JR・第3セクター鉄道・大手私鉄の現役ローカル線の旅

【2016年8月21日 更新】

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京都丹後鉄道 宮豊線 

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←2017年7月13日 豊岡にて

 


 国鉄宮津線を引き継いだ第3セクター路線。宮豊線は宮津と豊岡を結ぶ。

 宮豊線はほぼ内陸部を走り、途中では線路を横切る鹿が見えた。利用者は地元の用務客や通学生がほとんどで、観光客らしい姿は見えなかった。

 この時乗った車両は、綺麗にリニューアルされたKTR803号で、なかなか快適だった。


JR西日本 加古川線 

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←2014年2月21日 西脇市にて

 


 兵庫県の中央部を南北に貫く電化ローカル線である。かつては多数の支線を有していた。

 車両は、103系の改造車である3500番台と新造の125系がある。この西脇市を境に運行本数は大きく変わり、西脇市以南に比べると以北はガクンと減ってしまう。

 拙者が乗ったのは冬の寒い日。谷川から乗った単行電車の利用客は少なく、西脇市での乗り換え客もわずかだった。


JR北海道 根室本線(滝川−新得) 

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←2016年7月13日 滝川にて

 


 本線という名はついているものの、石勝線開通後はこの区間には定期の優等列車は走っておらず、普通列車の本数も少ない過疎ローカル線そのもの。落ちぶれてしまった名家を見る思いがする。

 沿線の各駅も富良野以外は元気が無く寂れていて、特に落合−新得間は木々に囲まれた秘境のようなところを行く。

 日が暮れつつある起点の滝川にいたのは、昔懐かしいタラコ色のキハ40であった。


JR東日本 男鹿線 

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←2013年9月14日 男鹿にて

 


 追分から乗った列車は意外にも長編成で、帰宅する学生が大勢乗っていた。

 だが、駅に着くたびに少しずつ降りていき、終着の男鹿に着く頃には車内はガラガラになった。

 折り返しの秋田行きに乗る人は少なく、静かな終着駅には夕暮れが迫っていた。


JR西日本 山陽本線 和田岬支線 

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←2014年2月21日 和田岬にて

 


 全長2.7kmの短い電化路線。途中駅はなく、沿線に有名な観光地も無く、地元の工場に勤める人達の足となっている地味な路線だ。故に、日中は列車が走らず、朝夕のラッシュ時のみの運行となっている。
 ここでは老兵103系が健在で、かつての京浜東北線を思わせるようなスカイブルーの車体色をまとっている。
 この日は、兵庫から夕方の電車に乗って和田岬に来た。退勤した多くの人々が、折り返し電車の中に吸い込まれていった。


阿佐海岸鉄道 

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←2006年1月16日 甲浦にて

 


 全長8.5kmの短い第3セクター路線。JR牟岐線の末端区間を起点としているために利用客は少なく、拙者が乗った時も1〜2人しか乗っていなかった。

 沿線には人家が少なく、新幹線並みの立派な高架橋が不釣り合いだ。唯一の途中駅である
宍喰で下車してみたが、人の気配はほとんど感じられなかった。

 利用客の少なさから廃止も検討されているようだが、末永くがんばって欲しい。


西日本鉄道 貝塚線 

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←2011年1月21日 和白にて

 


 福岡県の北部を走る短いローカル線。西鉄の本体とは線路がつながっていない、孤立した路線である。

 鄙びた沿線風景を想像していたが、博多に近いせいか、沿線に住宅は多くて、ローカル線にしては頻繁に運行していた。

 路線の一部は高架化され、複線化用らしい用地も確保されていて、まだまだ発展しそうな気配がある。


JR東日本 弥彦線 

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←2009年7月13日 弥彦にて

 


 東三条を出た電車は、真新しい高架線を通った後に地平に降りた。

 駅に着く毎に乗客は減り、終点の弥彦まで乗ったのはごくわずか。平日の昼間とはいえ、利用客はかなり少ない。沿線にはこれといった有名観光地や集客施設は無いようで、地味な路線である。

 帰りに燕駅で
新潟交通の跡を車窓から探してみたが、道路と住宅地に変貌したようで、それらしい痕跡は見つけられなかった。


JR東日本 東北本線 利府支線 

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←2010年7月11日 利府にて

 


 かつての東北本線の旧ルートだったところが、一部残って短い支線となった。

 沿線には田園風景が広がっているものと思っていたが、仙台に近い土地柄のせいか都市化がかなり進んでいて、人家がけっこう多かった。

 終点の利府駅近くに集客施設があるのか、利府行きの電車は想像以上に混んでいた。


JR東海 身延線 

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←2009年7月18日 甲府にて

 


