氷の封印 第二章(2)





「お久しぶりですね」
椅子を勧めてコーヒーを入れる。
最後に会ったのはいつだったろうか。
一条だけが生還して、病院に収容されて。
記憶を失ってしまったのを皆に告げたあの日。
桜子が卑怯者だと泣いて、そんな桜子の肩をただ黙って抱いていたみのり。
それからしばらくたった、ある雨の降る夜遅く、みのりはたったひとりで関東医大を訪れた。



『・・・・・一条さんに会わせてもらえませんか?』
雨の中どれ位濡れていたのだろう、水滴が全身から滴り落ちていた。
『こんな時間に来て、椿さんに御迷惑かけてしまって・・・すみません。でも、どうしても今会いたいんです・・・・・』
口元に微かに微笑すら浮かべていたけれど、その両の瞳に巣食う深淵を垣間見た時椿には断ることはできなかった。
秘密裏に通した集中治療室の窓から横たわる一条をじっと見ていた姿が今でも忘れられない。
着替えもタオルも断って濡れたままで、無表情のままに立ちすくんでいた。
髪の束から、洋服の端から水滴は続いて廊下に落ちて小さな音を響かせていた・
『みのりさん・・・・』
『まだ・・・・・』
『え?』
小さな呟きが聞き取れず思わず聞き返した。
『まだ、記憶が戻らないんですよね・・・・・・』
問いかけではなく確信した声。
ガラスの向こうに眠る穏やかな顔をした一条を見て何を思うのか。
『あの・・・』
『このまま・・・・・・・・・・記憶が戻らなければいい・・・・・・・・・』
『・・・・・え?・・・』
椿がたった今呟かれた言葉の意味を理解する前にみのりは頭を深々と頭を下げた。
『我侭いってゴメンナサイ』
『みのりさん』
『椿さんに無理させちゃって、私ったらどうしようもないですね・・・・・・・・ありがとうございました』
そう言って、椿には何も言わせずに去ってしまった。
それからみのりが病院を訪れることは一度もなかったのに、なぜ突然訪れてきたのか。



