08年その2版井戸端会議風伝言板

例年だとゆっくりできる11月に、「ともだちの”わ”」と「あさやけ」と大変楽しく充実した時間をもてました。その分疲れが出たのか、12月上旬以降は、更新もさぼりがち。でも、今年は個人的にはいい年でした。友達の”わ”も広がり、今まで続けてきたことにもいい結果が出てきたような。日本も派遣切りで大変な状況になりつつありますが、湯浅さんの言うように、みんなが共有できたら、来年はきっと変われるよ。東京新聞だからか、メディアも変わってきたと実感しています。

No.43

もやいの湯浅さん

 りっちゃん
08/12/4

もやいの湯浅さんのナマ顔を見たくて、1日、講演会に行ってきました。どこにでもいる普通のお兄さんという印象。肩に力が入っていない、自然体とでも言いますか。誰とでも対等に話のできる人ではないかと思います。でも、頭は切れる。7人の質問者への回答が、きっちり的を得ていました。すごい人でもありました。

「反貧困」を読んでから、状況はますます悪化。十数年かけて非正規化し、アメリカ経済沈下の影響で自動車の減産。厚労省の発表で3月末までに3万人の解雇。湯浅さんの予想では、この年末をピークに10万人だそうです。派遣の借り上げ住居では、住むところも同時に失います。12月25、26日までに生活保護の駆け込み申請ができるよう、24日に電話相談を受け付けるそうです。今年の年末年始が長いので、非常に厳しいです。電話を受けられるのも数に限りがあるし・・・本来は行政がやることなのに・・・クリマスとお正月を温かい食事と、暖かい布団の中で、皆さんが過ごせますように。

正規社員も安穏とはしていられない。これだけ厳しい状況だと、ますます、“どんな条件であれ”“仕事にさえ就ければ”と、労働条件が悪化していきます。セイフティネットが穴ぼこだらけだから、会社から放り出されたらおしまいだぁと、「NO!といえない労働者」になってしまいます。4月の春闘だって、「非正規がこんなに困っているのに何を贅沢なことを言っているんだ」なんてことを言われかねない。だから、非正規の労働問題も自分たちの問題ととらえ、共闘していかないと、自分の足許が崩されてしまうよ、って。「NOがいえる」ためには、社会保障の中でも、働いている人のための保障をちゃんとしましょうって。医療・年金以外はほとんどないっていうことは失業保険かな。私の場合、3ヶ月待機で3ヶ月しかもらえなかった。で、それからもう2年失業中。

日本の社会は、かつては中流が多く、年収が丸いちょうちんのような形だった。今は、どんどん中間層(年収300万〜400万)がやせ細り、縦長になっている。下に伸びたのが貧困層。上は富裕層。もっとひどくなると、アメリカのような瓢箪型になる。

貧困は様々な問題も引き起こします。第一フリーター世代は40代、もう親は働けません。家庭内の軋轢が強まります。家庭内の殺人、虐待、DVなども根っこには貧困がある。労働条件の悪化で効率を求められると、職場でのイジメ、排除も起こりやすくなります。「NO!が言えない」となると、食品の安全もますます危ないかも。内部告発なんてできないものね。

日本の年功賃金。これは支出も同じような曲線を描きます。子どもの教育費、住宅費など、必要な経費と収入があっていたのです。それが、欧米型のようにほとんど直線、年齢が上がっても収入が増えないとなると、エライコッチャとなります。だから、支出も低支出型に変更する必要がある、と。

ホームレスに出会ったら、私に何かできないだろうか?という質問には、(私もしたかったけれど、現在、手一杯という感じで、聞いても何もできないだろうという予測があってしなかった)、本人と話をしてください、その人が何をしたいか、してもらいたいかを聞いてからのことですって。

目の前の人への対応だけで精一杯で、労働問題まで目が行かない。どうしたらいいか?という質問には、労働運動をやってきたようなオジサンは、社会問題として認識して発信は得意、もやいに来ている若い人たちは、個別の対応、寄り添うことが得意。この二つを互いに学ぶ、学校のようなものができたらなぁと、思っているそうです。

もっと安い労働力ということで、移民を受け入れることになるのでは?という質問には、移民の労働条件を改善する運動をする。どんどん追っかけることですって。そうでないと、また墓穴を掘ることになっちゃうものね。

大学生から、自分は「貧困」をテーマに勉強しているが、なかなか他の人に関心を持ってもらえない。どうしらたよいか?という質問には、僕からしたら、あなたみたいな人がいるってことはそれだけ広がったのだと、心強く思いますって。「ワーキングプア」の存在、世の中の状況が悪くなっているという認識、新自由主義は結局駄目だったジャンということが共有されてきている。来年の半ばには折り返し地点が来るのでは・・・そうなって欲しいです。





No.42

無境界家族

 りっちゃん
08/12/3

森巣博さんの本です。「天才を育てるには」というハウツーものの育児書としたなら、もっと売れたかも。もっともそんな本は私は読む気にならないし、博さんも書きたくはないだろう。

森巣さんの教育方針はただ一つ。
  「したいことだけをしなさい。やりたくないことはやらなくてもよろしい」
  そうして、ヒロシは子どものために、家事にいそしみ、送り迎えの運転手をしたのだった。

「親は阿呆でも、子は育つ」。これも真理ではあるけれど、なかなか思い通りにも行かないのが子育てでもある。
  「「よりよい位置を求めて、終わりなき席取りゲームを繰り返すような生活を子供にさせてもしかたなかんべえ」
  と妻と語り合った。
  妻と語り合わなかった部分では、
 「どんなにむずかり泣き叫んでいようが、茶碗の音がすれば泣きやみ、煮炊きの音が聞こえれば微笑み、取り柄といえば、しっかりとしたクソをする」
  そういう子どもを育てようと、私は密かに念じていた。
  私の育児目標はまったく外れてしまい、おそろしくセンシィティヴで、他人の痛みがわかる優しい子に息子は育ってしまった」

と嘆いているんだか、のろけているんだか・・・
  「親の思い通りなどとは無関係なところで、子は育っていくものではなかろうか」。いえいえ、私の「個的な経験」からいうと、望みどおりに育ちすぎちゃって、ある時「あらぁ、ちょっと修正しないと・・・」って思うのですよ。私は、「自分の意見を言える子に」だったのですが、周りがそうでない子ばかりで目立ちすぎ、その時のPTAでの相棒の子は「優しい子に」育ちすぎて、二人ともいじめられるという経験を得てしまいました。

「「いい加減」さとか、「不真面目」さだとかを、かならずしも負の要素として捉えていない。
  それは、
  ――真面目で熱心な帝国陸軍憲兵隊長は、最もタチの良くない人、
  という認識に根ざしていた。」
  まったく、育児には「いい加減」も大事な要素ですね。

妻のテッサが大学院生だった時、「プレイ・グループ」に参加する。共同保育ですね。
  「月に二日間、もう一人の親と一緒に二人で、監督をするのである」
  「好きなことを、おやんなさい。
  子供たちは、自分たちで遊びを創造して、遊ぶ。夢中になって、遊ぶ」
  「ずぼらな親も居て、弁当を作り忘れたまま子供を「プレイ・グループ」に預けて消えてしまう、などということもあった。そういう場合は、その子は、水だけの昼食。もっとも、子供たちが自分たちで弁当を分け合い、絶食のケースというのはわたしの知る限り一例もなかった。ただし、監督者は、こういうことには介入しない。すべて子供たちにまかせた」
  適度な「いい加減さ」は子どもたちの自主性を育てます。

そんな幸せな幼児期を終え、イングランドの小学校に上がると子どもはイジメに遭います。息子からの質問。
  「いったいぼくはなに人なんだ?」
  追い詰められて、答えたのが、
  「きみは・・・・、無境界人だっ」
  それがこの本の題名につながるのですねぇ。後に「日本で言えばハーフ」なんて酔っ払って意地悪なことを言ったヒロシに、子どもは切り返します。「ハーフ」でなく「ダブル」だと。そして、そんな会話ができたことをまたヒロシは心ふるわして喜ぶのです。育児って楽しいって。そこから学ぶことも一杯あるって。

めでたく大学を主席総代で卒業。その時のスピーチが、
  「制度を無視してわたしを受け入れてくれた大学側の柔軟な姿勢に最大の敬意を表したい。本来、多元的であるべき『知』の世界に、立法や行政や産業界の『意図』による『文化資本』の一元化が謀られている時(本当にこんな言葉を使ったのだ)、決して忘れてはならない態度であろう」。
  「常なる知的刺激をわたしに与え続けてくれた、私の母親テッサには、最大限の謝辞を申し述べたい」
  に続いて、
  「最後となるが、けして些細ではない、私の父親が、ただそこに居てくれたことに私は感謝する」
  親ばか(馬鹿な親とは違うのです)のヒロシは、もうめろめろに泣いちゃうのです。

「もう私は、えっ、えっの連発。情けない。
  この子はいつでもそうだった。嘘でも良いから、親に相談する(ふりをする)という可愛らしさがなかった。すべて自分で決定して
  ――なになにをすることにした、ヨロシク。これでしまいである。」
  いいじぁないですか。人生を自分で決められるようになったら、双六のあがり。子育て終了なのですから・・・

この本は、子自慢・妻自慢の本であると同時に、国家批判論でもあるのです。
  「家族を語り、育児を語り、そしてちょっとだけ博奕を語ろう、と考えているのだが、それがいつの間にか「国民国家批判」に結びついてしまう」。まぁ、日本人論者への悪口と言ったら、面白いです。ケチョンケチョンです。で、反論がないというのは、やっぱりぐうの音も出ないからだろうと思います。

「彼ら彼女らの著作を読んで、すぐに気付くのは、そこで述べられた「日本人の範疇に右記の人々(少数民族、在日朝鮮韓国人)が含まれていないという点だった。
  いやいやそれだけではない。
  身体障害者、精神障害者、犯罪歴のある人、新宿の公園で寝ている人、フェミニスト、同性愛者、神戸の少年A、オウムの麻原尊師、和歌山の林真須美被告、そして「非国民」たち、アカ、シロ、ピンク、ブルー、パープル、イエロー、ブラック。
  みんな、すべて、さっぱり、きれいに、全部、まとめて排除されていた。ひどい「日本人論」者の主張だと、「日本人」の範疇に日本人口の過半数である女性すら含めない。なんじゃい、こりゃ。
  そこに存在するのは、エクスクル−シィヴ exclusive=排除・淘汰の論理であり、インクルーシィヴ=包括・共生の思想ではない。」

イギリスからオーストラリアに移住したのも、テッサさんが「個人に対する国家の重みとか管理とかでは、オーストラリアが一番軽そうね」と言ったから。
  実際、子どもの飛び級とかでは、法律があとから変更されていく。そう、法律ってそういうものだと思う。

ジェンダーについてもわかりやすく書かれている。博さんが即答で正解したクイズ「脳外科医と患者との関係は如何?」、私は駄目でしたねぇ。男の研究者の3倍頑張らないと評価してもらえないテッサ、超忙しくて、育児は賭博師ヒロシの担当となる。「ファック・ミー・シューズ」。足に気持ちのよい靴を履いているから、うちでもそれは靴箱の肥やしになっている。テッサは「西洋の纏足」と表現。確かに。

テッサが読んで眠れなくなったという雑誌。日本の子育てがいかに異様か、あらためて考えさせられる。
  「娘が三歳になると、幼稚園選びで、夫と衝突する。
  「それは母親が決めるもんだろ」
  夫のこのひと言に、妻は驚愕する。
  園児の母親たちに聞いてまわり、幼稚園の朝の光景も観察して、妻が娘の幼稚園を決めた。
  そこはお弁当袋や上履き袋のサイズが細かに決まっていた。既製品は使えず、手作りしかない。
  「できないよ。家庭科の成績よくなかったもの」
  と夫に嘆いたら、
  「手作りが、母親の愛情だろう」
  発注できる店は予約でいっぱいだ。入園式までに間に合わない。
  うろたえるご夫妻には申し訳なかったが、わたしは涙を流しながら笑い転げてしまった。
  そして笑い転げたあとで、なぜだか哀しくなってきた」

「子どものために」悪戦苦闘し、ついにキレテ夫婦喧嘩を始めても、「子どものために」我慢する。
  博さんは、大人(夫婦)が先だと主張する。私もそうしてきた。育てる側が楽しくないと育児なんてきつい仕事をできるはずがない。「子どものために」塾にやらせ、その費用を稼ぐために働くなんて、本末転倒。親がまず「やりたいことをする、やりたくないことはしない」を実践することです。ま、細かいところで悩むこともあるけれど、そこは話し合って決めるのが一番。ヒロシとテッサが議論をいっぱいしたので、子どもは英語が上手になったそうです。天才なのもそのせいかな。うちも基本的に方針似ていたのになぁ。天才にはならなかったのは、わたしがそれを望まなかったのと、日本で育ったからなのと、夫との話し合いがなかったからだと思う。

「子供というものは、ほっておけば全体主義者になるものなのだ。危険な一般化かもしれないが、わたしの観察および経験則から大胆にそう断言しても間違いではあるまい、と心得る。そしてこの局面での親の役割とは、ほっておけば全体主義への傾向を有する子供をチェックし、言葉は悪いかもしれないが「矯正」していくことではないのだろうか」。
  日本の教育って、全体主義の枠組みに無理やり「矯正」しているよな。で、入ったふりもできない子は露骨に排除。

「『育児評論家』などの宣うことに耳を傾ける必要など一切ない。わたしの言うことを聞け」
  「だいたいあいつら(男の育児評論家たち)は、自分で育児なんかしてないのよ。みんな奥さんまかせ。そんな奴らの書くことを信じる人は、かなりお芽出たい。だいたい、この連中です、
  〜三歳までは母親が育てる方がよい、
  などという「三歳児神話」を作ったのは。わたしは死刑廃止論者なのだが、この連中のためだけには、「例外条項」を作ってもいい、とすら考えている」
  母親でなくともいいし、三歳に限らなくていいのだけれど、誰かがただそこに居る(見てくれている、信頼してくれている、愛されている)っていうのはとっても大切なことだと、これは親として保母としての経験から、確信しています。

今、自信のない人が多いのは、排除の思想が蔓延して、ただそこに居てくれる人がいない、もしくは本人がそう錯覚する状況で育ったのが原因かと。
  「ありのままの自分でいいんだ」。昨日、聴いて来た李政美さんの歌の歌詞にもあったよ。私も、「自分なりに普通」に生活しています。





No.41

ゴー宣「暫2」

 りっちゃん
08/12/1

小林よしのりさんの漫画。よしりんも韓国人とおなじく前向きで、変化している。

「朝日新聞は元旦の社説で、小泉首相が誇ったように、自衛隊のイラク派遣で、一発の弾も撃たず、一人の死傷者も出さなかったのは、交戦状態に陥ることを避け、人道支援に徹したからだと書いた。それは憲法9条があったからだと。
  「正しい!」
  もしも名実ともに軍隊をもち、その役割を拡大させていたら、イラクでも英国軍のように初めから戦争参加を迫られていただろう。そうなれば、一発の弾も撃たないではすまない。間違った戦争となれば、なお悔いを残したに違いない。
  「正しい!」」
  よしりん、よく言った。偉い。朝日新聞を嫌っていたはずなのに、筋さえ通れば認める態度はいいねぇ。

「わしは「護憲派」にはならないが、現時点での憲法改正に反対の立場に回らねばならない」。鈴木邦男さんと一緒だね。「国民が不自由になる自民党案の憲法よりも押し付け憲法の方がまし」だって言ってた。

一水会によしりんが来たって。
 二人とも考える右翼(よしりんは謙虚にも漫画家に過ぎないと言ったとか)だもの。ちゃんと考える人は、変わることをいとわない。二人とも偉いなぁ。

「「米軍再編」もわしは懸念している。日本列島を、中国や朝鮮半島やロシアと対峙する「本土・アメリカの前線」とするわけにはいかない」。
  先ずは独立国にならなくっちゃ。

「権威主義者が天皇の言葉に動揺し、大御心に従えと現人神に祭り上げてしまう。
  「たかが漫画家」と「大御心に従え」は同じ心性なのである」
  正しい!!
  たかが漫画家、されど漫画家。私は「大御心」だからといって鵜呑みにはしないけれど、「大御心に従え」と言う人は、明仁さんの言ったことに従って、君が代を押し付けたりしないはず、なんだけど・・・どうかな?

「自衛隊は、今後も政府の判断が間違っていたとしても、国民の負託を受けて命を賭けねばならない立場の者たちである。「だからこそ」国のために命を賭ける者への敬意を、首相は靖国参拝を通じて国民に示さねばならない」
  前半はそのとおりだね。だから政府が間違わないように、国民がちゃんと意見を言わなくっちゃ。また政府もそれを聞かなくては、どこが民主主義?ってことになるよね。
  ただ、靖国神社は天皇のために犠牲になったものたちのであって、国民のためではないんだ。西郷さんも入ってないし・・・それに合祀しないで、という人のも入っちゃっている。変だよねぇ。一宗教でしかないところへわざわざ首相が行くのも変だよ。

「原爆投下で終戦が早まった」なんて嘘っぱち、だよね。
  「○莫大な費用をかけて作った原爆を議会対策のためにも使わなければならなかった。
  ○ウラン濃縮型と、プルトニウム型の2種類の原爆を、黄色いサルの住む都市で実験使用して、その効果を確かめる必要があった。
  ○戦後の世界秩序を巡って、ソ連のスターリンに脅しをかけておく必要があった。」
  一番目は私は気付かなかった。教えてくれてありがとう。遊就館にもいつか行ってみようっと。アメリカが日本を戦争に追い込んだという話、ありうるよ。でも、騙された日本も悪い。他国にも自国民にも責任がある立場だもの。

だからこそ、自国の平和だけを考えていては駄目なんだよね。人種への偏見・差別をなくし、核兵器廃絶をしなくては・・・よしりんは日本も核兵器について論議すべきだといっている。論議は良いけれど、核兵器は、どんなに離れていても、自国にも影響するよ。中国でもアメリカでも、核実験による自国民の被害があるものね。内緒のつもりらしいけれど・・・日本人ならみんなわかっているんじゃないかなぁ。核の怖さを。若い人はそうでもないか?若い人にも世界の人にもっと核兵器の怖さを知らせるべきだと思う。広島の原爆資料館、大丈夫かなぁ。原爆投下は「アジアのために貢献した」という「原爆肯定論」に変更されるなんて嫌だよ。

格差社会も憂いている。トラスト(信頼)を失くすからって。
  今までの日本は、良しにつけあしきにつけ、地域とか家族がセイフティネットの役割を果たしていた。それがずいぶんと壊れてしまっているから、また、それに変わるものとしての国のセイフティネットがなんともはや、湯浅さんのご指摘どおり、穴ぼこだらけ。アメリカのあおりを食らって、たくさんの失業者が出てくるのに・・・彼らのほとんどが同時に住居もなくなる状態のようだし、対策を急いで欲しいのに、日本国政府は無策。はぁ、ばら撒きでは解決しないよ。大企業を援助しても、派遣社員までは届かないよ。先ずはセイフティネットの整備だよ。

「わしは、弱者も少々能力の劣る者も、込みで強者が面倒見る社会でいい、その方が高信頼の「美しい国」だと思ってきたが、もうあきらめるしかない」
  一部の人を除いて、今は強者の立場にいても、いつ病気になるか、いつ障害者になるか、いつ失業するか、なんてわからないでしょう?だから、セイフティネットが必要なんだよ。「情は人のためならず」。セイフティネットを整備するための出費は自分のためなのですよ。よしりん、あきらめちゃ駄目。よしりんは無責任な評論家や、あるいは顔を隠してネットでものを言ってる連中とは違う。漫画家として、きっちり、自分の感じたことや考えたことを表現していって欲しい。

「政府もマスコミも「日米同盟」という言葉で、「日米安保」には書いてあった国連や国際法重視の日本の立場を放棄させ、自衛隊と米軍の一体化だけを進めるように国民を洗脳していることをわしは見抜いているぞ!」
  言葉って本当に言霊ですねぇ。言葉のちょっとした違いで、内容はえらく違っちゃう。えー、日本の立場は国連や国際法重視名ばかりでなく、憲法9条にあるように非戦なのです。それを言葉の使い方一つでずるずるとアメリカのために戦争をする国にしていこうとする。とんでもない。
  先ずはアメリカと少し距離を置かなくては・・・属国をやめよう。独立国になろう!!

「ここらで、もういっぺん自民党を野に下らせたらどうだ?」
  だよねぇ。こんなに国民を馬鹿にしている、というか、オバカな総理しか出せない自民党はもう切ろうよ。よしりんは民主党を利用してというけれど、私は民主も怖いので、ぜひ、自民、民主以外に投票してください。って、お馬鹿な割には、政権を握っていたいという“こずるさ”はあるから、いつになるやらだけど。

「真面目に働いても貧困から脱出できない者を放置する政治家が、愛国者のはずがないではないか!
  若者たちはそんな政党に投票するんじゃない!」
  愛国者ねぇ。森巣博が「無境界家族」でけちょんけちょんによしりんのことを言っていた。要は、すべてのナショナリズムは安っぽい。別な言い方では「病」に過ぎない。
  鈴木邦男さんは国家とは国民だと言っていた。よしりんは何だと思っているのだろう。領土?
  とりあえず、後半は正しい。これからの日本がどうなるかは、若者にかかっている。そして、戦争になったら、戦場に行かされるのも若者たちなのだ。
  「親の援助なしに、男性一人が稼いで、家を買って、二人の子どもを養って、大学まで通わせることができる、というのは団塊世代でおしまい」にするのかどうか、それも若者にかかっている。

もちろん、団塊世代の私も、やれることはやるけれど、なんせ、だいぶガタがきちゃったからなぁ。よしりんは元気だなぁ。血管年齢が30代とか。だから、思考が柔軟なのかもしれない。考える人は変わることをいとわない。間違いに気付いたら、どんどん直せばいいのだ。

天皇制、核兵器、慰安婦問題などは、私と意見がだいぶ違う。でもそれはおいおい。共通項は、アメリカから独立すること、今の時点での憲法改正(悪)に反対、格差社会をなんとかしたい、自民党を下野させたいってことかな。それだけでも実現すれば、ずいぶんと日本が変わるだろうなぁ。日本の未来に希望がもてる。





No.40

もう日本を気にしなくなった韓国人

 りっちゃん
08/11/23

還流にハマった友だちが言っていた。「私、韓国人って大好き!!」
  なるほど、この本を読めば、韓国人のパワー、と前向きさに魅力を感じてしまう。

「国内の外国人を大切に扱いましょう。それが国のイメージアップにつながる。そして、それは韓国製品の輸出増大につながる」という国益重視の考え方」
  小林よしのりが嘆いていたっけ。「情は人のためならず」の意味を、「人に情をかけると、その人のためにならない」とはき違えている日本人が増えているとか。廻りまわって自分の利益になること、国益もそういうことなんだよなぁ。日本の場合は単に守るだけの「国益」。同じ言葉でも、韓国のは積極的。

「前著『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社新書y・01年)を書いてから、すでにまる五年以上が経過した。この本は、九〇年代の韓国の盲目的な民族主義を、そこで暮らす外国人の経験を通して批判的に描写したものだ。」
  「当時、私の日からは、韓国のナショナリズムは「いらいらするほど稚拙」に見えた。もちろん、日本にくらべてもだ。
  ところがその後、韓国のようすも日本のようすも、両者の関係も大きく変わった。なかでも大きな動きは日本と韓国の逆転現象である。つまり韓国では反日感情が沈下し、日本での「嫌韓」ムードが高まった。さらに驚くのは、「嫌韓」的な言説の中には、かつて韓国人が日本に対して行っていた「反日言動」をそのままひっくり返したようなものが多いということだ。
  過去のことにものすごく固執する態度や、「韓国人とはこういうもんなんだ」という民族をひとまとめにした批判、それを象徴する民族キャラクターの創出など。それらは、かつて私が韓国の「病」と呼んだものである」
  おお、ナショナリズム=病が、ここにも書かれている。

「韓国人は自信を持った」、「もう日本のことなど気にしていない」、日本のネットは「情報が古すぎ」、「極端な時差ぼけ」。つまりは遅れているってことね。 自信のない日本人は、この本を読むとますますかっかとしちゃうかも。

今月9日、朝鮮大学のフェスタに押しかけてきた連中もそうなんだろう。「ぶっ殺せー」とか叫んでいたとか。まったく恥ずかしい人たちだよ。学生たちが近隣の大学や住民との友好目的で開いた行事だというのに・・・

「政治外交と人々の実感との乖離が広がりつつある」、「メディアが滑っているのは日本も同じだ」。韓国に遅れを取っているとはいえ、日本にも、意図的な煽りには動じない、暮らしや実感を大事にする人々が増えている。
  朝鮮学校への助成金を求める署名を集めていて、みんなが「子どもの教育権」ということにとても協力的なのに、驚きと手ごたえを感じた。
  私自身がネットの論調に影響されていたのか、差別があることをみんなが知らなかっただけなのか。動くことが大事なのですねぇ。

著者は、韓国に暮らしているから韓国のことが気になっていた。ワールドカップでは、
  「過剰な「テーバンミングック」にいや気がさして、途中で赤を脱ぎ捨てて、日本の青に着替えたりもした。
  「赤一色のところに、そんな青いユニフォームでうろちょろしていて大丈夫?」
  日本にいる友だちには心配されたけれど、それは大丈夫に決まっている。お年寄りから子どもまでいる運動会みたいな場所で、何か不測の事態が起こるはずもない。私も他の外国人も、勝利の勢いで気前のよくなった韓国人にお酒をふるまってもらっていた」

順子さん自身も積極的な方なのね。「赤」から「青」へ。自分の意志どおりに着替える。そして、「このワールドカップの時、初めて私は日本のことが心配になった」。その例に「ひきこもりの国」という本から「日韓」の差を挙げている。確かに、日本は引きこもり状態かもしれない。内向きもいいところ。

韓国は民主化が遅かった。通危機期にも見舞われた。そしてグローバル化を受け入れ、「人々の多くも積極的にそこを泳ぎきるしかないと判断したのだ」。
  「韓国人は、一人ひとりが個人的体験の中で、世界と独自のつながりをもっている。それは華僑が作る同郷ネットワークというような閉じた輪ではない。決して頑強ではないが、でもしなやかな線。彼らにもやはり、「道」が見えるのである」と著者は言う。韓国のことをよく知らない私には、そこまで理解はできないが、中国を「安い労働力を供給してくれる生産基地」としてでなく、「一三億の市場」と捉えるそのたくましさ。格差社会に対しても「韓国では中間層に対して、落ちないための注意ではなく、上がるためのノウハウを説く」。(これから)「「どうなるか、わからない。だから、いろいろ投資しなくちゃ」と、不動産、株、そして次世代、つまり子どもたち」への留学熱。
  「一つの民族としてはユダヤ人の次に海外進出度が高い」といわれるほどの国際性。ウーン、私にはまねできないなぁ。

「国家を信頼する日本人、信頼しないが期待する韓国人」の項が、ずしんと響く。私自身甘ったれだからなぁ。
  なんとなく与えられた民主制は、ずるずると後退していくばかりだ。勝ち取った民主制はたくましい。
  「「個人ができないというのなら、国がしてあげなくちゃ。そのための国でしょう」
  韓国人は、国家に対する信頼は低くても、期待は日本人よりうんと高いと思う。この期待の高さは、やはり韓国が若い国だからだろう。医療、福祉、あらゆる面で、やっと先進国なみのことをしようとしはじめたばかりだ。北欧の福祉国家から福祉なき米国社会まで、世界じゅうの例を前において、住民はひたすら高望みの要求をしていく。すでにあるものが削られていく日本とは、まったく正反対の動きである」
  「蜂の大群のイメージが浮かんだ。遠くから見るとえらくガタイは大きいのだけれど、近くで見るとじつは小さな個人が懸命に飛んでいる。
  みんなが一つの船に乗っているわけではない。一人ひとりが独立して自分の羽で飛んでいる。
  これが、グローバル時代に船出した韓国人の姿だ」
  日本はなぁ。「赤信号、みんなでわたれば怖くない」だもの。個の確立、自立がまだまだ。

韓国だって、問題がないわけではない。まだ休戦でしかない戦争中の国。分断された歴史が痛々しい。
  「統一の過程で南が北に与えるべき影響は、「やはり朝鮮民族は優秀」というような時代錯誤的な民族主義でもなく、またアメリカ一辺倒の近代主義でもないだろう。おそろしく閉鎖的な北朝鮮社会で生きてきた人々と、彼らを迎える韓国人にとって大切なのは、自由な市民社会のもつ多様な価値観と柔軟な考え方である。海外で暮らす五百万人の「同胞」や、韓国で暮らす四十万人の外国人とともに編み上げるハイブリッドな共存意識こそ、南北の壁をおのずから崩壊させる強力な援軍となるはずである」
  前著の結びの言葉だそうだが、同感だなぁ。

この本のあとがきには「この五、六年間の韓国社会の変化ぶりは「果敢」というに十分だった。それは私にとっては感動的だったが、果たしてそれがすべての韓国人にとって好ましいことだったのかどうかはまだ、わからない。「韓国はいつからこうなってしまったのだろう」
  韓国の年配者がふと口にするつぶやきからは、少子化、凶悪犯罪の増加、老人の孤独死など、韓国の新しい問題が透けて見えてくる。分裂する韓国社会、そこには「宗教」という要因もまた深くかかわっているにちがいない」
  著者は韓国で暮らしているから、韓国のことを心配している。私は日本で暮らしているから、日本が心配。成熟社会?甘ったれ社会なのではないか?私も含めて・・・

「改革」を叫ぶ誰かさんを頼ることがいかに危険かを学んだ日本人。自ら声をあげ、自ら行動することで、変えていくしかないのだと思う。





No.39

無理な恋愛していませんか?

 りっちゃん
08/11/23

デートDVの展示会が福生で開かれます。今日準備のためのお手伝いに行ってきましたが、資料が豊富、内容が濃いです。ぜひ、見にいらしてください。

日時: 12月 5日(金)11:00〜19:00
           6日(土)10:00〜18:00
  会場: 福生市プチギャラリー(JR福生駅隣接)
  入場無料
  内容
: 展示 デートDVチェック コミックカフェ 元カレの元カノを知っている?「Hの掟」

デートDVという言葉を知っていますか?交際している二人の間で起きる暴力です。
  若者だけでなく、中高生の間でも問題になっています。
  被害に合わないためにも先ず「知る」ことから始めてみませんか?

