氷の封印 第二章(6)





「椿!!」
後ろからかかった一条の呼びかけに椿が振り向く。
「一条・・」
見れば凄い勢いで走ってきたのか肩で息をしている一条が立っていた。
「何時来たんだ?」
椿の問いかけに一条は顔を顰めながら側に近寄ってきた。
「先刻、な。最初に病室にいったんだが空だったし、窓から庭に居るのが見えたから・・・・」
そう言いつつ一条の視線は五代に釘付けになっていて動かない。
五代も、その視線を感じているのか体を硬くしたままじっとして俯いている。
「仕事、はいいのか?」
別に助け舟をだすつもりではなかったけれど、一条の五代を見つめる瞳があまりにも切なくて椿は思わず口を開いてしまったのだ。
「あ、ああ」
知らない間に体に力が入ってしまっていたのだろう。
我に返った一条が軽くため息をつくと肩を落とした。
そのまま五代に向きなおる一条の表情のなんと優しげな事か。
「もう、大丈夫なのか・・・?」
「ええ、まぁ・・・」
問い掛けられて、黙って無視ができるような五代ではないから、ゆっくりと顔を上げ頷いた。
それだけでは信用できないと思ったのが、一条が視線で椿に問い掛けた。
あまりにも、前と変わらない光景に椿は軽い眩暈すら感じてしまう。

かつて、診察の度に五代は大丈夫だと笑い、その真実を一条が椿に尋ねる。

「椿?」
一条の問いかけに、椿は何とか表情に出さずに笑って見せた。
「ああ、多分な」
「多分・・・?」
あっさりとした椿の返事に一条が顔を顰める。
「ま、こうやって歩けるようになったようだし・・・」
「なったようだし、って・・・・・どういう事だ」
一条が椿に言い寄ると、椿は仕方がないだろ、といって肩をすくめた。
「とりあえずは何の異常もなかったんだけどな、これ以上の詳しい検査は本人が必要ないっていうしな」
「椿!!」
「おっと、俺に怒るのはお門違いだぜ。判断するのは本人なんだ。費用だって馬鹿にならないのは知ってるだろ?」
椿の言葉に一条が言葉を詰まらせた。
「第一医者が止めたって、本人はこうして勝手に外を歩き回るぐらいだし」
「椿さん!!」
思わず五代が名前を呼んでしまって・・・あっ、と言う顔をした。
名を呼んだ瞬間に一条の体が強張ったからだ。
「・・・・椿と、知り合いなのか?」
「・・・え・・なんで・・・・・・」
「随分親しげに名前を呼ぶだろう」
眉間にシワを寄せる一条の声が冷たく響き五代が体を強張らせた。
「俺が、そう呼べって言ったんだ」
椿が一条と五代の間に割って入る。
「身内に連絡をとろうとしても両親はいないっていうし、あっという間に東京につれてこられて知り合いもいなけりゃいくらなんだって心細いだろう」
肩をすくめながらすこし咎めるような言い方をした椿の言葉に一条が顔を強張らせた。
確かに拉致も同然に東京に連れて来てしまったのは一条だ。
いくら刑事とはいえ、あれは良くない事と一条とて十分承知している。
「だから特別にな。本当だったら女にしか優しくしないんだけどさ」
「そう、か・・でも」
「んー?」
「検査をしない内に自分で大丈夫などといわれても信じるなんて、お前にしたら変じゃないのか?」
椿を正面から見つめて一条が言い切った。
「それに、お前の態度が親しい友人に対するものかそうでないかの違いが俺にわからないとでも思っているのか?」
「・・一条」
あきれたように呟いた椿にはもう見向きもせずに五代に向き直った。
「あれだけ苦しんでいたのをみて、大丈夫だ、などと言われても俺は信じられない」
「そんな・・・・・・」
いいよどむ五代の二の腕を掴み一条が自分の方に引き寄せた。
「顔色だってまだ悪い。安静にしてなきゃ駄目だ」
突然引き寄せらた五代が一瞬あっけにとられて一条を見つめている。
「検査を受けて大丈夫だと判断されないかぎり俺は信用しないからな」
「信用って・・・・・刑事さんは別になにも関係ないじゃないですか」
あきれたように五代が笑っても一条は肩に置いた手を放そうとしなかった。
「関係なくはない」
きっぱり言い切られて五代が言葉につまった。
「部屋に戻ろう、外気はまだ体によくない」
「!・・ちょ・・・・ちょっと、まってって・・」
「いいから言うと通りにするんだ」
有無をも言わせぬ一条の迫力に五代は少し困ったような顔をして椿を見た。
それが一条の気に障ったのか。
「さ、帰ろう」
硬い表情のまま五代の肩を抱きかかえて歩き出した。
五代は一瞬抵抗しようとしたのか、顔を顰めたものの、結局、一条に素直に身体を預けてしまった。
一条が椿を振り返り、椿は軽く頷いて見せた。