「今日は・・・何か」
椿の問いにみのりが首を傾げた。
「あの・・・・知らないんですか?」
質問に質問で返されて椿が返答に困る。
「知らない・・・って?」
話の流れが掴めず、戸惑いながらもみのりに椅子を勧めるがみのりは首を横に振った。
「そっか・・・・じゃ、間に合ったのかな」
「みのりさん?」
口元に手を当てて小さくつぶやいた言葉を聞き取れなくって思わず身体を近づけた時、みのりがまるでタイミングを計ったかのように椿に向き直った。
「ね、椿さん」
クルリと椿を振り返り正面に向き直ったその瞳はあの夜に見た深淵を思い出させて、椿は身体を緊張させた。
「一条さんから電話あったと思うんですけど」
「・・・一条から?」
「はい」
椿の口が あ、という形を取った。
「でも、その様子じゃ知らなかったみたいですね」
年下のみのりに主導権をとられたままで話が進んでいく。
「・・・・知らないって・・・・・・」
「一条さん、長野から東京に向かってるんですよ」
ふふ、とみのりが笑う。
「ひとり病人をつれて・・・って、一条さんがかってに病人って思ってるんですけどね」
まるで耳に心臓があるかのように椿の耳元で脈打つ音が大きく聞こえている。
何故みのりがそんな事を知っているのか。
聞きたくても喉に張り付いたように声がでない。
「それ、お兄ちゃんなんです」
「・・・・・・・・・・え・・・・・?」
あまりにもサラリと言われて、一瞬椿の頭が真っ白になった。
「今、なんて・・・・・・・」
「お兄ちゃんなんです、って言いました」
みのりの表情には何の変化もない。
「おにい、ちゃん・・・・て」
「やだ、忘れちゃったんですか?」
ひどいなぁ、もう、と口を尖らせる様子は普段と全然かわらなくって。
「五代 雄介、ですよ?・・・・4号であり、クウガであり、私の兄の・・・・五代 雄介です」
椿は声が出せなかった。
「五代、雄介? 五代ってあの五代・・・・か?」
半ば呆然呟いて。
ゆっくりと思考が動きだした。
「そ・・・っか、生きて、たのか?」
「ええ」
「そっか・・・・・・」
椿の胸にゆっくりと喜びがこみ上げてきた。
五代 雄介が生きていた。
生きていてくれた、それだけで、ただひたすらに嬉しい。
目頭がぎゅうっ、と熱くなって椿は固く目を閉じた。
全身が喜びに震えるので精一杯だ。
深く呼吸をして緊張を解く・・・・・・・と、同時に疑問も湧いてきた。
この、みのりの落ち着いた様は。
その原因に思い当たり椿の身体から一気に喜びが抜け落ちた。
「・・・・みのりさん・・・驚かないんですね・・・・」
「ええ」
さらりと流されて椿は確信する。
「・・・・いつから・・・知っていたんですか」
みのりが椿を見た。
椿の固い表情にみのりが苦笑した。
「そうですね・・・・あの夜には知っていました」
「あの夜・・・・?」
椿が目を見開く。
あの、雨の夜のことだろうか
「その時にはもう、お兄ちゃんが会いに来てくれてましたから」
「会いに? ・・・会いにって・・・」
そっとみのりは目を伏せた。
「ええ、私だけに、会いに来てくれたんです。だから他は誰も知りません・・・・・・・」
「・・・・」
みのりの声にこもる喜びの感情を感じとって、なにを言っていいか椿には判らなかった。
椿の胸中に様々な感情が混ざり合い渦を巻いている。
生きていて嬉しくて。
知らされなかったのが寂しくて。
唯1つだけ、どうしても聞いておきたい事があった。
何故秘密にする必要があったのか。
例え世間に知られることが不味くても、自分達の繋がりだけは別だと思っていたのに。
それに、何故みのりは一条が五代を伴ってこちらに向かってくるのを知っていたのか。
「いろいろ不思議に思っているでしょうね」
みのりがそんな椿の考えを見抜いたかのように、みのりが笑った。
「でも今は時間がないんです。椿さんの質問には答えている時間がないから・・・・私の話を進めちゃっていいですか?」
「・・・・え?」
「一条さんがお兄ちゃんを連れてくる、って言ったじゃないですか」
先ほどの会話が頭に蘇った。
「一条さんはお兄ちゃんのこと病人みたいに思っているらしいんですけど、本当はそうじゃないんです。だから」
みのりは一旦そこで言葉を区切り、椿と正面から向かい合った。
「なにもしないでください」
「・・・・・え?」
「つまり・・・治療、とか・・・検査とか」
何を言ってるのか理解して、椿はみのりの言葉に頭を振った。
「そんな事はできません。自分は医者なんですよ」
「本人が大丈夫だといってるんですよ?」
「それは、みのりさん、あなたが言っているだけで五代本人の口から聞いたわけではありません」
そういった返事は予想していたのだろう、みのりは困ったな、と視線を泳がせる。
「それが、兄の意思です、と言っても無理なんでしょうね」
「・・・ええ、自分のこの目で見て、判断しない事には」
それは最後の決戦に赴く前に、五代と椿だけが交わした約束だから。
自分だけがこの世に立った1人の主治医であると、何かがあったら必ず自分を呼ぶように・・と。
それが、椿なりの未確認との闘いだった。
一条の様にともに在る事が出来ない椿の戦いだったから。
「自分は・・・この世界にたった一人の五代の主治医です」
だれにも、一条にですらその約束を違えることはできない誓い。
それを破るつもりは毛頭なかった。
「・・・・・・兄を困らせることになる、といっても無理なんでしょうね」
「ええ」
みのりが肩を落としため息をついた。
突然椿に背中を向け扉に向かって歩き出して、そのドアの前で留まった。
「みのりさん」
「本当はこんな事したくなかったんだけどな・・・・」
そう言って、クルリと振り向いたみのりの手に光るナイフがあった。
「みのりさん!?」
「動かないでくれます?」
刃渡り20pはあると思われる刃の切っ先を喉元にぴたりとあてて、みのりが椿を見つめていた。
その瞳には恐怖や焦りとか命を今にも絶とうとしている者が浮かべるような狂気の感情はなく、ただ静かな決意の色に満ちて澄んでいた。
「椿さんを殺さずに刺す事なんて私にはできそうにないし、ちょっと体格的にも無理があるし・・・・・」
「・・・・・」
「こうするしかないかなって」
あまりにも普段と変わらない口調が椿の背筋を凍らせた。
刺激しないようにそっと手を伸ばす。
わずか4〜5メートルほどの距離が恐ろしく遠く見える。
「動いたら」
一歩、脚を踏み出そうとしたのを制して、みのりが喉に刃をめり込ませた。
「みのりさん、危ないから」
椿の動きがとまる。
「少しでも動いたら一気に刺します」
みのりの瞳は嘘をついていなかった。
椿の身体が硬直したように固まったのを見て、ふふっ、と笑った。
「ねえ、こうして私が喉を裂いてから意識を失うまでコレ、離しませんよ?」
「みのりさん・・・・やめるんだ・・・・」
楽しげなみのりの声とは正反対に椿の声は震えている。
「ね、私が死んでしまうのと、椿さんが処置をほどこすのどっちが早いかな」
静かに刃がみのりの喉元に食い込んでいく。
ぷっ・・・と刃が柔肌を切り裂いた。
深紅の糸が一筋、みのりの喉を飾った。
「やめるんだ!!」
みのりは表情ひとつ変えなかった。
「ぎりぎりまで私頑張るわ・・そうすると、椿さんは黙って見てることになるのかな・・・私が死ぬのを」
「みのりさん!!」
「今だけでいいから!!」
椿の叫びに、初めてみのりが感情を剥き出しにした。
「今だけでいいんです・・・・!! なにも知らなかった振りをして・・・一条さんに大丈夫だと言って!!」
「・・・みのり・・さ・・・・」
どこにこれだけの激情を秘めていたのか。
自分より小柄な女性の剥き出しの感情に圧倒されて椿は言葉がでなかった。
「お兄ちゃんの意識が戻って・・・お兄ちゃんが納得してからなら・・・・いくらでも調べたって構わないから・・・・! 今はなにもしないで!!」
「で、でも・・なにか命に関わるような状態かもしれないじゃないか・・・」
椿の言葉にみのりが口元を歪める。
「・・・・もう、遅いよ・・・椿さん・・・」
「え・・・・?」
「もう、なにも、できないよぉ・・・・」
ゆらり、とみのりの黒い瞳が揺らいだような気がした。
声が微かに震えている。
「・・・・・・誰も・・・・・なにも、できないの」
「なにもって・・・・・」
水滴が膨れ上がり、目の縁にたまる。
「もう、できないから・・・・・だから・・・・私の言うとうりにして下さい・・・・!!」
表面が破れ、重力にしたがって水滴が零れ落ちた。
みのりの頬に幾重にも筋を作り流れていく。
「お願い・・・・・・・!!」
悲痛な叫びが空間を切り裂いて、鋭い言刃となり椿の胸に突き刺さった。
もしここで自分が引かなければ、みのりは本当に命を落とすだろう。
・・・・・・・椿に出来る事は、ただ黙って頷くことだけだった。


