09年その1版井戸端会議風伝言板

 日本がおかしい。特に政治が・・・麻生総理がブルーリボンのバッチをつけている。はぁ?!拉致問題を早く解決しろ、交渉のテーブルにつけ!!というのが、あのマークの意図だと思うのだけれど?その抗議の対象は、金正日と日本の総理大臣に対してで、なんでその当人がイケシャアシャアと恥ずかしげもなく、あのバッチをつけているのかしら?そういうデタラメがまかり通る日本って・・・呆れ果てるしかないのかしらねぇ。世直しの第一歩となるかもしれない総選挙は、のびのびで、自民と民主でお互いに足の引っ張りっこ。自民党が勝つ時期を待っても無駄だろうに・・・
  個人的には、本当にぼちぼちだけれど、ちょっとづつ暮らしやすくなっている。小平で、友達や知り合いに道で出会うということが時たまある。うれしいねぇ。ひとりぼっちではなくなったようだよ。みんながニコニコと暮らせる世の中、自然と歌を口ずさめる世の中になるという"夢”の実現まではまだ遠い道のりだけれど、自分のできること、一歩一歩やっていきたいなぁ。

No.48

「遺棄化学兵器」展

 
ABC企画委員会
09/6/28

消された歴史の真実!「遺棄化学兵器」展

毒ガス(化学兵器)・細菌兵器の使用は1925年のジュネーブ議定書で禁止されていました。しかし、旧日本陸軍は当時“地図から消された島”瀬戸内海の大久野島で(1929年開始)、海軍は神奈川県平塚市と寒川町(1943年開始)で密かに毒ガスの大量生産を行いました。この毒ガスは中国戦線に大量に送られ使用されました。
  敗戦時、旧日本軍は毒ガス使用を隠蔽するため中国各地の河川や地中に遺棄して敗走、帰国しました。日本国内においても各地の海や湖、山中に遺棄しました。

現在、中国では、これらの遺棄毒ガスの発見によって多くの被害者が発生しています。また、日本でも平塚市や寒川町、茨城県神栖町などで発見されています。戦後60数年を経て尚、「戦争」と関係のない一般市民が、被害を受けていることになります。残念ながら現在も、世界各地で多発する戦争で化学兵器が使用され被害が発生しています。
  過去の事実を知り、平和な未来へつなぐために多くの方に是非、見ていただきたいと思います。会場は無料です。プロムナードでの展示ですので自由に参観できます。

日時:6月30日(火)〜7月11日(土)毎月曜は休館日
     9:00〜22:00(公民館開館時開内)
     但し6月30日(火)は12:00から 7月11日(士)は20:00まで

会場:小平市中央公民館・プロムナード(一階廊下)
       西武多摩湖線「青梅街道駅」下車徒歩5分(公民館電話042−341−0861)

主催&連絡先:ABC企画委員会 小平市学園西町1-22-15-1F
   電話/Fax042-348-0861





No.47

日本の行く道

 りっちゃん
09/6/27

なんかうれしいなぁ。説明が丁寧で、ひとつひとつが納得行くんだよね。結論だけ出たら、ちょっとビックリなんだけれど、いろんな問題を考察していて、全部が一挙に解決できちゃう。いいなぁ。それやって見たいなぁ。個人的にも、この頃、もっと広い空だったらなぁと思っていたんだ。日本人の気持ちもきっと広々できちゃうよ。

丁寧さの例は、こんなふう
  「「いじめは昔もあった」という意見に対して出されるのは、「今のいじめは昔のいじめとは違う。もっと陰湿で手の込んだものになっている」です。「あなたは今の現実≠知らない。今と昔は、もう違っている」と、「今のいじめ」に関する知識を持つ人は言いますが、ここに隠されている「いじめの問題解決への重要な道筋」となる疑問は、「なぜそんなにいじめの質が変わってしまったのか?」です。うっかりするとすれ違いかねない、「いじめは昔もあった」と「今のいじめは昔のいじめとは違う」の両方の意見に共通するのは、「今と昔はどう違っているか?」という問いなのです。どう違っているのでしょう?」
  ほらね、これなら、意見が違っても共感して次の問題に移れるでしょう?なんか、今は言いっ放しで会話にならないことが多いのだけれど、これなら会話になる。本だから読者が説得される、納得する方法と言うのかな。私もこういうふうに会話ができたらなぁ。

日本がおかしくなっていることの原因を探るのが目的なんだ。いじめの問題も伏線のひとつ、後ですご〜く納得。「はじめに」に書いてあったこれもそう。「地球の温暖化には、「原因」があります。その「原因」がはっきりしている以上、その対処法だってあります。その対処法が「そう簡単に解決のつく方法ではない」ということがはっきりしているにしても、「原因」がある以上、「その対処法」はあるのです。「原因」がある以上、「その対処法」は考えられなければならないのです。つまり「その原因≠ェある以上、それを我が事として引き受ける」なのです」。

イジメについての考察は、私自身のとほぼ一緒。私は自分の子どもが「いじめられっ子」だったから、一杯本も読んで、必死に考えたんだけれど、著者は子どもがいないのに、よくぞここまで・・・と感心します。団塊の世代の高校受験の話まで、歴史を戻すんだよねぇ。「「学校とは、上級学校に進学するためのステップとして存在するものである」という明快な理解が、親達に訪れるのです」→「余分なことを考えずに、お前は学校の勉強=受験勉強に集中していればいい」という時代の到来で、「学校=受験への道」というものが、ここに確立」→子供達にストレスが生じ→昔のいじめっ子、学校で疎外されても、地域社会という場を持っていた、「不良」と呼ばれた子供達は、学校の中で「荒れる学級」をつくり、逃げ場をなくした子供は家の中で暴発する「家庭内暴力」となった。→「不良」「ツッパリ」「ヤンキー」も消えつつあり、「家庭内暴力」は「家庭内殺人」となり、学校の中で「お友達」しかいないはずの場でのいじめは、「排除」、つまり、自殺まで意図したものに変質。この本はいじめの対処法を書くのが目的ではないので、余計な話になりますが、仲間同志のはずでのいじめは怖いんだ。たいてい自殺まで追い込まれる。うちの子の場合は、仲間同士ではなかったし、地域社会の場(お囃子)、勉強とは関係ない習い事、それに先生とは別の価値観の私がいる家庭があったからねぇ。本人は頑として、「いじめ」を認めなかったけれど・・・先生に言ってやったよ。「うちの子よりもいじめる子の方がかわいそうな状況にあるんだよ」って。

「「家の中の殺人」はあり、「学校の中のいじめ」もある。そして、「家の外」であり「学校の外」であるようなところで成立する「不艮」だけが、消えて行く。これは、「家か、学校か」の二択だけがあって、「その他」が存在する余地を、子供達が持てないということでもありましょう。私は、「すべての問題はその状況にある」と考えます」。
  →「「学級崩壊」の時代の子供達は、そのストレスをかわしてしまう。「ストレスを引き受けなくてもいい」と思い込んでいるから、授業中に教室の中を勝手にうろつき回り、私語をかわし、なにかちょっとしたことがあってストレスを感じると、急に騒ぎ出して、授業というものを成り立たせない「学級崩壊」という事態へ進んでしまうのです」。「ゆとり教育」の導入もあったけれど、それは検討した上で否定され、
  「内閣総理大臣が、「日本人はもうあんまり働かなくてもいい。それより、外国のためにお金をつかってあげよう」と言うのです。私が問題にしたい、「この二、三十年一貫して続いている状況の中で起こった、日本人のありようを変えさせてしまう変化=vは、ここにあります」
  「一貫して続いてる状況」とはなんでしょう? それは、「日本人はもう金持ちだ」です」。
  →「「行かなくてもいいのに、なんで行かなきゃいけないの?」というエネルギーの不完全燃焼が、「学級崩壊」を実現させ、「陰湿ないじめへの熱中」というへんな事態を生むのです。―私には、そうとしか考えられません。」

で、「自殺大国」の話になるのよ。状況は大人も一緒。みんな「行き場」がないから、あの世に行ってしまう。
  「それは「格差社会」なんかじゃありません。「あるレベルからはずれた人間達なんか知らない」という、オール・オア・ナッシングの世界です。「当人の自主性に任せたんだから、こっちは関係ない」という、我知らずの拒絶が野放しにされた社会です。そこで、「人の孤独」は心の問題ではなく、実生活上の孤立に変わります」。
  「「生活の豊かさ」を求められる人だけが求めて、それが出来ない人は放置される―その結果の「隔差」で、ただ放置された人は、「放置された人」として置き去りにされ、「貧乏人」という名前さえも与えられないのです」。

「障害者自立支援法」、おにぎり事件についての話もわかりやすい。「自立」の誤認があるって。「自立したい」と「自立できている」とは違う。「「自立しなきゃ″はいいけど、あんた、料理が出来るの? 洗濯が出来るの?」と言って、「やったことないです。出来るとは思いますけど」というような答を返す相手に言うべきことは、「そういうことが出来るようになってから、自立≠チて言葉を使ったら」であってしかるべきです。このことが分かっていたら、「障害者自立支援法」などというものは登場しなかったでしょう」。

後半は、「どうすれば、地球の温暖化は回避出来るのか?
 「 答は簡単です。「産業革命以前の段階に戻せばいい」です。「そんな落とし所があっていいのか?」と言いたいくらい、めちゃくちゃな答です。」
  から始まります。でもメチャクチャではありません。「原因に即したまともな結論」であるのですから・・・で、現実に失敗の例をあげ、「人力に代わる代替エネルギーを使う″という発想自体に問題があるんじゃないか?」と、次に「江戸時代」を検討。「工場制手工業」もあったし、地方も元気だった。でも、もう一歩譲って、「1960年代前半」「憧れの昭和30年代」に、見た目だけでいいから、再現しようとの提案。具体的には、本を読んでください。きっと説得されちゃうと思うよ。

他にも納得が一杯。
  日本が弱腰外交なのは、1863年の薩英戦争と、翌年の英・仏・蘭・米と長州の戦争で負けたことが尾をひいているそうだ。
  官僚は「誰」に忠実なのかは、「国民ではありません」。戦前は天皇と元勲で、今は、元勲の相続人の「与党」の政治家。伊藤博文をはじめ総理大臣には長州(山口県)出身が多い。岸信介もそう。その孫が安倍晋三。麻生太郎の高祖父は大久保利通。薩摩閥?
  「・・・国民に「官僚を従えるだけの思考能力」が宿らない限り、官僚は、自分連の考えと異なるすべての考え方に対して、「そういう考え方もありますね」と慰勲に拒絶し、鼻先で笑うことも可能なのです。つまり、「国民が成熟しない限り、官僚は不祥事の仕放題である」ということでもありますが」。

「必要な物が必要なだけ作られていれば、それ以上はいらないのです」
  「そもそも人力エネルギーが不足してしまっているから、機械を導入しなければならない」という要素だってあります。これが典型的なのは、「零細農家における農業機械の必要」です」。これは友達から実家の話を聞いているから、本当の話。「もうそろそろ引退すれば」と娘が言っても、機械のローンを返すために、老体に鞭打って働かねばならない
  「今やおなじみとなった「貧富の格差」とか、「労働問題」」「これは、産業革命によって登場した問題で、「社会主義思想」を生み出した元は、「産業革命に由来する矛盾」なのです。なぜ産業革命が「さまざまな問題」を生み出すのかと言えば、大量生産を可能にする機械が、多くの人を排除して、少しの人に利益をもたらすからです」。
  「「景気を成り立たせる人達」がいい人だったら、きっと地球は壊れまい」。だといいけれど・・・とにかく、「主権在民」の民が「わがこととして引き受け」て、しっかりせねばねぇ。





No.46

女性の貧困、子どもの貧困

 りっちゃん
09/6/24

21日、みどり三多摩主催のオープンフォーラムに行ってきました。「女性の貧困」については元婦人相談員の鈴木純子さん、「子どもの貧困」については現役の児童相談所福祉司の方からお話を伺いました。

鈴木さんの発言で印象に残ったのは、「派遣切り」が話題になっているが、女性はずーっと、そういう状態におかれていた。ですねぇ。女性は養われているのが当たり前で・・・私もハローワークで言われましたもの。現実にはわたしが世帯主。まぁ、一人だからまだましではありますが、家族を養っている立場にあっても、そう思われてしまう。だいたい国の標準世帯が性別役割分業のままだから・・・で、ワーキングプアの男性は「結婚すらできない」と言われるけれど、それも性別役割分業に捉われているから・・・女は、例えDVの被害者であれ、「離婚すらできない」。子どもを生む性、そして育てることが、労働社会で不利益となっているから・・・

「意見を言う女性は干される」とも。私もでしたねぇ。女性は特に、「イエスウーマン」が求められるようで・・・しかし、そんなことでこの不況が乗り切れるのかなぁ。あ、だから、アメリカと共倒れになりそうなんだ。「イエスマン」と「イエスウーマン」ばかりでは、企業も(公共団体も)硬直化しちゃうから・・・

日本の女性の労働での格差は、先進諸国でもトップレベル。「女性の貧困」+「子どもの貧困」で、母子家庭は、昼夜、ダブって働いている人も多いそうだ。就労率約84・5%で世界最高だそうだ。私の友人も頑張りすぎて過労にならないか、心配。離婚後の養育費支払いは19%に過ぎず、児童扶養手当の削減と生活保護の母子加算廃止など、ますます生活が厳しくなっている。

鈴木さんお勧めの「女性と貧困ネットワーク」立ち上げ時の文章がとてもわかりやすいので、以下に書いておきます。


女性で安心な社会に
  女性の貧困のほんとうの解決策へ声をあげましょう

「女性は世界の労働の三分の二を行っているにもかかわらず、収入は五%でしかなく、資産は一%にも及ばない」(ILO:国際労働機関)

男性の貧困が、女性なみの貧困になってきた(貧困の女性化)ことで「貧困」が社会問題視されるようになりました。しかし、女性はずっと前から貧困でした。そして今、女性の貧困は悲惨さを増しています。
  女性の約54%が非正規労働者として、正規男性の約40%の低賃金で働いています。シングルマザーの暮らしは年収171万円で手当があってもギリギリです。DVから避難した女性たちは不安に怯えながら「自立」を、求められています。高齢女性の年金は低額で、生活に困難を抱えています。生活の厳しさから精神を病む人も多く、男性に頼っても更なる暴力や貧困につながる場合もあります。外国籍の場合、困難は非常に大きくなります。

しかし、女性の貧困はこれまでほとんど問題視されてきませんでした。なぜでしょうか。

日本では男性が外で仕事、女性が家事育児という価値観が根深いため、女性は男性に扶養されるのだから低収入で当然と思われ、女性が声を上げても男性の賃上げが優先され我慢を強いられてきました。女性自身も結婚すればなんとかなると思って来ましたが、結婚してもDVや夫のリストラや借金などさまざまなリスクと直面するケースが増えています。離婚後の子どもを扶養する責任は女性が負うことが多いのですが、子どもへの支援はまったく手薄です。

日本の企業は大小問わず、男女雇用均等法が成立した以降も女性をパートや派遣労働に追い込み、安上がりの労働力として利用してきました。また男性主導の労階組合の多くも、足元の非正規問題と男女の貸金差別を放置してきました。企業だけではなく行政において、福祉職や事務職において非正規雇用の率は増加し、正規職員のみではもはや現場は回らない状況です。パート労働や派遣労働の便利さに味をしめた企業・行政機関がそうした労働力をより多く求め、労働の規制緩和が進むことで、1990年代後半には主婦だけでなく多くの若い男女に、不安定な非正規労働しかない状況が産まれたのです。さらに、生活保護、児童扶養手当、教育援助、雇用保険、医療保険などさまざまなセーフティーネットが崩壊し、更なる貧困が女性たちを直撃しています。社会的な差別構造を抜本的に解決する対策が喫緊の政治的課題です。

私達は、様々な貧困問題に直面する女性たちが集まり、女性と貧困の問題の実態を明らかにし、訴え、女性たちの貧困の真の解決を図るために「女性と貧困ネットワーク」を結成します。私達は全国の仲間と情報を共有し、貧困にさらされている女性達の問題解決のために助け合いのネットワークを広げます。女性の貧困問題の解決のために、提言を行なっていきます。

これまでの貧困問題の解決のための活動に敬意を払うとともに、提案をします。一つは、貧困状態にある男性の意識の問題、たとえば「男が妻子を養わなければならならない」という認識が男性たちをより一層追い詰める要因になっていることへの気づきです。二つ目には女性の貧困を可視化し、女性が心身ともに自立できる労働とセーフーネットを充実させることが、すなわち男性の貧困問題の解決につながることを共有化したいと思います。三つ目は今ある「労働市場」に「男性並み」に参入することではない働き方を作り出していくことです。労働基基準法や産休等の様々の権利を企業・行政に働きかけ、時には法そのものを変革するなかで、男性中心の「労働」のイメージと現実を変えていくことです。それは女性のみならず男性にとって「賃労働者」としてだけではない「生活者」として生きる姿を示していくことでしょう。女性の働き方を考えること、それは労働の根幹を揺るがす力を持ち得るのです。女性も男性もともに「人としての尊厳」を持続できる、差別のない公正な雇用と安全で心豊かな社会を目指して、共に力を携え合いましょう。最後に、私たちのネットワークを、一緒にあなたの身近な人に伝えてください。

2008年9月28日 女性と貧困ネットワーク立ち上げ集会参加者一同


「子どもの貧困」の問題はまず、税金の再配分後の方が、子どもの貧困がより際立っていることです。こんな国は他にないそうです。教育や子どもの福祉にほとんどお金をかけていないということです。無政府状態の方がましということです。実際、保育園も児童相談所も一時保護所も児童福祉司もケースワーカーも足りない。

2000年以降、児童虐待防止法ができてから、件数も増加したし、児童相談所の役割も変わった。以前なら、親の方から相談が来てそれに寄り添って対応するのが仕事だったが、親からすれば「余計なお世話」の介入も仕事となった。怒れる親たちへの対応にも時間が取られ、完全な人手不足。

子どもたちのためにお金をかけない、無策ということは当然、少子化にもつながるし、私たちの暮らしにも、つながります。子どもたちが将来に希望を抱けない社会ということでもあります。そんな日本で、いいの?私はいやだよ。

東京とカナダ(オンタリオ州)のケースワーカー数の比較(2006年)

オンタリオ州東京
人口約1000万約1200万
児童相談機関の設置数53ヶ所11ヶ所
ケースワーカー数約7000人175人
ケースワーカー一人当たりのケース数22〜23ケース100〜150ケース




No.45

朝鮮民主主義人民共和国の核実験にあたっての声明

 
ハンクネット
09/6/23

朝鮮民主主義人民共和国の核実験にあたっての声明

西暦2009年6月18日
  朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)

先月25日に朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)が実施した核実験に対し、日本・アメリカ両政府が制裁の強化を発表し、また韓国政府も含めて軍事的包囲網の強化も検討されている。我々、朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット) は軍事的緊張と制裁の弱者への悪影響を憂慮し、以下の様に各界に呼びかける。

<安保理と六者協議>

日本政府などは核実験を六者協議で交わされた合意違反だとしているが、2005年9月19日に北京で発表された共同声明にもある通り、一連の六者協議で目指されていた「朝鮮半島の非核化」は南北朝鮮における非核化を言うのであって、朝鮮のみが義務を負うべきものではない。在韓アメリカ軍の核武装問題を脇において朝鮮のみが核無能力化の検証を求められる根拠は無い。現在の圧倒的な軍事力の差を鑑みても、不可侵の保証のないところでそれはあまりに非現実的・非対称的である。

そもそも朝鮮側の核開発計画の申告に対し、約束された経済協力が実施されておらず、関係諸国が行動対行動の原則を反故にしている。日本政府が拉致問題を口実に、国際的に約束した20万トンの原油供与を反故にしている事も、事態を一層悪化させている。

今回の核実験の直接の引き金となったのは朝鮮のロケット発射を非難する国連安保理の議長声明であるが、これは主権国家の宇宙利用の権利を侵害するものであり、理不尽と言うしかない。宇宙の平和利用は国際法上すべての国家に平等にあるとされており、先般の声明はそれを否定するものである。

また日米両政府や日本のマスコミは朝鮮の人工衛星打ち上げを国連安保理決議違反だとも主張しているが、安保理の判断が常に普遍的で公正だとは言えない。かつて「大量破壊兵器保有」という根拠の無い情報を元にアメリカがイラクを侵略したが、これに対し安保理は一言でも非を主張したことがあっただろうか。このような不正義・不道徳が不問に付されている一方で、朝鮮の行動はそれが国際法にのっとったものであっても問題にしているのだ。更にアメリカ及び「国連軍」と朝鮮は未だ休戦状態であることも忘れてはならない。

また、日本の国連外交のダブルスタンダードにも問題がある。日本は国連規約人権委員会での戦時性奴隷制(従軍慰安婦)問題に関する勧告を「法的拘束力が無い」として無視しているが、その一方で朝鮮を安保理決議違反と非難し、安保理において朝鮮に対する制裁強化を働きかけているのだ。

更に、核大国であるアメリカなどの安保理常任理事国が朝鮮などによる核拡散を本気で懸念するならば、まず自らが核軍縮を実行するべきであろう。

<核兵器と日本>

日本のアジア侵略に端を発した太平洋戦争の末期、アメリカは世界で初めて広島・長崎に原爆を投下し、植民地出身の朝鮮人も含む多くの人々を無差別に殺戮した。敗戦後の日本は、侵略を反省して近隣諸国との和解に取り組むとともに、アメリカによる原爆投下という非人道的行為を国際社会に告発し、核廃絶に取り組むべきであった。ところが日本は反共と「国体護持」の為にアメリカと安保条約やいわゆる沖縄密約を結んで核の傘に入り、東北アジアの緊張激化と核戦争の脅威を与えてきたのだ。

このような欺瞞に満ちた戦後日本が、侵略の過去を清算しないまま朝鮮に対して核兵器の非人道性を説いたところで、何の説得力もない。朝鮮の人々にとっては、日本こそがアメリカによる「核の脅威」を支えてきた張本人なのである。

2006年の朝鮮の核実験の際は、日本政府ばかりでなく、日本の平和運動・反核運動勢力の多くは、こうした戦後の安保体制・核政策の欺瞞から目をそらし、朝鮮非難の声一色に染まった。アメリカ・フランス・インド・パキスタンなどの最近の核実験に対する反応との大きな違いは、日本人がいまだに朝鮮に対する植民地主義的な差別意識を根強く抱いていることのあらわれだろう。

日本の平和運動・反核運動勢力は、朝鮮を一方的に非難する前に、朝鮮を核開発に追い込んだアメリカの核の傘と安保体制を解体できないでいる自らの力不足を反省すべきだろう。

<失われた平和主義>

一方日本の政界では今回の実験に過剰に反応し、自民党・民主党の一部議員が朝鮮に対する「敵基地攻撃論」「核武装論」を唱えている。しかし、日本はすでに朝鮮に対して軍事的に圧倒的な優位に立っていることを忘れてはならない。

そもそも先制攻撃は言うに及ばず、実質的な軍隊である自衛隊の存在こそが明白な日本国憲法違反である。憲法前文及び九条に規定された武力の放棄と不戦の誓いは、アジア諸国に対する侵略への反省から生まれたものだったが、朝鮮戦争での対米協力を理由にそれはなし崩しにされてきた。朝鮮の核武装は、日本が侵略戦争への反省を忘れて、平和憲法をないがしろにし、軍事力を増強し続けてきたことの必然的結果でもある。

このことに気づくなら、核兵器の廃絶と東アジアの平和のために日本がとるべき道は、先制攻撃でも制裁強化でもないことは明白だ。朝鮮を始めアジア・太平洋諸国の人々を蹂躙した侵略戦争の歴史を真摯に反省するという日本国憲法の本旨に則って、自衛隊を解体し、日米安保条約を破棄し、在日米軍を撤退させることにより、周辺諸国の不信を解くよう努力する以外にはない。

特に朝鮮に対しては、植民地支配の反省と清算は全くなされておらず、それどころか日本政府・社会は戦時性奴隷制や強制連行の事実を隠蔽しようとしてきた。直接の被害者は高齢化が進み、彼ら/彼女らに罪を詫び、報いるための時間はあまり残されていない。日本政府はすみやかに朝鮮と国交を結ぶとともに、国家賠償と個人補償、被害の調査を行うべきである。

<制裁の影響>

日本政府は金融取引を中心に制裁の強化を検討するとしているが、これまでの経過からもわかるように、朝鮮政府がそれに屈服する見込みはない。制裁は問題解決になんら寄与しないどころか、弱者を苦しめるだけである。既に人と物資の移動が大幅に制限され、在日朝鮮人の親族訪問や仕送りに支障を来している。特に万景峰92号の日本寄港が禁止されているため、訪朝ルートは中国経由の飛行機便に限られ、高齢者の祖国訪問も困難になっている。植民地支配の結果、日本での生活を余儀なくされた在日朝鮮人を故国と切り離すような非人道的行為は、許されるものではない。

制裁は、朝鮮国内の社会的弱者に対する人道支援をも阻害している。我々ハンクネットは日本から朝鮮の子ども達へ粉ミルクの直接支援を行っているが、直行の航路が断たれているために中国経由で支援物資を送らざるを得なくなっており、数十万円の輸送費と数週間の時間が余分にかかっている。また、スタッフの朝鮮訪問の際の渡航費もかさむ。だが我々は日本政府がどのような障壁を設けようが、人道的必要性があるかぎり、支援活動を継続してゆく。

日本政府による制裁など一連の朝鮮バッシング・朝鮮総連と在日朝鮮人に対する弾圧は、何より日本人の心を蝕んでいる。マスメディアによる政府発表の無批判な垂れ流しは、朝鮮人に対する日本人の差別意識を煽り、在日朝鮮人に対する暴言・暴行などの憎悪犯罪が懸念される。

マスメディアは第二次世界大戦前に大本営発表を垂れ流して日本人を侵略に駆り立てた歴史を、繰り返してはならない。日本政府の対朝鮮敵視政策に追従して朝鮮総連や在日朝鮮人に対する憎悪を煽るようなセンセーショナリズムを排し、冷静な事実認識のもとに、排外主義的な言動に対する批判的観点を持って報道にあたるべきだ。

最後に在日朝鮮・韓国人と良心的な日本人市民に訴える。我々がいま最も心がけなくてはならないことは、足元で憎悪犯罪が起こるのを防ぐことだ。たとえ国籍は別れていても、すべての在日朝鮮・韓国人は同じ歴史を共有する兄弟であり、日本人にとってもかけがえのない友人である。一つのマイノリティーに対する弾圧は、別のマイノリティーに対する弾圧を呼び、最後は社会全体がファシズムに飲み込まれていった歴史を思い起こそう。いまこそ沈黙を破り、連帯し、日朝の友好のために行動しよう。




この声明自身に文句をつけるつもりはさらさらないのだけれど、また、前回の核実験の時には、私も、先ずアメリカが、と考えたのだけれど、今回は、朝鮮共和国も、良くないと思う。

オバマが本気かどうかは、ちょっと?ながら、声明を出したでしょう?  せっかく核廃絶の機運が盛り上がったのに・・・今回の核実験の影響もあって、朝鮮学校への補助金運動もちょっと足踏み状態。「弱りました」「困ってます」という声も聞いたよ。在日の人たちの足を、本国が引っ張ってどうするのさ。

小平市は、抗議文を出したけれど、私個人としては、抗議ではなく要望または請願を出したい気分なんだ。「核で核を抑止するなんてできないよ」「自分から悪者になってどうすんのさ」「孤立化の道を歩むのは損だよ」「核開発なんてやめておくれ」ってね。日本政府のやることと、私たちの意志は別だし、力不足だから何も言う資格はないってことではないと思う。

アメリカも日本も、政府のやることは良くない。でも、朝鮮共和国の政府も、今やっていることは良くない。核実験をすれば、誰かしら、その国の人が被爆している可能性が高い。そして、核戦争への危険性も高まる。どちらの国がより悪いかという発想ではなく、地球に住む者として、私は核実験に反対するよ。どの国であれ。

でも、ハンクネットも、このおかげでますますやりづらくなったねぇ。日本政府が渡航について、また規則をきびしくするそうだし、万景峰号の寄港禁止も長引いてしまうだろうし・・・せっかくの給付金寄付も焼け石に水だねぇ。やれやれです。

朝鮮学校への補助金運動も、もともと子どもの教育権、日本における差別をなくすのが目的で、この件とはまったく別に考えるべきことなのだけれど・・・影響されてはしまう。気を落とさずに続けます。ハンクネットも、何かと大変だけれど、子どもたちのために運動続けてください。お手伝い、声がかかればまた行きますよ。





No.44

『911・考えない・日本人』『おテレビ様と日本人』

 りっちゃん
09/6/23

著者は林秀彦氏。『鳩子の海』の脚本家だそうだ。私はこの朝ドラは見ていない。『七人の刑事』は見たと思うけど・・・特には記憶に残っていない。娯楽としてしか見ていなかったんだと思う。彼の主張は、題名どおり、9・11のテロを、テレビ報道を、鵜呑みにして何の疑問も感じていない日本人に対して、憤りを感じているということ。

私は最初にあの映像を見た時から、「きれい過ぎる」、「何で飛行機を打ち落とさなかったんだ?アメリカのいつものやり方と違うじゃん」、「飛行機に乗るときのチェックだって厳しいはずなのに・・・」と疑問が一杯浮かんだけどなぁ。誰からもそういう声は聞かなかった。だいぶ経ってからだね、そんな情報をネットで見かけたのは。で、いまや
  「911の意味は、クリスタルになった。ブッシュのヤラセだなどという、判りやすい幼稚な段階の意味ではない。そんなことは、もう日本人以外の世界の非ネオ・ネオ・ナチ、新全体主義・ヤサシイズムに汚染されていない人々には常識の段階だ」。ネットを活用している日本人にも常識だと私は認識している。

著者は、考えない日本人を憂えて、その原因を探る。一つは日本語が「意味語」ではなく「味語」だから。「日本人は、速やかに日本語を捨て去るべきである」との無理難題を言う。長唄の歌詞も(まだ3曲ぐらいしか知らないけれど・・・)確かに、連想ゲームでつなげて味わい深いけど、論理的ではないかも。だからと言って、ラテン語の宗教曲の歌詞の方が崇高とも思わないけれど・・・私から意見を言えば、カタカナの乱用は控えてほしい。真犯人は「イルミナティ」って、秘密結社ではないか。もっと異質なものかとイメージしちゃったよ。なんだ、ありふれたご意見ではないか。