 中部日本を南北に縦断する元私鉄の電化路線という点では飯田線と通じるところがあるが、こちらの沿線には「焼きそばの街」となった富士宮や下部温泉などの観光地が比較的多い。

 普通列車がワンマン運転をしていたり、駅員無配置の小駅が多いなど、ローカル線らしい風情もある。

 写真は、そんな身延線のスターである特急「ふじかわ」号が甲府に着いたところである。


JR東海 名松線 

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←2001年1月20日 伊勢奥津にて

 


 松阪から山間部に分け入るローカル線。利用者数だけ見れば廃線になっていてもおかしくない路線だが、並行道路が未整備ということで幸い存続している。
シーナリィガイドには、乗客が多くて貨物輸送もあった頃の姿が載っている。

 拙者が乗ったのは日中とあってか、乗客は非常に少ない。

 写真は、終点の伊勢奥津に着いたディーゼルカー。携帯電話の電波も届かない山間の街で、SL時代の給水塔が今もヒッソリと残っていた。


JR東日本 石巻線 

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←1991年7月21日 女川にて

 


 石巻から乗ったディーゼルカーは、たんたんと走って終点の女川に着いた。

 沿線には日本の典型的な田園風景が広がり、青々とした水田がどこまでも続いていた。ディーゼルカーがまとっている濃淡2色の帯は、そんな沿線風景に実にマッチしている。

 女川からは小学生の団体がドヤドヤと乗り込み、時ならぬラッシュになった。


JR西日本 桜島線 

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←1989年5月28日 桜島にて

 


 ここをローカル線と呼ぶのはチト気がひけるが、工業地帯を行く雰囲気は
JR東日本の鶴見線に良く似ている。折しも、車輛は鶴見線と同じ103系だった。

 沿線風景や桜島駅の様子はあまり記憶に無いのだが、この写真を撮っている時、乗務を終えた運転士さんがニコヤカな表情で『ヘッドライト点けましょうか?』と言ってくれたのはよく覚えている。

 地味な路線という印象だったが、今ではUSJへのアクセスを担う観光路線に変貌している。


JR四国 高徳線 

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←2006年1月15日 引田にて

 


 その名の通り、高松と徳島を結ぶ動脈だ。

 
琴電との平行区間である高松−志度間は都市近郊の雰囲気があるが、そこから先はローカルムードが強くなる。
 普通列車や特急を駆使して行きつ戻りつの途中下車を繰り返したが、たいていの駅はこぢんまりとしていて、特急列車が多数運転されている線区とはとても思えない。

 ここ引田では、引田止まりと徳島行きの列車が出会っていた。


北条鉄道 

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←2006年1月20日 北条町にて

 


 JR加古川線の
粟生から分岐する第3セクター路線。沿線には、観光客を惹きつける名所はこれといって無く、地元の人の足に徹したような地味な路線だ。

 真新しいディーゼルカーに揺られて着いた終点の
北条町は、駅前に近代的なショッピングセンターが建っていた。駅舎自体も新しい。鄙びた田舎町を想像していたので、これはかなり意外だった。

 創業時から活躍していた富士重工型2軸レールバスは予備車になったようで、側線で昼寝していた。


土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線 

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←2006年1月16日 奈半利にて

 


 2002年7月に開業したローカル線。17年前に沿線をバスで通った時に黒ずんだ高架橋を見て、このまま朽ち果ててしまうのではないかと思ったが、見事に開業した。
 さすがに新しい路線だけあって高架区間が多く、車窓からの眺めはバツグンだ。

 忘れてはならないのは、土佐電鉄安芸線の存在。車窓からは、安芸線の廃線跡を活用したと思われるサイクリングロードが見える。ごめん・なはり線の建設と引き替えに消えた安芸線に合掌。


JR西日本 和歌山線 

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←2001年1月20日 五条にて

 


 紀伊半島の付け根部分を横断するローカル線。今は電化されているが、非電化だった頃は急行列車も走っていた。

 普段話題には恵まれない地味な印象がある路線だが、近畿圏のJR路線では珍しいスイッチバックが、
2007年3月17日まで北宇智にあった。

 写真は、朝の五条駅の留置線で寝ていた105系?を撮ったもの。そこそこ長い路線をロングシートで過ごすのは、チトしんどい。


ゆいレール 

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←2005年11月6日 赤嶺にて

 


