故郷への入り口 ・・・・駅 を巡る旅
 

【2024年11月30日 更新】

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JR西日本 宇野線 宇野駅 

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←2024年4月14日

 

 
 瀬戸大橋開通以前は、本州と四国を結ぶ宇高連絡船の接続駅であり、ここと大阪・東京を結ぶ特急列車も発着していた。

 今では単なるローカル線の終着駅となり、特急列車は消えた。以前は広かったであろう構内も、電車が休む数本の側線があるだけとなった。

 駅から少し歩くと、瀬戸内海の離島へと向かう船の発着場がある。それらの島へ向かうらしい外国人観光客の姿がチラホラ見えた。


JR東日本 常磐線 三河島駅 

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←2022年5月3日

 

 
  かつて悲惨な列車事故があったところだ。その事故が起きてからちょうど60年目の日に訪れたが、年月が経っているせいか、それらしき痕跡は全く無かった。

 駅の周囲はごく普通の下町で、ゴールデンウィーク中のせいか、人の動きは少ない。ガード下を行き交う車も少なかった。

 京成電鉄の新三河島駅は、ここから歩いて8分ほどのところにある。


JR北海道 函館本線/室蘭本線 長万部駅 

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←2016年7月9日

 

 
  ホームで地元のゆるキャラ「まんべ君」が出迎えてくれたここは二大幹線が分岐する主要駅であるが、かつて広かったであろう構内に線路は少なく、跡取りがいなくなった旧家のような趣がある。
 
 駅前に出ても人や車が少なく、いつ来るかわからない客をプリウスのタクシーが待っていた。

 2030年度末開業予定の北海道新幹線が停まることになっているが、その建設に伴い、この駅舎は姿を消す予定だ。


JR東日本 鶴見線 国道駅 

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←2021年7月4日

 

 
  起点の鶴見から一つ目の高架駅。ホーム上屋を支えるアーチ状の支柱が独特だ。

 大きくカーブしたホームから下に降りると、なんとなく臭い。改札を出ると、高架下に続く薄暗い空間が続く。これといった改修もされず、まるで昭和の開業時から時が止まっているかのようだ。

 駅のすぐ脇には大通りがあり、絶えず車の走る音がするから秘境駅感は無いが、まるで異次元空間に迷い込んだかのような、不思議な感じがする駅だ。


京成電鉄 東成田駅

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←2020年11月14日

 

 
  京成成田から芝山鉄道方面に向かって一つ目の駅は、かつての成田空港駅だった。今は使われていないもう一方のホームには「成田空港」の駅名標が残っていた。

 電車は毎時1〜2本のせいか、ホームには誰もいない。まるで、悪の秘密結社のアジトに迷い込んだような不気味な感じがする。

 ひとつ上の改札口に出ると、意外にも駅員がいた。地下通路を通っていくと、コロナ禍でガランとした成田空港第2ターミナルに出た。


ひたちなか海浜鉄道 磯崎駅 

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←2013年2月17日

 

 
  終点のひとつ前の小さな駅。

 約30年ぶりに訪れたが、かつては貨物側線や行き違い線の跡が残っていて、駅舎も木造の古びたものだったのに、構内はすっかり整備されて昔日の面影は全く残っていなかった。

 近くには住宅がそこそこあるものの人の姿はなく、ひっそりとしていた。

 冬の晴れた日、駅のホームで列車を舞っていると、三木鉄道から来た車両がやってきた。


秩父鉄道 武州日野駅 

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←2010年6月13日

 

 
  秩父の山間にある小さな駅。

 2本の線路に挟まれた島式ホームと、構内踏切でつながった小さな駅舎は、まるで鉄道模型のレイアウトのようだ。

 有名観光地の長瀞から離れたところにあるせいか、人の動きはあまりない。人家もあまりないが、それでも駅の近くには飲食店があった。

 駅の近くを歩いていたら、西武鉄道から乗り入れた電車が、山間の静けさを破るかのように轟音をたてながら走り去っていった。


JR東日本  常磐線  佐貫駅 

 

←2019年4月27日

 

 
  国鉄時代、古びた木造駅舎を
関東鉄道竜ヶ崎線と共用していたが、付近が住宅化されて利用客が増えたためか、商店も同居した立派なものに建て替えられていた。

 かつての駅前は商店が数軒しか無くて閑散としたイメージだったが、立派な駅前広場ができていた。

 以前は機回し線などが残っていた関鉄の駅は一本突っ込み式のホームに改装され、こちらもかつての面影は無くなった。


関東鉄道常総線 大田郷駅 

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←2019年4月28日

 

 
  ゴールデンウィーク序盤の晴れた日に訪れた駅には、コンクリート製らしいガッチリとした感じの駅舎があった。駅員の姿は見えないが出札口は閉鎖されておらず、特定の時間帯だけいるようだ。

 駅前に出ても、これといったものは何も無い。人家と何かの会社の建物がいくつかあるだけで、ヒッソリとしている。

 下館方面のホームのすぐ脇には、広い空き地がある。かつてここから分岐していた鬼怒川線の側線跡かもしれない。


富士急行 寿駅 

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←2014年1月25日

 

 
  なんともおめでたい名前の駅だが、降りたってみれば何てことはない普通の棒線駅だ。
 駅舎はなく、ブロック積みの待合室と簡素なラッチと、その上を覆う小さな屋根があるだった。

 駅前に出ても、車の往来が激しい幹線道路とコンビニの跡があるだけで、これといった「寿」らしさはなかった。

 駅を出て右の方には、雄大な富士山がその姿を見せてくれた。


JR西日本 芸備線/福塩線 塩町駅 

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←2017年7月12日

 

 
 2つのローカル線が接続する駅だが、島式ホームが1本あるだけの小さな駅だ。

 ずいぶん前に無人化されたようで、駅窓口に人の気配はない。駅前に出てみても、小さな商店が1軒あるだけで、実に静かなところだ。狭い待合室では、学校帰りらしい高校生が列車の到着を待っていた。

 ここを訪れた時は、ちょうど雨が上がったばかりだった。非常に蒸し暑く、何度も汗をぬぐった。


JR北海道 根室本線/石勝線 新得駅 

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←2016年7月12日

 

 
 2つの幹線が交わるジャンクションの駅だが、規模は意外と小さい。それでも、時折やってくるディーゼル列車が着くと、構内はエンジン音で活気づく。

 拙者が訪れたのは平日の朝。東京なら通勤通学ラッシュで駅が混雑している時間帯だが、ここでは人影が全く無い。駅前に並ぶ商店は実に少なく、駅前通はヒッソリとしている。
 集団登校している小学生が踏切を渡っているのを見かけた程度であった。


島原鉄道 島原外港駅 

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←2011年1月18日

 

 
 
島原半島の東側をグルリと回るように走るローカル私鉄の終着駅。

 この先の区間は、
2008年4月1日に廃止された。駅の西側には、線路がそのまま残っている。かつては列車交換駅で対向ホームも残っているが、行き違い線はポイントの部分が撤去されていた。

 拙者が訪れる少し前に駅の待合室は火災に遭ったようで、仮の建物があった。


近江鉄道 鳥居本駅 

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←2017年7月15日

 

 
 その駅は、車の往来が激しい道路に面していた。駅舎は、ローカル私鉄には珍しいシャレた洋風建築のものだが、無人化されて久しいようだ。

 割と近年まで貨物扱いをしていたようで貨物側線は残っているものの、レールは赤錆びて夏草に埋もれている。もうここに貨車が入ることはないであろう。

 駅前の道路を車がビュンビュン走り抜けていくが、この駅だけは時が止まったかのようにヒッソリとしていた。


岳南電車 比奈駅 

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←2015年1月18日

 

 
 路線のほぼ中間あたりにある駅。広い構内には側線が何本かあり、かつては貨車が並んでいたのであろう。しかし、貨物営業が廃止された今ではガランとしている。

 駅前にはマンションのような大きな建物があるが、人気は感じられない。1階にはタクシーの営業所があるが、車は1台も無い。

 駅のすぐ前には、なんと小さな鉄道模型店があった。寄ったのは言うまでも無い。


阪堺電気軌道 高須神社駅 

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←2010年2月20日

 

 
 大阪の住宅池の片隅にひっそりと佇む駅・・・・と言うよりは電停と言った方が正しいだろうか。複線の脇に幅の狭いホームが貼り付く。電停名の「神社」は「じんじゃ」ではなく、なぜか「じんしゃ」と読む。

 電停の近くを歩いてみたが、周囲はごく普通の住宅街である。廃業したらしい商店も何軒か見かけた。

 寒い風が吹くこの電停から再び電車に乗った。他に訪れる人は無かった。


JR東日本 仙石線・石巻線 石巻駅 

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←2016年7月16日

 

 
 有名漫画家のひとりである故・石ノ森章太郎の故郷の駅であるためか、駅やその周辺には彼が生んだ数多くのキャラクターの絵や等身大フィギュアが至るところにあった。

 駅前には市役所の大きなビルがあり、人の往来も多く、それなりに活気を感じられる街だ。観光客の姿もチラホラ見かける。

 駅舎の外壁には、東日本大震災の時に襲来した津波の浸水位置を示す看板があり、海沿いの街であることを感じさせられた。


京福電鉄 北野線 鳴滝駅 

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←2010年2月19日

 

 
 何気なく下車してみたその駅は、住宅街の片隅に、隠れるようにヒッソリと佇んでいた。

 常盤駅側は複線で、その反対側は単線になる。構内のはずれには、路面電車には珍しいスプリングポイントがある。

 駅の近くをブラブラ歩いてみたが、これといった名所旧跡は無いようだ。京都らしく街並みは落ち着いた感じで、道行く人も少なく、冬の古都の住宅地には静かな時が流れていた。


