氷の封印 第三章(2)





「・・・いいの?」
部屋に戻って、ベットに腰掛けるなり大きなため息をついた五代を見て桜子が尋ねた。
「・・・いいのって?」
「それを私に言わせるんだ、五代くんは?」
ちょっと困ったような桜子の問い返しに五代は、はっと顔を上げゴメン、と小さく呟いた。その呟きを聞いた途端桜子は自分の言葉に込められていた無意識の棘に気がついてしまった。
あれほど頼まれていたとはいえ、先刻五代と一条の時間を裂いた時、桜子は明らかにほの暗い悦びを感じていたのだ。そのときの桜子を支配していたのは、紛れもなく醜い『嫉妬』という感情。
五代が自分のものにならないかわりに一条のものにもさせない、という醜く願うもう1人の自分がそう言わせた言葉で五代を傷つけた。
「・・・違うの! 五代くんは謝らないで!」
「桜子さん・・・」
「ごめんなさい・・・! 私が・・・私が悪いんだから・・・!」
そういって、俯いてしまった桜子をそっと抱きよせて五代は背中を撫でた。その抱擁には男女間の愛情はないけれど労わる五代の気持ちがやさしく桜子を包んでくれた。
「・・・俺のほうこそ、ゴメンね・・・桜子さんには無理ばっかり言っちゃってる・・・」
優しく身体に染みる五代の声を聞きながら桜子は小さく首を横に振った。
「・・・でも、桜子さんには知っていてほしいんだ・・・桜子さん、俺の大切な人だから」
「・・・五代君・・・」
まるで子供のような泣き顔をする桜子に五代は優しく笑いかけた。
「桜子さんは俺を導いてくれたんだよ・・・? いつも、いつも。桜子さんがいなければ俺はクウガにはなれなかった。一条さんに会うこともなく、大切な人達を守れる力も得られなかった」
「でも・・・!!」
「俺は後悔はしていない」
涙に濡れた顔で見上げる桜子を優しく見下ろして五代は力強く言い切った。
「俺にしか出来ないことができたんだもん、それができたのは・・・桜子さんのおかげだよ?」
まっすぐに桜子を見つめる瞳は以前と少しも変わらない光を称えた瞳だった。己を信じ、もてる力を全て出し切った後悔しない瞳。
「五代くん・・・!」
「俺のすること、見ていてほしい。とても辛いことかもしれないけれど、俺のすること、桜子さんには覚えていてほしいんだ」
「・・・私で・・・いいの?」
「桜子さんでなきゃ、駄目なんだよ。だって、桜子さんは俺の憧れの人だから」
「・・・五代君・・・!!」
その、五代の言葉だけで。
桜子はすべての気持ちを昇華することができると思った。
まだ最初は辛いかもしれないけれど、自分の存在が五代にとってなんらかの意味をもてたのだと思えることが桜子を救ってくれる。

その五代を悲しませないために。
五代に選ばれた自分が後悔しないために。
かつて五代が命をかけて自分達を護ってくれたように。
だから、今度は。
五代の為に。


指先で涙をぬぐうと大きく息をついて。
桜子は五代を見上げた。
「五代君、これ、預かってきたわ」
そういって肩にかけていたバックから白い布に包まれた小さな塊を差しだした。その石を受け取って安堵したように微笑む五代を見つめながら、桜子のその瞳にはもう迷いは浮かんでなかった。
すべてを見届ける覚悟のできた、自分にできることをしようと覚悟をきめた、かつての桜子に戻っていたのだった。



真っ白な満月を見上げて。
ウエーブのかかった髪を風に揺らせながら1人の女性が立ち尽くしていた。
「・・・」
なんの表情も浮かべていない端正な表情とそのほっそりとした肢体はまるで人形のように美しくて、ただその瞳に浮かぶ 憂いを帯びた光だけが彼女が人形ではないということを示していた。
「・・・――――、・・・」
しばらくして、紅く彩られた唇が動いて何かを呼んだけれど、それは風に流されてしまって後には残らなかった。

その声は、いままで誰も聞いたことがないような愛しげな響きがこめられていたのだけれど。



城南大学の研究室で、桜子は己の端末に向かっていた。ようやく己の感情を昇華させることが出来た今、改めてあの事件に正面から向かいあっていたのだ。今までの調べた全ての資料と首っ引きになりながら桜子は九郎ヶ岳遺跡で発見された古代文字の解読を改めてやり直しはじめている。
かつて古代文字を解読したと言ったのはほんのわずかな部分でしかない。あの辛い戦いの最中で必要に迫られた部分での解読しか行わなかったし、またその為の時間も少なかった。戦いが終わってから後回しにされていた古代文字にどれだけの秘密がこめられていたのか、保管されていた遺跡が何者かによって跡形もなく粉砕されてしまった今こそ、どれだけ重要性を帯びていたのか桜子には理解できる。

