以下は、2005年6月28日に藤野駅の駅頭で配られたチラシの全文と、その文章の内容に対する私なりの意見です。このチラシは、藤野町と相模原市の合併を主張する『ふじの行政を考える会』が発行したものですが、以前からこの団体の行動には論理よりも恐怖を振りまく手法を使う傾向があり、このチラシも例外ではありません。
 また、明らかな事実誤認や根拠のない情報もこのチラシには含まれています。

 この団体にはいろいろ嫌な思いもさせられているので(たとえばこんなの>>)、最近ではいちいち反論する気にもなれなくなりましたが、今回のチラシにはさすがに腹に据えかねる記述が含まれているので取り上げることにしました。

 チラシの全文を引用しました。html化するにあたってアンダーラインのある文章や、文字の大小の違い等、極力、チラシのレイアウトに近付けるように努力しました。茶色い字で書いてある文章が私の意見です。この団体のチラシの主張に対して私が反論を試みたのは以前にも一回あります。そちらも参考にしてくれればと思います。こちら>>



チラシ表

子供達の未来のために-単独行政は悪政です。

行政が全ての業務を削り、住民が子ども達の代まで、町の存続のために汗をかく…そんな不安定な単独行政を、あなたはどう考えますか?

長野県泰阜村は単独を選択した結果、財政が大幅に滞り、道路修繕・公共の建物の修繕・災害時の対応など、住民の生活に直接かかわるものまでも自力ではやっていけず、窓口業務を除いた大半の業務を県に委託しようとしています。自治体の崩壊と言っても過言ではありません。藤野町の、平成15年と平成17年の町税と地方交付税の合計を比較すると、3億5千万円以上の歳入減となっています。これからはさらに大幅に減となります。

 私は、昨年(2004)に『藤野町を愛する会』が主催した講演会に行き、この会から講演録のテープをお借りして講演内容をホームページで紹介しています。こちら>>
 長野県泰阜村は、その講演会の時の講師である松島村長が行政を行っている村です。このチラシは明らかに『藤野町を愛する会』を標的にしたものでしょう。泰阜村は、単に単独を選択した村に留まらず、住民の視点に立った様々な独自の政策を行っています。このあたりの詳細は講演内容のページをご覧下さい。

 さて、このチラシの文章は事実を悪意によって歪曲しています。「自力ではやっていけず」とか「自治体の崩壊」とかショッキングな表現を使って、あたかも『単独を選択すると、こんな悲惨な状況に陥る』と印象付けようとする意図を感じます。
 この件に関して、2005年6月29日に藤野町で講演して頂いた、泰阜村の隣の村である下條村の伊藤村長に真偽を質問してみましたが、伊藤村長御自身がこのチラシを泰阜村の村長に渡して連絡をとって下さる事になり、いずれ御本人からの説明を聞く事ができると思います。
 私はどんな情報であっても、二次情報、三次情報に振り回される愚は経験したくありません。伊藤村長が取次いで下さって幸いでした。

【追記】
 早速昨日(6月30日)連絡が来たので、紹介します。
こちら>>

行政の役目は、住民に安心安全を提供する事であり、決して住民に忍耐と汗を強要するものではありません。

合併したらどうなるの?(Q&A)
(すでに広報等で配布されている項目をわかりやすく抜粋しました)

Q:役場の窓口業務は、相模原市役所まで行くのですか?

A:私たち住民が関わるほとんどの証明および届出は、今まで通り役場や支所で行うことができます。(相模原市役所へ行く必要はありません。)

 「ほとんど」であって「全て」ではありませんね。『相模原市役所へ行く必要はありません。』というのはどこまで根拠のある主張なのでしょうか。

Q:合併すると役場の職員の数が減って、それに伴いサービスが低下しませんか?

A:合併後には、現在の役場の機能をあらかた引き継ぐ形で総合事務所となり、私たちが思っているほどの職員の減少はありません。(現在合併協議中の相模湖町では、約7割以上が残ることとなりサービスの低下はありません。)むしろ単独でいった場合のキツキツ財政の方が最終的には、職員の滅少・大きなサービスの低下につながります。

 以下は『合併を見直す会』が今年の春に配ったチラシからの抜粋です。
『上野原町と秋山村は対等合併したが、旧秋山村の住民から役場職員が約60名から8名となり、日常の窓口業務に非常に不便を感じていると問題点が指摘されている』
 合併すれば急激な職員の減少という事は『あり得る』のです。相模原市と合併すれば問題がないというわけではありません。

 ここで紹介されている相模湖町のケースも、合併した当座は、総務や企画を除いた職員がそのまま残るといった程度の話であり、その後もずっと7割以上が残ると言う話ではありません。
 いずれ相模原市が本腰を入れてリストラを始めれば、相模湖町の職員数は相模原市の意向によって大胆に削減される可能性もあるのです。