 拙サイトではモノレールの類は対象外としているが、沖縄では唯一の旅客鉄道なので、例外的に取り上げる。

 那覇市内を真新しい高架でスイスイ進む2両編成の電車は、沖縄の新しい姿だ。さすがに最新の鉄道だけあって、バリアフリー施設は充実している。

 北の終点の首里駅は、将来の延伸を意識した造りになっている。いずれ北へレールが延びる日が来るだろう。


いすみ鉄道 

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←2002年6月9日 上総中野にて

 


 世が世なら
久留里線と結ばれるはずだったが、今では小湊鉄道とペアで房総半島横断路線を形成している。ただ、両線を乗り継ぐ直通客はそれほど多くないようである。
 大原を発車した時点ではソコソコ乗っていた単行ディーゼルカーの客も、終点の上総中野に着いた時には数人しかいなかった。上総中野の駅周辺にはコレといったものが何もない寂しいところで、2つの鉄道のジャンクションの雰囲気はない。
 6月とは思えないほど太陽の陽射しがまぶしい日だった。


JR四国 牟岐線 

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←1988年7月5日 海部にて

 


 徳島県東端の海岸沿いをコトコト走る、ノンビリしたローカル線。当時はJRへ転換してから間もない時期だったせいか、首都圏色のディーゼルカーが数多く走っていた。また、今では形式消滅したキハ20系も健在だった。

 写真は、終点の海部駅。今では阿佐海岸鉄道が延びているが、当時は黒ずんで夏草に埋もれているトンネルが見える終着駅だった。海岸近くの高架駅にやってくる人は少なく、ディーゼルカーのエンジン音だけが響いていた。
 海部駅の今昔は
こちら


JR東日本 東金線 

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←2002年6月9日 成東にて

 


 房総半島の成東と大網を結ぶ、全長10数kmの短い電化ローカル線だ。

 東京と千葉を結ぶ区間から113系は撤退してしまったが、ここ東金線を含む千葉以東ではまだまだ健在だ。

 路線のほぼ真ん中に、線名にもなっている東金の駅がある。ここにはかつて軽便鉄道の九十九里鉄道が接続していたが、廃線から40年以上を経たせいか、それらしい痕跡は全くなかった。


のと鉄道 七尾線 

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←2004年9月27日
     七尾−和倉温泉間にて

 


 JR七尾線の七尾以北を引き継いだ第3セクター路線。穴水−輪島間は利用客減少のために残念ながら廃止されたが、七尾−穴水間は今も健在だ。

 沿線の駅や駅構内は、そのほとんどが古き良き時代の国鉄駅の姿を留めている。

 この路線の見どころは、
能登鹿島駅付近から見える海だろう。晴れた日には、青くてきれいな海原が車窓からのぞめる。


JR東日本 八高線 

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←2004年5月15日  高麗川にて

 


 群馬県南部・埼玉県と東京都の西部を縦貫する路線で、高麗川を境に北は非電化・南は電化と、2つの顔を持つ。

 ローカル線らしい風景は、寄居−越生間に展開する。この区間は、単に乗り通すだけではもったいない感じがする。

 非電化区間には新鋭キハ110系が投入されているが、乗車当時の電化区間には老雄103系も健在だった。非電化・電化区間のジャンクションである高麗川では、ご覧のようにディーゼルカーと電車の顔合わせが見られる。


樽見鉄道 

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←1995年7月12日  樽見にて

 


 国鉄ローカル線を引き継いだ第3セクター路線としては、比較的初期に発足した。他の3セク路線ではほとんど見られない貨物列車と客車列車が走っていたのが特徴だ。
 大垣付近は市街地だが、木知原を過ぎたあたりから徐々に山間に入っていく。神海から先は第3セクター転換後に延長された区間なので、路盤や駅舎などの施設が新しい。

 この線に乗った時はあいにくの雨模様で、そのせいか終点の街はひっそりと静まり返っていた。


伊勢鉄道 

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←2001年1月22日  四日市にて

 


 三重県の海寄りを走るローカル線だが、高度経済成長期以降に新設された路線のため、踏切がない高規格の線路を行く。そのため乗り心地は非常にいいのだが、ローカル線特有の鄙びた感じが無いのは、趣味的にはチト寂しい。

 写真は、雪が残る四日市のホームについた列車。平日の昼間だったせいか、1両ぽっちのディーゼルカーに津から乗った時からガラガラだった。


南阿蘇鉄道  

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←1990年9月2日  高森にて

 


