氷の封印 第三章(1)





満月の光が差し込む森の中を白い影が過ぎる。木々が茂るなか音も立てずにフワリフワリ、と宙に舞っている。
音もなく地面に着地した時、ほんの微かに枯葉が砕ける音がしたくらいだが、それは風の音に消されてしまうようなものだったから。


ザザッ・・・と枝が揺れて。
ふわりと夜空に浮かびあがった細い肢体が、体重をかんじさせない空気のような軽さで地に舞いおりた。腕に桜子を抱えているとは思えないほどの軽やかさだ。


「・・・・・・本当に・・・ここなの・・・?」
地面に下ろされた桜子の問いかけに振り向くことなく頷いた。
そのまま手を地にかざし目を閉じる。
不意に、その手と地の間の空気が歪んだように桜子には見えた。まるで濃縮された粘度の濃い空気が渦を巻いているようだ。
伸ばされた手に力がこもるのが判る。まるで下から引っ張られているのを懸命にこらえているようだが、彼女の表情には何一つ変わりはなくて。
ただ、いつのまにかその額に白い薔薇の紋様が浮かび上がっていた。


どれくらい経ったろうか。
不意に、彼女が差し出したその手の平の下で、ぼこり、と土が盛り上がった。
そのまま何かが這い出てくるかのように後から後から土は盛り上がって。その周囲に円を描くように土が盛りあがって小さな山が出来た頃、土の中から小さな球体が、ふっ、と空中に浮かび上がったのだ。

その塊はゆらゆらと揺れながら中に浮いている。


「・・・・・・頼む」
小さな声に頷いた桜子は持っていた鞄から白い布を取り出すと、浮いていたその石をそっとくるみこんだ。
「・・・コレを、届けて欲しい」
桜子は黙って頷いた。
「くれぐれも・・・気づかれるな・・・」
一条の事を指しているのだろう。あれから一条は時間さえあれば必ず病室に顔をだし五代の傍を離れようとしないでいる。その光景を見れば、たとえ記憶がなくとも、一条にとって五代が大切な存在であることが桜子にも痛いほど判る。
けれど、肝心な記憶をすべて失って―――たとえ、それが自分の意志でなくとも―――何も背負うものもなく、それなのに五代にあんなに大切にされている一条を見るとどうしても桜子は素直になれないのだ。
「・・・そんな顔をするな、あの御方はおまえの事も必要としている」
ぶっきらぼうだが、どこか深みの感じられる言葉に桜子は、はっと顔を上げた。相変わらずなにも表情の読み取れない瞳を向けられてはいるものの、桜子はどこか癒される自分を感じて目をそらしたのだった。


「うん、異常なし、だな」
カルテを見て頷きながら呟いた椿の言葉を聞いて、一条が安心したように顔をほころばした。
「そうか・・・なら、退院は・・・」
「あ、それは未だ無理」
椿にあっさりと遮られて一条が表情を曇らせた。
「何故」
「今は問題なし、なんだけどな」
椿が肩をすくめながらカルテを放り出した。
「こいつが倒れた原因がわかってないんだからしょうがないだろう。後幾つか検査しておきたいこともあるし」
「原因って・・・」
「もし原因がわからないまま退院させたとする。そうして又意識が飛んだとするだろう、今回は良かったんだぜ、おまえがいたから」
五代の後ろに立つ一条を見上げながら椿が話し出した。
「もし、こいつが倒れた場所が危険な場所だったらどうするよ、踏み切りや信号や、階段の上とか」
「あ・・・」
椿に言われて一条が表情を変えた。
「いいな、おまえも安静にしてるんだ」
「・・・わかってますよ」
困ったように笑う五代をにらみつけて椿が背中を向けた。
「さ、診察終わったから、行っていいぞ」
ひらひら、と手を振られて一条は五代を促して診察室を出たのだった。