 相模原市と合併しようと、単独でやっていこうと、役場の職員の数は今よりも減る事は間違いないでしょう。全国的な傾向として、財政の健全化を進めなければならないからです。このことは、相模原市と合併すれば財政の健全化をしなくてもいいという事ではありません。

 問題は、職員を減らすにしても、『住民に納得のいく減らし方ができるかどうか』にあると思います。住民が必要だと思っている人員は確実に残し、それほど必要性を感じていない部分は削減する、その優先順位を住民ときめ細かく話しあって決めてこそ、『住民に納得のいく減らし方』ではないでしょうか。
 いきなり相模原市と合併して、遠い市役所からの命令で人員が削減されるのとでは、だいぶ話が変わってきます。

 ちなみに、藤野町の財政は決して悲観的なレベルにはありません。『それはお前の主観で「悲観的なレベルではない」と言っているだけだろう』と言われると思いますが、同様に、このチラシで3度出てくる「キツキツ財政」という言葉も、彼等の主観の域を出ていないと思います。
 なぜ私が「藤野町の財政は決して悲観的なレベルにはない」と考えているかは、次の所で説明します。

Q:合併後、税金等私たちのサイフから出ていくお金は多くなるのですか?

A:そんなことはありません。税金にかかわらず、ほぼ相模原市にならうので、今とほとんど変わりません。
また、藤野町では受けられなかった手当(子育て・高齢者・障害者手当など)やサービスも受けることができます。相模原市自体が、藤野町に比べ高いレベルのサービスを提供しており、単独でいった場合のキツキツ財政の方が、住民に増税と我慢という形でふりかかってきます。

Q:全国の平均以上の財政力指数0.525を持つ藤野町が単独ではなぜ生き残れないのか?

A:財政力指数をそのまま鵜呑みにすることはできません。合併により、3232市町村は1822市町村になります。今の平均が、今後の平均とは限りません。地方の町や村で数字はもっと悪くとも(指数に含まれない補助金等で)もっと健康な町はたくさんあります。少なくとも神奈川県内においては、相模湖町についでワースト2です。東京に近く、補助金の少ない田舎(まさしく藤野町)ほど財政力指数が高い割に苦しいのです。
他の市町村は合併後、財政力指数がまちがいなく上がり、単独を選んだ場合、残された藤野町は下降の一途をたどるのは目にみえています。

 この事については、前回のチラシに対する反論でも書きました。そこから引用しましょう。

『確かに藤野町の財政力指数は、神奈川県で最下位レベルですが、これは神奈川県自体が、全国的に見て財政力指数が高い地域なので、こんな結果が出てしまいます。藤野町がテストで70点とっても、他の市町村が80点をとれば、藤野が最下位になる理屈ですね。ちなみに藤野町の財政力指数(0.478)は、全国平均(0.40)よりも上です。』

 この反論を書いた当時よりも、藤野町の財政力指数(0.525)は上昇しています。現状を冷静に判断して、果たして藤野町は彼等が言うように『下降の一途』をたどっているのでしょうか。

 『他の市町村は合併後、財政力指数がまちがいなく上がり・・・』という記述も根拠があるのでしょうか。平成の大合併と言うのは決して市町村にバラ色の未来を約束するものではありません。合併特例債という「アメ」で踊らされ、なんだか合併しなければ損みたいな雰囲気に流されて来ましたが、地方交付税は合併を選択した方が10年後には劇的に削減されます。
 佐渡市、丹波篠山市、静岡市・・・。合併したものの当初想定されていた合併によるメリットを活かす事が出来ず、かえって財政が危機に瀕したり、福祉を削減したり、合併前に住民に約束した公約が取り消され、一方で特例債を使うハコモノだけはしっかりと作られる・・・、そんな町も多いのです。
 この平成の大合併というのは、自治体にとって一種の『賭』のような所があります。うまくいけば『合併したお陰で財政が健全化できた』という事もあるでしょうし、『合併したために財政が破綻した』という事もありうるのです。

 決して『合併=幸福』『合併しない=破滅』というような単純な図式で説明できるものではありません。



チラシ裏

Q:合併するとゴミ収集・医療・福祉・消防等はどうなりますか?

