氷の封印 最終章(6)





手を見つめる。
白くなってしまった手。冒険に明け暮れていた頃は真っ黒に日焼けしていたのに、今はその面影もない。

横に、眠る男。
美しい造形をしているが、その顔の中で今は閉じられている瞳が一番美しいことを五代は知っている。
強い光を放つ、心を貫く瞳。


「・・・いきてるの、か・・・」           
無意識に言葉が漏れる。本当は、二人で消滅えてしまいたかった。
だきあったまま消滅えてしまえたらどんなに幸せだったろうか。

だが、運命はそれを許してくれなかったようだ。
五代は、こうして生きている。
一条も。


不意に五代の視界がぼやけた。
ふと横を見れば一条の顔の輪郭がにじんで見える。
輪郭がにじんで、まるで光の中にいて光っているようだった。

その瞳を閉じてすらいてもなを目を奪われる、その顔が。

ぽつ、と。
小さな雫がシーツにおいていた五代の手の平に落ちる。

雫は五代の手の甲を伝い、白いシーツに落ちた。
小さく、丸い沁みが出来る。


そのうちに
ぽつ、ぽつ、と。

表情を変えることのない五代の目から、雫が絶えることなく流れ出した。
いつのまにか、血の気の失せた白い頬に幾重にも筋を作っていても。

五代はその雫を拭うこともせず、ただ、眠る一条を見つめていた。



なるべく静かにドアを開けたつもりだったけれど、微かに小さな音が立ってしまうのはしょうがないだろう。
それでも足音を消してそっと部屋から抜け出すと、その正面の存在に気が付いた。
おそらくずっと立っていたのだろう、扉の音に反応して顔をあげたその表情がまるで今にも泣き出しそうな子供のような顔 をしていて、五代は思わず口元を緩ませてしまった。

「・・・ごめん、ね。待たせて」
「・・・・・・・五代・・・・・・・」

囁くような声で謝りの言葉をはく五代の表情があまりにも穏やかで、ただ名前を呼ぶだけしかできない自分がもどかしくて 唇を噛んだ。

「最後の一つが見つかっているんだろう?」
「・・・」
「・・・お別れの時間をくれたんだね・・・ありがとう・・・」
「・・・そんな・・・」

なにかを言おうと唇を開くのを首をそっと横に振る事で五代は封じ込めた。

「俺の方こそ、ごめん、だよ・・・また、君に辛いことを頼まなければならないんだから・・・」
不意に泣き出しそうになってしまった五代に、今度は反対にうっすらと笑顔を浮かべてみせた。
「それが私にしかできない私の役目だから・・・貴方の側にいられるのは私だけだ」

凛とした眼差しが、自分の尽くさなければならない使命に誇りを持っていることを告げている。
その言葉に微かに俯き、再び顔をあげたとき、五代の表情は一変していた。
'五代 雄介'というものを形成していた全てのものが消えうせてしまったような、まるで人形のような表情をして。


冴え冴えとした視線で前だけを見つめて歩き出した五代に、そっと頭をたれ後に続く。
段々と己の病室から離れていっても、五代はただ一度も振り向かなかった。



すでに人気の失せた己の研究室で、椿はレントゲンフイルムをじっと見詰めていた。
部屋は薄暗く、ただフィルムを照らしている白色灯の光だけが着いている。
机の上には何枚もの書類らしきものとレントゲンフィルムが散乱していた。

椿にはもう、判っていたのだ。
一番最初に一条に連れられて五代がここの、関東医大に連れられてきたときから。
ただ認めたくなかっただけで。
この世でたった一人の五代の主治医であると心に決めていたのに、なのに自分には何も出来ることがないなどと認めたく なかった。
「・・・いや、俺だけじゃ・・・ないか・・・」
おそらくこの世の誰も五代を救うことが出来ないのだから。

「そうなんだろ?・・・五代」
そういいながら全体重を椅子にかけると、ギッ・・と背もたれが鈍い音をたてた。
そのまま椅子を回転させて後を振り向くと・・・五代が立っている。
困ったような笑い顔を浮かべて。

「一条に最後の挨拶はすませたのか?」
椿の言葉に五代は黙って頷いた。
「椿さんでしょ? 部屋に人を近づけないでいてくれたのって・・・」
首を傾げながら問い掛ける五代に椿はふん、と鼻を鳴らした。
「・・・お前の体・・・な、石化が大分進んだだろう」
「・・・ええ・・・今はもう・・・感覚が殆どないですね・・・」

