続き

7月6日(水)の続き

 ないのである、一つも。これには改めて驚かされた発見だった。

 何が無いって『合併することによって、藤野町をこのように(具体的に)良くしていきたい』という、彼等のオリジナルの意見が、一つもないのだ。ただひたすら、『相模原市との合併 → 安心』『藤野町単独 → 危機的』の繰り返しだけなのだ。
 これでは、「藤野町合併まちづくり検討委員会」が作った「まちづくり将来ビジョン」の方が、遥かに具体的に『よい合併の形』を模索した跡が見える。

 相模原市と津久井地域の合併協議会だって、合併によってどのように相模原と津久井を発展させようかと、各町の代表者が集まって、いろんな計画を考えている。「市民のオアシスプロジェクト」とか「まち+水源地=産業創生プロジェクト」とか「パートナーシップ都市内分権プロジェクト」とか。
 合併を推進してきた「ふじの行政を考える会」は、これらのプロジェクトを参考にしながら、藤野町がどのようにこれらと関わり、藤野を発展させていくかのアイデアを出したこともない。

 下條村について書いてあったチラシの裏には、
『合併を推進する理由は、とてもシンプルです。そして一番大事なことです。「住民の幸せを第一に考えた場合、合併以外の選択肢は絶対にありえないのです。」』
と書いてある。
 確かにシンプルだが・・・、シンプル過ぎる。こんなの論理でもなんでもない。

『とにかく合併なんだ!、誰が何と言おうと、合併といったら合併なんだ!』
 そう言ってるのと同じだ。

 合併って、そういうもんじゃないだろう。

 先日の7月4日の所の続きでも書いたが、合併を推進するにしても、「良い合併」にしなければならない。合併にだってメリットとデメリットがある。いかにして最大限メリットを活かし、デメリットを最小限にするかの創意工夫が求められる。
 実際に、合併したはいいが、後になって『こんなはずじゃなかった』という事例が既に全国各地で発生しているのだ。
 この広い世界、『合併して良かった良かった』と言える事例もどこかにあるかもしれない。
 ならば、合併を推進するのなら、合併によるメリットとデメリットを十分調べて、そのような良い事例を探して、学んで、藤野町と相模原市との合併にも活かそうと考えるべきだ。

 合併に反対する『藤野町を愛する会』は、去年には、チラシをまいて住民に参加を募り、講師を招いて3回の勉強会を開いてきた。藤野町の財政状況、決して楽観を許さない相模原市の財政状況、合併するとどうなるか等、いろいろ住民と一緒になって学んできた。
 「芸術の家」では去年と今年の2回、自立してやっていこうと工夫している村長さんに講師に来て頂いて講演会もやっている。

 しかし、合併を推進している陣営は、それに類する勉強会も講演会も、一度も開いていない。
『合併して、こんなに住民が幸福になった町がある。●●県○○市に学ぶ、藤野町でもすぐに応用が効く、市町村合併のありかた』
こんな勉強会や講演会はなかったはずだ。

 合併は、ただすればいいというものではない。そんな気持ちで合併した場合、必ず相模原市の意向を、唯々諾々と聞くだけの結果に終わるだろう。合併には『幸福な合併』と『不幸な合併』がある。
 前にも書いたが、合併を推進するにしても、その町長や町議は、時には相模原市ともケンカができる人間でなくてはならない。
『合併した場合、藤野町はこのような役割を担い、このような価値を発展させていきたい』と相模原市に対して提案したり要求していかなければならない。
 そして、せっかく合併するからには、合併を起爆剤にして、藤野を更に幸福にするような独自のアイデアも持っていなければならない。
 それらの資格がないと、藤野町を『不幸な合併』に導くことはあっても、『幸福な合併』に導く力はないといっていい。

 「ふじの行政を考える会」が発行したチラシには、『合併すればこうなる』という説明はある。しかしそれは、相模原市が説明するもの以上のものではない。
 『合併によって、このように藤野を発展させよう』という独自のアイデアが一つもないのだ。
 『合併』とはゴールではない。そこから出発する地点にすぎない。
 しかし、彼等の発想は『合併』までで停止していて、そこから先がない。

 もともと、何で彼等があそこまで相模原市との合併に熱心なのか謎だったが、改めて彼等の目的が判らなくなってきた。今までチラシを何度も全戸配布したり、活動にかかった費用も少なくはないだろう。
 それだけの情熱をそそぎながら、合併後の町づくりに対する意欲が感じられないのである。

 彼等の目標は何なのだろう。合併で終わりなのだろうか。合併すれば彼等の目標は達成されたことになるのだろうか。
 いったい藤野をどこに連れていこうとしているのだろう。