彫刻家・和南城孝志(わなじょう たかし)
                                        Wanajo takashi  


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作品集 近作 Ⅱ (1983-2003) Opere Recenti  Ⅰ (1976-1983)

                          * 下方 記事書き起こしあり(針生一郎氏・井上房一郎氏・奈良彰一氏)


      



       


 

   作品集 1976~1983

   * 記事書き起こし

  原型に向かって、原型をこえる道   針生一郎
 
 
彫刻ほど風土、伝統、時代といった共同体の感性に、深く根ざしている芸術があ
るだろうか。たとえば、日本の明治時代やソ連のスターリン時代には、銅像とよば
れる人間像のモニュメントが数多くつくられたが、それらの彫刻をいまみると、力
みかえったコケオドシの表情、姿態の底に、暗くちぢんだ感性がすけてみえる。
それらができあいの観念や情感を材料に押しつけたのにたいして、むしろ材質との
対話から形態をみちびきだすのが、現代彫刻の出発点だといえる。だが、戦後の日
本では、個々の彫刻家が思い思いに自由な形態をたのしむだけで、共同体の基本理
念や造形の骨格を容易に形づくらない。そこで、その欠落に気づいた何人もの彫刻
家が、あえて外国に住みつき、少なくとも制作の拠点を外国にもつことになる。
 和南城孝志は1949年、群馬県桐生市に生まれ、高崎高校を出ると木彫の矢崎虎夫
に師事したが、1972年、日本を離れてイタリアに留学した。留学の動機を彼にたず
ねたことはないが、おそらくわたしがいま述べたようなことを直観したにちがいない。
たしかに、第二次大戦後のイタリア彫刻は、プリミティヴな形態とダイナミックな
動勢で、わたしたちに新鮮な魅力を感じさせた。和南城はまず国立ローマ・アカデ
ミーで、4年間伝統的な彫刻技術を学んだが、そこから彫刻のエッセンスを追及して
自然に抽象彫刻に進んだらしい。そして卒業後もイタリアにとどまり、ローマ市内の
ティブルティーナと、世界最大の大理石山があり、その他の石材も世界中から集まる
ピェトラサンタに仕事場をかまえている。
 わたしが和南城にはじめて会い、その作品をみたのは、1981年、郷里の桐生市文化
センターに彼の白御影石とステンレスの彫刻が、市民運動による集団パトロネージで
設置されたときである。《溶融感覚》と題されたそのモニュメントは、ステンレスの
厚板を左右から白御影石ではさみ、やわらかく波うつように起伏する量塊を、階段の
踊り場から上方数段にかけて、なだれおちそうな感じでおいたものだ。
彫刻はさわったり、よじのぼったりしてたのしむもの、という作者の信条にもとずい
て、この作品にはいつも数人のこどもたちが乗っかって遊んでいる。ところで、今度
桐生と高崎の画廊での個展に出品された作品をみると、この彫刻家の振幅と力量にあ
らためて眼をみはる想いだ。
 《溶融感覚》に先だつ1979年、彼は《メタモルフォーゼ》という作品で、ダンテ
国際彫刻ビエンナーレで金賞を受賞した。このビエンナーレは、ダンテ終焉の地ラ
ヴェンナのダンテ協会の主催で、『新曲』のなかのテーマを指示して制作させる形式
らしい。このときのテーマは「地獄編」で、和南城の作品は、中央がくびれで長靴状
きのこ状ともみえる、ブロンズとアルミの大小不揃いの3つの形態を、やや斜めにか
しいだ台座上にならべたものである。これが「地獄編」とどう結びつくかはわからな
いが、この作者が材質の特徴と自然につながる有機的形態を生かして、新鮮なイメー
ジをつくりだしていたことは理解される。
 ところで、《溶融感覚》以後の近作になると、作者はむしろ要素を切りつめて、
もっとも単純な形態にたち帰ろうとしているようだ。いくつかの作品に《アルケティ
プス(原型)》というシリーズ名が冠されているのをみても、造形の彼独自な基本
原理が集中的に問い求められていることがわかる。もっとも、その単純な形態のう
ちに、圧縮されたひねりを加えて大きな空間を現出するのが、彼のねらいだろう。
たとえば、黒大理石をみがきあげた。UFOのような黒光りする円盤の作品が床に
おかれる。その上面には二筋の把手のようなものが凸起し、そのあいだに蛇腹状な
いし鍵盤状の形態がはめこまれて、空間を複雑にしている。この円盤シリーズのブ
ロンズでつくられた近作は、いみじくも《空間への旅》と題されて、去年の6月
『神曲』の「天国編」をテーマとする第6回ダンテ国際彫刻ビエンナーレで、2回
目の金賞を受賞した。
 円の原型のもうひとつの展開は、あの無限循環を象徴する「メビウスの輪」をと
りいれたシリーズである。実際には、台座の上に立てた赤トラベルティーノの円板
に、斜めに走る直径にそってやや凹凸をつけ、その両側に2つの卵形をくりぬいた
形態だが、単純な構造のうちに実体を空虚、凹と凸、旋回する複雑な動きが凝縮さ
れて、いつまでもみあきない。さらに、この「メビウスの輪」のモチーフは方形に
も発展して、台座の上に立てた方形のブロンズ板に、2つの円形をやや深くくりぬ
いて、その中央によじれたような凹凸をあたえた作品となっている。そのほか《ア
ルケティプス》シリーズには、スペイン産黒大理石の直方体の角材を床に横たえ、
その表面をみがきあげ、またはあら磨きして、そこに三枚の方形がおかれたように
彫りだしたり、若干の切りこみをつけたりした作品もある。
 和南城孝志はいま35歳だが、すでに12年にわたるイタリア生活をとおして、純度
の高い作品をわきめもふらずにつらぬいてきている。イタリアは古い教会、遺跡、
町並みなどが、たえず抽象彫刻の発想を刺激するとともに、新しい実験もさかんな
ので、まだ当分そこで制作をつづけるつもりだという。だが、生計の面をたずねて
みると、イタリアではダンテ国際展以外出品せず、契約した画廊もなく、郷里の桐
生や高崎の画廊で個展をひらいたり、友人知人に作品を買ってもらったりするのが
主要な収入らしい。せめて東京でも、何年かごとに個展をひらいてくれる画廊があ
ったら、その作品の魅力がさらに多くの人びとに知られ、生活ももっと安定するだ
ろうというのが、さしあたりわたしの老婆心である。


