未 りっちゃんはうたいます


更新日:15/10/11

花たち

りっちゃんのコンサート情報

花たち

ハングルで歌う会

会員募集中

近くて遠い、お隣りの朝鮮の歌を、ハングルで歌ってみませんか?
  ハングルは表音文字なので、意外と簡単。しかも柔らかい響きが、シャンソンみたい。今のところ、カタカナを見て歌いながら、そのうちハングルも覚えていきたいな。そんなのん気な会です。会費は500円です。

練習日は、基本的に第1、3火曜日、1時半〜 津田公民館学習室3です。11月3日は会場がとれました。11月17日は伊東宅にて。少人数なので、のんびり、じっくり練習しています。

5月30日の「春の発表会」は、どんぐり林のカフェラジオで公開されています。

こげら合唱団

練習予定など

11月29日(日)練習 午後2時〜4時 障害者センター・小川西町

12月 5日(土)午後 みんなでつくる音楽祭イン小平に出演予定

12月20日(日)午後2時〜4時 障害者センター・小川西町

花たち

私の名前は伊東律子。通称りっちゃん。

私は生まれた時から歌が大好き。だって、りつこのりつは旋律の律なんだもの。テーマソングだってあるのだ。♪りっこりっこりっこや、りこりこりーのりっこや♪ばばちゃん(永沼たかさん)が作ってくれたの。

高校の時にコーラスと出会った。職場のコーラスではスマしたところが気に食わなくて。リズムに合わせて体が動いちゃったら、動くなって言われたの。そんなのつまんない。で、やめちゃった。前々から友だちに誘われていた煙草も吸い始めてしまった。結婚して、子どもが生まれて、育児ノイローゼ。夫は仕事に忙しく、実家にも頼れず、24時間営業だよ。初めての経験で不安だったし…。そんな時に公民館保育室付きのコーラスの募集。もう飛びついたわよ。子どもと少しでも離れる時間が欲しくて。(離れる時間が持てたから、キチンと子どもとも向き合えました。保育室の先生に感謝!! 今も親馬鹿と言われながら、子どもの自慢してます。元夫もいいお父さんでしたよ。)

コーラスとの再開。小林光先生の指導も良かったし、とにかく歌う事が楽しくて…あの頃の福生市民コーラスは、なんでも自分たちで造ることを大事にしていた。ポスターも手作り。シルクスクリーンは公民館のお仲間との年賀状作りに役立ちました。今はパソコンになってしまったけれど・・・

人間関係のトラブルで退団。次のコールコスモスでは、発声特に口の開け方を教わった。国立音大の瀬川先生は紳士。毎年福生で開かれる障害者のためのチャリティコンサートでバリトンソロを歌っていらっしゃいました。

久しぶりの混声は九曜混成合唱団。同窓会のための臨時のだけど、男声がたくさん参加するので、気持よく歌える。毎年、参加しています。そこで紹介されたのが、ひいらぎ合唱団。その頃かなあ、発病したのは。混合性結合組織病。入院して、薬を飲むようになった。一生のお付き合いです。そのときに色々考えて、生き方を少し変えました。その結果が、クラッシックに挑戦。

モーツアルトのレクイエムは、明星フィルへの協力依頼があって、山内廣文先生に教わりました。とっても良い先生です。子音と母音を分けること、フレーズの大切さ、言葉の自然さなど、音楽作りのテクニックを丁寧に教えてくださいました。福生の第九、合唱団どれみでも、お世話になりました。

福生の第九といえば、第5回には、人がいなかったからが最大の理由ですが、団長を引きうけました。準備段階から波乱万丈の第九でしたが、そのときの指導者、小畑秀樹先生は、まだお若いのに、それはそれは人間ができていて、慣れない私を随分と助けてくださいました。恋に悩み、仕事に疲れ、そうでなくても精神的に不安定な時期に、なんとか大役を終えられたのも、小畑先生あってこそ…

その時に助っ人として参加してくださったのが、オーケストラと歌う合唱団イン西東京のみなさん。西東京市ではなく、昭島で練習しています。団長の浜中さんは日の出町にお住まい。お礼の意味もあって、「天地創造」に参加しました。和やかで、人情味があって、大好きな合唱団のひとつでした。2004年の『ドイツレクイエム』、2005年モーツァルトの『戴冠式ミサ』ハイドンの『戦時のミサ』。2006年プッチーニの『グローリアミサ』にも参加しました。