     わたし
  大切な  と  のために
       あなた

束縛は愛とは違うよ!

主催: 自分力を育てあるサークルいろどり
  ふっさ・ボランティア市民活動センター市民活動助成金事業





No.38

ともだちの“わ”

 りっちゃん
08/11/20

15日に「ともだちの“わ”」というイベントがあった。その報告は樂の音に載せたけれど、ほのぼのとして、愛にあふれた会でした。まさに“ともだちの“わ”が広がったのです。先月の26日には立川朝鮮学校のふれあいフェスタ、今月9日には府中のフリマと11日までの在日一世の写真展に参加。こちらの方も、同じように、ともだちの“わ”が広がりました。一世の人たちの笑顔は、日本という国でさぞかし苦労されたでしょうに、その経験をプラスに活かして獲得されたのだと思います。ご家族の写真もほのぼのと愛に満ち溢れていました。背景の木造校舎、住宅なども懐かしく拝見しました。今と比べれば、私たちも貧しかったけれど、でも、大勢で群れて遊んだ子ども時代が懐かしい。親だけでなくたくさんの大人に囲まれて暮らしていました。いい時代だったなぁ。今は経済的に豊かで、便利な物に囲まれているけれど・・・

9日には、朝鮮大学のフェスタも開かれていました。そこに妨害目的の右翼、いや、本物の右翼に悪いから、ここはケチ団体と呼ぼう。3団体もやってきたんだって。恥ずかしげもなく、動画をネットに載せている。私のパソコンでは音声が聞こえないけれど、「ぶっ殺せー!!」という叫び声もあるとか。心が貧しいんだなぁ。在日の人たちは、税金は取られて、選挙権はない、各種保険からも門を閉ざされてきた歴史がある。そのため年金がもらえないお年寄りが多い。小平市では、ほんのちょっと、助成金を支給することになった。それにケチをつけている団体がある。ね、ケチ団体でしょう? 私たちは、各種学校扱いで私立助成金ももらえない朝鮮学校に、各市から助成金をもらえるようにと、署名を集めている。子どもの教育権を保障しなくては・・・国連からも差別をしないようにと、日本政府に勧告が出されている。にも関わらず、ほっときっぱなしの日本政府ではなく、身近な市、在日朝鮮人も日本人もともに暮らしている地域の行政に助成金をお願いしている。みんな署名に協力的だ。お隣同士だもの。心優しい人が多いことがなによりもうれしい。

府中フリマの打ち上げで、朝鮮学校の校長さんからこんな問いが・・・「学校の歴史を紹介するパネルに、ウリの会などの友好関係を優先して、チョゴリを切られたりという被害については載せませんでした。それで良かったのでしょうか?」と。日本人のみんなは、私も含め「ウーン」とうなりました。とってもありがたいのですが、その期待に本当に応えられるのか、被害が伝わっていないために、差別があることを知らない日本人が多いのではないか。もっと知らせた方がいいと思う、と答えたのだけれど、友だちにそれをメールしたら、それをやるのは日本人の仕事だって、指摘されちゃった。日本の社会が差別をし、日本人が差別を許しているのだからって。本当にそうなんだよね。でも、日本人に、私に、そんな力があるのだろうか。

16日には、その助成金のための学習会が開かれた。前日にケチ団体の集会があるので、こちらにも妨害しに来るのでは、と心配だった。そうしたらね、心配して駆けつけてきた下さった方がいっぱいいて・・・そのためか、ケチ団体さん来ませんでした。できれば、参加して真面目に学習してくれた方が良かったのかもだけれど、それは贅沢かな。妨害もなく無事終わったことにホッ。そして、皆さんに感謝。ダウンして来られなかった友達のお連れ合いからも、長々のメールが届いた。みんなぁ、ありがとう。とってうれしいよ。

廊下で受付していた私にも、校長先生のお話が良く聞こえました。「子どもたちのチョゴリが切られるという被害もあります。子どもたちに、そういった場合の対処の仕方を教えなければならないというのは、大人として悲しいです。そういうことをするのは、日本人のごく一部の人です。だから、何かあったら、声をあげなさい。必ず、まわりの日本人が助けれくれます、と指導しています」と。電車の中で知らんふりなんてことのありませんように。差別があることを知らせるのも日本人がすべきことなのかもしれませんが、写真展も、学習会も、在日朝鮮人の方たちの方が集まりがいいんだなぁ。差別があった分内輪の結束力が必要だったのかもしれない。日本人は、経済成長とともに、地域や親戚との関係が薄れちゃっているし・・・今回声をあげたら、応えてくれた人がいた。用事や体調で来れなくとも心配してくれた人がたくさんいた。今は、お互いにできることで協力していきましょうね。「無理をせず、楽しみながら」が継続の秘訣です。そして今回、「ヘルプ」という声をあげるのもいいことなのだと・・・府中のフリマは、チマ友の「手が足りないから、来て」にお答えしてお手伝いして、いっぱい得をしてしまいました。

私事だけれど、98年ごろから、いろいろ苦労してきた。少しでも明るくと、歌を歌いながら必死に生きてきた。特に、小石を積んでも鬼がやって来て崩してしまう、あの無力感というのかな。友だちができたかなぁと思うと冷たくされたり、離れてしまったり。それが、ここのところ、ともだちの“わ”も広がり、昔からの友達の優しさも確認できて、私って幸せだなぁと・・・この家に住み始めて、小平に根を張ろうと決めて、「タリの会」に入って本当に良かったと思う。会員みんなが誠実で、また何か嫌なことが起こるのでは、と、構えていた心がとけたというか・・・信頼できる人がいっぱいいるんだって、そう思えた。

「タリの会」の歴史はまだ浅い。府中フリマの10年という歴史はさすがだと思う。にぎやかだったよ。たくさんの人が参加していた。幅広い人が参加できるっていいねぇ。スタッフともいい関係ができた。協働することが楽しい。コーラスってそうなんだよね。27日のあさやけ作業所の記念行事で歌うのもとっても楽しみ。今までもこげらの仲間、障害者の笑顔にずいぶんと助けられてきた。今まで続けてきたことが本当に良かったと思う。自分らしく生きてきて、それでよかったんだと思えた。これからも、みんなと一緒にやっていきたい。





No.37

昭和天皇・マッカーサー会見

 りっちゃん
08/11/18

この本の著者は豊下楢彦さん。まえがきに「筆者がとった基本的なアプローチは、昭和天皇の「お人柄」といった情緒的なレベルのものでは全くなく、占領下というきわめて特異な環境のもとで、天皇制の防衛を至上の課題とする「政治家」としての昭和天皇が内外情勢をリアルに分析していたであろう同じ地平〃にたって問題のありかを再構成する、というものである。こういうアプローチによって初めて、「立憲君主」という自己規定の枠組みを乗り越えて昭和天皇が、超憲法的〃に「高度に政治的な行為」を展開した背景を捉えることができるのである」とあるように、学者として非常に緻密に内外の文書を立体的に検証し、いまだに公開されない文書の公開も求め、冷静に“空白”を推論している。

でも、私はただのおばちゃんなので、どうしても情緒的に捉えてしまう。東條さんがかわいそう!! この本を読んで今まで疑問だったことが、「エッ、そうだったの。だからかぁ」、と納得できた。

前回の参院選。東條さんのお嬢さんも立候補していた。人手もお金も足りないのだろう、ビラが破けかかって風に揺れていた。「英霊の骨を集めたい」。彼女の主張もわかるよ。戦争中も、今も、「お国のために」戦った人のいのちを軽視している。私には今とこれからを生きる人の方が大事だから、票は入れなかったけれど・・・右翼は何をやっとるんじゃい?何で援助しないんだぁ?
  解けましたねぇ。この本で。東條さんも「お国」のために嵌められたのでした。汚いなぁ。やり方が。

「ヒロヒト、インタビューで奇襲の責任を東條に押し付ける」。ニューヨークタイムズの見出しどおりだったんです。表向きは、GHQや天皇の側近、政府みんなで協力して、「軍閥に利用された」を宣伝、一方で、マッカーサーとの会見で「日本人は戦犯として裁判されるとのことであるが、彼らは悉く自分の命令で戦争に従事したものであるから、この人たちを釈放して自分を処刑してもらいたい」と言ったと、東京裁判の証人にささやいたんだって。逆だろう?本当にそう考えていたのなら、天皇が自分で東京裁判に出廷して、そう言えばいいのに・・・実際三軍の統帥権を持っていたんだし。まったく無責任と言うか卑怯せんばんというか。まぁ、彼は侍じゃないからね。天皇の歴史からいっても、当たり前と言えば当たり前。自分の命が惜しいのは誰でも同じ。私だってその場になれば、そうするかもしれない。マッカーサーの方も、天皇を利用するためには生かしておかねばならなかった。だれに責任を負わせるか。で、東條さん。単に罪をかぶってもらったのなら、命の恩人だもの、感謝してお参りするでしょう。天皇一人ではないけれど、意図的に罪をおっかぶせたから、東條さんも合祀されている靖国神社なんて、怖くて行かれない。宮台さんがいっていたように天皇にシャーマンとしての能力があれば、尚のこと怖いわね。天皇の言うことを彼ほど聞いた人はいないと天皇自身が言っているそうだから、黙って、処刑された東條さんがかわいそうでならない。そのお嬢さんの立候補にも協力するはずもない。無視って奴ですな。ビラが風に揺れていたのを気の毒に思ったのは正解だったんだなぁ。

「従来、近年の戦争は、多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争また然りであります」と断言した吉田茂が、何で憲法違反の安保条約なんかむすんだのか?ピストルでも突きつけられたんじゃぁないか?という疑問も、この本で解消。

天皇は、命の恩人マッカーサーも総理大臣も“バイパス”して、アメリカと交渉していたんだってさ。日本のほうからどうぞ基地を使ってください、というふうにします。戦犯になった人たちを解放すれば、もっとあなた方のお役に立ちますよ、と。岸信介なんかがそうなのかなぁ。

アメリカの属国になったのは、お前のせいか。納得でやんす。属国の歴史は古いのねぇ。2代目3代目の腰抜けどもが私たちに見えるようにペコペコするのも当然の行為かぁ。

“バイパス”だけではない。直接呼び出されることもあったそうだよ。総理大臣に圧力をかける。「自分は国民の代表」と胸を張って断ればいいのに・・・象徴といっても、その頃の人には、やっぱり天皇だったのかな。現人神。だから、吉田茂はあの時アメリカ行きを何とか他の人にと、抵抗したんだって。でも、逃げられなかった。これも気の毒。恥ずかしいやねぇ。一国の首相が売国奴的な条約に調印だなんて。歴史に残っちゃう。

明治憲法下でも、立憲君主ではなかったという宮台さんの指摘も正解だった。ヒロヒトさんはなるべく口を出さないようにしていたということだけど、その判断は情勢による。例えば、「「満州は田舎であるから事件が起っても大した事はない」と、あきれるほど率直に語っている」。田舎の人間が何人死のうと関係ない。自分の身に危険が及ばないなら、どんどんやってってこと。「つまり、満州事変に対処するにあたり昭和天皇の行動を律した判断基準≠ヘ、「統帥権干犯」という憲法上の根本問題ではなく、ひとえに満州をめぐる情勢認識にあった。だからこそ、大権を侵した朝鮮軍や関東軍に撤収を命じることはなかったのである」。憲法なんてどうでも良かったのよね。自分の恣意のまま。時の政府は「不拡大」の方針だったのに・・・

だから平和憲法、国民の象徴になっても、変わらずに天皇外交をやっていた。憲法違反なんて認識もなしに。日本が属国になってもいいから、守りたかったものは何か。笑ってしまいます。三種の神器をお守りするため。共産主義の台頭によって天皇制がなくなることを恐れたため。「お人柄」は怖がりだったんですねぇ。天皇の歴史からいって、当然なのかなぁ。国民のことはぁ?実は、国民をも怖がっていたんですねぇ。国民に「卑怯」がばれるとヤバイ、朝鮮戦争が休戦になると、国民に共産主義が浸透するのがヤバイ。時代劇に出てくる宮中のイメージそっくり。

さてさて、思い出すのは、亡くなってしまった友人が、昭和天皇御下血なんて頃、テレビでの行列を見て、「パンダだね」と言った言葉。いえ、天皇が、ではないです。行列している人たちがパンダを見るために上野公園に並んだのと同じということです。国民が天皇制はこのままで良いというのは、可愛くて、貴重な品種だから、税金をある程度食っても良いよ、ということだと思うよ。この本読めば、意見変わると思うけど・・・あのあと、追悼番組ばかりでテレビが面白くない。宮崎駿のビデオをまとめて見れて、いい思い出だなぁ。子育て期の家庭は、大体そうだったんじゃないかなぁ。最後は国民孝行してくれたのね。天ちゃんも。

著者は最後にこう語ります。「大きな話題となったように「明仁天皇は二〇〇一年一二月二三日の誕生日に先立つ記者会見で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と述べたのである。つまり、「皇統二千六百年」を誇る日本の皇室には朝鮮半島の血が脈々と流れていることを再確認し、それに「ゆかり」を感じていることを公言したのである。
  憲法をひたすら遵守し、戦争の過去を痛切に反省し、「アジアの中の日本」を何よりも重視し、さらには「国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与する」ことを切望する明仁天皇の基本的立場は、戦後の日本が歩むべき道であったばかりではなく、今後の日本が進むべき方向性をも示す文字通りの「象徴」であり、皮肉な表現を使うならば、昭和天皇が残した最も重要な遺産″と言うべきではなかろうか」

わたしが思うに、ちっとも象徴じゃぁないよ。だって、運動会に行ったからってまた雅子さんバッシング。今時の親なら両親揃って行くよ。父親の育児休暇ってないの?有給は?まったく派遣社員よりもひどい労働条件だよねぇ。おお、そういう意味では象徴かも。冗談抜きで、雅子さんを大事に思うなら、美智子さんを大事に思うなら、天皇制、やめた方がいいよ。

何度も言うけれど、明仁さんがいくらいい人でも「田吾作」どもが狙っていることに変わりない。もちろん代々良い人とは限らない。国民主権と天皇制は似合わない。不自然。彼らがちゃんと生きていけるように配慮も必要だし、今すぐに憲法改正は怖いし、ちょっと時間はかかるけれど、早めに廃止しようよ。安保もね。

この本は真面目に考える右翼さんにぜひ読んでもらいたい。ねじれというか混乱というか、そういうものの解消になるよ。天皇が拒否した靖国神社にお参りすべきかどうか、天皇がマッカーサーに心から感謝した東京裁判をあくまで否定するのかどうか、日本を属国から独立国にしたいのか、あくまでも天皇制を堅持するのか。いろいろと参考にしてください。





No.36

織と陶の二人展

 りっちゃん
08/11/12

友人の額谷さんから、織と陶の二人展の案内葉書が届いた。

葉書15日は「ともだちの”わ”」で、「雛鶴三番叟」を演奏するし、その後も用事が立て込んでいるけれど、目の保養のために行って見たいなぁ。

2008年11月14日(金)〜11月19日(水)
  11:00〜18:30
(最終日17:00まで)

カフェギャラリー〈縁〉
  清瀬市野塩1-300-5 042-493-0002

地図














No.35

粉ミルク支援

 りっちゃん
08/11/12

「粉ミルクで元気を取り戻しました!」とのチラシをハンクネットの方からいただきました。

  ◆―――――――――――――――――――――◆
             ほんものの和解を

      人道支援と戦後補償、そして日朝国交樹立
    ◆―――――――――――――――――――――◆

アメリカによるテロ支援国家解除が進み、欧州各国と国交を樹立するなど、朝鮮民主主義人民共和国をめぐる情勢は大きく変わりつつあります。しかし日本政府は強硬姿勢を変更できないまま日朝国交交渉は膠着し、六者会談においても日本政府は孤立しつつあります。あまつさえ対案を提示すべき民主党は現在の制裁より悪辣な政策しか打ち出せていません。国交交渉を促す周辺環境が整いつつあるにも拘らず、自民・民主ともに明らかに国際情勢と乖離しています。

私たちハンクネットは粉ミルクによる朝鮮への直接食糧支援を続け、同時に日朝間の和解を呼びかけてきました。今年も私たちは朝鮮を訪問し、昨年の大規模水害による収穫減に苦しみつつも復興に邁進する朝鮮の人々に出会い、その実際の様子を聞き取ってきました。今回の催しではその報告に留まらず、そう遠くないと思われる日朝国交樹立において、両国の民衆が「ほんものの和解」を実現する為の課題を探ります。

12月14日(日) 13時半開場 14時〜16時半
  アカデミー千石 学習室A

   文京区千石1-25-3 地下鉄・三田線千石駅より徒歩2分、JR巣鴨駅より徒歩10分
  〈参加費〉
   800円(学生500円)
  〈内容〉
  「粉ミルク支援と訪朝報告」 米津篤八 (翻訳家・ハンクネット共同代表)
  「日朝国交樹立に向けて: 戦争責任問題の真の解決を」 前田朗 (東京造形大学教授・ハンクネット顧問)
  「日朝国交樹立に向けて: 在日朝鮮人の権利回復」 李在一 (福祉施設職員・ハンクネット副代表)
  〈主催〉
  北朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)


私は残念ながら、「ひいらぎ合唱団」の練習日なので、行けないや。「粉ミルクは、子どもたちにとって命の綱」。ウーン、直接手渡ししてくれるハンクネットに私が協力できるのは、ここに書き込むくらいで・・・ごめんね。参加できる方はぜひ聞きにいらしてください。





No.34

天皇と日本のナショナリズム

 りっちゃん
08/11/6

毎回、いろんなゲストを呼んでの対談本。天皇制の問題を考える企画だったようだが、ちょっと広がりすぎというか、焦点がボケちゃっているところもある。私のまとめもいつもながら長すぎちゃってごめん。結論を一言で言えば、「天皇制はもうやめようよ」。

「ビデオニュース・ドットコム」の神保哲生さんが司会役なんだけれど、社会学者の宮台真司さんはゲストのお話に割り込んで、話が長すぎ、それで本が分厚くなっちゃったのかなぁ。博識なのはわかるけれど・・・

聖穢論。シャーマンの一部族が天皇となり、他の部族は「穢多非人」に意図的に貶められたとのこと。心中の生き残りや、政治犯を非人に落としたというのはどっかで読んだことがあるけれど・・・「部落」とは、魅力的な人たちの集団だったのかも・・・いずれにせよ、天皇制そのものが差別の根元なのね。

男系、女系の意味がよくわかったわ。男系をたどっていけば桓武天皇だっけ、ご先祖にたどり着けるからって。女性天皇はありえてもその子どもは天皇になれないってか。国民の象徴とは言えないねぇ。今は政府の施策がなってないから、育児にも介護にも女系の親が大活躍。現実の国民生活から離反しているよ。憲法の精神からも外れていることがいっぱい。

憲法学者の百地さんは日本人や日本という国家のアイデンティティを考えようとする場合、皇室を抜きにしては語れないと言う。そうかなぁ?

宮台さんが天皇は明治憲法下でも立憲君主ではなかったと言ったら、「そこを強調されると、われわれ憲法学の出番がなくなってしまう」と笑って、「法律論で議論すると、聖性の問題などは俎上にあがりようがない。
  しかし実態においては、立憲君主の枠に入りきらない部分は確かにあった。国民もそれを実感していたのだろうと思います」
  「天皇の仕事には、憲法上の国事行為や公的行為がありますが、一番大事なのは祭祀です。これがあるから「公平無私」の人格が養われるし、国民も皇室に対して信頼を持つ。皇室の祭祀は一個人の宗教ではありません。常に天下万民・国家国民の幸福と平和を祈るのです」
  そんなの誰だってできるし、私もしてるよ。現に今さらっている「雛鶴三番叟」だって、そういう曲さ。でも、昭和天皇は、日本国民のみならず、アジアの人々を最大級の不幸に導いたじゃぁないの?

「天皇はもともと国民ではない」、「国民ではあるけれども、天皇・皇族という地位に伴って人権が制限されている」、という二つの考えかたがあるって。
  どっちの解釈にしても、天皇とその一家がかわいそうだよね。
  でもって、「統治権力が天皇を政治的正統性のよすがとして利用してきた歴史があり」、今も「田吾作」(宮台さんの表現)どもに虎視眈々と狙われているんだから・・・
  「日本国憲法はGHQの圧力によって作らされたわけですが、その当時の国民の意思を考えてみれば、敗戦を決断し、ポツダム宣言を受諾した時の唯一の条件は、「国体の護持」だったのです。皇室を中心とする国柄を守りたいということだった、そういう国民の意思に基づいて維持された天皇制度ですから、われわれの世代の一時的な衝動で変えるのは懸命でないと私は考えます」
  って言うけれど、あの時は別に国民アンケートなんか取らなかったでしょうし、国民の意思を反映する政府ではなかったんじゃぁないの?敗戦になって、国民がまず感じたのは、「もう空襲がない」「戦地に行った息子あるいは夫、父親が帰ってくる」「これで電灯がつけられる」「助かった、これで生きられる」だったんじゃぁないかなぁ。

明治憲法が立憲君主だったのかがどうもアイマイなのだけれど、いずれにせよ、子どもの頃によく聞いた「一億総ざんげ」とか、あれ誰が誰にざんげなんだろうねぇ。その前に「天皇万歳!」で殺された人たちに天皇がざんげしないとおかしくなぁい?天皇を利用した田吾作どももキチンと断罪し、それにのっかって悪いこと、間違ったことをやってきた一億人は修復作業をしないといけないんじゃぁないかなぁ?
  うーん、戦後処理を何もしていないみたいだねぇ。憲法の、「国民主権」、「9条」だけかなぁ。それも、歴代政権のずるずる解釈で実態は危ないしねぇ。アチャー、私もその一億分の一の責任を背負わないといけないのかなぁ。生まれていなかったからって、言い訳になるのかなぁ。いや、現状私自身が暮らしづらいこの日本、なんとかせにゃぁ。どっこいしょ。

同じく憲法学者の横田さん、「たとえば私個人は、天皇も一種の公務員だと考えますから、ひとりの国民として選挙権もあるし、政治的発言も個人としてはできると考えていますが、憲法学界の通説だと、当然のように、天皇は政治的な発言はできないとされています。憲法上、皇位は世襲なのですから職業選択の自由はありませんが、現在の皇室典範が定めているような諸制約など、そこまで人権を制約していいのか。私は、たいへんな人権侵害だといわざるをえないと思う」
  「天皇制がなくならないかぎり身分差別、生まれによる差別はなくならない」
  「女性の天皇を認めるかどうかを含めて、天皇に関わる問題を憲法原則とは違う別のものだとしてしまうと、天皇や皇族に関わる事柄については、正体不明の巨大なブラックボックスを認めることになる。彼らは特別であり、特別だから敬語を使ったり特別扱いするのもあたりまえだということにもなる。また、大嘗祭などの皇室祭祀を公的に行うことも、政教分離原則に違反しないということにもなりかねません」
  「憲法とは、基本的に、国家権力を縛るものだという発想がほとんどの国民にはない。逆に憲法によって権力を預かっている側の人にも、憲法を守ることを条件に一定の権力を国民から委託されているという発想が日本にはない」
  「重要なことは、憲法の基本的理念こそが戦後日本のアイデンティティであるという点を徹底すべきなのです。そうすれば、アメリカや他の国に対抗できる独自のアイデンティティが出てくると思う」のすべてに同感。憲法学者の中で敗戦の時点で天皇は「断続」したという説があるけれど、実際同一人物なのだから、国民には理解しがたい。「政府もそれを利用して、完全に連続したものとして扱っています。 この結果として、いまの天皇の制度運用には、憲法の趣旨から説明できないことが多すぎます。それが基本的な問題です」
  敗戦時にちゃんと天皇が戦争責任をとって天皇制を廃止するなり、退位するなりしときゃよかったのにねぇ。

やっぱり憲法改正して、明治憲法の続きではなく、天皇制もすっきり廃止すればいいのだ。天皇は天皇家で選んで、外交官として、働く意志があれば、公務員試験を受けて、ぜひ活躍してもらいたいと、それでいいんじゃぁないの?横田さんは、「いわゆる無形重要文化財というか人間国宝みたいなかたちで存続するのではないかと思うのです。私自身は必ずしも天皇家が伝えるものが日本の文化だとは思わないのですが、それでも、ひとつの文化を継承していることは事実ですから」って。それもいいねぇ。

もうひとつ、「拉致問題が大きくなったときに、私は一瞬、日本人もこれではじめて、朝鮮や中国の人たちが、戦時中、強制的に徴用された親族の骨を探しに筑豊の炭鉱地帯へ来ている気持ちがわかるだろうと思ったんです。でも、そうはならなかった。九・一一もそうでした。アメリカもはじめて他国から攻撃されること、不条理に死ぬとはどういうことかわかるかと思った。しかし、全然そうはならなかった。相手を批判することはあっても、相手に対する想像力や、みずからを反省することがきわめて少なくなっているんですね。」このあたりは、香山リカさんの専門かな。

次のゲストは『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんかー元宮内庁記者から愛をこめて』を書いた板垣さん。「一般国民には失礼な言い方になるが、「天皇制はいまのままでいい」と答えている七〇%から八〇%の大半は、実は天皇制なんかには関心はないのではないかと僕は疑っています」。
  一般国民の一人として、私もそうだったかな。雅子さんからだよね。やっぱり無理じゃぁない?と考え始めたのは・・・それと、自民党の改正案を見て、国民主権を謳っている憲法で、第一条に天皇というのに違和感を感じたから・・・憲法なんて、普段そうじっくりは見ないものね。

「明仁さんは学年はひとつ下ですが、同じ昭和八年(一九三三年)生まれです。彼は、幼いころから「生き神さま」の跡継ぎになるように育てられている。しかし、敗戦でまったく価値観が逆転してしまった。この体験は明仁さんにとって、僕なんかの神風体験よりも、さらに深刻なものだったと思います。
  しかも「象徴天皇制」になっても、皇族の人間としての基本的な人権は、明白に制限されている。そうでなければ「天皇制のアリガタ味」が薄弱になるからです。しかも自民党の憲法改悪案の論理構成をみると、あきらかに昔のように天皇を国家の中心にすえようという発想が、根底的にひそんでいます。
  戦争放棄の憲法をよりどころにして戦後を生きてきた明仁さんにとっては、たまらないことだと思います。それならば「明仁さん、天皇をやめて普通の人間になったらいいじゃないですか」という、友情ある提案が、この本です。」

明仁さんって、頭もいいし、なかなかいい発言、行動をしている。「天皇家の歴史は武ではなく、文なのです。武になった皇室は衰退しています」(皇太子時代)、天皇皇后両陛下がサイパンを訪問したとき 韓国人の慰霊塔にお参りした、「桓武天皇の母君は朝鮮半島のゆかり」、「君が代・日の丸は強制しないのが望ましい」(将棋の米長さんに)。右翼の方たちは、こういう天皇の教えにもっと従えばいいのにねぇ。右翼って、天皇ではなく、お金の威力で動いているのかなぁって思えちゃう。鈴木邦男さんや小林よしのりさんは違うけれど・・・

「明仁さんは昭和天皇の戦争責任というものを、相当意識されているのではないか。だから、日本に強制連行されて亡くなった韓国人や、日本防衛の捨て石にされた沖縄の人々への鎮魂の気持ちを示したかったのだと思います」。明仁さんは偉いねぇ。でも、世襲制だと代々の天皇がこうだとは限らないわけで、だから、君主制から共和制に移行したのでした。人類の知恵のひとつです。

『少女たちの「かわいい」天皇−サブカルチャー天皇論』を書いた大塚さんは、「ぼくたちは(好きでも)嫌いでも、この国を責任を持ってコントロールする主体じゃなきゃいけない。それが僕の護憲運動の根本です。
  僕が日本国憲法の前文を書いてみようと若い人たちに呼びかけているのは、憲法前文を書くという行為が、国家に対する責任主体としての個人のことばを構築していく第一歩になるからです」「個別・固有の「私」を認識したうえで、違う「他人」「他者」を認識し、「われわれ」という概念に至る」。その作業を怠けていたから、なんでもアイマイなままとなっているわけかぁ。なるほどです。気をつけましょう。

「僕の理想とする憲法は常に更新されていく憲法です」リナックスを例に挙げて、「みんなで寄ってたかって改良するうちに、勝手にどんどん進化したわけです。極論をいえば、こういうかたちでの公共性の成立、あるいは憲法のありかたが僕の理想なんですよ」私も賛成です。リナックスを使う自信はないけれど・・・

「つくる会」の教科書については、「何が書いていないかということまで公表されているわけです。歴史のなかに書くことと書かないことがあるのはなぜなのか、きわめて根源的な気づきを中学生にさせてあげられる。皮肉なことに、教え方によってはとてもいい教科書として使える可能性があるわけです」と、なかなか勇ましい。現役の先生方、ぜひこの方法を採用してください。

「さっき神保さんは、宮内庁をファイアーウォールとおっしゃったけど、実は、雅子さんや愛子ちゃんの報道ひとつとっても、全然危機管理ができていない。そのわりに、自分たちの保身だけは熱心。これでは何か天皇制を肯定しているみたいに聞こえるかもしれないけれど、僕みたいに天皇制反対という立場の人間から言っても、身内がこのありさまじゃ、そりゃかわいそうだよ、と思ってしまう」だよねぇ。これは鈴木邦男さんも言ってた。だから、天皇制をやめた方がいいって。天皇家の方からの提案っていうのもありうるかもしれないね。

香山リカさんは「私は、この一〇年間で日本の社会や日本人は圧倒的に変わったと思います。精神科の臨床でもそういう印象を持つし、精神科医の会合でも話題になっていたのですが、・・・個々人が自分の「安全性」への強い欲求を持っている。また、「自己承認」されたい、「自己への肯定感」を得たいという強い欲求を持っている。その結果として他者や自分と違うものに不寛容になっている」。それを打ち消すための症状行動のひとつが「ナショナリズム」。森巣さんが言っていたのと同じだね。病気。

