個性あふれる地方中小私鉄を巡る旅
 

【2015年3月17日 更新】

【写真の上にマウスカーソルをもっていってクリックすると、拡大表示になります】 

北陸鉄道石川線  

クリックすると拡大します

←2015年3月15日 鶴来にて

 


 金沢市内から鶴来に至る13.8kmの短いローカル私鉄。小柳付近を除いて、沿線に人家はけっこう多い。

 野町から電車に乗って南下すると、金沢市内ではほとんど見かけなかった雪が、ここ鶴来にはけっこうあった。鶴来駅の先には、かつて加賀一の宮と寺井へ向かっていた路線の廃鉄橋が2つ残っていた。


秩父鉄道  

クリックすると拡大します

←2010年6月12日 長瀞にて

 


 埼玉県の外周部をグルリと回るローカル私鉄で、貨物列車も数多く走る貴重な路線だ。

 車両は、かつては自社発注車が多数いたが、現在はJRや大手私鉄からの譲渡車ばかりである。
 ローカル私鉄には珍しく、ほぼ全ての駅に駅員がいる。全線単線だが、交換駅も多数ある。

 写真は、この鉄道のスターと言えるSL列車が、長瀞駅で小休止しているところである。


大井川鐵道 本線  

クリックすると拡大します

←2009年7月17日 神尾にて

 


 SL列車が毎日運行されている、極めて珍しいローカル私鉄だ。普通列車用の車両も関西の大手私鉄から譲渡されたものばかりで、懐かしさを感じる人も多いだろう。

 茶所の静岡とあって沿線には茶畑が多く、車窓を流れる風景はのどかで鄙びた感じがする。日本の原風景を見るようだ。

 沿線人口は極めて少ないので経営的には大変だろうが、いつまでも活躍して欲しい路線だ。


島原鉄道  

クリックすると拡大します

←2011年1月18日 島原外港にて

 


 島原半島の東側を回るように走る路線だが、
2008年4月1日に島原外港−加津佐間が廃止されて、かなり寂しくなってしまった。
 車窓から海が見える区間はそう多くないが、大三東駅付近の眺めはなかなかいい。車両は新潟鐵工製のものに統一されて、国鉄タイプの旧型車は姿を消した。

 残った区間が末永く活躍することを祈るばかりだ。


静岡鉄道 静岡清水線  

クリックすると拡大します

←2009年7月18日 日吉町にて

 


 かつては秋葉線・清水市内線・駿遠線など多数の鉄道路線を持っていたが、今はこの静岡清水線が残るだけとなった。

 地方私鉄ながら「全線複線」「日中6分ヘッド運転」「旅客営業車全部が自社発注車両」と、大手私鉄も顔負けのハイレベルぶりである。

 車両は東急車両製の1000系ばかりで鉄道趣味的にはイマイチだが、シンプルなスタイルはいつまでたっても新鮮な感じがする。



伊予鉄道 高浜線  

←2006年1月18日 高浜にて

 


 地方私鉄には珍しい複線区間をもつ路線。途中には、市内線との平面交差がある。横河原線と直通運転をしているので、1本の電車で2つの路線に乗れるのは実に便利だ。

 終点の高浜駅の駅舎も横河原同様に古びたものであるが、こちらは港に近いせいか、人が多くて活気が感じられる。

 車止めに近い線路には、ラッシュ時の増結用らしい片運転台車が1両たたずんでいた。


伊予鉄道 郡中線  

クリックすると拡大します

←2006年1月18日 郡中港にて

 


 JR予讃線とほぼ平行して走る路線。県都松山に直通する路線だけあって近代的な装いの駅が多いが、中には味わい深い雰囲気の古びた駅もある。

 車両は大手私鉄の中古車が多いが、いずれもキチンと整備されていて、車内は明るく清潔である。車両のきれいさは、中小私鉄の中では間違いなくトップクラスである。

 やって来た電車は、かつての
京王5000系に似せた前面を持つ車両。なんとも懐かしい感じがする。


伊予鉄道 横河原線  

クリックすると拡大します

←2006年1月18日 横河原にて

 


 松山の繁華街にある松山市を発車した電車は、多くの人を乗せて市街地を進む。

 先へ進むにつれてひとりふたりと降りていき、終点まで乗ったのは数人であった。横河原の駅舎は古びているものの味わい深いものがあり、駅の脇にはビジネスホテルがあるのが意外だった。

 そんな横河原に舞い降りたのは、新鋭の自社発注ピカピカ電車。駅舎とはちょっと不釣り合いだった。


上毛電鉄  

クリックすると拡大します

←2004年5月14日 西桐生にて

 


