和南城(わなじょう)洋子のページ


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 彫刻家和南城孝志の世界へ




         和南城洋子のプロフィール

 江戸時代から200年続いた大阪船場生まれの両親の元・大阪市で生まれ 
     兵庫県宝塚市にて幼少時より高校3年夏まで比較的のんびりと育つ。
     
     高校3年夏、父親の会社倒産で、家・土地・家財道具(ピアノも)等すべて失う。
     その悲惨の中を、父親の必死の力と(親の)愛で 娘を世間の非難から守るために、
     東京へ受験を兼ねて避難させてもらった。
     幼い時から習っていたピアノを続けるため 東京御茶ノ水の楽器店でピアノを借り、
     半年ぶりに練習再開、受験勉強はほとんどゼロに近く出来ず、やっとのおもいで音大入学へ。

     親の恩に報いるため、音大入学後は苦学して(ピアノ教師のバイト、奨学金等)ピアノを猛練習。
     お陰で 音大卒業時には、1次試験・2次試験に合格、卒業演奏会・新人演奏会に選ばれる
     優秀な成績を収めることが出来た。
     指導して下さった恩師・当時の家庭の事情などを理解し ピアノの仕事を紹介してくださった
     先生方や楽器店の方々、借家の家主さん、そして最後に 大学の入学金(学部と専攻科の2度)
     そして授業料など貸しくださった家族・親戚に感謝しています。

     東京に出てきて結婚するまでの、約15年間、生活すべてがピアノ一筋の毎日でした。
  

                          
 

     雲雀丘学園小学校卒業、大阪教育大附属池田中学校卒業、大阪府立櫻塚高等学校卒業     

     武蔵野音楽大学器楽科(ピアノ)卒業、武蔵野音楽大学専攻科修了

     卒業演奏会、新人演奏会に出演

     1969年ピアノ・グループ‘66結成に参加。計3回東京にてジョイントリサイタルを行う。

     1972年から約2年間イタリア・ローマへ留学(下写真)

        (横浜港からバイカル号でナホトカ・シベリア鉄道でハバロフスク・モスクワ➡ローマへ)

    1973年6月、7月、イタリアローマにてサロンコンサート開催

    1974年9月14日 東京文化会館小ホールにて帰国リサイタル開催。月刊誌「音楽の友」で評される。
              (プログラム・John Hunt/Jiri Hubieka両師の推薦状 下記図) 
      


        1977年2月11日 彫刻家の和南城孝志と結婚。
            これ以降、彫刻家の夫を支え協力し合うことにより 
            ピアノ演奏を辞めもっぱら後進の指導に専念。

    若たけ会結成  長きに渡り後進の指導を続け、毎年演奏会開催。
            多くの教え子が音楽界、教育界で活躍。

                                        
       職歴

 帝京大学教育学部音楽実技(ピアノ)助手、横浜共立学園課外活動(ピアノ)講師、
      聖徳大学教育学部・短期大学幼児教育科ピアノ実技講師を歴任。結婚後

 昭和音楽大学短期大学部ピアノ科講師を約32年にわたり勤め退職。

 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)正会員

      老後の今 ピアノを楽しみ、趣味の世界(旅行・折り紙等)と孫たちの世話に日々を過ごす。



    1965年武蔵野音楽大学卒業演奏会・新人演奏会 / 66年専攻科研究発表演奏会 /
            ピアノグループ’66ジョイントリサイタル

    

 
 
    イタリアローマ(於)1973年6月・7月サロンコンサート 右写真 
       当時イタリア全権大使のN氏ご夫妻・結婚立会人をしてくださる。


     


 1974年9月14日(於)東京文化会館小ホール 帰国リサイタル 
            (下記)ジョン・ハント教授・イルジ・フビチカ教授 推薦文
 
  

       
 


    
   


 イタリア・ローマへ留学時(横浜港➡ハバロフスク➡シベリア鉄道➡モスクワ)

       
 1972年横浜港大桟橋バイカル号  船内で一緒になった旅人と  シベリア鉄道で  モスクワ市内観光



       若たけ会・ピアノ演奏会

     
 川島先生と2台ピアノのための曲演奏  若たけ会 ピアノ協奏曲演奏
 若たけ会 ピアノ協奏曲演奏