氷の封印 第一章(5)




一条は雨に濡れるのも構わず走っていた。
辺りに視線を走らせる。
「!」
なにかを見たような気がして立ち止まる。

何も、いない。

辺りに人気はなく雨のカーテンが全ての音を吸収して一条を静寂がくるむ。
自分の呼吸音が耳につく。


薔薇の匂いがした。


「!・・・・っ」
揺れる人影が眼を掠めて。
「待てっ!!」
一条の鋭い叫びが辺りの空気を引き裂いた。


降り注ぐ霧雨の中、女が濡れるままに立ちどまり、振り向いた。


不意に一条の記憶が甦る。

あの日も雨が降っていた。
雨の降る海の傍で、B−1号の命を奪った日―――――――――――――――


「止まれっ!!」
拳銃を向けられて驚愕の表情を浮かべた。
一条の中に違和感が生じる。


B−1号は、こんな表情など浮かべなかった。


「何・・・・」
それでも、記憶の中の声と重なる。
違うのは、記憶の中の声には抑揚がなかったのに、今の声には戸惑いがある事。

けれど。

「貴様・・・B−1号だな」
「何・・・言ってるの・・・」
決め付けたような一条の言葉に女が一歩足を引いた。
その分、一条が間を詰める。
向けられる拳銃に怖れの表情も見せず、一条の一瞬を付いて女は身を翻し走り出した。
「待て!!」
拳銃を向けるものの、撃つことは出来なかった。
否定するには似すぎている。
かといって肯定するには、違いすぎて。
それでも女と男の歩幅が違うせいか段々と二人の距離が狭まっていく。

もう少しで、一条の手がもう少しで届きそうになった時。

女が建物の角を曲り、一条の視界から姿が消える。
後を追った一条の耳に、嬉しそうな声が届く。

「・・・・・・・!!」

時間が止まったような、気がした。


雨の中、佇む一人の男の腕の中に女が飛び込む。
「雄介!!」


無造作に伸ばされた癖のある柔らかそうな髪が肩に掛かっている。
男にしてはほっそりしたその肢体。
長い手足が一層引き立てている。


「雄介!」
嬉しそうに擦りよってくる存在を抱き締めて微笑する、男。
「どうした?」
心地良く響くテノールが一条の耳に届く。

ピシャ・・・・と、一条の足元で水音が跳ねる。
その音に気付いて男が顔を上げた。

その、黒い瞳に自分の姿が写された時
一条は自分の心臓がわし掴みにされたような感覚に襲われた。

男が先を促すように視線を向けると、女が不安気に一層身体を摺り寄せる。
それを見る一条の胸にどす黒い炎が沸きあがった。

ソノ男ニ、サワルナ―――――――――――


不意に、こみ上げる感情に戸惑う。
自分の中に潜んでいた感情に。


「なんか、この人が・・・・」
不安気な声を出す女に一条は不快感を覚えた。
腕の中にいる女に対して憎しみすら浮かんできそうな気がして、一条は眉間に皺を寄せた。
男の視線が手元の拳銃に向けられているのに気付き、ぎこちなくホルダーに収めた。
「・・・あの、彼女がなにか・・・・?」
不思議そうに問われて、一条の視線が吸い寄せられたように惹き付けられて、反らせない。
「・・・あ、君、は・・・・」
自分の名前すら名乗らない無礼な対応にも係わらず男は微笑した。
「五代 雄介といいますが、・・・・貴方は?」
「私は、東京の警視庁未確認生命体合同捜査本部、警部補の一条です」
胸元から警察手帳を出しながらゆっくりと傍に近寄る。
怖れさせないように、消えてしまわないように ――――――――― 今の一条の中からそのこと以外が消え去っていた。


その距離が、手が届く範囲まで近寄った時、
「どうしたの・・・?」
女が一条を牽制するように五代に縋りついた。
「雄介・・・・・、行こうよ」
二人の距離を引き離そうとするような行動に一条の眉間に皺がよる。
その行動に腹の底から怒りが湧きあがり、憎しみすら覚えて。
「あの・・・・・」
柔らかな声に意識が引き寄せられる。
「もう行ってもいいですか? 俺たち行かなきゃならないところがあって・・・・」
「いや、それは・・・・・」
思わず離れかけた腕をとってしまった。
その瞬間。

記憶の水底から、空泡が湧き上がってはじけたように。


――――――― 一条さん


誰かに柔らかく呼ばれたような気がした。
この、目の前に佇む男に。


不意に、一条は、額が脈動したような錯覚に襲われた

額のある一点に熱が集中しているような。
目の前の男に吸い寄せられるような。



「雄介!!」
不意にグラリ、と身体が傾いだのに気付き現実に引き戻された。
倒れそうになるのをとっさに支えて抱きしめる。
「おい! どうした!?」
「・・・なんでも、な・・・い・・・・」
腕の中のその細さに驚く。
「大丈夫です・・・・から・・・・」
口ではそう言っても顔面は蒼白になっていてうっすらと汗すら浮かべている。
「雄介・・・・」
一条の腕の中の五代に心配そうにそっと近寄る。
「俺は、大丈夫、だから・・・・・」
安心させるように笑いかけ、心配気な表情を浮べている頬をそっと擦る。
優しく笑いかけるその様子に何故か胸が抉られるように痛む。
それを振り払うように抱き直した。
自分の腕の中に抱えてしまうように。
「病院に連れていこう」
「ダメ、です」
「何言ってるんだ」
「大丈夫ですから・・・・・」
何度言ってもかたくなに拒否して。
あまりにも嫌がるその様子に一条は小さく溜息を付くと横抱きに抱え上げた。
「判った。なら、私の知っている所へ行こう」
「・・・え?」
「東京だがな」
そのまま、有無を言わさず歩き出す。
「な・・・・大丈夫、です! 降ろしてください・・・・!!」
困った様に見上げてくるが気にせず歩く。
「雄介・・・」
追いすがるように伸ばされた手から自分の腕の中の男を隠すように背を向けた。
「―――――― 触るな」
一条の鋭い視線に貫かれて、動きが止まる。
「触るな。このまま病院に連れて行く」
「・・・・・・・大丈夫だから・・・・頼む」
小さな雄介の言葉に、ハッと表情を変える。
視線を合わせ、小さく頷くと一条たちに背を向けて走り出した。
だが、一条に追う気はなくなっていた。
腕の中の存在の方が一条には大切になっていたのだ。
不意に、腕の中の重みが増した。
「・・・・・五代?」
見れば、気を失ったのか一条の胸に顔を伏せてしまっている。
「・・・・・・五代・・・・雄介」
小さく名前を呼ぶ。
一条の胸が熱くなった。
―――――― 何故だろうか、なにか、大切な者を抱えているような
 
失ったものを取り戻したような。

大切に抱え直すと、一条はヘリに向かって歩き出した。



その後ろ姿を無表情で見送る者。
その場から去った筈なのに、少し離れた場所から一条の背を見つめている。
電話を取り出すとボタンを押す。
しばらく、呼び出し音が鳴っていたが、相手がでたのか話しだした。
「もしもし・・・ええ、今、ヘリで病院に・・・ええ、彼らが長野へ・・・・・・・・接触してしまったの・・・ええ、そう、お願いするわ・・・・」


その声には何の感情も篭もっていなかったけれど。


冷たい雨が降りしきる。






・・・・・・・ここで、第1部完・・・・・・とかって。怒られるかしら。
次は『ボーフレンド・2』です。
一気にギャグにいくわよ。ふっふっふ。

BY 樹  志乃

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