いつの間にか、叩きつけるような雨が降り出していた。



それから数十分後、みのりの言うとおり一条から連絡が入った。
訳ありの患者だから内密で診て欲しい、とどこかで聞いたような台詞をはいて。
長野からヘリでやってきたらしかった。
ヘリから車に乗り換える時、雨に降られたらしいが一条が濡れているのに対し五代はさほど濡れていはいなかった。
よほど大切に抱えてきたのだろう。
気を失った人物を大切そうに抱きかかえて車から降りると、ストレッチャーを用意してあるのに、人目につきたくない、とか何とか理由をつけて抱き上げたまま裏口から院内に入った。
まるで、目を離した瞬間に消えてしまうとでも思っているかのように、視線を一時も逸らさず一条は五代を一心に見つめていた。
濡れたスーツを着替えないと風邪をひく、という椿の忠告も聞かず病室のドアの前で立ち尽くして。
五代をベットに寝かせてとりあえず形を整えて部屋からでた真正面に一条が立っていて、椿は面食らった。
『大丈夫なのか? 意識はもどったのか!?』
と矢継ぎ早に聞く一条をなんとか制し、扉から強引に引き剥がした。
それを宥めて長野での話を椿が聞き出した後も一条は、面会謝絶だというのに仕事にすら戻らず、その扉の前で夜を明かしたのだった。



みのりの願いとおり、五代の意識が戻るまではなにもしなかった。
昏々と眠る五代のその顔色の白さ、肌の冷たさは異常なほどだったけれど五代と話をするまでは何もしないと約束したから。
病院のベットに寝かせ、面会謝絶の札をかけ本当に信頼できる看護婦にだけ指示を出した。
何も聞かずに椿の指示にしたがってほしいと。
五代がまだクウガであったころ、診察を手助けをしてくれた看護婦だった彼女は眠る五代の顔を見ると、ほんの少しだけ目を見開いて小さく頷いてくれた。
一条には、とりあえず命に別状はない、とだけ伝えた。
『・・・・そうか』
そう呟いた一条の。
ただ、その時一条の口元に浮かんだ微笑が、椿を切なくさせた。



