失ったが故に、“笑い”も、日本人としての文化も失っているということなのだ。

米軍再編が、安保条約すら逸脱し、アメリカのための戦争に日本人を駆りだそうとする今こそチャンスかもしれない。安保はアメリカが違反しているのだから、お断りする。大体日本を守るのに役に立たないものなど要らない。無駄金を使うこともないから、暮らしも楽になる。日本人が日本人としての主体性を取り戻し、平和憲法を、黄門様の印籠のように世界に向けて「これが目に入らぬか!!」と、核廃絶でも、戦争抑止でも、積極的に外交努力ができるのだ。

「誰でも、多くの人に問題を投げかけ、その間題を解決するために、人々の智恵を集め、その場で新たな智恵を生み出すことができるようになる」ウェブ2・0革命。「7%の、個の確立した、群れない国民たちが雪かきをして日本を救う」。「正しい情報が正しく民衆に伝わっていさえすれば、衆愚はたちまち衆賢に豹変する。私はその大衆の力を信じている」。お金のかからないネットを使って、意見を集約したり、選挙運動もできる。議員となったら、政府の政策について「質問主意書」を提出し、その政府答弁書を情報公開する。答があいまいなら何度でも繰り返す。

新党は@既存の政党とは異なる「もう一つの政治をつくる」。A「憲法9条を変えさせない」。B参院選全国区で一人の当選者を出すことをめざす。C歳費の半分程度は生活費として、あとの経費・議員特権・政党助成金は本来の政治活動費に使う。D従来型の選挙運動は行わず、インターネットを中心に活動する。E独自のネット新聞、ネットTVを立ち上げ、既存メディアと異なった観点から真実を報道するメディアをつくる。F戦争に加担しないでも生活費を稼げる若者たちのための基金をつくる。

まだまだ荒削りだけれど、やりながら、修正していけばいいのだとも思う。公務員を完全に卒業し、自立し、個をお持ちの天木さんなら、きっと聞く耳を持ち続けていてくれるだろう。期待しています。

うーん、専守防衛ねぇ。日本を守るために、私だったら、まず食料自給率を高める。そのためには、農村で若者が暮らしていけるようにする。自衛隊は、災害救助隊にする。自然災害だけでなく、他国に攻められた場合でも、軍隊組織の救助隊が一番国民を守ることになる。過去の空襲で軍隊は何をしていたのか?あたらない高射砲を撃っていただけ。必要なのは、逃げ惑う国民を助けることだったのに・・・

天木直人さんのブログは、http://www.amakiblog.com/blog/





No.2

何で怒らないの?

りっちゃん
07/7/8

介護保険料額が市報に載っていた。唖然。小平市では税制改正(悪)に伴う激変緩和措置がとられているけれど、それでも平成20年度から、生活保護受給者、又は老齢福祉年金受給者で、本人及び世帯全員が市民税非課税の人は、年額44,400円になってしまう。しかも年金額18万以上だと天引きだって。18万から44,400円天引きされたらいくら残るんだよ。そうなったら、とてもじゃないけれど、1割負担のサービスを受けるためのお金がないじゃないか。

こういうのを“やらずぶったくり”って言うんだよ。「皆さんの介護保険料が介護保険を支えています」って、サービスを受けられなかったら、全額寄付みたいなものだよ。貧乏人が何で金持ちの1割負担のサービスにカンパしなくちゃあいけないんだ。44,400円も。

前年の所得金額が700万以上の世帯は介護保険料が77,700円だよ。随分、収入に比べたら少ないじゃん。700万以上ってことは、もっともっと収入があっても、それぽっちで済んじゃう。そんなことってありぃ?

高齢者の健康保険の自己負担が増えたことは金太さんが投稿してくれた。サラリーマンはすでに負担が増えているよね。ここまでコケにされて、何で、みんな怒らないの? 自殺対策の審議会かなんかを開いているそうだけれど、これまた政府に都合のいい、財界人かなんかで構成されているんじゃないの?でもって、儲けにつながらない貧乏人は、効率よく自殺していただく算段でもしているんじゃないかと、疑いたくなる、この介護保険料額。

まったく、小泉劇場だかに騙された人たち、これでもまだ騙されるなんてことしないでよ。自分たちだけ責任取るというのなら判るけれど、私たちまで道連れになってしまうんだから。もう!!プンプン!! 何が改正?改革? どんどん生きづらくなっているじゃぁないか。

今度の選挙では、自民党や公明党、それに民主の右派になんか入れないでよね。これ以上、暮らしづらくなるのは真っ平ごめんだよ。

創価学会の人に、公明党に入れるなって言っても無理かもしれないけれど、みんなはどうなの?庶民の暮らしを守る党じゃなかったけ? それを自民党と一緒に強行採決の連続で、こんなことになっているんだよ。公明党を一杯怒って頂戴。意見を上に上げて頂戴。庶民の暮らしを破壊しているぞ!!って。「百年安心の年金」? 今すでに不安一杯じゃないか。平和の党?「加憲」? だったらなぜ、創価学会員が九条の会に入ってこないんだ? 

なんだか、みんな、「笑い」だけでなく「怒り」も忘れているみたいだよ。もっと、怒って。それを票につなげて欲しい。でないと、日本がめちゃくちゃになるよ。「日本を守れ!!」ってこういうことじゃないの? 武力なんか要らない。国民を大事にする、国民が暮らしやすくする、みんなが笑顔で暮らせるようにする。それが、国を愛するってことじゃぁないの?