一条達の姿が病院に消えるまで椿は其処に佇んでいた。

完全に視界から消えてから、椿は内ポケットから煙草を取り出した。
滅多に吸うこともないが、時折無償に口が寂しくなることがあり煙草はいつも持つことにしている。
病院に背を向けて内庭をぶらぶらと歩きながら口に咥えて火をつけた。
思い切り息を吸い込み、吐きだすと細長い白い煙がたゆたいながら空へと登っていく。
それをずっと目で追って。

不意に、切なげな五代の言葉が蘇った。

あの人が幸せに笑っていられるなら・・・・只、それだけが俺の望み ―――――――――――――――――――― 。

そういった五代の言葉がいつまでも椿の頭から消えなかった。



病室に戻り五代をベットに寝かしつけると漸く安心したのか、一条の表情が緩んだ。
傍に椅子を引き寄せ腰をおろす。
「強引ですね、刑事さんは」
「・・・すまん」
口で言うほど気にしてない様子の五代に一条が微笑んだ。
「でも、本当に大丈夫なんですよ? あれは俺の持病みたいなものだし」
「持病・・・・?」
「ええ、もう・・・治らないんです」
「しかし・・・」

長野でみた苦しみ方を思い出してみても、苦しみ方が尋常ではなかった気がして一条は眉間に皺を寄せた。

あの時、まるっきり赤の他人のこの青年がひどく苦しむのを見て、一条はまるで自分のことのように感じたことに今更ながら戸惑っていた。
何故だか自分の方が辛かったような気がして。
あの一瞬、彼を救うためなら何でもしようとした自分を、一条は確かに覚えている。
事実、東京までつれてきてしまった。

―――― 俺は一体何を考えているんだ・・・・・。
「あのまま君を・・・・放っておく事は出来なかった・・・・」
一条は心に浮かんだ言葉をそのまま口に載せた。


言い訳をするように戸惑いながら話す一条を見て五代の身体が一瞬硬直した。

眉間に皺を寄せて、じっと考え込む。
まるで自分に言い聞かせるように低い声で呟くように喋る、その話し方はかつて出逢ったばかりの頃に一条がよくしていた表情だ。

あの頃のように傍にいたい。
どんなに辛くても構わないから、傍にいたい。

一気に噴出しそうになった感情をなんとか押さえ込み、五代はきつく目を閉じて無理やり一条を視界から消した。
途切れそうになる声を押し出し、平静を装う。
「なに言ってるんですか・・・・だからって東京まで連れてこられちゃっても困ります」
五代の言葉に一条が顔を上げた。
その顔を見たくなくて、五代はなるべく自然を装いつつ目を窓の外にむける。
「第一、俺長野に用事があったんですよ?」
「すまん・・・」
五代に言われて一条は頭を下げた。
「しかし・・・」
「?・・・・なんですか?」
「あのまま君を長野において・・・・・自分だけ東京に帰るなどと考えられなかった」
一条の言葉が、五代に染み渡る。
「君が・・・病院には行きたくない、というから・・・・・だから」
「俺のせい、なんですか?」

柔らかい微笑を浮かべるのを見て、不思議なほど安らぐ自分を一条は感じて。
そうだ、自分はこの男をいつでも見える場所に置いておきたかったのだと、そう渇望している事を悟った。


