氷の封印 第三章(4)





椿がある喫茶店に呼び出されたのは、サンプルを渡してから2週間ほどたったときのことだった。
「結果がでたからな。とりあえず目を通して欲しい」
バサリと投げ出されたレポートの束を手にとって椿はパラパラとめくってみる。そこにはたくさんの数値と表、螺旋と思わしき図形が幾つか描かれていた。
「すまん、迷惑かけた・・・」
目の前の友人は椿の言葉になんてことはないさ、と肩を竦めたが、その目の下にくっきりと付いてしまったクマや無精ひ げ、そしてどことなく憔悴したような容貌からかなり無理をしたことがみてとれた。
「・・・今回みたいに詰め研究をするなんてことはザラにあるんだ、別に疲れてやしないさ」
内ポケットから取り出したタバコに火をつけながら男はそう呟いた。
「それに、俺が疲れて見えるとしたら・・・今回の解析内容のせいだね」


塚本から以来された検査を、椿はDNAレベルにまで及んで行うことにした。
椿をして自分の手で行える検査は全て行ったはずだが何の異常も発見することはできなかった。ましてや椿が所属する関東医大はそういった検査をするのに最新の機器を備えてるとはいいがたい。そこで椿は自分の同期で信頼のできる友人に解析を依頼をすることにした。医大の時の友人だが、己の探究心を満足させるため最先端の科学を誇る海外へとでていったのだ。
曰く『日本はモラルに縛られすぎる』といって。
もちろん、彼が所属する研究室は世界においてもトップにランクしており、機器類においては日本では望むべくも無い最新機器を取り揃えているのだ。
椿は彼をたよりサンプルを同じ医大仲間に頼んで渡してもらったのだった。その彼が態々日本に帰って椿に会いにきたのだ。
もちろん結果を持ってだったがこんなにも早く検査が終わると思っていなかった椿自身も予想はしていなかった。だが・・・・・・その疲れきった容貌から、かなり根を詰めて分析してくれたらしいことが判り、椿は胸の中で頭を下げた。


「解析内容?」
椿の問いに友人はため息でかえした。
「・・・恐ろしかったよ、俺は・・・」
呟かれた言葉に椿が眉を潜めると、その友人の瞳になんともいえない光がうかんでいた。
椅子の背もたれに寄りかかりながら胸の内ポケットからタバコを取り出し優雅なしぐさで火を付ける。煙を深く吸い込み細く細く吐き出すのと一緒に大きくため息をついた。
「恐ろしい・・・?」
「・・・ああ、この目で進化の過程が見られるとはな・・・」
「・・・え?」
椿に視線を戻し真正面から見つめるその瞳に浮かぶ光は畏怖とそれだけではない光を浮かべていた。
「そこに書かれているのは解析した結果から俺なりの推論をたててまとめたものだ。あくまでも仮定の話だから別にどう思おうとかまわないが・・・」
ふと、視線を落とし再び視線を椿に戻す。
「いいか、俺を信用しているならココに書かれていることは誰にも言うなよ」
「・・・なに?」
「俺もコレは誰にも話していないし、内密に処理をしてある。おまえもコレに目を通したら・・・破棄してしまえ。間違ってもロムに残したりするなよ・・・できれば忘れちまえ」
「・・・何故・・・」
「本当は・・・この結果をお前に渡すつもりはなかった」
椿はその言葉に目を見開いた。友人は真摯な瞳で椿を見つめたまま動かない。
「なにもなかったと、そういってお前に渡すつもりだったんだがな」
ふっ、と疲れたように肩を落とし口元を歪めるのを椿は黙って見つめていた。不意に身を乗り出して椿との間隔を狭めて低い声で囁いた。
「これが誰のサンプルだとかは聞かない・・・おおよその検討はつくがな、だが、くれぐれも、誰にも知られないようにしろよ」
「・・・」
その瞳に宿る強い視線に椿は咽を鳴らした。
「じゃなきゃ・・・本当に始まるぞ」
「・・・なにが」


