氷の封印 第二章(3)





「・・・・そう、解ったわ・・・・。ウン。ウン.・・・・・・・じゃあ、1時に」
通話を切った後、桜子はしばらく手にした携帯の画面をじっと見ていた。

あの女の言った通りに、二人は出会ってしまった。
目に掛かるほど伸びてしまった前髪をかきあげて携帯を机の上に放り投げる。
カツン、と硬質な立てて転がるのをみて、桜子はベットに倒れこんだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり、な」
桜子の小さな呟きは突っ伏した枕に吸い込まれて消えた。
出来る事なら出会って欲しくは無かったのに。
やはりあの二人は出会ってしまう運命なのだろうか。
だとしたら、今度も自分は見ていることしかできないのだろうか。
―――――――――――― ポツリ。
窓に当たる水滴の音に視線を向けるといつのまにか雨が降り出してきたらしい。


―――― 五代君が別れを告げにきたあの日も雨が降っていたっけ・・・・。


桜子の記憶の中の五代は何時も青空に包まれていたと思う。
彼からはいつも太陽の匂いがした。
五代の笑顔には太陽が重なるような感じすらしていたのに。


あの日。
激しく雨の降っていた最後の決戦の前日。
五代は雨に濡れて、自分だって傘をさしていたにも関わらずびしょ濡れになって。
透き通るような笑顔が雨に濡れて、まるで泣いているようだった。
あれから、桜子の記憶中の五代には必ず雨がついてまわる。


美しい薔薇のような女性に出会ったあの日も雨が降っていた。


全てが始まった長野での、あの日に。



一通り現場検証がすんで桜子達が開放されたのは、もう朝方といってもいいような時間になっていた。
なんの着替えも持ってこなかった桜子は加奈子に彼女の家に来ないかと誘われていた。
もちろん、五代の婚約者だという女性も一緒にだ。
桜子が聞いている限りでは旧知の仲のようだ。
桜子と加奈子の仲だって長い。
もし加奈子に本当にそれだけの付き合いのある友人がいるとしたら、ましてや自分達に絡むような遺跡に関わっていた人物だったとしたら、桜子に紹介していないはずがない。
そう考えると桜子の中に見知らぬ女性への不信感がつのっていった。
小さくため息をつき、携帯を鞄から取り出しリダイヤルボタンを押してみる。
一条の携帯に何度もかけているのだが、電波の届かないところに・・・という案内が返るだけで一向に通じないし向こうから も掛かってこない。
結局、一条は姿を表さなかった。
もしかして、なにか事件でも起こったのかも知れない。
そう考えていたとき、何時の間に傍にきたのか加奈子が声をかけてきた。
「ね、桜子も泊まるんでしょ?」
そうするのを疑わない問いかけに、一瞬返事に詰まった。
「う・・・ん」
特に断る理由はない。
それに、どうしても彼女の正体を突き止めたい思いがある。
「そう、ね。お邪魔しちゃおうかしら」
「そうよ久しぶりに語りましょうよ」
その笑顔につられるように桜子も苦笑した。
「加奈子?」
その後ろから聞こえた声に体が一瞬硬直する。
幸い加奈子はそんな桜子の固い表情には気付かないままに声の主を振り返った。
「加奈子、教授が呼んでいるわよ」
加奈子の影になって顔がはっきりとは見えないけれど、柔らかな心地よい声が桜子を包んだ。
「私を?」
「ええ、なにか聞きたいことがあるって・・・・」
二人の会話を聞きながら手の震えを懸命に押さえる。
なぜか、激しい動悸がして耳がガンガン鳴っている。
そのせいで声がよく聞き取れなくて、そっと顔を伏せた。
「じゃ、ちょっと教授の所にいってくるわ」
「そうした方がいいわよ」
軽く首でもかしげたのだろうか。
桜子の視界に黒髪がゆれるのが写った。
彼女がつけている香水なのか、雨の匂いに混じって微かに甘い薔薇の香りが桜子に届く。
「あ、そうだ、紹介するわ」
加奈子が桜子に向き直ったことで、正面から向き合ってしまった。
俯いた視線の先に白いパンプスの先が写った。
ゆっくりと顔を上げて、目があった。
「ほら、五代君がいつも話していた・・・・」
「知ってるわ、沢渡 桜子さん、でしょ?」
にこり・・・・と微笑まれて桜子が我に返った。
それまで見とれてしまっていたらしい。
「いつも雄介から話は聞かされてました」
「あ・・そう、ですか」
雄介。
そう呼び捨てにした。
自然に目線がきつくなってしまう。
嫉妬ではない、はずなのに桜子の胸を焦がす不可思議な感情の塊がある。
五代の婚約者がいる、と聞いてから出来た塊だ。