A:多少の見直しはあるものの、最低でも現行のままの引き継ぎを目指し、さらに全ての面で現在の藤野町とは比べものにならない質の高いサービスも受けられます。

6月22日現在の相模原市の見解:
「藤野町が単独を選択するならば、ゴミの処理は藤野町で勝手にやってくれ!」
という姿勢をくずしておりません。住民が今よりも、かなり多額のお金を出し続け、それでも週一回程度しかゴミ収集車が来ない。まさに、危機的状況と言わざるをえません。

 このチラシでもっとも悪質な記述がこの部分です。
『6月22日現在の相模原市の見解:「藤野町が単独を選択するならば、ゴミの処理は藤野町で勝手にやってくれ!」』
 これは、『いつ、どこで、誰が』した見解なのでしょうか。このチラシにはまったく書かれていません。私は相模原市がこのような見解を表明したという話は、寡聞にして聞いていません。

 相模原市の市長は、合併に消極的な姿勢を示す城山町に対して、『合併しなかった場合は城山町のゴミ処理の受け入れはしない』と言って問題になった事がありましたが、結局撤回しました。(こちらを参考にして下さい>>
 この相模原市の市長の発言は、本来許されないものでした。合併政策を進めて来た総務省でも、たとえ合併を選ばなかった自治体であっても、それによって広域行政サービスの低下するような事態を許さないよう通達しています。
 ゴミの処理の問題を『合併するかしないかの材料にしてはいけない』のです。

 相模原市は中核市、将来は政令指定都市を目指しています。それだけ、その地域の中核を担う役割を自認しているわけです。
 私の知る限り、今では相模原市の市長は、この合併の枠組みがどのような形になろうと、合併に応じる町、応じない町が存在しようと、『中核市としての役割を果たす』と言っています。

 『合併しなければゴミの処理が出来なくなって、町がゴミだらけになってしまう』と恐怖を振りまく事。これは他の町でも行われた、合併を推進する側がもっともよく使う恫喝の手法です。

Q:合併すると公共事業が無くなり、これ以上発展しないのですか?

A:それは逆です。(必要ない公共事業は別として)必要な道路・上下水・公園など私たちの生活に直接かかわってくる事業に関しては、今まで以上にできるようになります。
(例:現在の相模原市の下水道普及率は90%超)
単独で行った場合のキツキツ財政の方が、全てを縮小して生き残りにかけるため、必要な公共事業(災害復旧も含め)、ができなくなります。

 藤野町で下水道の普及率を90%にしてはいけません(笑)。まあ、詳細はこれをみてもらうとして・・・
 公共事業を行うに当たって、最も重要な事は、お金の量ではなく、納得の行く使われ方をしているかどうかです。これからの公共事業は、今よりももっと住民との話合いによって、何が最重要なのか優先順位を決めて行う必要があります。
 こういう事ができるのは『小さな町』のメリットではないでしょうか。

生き残りの選択です。そして最後の合併のチャンスです。

Q:あと4〜5年後の合併でも遅くはないのでは?

A:合併とは、お互いの歩み寄りが必要です。4〜5年先に破綻した藤野町を喜んで受け入れてくれる事は間違いなくありません。
今でも、他の2町と比べるとかなり遅れをとっています。合併を先延ばしにすることは、賢明な策とはいえません。(藤野町は、平成15年12月に合併の話し合いを拒否した経緯があります。今回、拒否すると2度目となります。3度目はありません。)
今回が本当に最後の選択です。合併とは相手のいること。それを深く考えた上での選択を。

例:最悪のシュミレーション(八王子市との合併は事実上無理)
単独を選択⇒財政破綻⇒相模原市へ合併申し入れ(拒絶)⇒
上野原へ(山梨県)合併申し入れ(拒絶)⇒何処にいきますか?

 『あと4〜5年様子を見る』というのは、現段階の藤野町にとって、もっとも合理的で、どのみち損をしない選択です。合併した町が、その後実際にどうなるのか、住民の幸福が図られているのかをじかに見る事が出来ます。
 合併した場合、元の町には『地域自治区』が設置されて住民の意見を反映する機関として機能する、という説明がなされていますが、地域自治区の設置期間は5年で終わりです。(この辺りの事については前のチラシに対する反論で
詳しく論じました>>

 今でこそ、合併した町の方が何やら華々しく見えるようですが、4〜5年の歳月は、ちょうどきらびやかなメッキが禿げて、合併後の正直な姿が現れてくる時間だと思います。
 合併特例債の返済も始まり、何年も前に合併した町では、地方交付税の削減時期に突入し、『こんなはずではなかった』と思われる事例も出てくると思います。

『今回が本当に最後の選択です。合併とは相手のいること。それを深く考えた上での選択を。』
と彼等は煽っていますが、本当に藤野町は合併しなければならないのでしょうか。
 神奈川県の地図をざっと見ても、人口1万〜4万程度の町はゴロゴロありますし、それらの町が『合併しなければ明日がない』と慌てふためいているわけではありません。そもそも神奈川県で合併しようと慌てているのは相模原市と津久井群だけです。
 『
何処にいきますか?』と言われても・・・(笑)。べつに何処にも行かなくてもいいんじゃないでしょうか。

Q:合併すると藤野町の伝統や文化が失われるのではないでしょうか?

