氷の封印 最終章(7)





窓の外はいつのまにか雨になっていたらしい。
ガラス窓に叩きつけられるような音で一条の意識が浮上した。
無意識に己の傍らにあるはずの存在を探して・・・なにもないことで目が醒めた。
はっと気が付いて上半身を起して見れば、病院のベットの上に自分ひとりが寝ていた。
「・・・五代?」
五代の病室のはずなのにベットに寝ているのは己一人で、一条は眉間に皺を寄せた。
ふと自分の姿を見ればYシャツにスラックスとくつろいだ格好をしている。ネクタイは上着と一緒にハンガーにかけてあっ た。喉元のボタンが二つほど外されている。
他には、何もなかった。
「五代?」
あたりを見れば何も持たないで入院してしまった五代のために一条が買い揃えたはずの私物が全てなくなっている。
―――― 変、だ。

記憶の中では確かに五代をその腕に抱いたはずだ。
それなのに、そんな痕跡は何ひとつ残っていない。
一条の胸の中を、得体の知れない焦燥感が襲った。
慌ててベットから降りると上着とネクタイを取り部屋を出た。一条の向かう先は一つしかない。
何度も訪れたことのある関東医大の一室。
一条の親友である椿の研究室だった。


「・・・ドアは静かに開けろよ。ココは病院だぜ」
ノックもせずにドアを開けた一条を咎めるかのような声を出した椿は、それでも振り向きもせずデスクに向かったままだっ た。
「椿・・・」
「その様子ならもう大丈夫だな」
回転椅子を廻しながら振り向いた椿が一条をみてふん、と唇を尖らせた。
「大丈夫・・って」
「おまえなぁ・・・訓練も良いけど己の体調管理もキチンと出来ないでどうするよ」
やれやれ、と椅子から立ち上がった椿は呆然としている一条の側まで来て、胸元を人差指で突付いた。
「お前の仕事に対する姿勢は認めるけどなぁ・・・体あってこそだろ」
「・・・何言って・・・」
「・・・覚えてないのか、お前」
呆然としている一条の様子を、自分の状況を理解していないと踏んだのだろう椿が呆れた顔をした。
「お前なぁ・・・俺のとこに検査にきていて、突然倒れたんだよ」
「は?」
「だからぁ・・・定期検診にきて倒れたんだって、お前」
「そんなはずはない!」
椿の言葉を遮るように一条が叫んだ。
「俺がココにきたのは五代に会う為だ!」
叫ぶような一条の言葉に椿が黙る。
「俺は検査になんかきていない! 五代の見舞いに来て・・・」
「おいおい・・すこし落ち着けって」
激しく言い募ろうとした一条の両肩に手をおいて椿が宥めるように叩く。

「五代って、お前の知り合いか?」
椿の言葉に一条が黙り込んだ。
「・・・・何・・・・?」
今聞いた言葉が信じられず一条は椿を見詰めた。
「何って・・・だから、五代って奴はお前の知り合いかって聞いてんの。見舞いって事はココに入院してるのか?」
「なに、馬鹿な事、いって・・・・」
「馬鹿な事って・・・なんだよ」
「俺が連れてきただろう!」
自分の肩に乗っている椿の手をはらい、反対にその肩をわし掴みにして言い寄った。
「おい・・・」
「俺がヘリで長野からつれて来たじゃないか! 特別にってお前に頼んで入院させて・・・!」
「・・・何言ってるんだよ、一条・・・俺はそんな奴知らねぇって」

椿が嘘をついていないことなど、その目をみれば判った。長い付き合いだから、互いに嘘をつけば判ってしまう。

「・・・・もう、いい・・・」
「・・一条? 大丈夫なのか?」

差し出された手を思わずはらってしまった。

「なんでもないんだ・・・すまなかった・・・・・・・どうやら、俺の勘違いだったようだ」

椿は嘘をついていない。椿は本当に五代を知らないのだ。

―――――――・・・五代の事を知らない。

一条は己の腕を見詰めた。間違いなく、この腕で五代を抱いたのに。
その柔らかな肢体も、確かな重みとしてこの腕に残っているのにまるで夢のように消えてしまった。

「・・・・もう、行く」

どうしていいかは判らなかったがここにいる事は出来なかった。
「待てよ、一条!」
「邪魔をして悪かった・・・」
引き止める椿の声も耳には入っていても理解など出来なかった。
今は一人になりたい。
己の記憶の中の五代を思い出して、間違いなくいたのだと確かめたい。

