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アイルランド6日間の旅

  首都 ダブリン

  面積 北海道とほぼ同じ

 人口 約477万人 (北海道 約537万人)

 言語 アイルランド語(ゲール語)と英語

 宗教 約87%がカトリック教徒

  通貨 ユーロ  但し北アイルランドは、英国領なので、ポンド

国旗
 緑色はカトリックを、オレンジ色はプロテスタントを、そして白は両者の調和と協調を表わす
  旗竿側 (Hoist) が緑となる(コートジボワールと左右逆)
国花 
 シャムロック=シロツメグサ・クローバー(三つ葉のクローバーがキリスト教の
「三位一体」の教えに合う)


  今回の旅行は、希望日 出発でまだ出かけていない国、ということで選んだツアーでしたが、これは結果的に
 よくありませんでした。やはり出かけたいところへ 感動を与えてくれる場所、国を選ぶべきです。

 参加者の多くの人が、自然を求めて来ていましたが、アイルランドは、この国が歩んできた苦難の歴史を
  勉強してこそ感動を与えてくれる国ではないかと感じました。
  自戒をこめて少し長くなりますが、下記にアイルランドの歴史概略を書きます。


アイルランドの歴史(概略)

紀元前300年頃 かつてはヨーロッパ全土に勢力を持っていたケルト人がローマ支配に力を失いアイルランドへ
やってきたといわれる。
そしてアイルランドでは、もといた先住民の影響を受け、アイルランド固有のケルト文化が
  (当時、詩人が高い地位にいた)出来上がりそれが今も受け継がれている。
  (地方都市や山・川の多くはゲール語で残っています。)

     
 ケルト十字  トリニティー・カレッジ、ケルズの書展示 アメリカへ移民 

5世紀に入り守護聖人であった聖パトリックの活動により、古来宗教とキリスト教を混合した独自のキリスト教が 
できます。
   十字架にケルトの太陽神のリングが組み合わされている(ケルト十字)

  アイルランド文化にラテン語が加わりいつしか「聖者と学者の島」といわれるようになりました。
   修道士の聖書研究も偉大。

(ケルズの書)
  装飾写本の傑作4つの福音書(マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝・ヨハネ伝)のことでアイルランド最高の宝

795年 ヴァイキングがアイルランドに初めてやってきます。略奪も行われましたが、彼らの商人という一面のお陰で
外部世界との橋渡しでアイルランドへ富をもたらしたのです。

1169年 ヴァイキング時代以降、イギリス征服を果たしたノルマン人がアイルランドにも進出してきます。
    それから以降19世紀まで続いたイギリスによるアイルランド支配が始まります。

 ノルマン人がアイルランドに同化しつつある一方で、今度はイングランドがアイルランドを支配するようになります。

時代は流れ、イングランドもアイルランド先住民を根絶したり追放せず共存というみちを選びます。

イングランドで起こった宗教改革は、アイルランドにもおよび、その間イングランド王がアイルランド王も
兼ねることとなります。
イギリス王ジェームズ1世が領主たちから得た北アイルランドという土地にイングランドやスコットランドから
人を送りこんだのが、今も続く北アイルランド問題になっています。

議会派の中心指導者クロムウェルが、権力を握るとアイルランドやスコットランドへ侵出していき、
1649年クロムウェルの大虐殺が起こり その後、英王位をめぐる戦いがアイルランドを舞台に繰り広げられ、
アイルランドは翻弄されてしまいます。

1775年に始まったアメリカ独立戦争は世界中に影響を与え、アイルランドも大きな影響を受けることになります。

1801年、イギリスはアイルランドより自治を取り上げ正式にイギリスの一部となります。

1823年、カトリックの地主であり政治家、弁護士のダニエル・オコンネルが「カトリック協会」設立、そして
1829年には「カトリック解放法」をイギリス議会で可決させます。

1847年頃、ダニエル・オコンネルが失脚し、亡くなった頃、アイルランドは歴史的にも重要な大飢饉
   (ジャガイモ飢饉)に見舞われ深刻な事態に陥いります。
   その為100万人がアメリカなどに移住したといわれています。
   この当時の移民の中にはJ.F.ケネディ大統領の曾御祖父もいたという話です。
    (アメリカ国籍をもつ人々のうち約4,000万人はアイルランド系といわれています。)
1949年 アイルランド共和国誕生

1999年にはプロテスタント、カトリックの双方の代表を含めた北アイルランド自治政府が発足しました。
2002年 ユーロ導入

追記 アイルランドの産業では、現在 天然の寒冷気候そして法人税が安いこともあり、世界中のIT関係の会社
  (グーグル・マイクロソフト・アマゾン・アップル等がある。
* 1700年代 ガリバー旅行記(ジョナサン・スウィフト作)発祥の地

さて旅行に出発です。

18’4月25日~30日の予定が帰路のダブリン~ロンドンの便が遅延したため乗継便(ロンドン~成田)に間に合わず、
ロンドン空港で足止めとなるハプニングが生じました。
私にとり、海外旅行で始めてのハプニング、ロンドン空港で待たされること数時間、しかも立ったまま、
添乗員さんの交渉もいつ終わるかもしれず、最悪の事態でした。
結局深夜近くにロンドンのホテルに一泊することが決まり、次の日、振替便(ロンドン~羽田)で帰国しました。

まあ!?これも過ぎてしまえば、思い出になるでしょうが。

アイルランド6日間といっても成田~ロンドンの所要時間・約12時間30分  
乗継便にて ロンドン~ダブリンの所要時間・約1時間半。
つまり観光出来た日は、3日間そのうち2日間は長距離バス移動でしたので疲れました。
ただよかったのはダブリンのホテルに4連泊だったことです(ラッキー!!)。
   

1日目 モハーの断崖へ 
     ダブリンから所要:約3時間30分/約225㎞ アイルランドを、大西洋に向かって横断するように。
     アイルランド語で「破滅」を意味する断崖。バレン高原南東にあり8㎞にわたって続いている。
     高さは最も高いところで200m以上になる。

モハーの断崖 オブライアン島

バレン高原  ゲール語のバレンとは「石の多い場所」を意味する。
   石灰岩は水による浸食を受けやすく、洪積世に氷板で凝固や溶解作用を起こしさらに約2億6000万年前に起こった
地殻変動で海底から押し上げられて、今のような石灰岩の丘陵になったといわれる。

