氷の封印 最終章(5)





再び眼が覚めた時、再び一条は記憶を失っていた。


気が付いたらベットで寝かされていた自分の状態をいぶかしむ一条に、椿は過労で倒れたんだ、と説明した。
訓練の激しさを自覚していた事もあったのだろう、一条は疑いもせずに納得し、五代に迷惑をかけたと謝った。

だが、その日から――――――――


一条は変わってしまった。
一条の力への執着は、五代の病室で倒れてから更に深く激しいものになっていたのだ。


訓練は日に日に厳しさを増していく。
次々と脱落者がでるなか一条は更に厳しく課題を、己にも候補者達にも課した。
やがて訓練は最終段階に入り、最初は二桁に近い数のいた候補生達も今は片手で数えられるまでになっていた。



「いいのか」
その問いにただ五代は顔を伏せるだけだった。
すっかり透き通るような肌の色になってしまった五代を見つめる。《ダグバ》の石の最後のひとかけらがどうしても見つか らないまま、既にひと月が経とうとしている。
中途半端に五代の身体に収められた《ダグバ》の石は確実に五代の命を縮めていた。五代の身体は既に《封印の器》とし ての変化を始めている。早く《ダグバ》の石を見つけ出し、もとの姿に戻して封印をしないと、かえって五代の身体に負担が 掛かってしまう。
封印としての機能を働かせつつも、五代が普通に生きていく為に力も使わなければならない。本来の果たされるはずの封 印の役目以外に、生きている分だけ臓器を動かす力等が余分に必要になってくるのだ。
もともと細い身体が更に細くなった。透き通るような肌の色が、五代が生きているということを忘れさせそうになってしまう。 それでも、五代は笑顔を失わなかった。その瞳は、強く光り輝いていた。
五代を生かしていたのは、やらねばならない事が有る、とその思いを貫く意志の強さだけになっていた。


だからこそ、その姿は痛ましい、と。

五代の姿がかつての愛しい男と重なり、永久の時を生きて感情などとっくに枯れ果てたと思っていた私にですらそう思わ せることを、本人は気づいてはいないのだろうな・・・と苦笑する。

「・・・わかっているのだろう、記憶を封じていることがあれの心に歪みを生じさせているのだと・・・」
「そうだね」
ベットの上で硬くシーツを握り締めた手の上に、柔らかな白い手が乗せられる。
「・・・今なら、まだ間にあう。記憶を戻すんだ」
「・・・」
「五代」
黙ったままの五代に焦れたのか、先ほどよりは幾分強い声がその名を呼んだ。だが、五代ははんなりと笑うだけで。
「・・・あれで、いいんだよ」
「本当にそう思うのか、大切な記憶を奪われたままのあの状態が、あの男の幸せにつながると思っているのか」
「俺は」
珍しく相手を責めるような声音を五代が遮った。
「俺は、一条さんが生きていてくれればいいんだ」
「・・・五代」
「たとえ俺のことを忘れていても、生きてさえいてくれればいい」
「・・・・・・それではあれは幸せになれない」
「それでもいい、って言ったら?」
五代の瞳に浮かぶ、強い光に言葉を失う。
「幸せでなくてもいいんだ。何もかも忘れていたら、幸せでないなんて事、わからないだろう?」
「!」
「それでも俺は一条さんが生きていてくれるだけでいいんだよ・・・一条さんが死んでしまうぐらいなら・・・あのままでも生き ていて欲しいんだ」
そう言いきって、ふと寂しそうに笑って俯いた。