否定の言葉を聞きたくない。

一条は椿の静止を振り切って部屋を出た。
早足がいつのまにか駆け足になり、駐車場に止めてある己の車に飛び込んだ。
キーを差込みエンジンをかけ、一条は思い切りアクセルを踏んだ。



窓から一条の車が出て行くのを見送った。
いささか乱暴な運転に眉を潜める。
「・・・大丈夫かよ・・・一条の奴・・・」
よっぽど疲れてるんだな・・・と溜息を付きながら椅子に戻る。
「そういえば・・・勘違いとかなんとか言ってたっけ?」
ブツブツと呟きながら椅子に戻り、大きく溜息を付いた。
「なんだ・・・五代・・・・誰だよ、それ」
一条は確かにその名前を言ったが椿の記憶にはない名前だった。つい最近入院した患者にもそんな名前はなかったし、 もし本当に一条の知り合いとして入院していたんだったらどの科にいったって椿の耳に入らない筈はない。
一条のあの様子は確かに引っ掛かるものはあるが、一条の言うとおり勘違いか何かだろう。
「ま、あの様子じゃ恋人かなんかか?」
そんなことを言いながら再び書類に視線を戻すと。

ぽつ、と。

「は?」
突然書類に水滴が落ちて椿は顔を顰めた。
「なんだ?」

ぽつ、ぽつ、と。

続けて水滴が落ち、椿は顔をあげた。
「なんだよ、故障かなんか・・・・」
そして椿は初めて気付いた。

―――――――――― 水滴だと思っていたのは涙で。
己の目から出ていたのだと。
上を向いた拍子に頬を伝った感触で、はじめて自分が泣いていることに気が付いたのだった。
「ちょっ・・・なんだぁ?」
慌てて手をやると、涙は後から後からこぼれているのが判って。
そして、己が泣いていると判った瞬間、椿の胸は激しくなにかに締め付けられた。

――――――――――― カナシイ

「なんなんだよ・・・一体・・・!!」

椿は、己の胸が締め付けられる感覚に耐えながら、ただ涙を流していた。



「誰・・・・?」
保育園に最後まで残っていたみのりは、気配を感じて顔をあげた。
「・・・みのり」
「おにいちゃん!」
ずぶ濡れの姿で現れた兄の姿にみのりは声を上げた。
「ごめん、こんな格好で」
「・・もう! なにやってるの。風邪ひいちゃうじゃない!」
慌ててタオルをもって近寄ってきたみのりに五代は困ったように笑った。
「そんなに怒るなよ」
「怒るよ、誰だって」
五代の頭にタオルをかけ、みのりはこの世でたったひとりの兄を見詰めた。
「・・・どうしたの、突然・・・」
「ん、みのり、どうしてるかなと思ってさ」
そう言って笑う様子は確かに記憶の中と一致するのに。