巨人のテーブル 石灰岩の丘陵 ドルメンと呼ばれる墓石

(2日目)
ダブリン市内

聖パトリック大聖堂 アイルランド最大の教会。かって木造の礼拝堂があったが、1191年石造りの大聖堂に建て替えた。
ギネス・ストアハウス  ギネスビール醸造所、ヨーロッパ最大。
     *ギネス世界記録というギネスという言葉は、創始者のアーサー・ギネスから発祥したものです。
トリニティー・カレッジ  1592年英国のエリザベス1世によって創設されたアイルランド最古の大学。
  図書館の展示室ではケルト芸術の最高峰とされる「ケルズの書」や、15世紀頃に制作された
  アイルランド最古のハープ
も展示されている。
 *アイルランドで発行されるユーロ硬貨のデザインはハープです。(写真ページ下)

聖パトリック大聖堂 トリニティー・カレッジ ギネスビール醸造所

  北アイルランド アイルランドの北に位置する英国領。

ジャイアンツ・コーズウェイ マグマと氷河が造り上げた自然の芸術、伝説では巨人が造ったといわれる6角形の柱群や
「巨人のオルガン」「巨人のクツ」などがある。 ビジターセンターの先から周遊路までミニバスで往復する。

6角形の柱群 巨人のクツ 巨人のオルガン」

ベルファスト もともとは小さな漁村だったが、造船業を主に発展。タイタニック号もここで建造された。
   ウエスト・ベルファストは、北アイルランドの最大の問題を抱えている。
       (カトリック系とプロテスタント系の対立)
   ポピー・サンズ  1981年にハンガー・ストライキで獄中死した。

ベルファスト大聖堂 市庁舎 ポピー・サンズの壁画

 
パブの黒ビールカウンター内 祭りのペインティングの女の子 アイルランド・コイン*  お祭り

*アイルランドのユーロ硬貨・ハープのデザイン






イタリアの小さな街々を訪ねて                        2017年5月23日筆 写真・文 Y・W

2017年4月27日~5月4日までイタリアの小さな街々を訪ねるツアーに参加してきました。
若き頃、イタリア在住の折、亡夫と車で周った所がほとんどです。
恐らくイタリアに一人参加のツアーで出かけるのは、体調・体力的にも、加齢からも、諸々の事情からも今回が最後になるだろうと考え、まだ元気で、気力もある間にと、イタリアの小さな街々に決めました。(イタリアの小さな街は、ほとんど市内にバスが入れないので徒歩で観光です。また自分たち各自で散策する事が多かったです。)

ローマとミラノは、飛行機を乗り降りするだけ、市内は素通り もちろん普通の観光で行く大きな町は寄りません。ゆえに参加者のほとんどの人が旅慣れた人たちで、イタリアも何度目かという方が多くいらっしゃいました。

乗り継ぎのある飛行機は(フィンランド航空で成田からヘルシンキ乗り継ぎミラノへ)、やはりくたびれましたが、それ以外 旅行中は、元気そのもので、参加者の誰よりもよく食べ、そして平均1日1万1千歩以上歩き 各街を散策出来ました。
一人参加は、はじめ少し不安でしたが、慣れるにつれ 昔取った杵柄で、一人で小さな街を歩き回り、ピザーを食べ、ジェラートを食べ、日本の観光客がいないところでは、外国人の二人連れにカメラ撮影を頼み(お互いに撮り合うのがコツです)、若き頃を思い出しながらの素晴らしい郷愁の旅でした。

昔の記憶に残っている街のほとんどが、世界遺産となり、きれいによみがえった感がありました。が、ただ一か所チヴィタ・デ・バーニョレッジョが驚くぐらいに古びた街になっていました。今では「死にゆく街」と言われる所以でしょうか。

 * 若かりし頃のイタリアの思い出の写真を最下位に掲載しました。新婚当時と娘が生まれ亡夫のアトリエのあるイタリアに連れって行ったときのものです。


今回のツアーで周った所

◎ 9つの世界遺産(下)と食と文化の街パルマ(下記写真③)学園都市ボローニャ(下記写真⑤)
          美しい村協会認定の村チヴィタ・デ・バーニョレッジョ(⑫) の12の街々
  
 下記写真順 、世界遺産9つ

 ①カラフルな家々が並ぶリビエラの漁村チンクエテッレ イタリア最大の港町ジェノヴァ ④北部の古都モデナ

⑥モザイク美術の宝庫ラヴェンナ  ⑦世界で5番目に小さな国家サンマリノ共和国  ⑧中世の雰囲気を残す
塔の街、サンジミニャーノ

⑨「世界一美しい広場」(カンポ広場)をもつシエナ  ⑩トスカーナ地方の田園風景オルチャ渓谷 ⑪ルネッサンスの理想都市ピエンツァ

 《◎ クリックすると拡大します。》

 1チンクエテッレ
 2ジェノバ
 3パルマ
 4モデナ
 5ボローニャ
 6ラヴェンナ


7サンマリノ
 8サンジミニャーノ
 9シエナ
 10オルチャ渓谷
 11ピエンツァ
 12チヴィタ・デ・バーニョレッジョ

さあ!!旅に出発です。

ミラノ市外に1泊後、一路専用バスで東リヴィエラ海岸に面した街ラ・スペツィアへ(ミラノ~ラ・スペツィア間 約220km)ここからローカル列車に乗り換えチンクエテッレの村へ  ジェノヴァへ戻るかたちでヴェルナッツァ村で下車散策 再び列車に乗り2つ目の駅マナローラで下車 散策 再び列車でラ・スペツィアに戻りジェノヴァ

チンクエテッレ

 チンクエテッレとは「5つの土地」の意で、《モンテロッソ(ジェノヴァの南東93km、ラ・スペツィアの北30km) ヴェルナッツァ、コルニリア、マナローラ、リオ・マッジョーレ(リグーリア州)》の5つの村々の総称です。

切り立った崖という自然条件を克服して1000年に渡り息づいてきた村落の営みと、周囲の自然景観と岩壁に張り付くように点在するカラフルな村々が筆舌に尽くしがたい美しさをみせています。