椿の記憶が、遡る。



一条が五代をつれてきた、あの日。
みのりとの約束通り、椿は五代の体を診察はしなかった。診察をしたふりをして一条になんの問題もない、と告げたのだ。
だが、いまではそれでよかったと思っている。
もし五代の体を見てしまった後では、椿は一条に嘘を付き通す事はできなかっただろう。付き合いの長い一条と自分は互 いの嘘を直ぐに見抜いてしまう。
だからこそ。

一条を帰した後、どうしても検査をすると言い張る椿に五代は、やがて五代は諦めたように溜息をついて了承したのだ が。
「・・・できれば椿さんには見て欲しくなかったんだけどな・・・」
「なんでだ」
五代の言葉に憤慨したような椿に、五代は困ったな、と苦笑いをした。

「俺の体・・・変わってしまっているんです」
「・・・え?」
「俺・・・死なない体になるんですよ・・・これから」
「・・・・・・え?」
「かといって、不死身ってわけじゃないんですけど」
「・・・五代?」

かるく言ってのけた五代の言葉の内容が、重い衝撃となって腹に響いた。
「それ・・・どういう・・・」
眉を潜める椿に、五代はかつての笑顔を向けた。
以前となにも変わらない、太陽のような笑顔。

「でも、見なきゃ納得しないんだろうな。椿さんは」
そういってわらった五代の笑顔が椿の胸に焼きついた。


検査結果を見て。
椿は体の震えを止められなかった。

人間の体の中には時間が存在している。
それは、人がこの世に生まれた瞬間に動き出し、終結・・・つまり'死'にむかって時を刻みはじめるのだ。
その時計の進みは人の全てに平等であり、不平等でもある。
体の中での時計の進みは、人が若ければ若いほど速い。その時計の針の進みにあわせて人の体の中では常に誕生と死 が繰り返される。神経も細胞も、何もかもが人の体の中で生まれは死んでいく。
やがて、人が老いていくほど、時計の針の進みは遅くなり、止まる。つまり何もかも生まれなくなり、最後に死に絶える。

そして人の寿命も尽きるのだ。

人は必ず、老いて死ぬ。
それこそが人として逃れられない宿命でもあり、だからこそ人は'不老不死'に憧れるのだ。
五代の体は、その時計が壊れてしまっていたのだ。

年もとらない、老いもしない。
だが、生きることもできない。

すでに人の体でなくなってしまった五代の体は緩やかに石化を始めていたのだ。

椿は最初はその目で症状を見ても信じる事ができなかった。
五代の体から採取した細胞が緩やかに死滅していく様子が見えても。
いや、死滅ではない。
永遠に眠るのだ。


「・・・・いつまで・・・もつんだ」
カルテを持つ手が震えるのが止められなかった。後ろにいる五代を振り向く事も出来ない。
後を振り向かなくとも五代がどんな顔をしているのか椿には手にとるようにわかったのだ。だが、今はその笑顔を見たくは なかった。
その、透き通るような笑顔を。
「石が、揃うまで」
五代の声は、柔らかく落ち着いた響きで椿の耳に響いた。
「・・・石?」
「・・・はい、あの爆発でこの世界に散らばってしまった石を集めるまで」
「・・・集めてどうするんだ」
椿の問に五代が笑う。
「封印します。永遠に」
「・・・・」
「俺の体で」

椿はゆっくりと振り向いて五代を見た。
目が合うと、五代はふと口元を緩ませる。
「・・・酷い、奴だなぁ、お前」
しばしの沈黙のあと、椿は溜息とともに呟いた。
「酷い、ですか?」
「ああ・・・俺にそんなことを言っても・・・それでも一条には秘密にするんだろ?」
「椿さんなら、出来ると思うんですけど」
まるで、ほんのちょっとした悪戯を隠して欲しいんだけど、とでも言うように。
ちょっと唇を尖らせた五代を椿は苦笑しながら見詰める。
「・・・できるっていうか・・・やれっていうんだろ?」
「・・・ふふ」
「・・・・・・・・・本当に、一条さえよければいい奴だな、お前って」
「はい」