「・・おにいちゃん・・・?」

そっと抱き締められて、みのりは小さく兄を呼んだ。

「みのり」
「・・・ねぇ・・・どうしたの?なにかあったの?」
「ううん、なにも・・何もないんだ」

ナニモ、ナイカラ。
五代の言葉がみのりの中に響いた途端、みのりの目にはなにも映らなくなった。

「・・・!」
声をだそうとして、それも適わないことを知った。
ただ、ほんの少しだけ動く首をゆるゆると横に振ることしか出来ず。

ナニモナカッタカラ
オマエヲクルシメルヨウナコトハナニモ

――――――――・・・ナニモナカッタ・・・・・・・・・・・・

緩やかにみのりの瞼が落ちていく。
なにも写さない瞳にうっすらと涙が浮かんだ。


記憶に残ったのは、己を抱軋める力強い腕の感触。



「みのり先生」
肩を叩かれて振り向いた。
「なんでしょう」
「お兄さん、迎えにきてるわよ」
同僚の元城が外を指差した。つられて窓から顔をだすとみのりに気が付いたのか手を上げる。
それに手をふりかえすみのりをみて元城は羨ましそうに溜息を付いた。
「いいわよねぇ〜・・・優しいお兄さんでさ、それに比べてうちの旦那様ったら・・・」
そういいながら唇を尖らせる元城に笑顔を向ける。
「なにいってるんですか・・・先刻電話がありましたよ、迎えに行くって」
「え!・・あら、そう・・」
みのりの言葉に途端に顔を赤らめる元城を見詰めると、テレ隠しかコゴホン、と咳払いをする。
「でも、みのり先生のお兄さんて格好いいわよねぇ」
「そうですか?」
帰り支度を始めながらみのりが答える。
「だってさ、あんなに格好いいし、お医者様だっけ?」
「ええ、関東医大に勤めてます」
「いいなぁ・・・」
その、羨ましそうな溜息にみのりは笑みを浮かべる。
「格好いいし、笑顔が素敵だし・・・」
不意にみのりの動きが止まった。
「雨の日にわざわざお迎えなんて、優しいし・・・みのり先生?」
ぼーっと立ち尽くしているみのりに気付き、元城が肩を叩く。
「・・っ! あ、なんですか?」
「どうしたの? ぼーっとして」
「え? ぼーっとしてました?」
みのりの言葉にしてたわよ!といって元城は腰に手を当てた。
「すいません・・なんの話をしてたんですっけ・・・」
申し訳なさそうな表情をするみのりに元城は再びみのりの兄の事を口にした。
「だから、みのり先生のお兄さんは格好よくって優しくっていいわねって話」
そこまで話して玄関についたのか元城はみのりの返事を待たずに手を上げると今きた廊下を引き返していった。その姿を 呆然と見送ったみのりは視線を前方に向けた。
みのりに気付いた兄が、傘をもっていないみのりのために駆け寄ってくるのを呆然と見やった。

そう、自分には兄がいる。
優しくて、格好いい、兄が。
自分は子供の頃からそんな兄が大好きで。

今もこうして迎えに来てくれる優しい兄が。

「そう・・・だよね・・・お兄ちゃん・・・・」

みのりの呟きは、雨音に溶けて消えた。



城南大学の研究室の窓から外を見ていた桜子は小さな溜息をついた。
かつて五代が出入りしていた窓。
そこから外を見ながら桜子は己のした事を思い返していた。
最後の『石』を見つけたあの日。
桜子は研究室に彼女を招きいれた。誰の邪魔も入らないところで、二人っきりで話をしたかったのだ。

待ち人が現れると同時に薔薇の香りが研究室に広がった。そして気付く。
この香りが何時の間にか嫌いではなくなっていたことに。

「・・・『石』は?」
「取ってきたわ」
すっと桜子が差し出した手の先には確かに白い布にくるまれた石が握られている。それを受け取ろうと手が伸ばされた瞬 間、桜子はすっと手を引いた。
「・・・聞きたいことがあるの・・・・」
「・・・・・・」
返事もせずにただ桜子を見詰めるその瞳には何も写っていないが、桜子は確かにそこに宿るメッセージを読み取ることが できた。
「・・・・・・・・・解読に成功したわ・・・・」
かつて、長野の大学にあり、目の前の女性によって砕かれた筈の石の壁に書かれた古代文字。パソコンに写しておいた その古代の文字たちを桜子は昼夜を問わず解析していたのだ。
それは困難を極めた。
資料になりそうなものは全て破壊されていたし、壁自体も古いもので字がところどころ消えかかっているものすらある。そ れでも桜子はなにか引っ掛かるものを感じて、いままで取り組んできたのだ。

「私、ずっと不思議に思っていたの。《アマダム》と《ダグバ》の石、話に聞く文にはまるで正反対の作用を引き起こすその 石が接触をはかって、何故消滅しなかったのかって」
瞬きもせず、じっと己をみつめてくる人を桜子を見詰め返した。
「長い間に何度も繰り返された戦いは、必ずどちらかが封印されることで一時の終わりを迎えた。それは激しい戦いだった から封印されずにすんだほうも無事ではなかったはず」
「・・・・」        アンビバレンツ                                                       け
「でも、変よね。その二律背反な存在は互いのとは対極に座しているのでしょう? 同等の存在ならば消滅しあうはず。そ れがそうならないってことは」
言葉を区切った桜子はそのまま口を閉じた。しばしの間二人の間には沈黙が漂った。
そのまま桜子は待った。己の推理ではなく本当の事が聞きたかったから。
やがて、すっと、視線を落とした美しい人が口を開いた。