     
   マナローラ村   ヴェルナッツァ村・土産店   ラ・スペツィア

ヴェルナッツァ村 漁船が並ぶ小さな港の周辺に発展していった町、小さな路地が多く、迷い込むように街歩きするのが楽しい場所です。

海に面して建つサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオティア教会(Chiesa Santa Margherita d’Antiochia)は、チンクエ・テッレのシンボル的な存在。また、町の周辺にはハイキングコースもあり、高台から見下ろす街並みは絶景として知られています。

マナローラ村 コルニリアに次いで2番目に小さな町。チンクエ・テッレの地産ワインである「シャケトラ」の博物館があることでも有名な町です。

 ジェノヴァ リグーリア州都でイタリア最大の港街。コロンブス(1451~1506)の出身地。
 16世紀頃には「ジェノヴァ共和国」として、地中海の強大な海運国で繁栄した歴史と文化を持ち、今に伝え、過去と現代が一体化した大都市です。

 コロンブスの家 つたの絡まる小さな家。コロンブスが少年時代を過ごしたこの場所に18世紀に復元されたもの。

        
 ジェノバ・フェッラーリ広場の噴水  コロンブスの家  パルマ・ドゥオーモ内部の『聖母被昇天』

 パルマ パルマの名物といえば、パルメジャ-ノ(パルメザンチーズ)と生ハム。大指揮者トスカニーニの故郷

  大聖堂(ドゥオーモ)12世紀のロンバルディア・ロマネスク様式でイタリア・ロマネスクの傑作の一つ。
  背後にゴシック様式の高い鐘楼がある。
  堂内にパルマ派の巨匠コレッジョ作の『聖母被昇天』のフレスコ画がある。

モデナ
  大聖堂  建築家ランフランコと彫刻家ヴィリジェルモ、この二人の偉大な芸術家のコラボレーションにより
    完成したモデナの大聖堂は、12世紀初期ロマネスク時代を代表する傑作です。バラ窓が印象的です。
   * バラ窓とは、特にゴシック建築において、ステンドグラスで作られた円形の窓で、一般的にマリオンと
    トレサリーが中央から放射状に伸びている。

ギルランディーナ塔(鐘楼) (=小さな花)と呼ばれています。高さ37mのゴシック様式の尖塔をもつ塔。
     塔は傾き、ピサの斜塔に近い斜度。
     1169年に5階建ての市民の塔として建てられ、その後円柱と尖塔部分が足された。
     高くそびえる尖塔に繊細なアーチと紋様が刻まれた白大理石の美しい塔。

     
 モデナ・ギルランディーナの塔  塔の上から、ドゥオーモが見える  ボローニャ・サン・ぺトロニオ聖堂

 ボローニャ ミラノから約200㎞、「芸術の町」今も中世、ルネッサンス、バロック時代が感じられる古都。
       現在は、イタリアの重要な経済都市でもある。

   サン・ぺトロニオ聖堂 ゴシック様式で14世紀から17世紀にかけて建設され、今も未完成。

 ラヴェンナ ボローニャから約85㎞ モザイク美術の宝庫でビザンチン文化が息づいている。ダンテの終焉の地。

   サン・ヴィターレ教会 548年建立の歴史的な八角形の建物。内部のモザイク美術の装飾には、圧倒される。

   ガッラ・プラチーディアの廟 小さな十字架型の建物 色調豊かなモザイクが有名

     
 ラヴェンナ・サン・ヴィターレ教会  教会天井のモザイク壁画  奥がダンテの墓


ラヴェンナから約82㎞のサンマリノ共和国へ

サンマリノ  面積61㎢、人口3万2千人、世界で5番目に小さい国家で、最も古い共和国、そして現存するただ唯一の都市国家です。

  * ちなみに世界で一番小さい国は、バチカン市国(約0.44㎢)モナコ公国(約2㎢)ナウル共和国(約20㎢)ツバル(約30㎢)の順です。

   丘陵地帯が広がる国土のほぼ中央に標高750mのティターノ山がそびえ、その周囲に旧市街がある。
   山の尾根の3つの頂きに、昔要塞として建てられた3つの塔がある。
              (グアイタの塔・チェスタの塔・モンターレの塔
   以前刑務所としても使われていた。
   パスポートに観光ビザの(サンマリノ共和国・入国記念)スタンプを5ユーロ払い押してもらいました。

     
 サン・マリーノ・ロッカ・グアイダの要塞  第1の塔をバックに  サン・マリーノからロープウェイで


   ボローニャへ戻りサンジミニャーノへ(約152㎞)

サンジミニャーノ 
  トスカーナの丘に佇む「美しい塔の町」と呼ばれる。中世の街並みが残こる町は、まるで14世紀から時が止まっているかのよう。
   
最盛期には70を超える塔があったが今は14となっている。下段の20代の頃(約50年近く前)の写真を見ると
   塔は驚くほどたくさんありましたが、今回の旅行ではあまりに少なくなっており驚きました。

     
 街への入り口 サン・ジョヴァンニ門  元市庁舎だった塔に昇る  街の端から

サンジミニャーノから シエナへ(約44㎞)

シエナ 
  トスカーナの古都 糸杉とブドウ畑に囲まれた古い街

  カンポ広場 美しい扇状の広場でゴシック様式のプッブリコ宮殿・マンジャの塔(高さ102mのレンガ造り)

  大聖堂(ドゥオーモ)12世紀起工、14世紀末に完成。
      大理石の縞模様の外壁に上部の円花窓を囲む40人の聖人の像・ゴシック建築の代表的な建築物。

 

     
 シエナ全景  ドゥオーモ  フレスコ画で飾られた図書室


シエナ~ピエンツァへ(約52㎞)途中 オルチャ渓谷を通る。

オルチャ渓谷 絵画のような美しいトスカーナの絶景。
     ずっと続くなだらかな丘陵と天高く伸びる糸杉の林立する田園地帯。

ピエンツァ 15世紀、法王ピウス2世が故郷をルネッサンス様式の理想都市に作り替えたところ。
     後年ほかの都市計画にも影響を与えた。

アグリツーリズモ(=農家を利用した観光)の昼食を楽しむ。
      田畑の狭いあぜ道を延々とバスで揺られ遠く整列した糸杉が見えるころ、オルチャ渓谷の絶景の中 
         一軒の農家が現れようやくたどり着く。

      前菜がトスカーナ風・次に牛肉の煮込みにジェラート 最高においしい昼食!!