JR四国 予讃線 下灘駅 

 

←2006年1月18日

 

 
 今ではすっかり「夕日がきれいに見える駅」として非鉄の人にも有名になった小駅だが、拙者が訪れた頃はまだそれほど有名ではなく、他に人はいなかった。

 単行のディーゼルカーから降りてみると、目前に大海原が広がる。線路やホームの配置から、かつては列車交換ができたようだ。駅前に商店はあったが、既に廃業したらしい雰囲気だった。

 訪れた日はあいにくの曇り空で、残念ながら夕日を見ることはできなかったのがチト残念だった。


富士急行 月江寺駅 

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←2014年1月25日

 

 
  細い道の奥まったところに、その駅はあった。ホーム1本だけの棒線駅で、駅舎は階段を登ったところにある。出札窓口はあるもののカーテンがひかれ、駅員の姿は見えなかった。

 駅前には小さいながらも商店街があり、近くの道路は車がひっきりなしに通る。近くには、今では地方でもあまり見かけなくなった火の見やぐらがあった。

 ホームの南端からは、雄大な富士山が間近に見えた。


JR北海道 留萌本線 北一已駅 

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←2016年7月12日

 

 
  その駅は、田んぼの中にポツンと佇んでいた。付近に人家は少なく、辺りを歩く人の姿も無い。

 かつては有人駅だったらしく、ちょっとカビ臭い待合室に入ると、かつての出札口跡は板で塞がれ、駅舎の外壁も板で補強されていた。駅ノートを見ると、時々訪問者がやって来るようだ。

 ホームに出ると、見渡す限りの田んぼが広がる。訪れた日は夏の好天だったが暑さはさほど感じず、爽やかな風が小さな無人駅を吹き抜けていった。


水島臨海鉄道 三菱自工前駅 

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←2014年2月23日

 

 
  瀬戸内海沿いの工業地帯のド真ん中にある小駅。近辺には工場しかなく、人家や商店は全く見かけない。駅自体は、幅の狭いホーム1本と小さな屋根をかけた待合所があるだけの、実にそっけないものである。
 近辺の工場への通勤客しか利用しそうにない駅だから、朝夕はそこそこの列車本数はあるものの、日中ここへやってくる列車は極めて少ない。
 訪れた当日は日曜日とあってか、人影はない。鶴見線沿いと同じような、異空間を感じられるところだ。


JR北海道 函館本線 函館駅 

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←2016年3月26日

 

 
  25年ぶりに訪れた函館駅は、ホームの配置こそ以前とさほど変わりないが、駅舎はすっかり変わっていた。

 おりしも当日は北海道新幹線の開業日。それを祝う地元の人や旅行者で駅は大賑わい。観光PR隊やゆるキャラやご当地ヒーローがこぞって繰り出し、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

 午後からは上空でブルーインパルスの祝賀飛行が行われ、駅前の賑わいに華を添えていた。


JR四国 高徳線 板野駅 

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←2006年1月15日

 

 
  高徳線の途中駅で、徳島方面から来た列車の一部が折り返す。ホームは3番線まであるので、この線の駅としては大きい方だろう。

 駅前は典型的な田舎町で、意外にも小さな旅館があった。訪れたのは昼前だが、それなりに人の動きがある。

 かつて国鉄時代には、ここから鍛冶屋原線というローカル線が分岐していた。だが、30年以上も前に廃止になったためか、それらしい痕跡は無かった。


JR西日本 北陸新幹線/城端線 新高岡駅 

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←2015年3月14日

 

 
  北陸新幹線開業と共に誕生した新駅で、城端線と接続する。

 訪れたのは北陸新幹線の開業日で、わが町にできた新幹線の駅を一目見ようとやって来た地元の人々で大賑わい。切符売り場には長蛇の列ができていて、駅から少し離れた広場では、富山中のゆるキャラが集まってイベントが催されていた。

 駅の周囲にはこれといったものは無く、これから発展していくのであろう。


秩父鉄道 白久駅 

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←2010年6月13日

 

 
  その駅は、山間のわずかな平野にヒッソリとあった。

 ゆるくカーブした一本のホームと小さな駅舎があるだけで、格別なものは何も無い。ただ、三峰口寄りには見晴らしがいい大カーブがあり、列車の編成写真を撮るにはなかなか良さげのロケーションだ。

 駅の出札口近くには入山申請書のようなものが置いてあり、登山客が利用することがうかがえる。


北陸鉄道石川線 小柳駅 

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←2015年3月15日

 

 
  北陸新幹線開業に湧く金沢の南にある駅は、田んぼの中にポツンと佇んでいた。

 周囲に人家は少なく、短いホームと小さな待合室が遠くからでもはっきり見える。駅の造りはかなり簡素で、待合室には小さなベンチと自由に使えるらしいビニール傘が数本あるだけだった。

 早春の明るい陽射しがある中、ゆるやかなカーブの向こうからやってきた2両編成の電車に乗って、この小駅をあとにした。


JR西日本 福塩線/井原鉄道 神辺駅 

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←2014年2月23日

 

 
 
清音同様に井原鉄道の接続駅であるが、ここもターミナル駅の雰囲気はなく、いたってのどかだ。

 駅舎自体は立派な橋上式だが、昼間は駅員無配置らしく、窓口に駅員の姿は見えなかった。駅前にも人の動きは見られない。駅構内は割と広く、もう使われていないらしい側線が赤錆びて残っていた。

 かつて井笠鉄道が接続していたはずだが、それらしい痕跡は見あたらなかった。


ひたちなか海浜鉄道 日工前駅 

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←2013年2月17日

 

 
  起点の勝田からわずか一駅。かつては、駅名にある
日立工機従業員の専用駅で、かつて列車は朝夕のみの停車だったが、今では一般の駅になって全列車が停まる。

 あたりは住宅地で、駅脇の道路の交通量は多い。だが、この日は日曜日だったせいか、この小さな無人駅を訪れる人は拙者以外いなかった。市街地の中にある、エアポケットのような静かで不思議な空間だ。


岳南電車 岳南富士岡駅 

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←2015年1月18日

 

 
  岳南電車の車庫がある主要駅のひとつ。駅舎の側面には、何やらカラフルが模様が描かれていた。駅員はおらず、終日無人駅のようだ。

 構内の側線には、貨物営業廃止の影響で失業したらしい電気機関車が留置されていて、冬の日を浴びて静かに眠っていた。

 この日は幸い好天に恵まれ、ホームからは雪を被った富士山がクッキリと見えた。


名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線 金城ふ頭駅 

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←2014年12月7日

 

 
  その路線は、海に近い終着駅で高架線がプッツリと切れていた。その名の通り近くには貨物船が停泊するような港があるが、人家やマンションらしいものは見えず、いささか殺風景なところだ。

 駅から徒歩数分のところにはリニア・鉄道館があり、その一角だけが賑わっている。

 駅のすぐそばの広場には3匹の野良猫がいて、冬の陽射しを浴びてノンビリと温まっていた。


JR東日本 東北本線 利府駅 

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←2010年7月11日

 

 
  岩切を発車した2両編成の電車は、予想に反して超満員だった。その大半は若い女性で、車内はかなり賑やかだった。皆終点の利府まで乗っていった。駅の近くにコンサート会場でもあるのだろうか。

 駅前には居酒屋や大きなマンションがあり、東京近郊の私鉄駅のようであった。おそらくは仙台への通勤通学圏の街として発展してきたのであろう。

 ガラガラになった折り返し電車で引き返した。


JR九州 香椎線 宇美駅 

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←2011年1月21日

 

 
  キハ47系の2両編成に揺られて着いた駅には、近くにある宇美八幡宮を模したかのような駅舎が建っていた。

 かつて客車列車が走っていた頃の名残なのか、駅構内には機回し線のような側線があった。

 寂れた街を想像していたが、駅前にはタクシーがいて人家や商店もそれなりにあり、寂れた感じはしなかった。

 折り返し列車に乗り込む人は少なく、福岡の田舎町にはのどかな時間が流れていた。


JR西日本 伯備線 清音駅 

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←2014年2月23日

 

 
  名前の美しさに惹かれて降りた駅。駅名の綺麗さでは、氷見線の雨晴と並ぶだろう。

 起点の倉敷からわずか一駅で、第3セクターの井原鉄道が接続するが、ターミナル駅の雰囲気は全く無い。人の動きはほとんどなく、駅前の道を時折車が通過する位で、いたって静かな田舎町の雰囲気である。

 好天のこの日、日なたにいるとポカポカと暖かく、都会の喧噪をしばし忘れさせてくれた。


富士急行 十日市場駅 

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←2014年1月26日

 

 
  その駅は、山すそにある棒線駅だった。もとより無人駅で、ところどころに残雪があった。

 小さな駅舎を出るとすぐに短い下り坂がある。周囲に人家は多いので秘境駅っぽい雰囲気は無いが、日曜日の朝とあってか人影は無い。

 駅のすぐ脇には鉄橋があり、自然を感じられる駅としては富士急沿線ではおそらく一番であろう。

 かつての富士急カラーに塗られた元京王5000系でこの駅をあとにした。


JR北海道 江差線 吉堀駅 

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←2013年9月13日

 

 
  何となく気まぐれで降りた駅には、車掌車を改造した小さな駅舎があった。かつては列車交換ができたようで、細く長い島式ホームがかつての栄華を物語っているようである。

 駅前に出てみたが、人の気配がしない。駅のすぐ近くに商店らしい建物はあるが、シャッターを閉ざしている。駅前から延びる道を歩いてみても、酪農を営んでいるらしい家が遠くに見えるだけで、とにかく閑散としたところだ。
 良く言えば、実に北海道らしい雰囲気の駅である。


