合併問題にまつわる日記

7月4日(月)

 なんかこのコーナーも、6月以降文章が長過ぎる傾向が続いている。町長選挙と合併問題がいつも念頭にあるので、どうしてもしゃべり過ぎる。すこし落ち着こう。
 今年は例年よりもコウゾの実(写真下)が沢山できている感じです。上の写真はベニシジミ。

 あ〜、また選挙がらみの事を書いてしまう(笑)。合併推進派の候補(町議会の補欠選挙)の配っているチラシに『これはちょっとどうかなァ』と思う記述があった。

 そこには合併した場合、町の名前がどうなるかが説明してあるのだけど、今まで「津久井郡藤野町」だったのが「相模原市藤野町」になると書いてある。
 でも「町」の呼び方が
ふじのまち』から
ふじのちょう』に変わるという事だ。

 初耳だった。つづき>>

7月6日(水)

ヤマトシジミ・・・って、いちいち説明するまでもない、都会でもありふれたチョウですね。晴れたとたんに、猛烈に暑くなってきました。

 昨日から選挙戦が始まった。

 藤野町の相模原市との合併に反対している団体『藤野町を愛する会』が6月29日に、長野県下條村の伊藤村長を講師に招いて講演会を開いたが、早速、合併を推進している陣営がこんなチラシを撒いていた。こちら>>

 下條村での取り組みは、藤野町の参考にはならないと彼等は言う。
 そりゃあ全部が全部参考になるとは誰も思っちゃいないよ。伊藤村長が話してくれた内容には、すぐにでも藤野町に応用できるのもあれば、応用するにしても藤野町の実情に合わせた改良を要するものもあれば、明らかに藤野には不向きなものもある。

 誰だって、あの講演会に参加した人なら、下條村を、単純に『わが町の目指す道標』にしようなんて考えなかったはずだ。参考にすべきものを参考にすればいいと考えていたと思う。

 それに彼等が撒いたチラシを見ると、どうも講演会を実際に見た後に作られたものではないらしい。講演会の内容を反映したリアリティーが希薄なのだ。
 伊藤村長は、藤野町の状況にあった、藤野町なりのこれからの活かし方についても話してくれたし、一番多く時間を割いて話されたのは、職員の意識改革についてだった。
 下條村は彼等が言うような『半自給自足可能な農村』とも違う。隣の飯田市に車で30分かけて通勤する住民もかなりいる、飯田市の「ベッドタウン」的な性質もある村だ。

合併推進派の町長候補のチラシ。文章を書いたのは、支援している「ふじの行政を考える会」だろう。

 大家さんからニンジンをもらいました。なんか先日のジャガイモといい、もらってばかりだな。
 牧馬のニンジンをおいしく頂きました。

 なんか彼等、『藤野町を愛する会』が下條村の村長を招いて講演会を開くと聞いて、慌てて下條村について事前に調べて、講演会の前にチラシを作っていたのだろう。

『いやはや、連中も必死だな』と思いつつ、『こいつら批判しかできないのか?、みんないろいろ自分で頭をひねって考えているのに。批判だけなら誰でもできるぞ・・・』とも思った。
 その時、はっと気付くことがあり、この1年余りにかけて、彼等が配布してきたチラシを、もう一度、全部注意しながら読んでみた。続く>>

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