     
 オルチャ渓谷と糸杉  アグリツーリズモ ピエンツァの街中 

 ピエンツァ~チヴィタ・デ・バーニョレッジョへ(約90㎞)

チヴィタ・デ・バーニョレッジョ 「美しい村協会認定の村」中世の城郭都市。

  「死にゆく町」とも言われ、今もなお風化が進む魅惑の町。
  「天空の島」といった言葉がぴったりな現在から取り残されたような中世の世界。
   宮崎駿監督のジブリ映画「天空の城ラピュタ」のモデルとなったと言われるところ。

   起源は紀元前まで遡ります。
   本来この村の名前はチヴィタ。バーニョレッジョの近くの意味合いで、バーニョレッジョのチヴィタと呼ばれます。
   バーニョは「お風呂」の意で、周囲は温泉が湧き出る火山地帯。
   度重なる大地震によって町の崩壊が約1,000年にもわたり続きました。

   車も通れない長い橋が唯一の通り道で300m以上の上り坂、最後に階段もあります。
   それもありで冬の人口はたったの12名、夏は100名を超えます。

     
 チヴィタ・デ・バーニョレッジョ  街中は、綺麗だった   車の通れない長い橋が唯一の通路


 若き頃、イタリア・ローマ在住時、そして娘が生まれ母と共に、亡夫の住む家に夏休み期間訪れた時の写真を
   掲載します。
  当時 夏休み中でも、現代ほど旅行客は多く無かったです。
  世界遺産にも指定されておらず、家族で亡夫の運転する車で出かけたので、上記以外の魅力あふれる小さな街々に 
   ピサ・オルヴィエートアッシジボミナーコ等などにも立ち寄れました。

   
東リヴィエラ海岸 亡夫と娘   チヴィタ・デ・バーニョレッジョ・娘と私 ピサの斜塔・娘と私 

       
サンジミニャーノ・若き頃の孝志と私  シエナ・若き頃の私  サンマリノ共和国・私 アッシジ現地の人がスケッチ中 

       
 ボミナーコ・亡夫と私の母と娘  アペニン山脈・私の母と娘  田舎の水飲み場・娘と私  昔のチヴィタ・デ・バーニョレッジョ

                                                                    ページ先頭へ




オーストラリア7日間の旅

 日本の約20倍の面積のあるオーストラリア、単純に考えても7日間で周れません。
 今回のツアーでは、南太平洋に面した5都市と6つの世界遺産(*)です。
 日本と逆の気候、出発が2016年12月23日の寒い東京から30度近い夏の豪州へ。
 一番気を使ったのは服装です。旅行社のアドバイスで飛行機内は寒いので冬のダウンコートを手荷物に入れ、
 あとは重ね着で、現地到着後 夏服に変え何とかしのげました。 
 (*)6つの世界遺産
    ①ナチュラルブリッジ国立公園
    ②キュランダの森
    ③グレートバリアリーフ・グリーン島
    ④オペラハウス
      ⑤ハイドパークバラックス
     ⑥ブルーマウンテン国立公園

 

       
 国旗      コアラ   カンガルー     オペラハウス 

地理的には、六大州のオセアニアに属する。

*  六大州とは ①アジア大陸②ヨーロッパ大陸③アフリカ大陸④北アメリカ大陸⑤南アメリカ大陸⑥オセアニア

国名 オーストラリア連邦  日本では、豪州ともいわれる。      

面積 約769万㎢ (日本の約20倍、アラスカを除く米国とほぼ同じ)

   人口は、日本の約6分の1

首都 キャンベラ

言語 英語

宗教 キリスト教が大半

気候 南半球に位置するため日本とは季節が反対になる。

時差 国土が広いため国内で時差があるが日本とは、1時間前後するだけ。

通貨 オーストラリア・ドル(A$) 

世界遺産 総計で18物件ありその内自然に関するものが15物件ある。

国旗の意味 イギリスとの歴史的な結び付きは、左上のユニオン・ジャック(イギリスの国旗)に見ることができます。

右の5つの星で南十字星を、左の大きな七稜星でオーストラリアの6つの州と特別地域を表わしています。
  南十字星はオーストラリアが南半球にあることを示しています。

歴史 約6万年前から先住民アボリジニが居住していたといわれている。

 18世紀ころにヨーロッパ人の移住が始まり、植民地として歩む。その後連邦政府が成立し、「国家」が誕生、
  発展を続けている。

     
 カランビン野生動物保護区より    ミニトレインで周る   Q1タワースカイポイント展望台より

 
成田発カンタス航空 直行便でブリスベンへ 所要約9時間、早朝着

ブリスベン クイーンズランド州の州都で、オーストラリア第3の街。ゴールドコーストの玄関口

カランビン野生動物保護区

 オーストラリアの動物がたくさん飼育されていて、自由に園内を散策できる。

 園内をミニトレインで自由に周れる。

 コアラの意味=水を飲まないの意

 カンガルーの意味=飛び跳ねるものの意 

ゴールドコースト 海岸線が続く、サーファーズ・パラダイスを中心としたビーチリゾート。

  南北に42㎞にも及ぶ砂浜海岸線が延々と続く。

サーファーズパラダイス 白浜のビーチ

Q1タワースカイポイント展望台  南半球で一番高いといわれている。(地上230mの高さ)
   世界最速のエレベーターで約43秒で展望台に着く。ゴールドコーストの絶景が見られる。

     
 サーファーズパラダイス・Q1より  パラダイスビーチ・朝日   街を走るバス

  ナチュラルブリッジ国立公園(世界遺産) 

土ボタル観察 残念ながら撮影禁止、目に焼き付けてきました。

 ナチュラルブリッジの名が示す通り、風化によってできた自然の橋のこと。
 流れ落ちる水の勢いによって滝の裏が侵食され洞窟になった。
 その洞窟と周辺に土ボタルとして知られるヒカリキノコバエが生息している。
 ハエの糞が化学反応を起こして光るといわれている。

ブリスベン~ケアンズ間は、空路(約2時間半)

ケアンズ 1867年、ゴールドラッシュに沸く金鉱の港町が出発点。

  世界遺産グレートバリアリーフに点在するリゾート島への玄関口で熱帯雨林を背後に抱え自然の魅力もある。

キュランダ観光鉄道(世界遺産) 1891年開業 ケアンズ駅ーキュランダ駅間  
   世界最古の熱帯雨林の中(約33㎞)をゆっくりゆっくり2時間かかって進む。
   その道中に15のトンネル、37の橋がある。 1日2本運行