死刑制度については「自己肯定感や自尊感情があるから、堂々と「犯罪者は死刑」と言っているのではなく、「犯罪者は死刑」と言ったり思ったりすることで、自己肯定感を得ている。 彼ら自身も監視カメラで撮られて困る側になる可能性は高いにもかかわらず、自分は困りませんと言うことで、自分がピュアであることを確認したり証明しようとしているのだと思います」
  おやおや、病気は早く治しましょう。まずは属国をやめることですかねぇ。
  宗主国では、「Change We Can」で黒人大統領を選んだ。正直なところ、小泉とどう違うのか?という疑問もあるけれど、選んだアメリカ国民には拍手を送りたいねぇ。金融資本に対する規制がちゃんとできるのか、格差社会を是正できるのか、皆保険が実現できるのか、民族融和でアフガンの戦争状態を解決できるのか、日米関係が改善されるのか、これからの動きに注目したい。
  個人の問題でいえば自立することかなぁ。「動けば変わる」というのもあるねぇ。何でも一歩ずつです。やってみてアカンかったら、その集団から離脱して、また別な集団に行けばいい。自分がやりやすいように集団を変えていく努力をしていく。仲間を増やしていく。何度でも、何歳でもあきらめることはない。チャレンジです。

山口二郎さん、「神保さんが言ったみたいに、日本というバスは、世界的な水準から見れば、非常に快適なバスなのです。そこにたまたま乗り合わせた私たちは、バスが出した排気ガスや、バスがぶつかってこわしたものの後始末くらい、自分たちが負担しなければアンフェアなのではないでしょうか」
  アンフェアというより最低限のマナーですよ。もう新車ではなくなったけれど、まだまだ快適なバス、まずいところは修理して、抜いていく車を恨んだりいじわるしたりせず、対向車が昼間でもライトをつけっぱなしだったら、教えてあげ、自分のペースで走るんですね。もちろんバスですから、乗りたい人がいたら停車して、乗っけてあげよう。乗車拒否もマナー違反です。

天皇の人権を守るためにも、私たちの社会に居座っている差別をなくすためにも、みんながいきいきできる社会にするためにも、もう天皇制はやめようよ。と、いうのが私の意見です。次は昭和天皇について書く予定。





No.33

<佐藤優現象>批判論文

 りっちゃん
08/11/4

ハンクネットの方からチラシをいただいた。
  ●言論状況を考える
  韓流と嫌韓流のはざまで

■ NHK番組改編問題、立川ビラ配り事件、映画「靖国」間堰など、言論の自由にかかわる問題が次々と起きています。私たちは、一つ一つの事件が起きるたびに言論の自由が危ういのではないか、との思いを抱いてきました。メディアにかかわる人々の姿勢を見ていると、言論の責任がおざなりにされているのではないかとの不安もあります。他方、金光翔による<佐藤優現象>批判論文が注目を集めましたが、論壇では不可解な沈黙が続いています。こうした言論状況を考える連続企画を準備しました。第1回は嫌韓流現象を批判的に検討します。

■ 板垣竜太さん 同志社大学准教授。朝鮮近現代史研究。「反ひのきみネット」「メディアの危機を訴える市民ネットワーク」にかかわる。著書『朝鮮近代の歴史民族誌』(明石書店)など。

■ 米津篤八さん 翻訳家。北朝鮮人道支援ネットワーク共同代表。訳書に『シルミド』『チャングム』『フアン・ジニ』(以上ハヤカワ文庫)『朱蒙』(朝日新聞社)

日時:11月 7日(金)開場18時
     18:30〜20:50
  会場:東京しごとセンターセミナ一室
 千代田区飯田橋3−10−3 03−5211−1571、JR飯田橋駅徒歩10分
  参加費(資料代含む):500円
  協賛:週刊金曜日
  主催:平和力フォーラム


残念だけれど、その翌日からの予定がちょっと込んでいて、体力に自信のない私はパス。なので、友達に教わった<佐藤優現象>批判論文を読んでみた。

佐藤優の本は2冊読んだけれど、面白い、軽い、ちょっと飛躍というか論理的ではないという印象だったかなぁ、内容は忘れちゃっている。はぁ、健忘症かしらぁ、私って。感想をいつかここに載せようかと思って宿題にしていたのに・・・でも、すぐにやるほどのものではないとも思ったから、何でもてはやされるのかはわからなかった。金光翔さんは、左派には通りがいいように、右派には本音を書いている点で佐藤優批判もしているけれど、主眼は、佐藤優を安易に受け入れている日本の左派(護憲を一応は主張している派)に対する批判なんですね。なるほど納得です。「佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく」の「化学反応」とは、改憲後も左派が生き残っていけるように再編成(変質ってことかな?)されていくプロセスだって。

「私は、佐藤と違い、若者と女性の多くが自民党に投票したのは、その時点において、合理的な投票行動だったと考える。彼・彼女らが自民党に投票したのは、無知でメディアの影響を受けやすいからではなく、彼・彼女らの企業社会や会社での位置が、周辺的な点にあると思われる」。なるほど、こういう見方もあったのかぁ。確かにそうかだわね。でも・・・残念ながら、「改革」の中味を検証せずに投票しちゃった人も多いとも思う。何かを変えなくっちゃという感覚は正しいんだけれど、単純明快に言い切ってくれる人が好き、っていう傾向はある。私もそうだもの。なぜかというのを金光翔さんが指摘してくれた。そうなのよ。周辺的な存在として扱われていたら、「かっこいい」存在が自分に語りかけてくれただけでも、信頼できる人かなぁって、思い込んじゃうかもしれない。運良く中心部分にいけたとしても、自分の実力が高い(もちろんそれがゼロではないけれど、今の日本はまだまだ男性社会、運とか、看板として利用されていることも実際は大きいと思う)と錯覚すると、桜井よし子さんみたいになっちゃうのかなぁと・・・。

私も、鈴木邦男さんや小林よしのりさんの本を読んで共感するところもあるし、いろんな人と友達になりたいとも思っている。「人民戦線」だか「国民戦線」だかも、連帯ということだと思うけれど、小選挙区では特に、革新系が連帯して統一候補を出して欲しいとも思っている。けれど、民主党が大勝するのも怖いんだよねぇ。核もあちこちの国が保有し、今の戦争は犠牲者のほとんどが非戦闘員。そんな戦争は絶対にしてはいけない。金光翔さんは、「この包摂には、基本的に、在日朝鮮人は含まれない。ここがポイントである。」って。

これにも納得。「誰の目にも明らかなネット上をはじめとした在日朝鮮人への差別・殺人教唆・デマ書き込みや〈嫌韓流〉に対し、「人権」を尊重するはずのリベラル・左派が沈黙している」。朝鮮学校への差別、酷いです。国連勧告に従って欲しいです。子どもたちの教育権をせめて保障しましょうよ。これは、チマ友のフリマ開催主旨にある「人間としての良心」の問題です。

久しぶりにネットサーフィンをしました。酔生夢死浪人日記と、kom's log片山貴男のプログをお気に入りに登録。金光翔さんのは私にも話させてです。

森巣さんの「人間はみな同じ」にも共感したけれど、同時に「ひとりひとり違う人間」でもある。連帯はしても、違いもはっきりと認識しないと危ないなぁと思いました。鈴木邦男さんもとても真摯な紳士で、よしりんも前向きで、二人ともいい人なんだけれど、「天皇制」に対する考えが私とはだいぶ違います。「天皇制」については近日中にまとめる予定です。





No.32

南京大虐殺

 一ノ瀬
08/10/30

南京大虐殺をテーマに、まさに命がけで芝居に取り組んでいるご夫妻がいます。小金井市在住の役者さんなのですが、以下のように公演があります。りっちゃんちのお客様の皆さんに、どうかご紹介を。
  (紹介はしますが、りっちゃんは無収入なので、観劇は勘弁して。南京大虐殺や、731部隊、慰安婦のことなど、知らない人が結構多いのが困っちゃうねぇ。ぜひ知って欲しい。それと、「知らんふり」をしたり、「日本の恥」だからと言ってなかったことにすることが、それこそ恥ずかしいことだとわかって欲しい。平和な世界をつくるためには、過去に目をつぶるのではなく、そこから学ばなくては。これからはどうしたらよいのかってことを)

***   ***   ***

【演劇】
  ノンフィクション・ステージ
  『地獄のDECEMBER-哀しみの南京-』

■2008年11月18日(火)開場18時、開演18時半
  ■府中グリーンプラザ・けやきホール
(京王線府中駅北口1分 042-360-3311)
  ■前売 大人3800円、大学生1000円、中高生500円(当日はそれぞれ+500円)
  ■問い合わせ IMAGINE21・渡辺080-5506-2295

南京大虐殺をテーマに、戦争の加害の罪に迫る二人芝居。
  南京大虐殺(1937年)70周年記念追悼公演として2006年12月から2007年12月にかけて中国・上海市、南京市、アメリカ・ニューヨーク市、そして日本国内30ヵ所で絶賛された舞台を今、三多摩に!





No.31

デモ?でも・・・

 りっちゃん
08/10/27

昨日はイベントが3つ重なり、今日はお疲れ休みです。いやぁ、楽しかったなぁ。元気村でのNPOフェスタでは、「雨道」の演奏を聞きながらタリの会の展示準備。白梅祭ではこげら合唱団のミニコンサートに参加。若い人たちは純真でいいなぁ。反応が最高に良かった。「翼を下さい」では、私たちと一緒にたくさんの学生さんが歌ってくれた。ぜひぜひ、こげらに入ってください。これからも一緒に歌いましょうよ。朝鮮学校のふれあいフェスタは、「日弁連及び国連勧告を尊重し学校児童・生徒への処遇改善を求める署名」の係りのお当番としていったのだけれど、当番さんがたくさんいらしたので、舞台での子どもたちの合唱やチョゴリファッションショーも、チヂミやうどん、キャラメルコーン、食べる方も、楽しんで参加させてもらいました。なんかねぇ、焼肉とマッコリを味わっている人もいて、昔の運動会のノリだなぁと。家族やご近所総出ののどかなイベントでした。

サイトで見かけた、「豪邸見学会」も魅力だったのですが、同じ日ではねぇ、残念だなぁと思っていたら・・・今朝の新聞に「首相私邸へデモ無届の男逮捕」とあったのでびっくり。東京新聞のサイトでは見つからなかったので、西東京新聞のとJanJanのを見てね。

どこのサイトで見かけたのやら、わからないのですが、とてもデモとか、集会とかの雰囲気ではなかったですよ。参加者が40人とか。まぁぞろぞろと歩けば、ちょっとはお邪魔かもしれませんが、はぁ? デモ? でも、「見学会」だと思ったのにぃ。なんです。東京都公安条例違反(無届け集会)と公務執行妨害の現行犯で、3人が逮捕されたそうなんですけれど・・・ほんまかいなぁ?

結局逮捕劇で中止になった見学会。参加予定者のプログでもでっち上げ説のようです。のどかに歩いて逮捕されるなんて、嫌ですねぇ。


おんな組いのちからもお知らせがありました。

先日配信した「麻生首相のお宅拝見ツアー」で3人の逮捕者が出てしまった。横断幕も拡声器もなく、ただ散歩のごとく歩いていただけで、突然警察が襲いかかってきて逮捕されたのだという。こんなことがあっていいのか!?詳しくは
  http://www.magazine9.jp/karin/081029/
  または
  http://asoudetekoiq.blog8.fc2.com/
  を見てください。





No.30

朝鮮料理講習会

 りっちゃん
08/10/25

朝鮮料理をいっしょに食べて「ともだち」になりませんか!? 私も一員のタリの会の主催で料理講習会が開かれます。

【日時】 11月1日(土) 10:00〜14:00
  【場所】 小川西町公民館 調理実習室

        小平市小川西町4 丁目10-13 小川駅西口下車徒歩5分
        ※駐車場無し
  【材料費】  1,000 円
  【持ち物】  エプロン
  【主催】  タリの会 
tarinokai@yahoo.co.jp
     申し込みは先着順ですのでお早めに、タリの会またはりっちゃんまでメールをください。チラシは小平市内の各公民館に置いてあります。

  タリとは朝鮮語で「架け橋」という意味です。タリの会は日本人や朝鮮人や中国人、外国人が「友だち」として仲良く暮らす町をつくろうと発足しました。今回は趣向を変え、料理教室を行います。
  料理研究家の金成愛さんを講師として、「きゅうりのキムチ」、「エビと豆腐のジョン」を作ってワイワイ楽しみながら試食します。





No.29

辛淑玉講演会

 りっちゃん
08/10/24

22日、中央公民館ホールにて、「異質が大事な時代」〜自分流ワーク・ライフ・バランス〜という題の講演会が開かれました。

宣伝が足りないのか、席がまばらに空いています。私も友達に教えてもらって、やっとの参加。西東京の方が多かったと思う。冒頭で、髪を伸ばしていることの説明。おんな組いのちでも流れてきていたが、アメリカの高校生たちが、ガン患者のかつらを作るために髪を伸ばしている。辛さんも約束をしたのだそうだ。「女らしくなった」とも言われたとか。そういえば、服装も、顔の表情も、声のトーンも“女らしく”なっているような・・・本人は認めないだろうけれど・・・ドスの利いた声が減っている。もちろん歯切れのいいテンポは変わらず。「夫が妻を、妻が子どもを、子どもが犬を、犬が猫を、猫が鼠を・・・」、暴力(八つ当たり)の連鎖。そこで、手話通訳の人に「ついていけますか? 汗びっしょりですねぇ」との心遣い。

どんな話をするか、事前に傾向を知りたいと、どこに座るかを客が挙手。私が選んだのは、端っこ。ごね席といわれるそうな。エネルギーがあるので、使いようによっては、力を発揮するけれど、悪くすると、ぶっ潰す可能性もあるとか、ま、その前に日本社会でははじかれることが多い。「当たってる!!」。第9の団長も、最期の団長になりましたし、仕事や合唱団で干された経験も・・・って、最終的には自分で選択したのですけれど・・・「こんな所で歌いたくない」。ま、趣味は、楽しくないとね。

夫婦関係。妻の80%が「○が足りない」と認識。客席の男性に「○とは何でしょう」との質問。「愛」。これが大正解。わたしは言葉かと思いましたが・・・妻が話しかけても「ああ、うん、聞いてるよ」としか答えない夫は、妻を無視、見下している。「仕事場では、こんなふうに答えたりしないでしょう?」 ですねぇ。「妻と議論のできる夫は、成長する」そうです。だねぇ。

柳澤伯夫元厚生労働大臣の発言「女性は子どもを生む機械」、これはかつてナチスドイツと、日本が吐いた台詞だそうな。兵隊は銃弾と同じ消耗品。その弾をつくる機械が女性という発想。戦争ってそういうことなのですよ。みんなが怒ったのは、女性は初潮から、性交、出産、閉経まで、痛い思いをし続けているのに、この人が結婚して30年位?その間に、お連れ合いの痛みに気がつかない鈍感さに怒ったのではないか?と。麻生さん、一流ホテルでの食事も、100%企業献金とか関係ない自分のお金で支払ったら、確かに問題ないんでしょうけれど、一般庶民の痛みに鈍感なのには、腹が立ちますねぇ。本当に100%自分の財布から出ているのかなぁ?

アキバの殺傷事件。動機が分からないことから来る不安に、人々は、「精神異常」等の明快な答えを求める。そして、何もないとわかって、押しかけたところが両親の自宅。「母親の育て方が悪い」。マスゴミって、バッシングが大好きなのねぇ。弱いものへの。社会が悪いとなったら、自分も何とかしなければならない。人のせいにすれば、ラクだものね。企業(トヨタ)のせいにもしない。スポンサーだからねぇ。

テッサ・モーリス=スズキさん(ウィキベディアによると、森巣博氏のお連れ合い)が、息子が大学進学の際に約束させた二つとは? これも一つ目は客席の女性が大正解。「コンドームをつけなさい」。もう一つは「女性が嫌がったらすぐ身体を離すこと」。「でも、いやよいやよも好きなうち、だったら」と問われて、テッサが答えたことは? これは男性陣は「自然に」とか頓珍漢でしたねぇ。正解は「そんな女とはすぐに別れなさい」でした。

“で”でなく“が”を使おう!!との提案はわかりやすかった。「何でもおごってあげる」と言われた時、その人が「おれはざる蕎麦」と言うと、女性はつい「私もざる蕎麦“で”いいわ」となりがち。せっかくおごってもらうのだから「私は親子丼“が”いいわ」と。ざる蕎麦が好きなら「私もざる蕎麦“が”いい」と。自分が選択する主人公たれ!!ということですね。でもこの間、叔父が何でもいいといったから、うどんセットにしたら、「せっかくおごるのだからすしを食べろ!!」と言われて、「はいはい」と。安い方を選んだのが失敗だったかなぁ。でも食べたかったのに、うどんセットは途中から叔父に食べられちゃった。実践は結構難しい。

男性が泣くことを封じられたように、女性も自分の意見を言うことを封じられて育つから、伝えるということがお互いに下手。で、「私はこう思う。だから、こうして欲しい」。これを何回もくり返していました。「あなたはどう思うの?どうして欲しいの?」。母の介護をしている時に、それは痛切に感じました。表面、強がりの母は、「お願いします」というのがなかなか言えなかった。こっちからすると、言ってもらわないとわからない。私も「こうして欲しい」と言うのは言いづらい性格。今から訓練しておかないと・・・

質疑応答では、教師をしている方が、自分も「異質なものを大事」にしたいと思っているのに、どうも教師にとってのいい子ちゃんばかり育てているような気がする、には、教育しようと思わないこと。自分が異質を大事にしていけば、それを見せればいいのだ、と。日本のバッシング報道と違い、アメリカでのバージニア工科大学銃乱射事件では、犯人も含めた33人の慰霊碑が大学に建てられたとか、その違いはなにか?との質問には、ひとりひとりが社会の一員であり、その社会をよくするのは自分であるとの自覚、とのことでした。韓国だか、在米韓国人の組織だかが、事件について謝罪をしたところ、「それはおかしい。個人が犯したことに全韓国人が謝るというのは間違っている。でも、そうしなければならないような雰囲気があったとするなら、それはアメリカ自身に問題がある」との発言もあったとか。そのとおりだねぇ。ブッシュのアメリカは本当に変だけれど、こういう意見が出るということは、日本よりもましなのかも。

デイサービスを利用している母親が、帰り際に「ありがとう」を言っても誰も反応しない。なんだか無視されているような、生きていることを否定されているような気がするというのだが・・・これに対しては厳しい意見。プロがそんな気持ちにさせるというのは問題だから、それはおかしいと言うことをキチンと伝えるべきとのことでした。私は、この髪の毛、日本では受け取ってくれるシステムがないようなので、保留にして伸ばしっぱなしにしていたのだけれど、辛さんはアメリカに送るんだって。送り先をおんな組いのちにアップしてくれるそうだ。保留物件がまたひとつ解決できそうで、うれしいな。

西東京では、一人で参加して、誰にも会わなかったが、今日は、知り合いや友達に会えた。それもうれしかったな。





No.28

写真展&トーク

 一ノ瀬
08/10/20

写真展&トークのお知らせを転送します。私は土日に参加します。皆様も是非!

***

フォトジャーナリストの野田雅也です。
  先日、チベットから戻ってきました。

ラサは一見、外国人観光客もわずかに増え、日常を取り戻しているかのように見えます。しかし町を歩くと、巨大な見えざる眼が支配していることに気づきました。チベット人居住区にはカラシニコフ銃に指をかけた兵士が行き交い、監視カメラや盗聴器がモニタリングしている。私服に扮した兵士や秘密警察が、個々人の会話や行動、生活の細部まで統制している。そして他者が他者を監視する。まさにジョージ オーウェルが描いた小説「1984」の世界が、現実のものになっていました。
  そのなかで、細心の注意を払いながら、人びとの声に耳を傾けてきました。彼らが語るのは、3月に何が起きたかというよりも、真昼の暗闇で生きるその苦しさです。仕事を失い、社会から排除され、構造的な力に支配される。そして未来に恐怖さえ抱いている。彼らは今、人間性が破壊されているのです。

そんな人びとの生活とは裏腹に、大規模な開発は今も続いています。ラサ市内には、米国のビバリーヒルズのような富裕層向けの“西洋風高級住宅地”が完成していました。そして草原では、これまで見たこともない砂丘を何カ所も目にしました。タクラマカン砂漠のような“チベット砂漠”が出現していたのです。開発と環境に加え、今回は元核実験場で生活しているチベット人にも出会ってきました。

これらの報告を10月25日(土)に世田谷区のキッドアイラック・アートホールにて行います(要予約)。また10月21日(火)〜26日(日)まで、同ホールで写真展「「生命の現場から:序章」(日本ビジュアル ジャーナリスト協会)も開催しています。チベットの写真も20点ほど展示していますので、ぜひ見に来てください。

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)「写真展&映像展2008生命の現場から:序章」

・期間  2008年10月21日(火)〜26日(日)
  ・時間  11:00〜20:00 期間中無休 ※ 26日(最終日)は15:00まで
  ・場所  キッドアイラック・アートホール
    (京王線・京王井の頭線 「明大前」駅下車徒歩2分)
    東京都世田谷区松原2-43-8 電話03-3322-5564
  ・入場無料 ※期間中のトークショーは入場料が必要です。
  ・写真・映像展出品者(JVJA会員)
  海南友子 國森康弘 権徹 野田雅也 山本宗補 古居みずえ 桃井和馬 豊田直巳
  ・主催:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)

【期間中特別トーク開催】10月21日(火)〜26日(日)
  予約制/トーク時は入場料1000円(予約先着順・定員 40名)
  予約受付:キッドアイラック・アートホール
  TEL 03-3322-5564  E-mail arthall@kidailack.co.jp
  ※予約で定員に達した場合は受付を終了します。あらかじめご了承ください。

10月21日(火) 18:30〜
  「ビューティフルアイランド〜気候変動に揺れる 美しい島の人々」  海南友子 

  南太平洋、北米、ヨーロッパ。気候変動や温暖化によって新たな選択を迫られている、世界の3つの小さな島。もし、気候変動の影響が本格化したとき、消えてしまうかもしれない美しい島の、人々の暮らしの美しさを見つめます。来年完成予定のドキュメンタリー映画「ビューティフルアイランド」(監督・海南友子)の映像を一部上映予定。

22日(水) 18:30〜
 「新宿・歌舞伎町」 権徹(ゴン・チョル:韓国出身)×豊田直巳(聞き手)

  日本有数の歓楽街、新宿・歌舞伎町。現代日本を象徴するこの町を96年から撮り続けてきた。そこで外国人ジャーナリストが目撃した様々な事件、交錯する人間模様。歌舞伎町から日本の未来像が浮かびあがる。

23日(木) 18:30〜
 「いま話したいこと、いま考えたいこと」  綿井健陽  トークゲスト:森達也(ドキュメンタリー作家/映画監督)

  死刑・光市母子殺害事件・秋葉原殺傷事件・映画「靖国」騒動・北京五輪…。今年起きた様々なことを“ドキュメンタリートーク”で振り返る。

24日(金) 18:30〜
 『乱世に強く! "戦地"の子どもたち』 國森康弘×桃井和馬(聞き手)

  イラク、ソマリア、スーダンなどの紛争地や、カンボジア、ブルキナファソ、ケニアなどの経済貧困地域に生きる子どもたちをスライドで紹介する。「命の危険」という目の前の困難な状況に押しつぶされることなく、しなやかさを保ち、笑顔まで見せる。行く先々で出会ったそんな子どもたちの強さに迫り、学ぶ。

25日(土) 14:00〜 
  ドキュメンタリー映画「ビューティフルアイランド」
(監督・海南友子)の映像を一部上映。(※上映のみ。入場無料)

25日(土) 18:00〜
  「隠されたチベット」 野田雅也×山本宗補(聞き手)

  今年3月、チベット全土に飛び火した抗議デモは、真実とは何か、自由とは何かを世界に問いかけた。しかし北京オリンピックが盛大に開催されると、軍事封鎖されたチベットの現状は恣意的に消し去られた。だが今も不安と不満のなかで良心の声をあげる僧侶たちがいる。心に小さな火を灯し、願い、そして祈り続けるチベットの人びとの姿を伝えます。

26日(日) 15:00〜
  JVJAトーク 「生命を語る」 写真展出品者(JVJA正会員)  國森康弘 権徹 野田雅也 山本宗補 古居みずえ 桃井和馬 豊田直巳 

  JVJA会員が国内外の取材体験から、私たちを取り巻く「生命」の今について、主に今回の展示写真作品と、その写真作品の背景を縦横に語り合い、論じ合います(当日のトーク出演者は事情により変更になる可能性があります。あらかじめご了承ください)。

26日(日) 18:00〜
  開催記念パーティー
(参加費別途1000円)
  JVJA会員とそれを支えてくださるスタッフの皆さん、そして写真展、トークショーなどに参加された皆さんとの懇親の場です。会員の出版した写真集、著書へのサイン会も兼ねます。お飲み物と軽いおつまみをご用意してお待ちしておりますので、お気軽にご参加ください。

【お問い合わせ】
  JVJA事務局
  〒101-0063 千代田区神田淡路町1-21.静和ビル2B
  TEL 090-6101-6113 FAX 03-3252-7651
  E-mail office@jvja.net
  又は、キッドアイラック・アートホール
  TEL 03-3322-5564 / FAX. 03-3322-5676
  E-mail arthall@kidailack.co.jp





No.27

三浦和義さん自殺?!

 りっちゃん
08/10/13

あんなに精神的なタフな人が? とてもショックでした。私もつらい時期を経て、今、落着いた暮らしができつつあるけれど、それでもまた、人から謂れのないことで非難されたら、私もそういう道を選んでしまうのではないだろうか? そんな不安が心の中でよぎりました。コーラスの練習に行って、そのことは忘れてしまったけれど・・・

でも、三浦さんの命は還ってこない。酷いよねぇ。これも拉致問題じゃぁないかしら? 最高裁で、無罪が確定したものを、他国が無理やり「共謀容疑」があると言って、ロスまで連れて行き、そこで死なせてしまった。どんな証拠があったのかを明示する必要もなくなった。米国にとって、大変都合の良い自殺である。日本政府は、このことに対して抗議をしないのか? どうして? 疑問が湧く。

三浦和義氏の逮捕に怒る市民の会では、三浦和義氏の死去に関する緊急声明を出しています。ぜひ、読んでください。

正直なことを言って、私はマスコミの影響もあるのかもしれないけれど、三浦和義さんは灰色と思っています。それでも無罪が確定し、彼なりの人生を歩む中で、よりよく生きればいいと思うし、神様(無宗教だけれど・・・)しかご存じないものを、人間が下手に裁くものではないと思うし、そのためにも、法というものを大事にするしかないと思う。だから、今回の逮捕は、すごくおかしいと思っていた。国民の目をそらすために、逮捕されたのだとも思っていた。

だから、そのうちに解放されるだろうという甘い思いがあった。それが悔やまれてならない。人の命を何だと思っているのだろう!! 怒りと、悔しさと、悲しみがごっちゃになって、涙がこぼれる。ご家族・ご親族の悲しみ・無念さを思うと、なおさらに・・・




08/10/22

やっぱりねぇ。「遺体に傷、他殺形跡」との報道があったね。

弁護人のゲラゴス氏が依頼した病理学者が、遺体の背中に殴打でできたような皮下組織の傷を発見。さらに喉に血腫があることから、自殺でなく、外部の力で締め付けられた可能性が高いとの結論に達したという。

朝鮮民主主義人民共和国による拉致事件と今回との違いはどこにあると思う? それはね、北朝鮮の場合は「ばれたらまずい」という意識があったから、ばれるまでは隠していたこと。アメリカは「ばれても、属国日本政府は絶対に文句なんか言わないさ」という意識だから、堂々と、言いがかりをつけ、堂々と、解剖のやり直しを拒否するということ。だけど、今の日本政府にとっての盟主アメリカったって、わたしらには関係ないさね。むしろ迷惑ばっかりこうむっている。だから、私は思ったことが書けるというわけ。「非常に都合のいい自殺」だ、とね。

友人が送ってくれた「紙の爆弾」という雑誌にも、これは“拉致監禁”事件であると書かれている。

三浦氏「再タイホ」から二ヵ月近くがすぎた4月中旬にこれを書いているわけだが、現在までの状況から考えれば、サイパンで起きたこの逮捕劇は、法的正当性を書いた不当逮捕であり、もっと正確に言えばアメリカ合衆国の州政府が属領サイパンを巻き込んで強行した「拉致監禁」にほかならない。
  そもそも三浦氏はまともな法的根拠もなしにタイホされた。マスコミは今回の騒動の当初、ロス地裁が二十年前にロス市警に発行した逮捕状を根拠にタイホしたと報じていたが、肝心の逮捕状が既に無効になっており、三浦氏逮捕後の二月二五日に再発行したものだという。つまり逮捕状もないのに、国家権力が一市民を強引に拘束し、サイパンの監獄に拉致監禁したわけである。これは人さらいに等しい。北朝鮮政府による日本人拉致監禁問題と同質の、蹂躙事件なのだ。
  もうひとつ、国際司法制度にとってのみならず、日本や米国を含む近代国家の立憲統治にとっても、その根本を揺るがすような由々しき問題なのだが、三浦氏の今回の「国外再タイホ」は近代法制度の大原則である「一事不再理の法理」を踏みにじり、近代法制度が禁じている「二重の危険」を一市民である三浦和義氏に負わせる、とんでもない蛮行だということだ。
  ・・・日本国憲法三九条は「何人も、実行の時に適法であった行為または既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と、米国憲法修正第五条は「何人も、同一の犯罪について重ねて生命身体の危険にさらされることはない。何人も、刑事事件において自己に不利な証人となることを強制されることはなく、又法の適正な手続きによらずに、生命、自由または財産を奪われることはない」と、そして国際条約(市民的及び政治的権利に関する国際規約の第一四条)でも「何びとも、それぞれの国の法律及び刑事手続きに従って既に確定的に有罪または無罪の判決を受けた行為について再び裁判され又は処罰されることはない」と、これらの大原則が明示されている。
  ・・・日本の司法制度もナメられたものである・・・

実際、ナメられちゃっているんだけれど、しかし、一体なんの目的で三浦さんをタイホしたんだろう? 「共謀罪」を日本に押し付けるためかしら? 怖いねぇ。「共謀罪」って。それに、もうそろそろ、米国追従の政府から、独立国、日本の政府にしましょうよ。選挙って11月30日?





