氷の封印 第三章(3)





「一切手を引けとはどういうことなんですか!!」
いきり立った桜井が松倉の机に両手を激しく叩きつけた。
「落ち着け・・・! 桜井!」
「放してくださいよ、杉田さん!!」
後ろから身体を押さえつける杉田を振り払おうと桜井が身体を捩った。
「こんなの納得いきますか!? これで何件目の殺人事件だと思ってるんですか!! こうしている間にも犯人は次の殺人を犯しているかもしれないんですよ!!?」
「落ち着けって!! そう思ってるのはお前だけじゃねぇ!!」
杉田の一喝に桜井が悔しそうに唇をかみ締めた。
「私も納得がいきません」
すい、と今まで黙っていた一条が松倉の前に進みでた。
「今回の事件は前例にない凶悪な事件です。犯人のめぼしがまるで立てられない今ですら次の犠牲者がでているかもしれないんですよ?」
「それはありえません」
不意に、後ろからその場にはそぐわない華やかな声がしてそこにいたもの全てが声の主を振り向いた。
「一条警部補が心配されているような事はありません、今回の事件は・・・いわゆる不慮の事故のようなものです」
捜査本部の扉に、スーツ姿の男性を2人したがえた女性がいつの間にか立っていた。
「・・・あなたは・・・」
松倉がはっと気づいた表情で立ち上がるのを手で制し、黒いスーツの女性が一条の前に進み出た。スーツはかなり高級なものと見て取れたが驚くほどに自然に着こなしている。黒いスイトイックな感じを与えるスーツは彼女から漂う美しさを損なうものではなく、スリットの入った膝丈ほどのタイトスカートから覗くスラリとした脚は洋服と同じ色の、かなり踵の高いハイヒールを履いており彼女が歩くたびにコツコツと軽やかな音がしていた。
ぱっとみるとまるでモデルのようで、とても警察関係の人間には見えない。
「失礼ですが・・・」
一条が眉間に皺を寄せながら自分の前に立った女性に視線を合わせた。ほぼ平行な位置にある視線は彼女がハイヒールを履いていると言うことを差し引いても女性にしては身長が高いことを示している。小さな形よい卵型の顔の下方にある真っ赤なルージュが引かれた唇が笑みを司った。同じように笑みを称えたその瞳の周りにびっしりと生えた睫は綺麗にカールされており彼女の目を大きく見せた。そして顔の中枢に置かれている縁無しの眼鏡は顔全体を引き締めて見せたが、その2つの瞳に浮かぶ理知的な光がなによりも彼女を特徴つけていた。
「今後この事件はあなた方の手を離れ、内閣直属である未確認対策執務部特殊捜査課に移りました」
「未確認・・・!?」
「内閣・・・?」
「まさか、まだ未確認が・・・!」
「いいえ、現段階では全ての未確認の殲滅が確認されています」
一条の問いに冷静に答えた女性は手にもっていた書類を、一条、桜井、杉田に手渡した。
「たった今からあなた達は未確認対策執務部特殊捜査課に移動になります」
「・・・は?」
「訳はこれから説明いたします。私がここにきた意味と今後の皆さんの身の振りかたについて」
そう言い放った彼女の瞳に浮かぶ光は一条達に逆らうことを許さない強い光を浮かべていた。



