彫刻家・和南城孝志(わなじょう たかし)
Wanajo takashi
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思い出の地(イタリア・日本) 亡き後の世界 寄稿文 皆様からのお便り 和南城家ルーツ前編 ・ 後編
(和南城孝志の友人・知人らから頂いた)
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(頂戴した年賀状やお便りの中から抜粋して掲載させていただきます。)
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2017・2016・2015・2014・2013・2010・2008年
(引用文) 藤原新也氏の手紙 ・内藤浩市氏の入稿 ・喪主(和南城洋子)の挨拶
お便りや賀状から
* 彫刻家・和南城孝志さんのこと時々思い出します。なつかしいです。群馬に作品がいくつか
あるので……ふと出合うことあります。笑い顔の和南城さん思い出します。
いい作品に出合えます。 群馬県前橋市 Y.O
* (群馬県沼田市)サンポウさんの本社にある作品を 改めて鑑賞させて頂きました。
群馬県沼田市
2023年度
* 県内の美術関係のあちこちで孝志さんの作品に会うことがあり大変なつかしく活躍された頃の
ことおもいだします。 群馬県前橋市 Y.O
* サンポウさんの入口付近にある和南城孝志三の作品を時々拝見させて頂いています。
群馬県沼田市 Y.M
* HP(孝志さんの)すごいですね。 埼玉県 K.H
故人もさぞお喜びのことと思います。 埼玉県和光市 K.N
2022 年度
* これだけのお仕事をご立派になされ、まとめられた事で後世にその偉業を残された事は
誰にでも出来る事ではないと感心いたしております。 東京都下小平市 K・A
* 永遠に近い石に形を残すのは勇気も力も意志も必要ですね。
頭の下がる生き方です。思い起こすと力をもらえますね。 埼玉県松戸市 H・I
* 和南城孝志さんの彫刻に出会うとやさしい笑顔が想い出されます。 群馬県前橋市 Y.O
* 桐生のまちや高崎の美術館で和南城彫刻作品を観るたびに 繊細な心の大きな芸術家を
想い出します... 群馬県桐生市 T.Y
* 昨年大川美術館(桐生市)に和南城彫刻が展示されていました。父の作品も(石井壬子夫)
栃木県足利市 K.I
2021 年度
* 和南城彫刻と出会ったのは 桐生からでした。
いろいろとお心遣いいただき有難うございました。 東京 K.T
* 館林美術館は 今年で20周年となります。 群馬県立館林美術館 U.K
2020 年度
* 和南城さんの笑顔と彫刻作品は いつもいつも思い出しています。
すばらしいアーティストです。 群馬県前橋市 Y.O
2019 年度
*和南城が約30年前関係した、群馬県沼田市に在るロックハート城・ウイリアムズガーデンが、
“ぐるなび”や"るるぶ”で全国の名所・観光地の人気ランキング2位に入りました。
そして新年早々、NHK 全国ネット番組「おでかけライブ」でロックハート城から生中継されました。
以下それに対してお便りを載せます。
* 「御連絡、有り難うございます。
しかし、それにつけても思う事は、私に言わせればご主人がいなければロックハートは、
もしかすればできなかったのでは? と思う事しきりです。
イタリアでは、何度も案内して頂いたりまた色々と教えて頂いたりと、陰に陽に大変お世話になった事が
昨日のように思い出されて参ります。
また、ロックハートを設計してもらったのは、ご主人の親友の飯島さんでもありますしね。
ともかく、様々な人達のお世話で、今の私は存在しています。
この年になり、他人様に生かされている事を実感として素直に受け止められるようになりました。
