06年その1版井戸端会議風伝言板

9.11の衆院選以来、まあ元気の出ないこと。私も、パソコンも、調子が悪くて・・・それでも書きつづけます。この努力が平和につながることを祈って・・・みんなぁ、ハーメルンの笛吹きにもう踊らされないでねぇ。

No.19

わかってないねぇ

りっちゃん
06/6/28

朝日新聞の世論調査によると、自衛隊イラク派遣が日本にとって「よかった」と言う人が49%もいるんだって。

その理由、イラクの復興に協力できたが46%、
 国際社会で日本の存在感を示せたが30%、
 米との同盟関係にプラスになったが14%、
 自衛隊の海外活動の実績になったが9%。

やれやれ、バクダットバーニングのサイトを見て御覧なさい。

「大量破壊兵器」というウソで勝手にアメリカが始めた戦争は、アメリカの操り人形たる現政府も収拾つかずに、勢力争いとアメリカのご機嫌取りのお疲れで夏期休暇をとるとかで、「ザルカウィー」だっけ、とにかく、アルカイダ同様アメリカが作り上げた殺戮者が殺されたって、よその国が押しかけている間は、まだまだ抵抗するという名の殺戮者は次々現れて、復興どころじゃないってよ。

勝手な自己満足はやめてイラクの状況をもっとちゃんと見てほしいなぁ。国際社会において、もともと日露戦争の勝利(褒められたもんではないとは思うけれど・・・)、広島・長崎、平和憲法、戦後の復興とで、それなりに尊敬されていたものが、イラク派遣で、どれだけ評判を落としてしまったのか、それもわかってないんだねぇ。

自衛隊も苦労したと思うよ。ブッシュのポチであることをしっかり表明してしまったから、どれだけ苦労しても、イラクの人たちにはさほど感謝されなかったろうしね。それに、日本で宣伝されたのとは大違いで、水はさほど必要ではなかったらしい。基地に閉じこもってやられないように、やらないように、精神的に大変だったのでは・・・劣化ウラン弾の影響を受けた隊員もいたとか言われているしね・・・最後まで無事にと祈っているけれど、撤退時こそ危険という認識を持っている自衛隊と違って日本政府はのんきなんだろうなぁ。ホント、行った人が一番苦労です。

ということで、理由としてうなずけるのは、米との同盟関係にプラスになったのみですな。しかも、野中広務さんが言っていたように、普通の”独立国”ならありえない、首都圏に米軍の指令基地がおかれ、横田基地でも自衛隊は米軍の傘下になる見込み。お引越し費用も、多額の借金を抱えて、日本の経済が破綻するのもあとわずかといわれているのに、負担してあげるといっているし・・・

個人がブッシュのぽちと言うなら、勝手にせい!!だけれど、国がよその国のポチに成り下がるのは、止めてほしいよ。“異常なる同盟”と気づかない人たちが、いる。それも49%、というのが一番情けないかな。

やれやれです。

No.18





さらば小泉-グッバイ ゾンビーズ

りっちゃん
06/6/18

冒頭にまず笑えます。本物の小泉はこんなに長く喋れないし、自分を客観視もできないだろうけれど、9月に辞める(?)時のご挨拶。いつも本音をポロポロ漏らしている小泉語をまとめれば、「そのとおり!!」です。改革なんてなんだかわからないけれど、アメリカの言うとおりにやるのはできた・・・とかね。

著者、古歩道ベンジャミンさんは、本気で憂えています。今の日本は「泥棒国家」。犯人は「政・官・業・ヤクザ」。“そのおそろしい冗談は、経済危機の中で駆け巡っている。「アルゼンチンと日本の間の違いは何か? 5年」”がもうあと1年に迫ったと・・・普通の日本人が非常につらい目にあうんだと・・・ナチのゲッペルスの言葉「私はドイツ国民に同情しない。国民が自分のほうからわれわれに委託したのだ。・・・つまりは自業自得だ」を載せ、日本人が目を覚ますことを強く望んでいます。「私が信じたユートピアの国が、これ以上壊れていくのを私は見たくない。東洋文明が西洋文明の補完文明ではなく、21世紀の人類に必要な文明だということを、日本人はプライドと大志を持って、世界に知らしめてほしい。日本には現在の閉塞状況から脱出できないとあきらめる理由は一つもない」。現状の日本をよく理解しているのに、日本に帰化しようとしている古歩道さん、なんか感動しちゃうなぁ。

「環境報告」では、税金を浪費するのが目的の土木工事という指摘がされていました。業はやはり建設業ですかねぇ。ヤクザさんとの関係も近いですし・・・借金は、2000兆円以上のようですよ。7月からタバコも値上がりだけれど、貧乏人から税金集めたって、追いつきはしない。ますます経済が混乱していくだろうなぁ。で、最後にIMFの登場となり、私たち日本人はアルゼンチンタンゴを踊らされるという予測がたつと言うか、政府も官僚もどうもお手上げの状況らしい。

IMFの日本改革案「ネバタ・レポート」は
@ 公務員の総数及び給料の30%カット。ボーナスはすべてカット。
A 公務員の退職金は100%すべてカット。
B 年金は一律30%カット。
C 国債の利払いは5〜10年間停止。
D 消費税を15%引き上げて20%へ。
E 課税最低限を年収100万円まで引き下げ。
F 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債権・社債については5〜15%の課税。株式は取得金額の1%を課税。
G 預金は一律、ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30〜40%カットする。
なそうな。みんな知っているのかなぁ。

古歩道さんの提案はまず、「真実追求委員会で[リアル・ジャパン]を明らかにせよ」。大恐慌の教訓を生かすためにつくられたペコラ委員会のようなものとのことだけど、資本主義経済そのものがそろそろ行き詰ってんじゃないかと感じる私としては、どうかなぁ?という気もするけれど、修正できるものなら、どんどんやって!!でもあります。バブルで儲けたのは誰?どうしたって利息ゼロはおかしい。真実追求委員会は是非実現してほしい。

他にも少子化対策には、移民受け入れしか無いとか、いろいろ提案されてます。どれも「うんうん」ではあります。私のように単なる「おばちゃん」の対策としては、まず自分が元気でいられるように、ニコニコできるように努力。余裕があれば周囲にも広げていく。まずは「生きているって楽しいよね!!」の雰囲気作りとでもいいましょうか。少子化対策も、フランス風に「子どもっていいよね!!」の雰囲気作りに励みましょう。子どもを見かけたらニコニコ。元気もらえちゃうからね。ま、それくらいしかできなってことでもある。ちょっと情けないかな。

歌の方でも「心を込めて歌う」これってとっても大事。それが私の原点。古歩道さんの本もなかなかだけど、そのあとに読んだ文珍の「落語的笑いのすすめ」も良かったよ。慶応での講義をまとめたものだけれど、発想を変えることが笑いにもなるし、生きるうえの知恵ともなるそうな。私もくそ真面目なところがあるから、参考になりました。あとがきに「効率的な受験戦争のための勉強にはなれているものの、人間としてのぬくもりや、知識、深い思慮などが少し、足りない。効率性を重んじたがゆえに失った部分がある。つまり本来の教育の基本たるリベラルアーツの部分が満たされないままにここまでなっちゃったという学生君が多い」とありました。私たちの生活そのものにもいえますね。心を大事にする社会に変えて生きましょうかね。

古歩道さんの提案もいいけれど、私の提案にも賛成してくれると思う。だって彼の好きだった日本は、「昔の東京には、まだ下町がいくつも存在し、そこには路地があり、その路地を入っていくと日本人の生の日常生活に直接触れることができた。そういう街には、商店街があり、小さなアパートがあり、また、街工場があった。そして、人々は気軽に言葉を交わし、みなほとんど同じ暮らしをしていた」。「痛み」「痛み」の時代の到来にこそ、人情なり、協力なり、知恵でのりきらなくっちゃ。





No.17

壊れる男たちーセクハラはなぜ繰り返されるのかー

りっちゃん
06/5/20

著者は金子雅臣氏。長年、都の労働相談をなさっていたそうです。セクハラの被害者の相談を受け、双方の言い分を聞き合意点を見出し、解決する「あっせん」だそうです。

「そうした相談に接していると、まさに「男たちは壊れ始めているのではないかという感じがする。セクハラ事件を起こした加害者たちは、一体何を考えているのだろうか。自らのことなのに、なぜ自覚できないのだろうか――こうした加害者意識の無い加害者たちの意識を“男性問題”として俎上に挙げない限り問題の本質は見えてこないだろう。」

ストーカーでも、ドメスティックバイオレンスでも、加害者の方が変わらなければ、問題の解決にはならない。当然、男が加害者であれば男性問題なのです。この本をくれたのが男性だというのは心強いですねぇ。感想は「ワンパターンの言い訳にうんざり!!」同感です。

加害者はまず、訴えられるほど相手の女性が傷ついたり、怒りを感じているということがわからない。相談員に説明を受けたあとでも、「その程度のこと」「目をかけてやったのに」「被害者意識が強い女」「派遣は水商売のような客あしらいが上手にできる人たち」「触れなば落ちんの風情」「いやよいやよも好きなうち」。まったく、同じ仕事場の女性に対してこんなふうに捉えているのかと思うとげっそり。

げっそりしたい人、あほな男の見本を見たい方は是非お読みください。

セクハラ男性の特徴は4点。@公私混同。女性側が「仕事の話があるからと誘われたので断れなかった」と言っているのに、加害者は「さぁ、そんなふうに言ったわけでも・・・」と実にあいまい。仕事がらみ、時には「正社員にしてやる」や「いくらでも代わりはいる」の脅しもあるため、女性側はなんとか穏便にとお断りを伝えているのに、加害者は「彼女が望んでいることは雰囲気でわかった」。A自分勝手な妄想。「他者への共感能力の欠如」。そして、訴えられたことに対して反省するどころか、相手の女性の悪口を連発。(盗人猛々しい)B女性への攻撃性。そして、最後にC逃げる。まぁ、専務やら弁護士が代わりにご苦労さんです。自分で責任取れよ!!

素敵なレストランで個人的なおごりかと思っていたら、領収書を財布に入れたのを見てがっかりという経験を女性ならお持ちでは無いかと・・・私が言いたいのは、ひょっとして、セクハラ男性の特徴って、日本人の男性のほとんどがそうじゃぁないか?ってこと。少子化の前に、相手のことを思いやるとか、人間関係、特に異性とのコミュニケーションをならう必要があるかもです。

政治家や官僚もそうだよねぇ。日本の借金、あれだけの金額、どうやってこさえたのさ。公私混同が一杯あるねぇ。きっと。それに公務員の天下りとかも。「愛国心」を持ち出すって言うのも、セクハラっぽい。「靖国問題」も他国との関係を視野に入れない、勝手な主張が多すぎ。自分勝手な妄想が相当入っているんじゃないかなぁ?女性へのバッシングは石原氏の得意。「改革」なんて叫ぶのも、自分の失敗を棚に上げるためによそへ転嫁目的の攻撃だったよね。そして無責任。逃げる。政治家や官僚はこの4点、しっかりお持ちですわぁ。権力者ほど危ないねぇ。

本に戻ると、「セクハラの背景には、男性側には言い訳を考える必要もなく放埓な性が許容されてきた環境があった。男達の行動はすべて仕方がないものとして棚上げにされ、自分の責任については考えなくともいい状況であったとも言える。こうしたことを大前提にしたうえで、「その気にさせた女が悪い」「隙を見せた女の責任」「女にもいろいろと問題があった」で済まされてきたのである。したがって、セクハラが社会的な問題となり、あらためてその性的な衝動の理由を問いただされることになった今、男たちは驚き慌てふためいている。というよりも男たちはそのあまりにも自明な(と思われてきた)ことに突然説明を求められて戸惑っている。」

ジェンダーバイヤスフリー。長ったらしいね。ゆがんだ性差とでも言うのかな。それに捕らわれないで生きましょう!!という呼びかけなんだけど、セクハラ男性は、ゆがみきってますなぁ。下駄を履かせてもらっていた時代には、権力をかさに来て、知らん振りできたのに、今は呼び出されて、言い訳をしなくてはならない。仕事場でもリストラ大流行りだから、あっさり首になったり、お連れ合いさんにばれて離婚されたり、まぁ、散々でお気の毒。でも、その前に被害者はもっと大変だったんだから、自業自得よ。