 県都
前橋桐生を、ほぼ一直線に結ぶ電化ローカル私鉄。

 車両は京王井の頭線の元3000系2連に統一されていて、鉄道趣味的な面白さは少ないが、車体は内外共にきれいで、手入れの良さがうかがえる。

 新設駅を増やしたりして乗客獲得に努めているが、JR両毛線とマイカーという2大ライバルの板挟みにあっている。経営的には厳しいようであるが、いっそうの奮起を期待したい。


富山地方鉄道 本線  

クリックすると拡大します

←1995年8月26日 中加積−新宮川間にて

 


 富山市を中心に、100km近い路線網を広げる。

 車両は大手私鉄から譲渡されたものが主体で、京阪電鉄と西武鉄道のレッドアローがいる。自社発注の中型車も、譲渡車両に混じって活躍している。

 左の写真を撮った頃はここ北陸の地でもまだ暑く、田んぼを抜ける風が涼しく感じた。沿線の田んぼに広がる稲穂の緑は、目に痛いほど鮮やかであった。


小湊鉄道  

クリックすると拡大します

←2002年6月9日 五井にて

 


 温暖な房総半島を横断する非電化私鉄。
安房小湊へ向けて路線建設を計画していた創業当時の社名を、21世紀になった今でも律儀に守り通している。

 車両は、京成電鉄の電車に似た感じのディーゼルカーで、地方私鉄にしては珍しく自社発注車ばかりで固めている。車両面では、「鉄」的には面白みは少ないが、沿線各駅は雰囲気の良いところが多い。

 初夏の昼下がり、運用に就いていない車両は、ノンビリと昼寝をしていた。


上信電鉄  

クリックすると拡大します

←2004年5月15日 南蛇井にて

 


 群馬県西部を走る典型的なローカル私鉄だが、車両は自社発注のスマートなものが多いのが、ここの特徴だ。

 しかし、沿線の各駅は鄙びた雰囲気のところが多く、車両のスマートさとはちょっとアンバランスである。

 写真は、珍名駅
「南蛇井」にやってきた下仁田行き電車。日中の、それも末端区間とあってか、乗客はまばらであった。


銚子電気鉄道  

クリックすると拡大します

←2002年6月8日 西海鹿島にて

 


 関東の東端、銚子市内を行く全長10kmにも満たない小さな私鉄。車両はすべて各地の私鉄のお下がりで、バラエティ豊かである。

 「鉄」に対してなかなかフレンドリーな会社で、各種の硬券や鉄道グッズを売っているのはもとより、仲ノ町駅にある車庫では、同駅の入場券を買えば見学もできる。

 折しもこの日は初夏の好天に恵まれ、手前に咲く黄色い花の色が鮮やかであった。


弘南鉄道 大鰐線  

クリックすると拡大します

←1984年2月25日 弘南大鰐にて

 


  初めて訪れた青森県は至る所大雪だらけで、生まれも育ちも関東の拙者にとっては、驚きの連続であった。

 そんな青森県の西部を走る弘南鉄道の大鰐線は、同じ会社の弘南線よりもローカルムードが濃いように感じた。
 当時はベージュにブラウンのツートンカラーをまとった旧型車が、釣掛モーターの音も高らかに雪原を疾走していた。

 そんな愛すべき老兵も、今では東急や南海出身の後輩にその任を譲って引退した。


茨城交通  

クリックすると拡大します

←1986年5月4日 阿字ヶ浦にて

 


 湊線の名称を持つが、鉄道路線は今ではここ1本だけである。

 勝田から乗った国鉄風のディーゼルカーは北海道の炭坑鉄道から嫁入りした車両らしく、運転席の窓に旋回窓が残っている。車体の色は、常磐線の中距離電車のそれに似ている。

 終点の
阿字ヶ浦はノンビリした雰囲気のところで、なんとSL時代の給水塔が残っていた(写真の右側)。

 


伊豆箱根鉄道 駿豆線  

クリックすると拡大します

←1976年8月8日 伊豆長岡にて

 


 この写真は、拙者の記憶にある限りでは、初めて撮った鉄道写真である。

 ここは西武鉄道系の中小私鉄だが、終点の修善寺は有名な温泉地で、JRからは特急「踊り子」号の付属編成も乗り入れてくる。

 暑い夏の日、海水浴帰りの人々で賑わう駅にやってきたのは、懐かしの西武鉄道カラーに塗られた旧型電車であった。

 


高松琴平電気鉄道  

クリックすると拡大します

←1988年7月7日 高松築港付近にて

 


 四国の玄関口である高松の瓦町を中心に、3方向に路線を延ばす電鉄会社である。

 かつては日本各地からやってきた旧型車が集結し、さながら「旧型電車博物館」の趣があったが、最近では名古屋市営地下鉄・京王・京急から嫁入りした新型車両が幅をきかし、旧型軍団は勢力を弱めつつある。