よく先達が、『掛けた情は水に流せ、受けた情は石に刻め』との教訓がありますが、
正にその通りだと思います。」 群馬県沼田市 Y.H
* ロックハート城のこと今まで知らなかったけれど、ネットで見ると威風堂々ものすごいテーマパークですね。
この建設に和南城孝志さんが貢献されていたとは!孝志さんはいつまでも生きておられますね。
兵庫県宝塚市 K.N
* 孝志さんの作品あらためてスゴイと感じています。
近作Ⅱ(目録)「石を砕く水」藤原新也さんの文章まさに孝志さんの作品を人間を見事に文章にしていますね。
註・藤原新也氏作「なにも願わない手を合わせる」(水に還る)に収録 栃木県足利市 K.I
* 高崎市功労者表彰の受賞まことにおめでとうございます。
和南城さんの彫刻が、いつまでも桐生で愛されていることをとても嬉しく思います。 東京都練馬区 K.T
*亥そがず あせらず のんびり 幸せな一年でありますように 埼玉県和光市 K.N
* 和南城様のお作品の評価の高まり、誠におめでとうございます。 神奈川県横浜市 K.S
2018年度
* 高崎市より功労者として表彰されたとのこと、誠におめでとう
ございます。
これで、また更にご主人様も浮かばれると言うものですね、ご存命
ならば皆で集まりグラッパで乾杯していたことでしょう。
早世されたことが今更ながらに残念でたまりません、、、、、
こうしてデスクに向かっていますが、この大理石の机はご主人様に
造って頂いた私にとっては大切な宝物です。
また私の後ろの壁にもご主人が若い頃に製作したスケッチがありま
す。
こうしてみると、私の廻りには “和南ちゃん” の匂いをあちこち
で感じ取る事ができます。~~~。
群馬県沼田市 Y.H
* 和南城孝志さんの彫刻が移築されてさらに輝きを増したのを
知って嬉しいです。
私たちが訪問したのはずいぶん前のことですが、その時でさえ
案内の奈良さんが「いい風合いになった」と喜んでおられたのを
思い出しました。
最初に接した時は「えッ、大丈夫?倒れない?」とその常識外れ
のフォルムにびっくりしましたが、説明を聞いて納得。
地上の高さと同じくらいの長さで地下にも基礎が埋め込んであり、
コルテン鋼は人工的に錆を付けてあって200年くらいもつとか。
上に載っているどっしりした大理石の見えない上部には内巻きと
外巻きの渦が彫ってあって宇宙的な意味を表しているとか。
無限の宇宙に開かれようとする精神を表現しつつ、桐生という
地元に根を張って地元の精神を生かした作品を創り上げた孝志さん
の業績はずっと人々に愛され続けることでしょう。
芸術の力は偉大ですね。
兵庫県宝塚市 K.N
* 重力のファサードのお話、たいへん嬉しく拝見いたしまし た。
最近は予算の関係で移設が難しい場合もあるのだと思いますが、桐生第一高校では作品が大切にされていて、
すばらしいことです。 本当に嬉しいニュースでした。
群馬県高崎市 R.K
* ~お便りとてもうれしく拝見いたしました。
桐生にまいりました最初の頃、街中でシンプルで力強い和南城さんの作品を拝見し、幸いにもご縁が出来ました。
大川美術館に彫刻を収蔵させていただけましたこと、いまも有難く思っております。~
群馬県・大川美術館2代目元館長 K.T
* 桜の花と『重力のファサード』すばらしいですね・・・。~夜間のライトアップ新入生たちよく見てくれるでしょう。
作品は残り生き続けます。
群馬県前橋市 Y.O
* 桐丘学園に設置された「重力のファサード」は、いつも通りかかると木々の中に埋まっており
寂しい思いをしていましたが、何と一番の注目場に移設されました。
地下深く掘る作業は大変だったでしょうが 現代機器を使って野村建設が無事にやりました。