少し前後しますが、20才の時出会った人との再会。離婚。小平に転居。失恋。某合唱団では、ハイドン、ヘンデル、バッハの作品を中心に歌いました。その時代の庶民の息吹が感じられて、歌っている間は幸せでした。

1年間ではありましたが、とっても内容の濃かったくさぶえ。合唱と言うよりも人間を育てている感の内田功先生。体力と経済力の衰えを実感して退団しましたが、若い人たちが珍しく多い大変活発な合唱団でした。元気な人には ぜひお勧めの合唱団です。リンクしているので、そちらのHPを見てください。2004年1月24日の演奏会では、私がやめた後の成長振りを聞かせていただきました。声の伸びが良くなりました。”丹田"からの力強い声があって、それぞれの曲の表情を良くあらわしていました。

合唱団どれみには5回参加しました。運営にかかわったのが失敗でした。見たくない部分を見てしまったので03年退団。最後の第9回平和コンサートで、見知らぬお客様から、「長い間ご苦労様でした」と挨拶され、私の5年間も無駄ではなかったと実感いたしました。

こげら合唱団は2002年のルネ小平での演奏会から参加しました。みんなが楽しそうに歌うのが、魅力です。障害者からも合唱ボランティアの方からも仲間として声をかけてもらえるのが、とてもうれしい。オリジナル曲も魅力です。

03年の10月には失業中ではありましたが、学園祭でバンドをバックに歌いました。「翼」もいい経験になりました。クラスメートもそれぞれ個性的で素敵な人が多く、勉強も仲間関係も楽しかったし、食堂のお昼もおいしかった。いい思い出です。

体力的・経済的問題も絡みますが、音楽の本質というか、私にとって、楽しく歌える・居心地のよい合唱団ではなくなったので、イン西東京を退団。上手になるとどうして雰囲気が悪くなるんでしょう。できれば両者とも得たいのに、とても残念。

葉書で応募のこだいら合唱団には、03年の「第九」から08年の「ネルソンミサ」まで参加しました。誰でも受け入れてくれるところというのが魅力でした。でも、お邪魔だったかな? 宗教曲、特にハイドンは大好きなのですが・・・体力の限界を感じてクラッシクの大合唱団からは撤退。先輩たちに甘えていたひいらぎ合唱団も当分休会としました。

九曜混成(同窓会のための合唱団)、03年からのセブンスコンサート、そしてこげら合唱団はこれからも続けようと思っています。

楽器苦手のりっちゃんですが、父の残した三味線を練習し始めました。三味の音にうっとり。邦楽も心が落着いて、いいものですねぇ。08年2月から、鈴木囃子保存会にも通っています。なかなか憶えられないし、自転車で片道30分かかるので、雨の日はお休みしちゃうし・・・気長に続けて行きたいと思っています。

ピー公心身ともに疲れたので、2006年夏に退職。日本社会そのものなのかもしれないけれど、上から下へ痛めつける傾向と人の悪口で話が盛り上がるのがどうもね。母が亡くなり、兄に頼まれたのと、家賃節約のために引越し、庭の手入れと家の中の片付けと、少し無理を重ねたようです。病気(混合性結合組織病)の方が一時悪化。椎間板ヘルニアもあることが判明。プレドニンの大量投与から少しずつ減らし10mg。2009年3月から短時間ですが仕事についてちょっぴり経済的に余裕。2010年、肺高血圧症に深化。住民投票で無理したのか、もともと限度だったのか、2013年6月8mgから10mgに。体力は年齢と共に確実に落ちてきています。福生の友達に加え、この頃は小平や府中でも友達が増えて、うれしいです。

うちに来た時は子猫だった「ピー公」もすっかり大人になりました。片目で黒猫の白ソックス。甥に甘やかしすぎと言われています。心は豊かに、笑うことが増えました。自分なりに普通に、ぼちぼちと、笑顔でいられるように暮らしていこうと思っています。

離婚してから、世の中の冷たさを感じることがしばしば。特に音楽関係であったのがとてもショックでしたが、だんだんと友達の輪が広がり、今は幸せ。社会状況は悪化したものの、目に見える分、みんなが少しずつ変わってきたのかもしれません。鳩山さんの「友愛」の対象はどうも米国(米軍)であったことが普天間問題で露呈してしまいました。でも、「友愛」そのものはいいことです。政治家に任せるのではなく、自分達でできることをぼちぼちとやっていこうと思っています。

花たち

 
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