二つ目は、外国語は変わっていないのに、「日本語はつい最近の日本語、ほんの十年前の日本語でも今と大変わり。極端にいえば昭和期に書かれた本は、すでに古典だ」。さあ、どうかなぁ。うちには戦後の本がいっぱいあるけれど、面白いよ。ルビも振ってあるし、読みやすいけれどなぁ。ただ、パソコンに打ち込むには困った。だって、漢字が変わっちゃっているから・・・占領軍から「要望」されちゃったようよ。送り仮名とかもずいぶん変わってしまった。でも、読める。わたしが古いからかもしれないけれど、「たけくらべ」くらいそのままで読めるし・・・

「日本人はあらゆる面で、情熱生製(情熱を生み出す精神エネルギー)という人間の条件、能力を失ってしまっている。すべてのシリアスな反応は、「ヒク(引く)」対象であり、冷笑の対象であり、苦笑の対象である」。真面目な話は取り合わない傾向であることは確か。困っちゃうねぇ。九条の会も、やたら会は増えているけれど実質的な人数は増えていないように思う。なので、かえって手不足という感じがする。

「安手の、低俗なお笑いの茶化しと“斜めにかまえる姿勢”が、魯鈍日本人には似合っている。自分のバカを糊塗する最も安易な方法だから」。

確かに、うなずけるし、日本を心配するあまりにこういう言葉が出てくるというのはわかるのだけれど・・・ちょっと怒りすぎだよ。そんなに怒ると体に良くないよ。血圧が上がっちゃうよ。自分が損するだけではないか。なるべく笑顔で行こうよ。

『おテレビ様』では『鳩子の海』の裏話がでてくる。
  「そのドラマには、それまではテレビドラマのタブーだった主役の離婚問題をはじめ、反戦的主題や、原発の問題など、数々の画期的なテーマが含まれ、かつてない世間的な話題を惹起したと、同局の司会者が解説した。
  そのすべては、私がNHKと血みどろとも言えるほどの戦いの果てに押し通したものだった」。

  そういうNHKの体質が、慰安婦番組の改竄につながるわけだ。なるほど。

発言は更に過激となる。
  「♪おテレビ様は、千代に八千代に細石の巌となりて、ヒトの猿となるまで」
  「人文は人間の生を願い、理工はその死を願う。
  おテレビ様は、死神の化身なのである。」
  「(日本人には)人間関係がなく、深刻化した人間問題がなく、故に言語がない。故に知性がない」
  「白人から見た黄色人種、なかんずく日本人は、豚の中の豚である。人間のエサは決して与えてはならない。人間のエサとは、何か? 考えることである。思考力である。これだけは絶対に食わせてはならない。多少ビタミンが入っていてもいい。ミネラルも少しは混合しよう。タンパク質もごく少量。だが、思考力は絶対ダメだ。そんなエサがあるか?ある。テレビだ。
  百年先のために」。

ご指摘は御もっともなれど・・・なんだか自分ひとりだけ闘っていると思いこんでいらっしゃるようで・・・人間関係、確かに全体的に薄くはなっているのでしょうけれど、決してひとりではないよ。広げていきましょうよ。そのためにも、もうちょっと親切で丁寧であってほしいなぁ。自分が3年かかった調べたものを、「自分で調べろ!」はないと思う。

提案がない分、ざっと読めてしまうけれども、やけに疲れる本でもありました。多分決め付けが多すぎるからだと思います。どちらの本も最後はプレスリーの歌が載っていました。夢を見るのはいいけれど、夢を実現させるには、柔軟に、そして先ずは一歩から、ぼちぼちと。





No.43

丸木美術館

 りっちゃん
09/6/21

福生市民九条の会の主催で、丸木美術館へ行ってきました。車の中で歌でも歌いながら思っていたのですが、金さんは運転手だし、歌好きの女性陣は都合で不参加だし、第一高速使うとあっという間で、便利になった分、なんだかねぇ、景色も防音壁が多かったし・・・

丸木美術館では、看板に「遠くからいらしてくださってありがとうございました」の文字。駅からは遠いんだよねぇ。そんな気遣いがなんだかいいなぁ。ほっとします。

原爆の怖さは、中学の図書館にあった写真集で知りましたが、写真の方が、生々しい迫力があったと思います。真っ黒に焼けた遺体がごろごろ転がっていて・・・あんまり思い出したくないですねぇ。お土産の絵葉書も原爆の図のは買わなかった。本当は知らせるためには怖いものも直視しなくてはいけないのですが・・・

丸木夫妻も意図的に表現を控えたのでしょうか、それとも、絵だと焼け爛れたという表現が難しいのでしょうか、裸体がきれい過ぎるという印象もありました。記録というよりも芸術作品だからかなぁ。でも、他の国とか、若い人に見せるのには、あの程度の方がいいのかもしれません。

基本的に墨絵ということで、どこかの寺院で見た地獄図にも似ていました。思えば、そういう類の絵も想像とか脅しとかではなく、実際に天災や戦災の実体験に基づいて、描かれたものかもしれませんね。

絵として見れば、やはり重いテーマです。広島での展示会で、「こんなもんじゃない、もっとひどかったんだ」と言われて、更に描き続けたという解説を聞けてよかったと思います。「日本だって、加害者ではないか?」と問われて、「南京大虐殺」や、「水俣」も描いています。丸木夫妻が人との関係を大切にしていたことがわかる逸話でした。原爆はもちろん、社会問題に関連した蔵書も一杯。ただ描くだけでなく、その前にどんなことが起こったのか、なにが問題だったのかを学習したのですね。だから、絵に力強さ、説得力があるのだと思いました。

作品によっては「署名」とか、デモとかも描かれていて、悲惨さを伝えるだけではなく、人間の良心、未来へ向けての行動が描かれていたのもよかったと思います。

丸木位里さんのお母さんと妹さん、スマさんと大道あやさんの特別展は、得しちゃった気分。原爆の図だけでは気分が重くなってしまったかもしれないのに、ほのぼのとできました。あれを見たら、「描けない」と思いこんでいる私でも絵を描きたいなぁと、思ってしまいました。ただ、きっと、人生そのものが豊かで、土に親しんでいた、観察が鋭かったなど、わたしにはない描く以前の蓄積が違うのだろうという気もします。いつか、時間があったら、チャレンジしてみたいですね。

休憩室になっていたアトリエのお部屋も良かったですねぇ。人間性が豊かになれるよ、ああいう広さと明るさと落ち着きのある部屋は・・・わたしが子どもの頃は、家は狭かったけれど、空が広かった。どこからでも富士山が見えた。ああいう空間を今の東京近郊に住む子どもたちが持てないというのは、なんかかわいそうだね。外で遊ぶ子もめったと見かけないし・・・

でも、子どもの純真さは失っていない。感想ノートを見ました。子どもたちの「平和が一番」が目に付きました。九条の会にも、そんな子どもたちや若者がたくさん入会してくださるといいのですが・・・

丸木美術館、行って見たいとは思っていたのですが、ひとりだとなかなかねぇ、いつでも行けると思っていても延び延びになって、今回の企画がなかったら、結局行けずじまいになったと思います。福生九条の会に感謝。皆様もぜひ一度は、足をお運びください。





No.42

『自由と民主主義をもうやめる』

 りっちゃん
09/6/12

著者は佐伯啓思さん。帯には、「まだアメリカ(=金融・経済・精神を蝕む世界のガン)に従いていくのか?」。ウラ表紙には、「アメリカの金融破たんは、自由と民主主義の名の下に個人のあくなき欲望を肯定し、グローバル化を強引に主導してきたアメリカ的価値の破綻でもあった。それに追随し、経済だけでなく政治、人心のあらゆる局面で崩壊の危機に瀕する日本。もはやアメリカとの決別なくして再生はありえない。今こそ「私」でなく「義」を、「覇権」ではなく「和」を是とする日本的価値を、精神の核に据えなおすときなのだ。今日の危機に早くから警告を発してきた思想家があらためて問う「保守」という生き方。」とある。

この本の主張自体は、当たり前というか、だって、ブッシュの「正義」は「悪」だったし、「自由」は「不自由」、「民主主義」は「武力による圧制」だったもの。7日の「近現代の朝鮮史に学ぶ」で、日露戦争で日本軍が韓国(ん?国名はこれでいいのかウィキペディアで確認。日清戦争後1897年から「大韓帝国」と改めたそうだ。その前は「朝鮮」)に侵攻する時の日韓議定書の内容が、軍隊を自由に移動、基地の使用、土地の収容などを定めているとか、これって今の日本?って思った。何で、米軍が日本にいるの?思いやり予算まで付けて・・・「年次改革要望書」で、アメリカの金融資本家達の都合の良いように、改革を命令されちゃって、唯々諾々。それが小泉のやったこと。政府、自民党は今もって反省なし。いつまで貢ぐつもりなのかしら。いい加減、アメリカから距離を置かないとね。

私はただのオバサンであって、特に「保守」ではないけれど、この本で紹介されているエドマンド・バークという人の主張には頷けるところがあった。『フランス革命の省察』では、
  「人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のごとくに堆積している、古来からの“制度”には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過度な過信を根源的に危険視し、その排除・排撃を提唱する。それはまた、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存在と看做す、謙抑な人間観が横たわっている」
  フランス革命に対しては、「なるほど確かにフランス国民は主権者になったが、同時にいつ殺されるかわからない奴隷となった」と痛烈な皮肉を言っている。今のフランスは、子どもが生める社会だし、生活の質を重視しているし、うらやましいのだが・・・でも、私は無血入城させた勝海舟が好きでもある。

この本にある「イギリスに入ってすぐ感じるのは、イギリスが、いかに近代なるものを警戒しているかということです。「近代」や「進歩」なるものを、無視こそしないものの、軽信する姿勢を、可能なかぎり避けようとする。逆に、古いものや伝統的なものをいかに守るか、それぞれの時代に合わせてどううまく活かすか、そのことに非常に腐心している。
 それは自然を見ただけでもすぐにわかります。たとえばロンドンは大都市ですが、ロンドンから出て十分も列車に乗れば、牛がその辺に寝転がり羊が草を食べている、草原地帯になってしまいます。そこから先、田舎の景色が延々と続きます」。これもうらやましい。

「人も物も情報もすべて東京に集め、東京を発展のモデルにする。東京と郊外を結ぶ物流、人の流れ、情報の流れを、できるだけ密に、スムーズにしていく。そうやって「東京」を拡大していく。日本中を「東京化」する。日本人はそれが近代的な進歩だと考えてきました。
  しかし最初に産業革命を経験し、最初に経済学を作り出し、市場競争万歳と言い出したイギリスは、まったく違っているわけです。昔の自然を可能な限りそのまま残そうとし、田園生活を大事にしている。
  これはイギリスだけではなく、ヨーロッパ全体について言えることです。フランスも、パリから列車で二十分も走れば、田園地帯が延々と続きます」

エコだエコだと大騒ぎして相変わらず消費者を煽っているけれど、その前に、これからの日本をどうしたいのか、なにを大事にすべきかを考える時期にきているんじゃぁないかな?

「概して革新の精神は、利己的な性情と狭歪な視野の産物である。自分の先祖を振り返ってみようとしない徒輩は、決して自分の子孫にも目を向けないだろう。さらにイギリス国民は、相続という観念が、保存と継承という二つの確実な原理を与えると同時に、他面で、決して改良の原理を排除しないことを知っている」
  「貴族的なものが失われればどうなるか。彼は言います。「貴族の次の世代はおそらく、策略家、道化師、相場師、高利貸し、ユダヤ人のようになるだろう」。彼らは貴族階級を破壊し平等を求めます。しかし「水平化を試みる人間は、決して平等を生み出しはしない」そこでは「必ず一部の人が高い地位を占めるはずである、結局、水平化を図るものは、事物の自然の秩序を歪曲するだけ」なのです。」

どうしたって、為政者は一部の人間なわけで、かつての日本でも「しらしむべからず、よらしむべし」なんて言葉があったけれど、他のことは自分達公務員(武士)に任せろ、百姓は安心して仕事に励め、という意味に取れなくも無い。 要は、私達庶民が暮らしやすい生活なのかどうか、ということなのでは・・・池上洋道氏が言っていた。「君主制でも善政はありうる」と。そりゃそうだわな。

でもねぇ、吉田茂の孫の顔を見ても、言葉を聞いても、品は無いわ、庶民の生活のことはさっぱりわかっていないわ、とても善政は望めない。誰かの子孫だから任せるではなくて、今ある制度(民主主義)がすでに伝統になっちゃっているからなぁ。それを改善させていくしかないのかな。直接民主主義は無理としても、みんなが政治に関心を持って、口を出し、行動していかないとね。ひとりひとりが水戸黄門にならないと・・・ン?彼も印籠のご紋を見せて問題解決だしなぁ。次週はよその国に行っちゃうし・・・。暮らしの場で、地元で、仲間づくりからかな。ぼちぼちと時間をかけて・・・

「ニヒリズム」と日本の「無」について語っているけれど、努力しても報われない社会では、「ニヒリズム」は当然蔓延するだろう。でも、中学の修学旅行で根本中堂で聞いたお話、「一隅を照らせ!」で、まぁ、自分の身近なところから、ちょっとでもいい雰囲気になるように努力してきた私としては、それなりにいいことあるわよ、と思う。動けばチッとは変わるって。「受け継がれる「海ゆかば」の想い」の項、「無」の哲学やら、「いずれ滅んでいくしかないのであれば、美しく」なんてことは理解不能だが、「海ゆかば」は名曲らしい。使われ方が良くなかったんだと合唱仲間は言っていた。誰にせよ簡単に死んではほしくない。信時潔の曲は、私は好きだな。特に、山上憶良の「うりはめばこどもおもほゆ」。子どもは大事にしようね。未来も。





No.41

『日中韓はひとつになれない』

 りっちゃん
09/6/8

なんか、当たり前すぎる題名という気もするけれど・・・著者の小倉紀蔵さんとしては、お互いの価値観の違いを理解して、「東アジア共異体」が作られることを真剣に考えられて、私たちにもわかりやすいようにと書かれたようです。

一旦社会人になられてから、ソウル大学の哲学科大学院を卒業されたとか。各国を理解するために「性善説」を視点としている。『ソウルの友情』で熱く語られた朱子学の激しさのことのようで・・・

「性善説は徹底的に他者に干渉し、パターナリスティック(父権主義的)に他者を善に導こうとする。他者にとっては余計なお世話なのだが、相手は「善」という信念の権化となっているので、聞く耳を一切持たないのだ。」
  「本当の性善説というのは、そのような(単に「人がいい」「人がわるい」という)静態的なものではない。人間の上昇志向と破壊衝動、そして社会的な革命を基礎づける、ダイナマイトのような思想なのである。そして日本人は、そのことをまったく知らないのである。

例えば、中国は、国民が「性善説」で、「権力者たちは恐ろしい冷酷非情な統治者としてふるまうのではなく、あくまでも性善説的な道徳的完成者としての面貌をもって国民を善導」しつつ「性悪説」でコントロールしている。「現在の中国は、鍋の中身がぐつぐつと煮えて、中から噴き上がりそうになっているのを、外から重たい蓋をかぶせて必死に押さえ込もうとしている状態である」。なるほど、わかりやすい表現ではある。

「北朝鮮は中国と似たような統治の思想を持っている。だが国土が狭く、少数民族間題を抱えていないため、すみずみまで国家権力が浸透しやすく、そのため性悪説的な統治は中国より苛烈である」。

韓国は、「政権側も国民側も性善説を自己の世界観として明確に定着させた段階だといえる。一九九三年の「文民政権」誕生以来、韓国の政権は儒教的な性善説を自らの理念として打ち出すことになった。その後十年経って成立したノムヒョン政権は、その完成型であったといえる」。
  「「先進国」という名称を得ることが悲願である韓国は、先進国として認められるために何でもする、という構えを見せつづけている。そのため、経済面以外でも、「国際スタンダード」という観点から、あるいは「より先進国らしい姿」を獲得するために、さまざまな社会改革を果敢に推し進めてきた。女性省を設置して女性の社会進出を支援し、死刑制度を事実上廃止し、農産物をはば全面開放するという痛みをこらえながら米国などとのFTAを整備し、定住外国人に地方自治体の選挙権を与えるなど、日本に先んずる政策をこれまで次々と打ち出してきた。新政権も、外国人の国家公共体への採用や、これまで以上に果敢な規制緩和を打ち出すなど、緊迫感あふれるドライブを始めようとしている。このような「先進国性」をめぐる競争を、李明博政権は矢継ぎ早にしかけてくるに違いない。
  「日本は別にそのような競争に加わる義理はないのだが(「女性省?FTA?死刑廃止?外国人に選挙権? そんなもの何の意味があるの?」)」
  はぁ?この人自身、意味がわからないって?これだから今のエリートは、困ったものだ。「東アジア共異体」をつくるために互いを理解しようというのはわかるけれど、それで、どういう社会を作りたいの?っていうのを考えていないってことのようだわ。先日都庁にいって感じた「ビジョンがない」って奴ですね。

で、日本はどうかっていうところで、「メタ」と「ベタ」が出て来るのだけれど、これが私にはよくわかんない。「安倍政権が失敗したのは、日本国民が「ベタ」なメンタリティ(性善説的な考え)を生理的に嫌った結果である」そうだ。
  「実際上、多くの日本人は単に東アジアに関心がなかった。地図上でそこにあることはおぼろげに知っていたが、それをはっきりと認識することはしなかった。東アジアは普通の日本人の目には見えなかったのである。
  2000年前後、ごく普通の日本人が、北朝鮮(その強権支配のありさま)を含めて東アジア各国に異常なまでに強い関心を示し、そして知らず知らずのうちに自国の政権のあり方をそれら東アジアの国家に似せてゆく、という動きが顕在化した。国旗国家法の制定、教育基本法の改定、憲法改正への動きなどもすべて、この動きの一部である。
  これらの社会的変化は新自由主義の進行とリンクしている。しかし、それだけではなく、伝統的な東アジア社会に存在した絶対的格差の社会の現代版ともいえるのだ。グローバリゼーションによって、つかの間の「平等幻想」がいとも簡単に崩壊し、伝統的な東アジア的格差社会がグローバルなシステムと連携する形で復元されたといってもよい」。

いいところをどんどんまねしてくれればいいのに、悪いところばっかりまねしてどうすんじゃい? 以下の意見には大賛成。
  「日本の伝統にのっとったラディカルな民主主義の実践とは何かを考えるべきなのだ。」
  「日本はあくまでも、日本国憲法という中立的な「手続き的民主主義」により近い理念体系を、東アジアに「価値」として広めてゆかなくてはならないし、おそらくそれが日本独自の使命なのである。つまりメタ(日本国憲法)をべタ(実質的価値)として普遍化させなくてはならない。それが可能であるならば、この選択肢は魅力的でありうるのである」。

「戦後の日本国憲法は、何よりも日本人に「生活」を保障したのである。日本国憲法は本当は、強力に理念的な憲法なはずである。その非戦の思想、自由の擁護、人権の強調など、理念的でない部分は少しも存在しない。しかしながら戦後の日本人は、この理念的憲法を、少しも理念的だと認識していないのである。むしろ非理念的な「生活の糧」として認識しているのである。だから、理念的な政治家が憲法改正を唱えはじめると、その姿勢に恐怖を感じて(つまり自分の生活が脅かされる恐怖を感じて)、さっさと踵を返して「生活派政党」へとなびいてしまうのである。」

はぁ?あのね、社会の構成員ひとりひとりのよりよい生活のために、目標として「理念」、具体化させるための法律、があるんじゃないの?なんだか、基本がなっていないような・・・まぁ、アメリカに追従した結果か「性善説」化のせいか、いずれにせよ、日本がおかしくなったのは確か。で、日本らしく、九条を生かして、東アジアの国を尊重しつつ、もっと理解して、よりいい関係を築いていきたいね。「東アジア共異体」できるといいね。

衆院選、どの党も「生活派」であると自称している。中味、ちゃんと確かめないとね。





No.40

『日韓 ソウルの友情』

 りっちゃん
09/6/7

司馬遼太郎 田中明 渡辺吉鎔 鮮于W 千寛宇 金聲翰各氏による座談会。座談会を終えての田中さんの感想に
  「わたしにとって韓国は、いつの間にかおのれの思想をこすり付けて検証する試金石のようなものになってしまっている。だが、日韓の関係は、国同士の間でも個人同士の間でも、愛憎のからみ合った複雑なものがあることは周知の通りである。もともと精神の薄弱な私は、そういう試金石の堅さに十分耐えきれない。一切を放擲して逃げ出したいという衝動に駆られることもしばしばである。そういう時ブレーキになり支えになったのは、これまでに出会った尊敬する韓国人、敬愛する韓国人の姿であった。そうした姿を脳裡に描くことによって、私は逃亡兵にならずに今日まできたといってよい。
  これらの人びとは、きびしさを生き抜いてきた人独特の寛仁温和の態度で持って私を遇して下さった。ソンビの風儀とでもいおうか、秋霜烈日を底に秘めた駘蕩なる春風がそこでは吹いていた。・・・」
  とある。まさしく春風に吹かれている雰囲気の本だ。しかし、1988年発行、読売新聞に掲載されたのは1985年。司馬遼太郎さんは96年に、鮮干さんは86年に亡くなられている。渡辺吉鎔さんは44年生まれだけれど、あとのお3人は19,25,26年生まれ、御存命でいらっしゃるのだろうか?今、彼らのような博識でもあり、ソンビの風儀をお持ちの方はいらっしゃるのだろうか?貴重な座談会の記録であることは確かである。

みなさん博識で、話題も地理、歴史、言語、宗教と多岐にわたる。日韓関係小事典まで付いているくらい。

儒教では「孝」が最高。年上の人に礼を尽くす。韓国では、人間は相当年をとらんと駄目だというのがある。「忠」には国家への忠誠心という意味はあまりなく、まじめということらしい。朴大統領時代に作った教育憲章には、「孝」も「義」もない。「義」は正しきことのうえで、人情として成し難きことをなす。つまり時には為政者に都合の悪いこともありうるのだそうだ。「朱子学には、錐でもみこむようにするどい論理性がありますから純粋性を求め」(司馬)、「李朝時代に政権と結びついてイデオロギーになった。そのイデオロギーが政治的に支配したというのは不幸だと思うんです。イデオロギーは絶対性を要求しますから。ほかのはみんな罪悪なんで、それをぶち壊さないと気が済まないでしょう」(金)、で、政権が変わるごとに前政権が否定されてしまうなんてことが起こるわけだ。

日本では、「マルキストになるには、自分の中にある旧来の思想と血みどろの対決をして、それを追い出さなければならない。しかし、日本人は追い出すべき根本の思想を持っていない。だから、彼らは容易に転向するんだ、と。この見方はいまでも通用すると思います。」(司馬)で、衆院選と参院選での、大差につながるわけね。テレビ報道の節操のなさ&それに踊る国民かぁ。なるほど。まぁ、見方によってはいいところもあるわけで・・・

「我々は、本家のものを、そのまま、頑固に、純粋に受け入れている。しかし、日本は自分なりに受け入れて、融通無碍なんですね。・・・」(鮮干)
  「遠目で見るとわかりやすい、ということもあります。朱子学の激しさを日本人がわかっていたというのも、海を距てて離れていただけのことだと思います。」(司馬)
  「国民性の違いという面もあるのではないでしょうか。たとえば漢文ですね。われわれはあれを棒読みで、そのまま受け入れた。ところが、日本は記号を発明して上がったり下がったりして読みこなす(笑)。」(鮮干)
  「一種の即席翻訳ですね。あれでむずかしい漢文がジャバナイズされ、おかげで武骨な武士にも、のちには庶民にも、漢文が受け入れやすくなった」(田中)

今はハングルになってしまったけれど、中国・台湾・日本だけでなく、韓国・朝鮮もかつては漢字文化圏だったんだ。もったいないことをしたものだという気がする。お国言葉とは別に共通語を有していたなんて、昔の方が国際的。

「姜は、十六世紀末、秀吉に捕われの身になって日本へ連れてこられたのですが、日本と李氏朝鮮があまりにも違っているのに驚いていますね。日本はひと言でいって「武」のシステムができあがっていた。上から下へ命令が伝わると戦略に従って戦いができた。それにくらべ朝鮮は勇士を育成したことも百姓に戦いの教えを施したこともない。「戦乱が生じると農民をかき集め、戦場に追いやっているにすぎなかった」と批判していますね」(渡辺)。このあたりは教育問題?
  中央集権で科挙でエリートを選別する国と、封建制度と商業の発達が同時進行で、実利的な国との違い。
  「二宮尊徳は貧しい農民の出身ですが、家老待遇という位の高い武士になっています。それは尊徳が非常に農業に明るく、藩の農業政策に役立っているものですから。一万石の領地の藩に一万二千石の収穫をさせてくれる人がいれば、それが農民の出であろうと登用するんです」

李氏朝鮮は、「五百年以上も平和が続いた。どこも侵略せず、人々は安穏に暮らした。しかも、世界に冠たる文明。それはヨーロッパの文明と系列が違うだけで……」(司馬)。お江戸も270年なんとか持った。で、共通するのが「清貧」。「今でも生活上の倫理感覚として、多少残っています」(司馬)。あはっ。自民党をはじめとする政治家(屋)さん、耳痛くないですか? んー、必要のないものまで、なんとか買わせてしまうという、今の資本主義では、この言葉も色あせているかなぁ。

一人女性でちょっとお若い渡辺さんは、「話題がこと儒教に及ぶと、みなさんすごく情熱をこめられるんですね(笑)。でも、私たちの世代になりますと、儒教的な上下関係の押しつけとか、男女の差別といったことには、非常に強い反発を持っている」。これも時代の流れ。日本と違い男子直系にこだわる韓国でも、少子化の波。
  「今年の世論調査には、「老後の面倒をどの子に見てもらうつもりか」という項目がタイムリーにも含まれていた。四年前との比較が発表されたが、「長男」という答えは、三〇・六パーセントから二二パーセントへと減っている。反面「娘・息子を区別しないで面倒をみてもらう」という人は、四年前はたった六・四パーセントだったらしい。それが今は二七パーセントへ上昇。さらに「自立する」という欄に丸をつけた人も二〇パーセントにのぼるという」。

座談会を終えて、の各氏の文章も味わい深い。鮮干さんのお父さんの話には、人間の芯の強さを感じさせられた。本当に「人間的品位としての礼儀」が公約数というのに同感します。たとえ行き違いがあったとしても、礼儀があればつながっていける。「この社会をともに構成しているアジア系の少数民族を意味なく(つまり慣習的に)バカにしているきらい」「奇習」(司馬)を何とかしなくてはなりませんね。この座談会後経済的にどちらの国も荒波を受けているわけだけれど、それを乗り越えるためにも、「日本社会の一員として、在日韓国・朝鮮人の子弟が、胸を張って(もしくはなんの抵抗感もなく)暮らしてゆける社会で」(司馬)あるためにも、それは同時に日本人も暮らしやすい社会でもあるわけで、「出来るだけ大衆の基盤の上で接触するように努力すべきであろう」(森有正氏)「新しい感受性を持った世代が増え、新しいビジョンをうちたててくれることを」(渡辺)期待したいですねぇ。





No.39

長屋問答(裁判員の巻)

 金太
09/6/6

八公 熊が裁判長になったから今後は俺の言う事を聞かないと死刑にしちゃうぞといってます。
  大家 裁判員制度が5月21日から始まった。多くの問題点を抱えたまま無理やりにスタートさせた。熊ッ!お前裁判員になったのか。
  熊公 へい!先日裁判所から通知がありました。
  大家 これはご愁傷(しゅうしょう)さま。裁判員は裁判の経過について他に漏らすと「六ヶ月の懲役か五十万円の罰金」が処せられる。
  熊公 そんなのやだなぁ!断れないの?
  大家 はっきりした理由がない限りだめだね。この制度を生かして冤罪(えんざい)を生まない公正な裁判の実現の一歩になる可能性はある。
  熊公 どういう風になるの?多くの問題点って?
  大家 これまでの刑事司法制度をそのままにしたままで「自白」偏重(へんちょう)の捜査、最大の問題は代用(だいよう)監獄(かんごく)が依然使われていることだ。だから取調べの様子を全部ビデオ(可視化)で裁判員に公表すること、検察官の手持ちの証拠を全面開示することが必要だ。
  八公 ずるいねぇ。冤罪が増えるわけだ。
  熊公 テレビで放送された足利事件の菅家(すがや)さんはDNA鑑定で明らかに人違いだと判ったので、ようやく6月4日に釈放された。
  大家 アメリカではDNA鑑定で死刑囚が124人も冤罪と判りすぐに釈放された。足利事件は司法の権威を保つためといって6月4日まで刑の執行停止していなかった。釈放会見で菅家さんの言っていましたが「お前がやった。自白しろと深夜まで拷問を続けた」刑事と検察官は絶対に許せないと。同時にこれからは冤罪をなくすために働きたいと言ってました。
  熊公 えらい!それにしても警察はとんでもねえことをしたもんだなぁ。ところで大家さん、そのほかに裁判員制度には、どんな問題がありますか?
  大家 @「公判前整理手続終了後の立証制限」の廃止。A「検察の開示証拠の目的外使用禁止」の廃止。B「裁判員に対する守秘義務」の削除などなどあるよ。
  熊公 それよそれ「裁判員に対する守秘義務」削除よ。量刑の判断が求められると言われています。
  大家 死刑か無期懲役かの判断が求められる6人の裁判員が全員無罪を主張しても、検察が控訴したら裁判員の手から離れてしまう。だから「無罪推定の原則」「疑わしきは被告人の利益に」などの刑事裁判の大原則をしっかり貫くことが大事だ。熊ッ頼むよ!「市民の健全な常識」を発揮して冤罪を生まない刑事司法制度を実現しておくれ。




菅家さんのすがすがしい写真が新聞に載っていた。菅家さん、よかったねぇ。テレビで何度も流された逮捕された頃の顔つきとまったく別人のよう。うん、あの頃無責任な私は、この人はきっと犯人だよ、と思っていた。そういう顔つきだった。こういうのを「予断」と言うのだなぁと。怖いなぁ。今思えば、自白を強要されて不安な状態だったのだろう。で、そういう顔つきになっちゃっていた。本来の顔は違っていたんだ。

そういう顔つきだと勝手に思い込んでしまう「シロウト」が裁判員になって大丈夫かしら?それとも自白に疑問を抱くことがなかった「クロウト」の裁判官よりましなのだろうか?不安材料一杯で、スタートしてしまった裁判員制度。検察は自白に頼らないで、合理的な証拠を集めてほしいねぇ。裁判員になった方もくれぐれも「予断」しないように、客観的な判断をお願いしたいなぁ。冤罪が増えませんように!!