りっちゃんは怒ってます。「貧乏人は死ね」といわんばかりの、この介護保険料額に。そして、参院選でもまた騙されちゃうような人に。





No.1

改革にダマされるな!

りっちゃん
07/7/4

みんなぁ、もう目を覚ましてよ。住民税が上がったのはわかってる?年金だって、私たちのおカネを預かっているという意識が全然ないではありませんか?ああいう人たちが私たちのために「改革」をしてくれるなんて、甘い期待をかけては駄目ですよ。たくさんの人が騙されたおかげで、強行採決ばかりの国会運営。それでどれだけ私たちの暮らしが危なくなってしまったか。どうぞ、参院選ではちゃんと、先のことを考えて投票してくださいね。お願いしますよ。

どこをどういう風に騙されてしまったか。私たちの暮らしの安全が、どこまで脅かされてしまったか。これから、どこの「改革」を狙われているのか、その結果私たちがどうなるのか。とっても詳しく書いてある本です。著者は、「拒否できない日本」の関岡英之さんと、精神医学と教育に詳しい和田秀樹さんです。

特に医療問題は深刻です。もともと日本の医療保険制度はWHOの総合評価で第一位なんですって。「改革」なんてする必要なかったんじゃないかぁ。アメリカは総合評価で第15位、国民一人当たりの医療費はダントツの世界第一位。国民皆保険なんかない。医療費がすごく高くて長期入院ができなくてホテルから通う位なんだって。病気して破産する人もいるって。薬価も高いし、薬そのものも、まず、牛骨粉で作られているカブセルが信用できないって。薬の認可も効率よく、手早くだから、死亡事故や薬害も多いんだって。そんなアメリカ並になったら、安全も安心も得られっこない。すごく怖いよう。

すでに、高齢者の自己負担が増えている。サラリーマンも3割負担になってしまった。それに高齢者も2週間で退院させられちゃうんだって。そのあとは、医療保険がほとんど利かない療養型病院やリハビリ病院に移されるんだって。大体特老の数が足りなくて、どこも待機老人が一杯いるんじゃないかぁ。社会的入院をせざるを得ない現状をほったらかしにしておいて、追い出しはないよ。年寄りに冷たい国だねぇ。

混合治療もおかしいよ。新薬が保険対象になるのに時間がかかるからっていっても、副作用とか調べるのに時間はかけてもらいたいし・・・大丈夫ならいつかはなるはずなのに、それを最初から保険対象とせずに、自由診療の方に回したら、貧乏人はその薬を永遠に使えないってことじゃないか。「医は仁術」って言葉はどうなるの?人のいのちもおカネで買う時代になっちまうのかい?嫌だねぇ。

「安倍政権発足と同時に経済財政諮問会議の民間議員に昇格した八代尚宏氏(国際基督教大学教授、前日本経済研究センター理事長)は、自著『規制改革』(有斐閣、〇三年)の中でこう書いています。
「患者の自己負担率が高まれば、公的保険でカバーされる範囲が事実上、縮小することになる。
そうなれば、自己負担分をカバーするための民間保険が誕生する」
「医療産業であれば、その売上高が増えること自体に問題はない」
 実に正直、まさに剥き出しの企業の論理です。つまり、小泉政権下で進められた医療制度「改革」は、公的医療費を抑制して、民間保険会社のビジネス・チャンスの拡大を目論むという側面があったのです。
 それを先取りするかのように、いまテレビや新聞では、「よ〜く考えよ〜♪」と国民の将来の不安を煽るような外資系民間保険会社のCMが過熱しています。」

もうすでにダマされて入ってる人がいたよ。それだと、やっぱりお金のある人しか助からない。日本人みんなが、今までのように、早めに、気軽にお医者さんにかかれることが、一番いいんだよ。その方が、みんな健康でいられるし、そうなれば医療保険の経費も少なくて済むはずだよ。せっかく国民皆保険があるのだから、それを活かそうよ。

“政府の諮問会議はどんな顔ぶれなのか?”はひどいねぇ。「民間開放推進会議にいたっては、議長の宮内義彦オリックス会長以下全員が、財界人やエコノミストなどの民間人でした。」「中小企業の代表や、一般勤労者や消費者や地方自治体の代表は一人も入っていません。」「経済財政諮問会議にも、規制改革・民間開放推進会議にも、医療の関係者や専門家は一人も含まれていません。」「日本医師会はおろか、なんと厚生労働大臣さえメンバーではないんですよ。」これでは、自分たち企業の金儲けのための「改革」になって当然だよ。

“戦後日本人の食習慣を激変させた「人体実験」”も、うなづいちゃうねぇ。私が中学の時、先生たちがアメリカの余りもの、豚のえさになるものを、生徒に飲ませたくないと反対していたよ。脱脂粉乳。私は結構好きだったんだけれどね。改めて当時の先生方に感謝しちゃうなぁ。

“「消費者の温存」と「教育」に力を入れよ”も、大賛成。100年先を考えなくっちゃぁ。製造業立国、日本。「中流階級向けのクオリティの高い商品をつくれる国は日本だけ」だって。「教育水準が高く、落ち着きと自信に満ちた中流層こそ日本の強さの源泉だったわけで、中流が下流に没落していく格差の拡大は、日本という国家の弱体化以外のなにものでもありません」

食料自給率も高めたいねぇ。故郷納税よりも、農業振興だよ。若い世代も農業で食っていけるようにしなくっちゃ。





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