和南城作品を群馬の街・美術館で目にする毎に早過ぎた人生を惜しむ切ない心持です。
群馬県桐生市 T.Y
* 二人のお孫さんのお世話 彫刻家も楽しそうに見ています。 群馬県前橋市 Y.O
* 伊藤アキヨシ作
* よい仕事、よい作品・・・・・楽しみでした。 群馬県高崎市 T.S
* 和南城家ルーツ前編・後編を楽しく読ませていただきました。
写真と文章、素晴らしですね。是非続編を読みたいものです。 大阪市 H.O
* HPを拝見して素晴らしい作品を直に見たくなりました。 東京都あきる野市 H.Y
* ホームページリニューアルで和南城孝志さんの作品にまた合えて・・・・なつかしいです。
お元気な頃のはにかむようなお顔を思い出します。
群馬県前橋市 Y.O
* HP拝見しました。高々の同級生でした。懐かしさで一杯です! 東京都府中市 Y.I
* さっそくHPを拝見します。 群馬県前橋市 H.T
* 時々、園庭の山房を見ると思い出します。 栃木県足利市 M.O
* 和南城孝志さんのページを見てまた感動しました。奥様と御主人様にも。天国で見守ってくれてますね。
茨城県那珂郡 M.H
* 高崎には、御主人様の作品が、いろいろなところで見ることがあり、思い出しております。群馬県高崎市 R.T
* 豆と胡麻を入れたお餅なつかしいですね。 群馬県利根郡 A.I
* 大川美術館と県立美術館で作品を拝見いたしました。 栃木県足利市 K.I
* 孝志氏の作品が偲ばれます。 東京都新宿区 T.Y
* 奥様の継続的な取り組みに孝志さんも喜んでいると思います。 群馬県沼田市 K.U
* 久しぶりに、和南城作品を高崎シティギャラリーで拝見しました。 群馬県高崎市 T.S
13回忌法要の後 群馬県立近代美術館に審査により(初期の習作から晩年の作品まで) 計5点寄贈決定
* 和南城孝志作品が、いつでも県立美術館で観れますね・・・・いつでも合いに行きたいと
思います。
和南城さんの元気な頃のはにかむような笑顔をなつかしく思い出します。
いつの日にか 大きな全作品個展が開かれて、和南城芸術の世界を見たいものです。
県で開催される時を楽しみにしています。
群馬県前橋市 Y.O
* 石に意志を托すというのもすごいことだと感じました。
千葉県松戸市 H.I
* せっかくの作品も、人に見ていただいて、初めて生きていることになりますから、
本当によかったですね。
北九州市 K.T
* 和南城さんの彫刻は抽象的なものでも、とてもヒューマンなもので 石の肌は素材性が
生きていて清潔な色気がある氣がします。
群馬県桐生市 Y.M
* もう13回忌ですか。 早いものですね。
洋子さんの心が通じ、和南城さんの作品が 美術館に入り 嬉しいです。
おめでとうございます。
東京中央区 S.E
* 百花繚乱の素晴らしい春を向かえた そんな折和南城さんからの吉報に大変喜んでいます。
孝志さんのあの満面の笑みが浮かんできました。
井上房一郎さんのコレクションと共に収納されることで井上さんも大変喜んでおられると思います。
群馬県桐生市 E.Y
* 吉報が13回忌に合わせる様に届いたとか!!
永久に着地を得られ本当におめでとうございます。
埼玉県草加市 M.H
* 春爛漫の本日、嬉しいニュースが入り本当におめでとうございます。
これで、ご主人様の “生命” が永遠に生き続ける事になりますね。
さぞかし、天国で喜んでいることでしょうね。
それと同時に 『洋子、良く頑張ったなぁ!!!』 と。
私も折りをみて県立美術館に収まっている作品を見に行きたいと思っています。
群馬県沼田市 Y.H
* ご寄贈のこと 誠に喜ばしく思います。これでまた和南城さんの作品を観ることができますね。
東京都新宿 T.Y
* 桜と共に喜ばしいお便りをありがとうございます。よかったですね!