「ここに来て男達の価値が急速に下落しているように見えるのは、単に男性優遇処置の有効期限が切れ、正当な価値評価がはじまったに過ぎないのだ。」「“男は黙って・・・”などというのは、男に相応の実録と権威があればの話で、周囲が男性中心主義を認め、忖度してくれていたから成り立っていた理想の男の姿であった。実力や権威という下駄がなくなってしまえば、それは自己主張のできないただのネクラ男でしかなくなる」。というか、下手に権威なんぞない男の人の方が私は好感をもてるけれどなぁ。自然が一番だよ。ゆがんでいるのに気づかないで一方的なコミュニケーションしか取れないとこうなる。という話。

「しかし、もう一方で気になるのは、すでに触れてきたように自らの抱え込んだ喪失感を他者に転嫁して強引に埋め合わせを求めたり、または弱者に怒りを向けたりすることで、自らの崩壊を食い止めようとする動きである。 ありのままの自分に向き合うことが自己崩壊を招きかねないことを無意識に感じている男たちは、本能的にそれを必死に回避しようとしている。その自己崩壊を食い止めることに伴う苦痛から逃れるため、「溺れる者は藁をもつかむ」とばかりにあがき始めているのだ。 その行動のやっかいさは、自らの閉塞感を埋めようとするあまりに、他人の犠牲をいとわないという点にある。彼らが自らの崩壊から目をそむけ、一時的な快楽に逃避を試みるとき、他人へ苦痛を転嫁しているという行為の卑劣さについては、何の自覚も持たすに行っていることが多い。 また、こうしたことに何の躊躇もためらいもなく走ることができるのは、これまでの男性優位の視線を引きずったまま、その延長で起こされるからである。もはやボロボロになってしまっている自分の立場にしがみつき、それでもその地位を利用し、社会的弱者である女性へ怒りを転嫁する。 まさにこうしたあがきや自分への苛立ちが、最近の自己本位な性犯罪の多発化や、社会的に地位や立場を忘れた痴漢行為やセクハラへの暴走、逸脱のスプリングボードとなっているとは言えないだろうか。」

一見、関係ないようだけれど、人質三人に対するバッシングも、子どもが被害者の殺人事件もみんな同じ根っこから来ている。弱者をいたわる気持ちとか、他人を非難する前に「人の振り見て我が振りなおせ」、格差社会になれば、ますます心に余裕がなくなるけれど、人間として優しさを失わずに生きていく事が大事なんじゃないかな。男性のみなさん、まず自分にとって大事な人に甘えすぎたり、自分勝手に決め付けず、コミュニケーションをとって、仲良くしてくださいな。下駄ではなく素足でのお付き合い。いいもんだよ。





No.16

フォットジャーナリスト郡山総一郎さん講演会報告

りっちゃん
06/5/14

はるばる行ってきました、キララホール。フォットジャーナリストというより、あの人質三人組の一人。あのバッシングは衝撃的だったなぁ。日本人が変わってしまった。“こんなにも人が悪くなってしまったのか!!”。郡山さんや開催者の意図とは違うかもしれないけれど、野次馬根性もある私はその話が聞けるかも、と出かけました。(そのあと、仕事仲間の親睦会にも出席。今日は滅茶体調悪し。どっちも私にとっては大事なことだから・・・)

戦争や紛争、貧困の国の人々や子ども達の写真を写しながらのお話でした。胸が痛いというよりも、唖然!!というのでしょうか。「子どもを食う世界」を証明する写真が続々。絨毯工場では1歳台の子どもが・・・レンガでも絨毯でも、この子達の親は買えません。自分たちのためのものではないものを作らされている。だれが買うんでしょう。幼児売春では9歳台の子どもが・・・その売春宿でその子達を買春する側の8割は日本人だそうです。戦争や紛争、地雷、自然環境の劣化などのために土地を手放し路上生活をしている子どもたち。アフガンでは、そんな子ども達の誘拐があるそうです。もちろん身代金目的ではありません。臓器が目的なのだそうです。アメリカの空爆後からだそうです。どこへ輸出?されているのでしょう。臓器移植の盛んな国、アメリカでしょうか。ここでも買うのは日本人?どの位のパーセントを占めているのでしょうか?

私もつい先日「戦後ずーと戦争を起こしていない国、日本が大好きです」と言いました。彼はその言葉が間違っていると言いました。「アフガンで今も行われている空爆のガソリンは日本の提供です。戦争に日本はすでに加担しているのです」、と。うっかりしていました。自衛隊のイラク派遣は目に付いても、東シナ海だっけ。自衛隊が米軍への石油の輸送を担っていましたっけね。そうか、あの代金もわれわれの税金だったか。

淡々としゃべるよう努力されたそうですが、終わりの頃にだいぶ怒っていらっしゃいました。いいなぁ。若いって。もう私は怒る元気もでなくなってきた。やれやれ。ほっとする写真もあった。彼も大好きなアイスクリーム。イスラム圏のおっさんたちも大好きで、アイスクリーム屋はオヤジで占拠されている。女性だらけの日本よりも買いやすくて良いそうだ。おっさんがおいしそうになめている。

期待したバッシングの話は出ませんでしたが、あの経験からでしょう。「警察は国民を守ってくれません。国家権力を守るためのものです」重みのある言葉ですね。「今のうちに言っておかないと、共謀罪の法律が成立したら、前科者になりますから」。

そう、私が遅れているのね。もう、すでに怖い世の中になってしまっている。だから、あんなバッシングも平気でできる人たちがいるのだ。やれやれ。

世界での格差を写真に撮っている人は日本の格差についても敏感。「日本も特別減税がなくなって、ますます格差がひどくなります。その結果、徴兵制の心配は要りません。なぜなら、貧乏人が(他に選択の余地がなくて)喜んで、志願するからです」。アメリカがいいお手本でしょうか。

911のテロがブッシュのヤラセ?(私同様英語が苦手な方は、薔薇、または陽だまりの猫をご参照ください)だとしても、私は驚かない。その後の推移を見れば、あれは国民の同意を得るために必要な一こまだった。そしてイラクで多数のアメリカ兵が亡くなっても、ブッシュにとっては痛くもなんとも無い。貧乏人の若者が犠牲になっても、自分たちの子どもたちではないからだ。同様に、この写真の子どもたちがどんな生活をしていようと知ったことではないのだろう。

それが資本主義の世の中だと言うならば、そんな社会は要らない。





No.15

「空気を助長する」講演会報告

金さん
06/5/3

福生市民九条の会は昨年末発足時につづき、第2回の学習会を開きました。講師には、福生市民九条の会の代表委員であり、中央大学文学部名誉教授奥田泰弘先生にお願いいたしました。 お話は先生のご専門である教育からみた戦後の曲がり角について、そのターニングポイントを解説されました。

奥田先生は、講義に先立ち参加者に問いかけがありました。それは高校の「格差」についてです。

@ 現在の高校に格差があると思いますか。
 A 高校には、格差があって「当然だ」か、「あってはいけない」か。
 B 高校(公立・普通科)は、「自由に選べた方がいい」か、「小・中学校と同じように選べない方がいい」か。

先生は、大学の授業でも同じような質問をしているそうですが、なかなか興味ある結果についてお話していただきました。

講義はご自身の戦前の体験から当時の軍国主義教育と社会の風潮を資料をもとに詳しく話されました。

次いで1953年の「池田・ロバートソン会談」はどんな約束をしたのか、アメリカ政府はなにを求めたのか、日本側はなにを約束したのか、資料に基づき講義が進みます。

この期を境に戦後の民主教育が大きく転換してゆきました。

1956年の参議院に大量の警察官を導入してまで押し通した教育委員会の任命制を始めとして、・教育臨時措置法・教職員の勤務評定・中教審答申・臨時教育審議会「第二次答申」…と反動化が進みます。

同時進行で社会的風潮は「日の丸・君が代のぞましい」文相発言(昭和25年)、大相撲千秋楽君が代演奏・NHK放送終了時・高校野球開会式に演奏(昭和27年)。東京オリンピック開催を期に君が代・日の丸論がさかんとなる。

教育委員会任命制の最大の狙いは、教職員組合の推薦委員の排除にありました。

リクルート事件で国会議員に立候補できなかった高石文部次官は、文部省の係長だった当時、岐阜県教職員課に乗り込み県内の校長を次々と脅しにかかりました。「君の学校は教職員組合員が多い」「なにしているのだ」と校長を勤務評定して「賃金格差」まですすめました。この功績が認められて、後に文部省教育課長→文部次官まで昇進しました。

学校教育では、教師を政府の意のままに操れる装置がつくられました。

都教組八王子支部の「生命が大切にされる教育を」、日の丸・君が代問題における東京都の教育以前の横暴な振る舞いなど紹介されました。  また、教育現場に差別と選別の導入では、7%のエリートと93%の従順な労働者を目指す(できるだけ早く諦めさせることが肝心!)。教育基本法からの逸脱。社会教育でも公民館運動の疎外化が陰湿にすすめられている。

マス・コミのうごきも、一連の反動化施策に乗り「戦争できる国」に操作を図る。

先生のイギリスでの経験から、14名で構成されるイギリスの学校協議会は構成する人たちのすべてがGovernorです。それほどの権限があります。

 中大のゼミで16人の学生にイラクへの自衛隊の派遣について聞いたところ、賛成が10人、反対が6人でした。賛成した学生たちは「オレはイカナイ組」だと思っている。 格差社会の政治が反映して、負け組みは「勉強に対し役に立たないもの」と認識している。進学する学生は、「入試にでない問題」は勉強しない。人間をつくる教育が置き去りにされている。それらの結果は大量の政治的無関心・無知層を生んでいる。

これらの実態を事実を持って告発する講義がつづきました。いま、私たちが歴史的経過を振り返り、いま問われている課題を変革することは現代に生きる私たちの責務であると痛感しました。そのためにも憲法改悪・教育基本法改悪を阻止するために全力をつくしたい。老骨に鞭を打ちつつ。

5月3日・憲法記念日によせて




資料1 「空気を助長する」―1953年・日本とアメリカの危険な約束― レジメ
―2006.4.23 福生市民九条の会講演会:奥田泰弘―

1、「だまされない人間になる」―教育活動、教育研究で目指したもの―

 ※父の三度目の出征―「わしも征くのか…」(1944年8月)
 ・13年半の最下層兵士の生活/・海は塩辛く、船酔いする/・少尉(21歳)の軍靴を銜えさせられた同年兵

 ※父との約束―江田島の海軍兵学校をめざす

 ※母の、毎夜の読み聞かせ―雑誌『海軍』:「神風特別攻撃隊敷島隊」ほか

2、「池田・ロバートソン会談議事録草案要旨」を読む

―1953年・日本とアメリカの危険な約束―

3、日本政府は、この約束を今も「忠実に」実行している。

 ※教育で―学校教育で
 ・まず教師を意のままに操る装置をつくる。
 ・差別と選別―7%のエリートと93%の従順な大衆―
できるだけ早く諦めさせることが肝心―

     ―社会教育で

※マス・コミで

その結果、日本の若者(実は、すでに親の世代も!)は今…

 ※大量の政治的無知・無関心層
  ・入試に出ない問題は勉強しない
   ・青年ユニオンの広がりは救い

 ※性は、万人に平等


資料2 池田・ロバートソン会談
日本側議事録草案要旨(1953・10・21)

この文書は議題の順序に従って今日までに得られた成果を要約し同時にまだ意見の一致を見ていない分野を明らかにするためのものである。

 (一)日本の防衛と米国の援助

(A)日本側代表団は充分な防衛努力を完全に実現する上で次の四つの制約があることを強調した。

 (イ)法律的制約  憲法第9条の規定のほか憲法改正手続きは非常に困難なものであり、たとえ国の指導者が憲法改正の措置をとることが良いと信じたとしても、予見しうる将来の改正は可能とはみえない。

 (ロ)政治的、社会的制約   これは憲法起草にあたって占領軍当局がとった政策に源を発する。占領8年に渡って、日本人はいかなることが起こっても武器をとるべきではないとの教育をもっとも強く受けたのは防衛の任にまずつかなければならない青少年であった。