 九州の内陸部を走る路線だ。沿線の人口は比較的希薄なものの、きれいな水や温泉を売り物に、トロッコ列車を走らせたりして観光客の呼び込みに懸命である。
 拙者が乗った時は立野から入ったが、その日は小雨混じりのすっきりしない天気だった。そのせいか、観光客らしき人の姿はほとんど無かったと記憶している。

 高森に着いた後は、宮崎交通のバスで
高千穂鉄道の高千穂へ抜けた。
 
*このバス路線と高千穂鉄道は
   廃止されました。


三陸鉄道 南リアス線  

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←1991年7月23日  唐丹にて

 


 1984年、国鉄赤字ローカル線を第3セクター会社として転換した初めての路線である。

 既設路線・新設路線ともに歴史が浅いので、ローカル線らしい鄙びた風景はほとんどないが、複雑な地形の中をスイスイ走っていくのは気持ちがいいものだ。

 この時に乗ったのは三鉄オリジナルの36形では無く、JRからの乗り入れ(借り入れ?)のキハ58系であったので、たまたま対向してきた36形を車窓からスナップした。


山形鉄道  

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←1991年7月20日  今泉にて

 


 沿線にこれといった名所・旧跡が無く、車両も平凡で、鉄道専門誌に取り上げられることも少ない地味な路線だ。

 この日はあいにくの雨天で、本来なら明るいはずの田園風景も、どことなくドンヨリした感じだった。

 赤湯駅でJR線から乗り換えたディーゼルカーは、昼間の時間帯にもかかわらず、3両もの長い編成であった。
 うち1両にはテーブルとイスが並べられ、どうやら「走る会議室」として貸切のようだった。
 


JR東日本 久留里線  

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← 2002年6月10日  上総亀山にて

 


 内房の木更津から内陸部に分け入る。関東地方では珍しい非電化ローカル線である。
 沿線にはコレといった名所もなく、至って地味な線だが、車両の塗装はご覧の通り派手である。今では数少なくなったキハ30系も、キハ37・38系といった比較的新しい仲間と共に健在だ。

 写真は、終点上総亀山に着いた2連のディーゼルカー。40年近く前の同駅の写真を見たことがあるが、周囲の風景はほとんど変わっていないのにはチト驚いたものである。


平成筑豊鉄道  

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← 1990年9月4日  直方にて

 


 複雑な筑豊ローカル線の数線を引き継いだ第3セクター。沿線に有名な観光地は無く、地元の人の足に徹した地味な路線であるが、経営状態はなかなか良好とのことだ。

 ちょうどこの写真を撮った直後、駅員さんに話しかけられたのもいい思い出である(詳細は
『雑記帳』をご覧下さい)。

 写真左側の駅名標の背後に見えるJRの50系客車列車は、今は無くなってしまった。


JR東日本 飯山線  

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← 2001年11月22日  越後川口にて

 


 新潟県の
越後川口から、長野市に近い豊野へ至る長大なローカル線だ。沿線は豪雪地帯で知られるが、拙者が乗った時にはまだ降雪は無かった。
 かつては急行列車も走っていたが、今ではキハ110系による鈍行列車ばかりとなっている。

 越後川口から越後水沢あたりまでは平凡な田舎の風景が続くが、その先からは信濃川・千曲川の姿が見えるようになる。戸狩野沢温泉からは列車本数と利用客がグンと増え、長野近郊路線の装いだ。


JR東日本 吾妻線

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← 2001年11月22日  岩島にて

 


 JR上越線の渋川から分岐し、西の山間部に分け入る路線。ローカル線ながら電化されていて、草津や万座へ向かう新特急も走り、観光色が強い。

 普通列車は107系と115系が大半である。車内では、地元の人の他に温泉帰りの観光客もチラホラ見かける。

 小春日和の日に何気なく降りたここ岩島は、駅舎というか待合室が改築中であった。駅の周囲にはコレといって目立つものはなく、至ってのどかだった。


JR東海 太多線

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← 2001年1月18日  多治見にて

 


 高山本線と中央本線の間に伸びる非電化路線。

  ローカル線ではあるが、幹線同士を結ぶうえに途中の可児で名鉄広見線と接続するせいか、利用客は比較的多そうである。

 この日は、
天竜浜名湖鉄道に乗ったあと、ここに寄った。冬でも暖かだった天浜線の時と違い、ここでは小雪がチラついていた。


JR東日本 釜石線

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← 1991年7月24日  釜石にて  

 