バロン滝 深い緑の熱帯雨林に覆われた峡谷を通過するとバロン滝駅に到着し約10分間停車してくれます。
   最大落差260m 高さ125m

     
 キュランダ観光鉄道   バロン滝   高原列車の前で 

グレートバリアリーフ 約2000㎞にわたる、世界最大級のサンゴ礁。

  フェリーに乗り、その中に浮かぶグリーン島へ。
  サンゴが堆積してできた島の中で唯一、島内に熱帯雨林の植物が生えている。

  グラスボトムボートに乗りサンゴ礁や魚たちを観賞またグリーン島を一周しました。

     
   グリーン島    グレートバリアリーフ  

ケアンズ~シドニー間は、空路(約3時間)

シドニー 南半球最大級の都市    ニューサウスウェールズ州の州都

オペラハウス(世界遺産) 
   デンマーク人建築家、ヨーン・ウッツォン氏の設計で14年の歳月をかけ、1973年に完成したシアター。
   古代建築で柱が無い。外部はコンクリートで内部が木材。

ハーバー・ブリッジ 1932年完成。シティと北部を結ぶ架け橋
      全長1149mで世界で2番目に長く、幅が48.8mあり世界一。

ミセス・マックォリーズ岬 
   シドニー湾の東に位置する岬。オペラハウスとハーバーブリッジを一望できる最高の場所。(下写真)
   植民地時代の総督マックォリーの夫人がここからの眺めを愛したという。
   使用したという椅子も残されている。
シドニー・タワー・アイ  全高309mのタワー。シドニーのシンボルタワー
    地上260mの展望台に設置されたバルコニーを回るアクティビティ「スカイウォーク」が面白い。

     
 オペラハウスとハーバーブリッジ    シドニー湾  シドニータワーアイ・スカイウォークより

ブルーマウンテン(世界遺産)
   辺り一帯に茂ユーカリの木々の葉から揮発する油分に太陽の光が当たり、山が青くかすんで見えることから
    名前が付いた。
   トロッコ列車とロープウェイで絶景を楽しむ。

スリーシスターズ  美しい3姉妹が岩に変えられたというアポリジニの伝説をもつ、奇岩  

シドニー湾ではトワイライトクルーズで早めの夕食  夜は、カンタス航空で帰国の途へ

     
 ジャミソン渓谷と3姉妹  トロッコ列車   クルーズよりオペラハウス

                                            2017年3月3日筆

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カナダ東西横断紀行8日間の旅

 成田からエアカナダ直行便 バンクーバーへ(16'6/27) 
 向い風で遅れ約9時間30分のフライト
 全員11名の参加、少人数だったのでまとまりがよく快適でした。
 お天気もよく青空、氷河のみ極寒
 当日は、バンクーバーの市内観光
 (バンデューセン植物園、スタンレーパーク、グランビル・アイランド等)

 2日目 バンクーバーから国内線にてトロント
 (所要約4時間30分)着後、ナイアガラ(カナダ側)へ
 (所要約2時間) ナイアガラにて2連泊
  バンクーバーとの時差が3時間(!!カナダの広大さを実感)
 ナイアガラクルーズに乗船し、滝壺すれすれに近づき、大迫力の滝を体感、すさまじい水しぶきと風で、ポンチョを着ていても全身びしょ濡れになりました。
 夜は、滝のライトアップそして夜10時からの花火数分間(緯度により夏時間でも午後9時頃まで明るいので花火の始まりが遅いです。)
  滝の裏側観光そして国境の橋レインボーブリッジでアメリカの国境まで行き、写真を撮り戻りましたが、どうしてか戻りのカナダの入国チェックが厳しく時間がかかりました。

4日目 トロントにて空路でカルガリーへ(所要約4時間)着後バンフへ(約2時間)
    バンフで3連泊 サルファー山のゴンドラ観光、世界遺産カナディアンロッキー観光   (キャッスルマウンテン、ボウ川、パイロット山、モレーン湖、ルイーズ湖、ペイト湖、クロッシング、ボウ湖、クロウフット氷河、ジャスバー国立公園=雪上車で氷河へ)
    ボウ滝、古城風ホテル(バンフスプリングス)見学、カスケードロックガーデン
7・8日目 バンフ~カルガリー エアカナダ直行便で成田へ(所要約10時間20分)

  国旗 バンクーバー  ナイアガラ  モレーン湖  高山植物・ヤナギラン

【正式国名】 カナダ 立憲君主制(イギリス連邦加盟国)
【元首】 エリザベス二世女王 
   * エリザベス二世女王は、カナダをはじめオーストラリア、ニュージーランドなど計16カ国の君主を務めている。

【面積】 世界第2位で日本の約27倍 太平洋から大西洋まで東西に長い

【首都】 オタワ

【言語】 国の定めた公用語は英語とフランス語

【民族構成】 200を超える民族からなる、そのためか人種差別がほとんどなく多くの人種(日本人も多い)が、働いている。
【通貨】 カナダドル 紙幣は、5種類 硬貨も5種類 特に硬貨は覚えるのに時間がかかった。

【時差】 東西に長いため6つの時間帯に分かれている。
【気候】 広大な国土のためいくつかの気候地域があり夏でも所により防寒着が必要。
【人口】 日本の約4分の1
【国旗の意味】(写真上左)  カナダのシンボル、カエデの葉(メープル)を中央に左右のラインは
          太平洋と大西洋をイメージしている。

【略史】 1867年 英領北アメリカ法によりカナダ連邦結成(自治が認められたが、外交権及び憲法改廃権は英国に帰属)
   1926年 バルフォア宣言により、英国から外交権を獲得
   1982年 カナダ憲法により、英国から憲法改廃権を完全移管

     
バンデューセン植物園  植物園内でフクロウ  スタンレーパークのトーテンポール

バンクーバー 
    カナダの西の玄関口。港湾都市。
    大都市でありながら、海と山、森など自然が身近にある環境は、「世界で最も住みやすい都市」と呼ばれている。
バンデューセン植物園   園内には6大陸から集めた7500種類の植物が植えられている。
    広大なため当日見学したのは、一部分のみだが、園内に野生のふくろうが寝ていました。
スタンレーパーク  もともとインディアンの所有地だった場所をカナダ政府が半永久的に借り受けたもの。
     公園の設立は1888年、当時の総督スタンレー卿から名がきている。