JR東日本 奥羽本線 八郎潟駅 

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←2013年9月14日

 

 
  特急が停まり、ここを起終点とする鈍行電車もある駅だが、駅前はいたって静かだ。駅前通りには小さな旅館があるが、商店は少ない。
 
 幹線の駅だけあってホームも線路もかなり立派だが、土曜の午後という時間帯のせいか、駅を訪れる人はまばらだ。

 ここからはかつて秋田中央交通が出ていたはずだが、廃線から40年以上を経たせいか、それらしい痕跡は無かった。


JR九州 鹿児島本線/長崎本線 鳥栖駅 

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←2011年1月16日

 

 
  九州の2大幹線が乗り入れるターミナル駅だが、駅舎は巨大な駅ビルではなく、昔ながらの古風なスタイルのものだ。

 駅前に出てもデパートなどは見あたらず、ターミナル駅らしい混雑もなくて、客待ちのタクシーも長い列を作っていた。

 ここを訪れたのは、冬の短い陽が暮れかけた夕方で、街中が赤く染まりかけていた。


上信電鉄 下仁田駅 

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←2004年5月15日

 

 
  山間にひっそりと佇む終着駅には、開業以来のものらしい木造駅舎があった。

 かつて貨物輸送で栄えた雰囲気がある構内は広く、留置線には何本かの電車が身体を休めている。もう使われなくなったのか、全身錆だらけの貨車も何両かいた。

 駅前には雑貨屋と運送会社と数軒の人家があるだけで、いたって静かだ。

 後ろ髪を引かれる思いで、折り返しの電車に乗って高崎へ戻った。


ひたちなか海浜鉄道 殿山駅 

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←2013年2月16日

 

 
  その駅は、道路を下った低いところにあった。

 こぢんまりとした駅舎は、開業当初からのものであろうか。一応、駅事務室のようなものはあったが、誰もいないようであった。

 駅前をちょっと歩いてみたが、人家はそこそこあるものの全く人に出会わず、付近には商店らしきものもない。

 折しも寒風が吹きすさぶ中、次の列車が来るのが待ち遠しかった。


静岡鉄道 春日町駅 

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←2009年7月18日

 

 
  久しぶりに
静鉄に乗ったので、ついでに気まぐれで降りてみた駅。狭い島式ホームの片方に、小さな駅舎が半ば強引に建てられている。

 住宅街を縫うようにして走る静鉄の駅だけあって周囲に人家が多く、鄙びた感じは全くしない。近くにはショッピングセンターや交通量が多い幹線道路があって、どことなく落ち着かない。

 駅の近くをちょっと歩いてみたが、住宅ばかりが並んでいて、まるで自宅の近所にいるかのようだった。

 頻発している電車で新静岡に戻った。


JR九州 鹿児島本線 二日市駅 

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←2011年1月19日

 

 
  何気なくフラリと立ち寄った駅は、近くにある太宰府天満宮を模した駅舎があった。

 特急も停まる駅だが、駅前には大きな店はなく、首都圏の大手私鉄によくある郊外駅といった感じであった。
 太宰府天満宮へ行く人は西鉄を利用するのか観光客らしい姿は無く、利用客は地元住民らしき人ばかりだった。

 立ち寄ったのは夕方で、冬の風が冷たかった。


JR東日本 奥羽本線 大釈迦駅 

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←2011年3月5日

 

 
  気まぐれで降りた駅であるが、仰々しい名前に反して、駅前や駅の周囲にはこれといったものが何もない。駅名の由来はわからないが、かつて大きなお釈迦様の像があるお寺でもあったのだろうか。

 慣れない雪道をちょっと歩いてみたが、多少の人家があるくらいで、すぐに広い通りに出た。

 ここも
津軽新城と同様に、かなり寒い。早々に駅に戻って、列車が来るのを待った。


南海電鉄 本線 諏訪ノ森駅 

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←2010年2月20日

 

 
  同じ路線の
蛸地蔵駅同様に瀟洒な駅舎を持つ小さな駅だ。入口の上にある小窓には、小さいながらもキレイで立派なステンドグラスがあり、実用本位な駅舎との違いを見せつけている。

 頻繁に電車が行き交う線路の周りは、
蛸地蔵駅同様に下町っぽい雰囲気がある街並みだ。

 この付近は地平を走っているが、いずれこの区間が高架化されるとしたら、この駅舎はどうなるのであろうか。ぜひ移築して保存して欲しいものである。


JR東日本 弥彦線 弥彦駅 

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←2009年7月13日

 

 
 数名の客を乗せた2両編成の電車は、曇天の小駅に到着した。

 話に聞いていた通り駅舎はかなり立派で、荘厳な感じさえする。線路もホームも1本のみで、かつては機回し線用地だったらしいところには雑草が茂っていた。

 駅前には大きなホテルがあるが、「売物件」の看板が掲げられていて、ずいぶん前に廃業したようだ。

 駅前を行き交う人影も車もまばらで、どこか寒々しいところであった。 


京福電鉄 嵐山本線 車折神社駅 

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←2010年2月19日

 

 
 停留所といった感じの小駅は、住宅地の中にあった。

 駅名の通り、真ん前には神社がある。その神社に敬意を表しているのか、駅上屋の柱や柵は、鳥居を思わせる朱色に塗られている。

 平日の昼間とあってか、神社にお参りに来る人の姿は見られない。ベビーカーを押した主婦やお年寄りが駅前を行き交うだけの、京都らしい静かな時間が流れていた。


大井川鐵道 青部駅 

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←2009年7月17日

 

 
 何気なく下車した小駅は、そぼ降る雨に濡れていた。

 かつては貨物ホームだったらしい土盛りが残り、木造の古びた駅舎が建っていた。駅舎の軒下には「駅長」と書かれた青い板が下がっていて、ここがかつて有人駅だったことを静かに物語っている。

 駅にやってくる人も、駅前の道路を歩く人もなく、山間の集落には静かな時が流れていた。

 雨が小止みになってきたころ、煙を吐いたSL列車が静寂を破るように通過していった。


JR東日本 奥羽本線 津軽新城駅 

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←2011年3月5日

 

 
 久しぶりに訪れた青森は、雪の中であった。気まぐれで降りた駅であるが、タクシーが1台客待ちしているだけで、乗客らしい人の姿は見えなかった。

 駅員は配置されているようで、ホームの除雪は行き届いていた。青函トンネルを通る特急用らしい車両が側線にいたが、いつの間にかいなくなった。

 雪晴れの日ではあったものの、外は途轍もなく寒い。電車が来るのが待ち遠しかった。


熊本電鉄 北熊本駅 

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←2011年1月16日

 

 
 その駅を訪れたのは、寒い冬の日の朝だった。ジャンクションとなっている駅には古風な車庫が併設されていて、至る所に残雪があった。
 日曜日の朝のせいか、電車に乗っている人も駅を利用する人も少なく、気温の低さとも相まって非常に寒々しかった。駅近くで行きたくなるようなところもなく、寒風が吹き込む待合室で時間を潰した。
 上熊本までの支線を走る青ガエルは今も健在で、いつの間にかここに残るだけとなった。かなりのご高齢のようだが、末永く活躍して欲しいものである。
 
*青ガエルは2016年2月14日に引退しました。


JR東日本 大糸線 白馬大池駅 

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←2009年7月14日

 

 
 これといった目的もなく、気まぐれで降りてみた駅。ホームが一本だけの棒線駅だ。

 2両編成のE127系電車が行ってしまうと、辺りに人の姿が見えなくなる。駅前の道路を、時折クルマが走り抜けていく。

 駅近くに見どころはないようなので、次の電車が来るまで駅舎の周りをブラブラしてみる。駅員は無配置だが、スキーシーズンには人々で賑わうのか、静かな街には似合わない大きな駅舎が建っていた。

 空気のおいしさを感じさせてくれる駅である。


西日本鉄道 甘木線 甘木駅 

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←2011年1月16日

 

 
 その駅は、Nゲージのレイアウトのようだった。単線の線路が2つに分かれ、狭くて短いホームと小さな駅舎が全てで、実にこぢんまりとしている。

 2両編成の電車から降りた乗客はまばらで、すぐにどこかへ散っていった。駅前の狭い駐車スペースでは、黒塗りのタクシーが客待ちしていた。

 ひととおり駅を眺めてから甘木鉄道の甘木駅へ歩き出したら、空から白いものが降ってきた。
 「今夜も寒くなりそうだな・・・・」と思いながら、この小さな駅を後にした。


JR九州 唐津線 西唐津駅 

 

←2011年1月19日

 

 
 唐津線の終点は側線が何本もあって、意外と構内が広い駅であった。唐津線のディーゼルカーの他に、「福岡空港」の行き先を掲げた地下鉄直通の近代的な電車も乗り入れてくる。

 駅前に出ても、交通量が多い道路があるだけで、これといったものは何もない。旅客列車の発着ホームは駅舎に面した1本だけで、電車やディーゼルカーがたびたび発着する。

 折しもこの日はあいにくの曇り空で実に寒く、列車が入線するのが待ち遠しかった。


JR東日本 仙山線 北仙台駅 

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←2010年7月11日

 

 
 洋風の瀟洒なたたずまいが好ましい駅舎である。

 40年ほど前の写真を見ると、周囲には何もなくて田舎の駅そのものであった。しかしその後に仙台市街が広がって市営地下鉄も乗り入れてきて都市化が進んだせいか、駅の背後に大きなマンションが建った。