 最近経営的に厳しいようであるが、高松っ子の足としていつまでも頑張って欲しい。


遠州鉄道  

クリックすると拡大します

←2001年1月18日 西鹿島にて

 


 中小私鉄というと、大手私鉄から譲渡された中古車両が大半、というイメージが強いが、ここ遠州鉄道の車両は自社発注車ばかりで占められている。

 東海地方有数の大都市である浜松を起点としているせいか、列車本数も利用客も多く、中小私鉄と呼ぶにはチト気が引けるくらいだ。

 写真の車両は、最近導入されたばかりの新型。大きくて明るい窓は、どこかヨーロッパ風である。


京福電鉄 福井支社  

クリックすると拡大します

←1993年3月10日 東古市にて

 


 福井駅を中心に、海側の三国港と山側の勝山に路線を展開している。最近は新造車を導入するなど、明るい話題もあった。
 しかし、2000年12月と2001年6月に正面衝突事故を起こし、現在運休中である。しかも会社側は鉄道事業の廃止を申請し、何やら暗雲が漂っている。
 写真に写っている251号車は、2000年12月の事故の元となる故障を起こした車両である。

 *2002年9月に、運行を引き継ぐ「え
   ちぜん鉄道」が設立されました。


豊橋鉄道  

クリックすると拡大します

←2001年1月18日 三河田原にて

 


 JR豊橋駅の脇にある小さな駅を出た2両編成の電車は、大勢の人を乗せて渥美半島を西へ向かう。

 駅毎に乗客は減り、終点の三河田原に着く頃には、車内はガラガラになってしまった。

 写真撮影当時は、東急からやってきたステンレス電車が走り始め、名鉄から払い下げを受けた電車が最後の活躍をしていた頃で、新旧交代劇の一部を見せてもらった。


三岐鉄道  

クリックすると拡大します

←2001年1月22日 西藤原にて

 


 三重県の北部を走る電化路線。最近の中小私鉄では珍しく、旅客よりも貨物輸送がメインの鉄道だ。電車は西武鉄道のお下がりだが、美しく化粧直しされている。

 近鉄冨田を出た電車はだんだんと山間に入り、座席をサラリと埋めていた乗客も徐々に少なくなり、終点の西藤原に着く頃には拙者1人となった。途中の線路を野生の猿の群れが横切っていたのにはチトびっくり!


関東鉄道 竜ヶ崎線  

クリックすると拡大します

←1981年8月26日 入地ー竜ヶ崎間

 


 全長わずかに4.5km。国鉄佐貫駅の片隅から発車したディーゼルカーは、8分ほどで終点の
竜ヶ崎に着く。

 沿線には住宅地と田畑が広がり、列車はその中をノンビリ往復している。実にのどかなローカル線だ。

 写真のディーゼルカーは、国鉄から譲り受けたキハ05系をワンマン化改造したもの。なんともレトロなスタイルが好ましい。


黒部峡谷鉄道

クリックすると拡大します

←1995年8月27日 笹平にて

 


 数少なくなった762mm軌間の軽便鉄道。最近はTVの旅番組に時々「トロッコ電車」の名前で登場し、「鉄」以外の人にも知名度が高いローカル私鉄であろう。
 険しい山岳地帯を縫って走る路線はスリル満点で、トンネルに入ると、空気がヒンヤリしていて実に気分が良かった。

 私が乗りに行った時、前の月にあった集中豪雨の影響で宇奈月−笹平間の折り返し運転となっていて、終点まで行けなかったのがチト残念であった。


福井鉄道

クリックすると拡大します

←1986年1月22日 武生新にて

 


 福井鉄道の武生新駅は、国鉄駅から
少し離れたところにある。

 下記の北陸鉄道同様、写真を撮った
日は大雪が降っていた。電車が運休す
るのではないかと不安になった。

 しかし東京人には大雪に見える積雪
もこの地方では当たり前の量らしく、電
車はモーター音を轟かせて冬の越前路
を軽快に走っていった。

 

北陸鉄道 浅野川線

クリックすると拡大します

←1986年1月23日 内灘にて

 


 冬の北陸はどこも雪に覆われている。
金沢駅から乗って来た小さな電車が着
いた終着駅でも、昼寝をしている電車は
雪帽子を被っていた。

  
『電車通り』のページの富山地方鉄道 の項でも書いたが、北陸の鉄道には雪 がよく似合う感じがする。

  この小路線にも最近近代化の波が
押し寄せ、この旧い小型電車も一部を
除いて京王井の頭線払い下げ車に置き
換えられた。

 