群馬県高崎市 Y.Y
* この度は嬉しいお便りをありがとうございました。
早速お店にいらっしゃるお客様との話題にさせていただきました。
永久に保存され未来の人達にまで、その名前を残せるなんて・・・・・・本当にすごい事ですね。
群馬県伊勢崎市 M.O
* ご寄贈認可決定の事、まことにおめでとうございます。私どもも和南城作品、大切に致します。
群馬県桐生市大川美術館K.T
15'1月
* 時々、和南城さんの作品のことや、人格をなつかしく思い出します。
「羊と女」いい作品ですね。
和南城さんのあたたかさが伝わってきました。 群馬県前橋市 Y.O
* 庭に飾ってある(和南城)作品を見ていると故和南城さんの顔の素晴らしい笑顔を思い出します。
東京都 K.N
* 最期の病床で、『次はどんな作品を創る積もりだ』と、熱く語ってくれたのが、
凄い芸術家だと感極まり泣きださないようにこらえるので必死だったことを、想いだします。
それが人生の一つの教訓になっています。 東京都 T.G
* 3月6日の命日を前に一言 『忘れない存在ですよ!安らかに。』
14'3/5 群馬県桐生市 S.N
* 大川美術館に今日行って来ました。~和南ちゃんの作品まで行き着き、ポツンと静かにただずんでいた様を見て、
何とも懐かしく、嬉しくて、少し時間が経つと無性に淋しくなり、また悲しくなり、幸い自分以外は誰も居なかった
ので何度も何度も作品を撫でて会話をして来ました。数え切れないほどの想い出が走馬燈のように甦り、
年甲斐もなく1人でウルウルしてしまいました。行って良かったです、、、、、、、、、、
* 和南城さんの彫刻には、「井上(房一郎)さんの眼」を感じることが出来ます。
14'1/ 群馬県 R.Y
* 早いものでもう11年ですか、今でも孝志さんのあたたかい言葉が思い浮かんできます。
14'1/1 群馬県 R.I
* 私宅のメビウスの輪・他の御作品を手で撫でて先生を想い出しています。
13'1/1 群馬県太田市(M.K)
* 孝志先生のお心と作品は天が限られた人にだけ与えられた永遠の命と思っております。
孝志先生は今も生きておられます。 13'1/1 群馬県高崎市(K.W)
* 県内の美術館やギャラリーで・・・孝志さんの彫刻に合います。
作品の中に和南城孝志さんは生きています。 13'1/1 群馬県前橋市(Y.O)
* 和南城さんからいただいた道具を使うたびに、和南城さんの事思い出します。
13'1/1 群馬県伊勢崎市(F.T)
* 庭に飾ってある作品を見ているとご主人の姿が想い浮びます。
13'1/1 埼玉県和光市(K.N)
* いつも部屋にある和南城さんのレリーフを見ながら思い出すことがあります。
13'1/1 群馬県桐生市(E.Y)
* 桐生図書館前の和南城さんの彫刻をみて中年のご婦人が「私はとってもよく分かる。
これは人生、山あり谷あり 油断をすればずり落ちる、しっかり締めよ、褌(ふんどし)を。と
いうことなのよ。」 私は大笑いしましたが、この話を和南城さんにしたところ、
至極まじめな顔で「そのとおりです」といったのを思い出しました。
13'1/1 群馬県桐生市(Y.M)
* 美祢の和南城さんの作品もすっかり地元になじんでます。
いろんな所で和南城さんの作品に合えるって素晴らしいです。 11'1/1
山口県美祢市(H.G)
* 上武大学 三俣記念館
*
「地の軸」(高崎信用金庫)は、本店新築の際、(和南城)先生の作品を飾りたいということで、
私が直接先生にお願い申し上げ、展示させていただいたのでございます。先生の作品のほかに、
反対側の公開空地に船越保武先生の「EVE」’87年作ブロンズ(197cm)も展示いたしており、2つの作品
は多くの方々に鑑賞していただき好評を得ております。
今後も作品を大事に扱わせていただきますので、ご放心下さいますようにお願い申し上げます。
先生の作品は前記のほか、’92年作42.8cmを収蔵しており、役員階の応接室に飾らせていただいて
おります。
06'5/31 高崎信用金庫 理事相談役 黒川 篤
*
私が医学部長時代、篤志家からいただいた高額な寄付に同窓生の寄付を加えて1.5億円でホールを
建設しました。その玄関に和南城さんの大理石彫刻を設置しました。
2008年1月26日 後藤文夫
* 私にとって孝志さんは、魂の生きる場を求めて海外にまで行き、自分を見出し鍛えた者が共有する同志でもありました。
米国滞在(T.N)
* 庭の和南城孝志さんの作品を観ていろいろ思い出します。
埼玉県和光市(K.N.)