「魔女狩りさ」


友人の話が頭にこびりついたまま、椿は関東医大の自分の研究室にもどってきてしまった。人目のないところで、と注意さ れて考えれば一番安全なのはそこしか思い当たらなかったのだ。
コーヒーを入れて研究室の奥にあるプライベートルームに移り鍵を閉める。
そのままソファに深く腰掛けて椿はレポートを手に取った。
レポートを一枚めくり、二枚めくる内に背もたれに寄りかかっていた椿の顔がだんだん深刻になっていく。
「・・・これは・・・」

そこにあるのは全員の血液から抜き出した遺伝子モデルをサンプルB群として検体Aとの事細かな比較がなされていた。


遺伝子とは、ジーンとも呼ばれ遺伝情報を担う機能単位で遺伝する形質に対応している。
1個の生物を作るのに必要な最小の遺伝子セットをゲノムといい、通常の人間には総数3万数千個と推定され、それらがヒトゲノムと呼ばれている。
この遺伝子はDNA・・・デオキシリボ核酸と呼ばれ、塩基・糖・リン酸が結合したヌクレオチドと呼ばれる物質が多数結びついたポリヌクレオチドによって構成されている。この中の糖の種類によって分けられ、糖がリボースのものをリボ核酸(RNA)、デオキシリボースのものをデオキシリボ核酸(DNA)と呼び、通常DNAが生物の遺伝子の本体となっている。
このDNA内の分子構造は、四種類の塩基、アデニン・グアニン・シトシン・チミンが配列をなしており、これらが遺伝子の本体とされる物質であり、その分子構造の中に遺伝的形質を支配する情報が含まれているのだ。
そして、その遺伝的形質を支配する情報をつかさどるものは、糖とリン酸が交互に多数結びついた長い螺旋状の鎖であり、更に2本の鎖が塩基で結びついた2重螺旋として存在している。
そして、この中の塩基配列順序こそが種や固体によって異なった固体の持つ遺伝情報となっているのだ。
現段階ではヒトゲノムの全塩基配列の中で遺伝子としての働きをもつ部分をエキソンと呼ばれる物質であるところまでは判明しており、椿の友人が所属している研究室ではそのエキソンによる指令で合成されているたんぱく質の構造をかなりいい部分まで解明しているらしい。ただ、この塩基配列の総数は約30億個程にもなるが、その大部分は遺伝情報を担わないジャンクDNAなのだが、椿の友人はそこに目をつけたらしかった。
人間のDNAの場合、遺伝情報を担っているエキソンと呼ばれる部分は全体の数%に過ぎず、残りのなんの遺伝情報を担わない部分はイントロンとよばれたジャンクDNAである。
一般に進化した生物ほどジャンクDNAが多く細菌類などにはジャンクDNAはまるっきり存在していない。進化と関連して生物のDNA量を比較する場合、C値が用いられるが(C値とは精子や卵に含まれるDNA量を指し示している)椿がサンプルとして送った血液の中から発見されたDNAのC値が、通常の人間に比べて異常な程に多いことが確認されたのだ。そしてそのジャンクDNAの中にこの地球上に存在していないDNAが存在している、とレポートでは断定されていた。

そして、そのDNAの中に存在するマスター調節遺伝子は特殊な働きをすると。

「特殊な・・・働き?」
椿は自分の頭の中を探しながら呟いた。
たしか。
マスター調節遺伝子とは動物の発生過程で形態形成の調節に働く遺伝子の事であり形態の部分の形成を支配する遺伝子を働かせたり止めさせたりする調節に関与している遺伝子の事だ。この遺伝子に突然変異が起こると体節構造が変化する。このマスター調節遺伝子の働きにより生物は種固有の形態を形成していくと現段階では考えられているはずだが。