 まだまだ発展しそうな北仙台駅周辺ではあるが、きれいなスタイルの駅舎はいつまでも残って欲しいものである。


水間鉄道 石才駅 

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←2010年2月20日

 

 
 短いローカル私鉄の途中にある小駅。

 ホームは1本だけで、駅員はいない棒線の無人駅である。あたりは住宅地と田畑が混在していて、都市郊外といった感じのところだ。駅舎のすぐ前は幹線道路で、クルマがひっきりなしに通っている。かつては出札窓口があったらしいところは板で塞がれ、駐輪スペースになっている。

 このままここからまた電車に乗るのも面白くないので、ここから20分ほど歩いて、JR阪和線の
和泉橋本駅を目指した。


秩父鉄道 上長瀞駅 

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←2010年6月12日

 

 
  秩父盆地に佇む小駅。隣の長瀞駅は大勢の観光客で賑わっているのに対し、こちらは人影もまばらでノンビリした雰囲気がある。

 駅舎は開業以来のものらしい堂々としたもので、左側に見える臨時用らしい大きな改札口が、観光地の駅であることを物語っている。

 駅前をちょっと歩いてみたが、何軒かの飲食店と商店があるだけだ。観光地の駅前にしてはちょっと淋しい。

 やはり今の時代はここまでクルマで来る人が多いのか、人よりもクルマの往来の方が多かった。


JR東日本 山田線 茂市駅 

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←2010年7月10日

 

 
 その駅は、静かな山間に佇んでいた。岩泉線とのジャンクションであるが、同線の列車が無い時間帯だったせいか、乗客らしい人影は無かった。

 駅の待合室には、岩泉線のものらしいタブレットや素人カメラマンによる美しい沿線写真が多数飾られている。

 駅前では、地元の老人会らしき人達が雑草の草取りをしている以外、人の姿は無く閑散としていた。

 時間が経つのを忘れるような、ノンビリとした駅である。 


JR西日本 阪和線 和泉橋本駅 

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←2010年2月20日

 

 
 国鉄時代からそのままらしいこぢんまりした駅舎と対向式ホームを持つ小駅。阪和線の前身が私鉄だったせいか、駅舎も私鉄風である。

 辺りは最近できたばかりのような真新しい住宅が多い。10年位前までは田んぼや畑ばかりだったのだろうが、徐々に和歌山や大阪への通勤圏になってきたのかもしれない。

 よく晴れた冬の日、駅を利用する人はまばらで静かな時間が流れていたが、時々通過する快速電車や特急「はるか」がそれを打ち破っていった。


JR東海 飯田線 小和田駅 

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←2009年7月15日

 

 
 もはや説明の必要は無いほど有名になった、横綱級の秘境駅である。

 とある夏の暑い日、2両編成の電車から降り立ったのは拙者一人。もとより乗ってくる人はいない。
 意外だったのは、いつの間にか山側の行き違い線が撤去されて棒線駅になっていたこと。しかし、味のある木造駅舎は健在だった。ところどころが真新しい木材で補修されていたので、この駅舎は当分安泰だろう。

 わずか30分ほどの滞在だったのが心残りだが、冷房のきいた電車でこの駅を後にした。


南海電鉄 本線 蛸地蔵駅 

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←2010年2月20日

 

 
 名前のユニークさに惹かれて降りてみた駅。

 駅の周囲にはコレといったものが無く、ごくごく普通の下町っぽい雰囲気がある住宅街だった。

 海側にはご覧のようなレトロモダンと言えるような瀟洒な駅舎があり、なかなか優美な感じがする。山側の駅舎は小さいものの、古きよき時代の雰囲気を醸し出している。

 線路の高架化工事に熱心な南海であるが、この付近は今も地平を走っている。いずれこの区間が高架化されるとしたら、この駅舎はどうなるのであろうか。


大井川鐵道 神尾駅 

 

←2009年7月17日

 

 
 山すそと川の間の狭い土地に無理矢理造ったような小駅。当然ホームの幅も狭く、1mくらいしかない。

 起点の金谷に近い位置にあるが、辺りには人家も商店も見えず、ちょっとした秘境駅か山奥の信号所のような雰囲気がする。

 この駅を訪れた時は折しも大雨で、駅の付近を歩くのを早々に切り上げて、右側に見える小さな待合い小屋に避難していた。電車が来るまでの数十分がずいぶん長く感じたものである。


JR東日本 越後線 小島谷駅 

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←2009年7月13日

 

 
 対向列車待ちで長く停まった時にちょっと降りてみた駅。

 かつては貨物側線があったようだが、今では線路保守車両用の留置線か何かに転用されているようだ。

 駅前には小さな集落があり、電車から降りた数人の乗客は早々にどこかへ散っていき、駅には拙者一人だけが残った。

 本格的な夏が始まろうとしていたこの頃、反対側のホームにはきれいなアジサイが咲き乱れていた。


JR西日本 北陸本線 有間川駅 

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←2009年7月14日

 

 
 何気なく降りてみた幹線の無人駅。北陸本線の複線電化の時に建てられたらしい駅舎は、昔ながらの好ましいたたずまいである。無人化されたのは最近かと思いきや、あとで調べてみたら1970年とけっこう昔だった。JRの幹線の駅では珍しく、構内踏切がある。

 駅前に出ると、目の前に海が広がっているのが見える。集落や幹線道路へは、駅前の坂道を下っていくようだ。

 ここに滞在していた約40分間、駅を訪れる人はなく、静かな時間が流れていった。


わたらせ渓谷鐵道 花輪駅 

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←2004年5月14日

 

 
 写真だけ見ると、どこそかの郷土資料館か老舗の蕎麦屋みたいだが、これが花輪駅の駅舎である。脇には小規模ながら日本庭園が設けられ、なかなか風流である。

 かつては列車交換ができた駅のようで、線路の配置やホームの形にその名残が見られた。

 平日の昼間とあってか、列車を待つ人は数人だけで、実にのどかだ。

 外国人観光客はまず乗らない線だろうけど、一度は降りてみて欲しい純日本風の駅だ。


阿佐海岸鉄道 宍喰駅 

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←2006年1月16日

 

 
 拙者ともうひとりを乗せた単行ディーゼルカーは、高架線上にある駅に着いた。ここで降りたのは拙者ひとりだけで、乗る人はいない。歴史が浅い高架駅だけあって、ローカル線の駅にはちょっと不釣り合いなエレベーターがあった。

 駅前に出てみても、人影は実に少ない。駅のすぐそばにある小学校からは児童の歓声が聞こえるが、街自体はヒッソリとしている。

 次の列車が来るまでの間に近所を散歩してみたが、孫らしい子供を連れた老人に出会っただけで、ほとんど人に出会わなかった。都会の喧噪や雑踏とは無縁の、のどかな田舎町である。


JR東日本 久留里線 小櫃駅 

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←2002年6月10日

 

 
 初夏のある日に訪れた小駅。のどかな田園地帯の真っ直中にある無人駅で、あたりに人影は無い。

 駅舎は最近建て替えられたばかりのようで、こぢんまりとしたシックな色合いのものだ。

 かつては列車交換ができた駅のようで、行き違い線らしい線路の撤去跡があった。

 次の列車が来るまで駅の近くを歩いてみたが、人はおろか猫の子一匹いない。せわしい都会の喧噪を忘れさせてくれる駅である。


のと鉄道 七尾線 笠師保駅 

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←2004年9月27日

 

 
 
能登線乗り歩きの帰りに寄ってみた駅。

 単行のディーゼルカーが行ってしまうと、駅舎の反対側にある道路を走るクルマの音以外は何も聞こえない静かなところだ。

 駅前に出ても、タバコの看板を掲げていながらシャッターを閉めている店以外には、店らしい店はない。バスターミナルもタクシー乗り場もなく、歩いている人も見かけず、街全体が眠っているかのようだ。

 利用客の心づくしなのか、駅のホームには赤と黄色とピンクの3つの花が咲いていた。


JR四国 予讃線 北伊予駅 

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←2006年1月18日

 

 
 県都松山にほど近い小駅。市街地にありながら意外にも無人駅で、架線下を走る単行ディーゼルカーが行ってしまうと、人の動きがピタッとなくなる。

 次の列車が来るまで駅の近くを歩いてみたが、住宅がたくさんあり、クルマの往来が激しい通りがあったり、ちょっと大きめなスーパーマーケットがあったりと、市街地らしい雰囲気がある。

 寒いので早々に駅に戻ったが、駅を利用する人はほとんどいなかった。駅前に立つ木が南国らしい。


上信電鉄 南蛇井駅 

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←2004年5月15日

 

 
 終点の
下仁田にほど近い駅で、珍名駅としても有名だ。列車交換が可能で、かつては貨物側線もあったようである。こぢんまりとした駅舎があり、窓口は閉鎖されていないので有人駅のようではあるが、時間によって駅員が派遣されるのか、出札口に人影は見られなかった。

 駅前に出てみても、人っ子一人いない。駅前広場は実に狭く、大型バスが乗り入れることはできないようである。

 駅に戻って駅名標をつくづく眺めると、実に面白い駅名であることを感じさせられる。


国鉄 東北本線 野辺地駅 

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←1984年2月24日

 

 
 夜行急行「八甲田」を降りて、初めて訪れた青森県の駅は、大雪に埋もれていた。
 構内を除雪車が走り回り、線路以外の場所には雪がうずたかく積もり、冬の雪国の厳しさがヒシヒシと感じられた。

 
南部縦貫鉄道に乗ろうと、乗車券を求めに駅の出札口に行ったら「今日は雪のため運休です」と言われてガッカリしたことを覚えている。

 駅正面に掲げられている駅名表記が「のへじ」とひらがな表記なのは何となくほほえましい。

 現在の野辺地駅は
こちら


JR四国 徳島線 鮎喰駅 

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←2006年1月15日

 