スタートしてしまったけれど、やってみてまずいことがあったらどんどん修正して欲しいなぁ。

今朝の東京新聞に、足利事件と同様、鑑定法に問題があるとされていた「飯塚事件」の久間死刑囚が昨年10月に死刑執行されていたとの記事。なぜ急いだのか?また冤罪が明らかにされること、報道陣の前で偉い人たちが頭を下げるのを嫌がったとしか思えない。「ごめんなさい」って重いけれども、人の命はもっと重い。間違えたことを訂正することを躊躇してはならない。早めの「ごめんなさい」が最良の方法なんだ。それと、ベルトコンベアー式の死刑執行はもうやめようよ。人間とは間違いながら、それを訂正し訂正し、よりよく生きることができる種族だよ。間違いはあって当然でもある。だからこそ、死刑制度も廃止してほしい。





No.38

冬の兵士

 りっちゃん
09/5/31

以前より高遠さんのサイト、イラク・ホープ・ダイアリーで紹介されていた『Winter Soldiers』を見た。副題はイラク帰還兵の証言。田保寿一監督 。PTSDに苦しむ元兵士達の話しには、ただただ涙。『ピアノのはなし』の時もボロ泣きしてしまったが、18才19才20才、まだまだこれからという年齢の人たちの命、人生、それが粗末に扱われてしまったことが、なによりも大人として悲しいし、悔しいし、申し訳ない、ということなのかと・・・

軍規律というのがあるそうだ。敵を敵と認識するためのラインというのかな。民間人なのか、攻撃しようとしている敵なのかを確かめてから撃て。きちんと合理的に判断しろ。それをいつも胸に入れていたそうだ。でも、上からの命令はどんどんコロコロ変わっていった。銃を構えたら→持っていたら→携帯を持っていたら→走っていたら→歩いていたら・・・つまり誰でもよい、見かけたら殺せ。ファルージャは地獄だった。最後には、人間は誰もいなくなり、犬猫などを撃ったそうだ。南京大虐殺の写真を思い出すよ。人殺し競争をしてお山に登り、首を銃剣に刺して、満面の笑顔の日本の兵士。異常だよね。完全に。

「いいことをしたつもりだった」。ファルージャから民間人を出すために、橋でチェックをしていた兵士の話し。「14歳以上の男は出さない」と言う命令に従って、追い戻した。そのため、家族がばらばらになるよりもと、市内に戻ってしまった民間人がたくさんいたそうだ。アウシュビッツに到着した列車から降りた時に、子どもを手放すか、一緒かの判断に悩んだユダヤ人の母親を思い起こす。生死の分かれ目。でも本人にはこの先のことははっきりとはわからないのだ。それでも選択をせまられるのだ。そうして、この映画ではその選択を迫った側も、後々苦しむことが描かれている。

南京大虐殺に参加した日本の兵士、アウシュビッツのドイツ兵らも、同じような苦痛を味わったのだろうか?その前に、戦闘で亡くなった兵士も多いのかなぁ。それとも、差別意識でもって身を固め、あんな奴らは殺されて当然、なんて思ったまま人生を過ごしたのかしら?人間として互いを尊重することも平和にとって重要なんだなぁ。

告白する兵士達の、苦しそうな緊張した顔、顔。自分が悪魔の一員だったことを認める、人の前に晒すというのは、どれほどつらいことだろう。大きな袋を持った女性を撃った兵士。袋の中は食糧だった、自分たちに食糧を持ってきた人だったのだ、と。殺された人も殺した人も。その家族達もどんなにつらいだろう。そんな集会の周りで、「裏切り者!!」と叫ぶデモ隊の人たち。イラク戦争そのものが間違った戦争なのに。「愛国者」きどりである。冬の兵士達も「我々は国を愛している」と言う。非難されないためにか、こだわり過ぎという気もする。大事なのは「国」ではなく「人の命」だと私は思う。告白した兵士達の勇気を讃えたい。そして、そのことがPTSDを直すのに一番早い道だと思う。

彼ら元兵士は言う「戦略が間違っていたのだ」と。民間人を敵に廻してしまったことが悲劇を大きくし、泥沼化させてしまったことは確かだけれど・・・でも、イラク戦争そのものが間違っていた、となぜ言わないのか、不思議。イラクに限らず、すべての「戦争」そのものが間違いなんだ、と私は思う。

彼らの要求は、イラクからの即時撤退。イラクへの補償。兵士への福利厚生。もう一つあったと思うけれど・・・罪の意識で、お酒をガブ飲み、大学への進学もあきらめ、仕事にもつけず、離婚、自殺を図ったり、ホームレスになったり、その辺のことは堤未果さんの『貧困大国アメリカ』に書いてあったとおりだ。どうして、他国の民間人をも、自国の勇気ある兵士達をも傷つけてしまうような戦争を起こすのか?!PTSDを完全に治すには時間がかかるけれど、少なくとも、治療を受けて、暮らしが立つように、アメリカ政府がちゃんと彼らにも、当然補償すべきで、彼らの要求を私も支持するわ。できうれば、平安で希望に満ちた人生がおくれますように。イラクの人たちもだよ。ウーン、先ずはイラクからの即時完全撤退だな。






No.37

『さらば受験の国』

 りっちゃん
09/5/30

著者は池部敦さん。元々は、両親への報告のために書いたものだそうだ。す、すごい!!表紙の裏側には、
  大学受験のための高校生活よ、さようなら。ニュージーランド留学がわたしを『世界市民』にした――。
  留学して一ヶ月でディベートに挑戦。模擬国連の代表になり、オーストラリアへ。高校生世界大会で、今度はオランダのハーグまで。国政選挙の運動員、アムネスティの活動家・・・と、狭い日本から世界に羽ばたいた高校生の記録。
  と、ある。

ただ、世界に羽ばたいただけではない。見識が高いのだ。それは元々、育った環境がよかったのもあるのだろう。留学前にドイツ、アメリカに行っているし、中学2年で英検2級だし、模擬国連にも参加済みであった。それでも、ニュージーランドの教育が良かったから、彼の良さを受け止め、引き出し、伸ばしたのだとこの本に書かれている。

「ニュージーランド人の価値観、それは自由にものを考え、多くの人と討論し、より良い社会・世界を作ろうと行動することだった。実はその考えこそ、私が日本で理想としていたものだった。」

「学校では科目によっては良い成績を取ることができたが、先生は長所を手放しで褒めてくれた。いや、それ以上だっただろう。例えば、成績表には「敦はクラスの貴重な一員です。学習している問題に心からの興味を持ち、クラス討論によく参加して深い理解を分かち合いました。今年、敦と一緒に学ぶのは私の大きな喜びでした。彼は今後自分の選ぶ分野で才能を発揮するでしょう。私は彼の成功と幸福を願っています」と書かれてあった。」

「ミスター・デンチは私に答案を返却するときに、「こんなエッセイはナンセンスだ。あなたの論文の中で私が賛成できることなどほとんどないし、反論することはいくらでもある。しかしながら、論理構成には文句のつけようがない。エクセレンス(優)に値する」と言った。英語や歴史でのエッセイやリポートは、はっきりと答えが存在する数学などとは異なり、評価が非常に難しい。いつでも「先生の偏見のせいで不当に低いマークがついている」との不満は防ぎようがないだろう。そんな中で、「私個人の意見はあるが、それは全く関係ない。どのような論理であっても、証拠をベースに積み上げることができることが重要である」と強調するデンチ先生の姿勢は公平であると感じた。」

また、メディア研究の先生、ミズ・アレンは、「彼女はいつも生徒たちに“Lovel!”や“Sweetie!”「(通常は親が子どもに愛情を持って呼びかけるときに使う言葉)といって呼びかけるように話す。生徒に自信をつけさせるために、まず愛し、褒めてから欠点を指摘する人だった。」

そして、自分の立場をこう説明する。「私はメディアについての知識を持っているから、メディアについてあなたたちに伝えるけれど、だからといって私があなたたちよりも人間的に偉いとか、上であるなどということでは決してありません。私は、あなたたちよりも少しだけ先に進んでいるかもしれないけれども、あなたたちと同じように真理を追究する道を歩む一人の人間です。私の人生の目的は、自分自身をよりよい人間にするための旅を続けること。そして生徒たちに私が歩んできた道筋を示して、一緒に旅することです。社会を作るのはすべての人なのだから、教育の重要性を強調しすぎることはありません。市民がメディアや広告の重要性に気づき、批判的に分析するようになれば、社会は劇的に変わるでしょう。それを実現させるのが私の使命だと思っています。あなたたちとともに、この世界を少しでもよりよい場所にするにはどうしたらいいか、一緒に考えていきたい。それが私が教師としてできることです」。

授業内容も、多種多様で、日本の高校とはだいぶ違う。例えば、他の言語を話す人のための英語、マオリ語、日本語、社会政策、観光学、統計学、演劇など。そして、その中から5,6科目を選択するのだ。「ニュージーランドの公立高校は、資金は主に国が出すが、運営は各学校の理事会(Board of Trustees)に任されている」からだろう。そして、一番の違いは、
  「授業の特徴を一言で言うと、日本で私が受けた授業はノートと教科書を使った記憶中心のやり方だが、ニュージーランドではディスカッションとエッセイ、調査を中心とするやり方だったことである。」

『アエネアス』『初期ニュージーランド史』『社会とマスメディア』のエッセイ(論文だね)は本当に素晴らしい内容だ。メディアのエッセイで奨学金を獲得。経済の授業では、金融政策チャレンジに応募し、地方予選で優勝するのだが、この主催者がニュージーランド準備銀行(日本の日限に相当)なのだ。子どもの権利会議はニュージランド国連青年協会が全額費用を出している。その分、内容も現実の社会に即応している。絵空事ではないのだ。ヘレン・クラーク首相が目の前に現われ、刑法59条「親がしつけをするためなら子どもを叩くことは正当化される」の廃止法案を支持すると表明したのだ。

他にも、ホームステイマネージャーのロビン、アムネスティのグループを立ち上げる時には、アクティヴィズム・マネージャーのマーガレットが。選挙運動の時には、秘書のディビッドが。さまざまな人が、システムとして、援助・アドヴァイスをしている。友だちや仲間からの影響も大きい。

ディペートの大会で知り合ったヒルクレスト高校のシェリル、核についての見事なスピーチを展開した同じくヒルクレストのレタ、模擬国連のロビー活動で、一緒に「少数を虐待しても多数の安全のためには仕方がないという意見に反対し、拷問は拷問だと熱狂的にアピールした」ソフィー、彼女は「家族と一緒に小さなセイリングボートで7年間世界を廻り、一年前にニュージーランドに帰ってきていた。4年生(Year4)の時に小学校を離れたので、12年生として高校に入学するまで通信教育で全教科を学んだ」人でもある。ヒルクレスト高校に国連クラブを創設したゲイル、人道主義博覧会のイベントで、「6歳の時家族と戦争で引き裂かれイラクから避難しなければならなかった自分の人生を語り、「この美しい土地が与えてくれた機会に感謝しています」と」スピーチをした。彼女が「あなたがいなくなると寂しい」(We will miss you)と言ってくれたので、著者は、一年だけの交換留学から私費でもう一年留学を延ばすことを決意したのだった。

オーストラリア国連青年会議で青年に自信を持たせるための感動的なワークショップを行ったエリース・クライ、そこで「高いレヴエルの人間になるようにという期待とプレッシャーを受けて育」ち、うつ病を患った体験をみんなの前で話したペイジ、いじめを受けた体験を話してくれたエミリー、「カリスマ性があり、力強く雄弁で人に抜きん出ている。人を惹き付ける魅力があり、自分に自信を持ち、いつも友好的で話し好きで、人に笑いかける。しかし、独断的で、自信過剰な自己評価」の持ち主で政治家志望のベン、チェチェンの独立を支持してはいるが、反対側から議論をすることも大切だと、「「ロシア政府の人権侵害を批判することとチェチェンの独立を援助することは全く別のことである」と指摘した。そして、なぜチェチェンがクレムリンの支配の下に止まるべきであるかといういくつもの理由を挙げた」ミシェル、「デジタル的に修正した女性のイメージには喫煙が死に至るように女性の精神的な健康に害があ」ることを示すラベルを貼る義務を美容産業に負わせるよう、請願を提案したヴィクトリア、「保守的なキリスト教の信者だったが、コーラやジャンクフードをこよなく愛していた。周囲の誰かれかまわず批判し、悩ます」「傷つきやすい」コートーニー、不幸な環境(体罰)で育った子どもたちについて考えるきっかけとなった。アムネスティクラブで女性の虐待について有効なアピールをしたナタリー、・・・書き切れないなぁ。

さまざまな体験を経て、著者はエピローグで「私は、人と共感し、知的で理性的な思考をしようと努力する、リベラルなアクティヴィストだ」、「そして今学んでいるアメリカをはじめとする世界をよりよくするために、アクティヴィストであり続けていきたい」と結ぶ。2008年現在はアメリカの「大学で貧困や経済格差を解消するために経済学を、そして人権の保護のために政治学を勉強して」いる。彼の将来に期待してます。

しかし、日本でこんなこと、例えばいじめ体験や虐待について、生の話を聞くなんてことはあるのだろうか?「ニュージーランドで学んだ多くの高校生は「目が輝いている」と言われる」のに対して、日本については冒頭でこう書かれている。
  「日本という国はどこかおかしくなっている。私は長い間そう感じていた。毎朝、学校に行く時に乗る電車の中で見る人々は非人間的に箱詰めされ、疲れきっていた。無感動で生命力が感じられなかった。人々は人生の意味を見失っているように見えた。  私を含めて、シニシズムと否定が全員の上を漂っていた。希望や夢や理想を奪い、追求しなくなった社会は「精神の砂漠」といえる状態となった。ほかの人と違っていることを許さない風土。乾燥しきった風土を緩和するユーモアの欠如。無邪気な笑顔がなく、笑顔は礼儀正しいことの証明のためにのみある。積極的な態度もなかった。学校での授業に身が入らない生徒たち、授業を邪魔する生徒さえいた。思いやり、同情、利他主義、倫理などの欠如。かけ声だけの「変化」や現状よりよくなったとはいえない 「変化」。  学校は教育機関というよりロボット工場のように見えた。それはヒエラルキーに忠実で、疑問を持たない生徒を作っていた。先生は教科書に書いてあることだけを教えていた。質間もなく、議論もなく、エッセイを書くこともなかった。その授業は生徒が真実を探求し、愛すること、偏見から自由を学ぶことを目的としたものではなかった。教育とは学ぶという愛を育てるものである。疑いなく、日本の教育は生徒の学習というものに対する憎悪を拡散させていた。もし教室で批判的な分析がなく、教科書を理解するだけが授業なら、教科書を家で読んでいれば目的は達成される。日本の小中高校の10万人を超える生徒が不登校という事実は、いじめだけが原因ではないだろうと思わせる。」

題名の「さらば「受験の国」」は、日本の公教育の現場で実践されるべきでは・・・

「アクティヴィスト」という言葉、日本語では「活動家」となるのだろうけれど、どうもそれだと、ある思想とか団体に縛られているという印象が強かった。うん、「アクティヴィスト」(=社会をよくしようと行動する人)なら、そう呼ばれるのもいいな、と思った。「ディペート」は上祐さんの印象が強くて、“屁理屈”と捉えていたけれど、逆の立場からも考える・議論する、一種のスポーツでもあるけれど、大人(市民?)となるための訓練の場でもあるのだと納得した。私は、書くよりもしゃべるのが苦手。若い時にやっておけばよかった。書くのもこういつも長文になってしまうのは、やはり得手ではないのだが、私もほんの少しでもアクティヴィストであり続けたいので・・・






No.36

『ルポ 労働と戦争』

 りっちゃん
09/5/27

著者は島本慈子さん。副題は、――この国の今と未来。帯には、日米同盟、九条改憲・・・それは他人事?いえそれは、あなたの仕事の問題です。
  「日本は憲法第九条で軍隊を否定しながら、自衛隊という軍事力を持っている。この現実のねじれは、「専守防衛」というキーワードで正当化される。・・・九条が消えれば専守防衛というキーワードも消え、「外国で兵器を使うこともありえる」ということだ。・・・さらに兵器がハイテク化された現在、民需と軍需の境界線はますます溶け出しているという事情もある。・・・九条改憲とは、どこか遠いところの話ではない。それは「私たちの仕事・私たちの暮らし」の問題なのだ。」

「「私は一九六六年、米軍基地に就職しました。一九六六年といいますと、前年の一九六五年は北爆ですね、北ベトナムへの爆撃が開始されて、ベトナム戦争が非常に激化している時期だったんです。私は、砲弾・弾薬の荷役作業をしておりました。しかしこの、私たちが運んでいる砲弾でですね、弾薬で、ベトナムの人が殺される、殺戮されていく。それがもう、どうしようもない気持ちに襲われて、職場をやめようと思ったんです。しかし先輩方と話をして、『やめたって戦争が止まるわけじゃないよ。戦争に反対っていう反戦闘争をたたかえる労働組合をつくろうじゃないか』と、当時、全軍労となっていましたから、全軍労で歯を食いしばってがんばりました……」  それは、「私は人を殺したくない」「なのに生きるため、戦争を支える仕事をしなければならない」という基地労働者の苦悩が痛切に伝わってくる発言だった。」
 悩むという行為は、いかにも人間的だ。しかし、今はどうだろう?

「在日米海軍司令官のケリー少将、キティホーク打撃群司令官のレン少将は、「キティホークの即応体制の維持ができたのは、横須賀基地従業員の尽力のたまものである」という趣旨を述べたという。
  横須賀基地の従業員がキティホークに関しておこなってきた仕事は、システムの近代化、装置の性能向上、推進軸の検査、船底の補修作業など。キティホーク艦長のゼッチン大佐は、日本の従業員チームが「遅延なき作戦上の任務遂行」を「計り知れないほど後押ししてくれた」と絶賛している(駐留軍等労働者労務管理業『1MO』二〇〇八年七月号)。」
  そう褒められる程度に、基地の従業員は、アメリカの戦争に加担しているのだが、「細分化」して自分がどういう仕事をしているのかが見えないからか、

「基地従業員の仕事というのは、艦船修理であれば船をここまで修理するとか、別の部署であれば、軍人・軍属さんが外から帰ってきたときにゆっくりと休む家をつくるとか、あるいは娯楽施設を提供するとか、そういった内容のものですよ。そんなねえ、『殺戮』だとか、『殺す』だとか言われたら、もう皆さん、びっくりしちゃってねえ」
  「特段、我々が戦争に加担しているというイメージで就職をしたり、仕事をしている方はいない」   「労働条件は違うけどね、民間企業と同じですよ」
  という感覚になってしまっている。

「・・・やはり、「在日米軍基地は戦争に加担している」と言わざるをえない。基地がなければ戦争はできず、修理や補給、休息の提供といった「後方支援」がなければ戦争は遂行できないのだから。特にいま米軍が志願制へ移行しているなかで、米軍は多くの新兵を集めるために「軍隊生活の質」を重視しているといわれ、快適な基地ライフを演出することも「戦争遂行に欠かせない要素」なのだ。
  しかし、その加担の責任を基地従業員に押し付けることは、根本的に間違っている。それは日本人全体が負うべき責任であり、みんなが「自分のこと」として考える必要がある。」

軍需ではないからと安心もできない。ソニーのビデオカメラがロケット弾の目として使われたという例もあるそうだ。「同じ半導体を、米国はピンポイント爆撃の精度を高めることに、日本は電気がまをより便利にすることに生かした」と論評した(『中日新開』一九九一年一月二二日付)そうだが、逆もまたありうるということだ。「その気になれば軍事にも使える」のだから。部品を作っていても何に使われるかは分からない。真面目な日本人。一生懸命いいものを造る。しかし、その先は?造ったものが人殺しの道具に使われていてもいいのだろうか?ウーム、この時代、生活の糧を得るだけで精一杯なのかなぁ?

「こんな時代であればこそ、日本人みなが自らの仕事の内容を見つめなおし、「自分はどういう仕事をしたいのか?」という点を十分に考える必要があるのではないか。」 都道338号線を考える会の会議で市の職員と懇談した人が言っていた。「個人としてどう考えているのかを聞きたかったのに・・・」。市の職員として発言しにくいのはわからないでもないが、個のまったく入らない仕事振りとは、一体どういうものなのか、ひどく考えさせられた。「おにぎりを食べたい」と言って亡くなられた人の気持ちが果たして理解できるのか、単に決まりに従っているだけ、上司の言うとおりにする仕事では、人間らしい、人間のための仕事にはなりえないのではなかろうか?人類の幸福のために、50年、100年、いやもっと先の地球環境のことなど、考えることもできないだろう。公的なところでこうだもの、私企業では、自分の会社の利益、給料の額しか考えられないのかもしれない。困ったものだ。「生活の質」「働き方の質」大事なんだけどなぁ。

「かつて陸軍造兵廠の忠海兵器製造所に養成工として入り、広島県大久野島の毒ガス製造工場で働いた村上初一さんは、「あのころ、自分たちは殺人兵器をつくることに不感症になってしまっていた。それは二度と繰り返してはならないことだ」と語っておられたが(拙著『戦争で死ぬ、ということ』第七章)、私たちはもう一度“不感症”に戻る道を選択するのだろうか」。・・・すでになっているような・・・

戦争が民営化されていく。兵器の修理を民間会社の社員が担うことになる。「インド洋周辺に派遣されている自衛隊艦艇や航空機を修理するため、防衛庁が「石川島播磨重工業」(本社・東京)など複数の防衛関連業者に対し、技術者の現地派遣を要請した」こともあった。「かつての国家総動員法(一九三八年制定)とはがらりと趣を変えて、しかし、それに劣らぬくらい広範囲の民間人が軍事にからめとられていく。そういう、「軍」と「民」のバリアが溶けだした新しい状況に、いま私たちは直面している。」

「「武器輸出の規制媛和」と歩調を合わせて、「軍事秘密の規制強化」が実行されていく。」火災や事故があっても、消防車も救急車も「待った」をかけられてしまう。そこで働く人たちの命よりも、「軍事機密」が優先されてしまう。ほらね、「国民を守るため」の軍隊なんて、実際にはありえないのだよ。

一番怖いのが、無人戦闘機。ゲーム感覚で人殺しができてしまう。ラスベガスにある基地で、画面上でプレデター戦闘機を操るのなら、住民が巻き添えにされても、心に痛みを感じることもなく、帰宅して家族と夕飯を一緒に楽しめる。はぁ〜、人間らしさよ、どこへ行っちゃたの?・・・「これは、技術上・戦略上は進歩であっても、人間性にとっては悪夢である。また、こういうやり方で殺される側の怒りと恨みは、現在よりもっと根の深いものとなるだろう。いかにテクノロジーを駆使しても、人間の怒りと恨みを止めることはできない。」

ある自衛官の話し。「知り合いに福祉関係の仕事をしている人がいるんですが、その人は約二〇〇〇万円の予算をとるのに大変苦労をしたそうです。そのときに僕がつい『自衛隊の戦闘機一機は約一〇〇億円くらいする』と言ってしまったんですが、その人は黙ってしまった。
  そして、横にいた奥さんがぽつんと『もったいないねえ』と言いました」。
  奥さんの言葉、まったく共感します。税金の無駄使い。軍備なんかきりがないんだから、その分福祉なり、国民の幸福に直結するものに廻せばいいのだ。自衛隊は災害救助隊に変身すればいいのだ。

他にも、いっぱい共感すること、納得すること、怖いことが書いてあったけれど、また長くなったので・・・あとがきにあったテニアン島のプレートの言葉「原子爆弾を積み込んだ空軍機は「ミッション(mission)を果たすために離陸した」と。ミッション(mission)=任務・使命。」で締めとします。わたしの仕事の使命は「みんなの笑顔」だよ〜。あなたのは?そして日本という国の使命は、武力を使わずに平和を構築すること。朝鮮民主主義人民共和国の核実験に私も怒りを覚えます。「核兵器は抑止力になんかならないぞ!!」「実験で自国民を被爆者にしているんじゃぁないか?」「朝鮮学校の子どもたちへの教育権のために、補助金の要請運動をしてきた在日朝鮮人の努力を踏みにじるな!!」






No.35

新在留管理制度関連法案

 りっちゃん
09/5/25

23日、在日本朝鮮人人権協会主催の「新在留管理制度関連法案を斬る!新たな入管体制に見る日本の外国人政策」という学習会に参加してきました。電車内で寝てしまい、急行に乗換えできなかったものだから、数分遅刻。椅子を出してもらい、資料も足りないという盛況でした。

ひどいねぇ。日本人として恥ずかしいねぇ。過去はともかく、今現実にこんな差別があるなんて・・・現行では外国人登録法と入管特例法の二本立てで、外国人登録証明書なるものが発行されているそうですが、常時携帯義務、7年に一度の切り替え申請制度、携帯については行政罰、申請については刑事罰が待っているそうです。いつの時代だぁ?って思いませんか?こんな差別を国がしているから、チマ・チョゴリを切るなんて不逞な奴も出てきちゃうんだと思いました。いじめはね、大体クラスの担任が承認しているから起こるんです。「こいつをいじめてもOK」っていうサインを担任が出しているから、生徒は、学校や先生への不満の捌け口として、いじめるんです。図式は一緒。

日本政府は「外人」を「害人」と見なしているのでは?という話も出ていました。福祉が人手不足だからって、海外から看護士や介護士を呼んでいる国がねぇ。時給が安くて済むから?で来てもらって、「害人」扱いですかぁ?

今回の改正(?)の理由は、先ず利便性にあるらしい。もちろん、外国人にとってではない。管理に便利なように。今までは市町村と法務省に分かれていたのを一本化する。ICチップ内臓の在留カードを渡されるそうだ。情報は自治体ばかりではなく、所属機関、雇用期間からも集めるそうだ。「その情報を類型化してプロファイリング」という言葉が引っ掛かる。保育の仕事では、自分もよく気をつけなくてはと思ったものだが、この子はあの子に似ているから、こう対応するといいんじゃないかなと・・・これは言葉での交換が十分でない子どもの場合、非常に便利なんだけれど、うっかり、思い込みすぎると大きな間違いを犯すことがある。ひとりひとり違うんだよね。だから、絶対ではなく多分でいかないと、で、その子をしっかり見て、違うと思ったら即訂正しないと・・・お役所仕事、しかも、ひとりひとりが見える自治体ではなく、法務省が管轄するとなると、こわいなぁ、と思った。

最も怖いのは、ICチップ搭載のカードが許されるのなら、住基カードの常時携帯なんてことも許される時代が来るのでは、ってこと。人権が損なわれることを見過ごしにしていると、日本人だって同じ目にあう可能性がより高くなる。心しておかないと・・・

このカードの対象者は中長期滞在者に限られ、短期滞在者、非正規滞在者、仮放免中のものなどは対象とならない。つまり落ちこぼしとなる。
  「現に、非正規滞在者であっても労働法規の適用はあり、学校教育を受ける権利、母子保健サービスを受ける権利(入院助産、養育医療、予防接種など)精神保健サービスなど限られてはいるが、生きていく上で必要最低限の行政サービスは受けることができる。他方、非正規滞在者らも税金を負担しているのである。
  しかし、今提案されている外国人住民の台帳制度では、これらの人たちの必要最低限の権利に対する配慮は見られない。従来、これらの人たちは、90日以上滞在すれば外国人登録を義務づけられてきたし、上記の各種サービスを受けるにあたって、多くは外国人登録で確認されてきた。非正規滞在者から、かかる公的認証制度を奪うことは、生きていく上で必要最低限の権利を奪うことになる恐れが強い。」
  (ハタテ・アキラ、(社)自由人権協会)

在留カードを持っていても、派遣切りにあえば、即非正規滞在者になってしまうということもありうる。
  他にも意地悪なことがあったよ。国連の勧告が効いたのか、ちょっとした旅行や出張などでも再入国許可を取らなければいけなかったのが、「みなし再入国許可」とやらで、行き来が楽になるらしい。が、その対象が「有効な旅券」及び特別永住者証明書を所持して出国する特別永住者なんだけれど、「有効な旅券」がどうも恣意的に解釈されてしまうみたい。朝鮮民主主義人民共和国の旅券は「有効な旅券」ではなく、台湾やパレスチナのように「未承認国家」でも「有効な旅券」なんだって。まさにイジメですねぇ。

人権の観点から改正するんではなく、利便性で改正するから、こんなことになっちゃうんだねぇ。人を人として見ていない日本政府って、ほんと恥ずかしい。詳しくは「排除ではなく「共生」のための制度を」を見てください。

府中の派遣村でも、「生活保護を受けている者は、就職先をあれこれ選ぶ権利はないと法律に書いてある」とか言われたって聞いたよ。そんな法律あるはずがない。脅しだねぇ。今度こそ派遣切りするような会社には行かないで済むように、慎重にじっくり選んでね。と、同時に、イジメ大国ニッポンはつくづく嫌だなぁと。今朝の東京新聞の本音のコラムのドラ・トーザンさんが書いていた。フランスでは日曜の午後には商店は閉まっていて何も買えないんだって。「けれど、それでもやはり「生活の質」というものがすべてに優先され、それこそが人々の生きていく上での中心思想になっているように思えるのだ」。さすがフランス!!日本も利便性・効率・利益を追いかけて心が荒廃するような生活から、誰もがニコニコと暮らせる社会へと方向転換しませんか?「生活の質」を大事にしましょうよ。






No.34

空騒ぎ

 りっちゃん
09/5/22

まったくマスゴミときたら、いつまでインフルエンザで空騒ぎをするんだか。新型たって、どうやら60代以上には免疫があるようだから、旧型なんじゃぁない?普通のインフルエンザとどう違うんだか?うちのじいちゃん(名医)なら、「感染すれば免疫ができるのだから、ほっとけ!!」と言うだろうなぁ。元々、じいちゃんは、インフルエンザの予防注射には反対だった。型が一杯あるから、予測は難しいし、病状と副作用のバランスを考えたら、すべきではないって。小児麻痺の予防接種はいち早く私たち孫にしてくれていたそうだよ。今ここで大騒ぎして感染を食い止めたってまた流行る可能性はいつでもある。免疫ができれば、その先ずーっと安心。何で先のことを考えないんだろうねぇ。

もちろん、健康弱者である病人や乳幼児、お年寄りは感染しない方がいい。病院や乳幼児・お年寄りの施設では、予防を心がけるべきですが・・・。あと、過労の人も身体を休めて欲しいなぁ。ちょうどいい機会だし・・・。

私は子どもの頃にSFを愛読したからねぇ。今回の大騒ぎの元は、鶏がアジア人向け、豚は中南米向けに開発したウイルスを、タミフルを売るためにばら撒いたんじゃぁないかと想像しているよ。タミフルの副作用の問題は、マスゴミは何もいわなくなったねぇ。新型インフルエンザによる死亡数と、副作用による死亡数と比較してみたいねぇ。ついでに年間の自殺者とも。大騒ぎすべきことは別にあるんじゃぁないかな?また、いつもの例で、なにかのニュースを隠しているのかしら?ソマリア?核廃絶?おかしなエコポイント?「出入国管理及び難民認定法」の改悪?それともわたしにはわかっていない何か?