「・・・・・ここは、その俺の友人の・・・さっきの椿という医者だが・・・、ある程度自由が効くんだ。だから・・・」
「だから?」
「・・・・・知られたくないということがあるのなら・・・・・ここなら、大丈夫だから・・・・」
言いよどんで黙ってしまった一条を見つめる五代の瞳が潤んだ。


――――――――― この人が好きだ。


五代の胸に浮かぶ消し様のない思い。
いつからかは忘れてしまったけれど、いつのまにか好きになっていた。
いつからか、誰よりもこの人を護りたいと願うようになってしまっていた。
再びこうして出会えて。
声を聞くことが出きて。
体温を感じそうなほど側に感じて、泣き出してしまいそうな程嬉しくて、五代は手を握り締める。
きっと、それだけで、この先どんな辛くてもきっと耐えていける。

だからこそ。


「・・・・・・いいんですか? 刑事さんがそんな事いっちゃって」
不意に甘くなった辺りの雰囲気を壊すようにわざと茶化して肩をすくめて見せる。
だが、一条はそれには乗らず真摯な瞳で見つめてきた。
「君は確か・・・五代雄介といったな・・・」
「・・・・は・・・あぁ」
正面から問われて思わず返答に困ってしまう。
「五代、と呼んでもいいだろうか」
名を呼ばれた時のあまりの懐かしさに五代が言葉を詰まらせた。
「・・・なにを・・・・・突然・・・」
それでもなんとか平静を装いつつ呟いてみる。
ふ、と綺麗な微笑を一条が口元に浮かべた。
「だから・・・・・・俺の事も名前で呼んでくれてかまわない」
「え・・・・?」
「一条、でいい・・・・だから・・・・・"刑事さん"は止めてくれないか・・?」
照れくさそうに眼を細めて笑う一条に、五代は言葉がでなかった。

「一条と呼んでくれ・・・五代」
視線を逸らさずに見詰め合って。
薄茶色の瞳には五代しか写っておらず、黒い瞳には一条しか写っていない。
二度と呼ぶつもりのなかった名前が、無意識に五代の口から漏れる。

「・・・・・・・いちじょ、お・・・・さ・・・・」
男にしては、少し厚めな唇が動いて一条の名を呼んだ。

その低く掠れた声に引き寄せられるようにして自然に一条の身体が傾く。


その瞬間

コンコン、と扉をノックされた音に二人がハッ・・と我にかえった。
「あ・・・その・・・」
自分が今何をしようとしたのか、訳が判らず一条はぎこちなく身体を引いた。
たった短いこの瞬間のことなのに、何を考えていたのか記憶にない。
ただ無意識に身体が引き寄せられて。
(一体、何をするつもりだったんだ・・?)
自分で自分がコントロール出来ず、見れば、五代の顔も強張っている。
それでも、視線は逸らす事ができなくて見つめあう。

「―――――――・・・・五代君・・・・?」

かわいらしい女性の声が二人の呪縛を説いた。
後から響いた声に思わず一条が立ち上がって振り向いた。

「・・沢渡さん・・・!」
「桜子さん!」

扉に立つ女性を二人が同時にその名を呼んだ。



「沢渡さんの知り合いだったんですか・・・・」
「ええ、大学が一緒だったんです」
ぎこちないながらも笑顔を浮かべつつ、桜子が勧められた椅子に腰をおろした。
みのりから連絡を受け病院まできたものの、まさか未だ一条がいるとは思っていなかったから驚いてしまった。
「五代君、冒険野郎で大学では有名人だったし、遺跡関係にも詳しくって・・・」
「遺跡にも・・・?」
一条が五代を見る。
「ええ、彼は九郎ヶ岳遺跡発掘のメンバー関係者なんですよ」
「九郎ヶ岳の!?」
驚愕を隠せずに一条が五代を見つめた。
「ええ、でも発見して直ぐ別件で海外に出ちゃってたのよね」
桜子が五代を見ると、五代が笑って小さく頷いた。
一瞬だけ悲しげな光を瞳に浮かべて、桜子も小さく頷き返す。
「だから・・・遺跡関係者一覧に名前がなかったんですね・・?」
「ええ、未確認事件が起こる前に五代君は日本をでちゃったから」
「・・・・・そうですか」
一条が五代に視線を固定したまま安堵の溜息を付き。
「・・・・・・よかった」
一条がそう言って笑ったのを桜子は見逃さなかった。
「・・よかった・・・ですか?」
「ええ・・・彼があんな事件に遭遇しなくて、良かったと・・・」