「・・・サンプルB群、及び検体Aから発見されたDNAはこの地球上に存在していない新種のDNAである。このDNAの中のマスター遺伝子は微弱な電流に反応を示し・・・変態する・・・?」
椿のレポートを持つ手がかすかに震えてきた。椿は友人が何を言いたいのか理解できたのだ。
本来マスター遺伝子が人間の存命中に短時間で激しく変態をすることなどありえない。
手元のレポートにはマスター遺伝子が微弱の電流によって変態し、周囲に影響を及ぼすありさまが連続写真に映されていた。
微弱な電流に反応を示す、つまりそれは人間の意志に反応を示すということだ。
脳から伝達物質が神経を通過する際にほんのごくわずかの電流が流れる。人間の神経は一本の線ではない。ニューロンという神経細胞から出ている、樹のように枝分かれした樹状突起と遠くの標的にまで伸びる一本の軸索突起が他の神経細胞とつながって出来ているのだ。
その神経細胞を流れる意思・・・つまり活動電位にDNAが反応を起こす。
もし、意思の強さがそのまま電位に変化を示すとしたら。


――― 強くなりたいって思ったから

不意に五代の言葉が読みがえった。
その意思はどれだけ強かったのだろう。
己の遺伝子が身体を作り変えるのを許すほどに。
五代の腹に収まっているベルトの石は、遺伝子自体を作り変えたというのだろうか。

そして、五代の強くなる、という意思に答えてその都度身体を作り変えてきたとでもいうのだろうか。

"特筆すべきは検体AとサンプルB群の新種DNAは非常に似ているが同じではないということだ。検体Aのマスター遺伝子は電流に反応を示し、そのまま筋組織、及び人間の骨格、皮膚を変化させることができるのではないか、と予想される。しかし、サンプルB群のマスター遺伝子にそういった効果はみられるとは言いがたい。"

そこに書かれている言葉に椿は眉を潜めた。
「"なにかしらの変化を及ぼすことは予想されるが、それがなにかはいまだ不明の点であり・・・"」
何時の間にか声にだして読み上げていることに椿自身は気がついていない。

突然椿の脳裏に塚本の話がよみがえった。突然、人間離れした力を発揮し始めた患者達、人の声が聞こえると言っていた患者、両親に怪我を負わせた発火させる能力と。

未確認生命体代0号が持っていた物体発火能力が。

「・・・体ではなく・・・脳・・・」
もともと人間の脳はいまだに解明されていない部分も多く、実際の日常生活ではほとんどが使用されずに眠っている領域が多いという。

その領域に何らかの刺激を与えるとしたら。

「"検体Aは明らかに人間より進化した存在であるが、サンプルB群の遺伝子がどのような影響を及ぼすかは判らないが、実験によるその数値から検体Aより進化したものだと予想される・・・"」

――― この目で進化の過程がみられるとはな・・・

友人の言葉がよみがえる。

そうだ。
人類は進化する。この短期間の間に目覚しい進化を遂げるだろう。
未確認生命体という人類における天敵が現れたことによって、人類は自分を護る為に進化を遂げたのだ。
あきらかに検体Aは今の人類より一段階進化した存知であり、サンプルB群は更にその上をいく新人類になるであろう。

新人類? そうだ、新しい力をもった新人類としてこの世に生まれてきたのだ。
そして自分はそれに立ち会った。
世紀の発見に歓喜が身体中に湧き上がった椿の頭に、不意に友人との会話が過ぎる。

――― じゃなきゃ本当に始まるぞ
――― ・・・なにが
――― 魔女狩りさ


椿の身体が硬直する。


――― 魔女狩りさ

今はまだ。
今はまだサンプルB群と同じDNAを持つ人間の数は少ないが。

だがその力は人間など足元に及ばぬほど強大だ。
もしそれに人々が気がついたら。
もしその存在を自分達の命を脅かす敵とみなしたら。

椿の手からレポートが落ちる。
床に散らばったレポートの一枚には幾つかの写真が載っていた。
塚本が集めた患者達から採取した血液サンプルのサンプルB群と、椿がその中に混ぜた五代から採取した血液サンプル・・・検体Aが持つ新しい遺伝子が大きく写真に映し出されていた。