 (ハ)経済的制約   国民所得に対する防衛費の比率あるいは国民一人あたりの防衛費負担額などによって他の国と比較することは、日本での生活水準がそれらの国のそれと似ている場合のみ意味がある。旧軍人や遺家族などの保護は防衛努力に先立って行われなければならなぬ問題であり、これはまだ糸口に着いたばかりであるのにもかかわらず、大きい費用を必要としている。また日本は自然の災害に侵されやすく今会計年度で災害によるその額はすでに15百億円に上っている。

 (ニ)実際的制約   教育の問題、共産主義の浸透の問題などから多数の青年を短期間に補完することは不可能であるかあるいは極めて危険である。

(B)会談当事者はこれらの制約を認めた上で、

 (イ)十分とまではいえないにしてもともかく日本で防衛力といったものを作るだけではなく、これを維持するためにも今後数年間にわたり相当額の軍事援助が必要であることに同意した。米国側は日本側が考えている数及びその前提は低きに失することを指摘し、またこれらのものは重大な困難なしに発展向上させ得ると信じると述べた。日本側代表団は米政府が考慮中の軍事援助の種類および金額を知りたいと希望している。また日本側代表は提示した計画の基本的前提を変えることなしに向上させ得る方法について示唆を受けることを歓迎する。

 (ロ)米政府は、米国駐留軍のための日本の支出額は、日本自身の防衛計画のための支出が増大するにつれて減少すべきものであることを認めかつ同意した。

 (ハ)会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育及び広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任を持つものである。

(C)しかし外国の援助もまたこのような空気の助長に役立つ。貧しいが自尊心の強い国民にとって外国からの援助のうちもっとも効果的なものは、寛大な友情が示されることである。(略)

(二)東南アジア貿易と賠償 (三)中共貿易 (四)ガりオアの処理 (五)外国資本の投資(借款を含む) (六)日本の国内政策(略)


そう、都立高も中高一貫とか、なんかいろいろ制度をいじっているねぇ。奥田先生のアンケートによると、格差はあってはならないが自由に選びたいという人が多かったらしい。私は、「格差」でなく「特色」なり、「個性」なり、「校風」なりであれば何も矛盾しないと思うけど・・・何せ高校の時に学校群についてケンケンガクガクやったもんね。で、学校群の狙いは、その「特色」をつぶすこと、そうしておいて、いまや堂々と「格差」をつけようとしている。何せ、親も先生も「レベル」とか「偏差値」しか目がいかなくなっているからね。

私の卒業した高校には、戦後「指導教官制」「モザイク制」という教育の自由があった。私たちの頃にはなくなっていた。うん、まさに奥田さんの説明された歴史通りかな。当時の先生方と、復員や疎開から帰ってきた生徒らで、都から予算を分捕り、手間隙かけて、教育の自由を実践されていた。私たちの頃は「校風が自由」でしかなかったが、それでも服装も授業中の門の出入りも自由だったし、「自由」をテーマに教育の自由が損なわれたのは、勤務評定からではないか?という発表を文化祭でする自由はあった。

自分の頭で考える、仲間と討論する、自分で判断する、責任を負う。これらができたことで、私はあの学校は大変いい学校だったと思っている。後輩たちもせめて私たちと同程度の「自由な校風」を味わって欲しいと願っている。

池田・ロバートソン会談はなかなか示唆するものがあるね。今も年次要望書でアメリカの言うとおりに動いているわが日本。やはり始めから「NO」を言うべきだったね。経済的には時代の違いを感じるね。貧しいがゆえに乳児の死亡率も高い米国。それに貢ぐ日本。でもそのお金は乳児には回らない。世界各国にちょっかいを出して紛争を起こす費用に使われている。もう、やめようよ。貢君から脱却しようよ。だれも感謝してくれないよ。

青年の補完、今日見た「日本国憲法」のビデオに中でも言われていたけれど、好戦国アメリカのポチとなってもめでたいことに少子化により、軍事大国になる可能性は低いって。

加藤さんが言っていたように官僚って頭いいねぇ。この頃から計画的に「空気を助長する教育制度改悪」をしていたんだねぇ。

法律的制約、うん、やはり9条が大事だということがよくわかったよ。たとえ国の指導者がブッシュのポチであろうと、9条さえあれば・・・だいぶボロボロではあっても平和のためには有効だということだね

特攻隊のことを考えたら、靖国神社のこと整理がついた気がする。私が靖国神社にお参りする時には「無駄死にだったね。若い人たちがこれからはもう無駄死にしないために」祈るんだと思う。誰かさんのは「感謝」だから、「鼓舞」との境目があいまいで危険なんだと思う。祖父が出征兵士に「死なずに帰って来い」と言ったように、私は、次世代の日本人に無駄死にして欲しくないし、人殺しもして欲しくないんだ。イラクでも、たくさんの人が無駄死にしている。もう、止めようよ。

結局、予想通り、ダウンして講演会にはいけなかった。金さん、まとめありがとう。助かりました。遠山の金さんのように、これからも庶民のためにいい知恵をたくさん出してください。今日は駅頭、ビデオ、ともに楽しかった。楽しい九条の会にして若者がもっと参加してくれますように。若い人たちへ「平和のことを考えてください」





No.14

「空気を助長する」1953・日本とアメリカの危険な約束

 福生市民九条の会
06/4/15

福生九条の会から憲法の学習講演会のお知らせが来ました。

2006年 4月23日(日) 午後1時半より

福生市さくら会館・三階大ホール 資料代200円

講師 中央大学名誉教授 奥田康弘

今からちょうど50年前の1956年6月2日、参議院は500名の警察官を導入して「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(新・教育委員会法)を強行採決した。それは、日本の国会史上空前絶後とも言うべき蛮行であった。

このことを覚えておられる人は極めて少なくなったが、その原因となったのがその三年前に行われた「池田。ロバートソン会談」にあるということを知る人はさらに少ない。

なぜ、そんな古い話を持ち出すのかと訝る方も多いだろう。しかし、このことを知らずには今の世相、特に若者たちの行動を理解することはできないのではないか、と考える。




教育がいびつになったのは、勤務評定からかと思っていたけれど、もっと歴史が古いのね。あ〜あ、そんな前から周到に、アメリカのポチ計画は始まっていたのねぇ。一億総懺悔ならぬ国民総ポチ計画かぁ。

聞いてみたいし、元ご近所の奥田さんにも会いたいけれど、体調がここのところ思わしくないのでどうかなぁ?ご近所の、特に若い人たち、聞きに集まってくださいね。ご自身のことのようですよ。





No.13

八百長政治・八百長ジャーナリズムの国

 あひるさん
06/4/13

子供の頃、今は映画にもなっている力道山のプロレスが大好きでした。悪辣な攻撃に血まで流して耐えていた力道山が、最後に空手チョップで反撃し、悪役の外人レスラーはあえなくノックアウトというのが大筋だった記憶があります。

子供達が余りに夢中になっているのを心配したのか、ある時横で見ていた父親が、残酷な情報を告げたのです。「これは八百長といって、あらすじが決まっているんだ。もしも本気で無制限に戦ったら無事ではすまないよ。見てご覧、興行の日にちが出ているだろう。これだけ頻繁に本気では戦えないだろう。」その時は、むきになって反論したのですが、成長するにつれ、次第に父親の言い分が本当らしく思えてきました。祖母もプロレスの熱烈なファンで、熱中するあまり、心臓がおかしくなるのだというのを聞いたような気もします。

熱中していたのが嘘のように、いつの日からか全くプロレスを見なくなりました。途中で紆余曲折があるにせよ、結論はだいたい予想がつくように思われるためです。今では、他の格闘技番組しか見ません。ついでに言えば、「水戸黄門」も、見なくなって久しい番組です。葵の御印籠を取り出す時刻がいつも同じ頃合いだったように覚えていますが。

プロレスは娯楽です。個人的趣味であり、あるいは八百長ではないと思っている方々もたくさんおられるのかもしれません。そういう方と八百長論議をする気力はありません。どういう意見があろうと、人それぞれ、好きに楽しめばよいのです。

テレビは寝転がって見ることができますが、あくまでも受動的な行動で、いくらテレビを見続けても世の中は変わりません。テレビを見ている人の頭が悪くなる可能性は極めて大きいとは思うのですが、体も運動不足で悪くなりそうです。韓国では、テレビのことをバカ箱というというのを、どこかで読んだ記憶があります。韓国の人は、ただ黙ってテレビを見ていたり、新聞を読んでいるわけではないようで、人々の行動の結果、政治まで変わってしまいました。

フランスでは、若者向けの恐ろしい雇用法が制定されたところ、大規模な学生、労働組合の行動という直接民主主義で、法律は骨抜きになってしまったようです。イタリアでも、僅差のようですが、今回の選挙で野党が勝ったという間接民主主義の素晴らしさが見られます。この政権交代、比例代表制だからおきたということのようで、小選挙区制で自民大勝になったゆがんだ日本と大きな違いです。

タイでも、蓄財のあざとさのあまり、権勢を誇ったタクシン首相が辞職を余儀なくされました。アメリカでさえブッシュ大統領の支持率は悲惨な状態になっているようです。一方、名護、厚木、岩国など深刻な基地問題があっても、沖縄から自分の都合で出てゆく宗主国の国営暴力団から法外な立ち退き料を吹きかけられても、平然と安眠をむさぼっている人々が大多数という不思議なこの状況。

民主党党首選のニュースを見ながら思い出したのが、実はプロレス番組です。

自由民主党の小泉首相は、イラク戦争で、日本はアメリカ第一番の忠犬であることを世界に明らかにしています。郵政改革という名前の、アメリカへの国富移管だけでなく、改憲も彼の夢のようです。昨年911には、小選挙区制のおかげで劇的な勝利を得ました。彼は、イラクの首相と同じ、首相の姿をしたあやつり人形、アメリカ大使館のウエブで堂々と発表されている「米国政府の年次改革要望書」を実行しているに過ぎません。台詞や仕草は、あるいはアメリカ系広告会社仕込みかもしれません。

けれども、民主党の小沢氏は、とっくの昔、湾岸戦争時、海部首相を背後であやつり、膨大な戦費を出し日本はアメリカ第一番の忠犬であることを世界に明らかにしています。「日本改造論」だかという本もだし、英語にも翻訳されたといいますが、事実は逆で、英語で書かれた本を日本語にしただけという説もあります。何より小沢氏、小泉首相と自民党の圧勝をもたらした小選挙区制を実現した英雄です。二人は、ご主人にとってどちらが良いポチか競うという本質的な行動の上ではうり二つ。違うのは外見だけではありませんか。

菅直人氏と小沢氏の選挙風景という画面がテレビに映り、わけのわからない記事が新聞に載ります。しかし、小沢氏が小選挙区導入をまずかったと言ったという事も、湾岸戦争で膨大な戦費を出したのを反省したという事も残念ながら聞いたことがありません。小選挙区制によって、或いは党を作っては壊し、本質的な野党を壊滅させた大恩人は小沢氏でしょう。八百長を八百長といわない嘘の記事だから、読んでいてわけが分からないのでしょう。

小泉首相と小沢氏の二人は双子のようなものです。民主党が論理的には野党だといっても、その実、政策も幹部の顔ぶれも、自民党とどこが違うのかと思うほど。日本のマスコミによると二つの党が競争しているのだそうですが、正確に言えば二つの派閥が競争しているとしか思えません。

つまり、自民党が二つにわかれて、プロレスと同じ、八百長試合をしているのです。属国ですから、宗主国の八百長政治、民主党、共和党二大政党というのと全く同じ構図。「党首論戦が始まった」と新聞やらネットの見出しにありますが、新聞・テレビ、皆揃ってスポーツ新聞になってしまったようです。民主の党首選挙、名護の基地問題をすっかり覆い隠してしまいました。

そう思うと、テレビのニュースも、新聞の記事も、まったく見る気も読む気力もなくなりました。力道山のでないプロレスを二度と見なくなったように。プロレスの場合はたとえ八百長でも、私の生活にはなんの悪影響もありません。けれども、政治が八百長というのは違います。北朝鮮を見ればわかります。興味をもとうと持つまいと、頭を下げないものは権力者の思うままに虐待されるのです。