その声があまりにも深く喜びに満ちていて、桜子は不意に泣きたくなった。
一条はそんなに後悔していたのだろうか。
五代をあの戦いに関わらせた事を。
共に戦いの前線にたち2人で寄り添いながら闘ってきたのに。


ふと見れば五代の一条を見つめる視線が優しくて、桜子は2人のつながりを見せ付けられたような気がした。
いまでも一条のことは許せないと思っているけれど、五代がそれでいいというなら。

五代のために。
一度瞼を閉じ、上げる。
「そうね、私も五代くんがあんな目に会わなくて良かったって思うわ」
にっこりと笑った。
「突然帰ってきて、ましてや倒れたなんて連絡受けちゃったから驚いた・・・・倒れたなんて、しかも今東京なんて言われて」
「あ・・・ごめ・・・」
「それに関しては私が謝ります」
口を開きかけた五代を制して一条が椅子から立ち上がり深く頭を下げた。
「え、一条さん?」
「目の前で倒れられて動揺してしまったんです・・・・・。尋常じゃない苦しみ方だったので」
一条の説明に桜子が五代を凝視した。
「五代君!」
「大丈夫だって! 一条さんが大げさに言っているだけだよ! 例の持病だよ、いつもの・・・・」
困ったように笑う五代を心配そうに見つめる桜子に尚も一条が言葉を続けた。
「ここならある程度私の自由も聞きますので、強引に連れてきてしまったんですが・・・・」
「・・・なにか?」
中途半端なところで口を噤んだ一条の先を促すように桜子が声をかけた。
「ですが検査は必要ないといって、受けてくれないものですから大丈夫と言われても退院させる訳には・・・」
丁寧ながらも自分の意志を曲げる気のなさそうな一条の言葉に今度ばかりは桜子も賛成した。
「ダメよ、五代君。受ける事ができる検査があるなら、受けて」
桜子に見つめられて五代が困ったように笑う。
「なんにもなければそれでいいのよ・・・・・安心できるでしょ?」
「でも、ね・・・・・」
考えながら口を開いた五代だったけれど桜子に見つめられて肩を落した。
「・・わかった・・・・少し考えさせて、よ」
「そう、良かったわ!」
諦めたような五代の返事だったけれど桜子は安心したように笑い、一条も頷いた。
「あ、そういえば渡すものがあったのよ」
桜子がカバンをあけて白い封筒をとりだした。
「これ、彼女から」
「彼女?」
五代が反応するより早く一条のほうが反応を返した。
「え? ・・あ、ええ・・・」
一条の思いもがけない迫力に桜子が言葉を詰まらせながらも説明をする。
「五代君の婚約者です、けど」
「あの女か・・・・・!?」
一条の吐き捨てるよう言い方に桜子が眉間に皺をよせた。
「あの、女って・・・・彼女、私の友人で五代君の婚約者なんですよ!? それに九郎ヶ岳の第一発見者でもあるし」
「第一発見者って・・・」
「この人達、遺跡発掘カップルなんですもの。九郎ヶ岳だって2人が中心となって発掘が進められたもだし、そのあと2人 して海外から呼ばれて日本を出てしまったんですけど」
「あの女とはもう会わないで貰いたい」
「・・・は?」
突拍子もない一条の言葉に五代と桜子は一瞬顔を見合わせ、再び一条に向き直った。
今までの柔らかい顔が消えてしまっている。
「一条さ・・・・・」
「あの女は未確認生命体だ」
「え・・?」


「あの女は、俺が殺した筈の未確認生命体だ」


一条の言葉が病室に響いた。




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