――― 多分、あの遺跡には、おそらく解読されてはいけないことが記されていたんだ・・・。

目は画面を追いながらも桜子は頭の隅でその事を理解していた。

――― そして私はその犯人を知ってる・・・・・・。

不意に桜子の頭に浮かびあがった白い影を振り切って桜子は端末に向かい直した。いま、このパソコンに保存されているデーターは以前、桜子が何らかの不足の事態が起こったときのことを考えて無断でコピーしておいたものだ。
「どれくらい時間がかかるかわかんないけど、やるっきゃないか・・・!」
そう呟いた桜子の顔は暗いものではなく。

キーボードを叩く軽やかな音だけが静かな研究室に響きわたっていた。



「・・・なんだって?」
椿は塚本から差し出された書類と茶封筒を見て眉を潜めた。
「頼む。おまえにしか頼めないんだ」
「しかし・・・」
「俺なりに調べたこととサンプルデーター、こっちには採取した血液が入ってる」
呼び出された資料室の片隅で渡されたかなり厚みのある書類の束と、何本はいっているのか知らないがかなり膨らんだ茶封筒を差し出された椿は塚本の顔を見つめた。かなり追い込んで調べたのか目の下にはクマが浮かんでおり気のせいか頬もこけているように見えた。
「全員の分って言うわけじゃない。あの事件後に俺のところにきた患者の中から・・・その、特殊な力っていうか・・・共通点 のある患者のみの血液が入っている」
「・・・勝手にこんなことしちゃまずいんじゃないのか?」
「・・・俺が出来る範囲のことは全てした。でも、俺ではもう無理だ。これ以上は進めない」
「何故、お前がそこまでするんだ・・・なにもそんなに無理してまで」
椿の心配気な響きを帯びた声に塚本は自嘲気味に口元を歪めた。
「・・・婚約者」
「・・・なに・・・?」
「俺の婚約者がいるんだ」
そういって寂しそうに笑った塚本に、椿は言葉を失ってしまった。
「未確認生命体に兄弟を殺されてな・・・すっかりふさぎこんでたんだけど・・・このごろ漸く笑うようになってきて・・・」
椿の記憶に塚本が結婚式を間近に控えて仲間達にからかわれていた場面が脳裏によみがえった。事件がおきる、ほんの2〜3日前、平凡でささやかだけれどそれでも大切にしたい幸せが奪われるなんてことを、これっぽっちも疑ってはいなかった時間。
「いつからその兆候が起こったのか・・・俺は知らない。俺に隠していたんだ・・・自分が怖くて・・・耐え切れなくなってから漸く助けて、と・・・」
「塚本・・・」
「・・・彼らの特殊な症状の特徴にはいろいろあるんだが・・・彼女は・・・感情の昂ぶりにあわせて・・・その」
よほど言いづらいのか塚本は目を伏せてしまった。医者として恋人としてそれを認めたくない自分と戦っているのかもしれない。
「・・・周囲の物を発火させる能力があるというんだ」
「!」
想像もできなかった言葉に椿が絶句した。
「俺はこの目で確かめたことはないんだが・・・その能力で、両親を傷つけてしまったらしい・・・」
拳を握り締め、かすかに震える声で懸命に話そうとする塚本の肩を椿は軽く叩いた。無理に話す必要はないのだ、という 意味をこめて。
「俺に、迷惑かけたくない、って、な」
「・・・・・」
「・・・自殺しようとしたんだ・・・両親が、病院から電話してきた」
「!」
「・・・俺は・・・エゴだっていわれても、いい。彼女だけは、助けたい・・・そのためになら何でもするつもりなんだ」
「わかった・・・コレは俺が預かる」
その椿の言葉に、塚本がホッとしたのをみて慌てて付け加えた。
「いいか? 俺も何もできないかもしれないんだぞ。そこだけは忘れないでくれよ」
念を押す椿の言葉に塚本は、それでも幾分表情を緩めて頷いた。
「かまわないさ、もしかしたら新しい何かを発見できるかもしれないだろ? それだけでもいい・・・なにも知らないよりな」
「ああ・・・じゃあ、俺は俺なりに調べてみるよ」
そういって、椿は塚本から書類と封筒を受け取ったのだった。


同時刻  警視庁


「一体、どういうことなんですかね」
桜井と杉田は廊下を警視庁の廊下を歩きながら眉を潜めた。未確認事件が全て終わり、杉田と桜井はかつての部署に戻された。一条も長野での研修を終えて今では杉田達とともに働いている。おそらく一番早く昇進することには間違いないと仲間内では囁かれていた。かつての事件での働きぶりを知っている仲間達は誰もそれに異を唱えるものなどなく、かえって遅いぐらいではないかと言われているぐらいだったのだ。もっとも一条自身はそんなものを望んでいるふうなどなかったが。
前と変わらず事件が起これば一番最初に飛び出して、一番最後まで現場検証を行い一番粘り強く捜査に打ち込んだ。
「ああ、未確認は全部殲滅したはずなのになぁ・・・」
杉田の忌々しげな呟きに桜井も頷いた。ここのところ奇妙な猟奇殺人が続いている。凶器も動機も見当たらない、被害者になんらの共通点も見当たらない、そして殺し方が一貫していない点から連続殺人ではないことは判明している。だが、それはもっと最悪な事を意味していたのだ。
つまり、その猟奇殺人を行っただけの犯人がこの世にいるということ。
「未確認は殲滅したはずなんだがな」
「ええ、未確認にしては―――・・・殺し方が簡単すぎる」
桜井のあんまりな物言いに杉田が苦笑する。だが、桜井の言っていることは正しいのだ。
「――――・・・だが、未確認の仕業とでも思わなきゃ、やっとれんな」
それに対して返ってきた杉田の言葉に桜井は視線を足元に落としてしまった。


