氷の封印 第二章(5)





太陽が暖かかった。

眼を覚ましてまず五代の瞳に写ったのは関東医大の白い天井だった。
かつて何回も見たことのある天井。
五代はゆっくり起き上がると病室を後にした。

暖かい光りを、花の香りを、人のざわめきを心地よく感じながら関東医大の内庭を歩く。
「・・・・・・・・帰ってきたんだなぁ・・・・」
あの、白い冷たい氷の世界から、人の世界へと。

まるで夢のような光景に、五代は小さく呟いた。

不意に立ち止まった五代は自分の手をじっと見つめた。
拳が砕けるほど激しく殴り合っても、今はもう跡すら残していない。
いや、手だけではなく、全身には傷1つ残っていないだろう。
自分の体が、既に人間の身体でなくなってしまったことを五代は十分承知していた。
最後の闘いで砕けたアマダムの変わりに《ダグバの石》が今の五代を為さしめているといっても間違いはない。
そして《アマダム》と《ダグバ》の石の両方を取り込んだ五代だからこそ判る事がある。
二つの石が五代に、クウガと第0号・・・人間と未確認生命体の闘いは単に《善と悪》の闘いでなかった事を告げた。

たくさんの犠牲者を出してきた闘いだったのに。
未確認生命体が現れたのは必然だったのだと、大切な者を理不尽に奪われた者の慟哭を見て、嘆く彼等に何を言えばいいのだろう。

五代だとて信じたくない思いで胸が一杯だ。
なにもかも知ってしまった今でさえ夢だったら、と思わずにはいられなかった。

全てを胸に秘めて誰にも何にも言わずにいるつもりだったのに、人の優しさに触れ、つい甘えてしまった事を今は後悔していた。
誰かに自分のしようとしている事を知っていて欲しかったのかもしれない。
一番大切な人の直ぐ傍にいる人に。
もし、万が一あの人の記憶が戻るようなことがあったときに自分の事を伝えてもらえるように。


「相変わらず医者の言う事を聞かない男だ」
そういって笑う椿は聞きたい事も言いたい事も山ほどあるのだろうに、何も言わずそっとしておいてくれる。
彼こそ本当に強い人間だと思う。
五代は背中にある椿の手を感じて目をそっと閉じた。
自分が人間でない、と知ってなお変わりなく接してくれる椿の優しさが嬉しくて…辛かった。


眼を閉じると、あの記憶が今も鮮明に蘇る。
2001年1月30日  冬の雪深い、九郎ヶ岳 ――――――――――


こうしていても、ふとした折に、記憶があの白い世界に引き戻されるときがある。
いや、実は記憶ではなく。
もしかして、この毎日こそが夢の中の世界で、気が付いたらあの冷たい雪の中にいるのではないかと思うほど五代の中に鮮明に蘇るのだ。



―――――― 人とは相も変わらず脆弱な存在だ。だからこそ愛しくて堪らないよ
高らかに笑いながら0号は五代に告げた。
―――――― 僕はこのまま彼等が滅びてしまうのは可哀想だって思っているんだよ?
幼い、あどけないとすら言える笑顔を浮かべる0号。
―――――― これから人は淘汰されて力の無いものは死んでいく。人に必要とされるのは力さ・・・・
拮抗した力で死闘を繰り広げた二人は既に変身が解け、互いに血まみれになりながら相対する。
―――――― 人は段々と僕達に近づいてきている・・・・・君は気付いているんだろう?
―――――― そんなことはない!!
―――――― いや、そうさ! 争いを闘いを好み、自分の為に他人を殺す! 僕達と何もかわらないさ!
―――――― お前達と一緒にするな! 人はお前達にない心をもっている! 他人を思いやったり、労わったり・・・
懸命に言い募る五代をみて0号は嘲笑う。
―――――― それが? ・・結局、強い者が弱い者に施す偽善でしょ?
―――――― 貴様・・・!
―――――― そうすることで自分が他人より優れていると優越感に浸るだけの小道具さ! 我等グロンギと同じだよ!
―――――― 違う!! 一緒にするな!!
―――――― 同じだよ。今、この瞬間だって我等グロンギを憎み、殺したいと思っているだろうが! より強い力が欲し いと思っているだろうが!
嘲るような0号に五代は一瞬言葉を失った。
―――――― 君が、いい証拠さ
―――――― ・・・!!
―――――― 強くなりたいと望んだからこそ、その形に変わったんだろう
―――――― ・・・・っ!
―――――― 何故強くなりたいと望んだ!? 殺す為さ! 自分が生き延びる為に人であることを捨て、彼等を殺して進 化してきたのだろうが!
0号の言葉は、鋭い刃となり五代の心を深く抉りとった。
違う、とは言えなかった。
相手を殺さなければ自分が殺されてしまっていたのは事実だから。
―――――― それなのに、何故他はそうじゃないと思おうとするのさ
―――――― やめ・・・ろ・・・!
―――――― 人は力を求めるようになる。そしてグロンギへと進化するんだ!
―――――― やめろ!!!