国会答弁で麻生総理が「下支えをしています」だって。笑っちゃうよねぇ。上支えの下イジメしかやっていないのに・・・

マスクが売り切れだってね。みんなも自分を守ることしか考えていない。余裕のない時代なんだなぁ。空騒ぎに明け暮れないで、50年先100年先を考えませんか?

そうそう、やっと給付金が振り込まれたので、ハンクネット「定額給付金を社会連帯に」三多摩市民基金に、半額ずつ振り込んでおきました。やったぁ。なんか金持ちになった気分。

5月24日、「大相談会」報告集会&府中緊急派遣村労働組合結成大会が開かれます。






No.33

核よ消えろ

 りっちゃん
09/5/19

いやぁ、昨日の新聞、感動しちゃったよ。「核よ消えろ」。「ノーベル平和賞17人が「ヒロシマ・ナガサキ」宣言」。全文と17人の紹介が載っている。2/3面を使っての記事だ。オバマさん、ちょっと具体的な政策は怪しいけれど、「ナガサキ・ヒロシマ」に原爆を落とした非を認め、「核兵器」のない世界への呼び掛けをしたのは偉い。さらに、それを受けて、この「宣言」だよ。

NPTがあるのに核廃絶への前進が見られず、それどころか核保有国が核兵器を威圧的に利用しているから、他の国が核を持とうとしていること、なくす義務を負っているはずの核保有国の薄弱な意思、第二のナガサキ・ヒロシマを回避するために世界へ呼びかけ続けた被爆者達の強い決意、ウーン、素晴らしい!!さすが、的確な文章だよ。全文は中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターのサイトでどうぞ!!

ただねぇ「世界はすでに核兵器がとてつもない規模の惨禍を人類にもたらすことを知っています」って、本当にそうかいなぁ、というのが私の心配の種。確かに、いまだ第二のヒロシマ・ナガサキはないのは、使ってはならないという自制があったのかもしれないけれど、実験による被爆や劣化ウラン弾での被害者は出ているし、日本以外の国では意外とその怖さを一般の人が知らされていないのでは・・・アメリカの教科書でも「やむをえなかった」だもの。駄目だよ、そんなんじゃぁ。「核兵器は無差別で、不道徳で、違法な兵器」であり、核廃絶は、全人類にとって必要不可欠なのだぁ。核保有国の国民にこそ、核兵器の怖さを知ってほしい。そういう意味でも、世界各国のノーベル平和賞受賞者によるこの宣言は、とても有効だと思う。みんなも読んでね。核兵器は不要、という常識が世界に広がりますように。






No.32

『長谷川テル』

 りっちゃん
09/5/14

友だちとの待ち合わせ時間に読んだ本。副題は、「日中戦争下で反戦放送をした日本女性」」。“東洋版の「非戦・平和のジャンヌ・ダルク」”。ウーン、確かに素晴らしい仕事をなした女性かもしれないけれど、師範学校で、文学を学んで「赤」として捕り→退学処分→反骨精神→エスペラントを学ぶ→中国からの留学生と恋愛する→彼と行動をともに、なんかそういう道に自然となっていったというか・・・官憲がわざわざそういう道を選ばせたと言うか。

彼女自身、「私はありふれた女性なのだから、しかし、仮に日本にとどまった場合よりも、いくらかでもよけいに、より意義のある仕事を何かやれるだろうと私は信じ、そして感じている。なぜなら私はエスペランティストなのだから。」と言っているし、夫の劉仁も「この本は何の変哲もない平凡なものである。しかし私はこの平凡さが好きである。この作品を愛している。
  私があえて言うならば、この作品は一人の平凡な女性の平凡な生活回想録であるかも知れないが、これは時代の縮図である。」
  と、テルの散文集『嵐の中のささやき』の序文に書いている。

マイクの前で言っていたことも、至極当たり前のことであると思う。ただねぇ。時代の状況が異常でした。だからこそ、当たり前のことを叫ばねばならないという情熱になったのかもしれない。今の自分が似たようなことを発言していても、テルさんのように逃げ道をふさがれてしまってはいないから、状況によっては、私は自分を守るために逃げてしまうだろうと・・・前向きに生きた勇気ある女性なんだなぁと思う。男というものは大体が自分の連れ合いを低く見ようとするところもあるから、劉仁の「平凡」というのもその類かもと思いつつ・・・でも、彼女は普通の女性だったとも感じるのよね。写真の顔も、ごく真面目で、気負いか緊張か、真剣な目つきではあるものの、女傑という雰囲気ではない。

同じ写真に写っている池田幸子さん、おお、噂どおり若い時は「超美人」ですねぇ。私の記憶にある池田幸子さんも、女傑というか女史というか、貫禄ありました。ただ、「あんたたち、パンツが見えてるよ!」には参ったなぁ。ミニスカート全盛の時代、何も男性社員全員に聞こえる大声で言わなくても・・・「うちの会社は佐藤政権の下で飯が食べられるのだから、歯向かうんじゃない!!」は、私の「三里塚見学のため」という休暇願に対してだったか、「毛沢東万歳!」と書かれた絨毯を買ってきた他の社員に対してだったか・・・もう昔のことで定かでない。そんな絨毯、だれも買わないだろうとは思ったものの、友好商社(彼女が周恩来のお友だちだから貿易できるのだと聞いたけれど・・・)としての義理というものもあるだろうし・・・一理はあるけれど、それでいいんだろうか?とも思ったよ。

これも記憶が定かではないが、やけに淋しい葬式だったような。私の祖母のひとりの葬式に次ぐさみしさだったな。 祖母も「活躍されていたんですよ」と3年ほど前人に言われたけれど、私の記憶の中の祖母は「可愛そうな人」であった。晩年は親しい人が回りにいなかった。私自身も、もう一人の祖母には甘えたが、あの人とはそういう関係ではなかったのでより「可愛そうな人」に感じていたのだと思う。

それに比べると、若いうちに惜しまれて亡くなる、しかも夫が縋り付いて泣いたという、テルの方がなんともうらやましく感じられる。ゲバラもそうだけれど純真なままでいられる、人に記憶されるって、いいなぁ。私はすでにいい年だから、純真というわけには行かないが、「可愛い婆ちゃんだった」と言われたいなぁ。過去の活躍などよりも晩年をどう生きるか、平凡でいいから、自分の人生に満足して逝きたいなぁ。

という感想は、この本を書かれた人たちが期待したものではなかろうと思う。

「今年(二〇〇七年七月七日)は北京郊外の慮溝橋であの日中全面戦争が勃発してから七〇周年になる。それは一九三七年七月七日の虚構橋事変と呼ばれた武力衝突で、その後の日本参謀本部の戦争拡大政策がさらに不幸な泥沼の全面戦争を誘発した。
  長谷川テルが祖国日本から海の向側の国際都市上海に脱出したのは、その不幸な戦争がはじまる四カ月前の四月であった。一九三七年の春、彼女はまだ二五歳の若さで、愛する両親や姉と弟との絆を断ち切り、横浜から単身で上海に渡った。このとき彼女が企てた上海への旅は今日われわれが体験するようなたのしい観光旅行ではなかった。彼女は愛する祖国に弓ひく思いで、自由を求めて上海に脱国したのである。
  何が彼女をそう決心させたのか? 日本は当時も今も美しい国で、テルにとっても愛すべき祖国であった。しかし日本の自然は美しくても、その国の政治は軍部の支配下にあり、現人神の天皇を頂点にした国体(天皇制)の枠組みのなかで、多数の国民の生活が統制され、国全体が中国大陸への膨張を旗印に好戦的な機運を盛りあげていた。当時の日本国民はそのような時代情勢のなかで、身も心も政府から支配され、一筋に天皇への忠誠と滅私奉公の観念を植え付けられていたといえるだろう。またそのような滅私奉公の思想に洗脳された日本人が美しい日本の理想的な国民であると政府と軍部から絶賛されたのである。
  しかし長谷川テルはそのような軍国日本の従順な奴隷にはなれなかった。彼女は勇気をふりしぼって、その風潮に反逆したのである。そのとき一人の反逆女性・長谷川テルが誕生した。」

長谷川テル自身が親兄弟との絆を断ち切ったのではなく、戦争によって、断ち切られたのだよ。愛する夫に続いて出国したのは、ごく自然なことだし・・・祖国に反逆したのではなく、
  「お望みならば、私を売国奴と呼んでくださってもけっこうです。決しておそれません。他国を侵略するばかりか、罪のない難民の上にこの世の地獄を平然と作り出している人たちと同じ国民に属していることのほうを、私はより大きい恥としています。
  日中両国民の間には、いかなる基本的な敵対感情も存在していません。」
  人間として許せないことをしていることを恥と思うのは、いかにも日本人らしいよねぇ。
  「日本帝国主義者が貴女を矯声売国奴と罵りましたが、実際は、貴女は日本人民の忠実な娘であり、真の愛国者です」という周恩来の言葉どおりなのだ。

「この戦争のために中国は歴史上未曾有の犠牲を払った。南京の陥落から幾多の大都市の失陥、多数の英雄同胞の戦死、無数の財物の消費!これは戦争を了解するひとびとには充分恐怖と失望を与えるものだ。
  ただし私は、やや遠大な目で日本の国内を見てもらいたい。日本のごとき狭少で資源乏しき国で、しかも多数の犠牲を払い、中国に数倍の軍費を用いており、これに加えるに、この軍費は完全に勤労大衆の肉体からしぼりとった血と汗なのだ。」
  今の日本にも通用する言葉だよ。アメリカに献上しているお金、軍備にかけているお金を、福祉に使えばなぁ。定額給付金だって、私たちの血税。無駄遣いを奨励して、また借金が増えて、自民党に票が流れて、また世襲の独裁政治ですかぁ?・・・悲劇もいいとこ。いや喜劇というべきか。

この本はいろんな人が色んな視点から書いているから、重複している部分もあるし、私みたいにちょっと違う角度から読んでしまう人もいるだろうなぁ。魯迅も郭末若も偉い人だったとは思うけれど、纏足をしているからの理由で、お嫁に来た人をおっぽらかしちゃったのは、なんともかんともです。事実婚の方を優先させるべきだろうし、なんたって「革命のためなら」何かを犠牲にしなければならないこともあるだろうし、親が決めたことであって、本人の意思ではなかったのもわかるけれど・・・でもね、そういう人ほど解放してあげて欲しかったなぁ。劉仁の家に嫁いだ楊春揮さんは、いい「お嫁さん」でもあり、劉仁の理解者でもあり、いいお母さんでもあったようだね。そういう目立たないけれど、一生懸命誠実に、廻りの人を支える人がたくさんいて、この世の中が成り立っている。そんな気もするのよね。

長谷川テルを日本に紹介することも立派なことだけれど、わたしの周りにも日本を少しでもよくしたいと頑張っている女性たちがたくさんいるよ。体力の無い私は、お手伝いしかできないけれど・・・平和のため、緑を少しでも次世代に残すため、みんなの笑顔が増えるように、できること少しずつやっていきたいなぁと思っています。






No.31

「ピアノのはなし」

 りっちゃん
09/5/3

チラシ

九条の会・小平、発足4周年記念公演&講演のお知らせです。

2009年5月22日(金)午後6時会場・6時半開演
  ルネこだいら中ホール

講演 「改憲の動きとメディア」  元東大教授 桂 敬一さん
  公演 コンサートドラマ「ピアノのはなし」

入場料 一般3000円 会員1500円
  問合せ 九条の会・小平 事務局 NPO第二こだま内 п@042―343-0456

「ぴあののはなし」はなかなかステキな音楽劇だそうです。

「僕たちは、明日沖縄へ向かって飛び立ちます。先生、死ぬ前に一度だけ、思いっきりピアノを弾かせてください・・・・。」

1945年5月、佐賀県鳥栖の小学校に二人の特攻隊の青年が訪れました。
  明日、沖縄の海に飛び立つ前にどうしてもピアノが弾きたいと言うのです。青年は朝からずっとピアノのある学校を探しまわっていたのです。さっそく校長の許可を得ると、音楽担当のおなご先生は「月光の曲」の楽譜をそっと手渡しました・・・。

ひとり芝居の中西和久がピアノの生演奏にのせて贈る音物語。

ピアノ演奏 佐々木洋子
  原話 上野歌子
  協力 知覧特攻平和会館






No.30

府中緊急派遣村

 りっちゃん
09/5/3

府中チマチョゴリの会の代表者(本人曰く僕じゃなくてみんなが代表者)が村長(本人は「損長」だと・・・)と新聞に載っていたので、歯っ欠け婆状態にも関わらず、4月18日、のこのこと手伝いに行ってきた。相談者14名。ボランティアは36名だったかな。間が空いたのでちょっと定かでない。最初は日向ぼっこ感覚。後になって、いろいろ気がつくとドタバタと忙しかった。村長さんの人柄というか、上からの指示ではなく、気がついたら自分で動いてね、だから・・・そんなこったろうとは思っていたけれど、結局なんだか走りまわちゃったかなぁ。

それでも、こんなにも善意の人がいるのかと思ったら、なんかうれしかった。道行く人やご近所さんの温かい励ましの言葉とカンパ。ありがたいねぇ。日本の義理と人情は、ここに健在なり、って感じでした。なので、疲れたけれど、いい疲れだったなぁ。

ボランティアに派遣切りにあってホームレスになるしかないと思っていたのが、派遣村で助かったという人も参加していた。相談者もトン汁作りをご一緒に。湯浅さんも派遣切りにあうような人は、「不器用なほどいい人」と言っていたけれど、本当に彼らは素直な、いい人たちでした。ボランティアの人たちもほとんどが初対面なのにすぐ仲良しになっちゃった。

1日は、村長の祝?定年の会があり、その後の進展を聞いてきた。当日は派遣切りだけでなくいろんな相談があったから、2日間でもっと大勢の相談者がいたけれど、生活保護申請の必要な相談者は14名。うち、1名は品川区でアパート生活、2名が立川で施設に、11名が府中市でアパート生活と、生活保護を受けられるようになったとのこと。よかったぁ。アパート代とか布団代とか一時金の補助はあっても、暮らすとなるとすべての生活用品をいっぺんに揃えなければいけないので、生活用品、特に電気製品のカンパを求めているそうです。つい最近、小平でも2名の方が自立。私の手持ちの一人暮らし用品はその時にお分けしてしまったので、残念ながら・・・です。府中にお住まいの方、ぜひ浄財をカンパください。何でも目に付いたもので分けられるものがあれば・・・府中緊急派遣村へ。

村長が酔っ払う前?に言っていました。「役所の人間は施設にやっちゃえば済む、と思っているんだよ。同じ地域に住む人間同士、幸せに暮らせるように保障する、考えるという姿勢がないんだ」と・・・。施設については新聞で読んだことがある。共同生活でしかも監督するような人がいて、実際「不自由」な生活を強いられるようだよ。監督する人もヤクザさんだったりして・・・で、またホームレスに戻っちゃう人が多いって書いてあったよ。ちゃんと自立できるようにしてあげなくては・・・

生活保護を受けても、就職を急がせたりするんだって。派遣切りを繰り返すようなところにまた行っちゃったら困るじゃない。ゆっくりじっくり選べるようにしなくてはね。先ずは一段落だけれど、これから、解雇撤回のための運動とかもあるようだよ。まだまだ、やることがあるそうだ。手伝えることがあったら、声をかけてね。






No.29

南北コリアと日本のともだち展

 りっちゃん
09/4/14

チラシ

昨年、青山まで見に行った「南北コリアと日本のともだち展」、いよいよ小平で開催します。

それぞれのお国柄が垣間見え、また、日本の教育の問題点などもほの見えて、なかなか考えさせられるものがありました。

開催の目的は、もちろん、平和のため。国の支配している側のご都合により、いびつな関係だったり、すぐお隣であるにも関わらず、ひどく遠い国であったりする朝鮮半島の分断された国、大韓民国と朝鮮民主主義共和国。その両国と日本の友好は、子どもたちの絵を並べることにより、地に付いた、身近な関係から・・・との、「南北コリアと日本のともだち展実行委員会」の方々の想いと努力に、共感しました。

ぜひ、みなさまにも直接ご覧いただきたいと願っています。

日時: 4月21日(火)        13:00〜19:00
      4月22日(水)〜25日(土) 9:30〜19:00
      4月26日(日)最終日    9:30〜17:00

会場: 小平中央公民館ギャラリー
      西武多摩湖線青梅街道駅下車徒歩5分 駐車場有

主催: タリの会  連絡先 tarinokai@yahoo.jp
     (タリの会は地域に住む日本人・朝鮮人などの外国人が仲良く暮らせるまちづくりをめざしています)
  後援: 小平市教育委員会
  協力: 南北コリアと日本のともだち展実行委員会



ともだち展無事終了。お預けいただいた絵の返却も、今日で全部お返しできそうで、ほっとしております。皆様のご協力に感謝、感謝です。

青山での東京展を見て、「やろう!」と提案したものの、府中での「在日一世の写真展」を手伝って、これはお当番が大変だぁ!!と実感。タリの会は何せメンバーが少ないもので・・・しかも、私自身の病気の方が一歩後退で、土日はコーラスの合宿と重なり・・・どうなることやらと心配でしたが、飲み会要員をはじめ、いろんな方が助っ人に来て下さって、本当にありがたいことでした。

地域の子どもたちの絵も、いろんな方達の協力で、たくさん集まりました。林のコンサートでお絵かきコーナーを作ってくれたどんぐりの会だけで38枚。工房フォルム、メンバーの友人・ご近所。ありがとうございました。おかげさまで、延べ500人弱の方達に見ていただきました。

ピョンヤンの子どもたちの絵は、子どもの頃さんざん遊んだ、塗り絵を思い出させてくれました。同年輩の方は大体「上手ねぇ」「懐かしいわねぇ」との印象をもたれたようです。子どもたちは、ソウルの子ども達の絵が上手だと・・・。個性的な絵が多かったと思います。子どもたちからすると、同じ感性で「上手!!」となるようです。メンバーの一人は、ピョンヤンのは複数の人物が描かれ、ソウルのは一人が多いとの指摘。指導された先生によると、ピョンヤンでは日本の学童のようなところで早期教育がされていて、本当に上手な子が多いとか。ただ、画材などは限られてしまうとか。絵を見るだけでも体制や経済的差異が伝わってきます。その体制を乗り越えて子どもたちの絵を集めることのご苦労も、2次会でお話されていました。それでも「子どもたちの絵は心が和みます」です。

その感想を書いてくださった方は、ブルーリボンを付けていらっしゃいました。「一日も早く、拉致問題が解決しますように」と、私も願っています。

ともだち展で、また、たくさんの出会いがあり、その場にいあわせる事ができたのは幸せでした。朝鮮大学の学生さんと楽しくおしゃべりして記念撮影されたおじいちゃん。「日本で核爆弾の研究をしていた施設にアメリカが爆弾を投下・・・私も近くに住んでいたため・・・9死に一生を得た」とのこと。戦争体験を伝えながらも、お話が上手で笑いがたえなかったなぁ。シベリアから生還された方も見にいらしていましたが、被害者の立場にあったことは語られても、加害者としての発言は聞かれませんでした。「たくさんの人が亡くなられている中で生還できたのだから、命大事にしてください」と、同時に、私自身も、被害者としての記憶が強すぎるかもと、いたく反省。人間って、そうなりがちですよね。気をつけねば。

絵が苦手な私、「まったくの自由では描けないものです」との専門家のご意見に納得。子どもたちは模倣によって色んな能力を獲得していくものだしねぇ。高校の先生が「ソ連では体制と同じ意見なら、アメリカではお金があれば、表現の自由がある」と言っていたのを思い出すよ。どちらの国にも「自由」があり「不自由」がある。そんな中でものびのびと子どもたちが描いた絵が、人の「心を和ませる」のですねぇ。林の中で、色んなことをおしゃべりしながら描いた絵もみんなステキな作品でした。みんなみんな、ありがとう。そして、日常的に、普通の暮らしをしている人々が、交流することが大事だよなぁ、と痛感しました。






No.28

「イラク帰還兵の証言」上映会

 ひげきよ
09/4/14

三鷹にあるNGO「すぺーすはちのこ」で、今週金曜日に以下の上映会を開催します。
  直前のご案内になってしまいましたが、ご関心ある方、ご都合つく方は ぜひご参加ください!当日は田保監督もいらっしゃいます!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はちのこシアターのご案内

  田保寿一監督作品(80分)
 
「Winter Soldier イラク帰還兵の証言集会記録」上映会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イラクが大量破壊兵器を持ち、アルカイダと結びついているという理由で始まったイラク戦争。それが間違いと発表され、終結宣言の後も理由不明の残忍な殺戮が続いている。誰も責任を問われないこの不思議。

イラク戦争開始5年目の昨年2008年3月、現地で戦った兵隊たちが「戦場で何が起きているのか知ってほしい」とウィンターソルジャーと名づけた集会を開催。大手マスコミが取材を拒否する中、フリーのジャーナリストとしてただ一人この集会を取材した田保寿一氏の記録。当日は田保監督もいらっしゃいます!

日時: 2009年4月17日(金)  第1回19:00〜 第2回21:00〜
  場所: はちのこ保育園
 (三鷹市野崎3-22-16すぺーすはちのこ1階)
  参加費: 500円

※参加ご希望の方は、できれば事前にお申し込みください。
  ※当日は1階のオーガニック・カフェ「はちのこいこっと」で食事可能(要事前申込)
 ※第1回の上映時は保育あり(要事前申込)

■主催:すぺーすはちのこ






No.27

給付金を有効に使おう!

 りっちゃん
09/4/14

税金でやるべきことが一杯あるのに、選挙用にばら撒いちゃって、ホントにしょうがない政府と麻生さん。でも、これで、めったとできない寄付ができる。手続きは終えたので、入金が確認されたら、ハンクネットと以下の基金に半分こ振り込む予定です。他にも一杯あるのだけれど、振込み料がもったいないし、今一番緊急且つ、一番弱いところ、2箇所に限定しました。心優しい人たちは、みんなどこにしようか悩んでいらっしゃるかと・・・私の場合をご参考までに。

☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜

定額給付金を社会連帯に使おう!

総額2兆円の定額給付金の支給が始まりました。この給付金は、政府・自民党が公明党の求めに応じて考え出されたもので、実態は選挙対策費であり、票を国民の税金で買うものです。かつて政府は、総額7700 億円で地域振興券を発行しました。しかし、これによって増えた消費は、振興券使用額の32%でした。残りの68%分は貯蓄に回されました。

◆ 本当に必要としている人に届けるために
  政府は生活支援とか、景気対策のためと主張していますが、効果を期待することは出来ません。この給付金は、解雇され仕事や住居を失った人、ネットカフェ難民、路上生活者、DV被害者などで住民票のない人には支給されません。DV被害者の女性や子どもの分は、DV加害者が受けとってしまうこともおきます。また、実務は地方自治体に丸投げされ、三多摩全体での給付金総額は事務経費26億円も含め約640億円、立川市の本年度の一般会計予算655億円に匹敵します。私たちは定額給付金に反対してきました。本当に支援が必要な人たちをサポートする制度設計にこそ、税金は使われるべきだと訴えつづけてきました。国立市や調布市の議会では「定額給付金の撤回を求める意見書」が採択されています。私たちは、この給付金を何とか有効に使う方法はないかと考えました。そして、本当に必要な人々にこのお金が届くことを願い、「社会連帯基金」をスタートさせることにしました。給付されたお金を、心ある市民の皆さんから基金としてご寄付いただき、その寄付金を、三多摩をはじめとして、さまざまな課題で活動している市民団体に、一括して寄付しようというものです。事務経費は呼びかけ人などからの拠出金を充当し、いただいたお金は全額を寄付します。
  国民の7割が反対しているこの無責任な政策を私たちの創意と工夫によって市民連帯の運動に創り変えていきます。ぜひ趣旨に賛同いただき、運動の輪に加わっていただきたくお願いいたします。

● 呼びかけ人(順不同)
  ・鎌田 慧(ルポライター)・諸橋泰樹(フェリス女学院大学教員)・安積遊歩(ピアカウンセラー)・上原公子(元国立市長)・吉川勇一(市民の意見30の会・東京)・内田雅敏(弁護士)・丹羽雅代(アジア女性資料センター)・山田真(小児科医)・赤石千衣子(しんぐるまざあず・ふぉーらむ)

● 振込先
  郵便振替口座番号 00170-5-654784  
  加 入 者 名 「定額給付金を社会連帯に!三多摩市民基金」
  他銀行から→ゆうちょ銀行口座番号 店番019 当座 0654784






No.26

野田雅也さん:チベット取材報告

 いちのせ
09/4/8

皆様、チベット取材から帰国したフォトジャーナリストの野田雅也さんから取材報告イベントのお知らせが届きましたので、長くなりますが転送させていただきます。是非おでかけください。

******* ******* *******

二ヶ月に渡るネパール・インドのチベット難民取材を終え、帰国しました。
  今回は「ヒマラヤを越えるチベット難民の亡命ルート」(ネパール)と「チベットの失われた50年」(インド ダラムサラ)の2つをテーマに取材を行ないました。

私の手元に、片方だけの小さな靴があります。手のひらほどの大きさの子供用の靴です。男の子の物か、女の子の物かは分かりません。赤や緑の皮で作られたかわいらしいブーツです。でも、とても色褪せていて、靴底もありません。

私はこのブーツを標高5000mを越えるヒマラヤ山中の氷河地帯で拾いました。チベットから逃れて来た子どもが履いていた靴なのです。ヒマラヤ山脈にひかれた中国(チベット)とネパールの国境は、単に境界を意味するものではありません。チベット人を閉ざす大きな壁になっているのです。

4月11日の「国境線リポート」では、このブーツをもとに、チベット難民がどのように、そしてなぜ国境を越えるのかをお伝えします。またネパールがマオイスト(毛沢東派)政権に変わって1年、中国の圧力の下でチベット難民の状況は悪化の一途を辿っています。強制送還や難民認定書の発行拒否などからチベット難民の現状をリポートします。

4月19日映画『風の馬』『雪の下の炎』上映トークイベント第3弾では、今回取材した「チベットの失われた50年」を軸に、映画『風の馬』の背景と現在までのチベットの状況をお伝えします。50年代以前のチベットがいかに牧歌的な暮らしだったのか、そして59年以降、どのように変わってしまったのかを世代を越えたチベット難民たちの証言からお伝えします。

ぜひ、お誘い合わせのうえ、ご来場ください。タシデレ!