     
ホテル・滝ビュールームより  水煙の上がるカナダ滝  ナイアガラクルーズ

ナイアガラ・フォールズ
      オンタリオ州とアメリカの国境にある滝は世界3大瀑布の一つ(*)
       (*南米のイグアス、アフリカのビクトリア、とナイアガラ)

     この地に住んでいたインディアンが「ニアガル(雷の轟く水)」と呼んでいたことからきた名前。
     1万2000年前の氷河期から始まり、ナイアガラ川の中流にあった氷河が削った断層に滝が出来たのが始まり。
     現在も少しずつ浸食され上流に移動しているらしい。
     ナイアガラ川は滝直前の島で二分され、流れ落ちている。
     馬蹄形の西側のカナダ滝と東側のアメリカ滝
     滝周辺は、観光開発で高級ホテル、大型カジノ、娯楽施設や観覧車(*)で賑わっている。
         (*クリフトン・ヒルに立つ高さ53mの観覧車、約10分で3周する。)
     夜は、数分間滝壺近くの岩壁で、花火が打ち上げられた。

レインボー橋 ナイアガラ川の上に架けられた、カナダとアメリカを結ぶ全長約300mの鉄橋。
    橋の両側に、カナダ、アメリカそれぞれの税関があり、橋の往復通行料とパスポートが必要。

     
 ライトアップされたナイアガラ 国境の橋レインボーブリッジ   滝の真横と裏側

バンフ バンフ国立公園にあるカナディアン・ロッキー観光の拠点となる町
    1887年に、カナダ初、世界でもアメリカのイエローストーン、オーストラリアのロイヤルに次ぐ3番目の
    国立公園への指定を受ける。
サルファー山 バンフ・ゴンドラで山頂に登れる。山に囲まれたバンフの地形がよくわかる。

   
 サルファー山・ゴンドラ  サルファー山山頂  サルファー山山頂で

フェアモント・バンフ・スプリングス 1888年に創建された古城のような高級ホテル
      ロビーや展示室(マリリン・モンローの写真等)そして庭園に入れました。

     
カスケード山の麓のバンフの町  フェアモント高級ホテル フェアモント・バンフスプリングス庭園

ボウ滝   マリリン・モンロー主演の映画『帰らざる河』のロケ地となった場所。
      スプリングスホテルのすぐ下にある。

カナディアン・ロッキー   
      北米大陸をほぼ縦断するロッキー山脈。
     3000m級の岩山の連なる山脈と広大な氷河があり、針葉樹の森に、エメラルド色の湖、
     そして野生動物たちの楽園でもある。
     氷河で出来た湖は、何億年前の海底や断層の粒子で、気候や時間で光の反射により色が変わる。

     
 ボウ滝   モレーン湖   ルイーズ湖

ジャスパー国立公園 カナディアン・ロッキー の自然公園では最大の面積。
        国立公園の指定は1907年

コロンビア大氷原 巨大な氷河で見えるのはアサバスカ氷河の末端のみ。

     
 雪上車で氷河まで  アスバスカ氷河の上に立つ  クロウフット氷河

  *上記の雪上車は、1台約1億3000万円とのこと。

     
 野生のりす  バンフで  高山植物

カルガリーの辺では、道路の渋滞がほとんど無くクマなどが餌を食べたりしてしている時に車を止めなければならず、
そのための渋滞が起こるらしい。
国立公園では、環境や動物保護のため、木々などの枝一本持ち出し禁止、動物に餌をやることも禁止されている。
バンフでは、ほとんど信号が無かった。

     
 カモシカ こぶのある松    観光馬車

                                2016年9月7日筆・写真 Y.W
                                                   
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イギリス縦断の旅

 イギリスは、巨石文明のストーンヘンジ(1986年に世界遺産に登録される)に、
 一度は訪れておきたかった所で、ようやく実現しました。
 イギリス北スコットランド・グラスゴーから南のロンドンまで
  一筆書き縦断の8日間の旅です。

【正式国名】 グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合国(U.K.)     
      ヨーロッパの主権国家。
    ヨーロッパ大陸の北西岸に位置し、グレート・ブリテンおよび北アイルランド島北東部、その他多くの島を含む。
イギリスの【総面積】は約24万4000km2(日本の約3分の2)

【歴史】 大航海時代(15世紀中ごろから17世紀中ごろの植民地主義的な海外進出)を経て、世界屈指の海洋国家として成長。
   西欧列強の一つとして世界に植民地を拡大し、19世紀後半から20世紀前半には超大国として大英帝国と呼ばれ、
   地球上の土地の約6分の1が影響下におかれました。
   19世紀終わり頃にはドイツ、アメリカに経済規模で抜かれ、第二次世界大戦を機に植民地の大部分を失い、
   現在に至ります。

国旗
ストーンヘンジ
観覧車よりロンドンの街

 【国旗の意味】 イングランドの聖(セント)ジョージ(白地に赤十字)、
         スコットランドの聖アンドリュース(青地に白の斜め十字)、
         アイルランドの聖パトリック(白地に赤の斜め)の
        3つの神様の十字架を組み合わせてできている
         (ユニオン・ジャック。ジャックは船首に掲げる旗のこと)  

 【首都】  それぞれの国は首都を持ち、
     ロンドン(イングランド)、エディンバラ(スコットランド)、
     カーディフ(ウェールズ)、ベルファスト(北アイルランド)である。

 【宗教】 英国国教会が半数以上

 【言語】 英語が主

 【通貨】 ポンドとペンス

  元首 女王エリザベス2世(但し「国王は君臨すれども統治せず」で極めて儀礼的)

 【気候】メキシコ湾流に寄る暖流の北大西洋海流の影響で、北緯50~60度の高緯度にもかかわらず
 温暖である。年間を通じて東部が比較的乾燥し、西部が湿潤となる。

 【世界遺産】 27箇所 (日本17個)

【スポーツ】  イギリス発祥の紳士のスポーツとして知られるものが多くあり、近代競馬・モータースポーツ
    ・近代サッカー・テニス等やゴルフもスコットランドが発祥の地といわれている。
    また文学の世界では、ウィリアム・シェイクスピア オスカー・ワイルド コナン・ドイル 等
    音楽の世界では、ザ・ビートルズ 映画 ハリー・ポッター 等
    科学者も多くアイザック・ニュートンを始めエドモント・ハレー スティーヴン・ホーキング 等
    以上書ききれないほどである。