子供の時にプロレスに夢中になっていた時には、横にいた父親が「八百長というものだから、はらはらさせて、最後には正義が勝つという筋書きは決まっているのだよ。」と言ったのです。今の八百長政治、テレビ、新聞の垂れ流しに対して、「八百長だよ」と言ってくれる情報源は皆無とは言いませんが、あまり数はなさそうです。

実は、毎日読んでいたのに、民主党選挙以後、読まなくなったウエブが一つあります。政治評論家の森田実氏のウエブです。小泉批判が強いので大半のマスコミから、閉め出されているとご本人は言いますが、小選挙区制論議が賑やかだったころ、ちょうど小泉首相が、911選挙の時に次々と反対する敵を潰していったように、小沢氏の尻馬にのって、小選挙区制に反対する政治家を難詰していた人です。小泉政事を批判していたのが、予想通り、党首選挙後は小沢氏絶賛。読む気力がすっかり萎えました。

テレビのニュースを見る時間、新聞のもっともらしい政治面記事、もっともらしいウエブ記事を読む時間が、これからの人生、もっと有効に使えるというのは、人生が伸びたようで、良いことなのかも知れませんが、漫談レベルのニュース、解説が、これからの人生、ずっと流されるのはあまり嬉しいことではありません。

お隣の北朝鮮のアナウンサーのおかしなアクセントの首領様宣伝は実にばからしいニュースですが、この国のおもしろおかしそうに演じている民放の八百長ニュース、バラエティ番組も、それに負けず劣らずばからしいものでしょう。自分の頭の上のハエを追うことを放棄した民放による北朝鮮ルポ「目くそ鼻くそを笑う」そのもの。

あきらめて最近インターネット外国語ラジオを流しています。いえ、実はほとんど意味がわからない音を聞き流しているだけなのです。それでも、わけが全くわからないので、ゴミのような日本語情報を頭にそそぐよりは害が少ないのではと思うためです。

八百長政治は永遠に続くので、せめて八百長報道番組だけは「さようなら」。

民放がなくても不便はありませんが、国営放送はお金を払って見ています。念のため。




うんうん、プロレス、力道山。私も見ましたよ。水戸黄門の正義って誰が決めるんだ?という疑問はおとなになってからでしょうか?お父さん、あなたを子ども扱いしなかったのね。私の子どもの頃のテレビで思い出すのは、おばあちゃんの好きだった、歌舞伎とか新派、藤山寛美、デン助劇場。あの頃は芸人がいっぱいいたなぁ。人情とお笑いもたっぷり。千夏さんの「がめつい奴」も見たよ。(映画では名脇役の飯田蝶子!!ばばちゃんのお姉さんなのだ)それと「てなもんや三度傘」。

あひるさんの投稿、久しぶりですねぇ。日本の9・11の時は新聞も読み応えがあったし、私たちも元気・活発だったけれど、今は体力的にも、この国の状況にも、やれやれという感じです。私、小沢さんの顔、好きじゃぁないんだ。そういう経歴という顔をしてますもん。やっぱりねぇ、で、そういう顔の人が出て来るんだなぁ。厚顔無恥っていうの?政治界では流行なんですかねぇ。

それでも、やっとアメリカの9・11はヤラセの可能性が大という巷のうわさが聞こえてくるようになって来ました。藤原正彦氏のように、あひるさんもあまり、人間を信用していないみたいだけれど、いや、私もね、昨今の日本人はどうも変節してしまっているんじゃないかと心配なんだけれど、でも、信じたいし、また、今の状況を変えるのは、人間にしかできないんだなぁ。人間の未来は人間にかかっている。

日本の政治も、世界の潮流に影響されて、少しずつは変化することを期待しています。間違った選択をしたかもしれないけれど政治に関心を持ってくれた若い人たち、ここらで生活の見直しを図らねばならない団塊の世代にもね。

ネットのラジオ放送、アイヌ語はいかが?うちは聞けないけれど、「国際先住民族ネットワーク」とか。





No.12

きもの展のお知らせ
りっちゃん
06/4/8
更紗のきもの展

いとこの啓ちゃんがまた銀座で更紗のきもの展をひらくんだ。日本の文化、是非見て欲しい。

地味派手というのかなぁ。手が込んでいる。七五三や成人式で見る着物とはぜんぜん違うよ。私も目の保養に行ってこようっと。

そうそう、このあいだ行った原宿で、昔っぽい着物を着た若い女性何人かを見かけたよ。おしゃれだねぇ。そんな方に是非お勧めのきもの展です。

2006年 4月22日(土)〜27日(木)

11:00〜6:30(最終日は4:00まで)

銀座書廊

銀座書廊













やっぱり、日本女性には着物が似合うねぇ





No.11

国家の品格
りっちゃん
06/4/8

結構売れているそうで、朝日の「論点」にも載りました。読みやすくて面白いです。著書は数学の教授、藤原正彦氏。「博士が愛した数式」という映画もあったしね。バカの壁同様、専門バカの博士たちも、日本のことを心配しているんだなぁ。で、専門以外のことだから、私たち素人にはとっても読みやすいんだな。それに、この人、面白い!! 気に入った。まずはここから。

私は、自分が正しいと確信している事についてのみ語るつもりですが、不幸にして私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。もちろん私ひとりだけが正しくて、他のすべての人々が間違っている。かように思っております。
もっとも、一番身近で見ている女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです。私はまったくそうは思いませんが、そういう意見のあることはあらかじめお伝えしておきます。

他にも、「私には諸般の事情から愛人と夢のような暮らしをする自由すらない」「夫婦喧嘩では女房にすらかなわない」なんてね。正直な方。で、大真面目に書いていらっしゃる。ネタは、伝言板やyahooの投稿で、私が書いた情報や意見とほとんど一緒。最終結論「日本人こそ世界を救う」も一緒だけれど、天皇制のことか、弱者とか、武士道?についても反論有りだなぁ。論理は正しくても出発点が違うからねぇ。彼は男で、そこそこ名誉もお金もある。こちとらは、女で貧乏人。そこかな。

第一章 近代的合理精神の限界
すべての先進国で社会の荒廃が進行している。その原因は、近代のあらゆるイデオロギーの根幹を成す「近代的合理精神」が限界にぶつかったことにある。

「資本主義が資本主義の論理を追求して言った果てに、資本主義自身がつぶれかねないような状況に、だんだんなってきているのです。それに付随する形で、物質主義、金銭至上主義が世界中を覆い尽くしている」っていうのは、「子どもを食う世界」でもあきらかだね。

第二章 [論理]だけでは世界が破綻する
「論理を徹底すれば問題が解決できる」という考え方は誤りである。帝国主義でも共産主義でも資本主義でも例外はない。

この章が一番読み応えがあった。論理だけでは当てにならないことがくわしく論理的に書いてある。数学も交えてね。@では、「人間の論理や理性には限界がある」ことを、英語を小学校で教えることの愚をたとえて証明している。「公立小学校で英語など教え始めたら、日本から国際人がいなくなります。英語と言うのは話すための手段にすぎません。国際的に通用する人間になるには、まずは国語を徹底的に固めなければダメです。表現する手段よりも表現する内容を整える方がずっと重要なのです。英語はたどたどしくても、なまっていてもよい。内容がすべてなのです」。「国民に受けるのは、「国際化だから英語」といった、一番分かり易いワンステップの論理だけです。ある大新聞の世論調査によると、小学校で英語を教えることを、86%の国民が支持していると言います。こうやって国民が国を滅ぼしていくのです」。私も同感だなぁ。私が英語が苦手になったのは、必要な場面がなかったのに、勉強させられたせいだと思うよ。

A大事なことは押し付けよだって。「ならぬことはならぬものです」これもわかるなぁ。小さな子へ伝えるのは言葉じゃない。刷り込みとでもいうのかな。「お花きれいだね」「ワンちゃんかわいいね」こんな言葉掛けって、一種の押し付けだけど、でも大事なんだよ。気持ちと言葉がつながって認識されていくんだよ。理屈では説明できないものっていっぱいあるし、それがすごく大事なんだなぁ。論理じゃぁないよ。

Bでは、出発点は論理でなく、その人の情緒によってきまるそうな。どんな論理が展開されようと、出発点が違えば結論も違ってくるって。例えばね、「今世界中の人々がかかっている悪疫があります。英語で「ポリティカリー・コレクト(政治的に正しい)」といわれるもので、実は「弱者こそ正義」という考え方です。弱者とは通常、女性、子ども、高齢者、障害者、マイノリティなどを意味します。このあまりに素朴な哲学は現代人の偽善を触媒にして、ここ十数年間で世界に広がりました。だからO・J・シンプソンやマイケル・ジャクソンが無罪になると言う、誰もが首をかしげるような判決が出ました」という部分、その判決には私も首をひねるより憤っちゃうけれど、O・J・シンプソンも、マイケル・ジャクソンも、白人に対する黒人という弱者かもしれないけれど、被害者の女性、子どもから見れば、決して弱者ではない。金持ちで、有名な、男なんだよねぇ。その辺の認識の違いが、この著者と私の出発点の違いなんです。私は弱者の視点、ジェンダーの視点を持つことがこれからの世の中にとっても必要なことだと思います。「惻隠の情」は、上からの見方。「慈善」と同じで、ことの解決にはいたらない。ジェンダーの視点は、下から見るのよ。上をじゃなくて、現実を変えていくの。

C論理は短いと深くない。長いと「風が吹けば桶屋が儲かる」だって。世の中には、数学で言う「1」や「0」の中間ばっかりだからかけていけば当然当てにならない確率になってしまうということが、数学を交えて面白く書いてあります。

第三章 自由、民主主義を疑う
自由と平等の概念は欧米が作り上げた「フィクション」である。民主主義の前提条件、「成熟した国民」は永遠に存在しない。欧米社会の前提を根底から問う。

アメリカの自由とは平等というのは、独立した頃の為政者、王たちに向かって自分たちの権利をうたったもので、そこには当然黒人や私たちアジア人は入っていない。それは確か。また「成熟した国民」が完全な形では存在しないだろうことも確か。しかし、だからといって、理想を追い求めようとしないのは、人間的でないと思うなぁ。動物たちは本能で生き延びようとする。しかし、人間は意志で持って変革できるのだから、せっかくのいい言葉を捨てることも無いし、市民として一人一人が努力することが大事だと思うよ。そうそう、「見えざる神のみ手」が経済用語としていかに無責任なものかよくわかったよ。「人知を尽くして天命を待つ」何もせんで神を当てにしちゃぁいけません。

第四章 「情緒」と「形」の国、日本
自然への感受性、ものの哀れ、懐かしさ、惻隠の情・・・。論理偏重の欧米型文明に変わりうる、「情緒」や「形」を重んじた日本型文明の可能性。

自然が大事。京都議定書にサインをしないアメリカはけしからんというのも一緒。日本の自然の豊かさ、植生が豊かだから虫の音も聞こえる。これは去年本多勝一さんの「環境報告」の感想に書いたと思う。第9条だけでなく、この自然も日本の財産だ。その自然に日本人の情緒も培われたという説に大賛成。でね、今注目しているのは、アイヌの文化。多摩の山にはカタカナの山がいっぱいある。アイヌの言葉って聞いたけれど、山にも固有名詞、山を擬人化した昔話、自然にあるものすべてに魂が宿るというのはアイヌから私たち日本人に伝わったことだって。縄文時代っていいなぁ。

第五章 「武士道精神」の復活を
鎌倉武士の「戦いの掟」だった武士道は、日本人の道徳の中核をなす「武士道精神」へと洗練されてきた。新渡戸稲造の「武士道」を繙きながら、その今日性を論じる。

しかし、なんで「武士道」になっちゃうのかねぇ。やっぱり出発点の違いかねぇ。「武士道」には女性は入ってないんだよね。違和感。でも江戸時代とか、徳川家康の狸戦法は好きなんだなぁ。織田信長からだんだんそうなっていくんだけれど、外交を駆使して、いかに絶対に勝つか、犠牲者を減らす戦いに戦法が変わっていくんだ。女性を活用したところも好きだなぁ。で、その子孫が、無血入城させたから明治維新が成功して、外国の植民地にならなかったんだと思う。それに比較してアメリカの戦争って極悪非道だね。犠牲者、ことに一般人をどんどん殺している。泥沼にするのがお得意。やっぱりブッシュはお馬鹿だよ。