一条と五代の深い結びつきは知っていた。
それこそ、体の関係はなかったものの桜子では入り込むことのできない精神の繋がりが彼等の間にはあったのを認めざるをえない。
それを知った瞬間確かに嫉妬はしたが、仕方ないと諦めはついた。
自分では踏み込むことのできない領域に一条だけが入り込み、五代雄介という人物の本質に近づく事が出来る。
みのりですら知ってはいても踏み込むことができなかった五代の精神の中に入る事を許された、一条にだけ与えられた特権。
だからこそ、一条が記憶をなくしたのが許せなかったのだ。
誰もが欲しがったその椅子をやすやすと手に入れて、ソレをなくしてしまったことに。
羨ましくて、妬ましくて、悔しくて、そして悲しかったから。
それでも時がたつにつれて、自分の思いも沈静化してきた。
たとえ自分がその輪の中に入れなくても、一条とみのりを除けば桜子だけが一番近い存在であったから。
あの2人ほど近くはないけれど、他の人間よりは五代に近いし・・・大切にされていた。
そして、一条が記憶をなくしてしまった今、記憶の中の五代雄介は桜子のものだったから。
それなのに、突然現れたこの女性はさも当然のように呼び捨てにして。
喉元まで塊がこみ上げる。
もし本当に五代に婚約者なる者がいるなら桜子が知らない筈はない。
そんな重要な事を五代が桜子に内緒にしているなんてことはないのだ。
桜子と五代の間にあるものは簡単に友情、とくくられてしまうようなあっさりしたものではない、というぐらいの自負はある。

だから、この気持ちは嫉妬ではない、そう自分に言い聞かせつつ桜子が顔を上げる。
「あの・・・・」
「ねえ? 私達、どこかで会ったことないかしら?」
思い切って口を開こうとしたのを制されて、先に口火を切られてしまい言葉に詰まる。
「どこかでって・・・・」
「そりゃあ、桜子と五代クンの付き合いも長いんだから、どこかで二人は会ってるんじゃない?」
加奈子が桜子の肩に手を置いて面白そうに覗き込んだ。
「そうね・・・・でも私、殆ど日本に帰ってきてないし・・・・」
「あ・・・・そういえばそうよね、五代君とも向こうで会ったんだっけ? いいなぁ・・・運命の出会い、かあ!」
「ふふ」
ぐりぐりと肘でつつかれて頬を赤らめる様。
その、目の前の仲のよさそうな二人がまるで芝居でもしているように見えて桜子は顔をそむけた。
自分だけが薄いガラスを隔てて隔離されているようだ。
「あ、ほら。加奈子ったら。教授が呼んでいるんだってば」
肩を叩かれて加奈子が促されていっけない、と舌を出した。
「二人とも車で待ってて! ちょっと行ってくるから」
走っていく後ろ姿を見送って、完全に視界から姿が消えたのを確認してからそっと彼女に視線を向けた。