* 桐生図書館前の「作品」をみて、いつも和南城さんのこと考えます。
群馬県桐生市(Y.M)
* 有限の期間の中で満足できる軌跡を残せることは素晴らしいものと思います。
群馬県沼田市(K.U.)
* イタリアのことを思い出すたび和南城さんにお世話になったのを思い出します。美祢の作品も青空に映えてます。
山口県美祢市(H.G)
* 和南城孝志様は早く逝ってしまいましたが、いつまでも人々の心に深く、深く残る人だと思います。
普通の人が100才まで生きた以上の足跡を残していかれました。
群馬県沼田市(Y.H.)
* 時々和南城孝志さんのことや作品思い出します。昨年も桐生市にある作品拝見しました。
いい仕事です。彼の笑顔思い出します。
群馬県前橋市(Y.O.)
* 群栄化学本社計画の際玄関に面した庭に、“水の流れ”をイメージした作品をお願いしました。
その折は、私のわがままな要求に、多数のスケッチをもとに、誠実なお人柄そのままに気持ちよく
対応して頂いた事、今も心に深く残っております。
大阪府守口市(Y.O.)
* 和南城氏の作品について造形美が何ともいえずつい目をやりますと少年少女の子どもたちが寝そべったり滑り台
にして遊んでおりすっかり環境にうちとけこんでおりほほえましいかぎりであります。
自然の中に人為的な手が加えられてはいますが、春夏秋冬生きている石と表現させていただきます。
館を預かるものの一人として感謝の念にたえません。
群馬県桐生市図書館(Y.O.)
* 彼の作品を身近に置いて、毎日一声かけていますよ。
群馬県高崎市(K.S.)
* サンポウさんで若い石彫家に逢ったときに、和南城さんにお世話になった。
和南城さんが一つの目標だとも言っておられました。
そうした意味でも、遺る作品を大切に、と。
東京都新宿区(K.N.)
* 美祢のトーラスいつも大空を見ています。
山口県美祢市(H.G.)
内藤浩市氏の入稿 (日本石材工業新聞社)
[和南城孝志彫刻展] 平成16年2月11日
追悼-石に宿した進化の過程が・・・・・
和南城孝志展は、2004年2月2日から10日まで東京7丁目の77-galleryで開催された。
和南城氏は、日本で彫刻家・矢崎虎夫氏に木彫と塑像を学び、その過程でイタリアの彫刻家・クロチェッティ氏の作品に
私淑され、国立ローマ美術アカデミーでクロチェッティ教室から卒業の後、20年余りを本場のローマで、創作・制作
活動を展開された。1995年から出身地の群馬県高山村のアトリエで本物志向の石彫作品を展開され、はじめていた。
だが、2003年3月、ガンのため、53才で帰らぬ人となられた。その遺作展である。
★
● 三つの進化過程
作品は、初期の作品から病床で制作された最後のエッチング作品まで30点ほどが展示されていた。石、ブロンズ、金属、
紙、スケッチなど多彩な芸術家のメッセージの三つの表現の進化過程を垣間観るような展覧であった。
進化の第一は、具象から抽象への形態表現である。
ローマ時代(1970年代)の初期の作品までは、ブロンズなどの小品であったが、みなデッサン力のしっかりとした、
躍動感のある作品であった。次第に大理石の「ひねりのある形」(1982)のように抽象作品へ移行されていく表現の進化
の過程がみえた。そして、群馬県の大理石村に設置されている大作(2001)にいたる思索と試作の表現の過程にあった。
第二は、木から石への素材表現である。
その過程は、刻み、彫ること自体への心と技能への挑戦であり、作家のメッセージと制作場所での表現手段である。とくに
和南城氏は、彫刻家への道程を木から入り、大理石でも採石される場所の相違までその素材にこだわり、魅力を熟知され、
制作されていた。