第六章 なぜ「情緒と形」が大事なのか
「情緒と形」の文明は、日本に限定すべきものではない。そこには世界に通用する普遍性がある。6つの理由をあげて説く、「情緒と形」の大切さ。

「美しい情緒は人間の傲慢を抑制し、謙虚さを教えてくれる。「人間は偉大なる自然のほんの一部に過ぎない」ということをわからせてくれる。環境問題のことなどを考えると、こうした謙虚さはこれからどんどん重要になっていきます」 そうだよね。これは縄文時代から、私たち日本人に刷り込まれている情緒です。そしてインディアンたちも、持っています。「インディアン悲史」にあったもの。フランスの作家オリヴィエ・ジェルマントマ氏の言葉(人間と天の間に太古の時代よりあった絆が失われた。これを失ったことで西洋人は窒息状態にあるが、日本の神道だけにはまだそれが生きている)が紹介されているけれど、この神道って、私の理解では今ある神道ではなく、私たちの心の中にある自然との調和のことをさしていると思うよ。美しい情緒は「戦争をなくす手段」になるって。そうだよ。屁理屈こねて戦争を起こすのは一杯いる。情緒って大事。憲法前文は美しい。

第七章 国家の品格
日本が目指すべきは「普通の国」ではない。他のどことも徹底的に違う「異常な国だ・・・。「天才を生む国家」の条件、「品格ある国家」の指標とは。

日本は、金銭至上主義をなんとも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。
 大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和18年に、パリでこういいました。
 「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」
 日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ4世紀ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです。

日本人だけとは、私は思わないけれど、日本人にならできると思うよ。

エート、万世一系の男子だっけ。縄文時代以降だと思うけれど、日本人になったのは・・・日本のどこにもある一家のうちのとある一家(天皇家)が自分の家の伝統を守るのなら、「お好きにどうぞ!! でも、ご一家の女性の意見も聞いてね!!」なんだけど、主権在民とは似合わないと思うけれど、国民の象徴とされている天皇家のことならば、国民として言いたいね。そんな伝統やめちまえって。だって、私は女だもの。





No.10

米軍再編
りっちゃん
06/4/2

新聞で現福生市長 野沢久人氏の写真を見たよ。懐かしいねぇ。んー、だいぶ髪が白くなったねぇ。苦労しているのかな。米軍再編、横田基地への空自司令部移転についての記者会見でした。

正直「上手に逃げたな」という印象だけれど、市民からの意見を集めたこと、ほとんどが反対意見であったこと、市長としては容認とも反対もいえないこと(彼らしいと言えば彼らしいけれど、騒音被害の一番ひどい瑞穂町や昭島市が容認発言をしているからねぇ。)を発表したのは、まぁ妥当なせんというところでしょうか。

29日に国への要請書を出したそうな。「基地は無いことが望ましいが、国策として存在する以上やむをえない。ただし市民への充分な配慮が必要」「市や市民への説明責任を果たすこと」「自衛隊との基地共同使用が横田の恒久化につながらないようにする」などだそうな。

行政としてはつらいところだよね。基地には「思いやり予算」とかがある。例えば水道代。沖縄では、水不足でも基地の中の芝生にはお水がたっぷりまかれていたとか。横田も、そういうことかな。防音対策で、補助もある。基地の無い町ではもらえない防衛予算があるんだよねぇ。それで予算が成り立っているのを、わざわざ「NO」を言って削られたくは無いよね。

岩国での住民投票でも、「安心や命と引き換えの振興策なら御免だ!」「騒音や犯罪に苦しめられずに安心して暮らせる街を子や孫に!」という声が上がっていたとか。ほとんどの住民は、騒音の被害・事故・米兵の犯罪、それから、戦争がおきた時の怖さをしっかり感じている。横田だって、お茶のみ話ではそうだったよ。でも、友好祭とか、基地のみどり(木は少ないけれどこっち側に比べたら、空は広いし芝生はきれいだし、ごちゃごちゃしていないからねぇ)とかで、別に今撤退しろなんて冷たいことをいう関係ではない。

だけどねえ。市長も住民も被害者の立場でしか考えていないのが不満だなぁ。沖縄ほど鮮明では無いけれど、米軍基地が何のために日本にあるかって言ったら、いまや、他国攻撃のための準備基地なんだよね。そこに自衛隊もとなると、イラクで香田さんが殺されてしまった原因でもある、日本がアメリカに加担しているという解釈がますます動かしがたい事実になっていく。

加害者の立場でもあることは見えずらいし、見たくない。その気持ちは分かるけれど、世界はそう甘く無いからね。他の国からはどう見えるのかということを直視しないと・・・これから先のことも考えないと・・・だから、私ははっきり「反対!!」。平和を愛している日本人が、戦争に、それも言いがかり戦争に加担しちゃぁいけませんぜぇ。これを機会に、だんだんと撤退してもらいたいものだと考えているんですがねぇ。もと福生市民としては・・・いや、この場合は日本人としてかな。

翌4月1日の新聞には、これまたお懐かしい遠藤洋一さんが登場。「賛成、反対はともかく、まず自衛隊について学んでみよう」と学習会を呼びかけているとか。彼はずーっと横田基地の監視をしていたけれど、今もやっているのかなぁ。透析をはじめてからの体調はどうなんだろう。福祉もいいけれど、まずは基地専門の議員としてがんばってねぇ。「リムピース」には岩国の住民投票のこととか他の基地の情報も載っています。





No.9

少女シェリーの告発
りっちゃん
06/3/25

性的虐待は怖いねぇ。裁判の中でも、――ドクター・ワイズは陪審に、シェリーは終生、「重度のうつ症状、重度の不安、自殺傾向をもち、心理学的に見て、彼女自身の感じる苦痛に耐えきれずに、虐待、麻薬、アルコール等に逃避を求める危険性」を免れないことが予想される、と語った。――とある。

なぜなら、保護者たる親が加害者だものね。善悪の基準を教えてくれる親、自分という存在を愛してくれる存在。それが、こんなことをするなんて・・・自分を亡くしてしまうだろうなぁ。確かに。

気が重くても本の紹介をしなくては・・・著者 シェリー・セッションズ、ピーター・マイヤー。まずは扉のシェリーの言葉から

<人はだれも、それがどれほど重大なことだったかを知りません。実情を何も知らないで、ほんの一回か2回くらいのことだと思っています。
彼らは、彼が私の写真を撮ったことを知りません。それがどんなに根深い病気かということを知りません。「ああ、彼はちょっと過ちをおかしただけだ。今はもう、何の問題もない」と思っている。人々の考えることはその程度なんです。あれほど異常な執念には、だれもかんがえがおよばないのです・・・>

ざっとどんなことがあったのかを父親の年齢とシェリーの年齢つきで・・・

父親出来事
28歳2歳ボビーとリンダ結婚。ボビー、シェリーを養子とする法的手続きをとる。ボビー、シェリーの実父から親権を譲り受ける
348足、背中、他のところをマッサージされる。毎晩。養子であることを告げられる。
3711引越し途中、モーテルの部屋で、父親と同じベッドに寝かされ、パンツの中を触られる。
3812初潮。ある夜、ベッドの脇に立って「お前も女になったんだな」と言われる。
3913誕生日プレゼントの馬を選びに行く旅行中、陰部の辺りまで触られる。「あの馬がどうしても欲しいかい?」「二人のあいだの事はだれにもしゃべらないように」と言われる。馬を連れての帰路、自慰行為を見せられる。数ヶ月のあいだで、愛撫からソドミー、性交へ。日夜、チャンスがあればいつでも。
コーシカナ(ボビーのふるさと)へ、牧場経営。土地を即金で買う。あちこちへ寄付。教会で「父母が子どもたちを野放しにしないようもっと注意を払わなければ、15歳の少女が妊娠する事態が起こるのは目に見えている」と演説。
シェリーを訪ねてきた同級生に銃を突きつけて「2度と来るな」。
裸の写真をポラロイドで撮られる。
「すべてはシェリーの罪である」「恥ずかしいことなのだ」「もしもこのことがわかったら母はどんなに傷つくか」「お前は私と寝ているが、私はお前のお母さんの夫なんだからね」などといわれ続ける。
電話の盗聴、録音。
飲酒は許可。外出は禁止。許可が会ったときも本人、または雇い人が尾行。
「私がしたことを忘れたのか?それでもお前を愛する男がいると思うのか?」――どうせ私は駄目なんだ。どうにもなりはしないのだと思わせられる。
純粋種の雄牛のショーへの頻繁な旅行。二人だけのスィートルーム。
4216誕生日プレゼントにピックアップトラックをもらう。シェリー、「私は何度も逃げ出すことを考えました。その手段としてトラックが欲しかった」
走行距離のチェック、学校の先生というスパイ。ボビー、自殺をほのめかす。
ボビーヨーロッパの旅行中、ボーイフレンドとデート。
シェリー家出。知り合い宅はどこも父の味方。教師宅に世話になるも、ボビー、学校に「首にしろ」と怒鳴り込む。朝刊一面広告「わが娘に寄せる詩」。
駐車場にいたシェリーがボビーに襲われる。ショットガンはトラックの中。「このあばづれ、お前は売女だ!」「あたしが売女なら、そうしたのは誰よ」「どこかの道端でリッキーと寝ていたんだろう」と殴りつけられる。若者らに「彼女に手を出すな!!」と言われて立ち去る。
ボビーの妹婿ジェームズ・デュバル、ボビーの妄想癖、変質者であることを知る。
リッキーの母、チェリーがボビーの「あんたの息子がシェリーのパンツを脱がせた」などセックスにとらわれた発言におかしいと気づき始める。
両親、家出を警察に届ける。
保護される。チェリーとジャッキーに勧められ、牧師ヘンリーに同行され、8年間に及ぶ性的虐待を保護観察官ハイダーに打ち明ける。その往復、ヘンリーらは「シェリーはボビーに殺されるかもしれない」と心配であったと言う。
ヘンリーとシェリー、リンダに話す。「どうしてあたしに話さなかったの?」しかし「もしも話したら、ママは何かしてくれた?」と言うシェリーからの質問には答えがなかった。
ボビーの自殺未遂。
病院からの「お前を殺す」との電話。
ボビー、10年の保護観察と自費による一年間の精神病院入院。
シェリー、「リベカ少女の家」へ連れ去られる。
ボビー、6ヶ月で退院。
シェリー、11ヵ月後に帰宅。
家出。チェリーの家に。
4418民事訴訟。
勝訴。

これを見れば、「愛」ではなく保護者の「支配」による連続強姦事件ということはわかるよね。

なぜボブ・セッションズがこういうことを起こしたのかというと、自分も虐待を受けていたということが原因の一つには上げられるかな。なぜ続けられたかというと、家庭内ではもう一人の親リンダの責任。社会的には、金をばら撒き親戚の経済的支援者、地域の名士でもあったボブへの周り人々の対応が問題視されなければならないだろう。いじめでもそうだが、何もしなかった人々、犯罪者への支援をした人々への怒りを私たち自身が持たなければならないと思う。

yahooへ投稿にこんなのがあった。「歌舞伎町で肌もあらわな格好で歩いている女性が強姦されたとしても、それはその女性にも責任がある」。書いた人は9条なり、日本の防衛体制についての批判をしたくて、たとえ話として出したようだが、9条についても言いたいことはあるが、このたとえ話そのものに私は大変立腹した。なぜ強姦男の肩を持つのか?!不正を不正として糾弾しないのは犯罪者をますますのさばらせることになる。そうでなくとも売買春天国の日本なのに・・・そう、中国の日本大使館員が自殺したことに同情する投稿もあったが、それはその天国住まいの人の感覚だね。中国では売買春に関して非常に厳しい判決がでている。国辱ものという感覚なのかな。それもちょっと?だけど、そういう国でそういうことを大使館員がして脅されたとしても、税金を払っている身としては、「責任感と言うものは無いのか!!」と恫喝したい気分です。