No.26

長屋問答

 金太
08/10/11

 いよいよ総選挙の巻

大家 あがっておくれ。婆さんやお茶を出しておくれ。
  八公 熊っ!家賃の催促かな?
  大家 違うよ、夜明けが近づいた話だ。
  熊公 まだ、夕方だよ!大家さん大丈夫かなぁ?
  大家 恐れ入ったね、麻生首相が施政方針演説で『畏(かしこ)くも御名御璽(ギョメイギョジ)をいただき』と言って主権在民も議員内閣制も全然理解していない。おまけに貧困と格差を広げた「構造改革」路線を引継ぐ決意表明をした。
  八公 麻生総理は若者たちの使い捨ては続けようとしているの。
  熊公 あたぼうよ!そればかりでないぞ。後期高齢者医療制度はなくしても解決しないと断言。日米同盟が常に第一だと言った。
  大家 そうだ。アメリカのアフガン侵略を応援のためにインド洋の無料ガソリンスタンドは今後も継続する。国民のくらしや福祉について全く考えていない。政治家としての見識を疑う。
  八公 麻生首相はキャノンやトヨタやパナソニック言いなりでないの。
  熊公 日本経団連から金を貰っているからな。
  大家 株価が連日下がり続けているだろう、株価下落で銀行や証券会社・保険会社が困っているから公的資金の注入をしようとしている。
  八公 俺たちも公的資金を注入してもらいたいね。
  大家 そりゃだめだ。自民党にワイロを出しているか?設備投資減税をしようという口から消費税を毎年1%づつ上げて10%にしようとしている。
  熊公 景気回復と言いながら転んでもタダ起きない財界・大企業!
     今度こそ政治を大企業・財界中心、アメリカ政府いいなりから国民の暮らし優先に切り替えよう。
  大家 日本共産党の話は聞いたか、無駄な軍事費5兆円、大企業大資産家の減税分7兆円、米軍駐留経費(思いやり予算を含めて)六千五百億円、消費税に頼らなくたって国民のくらしや福祉の充実に充分だ。
     まだまだあるぞ!憲法違反の政党助成金三百二十億円だ。日本共産党は一切受取っていない。これだけあれば障害者自立支援費の応益負担分が充分賄える額だ。
  熊公 無駄使いの最たるものに軍事費がある。一つの例だが、アメリカで9/18のテレビで飛んできたミサイルをイージス艦から発射したミサイルが命中し、防衛が成功したと防衛省の軍人たちが拍手していた映像がNHKで放映された。イージス艦のミサイル配備にいくらかかると思う?
  八公 百億円ぐらい?
  大家 六隻分で千八百億円だ。ミサイルは一発二十億円もする。全部アメリカから購入するのだ。
  八公 そんなにするの?
  熊公 あたぼうよ!軍事産業ほど儲かる話はないぞ、秋山日米平和・文化交流協会専務理事と久間元防衛相のウサンクサイ話もあり、また、軍事産業上位十社で1兆2千億円、天下りは三菱電機98人を先頭になんと397人だよ!
  大家 だから今度の総選挙は大事なんだ。民主党は「政権選択の最後の選挙」と言っているが、俺たちにとっては政治の中身を変えていく初めての時代の幕開けの選挙になる。
  八公 長屋のみなさんに「てえへんだ!各党の政策をしっかり読んで考えて投票しよう」と伝えるよ。
  熊公 仕事仲間に伝えたい!
  大家 頼んだよ。俺が生きているうちにいい世の中にして欲しいよ。

 お後がよろしいようで  金太




本当に、私たちが生きているうちにいい世の中にして、次世代におあとをよろしくと手渡したいですねぇ。しかし、総選挙はいつあるのだろう。共産党の清水明男さんがうちに見えたのは、もうずいぶんと前だよ。麻生さん、ころがりこんだ椅子にしがみついているんじゃぁないかな。

恐慌前夜とかって騒いでいるけれど、(恐慌が凶行と変換したよ)自分たちの賭け事の支払いに、税金を投入したいから騒いでいるのかなぁ。私みたいな貧乏人は、もともと必要経費しかないから、慌てる余地もない。いつもどうりだよ。ケチケチコツコツ。

その立場から言えば、軍事費なんて無駄遣いもいいところ。有害でもある。さっさとそのお金を、庶民の暮らしに役立てて欲しいねぇ。





No.25

横田基地に航空自衛総隊司令部が移駐

 金太
08/10/9

予算493億円

防衛省の総隊司令部庁舎の内容が公表されました。
  それによると総隊指令部庁舎等(地上3階・地下2階建て)

    19年度予算   143億円
    20年度予算
 総隊司令部庁舎(2期) 47億円
 米軍施設の移設費(教育施設、託児所、宿泊施設等)22億円
 国家公務員宿舎の建替え(移駐に伴う、東村山市)28億円
 通信機器購入 39億円
合計  136億円
    21年度予算概算要求
 総隊司令部庁舎(3期)122億円
 米軍施設の移設費47億円
 公務員宿舎整備費21億円
 装備品等24億円
合計 214億円
    22年度予算  未定
総合計493億円以上

総隊司令部工事の残土に問題あり

残土の搬送は、既に始まっております。来年5月末まで大変な量になります。
  @、ダンプの通り道には小学校や中学校があり、なによりも市民の住宅、生活道路であります。安全対策がされていません。一日平均200台が予定されている。
  A、残土が危険=過去ガソリンが漏れる事故がありました。日本では以前から鉛の混入を禁止していますが、米軍は海外の基地だからといって猛毒のテトラエチル鉛、4エチル鉛など混入しています。
  B、捨て場所が地下水脈に通じる石灰岩を掘ったところに残土を放棄します。市民の安全は二の次、三の次とされています。
  ※残土の処分場の名義:株式会社建設資源広域利用センターです。
  ※捨て場所は、3ヶ所。 @、日の出町大久野2650番地 A、青梅市成木8−452−1 B、青梅市成木8−465−1  です。
  ※土壌調査は掘削前に5000立方米ごとに行うが、受け入れ先ではしていない。
  ※地下水脈の調査はしない。
  ※残土は25万立法米=41万2500トンです。10トントラックで41250台分。

米軍再編はアメリカのためだ

「沖縄・日本の基地は日本を守るためでなく、米国の世界戦略を遂行するためにある」とアメリカ政府は公言しています。
  その内容は、米軍の出撃基地としての基地機能の保障や海外で行動する米軍への後方支援にとどまらず、自衛隊が世界のあらゆる地域で完全に米軍と一体になって武力行使することを求めています。

いま世界に巨大な平和の激流が

アセアン諸国5カ国から始まった東南アジア友好協力条約(TAC)は、今や24カ国・地球人口の57%まで広がりました。
  TACは、締結国国民間の不断の平和、永遠の友好及び協力を促進する(第一条)、締結国は相互を連結している伝統的、文化的、かつ歴史的な友好関係、良き隣人関係及び協力関係の発展の強化に務め、及び善意を持ってこの条約上の義務を履行する(第三条)、と明示。
  南米12カ国で締結した南米諸国連合設立条約では、前文で「平和、民族自決権、核兵器のない世界」などを高らかに宣言しています。
  世界の平和な着実な流れとなっています。
  平和憲法を持つ日本です。
  9条を守り、その立場で国際貢献をしていきましょう。21世紀は戦争のない世界をつくり、人類繁栄の世紀にしましょう。

※東京都建設局積算資料や西多摩新聞や防衛省予算などを参考にしています。




金太さん、投稿ありがとう。福生市民9条の会ニュースも、いつもありがとう。それにしても大盤振る舞いですねぇ。何で、米軍から言われて移駐するのに米軍施設の移設費まで払わなきゃならないの?出所は私たちの税金でっせ。

残土、怖いですねぇ。日の出だと多摩川水系、成木だと高麗川水系になるのかなぁ。都民と埼玉県民の飲み水が汚染されないか、とても心配。

世界の潮流に逆らって、独り、あちこちで暴力を働いている国アメリカに、日本はいつまで追従していくのかしら? 経済的にも危うい国となった今になっても? いい加減にしろ!!です。国の舵取りを2代目、3代目のお坊ちゃまたちに任せているからこんなことになるのだ。もう、替えなきゃぁ。





No.24

都道338号線学習会

 りっちゃん
08/10/8

7日、環境自治体会議 環境政策研究所の上岡直見さんをお招きして、学習会が開かれました。

1.道路政策と計画・評価技術の諸問題
  ○常に後手に回ってきた環境対策
  ○計画技術自体が、住民が本当に知りたい事項に対して答えうるレベルに達していない。
  ○それにも関わらず、単一の結果を絶対のものとして固執し、前提条件が変わっても見直さない。最新・最善の計画技術を適用する意欲がなく、先例踏襲のみ。
  ○モデル、前提条件、計算結果など、客観的な議論に必要な情報を公開しない。
  ○行政側の担当者に専門知識がなく、コンサル丸投げ。
  ○判断できないので、過剰なデータ秘匿。
  ○専門家の行政依存の姿勢、産・学・官の一体化体制。

何か、これって道路に限らず、なんにでもあてはまるような・・・住民(国民)にはなるべく知らせないようにしているんじゃぁないかと疑っちゃうんだけれど・・・レベルも問題なのかぁ。公務員が、当たり前の「住民(国民)のために」という目的意識がちゃんとしていれば、レベルも上がるんじゃぁないかなぁ。ダッチロールの影響が大?

道路事業評価の考え方では、緻密な計算方法が書いてある。でも、これって全部もともと仮定の数字だから、どんなに緻密に計算しても、現実の結果とはどうしても違ってくる。その結果とアセスメント(評価・計算結果)との違いを分析・検証していないんだって。はら、そしたら、その数値って、何の意味も成さないじゃない。原因のひとつに、コンサルタント会社に丸投げしているから、その資料とかを情報公開しないで済んじゃっているからだって。エーッ、税金使っているのにぃ?? おかしいよねぇ。本当に必要な道路なのか? 環境に与える影響は? その判断の(あくまでも仮定だけど)根拠となる資料が民間会社のものだなんて・・・それと実態とを分析検証してより正確な(仮定)の数値にしていかなくては、意味がない。都合のいい数値を入れ込んじゃっているんじゃぁないのかなぁ。

道路公団民営化の欺瞞と破綻の所は、ちょっとお疲れで寝ていたのか、資料を見てもよくわからないけれど、道路資産が何で債務返済機構のものになっちゃうんだろう? 道路って税金で作ったんじゃぁないの? 地方の一般道でも、一般財源が約30%使われちゃっている。さらに、地方交付税で賄われない分は地方債(借金)の発行で、利子の支払いが発生してしまう。そんなことしてまで、新しい道路を建設する必要があるのだろうか?

2000年頃からすでに乗用車交通量は減少しているんだって。ガソリン高騰や不況でますます減るだろうし、環境問題に真剣に向き合ったら、もっと減るかもね。トラックだって貨物列車の利用ができるし、私たちもなるべく電車やバス、自転車を利用するとか、工夫の余地がまだまだあるもの。道路を整備すれば、交通量を誘発するんだって。そりゃ、車にとっては便利だもの。モールとかも気軽に行ける。でも、この間新聞に載っていたよ。歳をとって車も運転できなかったら、近くの商店街が見直されるだろうって。今、車のない人や免許のない人もそうだね。モール、いらない。車にとって便利な道路も要らない。338号線ができて、家の前の道路が通り抜けられるようになったら、車がどんどん入り込んできて、小さい子どもが遊べなくなるし、私も、歩いたり自転車に乗ったりが不便になる。もちろん環境も悪化。

さらに、上岡さんの指摘は「健康問題」。自動車走行距離と交通事故は強い相関関係があり、整備すればするほど、事故が増えると・・・運動不足による高血圧・糖尿病、大気汚染による呼吸器疾患も増えるとのご指摘です。そうなんだよね。道路建設によって、建設会社の景気は良くなるかもしれないけれど、国民全体の健康が悪化したら、その分の経済効果はマイナスになるでしょう?車のために便利な社会じゃなくて、人間のためにいい社会、心地良い社会にしましょうよ。ここ、小平は住宅地。静かなで緑豊かなのがいいなぁ。

上岡直見さんの著書は、「脱・道路の時代」(2007.10 コモンズ 1,995円)、「新・鉄道は地球を救う」(2007.2 交通新聞社 1,890円)、「市民のための道路学」(2004.7 緑風出版 2,520円)、「持続可能な交通へ」(2003.7 緑風出版 2,520円)等





No.23

世界最大の悪徳暴力団国家

 あひるさん
08/10/7

【国際】
  日本などにアフガン費用負担要求 米政府が1兆7千億円
  2008年10月7日 00時29分

【ワシントン6日共同】米国防総省当局者は6日までに、治安が急速に悪化しているアフガニスタンの国軍増強のための費用として、米政府が少なくとも170億ドル(約1兆7000億円)の負担を日本を含む同盟諸国に要求したことを明らかにした。ロイター通信が同日伝えた。

ロイターによると、米政府が費用負担を求めたのは、米同盟国のうち、日本やアフガンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)に派兵していない北大西洋条約機構(NATO)加盟国など。

モレル国防総省報道官はロイターなどに対し、アフガン国軍増強について「少なくとも170億ドルが必要。これは誰かが支払わなければならない」と指摘した上で、「アフガンに軍隊、特に戦闘部隊を派遣することに消極的な国は、財政的な貢献をするべきだ」と述べた。

同報道官によると、米政府は既に日本に費用負担を要請済みだが、要請は福田前政権に対し行われたため、麻生政権に対してもあらためて要請する方針という。

東京新聞
 
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008100601000896.html

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世界最大の暴力団のなわばりで、飲み屋(花屋でもなんでも良いのだが)を開店していたら、その暴力団が、みかじめ料だけではなく、全く関係ない地方で、理不尽な暴力沙汰をおこし、そのつけを、突然回してきたというようなものだ。むろん払う必要は一切ない。
  治安を悪くさせたアメリカが、アフガニスタンに賠償を払い、撤退すれば良い。

ただし、アメリカのアフガニスタン侵略を支持した小泉元総理は、在任中に得た給料やら講演料を、全部アメリカに捧げないといけない。
  アメリカに育てられた次男坊が政治家になったら、その給料も全部アメリカに捧げないといけない。
  アフガニスタン侵略を支持した、あるいは、支持している日本国民も、その収入から、なにがしを拠出するのは当然のことだ。

アメリカの金融街発の世界恐慌を引き起しながら、さらに理不尽なぶったくりをする。
  世界最大のテロリスト国家が誰か、これで一層明らかになったわけだ。




お久しぶりの投稿、ありがとうございます。ひどいものですね。“やらずぶったくり”とかっていう言葉があるけれど、自分勝手に荒らすだけ荒らして、しかもその原因の“9・11”はブッシュのやらせという噂(私は事実だと思っているけど・・・)も高く、それで費用を分担だとぉ???!!! 図々しいにも程がある。

自分で賄えなくなったのなら、すみやかに撤退すればいいのに。賠償金は借金してでもいいから、キチンと払いなさい。アフガンの復興資金なら、軍隊さえいなくなれば、それぞれの国がそれなりに判断して、出すとは思うけれど・・・それは、アフガンに対してであって、アメリカにではない。

理不尽なことにはキチンと、“NO!!”を言いましょうね。3代目のお坊ちゃん総理でも。
  危ないなぁ。早く替えなくっちゃ。





No.22

ナショナリズムの克服

 りっちゃん
08/10/7

「在日の立場から、長年、「日本」について鋭い批判と分析を続けてきた姜尚中と、オーストラリア在住の国際的博奕打ちで作家の森巣博という異色の対談本」。東大教授でまじめな姜さんと、「草の葉民主主義」の森巣さんの丁々発止が、いい味出してる。もう笑いこけちゃった。でもそのあとが大変。何しろ二人とも博学だから、ウィキペディアを何度検索したことか。カタカナと人の名前が苦手なんだなぁ。

石原慎太郎の差別発言とその反応の分析から始まって、姜さんの特別課外授業「日本ナショナリズム小史」と、姜さんの在日韓国人2世としての悩み多き青春の告白、「自分にだけしゃべらせてずるいぞ」ということで、森巣さんの「イージーライダー」体験の告白と「民族」についての特別課外授業。現状の分析と未来への展望までしっかり書かれている。

森巣さんの言葉ってとってもわかりやすい。すごく頭のいい人だと思う。「要するに、グローバル化の結果生じたもろもろの混乱や不透明な不安感の原因を、「三国人」や「中国人」という少数者に押し付けることによって「可視化」し、一刻も早く安心したいと言う、安直な雰囲気があるのではないかと思うんです。それが、いわゆる90年代に突如として出現したかに見える、ネオ・ナショナリズム(いまどきの日本万歳主義)の背景に横たわっていたのではないか」。

ダワーのスキャッパニズムについての講義。森巣さんはすかさず、「SCAP(連合軍指令部)と日本政府の談合体制」。
  姜 「昭和の時代はひと続き」、「労働力の再編成、動員等、1920年代から進行していた、後々の福祉国家の萌芽的な構造が、総力戦によってシステム化される。同じく、戦間期に、重化学工業政策が推進され、地方の官僚制が整備された。そして、敗戦後の占領下で、軍事的なものがそぎ落とされることにより、かえって、1920年代以降の社会構造がより強化された、というのが、彼のテーゼなんです。敗戦後は政治的な部分はほぼアメリカによって代替されました。だから、ナショナリズムなきナショナリズムのような現象が起きたんだと思うんです。それが、経済ナショナリズムだった」。
  森巣 「戦前の「国体」ナショナリズムがいったん崩壊した後、平和主義や民主主義が登場するのと同時進行で、冷戦時代にフィットしたナショナリズム(=経済ナショナリズム)が新たに出現し、徐々に強化されたということですね。エコノミック・アニマル=日本人の誕生。経済的に世界を席捲するわれわれは、とっても特別でとってもすごいんだとする主張」。

姜 「戦後日本において、ナショナリズムは、もはや、政治的な言説にならなかったわけです。その代わり、アメリカとの関係がますます重視されるようになりました。それが、うまくいった。その理由の一つに、アメリカがアジアの問題をかなりかき消したことが、非常に大きかったと思うんです。
キャロル・グラックの話では、1942年ぐらいから、アメリカ政府の中に、戦後の占領下についての方針が決められていたと言います。大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えたりしたのも、それを見越してのことなんですね。この頃には、事実上、朝鮮半島、沖縄、台湾、旧満州は、日本から切り離されることが規定路線として決定していたわけです。しかし、その代わり、アメリカは、敗戦によって傷ついた日本の生産力のはけ口を、東南アジアに用意してあげた」。
  森巣 「「八紘一宇」の代わりに経済圏を用意してあげたということですね。大東亜共栄圏は、政治的には挫折したけど、経済的には温存されている」。
  姜 「その通りですね。日本は東南アジアに対する賠償という形で、経済的に進出していく可能性をアメリカによって与えられたんです」

日本人の勤勉さや技術力があったから、と思いたかったのだけれど、森巣さんの「例えば、バングラデシュの縫製工場で、勤勉に禁欲的に、ほかの人とは比べものにならないくらい働いて、ウエーバーの言うような富が得られているかというと、経営者を除けばそんな人は誰もいない」には、納得させられてしまう。勤勉なだけでは、日本の経済成長はありえなかったのだ。

そういう下駄を履かせていただいていたから、そしてそのことをようくご承知だから、“アメリカ追従外交”なわけだ。さらに、その裏返しと言うか、コンプレックスがあるがゆえに、やけに”日本の良さ”を強調するわけだな。そういうことを、森巣さんがうまいこと表現している。「俺のちんぽこは大きいぞ論」。私も一応女性の端くれなので、詳しいことは読んでね。姜さんも「ややどぎつい表現ですが、的を射た発言です」と評価されている。やけに日本文化の繊細さを讃えた時期についても「俺のちんぽこは繊細だ」論をとなえ、森巣さんに落ちを取られている。落ち、笑っちゃいました。ケタケタ笑っちゃうなんて、日本人男性の自信をより失わせてしまうかしら?「そんなものどうでもいいでしょ!!肝心なのは愛よ、愛!!」。なんてね。抽象的になっちゃうけれど、人を幸せにするには、「ナショナリズム」や「民族」、「経済」ではないということは確か。経済も一部にはあるかもしれないけれど、そう重要でもない。とくに金額に換算したものとの関連は意外と薄いのではないかしら?と近頃は思っている。日本の土地の値段とか、サブプライムローンとか、架空の金額?なんじゃぁないかなぁ。株や先物投資がゲームになっちゃって、博打を楽しんでいる人たちだけでやってくれればいいけれど、最後に弱い者にしわ寄せが来るようで、それが怖いねぇ。“もやい”にも今しわ寄せが・・・

森巣さんの言うのは明快でいいや。「人間はみな同じ」。「実は、グローバリゼーションは、太古から起こっていた」。IT革命でそれがはっきり見えるようななっただけで、「そもそも「文化」というのは、その発生の時点において「多 multi」であり「交 inter」なものではなかろうか」。武江年表を読んでも、国際交流が一杯。朝鮮音楽を聴いても、共通なものが流れているって思う。日本はもともと多民族が融和してきたのだからねぇ。「カステラ」「天麩羅」も、何でもおいしいものは取り入れちゃうし・・・なんで今は難民をもっと受け入れないんだろう? 日本らしくないよ。

「楽しいことさえしていれば、人間は間違わない」、「bumに国境はないんだ」、「社会的上昇志向さえ自分の内部で殺してしまえば、実は世の中というのは簡単なんだ。楽しい生活ができるんだ」。私も実感している。ただ、離婚してから、社会的上昇志向の人たちが離れてしまったのはちょっと淋しいけれどね、それでも、世の中にはいろんな人がいて、探せばできること、楽しい事が一杯まだまだある。日本の若者や子どもたちに遊びが少ないのが気になる昨今でもあります。

姜 「九〇年代は、「失われた一〇年」と言われていますが、僕は「失われた二〇年」じゃないかなと思っています。とりわけ、アメリカやイギリスで進んでいた、グローバル化への対応策としてのネオ・リベラルな改革を、今、一挙にやらなければならなくなった。
  八〇年代のサッチャリズムやレーガノミックスの後には、それらに対するかなりの軌道修正がありました。そして、九〇年代に、クリントンは、ニューエコノミーをあれだけ推し進めた。それでも、すごい後遺症があったと思うんです。実際、アメリカの中産階級は、かなり層が薄くなっていったわけですし。そのため、あたかも国民間の和解を達成するかのようなポーズが、繰り返しとられていました。」
  森巣 「日本の場合は、バブルの清算も絡んだので、ますます九〇年代の改革ができなかった。だって、あそこで本気でやる気になったら、大手企業の経営者のほとんどと、永田町や霞が関の住人の多くが、塀の内側でしゃがまなければならないはめになった。結局、あのころの「巨悪」に免罪符を与え、すべて生き残らせてきたために、現在の袋小路が出現しているわけです。」
  姜 「だから、日本の場合には、グローバル化に対応するために、二〇年分のネオ・リベラルな構造改革を、一挙にやらなければならないんです。」
  姜 「一挙に改革をやると同時に、そこから生まれてくる副作用を、是正しなければならない。これはもう、冷房と暖房を同時にやるようなもの。ブレーキとアクセルをいっしょに踏まなききゃいけないようなものなんです。だから、改革をやろうとすると、必然的に、ダッチ・ロールになっちゃうんです」。国会も政策も、まさしくダッチ・ロールですねぇ。

姜 「根本的には、グローバリズムとどう対峙していくのかということが最大の焦点なんだと思います。つまり、グローバル化の中で、日本が、対外的にどのようなバーゲニング・パワーを築き得るのか。結局、グローバル・スタンダードのルールづくりに、何らかの決定権を持たなければ、日本の経済的なポジションというのも確保できないじゃないかという形で、ナショナリズムが出てきている。」
  姜 「ところで、僕は、このまま行くと、失業の問題もそうだけど、福祉や様々な保障の面で、どんどん先細りして行かざるをえないと思うんです。そうすると、セキュリティが意味するものが、福祉国家的なものではなく、治安管理の側にシフトして行かざるをえないと思うんです。実際、そういう現象が起きているし。そうなると、ナショナリズムというものが、必然的に要請される。」
  森巣 「しかし、社会福祉こそ、国家が提供すべき「安全保障」であるという、ごく当然なことに、なぜ気付かないのでしょうか」。
  政治家の頭の中が思考停止状態? 出てくるのは暴言ばかり。しかも本音だって言うんだから・・・「長寿からぶんだくれ制度」にしても、基本的なところが問題なのに、「いい制度」だなんて言い張っちゃうしねぇ。頭がいいはずの官僚も、頭の中がダッチロールしているんじゃないかなぁ。もっと広く柔軟になって欲しい。

森巣 「今、英語圏で、もっと著名な日本文化研究者というと、これは間違いなく酒井直樹であり、ハリー・ハルトゥーニアンであると思うんですよね。ところが、ハルトゥーニアンの名前すら聞いたことない日本の文化研究者がいるわけでしょう。」
  姜 「確かに、批判的立場をとる研究者たちの日本研究や日米関係研究の成果は、日本のメジャーなメディアの中には入ってこない。なぜかというと、それをシャットアウトしなければ、たぶん、今の日米の談合的な構造というのが、かなりヤバくなる可能性があるからだと思いますよ。博さんが挙げられた研究者というのは、単に、日本だけを批判するのではなく、日本とアメリカ、そして世界をも同時に批判的に見ていくような、そういうスタンスをとっている方が多いと思うんです。その人たちの考えが、なかなか日本側に伝わらない。で、それは――。」
  森巣 「悉意的に排除されてる。」
  姜 「それは、たぶん、日米談合関係を維持していくために必要なんでしょうね。」

だからね。日米談合関係の束縛からまず自由になって、そこから、みんなが幸せになるためにはどうしたらいいんだろう? と発想を変えて、広く勉強したらいいんじゃないかな?
 他にも、カルチュラル・スタディーズという学問、スチュアート・ホール、ミシェル・フーコー、キャロル・グラック、ノーマ・フィールド、テッサ・モーリス=スズキ、ジョン・ダワー、ポール・ギルロイ。いっぱい名前が出てきたよ。私も本を読まなくっちゃ。

姜 「七〇年代の末まで、在日韓国・朝鮮人=犯罪者だという図式が、確かにあった。他者がそう見るのではなく、自分がそう思い込まされていた。それこそ、石原慎太郎じゃないけど、やばい因子が入っちゃってるんじゃないかと。」
  森巣 「民族的DNAか。」
  姜 「あらゆることが、非常にネガティブにしか見られなかったんです。しかし、在日韓国・朝鮮人に突きつけられていた個別状況が、今は、どこか社会現象化しているように感じられるんです。つまり、在日的な存在が増えている。それは、イスラム系の人たちであったり、犯罪者予備軍の脱落者であったり、ホームレスであったりする。」
  森巣 「確かにそうですね。」
  姜 「結局、在日韓国・朝鮮人は、福祉国家の外にいたわけです。そして、福祉国家の外にいたから、治安管理の一番の対象として見られていた。」
  姜 「だから、あの時代は年金はなかったし、失業保険も当然もらえなかった。」
  森巣 「就職だってできなかったですしね。」
  姜 「それから、住宅金融公庫もなかった。だから、僕の父親や母親の世代には、国家や社会が福祉とか扶助をやってくれるという発想が、頭の中にいっさいない。自分で何かをつくっておかなければ生きていけないんです。でも今は、在日だけでなく、多くの日本人が、この現実に直面しているわけです。」
  森巣 「それは、日本国民全体が在日化したということですね。」
  姜 「ああ! 僕が、今それを言おうとしてたのに(笑)。まあ、大げさに言うと、いずれ、日本人の在日化が始まるのではないかと。だけど、逆に、国立大学にポストがあるような僕のほうが、日本人化しつつあるのを感じたりもします。変な現象ですよね。そういう状況を、国家が国民に納得させるためには、それまでとは違った正当性やロジックが必要になるんです。
  それが、七〇年代の終わりから、イギリス、アメリカで始まっていたと思うんです。日本では、今、それをあけすけに公言しようとしています。国民は、企業にも、国にも寄りかかるなと。そして、自分たちのことは自分たちでしなさい。それで頑張らない人はダメですよ。だから、医療費も自己負担をこれだけ増やしますよ、と。
  森巣 「八〇年代初頭の英国で流行ったものに、素晴らしいフレーズがあります。プリーズ・フィール・アット・ホームレス(笑)。

そうなんだ。私も在日のひとり。おんな組いのちでも、在日貧乏人って登録したと思ったな。いろんな場面で排除されたり、就職もなかなかできないしねぇ。私だけじゃぁない。一億総在日化。ホームレスを見ても気がつかないノー天気なあなた。明日はわが身ですよ。年金も危ない。医療制度もおかしいい。「ワーキングプアは嫌!!」、「政治家の世襲も嫌だけれど、貧困の世襲も嫌!! と声をあげ始めた若者と、母子家庭のお母さんたちがいる。次の選挙では、しっかり意思表示をしましょうね。ウーン、どこの誰に入れようかなぁ。

森巣 「ハートとネグリによれば、「帝国」とは、内部矛盾を外部化することによって、成立してきた。ところが現在では、世界のどこをどう探しても外部なんてものはないんだ、ということを指摘してるわけです。偉そうだな、俺も(笑)。」
  姜 「まさしくそうですね。そう、外部はなくなったんです。それにもかかわらず、無理に外部をつくろうとして、レイシズムやナショナリズムがつくられるわけです。」
  森巣 「では、外部がなくなった世界で、どのようなリイマジンド・コミュニティ(再想像の共同体)を構築していけばいいのか。そのことを、この対談のまとめとしましょう。」
と、無族協和を提唱している。人間って、みんな同じところもあり、みんなそれぞれ少しずつ違う。違うから語り合う必要も、楽しさもある。「みんながゆたかに」暮らすために考えられた方法が、「社会主義」や「資本主義」だったのでは、とも思う。どちらもそのままでは使えないことが判明した今、どんどん修正していけばいいのだ。形にとらわれることなく、「みんながゆたかに(金だけじゃないよ)」暮らせるように、「みんなで」、この先の道をつくっていくのだ。しばらくは大変かもしれないけれど・・・

