彫刻家・和南城孝志(わなじょう たかし)
                                       Wanajo takashi  


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      和南城孝志さんの彫刻を訪ねて      中川慶子筆    2006年5月20日

  和南城洋子さんからの絵葉書で孝志さんの彫刻には何度か出合っていたはずなのに、長い間「和南城さんたちはピアニスト
 と彫刻家の芸術家カップルなんだ」というくらいの認識しかもっていませんでした。衝撃を受けたのは、出版される予定の
 作品集の英訳をすることになり、参考にとメールで送ってくださった「重力のファサード」と「イメージの水」を見たとき
 でした。「ヤヤッ、これはまるでイギリスのストーンヘンジじゃない? それに石で水を彫るってどういうこと?」
 それまで私の見てきた野外彫刻は具象的なものか、材質や色彩、形態に凝った現代風なものが多かったので、このように
 シンプルで古典的で大型の彫刻に意表をつかれたのです。しかもその説明たるやとても哲学的。英訳に苦心惨憺した分だけ
 「一度実物に会いたい」との思いがつのりました。(註 作品集和南城孝志近作Ⅱ1983-2003 の英訳)

  そして、とうとう今年2006年の5月10日にそれが実現したのです。授業を終えて夕方の新幹線にとび乗り、一路高崎へ。
 翌日は高崎に設置してある6つの彫刻を、12日には桐生の奈良彰一さんの案内を得て7つの作品を、洋子さんのお供をして
 訪ねることができました。

 13作品のうち11作品が野外・屋内彫刻作品集Ⅰ・Ⅱのページにアップされていますが、すべてがすべて生きていました。
 作品集の写真が死んでいたと言うわけではありませんが、何年かの歳月を生きてきた実物には迫力が感じられます。
 高崎や桐生の方たちに愛され見守られつつ、木々が茂り、竹が伸び、こまめに手入れされて、設置されている場所に
 しっくりとなじんでいるのです。二、三の作品を紹介いたしましょう。

イメージの水  最初に訪れたのは「イメージの水」。群栄化学工業の本社玄関を入ったところにある広々した
 ロビーの正面に見える中庭に、それは堂々と存在していました。「生命の木――賢者の石」という
 サブタイトルをもったこの作品は、ガラス越しに広がるひとつの宇宙です。中庭に注ぐ太陽の光と
 そこに充満する気。水の流れが彫り込まれた巨石から生命を象徴する木に命の水が流れ落ち、
 絶えることなく大地を潤すのです。(『近作Ⅱ』 29-31)孝志さんが最後の病床で藤原新也さんに
 語られたことば「いま、水にいちばん興味を持っていましてね。水を表現する彫刻を作りたいのです」
 (『空間への旅』 34-35)について、藤原さんはこれを彫刻家としての和南城孝志の成熟と説明しておられます。
 読んでいると涙ぐんでしまう一節です。多分1992年のこの作品で宇宙を形作る一要素としてイメージしていた水が
 2003年にいたるまで反復され成長して、そのイメージが藤原さんの見られた「大きな石の四方から四つの海洋に向かって
 水が蕩々と流れている」デッサンへと結実していったのでしょう。最期まで夢を持ち続けた彫刻家、和南城孝志がそこに
 いるような心持でしばし洋子さんとそこに釘付けになったのでした。

交叉するメビウスの輪  上武大学三俣記念館の庭に設置してある「交叉するメビウスの輪――無限」はイタリア産赤大理石
 でできています。理事長さんたちと話していて、それが孝志さんの仕事場のあった沼田市の
 「石のサンポウ」(会長の平井良明さんは孝志さんの支援者)に並んでいた作品群から気に入って
 購入されたことが分かりました。メビウスの輪は某社のパソコンの愛称にも使われていて、私たちにも
 なじみのあるものですが、表になったり裏になったりしつつどこまでも続いていく輪廻転生のこの
 世界をイメージして創られたものでしょう。平井さんによれば、製作に1年半もかかったそうです。
 直系約3メートル、重さ約3トンのモニュメントは小さなステンレス製のパイプで支えられているだけ
 らしいのです。施工するときに平井さんが「和南城さんこれ大丈夫?」と聞くと「大丈夫でない」との
 答が返ってきたので、「じゃ、地震がきたりなにかして倒れて怪我をしたらどうするのですか?」と
 聞くと「アートというものは、危険で緊張感があっていいんじゃないですか」
 (『空間への旅』116-18)と平気な顔で孝志さんが答えたそうです。イタリアや沼田にこもって製作に
 励み、合間合間にネパール・バンコクなどのアジアやギリシア・トルコ・スペインなどを旅して回り、家庭を顧みず(??)
 彫刻に心血を注いだ芸術家・和南城孝志の面目躍如たる、この世の憂いを超越したエピソードだと思われませんか?