 
 徳島市郊外にある小さな無人駅。盛り土区間の途中にへばり付くように簡素なホームがあるので、近年新設された駅なのかと思っていたが、開設は1934年と意外に古い。もっとも、開業当時は離れたところにあって、現在の駅は休止期間を経たのちの1986年に再開したものとのこと。

 駅の周囲は住宅地でこれといったものは何もないが、利用客はかなり多そうである。駅の入り口には物置のような小屋があり、券売機が設置されていた。

 冬の午後、冷たい風が吹きすさぶホームで列車が来るのを待った。


北条鉄道 北条町駅 

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←2006年1月20日

 

 
  寒風が吹きすさぶ冬の日に訪れた。

 以前鉄道雑誌でこの駅の写真を見た時は、古い駅舎と農業倉庫や機回し線・貨物側線などの国鉄時代の遺構が残っていて、鄙びた感じを受けたものだった。

 ところが、実際に降りてみてビックリ!国鉄時代の遺構はすっかり姿を消し、駅舎はどこそかの美術館のような立派なものになり、駅前には大きなショッピングセンターがあった。毎日利用する人にとっては便利で快適になったのだろうが、鉄道趣味的にはチト寂しくなってしまった。


わたらせ渓谷鐵道 小中駅 

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←2004年5月14日

 

 
  よく晴れた春の日、気まぐれで降りてみた小駅。単行のディーゼルカーから降りたのは拙者一人で、ここから乗る人はない。以前から無人の棒線駅らしい。

 あたりには人影もなく、実にノンビリした雰囲気だが、駅のすぐ脇には幹線道路があり、この小駅の存在に気付かないように、クルマがビュンビュン走り去っていく。駅の南側には小さな鉄橋があり、まるで鉄道模型のレイアウトのようだ。

 ホームの上にある待合室に控えめに掲げられている「こなか」の駅名プレートが、ちょっと可愛らしい。


高松琴平電気鉄道  志度線 八栗新道駅 

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←2006年1月15日

 

 
 
JR高徳線八栗口駅のすぐ前にある琴電の駅。駅舎はなく、ホーム1本だけの小さな無人駅だ。

 JR線と琴電の間には交通量の多い道路があって、クルマがビュンビュンと次々に走り去っていくが、この小駅には人影がなく、まるで忘れ去られたかのようだ。

 この小駅にしばらく佇んでいると、志度行きの電車がやってきた。車内はガラガラで、ここから乗る人もここで降りる人もなく、古びた電車はちょっと不満げな表情で走り去っていった。


JR東日本 総武本線/成田線 松岸駅 

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←2002年6月8日

 

 
 総武本線と成田線が交わるジャンクションだがそれらしい雰囲気はなく、実にのどかな駅だ。

 駅舎自体もこぢんまりとしていて、まるで鉄道模型のレイアウトによくあるようなデザインである。海に近い駅だからというわけでも無いのだろうが、屋根の青い色が鮮やかに見える。

 ここを訪れたのは、初夏の夕暮れ時。駅にやってくる人はほとんどなく、実に静かだ。ホームから見える夕陽がとてもきれいだったことを覚えている。
 


国鉄  常磐線  牛久駅 

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←1980年8月12日

 

 
 若い頃に数年間住んだことがある町の玄関口である。
 当時は古びた木造の駅舎があり、列車の発着が無い時は、出札口に「しばらくお待ち下さい」の札が立てられていて、なんともノンビリした雰囲気があった。

 1970年代後半頃から東京のベットタウン化が急速に進み、町の人口と駅の利用客も急激に増えたせいか、1984年に味気ない
橋上本屋の駅舎に改築されてしまった。

 駅前に停まっている日産の330型セドリックのタクシーとマークUが懐かしい。 


長野電鉄 長野線 信濃竹原駅 

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←2001年11月23日

 

 
 初冬のある日の夕方、何気なく降りてみた駅。ここから乗る人もなく、駅前に人影は見られず、ずいぶん寂しい思いをした。

 駅舎は開業以来のものらしく、だいぶ古びた感じがするが、小駅の雰囲気によく似合っている。だいぶ前に無人化されたようで、駅員の姿は見えない。

 初冬の陽が山の向こうに落ちるのはあっという間で、まさに「つるべ落とし」。駅に佇んでいるうちに暗くなり始めた。ホームの電灯が点き始めたころ、やってきた電車に乗ってこの駅を後にした。


土佐くろしお鉄道 中村・宿毛線 宿毛駅 

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←2006年1月17日

 

 
 JRから乗り入れた直通特急「しまんと」は、真新しい高架線を快適に走り抜け、終点の宿毛に着いた。

 駅舎に鄙びた感じは全くないが、近代的で実に明るい感じがする。薄いブルーの外壁も、南国土佐の駅にはよく似合う。

 歴史が浅い路線だけあって、駅前もまだまだこれからといった雰囲気が漂う。駅舎同様に、まだ建ったばかりらしい店がいくつかあった。

 ここからバスに乗り、宇和島を目指した。


津軽鉄道 津軽五所川原駅 

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←1991年7月25日

 

 
 
津軽半島の奥へ行く小私鉄の起点である。

 駅舎は本社社屋も兼ねているのか、2階建ての堂々とした造りである。

 建物の左側上部に掲げてある社紋と、あえてJRとは別に駅舎を設けているところから、小規模な会社ながら「誇り」というものが感じられる。

 ちょうどこの時は朝のラッシュ時で、この駅に着いた列車からは大勢の高校生が降りてきた。駅前に停まっているギャラン・シグマのタクシーも、今では珍しい存在になってきた。


関東鉄道竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅 

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←1988年1月2日

 

 
 
全長わずか4.5kmの短いローカル線に乗ってたどり着いた駅には、思いのほか立派な駅舎が建っていた。駅前通りには商店街が続いていて、JR接続駅の佐貫よりも繁華な感じがした。駅舎に寄り添うようにハンバーガーショップや書店やバスターミナルなどがあり、人の動きが絶えない。

 駅のすぐ脇にはレトロな感じさえする機関庫があり、運用に就いていないディーゼルカーが身体を休めていた。その雑然とした雰囲気は、鉄道模型のレイアウトに組み込みたくなるくらい好ましいものであった。


阿佐海岸鉄道 甲浦駅 

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←2006年1月16日

 

 
 拙者一人だけを乗せた単行ディーゼルカーは、高架上にあるホーム1本だけの駅が終点だった。階段を降りてみると、意外と立派な建物があったが、改札も出札窓口もないので、これは駅舎ではなかろう。

 建物の中では、パートらしい地元のオバちゃんが駄菓子などを売っていた。訪れる人は非常に少なく、オバちゃん達は手持ちぶさたであった。

 駅の近くは住宅造成地のように殺風景で、集落からは離れているようである。ここからバスに乗り、室戸岬をグルっと回って奈半利駅を目指した。


JR四国 予讃線 喜多灘駅 

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←2006年1月18日

 

 
 優等列車が新線経由になって、ローカル列車ばかりになってしまった予讃線の旧線区間に、この小駅はある。
 2両編成のディーゼルカーから降り立ったのは、拙者一人。かつては駅舎と行き違い線と貨物側線があったようだが、今ではホーム1本だけの寂しい無人駅になっている。
 海がすぐそばだが、すぐ隣の下灘駅が明るい雰囲気なのに対し、こちらはどことなくどんよりとした暗い感じがする。

 駅は丘というか高台の上にあり、長い階段を下っていくと、人気がほとんどない集落に出た。海から吹いてくる風が冷たかった。


上信電鉄 馬庭駅 

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←2004年5月15日

 

 
 高崎駅の片隅から発車した2輛編成のワンマン電車は、20分ほどでこの駅に着く。

 ここもまた気まぐれに降りた駅であるが、駅前広場というものは無いに等しく、クリーニング店か何か忘れたが、商店が1軒あるだけだ。裏道のような狭い路地が駅前を横切っている。

 駅の近くを歩いてみたが、これといったものは何もない。かつては農作物を貨車に積み込んでいたらしい側線跡と倉庫跡があった。

 おだやかな春の一日、駅近くの川から吹いてくる風が心地よかった。


JR四国 牟岐線 立江駅 

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←2006年1月15日

 

 
 ここも、何の目的も無しに、気まぐれで降りてみた。特急は停まらない小さな駅だ。

 列車交換は可能だが、CTC化の影響からか、ずいぶん前に無人化されたようだ。

 駅前に出ても商店らしいものはなく、
讃岐津田駅同様に人の気配が無い。ここもいたってのどかな駅だ。夕暮れ近い頃で、夕陽を浴びた駅舎はどことなく物寂しげだ。

 駅から5分ほど歩くと、お遍路さんの巡礼場所のひとつらしいお寺があった。その周りには商店があり、そこだけ人の気配が感じられた。


JR四国 高徳線 讃岐津田駅 

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←2006年1月15日

 

 
 何の目的も無しに、気まぐれで降りてみた駅。

 今乗ってきた特急「うずしお」が行ってしまうと、わずかな下車客はすぐにどこかへ散ってしまい、拙者一人だけが残った。
 特急停車駅なのに駅員らしい人の姿は無く、駅付近も眠っているかのように静かでのどかだ。

 駅舎は最近建て替えたのか、まるでオモチャの家のようにカラフルな色づかいで、見ていて楽しさを感じる。

 次の列車が来るまでのしばしの間、ホームから見える小さな山を眺めて過ごした。


JR西日本 加古川線 粟生駅 

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←2006年1月20日

 