一番最初に一条の目に飛び込んできたのは白い天井だった。そして自分の周囲をくるむ白いカーテン。
「・・・ここは」
自分がベットの上に横たわっていたことに気が付くと慌てて飛び起きて周囲を見渡す。
「気が付いた、か?」
一条の気配を感じたのか、カーテンをあけて杉田が顔を出した。
「あの、自分は一体・・・」
何故自分がこんなところにいるのか訳がわからない、といった顔をしている一条を見て杉田が顔をしかめた。
「・・・覚えてないのか?」
「・・・え?」
「説明の途中でな、突然倒れたのさ」
「倒れた!?」
杉田の言葉に一条は思わず反復してしまった。一条の記憶には自分が倒れた、などとは残っていないのだ。いや、倒れた らしいあたりから記憶がない。
「・・・・・・回復してないのかもしれんな・・・・・・」
杉田の言葉に今度は一条が眉をしかめた。
「そんなことはありません。・・・検査もしてもらいましたが身体に異常は有りませんでした」
「身体に異常はなくても、此処はわからんだろ?」
そういって杉田が自分の胸を叩くのを一条は見やった。
「平気なように見えても此処には疲れがたまるもんだ。俺だって、あの、事件がおわってから眠れない日が続いたりもしたしな」
「杉田さん・・・」
「ましてや、一条。お前は未確認生命体0号とクウガの最後の闘いに居合わせたんだ。俺らには計り知れない傷を負ってるかも知れないだろ・・・・・・?」
諭すような杉田の言葉に一条の身体が揺れる。
「・・・杉田さん」
「なんだ?」
ベットの傍の椅子に腰をおろす杉田の顔を正面から見つめながら一条は口を開いた。
「何故、自分は九郎ヶ岳にいたんでしょうか」
「・・・一条・・・」
「椿が、爆発に巻き込まれたショックで、その前後に記憶障害がおきるかもしれない、と言いました」
「・・・」
「たしかに、あの前後の記憶がはっきりしないのもありますが・・・それにしてはそれ以前の記憶が鮮明すぎる」
杉田は黙って一条の言葉を聞いている。
「遺跡からベルトが発見されて城南大学の沢渡さんに解析を依頼した。そして未確認生命体が現れて・・・クウガ、4号が我々を助けてくれた」
「・・・そう、だな」
「それからも我々は第4号に助けられた・・・どうして第4号はそんなにも情報に詳しかったんでしょう」
一条の問いに杉田は一瞬辛そうに目を細めると、俯いて口を開いた。
「・・・警察内部に・・・仲間がいたのさ」
一条の目が見開かれる。
「・・・・・・陰になり日向になりクウガを助ける男がいたんだ・・・TRCSやBTCSを渡し、世間からクウガの正体を護ってやって・・・警察とのパイプ役となり・・・クウガを助けたんだ。そいつが、最後の決戦になると・・・教えてくれたんだ」
杉田は顔を上げ呆然とする一条に笑いかけた。
「だ・・・誰なんですか・・・!」
「・・・もう、いない、よ」
杉田の顔が歪む。
「・・・え?」
「・・・あの、雪山で・・・クウガと一緒に死んだ・・・らしい」
「・・・え」
一条の目が見開かれた。






ふう、一体あと何回で終わるんだろうか。でも着々と終わりには近づいてきてるよん。
そして!最後はハッピーエンドにするつもりなのだ!!・・・・・・私なりにね。

BY 樹 志乃


その『私なりにね』……がとっても怖いんですけど(ひかる)

BACK   NEXT   氷の封印 第一章から   氷の封印 第二章から   氷の封印 第三章はじめから

TOPへ    小説TOPへ