白いワンピースにほっそりとした肢体を包んだ背の高い女性。
緩やかなウェーブのある艶やかな黒髪が肩に掛かっている。
抜けるように白い肌に紅をさしたような真っ赤な唇が対象的で映えている。
スッ、と切れ長な瞳を長い睫がびっしりと包んでいて、まるでアイラインを引いたように際立てていて。
横顔でこれだけ綺麗なら、正面をむいたらさぞかし・・・・と素直に桜子は感嘆し、無意識なため息をついた。
だた、あまりに綺麗過ぎて。
そう・・・・とても人間には思えない。
桜子の考えでも読み取ったのか、ゆっくりと彼女が顔を向ける。
正面からその視線をうけ、桜子は小さく息を呑んだ。
先ほどまで微笑みすら浮かべていた顔から、全ての感情が払拭されて今は能面のように無表情になっている。
鏡のように桜子の姿を映すだけの黒い瞳。
そこに写る自分の姿を見てゾッ・・・とした。
人に、こんな何も感情の浮かばない瞳ができるのだろうか。
見ていて寒気が走るような『氷』のような瞳。
――――――――――――・・・・え?
ふいに、桜子の記憶の中を何かが走りぬけた。
彼女のまとうその雰囲気に、なにか覚えがあるような気がしたのだ。
これだけ印象深いのなら、なにかしら憶えがあるはずなのに・・・。
「・・・どこかで・・・って」
「覚えてないようだ・・・・」
その声色や言葉使いまで変わってしまっている。
桜子が目を細めるのを見て、笑ったつもりなのか形の良い唇が微笑を形どった。
アルカイック・スマイル。
そんな言葉が脳裏を走る。
「・・・・・・・・・B1号、確かそんなふうに呼ばれていたはず・・・・・」
B1号。
その名に誘発されるように、桜子の埋もれた記憶の中から不意に1つの光景が蘇ってきた。
城南大学の研究室で。
自分と五代と一条と榎田さんで、資料を見ながら話し合ったあの時。
一条が持ってきた未確認生命体の資料の一枚に写っていた女性の姿。
たしか、B1号って・・・・・。
「・・・・・!」
ボンヤリとしか写っていなかった写真の中の女性と、今、目の前にいる女性の横顔が一致する。
全身の血が、一気に音をたてて下がったような気がした。
グワングワンと耳鳴りがして、目の前の光景がグニャリと歪む。
かつて、間近に接近し未確認生命体に襲われたときの恐怖が蘇り桜子の身体に充満する。
それともう1つ。
吐き気を催すほどの激しい怒り。
身も心も凍りつくような恐怖を上回って尚、広がる怒り。
五代が命をかけてまで殲滅したはずの未確認生命体が生きていたとしたら、五代は何の為に全てを犠牲にしたというのだろう。
でも、一番桜子を苦しめているのは。
この憎い未確認相手に何も出来ないひ弱な自分を知っているからだ。
ただ恐怖に怯えるだけで動けなくすらなっている自分が情けなくて悔しくて。
今にも零れ落ちそうな涙を懸命に堪え、硬く拳を握り締めて、桜子は懸命に睨みつけた。