******* ******* *******

第4回「チベットの歴史と文化学習会」
  〜ラサの蜂起から50年、チベットの政変から60年〜

  (吉水千鶴子/渡辺一枝/野田雅也/長田幸康)

日時:2009年4月11日(土) 18 : 00〜21: 00 開場17 : 45
  場所:
文京区民センター3階 3-A会議室
  参加費:¥600
  主催:チベットの歴史と文化学習会
  お問い合わせ:e-mail:trb.gakusyuukai@gmail.com
  参加申し込み: http://www.tibet.to/gaku3/
  FAX : 03-3229-1124 

○講座 チベット仏教の潮流 第2回「仏教のチベット的展開」
    講師:吉水千鶴子(筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授)

○チベット報告「受難ということ」
    お話:渡辺一枝(作家)

○緊急報告「国境線リポート」
    報告:野田雅也(フォトジャーナリスト)

○質疑応答「Tibet2009 vol.2─チベットの政変から60年」
    基調報告:長田幸康(I love Tibet!ホームページ 主宰)

******* ******* *******

映画『風の馬』『雪の下の炎』の2本立てプレミア上映  4月11日より 渋谷アップリンクにてロードショー

4/19上映トークイベント第3弾 (野田雅也)
  ■日時:4月19日(日) 上映 12:30〜/ トーク 14:10〜
  ■ゲスト:野田雅也氏 (フォトジャーナリスト)
  ■会場:アップリンク・ファクトリー (渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F)
  ■イベント料金:当日一般¥1,500/学生 ¥1,300/シニア ¥1,000  
  *前売り券もご利用いただけます。 *混雑が予想されますので、下記方法にて必ずご予約ください。
  【イベント予約方法】 当イベントへの参加をご希望の方は、お電話またはメールにてお申し込みください。
  メールの場合、下記の予約要項を明記の上、指定のアドレスまでお送りください。
  (予約者数が定員に達し次第、受付を締め切りますので予めご了承下さい)
  ・予約要項 (1)お名前 (2)予約希望人数 (3)お電話番号
  ・予約先 TEL:.03-6825-5502 MAIL:factory@uplink.co.jp ★件名を「4/19「風の馬」トークイベント」としてお送り下さい。






No.25

 後輩への手紙

 ゆきや
09/4/1

SENNSOU 北ミサイル「破壊命令」 安保会議経て防衛相が発令・・・・
  のニュースを聞いて・・・・後輩への手紙

○○ 様 (北朝鮮のミサイル発射実験に関して)

前略 いつも多量の情報を有難うございます。
  いろいろな情報に関して、特に○○さんの見解は示されていませんが、私は、今日、朝日新聞の「声」欄を見て、「我が意を得たり!」と思いました。
  「迎撃命令は過剰ではないか?」と言う趣旨でした。

誠にもっともで、米、中、ソ、英、仏、インド、イスラエル、パキスタン・・・と、核拡散を容認してきた米国とその他強大国自体が、イランと北朝鮮はだめよ!と言う論理は全く成り立たないことを、日本政府もそしてマスコミも、全く自覚していないだけの事ではないでしょうか?
  日本語もろくろく読めない総理大臣をいただく政府の防衛大臣が、「静かに?勇ましく」わめき散らすこの国の、なんとも言えない危うさを、ひしひしと感じます。

○○さんは戦争を知らない世代ですから、私とは見解が違って当然ですが、どうか、広い見地に立って世界を見渡し、「中国を仮想敵国とみなし、警戒し、北朝鮮を罵倒しているだけで飯が食える日本」・・・そんな日本を、「世界人」の幅の広さを以って、冷静に眺めて下さる事を私は切望いたします。

メールだけでは本意が伝わりにくいし、討論なしでは、結論も方向性も見定められないのでは?とも感じます。例の「町田会談」を復活させませんか?私は、いつでも応じられますので、是非「日程」の御提案をお願いいたします。

     草々
     2009年(平成21年)3月31日(火)  ゆきや




ゆきや様、なんだかテレビのニュースが大騒ぎしていますねぇ。
  正直、こっちは苦笑いです。本当は怒るべきなんでしょうけれど・・・
  平和好きなものにとって、堂々と公道を兵器が通るだけでも嫌悪感なのですが、「万が一」という理由だけで、国民に認められたからと喜び勇んで演習をしているというか・・・無駄遣いではないんだと立証したいというか・・・

この間読んだ本で、テポドンは人工衛星と書いてあったよ。林信吾って人が、朝鮮共和国に対しては「何を今更人工衛星?」、日本には、「大騒ぎして馬鹿みたい」(もちろん憲法改正を狙って大騒ぎなんですけれどね)というようなことが書いてあったと思う。

朝鮮共和国は「人工衛星」と言っているのに、(それを信用するかしないかは別として)、テレビでは「ミサイル」と言葉を変えてしまっている。それ自体、許されることなのか? という気がする。で、「国民は大騒ぎしないように」って、てめえが大騒ぎしているんじゃないか?そうやって、「戦争に慣れろ!!」とでもいわんばかりだ。

本当にミサイルなら、狙いどころはアメリカだろうに、そちらでは大騒ぎしているのか?
  「ミサイルのようだ」と言って、日本を煽っているだけのようだけれど・・・このへんのやり口は「拉致問題」と一緒だね。日本を朝鮮共和国と直接交渉させたくないから、日本を外すためにタガを嵌めている。今回は、日本の軍事化を促進するために・・・「ほら、おれと組まないと、危ないぜ」と高みの見物ですかねぇ。何かが落ちてきたら?うちの上空もヘリやら飛行機やら低空でバンバン飛んでます。そんな心配、いちいちしてられないよ。

人工衛星なんていっぱい飛んでいるんでしょうに。朝鮮共和国の基地を詳細に写しているのもそう。そいつが故障して落っこちてくる心配はないのだろうか?核も宇宙も、科学力と金のある国の特権?冗談じゃぁない。地球で地に足をくっつけて暮らしている者たちの安全をなんと考えているのかねぇ。それでいて、朝鮮共和国のものだけは「違反だぁ」。おかしいよね。






No.24

 『オバマ危険な正体』

 りっちゃん
09/3/27

著者はウェブスター・G・タープレイ。『9・11 人工テロ』という本も書いている。副題は、恐慌からファシズムの奈落へ。うーん、やっぱりかぁ。残念だけれど、オバマ人気はつくられたもののようです。どうしてアメリカの人は簡単に騙されてしまうのでしょう。“Yes,We can"はステキだよね。「何が」というのがこれからの問題だとは思っていたけれど・・・「アメリカは一つ」あたりから、やばいなぁとは思っていたんだ。黒人を大統領に選んだだけでもアメリカは変わってきたと思っていたけれど、それもこの本を読むと、やばい!

著者はフランクリン・D・ルーズベルトのニューディール政策を高く評価している。そして、その後の大統領の多くは、寡頭金融資本に取り込まれているとしている。オバマは大学の時にどうもブレジンスキーという人の教えにはまったようで、オバマの演説のネタ本は、その人の『セカンド・チャンス』だそうだ。ブレジンスキーとは、「ロシア嫌いのいかれた報復主義論者」で、ロシアを潰すために、アフガニスタンにロシアを侵攻させ、グルジアの紛争やアフリカでの紛争、チベットの暴動など、世界各地で揉め事を起こすのだそうだ。そして、駒として利用した人がお邪魔虫になれば、消しちゃう。すごいワルだねぇ。ダライ・ラマは「民衆に寄生するおぞましい封建主義者」だって。そう言われれば、確かにそうだね。今の中国のチベット政策もおかしいかもしれないけれど、ダライ・ラマにチベットの政治を任せても、昔の封建主義に戻るだけだものね。個人的には、ダライ・ラマって面白そうな人だと思うけれど・・・チベットのことは人権問題でもあるけれど、中国の内政の問題でもある。オリンビックの時期だったのも、いま考えるとできすぎだったかも。

狙いは、中国をロシアの石油資源に目を向けさせ、ロシアと中国との戦争を誘発させること。著者が心配しているのは、ロシアが核を持っているから、“弱虫”ブッシュがやったことよりももっと危険だって。私、核兵器をいちばん持っているのはアメリカだと思っていたけれど、著者によるとロシアが一番多く持っているそうだよ。冷戦があったから、いずれにせよ、両者がダントツであることは確かだね。安全保障理事国が、核保有国でもあるなんて、おかしいよ。率先して核廃絶して欲しいねぇ。
  多文化主義っていい言葉だけれど、ブレンジンスキーは、たとえばイラクで、宗教の派閥で三つに分けるとか、資源を持つ国をどんどん小さくして、寡頭金融資本の意に背く力のない国にしたいのだろうと・・・
リバーベンドさんがおかしいと常々言っていたよね。みんな宗教は違っていても仲のよいお隣さんだったって。なんか符丁があうんだよね。多文化主義はいいけれど、それと行政単位は別ということを肝に銘じておかないと・・・

もう一つ気になるのが、環境問題。『恐怖の存在』を参照してね。あは。「急進的環境保護主義のペテン師アル・ゴア」だって。辛口だねぇ。
  「オバマ陣営は国民に、生活水準を大幅に落とし、アメリカ社会のさらなる貧困化を積極的に受け入れるよう求めている。炭素税が導入され、温室効果ガスの排出量取引を定めたキャップ・アンド・トレード制度は税金によってまかなわれるようになる。温暖化の圧倒的な原因は、太陽活動の変化によるものであるにもかかわらず、すべての政策が「地球温暖化の危機から世界を救う」という大義名分で容赦なく行われるのだ。そしてオバマ熱に浮かされた若者の集団には、「グリーンコープス」といった強制的な国家への奉仕とこれに関連する強制労働といった明確な枠組みが与えられる。超インフレによって平均的な労働者の給与が目滅りするなかさらなる各種の税金も引き上げられるだろう。第三世界の経済問題の解決を名目に、さらなる犠牲が強いられるだろう。こうしてアメリカ国民から搾取された資金は、当然デイヴイッド・ロックフェラー、JPモルガン・チエース、その他ウォール街の銀行業者の金庫に納まる。」
  ハァ、喫煙者に対してもどんどん容赦なくなっていくねぇ。税金いっぱい払っているんだけどなぁ。たばこでは・・・税金、有効に使ってほしいなぁ。

オバマの政策は、報道によると、大企業への融資ばかり。(日本でもそうだけれど、先ずは底辺層から助けるべきでは・・・セイフティネットをきちんと整備しようよ)。この本ではまだ就任していないけれど、

「・・・2007年7月にシカゴで行われた討論会では、「テロリストの拠点を攻撃する目的であれば、パキスタン政府の意向を確認せずに同国を爆撃するつもりだ」と宣言言している。これは非常に挑発的で危険な発言であり、ヒラリー・クリントンは無責任な発言だと激しく批判した。ジョン・マケインは「いかにも経験不足であることを露呈している」と指摘した。究極の軍事的冒険主義者と長年目されてきたブッシュでさえ、「ムシャラフ大統領の協力をあおぐことなくパキスタンを攻撃することは絶対にない」と強調している。この発言によって、オバマが民主党候補者のなかでもっとも好戦的な人物だと露見してしまった。
  このほかに、オバマは経済政策に問題が多い。討論会でオバマは、ヒラリーが呼びかけたサブプライムローン住宅の差し押さえ凍結案を拒否し、その代わりに、家を追い出された哀れな住民の心のケアのためにカウンセラーを派遣すると提案したのだ。オバマはまた、二〇〇八年二月に議会を通過した景気刺激策に、低所得世帯向けの暖房補助プログラム(LIHEAP)用の追加資金を盛り込む案に反対している。
  要するにオバマは、一般庶民にとって死活問題となる経済施策について、明らかに右寄りなのだ。オバマがいくら救世主的でユートピア的なメッセージを並べたところで、困窮の度を増すアメリカの一般家庭を実際に救える政策に裏打ちされていないのは明らかだ。」

もし、オバマがアメリカ国民の期待に応えられない事態となったら、今の夢見るアメリカ国民は怒るだろう。その怒りのエネルギーこそ、本物のファシズムとなり、戦争へのエネルギーともなると、著者は指摘している。せっかくの初の黒人大統領も、「ほら、やっぱり」とあとで否定されることも考えられる。ウーン、それは悔しいなぁ。もしかしたら・・・

「二〇〇七年一〇月にパキスタンに帰国したベナジル・ブット首相は、CIAがパキスタンで画策する大衆クーデターの主役に自分はなれる、そう信じて祖国に戻った。押し寄せる観衆のなかを無防備な状態で進みながらも、米英の諜報機関が身辺を守ってくれると信じつづけた。しかし人気に翳りが見えはじめると、陰の支配者たちは彼女を「殉教者」に仕立てあげたほうが、ポストモダン・ファシズムの指導者にするよりも利用価値があると考え、死に追いやった。オバマ旋風が行き詰まる事態に発展すれば、彼もまた同じ運命をたどるはずだ。」

選挙戦では、ヒラリー・クリントン陣営に足を引っ張るマーク・ペンがいたり、マスコミの宣伝や、出口調査での数字のごまかし、等「ポストモダン・ファシズム」を引き起こしたと著者が指摘している。特にヒラリーの「国民皆保険」が怖かったのかもしれないね。金融資本家たちには。「オバマ中毒の心理的分析」の項で、臨床心理学者マイケル・ベイダー「オバマに対する熱狂を理解する」オルターネットというのを例に挙げているが、まさにオウムだねぇ。自分で自分を騙しているって感じ。政策には疑問を感じているのに、自分に夢とか元気を与えてくれるから、みんなと同じに積極的に応援することにしちゃうんだ。変な理論をこねくり回した末に。私も騙されないように気をつけなくちゃぁ。柔軟さと自分の感性を大事にしよう。。

これからのアメリカとオバマの動向に注意していかなくては・・・おお、でも収穫が一つ。人種差別的言動が多い、彼に多大な影響を与えたといわれている、ジェレマイア・ライト牧師の発言に私も同感できるものがあった。

『自分があたかも神であるかのように、かつ至上の存在であるかのようにふるまっているアメリカ』
  『・・・我々は広島を爆撃した。我々は長崎を爆撃した。そして我々は核爆弾を落とし、このたびニューヨークとペンタゴンで殺された数千人よりもはるかに沢山の人々を殺害した。我々はこのことから目を背け続けている』

オバマさん、この言葉、胸に刻んでおいてね。寡頭金融資本と三極委員会の方々も。アメリカも『尊厳』だけでなく『恥』も知らなくては・・・ちなみに、WBCの日本優勝では誇りに思ってくださいな。あなた方が教えてくれたから、韓国もベネゼエラも日本もこんなに強くなったのだから・・・






No.23

 長屋問答

 金太
09/3/24

●西松マネーの巻

八公 ヤミヤのにかいさんってなんですか?
  大家  誰がそんなこと言っていた。
  八公  熊です。
  大家  それはな、西松建設が公共事業の仕事欲しさに献金攻勢をかけたからだ。やみやとは838万円のパーティ券を西松建設の偽装政治団体に買ってもらった二階経産相。これを早く言えば「838(やみや)の二階さん」だ。
  八公  西松建設はどの位公共事業で受託したのですか。
  大家  完成工事高は2007年度で九百三十七億円。
  八公  約一千億円か!一万円札で一千メートル!
  熊公  八、お前「水戸黄門」見てないのか。悪代官や悪勘定奉行たちが大店からワイロを貰って悪行三昧!「西松屋!お前もワルだのう!」ハッハッハ!
  八公  それってワイロじゃんか!
  大家  公共事業は全部国民の税金だ。二階俊博だけでないぞ、自民党は森喜朗元首相始め九名、民主党の小沢一郎と山岡賢次、改革クラブの渡辺秀央、またゾロ出てくるかも知れない。突出しているのは小沢一郎だ。なにしろ東北の公共事業に大きな影響を持つ小沢にワイロの矢が打たれた。西松は小沢専用のワイロ窓口まで持っていた。それが「未来産業研究会」。
  熊公  大家さんの本籍地は港区虎ノ門一の一の一だったよね。西松を知っていた?
  大家  昔は芝区西久保桜川町一番地一号だった。西松組といって軍隊の仕事をしていた。桜川町二十番地だから虎ノ門一の二十なのだろう。戦後、西松組の建物は米軍のCICに接収されて怪しげな人物が出入りしていた。
  熊公  新政治問題研究会と西松建設の住所が同じだと政府が答弁していたがどうなっているの?
  大家  「隠すよりは現れる」の見本だ。西松建設と一体の証拠だ。麻生首相は居直って偽装政治団体が間違った住所を伝えてきたためだと言っている。
  八公  俺の住所は間違ったことはないぜ。
  熊公  あたりめえだ。長屋の101って言えば八の家よ!
  大家  喧嘩している場合でないぞ。ダミーの二つの政治団体は有り金をほとんど小沢一郎に献金し、二つの偽装政治団体は解散時には八百八十九円だった。二階や森たちは返すと言っていたが返す先がない。
  熊公  じゃ俺にくれないかなぁ。
  八公  俺にも分けてくれよ。ダミーって何?
  大家  すべての元は税金だよ。泥棒の上前をはねちゃぁ駄目だ。ダミーは隠れ蓑とか偽装と訳すが、dummyはアメリカのスラングでは「まぬけ」とか「馬鹿」とも言う。それよりも何よりもまず「企業・団体からの献金はすべて禁止すること」と「政党助成金を直ちに止めること」が必要だ。
  八公  小沢さんも「企業団体からの献金は禁止」と言っているよ。
  大家  自民党の政治家たちは、「盗人猛々しい」「あの人に言われたくない」と言っていたとか。先ずその前に国民の前にこの事件の経過と結果についてしっかり説明をすること。民主党も自民党も党内でしっかり討議し浄化の方針をたてること。
  熊公  そりゃぁ無理だ。自民・民主はワイロ政治に首まで浸(つ)かっているからな。小沢一郎は田中角栄の子分でしょ。角栄が「越山会」なら一郎は「陸山会」とは、しっかり受け継いでいるね。
  大家  角栄は刑務所の塀の上を歩いていると言われ、遂に塀の中に落ちた。小沢一郎も同じ道を辿るだろう。





No.22

 「呪縛」からの解放

 ゆきや
09/3/17

・・・御牧ひかり注文に際して思うこと・・・

昭和一桁生まれにとって、「米は命!」です。
  この度の「大恐慌」も、ものつくり、米つくりを軽視してきた「祟り」だと、私は思っています。   コーヒー一杯が、米二日分に相当するという、この驚愕・・・・
  ソマリアの海へ、高額な税金を使って、あっという間に軍艦を派遣するこの国は、一方で農政が「ノー政」で、半世紀を過ごしてきました。
  自給率50パーセントを取り戻すには100年かかるかも知れません。
  「政権交代を見てから死にたい」と思っている連中は、選挙が待ち遠しいわけです。
  検察も、裁判所も、ビラを配った坊さんを有罪にするこの国です。
  麻生が危なければ、小沢を潰すのが手っ取り早い・・・と、そんな不純な検察が行動を起こしても不思議ではないこの国ではないでしょうか?
  自民・公明に対する「献金」を追及しない検察は、もう、組織と人間の屑です。
  この国は乱れ、国民はつんぼ桟敷におかれ、政治屋は次の当選を命とする。
  国が国民を見捨てているのに、国民には国を守れ、と強制する。
  日本の国民は、「お上は常に正しい」という「呪縛」から自らを解き放つべきです。






No.21

 中国残留邦人問題講演会

 りっちゃん
09/3/13

10日に開かれた「中国残留邦人人問題とは何か?」を聞いてきた。講演者は、中国帰国者の会会長である鈴木則子さん。学校の雑用係をしていた少年から「お前達が僕達の土地を奪ったんだ」と聞かされていながら、「日本はそんな悪いことをするはずがない」「日本の軍隊は必ず私達を助けてくれる」と信じながら、さまよった逃避行について詳しく語ってくださいました。その中に何度も出てきた「衣類を剥ぎ取り、暴行を加えた“暴民”」と「足の傷に薬を付け、食糧や衣類を分けてくれた“お百姓さん”」のどちらになるのか?を私達に問われているように思いました。

残留邦人とは、当時13歳以上の者を指し、「自己の意思で残留したもの」と厚生省が言っていたそうな。鈴木さんの「国に何度も捨てられました」という言葉が痛々しい。満州への開拓団に参加。慣れない畑仕事に、苦労されたとか。移民=棄民の典型です。そして、敗戦時、徴兵で男達がいなくなり、女・子ども・年寄りだけとなった開拓団を置いて、関東軍が先に逃げちゃった。ホントに腹立つよね。今、「おんな子どもを守るために軍隊が必要なんだ」って偉そうにいう人たちに。「ウソコケ、おんな子どもを捨てちゃうのが軍隊だろう!!」と言いたい。国交回復後も、民間ボランティアに遅れてやっと「中国残留孤児の公開調査」を1975年に始める。「残留」という言葉が曲者だね。そして、帰国してからも、ちゃんとした施策を行なわなかったため、“自立した”とはとても言えない生活をおくっています。子どもたちのほとんどが、中国の国籍であるため、差別を受けることも多く、また、貧困の世代間連鎖もあるから、まだまだ捨てられ続けていると言っても過言ではない。

もうひとりの講演者、石井弁護士のレジュメより、「なぜ帰国が遅れたか?」
  問題の本質・・・国は、個人の問題として処理。
  →帰国旅費申請は日本の親族がする、そのため日本の親族の協力なしには帰国不可能
  →身元の判明しない孤児は帰国不可能であった。
  →「元日本人」という「外国人」扱い・・・入国に関しての身元保証制度等
  ※法務省は「自己の意思で中国国籍を取得」として外国人扱い。それに対し、裁判所は個別事件ではあるが(1000件以上のほぼ)、就籍ないし国籍確認訴訟で「日本国籍」認定。
  1985年 身元未判明の孤児のため「身元引受人制度」
  →逆に身元判明者(孤児も婦人も)は、親族の同意等を求められ、それが得られない場合帰国できない事態に。
  その後「特別身元引受人」制度を1989年に孤児、1991年に婦人適用。しかし、順番待ち、遅々として進まず、1993年9月の残留婦人「強行帰国」。
  個人の問題ではない→帰国を国の責務と明記した「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」が議員立法で制定。
  その後も、有機的連携的な総合的施策なし。しかも、支援法は原則、中国残留邦人本人のみ。そのため、生活保護率(2003年実施の調査)が58%(日本全体では1.01%)。働いている孤児世帯の平均収入17万8千円。

やれやれ、なんと冷たいことよ。戦争責任を明確にしたくないから、シカトしたというのもあるね。石井さんが言っていたよ。戦争とは、2代、3代と続いていくって。はぁ〜。本人だけでなくその家族も、みんな幸せになれるように、学習支援、アイデンティティ保章、生活支援をし、同時に多数派側への教育をやって欲しいって。地域社会の中で、共に「生きることが楽しい」と言える関係をつくりたいね。

東村山の「反貧困」講演会と違って、参加者はパラパラ。若い人と、スーツっぽい姿が多かった。なんと主催は、小平市生活福祉課庶務係。質問タイムに、「日本は3流だぁ。何もやっていないではないか!!僕にできることがあればやります」という、熱血漢の発言があった。私は同感の拍手をしたけれど、みんな反応が鈍かったなぁ。まぁねぇ、市の職員は拍手しづらいわねぇ。主催しただけでも偉い!!と言うべきかな。

2001年に3人の中国帰国者が国家賠償訴訟提起。2006年神戸地裁で勝利。2008年11月に新支援法成立。その核となる条文が第14条5項の
  支援給付の実施に当たっては、特定中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ、特定中国残留邦人等及びその配偶者が日常生活又は社会生活を円滑に営むことができるようにするために必要な配慮をして、懇切丁寧に行うものとする。

中国帰国者の会会報「みんてん」によると

最高裁第一小法廷は、2009年2月12日、鈴木則子会長らがおこしていた「中国残留邦人国家賠償請求訴訟」の上告審で、上告棄却と上告は受理しないという結論を出しました。しかし、裁判長である宮川光治裁判官は上告を受理すべきという反対意見(少数意見)を述べています。
  宮川裁判官は、「自立して生活できない状態で帰国を余儀なくされたのは国策で移民させられた結果。自立支援義務は法的義務と解する余地がある。長年、国民年金が全額支給されなかったことなどに関し国家賠償法上の違法の有無について議論の余地がある」等と、長文に渡って書いています。
  鈴木さんのそれを受けての談話の中では
  日本にやっと帰ってこられたものの、総合的な施策がないために帰国者はとまどうばかりでした。・・・高齢化が進む中で、帰国者が安心して生活していくために、国に対して人権回復のための訴訟をおこしました。・・・私たちはいくども国に捨てられ、二重三重に苦しめられてきました。私たちに対し、国は責任を持とうとはしませんでした。・・・あまりにも国と裁判書の非人道的な姿に心が痛みます。今回新支援法がスタートしましたが不充分で、まだまだ問題はたくさんあります。しかし、宮川裁判官の反対意見には心打たれました。これは私たちの今の運動に対して大きな力になるでしょう。そして何よりも私の支えになります。

行政も司法も、人間を見ていないよねぇ。困ったものだ。先に法があるのではなく、人間の暮らしを良くするために法があるというのがわかっていないんだよ。でも、帰国者の人たちの動き(強行帰国とか裁判で)で少しずつは変わってはきたんだね。私たちが動けば、可能性はあるってことだね。

職員さんたちが、彼女らの生活に即して、実質的な援助を行ってくれるといいなぁ。でね、石井さんが言うには、帰国者達には中国語や中国料理、得意な能力があるのだから、それを活かしてもらいたい。多文化共生教育は、今後の日本にとって、明るい指針となるだろうって。フィリピン人の家族を不法滞在だからといって、引き離すなんて冷たいことはよそうよ。中学一年のお嬢さんは日本語しか話せないし、日本で勉強を続けたいと言っているのだから、家族揃って日本で暮らせるようにして欲しいな。子どもの権利条約にも「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」って書いてあるよ。この問題でも、2世3世、子どもたちのことが心配だなぁ。子どもたちがみんな生き生きと暮らせますように!!






No.20

 湯浅誠講演会

 りっちゃん
09/3/8

3月6日、東村山の講演会に行ってきました。去年の暮の講演会の時よりも痩せられたようで、超お忙しいのだろうと・・・健康に留意されますように。いい事している分、自分だけの身体ではないのだから・・・

あの時は、もやいの湯浅さん、『反貧困』の湯浅さんだったけれど、今は派遣村村長の湯浅さんだね。テレビ報道で有名になったからか、あの時はぱらぱらの入りだったけれど、今回は満員。いや、東村山の市民が頑張って行動しているからというのも大きいのだ。たまごの会は、毎週木曜日17時過ぎから東村山市立中央公民館2階料理教室でおにぎりをつくり、19時から市内で声かけ・パトロールをしているんだって。偉いねぇ。残念ながら、木曜日は他の予定が入っていて、私は参加できないや。

湯浅さん、小川に住んでいたんだって。しかもへビースモーカーだと喫煙室で一緒になった人から聞いた。なんか、ますます身近な存在に思えちゃった。

今回強調されていたのは、派遣切りで明らかになった「すべり台社会」=社会保障の質の悪化が、労働市場の質の悪化を招く。その循環を反対方向に変えないと、みんなが余裕を失くし、どんどん生きづらくなっていくということ。医療でいえば、毎年、医療報酬が削られてきている。そのしわ寄せで医者は過労、そしてもっと弱い立場の患者がたらいまわしされて救急車に乗っていながら間に合わなかった、なんてことになる。子どもで言えば、正規労働者の割合がどんどん減っていくから、親は今以上に「勉強しなさい!!」なんて台詞を言わざるを得なくなる。十数年頑張り続けた子どもは、大人になる頃には欝になっちゃうかも。正規社員もその可能性が高いやね。公務員も昔より待遇がよくなったわけでもないのに、他が地盤沈下しているから、すごく得をしているように見られちゃって、バッシングされちゃう。(国民のため、とか、市民のためとかを忘れている人もいるけどね、まぁ、そのためにも、労働条件は、一般よりも少々いい位でいいと思うよ。誰のために働くのかを忘れなければ・・・)。

「子どもの貧困」が問題になっています。再分配前と後では、日本で子どもがいると、後の方が貧困率が上がるんですって。大阪では、公立校の授業料免除の所得基準がここでがたんと下がったんですって。公的教育費は、OECD諸国のうち28番目のドベだそうな。そりゃ親の負担がきついわねぇ。学費が払えず高校中退が増えているって。その子の職はどうなる?「貧困」の世代間連鎖だわ。フランスは出生率が高いのよね。公的教育費が充実しているからだなぁ。きっと。

15万8千人の派遣切りされた人の9割は実家へ。これが解決ではないんだなぁ。親子関係が煮詰まっちゃって事件になることもある。公的セイフティネットの不在そのものをナントカしなくては・・・なんだけど、とりあえず実家を@の選択とすると、Aは自殺。毎年3万人出ているけれど今年は増えそうだって。東尋坊では2ヶ月間で例年の年間と同じ数の人を保護したそうだよ。Bは犯罪。Cが野宿。Dが「NO」と言えない労働者となり、労働市場の悪化を招く。

その循環を逆方向にするためには、支出の山型の主たる理由の“教育費とか住宅への公的援助”、安定した労働のために“派遣切り防止・派遣法改正”、つなぎ融資の“要件緩和”、雇用保険の“有期雇用との整合性”、生活保護をもっと“利用しやすく自立しやすい”ものとするなどの諸施策が必要だと。すべり台でどん底まで落ちた人に対しては、派遣村でやったように、シェルター+総合相談、緊急小口貸付、生活保護、アパートでの生活、ハローワークに通える、という階段を付けてのぼりやすくすることが必要とのこと。

年末年始は、お役所がお休みになるから、仕方のない面もあったが、これから4月の派遣切りについては、その言い訳はできないぞっ。3月中にやってください。
  ・シェルター(緊急避難所)と総合相談窓口開設
  ・非正規労働者生活・就労支援基金(仮称)設置
  ・中途解約に対する派遣先責任(損害賠償)
  ・寮からの退去規制(借地借家法の適用)

ホームレスは、90年代バブル崩壊からいたのだよ。都庁ができる時に新宿西口から排除したのはしっかり記憶している。1999年の登録型、2002年の製造業とどんどん派遣が増えた。契約期間が短くても契約更新があったから、なんとかなってきたのだけれど、今回の不況で、派遣がいかに危ないものであったかが目に見えたということ。ゼロゼロ物件(礼金や敷金がない代わりに部屋の賃貸ではなく鍵利用契約なんだって、おかしいねぇ)やら、日雇い派遣会社、消費者金融の貧困ビジネスは、金融・労働・居住の政策的貧困が原因。どんな不当な条件でも、呑まなければ自らの生存を確保できないような「NO」と言えない労働者、「NO」と言えない消費者を作り出しているって。「貧困ビジネス」は、規制緩和を進める政府と明確な共犯関係にある。(「貧困ビジネスとはないか」より)だよね。

今、見えてきただけで、問題はもっと以前からあったのだよ。みんなに見えてきたということ、「生きづらさ」は、派遣社員だけでなく、みんなが抱えている問題だということに気付いたならば、「change」の可能性が出てくるのだけれど・・・。派遣村の報道を見て「ああ、お気の毒」では、ことは解決しないんだ。無策の政治をほっておいたら、もっとあなた自身が生きづらくなっていくってことなんだよ。定額給付金で「おいしいものでも食べようかしら?きれいな服でも買おうかしら?」って言う人に駄目とはいえないけれど、本来そのお金で、解決すべきことが一杯あったのになぁ。私は、めったとできない寄付をしようかと。就労支援基金と、もやいと、ペシャワールと、ハンクネットと、タリの会と・・・お金たんないや。

みんなの問題だから、たまごの会のように、実践するのもすばらしいことだけれど、みんなの身近にある職場でのいじめとかをどう解決するかも、この悪循環を断ち切り、逆方向に変えていくことにもなると、湯浅さんも言っていたよ。難しいけれどね。少しずつ。

今回、初めて、甥が誘いに応じてこの講演会に参加したというのがうれしかった。翌日も仕事だというのに9時半までご苦労様でした。「雇用保険までたどりつけない人がいるんだなぁ」と。彼は雇用保険には詳しいのだ。さらに、翌日、ちっちゃな推理小説の図書室に初めてのお客様が来てくれたのだ。「宇宙塵」を読みたい・調べたいなんて、精神的余裕があるってことだね。推理小説・SFに限らず、色んなことに興味を持つ人が増えて欲しいな。さらに、我が家の猫にまでお土産を持ってきてくれるなんて、細やかな心遣いに大感謝。「change」の最終目標は、みんなが心豊かに優しい人になることなのだぁ。