かって桐生市文化センターに制作された石のモニュメントは、地元産の利根村の石の採石にこだわって制作されたことを
想い出す。ここでも日本で木彫から彫刻の道にはいり、石に至る進化の過程がみえた。
素材は、作者のメッセージをモノに託するために避けられない表現手段だからである。
第三は、グラジュエーションからコントラストへの立体表現である。
初期のデッサンは、和紙で墨のぼかしを生かした日本画の手法を取り入れた立体感のある描写である。旨いぼかしの技法で
ある。しかし陽光の加減か、石という素材からか、表現の陰陽がハッキリと対比する時期がある。それはたぶん、自由な
筆線と余白から幾何学的な紋様へ変化していく過程であったのだろう。
● 作家の原風景
会場でご遺族から、お話も拝聴した。
和南城氏は、手先はキヨであった。中学時代にはラジオを組立てたり、機械イジリが好きであった。
アトリエでも自作のものは自分で装置は創作したという。
アトリエでマケットから数倍の具象作品の彫像の原形の制作中を拝見した。旨い手製の道具で定点を移動されていた。
幾何学の原理の応用である。やはり、モノ造りには、手は脳の表現で大事である。とくに彫刻家には肌合いという触覚も
必要であろう。勘という経験則を覚えるのも、若い頃の目と手と身体である。
遺族がアトリエを整理された。その中には、蔵書の処分がたいへんであったと聴く。
和南城氏は、会やグループで集団で行動されるような群人ではない。読書を好まれ、とくに旅行記などの異文化を模索
されていたようである。そして、イタリアからギリシャ、トルコ、ネパールなどへ、バイクでひとり旅(Traverl)
をされていたようである。旅ではいろいろな事象に遭遇する。芸術家の旅は日程はない。方向性さえあれば、自分の
モチーフをどこまでも探し求めて歩く。スケッチをする。感動する光景があれば、逗留する。
スケッチを拝見すると、ネパールに関心があったようだ。1990年代のスケッチには、幾何学模様がいろいろと登場し、
模索されていた。旅の心象風景に作家の原風景をみる。
地にも、歴史という時間にも明るかった。地理、地質、地層などにも関心があられた。
桐生へご一緒したとき、両毛線、水戸線はモノづくりの街であり、それらを運ぶ鉄道でした。丘陵と平野のせめぎわには
地下の鉱物がいろいろと眠っていて、面白い場所です。桐生の織物の手仕事とパチンコ機械の文化の話もできる人だった。
食も詳しかった。文化人であった。
アトリエには、構想を模索中の粘土の模型やスケッチがたくさんあったという。
しかし、素人にはその過程はなにも判らない。心を形に宿す次作への過程の準備であったろうか。
★
和南城氏は、志は半ばであったろうが、天職を全うされ、石に宿した内なる想いに進化の足跡を遺されて、あの世へ
旅立たれたのである。
彫刻という芸術を本場のイタリアのローマで、しかも、尊敬する一流の師のもとで、制作と空気という一流の文化と文明を
ともに体得された。豊かな希望にみちた青春時代で、さぞ満足であったろう。
遺作展は、日本の一流ファッションの花道-マックス・マーラー、バリー、ディオール、シャネル、ヘルメスが並ぶ
-東京・銀座の並木通り。それは、文明開化の柳の街でもある。日本人の歌謡曲では憧れの街である。当日はなぜか、
冷たい風と涙雨が夕方の銀座の石畳を濡らしていた。
「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしきかな 啄木」。
一流の本物づくりという重い坂道への登山をやめて、ゆっくりとお休みください。
生前のご交情に感謝して、ご冥福を祈りたい。 (内藤浩市筆)