「この事件については既にマスコミ関係には箝口令を引いてあります。」
細く長い廊下をあるきながら一条たちは説明を受けていた。場所をかえて、とつれてこられた先は郊外にある精神病患者収容施設だった。だが、頑丈で強大な門をくぐった一条達は眉をひそめた。
広大な土地に設置された、とても病院とはおもえない優雅な白い建物に映える緑豊かな庭園、其処此処に咲き乱れる花々、そこにいる人々は傍目には穏やかに日向ぼっこを楽しむ人達ばかりでとても心に異常のある人達には見えなかった。
「ここにいる人達はまだまだ症状の軽い人達ですから」
そんな想いを読み取ったのだろうか、彼女は微笑んで一条達を建物の中へと誘った。中も、同じような雰囲気だった。病院の匂いは何処にもしない。微かに花の香りが漂っていてささくれだった心を慰めてくれた。すれ違う看護婦達も皆穏やかな表情をしている。そのまま中央の廊下を突っ切ってエレベーターに入ると彼女はネックレスを手にとった。
「ここから先には決まった人間にしか許可が与えられていません」
少し眺めのネックレスの先には不思議な色に光る小さな球体がぶら下がっていた。その球体をエレベーターの開閉のボタンの下にある鍵穴に近づけると、鍵穴は一瞬にして丸い穴へと形を変えた。其処に球体をはめ込むと今までボタンが並んでいたさらにその下に、赤いボタンが浮かび上がってきた。白い指が軽く触れると再びボタンは姿を消し、鍵穴の形も戻ってしまった。呆然としている一条達に笑いかける。
「・・・形状記憶合金・・・という言葉を聞いた覚えは?」
「・・・え?」
「未確認の研究を続けて私達は幾つかの発見をしました。未確認の意思によって姿を変える武器・・・これはその応用だと思ってくださって結構です」
一条達は言葉を失ってしまった。彼らが命を欠けて戦っている間、榎田が辛い想いをしながら研究に全てを費やしていた頃、こんな研究が行われていたなんて。そう思うとやりきれないものが胸に込み上げて来る。軽く振動してエレベーターが止まった。扉が開くと目の前の光景は一転していた。迷彩服に見をつつんだ男性達が明らかに防衛の為ではない銃をもち所々要所に控えている。
「なんだ・・・ここは」
思わず呟いてしまったであろう桜井に杉田も頷くとあたりに視線を走らせた。
「・・・そんなことをなさらずとも、あなた達に危害を加えたりしませんわ」
そんな様子が判ったのだろう、杉田達の杞憂を軽やかな笑い声で打ち捨てながら振り向いた。
「この者達は?」
「彼らは空、陸、海の自衛隊の中から選抜され、さらに過酷な訓練を耐え抜いた者たちです。彼らの任務はココを未確認生命体から護るのが役目であり、そのためには命をかけることも厭わないようにされています」
「なんだって・・・?」
「彼らはこの国の何処の機関にも属さず、何者の拘束をも受けることがありません」
「・・・」
「彼らに指示を出せるのは現内閣総理大臣の勅命のみ、なのです」
その言葉に自分達の予想をはるかに上回る次元で事が回転しだしているのを一条たちは感じていた。自分達には拒否権もなく、とっくに歯車の一部として組み込まれているのだと。
「・・・何故、私達を此処へ・・・?」
「松倉には許可をとってあります」
自分達の上司を呼び捨てにすることで、彼女は一条達よりはるか上の位にいるのだと示して見せた。
「・・・今回、大きく傷を残した未確認生命体の襲撃がもう絶対起きない、と誰が証明できるでしょうか」
その言葉に一条達の身体が大きく震えた。それは無意識に目をそらしていた一条達の恐れ。
「未確認生命体第4号がいない今、我々は自分達で身を護る術を得る必要があるのです」

ミカクニンセイメイタイダイ4ゴウガ、イナイ

その言葉は驚くほどの鋭角さで一条の心を抉った。その鋭さに、本当に痛みを感じたようで一瞬目を閉じる。
「一条警部補は確認なされたのでしょう? 未確認生命体第4号の死を」
そういって振り向いた彼女の後ろに防寒服を着たもう一人の自分を見つけて一条は目を見開いた。

全ての音が急激に遠ざかって、あの、白い記憶がよみがえる。


防寒服をきたもう一人の自分が口を開く。

クウガハ、アノユキヤマデシンダノダ

一条の目の前で。

ミカクニンセイメイタイダイ0ゴウトトモニバクハツシタノダ

そうだ、爆死したのだ。

ナノニナゼオマエハイキテイル?

もう一人の自分に指差されて、一条は言葉を失った。

イッショニイタナゼオマエハイキテイルンダ

責めるような言葉に一条は自分の中のパラドックスに気づいてしまった。
何故、俺はあそこにいたのだろう。なぜ、未確認生命体第0号と4号の最終決戦が行われると知っていたのか。

その一条の問いに答えるようにもう一人の一条が口を開いた。

――― ソウダ、オマエハ0ゴウガアソコニイルノヲシッテイタノダ
0号が?

