未確認対策本部の中枢ともいえるメンバーだった、一条達が警視庁を去ったのはそれから間もない時だった。

決して彼らの計画に賛同したわけではなかったけれども、自分達も護る力が欲しい、という気持ちは痛いほど理解ができたのだ。未確認との戦いで最前線に立ち、その目で戦いを見てきて、愛する人を護る力が欲しい、自分の大切な人達を傷つけたくない、と思う気持ちはある意味一条たちの方が強いと言っても嘘ではなかったから。
特に一条は、杉田達が危ぶむほどにその計画にのめりこんだ。いつしか頬の肉が削げ落ちていっそうシャープな顔立ちになり、その瞳だけが思いつめたような光を称えて輝くようになっても、杉田たちに止める術はなかったのだった。

一条を駆り立てるものは、仕事に対する義務や情熱だけではなく。
訳の分からぬ焦燥感、だった。

いつもいつも、大切な何かを自分が忘れているようで。
その瞳はぎらぎらと餓えた光を放っていた。

目の前で。
大切な人が。

苦しんで、傷ついて。

失って。
永遠に失って。


その、封印された筈の記憶にもたらされた傷は癒える事もなく一条を苦しませつづけたのだった。
その苦しみから逃れるかのように一条は仕事に没頭していた。

その、痛々しいまでに仕事に打ち込む姿は
封印された記憶が一条をどれだけ苦しめているのかを杉田達に痛いほど知らしめたのだった。






氷の封印  最終章  1






『・・・―――――さ・・・』

広い、野原で。
誰かが一条に笑いかけていた


自分は少し照れくさそうに顔をしかめてみせる。

ほかにも人はいた。
1人は城南大学の沢渡だった。もう1人の女性には覚えがない。
けれど、その中での自分は笑っていたから、きっと気心が知れていたのだろうとわかった。


暖かい日の光と草の匂い
身体をくるむ優しい風


突然鳴った無粋な携帯に周りに謝りながら応対しつつも構えられたカメラから照れたように顔を隠す。

かろやかな笑い声
写真をとられるのは、あんなに嫌だったはずなのに自分は笑っていて。


それを外から見ているもう一人の自分。
薄い、薄い透明な膜を隔てて一条は向こうにいけず、ただ、仕方なさそうに苦笑しているもう1人の自分を眺めている。
頭の一部に霞みがかかったようで、もう1人の顔を思い出せない。

『もう、こっち見てくださいよぉ』
そう、笑った声は雪のように解けていってしまって一条の記憶には残らない。

ただ、胸を掻き毟りたいようなやるせない想いだけがたまってゆく。

『一条さん!あっち見て、見て!』
笑いながら沢渡がカメラを指差して。

『――――!はやくはやく!』
知らない女性・・・が誰かを手招きして。

『ね!ね!一条さん!カメラ見て!』
柔らかな声が一条を包む。


ほらぁ・・・!!

太陽が一段と眩しく輝き一条の目を貫いた。



天井が見えて。
一瞬どこにいるか判らなくってぼうっとしてしまった一条は直ぐに自分のいる場所を思い出してため息をついた。
ここは自分の部屋の寝室。
けっして暖かい太陽の光が降り注ぐ場所などではなく、仕事で疲労した体を休める為だけの場所。
「・・・・・・夢、か・・・」
小さな呟きがおちた。

一条は、歪む視界を2、3回瞬きすることでクリアにして起き上がった。
最初は覚えていなかった夢も何度も繰り返して見るうちにだんだんと記憶に残るようになっている。一条はいつものように、まだこめかみに残る冷たくなってしまった跡を乱暴に拭った。

――――― 夢見た後に、こうして訳の分からぬ涙を流すことも、もう慣れてしまった。
それでも、夢の中の人物だけは解らなかったけれど・・・。

ベットから起き上がりキッチンに行くと、冷凍庫からロックアイスを取り出しグラスに入れてウィスキーをなみなみと注ぎ込んだ。黄金色の水が揺れてあたりに芳醇な香りが広がったが、一条はそれを楽しむ様子もなくまるで水を飲み干すかのように一気に呷ってしまった。
空いたグラスに二杯目を注ぎ同じように飲む。
すでに一条はちょっとやそっとの酒の量では酔えなくなっていたのだ。
プロジェクトにのっとったG−Tタイプの装着員を決める為に、一条は指導官となり共にハードな訓練に明け暮れていた。