* 藤原新也氏の手紙(1944年3月、福岡県生まれ。写真家・文筆家・画家。和南城孝志作品集・近作Ⅱの前書きに
【石を砕く水】を=『なにも願わない手を合わせる』(東京書籍)【水に還る】を執筆・収録。
(クリックすると拡大します。)
喪主(和南城洋子)の挨拶 2003年3月10日
本日は、近親者だけの家族葬を行うところ、このようにご遠方からも、多数の方々にご会葬いただきまして心よりお礼申し
上げます。
亡夫 孝志と、私は約30年前イタリア・ローマで出会いました。
当時 孝志さんは、国立アカデミー彫刻科の学生で、私はピアノの勉強で留学中、そしてあと数ヶ月で帰国を向かえようと
していた矢先でした。
滞在許可の延長申請でローマのクエストゥーラに出かけており、椅子に腰掛け順番を待っているおり、色々な人種の人たち
に混じって、アジア人と思える男性2人が、遠くで話していました。時間が過ぎるにつれ残っている人も少なくなり、ついに
はアジア人と思しき人の一人も席を立ち、残りの男性が、一人になると、何と(!!!!????)カバンから日本語の文庫
本を取り出し読み始めたのです。
イタリアに留学してきて後、 日本人と一切付き合う機会が無かった私は、とても懐かしい気持ちになり、たぶん無意識に
じっと見つめたのでしょう。
彼もふっと頭を上げ目が合うと、立ってきてイタリア語で私に話しかけてきました。私は、彼が日本人だと分かっていたので
日本語で答ました。
滞在許可申請が終わり、途中まで同じ方向だということで一緒に帰り、分かれ道を別々に歩み出した時、何となく彼が私を
追いかけてくるのではないかと 一種の霊感のように感じたのが、二人の交際の始まりです。
結婚するまでの4年間、費用を貯めては私がイタリアに出かけ、時には高い国際電話をかけ、日時を有する(イタリアは、
当時ものんびりしていて、ストライキも頻繁にあり)航空郵便での、交際でした。
知り合ってから何時でしたでしょうか、下宿先の庭先に置かれていたベンチに腰かけ、私が2階から下りていくのを待つて
いた時の、彼のうつむき加減の姿が、今でも目に浮かびます。その時の印象は一口で言うなら、“若き孤高の人”、そして
"哲学的な思索家”と言う感じでした。
当時のそれまでの私の人生には、考えもおよばないタイプの人でした。
文字通り、苦学しているにもかかわらず、卑屈になったりひがむところがなく、大きな夢を抱き、ロマンに生き、
大きな巌が歩むがごとく 強い信念で一歩一歩目標に向かって進み、常に孤独を愛しました。
孝志さんは、彫刻は一生残ると言う意見に懐疑的でした。
亡くなる1週間前、作家の藤原新也氏がインタビューしてくださった折にも、同じような質問があり、孝志さんは、
「いや、彫刻も壊れるときには壊れるし、つぶれるときにはつぶれ、他の芸術品と同じですよ」と、申しました。
そのとき私は、彼の中でようやく死というものを受け入れることができた姿を見たように感じました。
まだまだ彫刻家として、これからというときに病に倒れ、あまりに理不尽なことに、一時は自分を責め他人を責めたこと
でしょうが、癌という病に真正面から向き合い闘い 最期は、死というものをそのまま受け入れたように思います。
その姿は残されたものに勇気と力を与えました。
好きなことをやり、すばらしい仲間や友人に囲まれ最高に幸せな日々だったと思います。
亡くなる寸前まで、制作予定の作品集のことを気にかけておりました。
これからは、私が彫刻家和南城の遺志を継いで、一日でもはやい作品集の完成に向け努力し頑張りたいと考えております。
皆様のご健康とご健勝をお祈りして挨拶の言葉とさせていただきます。
色々なご厚情に感謝しお礼申し上げます。有り難うございました。
(和南城洋子筆)