No.19

 対話

 りっちゃん
09/3/2

先月26日、国分寺3・2・8号線訴訟裁判の傍聴に行ってきました。多分。というのは集合に遅れちゃって、手帳に書いてあった法廷に一応行って見たのだけれど、次の予定を決めただけですぐ終わっちゃって、市議会の傍聴にも行きたかったので大急ぎで帰っちゃったもので・・・でね。準備書面とやらを前日に目を通したのだけれど、「失当」という言葉の連続にウンザリ。環境アセスについてなのだけれど、住民の声は門前払いという印象を受けた。都も、国も。ナニタラカンタラの基準に適合したことをこっちはちゃんと調べたのだから、住民側がいうのは、「失当」だと。でも、法律もだけれど、基準も、そもそも住民にとって住みやすいものなのか、どうかを判定するものではないですか。なんだか住民の暮らしの前に基準があって、それを壁にして、住民の意見は聞かないぞっ!!って主張しているみたい。順番が違うように思うのよね。

小平の、都道338号線について、私は「人と車とどっちが大事?」「緑と道路とどっちが大事?」という質問をよくしている。本当は、二者選択の質問形式にするのはずるいのだけれど、答え方で、その人が根本的なことをちゃんと理解しているかどうかがわかっちゃうのよ。車も道路も、本来は人のために便利なものだから、並べて比較するものではないのだけれど、ともすると、「人のため」を忘れて、「もう計画しちゃったんだから」とか、「権力を握っている人の金儲けのためなんだよ」とかの本音が透けて見えたりしちゃうんだ。←ちなみに、『越後獅子』の歌詞にも「見え透く国のならいにゃ」というのがある。ま、こういうことを指すのでは・・・

車や道路も人の交通に便利なものではあるけれど、周辺の住民にあまりにも生きづらい生活を強いては、本末転倒ではないかしら? アセスだってそのためにできたはずなんだけれど・・・「調査したその結果を住民に公表し、意見を聴き、より適正な環境への配慮を確保するための手続(制度)のこと」とも書いてあったよ。だのに、住民の声はすべて「失当」なんだよねぇ。おかしいねぇ。緑の林だって、植林してから、その木が育ち、虫が住むようになるまで時間がかかる。林で遊んでいる子どもたちの遊び場はいわゆる公園では代替は効かない。道路だけを作るのは簡単だけれど、林をつくる時間とか経費を考えたら、とても高いものになってしまう。そういうことを考えたら、既存の道路の拡張でなんとかならないかなぁ、とか、思うのだけれど・・・

小平市議会の一般質問の傍聴で、338道路について、「抜け道を通る車が減るというけれどその具体的な数字が書いてある資料はあるの?」との質問に、数値は出なかったけれど、職員は一応資料はこれと答えてはいた。でも、他の事ではなんというか、対話になっていないんだよねぇ。「小平でも派遣切りがある。会社に問い合わせてみればわかる。そういうことをやっていますか。派源切りの対策は?」という質問に、ハローワークがあるだの、なんだの。結局今までの対応のままのお答え。派遣切り対策は今までと同じでは無力なのは、マスコミの報道でもわかるだろうに。「もっと、派遣社員の身になっての対応をやってよ」と思うんですけれどねぇ。

デートDVや「二人の関係リフォーム計画」でも、キィワードは「対話」です。「対話」がないと二人の関係は育ちません。公と私、政治と庶民の間も同じなんだなぁと実感した日でした。若者の政治離れとか言うけれど、対話のできない人を相手にはできないのは当然なのかもしれませんねぇ。別な言い方をすれば、公が私をシカトしている、とも言えるかな。

28日には、都の慰霊堂(被服廠跡)での東京大空襲64周年朝鮮人犠牲者追悼会に参加してきました。朝鮮語の追悼の言葉のうち「アポジ」しかわかりませんでしたが、その言葉に込められた思いは、直に伝わってきました。

慰霊堂の中の写真には、黒焦げの死体も写っていました。2度目ですが、本当に痛ましいことです。日本人も朝鮮人も、ともに、アメリカの焼夷弾に焼かれたのです。せめて骨だけでも返してあげたいと思うのですが・・・いつまでもほったらかしはないでしょうに・・・「アポジはオモニが知る由もないまま靖国神社に合祀されていました」これもおかしいねぇ。

さらにビックリなのは、追悼式後によった東京都復興記念館。大震災で焼けた遺品や当時の様子を描いた絵画が展示されていたのですが、その中に自警団のもあった。その説明が「住民の安全を守った」で、朝鮮人を殺したとは一言も書いていない。時間がなくてざっと廻っただけだけれど、朝鮮人大虐殺についての展示はまったく見かけなかった。これって「シカト」? 若い人たちが、実際にあったことを、「本当はなかったんだ」なんて、思い込んじゃうのは、こういうことがあるからなんだ、と思った。ひどいねぇ。恥ずかしいねぇ。恥ずかしいことをしたのなら、二度としないようにすればいいんだ。それをなかったことにするという事は、また起きる可能性が高いということでもある。そして、それが一番恥ずかしいことだと私は思うよ。






No.18

 デートDV講座

 りっちゃん
09/3/2

チラシ無理な恋愛していませんか。デートDV(恋人間の暴力)は若者の間で広がっています。
  あなたの身近な人も暴力にあっているかもしれません。
  デートDVの正しい理解と対応についてみんなで考えましょう。

日時  3月14日(土) 午前10時〜正午

  場所  福生市公民館本館 第4・5集会室

  講師  自分力を育てあう サークルいろどり

  申込  3月3日(火)から公民館本館042-552-1711

・・・ひょっとしたら、私の失恋も、DVだったんじゃぁないかしら?という気がしてきて、なんかがっかりしているんだ。デートもなかった純愛だと思いたかったのだけれど・・・。25歳の時のあの人はステキだったんだけれどなぁ。おっと、愚痴を言っても始まらない。チラシがしわくちゃになってしまってごめんなさい。夫婦の間でもDVが隠れているかも知れない。みなさん、講座を受けると勉強になりますよ。いろどり、応援しています。






No.17

 きもの展

 りっちゃん
09/2/28

葉書鈴木啓子 ローケツきもの展のお知らせです。


「京都でローケツ染めの着物、帯、小物を染めております。
  更紗、正倉院模様のきものの魅力をぜひお楽しみ下さい。」


  2009年3月9日(月)〜3月14日(土)
  11:00AM〜7:00PM(最終日は5:00PMまで)

銀座煉瓦画廊  東京都中央区銀座4-13-18 医療ビル2階



手の込んだ染めです。いつも見るだけだけど、目の保養になります。ショールとかもステキです。ぜひお出かけ下さい。








No.16

 『反戦軍事学』

 りっちゃん
09/2/27

著者は、林 信吾さん。内容も人物もなかなか面白い。自民党案の憲法改悪が実現したらこうなるという、シミュレーション小説を挟みながら、エセ軍事評論家や石破さん、小林よしのりさんにキツーイ言葉を放っている。つい笑ってしまう。でも、ご本人はとても真剣。
  「若い人たちに訴えたい。・・・無駄な時間を過ごさないで欲しい。
  無内容に戦闘的ナショナリズムを煽り、反中・嫌韓のムードを煽り、やれ自衛軍だ、核武装だということを書き連ねた、漫画や駄本を相手にしないで欲しい。
  同時に、軍事や戦争という問題から目をそらせないでもらいたい。軍事問題は決してオタクの世界ではなく、実用的な知識なのだ。
  軍事問題が理解できれば、国際社会も理解できる。知識を蓄え、情緒的にではなく、論理的に、戦争に反対しようではないか」。

子どもの頃から、銃器などに詳しかったようだよ。そういう人が言うと、やっぱりかぁと納得してしまう。自衛隊の装備って、役立たずだって。八九式小銃って故障しやすいんだって。一丁が34万7000円もするけど、小銃の国際相場は5万円。機関銃は「自己崩壊」する代物だそうだ。「しかも、おそらくは世界最悪の機関銃であろう六二式は、一丁200万円。世界最高と呼ばれるFN社の物は、およそ80万円である」。

「自衛隊は間違いなく「戦力なき軍隊」だと皮肉のひとつも言いたくなる」
  「問題の元凶は、国産にこだわっていることだが、これにはいくつかの理由がある。
  まず公式な説明は、自衛隊は専守防衛であるから、国情に合った兵器を持つ必要があると言うことだ。これに付随して、欧米で開発された兵器は、日本人の体格には不適応だ、といったことも言われる。
  さらには、自国に兵器生産設備がないと、いざ侵略を受けた時に対応できない、ということも昔から言われている。
  もっともらしく聞こえるが、実は詭弁に過ぎない。
  ・・・実のところは、シミュレーションで描いた通りで、軍備が一種の公共事業であるからに他ならない。
  兵器を生産できるメーカーなど限られているから(本当は、物によっては町工場でも造れるのだが)、独占事業となり、しかも発注する側にコスト意識がない。よく言われるハコモノ行政による税金無駄遣いの構図と、まったく同じなのだ。
  そして、これまたシミュレーションで触れたとおり、こうした軍需産業には、昔も今も防衛庁のキャリア官僚が多数天下りしているのである。二言目には「お国のため」などと言いつつ、利権の甘い汁を吸い続ける、こんな連中は、タカ派ではなくハゲタカ派と呼ぶのがふさわしいだろう。
  かくして、コスト意識もなければ、現場の隊員にとっては命にもかかわる、実戦での使い勝手さえも無視した兵器に、膨大な税金が注ぎ込まれ続けているのだ。
  戦争抑止力、という考え方がある。
  戦争を仕掛けてきそうな相手国を上回る軍備を持てば、戦争は防げる、というものだ。
  こういう論理で、自衛隊は膨張を続けてきたのであるが、その実態が「国情にあった防衛力」とは程遠いものであることは、ここまででお分かりだろう。
  多くの国民がもっと軍事に関心を持ち、国防政策に厳しい目を向け続けることが、先ずは戦争を防ぐ第一歩なのである。

多分これらの装備もアメリカの軍需産業に高い特許料かなんかを払っているんだと記憶している。大きな装備ももちろんアメリカのお古(軍需産業の在庫処分品)を買わされているんだ。だから、どんなにお金をかけても世界第二位の軍事力。この第二位というのがアメリカにとってとっても都合がいいのだと思う。「俺の力強い手下」。ちなみに、オバマ政権は日米同盟を強調している。酩酊状態のニュースの陰に隠れてしまったけれど、クリントン米国務長官の日本訪問も日米同盟の強化が目的。略したらいけないね。日米軍事同盟です。怖いですねぇ。これからの日本。また、手下に何をやらせるおつもりなのか・・・嫌なことは嫌、できないことはできないというのが「武」ではないでしょうか? 朝鮮共和国のしぶとさを見習って欲しいのだけれど、小泉からの「ポチ路線」はいまだ健在なのは、麻生さんの顔に書いてあった。なさけないねぇ。ちなみに小沢氏も同様と私は思っている。

「この憲法について、アメリカに押しつけられたものだ、という議論が今もあるのだが、戦後の日本は、この憲法を受け容れ、戦争放棄を国是として再スタート、国際社会への復帰を目指したことは事実である。
  しかし、その国際社会の方が急変してしまった。
  具体的には、一九四九年の中華人民共和国成立、さらに翌五〇年の朝鮮戦争勃発という事態を受けて、当時日本を占領していた(より正確には、占領軍の中核をなしていた)米国は、日本に対して、露骨に再軍備を要求してきたのである。・・・
  お分かりだろうか。
  「今の憲法は、アメリカに押しつけられたものだ」
  と言い得るならば、
  「平和憲法がすでに施行されていたにもかかわらず、アメリカの都合で再軍備を押しつけられたのだ」
  とも言い得るのである。どちらかと言えば後者の方が事実関係としては正しい」。
  「どちらかと言えば」は抜いていいんじゃぁないかなぁ。

『国防』(著者:石破茂)については、「徴兵制について論じている章のタイトルは「貴方も国を守ってください」である。
  「まずは、貴方がイラクへ行ってください」
  と言いたくなるのは、私だけであろうか」。
  いえいえ、私も同感。ついでに小泉も連れてぜひ最前線に行ってください。次の言葉にも頷いちゃうねぇ。
  「世襲のエリートにあらざる国民をここまで見下し、国の数だけ正義がある、などという話しかできないのであれば、政治の舞台からは身を引いて、単なる軍事オタクとして生きて行くことをおすすめする」。

小林よしのりの漫画『いわゆるA級戦犯』については、
  「あのねぇ・・・」で始まって、   「しかし、日本政府が公式見解として、
  「東京裁判は不当であった。わが国はこれを受諾した覚えはない」
  などと主張したら、一体どういう騒ぎになるか。サンフランシスコ講和条約どころかポツダム宣言にまでさかのぼって、戦争終結の手続きからやり直すのか、という話になる。あるいは、「第2次大東亜戦争」で、今度こそ、とことん決着を付けるか。
  いくら漫画でも、少しは考えてからものを言って欲しいものだ」。

慰安婦問題なんかもそうだけれど、公式に認めたものを一個人が否定したって、意味ないと思うけどな。表現の自由は認めるけども・・・私にもあるから、言わせてもらうけれど、どうもそういう人って、かつての日本が行った恥ずかしいことを何が何でも否定したいって印象を受ける。自己アイデンティティが足りないんじゃぁないかなぁ。病的だよ。自分に自信があれば欠点も認められるし、対処の方法も考えられるけれど・・・日本の伝統文化だっていいところは一杯ある。歴史だって、家康の平和志向、質素倹約の勧めなんか好きだなぁ。秀吉みたいな派手さはないけれど、彼も女性を活用したし、朝鮮出兵の後始末、外交もキチンとやったし・・・何でもいいところは真似て、悪いところは正していけばいいんじゃぁないの? 無視や否定だけっていうのはよくないなぁ。私は無視・シカトが一番嫌い。

上坂冬子の『戦争を知らない人のための靖国問題』についての著者の態度には頭が下がる。私なんか反論が面倒とか思っちゃうけれど・・・
  「論旨が偏向しているどころか、何か言いたいのかを理解することさえ難しい。この本から「無知と偏向を排し」たならば、あとには何も残らないだろう。
  「こんなもの買うな、読むな」
  で済ませておけばよいようなものだが、しかしそれでは、私自身が、反対意見を一切認めない連中と似たようなレベルに堕ちてしまうことになる。仕方ないから、少しだけ上坂さんの「議論」を追ってみよう。
  「戦争中は誰もがつらく惨めな生活のみに明け暮れていたかのようにいい、『二度と戦争はイヤだ』とあっさり結論づける人がいるが、戦争はそんな単純なものではなく、人間もそれほど平板なものではない」   「国中が一丸となって突撃していた時代の一種の危険をはらんだ快感が、戦争という二文字の裏側にあるのはたしかで、いわずもがなのこの一節をあえて書き添えたのは、「二度と戦争はイヤだ」とあっさりといってのけることにウソがあるからと思うからである。こういう肝心なところで爪の垢ほどのウソが、あってはならない。
  少なくとも私は爽快感や躍動感も含めて戦中と戦後を生きており、戦争の馬鹿馬鹿しさに気づくのに半世紀かかった」
  東京大空襲で父方の親戚を半分なくされ、母方は朝鮮半島からの引き揚げという著者は、「二度と戦争はいやだ」という言葉に爪の垢ほどのウソもないと反論。
  「戦争の馬鹿馬鹿しさに気づくのに半世紀かかった、とはなんとも間延びした話と言うか、ずいぶんと無駄な人生を過ごされてしまったようで、お気の毒ではあるが、戦史や靖国問題を考える際には、なんの参考にもならない」

私は、この上坂さんの感じ方って、戦争を考える重要なポイントだと思う。間違いなんだけれどね、一体感とか、爽快感・躍動感って。一種の詐欺というか、そういうふうに思わされて、「好戦国家」に協力をした国民がいたからこそ、戦争ができちゃったというか。「二度とイヤだ」という人たちばかりなら、戦争は起きないと思う。でも先の大戦では、一体感や爽快感を感じた人が実際にいたのは確か、母は、徴用で稼いだお金で、ナントカ切符をせっせと買ったと聞いているし、父は「暁の真珠湾」を作曲していたし・・・
  でね、うちの親戚は、身体の弱い父は徴用で済んだし、叔父達も全員死なずに済んだ。兵隊になった人は少なかったようだよ。ちゃんとは知らないけれど、兵隊に行ったのは二人かな。大学を出ているから、そうひどい戦場には行かなかったのかもしれない。「いいうち」はね、死の可能性からも遠ざけられるのさ。だから、上坂さんちも「いいうち」だったんだろうと想像できる。当然、戦後の感想も違ってくる。うちは焼け出されてはいるから、「イヤだ」の口だけれど、著者の親戚ほどの実感はないかもしれない。
  教訓一 戦争になれば、自身の手が汚れる、加害者の側に容易に立ちやすい
  教訓二 戦争の時こそ、差別があらわになり、より弱いものが犠牲となる。
  だから、戦争は怖い。

「第二次世界大戦の戦勝国が競って核武装したのは、   「原爆があったおかげで、より少ない犠牲で戦争に勝てた」   という米国の言い分を鵜呑みにしたからに他ならない。   そして不幸なことに、   「核兵器こそ、もっとも安価な戦争抑止力である」   という幻想が未だに消えないから、核武装を指向する国が次から次へと出てくるのである」。

核の抑止力が嘘っぱちなのはわかっていたけれど、こういうことかぁとこれも納得。安物買いの銭失い。地雷の撤去にどれだけの時間とお金がかかっているやら・・・核の汚染は?? 勝てばいいという問題ではない。戦争の後始末はだれがやるのか??
  「具体的には、インド、パキスタン、北朝鮮、イランといったところだが、これらの国々が、核武装することによって、国際社会で地位が高まったり、より安価で現実的な国防を実現したという例が、ひとつでもあるだろうか」。

そのお金で、福祉の充実や、環境保護の対策をすればねぇ。「国民を守る」と言いながら、国民の幸せのことなんかちっとも考えていないよ。

提言もいいねぇ。
  「GNPの一〇パーセント以上を軍備に費やしているような国に対しては、ODAをはじめとする援助を凍結する」
  「核問題については、もっと直接的に、唯一の被爆国という立場から核廃絶を訴え続ければ、国際世論は必ず聞く耳を持つ」
  「日本が永久に核武装をしないことはもちろんだが、NPT(核拡散防止条約)の全面的改正を訴えていくべきである」
  「「核武装国」が相互に、核技術の拡散防止や、現有核兵器の削減について、定期的に話し合う場を、先ずつくるべきだ」
  「NPTから脱退したり、未加盟である国に対しては、一切の援助を停止し、各国も同調するよう求めるとよい」
  ほらね、やれることはいっぱいあるではないか。世界が平和になることが一番の国防ではないかい?

「私は改憲論者であり、自主防衛論者である」と自認する著者は、
  「現実の日米の力関係を見た上で、集団的自衛権」を認めてしまうことは、自衛隊の若者達が、米軍のポチどころか、下手をすれば「弾よけ」として、米軍が勝手に定義した「テロとの戦い」に駆り出されかねない、と言うことだ。
「侵略戦争は絶対にしない、と明記しつつ、PKOによる国際貢献までを視野に入れて、自衛隊にできることとできないことをはっきりさせるという視点から」憲法を変えたいと言っている。核3原則も明記してね。
  “あいまいなまま、ずるずると”というのは良くない。ここらではっきりと、という気持ちはわかる。でもね、吉田茂が言っていた「従来、近年の戦争は、多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争また然りであります」、イラク戦争も「正義のため」とブッシュは言っていたでしょう? その国の正義は当事者でしかわからないのではないかしら? 「PKOによる国際貢献」も判断は難しいと思う。武力に頼らない国際貢献だけをする国、日本があってもいいと思うよ。「刀狩」は、権力者にとって都合のよいものでもあったけれど、おかげで、武士もやたらと刀を抜けなくなった。特に刀を差していないものに対しては・・・日本の治安がいいのは、銃器を一般人が持てない、持っていないからというのもあるからではないかしら? そのいいところを世界に広げられたらなぁ。
中村医師も、高遠さんも、武器を持たないことが信頼につながると言っていたよ。

ということで相変わらず、私は、第9条を堅持なのだけれど、色んな意見は聞きたいと思う。9条を生かして、世界平和につながるための提言とか、他の国を脅かさない、最低限の防衛のための軍備とはどんなものか、というようなことを。自衛隊は災害援助と、海上保安とかに生かされるといいなぁと思っているけれど、そのための方策とかも。アメリカ軍の空域を減らす・失くす方策も。ヘリコプターが低空で飛ぶからうるさいんだもの。





No.15

 『物語 韓国人』

 りっちゃん
09/2/25

著者は田中明さん。「韓国人って頭がいいのに、どうして国の中がうまくいっていないんでしょうねぇ」という、留学仲間の疑問に答えるためにこの本を書いたようだ。おわりに、で「五里霧中のまま終わろうとしている」「やわでにやけたインテリたちが世を支配するようになってから韓国はうまくいかなくなった――ということがおぼろげながらでも見えてきたような気がする」と書かれている。韓国のことも朝鮮の歴史も、知らない私にはなんとも言えないが、日本も似たようなものだとも思う。「武」の軽視を憂いているけれど、「武」とは、戦争好きという意味とは違うと思うけど、まぁ、勉強にはなった。

島国と違う難しさ、大国と陸地で接しているから、外交は大変だったようだ。「半島の古代三国と大陸との関係は朝貢と戦いとの繰り返しであった」。
  「一瞥して、半島の三国が大陸の国に朝貢を怠っていないことが見てとれよう。中国の南北朝時代には、北朝の東魏(あるいは北斉)と南朝の陳の双方に朝貢使を送るという気の配りようである。隋王朝が名乗りを上げるや、百済と高句麗は時をおかず、それにも朝貢している。
  だが、それでいて彼らは大陸の大国に、ひたすら慴伏していたわけではない。隋が陳を滅ぼして中国統一を果たすと、前記のように、地つづきの高句麗は祝賀使を送る一方で武備を固め、和戦両様の構えを忘れていない。そして後に隋の再三にわたる攻撃を受けても屈せず、それを打ち破っているのである。そうしながらも、形としては謝罪するということで戦争を終結させ、大国との泥沼の戦いに陥ることは避けている。それでいて勝った∽@の皇帝が高句麗に対し、入朝せよと命じても従わないという、まことにしぶとい対応ぶりであった」。

このしぶとさ、北朝鮮とアメリカのやり取りを思わせるなぁ。日本が入れないのも道理。地理的、歴史的に蓄積がないのかもしれないねぇ。

「六四二年、高句麗では泉(淵)蓋蘇文将軍が、王や貴族千余人を殺すというクーデターを起こし、戦時体制を確立すると、唐や新羅に対し強硬路線をとる。そうした情勢を見てとると、かつては新羅とともに高句麗の横暴を唐に訴えた百済も、高句麗と適合して新羅を侵略するようになる。孤立した新羅は王族の金春秋(のちの武烈王)を送って唐に救援を求める、という事態になった」

「使者として唐に渡った彼は、唐の太宗の心を捕えた。春秋の容姿の秀でているのを見た唐の太宗は、彼を手厚くもてなし、みずから「言いたいことは、かまわず言うよう」発言を促している。春秋はただちに百済の侵略に悩んでいる実情を訴え、援軍派遣の約束をとりつけた。そして「新羅も唐の年号を採用し、衣冠の制を唐制に改めたい」と、臣従の意志の強いことを強調し、さらに「私には七人の子供がいます。それらを聖上陛下のそばを離れず宿衛の任に当たらせて下さい」と願い出て、子供を唐延に留めおいた。宿衛とは天子の側にあって天子を守る職だが、異民族の者が唐の天子の宿衛をするのはこれに始まるとのことで、金春秋はこうして唐の朝延に食い込んだのである。   こうした態度に対しては、強国に対する阿訣追従の事大主義であり、韓民族の通弊だと評する向きもあるが、もしそうだとしたら、その後に展開される新羅の対唐戦はどう説明できるであろうか。金春秋の親唐政策は、めめしい弱者の強者に対するもたれかかりではなく、生き抜くための懸命な工作であった。
  前述のように、後継ぎの文武王が唐の半島支配を免れるために行動し、唐の怒りを買うと何度も謝罪しながら、限界に達したところで武力抗戦に出たのも同様である。それは先に見てきた三国の度重なる大陸への朝貢が、自衛のための懸命な外交戦術であったのと同じ性質のものであった。
  彼らは生存をかけた戦いのために、なりふり構わず、その時点でなしうる最善の処置をとった」。

この項の題は「金春秋の命がけの外交」。今朝の新聞の投稿欄に、「文武両道」という言葉があったけれど、勉強ばかりでなく、生活面、特に朝ごはんをちゃんと食べることの意味だった。自分のいのちを大切にってことだね。自分の命や子どもも預けて、春秋って人は自国の人々の命を守ろうとした。これこそ「武」なんではないかしら?唐もすごいね。外国人であれ、有能な人の意見に耳を傾けるのだから・・・

光海君についても詳しく語られている。「彼は壬辰の乱のさなかに世子に定められ(後述)、緒戦の負け戦のなか「分朝」の責任者として戦線を駈け巡り苦労した人物である。・・・そういう経験をした光海君からすると、対日戦後の朝鮮は、いまなお戦禍による疲弊から脱していない。従って力もないのに、明への義理だけで戦いに突入することなどはできない、という判断があった。
  彼は国防に対する関心が強かった。即位の年(一六〇八年)すぐさま備辺司(国境地帯の防備政策を決定する機関)に対し、後金の侵略に備えて「軍兵を操錬し城鎮を修繕せよ」と言い、在任二年目には軍装備の整備・拡充に全力を傾けよと命令している。それに応えて兵曹(国防省)は、大砲を鋳造するために、緊急を要しない工事を中止させるよう建議している。
  だが、朝鮮軍の実力は、強力な騎馬部隊を擁する後金に対抗できるものではなかった。光海君はそのことをよく知っており、派兵反対の理由の一つとして「わが軍兵はもともと弱くて、天兵(明軍)を助けられるようなものでない」ということをしばしば挙げ、そうした実情は「(対日戦で朝鮮へ)東征した明の人々なら、誰でも知っているはずだ」と語っている。

「卿らは賊(後金)の勢いをどう見ているのか。わが国の兵力で、少しでも彼らを防げると思っているのか。昨年、明が派兵を要求してきたとき、私が憂慮したのは、派兵自体ではなく、わが国の人心に確固たる信念がなく、かつ軍兵の訓練ができていないから、たとえ兵を送っても応援の役には立たないということだった」
  「もし天朝(明)の勢いが虎豹山に在り″というように強いものだったら、賊(清)も予を侮らないであろう。だが、実際はそうでない。こうした現況を考えず軽々しく深入りすれば、負けること疑いなしだ。予がこれを恐れて日夜憂悶し、狂わんばかりになっていることは、側近の者ならみな知っていることではないか」
  光海君の情勢判断は正しかったのだけれど、クーデターで、追放され、仁祖の代で、清に降伏となる。光海君の「わが国の人はやがて大言によって国を滅ぼすだろう」との予言どおり。ア〜ア、日本もそうならないように祈るよ。この項の題は「リアリズムの喪失」。自分の実力や、周りの状況をしっかり見ないで、かっこいいことばかりいっている奴らは信用できないって。

著者は、戦いの備えが大事だと主張している。それが、軍備だとしたら、それは私とは違うな。今の時代では、武力の行使は自分の国と、他国の「女や子ども、弱者」を痛め付けるだけのものでしかない。軍需産業のための軍備拡張は、不要な戦争を起こす元となる。イラク戦争は何だったんだぁ? 国民の命を守るためになら、先ずは自給自足。災害救助の訓練はやっておいて欲しい。何よりも大事なのは信頼関係の構築。大震災の時のようなことは起きて欲しくない。備えとはそういうことだと思う。

で、「私など自分では親韓派と思っている者には、腑抜けた戦後の日本人を恐れ入らせるような易しいことを − 白人には通用しないが日本人には有効だという、そんな安易なことを、いつまでもやっていていいのだろうか、という気がする。」「それに「われわれはお前たちからこんなにひどい目に遭ったんだぞ」と日本にやられた≠アとを得々と(そう私には見える)語って、日本を謝らせようとする行動のスタイルは、どう見ても他者の尊敬を得る道ではない。とくに慰安婦問題はひどかった。従軍慰安婦が政府の強制動員によるものでないのは、当時の空気を少しでも吸った人なら、誰でも知っていることである」には困っちゃうねぇ。世の中にはやっていいことと悪いことがある。みんながやっているから自分もいい、という屁理屈はいけないなぁ。日本語で「恨み」というといい印象はないけれど、「恨」という言葉は、根本的に許してはならないこと、忘れたり、なぁなぁでは済まされないことを指すのではないかと思う。彼は戦時中の「空気」にまだ浸ったままなのではないかしら?戦後処理をあいまいにしてきたつけがここにも出ているなぁと思ったよ。

「空気」ではなく、リアリズムとやらを大事にしたいねぇ。





No.14

 『「生きづらさ」について』

 りっちゃん
09/2/9

雨宮処凛さんと萱野稔人さんの対談本。処凛さんの名前はよく出てくるけれど、どういう人なのか知らなかった。イジメ体験やバイトでの切捨てから、リストカットやオーバードーズ(薬を大量に飲む)をするほど、つくづく「生きづらさ」を感じたからこそ、今の活躍があるのだなぁ。私は「死にたい!!」と叫んだことはあるけれど、実践まではない。秋葉原のホームから「私落ちちゃうかも」と感じた時、とりあえず「タバコ!!」と喫煙所を探し、あとでタバコに救われたなぁと思ったことはある。特にこれという神様を信じているわけではないけれど、今、生きているってことは神様に生きることを認められているわけだから、まぁ、自分から命は絶つことはしたくない。それに離婚だけでも子どもたちにはえらい迷惑をかけているから、これ以上の迷惑はかけられない。