より強く、力が欲しい。
なにものにも侵されないように。
なにものにも破壊されないように。
まるで、虫けらの如く、あっさりとその命を奪われないように。

そして。

愛しい人を護る力が欲しい。
自分の力で護れるようになりたい。

強い力が欲しい、と。
一条の願いはその中の誰よりも強く、激しかった。


その、のめり込み方が周囲の者達を震撼させた。


「一条、お前、ちゃんと睡眠とってるのか」
「・・・・・・そんなふうに見えるか」
椿の問いに答える一条の声に抑揚は無かった。
五代のところに顔を出しにきた一条を引き止め、診察室に引っ張り込んだ椿だったが以前との変わりように眉をひそめた。
「いんや、まかりまちがってもお前のことだから仕事中に倒れたりはしないだろうけどよ」
やんわりとした言葉に込められた棘に気が付いただろうか。一条の視線が向けられる。
「けどなぁ、そんなピリピリした雰囲気で俺の患者のところに顔を出されても困るんだな」
「なに・・・」
「癒されるべき患者に癒されるのなんて、逆だと思わないか」
「!」
さらり、と告げられた椿の言葉が胸に刺さる。
「あいつは安静にしてなきゃいけないんだ。なのに、お前がくると・・・」
「・・・やはり、どこか悪いんだな」
一見、健康そうに見える五代が入院してから二週間が過ぎている。
「五代はなんの・・・」
「いっとくが、お前に教えることは何もない」
問いかけを途中で遮った椿の突き放した言いように、はじめて一条が表情を変えた。自分の中で渦を巻く激しい感情の渦を懸命にこらえようとしているのか、その瞳が剣呑としたものになる。
「・・・患者の守秘義務が、医者にはある。・・・お前は五代の身内でもなんでもない、あかの他人だ。五代がいい、といわない限りお前に知る権利はない」
「!」
「・・・五代のところに顔を出すつもりなら、鏡をのぞいていくんだな」
それだけ言い捨てるようにして椿は部屋を出て行ってしまった。
しばしそこに佇んでから、いつの間にか力が入ってしまっていたことに気が付き、ふっと肩から力を抜いた。あんな言い方をしても椿が一条のことを心配しているのが痛いほどにわかる。
それでも、自分でも何故、と思う程に力を得ることにのめりこんでしまうのだ。
ふと、壁にかけられている鏡に写る自分の姿が目に入る。
「・・・なんて、顔をしてるんだ」
訓練をしてから一条の身体は一回りほど大きくなったといっていい。筋肉がついたとはいえ俊敏さは失われず。かえって力強さとシャープさが一段と増した。実際、今まで来ていたスーツはすべて着れなくなってしまったぐらいだ。
そして何よりも変わったのが、その表情だった。
いつも何かに追い詰められているような。無表情の仮面すらも隠し切れない、その瞳の奥に或る、もがき苦しむ感情が皮肉なことにいっそう一条の美貌を際立てていた。
だが、一条にはそれが醜くみえてならない。

―――― なんて、みっともない

醜く力をもとめ、足掻く己の姿。
それを意識しないで済むのは、五代と会っているときだけで。

―――― 五代の慰めを期待しているようじゃないか・・・;

いつのまにか、極限状態にまで自分を追い込むようになってしまった一条にとって、五代との逢瀬だけが癒されるときとなってしまった。顔をみて、言葉を交わして、触れることができなくったってそれだけで一条は自分が血の通った人間なんだと実感できるのだ。
椿にああいわれた手前、本当はこのまま帰ったほうがいいとはわかっていたけれどもどうしても会わずにはいられなくて、結局一条はその足を病室に向けたのだった。