A:これは論外の話で、経済が成り立っていない自治体に伝統・文化・自然を保存する力はありません。少なくとも体力のある相模原市の中の藤野町で、みんなで力を合わせ、安定した基盤の上で自然環境をはじめ、藤野の価値や個性を伸ばしていくことが必要です。

 実は私が一番心配しているのがこの点です。

 伝統や文化についてはここでは措くとして(これにも心配はあるのですが)。
藤野町は都会に近い割には山地が多いため、今までゴミの処分場建設地として狙われ続けて来ました。相模原市と合併した場合、藤野町に相模原市のゴミの最終処分場が作られる可能性も強く、『合併しなかったら藤野町のゴミ処理が出来なくなって町がゴミだらけになる』というのは根拠のない妄言ですが、『合併したら藤野町がゴミだらけになる』というのは、実現性の強い心配事なのです。

 ただでさえ、多くの残土処分場を抱えて、藤野町はダンプ街道の様相を呈しています。ここは何とかして、藤野町は自立性を保持して、生活環境を自分で改善し、自分で守れる状態を留めておかなくてはなりません。

 しかし、これだけ『芸術の町』として認知されている町としての実績があるのに、藤野町は『経済が成り立っていない自治体』なのでしょうか。私の実感では、藤野町の芸術系のイベントは近年更に盛り上がりを見せ、中には『ぐるっと陶器市』の様に補助金も一切もらわずに年々規模を拡大しているイベントあります。
 伝統や文化とは、経済的な側面よりも、その土地に住む人々の気概の有無によって栄えるか滅びるかの方向が決まる要素が強いと考えます。

安定地盤の上に立つ−合併

軟弱地盤の上に立つ−単独

藤野町の伝統と文化は、安定地盤の上で守るべきである。先の見えない軟弱地盤である単独行政の上に立つ藤野町を、そのままの形で子ども達に押しつけてもいいのですか?

私たちは子ども達の未来のために、安心して暮らせる快適な環境を創り、そして手渡す義務があります。

ふじの行政を考える会 代表 倉田 茂

 このチラシ全般で言える事ですが、この団体の主張は、あまりにも相模原市との合併による結果には楽観的で、また単独による結果には悲観的です。というよりも、このチラシはとにかく『安定地盤の上に立つ−合併』『軟弱地盤の上に立つ−単独』という主張を、時にはデマも交えながら無理矢理読む人に印象付けるための煽情行為にしか見えません。

 しかし相模原市との合併は、果たして本当に『安定地盤に立つ』事なのでしょうか。62万人都市に吸収される1万人の町です。『安定』どころか、相模原市の意向に『振り回される』町にならないとも限りません。

 この団体の主張では、何やら相模原市と合併すれば財政が一気に良くなるような書き方です。私はこの点には疑問を持っています。
 相模原市は財政規模が大きいのと同時に、抱える人口も、しなくてはいけない仕事も多い町です(そして借金も)。他の町に資金をどんどん流し込むような余力があるのでしょうか。私は相模原市の財力を『当てにする』発想が、最も危険だと思っています。相模原市民は、自分の払った税金は自分達のために使って欲しいと考えるでしょう。藤野町の町民の、
『合併したら相模原市の潤沢な資金の恩恵に与れる』
という考え方を、相模原市民が聞いたらどう思うでしょうか。
『人のふところを当てにしている』
と思われはしないでしょうか。

 これでは藤野町民は相模原市と合併しても、相模原市民になるわけでもなく、相模原市の『間借り人』、もっと悪く言えば相模原市から施しを受ける『居候』扱いです。彼等は合併すれば『安定地盤』と言いますが、もしかしたら地盤そのものを失う事もありうるのです。
 大きな所に吸収された挙句、相模原の『お荷物』のようなイメージで見られ、対等にも扱ってくれない、そんなみじめな結末を想定するのは悲観的すぎるでしょうか。
 上の所で書いた『藤野にゴミ処分場が来る可能性』も、相模原市民から『税金はろくに払わないのに、福祉やら公共事業やら金ばかり使う地域なんだから、そういう地域にこそ迷惑施設を設置すべきだ』と言われたら、その時藤野に住んでいる人達は堂々と抗弁できるでしょうか。

 助けてもらう、富を恵んでもらう、そんな発想で合併に応じると、その時には藤野は、相模原市からの意向からは何も逆らう事もできない、逆らう気力もない精神的な敗北を経験するでしょう。

 私は、『子供達の未来のために』藤野町という財産を残してやりたいと考えています。誰にも文句を言われる事もなく、自分達の事を、自分達で考えて、自分達で決められる環境、これも立派な財産であり、宝なのです。お金には代えられない、一度手放したら二度と戻らない豊かさなのです。『安心して暮らせる快適な環境』なのです。

 私はこの『豊かさ・宝』を、恐怖に煽られ、「これが最後のチャンス」と急かされながら、安売りするべきではないと考えます。