 
彫刻の作家・和南城孝志君  井上房一郎筆  記事書き起こし  
           
作品集 1巻》(1976~1983)10ページ掲載

 和南城孝志君は、高崎高校の私の後輩である。
 彫刻家和南城孝志君は、いま、家庭を東京に持ち、彫刻のアトリエは、イタリア
のローマに持っている。一年の大半をイタリアのローマで制作しながら、年に1~
2回、日本の家庭に帰ってくる。
 イタリアは、昔から彫刻の国として、立派な彫刻をたくさん持っている国である。
 また、イタリアは、美しい大理石の産地でもあり、彫刻の下ごしらえをする熟練
した石工のたくさんいる所でもある。彫刻にうちこもうとする作家にとって、イタ
リアの環境はもっともふさわしい。私は、和南城孝志君の生活や決断をうらやまし
く思っている。
 私は、彫刻について、次のような三つの理想を持っている。
 その一は、作品にその人らしさがひょうげんされていること。
 その二は、民族的な香りがあること。
 その三は、自然なものがいい。
 和南城孝志君が、イタリアというふさわしい環境の所で、私の理想にあうような
優れた作品を、次々と発表してくれることを楽しみにしている。

                
群馬県立近代美術館名誉顧問
                     (財)高崎哲学堂設立の会理事長
                           
   井上房一郎

  触角の魅力       奈良彰一    記事書き起こし   
               (作品集 1巻28ページ掲載)

 1981年春のこと、桐生市文化センター前に、「溶融感覚(Fusion)」と名付けられ
た和南城氏の彫刻が設置された記憶は新しい。
地方都市にも近年積極的に野外彫刻を取り入れる計画はみられ、
日本の彫刻界にも新しい波がおし寄せている。
しかし多くは企業であったり、官製であったり、市民が主体となっているのは
まだ珍しいことのようである。
前記の桐生市の場合、1000人を超す人々の善意が結集された。
市民による発注制作ということになる。しかし残念ながら、その後の計画が立案さ
れずにいるのは我々市民の消極性の為であるかも知れない。
 市民、企業。自治体の計画にせよ、都市の中における彫刻は、人々の心の中に潤
いや人間性を取りもどすことは確かである。しかし各々の独善的計画は、ともする
と調和を破壊し、美的にもマイナスとなり得る。
 小都市や、町や村のコミュニティーの成り立ちやすい地域では、その「街づくり」
の計画の中にデザイン化し、長期的展望に立つことが望まれる。ここで大切なこと
は、市民がどこまで積極的な発言と行動を起こすことが出来るかであろう。真に町
を愛することが力を与え、自信ともなり得ると考えるからである。
 野外彫刻が室内彫刻と明らかに異なるのは、人間の体による触覚を拒否してはな
らない、ということではないだろうか。自由に肌で触れることの出来る悦びは、人
間の性別や年令や様々な差をのり超えて平等に体験できるのでなければならない。
 今后、彫刻はより一層、野外空間へと飛び出すことだろう。野にも街にも公演に
も、そして生活にも……。
 そして、今まで街の中を空虚化してきたコンクリート社会から解放された、芸術
的都市、緑の中の都市が実現し、人間生活が復権しなければならないと思っている。
 こう私は考えてきた。
和南城氏の彫刻は今までの日本人的感覚とは少々異なると思ったことはあったが、
人間的感覚で観た時、決して異質なものではなかった。コンクリートの街や、大
自然の中、建築物などに、不思議と調和し心を動かされる力がある。
 無意識のうちに手で触れたくなり、石の温かさが伝わってくる。作者の魂が伝
わるかのように。

1984. 8.28                      奈良彰一