五代の意識が戻ったのは一条が病院を離れて直ぐのことで、みのりに連絡をとった。
人目を避け面会時間外にみのりを部屋に入れる。
『お兄ちゃん・・・・・・』
深夜遅くなだけにみのりが小さな声で呼びかけると、五代はベットに身体を起こして照れくさそうに笑った。
『ちょっと、失敗しちゃった・・・』
『もう、しょうがないな・・・・』
兄妹の会話はそれだけだった。
みのりは傍の椅子に腰掛けると、そっと上半身をベットの上に横たえ、シーツに顔を埋めた。
みのりのクセのある柔らかい髪が白いシーツの上に広がって。
五代は、そんなみのりの頭をそっと撫でていた。
なんども、なんども繰り返し。
みのりは目を閉じて何もかも受け入れる表情をしていた。
それを見つめる五代の表情も同じで。

椿はなにも言えず黙って部屋を出るしかなかった。


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「椿さん」
名を呼ばれて意識が引き戻された。
「ごめんなさい・・・」
「五代・・」
「迷惑かけちゃって」
五代の言葉に眉間に皺をよせる。
そんな椿を見て五代が笑った。
「本当は・・・・・・もう誰とも・・・二度と会わないつもりだったんだけど」
「五代!」
「・・運命なのかなぁ・・・・」
そう言って大きく溜息を付いて外を見る。
「こうやって、椿さんに迷惑かけちゃうのって・・」
そのまま辺りに溶け込んでしまいそうに見えて、椿は肩を掴み強引に振り向かせた。
「こン・・・・のバ・・!」
振り向かせた五代の瞳を間近に覗き込んで椿は息を飲んだ。
五代の硬く閉ざされた瞳の奥にあるものが・・・椿には一瞬見えてしまったから。
本当は何が何でも口を割らせるつもりだったのにそれも出来なくなってしまった。
急激に喉元にこみ上げてきた熱い塊を無理に押さえ込むと椿は五代の襟元を掴み勢いよく引き寄せ、頭突きを喰らわせた。
ごつん!!といい音が響いて。
った〜!!と、肩をすくめ自分の額を両手で押さえる五代を見て椿はフンッ!!と盛大に鼻息を鳴らす。
「あんまり馬鹿な事を言うからだ」
ベットの上で、キョトン・・とした顔で見つめている五代から手の中の茶封筒へと視線を落した。
漸く五代の体を診断するのが出来たのはそれから一週間もたってからで、その結果は椿に己の力の無さを思い知らさせるものでしかなかった。
それでも、五代が生きていることを実感できたから、漸く自分の中の闘いにも終止符を打つ事が出来たのだから、
だから、よしとしよう・・・椿はそう胸の中で呟いた。
例え・・・・彼が人間ではないとしても 生きているのだからそれでいい・・・確かに今自分はそう思うことができたから。
椿は五代のベットの上に手にしていた茶封筒を放り投げた。
「とりあえず、これ渡しておくわ」
「椿さん・・・・」
「どうせ聞いたって何にも教えてくれないんだろ?」
ベットの縁に腰掛けて五代の瞳を覗き込む。
黒い瞳に自分の姿を見つめて。
「それに俺が見ても・・・もう、どうしていいかわからないし」
フィルムに写っていたモノは既に椿に理解の範疇を超えていた。
五代は黙って椿の言葉を聞いている。
どうか、自分の言葉が固い殻に包まれた五代の心に届くように。
「俺にしてやれる事はないのかも知れないが、な・・・・」
この恐ろしいほどの透明感のある瞳の奥に潜む孤独な魂に言葉が届くように。
1人ではないのだと、五代と一条の・・・あれほどの繋がりが簡単に切れる筈はないとのだと判らせたくて。
「でもな、一条は・・・・」
その名に、初めて五代の瞳が揺らいだ。
「一条は・・・・・・」


椿の脳裏に五代を抱きかかえていたときの一条が蘇った。
気を失った五代を見つめる一条の、多分本人は気付いていないだろう、恐ろしい程に餓えた瞳。


「・・・・記憶を無くしても・・・・それでも・・・・!!」
震える手が、五代の薄い両肩をきつく握り締めた時、先ほど飲み込んだはずの塊が不意にこみ上げるのを感じてしまっ た。
今度は押さえることが出来ず、椿の視線がぼやけていく。
見られたくなくて、下を向いた。
「・・それでも・・・・・・・」
ただ伝えるのに精一杯で。
だから、椿は気付かなかった。

その時の五代の表情を・・・・・・・・。






いやん。
とりあえずココで切ります。
なかなか進まんのう。でも更に暗くなる予定。

BY 樹  志乃


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