総武流山電鉄

クリックすると拡大します

←1980年6月14日 馬橋にて

 


 千葉県北部を走る全長5.7kmのミニ私
鉄である。

 付近は宅地化が進み、今では西武鉄
道からやってきた20m級の大型車が走
っているが、20年近く前にはこのような
旧型車が幅をきかせていた。

 この馬橋の次の幸谷駅は、当時は地
方私鉄らしいホーム1本だけの無人駅
だったが、今ではマンションの1階の一
部になっているとのこと。沿線風景がま
だまだ変わりそうな路線である。 


紀州鉄道

クリックすると拡大します

←1993年3月11日 市役所前にて

 


 全長わずかに2.7km。ちょっとした駅間距離なみのミニ私鉄である。しかも、途中で折り返す列車もわずかながらあるからちょっと驚きである。かつては日高川まで0.7kmの路線があったが、既に廃線になっていた。しかし、レールは残っていた。
 
この写真を撮った無人駅の脇には、我がホームページと同じ名前の『旅路』という旅館がある。この時は、前の晩にその旅館に泊まったが、こじんまりとしたいい旅館であった。
  
*写真のキハ604は引退しました。

 

岳南鉄道

クリックすると拡大します

←1985年12月1日 岳南江尾にて

 


 東海道本線吉原駅の隅っこから発着している静岡県の小私鉄。沿線にあるいろいろな工場の貨物輸送が主な仕事なので、旅客輸送はアルバイトのようである。

 路線は工場街の中を抜けていくので、まるで貨物列車に便乗したような気分を味わえる。

 この電車も
熊本電鉄同様に元東急5000系「青ガエル」君である。熊本電鉄ほどのピエロぶりではないが、明るいカラーに塗り替えられた2両編成が短い路線を行ったり来たりしていた。

 この日は寒いながら好天に恵まれ、富士山がくっきりと見えた。この岳南江尾駅は何とも殺風景なところで、駅前にはコレといって何も無かったと記憶している。

 この愛すべき「橙ガエル」君も、京王井の頭線から嫁入りした新型車にとって代わられた。

 

岩手開発鉄道

クリックすると拡大します

←1991年7月23日 岩手石橋にて

 


 利用客の少なさでは
南部縦貫鉄道と1・2位を争っていた路線。

  それを裏付けるかのように、この日のこの列車の乗客は、終点の盛までわずかに2人! 片道運賃120円(当時)というのは、地方私鉄とは思えないオッタマゲものの安さだ。

 残念ながら、この鉄道の旅客営業は1992年3月31日限りで廃止されたが、路線は貨物専業で健在である。

   

熊本電気鉄

クリックすると拡大します

←1990年9月5日 上熊本にて

 


 熊本市の郊外をコトコト走っている小私鉄。

 この電車は言わずと知れた元東急5000系「青ガエル」である。東京に居た頃は地味な東急グリーン一色だった青ガエル君も、肥後の国に引っ越してきたら派手な色に塗り替えられて、何やら「ピエロガエル」のようになった。

 それだけでなく連結面には運転台が取り付けられて単行運転も可能なように改造された。

 日本各地の地方私鉄の近代化に貢献した青ガエル君も製造後40年近くを経て老朽化が進み、鬼籍入りする仲間が続出している。

 最近ここには都営地下鉄三田線や南海電鉄の払い下げ車が次々とやってきており、熊本のピエロガエル君の活躍もそう長くはないようである。

 
*青ガエルは2016年2月14日に引退しました。 

 

一畑電気鉄道

クリックすると拡大します

←1993年3月12日 川跡にて

 


 大阪から夜行急行「だいせん」で松江まで行き、松江温泉から早朝の一畑電車に乗ってここまでやってきた。

 この写真を撮った時はちょうど朝のラッシュが始める直前で、薄く霧がかかって実にすがすがしい感じがしたものである。

 この旧型電車で出雲大社に行ってお参りしてきたが、日頃の行ないが悪いせいか、未だに御利益は無い(泣)。
 *2003年6月に、ようやく御利益
   がありました(^^;v

 

津軽鉄道

クリックすると拡大します

←1991年7月25日 津軽中里 にて

 


 津軽鉄道は、なかなか風流な路線だ。

 のどかな沿線風景もさることながら、ここまで乗ってきたディーゼルカーの車内には数多くの風鈴が下がり、ここ津軽中里駅の改札口の上には「ここにふるさとがある」と書かれた看板が掲げられていた。

 その津軽中里駅の側線に、国鉄キハ10系払い下げのディーゼルカーが佇んでいた。車体は色褪せて錆び付き、既に廃車になったようである。


   このホームページに掲載している写真・文章の無断転載・無断商業使用はお断りします。