性的虐待の有罪を認めたボビーは、自費による精神病院の入院一年間で手を打つが、口がうまいし、医者もこれ以上入院しても治りはしないという判断をして、半年で出てきてしまう。一方、シェリーのほうはまだ未成年のため、リンダによって非常に評判の悪い、自由のまるで無い、一宗教施設で1年近くを過ごすことになった。従って、ここに書かれている裁判は彼のおかした犯罪が有罪か無罪かを問う裁判ではない。シェリー・セッションズが父親に対し、実際の、ならびに懲罰的意味での損害賠償金――彼の行為に対する彼女への償いとして500万ドル、及び、他への見せしめのための懲罰金として500万ドル――の支払いを求めた民事訴訟である。そして、シェリーにとっては「正当な裁き」を求めたものであった。幼かったシェリーの成長ぶりと、口の立つ、腕のいい石油セールスマン、ボビーの汚さ、情けなさがよく対比できて、なかなか興味深い。

ボビーの言い分は、ちょっとばかり愛が行過ぎてしまったが、シェリー自らも要求したものである・・・彼の成功の秘訣はぬけぬけと大うそをつくことと、このときシェリーの弁護人は見抜いたね。大体、年齢見たら、そんなの、大人としての責任、保護者としての責任まるで無し男であること、ばればれ。もちろん、地域的にも離れていて、経済的援助をもらっていない陪審員たちも客観的に(というよりも怒りをもって)聞いていた。ボビー自身がシェリーをつなぎとめるための口実にしていた、「この罪の責任はおまえにもある」を弁護人も使えると思ったのか、シェリーに対しこんな質問をしている。

「あなたは、13歳という年齢で性体験を持つのはよくないことだと思わなかったのですか?」それに対してシェリーの答えは、「わかりません」「あとになって、私は、父親が娘にそのようなことをするのは悪いことだとわかったのです」と答えています。

ボビーが主張したかったもう一つの言い分、自分は回心したのだから、これからまた一緒に暮らしたい(目的は二つ、一つはチャンスがあればまた、もう一つは賠償金の節約)。いけ図々しいったらない・・・「彼はふたたび家庭を築き上げ、その家庭の一員としてあなたを含めることに興味を持つようになるかどうかについては?」「築き上げる家庭なんかありません」「どうすれば彼は愛する娘を取り戻すことができるでしょうか、シェリー?」「彼にそんな娘はいなかったのです」きっぱりしたシェりー。すごく好感が持てる。非情な経験ではあったが、それに決して負けない芯の強さがある。

この頃、やけに「家庭を大事に」「介護は家庭で」なんて掛け声を聞くけれど、シェリーが子どもとして過ごした家庭は、「家庭」とは程遠かったね。2度目の家出で世話になったチェリーの家で、それを味わったのだろうか。エピローグではその後のシェリーが家庭をつくりつつあるところが描かれている。そう、ボビーについては破産をし、賠償金を実質1割以下にし、それでも優雅に暮らしていてやっぱりスイスに隠し預金があるとシェリーに見抜かれ、電話で口説くようなことを言い、リンダは、ボビーのシェリーを見つめる目つきを気にして・・・。シェリーが、「あなたの娘にあんなことをしていた男と寝るのは気にならないわけ?」と聞くと、「私は彼と寝ていないわよ。だけど、神が別れるなとおっしゃるの」でまた、宗教方面のカウンセラーをうけさせて「神は彼を治してくださったわ」とのたまわっているとか。これのどこが夫婦なんでしょうねぇ。まさに「クレイジー」です。陪審員たちが金のために娘の状況に目をつぶったとしたリンダは、まあ、金のためばかりでは無いだろうが、こうやって自分を守っているとしか私には見えない。神は人の都合のいいように利用される存在でもある。

リンダをふくめ親戚たちへのシェリーの見方もなかなか鋭いものがあった。「あそこにいる家族のみなさんがあなたを愛しているということを証明する方法はありませんか?」ボビーの弁護人は被告席の後ろの座席の列を指し示しながら、質問した。「彼らはあなたが家族の中に戻るのを希望しているとしたら?」「彼らは私を見捨てました。私を愛していると証明することはできません。家族のみんなが私を見捨てたのです」シェリーは法廷を見まわした。親類の面々は、被告席のうしろ、つまりボビーの側に固まって、席を埋めていた。だからねぇ。シェリーが大人になるまで解放されなかったのよね。周りの人々の動向って、すごくおおきいのよねぇ。「それはモラルの問題です」小さい声でシェリーは言った。「人にはモラルというものがあるはずでしょう」彼女を見捨てた人々を見やるシェリーの頬に、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。デイル・ウィリアムズ(彼女の友人、保護者でもある三人の弁護団の一人)が彼女を知って以来、初めて見る涙だった。

感情表出の苦手だったシェリーが流した涙。裁判を経て、彼女は成長したんだなぁ。彼女は子ども時代には家庭には恵まれなかったけれど、いろんな人の支援も得て、愛も得られたのだ。ボビーたちはお金には恵まれているかもしれないし、そのお金で支配できる人たちとの付き合いはあるかもしれないけれど、愛は得られないのだ。最後の項にはこう書かれています。

徐々に、シェリーは家庭を築いている。そして彼女は、父親であり虐待者だった男がいまも住んでいるその同じ土地で自分の家庭を持とうとしていることに、なんら不都合を感じていない。彼がしたことのために彼女が町を出る理由はないと思っている。そこは彼の故郷であると同時に彼女の故郷でもあるからだ。シェリーは、彼は間違いを犯し、彼女は正しかったのだという事実を見失うことは消してない。そして、シェリー・セッションズにとって、それは戦う価値のあるものだった。

 



No.8

子どもを喰う世界
りっちゃん
06/3/11

私がこの本を図書館で手に取った時イメージしていたのは、宮崎勤の心の中のことだった。やれやれ、それが読んでみたら、私自身の生きているこの世界そのもののことだったとは・・・

BBCで放映されたというドキュメンタリー番組「児童奴隷」を制作したピター・リライトが著者。「私はこの仕事にとりかかる時点で、子どもの労働は、国連のあるセミナーでも述べられていたように「許しがたい罪悪だ」と思っていたのだが、仕事を進めるうちに、皮肉にも子どもたちは実際に西側の資本主義のために意図的に利用されているのだという結論を出すにいたった」。アメリカの新自由主義がいかに汚いものか、先の見込みの無いものかが証明された本だったよ。

目次を見るだけでも賢い人ならある程度推察できるだろう。
プロローグ
1 許しがたい罪悪
2 20時間労働のカーペット・ボーイ――インド
3 餓死するか、働くか――バングラディッシュ
4 プランテーションの奴隷――マレーシア
5 警官が怖い――ブラジル
6 親に売られる子どもたち――タイ
7 違法労働――ポルトガル
8 見習い制度の罠――トルコ
9 幼い売春人――フィリピン
10 路上で生きる――メキシコ
エピローグ

この「児童奴隷」が放映されたころ、私は子どもの権利条約を読む機会があった。しかし、正直言って、私はこれほどまで子どもの権利が疎外されていることを想像できなかった。なんと甘い日本人。恵まれているというよりも、のっかていたのね。この世界に・・・

(プロローグより)「児童奴隷」というドキュメンタリーをつくった主要な目的の一つは、「大衆のため」という大義名分のもとで行われている悪に、その大衆自身の注意を向けてもらうことにあった。番組が放映されると、うれしいことに何百通の手紙や感想が寄せられたが、その多くは、「こういう恐ろしいことが世界各地で行われていることを、今までちっとも知りませんでした。私たちに、何ができるでしょうか?」という声だった。人々の関心引くことはできたとしても、その関心を正しい方向に向けるのはもっと難しい。しかも問題がこれほど広範囲に存在し、その上世界の経済秩序を反映しているとなると、簡単な解決策はありえない。既成の秩序を変革することについては、たとえばブラント委員会やブルントラント委員会といった、すぐれた諮問機関でさえ頭を悩ませているのである。とはいえ現在の構造の枠組みの中でも、まだまだできることはある。

人々がどれほど自分以外の人間を思いやることができるのか、というのが、社会の文明度をはかる基準である。英国のマーガレット・サッチャー首相もこのことを知っていて、自国内で大きな災害が起こるたびに、現場に駆けつけて犠牲者を見舞った。しかし彼女はまた、「社会などというものは存在しない。それぞれの個人とその家族がいるだけだ」とも語っている。利益を最優先するようになった英国社会のモラルの衰退を象徴するような発言である。

こうした惨状をもたらした原因、つまり世界の経済秩序や植民地主義に基づく貿易や援助計画によって悪化の一途をたどっている風土的な貧困が問題にされることはほとんどない。第三世界の多くの人々は――ロンドンで価格が決められる商品に依存することから抜け出そうとしているアジアやカリブ海の級英領の人々から、隣の大国米国の要求ではなく自らの必要を満たす労働や農業や工業を行いたいと思っているメキシコ人まで――発言の機会を与えられたなら、「もう、うんざりだ」と私たちに言うことだろう。

テレビ番組もこの本も、ともに彼らすべてに捧げている。希望があるからでも楽観しているからでもなく――そんな余裕はないのである――彼らの要求や権利や正義を見てきたものの証言として。

と、彼は、株主は株主なりにこのような現実を、「見えない限り心を痛めることもない」とする他国籍企業に対して圧力を、消費者は消費者なりに子どもを犠牲にして安価な商品を買うかどうかの賢い選択を呼びかけている。安いのしか買わない買えない私は無力に近い。選挙民としても死に票が多いしなぁ・・・このドキュメンタリー番組の成果か、ホワイトバンドが流行りになっている。何も知らないよりは、テロの原因が貧困であり、それを解決しない限り、地球の未来は無いと気がついた人が増えたというのは喜ばしい限りだ。しかし、ホワイトバンドや慈善ではこの問題は解決はしない。

近頃起きた、フィリピンでの地すべりが証明しているように、今の経済システムは、子どもの未来ばかりでなく、地球の未来も犠牲にしている。宇宙開発に力を入れるのは、そのことをいちばんよく理解している国なのでは無いだろうか?子どもの頃散々読んだSFが思い起こされるよ。破壊されたり、核汚染された地球を捨てて、他の星に移住かよ。そうそう青い星はないと思うけどねぇ。私は地球、中でも日本に住み続けたいよぅ。

(エピローグより)「われわれの国(米国)はきわめて物質主義的になってしまいました。これは、ほとんどすべての人が認めることだと思います。実際、西側の社会全体がきわめて物質主義的になってしまったといってもいいかもしれません。われわれが認めたがらないのは、昼が終われば夜がくるように、物質主義の次には快楽主義がくるという事実です。われわれは快楽の道を追及します。自分の満足感を追及し、自分の快楽を追求し、そして、しばしば子どもたちを犠牲にしてしまうのです。街頭ではこんな言葉が使われます。だんなはヒヨコのほうがいいってさ――子どもたちのことです」(ニューヨークに本拠をおく、子どもの避難と福祉のための機関コヴナント・ハウスの創設者であり運営責任者、ブルース・リッター神父)

子どもたちが奴隷のように働かされていることをテーマにした私の番組は、神父のこのぞっとするような言葉でしめくくられた。西側諸国の姿勢や野望と、その結果、いたるところで子どもたちが搾取されている事実の間には明らかに緊密な結びつきがある。これは経済状態が貧しい国の国内問題にとどまらず、貧しい価値観しか持たない世界全体の問題である。つまり世界経済の秩序が、あらゆるところで、貧者や地位を奪われた人々を犠牲にして成立していることをあらわしているともいえる。

子どもの権利条約を読んだときにも感じたことだが、確かに日本では子どもがこれほどあからさまに搾取されている現実はほとんど無い。だけど、受験勉強はどうなんだろう。いい大学を出ていることが就職に直つながる時代ではなくなったが、それでも、というかそうだからこそ大学くらいは出ていなくては・・・で、奴隷のように勉強させられているという感もある。また、東大生の親の収入の高さからいっても、教育の不平等の相続という問題も常にある。援助交際なども、物の豊かさ=心の貧困の表れといってもいいだろう。そして、今日の記事の中に「少女人身売買」というのがあった。インドネシア出身の15歳に売春強要。少女を約230万で売ったり買ったりした容疑者を人身売買容疑で逮捕したそうです。これも現実の日本です。なさけない。

