氷の封印 最終章(9)





「お兄ちゃん! 時間だよ〜!」


可愛いらしい声が階下から響く。
「おにいちゃん!」

何度か呼んで、起きてこない兄に痺れを切らしたのか、軽やかな音をたてて階段を昇る足音がした。
その足音は部屋の前まできて、止まる。
コンコン、と扉をノックする音がして。

「・・・お兄ちゃん?」

その柔らかな声に一条の意識がふ、と覚醒した。

「・・・・おはよう」
「おはようございます、一条さん」

みのりがニッコリ笑って。

パコッ!と。
「あたっ!!!」
「もう! 遅刻しちゃうよ! おにいちゃん!」
「って〜〜〜!!」

手にしたお玉で額を叩かれた椿が飛び起きた。



「あにすんだ! みのり!」
「もう、朝起こしてくれって言ったのお兄ちゃんでしょ」
食卓に座った椿の前に朝御飯を並べながらみのりが「どうぞ」と一条に箸を渡した。
「ありがとう」
「だいたいなぁ、あんなもんで叩くなよ。この俺のハンサムな顔に疵がつく」
そういって自分の額を指差した椿のその場所には丸く、赤い痣がついていた。
「いただきます」
「どうぞ」
「聞いてんのか、みのり」
ぶうぶう文句をたれる椿にかまわず一条は食事を始める。
「時間になっても起きてこないお兄ちゃんが悪いんでしょ」
「俺か!?」
椿が差し出した茶碗に御飯をよそおいながらみのりが頷いた。
「だいたい一条さんがきちんとスーツ姿なのに、なんでおにいちゃんてばいまだにパジャマなのよ」
「家にいるときぐらいくつろいだっていいだろ」
「妹としては、格好いいお兄ちゃんにはそれなりの格好をしてもらいたいな」
「そうか?」
みのりの言葉に椿の顔が緩む。
「・・・・・その顔、外でするなよ」
二人のやりとりを黙ってきいていた一条がぼそっと口を挟んだ。
椿が妹をなによりも大切にしているのは周知の事実で、その溺愛ぶりは椿の恋人達など比べものにもならないぐらい、と いうことなのだが。
「うるさい・・・あ、そういえば」
「なに?」
「簡単に男の部屋にはいるなよ」
「・・・・・は?」
椿の言葉の意味がわからず、みのりは思わず聞き返した。
「・・・男の部屋って・・・おにいちゃんの部屋じゃない」
「何言ってるんだ! 俺だけじゃなかっただろう! 男はみんなケダモノだ!」
「まて、それは俺の事を言ってるのか」
唾を飛ばしまくらんばかりの椿の言葉に一条が眉間に皺を寄せた。
「あたりまえだ」
「・・・・・」
「あ。一条さん、おかわりどうですか?」
椿の言葉をまるで相手にしていないみのりが一条に笑いかける。
「・・・・聞けって」
「あ、もう行かなければならないので」
そういって空になった茶碗を持って立ち上がった一条を静止する。
「そのままにしておいてください、後は私が片付けますので」
「こら」
「すみません、御馳走様でした。とてもおいしかったです」
「お仕事頑張ってくださいね」
上着を持って部屋を出る一条を見送るその様はまるで若妻のようで。
むくれた椿は手にしていた白い御飯にかぶりついた。



玄関を出て、一条は空を見上げる。
昨日は椿と飲み明かしてそのまま止まってしまってそこからの出勤となってしまった。
椿の両親は海外に出てしまっていて屋敷といっていいような広い家に兄妹で住んでいるのだが、いつ見ても仲のいい二 人だと思う。一条には兄妹はおらず、ほんの少しだけ羨ましい気持ちがないわけでもなかった。
このごろ根をつめて仕事をしていた一条を心配した椿に無理やり連れられてきたのだが、いい気分転換になったようで 久々に晴れ晴れとした気分を味わっていた。
いつもは車で出勤なのだが。
たまには電車もいいだろうと駅までの道を歩き始めた。



「もう、お兄ちゃんてば一条さんに何てこと言うのよ」
食事が終ってくつろいでいる兄に対し、あきれたようにみのりが笑った。
「一条さんが私なんか相手にするはずないじゃない」
「そんなことはない」
みのりの言葉に椿がむっとしたように言い返した。
「お前は俺からみても可愛いからな」
「・・・兄馬鹿なんだから」
ありえない椿の心配にみのりが溜まらずふきだした。
「言っとくけど、一条さんとはまかり間違ってもそんなふうにならないから」
「・・・そんな事誰がわかる」
「わかるって!」
そう笑って。
ふと、視線を泳がせた。
「そう・・・きっと、一条さんは・・・・」
何を言おうとしたのか。
そのままみのりの動きが止まってしまった。
「・・・みのり?」
いぶかしむように椿に問い掛けられてみのりが我に返る。
「あ、なに?」
「なにって・・・朝っぱらからぼんやりしてんなよ」
「そう?・・・まあ、余計な心配はしないでってこと」
「余計な心配じゃあない」
なにをいっても聞かない兄にみのりは肩をすくめた。
「俺はなぁ、お前を幸せにしてくれって頼まれてんだからな。俺の目にかなった奴じゃなきゃ認めん!」
はっきりと言い切った椿にみのりが不思議そうに聞き返した。
「頼まれた、って・・・だれに?」
「誰にって・・・・・」

誰に。

言葉が詰まった。
誰に頼まれたのか。
椿の記憶の中に確かに残っているのだが。

ミノリノコト、オネガイシマスネ?