処凛さんが感じた「生きづらさ」は私もひしひしと味わいました。主婦をしている時にはなかった「先の経済的不安」と「冷笑」、経済的な不安は以前からの預金と母からの遺産で、とりあえず年金もらえるまでの最低生活は何とかなりそうということで解消した。「ケチケチ生活なれど心は豊かに」を心がけて。難しいんだけれどね。経済と心は連係もしているから・・・「冷笑」の方は、「去るものは追わず」「なるべく近づかない」ことで対応かな。そのせいで場が狭まることもあるが、その分開拓もできるから・・・ひとりの友人があきれるほど自己肯定が得意で、それも見習っている。「何でも主張鑑定団」でどこの地方だったか、出演した人たちが全員そうだった。「あの人はとても立派な人だ。それというのも私の教育が良かったから」。さっそく真似をしよう。

前置きが長くなったが、「反貧困」同様、この本を読めば今の日本の現状が理解できる。未来に確信的ではないにしろ、光明も見えてくる。カタカナが多いのには苦労するが・・・インディーズ系メーデー(既存のとはちと違う明るく色んな人も参加できるのかな?)、メンヘラー(精神的に傷ついている人?)、ルサンチマン(八つ当たり?)・・・

萱野 雨宮さんは現在、貧困やプレカリアート(不安定労働者)などの問題に取り組んでいる作家として広く知られていますが、もともとは、そういった社会的・経済的な「生きづらさ」ではなく、もっと精神的な「生きづらさ」を問題にしてきた作家ですよね。ですから、ここでも、まずは人間関係における精神的な「生きづらさ」を取り上げることから始めて、そのあと社会的な「生きづらさ」や労働の問題へと議論を広げていくことにしましょう。
  雨宮 そうですね。私は、いまのように労働や貧困の問題にかかわるまえは、ずっと精神的な「生きづらさ」の問題にかかわっていました。不安定な労働や貧困といった社会的な問題とはべつに、人間関係や個人的な問題、親との関係などで純粋に生きづらいという問題です。メンヘラー(精神的な病や生きづらさを抱えている人。メンヘル系ともいう)やリストカッター、引きこもりなんかは、その典型的な事例ですね。
  萱野 おそらく精神的な「生きづらさ」と社会的・経済的な「生きづらさ」って、どこかで重なっているんですよね。たとえば貧困におかれた人ほど鬱になりやすいとか。もちろん両者は完全に一致するわけではありませんが、でも重なっているところもあるからこそ、雨宮さんは精神的な「生きづらさ」から社会的なものへと問題の範囲を広げてきたわけですよね。

萱野「生きづらさ」って、つねに二つのレベルで生じるものですよね。一つはもちろん物質的なレベル。つまりカネがないということです。カネがないと何をするにも不自由だし、まともな衣食住を確保することだってむずかしくなる。先々の生活に対する不安をつねにかかえて生きなくてはいけません。  もう一つはアナデンティティのレベルですね。つまり、社会からまともに扱われない、自分の存在を認めてもらえない、居場所がない、といった状態です。こちらのほうも相当つらいですよね。

以前勤めていた会社でよく言われていたこと「替えはいくらでもいるんだ」。これって人間性とか経験とか信頼関係とかをまったく無視した台詞だよね。新自由主義の発想そのもの。その一言位でおたおたする年齢でもないし、再就職が厳しい年齢でもあったけれど、結局身近な社員同士の信頼関係そのものも壊れてきたので、退職した。疲れちゃうんだよねぇ。やっとここで短時間の仕事が見つかったけれど、求職活動で、断れるのもしんどかった。

今、思っても、「労働組合」にしろ、「女性問題家」にしろ、就職に関してはクソの役にも立ちませんでした。生きていくために友人の一言ではずいぶん助けられましたが・・・時給付のボランティアでは、「失業中で・・・」といった途端「フン」と言われ、ハローワークでは「誰かに養われているんでしょう」なんて、頓珍漢なことを言われたり・・・「仕事をしたい」ということが他の人から認められないというのは、つらい。やっと短時間の仕事が見つかって、ほっとしている。

処凛さんが右翼に入った途端、リストカットをやめられたそうだ。日本という国に誇りを持つことによって、アイデンティティを持てたから、らしい。だから、右翼の人に軽々しく説教を垂れてくれるなと・・・さらに、ネットカフェ難民になれば、右翼までもたどり着けないって。そんな余裕もない生活に追い詰められているんだ。

「その人自身にもダメなところはあるでしょう。だけど、すべて「個人の責任」ではない。私もずっと自分を責めてばかりいたら、最終的には自殺するしかなかったと思うので、右襲団体との出会いは大きなことでした。だけど、やっぱり長続きしないんですね。要は自分の生きづらさをごまかしているわけですから。途中で、そのごまかしに気づきました。自分の本当の問題から目をそらすために、思想に依存しているんじゃないか、と。深い考えもなしに右的なことをいっている自分がすごくひどいことをしているように思えてきて。やはりそれは苦しいんです。罪悪感も生じるし。よく知りもしないのに戦争のこととか歴史観的なことを偉そうに演説している自分が、すごく空回りしているような気がして、結局二年後には辞めました」・・・処凛さんは自分で気付いたというわけだ。

「構造改革を要求するアメリカからの圧力と、それによって利益を得ようとする日本側の流れが結びついて、いまのような不安定な労働環境ができてきました」のも含め、労働問題・社会問題の視点をね。

右翼と左翼の違いは、「憲法と天皇。あとはファッションセンスの違いでしょうか(笑)。右翼はベルサーチとかが好きで、左翼はラフなというか、貧乏くさい格好をしていますよね(笑)。だから、憲法、天皇、あとちょっと服も違うみたいな」ですって。私には、憲法についても天皇についても、右翼左翼双方とも内部の意見がばらばらで、天皇の人権を考えたら、廃止なんて右翼もいるんじゃぁないかなぁ。私と一緒で。となると違いはファッションのみ。貧乏くさい格好の私は、左翼なのかなぁ。今、どちらかに分けること自体無意味な気がする。

実際、インディーズ系のメーデーには、引きこもりやメンヘラー、右翼の人も参加しているとか。「生きづらさ」を感じている人がみな集まってくる。

「(前略)わたしたちは、孤独で不安定な日々を生きることを強いられている。/そしてときには、その中で死にゆくことさえも強いられているのだ。/だからわたしたちは、つながりの中で生きることを求める。(中略)連帯を壊す企て、競争へと駆り立てる力、つくられる格差や貧困、あらゆる戦争や差別……/わたしたちを力でねじ伏せ、支配しようとする一切のものを恐れてはならない。/わたしたち一人ひとりは、何にもましてすばらしい。/さあ、喜ぼう。大いに喜ぼう。/新しい社会は、すでに私たちのものである。」

「(前略)これまで私たちは、どなられたり、無視されたり、誤解されたりする対象だった。/言い返せずに黙り込んだりしてきた。自分の声なんて誰も聞いてくれないし、自分なんていなくても同じだと感じてきた。/でも、今は違う。/今年、私たちはお互いのことを認め合い、話せる人たちと出会うことができた。/それも、ただ話すだけでなく、解決に向けて一緒にやっていける人たちと出会うことができたのだ。/私たちは、このつながりを絶対に手放さない。/このことを伝えたい人がいる。伝えたかった人がいる。/だから、ここで叫びたい。/もう少し生きるぞ!/何とかするぞ!/何とかならなくても、とりあえず生きるぞ!」

雨宮 もともとフリーターの労働運動であるフリーター・メーデーに、なぜニートや引きこもりが合流してきたかというと、まず彼らが「これは自分たちの問題だ」と気づきはじめたことがあると思います。そしてもう一つ、フリーターも引きこもりも、「このままでは餓死するんじゃないか」という同じ危機感、貧困という共通の問題にたどりついたということもあると思うんです。

そして「金持ち以外、全員こっちにこざるをえない。生きづらいというのは多数派なんです」。はい、私もそのひとりです。自分の問題かつ、みんなの問題でもある。金持ちだって、「心豊か」とはとても思えないんだな。むしろ、不安を私たち以上に感じているから金をかき集めているように思える。「はないちもんめ」を思い出すね。遊んでいたら、いつの間にかみんなこっちに来ちゃったりして・・・変えよう、日本。みんな生きることが楽しいと思える国に。みんなにとっても「自分の問題」なんだよ。





No.13

 反貧困 どうする私たちの社会

 りっちゃん
09/2/6

◆2009年3月6日(金) 19:00より
  ◆東村山市民センター2階会議室
 東村山駅東口徒歩13分
  ◆参加費300円 ◆定員100名

湯浅さんが近くに来るよ。また話を聞きに行こう。日比谷公園年越し派遣村のことは新聞でも読んだけれど、政治家や行政の対応、これからシステムが根本から変わっていく見込みは? など、また色んな話が聞けると思う。

昨年暮に聞いた話のとおり、正規社員までもが人員削減の対象になってきた。日本をどういう社会にしていくか、今が、“変革”の時。ぜひご参加を。主催は たまごの会。





No.12

 東京大空襲64周年朝鮮人犠牲者追悼会

 りっちゃん
09/2/6

日時 2009年2月28日(土) 午後3時〜4時
  場所 東京都慰霊堂 (横綱公園) 東京都墨田区横綱町2-3-6 JR総武線「両国」駅下車徒歩10分 地下鉄大江戸線「両国」駅下車A1出口徒歩2分
  会費 1,000円 (香料、献花、ご遺族招請費、資料代として)

この場所、母と行ったことがある。被服廠跡だよ。うちのご先祖がここでなく上野に避難したから、わたしが生きている。霊の存在とかに鈍感なタチの私でも、何かしら感じる場所だった。震災と空襲、両方の犠牲者が祀ってある。本番前日だし、遠いけれども、参加しようと思っています。

朴さんのお兄さんが強制徴用されていた「石川島造船所」、金さんのお兄さんが軍人として強制動員されていた「日本」政府が、それぞれ遺骨を返還すべきと思うんですけれどねぇ。それと、焼夷弾を落としたアメリカの責任、ちゃんと追及すべきです。ほっといたから、今、世界のあちこちでそういう暴挙がまかり通ってしまっている。

ちらしより
   1945年3月10日未明、米空軍の東京大空襲によって数多の日本人が被害を受け犠牲となりました。同じ空の下、朝鮮人を含む多くの外国人が死にました。
   東京都慰霊堂には、朝鮮半島出身者の遺骨が数十体納められています。ほとんどは創氏名です。
   3回目の今年、初めてご遺族をお招きします。ソウル市の朴周龍(80歳)さんと堤川市の金福穆(75歳)さんです。
   64星霜過ぎて尚、実兄のご遺骨を懸命に捜しておられます。
   大空襲のすべての被害者に思いを馳せ、犠牲者とご遺族のいまだ解けぬ恨を分かち合いたくご臨席を仰ぎます。

主催 東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会





No.11

 パレスチナとイスラエル

 りっちゃん
09/2/6

友達の情報によると、NHKのBSでいい番組があるそうです。甥のテレビでは見れないけれど、お勧めなので、転載します。NHKもなかなかやるじゃん。

BS1 2月9日(月) 午後9:10〜10:00 パレスチナとイスラエル「封鎖された街に生きて」(再)

以下、メールの転載の転載。

京都のおかです。
  ガザ問題の根源は、イスラエルによる封鎖、そして終わらない占領にあります。

占領とは、他者の人間性の否定、他者の尊厳の否定です。一民族全体が、組織的かつ集団的に、その人権を否定され、人間としての尊厳を否定される、それが占領です。(サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」『みすず』2005年3月号より)

ガザで、そして西岸で、パレスチナ人は40年以上にわたり、そのような状況におかれています。占領があったればこその封鎖です。2005年8月のガザからの全入植地撤退は、占領の終結ではなく、占領の継続、維持・強化にほかなりませんでした。これによって、占領者のいない占領が実現しました。今回の無差別殺戮も、ガザに占領者がいないからこそ可能でした。

今、私たち一人ひとりに求められていることは、今回の殺戮に先立って、3年にわたるイスラエルによる封鎖がガザの人々の生活をいかに破壊したか、そして、40年にわたる占領がいかにパレスチナ人の人間の尊厳を否定してきたか、その実態を知り、理解し、一人でも多くの人にそれを伝え、封鎖の即時解除、占領の即時終結を求めて、実効性のある行動をとっていくことだと思います。

昨年、ジャーナリストの古居みずえさんが、封鎖下のガザに入り、ドキュメンタリー番組を制作されました。「封鎖された街に生きて 〜ガザ アブー・アシュラフ一家の闘い〜」昨年10月にNHKのBSで放映されたこの番組の再放送が決定しました。

BSがご覧になれる方はぜひ、ご覧ください。また、一人でも多くの方に、ご紹介ください。放映後は、NHKにぜひ、感想を伝えてください。そして、地上波での再放送の希望を伝えてください。

フリージャーナリストの古居さんがガザに入って取材し、番組を作られたからこそ、私たちは今、封鎖された街で、生き続けることそれ自体が抵抗であり、闘いであるガザの人々のようすを映像を通して知ることができます。

現場の事実を伝える、ただそのために、経済的保障など何もないフリーのジャーナリストたちが、自腹で、危険を冒し、現地に入り、活動を続けています。彼らの活動を支えるのは、彼らが報じるような事実こそ私たちは知りたいのだ、求めているのだ、という私たち自身の声です。マスメディアに、私たちの声を届けましょう。マスメディアのなかに、報道の回路を切り開いていくのは、私たち自身です。





No.10

 森鴎外と祖父

 りっちゃん
09/2/1

早くに亡くなった祖父が森鴎外にあこがれていたと聞いたことがある。陸軍軍医であり、文学に興味を持ち、大体同じくらいの年齢であった。祖父のことをほとんど知らないので、「森鴎外と日清・日露戦争」(末延芳晴著)を読んでみた。

祖父は病気のため、早くに引退している。また、自分ではなく、妻が文学に係わっていた。食う、食わせるための“稼ぐ”ことに忙しく、自分ではできなかった分、妻に協力的であったのだろうか。母の言うには、本を読んでいて食事が遅れるのは許される環境であったとか。

兄が生まれた時、父が作った詩のようなものに「これで冒険はできなくなった」という一節があった。男がなんだかかわいそうな気がした。何を夢見ていたのだろう。やりたいことを我慢してきたのか。身体も弱いし、人を押しのけるタイプでもないし、会社運もさほど良くなかったのに、家族のために働きつづけてくれた父だった。ま、一番大事にしていたのは母でしたが・・・よくノロケを聞かされましたから・・・

鴎外の家は、代々津和野藩の御典医。うちも武士出身。ともに明治で失職した。一変した生活と経済的な不安。だからこそ一層の子どもへの期待。長男としての重圧があったことだろう。それが安定した職業と同時に文学への憧れをもたらしたのかもしれない。

この本のテーマは、
  非戦の文学はいかにして可能なのか?
  帯には、
  私たち日本人は、19世紀末から20世紀に置いて体験したいくつかの戦争において、いかにして「書く」ことを通して戦争とかかわり、戦争がもたらす悲惨な現実を見据え、戦争の本質を暴き、戦争に対して批判的言説を構築・展開し、「ペンは剣よりも強し」を証明しようとしてきたのか。あるいはしてこなかったのか。・・・日清・日露戦争に、森鴎外や夏目漱石・・・近代文学の基礎を築いた文学者たちが、「書く」ことを通してどうかかわったか、・・・つまり、「文学は戦争をどう書いたか」という一点に視点を絞り込み、彼らの書き残したテキストを根底から読み返し、そこから見えてくるものを検証してみようというのが筆者の狙いである。
  と書かれている。

日清戦争では、旅順虐殺事件というのがあったんだって。森鴎外には『徂征日記』の12月17日に「岸辺屍首累々たり」と記述してあるのみ。

しかし、虐殺の4日後に旅順に上陸した国木田独歩は一人の清兵の屍体について詳細に記述している。「戦争というものの本質についても、「『戦』といふ文字、この怪しげなる、恐ろしげなる、生臭き文字、人を呪う魔物の如き文字、千戴万国の歴史を蛇の如く横断し、蛇の如く動く文字、この不思議なる文字は、今の今まで吾に在りて只だ一個聞き慣れ、言い慣れ、読み慣れたる死文字に過ぎざりしが、此の死体を見るに及びて、忽然として生ける、意味ある文字となり、一種口に言ひ難き秘密を吾に私語きはじめぬ」と深刻な感慨に捉われている」

また、従軍伯爵亀井(これ)明の写真集は、「放置されたままの戦死者の死体や、町を焼かれ家を奪われた流亡の民となった現地農民家族など、戦争の犠牲者までもが視野に収められ、写し撮られて」おり、「従軍日乗」にも、旅順市内の現場について、
  「路上には伏屍堆く、流血川を為し両側の民家は襤褸或は陶磁器の破片、紙屑、支那靴等散乱して狼藉たり。屋内にも亦伏屍あり。鮮血淋漓足踏む所を知らず。細に其の屍を検すれば、或は頭脳を中断して脳漿を出だしたるものあり、或は腹部腰部等を切断せられて腸胃を露出せるものあり、其の状惨憺怨鬼啾々の声を放つが如きを覚ゆ。真に酸鼻の極と為す」とある。

「累々と横たわる「屍首」から半ば意識的に、半ば本能的に目をそらしたとき、文学者としての鴎外が失ったものは、目をそらしたことによって守ろうとしたものよりも遥かに大きかった」と著者が書いているけれど、「舞姫」を結局捨てちゃった鴎外でしょう?時代だから、と言えばいくらでも言い訳はできるけれど、逃げはお得意だと思うけれど・・・文豪がいい人間とは限らないよ。漱石も朝鮮視察で「如何にも汚い国民である」とこれまた情けない記述をしている。あらあらですねぇ。もっとも、『猫』を読むと、胃弱で神経質で少々精神的にも危なげな姿が浮かび上がる。正直というか、しょうもない人間を描くのも文学なのだ。

小倉の左遷(?)を経て、多少大人になった鴎外を著者が買っている。「うた日記」のあれこれを評価している。再婚した志げさんと愛娘への愛情あふれた手紙などもある。でも遺産は母と長男に残してあるし、年の差もあって、愛玩物的な愛情のような気もする。

「「やんちゃの・・・」などと愛称で呼び、愛情をラブレターで表現する鴎外に、私たちは、21世紀の今日にも充分通用する女性に対する心の働きの柔らかさを読みとることができる」って。秀吉もうまかった。政略結婚させたりしていたけれど・・・現代の男性が下手すぎるのでは・・・

「鴎外は後年、『阿部一族』『堺事件』『最後の一句』『興津弥五右衛門の遺書』など、優越する強者からいわれなき差別や侮辱や抑圧を受けた弱者や小さきものが、命を懸けて抵抗・反撃したり復讐する小説を数多く書くことになる。それらの小説誕生の根底に、日露戦争の勝利によってすら癒されることのなかった、青春のベルリン留学時代以来の、人種差別体験によって受けた精神的傷がうずいていたと思われる。それは、鴎外個人にとどまらず、近代日本人を呪縛する集合的・民族的な時代意識として、後の太平洋戦争の時代、大東亜共栄の掛け声の下、軍国翼賛体制を支持していった少なからぬ文学者の意識の底にも流れ込んでいく原感情でもあったといえよう」。

より弱いものを攻撃することでごまかしちゃう、というのは今もよくあるけれど、そういうのは良くないねぇ。
  ただ、どうかなぁ?むしろ、食うためにというか、一家の長として、役職に励んだと言うのかなぁ。
  歌の一節に
  かしこのさま(戦争の現状)は 帰らん日
  妻に子どもに 母父に
  われは語らじ 今ゆのち
  心ひとつに 秘めおきて
  というのがあった。男って馬鹿だなぁと思ってしまう。弱い者に現実を知らせまいとして、結局、その弱い者たちが戦争でどんなひどい目にあったのかを考えてみろよ!!、と言っても鴎外も私の祖父もそれまでこの世にいなかったか。ははは・・・日本は負けてよかったのだとつくづく思う。戦争の悲惨さをみんなで実体験できたわけだから。で、憲法9条ができた。

従軍記者がレイプした相手を殺したことを題材にした怪奇小説もあるそうだけれど、鴎外には似合わないようにも思う。小説とルポルタージュでは手法も違えば、訴えるものも違う。最初から、戦争批判や社会批判を狙った小説もあるけれど、それはそれ、鴎外は鴎外でいいのではないか?

「彼らが本来であれば国家と対峙し、国家や戦争の「悪」について批判的言説を行っていかなければならない文学者であったからである」というのは、鴎外のみならず、文学者に対してちょっと期待し過ぎというか、押し付けっぽいと感じる。その人なりに自由に書けばいいのだ。その人なりの生き方は反映されるだろう。エリートとしての重圧はあっても、“お坊ちゃん”でもあるから、それほど批判的な眼というものが足りなかったのは致し方ない。まして、鴎外は陸軍に勤めていたのだから、当然制限はあるし、祖父のようにあこがれる人もいれば、やっかむ人もいたろう。家制度での重圧もあるから、引退などできないし・・・

「国家」と「個人」を二者対立させるというのもどうかなぁ。私は縛られるのは嫌いだし、身軽な立場だから、「個人」を優先させた生き方をしているけれど、「個人」の利益が「国家」の利益とダブルことは大いにありうるし、また、なるべくそうあって欲しいよ。むしろ、仕事の中で個人の体験からの知恵なり、意見をいう習慣(システムと言うべきか)があって欲しい。今も。「個人」が生かされれば「国家」にもいい影響があると思うよ。ほれぇ、個人を潰すようなことしてきたから、今の大恐慌なんじゃぁないの?

軍医としての鴎外は、脚気について頑固に「細菌説」を主張したそうだよ。それで麦飯になるのが海軍よりも遅くなって、陸軍の兵士がだいぶ亡くなっているようだよ。あらあらぁ。当時としては「紳士」というか「男」というか、でも、正しいことばかりしてきた訳ではない。うーん、間違いは誰にでもある。ただ、訂正は早目がいいね。

そういう意味では、今の時代は生きやすい。男が一家を背負って立つみたいな意識がなくなってきたから。(その分、社会保障を充実させないといけないんだけれどね)小田実が言っていた「虫瞰図」みたいな発想で、柔軟に、細やかに生きていきたいねぇ。

「史伝文学を書き残したことによって、「文」が「武」に勝ることを証明してみせてくれたこと、そしてそのことにおいて、森鴎外が間違いなく文学者であることを、私なりに確認できた」「森鴎外文学の奥底深く、かすかに低く、しかし決して途絶えることなく流れつづける「非戦」の通奏低音といったもの」と評価されるほどには、時代の枠の中で、それなりに一生懸命生きたんだなぁ。私の祖父も多分。そう思っておこう。





No.9

 チェ・ゲバラ

 りっちゃん
09/1/29

映画『チェ/28歳の革命』を見てきた。観客は若い女性と年配の男性が多かった。眠かった。隣の同年輩の女性は途中退席。他にも二人程。映画としては、いい出来ではないと思う。私はチェ・ゲバラがどういう人かあまり知らないので、ナレーションとかが入らないと、ピンと来ない。さらに、過去の映像(白黒)と、ジャングルでの戦闘シーンの連続では、厭きてしまう。彼についてのドラマって、絶対あったと思うけど、それが描かれていない。メキシコに残した家族のことも。

エルネスト・ゲバラ(チェというのは挨拶で「やぁ」という感じ?愛称なのだそうな)は、医大卒業後、南米縦断旅行で、どの国もアメリカ帝国主義にいいようにされ民衆が困窮している実状を見て、カストロの革命に加わったんだって。医者だから、傷病兵を見捨てずにいた。投降した捕虜も殺さなかったから、大衆の支持を得て、革命が成功したのだと実感した。怪我人を見捨てた日本の軍隊とはえらい違いだと思ったよ。読み書きのできない兵隊には、自ら教えもしたし、学校も作った。軍律にも厳しい。「戦争は終わったが革命はこれからだ」と、ハバナへ向かう途中、盗んだ赤いスポーツカーに乗る兵隊に「戻って、ジープか歩きで来い」と命令したあと、つぶやいた言葉は何だっけ。「おかしい」だったかな。今の日本も一杯おかしい。

支配する側が交替しても、権力がそこに集中していれば、腐敗もするし、大衆が油断もしくはあきらめてしまえば、同じ轍を踏むことになる。大衆自身が変わらないと・・・キューバが現在どんな国なのか、いまだにグアンタナモに米海軍の基地があるところを見ると、革命が成功したとは言いがたいのかなぁ。

最初の頃に「勝ち負けは物量では決まらない。無名の兵士のひたむきさが決める」というような言葉があったけれど、実際にはだんだんと兵器が強力になっていくんだなぁ。空爆も。やはり一般の農民が殺されていく。ストライキなどの都市型でなく、ゲリラでの実戦こそ革命が実現するのだというようなことも言っていたけれど、それでは犠牲が多すぎる。戦闘シーンが長すぎると感じるのは、私自身が、戦闘は無益だと思っているからかもしれない。ウンザリ。映画もだけれど、今のアフガン・イラク・パレスチナでの紛争にね。

ゲバラは、(映画では)権力好きそうなカストロと別れるのだけれど、39歳で亡くなっているし、最期まで、ゲリラ戦をしていたから、権力の側に留まっていなかった。その辺がゲバラ人気の所以なのだろうと思った。

ウィキペディアを見たら、広島に来たゲバラが「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と言っていたそうな。私も問いたいよ。正義面して良くそんな残虐なことができるねって。

ソマリアの海賊退治に自衛隊ですかぁ。3月1日に「ステンカラージン」を歌うのだけれど、あれも海賊というか、一種の民衆蜂起なんだよね。食っていけなくした側でなくて、食えなくて自衛手段でやっている側だけを叩くなんて、「おかしい」。ホームレスを公園から排除した発想と同じだなぁと思う。





No.8

 ふたりの関係リフォーム計画

 りっちゃん
09/1/25

ポスター福生の友人たちがやっている、『自分力を育てあうサークルいろどり』が主催する催し物のお知らせです。私もお手伝いに行きます。

ふたりの関係 リフォーム計画

日時  2009年2月13日(金) 午前11時〜午後6時

場所 福生市プチギャラリー (福生駅エレベーター横)

入場無料


「熟年離婚と、ならないために、見直したい、改善したい、出直したい」

・・・あはっ、離婚してからじゃぁ、遅いわな。まじ、いい夫婦、恋人関係のような夫婦であっていただきたい。私もそうありたかったです。残念ながら、再婚はない模様ですが、万が一、できたら、そうした関係でありたいと思うもの。あはっ、ひとりもまた気楽でいいや・・・

「大好きなあなた、だったのに・・・。いつの間にか、空気のような存在になって、ふと気がつけば、うとましく感じることも。今ならまだ間に合うかも・・・」

先日、打ち合わせに参加してきました。友人達が製作した、写真にポエムの取り合わせが、なかなか味わい深くて、ぜひ見ていただきたいなぁ。メンバーはラブラブのカップルが多いので、そうでないのを製作するのは、結構大変だと言うことでした。ノロケを聞かされるのも、いいものだわ。





No.7

 『嘘をついた男』

 りっちゃん
09/1/23

著者はエマニュエル・カレール。95年にこのロマン殺人事件にヒントを得た作品『冬の少年』でフランスの文学賞を受賞したそうだ。こっちの本は文学というよりも報告って感じかな。

ジャン=クロード・ロマン。1993年1月9日(土)の朝、妻と二人の子どもを殺し、実家へ行って昼食後、両親を銃殺。
  人々の関心を集めたのは、彼が嘘を突き通していたことだった。

人を威圧する何かを持った森林管理を職業とした父、健康がすぐれず鬱々としていた母。大人は不潔な性の世界のことを子どもに隠し、母を心配させまいと、本心を隠す子ども。聞き分けのいいおとなしい子。話し相手は犬だった。

河川森林監督庁の国家試験のために学校では、イジメにあい、挫折。副鼻腔炎に逃げ、実家で燻る。医学に進むことにする。進級試験に失敗。追試も受けず、その理由は「片思いをしていた女性からの手紙を読んだから」。それをウソだと著者は感じた。私もそう思う。しかし、ウソというよりも夢想といった方が的確なのではないか。

大学側には留年手続きをし、親や友だちには、受かったことにする。インターン研修に参加しなかったが、講義にはみなと一緒に出席。試験当日もみんなと顔を合わせる。真面目にノートを取り、みんなを助ける優等生だったので、誰も留年とは気付かなかった。遠縁のフロランスに振られそうになったら、病気になり、付き合いが続く。フロランスの両親に好かれ、結婚。翌年、フロランスは薬学論文を提出、好成績で合格。廻りからはカップルと見られていた。

ジャン=クロードも、パリのインターン資格試験に合格、国立科学研究所の所員となり、のちに、WHO付きとなる(ということになっていた)。だれも疑わなかった。長女カロリーヌが1985年、長男アントワーヌが1987年に生まれる。上司からの祝をもらい、妻が礼状をしたため、夫が手渡していた。結婚も子どもも、医学部の仲間たちといつも同時期かちょっとあと。

給料は? 生活は? なんと、しばらくは親からの援助が続いていたらしい。大学生活のために買ってもらったアパートを売ったお金も自分のものとなっていた。そして、両親や妻の両親の資産管理も任されていた。スイスの銀行で、特別に、高利回りで・・・自分の名前ならば・・・妻の父が、たまの贅沢にいい車を買うので下ろしたいという話のあと、階段から落ちて死ぬ。一緒にいたのは、ジャン=クロード。これも「罰に変わりはないから嘘をいってもしかたがないが、殺してはいない」と主張。そう、嘘でなく夢想の中なのだと思う。ジキル氏とハイド氏、どちらが現実で夢想なのか、本人にはわからないし、折り合いもつけられなかったのだろう。潤沢な資金が尽きるころ、別な女性へのアッタク、金遣いが荒くなり、資金が加速度的になくなっていく。彼女からも資金を預かる。返済を求められ、殺人未遂事件があり・・・そして家族内殺人事件が起きる。

リュック(仮名)は、大学時代からの親友。親の代から医者。子どもの名付け親にもなってもらっていた。子どもたちも同じ学校。同じ高級住宅地に住む。事件が起きてもはじめは信じられなかった。事件の全容が明るみになってからは、自分の世界すべてが崩壊してしまったように感じた。
  だろうなぁ。

この事件は、原因不明の殺人事件と共通している。厚労省の元役人を殺した事件の容疑者も「犬」が好きだったんだなぁ。「ドラえもん」がポケットに死体を入れてくれると言ったのは光市殺人事件だったか。みな、現実の世界と夢想の世界がごっちゃになっている。