性的な搾取は、他の形態の搾取と結びついており、子どもの一般的な経済的搾取、及び女性の性的搾取と切り離しては考えられない。それゆえ、子どもを性的に搾取することは、経済力や年齢による上下関係や性的抑圧をも書き込んだ2重3重の虐待であることを思い起こす必要がある。(反奴隷制協会の人権に関するレポート)

私たちはこれまでも、このことを言葉で非難するだけの賢さは持ち合わせていました。今こそ各国政府は、国の内外において、子どもたちの肉体と精神に一生の損害を与えるかもしれない虐待から、子どもたちを守る行動を起こすべきです。国際的な法律を作ることも重要です。こうした人々(子どもを虐待する人々)のための逃げ道があってはなりません。彼らを逮捕し、投獄すべき犯罪者を引き渡すために情報を交換しなければなりません。まずしなければならないのは、この問題を解決すべき重要な課題の一つとして認めることです。そのために私は、北欧理事会でも、欧州議会でも、国際警察でも、この問題を国際的なテーマとして取り上げてきました。機会があるごとに、私はこの件を持ち出しています。これをたんなる司法の問題と受け取る人もいるでしょうが、私にとってはそうではありません。それは、人間の尊厳と次の世代に対する私たちの敬意にかかわっているのです。(ノルウェーのヘレン・ポステルード法相)

本書が全体を通して訴えたいことは、この敬意を権利と義務の問題として考えてみてほしいということである。すなわち、すべての子どもの人間としての権利と、世界のすべての市民が自分の幸福を得るために他人を不必要に苦しめないという義務である。一足の靴の値段を安くするためなら、その靴を作った子どもたちの健康や幸福や自由を損なっていいというはずがない。通りすがりの欲望を満たすためなら、10歳の売春人がいてもいいということにはならない。

そうなのよ。これは権利と義務の問題でもあるし、人間の尊厳の問題でもあるの。第3世界の子どもたちのだけでなく、私たち自身の問題なのよ。「見えない限り心を痛めることもない」からと見ないのは卑怯だと、私は思うよ。





No.7

リンク、整理しました。
りっちゃん
06/3/3

友達へのリンクから、天木直人さんのサイトとyahoo掲示板をはずしました。他にもリンク切れ、移転など整理しました。すみません。この頃疲れて怠けてました。

天木さんは、海外から帰ってきて日本の報道に接したら、書く気力がなくなってしまったんですって。なんだかわかる気がする。私もネットは疲れちゃった。大量のスパム投稿(海外からなんだけどね、でも誰かにアドレスを売られたんだと思う)、yahooでもまた議論とは程遠い、嫌味。ものを言えば唇寒し。女三界に家なし。そこで踏ん張るほどの体力も(気力も落ちた)ないので、撤退することにした。まずは体力つけて、喰うにも足りない稼ぎではあるけれど、何とか食いつないでいけるようにしないと・・・

天木さんの発言はまともだったのになぁ。この頃、まともな意見が少なくなってきているので、貴重だったんだけど・・・惜しいけれど、地に足をつけてエネルギーを蓄えて下さるそうなので、今後の活躍を期待したいと思います。今までの分はアドレスを変えて閲覧できるそうです。

yahoo掲示板については、友達から、「止めといたら」というアドヴァイスが多かったのを、嵐に負けたくないという気と、一人暮らしだし、おしゃべりが得意ではないので、ある意味楽しんでもいたし、縁もあったからねぇ。でも、滅茶疲れちゃった。なんか、自分の世界がどんどん狭くなっている気もしないでもないけれど、体力気力を消耗してまでやる必要もないし・・・わかってもらえるかなぁ?削除なんかしたくないけれど、しょうがないんだ。大体、私って人を見る目が甘いんだな。性分だからなぁ。そういう訳で、トピ主、投稿者の皆さんもご活躍ください。

へとへとになったので、確認作業はまた明日やります。





No.6

日本のオペラはいかが?
りっちゃん
06/2/23

福生の第九で偉くお世話になった小畑先生から久々の連絡。オペラ「虎月傳」に官人として出演されるそうな。

小畑秀樹さんは、人間が出来ている。すごっく前向き。三年ほど前、聞きに行ったクリスマスのオペラでも、演技も声も最高だった。日本語で歌うというのは、外国語で歌うよりもずーっと難しい。それが、自然で、心温まるサンタさんのイメージどおりの声で、感動しちゃったよ。

今回も感動を期待して、「行くからねぇ」。

3月25日(土) 18:00開演  東京グローブ座

※26日は14:00開演。「天地創造」を教わった小島聖史さんが「虎と化す詩人」役です。

第一部 田中均”歌曲の世界”

第二部 台本■中村栄 作曲■田中均(中島敦の「山月記」を題材) 虎月傳

月の宵には峠より
 こだまする獣の咆哮。
 それは芸術に魂を奪われ
 己の才がために我執を断ち切れず
 虎と化した詩人の哀叫

指揮■今村能 演出■十川稔 演出原案■栗山昌良

演奏■東京室内歌劇場アンサンブル 制作■東京室内歌劇場

出演者■虎と化す詩人25日 久岡昇 26日 小島聖史 ■詩人の母親25日 青木美稚子 26日石井真紀 ■旅宿の女将25日 前澤悦子 26日 津山恵 ■官人25日 小畑秀樹 26日 和田ひでき

さてさてどんな舞台となりますか。今からワクワクです。





No.5

アピール

 
福生市民九条の会
06/2/8

私たちは60年前に戦争の悲劇を経験し、再び戦争を起こしてはいけないと決意しました。

日本国憲法第9条はこの貴重な経験をもとに、人類史上初めて世界に発信した価値ある宣言です。

その評価はさきのオランダ・ハーグ(1999年)における世界平和市民会議で、「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争を禁止する決議を採択すべきである」と宣言されました。

この60年間には第一次中東戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争そして、近年はアフガニスタンやイラク戦争と大きな悲劇が続いています。

一方、ヨーロッパ、アセアン諸国、中南米諸国の間では戦争を避け、平和外交の流れが広がりつつあります。あわせて日本国憲法第9条への国際的評価が高まっています。

しかし、いまわが国では、憲法第9条の改悪がすすめられようとしています。その狙いはアメリカ政府が引き起こす無法な戦争を支持して、わが国を『戦争する国』にしようとすることです。

私たちの住む町にある横田基地は米軍再編成により、自衛隊との共同が進み、一層危険度が増しています。

『戦争をしない国』から『戦争をする国』に変貌を求めるのは、アメリカ政府の熱望であります。また、死の商人を目指す財界の要請でもあります。

国民のだれ一人戦争を望む人はいません。

21世紀こそ人類繁栄の時代にしなくてはなりません。

私たちは人権が大事にされ、科学技術・文化が暮らしに反映される平和の中で暮らして生きたいと願っております。

福生市に在住する皆さん、福生市でお仕事をしている皆さん。力をあわせて人類史的価値ある日本国憲法第9条(恒久平和)を守るために全力を尽くしましょう。福生市民の大多数の方に平和愛好の賛同をいただいてゆきましょう。

未来を築く責任は今大きく問われています。

みんなの力で平和憲法を守りましょう。

平和の輪を大きく広げてゆきましょう。




と、これまたチラシをいただきました。総会に遅刻して参加しただけで、会員になったつもりはなかったけれど、ふるさとのような福生の九条の会だからねぇ。1000円位なら会費出してもいいかなぁ?

本当に、国民の誰一人戦争を望む人はいませんと断言できるのかしら?残念なことにあんな草案を決めた自民党の政治家たちも国民なんだなぁ。危ない危ない。戦争を望んではいないと言いながら、自民党の草案 第2項の削除に賛成の人は結構多いよ。危ない危ない。女・子どもを守ると言って、どれだけの子どもや女性が戦争によって犠牲になったのか。今の戦争の形態が高度になった分、兵士よりも一般の市民の犠牲がどれだけ多いか。そして戦争というもの自身またその前後において、どれだけ人権を踏みにじるものか。若い人たちに理解してもらいたいものだ。なぜなら、未来はあなたたち若者が作り、背負っていくものだから・・・

9条の会はこれでいいのかもしれないけれど、「活憲」の「特上の国」のようなもうひとつ前向きの発想がすきだなぁ。飯能では国連誘致の話もあるそうだよ。もちろん、横田は第3国際空港。福生市も提言してみたらどう?





No.4

社民党・憲法学校はじまります

 みずほさん
06/2/6

お元気でご活躍とことと存じ上げます。

さて、自民党は昨年11月の立党50周年の党大会で新憲法草案を決定しました。

また民主党も前原代表が憲法9条二項の削除と集団的自衛権行使容認発言を繰り返すなど、この動きに追随しようとしております。「小さな政府小さな政府」といいながら、なぜ大きな軍隊を持とうとするのでしょうか。二度と戦争をしないと定めた憲法9条は、先の大戦で亡くなった多くの尊い命の犠牲の上に得たものです。だからこそ憲法9条は、アジアに対する、世界に対する公約なのです。

私たちはこのような憲法の改悪を許すことは出来ません。むしろ今こそ、日本国憲法の理念を、社会や職場、そして世界へ広げていかなければなりません。

平和憲法擁護の輪を大きく広げ、さらに広範な人々との絆を拡大していくため、来る2月28日から7月までの毎月1回ペースで連続6回、個人・団体の皆様方のご協力をいただいて「社民党・憲法学校」を開催いたします。

「社民党・憲法学校」には、実力派講師が勢ぞろいで、駆けつけていただけます。

わいわいがやがや集まって、一緒に勉強し、議論し、元気と政治力をつけて、時代を軌って拓いていきましょう

全国の皆さん、是非・是非、憲法学校に参加してください!

一人でも二人でもお知り合いを誘ってお越しください!

お待ちしております!

社民党 党首 福島みずほ




と、まぁチラシをいただいたのです。それでも懐かしいなぁ。お元気だといいけれど・・・社民党もなかなか大変な時期だから・・・

第1回 みんな集まれ!憲法勝負の年。
2006年2月28日(火)
開演:18:30 社会文化会館5回三宅坂ホール
パネリスト:石坂 啓・大塚英志・香山リカ・佐高 信・福島みずほ
発言者:土井たか子・高田健さん市民連絡会
司会:保坂展人

第2回 生きていくための憲法/自民党新憲法草案徹底批判
講師:伊藤 真
2006年3月28日
開演:18:30 社会文化会館3階第1会議室(以降同じなので略)

第3回 9条が変えられた日本
講師:前田哲夫・水島朝穂
2006年4月20日

第4回 メディアが憲法を変える?!
講師:魚住 昭・森 達也
2006年5月23日

第5回 国家が心を支配する日
講師:斉藤貴男
2006年6月22日

第6回 シンポジウム「アジアから憲法を考える」
詳細は調整中

平日、都内にこの時間。お時間のある方は是非いってくださりませ。私は運悪く失業でもしたらね。しかし、このテーマは、調整して決めたのかしら?遅い!!というのが正直な感想。ネットではとうに話題になっていた。「活憲」のような提言であるとか、自衛隊、安保についてのからみであるとか、アメリカの年次要望書と経済問題(特に牛肉!!)、日米軍事協力と各地の反対運動についてとか、経済の2極文化の中を生き抜くにはとか、講師の一方的なおしゃべりではなく、車座になっての話し合いとか、もっと興味深いものなら無理するかもしれないけれど・・・

遅くてもやらないよりはまし。繰り返し伝えるというのも大事なことだし。この間9条の会にも参加してみたけど、一人一人の発言が結構面白かった。おじいさんの同級生がほとんど戦死してしまったという話。ボランティア経験から戦争の残酷さを学んだという話。学生からは、日中関係を勉強するにはアメリカに行くべきというのが中国からの留学生の常識であったという話。それぞれ、聞きに出かけただけの価値はあったよ。

1回位はいってみたいけど、ま、体調とお財布に相談だね。参加費は、一回1000円。6回通し券は3000円。25歳未満はこの半額だそうだ。問合せ先は、社民党・憲法学校事務局。emailは、heiwa@sdp.or.jp 。





No.3

公開講座 ティーンズドラッグ

 みいくん
06/1/17

彩【公民館講師派遣援助事業】身近に忍び寄る ティーンズドラッグ

最近は中学校でも薬物防止教育が行われるなど、10代の薬物汚染は深刻な問題になりつつあります。
 薬物が背景になる事件では子どもたちが被害者にも、加害者にもなる可能性があります。薬物の危険性や、子どもたちが薬物へむかう心理や背景などを大人が学ぶ事で、少しでも被害や危険を減らす事が出来ればと今回のワークショップ(参加型学習)講座を企画しました。
 子どもたちが安心して毎日を過ごせるために、地域や大人が出来る事を一緒に考えてみませんか。

2006年 1月21日(土)午後2時〜午後4時

 場所 福生市さくら会館第2集会室

 講師 NOP法人CEP・子どもひろば   代表 高橋真佐美氏

 お申し込みは必要ありません。当日5分前までにご来場下さい





No.2

広告貸し切り列島?