 
 JRの他に神戸電鉄と
北条鉄道が乗り入れる3路線のジャンクションだが、それらしい雰囲気はまったくなく、静かな田舎町にあるのどかな駅だ。

 
北条鉄道の列車を待つ間、ちょっと駅前に出てみた。繁華な感じはなく、狭い駅前通りを行く人影もない。3路線も集まっている駅なのにこれほど何もない駅は、他にはちょっと思い浮かばない。

 しばらくして、加古川線の西脇市行き電車が入ってきた。新鋭の125系で、ピカピカの電車と昔ながらの駅構内のミスマッチ感がなんとも言えない。


JR四国 予土線 深田駅 

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←2006年1月17日

 

 
 これといった目的も無しに、気まぐれで降りてみた。ホームが1面だけの無人駅で、駅前には商店の類はない。今乗ってきたディーゼルカーが行ってしまうと、人工物の音は何も聞こえないほどのどかな場所だ。

 駅の近くをちょっと散歩してみたが、人っ子一人見えない。あまりにものどか過ぎて、時間が経つのを忘れそうだ。

 この日は天気は良かったものの、山から吹いてくる風は実に冷たい。駅の雰囲気は良くてしばらく居たかったものの、暖房が効いたディーゼルカーが来るのが待ち遠しかった。


三岐鉄道 伊勢治田駅 

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←2001年1月22日

 

 
 
三岐鉄道の終点近くにある駅で、構内には貨物側線が何本もあり、時折貨物列車も走りすぎる。今の中小拙者鉄では珍しく貨物のウェイトが高い三岐らしい雰囲気がある。駅舎は平屋建ての素朴なもので、駅の雰囲気に合っている。

 駅近くの踏切からは、頂上に雪を被った山々がクッキリと見え、なかなか清々しい気分に浸れる。

 ここから20分ほど東に歩くと、
近鉄北勢線阿下喜駅がある。その北勢線も、今では三岐鉄道の傘下に入った。


ゆいレール 赤嶺駅 

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←2005年11月6日

 

 
 2003年8月に
JR指宿枕崎線の西大山駅から、「日本最南端の駅」の肩書きを受け継いだ。

 まだ新しくてスッキリした感じの駅前広場に、『日本最南端の駅』の文字が刻まれた記念碑が建っていて、「鉄」のみならず一般の観光客にもアピールしている。

 この日は快晴の日曜日だったが、11月でも沖縄の陽射しは実に強い。駅の近くにはマンションや人家が多いにも関わらず人影がほとんど見えなくて、ちょっと意外で寂しい感じがしたものである。


JR西日本 七尾線 七尾駅 

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←2004年9月25日

 

 
 
のと鉄道が接続する拠点駅。

 七尾は能登半島でも有数の大きな街だけに、駅前には大きなショッピングセンターがドンと構え、人々やクルマの往来も多い。

 駅舎は、おそらく30年以上前のタイプだろうが、、古き良き国鉄時代の亜幹線の雰囲気がある。金沢方面へのホームは、改札から階段の昇り降り無しに行ける。橋上本屋化が進んで、こういう駅は少なくなった。

 この日は、七尾に着いた特急電車からの観光客らしい下車客が多かった。


わたらせ渓谷鐵道 上神梅駅 

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←2004年5月14日

 

 
 平野部と山間部のちょうど境目あたりにある小駅。開業以来のものと思われる古い木造駅舎は、なかなかの重厚さを醸し出している。

 かつては列車交換ができて駅員も勤務していたが、今では行き違い線が取り払われたうえに駅自体も無人化された。
 駅前にはこれといったものが何もなくて閑散としているが、駅近くには団地があり、近くの道には頻繁にクルマが通るので、ひとり取り残されたような寂しさはない。

 大きなトランクを持った寅さんがヒョッコリ現れそうな雰囲気がする、好ましい感じの駅だ。


国鉄 宮津線 丹後山田駅 

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←1985年3月14日

 

 
 かつて
加悦鉄道が接続していた。列車の発着時以外は、いたってのどかな雰囲気の小駅である。

 跨線橋はなく、駅舎から離れたホームへの行き来は構内踏切を通るのが、いかにもローカル線の駅らしい。

 あまり乗降客が多そうには見えない駅だが、駅前にはこぢんまりとした旅館があった。

 
加悦鉄道は消えたが、宮津線は第3セクターの北近畿タンゴ鉄道に転換し、丹後山田駅は野田川駅と名を変えて今も健在だ。


国鉄 山陰本線 飯井駅 

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←1985年3月12日

 

 
 DD51が牽く客車鈍行に揺られ、なんとなく名前の響きの面白さに惹かれてやってきた小駅。ホームは1本だけで、もちろん無人駅である。

 土盛りの高台の上にあり、駅横の坂道を下っていったところは、人影もまばらな静かな集落。駅の近くにはこれといった商店もなく、皆どこで買い物しているのだろうかと不思議に思ったものである。

 駅のすぐ近くに海がせまり、この付近は駅ホームや車窓からの眺めもまた格別である。


東武鉄道 野田線 岩槻駅 

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←1979年12月26日

 

 
 埼玉の岩槻といえば、言わずと知れた「人形の街」である。駅舎手前にあるガードレールには、人形を扱う店の広告がついている。乗降客が多い割には、駅舎はこぢんまりとしている。

 今はどうかわからないが、当時は大宮−岩槻間の区間電車が多数走っていた。確か大宮−岩槻間は複線だったものの、その先はほとんどが単線で、ちょっとしたローカル線のムードもあった。

 今は浦和美園止まりになっている埼玉高速鉄道も、いずれここまで延びてくるかもしれない。


国鉄 山陰本線 萩駅 

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←1985年3月12日

 

 
 萩といえば、山口県の有名な観光地のひとつ。しかし、萩の玄関口の役目は隣の東萩駅が担っていて、萩駅はちょっと影が薄い感じがする。
 ここの駅舎は、なかなか立派な造りをしている。立ち寄った記念に硬券の入場券を出札口で求めたら、駅員さんから「この駅はもうすぐ無人化されるよ」と告げられた。

 今ではキレイにリニューアルされ、簡易委託駅へと生まれ変わったそうである。

 蛇足だが、駅入り口左側に停まっている白いスカイラインは、この駅を訪れた時に使ったレンタカーである。


のと鉄道 七尾線 能登鹿島駅 

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←2004年9月27日

 

 
 海に面した高台にある小さな駅。駅舎側のホームからは、富山湾の美しい風景が眺められる。

 
シーナリィガイドに、この駅の古い写真が載っている。SL時代は古びた木造駅舎だったが、ペンション風のものに建て替えられた。屋根の上にある風見鶏が、この駅舎の雰囲気によく似合っている。

 駅の待合室に掲げられている写真によれば、春にはホームの桜が満開になるらしい。桜が咲く季節にまた来てみたいものである。


JR東日本 久留里線 俵田駅 

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←2002年6月10日

 

 
 
房総半島を横切るローカル線の途中にある、実に小さな駅だ。

 駅の前後の線路が真っ直ぐなところからすると、列車交換設備は元から無く、開設当初からホーム1本だけの無人駅のようである。
 ホームの上には小さな待合室があるだけで、駅名看板もそれに掲げられている。

 次の列車が来るまで駅の周囲をブラブラ歩いてみたが、広々とした田んぼと何軒かの人家があるだけの、典型的な「日本の農村風景」であった。田んぼに生えそろった稲穂の緑が眩しい。


上毛電鉄 西桐生駅 

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←2004年5月14日

 

 
 その駅は、JRの駅から歩いて5分くらいのところにあった。高架化されてすっかり近代的になったJR駅とは異なり、こちらは昔ながらの好ましい佇まいをみせている。

 屋根の形は、
東急東横線の田園調布駅同様に「マンサードルーフ」と言うのであろうか。ローカル私鉄にしては、なかなかオシャレな感じがする。

 初夏が訪れようとしていた日の夕方、学校帰りの高校生がパラパラとこの駅に集まってきていた。


国鉄 宗谷本線 稚内駅 

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←1986年8月6日

 

 
 ご存じ「日本最北端」の駅である。東西南北の端にある4駅のうち、最西端の那覇空港駅と共に終着駅であるので、最果ての感じが実に強い。

 駅の北をホテホテ歩いていくと、かつて樺太への旅客船のターミナルに繋がっていたらしい線路の跡が残っていた。

 折しもこの頃は夏の観光シーズン真っ盛りであったが、この日はあいにく天気が悪くてカーディガンを着ないと寒く感じ、最北端の街に来たことを実感したものだった。


東武伊勢崎線 堀切駅 

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←2004年1月10日

 

 
 スペーシアや通勤電車が頻繁に走る路線の中に、まるで忘れられたかのようにポツンと佇む小さな駅。東京23区の中にありながら、どこかの地方にある小駅のような素朴な風情がある。

 ここを訪れたのは冬の昼間。電車を待つ人の姿は見えず、近くの川から吹き付けてくる風も冷たく、どこかうら寂しい気がする。

 駅前に出てみても、ラーメン屋らしい飲食店が1軒あるだけで、他に店らしい店はない。ずっと昔からこうなのだろうが、ずっとこのまま変わって欲しくない感じがする駅だ。


関東鉄道 竜ヶ崎線 入地駅 

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←1983年12月12日

 

 
 全長わずかに
4.5kmの短い路線の、ほぼ中間にある小さな無人駅。

 かつては駅員がいて、列車行き違い線と貨物側線があったそうだが、今では小さな待合室があるだけで、駅らしい活気は無い。
 佐貫からディーゼルカーに乗り、ここで一緒に降りた数人の乗客は、この駅に関わるのを拒むかのように、足早に消えていった。一人残って駅の周囲を観察したが、薄茶色に染まったススキが冬の冷たい風に吹かれてサワサワと音をたてているだけだ。真昼で、周囲には人家があるのに人の気配がしない。まるで異空間に迷い込んだような冬の1日だった。