杉田の脳裏に先刻現場検証を行った際の光景が蘇った。

既に人間とはいえない物体に成り果ててしまった元人間の身体をみて暗く思う。
―― まったくだ。もしこれが人間の仕業だとしたら。
杉田は溜息を付くと一条の横にしゃがみこんだ。ブルーのビニールシートをめくり・・・眉を潜める。
「・・・相変わらず、無残だな」
「自分は聞き込みに入ります」
同じように死体を見た桜井がそういいながら立ち上がるのに頷くと杉田はシートを元に戻し一条と一緒に鑑識官の話を聞くことにした。桜井は既に何人かの捜査員を集め指示をだしている。それを見て杉田は視線を戻したが聞く話にはなんの進展もないことを予想してため息をついた。それは杉田だけではなく一条にも鑑識官にもいえることで、ここ一連の猟奇殺人事件はこのままではおそらく迷宮入りになってしまうことも予想がついてしまう。

たとえば頭が内側から破裂していたり。
たとえば身体の内側と表がひっくり返ってしまっていたり。
たとえば身体中の血液が沸騰してしまっていたり。

あまりにも直視できないような無残な死体ばかりだったのだ。とても人間技と思えないが、絶対人間には出来ない仕業とも言えない殺され方だ。そして桜井の言ったとおり、未確認の殺し方に比べて理由がなさすぎた。
前例のない惨い殺され方で、とても人間がやったものとも思えない無残な死体ではあるけれど、未確認を相手に死線を潜り抜けてきた杉田達にだけわかる未確認生命体によってもたらせられた殺人との違いがある。

殺し方になんらの共通点がないのだ。
ただひたすらに惨いだけで品がない。

そして未確認は今はいないのだ。だがそれでもこれは未確認の仕業だと思いたかった。
じゃなければ。
自分達が命を危険にさらし、何人もの同僚を失い、それでも護ってきた人間のしたことだとしたら。
いやそれよりも。
これが本当に、彼が己が全てをなげうって護った人間の仕業だとしたらあまりにも哀しすぎるではないか。
そこまで考えて杉田は軽く頭を振って考えを打ち払った。そのまま桜井の肩を叩き現実に引き戻す。今はそんなことを考えている場合ではない。目の前には刑事である自分達のやることが山のように転がっているのだ。
そう切り替えた杉田の表情は、刑事のそれに代わっていた。


「どうだ、一条」
捜査本部と表示のされた扉をあけて鑑識の人間と話していた一条に声をかけた。振り向いたその表情は険しい。
「例の如くですね。・・・なんの痕跡も残っていない」
「ふ・・・ん」
「被害者になんのつながりも見えないし、前科の有る者を洗い出ししてみたが既に死んでるか、まだ塀の中だ」
そういった杉田がため息をつく。皆が、この事件に纏わりつく重い雰囲気を意識していた。自然に口が重くなり部屋の中を沈黙が支配する。
「それにしても・・・まだ会議が始まらないのか?」
杉田がそれを振り払うかのように、わざと大きな声をだす。会議が始まる時間を15分もオーバーしてしまうなどめったにないことだ。すでに捜査員は集まっているというのに肝心の上層部の人間が一人も姿をあらわしていない。
「なにか、立てこんでるのか?」
とりあえず所定の位置につくことにした杉田達は目の前の資料に目を通していたが、時間がさらに過ぎ30分にもなる頃には部屋の中もかなりざわついていた。
こういった捜査は最初の初動捜査が肝心だ。時間がたてば立つほど人々の記憶は薄れていくし証拠も消えやすい。早めに方針を決めて人員を割いていかないといけないのは常識なのに、と部屋の中の人間がいらだちはじめたころ、漸く扉が開いた。
「・・・松倉本部長・・・?」
だが、部屋に入ってきたのは松倉一人だけだ。厳しい顔をした松倉はテーブルに設置されたマイクをとり一条たちに向き直った。
「たった今、この件から我々の手を離れ別管轄に写ることが決定した。よって捜査本部をこのときを持って解散する。皆は速やかに普段の業務に戻るように」
「・・・・・・え?」
松倉の低く、だがはっきりとした声が決定事項を皆に伝えた。その言葉を理解する前に更に松倉は言葉を続けた。
「なお、一条、桜井両警部補、杉田捜査官は私と一緒に来たまえ。以上だ」






いやはや、警察の捜査の様子なんてわからんので捏造、
間違い見つけても突っ込まないようにねvvv
しかし、終わるのか・・・これ。

BY  樹 志乃


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