さて旅の始まりです。
   成田空港からBA便にてロンドンのヒースロー空港へ。乗り継ぎ便にてスコットランドの最大都市グラスゴーへ。
   バスでスコットランドの首都エジンバラへ(世界遺産)

     
  カールトン・ヒルから   ホリルード宮殿   エジンバラ城

カールトン・ヒル  エジンバラ市街を一望する小高い丘の公園

ホリルード宮殿  スコットランドにおけるイギリス王室の宮殿

エジンバラ城   キャッスル・ロックと呼ばれる岩山の上に立つ。6世紀には要塞として使われた。

グラスゴー  スコットランド南西部にある大都市。

     
  グラスゴー大聖堂  グラスゴー大学    ウィスキー蒸留所

グラスゴー大聖堂  7世紀に聖マンゴーが創建。グラスゴー発祥の地。 

ウィスキー蒸留所  本場スコッチウイスキーの歴史や製法の解説を聞く。

湖水地方  イングランド北西部に広がる湖水地方。ワーズワースやポターなど文化人にも愛され、
   数々の作品の舞台となった。

     
 グレトナグリーン   ライダルマウントの庭園   ウィンダミア湖クルーズより

グレトナグリーン  スコットランドからイングランドに入る国境の手前にある若い恋人らの駆け落ちの名所

ライダルマウント  ワーズワースが1813年に家族とともに来て亡くなるまで過ごした所。ワーズワースが手掛けた庭園

ウィンダミア湖  幅1.6km、長さ17kmの南北に細長い湖

リヴァプール  イングランド北西部にあり、800年に及ぶ海商都市としての歴史がある。
       世界的ロック・バンドであるザ・ビートルズの出身地として有名。(世界遺産)

     
  リヴァプール大聖堂    アルバートドッグ  若き日のジョン・レノンと

リヴァプール大聖堂  1901年に着工。英国国教会最大の聖堂。
アルバートドッグ    大英帝国・産業革命の象徴

ストラトフォード・アポン・エイボン  イングランド中部のエイヴォン川に面している。
         シェイクスピアの故郷として知られている。

     
  シェイクスピアの生家 シェイクスピア像と四大悲劇の像がある公園  エイヴォン川沿い白鳥が泳いでいる

シェイクスピアの生家は、ヘンリーストリートにある。
       四大悲劇=『オセロー』『リア王』『ハムレット』『マクベス』

コッツウォルズ地方   ロンドンから西に約200km、丘陵地帯に点在する村。

     
 バイブリー アーリントン・ロウ ボートン・オン・ザ・ウォーター   ストーンヘンジ

バイブリー  人口約600人の小さな村。14世紀の石造りのコテージが並ぶ。

ボートン・オン・ザ・ウォーター   コッツウォルズのリトル・ベニスと呼ばれる。
       200年以上前に作られた古い石橋がある。

ストーンヘンジ  イングランド南部 ソールズベリーの北16kmの草原にある、謎に包まれた巨石群。
      紀元前3000年に造られたとされる。

ロンドン市内観光

     
  セント・ポール大聖堂  バッキンガム宮殿の衛兵交替式、楽隊  ロンドン・アイの観覧車から

セント・ポール大聖堂  604年の建造でルネッサンス様式の建物。クリストファー・レン作。
       ロイヤル・ウェディングの会場に
ロンドン・アイ  テムズ川沿いのガラス張り観覧車 高さ135m、1周約30分。1999年に完成

     
 バッキンガム宮殿広場 タワー・ブリッジ エミレーツ・エア・ライン、ゴンドラ

エミレーツ・エア・ライン  2012年のロンドン五輪開催に合わせて開業されたテムズ川にかかるロープウェイ。
     現在はロイヤル・ドックスとグリニッジ間を片道5分で結んでいるので通勤にも利用されている。

     
 エディンバラ城屋上の大砲    大道芸人・バグパイプ  アフタヌーンティー

                                   2016年5月15日筆
                                                
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中世の薫り漂うバルト3国の思い出
 
 15’10月 中世の面影が残るバルト3国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア
  に出かけてきました。
  成田からヘルシンキへ直行。(これが一番安かったです。)
  ヘルシンキでは、大聖堂・マーケット広場など見学しその日はヘルシンキで1泊、
  次の日フェリーにて(バルト海2時間クルーズ)エストニアのタリンへ。
  フェリー内は、国外のため免税となり、物価の高いフィンランドからの
  買い物客で満杯、船賃を払っても、その方が安いそうです。
  フィンランド港は、冬の間凍りフェリーは氷を割って航行するそうです。



ヘルシンキ大聖堂 マーケット広場 バルト海フェリー

                                                                                                  
バルト3国は、その地理的環境から、東方からゲルマン人、西はスラブ人の圧力を受け、その歴史は独立の困難さを
  物語っています。
 近代になってからは、長くロシアの支配下におかれ、一時独立したものの、第二次世界大戦後はソ連に組み込まれました。
 1990年まず リトアニアが独立、続いてエストニアがそしてラトヴィアが独立。
 それに関わる前の1989年、200万人の人々が3国の首都 タリン・リーガ・ヴィリニュスを「人間の絆」
  結び世界中にその映像や写真が流され、世界を味方につけ独立への道を掴んだのです。
  2004年にNATOに加盟・EUに加盟。通貨は3国ともユーロです。

 国旗
エストニア
ラトヴィア
リトアニア



 エストニアは、IT先進国として知られ、スカイブが誕生した国であり、社会保障やマイナンバー制度、インターネット選挙等を早期から導入している。
 エストニア・ラトヴィアは、原子力発電所が無く(リトアニアは、ソ連時代の今は使われていないものが1台)ロシアから天然ガスを輸入。

