続き

7月4日(月)の続き

 気になったのは、この候補の『郡名が市名になり、「まち」が「ちょう」に呼び方が変わるだけになります。』という言い方。

 合併推進派は、
『合併後も藤野町には「地域自治区」が作られて、そこでは住民の代表30人以内で構成される地域協議会が置かれる。この機関によって、藤野の住民の声はきちんと相模原市長へと届く。合併することで逆に地域は活性化される。』
と言っている。
 「地域自治区」と名前は立派だが5年で終了する一時的な存在に過ぎない。相模原市の議会が議決すれば、5年の期間中でも地域自治区を解散させる事も法的には可能だ。

 地域協議会にしても、相模原市長から「諮問」されて、藤野側の意見を「具申」する機関にすぎない。住民の意見を行政に反映させると言っても、住民の意見を受け入れるか否かの権限は、もはや藤野にはない。『自治』の観点から言えば、藤野町の住民の権限は、合併後に遥かに後退する。

『そんなデメリットも承知の上で、やはり合併の方が、総合的に見て藤野の住民にとって幸福に繋がる。』
と考えて選挙に出馬するのなら、そういう考え方もあるだろうと理解できる。
 しかし、重要なのは、合併推進派の町長・町議候補といえど、藤野町の住民の幸福を追求する代弁者でなければならない、という事だ。仮に彼等が当選して、町長や町議になったとしても、決して安易に藤野を相模原に「売り渡す」候補であってはならない。

 合併といっても単純ではない。相模原と藤野では環境も条件もだいぶ違う。相模原と藤野で考え方が鋭く対立する問題も出てくるだろう。
 つまり、藤野にとっても幸福な合併にするためには、合併相手の相模原市に対して時にはケンカもしなければならないのだ。合併推進の立場であっても、藤野町の住民が藤野に抱き続けてきた愛着や独自性を極力守る為に、時には戦う人間であるべきだ。実際、合併推進派の町長候補は『合併とは、藤野町に住む私たちを守ること』と書いたチラシを配っている。「守ること」は「相模原に従うこと」ではない。相模原市の『御用聞き』になることではない。

 ここで最初に出た問題に戻る。
『郡名が市名になり、「まち」が「ちょう」に呼び方が変わるだけになります。』

 クダラナイ事のようだが、この言い方はリトマス試験紙みたいなものだ。「まち」か「ちょう」か、こんなクダラナイ事なのに、何で『今まで藤野町は「ふじのまち」と呼んできたのだから、これからも「ふじのまち」と呼ばせてくれ』と相模原市に言えない?。
 仮に当選しても、今後も言うつもりもない?。

 この候補、出馬前から相模原市に対して腰が引けてないか?。相模原市に対する姿勢が、こんな文章にすでに表れていないか。
 仮に私が、彼と同様に合併推進の立場で選挙に出るとしても、こんな表現は有権者に対して怖くて使わなかったと思う。

あ〜、また力が入って長文になってしまった。意外と自分は熱い(暑苦しい)、しつこい、粘着質の、食い付いたら放れない、スッポンみたいな人間だったんだな。