「・・・一条さん」
一条に気が付くと五代は読んでいた本を置いてふんわり、と笑った。最初は一条に気兼ねしていたらしい五代も、こうして毎日一条が訪れることに慣れたのか今ではまるで昔から知っているかのような態度を向けてくれるようになった。
「どうだ、具合は・・・・・・なんだ?」
一条の言葉に、五代は目をまるくするとクスリと笑う。それをいぶかしんでその顔を覗き込むと五代が輝くような笑顔を向けてきた。
「だって、一条さん、毎回毎回おんなじこと聞くから」
「そう、か」
ちょっと困ったように眉を寄せる一条を、一瞬眩しそうに見上げた五代の表情には気が付かずにベットの傍らの椅子に腰掛けた。
「・・・・・・仕事、大変なようですね」
労わるような五代の言葉に固まっていた一条の心が解れていく。
「別に、そんなでもないさ」
「そうですか?眉間に皺が寄ってますよ」
「・・・そんなことはない」
自分の眉間に皺を寄せてしかめっつらをしてみせる五代に一条が苦笑した。
「せっかくのいい男さんなんですから、そんな顔しちゃ駄目ですよ」
「いい,男か?」
「はい」
そのの言葉にふと視線を落とした一条は、五代の手元に一冊の絵本があるのに気が付いた。
「・・・あ、コレですか?」
一条の視線に気がついたのか五代が手元の本を手にとってパラパラとページを捲って見せた。文庫サイズだが少し厚めの本を一条に見せて五代は『グリム童話』ですよ、と笑った。
「グリム童話?」
「はい、・・・俺の妹が幼稚園にいるんですけど、そこでグリム童話をお話しているらしいんです」
「・・・」
「でもコレは、子供向けのお話じゃなくって原作に近いやつなんですけど、結構面白いんですよ」
「面白い?」
「はい、読み応えありますよ。綺麗なくせに醜くて、優しいくせに残酷で、夢のようなお話なくせに何処かリアルで」
どこか夢見るような口調に耳を傾けながら五代の手にある本に視線を落とすと、ちょうど読んでいた場所だったのか栞がはさんである。
「・・・今も読んでいたんだな」
「あ、・・・ええ、結構はまっちゃて」
「何を読んでいたんだ?」
何気ないつもりだったのだが一条の問いに、ふと五代が真顔になってしまった。それに目を引かれた瞬間、五代はいつも の笑顔を一条に向けた。
「一条さんは知らないかな。『氷の女王』って話なんですけど」
「氷・・・?」
「氷の国に迷い込んだ男の子と女の子の話なんですけどね、氷の女王が持っている氷でできた魔法の鏡をある事で割っ てしまうんですよ。その破片が男の子の目に入っちゃうんです。そうすると記憶を失っちゃって氷の女王に連れてかれ ちゃうんです。残された女の子は男の子を取り戻す為に・・・って話なんですけど」
「ふ・・・ん」
困ったような顔をしている一条の顔をみて五代が笑う。
「俺、思ったんです」
「ん?」
「この子供達は覗こうとした魔法の鏡に、何を求めたんだろって。なぜ、男の子は記憶を失っちゃったのかなって」
「何故って・・・」
不意に、透明感を増した五代の眼差しに一条が言葉を失ってしまった。
「だって、鏡は女の子も見たんですよ? それなのに男の子だけ記憶を失っちゃったのって・・・女の子がそう願ったからだ と思いません?」
「・・・なんでそんなことを願うんだろう」
「―――――――・・・きっと、男の子には知られたくないことが鏡に写ったんですよ・・・女の子は・・・できるなら男の子には 知られたくないから鏡を割っちゃって・・・鏡の破片は女の子の望みとおりに男の子の記憶を奪った。だけど、奪った記憶は 一部ではなくて全部だったから」
「・・・・・・」
「・・・まさかそれが男の子の心を凍らせることになるなんて知らずにね・・・」
「五代・・・」
淡々とした物言いがかえって一条の胸を締め付けた。
五代が発する言葉が、何故か奇妙に一条の心に符丁するものが或る。一条にとって五代は今大切なことを言っていると 解るのに、なにか言葉をと思っても咽が詰まっている。
「・・・なーんちゃって、ね」
ふふ、と五代が笑った。その顔は一条がよく見なれた笑顔で。
「まあ、グリム童話ってのはいくらでも自分の好きなように解説できるもんですからねぇ、ふと、そう思ってみました」
そういって、笑う五代に、なぜか一条は言葉を失ってしまった。


本当は知られたくない何かが写ったんですよ・・・記憶を奪っても知られたくない、なにかが。



その言葉が、心に深く突き刺さった。






さて、最後まで連続アップなるか!終わらせるぞ!!
BY 樹 志乃


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