「一条さん、仕事はいいんですか?」
「もう少ししたら戻らなければいけないんだが、どうしているか気になってな・・・」
やわらかく微笑む一条をまぶしそうに見やって、五代は顔を伏せた。
「・・・俺は、大丈夫ですよ、一条さんは心配性なんですね」
そういって再び顔を上げたときには、五代の表情はいつもの顔に戻っていたのだが、なにかを感じたのか一条が微かに眉間に皺を寄せて、ポツリポツリと話し出した。
「・・・多分君が」
「はい?」
「いや、君は・・・辛い時に辛いと言わないから・・・」
「・・・・・・え・・・・・・」
「あ、いや、そういう風に見えたから・・・」
そういって恥ずかしそうに視線を逸らした一条を眩しそうに五代は見やる。そういう風に見えたということは、かつて、一条は五代のことをそう思っていたということなのだろうか。
口には出したことはなかったが、きっと心配をかけていたのだろう。
「・・・何かあったら直ぐに自分に言って欲しい」
真摯な瞳で覗き込んでくる一条の視線が胸に痛くて、五代は其処から目をそらすかのように誤魔化し笑いを浮かべて見せた。
「ありがとうごさいます・・・でも、大丈夫ですから」
「・・・」
そういって笑った五代の顔を見つめて顔をしかめた。
「・・・どうしたんですか?」
そのままじっと見つめてくる一条に、五代は首をかしげる。
「・・・どこかで」
「はい?」
「・・・・・・どこかで、会ってはいないだろうか・・・?」
「・・・え?」
心の奥底まで覗き込むような一条の視線にとらわれて五代は目をそらすことが出来なかった。
「いつも、そう思う・・・五代と、同じような会話をどこかでしたような気がする・・・」
「一条さ・・・」
「・・・そう、心配だと思っても、口に出すことはできないんだ・・・」
「一条さん!!」
どこか焦点の会わない瞳で、浮かび上がってくる言葉をそのまま口に出しているような一条の肩を掴んで五代が強く揺さぶった。
「・・・五代?」
「大丈夫ですか? 突然ボーっとしちゃうから、びっくりしました」
「あ、すまん・・・」
ふっと肩を落とし、大きなため息をついた一条を五代が痛ましそうに見つめたのはほんの一瞬のことで。
「・・・俺のところに毎日きたりして・・・本当は忙しいのに無理してるんじゃないですか? 俺はもう大丈夫ですし」
「五代・・・」
「別に逃げたりしませんから、あとは幾つか検査するだけだし、ココにくる時間があったら一条さんは休んで・・・」
「五代に会えない方がつらい」
五代の言葉を遮るように放たれた一条の言葉が五代を縛る。
「俺がきたら・・・迷惑なのか?」
「・・・迷惑、だなんて・・・それこそ一条さんは命の恩人だし・・・」
大きく心臓が脈打って一気に鼓動が早くなってしまう。その動揺を悟られたくなくって五代は目を伏せて自分の顔を引き締める。
「俺が、ここにくるのは嫌・・・なのか?」
「なに、を・・・言って・・・そんな」
戸惑ったような五代の様子に一条が微笑んだ。
その笑みに思わず解けそうになってしまった心の紐を縛りなおし、五代はあえて無表情を保とうとしたのに。
「だったら毎日でも会いたい」
一条は片っ端から粉砕してくれるのだ。
「ほんの少しの時間でいいんだ。顔を見るだけでもいい」
「一条さん」
「会えないときは五代の事ばかり考えてしまう・・・」
「そんな・・・なに馬鹿なこといって・・・」
一条の言葉が五代の隅々にまで染み渡って、あれほど頑なに封印したはずの想いを解いてしまいそうだ。

――― どうして・・・。

いまだって、懸命にこらえていなければ身体が自然に一条に寄り添ってしまいそうなのに。なによりも、自分の命よりも、この世界の平和よりも選んでしまった人に、こんなにも求められて拒むなんてことができようか。

――― どうして忘れてくれないんですか・・・!