森巣さんの息子さんは、ウォール街で働いていて、一九九九年のシアトルでのWTO閣僚会議に反グローバリズム勢力が続々と集まったという、そのなかに参加されていたそうだ。
  森巣 「彼にとっちゃ、金をつくるというのは簡単なことです。問題は、その富をどうやって再分配していくかということでしょう。今までのように、収奪ばっかりつづけていったら、資本主義そのものがもたなくなってしまう。九月一一日は、必ず九月一二日になり一三日になり一四日になり一五日になり、一年三六五日起きつづけますよ、と。」
  姜 「とにかく、反グローバリズム集会に参加していた人たちの中には、博さんの息子さんのように、グローバル経済のエリートたちも参加していたんですね。無族協和というのは、決して日陰者の集まりではないんですね。」
 姜 「しかも、彼ら彼女らは、収奪構造の継続が資本のためにならないことを、はっきりと認識している。結局、資本側が譲歩することによってしか、資本が成り立たない。そのことがわかっている人が中心にいるんですね。」

もうすでに長すぎているから、「民族」への屈折した思いを持ったであろう姜さん自身の歴史については割愛させていただいて、これだけ。
  「博さんが、民族は一般的には語りえない。そこには例外があるんだと言ってくれたのは嬉しかった。マイノリティでも、自己肯定的に自分たちを見ていいんだという気持ちになった。」
  そして、あとがきの「私個人について言えば、民族についての両義的なこだわりをありのままに受け止められるようになっていたのである。それはこれまで経験したことのないような稀有な体験であった。その意味で対話は何よりも私の中に変化をもたらしてくれたのである。」
  笑いこけながらも、読み応えのある一冊でした。





No.21

都立三鷹高校土肥校長

 りっちゃん
08/9/28

昨夜(27日)、武蔵野公会堂で、「学校に言論の自由を求めて!」という会合があった。人気があるから早めに行った方がいいと言われていたが・・・旧陸軍登戸研究所見学会で、時間が押せ押せになって、夕飯も食べずに会場時間ぎりぎりに行ったら、もうすでに行列。報道関係者も一杯いたよ。400人が入れなかったって。みんな関心があるんだなぁ。教育問題は、本当に、将来の日本にとって、大事なことだから・・・

面白い人だよ。土肥さんって。都立北園高校にも、ユニークな先生がいたけれど、その先生たちにも負けていない。ちょっとおしゃべりだけれど・・・これじゃぁ、都の教育委員会の人たちも対応に困っているかも・・・

まずは尾木さんって人が「言論の自由以前の問題、都の教育委員会の言っていることは恥ずかしくって・・・」と挨拶。今の与党の政治家がそのお手本を示してくれているからなぁ。恥ずかしい人や発言が多すぎるよねぇ。

土肥さんの人柄紹介。卒業生の「校長なんて現役の高校生から見たら無関係の人、名前も顔も覚えていないのが普通と思っていたのが、話しかけられて名前を覚えてもらえたら、遠くからでも『いやぁ、○○君』と・・・」。この雰囲気がいいよねぇ。対等で日常的なんだよ、生徒との関係が・・・

「今までの経過と都教委の実態」が、インタビュー形式のはずなのにほとんど独演。でも、面白かった。一番の問題、職員会議での「挙手・採決禁止」通知は、要するに、校長が職員と話し合って、その意見を取り上げたりしないで、都教委だけに従うようにしたかっただけ。表向きは、「校長の責任と権限」を強化するといっているらしいが、校長の判断を信頼するなら、任せりゃぁいいわけで、いちいち通知を出す必要もないはず。土肥さんの意見としては、「教員に何を言っても仕方がないという空気が広がり、職員会議でほとんど意見が出なくなった。生徒に日々接する教員の声が直接反映されないと、活性化につながらない」。「ソ連の崩壊の意味することは、言論の自由のないところはやっていけなくなるということ。言論の自由を大事にしたい」ということだ。

都教委との公開討論を希望したのに、返事をもらえなかったんだっけかな?とにかく、何回となく呼び出されては、大勢対一人での話し合い、「いじめ」だよねぇ。もちろん、校長の人事権を握っているわけだから、脅しもあることになる。他の校長さんたちが内心どう思おうと、表立っては動けない。それをいいことに都教委はやりたい放題やっていたわけだ。ところがどっこい、土肥さんは異をとなえた。「この会場にも都教委の方がいらしているなら、ぜひ壇上に上がって、話し合いましょう」。公明正大だと、会場の雰囲気も明るい。笑いが起きる。

教職員に対する評価の問題、要領では、校長の絶対評価で、となっているのに、CDの評価を20%以上にしろと言ってきたんだって。まず普通がないのがおかしい。今までも、都の他の職員もCD評価というのは5%ぐらい。だけど、そう言われてからは14,5%に上がってしまったとか。その分先生方の給料が減ってしまったわけだ。おかしいよねぇ。教育問題を大事に思うなら、働く人の給料を減らすよりも上げた方がいいのに。「褒めて育てろ!!」は教育の基本だぜ。校長を脅し、先生方を脅し、って方法をとる都教委は、結局子どもたちにもそうやって教育を実践したいわけだな。それで伸び伸びと子どもたちが育つはずはない。都教委のような姑息な人間に育っちゃうよ。姑息な都教委は、「守秘義務違反だ!!」と土肥さんいじめをしたようだけれど、誰がCDの評価を受けたかという個人情報を流せば、そりゃぁ、守秘義務違反だろうけれど、評価方法はむしろ公開すべきなんじゃぁないかな? 他にも一杯おかしなことをやっているんだ、都教委は。だいたい、現場に任せりゃぁいいことを一杯口出しして、文書にして出せとか、これじゃあ、先生方が直接子どもと触れ合ったり、授業の準備をする時間がどんどんなくなってしまうよ。土肥さんは「公益通報の処理に関する要綱に基づく内部告発」を出したそうだよ。議論しましょ。公開で・・・

漫画家の石坂啓さんのお話も楽しかった。着ている物も素敵だったけれど、話し方も丁寧でいて辛らつ。「このような姑息というか、悪代官のような・・・」にも笑いが起きる。で、正義の味方、実態よりもハンサムな土肥さんを描いて漫画にするそうだ。見たいねぇ。

そんな楽しい雰囲気なのに、明治大学の生田校舎を痛めた足で歩き回った後なので、ちょっと居眠りもこいてしまった。入れなかった人たちには申し訳ないと思いつつ・・・

旧陸軍登戸研究所の見学。りっぱな動物慰霊碑があった。ウサギとか豚とか、実験に使った動物を悼む心はあっても、中国人は“丸太”扱い。人間の心って、自分が痛みを感じないでいられるように都合のいいように変えられるんだよね。それが怖いなぁと思う。都教委もそうだけれど「まとも」でいるって事が結構むずかしい。自分の立場からだけでなく、相手の立場なり、もっと広い所から客観視できる物の見方もしないとね。秘密というのも良くないな。閉鎖性というのかな。陰湿ではなく、明るく公開がいいな。帝銀事件で使われた毒物も作ったいたというコンクリート製の建物は、資料館になるそうだ。

風船爆弾の風船、和紙とこんにゃくのりで作られていて丈夫なんだって。当時の科学の粋が集まって開発されたとか、ウーン、科学とはもともと人間のためになるもののはずで、人を殺すためにあって欲しくない。開発途中でも、わかっているので6人、またオレゴン州でも6人(うち5人が子ども)が犠牲になったって。

完全に元のままで残っている木造の建物(偽札保管庫)は、つたにからまっていた。なかなかハイカラな建物でしたよ。だけど、このままでは傷みが進んでしまう。早く手を入れないと・・・法政二校の元高校生が、そこで働いていた人たちの聞き取りとかをしているとか。偉いねぇ。こういう資料の保存活動を通じて、平和の大切さを感じ取ってもらえるのって、いいねぇ。明治大学の学生たちはどう感じているのだろうか、それが気になった。それと、当時千人もの人が、この工場で働いていたとか。その人たちにも生活があったわけで、戦時下で苦労もあったろうけれど、笑い声を上げるときもあっただろう。だけど、その生活感のようなものが、今の大学の校舎からあまり伝わってこなかった。殺風景というのかな。部活動の校舎にはポスターとかが張ってあってちょっとほっとしたけれど、今の時代もおかしいよう気がする。

10月9日〜11日に、慶応大学日吉キャンパス来往舎で、「近代の記憶を未来に紡ぐ」-私の街から戦争が見えるーというイベントがあるそうだ。11日には「大学における平和ミュージアムの役割」というシンポジウム。また、11月1日(土)午後1時30分から、多摩市民館大会議室にて、「みどりと歴史遺産を生かした街づくり」のシンポジウムが登戸研究所保存の会の主催で開かれるそうです。見学、お世話になりました。





No.20

福島菊次郎講演会報告

 りっちゃん
08/9/16

「福島菊次郎遺言講演会」&写真展に行ってきました。ただ、予想通り、疲れが溜まっていたため、しっかり寝てしまった。ところどころですが、大事なことをメモしてきました。天皇に対する気持ち、「このままでは死んでも死に切れない。少しでも仕返しがしたい」。講演会の前に見た写真展では、私も腹が立ちました。1975年の国際記者会見で、「天皇の戦争責任」を質問され、「そういう言葉のアヤについては、私は文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりません」と他人事のように答えたとか。裕仁という人のお人柄がしのばれる言葉だわ。まったく。

英語。すでに自衛隊では、命令が英語で行われているとか。いつでも、米軍の指令の下に、大量殺人を実行できる体制になっているということです。それと、写真展でも、驚いたのですが、日本がすでに、軍需産業の国になってしまっているのです。この伝言板で、何度も米国のお古の武器を買わされていると書いていましたが、なんと、同じお古でも、設計図を買っているのですって。武器そのものよりも、3,4割高いそうです。戦前から行われていた技術を無駄にしたくなかったから? すでにどうどう世界第二位の軍事大国。武器輸出の解除を経団連が要求しているとか。どうどう世界第2位の輸出国になれる? とんでもないことです。平和憲法があるから、まだ実現できていませんが、そこを崩されたなら、すぐさま実現できそう。嫌な国ですね。

年間3万2千人の自殺者。この5年間での米軍の中東での死亡者が3,400人。米国では、その死者の多さが問題になっていますが、日本では、桁違いの数字なのに、放置されている。なんていう国なんだ!!、とおっしゃっていました。まったくです。満州開拓団を、その帰国子女たちを、慰安婦を、海のモズクとなった兵隊の遺骨を、原爆の犠牲者を、侵略して殺し財産を奪った人たちへの「ごめんなさい」も補償もなにもかも、みんなみんな、放り出したままの国、ニッポン。

そうそう、年金特別便が来たのよ。その返事をやっと投函したのだけれど、年号が不便この上ない。自分の人生振り返るのには、西暦が便利。何でこういうことから改革しないのかしら? これも戦前のまま。

最後に、福島さんから参加者への質問。「あなたは、自民党の憲法改正(悪)が通ると思いますか? 約1/4の手が上がりました。「あきらめてはいけません。あきらめたら体制の思う壺。自分のできることは、かならずあります。それを続けてください」とのことでした。資料集から、「犯罪者は誰か」(出展1980年「戦後の若者たち」)を転載します。権力側は老人ではなく2世に代替わりはしているけれど、いまの時代こそ、という文章です。

犯罪者は誰か

歴史の教訓は、反体制運動が政治基盤をおびやかし始めたとき、権謀ずくの政府が選ぶ唯一の手段は、警察や軍隊による大弾圧であり、そのことが国家民族の前途をさらに危うくすることを教える。いま、韓国の政情に、この危機的様相を見る。
  その不条理な軍事政権と同盟を結んで肩入れを続けてきた一心同体の我が国日本の政府が、60年安保闘争以来、彼ら以上に残忍な手段で自らの国民を殺傷し続けてきた圧政の歴史は、もうほとんど忘れ去られている。それとも、隣国の学生市民の蜂起は“義挙”であり、我が国の反体制運動はとるに足らぬものだった、とでも言うのだろうか・・・。
  どんな醜悪な政治でも、その不条理に抵抗せず、傍観者としているかぎり、人間の属性はたちまちその体制に馴れ、やすやすとして加担者になっていることさえ気付かなくなるものである。そのとき、あなたは何をしていたか・・・。
  さて、1967年闘争以来、反体制運動で逮捕された首都圏での学生市民の総数は約3万名、死傷者約2万名で、うち起訴者約6,000名である。革新政党関係の街頭デモがほとんど該当者になっていないのは、権力の規制対象にならなかったからである。この間、街頭闘争に参加したものの総数は、全国で延べ一千人を超えているものと思われる
  驚くべく数字である。隣国の比ではないのだ。では、新左翼運動は、なぜそれほど多大な犠牲を払いながら戦後体制に反逆し、自民党政権は、なぜ想像を絶する大弾圧をかけてきたのだろうか・・・。そのことを解明するためには、1945年8月15日に迎えた敗戦時の実相を見極める必要がある。

320万の戦死者と、千数百万のアジア同胞を虐殺した15年戦争は、連合軍の総反攻を受け、国土のすべてを焦土にした無謀極まりない戦争であった。
  その戦争の教訓によって始まった戦後日本はしかし、敗戦を終戦と詐称したことで最初の過ちを犯した。天皇の戦争責任を不問にするためだった。――忍び難きを忍び、堪え難きを堪えて・・・と皇国の再興を訴え、「終戦の詔勅」を発した彼は、人間が人間界に降下するという世界史に類のない詐術を弄して“人間宣言”をし、“国民統合の象徴”として新憲法の第一条に居座った。
  その意味で、戦後民主主義はすべて虚構だった。と言うより、ある一日を境に人間の本性や伝統が変わる筈もなかったのだ、といったほうが、より適切であろう。敗戦という冷厳なじじつさえ、“終戦”という通過証明ですり抜け、被害者面をするのが精いっぱいの、侵略民族の上に新生の時代が到来する筈もなかったのだ。
  永世中立と戦争放棄をうたった新憲法を、またたく間に犯して、自衛隊という名の軍隊を増強し続けてきたのも、戦後の政治中枢が旧体制の復活をひたすら至上命令としたからである。日本の再軍備は、戦車を“特車”と強弁し、特車だから武器ではなく、したがって憲法違反にはならないとウソの上にウソを重ねたあの吉田茂の愚劣な国会答弁に端を発し、際限もなくエスカレートしていった。
  平然として国憲を犯すような犯罪的な軍隊だからこそ保有してはならなかったのである。その上自衛隊を否定するのは非現実的だから、と国是である憲法9条まで変えようとしている。犯罪者に、彼らにとって不都合な刑法を自由に変えさせたらどうなるのだろう。この国はすでに法制国家ですらないのだ。
  戦犯が総理大臣になったのも、民主主義教育を骨抜きにして“君が代”を復活させたのも、地方自治を奪って中央集権体制を復活させたのも、さらに、非人道的なアメリカの朝鮮戦争やベトナム戦争に加担し、再び同じアジア人を殺す戦争に加担し、なんのためらいもなく漁夫の利をしめて経済復興をなしとげたのもすべてそのためで、日本の戦後政治は悪徳の限りをつくして今日に至った。

いつ、いかなる時代にも、若者たちの澄んだ眼は、大人の社会の不条理を決して許さないものであり、その反逆の行為は、過った時代への自浄作用、復元機能さえもつものである。60年安保を契機にして燎原の火のように全国に燃え広がった反権力闘争の火は、その意味では戦争を知らない若い世代が純粋な人間的所在に立って、うち鳴らした国家の罪悪に対する警鐘の乱打であり、その行為は日本の歴史にかつてない政治闘争に発展していった。それは戦後15年を経過して初めて芽生えた真の民主主義の萌芽だった。
  国家の運命を決める重要事項をすべて強行採決で押しきってきた自民党政権にとって、広汎な市民まで含めた若者たちの反乱は、外側からその体制を揺さぶる重大な脅威になった。政府は、急遽、機動隊のヤミ増員を謀り、18万警察官を総動員して、下手な軍隊など及びもつかぬ大弾圧をはじめた。諸悪の根源である国家権力の尖兵となった機動隊は、あたかも殺生与奪の権力を握る独裁者のように街頭闘争に対して、残忍なリンチをほしいままにし、三権分立の尊厳を体制側に売り渡した裁判官は、無法な見せしめ刑を加えつづけた。
  政治が民衆の声を暴力で制圧しはじめたとき、反権力闘争が武装蜂起するのは歴史の常道である。一部のセクトは、70年を頂点にして凄惨な市街戦を展開し、圧倒的な警察力に敗北を余儀なくされつつ内ゲバを激化させ、ついに爆弾闘争に突入してゆく。
  治安警察にとってそのことは新左翼運動を十把ひとからげに、根こそぎ抹殺する絶好のチャンスだった。彼らは事ある度にマスコミを総動員して、“秩序か破壊か”と短絡した二者択一を迫る巧妙な過激派キャンペーンを全国的に展開し、ついに街頭闘争を不可能にする「成田立法」まで法制化したのだ。国民の思想と表現の自由はこうして、かつてない危機的状況に直面したのである。
  私たちは、この国の主権者であり、すべての法は私たちの、人間としての権利を守るためにのみ現存する。その原則をこれ以上一政権の延命のためにほしいままにされることを許してはならない。
  昭和というひとつの時代は、もう50年間も延々と有為な若者たちを殺し、抹殺し続けている。なんという愚かな、なんという恐ろしい時代だろう、と思う。そのあとに何が残るのか・・・。国会の赤絨毯の上で権謀ずくの猿芝居を続けている老人支配の体制に易々として従う人間だけを残し、足許から崩れはじめた繁栄幻想の上に、この国の、どんな未来を築こうというのか・・・。
  犯罪者は誰なのか。

私はこの記録を、60年代から70年代にかけて続いた熾烈な反権力闘争に関わったすべての人々が、ただ往時を偲ぶだけの“戦友会誌”にはしてもらいたくない。その時代が、いま厳しく私たちの所在を問い直している、と思うからである。――あなたはいま何をしているか。





No.19

旧陸軍登戸研究所見学会

 「ABC企画NEWS」より
08/9/13

現在の明治大学生田校舎敷地内にある「旧陸軍登戸研究所」は正式名称を「陸軍第九技術研究所」とし、主に秘密・謀略戦の研究を行っていた。毒物、細菌、化学兵器、紙幣の偽造、風船爆弾や特務機関などが使用する武器・器具などを研究製造していたと言われている。
  現在、木造の偽札製造工場(5号棟)、偽札保管庫(26号棟)と鉄筋建ての“毒物を作っていた”と言われている建物(36号棟)が残っていますが、3棟の建物のうち、木造の2棟が壊されようとしています。今回、保存運動をしている現地の方の案内で残された遺跡を見学します。

日時:9月27日(土) 午後13:30〜16:00
  集合場所:小田急線「生田駅改札口」 13:30
  参加費:300円
  主催:
ABC企画委員会 пEFax 042(348)1127

■参加者は事前に明治大学に名前を登録します。希望者は24日までにABC企画委員会に電話またはFAXでご連絡下さい。





No.18

朝鮮文化とふれあうイベント

 「チマ友にゅうず」より
08/9/12

町田朝鮮学校のふれあいバザー2008

2008年10月12日(日)午前11時〜午後3時 <雨天決行>
  会場:町田の西東京朝鮮第二初中級学校 町田市高ヶ坂1165
  イベント内容:本稿児童生徒による歌と踊り、飲食模擬店コーナー(炭火焼肉、キムチ、チジミ、トッポキ等)、コリア雑貨コーナー、フリーマーケット、チョゴリ試着撮影コーナー、慣例大抽選会、慣例ジャンケン大会。

立川朝鮮学校ふれあいフェスティバル

2008年10月26日(日)午前10時から
  会場:立川の
西東京朝鮮第一初中級学校 立川市錦町4-7-12

フリマ第10回朝鮮文化とふれあうつどい フリーマーケットin府中公園

2008年11月9日(日)午前10時半〜午後3時
  会場:府中公園 京王線府中駅北側徒歩8分
  イベント内容:朝鮮音楽・舞踏のステージ、テコンドー演舞、朝鮮学校紹介の展示や説明、お楽しみ抽選会。
  主催:チマ・チョゴリ友の会
  開催主旨:在日朝鮮・韓国の人々への差別と迫害を許さず、人間としての良心を失わないために・・・

在日一世と家族の肖像、写真展
  ー過去から未来へ、絶望から希望へ、若者へ伝えたい、在日一世の生き様をー

2008年11月9日(日)、10日(月)、11日(火) 午前10時〜午後8時
  会場:府中市中央文化センター第二講堂
  入場無料

私は残念ながら町田は予定があっていかれませんが、後は参加の予定。おいしいものがいっぱいありそう。開催主旨がいいなぁ。人間としての良心。大事にしたいね。みなさんもぜひ足をお運び下さい。





No.17

戦争絶滅へ、人間復活へ

 りっちゃん
08/8/24

福島さんが87歳なら、この本の著者むのたけじさんは93歳。その生命力に圧倒される。胃ガンにも肺ガンにもへこたれず、医者に「むのさんは、まだ死ぬわけにはいかないという仕事をもっているから、何度でも生き返ってくるんでしょう」と言われたそうな。「仕事」のない私、しょっちゅうへこたれちゃっている。

お二人の情熱の出所は危機感。マスコミや知識人たちがまともに機能していないこと、戦争を再び繰り返すことになったら、人類も地球を危ういこと、生きているうちに伝えたいことが一杯あるからだ。私もその危機感を共有はしているのだけれど、何せ、戦争の怖さを体験はしていない。むのさんは報知新聞、朝日新聞の記者となり、敗戦記念日に戦争責任ととる形で退社、1948年秋田県横田市で『たいまつ』を創刊、1978年まで主幹として健筆を揮った。その後も著作・講演等を通し、ジャーナリストとして活動している。

「戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。ところが、戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。相手を先に殺さなければこちらが殺される、という恐怖感。これが、朝昼晩とずっと消えることがない。三日ぐらいそれが続くと、誰でも神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。したがって、戦場から反戦運動というものは絶対に出てきません。
  本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる。しかも、ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する……ということが、戦場における特権として、これまでずっと黙認されてきました。」
 「あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そういうことはやるな、と逆に戒めた。軍紀の粛正を強調したんです。」
  「そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。」
  「慰安所というものに対して、やはりこれは社会問題だと思ったので、私はそこへ行って実際になかに入って、女性たちから話を聞きました。記事にはできなかったけれど……。」
  「何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。それなしには、誰も戦地へは来られませんからね。やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。そして、慰安婦一人ひとりの事情はさまざまだけど、やはり、だまされて連れて来られたケースが多い。
  慰安所ではどういう光景が見られたか……。日本の兵隊がやってきて、まず女に金を渡すんです。そして、もう順番ですよ。何十人もが長い行列を作って順番を待っている。女の前に行ってからズボンを脱ぐ時間がないので、順番を待ちながらマラをビンビン立てて、それを手で握って「早くやれ! まだかー」と叫んでいる。本当にあわれなものだ。
     ――なんだか人間ではなく、犬猫扱いというか……。兵士たちは戦地で、そういう扱いをされていたのですか。
  そうだ。ケモノになっている。さっきも言ったように、戦場では、殺さなきや殺される、という恐怖のなかで、神経を張りつめられるのは三日間。あとはもう惰性で、やがては人間からケモノに近くなる、ということだ。」

ケモノになってしまうのは、日本兵だけではない。蘭・豪・英軍による強かんと殺戮の直後の現場も目撃している。戦争とはそういうものだ。私にも想像はできるが、従軍記者として、その目で見た人の話は貴重だ。そして、家族に語られない内容だったことの説明がとっても納得が行く。いくら平和教育をしても、これでは戦争の怖さが次世代に伝わらない。本当の戦争について、いまになって、朝日にとどまって書くべきだったと後悔されているそうだが、私もそう思う。書きづらい、読みづらいことではあるが、伝えていかなくては・・・その生の情報に触れるチャンスは、年が過ぎて行くとともに徐々に消えていくのだ。だからこそ、お二人は生きることに情熱を注いでいるのだ。若者よ、彼らの言葉に耳を傾けよ。

憲法9条について、彼はこう語る。
  「憲法九条とは何か。あれは、いわば軍国日本に対する死刑判決≠ナす。軍備はもたせない、陸海空軍すべてだめ、交戦権も永久に放棄させる。これは、あの乱暴な戦争をやった日本が、もう二度と国際社会で戦争はやれなくなった、ということにほかならない。言い換えれば、国家ではないという宣告です。交戦権をもつのが近代国家だ、ともいえるわけですから。」
  「ところが、一方で、人類が生き続けていくためには、戦争を放棄したあの九条の道を選択する以外にないといえる。だから、憲法九条を良いほうに考えると“人類の道しるべ”だということもできる。人類の輝かしい平和への道しるべであり、同時に日本自身の軍国主義への死刑判決でもある。その両面をもつのが憲法九条なのです。」
  「本当なら、憲法九条が連合軍に宣告された死刑判決だという屈辱と、日本がみずから再生を図るための輝かしい道しるべという理想の両方の面を、突き合わせなければならなかった。その上で初めて、日本人は今後どういう生きかたをし、人類に対してどういう呼びかけをしていくべきかという苦闘が始まったはずです。そういう議論を、あのときしなければならなかった。」
  あいまいなままだから、戦争を始めた責任者たちは裁かれず、天皇制についてもGHQの占領政策に則ってそのまま、9条を御幣のように祀っただけだから、それを生かそうとする努力もない。自分たちが加害者であったという意識も薄い。けじめがなかった。
  「議事録を見ると、日本国憲法を長い時間をかけて国会で検討しているなかで、議員の誰一人として、中国にどうお詫びをするか、ということを言っていないものね。過去に被害を与えた国にきちんと接していない日本は倣慢な国だ、とアジア諸国からは見える。」

「敗戦直後の15年間、日本の民衆は、東京でも農村でも生きるために必死だった。そのなかでわかったのが、人の命の大事さです。「人一人の命は地球よりも重い」という言葉が出てきます。」
  だよね。で、必死に生きて働いて経済復興。でも、それは「朝鮮特需」のおかげ。つまり「日本の成長には中味が伴っていなかった。根っこが生えていなかった」と言うんだな。
  「新しい憲法ができてからの日本は、平和国家とか福祉国家とか文化国家と自称してきました。ところが、朝鮮戦争が勃発した一九五〇年、その平和国家に警察予備隊ができて、その四年後には防衛庁(現・防衛省)と自衛隊が発足する。そして、自衛隊が次第に強化されていく。
  さらに、社会福祉によって、人間らしい生活を社会全体で守ることをめざした福祉国家が、いつのまにか、年金にしてもあれほどいい加減なことをやっている。
  また、文化国家という場合、文化の土台になるのは教育ですよ。その教育ですが、一九七一年ごろになると、中教審で「人的資源の開発」という言葉が使われるんです。人間を「人的資源」と位置づけて、教育のなかにまで資本主義が入っていく。これはもう、人間を尊重するという考え方とはまるで違いますね。「人的資源」というのは、生産活動に必要な労働力ですよ。それを「開発」するための教育をするということです。要するに、幼稚園から大学まで“就職予備校”になってしまった。
  その前年の一九七〇年には、減反政策がありました。これは、生産過剰だから二、三年待って、それから何年か経ったらまた米作をやるように手入れしなさい、ということではない。その土地を二度と田んぼとして使用しない、ということです。それをきちんと実行した農家には、政府が三万円、県庁が五千円のご褒美をくれた。この戦後の減反政策が、農林水産物をつくる第一次産業を完全にだめにしたんです。ところが、私たちはそれを受け入れてしまった。」

「だから、あの時点でもう判決が出されてしまったんですよ。戦後の高度成長、それからバブル、バブル崩壊後の右往左往。きちんとけじめをつけるということをして、初めて出てくるエネルギーがあるべきだったのに、それがないまま今日まで来てしまった。
  しかも、経済成長期からは、他者依存の生活になり、何か具合が悪ければ人のせいにする。いわば「主語がない」状態でずっと来てしまった。国家にも政府にも、当時の国民にも、いまの一億千万のなかにも「主語がない」んです。」

むのさんのご両親は百姓。「肉体労働をして5人の子どもを育てるので精一杯。悪事も働かず、まじめに働いているのに、食べるのもやっとで、ほとんど暮らしに余裕はありませんでした。そういう両親の姿をずっと見て育ち、東京が以後に入って東京に来て見れば、ろくに働いていないのに裕福な人々がいる。」なので、社会主義者なのだそうだ。その社会主義の挫折については、戦争を認めたこと、独裁であったこと、つまりは「人間」自身が変わらなかったことが原因とみているようだ。私が文化大革命に期待したのもそこだったんだけれど、方法が、というか、実際がまったく違っていたものねぇ。ひとりひとりの生き方を変えないと、制度や、上からの命令では駄目なんだなぁ。

さて、大事なのはこれからのこと。まずは核兵器絶滅。現在、むのさんによると、「ソ連から引き継いだロシアが二万発で、アメリカが一万五百発。さらに、国際連合の常任理事国の残り三カ国のイギリスが百八十五発、フランスが四百五十発、中国が四百五十発。国連の常任理事国は核兵器を保有してもいいと、いつ誰が許して決めたのか。私はこのことにも腹が立ってしかたがない。さらに、インドとパキスタンが最近もっていて、三十発ずつはあるという。そうすると、全部で三万一千発は超えているということです。」それにイスラエルのも加えないと。
  そして、やはり被爆国日本が憲法9条を旗印にして、核廃絶を世界に訴えていくべきですね。「憲法で戦争反対、世界平和を力説している国は、世界に三十八カ国くらいはある。」そうですし、オリンピックを見ていても、いろんな国が力をつけてきているという感もあるし、可能性はあると思う。

そのためにも、日本は変わらないと。まず、「いまの与党、自民党は吉田茂以来、日本の国民に依拠するのではなく、アメリカの政治権力にかわいがられて、権力を維持している。」という状況を変えないとね。EUとアフリカ統一機構。「これから先、アジアにおいても国家ではないそういうものが、できるという気がします。国家は単なる「連絡所」でいいんです」って。