ロマンのうそが容易にばれなかったのは、地域社会の崩壊も関係している。親の職業を引きついていれば、みんなから悪くいえば干渉、よく言えばちゃんと面倒を見てもらい、注意もされていただろうに・・・学歴重視、格差社会での勝ち組であるドクターならば、人は容易に疑うということをしなかったというのもあるだろうな。フロランス本人はさほど好きでもなかったのに結婚したのは、封建主義的なところも彼女の中に残っていたのだろう。親が信頼しているなら、と。ジャックもそういうところがあるが、みんなと同じなら先ず安心、というのもあったのだろう。気づくべきだったとは思うけれど・・・

昔の体制には戻れないが、さりとて、新しい倫理がないというか、ひとりひとりに目が届くというわけではない現代。価値観の多様化はいいけれど、どう生きるべきかが、あいまいで、“みんなと同じ”からはみ出てしまった人にとっては、生きづらい時代なのだろう。―――“みんなと同じ”に汲々と生きている人も大変なんだろうなぁとも思う。リュックは、汲々とせずに生きてこられたから、親友の心の中を見ようともせずにきちゃったのかも。

ひきこもりの人なんかも、ロマンと同じ傾向があるのではないだろうか。現実逃避? うーん、「男は本質的にロマンチストだ」と言う同期生の言葉も思い起こされる。確かにそうかもしれない。自殺者に男性が多いのも、そのロマンと現実との狭間で、折り合いが付けられなくなるからかも知れない。女はね、現実の生活の中で、雑用をこなさせねばならないから、男性ほどロマンに浸れないと言うか・・・若い世代はさほどではないけれど、経済的に家族の分も稼がねば・・・というハードルも高いからねぇ。女に生まれてよかったとも思わないけれど、男よりはましかなとは思う。男女の役割分担もこの頃はだいぶ違ってきているから、一概には言えないけれど・・・

アメリカの子連れホームレスが、「自分の生活をコントロールできなくなった」と表現していた。言い得てるなぁと。封建主義から資本主義の狭間で壊れてしまったものが、わたしたちが思っていたよりも大きいのではないかと思う。家族、地域社会、秩序、倫理、情・・・。それに変わるものがいまだに見つかっていないのではないか。私自身、主体的に生きることを模索しながら暮らしているのだと思う。

男性の“ロマン”もいい方に繋がればいいのだけれど、そのためには弱者の声、下からの声をキチンと耳に入れて、具体的に動かないとね。政治が機能していない主な原因はそこだと思う。現実でないものに対応していたら、いくらやっている“つもり”でも、『嘘をついた男』になっちゃうよ。





No.6

 蓮池透さん

 ひげきよ
09/1/21

拉致被害者ご家族の話を聴こう。マスコミが伝えない真実。
  私の友人がこんな講演会を企画しています。どうぞご参加ください。

アジア記者クラブ定例会

------------------------------------------------------------------------
  ●何が拉致問題の解決を阻んでいるのか
  マスメディアと日本政府、救う会、家族会の功罪を問う
  ●2008年1月24日(土)18時45分〜21時00分
  ●文京区民センター(3A会議室) 東京都文京区本郷4-15-14 都営地下鉄春日駅すぐ
  ●会員・学生1000円、ワーキングプア(自己申告)1000円、ビジター1500円
  ●蓮池透さん(拉致被害者家族連絡会元副代表)

1回日朝首脳会談から6年3カ月。拉致問題はいまだに解決に向けた交渉の糸口すらつかめず、完全に暗礁に乗り上げた形だ。米ブッシュ政権による北朝鮮テロ国家指定解除を受けても、「救う会」や拉致被害者家族の一部から日本による独自の追加制裁と対北朝鮮「テロ国家指定」を主張する声は鳴り止まない。北朝鮮に対する日本側の偏狭なナショナリズムは高まるばかりだ。北朝鮮側も過去の清算、拉致被害者の帰国に際しての日朝間の約束を4度にわたって日本政府が違えたとして、不信感を募らせてきた。なぜ、お互いに怒りと憎しみをぶつけ合うようなことが続くのか。1月定例会では、拉致被害者家族連絡会元副代表の蓮池透さんをゲストにお招きします。蓮池さんからは、「救う会」とべったりの関係になりながら批判を恐れる余り、一方的な情報だけを垂れ流し真実を伝えてこなかったマスメディアと「救う会」の果たしてきた役割、出向元からのローテーションで拉致問題を担当してきた官僚の仕事ぶりを、「家族会」から離れることになった経緯も含め、拉致問題解決を阻んできた現場の実情として語っていただきます。あわせて拉致問題解決のために、過去の清算も含めた交渉のあり方についても言及していただきます。

※予約の必要はありません。
  ※記者職でない方でもどなたでも自由に参加できます。
  ※会場へのお問い合わせはご遠慮ください。
  ※お問い合わせはアジア記者クラブ事務局まで。
  ※終了後、名刺交換会を兼ねた懇親会を行います。




拉致問題の解決方法が教われるのだけれど、私は他に用事があって行かれないや。行かれる方はぜひ。できれば報告がほしいけれど、蓮池さんの主張は、ウィキペディアにも載っている。私も同意見。拉致問題の交渉が再開されますように。横田さんが自由に孫に会いにいけますように。





No.5

 パレスチナ

 りっちゃん
09/1/20

この所、メールでガザのようすが届けられている。イスラエル政府もハマスも一時停戦となったようだが、解決されたわけではない。先ずはメールの一部転載でガザの様子を。

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が運営する学校が爆撃され、48人の死者。
  ガザのアブデルワーヘド教授からのメールの邦訳です。 <邦訳: 岡真理>

2009年1月3日 10:29AM
  今のところ私は無事だ。しかし、私の住む地区に対する空襲はこの10分間で9回、最悪の事態となることを誰もが予期している!午前3時から4時のあいだに、ガザ市内の複数の目標に対して10回の空襲があった。イスラエルの軍艦からの砲撃もあった。地元の漁船10隻以上がその場で炎上した! 午後、イスラエルのラジオが、攻撃目標になっているガザ地区の36カ所を発表。ガザ市東部の南北を結ぶ橋もあったし、ラファのガザ空港もあった。事態は悪化の一途をたどっている。今にも地上攻撃が始まりそうだ!
  もう電気も水もない。ディーゼル〔発電機の燃料〕も尽きかけている。外出もままならない。攻撃初日からずっと家にいる(今日で8日間。いつまで続くのだ!)神の祝福がみなさんすべてにありますように。

2009年1月4日 13:12(現地時間)
  毎分、爆発音が聞こえる。1回あるいは2回、3回のこともある。この状態がここ15時間以上続いている。戦車、大砲、戦艦。UNRWA(注:国連 パレスチナ難民救済事業機関)職員のフサイン・オーダ・アル=アイディ (58歳)が戦闘のまっただ中に釘付け状態にされている。イスラエルの戦車複数が彼の自宅の周りを直径1キロ以上の円を描くように動いている。 彼は昨晩、10時半、砲撃を受けた。家族5人が重傷を負っている。だが、イスラエルの戦車以外、誰も彼に近づけない。彼の家には電気も水も食糧もない。彼の家族たち、母親と彼の二人の兄弟の家族が一部屋にすし詰めになっている。20人以上だ。フサインを緊急に援けなければ、そして怪我人を避難させなければ。

2009年1月4日 18:15
  フサイン・アル=アイディはガザ市東部在住のパレスチナ人(58歳)。今の場所に25年以上、住んでいる。自宅は野菜畑の真ん中に位置している。 彼はUNRWAの職員だ。彼は今、一部屋に、自分の家族20人と、彼の二人の兄弟の家族たちとともにいる。彼らは、狭い部屋で電気も水も食糧も電話もないまま、すし詰めになっている!彼の周りには何もない、あるのは戦場だけ。昨夜10時半、アル=アイディ氏は戦闘の真っ只中におかれ、砲撃が自宅に着弾、家族5人が負傷した!彼は負傷者を救出するため救急車をよこすよう訴え続けているが、叶わない。負傷者を、そして可能ならば家族全員を救出するために、彼のもとに救急車を送ってくれという訴えはこれまでのところ、すべて失敗に終わっている!周囲1キロ半以上をイスラエル軍が完全にコントロールしており、イスラエル人以外、誰もアル=アイディ氏のもとにたどり着くことができない! この状況は、どこの国でもいい、人権団体が緊急に人道的行動をおこすことを必要としている! ガザには電気も水もない。食糧もわずかしかない。私は発電機がまだ稼動するのを幸いに、世界に発信している。爆弾が雨あられと私たちの上に降り注いでいる。そして不運にも、アル=アイディ氏は戦闘のど真ん中にいるのだ!

2009年1月4日 19:41
  ガザで、私たちは、雨のように降り注ぐミサイルと砲弾の集中砲火の真っ只中にいる!今は完全な暗闇だが、その闇を破って無人飛行機やヘリコプターの唸る音が聞こえてくる。通りは無人だ!ときどき、救急車と消防隊のサイレンが聞こえる!
  ガザ北部の市民は自宅からガザ市西部に逃げ、ゼイトゥーン地区の者たちは西部に逃げている!市民にはなすすべがないというのに、彼らのことなどおかまいなしだ! 彼らを守るものは何もない。今日、救急医療士3人が死ぬ。ほかの命を救おうとしているさなかだった。一昨日も、医師1人と救急医療士が殺された。今夜、携帯の電話網は完全に麻痺している。地上電話は、回線状態は悪いが通話可能だ!夜明け前、ガザの空のいたるところに黒煙の雲があった!わぁぁぁぁぁ、たった今、足元で地面が揺れた! ボーーーーーーン!

2009年1月5日(月) 19:00
  地上攻撃の今日、イスラエルの戦車部隊はさらに多くの土地を制圧した。イスラエルの航空機はガザ地区の30の攻撃目標を空襲した。気がかりなのは、ゼイトゥーン地区の東部であれ他のどこであれ、自宅にとどまることのできない市民たちのことだ。ゼイトゥーンは農業地帯で住んでいるのは農民たちだ。彼らのうち何百人かは、ゼイトゥーン地区のなかで人口が密集した住宅地の奥に避難することができた。
  多くの民間人が、ガザ市の境界地域に対する爆撃で死んだ。電気と水が、ガザの人間すべてにとって依然、主要な問題となっている。発電機はまだ動くので、私はこれらのメッセージを大急ぎで書くことができる!携帯は麻痺し、地上電話はつながらなかったり、聞き取れなかったりすることもあるが、はっきりと聞こえることもある! 数分前、すぐ近くが空襲された。どこだか特定できないが、恐怖におののいた。近所の建物に着弾したのだ!ほんの3軒向こうの建物だ。犠牲者もいる!
  イスラエルの航空機が照明弾を投下している。あるいは、なにか軍事目的のための光なのかもしれない。イスラエルは何度か、アル=アクサー衛星放送を妨害して、反ハマースの内容を放送した。また戻ります、そうできるなら!

2009年1月5日(月) 20:13
  次から次へとF16による空襲が今。

2009年1月6日(火) 13:36
  昨晩、空襲はますます激しさを増した。30回以上にわたり、ビーチ難民キャンプ東部にある保健センターをはじめ、さまざまな地点が空襲の標的になった。4階建ての建物が1軒、F16に爆撃され、完全に破壊された。何百人もの人々が次々に、戦闘地帯となっている市の郊外から命からがら脱出した。彼らは市内に住む親戚を頼ったり、UNRWAの学校に避難している。
  フセイン・アル=アイディと家族(女たちと子どもたち)はいまだに、水も食糧も電話その他いかなる生命線となる設備もないまま、一部屋に閉じ込められたまま動くことができないでいる。家族のうち5人が何かの爆弾の破片で負傷している。アミラ・ハス記者が、イスラエルのヘブライ語・英語の日刊紙ハアレツで昨日、それを記事にし、今日、内容が更新された!
  一方、人権のための医師団が介入して、身動きできないアル=アイディの家族のもとにたどりつけるよう調整に努めている。救急車とおそらくいくらかの食糧を届けようとしている。だが、これまでのところ成功していない!戦闘のただなかにおかれて人道的〔措置を必要としている〕ケースはほかにもある。さらに多くの市民が戦場で身動きがとれなくなっているのだ。死傷者の数も増加の一途だ!

2009年1月5日(月) 18:31
  今日、シファー病院の発表によれば、16人の子どもと7人の女性を含む39人の民間人が亡くなった!公式発表の死者数は540人以上にふくれあがり、加えて負傷者は2600人!人々の健康をめぐる状態は耐えがたく、酸鼻をきわめる。市民は逃げ場を失い右往左往している!ガザ市内のシュジャイヤ(人口がとくに過密な地区だ)で、妊娠中の女性が4人の娘とともに砲撃で死んだ。私の子どもたちは、隣の建物が狙い撃ちされてから、ますます緊張と不安を募らせている。私は努めて子どもたちに話しかけ、できるだけ落ち着かせようとしている。しかし、実際は、航空機、ヘリコプター、無人飛行機が大砲や戦車の砲撃に加わって、私たちは緊張を解いたり和らげたりする暇もないのだ!

2009年1月6日(火) 18:06
  何千人ものパレスチナ人がUNRWAの複数の学校に避難した。
  そのうち40人が今日(2009年1月6日)、空からの攻撃で殺された。

●〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●

  【 SIGLO NEWS  第129号 】  09.01.14

人間の歴史を無意味にしてしまうほどの、イスラエルの妄挙に抗議します


ガザへの空爆、地上戦が悲劇的なのは、なによりもガザ地区が封鎖されていることにある。避難すべき安全な場所というものがない。学校、医療関係施設、それらも標的にされているか、誤爆なのか、現実に爆撃されている。電気・水道・食糧なども不足している。人口が密集しているから、一発で多数の被害者が出てしまう。子どもの犠牲者が千人を超えたとか。法王もガザ地区を「強制収容所」と表現。国連事務総長も怒っていたねぇ。そんな声で仕方なく停戦となったようだ。国際世論はさすがに無視はできないらしい。アメリカの常套手段、「拒否権」も使えなかった模様。

今までパレスチナ問題については、日本ではほとんど報道されていなかった。それがテレビや新聞でも出てくるようになった。変化したな、と私は感じている。同情だけでは解決はつかないけれど・・・アメリカの下院はイスラエルを支持する決議とやらを出したようだよ。まだまだ「チェンジ」していないねぇ。元々イスラエル建国運動は第二次大戦での非人道的犯罪が原因。しかも、西欧諸国がそれぞれの「国益」のために、無理やり新たに国を作っちゃった。パレスチナの地に。パレスチナの人にとっては偉い迷惑な話だった。それがこんな状態になっている。かつての被害者、イスラエルでは「ハマスを日本のように屈服させよ」なんて言っている者もいるそうだ。あそこも核があるからねぇ。おお、怖い。軍事産業を儲けさせるための戦争や紛争はもうたくさん。ひとりひとりが声をあげることと、ひとりひとりの生き方も問われているかな。身の回りの新自由主義から脱却しないとね。根っこは一緒だと思うよ。

ホローコーストとガザの写真、PartTPartU。白黒とカラーの違いだけでまったく同じ悲劇が映し出されている。どうしてこんなことになっちゃうのかねぇ。





No.4

 政治大恐慌

 りっちゃん
09/1/19

副題は悪夢の政権交代、誰が日本を救うのか? 帯には、「自民・民主大連立は日本を破滅させる――。日本を救うのは、脱「麻生」、脱「小沢」のシナリオしかない」。著者は政治評論家の森田実

総選挙での国民の自覚ある投票を願って書いたのだと思うけれど、その割には小難しいし、「ねばならない」(政治家に対してだけれど・・・)が多すぎて、読むのに疲れる。でも、わかるよ。「自公連立政権も民主党も、2008年秋の世界経済の大破綻と世界政治・経済の大転換のあとも、政治路線見直し・転換の議論を始めてもいない。驚くべき鈍感」だし、「この世の中で最も大切なのは「平和」である」から、「ISAF(国際治安支援部隊)に参加する考えである」小沢民主党なんか危なくって。で、どちらの政党も政権を得ようと足の引っ張りあいみたいなことばかりで、まったく日本を救うだろう政治家なり政党はどこにいるんだか。お叱りを一杯書き連ねたい気持ちはようくわかる。

結論から言うと、「総選挙の結果、与野党は互角、キャスティンボードは無所属が握るとの予想」だそうだ。私の希望は、とにかく弱小政党がもっと発言できるように伸びてほしい。みんなそれぞれの判断でいいから、ばらけて投票してほしい。国会が政争の場でなく、国民が幸福になるためにはどういう政策をなすべきか、の議論の場となるように。

アフガン戦争を宗教戦争ととらえているのは、まったくの間違いだよ。新自由主義とやらが、『The Shock Doctrine』(ナオミ・クライン著)の紹介にあったように、「歴史性や公共性を破壊させ、強引に更地にしてすべてを私物(アメリカの企業)化していく手法」でアフガンでも強引にやっているから、それに抵抗している地元住民の戦いなんだなぁ。そのことは中村医師のほうがよく知っている。

プライムローン問題での私の理解によると、新自由主義というのは、詐欺商売優遇ということだよ。“大恐慌”ととらえるよりも、その詐欺師たちを捕まえて金を吐き出させるべきと思うけどな。時間がかかるから、それまでは政府がなんとかしなくっちゃ。救済処置も大企業を助けることによって、みんなを助けようでなく、一番困窮している側に手を差し伸べるべきだと思う。そして、何よりもその元凶のアメリカとは、日米軍事同盟ではなく、平和同盟を結ぶべきだと思う。アメリカだけでなくいろんな国との平和協力関係も結んでね。オバマさんになっても、森田さんが指摘するように、米国は日本を利用しようとする。軍事同盟である限り、軍事的に利用される危険性が高い。平和はこれからも脅かされたままとなる。パレスチナ問題を、アメリカ自身が本気で解決しようとはしないだろう。国連で拒否権を使わなかったそうだけれど、それは、廻りの国々の反応からそうしていることであり、軍需産業が儲かるというシステムを変えない限り、世界の紛争はアメリカにとってお得意さまであり続けるよ。だからこそ、日本は従米路線をやめ、アメリカから常に距離を置くようにしないと・・・軍事的だけでなく、今回は経済的にもその必要に迫られているんだけどな。

「われわれはいまこそ、新自由主義に対して決然と「否」を突きつけるべきである。これは人間らしい生存を回復する戦いである」。アメリカとともに日本までコケル必要はない。実体経済というか製造業が日本はまだ健在である。アメリカの軍需産業を含め、詐欺的商売(必要のない需要を脅し付や詐欺的商法であおるだけあおる)ばかりとは違う。んー、昨今は日本も怪しいから気をつけなくっちゃ。“大恐慌”という言葉にもそんな脅しがあるような気がするなぁ。有効な対策が打てない理由の一つに財務省の姿勢「プライマリーバランスの黒字化」をあげている。八百数十兆円の借金があるそうだけれど、同時にアメリカへの約200兆円もの貸金もあるそうだ。返してもらうためにも、従米路線はアカンね。オバマ氏も新自由主義から方向転換するとは思うけれど、どこまでできるかは疑問だし・・・

課題として、@平和、A自主 B修正資本主義への転換、をあげている。同感だね。はっきりと平和を謳っているのが、社民、共産。修正資本主義の方は国民新党とのこと。総選挙では、わたしが本来嫌いな共産党に入れようかと思っている。

近頃平和を脅かした日本内部での問題、田母神論文の問題にも言及している。
  「田母神論文の内容はきわめて低劣で、論評する価値のないほど愚劣なものである。   しかし、田母神論文は自衛隊制服組のトップによって書かれたものであり、その点で看過するわけにはいかない」。
  あれは自分で本音をいうとまずい人たちが書かせたんだろうけれど、彼自身も公務員なんだから、憲法違反だよね。即刻解雇すればいいのに・・・年金問題もそうだけれど、国民を幸福にするどころかその反対のことをする、した人は解雇が当たり前。すでに退職しちゃった人からは退職金返還させればぁ?好戦的な軍人とは最低な軍人。でもって、この人は多分「ナポレオン」の子分、戦いでは隠れちゃう豚さん的性格じゃないかな。(動物農場を参照してね)

共産国ソ連の崩壊、そして新自由主義の破綻、これは、私たち庶民が人間らしく生きていくうえでの反面教師だと思うよ。これからはどう生きるか?経済的に豊かではなくても、心が豊かな生き方を模索していきたいね。優しさ、平和、そういうものって見えずらいけれど・・・そうそう、成人式の署名活動で、今年は若い人たちの反応が結構良かったのよ。338道路の見直しを求める署名だと、車にとって便利な社会か、人に優しい社会かの違いが見えやすかったというのもあるのだけれど、若い人たちが社会に関心を持ってくれることが何よりもうれしかった。





No.3

 転換点

 ヘイキン
09/1/11

ゆきおさんの投稿にも出てきたキーワード「転換点」それは自分も感じています。
  多分かなりの人が感じているのじゃないかな。

小泉に靴投げつけてやりたいのは、全く同感。行きすぎた新保守主義。
  お隣の韓国何ぞと違って、表だって反対行動というのが全くなされなくなった(報道されなくなった)悲しい「国」日本。学生運動は骨抜きにされ、組合も解体同様。

そこに黒船が現れた。サブプライム何ぞやなどから始まった、超不景気。それをもとに大量解雇。
  これでようやく気づいた「日本」。これでいいのかと、庶民も気づいた日本。
  単純な原理だけど、「企業」というのを単位に利潤を考えると、確かに自分の企業だけは低賃金で働かせて、同業他社を含む他社は高賃金ならば、確かに自分の企業だけは高い利潤を生む。でもそうは行かない。そんなこと、「頭のいい」経営者軍団は何でわからないのだろう。そこで、初めて社会全体で規制をかける必要が出てくる。それが政治の役目なのに、劇場政治やら、漢字の読めない総理やらしか出せない土壌の「日本」。ただ、労働者問題で、組合もようやく息を拭き変えつつある状況。経団連主催の酒飲み会での抗議に組合の反対運動がテレビ報道されたのを見て、自分もようやく「転換点」の萌芽を見る気がしました。

ここまで来て自分も、りっちゃんがいっていた社共合同ということに0.1%でも期待をせざるをえません。
  ちなみに自分自身は、北欧型の社民主義にあこがれています。
  とにかく民主党も所詮は自民党からあぶれた連中の集団。基本的にはかわらないのに、幻想に一時的に期待をかけるのか?

ただねえ、社共というか、護憲の唯一の弱点が天皇制だと思っています。
  こればかりは、日本の文化に根ざしている部分があるので、簡単に選挙で天皇を選びましょうとは、まぁ無理でしょう。
  ただ、自分もウツもちだからわかるけど、誰が見ても雅子さんは精神疾患です。だから気の毒でたまらない。
  別に今の皇太子も政治思想は別にして、雅子さん&ファミリーのことを大事に思っていると思いますよ。人間だもの。ただ、周りが自由にさせない。今の皇太子が、勇気を振り絞って、俺天皇やらんから、オバかな世間知らずの紀子ちゃんファミリーに将来の天皇任せるから、今の紀子ちゃんの末っ子が成人になるまで摂政やるとか言って、それ以降は葉山の御用邸辺りで暮らしていれば、雅子さんも元気になると思うのだけど、どんなもんでしょ。

  ところで、一応短い投稿だったら、こちらにもどうぞ平和成金ホームページ
 
http://www.geocities.jp/heiwanotori/





No.2

 動物農場

 りっちゃん
09/1/8

昨日、ジョージ・オーウェル原作のアニメ「動物農場」を見てきました。水曜はレディースデイで、1000円で見られます。そのせいか、ほとんどが若い女性でした。なんだかたのもしいです。提供はジブリ。世界のアニメ作品をこれからも配信するそうです。小学生の時に見た「雪の女王」は感動的な作品でした。人間には温かな心が本来あるものだと、信じたい。

支配するものと支配されるものがいる、これはどんなに平和な時代であっても、現実にあるのです。小さな単位で、私なんか、できれば責任ある仕事は誰かにやってもらいたいと、お任せにしてしまうことがままあります。ひいらぎ、こげら両合唱団が典型かな。信頼できる関係なので、安心してお任せしていますが、支配者が、自分の利益だけを考えるような者たちであったなら、それは問題。

歴史がそれを証明している。圧制が続けばその支配者はいつか暴力によって滅ぼされ、新たな支配者によってその社会が統治される。権力と資本が独占されれば、また圧制が起きる。それを防ぐのが共産主義、と言ったのがマルクス達だと、これは私の単純な理解ですが・・・

映画のポスターにあった「今、豚は太っていない」というのは、今の社会では、「白人種」なり「知的労働者」なりが、そうでない人たちを搾取、迫害している現実を暗示しているのだと思います。アメリカが変わることを期待しながらも、いまだイスラエルに抗議をしていないオバマ氏の今後が気に掛ります。「票は黒人から、選挙資金は白人から」集めたというのが事実なら、この先もイスラエルの横暴を防ぐのは難しいかと。

今年の初泣きは、誰よりも真面目に働いていた馬が、せっかく作った風車を元飼い主に爆破され、涙を流したのを見て・・・失業者の私にとって労働の価値というものを考えさせられます。事故で働けなくなった馬は、豚に売られて、ウィスキーと交換されてしまうのでした。後期高齢者問題とダブりますねぇ。派遣切りもひどいです。まだまだ働ける人たちを自分たちのご都合だけで、彼らの住居を取り上げ、生活権まで奪ってしまうのは許されない行為です。

「知」というものは、「良心」とワンセットでないといけませんね。豚でも最初に出てくる老豚や“犬”に殺された白豚は、「良心」も持ち合わせていました。老豚が遺言をみんなに聞かせる場面で、横入りした豚2頭が後々悪い支配者になるのですが、血を流すような革命の前にこういう小さなマナーを、お互いが注意しあえるようだと、いいのではないでしょうか。「不断革命」というのが実践されるといいなぁ。せめて“犬”の登場あたりで、みんなが反抗すべきだったと思います。“犬”は人間との抗争時犠牲となった犬の子どもなんですよねぇ。遺児をこっそり“犬”に育てた豚ナポレオンが権力を握ることになります。社会にちゃんとしたセーフネットがあれば、“犬”はまともな犬に育ちます。

同じ過ちを何度も繰り返すのは、愚かです。支配者にお任せしっぱなしではいけません。でないと、「特定の人間だけは平等」が当たり前の社会になってしまいます。どうぞ、社会的弱者に目を留めてください。まずは弱者を作らない制度を整備していきましょうね。





No.1

 2009・年賀ご挨拶

 ゆきや
09/1/1

大変御無沙汰申し上げております。
  相変わらずの「正しいテロリストを支持する偏屈男」のまま2009年の御挨拶を申し上げます。
  おりしも、世界の殺人鬼イスラエルが、非人道の殺戮をはじめたばかりです。
  地獄への免罪符として、この偏屈男も、国境なき医師団にすずめの涙ほどでもカンパを送らなければなりません。
  「正しくないテロリスト・イスラエル」と、支えるアメリカ政府には破滅という結果を贈らなければなりません。




ゆきやさんも皆様も、あけましておめでとうございます。元旦に「ニンバ」を叩いてきました。初詣にいらした方たちの列は最長だったそうです。今のひどい状況のなか、祈らずにはいられないということだと・・・みんなが気付き始めたからには、今年はきっと転換点になるのでは、と思います。また、そういう願いを込めて、ひとりひとりが幸せになるよう祈りながら叩きました。

空爆のみならず、ガザに地上侵攻をしたイスラエルの首相には、先ず靴を投げつけねばなりませんねぇ。ガザの子どもたちが心配です。まったく年明けだというのに・・・しかし、地上侵攻の記事が東京新聞の一面に載ったということは、これまでとはだいぶ違ってきたなぁと・・・社会面には連日、日比谷公園での記事が載っています。おんな組いのちのお知らせでも
  仕事や住居を失い、日比谷公園の「年越し派遣村」に集まり、厚生労働省2階の講堂などで宿泊していた元派遣社員らの引っ越し作業が5日午前、始まった。都内4カ所に用意された旧学校施設などへ移る。そこには、ハローワークや出張所を置くというが、企業の雇用形態が抜本的に変わらないと、状況はよくならないぞ。
  と。小泉にも靴を投げつけておけばよかったなぁ。

昨年暮からちょっと更新をオサボリしてしまいました。数独にハマリながらつらつら思ったのは、私もPTSD? おととしまでは何かと「これは何?いくらなんでもそれはないでしょ?!」みたいなことが起きたけれど、昨年はなかった。人の心の貧しさに触れるとなんだか悲しくなってしまう。それが心の底にオリのようになっている様な気がする。元気そうに見えても、それが疲れとなって現われたのかなぁと・・・オサボリの言い訳に過ぎないのかもしれませんが・・・

昨年から、いい人間関係に囲まれていると感じています。タリの会、都道338に上鈴木地区338、音楽の方では、「翼」、「セブンス」、「こげら」、のんびり「ひいらぎ」も来年は演奏会を開く予定。そしてお囃子と。情のある、暖かい社会に変わりつつあるのかもしれません。今年一年がいい年となりますように!! 私も相変わらずのぼちぼちですが、一歩一歩、歩んで生きたいと思います。三味線は只今「越後獅子」を練習中。これが面白い分難しい。師匠がいなくても、毎日さらっていればいつかはサマになるだろうと・・・ぼちぼち・・・です。

ゆきやさん、お向かいのおばあちゃんは今年で96歳になります。今でもうどんや草餅を手作りなさっています。まだまだですよ。今の日本を地獄にするのも天国にするのも、みんなの動きにかかっています。都道338では若いお母さんたちが頑張っています。私も連動していきたいと思っています。皆様、本年もヨロシク!!





井戸端会議風伝言板はこちら   14年版はこちら   13年版はこちら   12年その2版はこちら   12年その1版はこちら   11年その2版はこちら   11年その1版はこちら   10年その2版はこちら   10年その1版はこちら   09年その2版はこちら   08年その2版はこちら   08年その1版はこちら   07年その2版はこちら   07年その1版はこちら   06年その2版はこちら   06年その1版はこちら   がっかりの05年その2版はこちら   社会問題も色々05年その1版はこちら  社会問題04年その2版こちら   社会問題04年その1版こちら   社会問題03年版はこちら   拉致問題はこちらを   辻元さんの活躍を願っています特集はこちらをクリックしてください。

りっちゃんちはです。