それは自分勝手な想いと知っているけれど、思わず一条を責めずにはいられない。
辛くて、嬉しい誤算。この甘い責め苦に今にも屈してしまいそうな自分を懸命に五代は引き止めているというのに。これが一条の記憶を奪ったことの代償だとしたら、なんて皮肉な運命なのだろう。

そんな五代の葛藤には気が付かずに一条はただひたすらに五代の壁を突き崩してくる。

「それに・・・もし会えなくなってしまったら・・・」
「・・・え?」

何時の間にか両肩をつかまれて引き寄せられ、一条の熱を傍に感じて五代は軽いめまいを感じていた。ただの人間のはずの一条は、いつも『クウガ』である五代を守ろうとしてくれて生傷が絶えなかった。どんな怪我を負ってもすぐに治ってしまう自分をかばって、何度怪我を負ったことだろうか。
何度、その背中に守られたことだろうか。
皮肉なことに不死身に近いはずの自分よりも一条の方が、よっぽど正義の味方らしい、がっしりとして逞しい体をしている。どれだけ羨ましく、どれだけ頼りにしたことだろうか。
両肩を強く掴まれている個所から、五代の全身に甘い痺れが駆け巡った。そのつもりはなかったのに、心では懸命に制止していたはずなのに、身体は裏切っていつしか一条にぴったりと寄り添いあってしまっていた。
互いの呼吸を唇に感じるほどに間近に瞳を覗きあって。

「気が狂ってしまう、かもしれない・・・」
「いち・・・じょ、さ・・・、ん」

強い、強い言葉が五代を貫いて。
時が止まって、この世に二人だけのような感覚に襲われた。

「・・・五代・・・」



「五代君?」

桜子の涼しげな声が、五代を一気に現実に引き戻した。桜子の声とともに新鮮な風が舞い込み、二人を包んでいた甘くねっとりとした空気の膜を破ってしまったのだ。
今まで止まっていた時が動き出すような感覚にすら襲われて、五代は唇をかみ締めた。

―――・・・もう、後戻りはできないんだ・・・

自分のしていることを悔やみはしないけど、失ったものを悼んでしまう気持ちは押さえきれなくて。

「ごだ、い・・・」
一条の半分掠れた声を五代は懸命に聞こえなかった振りをした。
外に漏れてしまうのではないだろうか、と思えるほどの己の心臓の鼓動も咽元で懸命に押し殺して、微かに震える手を一条から無理やり引き離した。
「・・・すいません、なんか、引きとめちゃって」
一気に現実に引き戻された衝撃から先に立ち直った五代が、なにか物言いたげな一条の視線をあえて知らない振りをして笑顔を向けた。
「・・・もう、行った方がいいんじゃないですか? 仕事でしょ?」
「・・・」
一条になにをも言わせないように笑顔を顔に貼り付けて、その後ろの桜子に手を振ってみせる。
「あ、桜子さん! もう、時間?・・・迎えにきてくれたんだ」
「・・・うん、約束の時間だから・・・」
桜子の声に一条も大きく息を吐いて肩を落とした。それを見て五代が後ずさった。
「と、いうことだから・・・、俺、行きますね」
「あ・・・」
振り向きたくなる気持ちを押さえて五代は桜子の傍に立った。なにかを訴えるような瞳で見上げてくる桜子に笑いかけ歩き出す。
「五代!」
力の篭る強い声で名を呼ばれて一瞬五代の身体が震えた。
「また、来る」
背中を向けていても己を見つめる一条の視線に絡め取られそうになる自分を懸命にこらえる。
「また、様子を身に来る」
ただ、小さく頷いて。
五代は桜子と歩き出した。






とりあえず、此処できました。
目指せ連続アップ!
目指せ、今月中に終了! by 樹 志乃


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