誰だったっけ。

俺ニハデキナカッタケレド、シアワセニシテヤッテクダサイ・・・・・・・・

「お兄ちゃん?」
「あ、なんでもない」
椿は食後のコーヒーを飲み干して立ち上がった。

そう、誰が言ったのでもいいことだ。
俺はそのとおり幸せにすると誓ったのだから。

「みのり、そこまで送るから支度しな」
「は〜い」

振り向いて笑うみのりに笑い返して。

そう、大切なこの「妹」を誰よりも必ず幸せにするから。

「・・・約束だしな」
誰にともなく呟いて椿は車のキーを手にとった。



電車の窓に流れる景色をぼんやりと一条は見詰めていた。
平和な町並み。
立ち並ぶ家々。
その中で暮らしている人々は、なにものにも脅かされることのない時間を過ごしているのだろう。
そんなふうに考えていた一条の表情がふと曇る。

プロジェクトはすでに最終段階に入っている。
プロトタイプスーツは試行錯誤を繰り返されながら完成体に近づきつつある。現在は最終的なプログラム修正と調整が行 われており、『プロジェクトGV』としてもうすぐその姿をみる事ができるだろう。

だが、いまだ残された問題があった。
『装着者』である。
えりすぐりの選ばれた候補者達は厳しい訓練のなか次々に脱落をし、今では片手の指に余るほどの人数しか残っていな い。
だが、一条の目から見て厳しい事をいうようだが彼等では役不足の感が否めなかった。
身体能力的には何の問題もない者達ばかりである。

「だが、何かが足りない・・・」

今の候補者達では、例え『GV』を装着する事ができても、『GT』『GU』を装着した者達と同じ様にコントロールする事が 出来ず、反対に飲み込まれて潰されてしまうだろう。

―――― もう一度見直さなければならないだろうか・・・

だが、候補者を探し出し鍛え育てるのには時間がかかる。プロトタイプスーツの完成を間近に控えて今更最初からやり直 す時間があるだろうか。もし、プロトタイプスーツが完成してしまえば、それを遊ばせておくわけにはいかない。
それにこれは一条のけじめでもあるのだ。
あの未確認生命体が、もし再び人類を脅かすようなことがあったとしても。
こんどこそ人間は自分達の力で立ち向かう事ができるだろう。そのためにも一条は全力を尽くしてきたのだから。


電車が駅のホームに滑り込んだ。
人波に飲まれながら一条は歩き出す。
(もう一度、リストを洗いなおすか)
例え時間がなくても妥協する事などは考えられない。そう決意も新たにすると小さく溜息をついて改札口を出た。

すこし冷たくなった風が一条の髪をなでた。
ふと、何処からか甘い香りがして一条は立ち止まった。
誰かがつけた香水だろうか、どことなく覚えのあるような気がしてあたりを見回したがなにも見つけることはできない。
流れる人波に逆らって立ち止まっている一条を、すれ違う人々は訝しげにみやりながらすれ違っていく。
一条の意識をひいた、その不思議な香りは直ぐに消えてしまったようで既に感じることはできない。
「気のせい・・・か」
自分はなにを気にしているんだ、と軽く頭をふり再び前を向いたとき一条は人にぶつかってしまった。
「きゃ・・・!」
「あ、すみません!」
細身に見えてもしっかり鍛えている一条に手加減なしにぶつかられてはひとたまりもない。ましてや女性であるならばその 衝撃にたえられないだろう。
ふらり、と倒れかけた女性の腕をつかみ引き寄せた。
「ごめんなさい!」
「いえ、自分こそ・・・!」
その顔を覗き込んで一条の視線が釘付けになった。

日焼けをしていない白い肌。
肩で切りそろえられた、軽いウェーブのかかっている黒い髪が軽やかに揺れている。
長い睫毛に縁取られた黒い瞳に一条が写っていて。

「・・・あの」
あまり一条に見詰める様を不審におもったのか女性が困ったように掴まれている腕を見詰めた。
「あ、すみませんでした。ちょっと考えことをしていたもので・・・」
「いえ」
一条の謝罪の言葉に、その女性は綺麗に口紅のぬられた形のいい唇を微笑ませた。
「私のほうこそすみませんでした」
倒れかけた拍子に肩から落ちた鞄の紐をかけなおした女性は一条に軽く頭を下げて歩き出した。その後ろ姿を見送ってい る一条のもとに、先ほど感じた甘い香りが届いた。
なだらかな風にのって一条の元に届いたその香りは。

――――――― 薔薇の香り

「――――――・・すみません!!」
なにも考えてはいなかった。
ただ身体が反応してしまったのだ。無意識に走り出して、先刻ぶつかった女性に走りよって。

「・・・・・・待ってくれ・・・・・・!!」
その細い腕をつかみ振り向かせる。
「!」
突然一条に振り向かされた女性は驚きのあまり声もでないようだった。
「・・・・なにか・・・?」

なにか、と問われて。
はじめて一条は自分が何をしたのか気が付いた。身も知らない女性の後を追い、強引に振り向かせて。
一体なにをしようとしているのか。
いまでも一条の頭の中は真っ白でなにも浮かばない。
ただ心臓だけが激しく鼓動を打っていて一条のことをせかしているのだ。
「いや・・・・その・・・・」
懸命に言葉を紡ぎだそうとしている一条をみやる女性が首を傾げた瞬間。
その艶やかな黒髪がゆれて薔薇の香りがした。

薔薇の香り。

薔薇。

「どうしたんですか?」

その美しい女性の、黒い瞳が。



「どこかで・・・・・・会ったことは、ありませんか・・・?」







さあ、あと一回で終る予定なのだが・・・・・・・私なりにHAPPY END のつもり。
だがしかし、ひかるさん曰く
「『幸せ』ではあるかもしれないけど『HAPPY END』ではないよね」
・・・・そうかなぁ・・・
BY  樹 志乃   



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