「今年は中国で北京オリンピックが開催され、二〇一〇年には上海万博があります。はっきりしたことは言えないものの、そのあとの三年から四年間が、インドの問題やロシアのプーチン体制がどうなっているかという問題ともからんで、もっとも世界が危機を迎えるときではないかと私は思っています。
  その時期を、戦争や対立抗争ではなく、地球温暖化の問題のように各国で冷静に話し合いましょう、ということで何年か先延ばしにすることができれば、今度はもうどの国も核兵器を簡単には使えない、という段階に入るような気がします。
  もし、国際連合が本物なら、ここ五、六年で核兵器を全部使えないようにしよう、十年かかっても廃棄しよう、ということをやってくれるかもしれない。だから、私はその匂いをかぐところまでは、どうしても生きなければいけないと思っているんです。これから世界の人類にとって非常に大事な時期がくる。これは私の予感です。」そうなるといいけれど・・・   「これからは、いままで表に出ていたものを裏返しにして見る、というくらい大胆な発想の転換が求められる。従来とはまるっきり違うサイクルでものを考えなければ、生きられなくなっている。そういうギリギリのところで、すでに方向転換が始まっているということです。」その兆しはあるかもしれない。

むのさんの言葉に「希望はある、絶望のど真ん中に」というのがあるそうだ。希望は、「女中心」の世の中に変えることにある、と。
  そして、対等な口を利き、「夢がない」とも言われるけれど、現実に根ざした、地味で堅実な発想をする今の子どもたちにも期待が持てる、と。
  家族とはいっしょに食事をすることだとおっしゃる。大昔、洞窟では3,4人の家族が7,8グループで暮らしていたとか。拡大家族ですね。家族がばらばらになったのは戦争のせいという説ですが、どうかなぁ。私の家の場合、母方の親戚ははむしろ協力関係を強めたという感じ。経済的に余裕ができてから独立というか、離れた。父方は、それこそ「食い物の恨み」でばらばらになった感がある。もともと東京だったから、「個人主義」が強かったのかもしれない。いずれにせよ、いっしょにご飯を食べる、いっしょに暮らすのが家族ですね。
  一人一個から始めることも提言されています。「ともかく日本人全員が、人類の一人として戦争をやめさせることに結集していくことです。それは、あらゆる場合において戦争をやめ、戦争をしない道を選ぶということですが、そこで非常に大事なことがある。かつて何十万人規模のデモ行進などもあったが、それによって歴史が変わることはなかった。労組は何百万人というような数字の大きさを誇ってきましたが、十分な役割を果たせたとはいえません。要するに、単なる組織の大きさや、人数や、それが持っている力量の大きさなどに頼る時代ではない、ということです。それ以上に大事なのは、個々の人間が自分自身に責任を持ち、何よりも自分に対する誇りをもつということ。それに裏付けられた組織というのは、これまでにつくられたことがほとんどない。でも、そういうものが生まれて、反戦平和運動を推進する力になっていかなければいけない。」

93歳まで生きてこられたからこそ重みのある言葉。「自分で自分を変えようとすれば、少しずつでも違っていきます。それを継続すれば、まるで生まれ変わったようになる可能性がある。歴史は一人からはじまる、自分から始まる、ということをもう一度、みんなで見つめ直さなければいけないのではないか。」正直言って、難しいんだよね。でも、この本でもあちこちに見られるどこか楽観的なものの見方が長生きの秘訣なんだなぁと。ただし、問題は私が果たして長生きしたいと願っているかどうか。さあて。とにかく毎日やることがあるから、何とか生きていけている。みなさんのおかげ。ありがたい。





No.16

福島菊次郎『遺言』講演会

 一ノ瀬
08/8/22

9月15日(月・祝)に、福島菊次郎さんの講演会と写真展を企画いたしました。以下のように開催しますので、お知らせいたします。チラシの表裏のPDFとフォトジャーナリスト・山本宗補さん撮影の福島さんのポートレートを添付いたします。(ごめんなさい。PDFをどう載せたらよいのやらわかりませんので、必要な方は直接連絡先へご請求下さい)。
  87歳になられる福島さんのお話を東京で聴ける最後の機会となるかもしれません。一人でも多くのかたにご参加いただきたく、必死で宣伝をしております。どうかよろしくお願い申し上げます。

福島菊次郎■伝説の報道写真家・福島菊次郎『遺言part2』講演会&写真展■

【講演会】
  2008年9月15日(月・祝日)午後1時半より
  府中グリーンプラザ・けやきホール
(京王線府中駅前・北口徒歩1分)
  前売 800円・当日 1000円 
  *聞き手*山本宗補

【写真展】
  同日 午前10時〜19時
  府中グリーンプラザ分館ギャラリー
(京王線府中駅前1分・けやき通り高架下)
  入場無料(写真展示150点予定)

主催 福島菊次郎講演会実行委員会
  連絡先 090-5764-8713(一ノ瀬)/ketmi-peace@docomo.ne.jp/080-5050-7866(柴山)

「勝てなくても抵抗して、未来のために一粒の種でもいいから蒔こうとするのか、逃げて再び同じ過ちを繰り返すのか……」

歴史の体現者として命がけで戦争責任、靖国問題、兵器産業をはじめとするタブーを告発・報道し続けた孤高のジャーナリスト、現在87歳の福島菊次郎さんが“敬老の日”に山口県から駆けつけます。どうか皆様、ご参加ください!

【プロフィール】
  福島菊次郎(ふくしま・きくじろう)
  1921年山口県生まれ。報道カメラマン福島菊次郎としての原点は、広島原爆を6日間の違いで免れ、米軍上陸を想定した九州の蛸壺壕で爆雷を抱え敗戦を迎えたことにある。戦後、国に見捨てられた被爆者の苦しみを撮影し続け、『ピカドン』を出版(1961)。上京後は60年代から70年代の激動期に、三里塚闘争、ベトナム反 戦市民運動、全共闘運動、自衛隊と兵器産業、公害問題、若者の風俗など、多岐にわたる現場を取材し、10冊を超える写真集を刊行した。
  天皇の戦争責任を問い続け、「自衛隊は違憲である」との信念から、防衛庁を欺いて自衛隊の軍事演習、隠された兵器産業などをつぶさに撮影し、報道。暴漢に襲われ重症を負い、自宅は不審火で焼けたが信念を貫いた。
  国に絶望し、マスコミにも絶望した福島は、26年前に東京を捨てて瀬戸内の島に入植。1987年には『戦争がはじまる』と題したフォトルポルタージュを刊行する。まさに改憲の野望に燃える政権の登場を予言したかのようなこの写真集は、今こそ必見の書といえるだろう。
  孤高のジャーナリストも老境の87歳、体重37kgで満身創痍。報道写真家として、主権者の1人としての責任をまっとうしようと、ジャーナリズムのあり方をタブーなく論じる。
  昨年6月に都内で行なわれた遺言講演会『戦争がはじまる』は大盛況で、3時間にわたるエネルギッシュな講演は、会場にあふれ返る幅広い年齢層の聴衆を圧倒した。
  今秋、新しい著書が現代人文社から出版される。

<写真集および著書紹介>
  『ピカドン ある原爆被災者の記録』(1961・東京中日新聞)、『ガス弾の谷間からの報告』(1969・MSP出版)、『迫る危機 自衛隊と兵器産業を告発する』(1970・現代書館)、『戦場からの報告 三里塚・終りなきたたかい』(1977・社会評論社)、『原爆と人間の記録』(1978・社会評論社)、『公害日本列島』(198 0・三一書房)、『叛逆の現場検証(日本の戦後を考える)』(1980・三一書房)、『 リブとフーテン(日本の戦後を考えるpart2)』(1981・三一書房)、『天皇の親衛隊』(1981・三一書房)、『戦争がはじまる』(1987・社会評論社)、『瀬戸内離島物語』(1989・社会評論社)、『写らなかった戦後 ヒロシマの嘘』& amp; amp; amp;n bsp;( 2003・現代人文社)、『写らなかった戦後2 菊次郎の海』(2005・現代人文社)

山本宗補(やまもと・むねすけ)
  1953年、長野県生まれ。フィリピン、ビルマ(ミャンマー)、インドなど、アジアを主なフィールドとするフォトジャーナリスト。国内では「老い」のテーマを取材中、戦争の記憶を追う。福島菊次郎についての取材も多数。日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員。
  著書に、『また、あした 日本列島老いの風景』(アートン)、『世界の戦場から フィリピン最底辺を生きる』(岩波書店)、『ビルマの子供たち』(第三書館)、『ビルマの大いなる幻影』(社会評論社)、『ネグロス―嘆きの島(フィリピンの縮図)』(第三書館)、共著に『見えないアジアを歩く』(三一書房)、『 フォトジャーナリスト13人の眼』(集英社新書)、『まなざしの向こう側へ 須田修追悼集』(オフィスエム)がある。





No.15

誇りある沖縄へ

 りっちゃん
08/8/20

企画編著は小林よしのり。沖縄在住の人4名との座談会をまとめたもの。「沖縄論」はとっても面白かったのに・・・これはつまらない。なぜなら、決めつけがあまりに多く、理解する前に嫌になってしまう。彼らが批判している「同調圧力」は、確かに、本土ではあると思う。身近にも、報道でも(私にとってはほとんどマスゴミ。必要な情報は手に入らない)。沖縄にもあるのかもしれない。私は「同調圧力」は大嫌い。だけど、ヨシリンたちの口調そのものが、「同調圧力」なんだよなぁ。私も「みんながそういっている」と批判されたことがあるけれど、ひとりひとりに聞いてみたら、一人だけ、「彼女が強引に言うから相槌は打ったけれど、別に私は賛成したわけではない」と言っていた。後は、まったく反対意見だった。つまり、発言した主だけの意見。
  疑問@「新聞が庶民から浮いている、みんなが言っている」ではなく、「新聞記事と私の意見とは違う」と何故言わないのだろうか?
  疑問A「天皇のために戦った」と言う人がいることに重きを置くのなら、なぜ天皇の戦争責任を追及しようとしないのか。なぜ、天皇を賛美しちゃうのか?
  疑問B 少女暴行事件の報道に対し、「レイプではないことを願う」のが普通の感覚、ではあるけれど、同時に、真相を追究する姿勢と、そんなことが起きないことを願い、どうしたらいいのかを考えるべきではないのか?
  疑問C 学力の低下の責任を日教組だけに押し付けているけれど、(私も、日教組が日の丸君が代問題に気をとられていたかも、という気はしているのだけれど)半分はまず、日教組にそんなことばかり対応させざるを得ないようにした側にあるのではないの?日教組の問題以前に、先生たちが、書類整理や管理に追い回されて、子どもたちとかかわる時間が減ってしまったのは、PTAの活動を通じて、よく知っているよ。あんたたち、学校の中をつぶさに見たのかぁ?
  疑問D 家庭教育の低下を問題にしているけれど、夜間徘徊なら、夜の渋谷に行ってごらん。沖縄の保護者を責めても問題が解決するとは思わないよ。塾通いで10時過ぎ帰宅が当たり前の時代に、8時に外でアイスを食べる子どもを責めることもできないでしょう?塾通いをしなくても、授業だけで勉強できるシステムをつくらなくては・・・同時に、「同調圧力」に屈しないで、「我が家のルール」もあってほしいけれどね。学校教育と、受験と、学歴と求職の問題もトータルで考えないと・・・
  疑問E 慰安婦の軍関与の証拠ならちゃんとあるでしょうに。集団自決についても、「立証責任は犯罪を糾弾する側にある」というのはおかしいよ。反省ってないの?と聞きたいけれど、責任逃れをしたい人たちは、反省もしないわね。残念ながら。混乱状態だったから書類の形では残ってはいないかも。「同調圧力」も大きかったと思うし・・・それでも、住民の証言も証拠だとおもうよ。

NOを言えって、この本に、NOだね。という気分にさせられた。そう、「NO」をちゃんと言えるようにしないとね。属国にNO!!

砥板発言の、米軍の世界戦略上沖縄は重要な場所、というのは正しい認識。ヨシリン、わかっているのかしら。つまり、沖縄が背負っている荷物というのは、日本の防衛上の問題ではない。被害者面をして、日本政府から補助金をもらっているというが、本来はアメリカに要求すべきものではないか?占領されている国、属国であるという現状をまず先に解決すべきだと私は思う。「中国が攻めてきたら?」とか、「北朝鮮が危ない」という発言は、ブッシュの「イラクに核兵器がある」と同じ。「同調圧力」に負けて、客観性を失っている見方だよ。米軍基地があるから攻められる可能性があるとは思うけれど、今の所、アメリカに対抗するだけの軍事力のある国はない。いつもお古を買わされる日本は、2番手か3番手の軍事力を有しては、いる。国の性格として、他国に平気で侵入するような国は、今のところ、アメリカとソ連の2国。侵入するのはそれだけのメリット(資源)があるから。日本にはない。
  この2国に対抗するために、軍事力をつけるなんて、はっきりいって馬鹿馬鹿しい考えである。そんなことに税金を使うくらいなら、庶民の生活を直接守るために使って欲しい。
  私の防犯対策はまずご近所と仲良くすること。国の場合も同じだと思うよ。日本から攻撃していないのに、どこかの国が日本を攻撃したら、国際社会が許さない。そんな関係をつくりあげることが一番大事。そのためにも、9条を文言どおりに守らなければならないと、と私は思っている。自衛隊のイラク派遣は、完全に間違っていたね。ヨシリンもそこは一緒らしい。

平和教育を私はとくに受けた覚えがない。学校では考える力をつけてもらったと思う。日本全体の教育が沈下しているのはその考える力をつけていないからだと思っている。あとがきのほとんどは無意味だが、沖縄での人材育成に力を入れたいというのに賛成だよ。沖縄に限らないけれどね。教育って大事。

若い人たちが沖縄に魅力を感じるのは、今の日本の時間感覚が嫌になっているからだという指摘もいいセンスだとおもう。
  「日本はもう今までのような高度経済成長というのはあり得ない。それを「さらに加速させろ」と無理なことを言うから、新自由主義・市場経済絶対主義みたいなものに突入していったわけよね。でも、それは無駄に金を持った勝者を生み出す一方で、多量の脱落者も出してしまう。だから、もっと緩やかな時間感覚の中に生きることを選択する時代が、今から来るかも知れんよ。」 だね。今からが転換期かも。

よしりん、「沖縄論」のように、もっと広く、もっと緻密に、もっと柔軟にあって欲しかったなぁ。残念だよ。





No.14

霧のなかの子

 りっちゃん
08/8/19

著者はトリイ・へイデン。勤め先が変わった。「政策変更の結果、予算が削減されて仕事も減るだろうと予想して、わたしは教職を一時やめる決心をしたのだった。それより数年前に心理学の資格取得を終了していたので、そちらのほうに移るいい時機かもしれないと思った」からだ。こういうことにケチらないで欲しいなぁ。今回は「大都市の総合病院にある子どものための精神医学査定ユニット」で働いている。なので、個別の対応となる。ひとりひとりを丁寧に見られる代わりに、クラスの中の子ども同士の関係とかがないのが淋しく感じられる。

一人目は、カサンドラ。父親がコカインを常習、家庭内暴力もあり、離婚。5歳の時にその父親に誘拐されたのだ。26ヶ月後にセブンイレブンでゴミあさりをして警察に保護された。その間にどんなことがあったか、カサンドラは何も話さなかった。「彼女の父親は薬で錯乱していて人事不省の状態で、誘拐の動機は元妻への復讐だったという以上の情報はなにも出てこなかった。」

学校にもいっていなかったようで、年齢的には2年生だったが、補修を受けながら1年に入学。学習面ではまあまあの進歩を見せていたが、3年生になったカサンドラについて、担任が不安を感じるようになる。とくに悪意の嘘が多いこと、ひどくおしゃべりな時と突然誰にもしゃべらない時があること、「突然彼女の返事が話題からそれたり、挑発的になることもあるし、ほとんど筋がとおらなくなるようなことも多かった。「頭がおかしくなったのかという気がする」ほどこちらを不安にさせる言動だ、とベイカー先生はいった。そしてひじょうに不愉快だとも。ほかの子どもたちもすぐ不安になったり腹を立てたりして、カサンドラを避けるようになった。」

それで、トリイのユニットで観察と査定のためしばらく入院ということになった。児童精神科医デイヴ・メノッティは、カサンドラのことを「どこかつじつまの合わない子」というふうに表現していた。「カサンドラの問題の原因は26ヶ月に及ぶ誘拐生活にあるとは思っていたが、私たちにはそれがいまの彼女がかかえている困難とどのようにつながり合っているのかわからなかった。」

カサンドラとのセッションが始まる。人形遊びをさせれば、床に人形を叩きつける。「腹を立ててもいいのよ。でもその気持ちを行動に出してはだめ。それが物を傷つけるような場合はね。さあ、もうやめましょう」と彼女の動きを止めると、ぴたっと動きを止め、何もしゃべらなくなる。カサンドラに振り回されるトリイ。その場を、カサンドラとトリイのどちらが支配するかの戦いでもあった。「ここで起こることをすべて自分がコントロールできるんじゃなければ、ここに来るのが心配でしょうがないって感じているように思えるんだけど」そういうトリイに、担任や、病院職員から性的虐待を受けたと嘘をつくカサンドラ。虐待に敏感な時代なので、病院中がパニックに近い状態となり、カサンドラと二人っきりにならないように、手間と気を使うようになる。トリイは自分がうまくいっていないことをビデオで再認識する。カサンドラの変わり方があまりに速いので、トリイがうまく対応できないでいるのだ。

二人目は、ドレイク。ドレイクの祖父がトリイの選択性無言症についての記事を読み、孫のドレイクもトリイに合わせれば治るだろうと手紙をよこしたのだ。だが、おかしなことに、その手紙にはまず、自分の家業について書かれていた。銀行の所有権と経営が代々受け継がれて、今はミスター・スローンの息子が経営を任されていると。さらに心配なことに、「ドレイクは完全に正常な子どもでただ治るのを待っているだけだということ、治る≠スめにはそうできる魔法を使う人物を探せばいいだけだということ、そしてお金さえかければどうにでもなると思っていることだった。」

ドレイクの住んでいる町は、病院からだいぶ離れていた。はるばる訪ねた保育園では、「ドレイクは楽しそうで、その場によく適応している子供だといえた。」トリイは、「この子はこんなに愛嬌があって、夢中になっている。それにこんなに社交的なんだから、人と関係を結ぶのに言葉なんか必要ないのだ。」とも、「でも、どうして?シャベルということは自然で、生来のものだ。それをどうしてしないのか?これほど明らかに人とコミュニケーションをとりたがっているのに、ドレイクがじっと黙っていることのメリットは何なんだろうか、と」悩むのだった。両親の面談には、父親のウォルターではなく、祖父のミスター・スローンと母親が出席。母親は神経質な感じのする美人でイタリア人。英語はあまりうまくなかった。ミスター・スローンは「あんただけにやってもらいたかった」と、病院で対応することに不満を言い、テーブルをパンと叩いて部屋から出て行ってしまった。母親からは、「ふつうにしゃべる」「9ヶ月から」最初の言葉は「キティ」(ふつうはDかBではじまる「ダーダ」か「バーバ」)「英語です」「父親には一度も話したことはありません」との情報を得る。

トリイとしては、就学前の子どもを家族や慣れ親しんだ環境から離れて、入院治療をすることのデメリットが心配だった。が、意外にもミスター・スローンは、入院治療を決定してきた。「わたしの治療法は大して大掛かりなものではなく、その子と暗黙の関係が確立していない部外者という立場で関わり、その子はわたしとしゃべるし、しゃべるだろうという設定をし、それからそうなるようにその子の機会を与えていく、というだけのものだった。ほかに重大な病気がない子の場合、この“方法”は非常にうまくいき、わたしの成功率はセッションの初回でほぼ100%だった。だから、私はドレイクを次ぎの週末までに家に帰すという個人的な目標を設定した。」

だが、うまくいかない。しゃべることでしか通じないように仕向けても拒否。ビデオを見た第三者は、「この子はしゃべれないとしか思えない」という。シャボン玉をワッカでつくることは喜んでやっても、吹くものは頑としてやろうとしない。アイスクリーム屋では、カップを嫌がり、容器にいれてもらう。それがわかるまでが大騒動なんです。しゃべらないのですから・・・何度もセッションを重ねて、トリイは“失語症”ではないかと疑い始める。聴覚検査をしようとすると、ミスター・スローンが2年前に別なクリニックで徹底的に調査済みだという。また、ドレイクが歌っているテープもあると。「さいしょっから言えよ!!」。テープにあわせて歌うよう指導するが、ドレイクは泣き出し、吐いてしまった。祖父と母親出席の会議では、ドレイクには脳の障害があるのではないかと担当医がほのめかしたとたん、ミスター・スローンは怒鳴り、出て行ってしまった。「世の中から尊敬を集めているスローン家をそんなふうに侮辱されることにスローンは我慢ならなかったのだ」。トリイは、「虐待・機能不全家族という問題」も頭に浮かんだ。そして、ドレイクは連れて行かれてしまった。

3人目は、個人的に訪問するようになったゲルダ。ドイツ系移民。卒中でリハビリステーション・ユニットに入院していたが、近所とも子どもたちともかかわりが薄く、ここを退院しても今までのような独立した生活を再開する事ができるのか、関係者から不安に思われていた。本人は自宅に住み続けたかったんだよね。トリイの読み聞かせとドレイクの影響で、「黄昏の子ども」と、続いて、「女の子だから」行きたいところにいけなかったことや欲しかったものがもらえなかったことなど、思い出話をしゃべるようになった。だからと言って、離れたところに住んでいる息子や娘との同居も望んでいないし、関係性も改善できないし、結局介護施設へ行くことが決定され、そこで2回目の発作を起こして亡くなってしまうんだ。なんだかなぁ。他人事ではないよ。

カサンドラとは悪戦苦闘のすえ、いろんな感情(うれしい、悲しい、腹が立つ)にポーカーチップを置くゲームでやっと「カサンドラとのセッションはいままでずっと消耗するものだったがわたしたちが敵対関係(どっちが支配するかで争う)ではなく一緒に作業していると感じ」られるようになる。そして、おもらしをしたのをカサンドラが否定した時に、言葉の使い方がおもらし直後と片づけが済んでなんで片付けをしなければならないのか、自分はおもらしなんかしないといった時ではちがうことにトリイが気がつく。「あそこにはひとりのカサンドラ以上の人格がいるのだとしたら? 彼女はほんとうのことをいっているのであって、第二の少女はほんとうに第一の少女がおもらししたことに気づいていないのだとしたら?」

カサンドラのトラウマ、父親がカサンドラの世話を頼んだ男性が性的虐待をしていたことが、あまりに怖く、あまりに深く傷ついていたので、そのことを人に触れさせまいと、その”困った場所”を守るようになり、多重人格になってしまったようだ。トリイは、その“困った場所”が、カサンドラにみんなから嫌われるような悪いことをさせ、カサンドラ自身を傷つけていることを、そして、カサンドラがトリイたちの側について、いっしょに治そうとすれば、そんな場所はどこかへ行ってしまうと、噛んで含めるように説得。カサンドラは泣き始めた。そう、カサンドラは、一人で戦っていたのだ。だから泣くことを今までしなかったのではないか。心をゆるせる人がいると知ったから、泣けたような気がする。泣きつかれたカサンドラは性的虐待について語りだす。

ドレイクが気になって、母親ルチアに電話を入れるトリイ。ルチアが話したいことがあるという。また遠出。そして、テープの声は甥の声で、報告書は偽造したとの告白。爺さんが怖かったんだねぇ。でも、その間、ドレイクの障害に対しての検査や、教育が、ほったらかされてしまっている。トリイは、これもドレイクに対する母親の虐待だと感じる。ただ、彼女を責めても解決にはつながらない。父親も、ミスター・スローンのおかげで欝になり、薬を飲んでいる状態で、彼女のやった行為について話していなかったのだ。それを話すように説得するトリイ。その後何度も電話で説得を続ける。

遠出のために、カサンドラとのセッションを休んだら、カサンドラが自殺未遂。その日の夜中に病院へ出かけ、カサンドラに話す。”困った場所”に貼ってあるものをわたしに預けてちょうだい、と。そのすべてを指に書き込み、(とくにウンチの文字が書き込まれるのをカサンドラは喜んだようだ。まったく子どもって、そうなのよ)トリイが自分の家に持って帰る約束をしたことで、カサンドラは落着いた。

これでも端折って書いているのだけれど、二人の子どものことでは、トリイはすごく悩んで、手間も時間もかけている。でも彼女のいいところは、決して、決め付けないということだ。カサンドラとのセッションで、自分が支配することにこだわるのも、カサンドラがトラウマを自分の口で語り、乗り越えるのを手伝うには、それしかないからだ。具体的にはその場の状況にとても柔軟に対処している。そして、決してあきらめずに、方針に従って関わりを繰り返し、相手からの信頼を勝ち取ってゆく。それがすごいと思う。ゲルダの言った「黄昏の子」というのは、親に認められなかった子、親には見えていなかった子というような意味。怖い爺さんに、先天性の障害がある子を産んだら、離婚させられるという恐怖感で、子どもの障害をほったらかしにした母親。父親に誘拐された時に、「お母さんがおまえは要らないって」と言われ、性的虐待をするような男に世話を任せていたのだから、カサンドラからすれば、両親に見捨てられてたと思えただろう。題名の「霧のなかの子」も、そういうことだ。ゲルダは、親だけでなく、子どもにも(事情はあるにせよ)理解されなかった。

家庭内での殺人事件が多いが、見えているようで、見ていないのかもしれない。お互いを。縛るつもりもなく、縛っていたり。仲がよいつもりで、憎まれていることに気づかなかったり。トリイのように、情もありながら、客観的に観察できるといいのだけれど・・・それと、ヴォネガットさんの言う“拡大家族”の存在があれば・・・

エピローグで、ドレイク親子は、ミスター・スローンの町から出て、大都市に越し、ドレイクは声帯の手術を受け、親子で手話を学んでいる。カサンドラは、「多重人格″を認める形で解離性障害と正式に診断され」、3年間治療を受け、人格の分身を“再統合”できたと思われた。性的虐待をした男は逮捕。カサンドラはその後も問題がおこったが、演劇で能力を発揮しだしているとの報告があり、読者をほっとさせてくれる。





No.13

マグダラのマリア

 りっちゃん
08/8/16

正確には、『マグダラのマリアによる福音書 待ち望まれし者』上下巻。著者は、キャスリン・マゴーワン。「ダ・ヴィンチ・コード」とだいぶかぶっているけれど、こっちの方が面白いというか、考えさせられるというか。うん、いいよ。ただ、三部作のはずなんだけれど、一部の「待ち望まれし者」しかまだ出ていないみたい。

――アルクで発見された「マグダラのマリアによる福音書」『使徒の書』を、書いている老女のひとり言からこの物語がはじまる。

女性作家、モリーンは、歴史上不当な扱いをされた女性の名誉回復のために、本を書く。その調査のために訪れたイスラエル。イエスが十字架を担いで歩かせられた道をたどっていくうちに、道にまよい、ある店の主人に、売り物ではない指輪をプレゼントされる。そして、赤い外套を着た女性が助けを求める幻視を見る。

まるで、その女性に導かれるかのように、マグダラのマリアを見たという幻視証言の多い地マクリーンを訪れる。フランス南西部の青林檎城に住み、「女羊飼い」を探しているベレンジャー・シンクレアから、百合と薔薇とプッサンの「アルカディアの羊飼い」の複製を贈られる。手紙には、父親のことが触れられていた。幼いときに亡くなった父のことは口にしてはならない秘密になっていた。謎の男、シンクレアについて、錬金術の映画をつくる友人タマラより情報を得て、パリ行きを決意。モリーの保護者のようないとこ、神父ピーターと共に訪れたパリでは、ノートルダム大聖堂ピエタ像の前で磔の日の幻視を見、ルーブル美術館ではプッサンの「アルカディアの羊飼い」の前で幻聴、アレッサンドロ・ボッティチェリの絵画の前に導かれる。

シンクレアから、マグダラのマリアについての興味深い話を聞き、タマラも招待されている青林檎城を訪れることとなる。途中プッサンの墓に寄り、モリーンの指輪と同じ模様が刻まれているのに驚く。タマラから、ベランジェ・ソニエールの謎の村を案内される。仮面舞踏会では、マグダラのマリアと同じ、赤い外套の衣装が用意されていた。シンクレアに、モリーこそ、マグダラの秘密を解く、「待ち望まれし者」であることを告げられる。

いつか「わたしのマリア」と呼ぶように、マグダラのマリアに引き寄せられるモリー。“義の教師”という不気味な集団、マグダラのマリアによる福音書、この3つの記述がからまって、謎が謎を呼ぶ、物語りが進んでいく。

人間らしいキリスト、愛と赦しの道、マグダラのマリアによる福音書は、とても説得力がある。

ヨハネの受難曲は練習したから(本番は出られなかったけれど)、その訳文は楽譜に書いてある。イエスを磔にしたピラトも彼に罪があるのかどうか、すごく悩むんだよね。ユダヤ人たちが「死刑にしたいけれど自分たちには権限がない」と言ってつれてきちゃったイエス。ピラト自身は罪があるとは思えないので、尋問すれば、「王ではあるがこの国のではない」「真理を証言するためにこの世に生まれた」なんてわけのわからない答だし、仕方なく、一人を釈放できる習慣を使って助けようとしたら、ユダヤ人たちは「バラバを!」って叫ぶし、今度は「俺には権力があるんだ」と脅しても、「天から与えられた権力でなければ、わたしに関ししての権力などないのだ」とイエスに言われちゃうし、ユダヤ人からは、自分を王と呼ぶ奴を放っておくのは、皇帝に対する裏切りだ、みたいに脅かされちゃうし・・・まったく形無し。で、レクイエムとかでも、「ピラトが殺した」って、言われちゃうんだよね。ヨハネの受難曲だと、ユダヤ人たちが殺したんだよ。「磔にしろ!!」ってヒステリックに叫ぶんだ。受難曲ってすごいドラマ。人間の残酷さがよくわかるよ。

で、下巻では、ピラトの子どもがイエスに助けられたと、これは脚色というか、小説なんだけれどね。でも、あとがきにあるように、そう解釈できる資料もあるそうだ。その他、聖書のよくわからない部分が納得できるように、いくつかちょいと手が加わっている。私みたいにキリスト教を信じていないものには、すっきり腑に落ちる。ピラトの台詞「真実とは何か?」が冒頭の言葉だけれど、もしかしたらこれが真実かもしれない。

マグダラのマリアがイエスの妻だった説は、以前からあるらしい。それは、妻にすることによって、使徒としての重要性を薄めるためということでもあるらしい。いま伝わっているキリスト教って、結構女性蔑視? パウロの書簡では
  「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法もいっているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫にききなさい」
  だって。男の弱さ、自信のなさを権力で抑えようとの意図が見え見え。この本では、妻でもあり、真の後継者でもあったことになっている。ピーターも気づくんだよね。「かりに・・・かりにこの2千年のあいだ、われわれがイエス・キリストの最後の望みを無視し続けてきたのだとしたら? 『ヨハネによる福音書』がよみがえったキリストを最初に見たのはマグダラのマリアだったと伝えているのは――彼女こそが選ばれた後継者だという証言なのだとしたら?」と。

著者のあとがきが面白い。
  「わたしたちが歴史的事実と考えているものは、しばしばある著者が政治的意図をもって創りだしたものにすぎないのです。こうした理解から、わたしは初期の民俗学者のような作業をするようになりました。いろいろな土地におもむいて、郷土史家や語り部のような人たちから話を開くことで、本からは得られない本物の歴史を知ることができました。」
  「女は重要な存在ではなく、完全な人間ですらないとみなされていたために、その事跡が記録されず、偉大な物語が失われてしまったという例がどれだけあることだろう。」 無視できない女性に対しては、「淫乱だったとか、陰謀をめぐらしたとか、男どもをたぶらかしたとか、人を殺したとか」「歴史書の中で悪女として記録されているものが多い」、しかしそれは「知性や権力をそなえていた女を貶めるための政治的プロパガンダではなかったでしょうか。」
  「わたしは執筆活動と政治活動に関心を持ち、一九八〇年代には北アイルランドにおける政治紛争に深く関わりました。そしてこの時期に、誰かが書いた記録が歴史的事実とみなされることに疑問を抱きはじめたのでした。記録された内容と自分の目で見たものとはめったに一敦しなかったのです。新聞やテレビで報道され、その後“歴史”書に書かれた事柄の多くは、わたしにはどこの世界で起きたことかと思えました。それらの記録には政治的、社会的、個人的なバイアスがかかっていました。真実は永久に失われたのです。それらの出来事を直接目撃した人たちの頭のなかをべつにすれば。」

だから、世界各地の伝説や文化的伝統を調査旅行し、柔軟な頭で、クラウディア・プロクラの書簡、新約聖書の外典請書、初期教父たちの著書、グノーシス文書、死海文書等、豊富にある資料もよんだそうな。マグダラのマリアによる福音書も実在する未公開資料だって。すごいエネルギー。彼女自身モリーン同様、超自然的体験をし、誕生日も予言の日と同じだそうな。運命?すでに決められていると考えるのは好きではない。人間の可能性を信じたいから・・・彼女の場合は、運命じみたものを感じたから、この小説を書き上げることができたのでしょうけれど・・・つらい日々、悩める時も、平和が好きで、この世に天国をつくることができるという、イエスとマリアへの信仰があったから、と書いている。未公開資料を見ることはできないけれど、このマグダラのマリアの書は、すごくいい。赦しねぇ。私には、なかなか実践できないところもあるけれど・・・これなら、キリスト教もいいものだと思えるよ。

ピーターではないけれど、キリスト教にとっては、異端というか、衝撃的なことでもあるから、宗教家とも沢山話し合ったそうだ。彼らには「互いに意見を交換し、感情的にならずに自由に議論をする能力」がある、と。これは今の時代、今の日本にとっても大事なことだね。わたしの若い時には、当たり前に議論していたのになぁ。今は、む、むずかしい!! なんでやろ?