――― ジブンヲマッテイルノダ、トカレガイッテイタロウ?
誰が?誰が自分を待っていると言った?自分?自分とは誰だ?一条ではない誰かが『0号は自分を待っている』といったのだ。


あたりは瞬時に雪山に変わっていた。


――― コレガサイゴノタタカイニナルカラ
そうだ、一条はこれが最後の戦いだとだれかに告げられたことを思い出した。

それは何処でだった? 何故自分はあの冬の九郎ヶ岳に一人で行ったのだ?
一人?
最後の戦いを見届けるために一人で。違う。一人ではなかった。

雪深い道を誰かと並んでバイクを走らせていた。
誰と?
不意に額に焼け付くような痛みを感じて一条は目を眇めたが、視線をそらせはしなかった。

何故俺は九郎ヶ岳にいったんだ。

防寒服をきた一条の後ろに、誰かが立っている。
そうだ、俺は一人ではなかった。あれは、ダレダ?

額が熱い

――― ・・・ニキイタンデスケド・・・ガマダナオッテイナイソウデス

何に聞いたんだ・・・? 何がナオッテないんだろう

――― ダカラネラウトキハココヲオネガイシマス

狙う? 俺が?・・・何を?・・・・・・いや、誰を?

――― こんな寄り道はさせたくなかった・・・・・・
寄り道?

――― 君には冒険だけしていて欲しかった・・・・・・ここまで君をつき合わせてしまって・・・・・・
冒険? 誰が? つきあわせる? 俺が?



誰に話しているんだ

――― キミニハボウケンダケヲシテイテホシカッタ

誰が

――― アリガトウゴザイマシタ!

誰か、笑っているのだろうか

――― オレヨカッタトオモッテマス

君は

ゆっくりと、一条の内側から盛り上がってきた何かが殻を破ろうとしていた


――― ダッテ一条サンニアエタカラ

誰かが笑って

白くけぶる粉雪の中で誰が一条に笑いかけていて

君は


一条の記憶を覆っていた殻に亀裂が入った。
それは痛みを伴ったが、一条はじっと耐え目を凝らした。
其処から生まれる何かこそ、一条は自分にとって必要なものだと感じたから。


―――ダカラミテイテクダサイ・・・オレノサイゴノヘンシン!!

そういって背中を向けた

君の名は・・・

『だ・め・・・!!』


不意に、一条の意識に割り込んだその言葉の塊は衝撃となって生まれかけようとしていた何かに直撃した

止めろ!!

『思い出してはいけない・・・!』


再び一条に降り注いだその声が。


止めてくれ・・・・・・!!!!!!


ピシッ・・・と砕ける音が一条の中に響く
一条の中から、それが、毀れはじめた。

頼むから・・・俺から・・・を・・・取り上げないでくれ・・・!! 


ゆっくりと振り向いたその顔が笑顔だったような

「・・・・・・ぃ・・・」

強大な力を持って一条の思考に割り込んだ声は、一条の中から生まれた何かを粉々に撃ち砕いて、奪い去ってしまった。
一条の問いに答えるものはなく。
あきらかに外部からの力で自分の中の記憶が撃ち砕かれたのを一条は知った。

――― イチジョウサン

さっきまで浮かびかけていた顔のない誰かが。
一条の中に霧散して消えていった。



「おい。・・・一条?! おい! 大丈夫か!?」
不意に立ち止まってしまった一条を杉田が覗き込んで、驚愕した。かすかに震える一条の瞳は此処にない何処かを凝視 して動かない。血の気がまったくなくなってしまったよう白皙の顔は一条をまるで人形のように見せた。一条の肩を揺さぶ りこちらの世界に引き戻そうとしてもまるっきり一条は反応を示さなかった。
「どうしたんです、杉田さん?」
異変に気がついた桜井も慌てて一条の傍に走りよった。
「一条! しっかりしろ!一条!!」
グラリ、と一条の身体が傾いだのを慌てて支える。一条は完全に気を失ったようだった。
「一条!」
がくん、と首が後ろに落ちた勢いで前髪が流れその形のいい額があらわになって。
「・・・なんだ・・・?」
いぶかしげな杉田の声に桜井の視線も其処に寄せられた。
「・・・杉田さん」
一条の額には、白い薔薇の紋様が浮かんでいた。






さて、そろそろ佳境に・・・。
by  樹 志乃


BACK   NEXT   氷の封印 第一章から   氷の封印 第二章から   氷の封印 第三章 はじめから

TOPへ    小説TOPへ