 国旗
 エストニアの青は空と自由、黒は独立が失われていた暗黒時代の歴史、白は明るい未来を象徴。

 ラトビア 上下の「ラトビアン・レッド」は、13世紀の戦争で傷ついた兵士を包んだ白い布を染めた血の色。

 リトアニアは、黄・緑・赤の三色旗。黄は豊穣、緑は自然と希望、赤は祖国のために流された血の色を象徴。





[エストニア]
  東はロシアと国境を接し、西はバルト海とフィンランド湾に面した共和国。
  バルト3国の最も北に位置し、歴史地区が世界遺産に登録された首都タリンは中世ハンザ都市。
  13世紀初頭に築かれた。
  大相撲の把瑠都関の出身国でもある。
    *ハンザ都市=ハンザとは「商人の仲間」の意。日本には存在しない「自治都市」である。
正式名称:エストニア共和国     国花:ヤグルマギク
首都:タリン(エストニア語でデーン人=デンマークに居住していたノルマン人の一派の町という意)
人口:約132万人
面積:約4.5万km2(日本の約9分の1)
人種・民族:エストニア人、ロシア人、その他
宗教:プロテスタント(ルター派)、ロシア正教、その他
言語:エストニア語


 首都 タリン  3頭のライオンがシンボル

     
 旧市庁舎・ラエコヤ広場   聖霊教会   トームペアの丘

旧市庁舎とラエコヤ広場  14世紀半ばから建てられる。北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式のもの。
  65mの塔の上にタリンのシンボル、トーマスおじいさんが在る。
聖霊教会  14世紀の初めに記録が残されている。 
  大時計は1684年製。タリンで最初に取り付けられた公共の時計。
  4隅に福音書記者の彫像が彫られている。
トームペアの丘  石灰岩の層で出来た海抜約47mの丘。市街が見下ろせる。

[ラトヴィア]
  バルト3国の中央に位置。北海道よりやや狭い国土に約201万人が暮らす共和国。
  バルト3国最大の都市で、旧市街が世界遺産に登録された首都リーガは、ハンザ同盟時代の古都で港湾都市として発展。
正式名称: ラトビア共和国    国花: フランスギク
首都: リーガ 1201年ブレーメンの僧正アルベルトがここに上陸して、要塞を築いた。
人口: 約201万人
面積: 約6.4万km2(日本の約6分の1)
人種・民族: ラトビア人、ロシア人、その他
宗教: プロテスタント(ルター派)、カトリック、その他
言語: ラトビア語


首都 リーガ

     
 ブラックヘッドの会館  リーガ大聖堂内部  ダウガヴァ川・運河クルーズ

ブラックヘッドの会館  
  15世紀からの建物を1999年再建完了。
  彫金細工と彫刻で飾られた外観には大時計に4つのハンザ都市(リーガ・ハンブルグ・リューベック・ブレーメン)の
   紋章が彫られ、ギリシア神話の神の像がある。
リーガ大聖堂 
  バルト3国最古の現存する教会。
  内部に左「聖母マリア」右「アルベルト僧正による大聖堂の創設」のステンドグラスがある。

     
 三人兄弟   ユーゲントシュティール建築   ルンダーレ宮殿

三人兄弟   3つの建物がそれぞれ時代を反映している。
  右端の建物が最も古く15世紀。当時窓税が課せられたため、よく見ると窓が描かれているのがある。
  真ん中が次男の家で17世紀、窓税が無くなりたくさんの窓がある。
  左端 三男の家でバロック様式、間口税が課せられたため窮屈な造りとなっている。
ユーゲントシュティールの建築   アール・ヌーヴォーのドイツでの呼称。
  19世紀末から20世紀初頭。青春様式ともいう。
ルンダーレ宮殿   リーガ近郊にある、バルトのヴェルサイユといわれる夏の宮殿。
  ロシアの女帝アンナの寵愛を受けたクーランド大公への贈り物。

[リトアニア]
  南はポーランドと国境を接し、バルト3国の最も南に位置する共和国。山が無く農業国
  中世にはバルト海から黒海に至る大国だった栄光の歴史を持ち、首都ヴィリニュスの旧市街は世界遺産。
正式名称: リトアニア共和国    国花: ヘンルーダ(ミカン科)
首都: ヴィリニュス
人口: 約295万人
面積: 約6.5万km2(日本の約6分の1)
人種・民族: リトアニア人、ポーランド人、ロシア人、その他
宗教: カトリック(国民の約80%)、その他
言語: リトアニア語

  日本は 1939年にリトアニアのカウナス(下、参照)に領事館を開設しており、第2次世界大戦時、
  ナチスドイツに追われたユダヤ系避難民に日本通過ビザを発給し、多くの生命を救った杉原千畝副領事
  そこに勤務していた。
  現在そこは、[杉原記念館]になっている。
* 唐沢寿明主演映画「杉原千畝」上演中(15’9月)

     
  カウナスの杉原記念館にて   聖ペテロ&パウロ教会   聖母イコン

首都 ヴィリニュス
 聖ペテロ&パウロ教会  バロックの記念碑的な建築。内部には2000以上の漆喰彫刻がある。
 聖母イコン  夜明けの門の内部が礼拝所になっていて聖母のイコンがある。

     
  近郊・トラカイ城   聖アンナ教会   十字架の丘

トラカイ城  
  ヴィリニュスに移る前に首都がおかれていた。
  14世紀後半に騎士団の侵略を防ぐため建てられた。1961年から復元。
  トラカイは少数民族のカライメの故郷でもある。
聖アンナ教会   
   16世紀のゴシック様式の教会

十字架の丘  リトアニア北部のシャウレイの近郊にある。
  大小無数の十字架が立ち並び壮絶さを感じる。
  1831年から抑圧された民族、宗教の象徴として扱われ(ここは、墓地ではない。)、十字架をなぎ倒されても、
  焼払われても立てられたという。現在も膨らみ続けている。
  私も、小さな十字架を買い求めそっと置いてきました。

     
  旧市庁舎(カウナス)   ベルクーナスの家 少数民族カライメの民族料理キビナイ

カウナス   リトアニア第2の都市。14世紀に始まる古い町。ハンザ同盟で繁栄。
  両大戦間の22年間、ポーランドに占領されたヴィリニュスに代わって首都になっていた。
ベルクーナスの家  15世紀に建てられたゴシック様式。雷神ベルクーナスを祀る神殿があったという。

少数民族カライメの民族料理キビナイ  近郊都市 トゥラカイは、少数民族カライメの故郷として知られる。
  彼らは15世紀初めにクリミアから傭兵として連れてこられたトルコ語系の人々である。今も暮らし続けている。

                               2016年1月5日筆          
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