  一夜明けて12日には列車で桐生に。桐生は桐生織物や足尾鉱毒事件の渡良瀬川で知られた町です。桐生文化の仕掛け人で、
 最初から和南城彫刻に肩入れしてこられたマルチ文化人の奈良彰一さんが、忙しいなか案内兼ガイドをしてくださり、
 車での彫刻巡りとなりました。桐生市立中央公民館の正面階段の真ん中に布のように横たわっている「溶融感覚」
 多数の市民の寄付でできたものだそうで、子どもたちがその上で遊んでくれるようにとの願いをこめて創られたとか、
 サンロード長崎屋入り口に飾ってある「輝ける太陽」は商店会のみなさんが寄付を集めて設置されたとか聞くと、
 和南城彫刻が出身地桐生の市民の中に息づいているのが実感されます。ちなみに桐生は歴史家・羽仁五郎の出身地でもあり、
 奈良さんのお話の中で『都市の論理』が引き合いに出されたり、公民館の庭に五郎さんから寄贈された彫刻「望み」が
 飾ってあったりして、なかなか面白いところです。

重力のファサード  桐生第一高校は高校野球で名を馳せた高校ですが、校庭には「重力のファサード」、エントランスホ
 ールには「交叉するメビウスの輪」と和南城作品が二つも設置されています。理事長さんとの話の中で
 奈良さんがこの学校の同窓会名誉顧問だと分かり、納得したものです。
 「重力のファサード」は大きな石を支えている鉄板がほどよく錆びて新緑に映え、とてもいい雰囲気に
 なっていました。コルテン鋼というこの鉄は錆びるけれども腐食しないとかで、製作時の意図通りに
 変化しているそうです。和南城彫刻が、制作に時間をかけるばかりでなく、百年先千年先という宇宙的
 な時間感覚のなかで製作されている証拠を見たような気がしました。施工の時には地下深く基礎をうずめて設置したとのこと
 で、薄っぺらな鉄板が重い石を支えている、信じられないようなこの形態が不思議にどっしりと感じられるのは、目に見えな
 いそのような基礎があるからなのでしょう。作品集の説明によると、孝志さんは「太古の時代人間が自然ともっと密着した
 生活を営んでいたとき、……、太陽、月、星、山、川、石や樹といったものに“内なる魂”あるいは自然界の中に存在する力
 (エネルギー)を明確に意識していたのではないか」と考え、この石の太陽と月に向かう面に「ミクロコスモス」――
 「四角く内にだんだん縮小していく渦巻き」と「マクロコスモス」――「丸く外に向かって拡散していく渦巻き」を彫った
 そうです。(『近作Ⅱ』 33-35)残念ながら石の上の渦巻きを見ることはできませんが、万有引力をことさらに意識させら
 れるこの形態が、引力に逆らって広く宇宙に開かれているのだという逆説的な印象を与えてくれるのは、このような
 製作者の魂が観るものに伝わってくるからかもわかりません。

垂直Ⅱ  私たちの彫刻巡礼は「溶融感覚」で幕を閉じました。この「溶融感覚」や桐生市立東小学校の
 「はばたく形」が桐生特産の織物をイメージしているとすれば、パークイン桐生のロビーを飾る
 「垂直Ⅱ」は織機の杼をイメージしています。和南城作品は宇宙的・哲学的観念と子どものころから慣れ
  親しんだ身近な物、あるいは旅で出あった具体的な物との融合によって普遍性を獲得したと言える
  でしょうか。

  この旅には、作品のその後を見届けるという意味とともに、設置者の方々と洋子さんとの交流があっ
 たり、紛失した説明板をつけてほしいとか、彫刻に覆いかぶさっている樹の枝を少し透かしてほしいとか
 を依頼したり、不明だった設置場所の確認をしたりという実際的な成果もいくつかありました。
 そして何よりも私が深く感じ入ったのは、和南城作品の最初の購入者であり、結婚後一貫してこの一途な
 彫刻家を支え続け、亡くなった後には支援者と共に作品展や回顧展を開催し、作品集や回顧集を出版された洋子さんの献身
 ぶりでした。洋子さんと出会ったからこそ、孝志さんはこの世のあれこれを思い煩うことなく、自由に芸術の世界に没頭し
 て、想像力の羽ばたくままに骨身を削って数々の傑作を世に送り出すことができたのでしょう。
 私には洋子さんもひとつの芸術作品のように輝いて見えたのでした。

参考資料
 和南城孝志編『和南城孝志近作Ⅱ1983-2003』77gallery(編集協力)、2003年
 和南城孝志さんを偲ぶ会編『空間への旅―彫刻家和南城孝志を語る―』高崎市民新聞社、2004年


中川慶子(なかがわけいこ)略歴(1942年生まれ~2019年2月23日)
    兵庫県宝塚市出身。大阪教育大学附属池田中学・大阪府立櫻塚高校卒業 (和南城洋子と同級) 
    大阪大学文学部卒業 英文学者、元園田学園女子大学教授
    『原発の危険性を考える宝塚の会」ご主人の中川 保雄(なかがわ やすお1943年ー1991年5月)の遺志を継ぎ
     元理事長を務める。
    「マーク・トウェイン文学」や「反核シスターロザリー・バーテルの軌跡」等数多くの翻訳本がある。
     作品集『和南城孝志近作Ⅱ1983-2003』の英訳を受け持つ。

  

     
 高崎シティギャラリー・光の山脈やまなみ)1992  上武大学・交叉するメビウスの輪 1993  群栄化学工業・イメージの水 1992


     
 高崎信用金庫・地の軸 1995  高崎共同計算センター・八偶を照らす 1986  

     
 桐生第一高等学校・重力のファサード 1985    桐生市立中央公民館・溶融感覚 1981

     
 ミツバ本社・円のイメージ 1981  桐生ガス・輝ける太陽 1992  桐生市立東小学校・はばたく形1993

         
 パークイン桐生・モチーフ/垂直Ⅰ 1980   高崎市豊田屋旅館 文化財国指定 明治17年開設 二人で宿泊する 




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