そういって笑った五代の笑顔は、確かに椿の記憶の中の笑顔と重なっていた。
そして。



「石は集まったのか・・・」
「ええ・・・やっと最後の一個が見つかったんです」
音もなく、己の部屋に入り込んだ五代に驚きもせず椿は話し掛ける。
「椿さんは気がついていたんでしょ? 俺の体がもう限界だって」
「・・・・・・・ああ」
五代の体は既にどんな治療も受け付けず。
椿は、己にはどうする事もできない無力さを目の前に突きつけられるのを耐えながらここまできたのだ。
「ごめん、ね。椿さん」
「・・・なにが」
ほつり、と五代の口から漏れた言葉に椿は片眉を上げた。
「俺が・・・椿さんを共犯者に選んじゃった事」
「・・・」
「椿さんを巻き込んじゃって、さ」
「俺は光栄だと思っているぜ」
五代の言葉を遮るような力強い椿の言葉に、五代が唇を閉じた。
「お前が苦しみを背負うその相棒に、俺を選んでくれた事をな」
「・・・椿さん」
「いいんだよ、たまには我侭いったって。お前はこの前は自分の事は全部後回しにしただろ?」

この前とは、五代が『クウガ』と呼ばれていた時のこと。

「いいんだって、自分のしたい様にして、さ。お前は我慢をしすぎるところがあるからたまには我侭いったっていいんだ」
話している椿をじっと見詰める五代の側により、そっと抱きしめた。
「お前は一条を護りたいんだろ? ・・・だったら一条のことだけ考えてりゃいいんだよ」
「椿さん・・・・」
「誰が許さなくったって、俺が許すから」
「椿さん」
椿の力強い腕に抱かれて五代の顔が切なそうに歪んだ。
一条の為になにもかも犠牲にしても、五代のしたことを笑って許してくれた優しい人。本当に優しくて強い人なのに、五代は 更に酷いことをしようとしているのを、恐らく感づいているのだろう。
「・・・あ・・・・」
五代の視線が椿の机に流れ、ある物の上でとまった。何枚もの書類の下に見つけたそれは、五代の持ち物だったもの だ。
小さな小冊子に綺麗なグリーン色のしおりが挟んである。

「本・・・読んだんですね」
「・・・『氷の女王』・・・か」

五代が顔をあげた。
見下ろしていた椿と視線が重なる。

「鏡の破片が目に入った男の子は今までの記憶を失ってしまって氷の女王に連れられていってしまうんだったな」
「・・・・」
「そして残された女の子は男の子を連れ戻す為に旅にでる。長い旅路の果てに氷の女王達を見つけて女の子は男の子を 取り戻す・・・そんな話だったっけ」
五代を抱きしめる椿の腕に力が篭る。五代はただそんな椿をひたすら見詰め、椿も視線を逸らさない。
「女の子の愛に気が付いた男の子の目から涙が落ちて…鏡の破片が落ちて記憶が戻るんですよ」
「俺は少し違うと思うぜ」
「・・・え?」
「氷の女王は男の子を愛してたのさ」
「・・・つばき、さ・・・」
「だから、割ってしまった鏡の変わり、とかなんとか理由をつけて自分の側に置こうとしたんだよ。それでもやっぱり愛した 男をそんな目には合わせられなかったんだ」
「・・・」
「迎えにきた女の元に戻しちまう・・・でもな、男の方もそんな氷の女王の事を愛していたんだ」

崇高で気高い氷の女王。
白く冷たい氷の世界に囲まれた孤独な存在。

「連れ去られた男は・・・例え自分が鏡になったとしても、氷の女王の側にいたかったんだと俺は思うぜ」

五代の顔が歪み、椿の肩に伏せられた。

「・・椿さんたら、ロマンチストだなぁ」
「・・・そうか?」
「でも、そんな人は嫌いじゃないですよ」

椿を抱きしめる五代の腕にも力が篭る。

「そんな解釈あったんですねぇ・・・」
「そっちの方が楽しくねぇ?」
「ふふ」

言葉が途切れた。

「もう・・駄目か」
「・・・・」

五代が顔をあげ、笑う。
言葉はなくとも。
五代の気持ちはさまざまなビジョンとなり椿に伝わってきた。

一番最初の出会いから最後の別れまで。
一条と自分をいつも助けてくれた優しい人。


メイワクカケテゴメンナサイ。
イロイロタノシカッタ。
タクサンノオモイデアリガトウ。
アナタノコトハワスレナイ。

そして

――――――――――――――――・・・俺ノコトハ・・・スベテワスレテ。






ココで切るしかなかったんです!!
ごめんよぉ!!
BY 樹 志乃

大丈夫! 続きは明日アップだ。
でもさらに…………だったりして。(ひかる)


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