「二つの石は・・・同等の存在ではなかった」

そのまま額の薔薇の文様を指差して寂しそうに笑う。

「ここに、《アマダム》がある」
「・・・・・やっぱり・・・」
「私が頼まれて兄の下に戻ったとき、兄はおそらくその企みに気付いていたのだろう。それでも、私は私を思ってくれる兄 の気持ちにかけた・・・」

あの時。
己の腹から《アマダム》を取り出した兄はそれを二つに割って額に埋めた。

「まさかそんな事になるとは思ってもいなかった。石が二つに割られてしまったことで両方を消滅させることは不可能に なってしまったのだ。必ずどちらかが破壊されて終る。だが、破壊されたという事は消滅したということではない。残った破 片を集めて再生をさせて、再び戦いに挑む。・・・私達はそんなことを繰り返していたのだ」
「再生って・・・やっぱりアレはただの石ではないのね・・・」
「なんといえばよいのだろうか・・・だが、思うに私達は常にあの石に操られていたような気がするのだ。あれは・・・私達の 手に負えない代物だったに違いないだろうな」
「・・・そして、《器》を見つけたのね・・・」
桜子の問にかすかに頷いた。
「五代の・・・体に吸い込まれた《アマダム》は・・ベルト状の石に包まれていたろう?」
桜子の記憶が蘇る。一番最初に未確認生命体に襲われたときに五代がそのベルトを手にとり、腹に当てた。
「あの石は《ダグバ》なり《アマダム》の石を体に埋めたまま究極体に変化したもののなれの果ての姿だ。私達はそれに気 付き・・・漸くあの形にまで《器》をあつめ、なんとか《アマダム》を封印したが・・・もう、それを望む事も出来ない」
「なんで・・・?」
「究極体にまで変化した者を・・・誰が倒す事ができる? 兄が倒された今・・・誰が究極体にまで進化してしまったクウガを 倒す事ができる?・・・・最初から判っていたのだ。戦いに勝ち残った者しか石を封印できないのだ」
「・・・・・」                             
「あの《器》だけが石の力を封印する事ができる。石をけ消滅すことができないのなら封印するしかないのだ」
「・・・なぜ・・・五代君なの? なぜ、五代君が選ばれたの!?」
桜子の叫びが研究室に響く。それは運命だったのだろうか。

あの日、五代が日本に帰ってきたことも。
五代が桜子の知り合いだったことも。
城南大学と信濃大学が共同で九郎ヶ岳の遺跡発掘を行った事も。
一条が長野にいた事も。
《アマダム》を封印したベルトが桜子に預けられてしまったことも。

「・・・・・・運命の悪戯だったのかもしれないな・・・・・・私の兄と・・・あの人が・・・石を手に入れたことすらもな・・・・人間に与え られた・・・神の、な・・・」
小さく囁かれた言葉に桜子は唇を噛み締めると目を閉じた。
きつく、きつく目を閉じて顔を上げる。

「この石をとったら・・・私の記憶を奪うんでしょう?」
「・・・・・」
その沈黙は肯定を示していた。
「おそらく今度は根こそぎもっていくのでしょうね・・私達の記憶を・・・・」
「それが・・・あの御方の望みだ」
五代から呼び名が変わったことに桜子は気付いた。もう、心は決まっているのだろう。
「そして五代君だけが全てを背負ってしまうのね・・・・」
「・・・私も共に在る」
桜子が首を傾げた。
「棺を護る者が必要なのだ。私はそのために選ばれたのだから」
その言葉の果てに、彼女が背負わなければならなかった永い孤独を知る。たった一人、あの九郎ヶ岳の遺跡の中で彼女 はずっと棺を見守っていたのだろう。
「さあ、石を」
だが、そろそろ解放されてもいい頃だ。
誰もが、あの忌々しい二つの石から。
「渡す前に、話があるの」

コレは賭け、だ。
どうしても負けられない、桜子の生涯に一度だけの最大の賭けだった。






う〜ん・・・一回一回が長いのだが・・・皆様ついてこれてます!?
もうすぐ終わりですぜ!!

by 樹 志乃

でも後×回はあるんだよね。さて、今月中に終わるかなぁ。
(………でないと、S.Cityに出せん(汗))
あ、続きは明日です。 fromひかる


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