JR東日本 伊東線 伊東駅 

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←2003年7月26日

 

 
 ここは静岡県の東部に位置しているため、首都圏からの旅行客が多い。東京駅や新宿駅などから、直通の「踊り子」「スーパービュー踊り子」が何本も乗り入れてくる。

 JR伊東線の終点ではあるが、先に伊豆急行が続いているため、終着駅の印象は非常に薄い。

 駅舎は、昔ながらの好ましいスタイルをしている。駅前には、旅館の名前を染め抜いたノボリを持った人が大勢いて、温泉場の駅らしい風情だ。

 おりしも当時は駅前通りでお祭りがあり、実に華やかであった。


JR東日本 上越線・上越新幹線 浦佐駅 

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←2001年11月22日

 

 
 ここは在来線と新幹線とのターミナルなので、このサイトでは本来は対象外の駅である。

 しかしあえて取り上げたのは、駅前の鄙びた風景が、駅の立派な建物とアンバランスな感じがしたからである。
 この写真だけではわからないが、駅前には数軒の商店と郵便局があるだけで、夕方前だというのに駅にも駅前にも人影はまばらで、新幹線の駅前とは思えないほどヒッソリとしている。

 もっとも、写真撮影時は降雪前だったので、スキーシーズンともなれば別の顔を見せるのであろう。



JR東日本 成田線 香取駅 

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←2002年6月8日

 

 
 千葉県内乗り歩きの途中で寄った駅。鹿島線の分岐駅であるが、駅舎(と呼べるシロモノでは無いが)は、ご覧の通りの「貨車の再利用」で、もちろん無人駅である。

 初夏のこの日、駅付近をちょっと歩いてみたが、これといったものは何も無くて、何の変哲もないのどかな田舎町であった。

 踏切で列車の通り過ぎるのを待っていたら、折しも開催されていたワールドカップの観客らしい人々を乗せた満員の長編成電車が通り過ぎ、鹿島線に入っていった。


名鉄 江吉良駅 

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←2001年1月19日

 

 
 「エギラ」・・・・カタカナで書くと、なんだか東宝映画でゴジラと戦う怪獣のような名前の駅である(笑)

 かつては大須方面と岐阜羽島方面に分かれる分岐点の駅だったが、簡素なホーム1本だけの無人駅で、安全側線も無くポイント1つのみの線路配置は、まるで鉄道模型のレイアウトのようである。

 人家が多い住宅地の中に唐突に造られた駅のようで、駅前通りや駅前商店の類のモノは見あたらず、人通りもほとんど無く、寂しくないようで寂しい奇妙な感じがする駅だ。


JR東日本 烏山線 滝駅 

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←2002年7月27日

 

 
 宝積寺を発車した2両編成のキハ40系は、長閑な田園地帯をコトコト走って、小さな無人駅に着いた

 今乗ってきた列車が行ってしまうと、辺りは蝉時雨だけが聞こえてくる。

 この駅から10分ほど歩くと、駅名の由来にもなった滝がある。なかなか堂々たる水量で、見る者を圧巻する。

 帰りにはまたこの駅から宝積寺行きの列車に乗ったが、立ち客が出るほどの盛況ぶりであった。



紀州鉄道 紀伊御坊駅 

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←2001年1月20日

 

 
 紀州鉄道では唯一の有人駅で、車庫もある中枢だ。

 
2軸レールバスから降りたわずかな客が去ってしまうと、駅の中は途端に静かになる。駅横にある車庫をチラリと見ると、大分交通からやってきたディーゼルカーの1台は、全検を受けているのか台車をはずされた車体がウマの上に載っていた。

 駅のすぐ前には、こぢんまりとした小さな旅館があった。商人宿のようだが、今度御坊にやってきた時は泊まってみたいものだ。


小湊鉄道 上総村上駅 

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←2002年6月9日

 

 
 何とはなしに、気まぐれで降りてみた。起点の五井から1つ目の小さな交換可能駅で、ここまで市街地が続いているかと思ったが、緑が多い田園地帯であった。

 小さいながらも駅舎があり、1人だけの老駅員が勤務していた。老駅員に敬意を表して硬券入場券を求めたが、夕方近い時間だったにもかかわらず、硬券の裏には赤鉛筆の線が引かれていた。

 ホームに立つと、初夏の日差しがとっても強かった。


JR西日本 山口線 湯田温泉駅 

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←1999年12月31日

 

 
 SLやまぐち号が走ることで有名なJR山口線の小駅である。

 湯田温泉はソコソコ有名なところだが、駅自体はホーム1本に小さな駅舎があるだけで、駅に観光地らしい雰囲気は希薄だ。かつては列車交換可能駅だったようだが、今では行き違い線が撤去されている。

 レトロな感覚のSL列車に合わせてか、日本語が右から書き始めるレトロな駅名標がある。 できることなら、駅舎自体もレトロな雰囲気のものに建て替えて欲しいものだ。


JR東日本 篠ノ井線 冠着駅 

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← 2001年11月25日

 

 
 初冬のある日、ふと思い立って降りてみた駅。3両編成の115系電車から降りたのは、拙者1人であった。無人駅かと思ったが、駅業務を委託されているらしい老人が1人居た。

 篠ノ井線という亜幹線の駅なのに、駅の付近に人の気配はほとんど感じられない。駅前通りを走るクルマもほとんどなく、まるで世間から忘れ去られたかのようだ。

 拙者が訪れたのは、天気が良い昼間だったからよかったものの、最終列車でここに降り立ったらゾッとするであろう。でも、天気のいい日にハイキングするにはいいところである。


JR東日本 上越・飯山線 越後川口駅 

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← 2001年11月22日

 

 
 上越新幹線の開業で優等列車が無くなり、いささかローカル線の趣が出てきた上越線を北へ北へと上ると、
飯山線と接続する越後川口駅に到達する。

 寂しくなったとはいえ、一応は幹線である上越線の他路線接続駅だから、ちょっとした規模の駅を想像していたのだが、以外とこじんまりとしていた。

 ちょっと駅前に出てみたが、まだ夕方前なのに駅前通を歩く人影は無く、何軒かある商店も営業しているのか定かではない。まるで眠っているかのように静かな駅だ。


JR東日本 吾妻線 川原湯温泉駅  

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← 2001年11月22日

 

 
 上野を発った新特急「草津」は、約2時間20分で川原湯温泉駅に着く。初冬の平日とあってか、この駅で下車する人はまばらであった。

 駅舎自体は何の変哲もないありふれた造りだが、古き良き国鉄時代の姿を留めているようで実に好ましい。

 山間の静かな小駅だが、近々行なわれるダム工事によって、数年後にはダムの底に水没する運命にある。駅の近くには『ようこそ ダムの底に沈む川原湯温泉へ』という、半ばヤケクソ気味な看板が建っているのが印象的だ。


長野電鉄 屋代(河東)線 井上駅  

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←2001年11月24日

 

 
 須坂から屋代行きのワンマン電車に乗ると最初に着く駅が、ここ井上である。

 ホームが1本と小さな待合室があるだけの、ごく普通の無人駅である。駅前には少々の人家と雑貨屋があるだけで、いたってのんびりしたところである。

 「井上」というのは日本人の苗字に多いものだけに、この駅には日本各地の井上さんがやってきているかもしれない。


国鉄 烏山線 烏山駅

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←1986年9月13日

 

 
 宇都宮を発車したタラコ色のキハ40系2両編成は、50分ほどで終着の烏山に着く。

 烏山線というのは余り話題にも恵まれず、沿線には全国的に有名な観光地も無く、比較的地味な路線だ。

 この時は烏山線に乗った後、国鉄バスで茂木へ抜け、当時は国鉄線だった真岡線に乗った。その後、烏山を訪れていない。
茂木駅は大変身したが、この烏山駅は今どうなっているであろうか?


JR西日本 紀勢本線  紀伊内原駅

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←2001年1月20日

 

 
 特にコレといった目的もなく、ただ単に気まぐれで途中下車した駅である。

 紀勢本線という幹線の駅であるが、辺りは妙にひっそりとしていて、長閑な田舎の駅といった趣がある。駅舎自体はおそらく国鉄時代からのものであろう。

 駅舎横に立つ大木は、もしかしたらこの駅が開設された時に記念樹として植えられたものかもしれない。そうだとしたら、この駅の変遷をずっと見守り続けている「生き証人」であろう。


京王帝都電鉄 高幡不動駅

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←1996年4月12日 

 

 
 近代的な電車が走る京王帝都電鉄の各駅の中で、どことなく日本風というか古風な感じがする駅が、ここ高幡不動である。

 ご覧のように駅舎自体は何の変哲もない今風のものだが、駅を出て右に曲がると高幡不動尊へ至る短い参道に出る。饅頭屋や団子屋などが軒を連ね、その向こうには高幡不動尊の五重塔が見える。

 普段はベットタウンとして賑わっているが、正月や節分の頃には、普段とはまた違った賑わいをみせる。


箱根登山鉄道 風祭駅

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←1997年1月24日 

 

 
 何となく駅名の響きが良くて訪れた駅。たまには駅名に惹かれる旅があっても良かろう。

 下車してみたものの、周囲は住宅地でコレといった特色は無い。単線の上下列車行き違い可能駅だが、ホームの長さは行き違い線よりずっと短いので、行き違い線の途中に踏み切りがあり、上下線の間に挟まれるようにして小さな駅舎が建っている。