イエスによる「愛の書」、マリアの長男、イエスの養子がその後どうなったのか、続編を早く読みたい。





No.12

クローゼットの中の修道女

 りっちゃん
08/8/12

ドロシー・ギルマンの本の中でもいちばんのお気に入り。この中にも季節労働者のことが書いてある。世の中から隔絶された修道院だけで暮らしていた、シスター・ジョンが修道院に遺贈された土地と屋敷へ旅し、そこでであった「自然に帰ろう運動」のメンバー、アンダーグラウンドの作家に勧められて、集会に参加、移動労働者の暮らし、とくに学校へ通えない子どもたちがいることを知って「胸がつぶれるような」思いをする。そして、幽霊騒動あり、銃撃事件、井戸の中の大金、秘密の抜け道、ヤク、留置所、デモと宗教家と市長との和解、恋物語も少々と、ハラハラドキドキ・・・大団円の手前で、シスター・ジョンがこんな計画を立てるのです。

「小さいコミュニティーをつくるのです。たとえば三十家族くらいの集まりで、それぞれの小さい家に小さい庭がついていて、みんなが共同で働く広い畑もあって、子供たちは毎日学校へ行きます。そうね、土地は七十五エ−カーほどもあればいいかしら・・・。すべての家族の現金収入のために、作物がそこでつくられる・・・。残りの土地は、森のままでいいのです。近所の農場に豆を摘みにいく人もいますが、それは契約で結ばれた仕事なので夜になると、彼らは自分の家に帰ってきます」

これは楽しい小説だから、そのための資金なり、人材も用意されちゃっているのだけれど、実際はどうなのかしら?一年を通しての安定した暮らしができるといいのだけれど・・・この中ではフロリダでそのような実験が行われて成功しつつあると書かれてはいるけれど・・・今のアメリカでは軍事費に圧迫されて、子どもたちの教育や、すべての人のための福祉なんて、ほったらかしもいいところなんじゃぁないかなぁ。

この小説の面白さは、修道院では印刷機の修理が得意のシスター・ジョン。前向きで行動的な性格が、世の中の現実と向き合うとさらに生かされる。植物と話のできるシスター・ヒヤシンスは、修道院ではかわりものだったが、チベット僧、バーンジャン・シンと知り合って、自分に自信を持つようになる。女性が活躍するっていうのがいい。

それと、価値観の変化。題名のクローゼットの中にいるという修道女は、本当は、元マフィア。怪我をしたのを人のいい二人が助けてあげたのだけれど、まぁ、偉そうに文句ばかり。かくまうために、忙しいジョンは修道女の服を縫ってあげたのに・・・ぷふふ、髯面の修道女なんて、想像しただけでも楽しいねぇ。で、彼、シスター・アーシュラとみんなとの対話が面白い。

 シスター・アーシュラがからかうように言った。
  「話はおもしろかったが、瞑想ばかりしているんじゃ、生活費は稼げない。それじゃ、出世も成功も得られないじゃないか」
  「バーンジャン・シンは、出世も成功も、関心がないのよ」
  ナオミが言った。
  (略)
  シスター・アーシュラが怒鳴った。
  「どうやって食べ物を手に入れるんだ。どうやって、電気代を払うんだってことだよ。そういえば、あんたたちだって同じだ。尼さんは、どうやって電気代を払う金を手に入れるんだね」
  シスター・ヒヤシソスは真面目に答えた。
  「修道院では、パンを焼き、それを売って生活費にしています。一日六十個、毎朝、焼きたてのパンをデリカテッセンの車が持っていくんですよ」
  「それが生活だと? おいおい、おれだけかい、税金を払い、仕事をし、銀行預金を持ち、 有価証券の意味がわかり、社会生活をしているのは?」
  バーンジャン・シンが穏やかに言った。
  「そして、体にピストルで撃たれた傷が三つもあるのも、あなただけですよ」

上の会話は皮肉が聞いていて楽しい。次の会話は、今の日本もそうかなぁと、考えさせられるわ。

「いったい、どんな目的で、畑で豆など摘んでいるんだ?あんたらみんな大学出だろう?」
  「ぼくらは、六十年代の生き残りだよ」
  「火をつけたり、行進したりした、あれか?」
  アルフィーが答えた。
  「そう。あの時代は重要な人物の暗殺がいくつもあったし、表に現れない闘いがいろんなところで繰り広げられていた。ぼくらは銃で攻撃されたし、こん棒で殴られたし、逮捕された。みんなとことん疲れた。だが、一番ひどいのは、ぼくたちが正しかったということだ。いまの世界の偽善を見ろ、腐敗を見ろよ。選挙権もなかったころのぼくたちは、それを見抜いていたんだよ。大人はいったいなにをしていたんだ。あまりにも恐ろしいので、ぼくらのうちの多くは、正しいことを主張するのをやめて、自分一人を大事にしようという方向に行ってしまったんだ」





No.11

彼方なる歌に耳を澄ませよ

 りっちゃん
08/8/11

原題は「No Great Mischief」。著者はスコットランド(ハイランド)からの移住者から数えて6代目になるアリステア・マクラウド。寡作な短編作家の唯一の長編だそうな。たまたま図書館で手にしたのだけれど、胸にしみいる作品でした。

主人公も6代目。島の燈台守をしていた両親が、氷の穴に落ちて、一番下の男女の双子だけが祖父母に引き取られる。祖父が「チャンス」に恵まれ、病院の管理の仕事についたため、つましくても安定した暮らし。仲のよい祖父母に大学へ行くまで育てられる。「運が悪い、運の良い子達」のうちの男の子である。上の息子たちは、以前祖父母が暮らした家で自活する。よく言えば自然との共生でもあり、反面不衛生で教育を受けることもない暮らし。ゲール語を使い、トイレはバケツ。

主人公も妹も、大学を出、裕福で趣味のよい暮らしをしている。兄弟及び、いとこたちを統率していた一番上の兄は、仕事場(ウランの坑夫)での競争相手のチームとの喧嘩で、相手を殺し、第二級謀殺で終身刑を言い渡される。服役を済ませて出所しても、まともな仕事に就けず、アルコール漬けの独り暮らし。主人公は、そんな兄のところへ毎週訪れる。出だしはそのドライブでの風景だ。小さい農場では家族総出で、大きい農場では季節労働者が取入れをしている。狭くて汚い部屋にいる兄に酒ビンを渡し、ビールかなにかを買いに街に出る。「私は兄のために、あるいは自分のために、何を買えばいいかわからない。すべてを持っている男と何も持たない男のために何を買えばいいのか」と悩みつつ、過去のいろんな出来事を思い出す。兄と同じ名の一代目「キャラム・ルーア」の墓のこと、島の泉の事など、また二人で思い出話をする。帰宅するまで、それが延々と続く。1〜42章まで。最後に、兄からの初めての電話「時間だ」で、兄と故郷へ帰るところで話が終わる。

挿入された話の中でもいちばん象徴的なのが、頑張りすぎる犬の話。
  ・・・キャラム・ルーアの一家が水際を歩いて小舟に乗り、沖で待つ大きな船へ向かって漕ぎ出すと、あとを迫って泳ぎはじめた。犬の頭が水をX字に切り、その目は去ってゆこうとする家族にひたと向けられていた。犬は自分も家族の一員だと思っていたのだ。家族の漕ぐ小舟が、錨をおろした船に近づき、ゲール語で「帰れ」と怒鳴られても、犬は泳ぎつづけた。泳ぎつづけて、だんだん陸から遠く離れていったとき、とうとう耐えきれなくなったキャラム・ルーアは、脅しつける声を励ましの声に変え、身を乗り出して、ずぶ濡れで震えている冷たい体を持ちあげ、舟のなかに引き入れた。犬は彼の胸をびしょびしょに濡らしながら身をくねらせ、うれしそうに彼の顔をなめまわした。彼はゲール語で言った。「よしよし、おまえはずっと俺たちといっしょだったもんな、もうおまえを捨てたりしないぞ。いっしょに行こうな」・・・
  この話は、故郷のハイランドでも語りつがれていた。

そして、その子孫の犬も、両親の事故の時、穴に落ちて生還。両親がいつか帰ると信じ、次の灯台守となってやって来た男に吠えて撃ち殺される。ハイランドの男たちも、なにかを信じ、戦場で勇猛果敢に戦う人たちなのだった。母方のおじいさんは歴史を調べて「騙されていた」ことを立証するが、人のいい陽気なおじいちゃんは、暗い話よりも、明るい話の方が好きでそっちを信じたがった。そう、自然の脅威との日々、開拓者のつらさ、貧しさにもめげない人たちだった。「クロウン・キャラム・ルーア」と呼ばれる一族は、互いに助け合い、陽気に歌を歌い、茶目っ気もたっぷり。情にあふれている。

おばあちゃんは、酔っ払ったおじいちゃんにクリスマスの飾りをつけて、記念写真まで取ってしまうのだ。また、それをいつまでも大事に取っているおじいちゃん。原題の「Mischief」には、「災害」という意味もあれば、「いたずら、お茶目」といった意味もある。

主人公とその妹は、「運が悪かった」兄に対しても、季節労働者や、アフリカのズールー族に対しても、何がしかの後ろめたさを持っている。そして、自分たちが失ってしまったなにかがうらやましいような気もしているのだ。この会話からもそれがわかる。
  「おじいさんが『音楽は貧乏人の潤滑油だ』と言ったんだ。『世界じゅうどこでも。いろんな言葉で』って」
  「そうなのよね、私、ニュースを見るときにもそう思うの」
  「ズールー族は」と私は前の会話を思い出して言った。「坑夫の居住区で、いつも歌ってるんだよ。兄さんたちの話では、しばらくたつと、兄さんたちもその歌をだいたい歌えるようになるんだって。もちろん、意味なんかわからないけれどね。まるで、音楽人というひとつの民族が手をつなぎ合おうとするみたいだったって」
 妹はちょっと考えてから言った。「あなたは働きながら歌わないわよね?」
  「うん、歌わないね」
  「コンサートの定期公演のメンバーになってる?」
  「うん」
  着飾った人たちと一流の演奏を聴ける生活をしていても、ゲール語の歌を歌う機会は、今の都会生活ではないのだ。そして主人公の職業、歯科医は自殺率が高いと妹に指摘されてもいる。

世界における格差問題、「騙されやすい」頑張り過ぎる人々、家族、言語・伝統文化、歴史、情の厚かった昔。いまの自分、日本の現状とミックスしてしみじみと共感を感じたのでした。





No.10

爺川柳

 金太
08/8/10

 おっぺけ節

  オッペケペッポ ペッポッポ
    オッペケペッポ ペッポッポ
    庶民には なかなか当たらぬ 3億円
    1年で 3億掠めた(かすめた) やつがいた
    井戸・塀政治は 昔のこと
    それって「ワイロ」じゃないのかな
    「アッソウ!」と返事した
    オッペケペッポ ペッポッポ
    ヤッテラレナイ ペッポッポ
    アキレタヤツダヨ ペッポッポ
    オッペケペッポ ペッポッポ





No.9

タイムクエイク

 りっちゃん
08/8/9

カート・ヴォネガットさんの最後の長編らしい。ウーン、遺言書とも言えるかも。1996年の冬に書き上げた長編小説が気に入らなくて、
  「たとえていえば、私はその恩知らずな魚を10年近くかけて育てたわけだ。なのに、そいつはサメの餌にもならない。
  私はつい最近73歳になった。わたしの母は52歳まで生き、父は72歳まで生きた。ヘミングウェイはもう少しで62歳に届かなかった。私は長生きしすぎた! さあどうする?
  答え――その魚を下ろして切り身にしろ。あらは捨ててしまえ。」

筋としては、1991年2月17日から2001年2月13日までがリプレイされてしまう。今までの小説にちらほらと出場していたキルゴア・トラウトが主役?といっても彼は、著者の分身だから、著者の人生も切り身のごとく、挿入されている。しかし、今から10年前にもどるなんて、しかも、ロボットのように自分の過去の再演を続けるなんていやだなぁ。
  「老SF作家キルゴア・トラウトがいみじくもいったように、「再び自由意志のスイッチが入るまで、だれもが自分でこしらえた障害物競走のコースを走りつづけるしかなかった」

第3章には、トラウトの『笑いごとではない』という小説が紹介されている。機長の母親の名がつけられた《ジョイス・プライド》は、ヒロシマ・ナガサキに続いてもう一発を横浜の“黄色いちび野郎ども”に落とす予定だった。機長は、「夫を亡くしたあの優しい母が、報道記者に向かって、息子の乗った飛行機が大ぜいの民間人を一度に殺す世界記録をうちたてたのを、決してうれしいというはずがない」と確信するようになり、「マザーファッカー」(原爆)を機体の下にぶら下げたままUターンする。その後の秘密軍法会議で、戻って着陸する際の、基地の人々の慌てた様を検事が描写した時に、全員が腹を抱えて笑う。裁判長が被告たちのやった行動は、「笑いごとではない」と、述べ、法廷を静まらせたと思うまもなく、その島も、機体も、原爆も、軍法会議も、地球の裂け目に飲み込まれるという筋書きだ。

今日は、ナガサキの日ですね。“黄色いちび野郎”も身長が伸び、美白にこだわっているようですが、昨日の新聞には「米原潜 横須賀、沖縄も放射能漏れ」の文字。「ジャップ」、「黄色いちび野郎」、今はなんて呼ばれているのやら・・・状況は変わっていないよ。なんたって、属国だもの。

第1章では、こう書いている。
  「イエス・キリストは、〈山上の説教〉のなかで、人生がどれほどひどいものかをこう語った −「悲しむ人々は、幸いである」また、「柔和な人々は、幸いである」また、「義に飢え渇く人々は、幸いである」
  ヘンリー・デイヴィツド・ソーローの最も有名な言葉をひくなら − 「大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている」
  だから、われわれが地球の水と空気と表土を汚染し、産業的にも軍事的にもつぎつぎと巧妙な世界破滅装置を作りだしていくことには、なんのふしぎもない。たまには本音を吐いてみよう。ほとんどたいていの人間にとって、世界の終わりはいつきても早すぎはしないのだ。
  わたしの父、カート・シニアは、インディアナポリスの建築家だったが、妻が自殺してから十三年後にガンで亡くなった。あるとき父は、故郷の町を走っていて信号無視でつかまったことがある。そこで、父が二十年間も無免許運転をつづけていたことがバレた!
  そのとき、父が警官に向かってなんといったと思いますか? こういったのだ――「じゃ、わたしを撃ってくれ」
  アフリカ系アメリカ人のジャズ・ピアニスト、ファッツ・ウォーラーは、自分の演奏が乗ってきて、すばらしく陽気なものになると、いつも大声でさけぶ得意のセリフがあった。こんなセリフだ――「だれかおれを撃ってくれ、いまのごきげんなうちに!」
  火器という道具、シガレット・ライターのように扱いが簡単で、トースターのように値段が安く、持ち主の気分しだいで、父や、ファッツや、エイプラハム・リンカーソや、ジョソ・レノンや、マーティソ・ルーサー・キングや、乳母車を押している母親を殺すことができるような道具の存在は、だれが見てもある事実のたしかな証拠といえそうだ。その事実とは、あの老SF作家キルゴア・トラウトを引用すれば − 「人生はクソの山だ」」

そのクソの山のようなつらい人生での生きる知恵も教えてくれます。彼の兄弟がジョークを教えてくれたこと、そして、もう一人、
  「わたしの叔父のアレックス・ヴォネガットは、ノース・ペンシルヴェニア通り五〇三三番地に住む、ハーバード出身の生命保険の外交員で、わたしにとても重要なことを教えてくれました。物事がほんとうにうまくいっているときに、それを見逃さないようにしなくてはいけない、と。   叔父がいったのは、大きな勝利でなく、ごく単純な出来事です。たとえば、暑い昼下がりに木陰でレモネードを飲むときとか、近くのパン屋からいい匂いが漂ってきたときとか、獲物のあるなしを気にせずに釣りをするときとか、隣の家でだれかがとてもうまいピアノを弾いているのを聞くときとか。   アレックス叔父は、そんな至福の瞬間にはかならず声に出してこういえ、とわたしに教えました。   『これがすてきでなくて、ほかになにがある?』」

私自身も戦後の住宅難のため、拡大家族の中で育ちました。ヴォネガットさんも拡大家族の中で育ったそうです。
  「わたしは幸運だった。ヨーロッパでなくアメリカで、白人の中流階級、しかも、たくさんの本と絵にかこまれた家で、おおぜいの拡大家族のなかに生まれたのだから。しかし、その拡大家族もいまはない」

リプレイされた10年間が、わたしたちが大事ななにかを失い、新自由主義の名の下に、「資本の不誠実な保管者たちは預かった金のお手玉遊びをして、自分たちを億万長者や兆万長老にのしあげている。本来、その金は意義のある仕事を作りだしたり、その仕事をする人間を訓練したり、敬意と安全な環境で子供を育て、老人を引退させるのに使うべきものなのに」という時期だったのかもしれない。わたしたちの自由意志にスイッチを入れないで、自動操縦させてしまった取り返しのつかない時期。

いつもどうりふんだんなジョークを織り込むながら、クソ真面目に提案している。
  「そして一九九六年のいまも、わたしは講演でつぎのような憲法修正案を提唱している。
  修正第二十八粂 − あらゆる新生児は、心から歓迎され、成人するまで世話されなくてはならない。
  修正第二十九条−− あらゆる成人は、その必要に応じて、意義ある仕事と生活賃金を与えられなくてはならない。
  ところが、消費者、被雇用者、投資者としてのわたしたちが作りあげたものは、紙きれの富の山であり、あまりにも巨大なそれを支配するひとにぎりの人間は、だれをも傷つけることなく、何千万、何千億もの富を自分のふところに入れることができる。どうもそうらしい。
  わたしの世代のおおぜいの人間が落胆している。」

そして、次世代に伝えようとしている。
  「お願いだ、みんなでもっとおおぜいの怖気づいた人びとを助けよう。おたがいがこの事態を ー それがなんであろうと ー 乗りきれるように。」
  「そう、人びとにもっといきとどいた世話をしようという夢を、服装倒錯の両性具有者にならせないためにも、われわれみんなに拡大家族の支援と親密さを与えるような計画が必要だ。拡大家族のなかでは、巨大国家のなかにくらべて、共有と同情にもっと現実味が加わり、信託業者も怪鳥ロックや不死鳥のような神話の生き物ではなくなるかもしれない。」

昔のような、親戚関係ではない拡大家族の見本として、打ち上げの焼きはまぐりパーティーを描いたのかもしれない。
  「トラウトは聴衆に向かっていった。「それがこの宇宙のなかに生まれた新しい性質であり、それは人間がいるからこそ存在する。これからの物理学者は、宇宙の秘密を解こうとするとき、エネルギーと物質と時間だけでなく、とても新しくて美しいなにかを計算に入れなくてはならん。それは人間の意識だ」
  トラウトはそこで間をおき、左の親指の腹で上の入れ歯を押しあげ、われわれに向かって魅惑の宵の最後のひとことを述べるあいだ、それがはずれないように念をいれた。
  トラウトの入れ歯は、すべてこともなかった。これが彼のフィナーレだった。「いま、意識よりもっといい言葉を思いついた。それを魂と呼ぶことにしよう」そこで彼は間をおいた。
  「チリンガ・リーン?」とトラウトはいった。」

ヴォネガットさんはいい人なんだよね。理想主義者? 
  「 わたしはオリジナル・シン(原罪)の存在を信じる。わたしはまたオリジナル・ヴァーチュー(原徳)の存在をも信じる。自分のまわりを見まわそう!」
  「 解放された直後のオヘアとわたしがあのドイツ兵たちにいった言葉は、いまでも好きだ――アメリカはもっと社会主義的になり、あらゆる人間に仕事を与えるようにもっと努力し、われわれの子供たちが、すくなくとも飢えたり、寒い思いをしたり、読み書きができなかったり、死ぬほどおびえたりすることがないように保証するだろう。
  せいぜいがんばって!
  いまでもわたしは講演のたびに、インディアナ州テレホートの出身で、社会党から合衆国大統領に五度も立候補した故ユージン・デブズ(一八五五〜一九二六)の言葉を引用する。
  「下層階級が存在するかぎり、わたしはそれに属する。犯罪分子が存在するかぎり、わたしはそれに属する。刑務所に囚人が存在するかぎり、わたしは自由ではない」

いや、あまりにも酷い現実に、自分ひとりの力では、なんともできなくて、真面目に後世に伝え、できれば「せいぜい頑張って」欲しいと、遺言したのだと思う。リプレイ期間が終わり、自由意志が戻ったのに、固まって動けない人々にトラウトがいう台詞「あなたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある」もそうだ。
  テレビの台頭によって、自身も一時は車のセールスマンをしていた時期もあったが、何よりも想像力の欠如を心配している。
  トラウトの著作、『B-36姉妹』では、
  わるい妹の名前はニム・ニムという。そう名づけたとき、両親はこの末娘がこれほど不快な女になるとは思ってもみなかった。しかも、テレビは序の口! あいかわらず退屈な彼女は、あいかわらず人気がないため、自動車や、コンピュータや、有刺鉄線や、火炎放射機や、地雷や、機関銃などなどをつぎつぎに発明していく。よほどむくれていたにちがいない。
  ブーブー星の新しい世代は、想像力を欠いたままで育っていく。退屈しのぎの娯楽に対する彼らの食欲は、ニム・ニムが売りつけるすべてのクソで満たされる。そのどこがいけない? べらぼうめ。
  しかし、想像力がないため、彼らは先祖たちがやったこと、つまり、おもしろい、心温まる物語を、おたがいに向かいあって読むことができない。そこで、キルゴア・トラウトによると、「ブーブー星人はその星雲きっての無慈悲な生物になってしまった」

私が一番心配なのも、そこなんだよなぁ





No.8

アレン・ネルソンさんの講演会報告

 りっちゃん
08/8/5

7月26日に開かれた講演会の報告です。アレン・ネルソンさんの本『ネルソンさん、あなたは、人を殺しましたか?』は、東京大空襲でも紹介していました。ピースキーパー(平和維持軍)というけれど、軍隊は平和を維持なんかしない。人を殺すだけ。女性や子どもを守るためというけれど、軍隊はほったらかしにするだけ。女性や子どもたちは、自分で命を守らなければならない。そんなことを、歯切れのよい英語でお話しになっていました。それをまた、通訳の方がいいテンポでわかりやすい日本語に訳されていました。

最初におっしゃられたのが、「在日米軍が日本を守ってくれるなんていうことはありません」。「日本は占領されているだけです」。「日本の政府は米国の傀儡政権です」。ウ、ウーン、認めたくないけれど、た、確かに・・・「だから、アメリカ、ブッシュの言うとおりに動いています」。「米国の州のひとつならば、大統領選挙における選挙権もあるけれど」、実際には、その権利はない。やっぱり属国なんだなぁ。日本は北朝鮮のことで煽られているけれど、「金正日はちょっと狂っているけれど、馬鹿ではない」から日本に攻め込んでくることはありませんって。でも、「ブッシュは気が狂っている上に馬鹿だから危険です」。早く「でした」になるといいのですが・・・

彼から会場のみんなに質問。殺人マシーンとしての訓練で、人間のどこを撃てと言われているか?皆さんの答えは?私は、一発で死ねる頭を選んだのだけれど、「ブー!!」でした。心臓も「ブー!!」。「軍隊というのはそんなに優しくないのです」。脚や頭など的が小さくては外れる可能性が高い。相手を確実に殺すのが目的なので、的が広いお腹に何発も打ち込むというのが正解。これだと、何時間も痛みを味わいながら死んでいくのだそうです。戦争とは、優しさや人間性とは真反対の残虐なものなのですね。

貧困から逃れるために軍隊に入ったアレンさんは、堤未果さんの「ルポ貧困大国アメリカ」を身をもって証明してしまったおひとりということになります。よりよい生活、夢を描いて海兵隊に入隊したのに、ホームレスの80%はかつては軍隊にいた人だそうです。「男らしく」という育てられ方も問題と指摘されていました。「自分らしさ」が認められていたら、入隊しなかったとも。人間であること、愛を持つことが生きる力になるとも、おしゃっていました。そして、アメリカも日本も、徴兵制がない代わりに“貧困による実質的徴兵制”がある。自衛隊に入隊する人は、経済的弱者が多いということです。「入隊すれば勉強ができる、資格が取れる」が宣伝文句。「日本も同じです」。殺し方は教わるけれど、考えることは軍隊では禁物。だから、除隊後の就職が難しくなる。保障もなくなる。で、ホームレスになってしまうというわけ。日本にはスラムもないし、女性や子どものホームレスもごく僅か。アメリカはたくさんいるそうです。日本もこのままだと危ないですねぇ。

ベトナムの人たちを殺すために、戦場に行ったのですから、当然、ベトナム語もベトナムの文化も学ばずに行きました。ベトナム人も同じ人間と認識したのは、避難して入った防空壕で、たまたま出産シーンにであったから。それまでは、ケダモノ、釣り目、共産主義者と呼んでいました。アメリカがヒロシマ・ナガサキに原爆を落とせたのも、人間とは思っていなかったからです。「ジャップ」(ラップ、ドブネズミのようなものとの認識)。イラクでもアフガンでも、同じことなのでしょうねぇ。

米国内と沖縄での、訓練の違いにもビックリしました。沖縄で初めて実弾だったとか。それって、沖縄の人が流れ弾に当たっても「別にいいじゃん」、っていうこと? 訓練飛行が失敗することも想定して、基地の周りに緩衝地帯を置くことを国内では義務付けても、沖縄ではまわりが住宅地。落ちて家が潰れても、沖縄の人が死んだって、「別にいいじゃん、ジャップだもの」って感覚? 住宅地である小平市の上空を、自衛隊が訓練飛行を、しかも低空でするっていうのも、同じ感覚? 嫌だねぇ。

アレン・ネルソンさんは、除隊したあと、PTSDに悩まされ、ホームレスも経験し、大学で心理学を学び、ボランティア活動をされている。学校その他で、戦争とは何かを語っていらっしゃる。伝えるって大事だよね。とくに若い世代に。会場が学芸大学というのに、やっぱり、おじちゃんおばちゃんが多かったなぁ。そこがとっても残念。





No.7

高遠さん講演会報告

 りっちゃん
08/7/24

私は、イラク情報は、今までバグダードバーニングを見ていたのだけれど、あまりの治安の悪さにリバーベンドさんがシリアに脱出、去年から、書き込みが途絶えてしまった。なので、その後どうなっているのかをまず聞きたかった。高遠さんのプログイラク・ホープ・ダイアリーもあるので、これからはそっちも見ようと思っています。