五代の脳裏に九郎ヶ岳に赴く途中に見てきた沢山の無残な死体達が浮かび上がった。
その中に重なるようにして倒れていた親子の焼死体を見た。
少しでも炎から子供をかばおうとしたのだろう。
しっかりと胸に抱きこんで死んでいた母親の死体が今も脳裏に焼き付いている。


五代が静かに口を開いた。
――――――― 人は・・・お前達とは違う。

例えば、理不尽で圧倒的な力に己の命の喪失を見つめながらもほんの少しでも愛しい者を護ろうとした母の行為こそが、グロンギにはない『人』としての本質だと五代は思いたいのだ。
死ぬ瞬間、彼女は力を求めたのだろうか? きっとそうではなく、ただ護る事だけを考えたはずだ。

自分と同じぐらい、いや時にはそれ以上に他人を愛しく思う心こそが力をもとめさせるなら。
――――――― 人はグロンギにはならない。
そのことを、五代は自分の身をもって証明したのだから。


いすれ、人は変わっていくだろう。
もしかしたら『人』という種類すらなくなってしまうような変化を迎える時が来るかもしれない。

それでも大丈夫だと思いたいのだ。


五代の頭の中にたくさんの顔が浮かんだ。
大切な人達。
たった一人の妹。
そして。

最愛の人。


―――――― もし変わらなければならないなら、人は人として変わるべきだ。
―――――― ・・・・・。
なにかを決意した引き締まった五代の表情に0号が目を細めた。
―――――― お前の望むほうには進ませない。
もう既に声を張り上げる必要はない。
決意に満ちた五代の声が吹きすさぶ吹雪の音を上回って0号に届いた。
五代の、腹部・・・アマダムがあった位置が光を放ち始めた。
―――――― なに・・・・・?
―――――― お前がその方向を歪ませるというなら、俺はお前の存在を許す訳にはいかない!!
―――――― ・・・・・・。
―――――― 来るときがくるまで、人は人として在るべきだ! 俺はそうあることを望む!!!
段々と全身が発光するように白い光に包まれてる輪郭が淡く溶け出していく。
0号が、嘲笑った。
同じように光を放ち始めて。
―――――― ならば決着をつけようじゃないか・・・!! 僕達のどちらが必要とされるのかを・・・!
二人は何時の間にか走り出していた。
―――――― 人にとって俺達など必要ない!! 俺もお前も、この世界に存在するべきではないんだ・・・!!
五代の身体がより強く光を放ち当たりに広がり始めた。
―――――― まさか・・・・!!
初めて0号の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
―――――― なにを・・・!!
一瞬、戸惑った0号の隙をつき、五代は0号の身体を抱き締めた。
0号の光を、五代の光が包み込んで。
―――――― やめ・・・ろ・・!!
懸命にもがく0号を押さえつける。
既に大量の血が流れだして身体に力が入らなくなっているから、五代はこの一度のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
血で滑る手を懸命に組んで押さえ込む。
―――――― は、なせ・・・・・!!


0号の光が爆発的に膨れ上がり、五代の顔が苦痛に歪んだ。
その勢いに押されて光を押さえきれなくなりそうになった瞬間。


「五代!!」


こんなに遠く離れているのに、猛吹雪に閉ざされているのに・・・・・呼ぶ声が聞こえた。

声のするほうに視線を巡らせて、見つける。
直ぐに立ち去るように言ったのに。
そんなに必死な顔をして。

五代の心の中があったかくなる。
もう、寒さも痛みも気にならない。
最後に、貴方の姿を見ることが出来てよかった・・・笑顔じゃないのが心残りだけど。

自分が間違っていないと確信できたから。
小さな声で呟く。


―――――― 逃げて・・・一条さん


五代―――――――――――――!!!!!


声を聞いたつもりでいたけれど、本当は幻聴だったのかも知れない。
でも、たしかに五代の目には一条が自分の名を呼んだのが見えたのだ。


貴方にあえてよかった


五代を包む光が、辺り一面に広がり0号を包み込んだ。



誤算だったのは0号の抵抗が予想より大きな力を持っていたこと。
吸収する瞬間、0号から放たれた最後の力が五代の手を漏れ一条を直撃したのを見た。


空中に舞う一条の身体がスローモーションのように五代の瞳に写った。
0号の一撃は一条の命を奪うものだと直ぐにわかった。


――――― どうする・・・・たった一人の人間と、人類と・・・どちらをとる・・・・・・クウガ?


五代の中で最後の0号の意識が嘲笑って、薄れていく。


五代に迷っている暇はなかった。
意識を身体の中の『アマダム』に集中させる。

――――― ・・・!!!!!

今、ここで力のバランスを崩してしまえばどうなるか
判っていたけれど、このまま一条が死んでいくのを見ることできなかった。


もともと亀裂のはいっていた『アマダム』は五代の意思で簡単に砕けた。
小さな破片の1つが五代の身体を飛び出した瞬間。
拮抗していたバランスが崩れ、五代の身体の中で『ダグバ』の石が力を増した。
身体に激痛が走り顔を歪める。

『アマダム』と『ダグバ』が力がぶつかり合って。

それぞれに砕け散った破片はやがて五代の身体から飛び出していった。
7つに割れた『ダグバ』の石のうち、身体に留めておけたのはたった2つだけだった。
残り5つが光のすじとなって飛んでいくのを見ながら最後の力を振り絞った五代ができたことは、身体に残る最後の『アマダム』を彼女の元へと飛ばすことだけだった



うすれゆく意識のなかで一条の生命の鼓動を感じ取り、五代は安堵して・・・堕ちていった。




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