「・・・ごめん・・・」

ぽそり、と漏れた小さな声。
「・・・なにを謝る事がある・・・」
「俺のことだけじゃなくて、一条さんの事も心配してくれてるから・・・」
ふ、と五代が微笑んだ。
「でも、これでいいんだ。たとえ今は酷く傷ついてもさ、きっといつかは塞がるだろ?」
その、微笑みがあまりにも痛ましく見えて、本当なら言わずにおこうと思った言葉が漏れてしまった。
「ではお前は?」
「・・・俺?」
そして一度言葉が放たれてしまえば取り消すことは出来ないし、後から後から漏れてしまう。
「そうだ、お前はどうなのだ・・・あの人のように・・・ただ1人なにもかも背負っていくつもりなのか」
「そんなつもりは・・・」
「お前はそれでいいかもしれないが・・・」
何時も何時も置き去りにされてきた者の苦しみを知らないだろうと。
そう言葉をつづろうとして ――――― 遮られた。
「何をしている」
冷たく硬い声に五代の身体が小さく跳ねる。
会話に夢中になって気を張り巡らせる事を忘れていたせいか、一条がやってきたのに気づかなかった。会話をどこから聞 かれたのか気にしているうちに部屋に入ってきた。大股で、あっという間にベットの傍まで近寄ると冷たい視線を向けた。
「一条さん・・・!」
「ここで、何をしている、と聞いたんだが?」
咎めるような言葉に反応もせず、五代の手に重なっていた白い手を掴み上げた。
「・・・婚約者を見舞いにきて、何がいけないのかしら」
「白々しい芝居は止せ」
一条はその言葉をあざ笑うと、そのまま力任せに掴んでいる腕を引っ張り上げた。
「痛っ・・・!」
無理やり立たされて、きつく掴まれて痛みに震える腕を何とか振り払う。
「ほう、人間のふりが上手いじゃないか」
五代との間に立ちふさがるかのように身体を割り込ませた一条が、掴まれて赤くなった腕をさする様子をみて鼻で笑っ た。
「一条さん! 止めて下さい!」
五代がスーツを掴んだが一条の注意は引けなかった。
一条の神経がピリピリしているのが手を通して伝わってくる。
「五代に近づくな、といったろう」
「・・・・・・」
五代が目配せし、合図を送る。
それに納得しない表情をしたものの、このままでは埒があかないのがわかっていたから。
「・・・外にいるわ」
小さな声に五代が黙って頷いたのを見て部屋を出る。
背を向けた五代達には見えていなかっただろう。

その顔が悲しみに歪んでいたことを。



遠くなる足音が響くなか部屋の中は沈黙が漂っていた。
「・・・一条さん・・・」
五代の小さな呼びかけに、一条の背が一瞬震えた。そのまま、ベットに倒れこむように座ると顔を手で覆い膝に突っ伏し てしまった。
「一条さん・・・」
一条の苦悩を知りながら。
その原因と、取り除く方法を知っていながら。
なにもしない自分のためにこれほど苦しんでいる一条に、五代は身を裂かれるような痛みに襲われた。
「・・・すまない・・・」
「一条さん・・・」
そっと丸まった背中に手をおく。
一瞬その身体が撓み、ゆっくりと身体が起された。そのまま五代を振り向く一条の顔には疲労の色が濃く残っている。
「・・・五代が幾ら庇おうとも」
「・・・」
「俺はこの眼で確かめない限りあいつを君のそばに近寄らせたくない」
「・・・判ってます・・・」
五代はだまって一条を見つめた。その、真摯な瞳を見つめて一条は再び口を開いた。
「・・・訓練は最終段階に入った・・・だが、残っているメンバーではついて来れないだろう・・・」
「一条さん・・・」
「もう一度、選び出さなければならないかもしれない・・・」
そこでおおきくため息をつく。
「プロジェクトの詰めは最終段階に入っている。・・・アレももう直ぐ完成するのに、装着する人材が駄目になるとは・・・」
「駄目にって・・・そんなことは言わないでください!」
「このままでは、同じ事を繰り返してしまう。人類は誰かの手に守られなければ生きていけなくなるなんて・・・なんて弱い存 在なんだろうか」
五代が眼を見張った。
一条の額にうっすらと浮かびあがるものが見えたからだ。

―――――・・・こんな・・・!!

一条の表情が無機質なものに変わった。瞳の焦点が、五代を見つつも素通りしていく。
「また、命が失われるのを見なければいけないのか・・・俺は、又、守ることができないのか・・・!」

ぶわん、と。

一条の周囲が歪んだように見えた。輪郭が霞み、一条の顔に重なってもう一つの顔が浮かびあがる。
「そんなことはありません! 一条さんは頑張ってるじゃないですか!」
「頑張る・・・? それだけじゃ、駄目だ・・・」
「・・・え・・・?」
「力がなくては・・・力がなくては・・・何も守ることができない・・・」
「違います! 人間に必要なのはそれだけじゃありません!!」
「違う・・・?」
五代の悲痛な叫び声に一条が反応を返したのをみて、すかさず畳み掛けるように話し掛けた。
「そうです! 俺は全部知っています! 一条さんがどれだけ頑張ったか・・・どれだけ苦しんだか・・・!」
「違う・・・」
「一条さん! お願いです! 闘っているとき、それだけじゃなかったでしょう!? 思い出してください!!」
「力だ・・・力がなくては・・・」
ぶつぶつと呟く一条の輪郭が霞んでいく。それはいまや全身に広がろうとしていた。
そして、もう一つの姿が段々と形をあらわにしていく。五代の眼の前で、最初は完全にずれていた2つの影がゆっくりと重 なろうとしている。
「一条さん! 一条さん!! 負けないで下さい!! 《石》に飲み込まれないで・・・!! ねえ、力だけが全てでしたか!? 一条さんは 本当に何も出来なかったと思ってるんですか!? 誰がそんなことをいったんですか!」
なんとかして一条を引きとめようとする五代が叫ぶ。目頭が熱くなり、いつのまにか頬を濡らすものが何本も跡を作って落 ちていくのをどこかで感じている。