身体を震わせて、恐怖に目を潤ませながらも自分を気丈に見つめてくる桜子を見て。
その瞳が不意に柔らかくなった。
「・・・・・・・・そんなふうに」
「・・・え?」
「・・・・・そんなふうに恐怖に怯えているのに」
突然何を言いだしたのかと桜子は眉をひそめた。
目の前の女性が纏う雰囲気が今までとはガラリと違ってしまっている。
なにか優しげで、慈しみの光りすら称えているような雰囲気すらあって、桜子は混乱してしまう。
この笑みは、誰かに似ていた。
そう・・・・・五代雄介の笑顔に似ている。
どこも似ている所などないのに、不意にその笑顔が重なった。
「睨みつけてくるだけのことはできるのだな・・・・・・」
「・・・・・え・・・?」
「あの御方の言ったとおりだ」
その声が意外に優しく聞こえて桜子の身体から力が抜けた。
『あの御方』といった時の、声に含まれる感情が桜子を覆っていた諸々の棘、恐怖を殺ぎ落としていく。
――――――――――――― 五代君の敵じゃない
彼女が口にした『あの御方』とは五代のことだ。
そう直感した。
多分間違いはないだろう。
「B1号はもういない」
「・・・・・・・いない?」
「この身はあの御方の為だけに再生された」
ふっ・・と目を伏せ、自分の腕を撫でながら夢みるように囁く様子に桜子が眉を潜める。
「この体も、この命のそのためだけにある」
「・・・・・その、為?」
「そう、本来私の役目は《裁く者》ではない」
目を伏せて、口元に笑みを称え、気高さすら感じさせるその雰囲気に。
高貴な白薔薇を桜子に思わせた。
今の彼女は例え未確認生命体だとしても、邪悪な存在ではない。
それでも、いまだに震えの残るこぶしを握り締め、桜子はきっ・・と顔を上げた。
視線を逸らさずに真正面から見据える。
「・・・それで、何が言いたいの?」
そんな桜子に視線を流すものの口は閉ざしたままだ。
「なにか、あるから・・・来たのでしょう? ・・・・五代君の、ことで・・何か私の力が・・・・必要なのではないの?」


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一条は関東医大の廊下を歩いていた。
すれ違う看護婦が一条を見るたびに頭を下げる。
そのたびに一条は軽く顔を顰めながらも会釈をした。
顔を、覚えられてしまったのだろう、それも仕方がない、と胸の中で溜息を付く。
毎日毎日訪れれば顔を覚えられてしまうというものだ、と。
勿論、それだけが理由ではないが確かに一条は関東医大に日参している。
仕事が暇なわけではない。
それでも、ふとした時間の合間をぬってこまめに足を運んでしまう。
――――――――――――― 彼に逢いに。
もし面会時間に間に合わないようなら、椿に無理を承知と頼みこんで中に入らせてもらったりもした。
もっとも、いまだ面会謝絶の札は外されていないから会えた試しは無いし、精々寝顔を見ることが出来たぐらいだけだった けど。
それでも一条は自分が不思議なくらい満足するのを知っていた。

たかが、一言二言言葉を交わしただけの男が何故こんなにも気になるのか。

「・・・・・一緒にいた女のせいだ」
誰にともなく一条は呟く。
B1号に瓜二つの女。
いくら他人の空似とはいえ、あんなにも似るはずがない。
そして、その恋人・・・・らしき男。
普通に考えたら、ただの人間と思えるか!?
脳裏に2人が寄り添う姿が蘇って・・・自然に足音が荒くなって、止まる。
「俺は、何を気にしてるんだ!?」
今更わかりきったことを自分に問い直す。
馬鹿らしい、と頭を軽く降った一条の視線が不意に一点に釘付けになって、突然そこにむかって走り出した。
いつ外されたのか、病室の扉には面会謝絶の札がかかっておらず半分程開いている。
椿の奴、一言教えるぐらいしろ・・・!! と、胸の中で文句をいいながら慌てて部屋に飛びこんだ。
「!?」
その部屋にはベットが一つしかないのに・・・そのベットの上には誰も居なかった。
この部屋の主はどこに行ったのか、慌てて部屋を見回しても勿論誰もいない。
出て行ってしまったのかもしれない、そんな考えが一瞬頭を過ぎり慌てて打ち消す。
布団は捲れあがったままだしそんな様子は見受けられない。
何時の間にか入ってしまった力を深呼吸とともに抜いていく。
ベットに近寄り手を当ててみるとまだ暖かい。
起きてからそんなに時間はたっていないのだろう、そんな事を考えながら何気なく窓の外に視線を屋って・・・・目を見開い た。
そこからは関東医大の中にが見下ろせるようになっているのだが、そこに見知った人物が見えたのだ。
白衣を来た椿と、その傍らに寄り添うようにしてたっている青年の後姿。
その背中に椿の手が廻されているのを見た瞬間、一条は駆け出していた。



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