単独町政では財政は早期に破綻
私の認識では、藤野町の財政はそれほど危機的ではないようです。確かに藤野町の財政力指数は、神奈川県で最下位レベルですが、これは神奈川県自体が、全国的に見て財政力指数が高い地域なので、こんな結果が出てしまいます。藤野町がテストで70点とっても、他の市町村が80点をとれば、藤野が最下位になる理屈ですね。ちなみに藤野町の財政力指数(0.478)は、全国平均(0.40)よりも上です。
考えてみれば、藤野町は山村とはいえ、都心への通勤圏でもあります。それなりに税収もあり、今後の行政改革を行えば、単独自立も可能なだけの余力は充分あると私は思っています。
藤野町が公債費負担比率の低い自治体である事も強調しておきましょう。これは、家計で言えば、給料の収入の内、どの程度の割合が借金の返済に使われているかを表す数字です。(藤野町はこの数字が9%で神奈川県では10番目に良い数字。全国平均は17.3%)
藤野町は借金に関しては、非常に身軽な自治体です。
これだけの好材量があるにもかかわらず、『行政改革しよう』とは考えないで『単独町政では財政は早期に破綻』と言い切るのは、諦めが良過ぎるのではないでしょうか。
そもそも、全国平均よりも良好な財政力を持った自治体が、次々と破綻するような事がありうるのでしょうか。あっていいのでしょうか。これは藤野町の問題と言うよりも日本全体の問題です。
ゴミ処理,消防,救急をはじめ住民への行政サービスは低下します
これは、合併するしないに関わらず、『あってはならない事』であって、『合併すれば大丈夫』とか『合併しなければダメになる』という問題ではありません。合併しなかったら、火事が起きても消防が来てくれなくなると言うのでしょうか。
合併は住民を幸福にする手段の一つです。ですから、『合併すれば、ゴミ処理,消防,救急をはじめ住民への行政サービスは、このように(具体的に)向上します』という言い方なら私にも納得出来るんです。しかし、これでは『合併以外に、藤野に未来は無い』と思わせる脅迫に近い乱暴で強引な論理です。こんな言い方をされたら、誰だって考えも無く合併賛成派になるでしょう。
それに、脅迫しようと思えば、『合併したら、行政サービスは低下する』という言い方も可能です。例えば、この冬は藤野町でもかなり雪が降り、そのたびに除雪車が出動しました。相模原市と合併した場合、相模原市は藤野町の積雪事情をちゃんと認識して行動してくれるでしょうか。
合併後も「地域自治区」が設置され、地域協議会を通じて住民の意見は充分反映されます。・・・合併することで逆に地域は活性化されます。
このチラシの後半の文章で「ふじの行政を考える会」自身が認める通り、地域自治区の設置期間は5年で終わりです。それにこの文章は『合併ありき』の論理です。「地域自治区」と言った組織に期待するくらいなら、『自治』がしたいのなら、藤野町を単独自立が可能なレベルに財政を改革したほうが、手段としては直接的で、実行力も期待出来ます。
この文章には、藤野町が合併せずに単独で地域を活性化するより、相模原市に合併して地域自治区で地域を活性化する方が有利だ、とする根拠が書かれてありません。
私はむしろ、真に活性化したければ、合併は有利だとは思えません。
安心の子育て,福祉の充実のため
相模原市が藤野町よりも子育て支援や福祉事業で充実しているのは事実です。しかし、はたして人口の密集している相模原市と同じサービスを津久井郡で実現できるのでしょうか。同じ手法が使えるのでしょうか。
津久井郡は、相模原市の3倍を超える面積がありながら(そのほとんどが山地です)、そこに住む人口は相模原市の10分の1です。
子育て支援や介護と言った福祉事業は、金をばらまけば良いと言うものではありません。地元に密着した、サービスを受ける側と与える側の『顔の見える』行政である必要があります。果たして、自治体の単位が広大になる事が、福祉にとって好結果に結びつくのでしょうか。
藤野町は子育て支援のよう福祉事業に関しては、今まで冷淡でした。学校給食も遅まきながら一部で近年始まったばかりですし、学童保育も同様でした。この現象は、私が思うには、女性は家で子育てや介護などの家事をするのが当たり前だとする、山里の古い考え方がそのまま持続して、住民の多様なニーズに対応して来なかった事が大きいと思います。それはあたかも、藤野町に共働きや核家族が存在しないかのような。
ここでも言える事ですが、合併によって問題改善を期待するよりも、「町政の意識を改革する」という手段を使ったほうが、合併によって想定できるデメリットを心配する事なく、問題が改善できるはずです。
地域自治区の下には住民の意見を行政に反映できる「地域協議会」が置かれ、現在の役場及び支所は「総合的な事務所」として従来と同じ行政サービスを継続して行います。
しかし、予算の権限は相模原市が握る事になります。「地域協議会」と名前は立派ですが、相模原市長から「諮問」されて、藤野側の意見を「具申」する機関にすぎません。いかに「地域協議会」を設置して、住民の意見を行政に反映させると言っても、住民の意見を受け入れるか否かの権限は、藤野町民にはないのです。
これは『藤野町の事を、藤野町で決める』という観点からは遥かに後退です。確かに、今までの藤野町が民意を積極的に汲み上げる事に熱心だったかと言うと、それは私自身にも疑問があります。でもその問題は、『町政を改革する』手段で解決すべき問題で、合併で解決を期待する問題ではありません。
こんな動きの裏には津久井郡選出の県会議員が暗躍し、町議会議員を操っています、合併すれば「津久井と言う選挙地盤」が失われると考え合併を阻止しようと活動している県会議員や、藤野町を残して次の町長を狙っている議員、広域行政組合を解散させて事業を拡大したい議員、みんな私利私欲の発想です
こういう言い方と言うのはどうでしょうか。私はこの文章を見て、「ああ、あの人の事を言っているんだな」とだいたい想像がつきますが、こういう、相手に一方的に『悪』のレッテルを貼るような表現は、合併に推進の立場であろうと、反対の立場であろうと、慎むべきだと私は思うんです。
あくまでも、住民にとって、何が幸福に繋がるかを、論理的に冷静に説明する態度こそが大事なんじゃないかと。
こういう表現は、合併賛成派に対しても、文章を反対にすれば使えるんです。例えば、『合併して新たな選挙地盤を得ようとしている政治家や、広域行政組合を残して既得権を温存したい勢力が、合併推進活動で暗躍しています。みんな私利私欲の発想です。』という具合に。
(しかし、広域行政組合は合併した場合に解散するのであって、「広域行政組合を解散させて事業を拡大したい議員・・・」と言う記述には矛盾がありはしないでしょうか)
以前から思うんですが、この「ふじの行政を考える会」の発行するチラシからは、いつも、どこか扇情的な印象を受けます。
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