 あひるさん
06/1/12

数日前の地下鉄で、ゴジラのようなキャラクターでソフトウエアの宣伝をしているビラが目につきました。つまらないなあ、と思いながら見まわすと、中吊りだけでなく、ドアの上も、網棚の上もすべて同じソフトの広告なのです。

何種類か色違いのものがあるので、乗った当初は気がつきませんでした。要するに広告貸し切り電車なのでした。地下鉄用語ではUライナーとか、SUライナーとか言うようです。地下鉄なので、気を紛らわす方法がないのです。雑誌の広告でもあれば、世の中の様々などうでもよい些事を眺めながら、無駄な時間を過ごせます。ところが、全部同じソフトウエア、しかもすでに持っているものの広告しかないのは、なかば拷問のように思われました。目的地に着くまで、こういう車両に乗せられた場合には、乗車賃の何割か割り戻しをしてほしいものだなと思いつつも、精神的拷問に耐えていました。

そして、これは民放テレビや大手新聞とほとんど同じだと気がつきました。われわれは、広告貸し切り列島で暮らしているのです。

いろいろな色のビラがあるのと同じで、局こそ違っても、タレントがバカ騒ぎしたり、体制の宣伝をしたり、不要な品物や思想を売りつけるのが、あの箱の役割なのです。民放テレビを見ている限り、ほとんど広告貸し切り地下鉄に乗っているようなものではないでしょうか。新聞とて同じ事。知りたい事は、決して連載記事になったりしません。どうでもよい、提灯持ちの話題だけ、連載になります。

韓国語では、テレビのことを「バカ箱」という呼び方があるそうです。一方、日本では、マスゴミという表現を見受けます。これもなかなか良い表現のような気がします。ただし、韓国ではOhMyNewsという、既成の腐敗した新聞に対抗するネット新聞が大活躍しているというところが、日本とは大きな違いに思えます。

民放テレビと、新聞マスコミのひどさ、たとえば、ブログの「きっこの日記」とやらのほうが、あの違法建築騒ぎでも、よほど先に、詳しい情報が載せられていることでもわかります。お読みになったことはありますか? 自称ヘアメークの女性というのですが、情報の広さ、深さ、ちょっと額面通りには受け取れません。諜報作戦なのではという疑念まで持ってしまいます。

その点、もと新聞社で、ばりばりの政治記者をしておられた田中良太さんのメルマガは、安心して読めます。今日の記事は、素晴らしいものでした。新聞社はとうの昔に退職して、今は地方自治体、たしか市会議員をしておられるはずです。

素朴な疑問は、退職した元記者のメルマガのほうが、凡百の民放のワイドショーやら、新聞記事より、よほど鋭い、という驚きと悲しさ。森田実氏ではありませんが、「大手新聞は取らない、民放は見ない」ことが、広告貸し切り列島から逃れる唯一の方法のようです。ありがたいことに、お金はかからず、電気代の節約にもなります。

田中良太さんの記事を貼り付けておきますので、お時間があったら、お読みください。

「あさひかわ新聞」に掲載された記事です。

先に申し上げた通り、基本的に大新聞は購読すべきではないと思いますが、地方の新聞は庶民の声を代弁してくれているものがいろいろあるようです。ただし、田中さんは、NHKのこともぼろくそに評価しておられますが、今のNHKは民放よりはよほどまともだと思うのです。料金も支払っています。NHKをつぶそうというのは、陰謀論と言われようと、某国の差し金だと堅く信じています。ここは、田中さんと意見は違います。

還暦ジジイ21世紀を生きる=06年1月10日号

番外 真相隠蔽のための大騒ぎ=あさひかわ新聞1月10日付

「田中良太のニュースを読む」

一級建築士姉歯秀次の問題として始まった耐震強度偽装事件は、すさまじいほどの広がりを見せている。何故こんなことが起こったのか? 刑事、民事、行政、さらに道義上の責任は何処にあるのか? マンションを買った人たちの救済策はどうあるべきか? 崩壊の危険がある建物はどう処置すべきなのか? 一般的にいって、マンションの耐震強度は「大丈夫」と言い切れるのか? ちょっと考えただけで、こうした疑問が浮かぶ。

だからこそ、政府も、国会も、捜査当局も、メディアも、関係自治体もそろって動いている。問題への対応はすべて「年越し」となった。

しかしこれらの動きが、ことの真相を解明し、病因を除去するためのものだとは思えない。むしろ真相・病因を覆い隠すための大騒ぎではなかろうか? 姉歯(だけではないだろうが)の犯行が可能となったのは、一九九八年の建築基準法改正があったからである。それまで建築確認は行政の仕事だったが、民間でもできるようにした。

共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に至るまで、これを一般的な規制緩和の問題だと報道している。橋本龍太郎政権もスローガンにしていた「民間にできることは民間に」という政策体系の一環だというのである。

違う。この建築基準法改正は、マンションなどの建設に地方自治体がブレーキをかけることを封じるために行われた建築業界特有のものだったのである。 マンション建設は、地方自治体にデメリットをもたらす。建築作業中は、周辺住民に迷惑をかける。完成後も日照権の問題を生じやすいから、周辺住民はおおむね反対姿勢である。子どもたちのために幼稚園、小中学校などを用意しなければならないから財政の持ち出しも大きい。

一九八〇年代以降、多くの自治体が、マンション建設について「要綱」などをつくり、一定の条件を満たすものでなければ認めないという姿勢をとった。建築確認をするのは自治体だからこそ、要綱には威力があった。

建築確認を民間に開放するということは、自治体のマンション建設規制を無力化することだったのである。 この改正についての当時の新聞論調を見てみよう。「朝日」は同年四月二八日付の朝刊オピニオン面「みんなのQ&A」でこの問題を取り上げている。「建築基準法改正 材料や設計の幅広がる」というタイトルで、両手をあげて賛成のトーンである。 検査業務の民間開放についても、自治体の建築主事だけができる当時のシステムでは、「人手不足で、違法建築が野放しになっているといわれる」と指摘。改正案を全面肯定している。 朝日が肯定する政府施策を批判する新聞はない。つまり日本のメディアはそろって98年の建築基準法改正に賛成した。

この背景に何があるのか。マンション販売のさい、業者は巨額の広告費を投じる。クルマならTVコマーシャル重点だが、マンション販売の場合、消費者は詳しい条件を何回も見て確認するから活字メディア優位となる。つまりマンション建設が活発になれば、新聞業界が潤うのである。 この問題を担当する建設省(現国土交通省)記者クラブは、怪しげな存在である。郵政省(現総務省)記者クラブには、新聞社の電波利権を確保するための「並取り記者」がいるのが常識。建設・国土交通省の場合は、「広告取り」記者がいる。 本四架橋の橋とか、東京湾アクアラインとか、税金の無駄づかいである愚かな工事の竣工直前に「祝○○完成」とか銘打つ全面(ひょっとすると見開き)広告を出させる。広告主は工事請負のゼネコンだから、「天の声」に従うとされる。永田町、霞が関で「天の声」とは担当省庁の意向である。建設・国土交通省担当記者は、この天の声を出させることが仕事となっている。 建設・国土交通省は土木・建設業界を完全に握っている。民間に比べればはるかに単価の高い官需がなければ業界はやって行けないからだ。国会議員にも強い。道路属、河川属など複数の族議員を持つのは建設省だけだった。

その政官結託にメディアも加わってスイスイと成立したのが九八年建築基準法改正なのだ。 当面の対応が一段落したら、検査業務の民間開放を廃止することが必要だろう。しかしその動きはどこにもない。共産党ですら、一般論としての規制緩和・民間への業務移転反対というスローガンで役人の利益を守ろうとしているというポーズをとることを優先している。

すべての政治勢力が、国民のために必要なことをやろうとしない。この構図が姉歯事件の大騒ぎの背後に見える。

 【寸評】

▼新年早々、NHKの拉致もの報道がけたたましかった。「横田めぐみさんを拉致したのは、北朝鮮のシン・グァンス元工作員だと、曽我ひとみさんが話していたことが新たに明らかになりました」が皮切り。「これを受けて被害者の家族らは6日、記者会見し、事件の真相解明と被害者の早期救出を訴えることにしています」と続いた。じっさいに記者会見が行われたのはご存じのとおりだ。 当然のことだが警察は、北朝鮮から帰ってきた拉致被害者全員から事情聴取している。その内容を小出しにして、北朝鮮への反感を煽るにはNHKが最適のメディアだというわけだろう。

地村、蓮池両夫妻(当時はともに恋人同士)が拉致されたのは一九七八年だが、この年、拉致未遂事件もあった。朝鮮語を話す男たち数人がアベックを襲い、現場にはハングルが書かれた遺留品もあった。 日本の警察は、世界に例のない外事部門を持っている。それなのに、この年ひん発した「謎の失踪事件」が拉致だということを見過ごし、事件への対応を二〇年あまり遅らせた。その巨大な汚点を批判もせずに、警察の広報係を演じているNHKは、もはや言論機関の資格を失っている。

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田中 良太

E-mail gebata@nifty.com

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拉致問題については、警察なり外務省なりでつかんでいたことはあったんじゃぁないの?だけど動けなかったんだよね。北朝鮮が怖いとかという問題よりも、首を突っ込むのがいや、責任を取りたくないという役人根性だったんじゃぁないの?政党にしてもそうさ。拉致だと認めるとこんがらかるから・・・日本国民を何で守らないんだ?でもって、今頃北朝鮮の脅威を喧伝し、9条を変えようなんてとんでもない。その前にやることをやっておくれ、時をおかずにね。

確かに小泉が北朝鮮へ行って、戻ってきたさ。でも、それは小泉が出来たというよりも北朝鮮の側の都合だと思うよぉ。良太さん、そのせいでか「負けるな小泉純一郎」とかいう応援の文章まで書いちゃってる。ま、いいかぁ。この伝言板にその文章を載せるわけではないから・・・また、ここはいろんな意見を載せるところだから・・・ただし、補足はさせていただくけれど・・・あひるさんは小泉を応援しているわけではなく、地方紙ならこんなこともかかれる自主性があるよということが言いたかったんだよね。

きっこ日記、私は面白いと思うよ。若い女性の感性で書かれている。怖いものしらずだねぇ。元気な女性、もっとたくさん世に出るといいなぁ。





No.1

はつ工房展

 はつさん
06/1/5

ご無沙汰しております。皆様いかがお過ごしでしょうか。今年の「はつ工房」は、この作品で年が明けます。

銅で作った猫たちの作品を中心に、今回は他のパターンにもチャレンジして皆様をお待ちしています。ぜひお越しください。

わっ!和っ!輪っ! そして猫 自在に変化する銅の表情と熔けあって、そこには「うふふ」の空間が出現することでしょう。




はつさんの猫はなかなか元気がいい猫なのだ。飾っておくと元気が出るよ。

2006年20日(金)〜31日(火)

場所は、武蔵引田駅徒歩10分。ギャラリー遊心庵はこの辺。はつさんの作品はこちらを見てね。で、お車の方はおおぷなぁにも足をお伸ばしください。お勧めのお店です。





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りっちゃんちはです。