――――― 早すぎる・・・!

一条の額に埋められた石は、五代の予想を裏切ったスピードで成長していた。

――――― ここで食い止めなければ。

懸命に一条の瞳を覗き込み、心に話し掛ける。
「できることを精一杯やろうって、言ったじゃないですか! 人に与えられたのは同じ役目じゃないから・・・与えられた役目 を精一杯こなしていかなければならないって・・・! 一条さんは一条さんがしなければならないことをやったんですよ!?」
「・・・・・・」
「・・・え?」
五代の叫びに、一条の口元が微かに動く。いまや《石》と完全にシンクロしてしまったらしい2つの姿は一体になろうとして いる。なんとかして一条の意識を強くしなければ、ここで消えてしまうのは一条のほうなのだ。
「・・・だ・・・」
「聞こえません・・・一条さん、なんて言ってるんですか!!」
「・・・ぜ・・・んだ・・・」
「え?」
「何故・・・彼は、独りで・・・死んだ・・・?」
「!!」


力に対する渇望。

それは絶望と言う名の深遠に落ちてしまった一条の方が、かつての0号よりも強かったのかもしれない。

最愛の人を戦いに向かわせ、傷を負わせ、人間ではなくなっていく事に嘆く苦しみも救ってもやれず、いっしょに身を堕とす ことも出来ず。


―――――― 独りで死なせてしまった。


「何故・・・」
「一条さん・・・」
「一緒にいると言ったのに・・・」
「いちじょ・・・さ・・・!」
「ひとりで・・・」
「・・・!」


唇を、ふさぐ。

それ以上一条の言葉を聞きたくなくて、唇を重ねた。
言葉に出来ない思いを伝えるように、身体を密着させる。

こんなになってさえも、五代はなにも一条に話すことは出来ないのだ。
だから。

薄く開いた唇の隙間から舌を差しこみ、慰めるように一条のそれに絡める。
一条が反応を返すまで、ゆっくりと、優しく繰り返す。

どれぐらい続いたろうか。
五代は背中に一条の手を感じて眼を明けた。
至近距離で、一条の瞳が五代を見つめていた。色素の薄い、茶色の瞳。長い睫に縁取られた瞼の下でじっと五代を見つ めていた。
「・・・いちじょ・・・」
ゆっくりと唇を離し名を呼びかけたが、直ぐに引き戻された。再び重ねられた唇は、労わりではなく情熱を伝えてくる。
きつく抱きしめられ、五代は眼を閉じた。
一条の姿は今はもうぶれてはいなかった。

―――― 元に、戻ったんだ・・・

その、安堵感が五代の涙を止めさせなかった。後から後からあふれ出る涙は自分の頬をも濡らしているのに、一条は気 にしていないようだった。
一条に痛いほど強く抱きしめられても、もう抵抗しない。
それどころか、五代から一条の背中に手を回し抱きしめ返した。それがわかったのか一条のキスが深くなる。顔の角度を 変え、より深く唇を重ね合わせ、舌を絡める。

そのまま、ゆっくりとベットに倒されても五代は抵抗をしなかった。


《ダグバ》の石を身体にもつ五代が《アマダム》の石を持つ一条と触れ合う事。
その意味は。

               
―――― もし、此処で消滅えることが出来たら・・・・・・


そう願う事がどんなにいけないことがわかっていても、五代には止める事が出来なかった。





扉の前で、黙って立ち尽くしている。
かつて額にあった薔薇の跡を辿るように指で摩っている。
やがて何かを振り切るように顔を上げた。

「本当は・・・」
真っ赤な唇が震える。
「みつかったんだ・・・最後の石・・・」
小さな呟きが、落ちた。






いやあ、間があいてすみません。
こっから一気に最後まで行きますぜい!

樹 志乃


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