 三陸海岸の釜石と、内陸の花巻を結ぶローカル線である。
 沿線は典型的な日本の農村風景だ。
「鉄」的には、途中にある陸中大橋のループ線が見所であろう。

 この線には、JRではすっかり珍しくなった急行列車が健在だ。車両は、JR東日本ご自慢の高性能ディーゼルカーであるキハ110系で、性能も車内のアコモのレベルも高い。

 *2002年12月1日のダイヤ改正で、
   急行は快速になりました。


天竜浜名湖鉄道

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← 2001年1月18日  戸綿付近にて  

 


 旧国鉄二俣線を引き継いだ第3セクターである。

 東海道新幹線と接続する掛川を出た単行のディーゼルカーは、小さな駅に停まりながら茶畑の中を淡々と走る。

 ここ戸綿では、かつて静岡鉄道秋葉線と接続していたはずであるが、秋葉線が廃止になってから久しいせいか、それらしい痕跡は全く無かった。


近鉄 八王子線

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← 2001年1月21日  日永にて  

 


 今では数少なくなった、軽便鉄道規格の路線である。
 近鉄四日市駅の高架下ホームから出発した小さな電車は、しばらくすると八王子線と内部線の分岐駅である日永に着く。

 それにしても、軽便鉄道車両の何と小さいことか。電車の正面窓の真ん中にいる運転士さんが、とてつもなく大きく見えるのはご愛嬌だ。


JR九州 久大本線

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← 1990年9月8日  JR大分駅にて  

 


 九州の北部を横断する142Kmの路線の途中には、全国的に有名な観光地
「由布院」がある。その由布院や、久大本線沿線の観光への足として運行されているのが、この「ゆふいんの森」号である。

 外装は美しいグリーンメタリックで、最近の鉄道車両には珍しく、内装には難燃性の木材が使われている。楽しい旅路を予感させてくれる明るい列車だ。


JR東日本 只見線

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← 1992年8月2日  会津川口にて  

 


 福島県と新潟県に跨る長大なローカ
ル線である。

 沿線の景色は至ってノンビリしていて
典型的な農村風景が続く。

 この写真を撮った会津川口駅では対
向列車の交換待ちで長く停まった。すぐ
近くには綺麗な水をたたえた大きな川
が流れていて、一服の清涼剤といった
趣である。

 

JR東日本 左沢線

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← 1991年7月21日  左沢にて  

 


 山形市の北部を走る、のどかなローカ
ル線だ。

 写真ではちょっと見づらいが、正面貫
通扉には「フルーツライン」と書かれた
ヘッドマークが掲げられている。さくらん
ぼが名産の山形県だけあって、なかな
かユニークである。

 今ではこのフルーツラインにも新鋭の
キハ100系が投入され、このキハ40系
の「左沢カラー」も過去のものとなった。

 

信楽高原鉄道

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←1992年4月12日  信楽にて  

 


 痛ましい事故で有名になってしまった第3セクター鉄道だが、素顔は平凡なローカル線である。

 この路線に乗ったのはあの事故から約一年後で、事故現場となった急カーブでは、犠牲者の霊を弔うかのように徐行していった。
 私の知り合いで事故に遭った人はいなかったが、現場を通過する時は心の中で手を合わせ、犠牲となられた大勢の方々の冥福を静かに祈った。

 

松浦鉄道

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←1990年9月4日 佐世保にて

 


 始発駅で発車待ちのMR-100型ディーゼルカー。

 長崎県北部の海沿いをのんびり走るイメージが強いが、佐世保付近は人口と駅の密度がなかなか濃くて、ちょっとした「都市近郊路線」の趣もある。

 かつて日本最西端の駅だった「たびら平戸口」は、鉄道ファンでなくても途中下車してみたいところ。

 

JR東日本 鶴見線

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←1997年11月3日 浜川崎にて

 


  ローカル線というと、1〜2両のディーゼルカーが山間の路線をコトコト走るというイメージが強いが、ここ鶴見線は「大都市の中のローカル線」と言えよう。

 何せ休日の昼間ともなれば電車は1時間に1〜2本で、駅はほとんどが無人。周囲は工業地帯の一角だから休日は人影がほとんど見えない。摩訶不思議な雰囲気がするエアポケットのようなところである。


JR四国  土讃線

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←1988年7月5日  大歩危−小歩危間

 


 初めての四国旅行の時、大歩危にある旅館に泊まった。その部屋の窓から見えたのがこの風景で、土讃線を走る列車がバッチリ見える。鉄道写真を撮るのにはなかなか快適な場所だ。

 夜になると当然真っ暗になってしまうが、鉄橋を通過する列車の灯りはキレイであった。

 当時はJR発足から1年少々ということもあり、ご覧のような首都圏色のディーゼルカーがまだまだ多かった。 


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