高遠さんのお話は、とても分かりやすかったです。ネットなんかを見ない人でも、イラクの現状ががよくわかったのではないかしら? マスコミなどで、宗派闘争というけれど、シーア派、スンニ派も、キリスト教徒もみんな交じり合って仲良く暮らしていた。特に若い人のアイデンティティーはイラク国民。そこへ、米軍が侵攻して、政権が無理やり出来た。内務省の大臣が、イランのシーア派民兵を抱えている勢力の代表者で、それが警察になって、米軍ともども、誤射や誘拐が増えた。国外勢力によるものだ。検問で「シーア派かスンニ派か?」と問われ、「スンニ派」と答えただけで捕まり、数日後死体が路上に転がっているというようなことがしょっちゅうある。今、特にバクダッドでは宗派別のすみわけが進んでいるそうだ。壁ができているとか。宗派闘争と言われることに、いちばん戸惑っているのはイラク国民とのこと。

武装勢力という言い方も混乱をまねく。肉親を殺された抵抗勢力(レジスタンス)とアルカイダとを分ける必要がある。一時は、抵抗勢力にアルカイダが資金や武器を供与し、協力関係もあったようだが、テロの犠牲者が、米軍よりも一般人が多いことにより、今は距離を置いている模様とのこと。イラク国内は終結宣言後より今の方がどこも危険な状態であるが、ファルージャのあるアンバール州のみ、例外。部族長が治安を守っているから。米軍との話し合いで、空爆の中止等を取り決めし、アルカイダ退治で米軍と協力することにしたのだそうだ。彼らが抵抗勢力をも押さえている。住民から何が必要かも聞いて、復興も進んでいるとのこと。

ただし、アメリカの宣伝にも一役買ってしまっているらしい。増兵の効果が出たとブッシュが言っているとか。うそ! 実際には、米兵がいないから治安に効果があったのに・・・

高遠さんのボランティア活動での協力者、カーシムさんもアンバール州に住んでおり、空爆で壊された学校の再建などに取り組んでいるそうだ。彼はもともとは「武力で」米軍に抵抗したいと言っていたが、高遠さんの「非暴力で」という主張に、今や、納得しているそうだ。「武器を持っていたら、自分も家族も殺されていたかもしれない」と。彼のところに、雇って欲しいといってきた人がいたそうだ。残念ながらその時には資金のめどが立たず、まだ仕事がないので断ったら、その人がアルカイダのリーダーだかになってしまったそうだ。復興のための雇用が、治安にもつながる事の証左である。

第2回のファルージャ攻撃では4000人以上の死者がでたそうだが、その時には、報道関係者も、NPO等も一切シャットアウトだった。化学兵器を使用したとも言われている。75体の遺体の返還があり、その写真をみたが、確かに、つるんと異様にふくらみ青みがかった顔、そして皮膚がずりむけた手。戦闘による死とは思えない。脚を負傷し、這って助けを呼ぶ人間を戦車が踏み潰して行くという目撃証言もあるそうだ。見えないところでは、人は鬼になってしまう。 いまでも、NPO等、外国人は入国ができなくて、現地スタッフと連絡を取り合い、活動しているそうだ。高遠さんは、ヨルダンのアンマンで、避難民への古着や食糧配布をしたそうだが、シリアは警察から避難民への介入(外国人と接触すると逮捕されたり)があるので、行けないそうだ。リバーベンドさんの生活はどうなのかしら?心配。避難民は未亡人がやたらと多いそうだ。経済的に困窮。だよねぇ。

最後に「非暴力で平和を築くことは難しいけれど可能」と結論付けていたけれど、その道のりは険しい。米軍への嫌悪は、イラク国民に根付いている。劣化ウラン弾によるであろう小児の白血病やガンが増えている。また、国連への不信感も根深い。91年〜の12年間の経済制裁で、たくさんのイラク国民が犠牲となった。「国連による大量虐殺」という本もあるそうだ。現在の難民に対してもUHCR(国連難民高等弁務官事務所)が予算がないといっているとか。NPOにも、PRT(武装勢力との戦闘が続く危険地帯や戦闘終了後の不安定地帯に軍の防護つきで文民を派遣すること)があり、アフガンの中村医師も言っていたが、現地では米軍に保護されることが逆にテロの標的となっている。イラクでは、NPOだからと住宅を貸したところ、民間の武器を持った兵隊の宿舎となったりして、他のNPOまでが、警戒されたりしているそうだ。

質問に応えるなかで、拉致されていた時、相手は武器を持ち、喉にナイフを突きつけられたが、それでもこちらが武器を持たなかったので、話し合いができた。最後には「ありがとう」といってもらえた。9条のおかげで命が助かった。しかし、武器を持たない日本では、話し合いができなかった。そのことが、自分の中でまだ整理ができていない。とおっしゃった時、言葉につまり、目が潤んでいるように見受けられた。家族が励ましの手紙を選んでくれたそうだが、それでもバッシングのひどさはわかる。私自身のPTSD(前日、5,6年前に心ない発言をした人に親しげに声を掛けられちゃったせいで)体調めちゃワルだったからなおのこと、彼女の私よりもきっと大きいだろう心の傷が、わかるような気がした。この話をいとこにメールをしたら、「困った状況にある国の人々のためになにか役に立てないか、と危険を覚悟でいった人々に、あのようなバッシングを加える日本国民って一体何?」と返信がきた。私もそう思う。

自衛隊については、確かに、9条では憲法違反かもしれないけれど、自分以外のクラスメート、90%は自衛隊の子どもたちだった。例えば、武器をスコップに、軍服を作業着に替える(災害救助隊)とか、その後のことを明確にせずに、ただ廃止というわけには行かない、とのご意見(私と一緒だね)でした。

高遠さんは、今は、活躍されている。「生きていて良かった」と痛切に思う。彼女だけでなく、今井さんも、イラクの人も、日本人も、今、引きこもっている人も、そして私も。みんなみんな。生きていれば、未来もある。いのちって大事。ひとりひとりのいのち。
  日本の無差別テロ事件も続発だねぇ。日本の病みにはどう対処したらいいのだろう。昨日、健康診査のお知らせが届いた。わたしの健康を気遣ってではない。医療費がかかりすぎるから、各自健康管理をさせるためのチェックのようだ。わたしの命ではなく、お金が大事? その風潮がいけないのでは?





No.6

朝鮮学校ってどんなとこ?

 りっちゃん
08/7/19

この本は、西東京朝鮮第一初中級学校創立55周年を記念して、オモニたちが書いた本。執筆担当者は、金 栄、姜明子、梁澄子、呉文淑、尹敬淑。宋神道さんの映画会で挨拶に立たれたのが梁(ヤン)さんかしら。バッシングの影響で、今ひとつ元気のない女性問題系の日本女性に比べ、なんと元気闊達な人たちなんだろう。朝鮮大学の女学生たちもはつらつとしている。私も彼女たちを見習わないといかんなぁ。

第一章はQ&A。日本語が上手ですね?、なんてアホな質問もある。日本に暮らしているんだから日常語は日本語に決まっているやんけ。なんて、私のように腹を立てたりはしない。今まで「無理解や誤解、異質視や好奇の目に対し、肩肘を張ってしまい、日本社会の中で自らを積極的に開いていく努力が不足」していたことを反省して、丁寧かつ本音で答えている。国籍のことは私も初めて知った。実際には朝鮮半島南部の出身者が多いのだが、それまで日本国籍だったのが、サンフランシスコ条約以降、外国人登録の国籍がすべていったんは「朝鮮」になったこと。その後、「大韓民国」の国籍を希望変更した人もいるし、「朝鮮民主主義人民共和国」の国籍を選んだととらえている人もいるし、敢えて選ばずにそのままの人もいる。帰化して日本国籍をとった人もいるだろう。1985年の国籍法改正により、日本国籍の子どもも増えている。同じ朝鮮学校に通っていても、国籍はそれぞれ。また、考え方も人によってさまざまなのだ。

だから、内容が濃くなるんだろうね。Q&A.偏った「思想教育」しているという話も聞きますが、では、「主体思想」のこと、思想信条を教える必要、一つの考え方だけが正しいと押し付けることは「自分で考える力」を奪うことになること、日本での日の丸・君が代強制のおかしさ、国家の意思から自由な教育など、優れた教育論が展開されている。こんな話は、わたしの経験から言って、PTAではとてもできなかった。すごい!!

第二章55年の歩み、では、戦後帰国して不自由をしないようにと朝鮮語を教える寺子屋が作られ、GHQや日本政府のご都合により公教育にさせられたり、また廃止されたり、と翻弄され、彼らの「祖国」からの教育費支援に感動し、一時は「キムイルソン」を讃える歌なども歌われていたこと、オイルショック後は、「祖国」からの送金も減り、また、日本での生活が長くなりにつれ、日本の現状に即した教育への要求も高くなり、教育内容も変化し、各市町村からの補助金がおりるようになったこと等が書かれています。子どもの権利条約にあるように、母国の言語や文化を学ぶ権利を保障するのは当然のこと。日本政府が保身のために時の政治情勢を絡めることなく、キチンと対応していれば、「キムイルソン」の歌は歌われなかったと思うんだけどねぇ。私たち自身も知る努力をしては来なかったから、反省だなぁ。

第三章学校生活、では、まず「生徒たちの校舎に対する愛情は今も昔も変わらない。1996年の補修工事で作業に当たった業者たちは「校舎のどこを探しても落書き一つ見当たらない」と驚きを表していた。」に注目。「ウリハッキョ」(私たちの学校)という言葉が文字通りなのだと実感する。小学校では、掃除をさせられたという印象。都立高校は、自分の卒業校も子どもたちのも汚かった。「仕方なく通った」「出来上がっているところ」だったからだと思う。歴史から見ても、ほっといたら無くされてしまうかもしれない学校、自分たちの力でできた学校との危機感・自負感は、日本の公教育にはないもの。ご苦労や努力に頭が下がると同時に、どこかうらやましい。

今、日本の学校との交流が盛んだそうです。ご近所の第三小学校との交流は、オモニ会の「ふれあいバザー」がきっかけとか。一緒に料理を作ったり食べたり、そんな関係から自然に仲良くなれるのがいいねぇ。チマ・チョゴリについての論争もすばらしい。「でも、どうして男子学生はパジ・チョゴリを制服にしなかったのか? 男は近代、女は伝統という分業思想が見え隠れしていないか」。話に聞いただけだが、国会に紋付羽織袴で行ったという龍平さんの感覚はいいなぁ、とあらためて思う。もちろん、暴力に屈して、チマ・チョゴリを脱いだりすることはないそうです。その辺が、交流を通しての感想、「朝鮮学校では民族の文化を大切にしていて、生徒たちの姿からは精神的な強さが感じられる」につながるのかな? さて、今の日本の子どもたちは君が代を斉唱しちゃっているのかしら?中には、これは国歌とは違うと拒否する生徒もいるのかしら?成績に関わると自粛しちゃっているのかなぁ。それとも疑問すら感じない程病んでいるのか。心配だなぁ。

あとがきでは、「解放直後、一世たちは懐かしい祖国に帰るため、わが子の母国の言葉と文字、歴史を文化を教えてくれる場所を切実に必要とした。子どもたちは朝鮮人であることを理由に差別されることのない学校ができたことを心から喜んだ。それが朝鮮学校の始まりであることを、私たち自身、この本を編む作業の中で再認識した。そして今なお、私たちはわが子のために、朝鮮学校を必要としている。
  日本人の子どもたちとは趣の違う自らの名前を、出自を、自分自身の存在そのものを、真っ直ぐに受け入れてほしい。ことさらに誇る必要もないけれど、決して卑下する必要もない。自分は自分のままでいいのだという当たり前の感覚を、自然に培ってほしい。そんな願いから、私たちは朝鮮学校を選択した。」がいいですねぇ。日本人の子どもたちも、自分は自分のままでいいのだという感覚を持ってほしいです。そうすれば、自己顕示的無差別テロ犯罪も減るだろう。そのためにも、政府の「嘘」に大人が敏感になって、ひとつひとつ正していかないとなぁと思う。

この本に書かれていることは、大きくて重い歴史でもあるのだけれど、地域限定・ご当地的でもある。西東京朝鮮第一初中級学校(名前も変遷しているが)のために尽力した人たちの紹介がのっている。ひとりひとりの人生にスポットが当たっているというのが、なかなか素敵な趣なのだ。ご一読をお勧めします。





No.5

爺川柳

 金太
08/7/18

爺川柳0807

 おかしいぞ 廃止法案 ドブに捨て

 国会で 話せない事は 赤坂で

 赤坂で つかったお金も 税金よ

 審議拒否 官房の金庫が また開く

 タクシーと 赤坂の支払 けた違い

 番人が またまた侵す 21条(注 集会・結社・表現の自由、通信の秘密)

ー都々逸ー

 乗せておくれよ 居酒屋タクシー
   わたしばかりが 処罰され

 使い捨てだよ 非正規職員
   キャノン・トヨタ 肥え太る

ーおっぺけ節(後期高齢者医療制度の会期末の巻)ー
   注)おっぺけ節は川上音二郎がはやらした五七調の政治風刺です。明治政府を辛辣にこきおろしています。

 オッペケペッポ ペッポッポ
   オッペケペッポ ペッポッポ
    老人の 怒りに押されて 民主党 しぶしぶ廃止に
     のったけど もとからその気が ないからよ
      審議拒否して 宙に浮く
   オッペケペッポ ペッポッポ
   オッペケペッポ ペッポッポ

爺川柳0808

ー狂歌ー

 温暖化 待ったなしダヨ G8(爺エイト失礼婆も一人)
    金持ちクラブ  にゃ打つ手なし

ーおっぺけ節ー

 オッペケペッポ ペッポッポ
   ホットケペッポ ピッポッポ
    原油高 食糧危機に 温暖化
     投機マネーも  野放しに
      企業の儲けが  第一よ
        庶民のくらしは  ほっとけよ
   ホットケペッポ ペッポッポ
   ホットケペッポ ピッポッポ

  貧困の 行く着く先は 戦場だ
     戦争の 民営化を狙う 国防省
     「多重債務は 返せます」
       うまい話にゃ  刺(とげ)がある
   クワバラペッポ ペッポッポ
   ワルイヤツダヨ ペッポッポ
(ルポ・貧困大国アメリカ=堤未果著を読んで‥)

ー川柳三題ー

 アブラ出せ 次は血を出せ 国防省

 親分の 仰せ(おおせ)のとおり いたしやす

 自公民 力を合わせて 恒久法

 正義の味方より 
    おっとどっこい 選挙で仕返す 待っていろ

 お後がよろしいようで・・・・・・・・・・・・金太 





No.4

高遠さんの講演会

 りっちゃん
08/7/18

公民館で9条の会・小平のニュースをゲット。あれ?、うちにはまだ来ていないよ・・・それはさておいて、あまり間がないけれど、イラクでの民間人道支援を続けている高遠菜穂子さんの講演会が開かれるそうだ。イラクの現状がどうなっているか、聞きに行かなくては・・・

日 時: 7月21日(月・祝) 18:30〜
  会 場: 小平中央公民館 ホール

  参加費: 高遠さんの活動支援として500円
  主 催: 小平革新懇
  高遠さんからのメッセージ: (略)私にはお伝えしたい事があります。それは、報道の見えない壁の向こうにある“最も危険な国”イラク、そのイラクにどのようにして支援をしているのかということの二つです。私は自分自身が見続けてきた「イラクの真実」をもっていきます。また、危険な現場への人道支援は、武装するべきだという見方が広まるなか、わたしたち民間支援のイラクでの広がりをお伝えしたいと思います。善悪の判断ではなく、ひとりひとりが今何をすべきかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。


今一つの講演会も転載します。

ーあなたは戦争の真実を知るー
  アレン・ネルソンさんと語ろう!

日 時: 7月26日(土) 13:30〜(開場13:00)
  会 場: 学芸大学 芸術館

  参加費: 前売 500円 当日 700円 (高校生以下無料)
  アレン・ネルソンさんプロフィール: ニューヨーク、ブロックリン生まれ。高校中退、海兵隊入隊。ヴェトナム戦争に従軍。除隊後、戦争後遺症に苦しむ。現在、アメリカや日本で講演活動を行い、戦争の現実を訴え続けている。
  主 催: アレン・ネルソンさんと語ろう!実行委員会





No.3

パリ・ロンドン放浪記

 りっちゃん
08/7/17

著者はジョージ・オーウェル。ノンフィクション全集の「カタロニア賛歌」、「動物牧場」、「1984年」も書いている。単行本としては最初の本らしい。この英語版を高校の授業で受けた記憶がある。たった一箇所「サロンで眠るもの、男27人、女16人。この女たちの中で、今朝顔を洗ったものは一人もいない。男はたいていバスルームへ行ったが、女は化粧ケースを出して、汚れた顔に白粉を塗るだけ。問、これも二次的性差か」という部分のみ。著者の観察力に感心もし、へぇ、女ってそうなのかなぁとも。ちなみに、塗りたくる女性には、私自身も、同級生のほとんどもなっていないと思うが・・・女らしくない?んー、それはとらえ方の違いだな。

パリ・ロンドンでの貧乏生活のルポルタージュ。私も風呂なしアパート生活だったし、今も無収入だから、身につまされる話でもある。質屋にいったことはあるが余りに馬鹿馬鹿しい値段だったのでやめた経験もある。オーウェルたちはそれでも質に入れたのだから、余裕がなかったのね。餓死寸前?だが、学歴もあり、借金を申し込める友人もいたのだから、湯浅さんのいう“溜め”はあった。ロンドンでの収容所でも職業をジャーナリストと言ったら、新しいタオルだったりと優遇されることもあった。だから、本物の浮浪者とはちょっと違うかな。本を書くためと言うよりも、自分らしく生きるための選択として親を頼らず、貧乏生活をしたのだと思う。

「一日6フランというのが、いかに危なっかしいかがわかってくる。ちょっとした災難一つで、食費が飛んでしまうのだ。最後の80サンチームをはたいてミルクを半リットル買い、アルコール・ランプで沸かしていると、沸いてきたところで南京虫が二の腕を這ってくる。爪の先でそれをはじくと、南京虫がポチャン! ミルクの真ん中にまっすぐ落ちる。ミルクは捨てて、あとは空き腹を抱えている他はない。」
  南京虫がどんなものかは知りませんが、私だったら南京虫だけ取って飲んじゃうと思うけどなぁ。そこら辺がまだまだ「お坊ちゃん」かしら? わたしのじいちゃんは蟻つきの無花果を食べちゃって、わたしがそれを指摘したら「良質のたんぱく質」と言ったか、「人間には免疫力がある」と言ったか、なんか偉そうなこと言って平然としていたよ。栄養失調の人は免疫力も低下しているだろうから、衛生な方がいいのだろうけれど・・・

「貧乏のどん底に近づくと、あることを発見して、あとはたいていどうでもよくなってしまうからである。退屈で、けちなやりくりに追われるうちに、飢えがせまってはくるものの、貧乏には同時に大きな救いがあること発見するのだ。将来というものが、消えてしまうのである。金がないほど心配も少ないというのは、確かにある程度まで真理である。百フランでも持っていれば、気が狂いそうなほど心配になるだろう。だが、たった3フランしかないとなれば、話はまるで違う。3フランあれば翌日までは食える。そしてその先のことは考えられない。退屈ではあっても、怖いことはない。「あしたは餓死するだろうなあ――えらいことだな」とぼんやり考えはする。だがそれっきり、また別のことで気がまぎれてしまうのだ。マーガリンつきのパンという食事は、それ自体である程度の鎮静剤にもなるものだ。
  このほかにも、貧乏な時大きな慰めになる感情がある。どん底に落ちたことがある人なら、誰でも経験していることだろう。それは、自分がついにほんとうにどん底に落ちたと悟った開放感というか、喜びと言ってもいいほどの感情である。零落するという話は始終していたわけだけれども――ついに、いよいよ零落してまさにどん底まで落ちたというのに、それに耐えられるのだ。そう思うと、不安はあらかた消えてしまう。」

とすると、自殺する日本人はまだどん底にまで行っていないのかもしれない。だから恐怖や不安を感じてしまうのかも。原因は貧乏そのものよりも、鬱病が多いそうだ。「07年の全国の自殺者は3万3093人で、10年連続で3万人を超えたことが分かった。60歳以上と30歳代の自殺者は過去最多。また東京や大阪など都市部で増加し、うつ病が原因・動機で最も多かった」(おんな組いのち100文字通信)。いじめ、パワハラの多発地帯日本。自己の尊厳を傷つけられることが多い。場を多く持っていると自殺までは行かないのだけれど、多くの男性は、職場しかなかったりして・・・そうすると弱いよね。退職して2,3年で病死する人もなぜか多かったりして・・・

パリとロンドンとの違いもまた面白い。出だしの「パリ、コックドール街、午前7時。街路からのあえぐような罵声の連続。」貧乏でも陽気で市民参加型社会、にぎやかな様子が描かれている。彼がいよいよという時に思い出した親友(?)ロシア人のポリスも、彼とともに働いたホテルの厨房もやけににぎやかだ。
  「ラッシュ時には全従業員が悪魔のように猛りたち、罵倒するのである。その時間にホテルで使われる言葉といったら、ほとんど「クソッ」という一語だけである。パン焼き部門にいる16の女の子が口にする罵倒の言葉など、タクシーの運転手も顔負けだった(確かハムレットは「皿洗いのように罵倒する」と言っていたはずだが。シェイクスピアは明らかに皿洗いが働いている現場を見たことがある)。」
  シェイクスピアも面白いけれど、それは、オーウェル同様、世間や人間に対する観察力が優れているからかもね。なるほど。そして、「皿洗いは現代世界の奴隷の一つだ。・・・手には職もない。給料はやっと生きていけるだけのもの。唯一の休暇は、首になった時だけである。結婚とは縁がなく、結婚したとしても、妻も働かなければならないのだ。幸運に恵まれない限り、刑務所に入るのは別として、他にこの生活から逃れる道はない。」まさにワーキングプア。今もおんなじ。「それは彼らが怠け者だからだ、とはいえない。怠け者では、皿洗いは務まらないのだ。彼らは単に、思考を不可能にしてしまう単純なくりかえしの生活に捕まっただけなのである。」資本家や知識人は、「貧乏人に少しでも自由を与えたら、自分たちの自由が脅かされるのではないかと思うから・・・現状維持を選ぶ」と批判している。

パリにくらべ、ロンドンは陰気。同じ島国、日本も近いかな。「女の態度が男の衣装しだいでどんなに変わるものかにも、はじめて気がついた。お粗末な服装の男がそばを通ると、まるで猫の死骸でも見たように、露骨に嫌な顔でぶるっと身をかわす。」お上品だけれど、しっかりと人を傷つけるまなざしと態度。

大道絵師ボゾ。「彼の未来はあきらかに、物乞いになって救貧院で死ぬことだけだった。  こんな悲惨な人生でも、彼は恐れても後悔してもいず、恥ずかしいとも思わなければ、自分を哀れと思ってもいなかった。自分の境遇を直視して、自分なりの哲学をつくりあげていたのである。」「頭脳は無傷で活発だった彼は、どんなことがあっても貧乏に屈しなかった。来ているものはボロで寒かったとしても、いや餓死しかけてさえいても、本を読み、考え、流星を観察することができるのなら、彼自身が言ったとおり、その心は自由だったのである。」

宿と食事を提供する収容所〈スパイク>は、法律によって、とどまることができない。ので、みんな次ぎのスパイクへと歩いていかねばならない。文字通り浮浪者にならざるをえない。「化け物のような浮浪者像」、働くのが嫌、物乞いが楽、犯罪のチャンスを狙っている、放浪が好きなどと「途方もない理由を持ち出したりする」。「法律のせいで仕方なく放浪生活を送っている」のだから、法律を変えればいいのですよ。オーウェルは、<スパイク>で農園や菜園の仕事に従事させ、自給自足にすれば、税金も彼らのエネルギーも無駄にならないと提案している。日本だって、ホームレスを公園から追い立てることよりも、彼らを生かすことを考えればいいのにねぇ。

こんな悲惨な生活の中でも、歌があったということ。苦しい生活の中でも楽しむことは不可能ではない。それが人間。そして、残念なことに、浮浪者の中にも、蔑視があること。「俺たちはあいつらとは違う」。自尊心を守るために必要なのかもしれないけれど、人間っていつでも自分よりも一等下の人間を必要としているのかもしれない、そう思うと元気がなくなる。ひとりひとりの違いを認めることと、蔑視は別。貧乏生活が不幸なのではなくて、蔑視することによってのみ自分の自尊心が保てないという生活が不幸なのではないかなぁ。ウーン、私の風呂なしアパートの生活で、銭湯での背中の流しっこは最高に幸せだった。仕事でもゴミの餞別の時がいちばん充実感があった。拾ったジグゾーパズルをみんなで、昼休みに少しずつやって、完成した時の達成感。ああいう共同作業は、保育園でも、リフォーム会社でもなかった。人間関係の良し悪しの方が大事。貧困とは、貧乏+人間関係が損なわれた状態。お金があっても心の貧困があれば、不幸なんだろうなぁ。





No.2

平和のための戦争展・小平

 りっちゃん
08/7/11

ということで宣伝です。主催者ではないけれど、父母の遺品を整理して出てきた物を展示していただきます。
 “OPEND BY MIL. CEN.-CIVIL MAIL”というテープが張られた封筒・・・
閉ざされた言語空間を参照してね。
  衣料切符・・・結構残っているって事は、すでに、品不足になっていったってことだと思う。
  戦災焼失区域表示の昭和21年9月発行の東京都35区区分地図帖・・・市谷の陸軍省は残っているけれど、その周りはほとんど焼失。これを見ても、軍隊とは住民や国民を守ってはくれないことが歴然。
  以上3点は去年も展示してもらった。今年はそれに加えて、本を七冊と、「暁の真珠湾」を出そうかなぁと。「戦争体験を聞いて」の岩井さんの発言で時代の“空気”というのがあったのだけれど、父もその“空気”のまっただなかで青春時代を送っていたのです。普段はとっても物静かで、わたしの知っているかぎり軍国青年のイメージとはまったく違う人だったのですが、長唄を趣味として、身体も弱くて、その当時の“空気”の中では、それがコンプレックスとなり、勇壮な曲を作っちゃったようです。作詞は、祖母。父が作曲したことがあるとは聞いていたけれど、やっぱり、題名が恥ずかしかったのかなぁ。昨年、整理して譜を発見するまでは、こんな曲だったとはちっとも知りませんでした。“空気”にはくれぐれもご用心。新鮮な風を起こしたいですねぇ。

〜戦争のない世界をめざして〜
  日時 : 7月24日(木)〜27日(日)
        午前10時〜午後7時(最終日は、午後6時まで)
  場所 : 小平市中央公民館一階ギャラリー

 



No.1

ウリハッキョ

 りっちゃん
08/7/8

7月6日、小平中央公民館にて「ウリハッキョ」の上映会が開かれました。

私は以前府中市でも見たので、受付係を担当。また、会場が寒すぎて、身体を暖めるため抜けちゃったりしましたが、在日の人たちが、いかに自分たちの学校を愛し、守っているか。子どもたちがどんなにいきいきと学校の生活を楽しみ、それを先生や保護者の人たちがいかに支えているか。そして、日本の一部の心ない人たちの言動がとても恥ずかしく思える映画でした。

映画終了後は交流会。映画に出てきた、笑顔の素敵な、現朝鮮大学生との質疑応答の時間がありました。

「朝鮮学校を選んだ理由は?」「当時は6歳でしたから、親に言われたというか・・・ごく自然にという感じでしょうか」。

「いじめとか差別は受けませんでしたか?」「情報としては聞いていますが、僕自身は直接受けたことはありません」。

「運動会の演目など、子どもたちが自主的に選んでいるようでしたが、先生からこれは駄目とか権力的に変えられたりはしませんでいしたか?」「権力的というのとは違いますが、これは駄目というのは結構ありました。みんなで協力し合うというか、みんなでひとつになるということを大事にするというのがありましたから、でも、話し合いを充分にして、自分たちも納得してであって、無理やりとかいうのはありませんでした」。

「生徒がとても楽しんでいるように見受けられましたが、映画とは作られたもの。本当にこんなふうだったのでしょうか?」「そうですね。こんなふうでした。キン・ミョンジョン監督は、僕たちと一緒に密着して、お兄さんみたいな感じで・・・」。

「先生との関係もとても和やかに見受けられましたが・・・先生が管理するという面はありませんでしたか?」「ええ、先生というよりも、相談できるお兄さんというか、信頼できる人という感じでした」。

日本の公教育で失われたものが、「ウリハッキョ」で見えてくる。先生との信頼関係。保護者同士の関係と先生との関係。何よりも子どもたちの成長と笑顔。それだけでも感動ものだ。バッシングのムードに流されて、日頃のうっぷんを晴らす「何人か生徒を殺しに行くから」という脅しの声の“幼さ”に、日本の病みが見えてもくる。

「質問というよりも希望なのですが、日本の公教育ではなく、民族教育の受けられる朝鮮学校に通うということは、今まではともすると閉鎖的だったというか、これからはもっと他の学校との交流にも力を入れていただきたいのですが・・・」「そういう面があったかもしれません。朝鮮大学は、津田塾とも交流をしていますし、朝鮮学校から他の大学にいった人を通じて、そこの大学との交流とかもしてます」。

「自分の民族に自信が持てれば、他の民族もちゃんと認めることが出来るですよね」なんてことも、会員でありながら、ちょいとおしゃべりしすぎちゃったのですが、日本は自分の民族に自信がないからいじわるをするのかなぁ。言葉掛けだけで民族教育をちっとも大事にしていないのは日本なんだった。もう一ついい忘れ、監督が修学旅行についていくことも、港での見送りも出来なかったんだよねぇ。韓国籍だからって。分断の悲劇だねぇ。悲劇は早く終わりにしようよ。

最後に「感動された方はぜひ、自分のお隣さんに伝えてください」って。いろいろ重なって、個人的には宣伝不足だったと反省。まったく、報告よりも宣伝すべきだったんだよねぇ。この映画は、子どもを持つ親世代に見て欲しかったなぁ。日本の公教育では、やらせの映画を作っても、こんないきいきした子どもたちの姿は見られないだろうと思う。

「タリの会」代表の平野さんからは「交流会も中身が濃くてしかも暖かい雰囲気で次につなげられる会になったと思います」とのご苦労さんメールをいただいた。反省点は次回にいかそう。それにしても府中もそうだったけれど、寒いのが苦手な私、「どうしてウリハッキョの上映会は寒いの? 心は感動で熱くなっているのに・・・」





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りっちゃんちはです。