 訪れたのは昼近くで、小さな駅舎の中ではたった1人の駅員さんが、仕事の傍らで昼食らしいソウメンを茹でていた。


JR東日本 信越本線 横川駅

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←1997年9月21日 

 

 
 言わずと知れた、かの
横軽の一方の駅である。

 最後の横軽詣でに行く途中、EF63連結のために停まった特急「あさま」の車内から、ちょうど駅名標が見えたのでスナップした写真である。

 この時は横軽廃止10日前とあって、横川駅のホームはEF63などを撮影したり見物したりする人で大いにごったがえしていた。

 あれから横川駅を訪れていないが、今では鉄道博物館のような施設ができ、かつての頃とはまた違った形でにぎわっていることであろう。


JR九州 鹿児島本線 門司港駅

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←1990年9月7日 

 


 日本の駅では珍しく、ルネッサンス調の駅舎である。その優雅さ・美しさでは、日本で1・2位を争うであろう。駅舎としては日本で初めて国の重要文化財に指定されたのもうなずける。

 駅舎に一歩入ってみれば、各種案内看板などはレトロ調になっており、昭和初期の遠い昔にタイムスリップしたような感覚になる。
 
 ここを訪れたのは、夏の日の昼下がり。駅構内に人影は少なく、のどかな時間が流れていた。


JR九州 指宿枕崎線 西大山駅

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←1990年9月6日 

 


 この駅がどんなところにあるか、鉄道ファンなら知らない人はいないであろう。かつて、日本で一番南にあった駅である。

 残念ながらこの駅へは列車ではなく、レンタカーで訪れた。この区間の指宿枕崎線の運行本数は非常に少ないためだ。駅の周囲にはこれといって何もなく、実にのどかである。

 しかし、2003年8月10日沖縄にモノレール
「ゆいレール」が開業したことに伴い、「日本最南端の駅」の肩書きを赤嶺駅に渡して「本土最南端の駅」となった。ゆいレールには悪いが、ちょっと寂しい感じがする。


JR西日本 奈良線 奈良駅

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←2001年1月19日 

 


 さすがに古都・奈良の玄関口のひとつだけあって、相輪水煙を型どった寺院風の駅舎は、なかなか重厚な造りだ。この駅舎は昭和9年に建てられたとのことである。

 中学の修学旅行以来、20数年ぶりに訪れた奈良はさぞかし観光客で賑わっているだろうと思いきや、平日の昼過ぎであったせいか、それらしい人達は見かけなかった。
 
 駅前はいたって平凡で、大きなホテルやスーパーマーケットが建ち並んでいる。駅の高架化工事に伴い、一時は取り壊しかと思われたが、幸い移転して生き残ることができた。


小田急電鉄 江ノ島線 片瀬江ノ島駅

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←1997年9月28日 

 


 大手私鉄の駅には実用本位的な味気ないものが多いが、ここの駅舎は竜宮城をイメージしたようで、なかなか「遊び心」がある。駅舎のユニークさでは、日本で1・2を争うのではないか。
 このような造りをしているのは、ここが小田急沿線でも有数の観光スポットだからであろうか。

 この写真は晩夏の夕暮れ時に撮ったもので、江ノ島観光を終えた人々が家路を急ぐために、続々とこの駅に消えていった。

 

JR東日本 横須賀線 北鎌倉駅

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←1997年9月28日 

 


 JR東日本の企業CMにも登場したことがあるここは、拙者が好きな駅のひとつだ。

 今なら橋上本屋化などの大幅な近代化がされているはずだが、地元住民の強い要望で、昔ながらの駅の風情を今も漂わせている。そんなわけで、電化区間の駅ではすっかり珍しくなった構内踏切が今も健在である。
 
 折しもこの日は好天の初秋。鎌倉の風情を楽しみに来た行楽客で小さな駅は賑わいをみせていた。

 

近鉄 北勢線 阿下喜駅

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←1985年11月30日 

 


 桑名から初めて乗ったナロー電車は三重県の 北部をたんたんと走り、小さな街の中の終着駅 に着いた。

 ちょうど朝の通学ラッシュに重なり、阿下喜の 駅前は高校生であふれている。駅前に駐車 しているクラウンのタクシーは大勢の高校生に 囲まれ、どことなく肩身が狭そうだ。

 画面左端を歩いている女子高生は、あの懐か しのマジソンバックを持っている。久々にその姿 を見て、何となく嬉しくなった(笑)。


小坂精錬 大館駅

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←1991年7月25日 

 


 今では旅客営業を止めてしまった小坂精錬
小坂鉄道の起点は、JR大館駅からちょっと離
れたところにひっそりと隠れるようにして佇んで
いた。
 列車を待っていた乗客はわずか5人ほどで、
JR駅前の賑わいとは裏腹に、実に静かな駅だ
った。
 当時はまだ旅客列車がわずかながら健在だっ
たので、日車型のディーゼルカーで小坂まで往
復した。大館を出ると、花岡方面への線路の廃
線跡がクッキリと見えたのが印象的であった。
 *2009年3月31日限りで、小坂精錬の鉄道
  線は廃止になりました。

 

JR西日本 山口線 宮野駅

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←1999年12月31日 

 


 山口市の郊外にひっそりと佇む小駅である。

 なかなか立派な構えの駅舎だが、無人化され て久しいようである。こういう駅舎はたいてい味 気ないタイプのものに建て替えられてしまうこと が多いが、ここは昔ながらの「国鉄の駅」の姿が 健在である。

 あたりには人家が比較的多いものの、いたっ てのどかだ。どこからか「兎追いし彼の山・・・・」 という唄が聴こえてきそうな駅である。

 

JR九州 日豊本線 北川駅

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←1990年9月2日 

 


 大分・宮崎の県境近くに佇む無人駅。今降りた列車が行ってしまうと、静けさだけが残る。

 日豊本線という幹線の駅なのに、ここに停まる列車は上下合わせて1日わずか10本!  かつては駅員が勤務していたであろう出札口は、閉鎖されていた。

 駅の近くにはきれいな川が流れていて、子供達が水遊びをしていた。おりしも非常に暑い日で、川の中に飛び込みたい衝動にかられたのを覚えている。

 

富山地方鉄道 新宮川駅

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←1995年8月26日 

 


 富山の親戚宅を訪れた際、フラリと立ち寄った小駅。周囲は一面の田圃で、夜になると蛙の大合唱が聞こえてくる。

 この写真を撮影したのは夏の長い日が暮れようとしている夕方で、電車を待つ人の姿は見えなかった。

 駅名に「新」という文字がつく以上、どこかに「旧宮川」駅があったのだろうが、付近を見回してもそれらしい痕跡は無かった。

  雪国の鉄道らしく、小さな待合室の中では大きな雪かき器が冬の訪れを静かに待っていた。

 

三木鉄道 三木駅

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←1989年5月27日

 


 神戸電鉄の三木駅で下車し、何人かに道を尋ねてようやくたどり着いた
三木鉄道の三木駅は街中の喧噪を避けるかのように町はずれにひっそりと佇んでいた。

 ここはかつての国鉄三木線三木駅であるが、国鉄時代からの駅舎をそのまま使っているのであろう。
  真っ昼間とあってか駅にやってくる乗客は実に少なく、まるで眠っているかのように静かな空間であった。ここでは通勤ラッシュも満員電車も別世界のことのようである。

 

伊豆箱根鉄道 大雄山線 大雄山駅

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←1997年1月24日

 


 小田原から大雄山線の電車に揺られて約20分で着いたのがこの大雄山駅。

 鄙びた田舎町を想像していたが、駅前にはスーパーマーケットの真新しい大きな建物がデンと構え、思っていたよりも近代的な感じがした。写真右端に見える白い建物がそうである。

 ここには大雄山線電車のねぐらがあって、ホーム脇の車庫内では、数人の係員が車両検修の講習を受けていた。昔懐かしいベージュのツートンカラーの西武鉄道色をした工事用車両コデ66 も健在であった。

 

京成電鉄 金町線 柴又駅

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←1997年8月30日 

 


 今や全国的に有名になった「葛飾柴又」の玄関である。

 この京成金町線の柴又−金町間は、東京23区内の旅客営業線では非常に珍しい単線区間で、ここ柴又駅には昔懐かしい構内踏切が今も健在。

 今ではこの写真を撮ったあたりに寅さんの銅像が建ち、柴又へやってくる観光客を優しく迎えてくれている。

 

JR四国 土讃線  琴平駅

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←1988年7月7日

 


  こちらは「こんぴらさん」で有名な金比羅山への玄関である。すぐ近くには
高松琴平電鉄の琴平駅もある。

 この時は瀬戸大橋が開通したばかりで、四国全体がイケイケ風のエネルギーに満ちあふれていた。拙者自身も初の四国旅行で、せっかく四国に来たのだからと、金比羅山参りに行った。

 しかしそれにしても金比羅山の階段にはホトホトまいった。この年の夏は冷夏で涼しかったものの、頂上へたどり着く前に大汗をかいたものである。

 

国鉄 東北本線 大宮駅

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←1979年2月1日

 


  大宮駅には西口と東口があるが、これは西口である。東北・上越新幹線工事が始まった頃で、工事期間中に仮設される跨線橋の骨組みが左端にチラリと見える。

 今の大宮駅しか知らない人は「えぇっ?これが大宮駅?ウソだろぉ〜!」と叫ぶに違いない。1982年の東北新幹線開業を境に、大宮駅西口はそれほどまでに激変してしまった。

 狭い駅前広場にはバスが何台も並び、小さな商店が軒を連ねていたが、今では有名なデパートや大きなビルがいくつも並び、この写真の頃の面影は全くない。  
現在のJR大宮駅西口


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