2015

6月

6月1日(月)

青空

 このところ、雨が少なめで、野菜作りには不安がつのるようになってきた。6月に入り、今年の梅雨の具合はどうなんだろうと考える。

 前回の日記で箱根の火山活動について書いたけど、その後に九州の口永良部島が噴火して島民全員が島の外に避難したり、小笠原の方でマグニチュード8を超える地震があったり。この地震は深さ590キロという異例の深い場所で発生した地震だったので、津波の心配はなかったとか。
 逆に、これが浅い地震だったら、大平洋沿岸が津波にさらされていたのかもしれない。

 時々この日記でも、「最近は世界的に地震やら火山の噴火やら賑やかだなァ」と書くけれど、むしろ地球にとっては、これくらいの頻度で地震や火山の噴火があるのが「普通」で、これまでの100年くらいが例外的に穏やかな時期だった、という考え方も学会ではあるようだ。

 未来に向けた、防災への配慮を備えた町の作り方とか暮らし方を、これから考えていかなければならないのだろうけれど、国会の様子を見ると、志村けんのバカ殿様の方が、まだ名君に見えてくるような有り様だ。

野原の花

 相模原市が「ヤマビル対策マニュアル」という小さい冊子を配布している。内容は神奈川県が発行している「ヤマビル対策マニュアル」に準じたもので、ヤマビル対策の情報が多すぎず少なすぎず、程よくまとまっている。

「ヤマビル対策マニュアル」等を作成しました(神奈川県)
こちら>>

 自分の考えでは、「ヤマビルにはヤマビル対策」と個別に考えると同時に、イノシシや鹿といった有害鳥獣対策、山里の高齢化対策、山里の地域振興対策も含めた、総合的な対策を考えた方が、かえって個別に対応するよりも安上がりになるんじゃないか、と思っている。この日記でも、以前そんな事を書いた。(こちら>>
 ヤマビルの問題、有害鳥獣の問題、これらはすべて「山里の衰退」を原因にしている。結局の所、解決策となると「山里の再興」と言う所に行き着くだろう。

 ただ、山里の再興と言っても、50年前、100年前の山里に戻すと言うわけでは無い。人口減少社会の今においては、「ここから更に山奥は、山里としての人間の開発は諦める」という具合に、どこまでが山里で、どこからは自然に任せる領域かを線引きする必要に迫られるだろうな。人間の数だって限られているし。

 昔の写真を見ると、「よくもまあこんな山のてっぺんまで」と思うほどに植林地の伐採跡があったり麦畑があったりするけれど、そんな光景の再生は無理だろうし、自然破壊でもあるのだろう。

日射しも強くなって来ました

 あとなあ、いつも思うのだけれど、「ゴキブリホイホイ」みたいな、ヤマビルを誘引して駆除するような「ヤマビルホイホイ」なんて、ないのかねえ・・・と思ってたら、既に特許で出している人がいましたね。「特許の図」を見てみると、大小のペットボトルの組み合わせで、ヤマビルの誘引剤と殺ヒル剤をしこみ、ヤマビルが罠に滑り落ちやすくするための工夫をしている。

ヤマビルトラップ容器
こちら>>

 こんな「ヤマビルホイホイ」を売り出せば、けっこうな財をなすことが出来ると思うのですけど、なかなか市販はされませんね。これから出るのかなァ。

 上にリンクした「ヤマビル対策マニュアル」にも書いてあるけれど、ヤマビル駆除で効果があるのは、草刈りをして、刈った草を所々にかき集めてまとめ、その草を後日に処分する事。ヤマビルは日光と乾燥を嫌うので、刈った草がまとめられている所に逃げ込むのだとか。

 刈った草を「処分」と書いたけど、草が乾いた時点で焼いてしまうのが手っ取り早い。もちろん、山火事の心配があるけれど、最近はネットの気象情報も進んで、かなり細かく「あと何時間で、この辺にも雨が降る」という情報が判るようになって来たから、そんな雨の降る直前を見計らってやるしかないですね。

麦の秋

 これって何かに似ているなぁと思い出したのが、松の木に行われる害虫駆除法の「こも巻き」。

こも巻き(ウィキペディア)
こちら>>

 松の木に襟巻きのように藁を巻き、そこに冬になると松を食べる害虫が、寒さを避けるために藁の中に逃げ込む。この藁を毛虫ごと焼いて害虫を駆除すると言うもの。

 ただ、リンクした記事にも書いてあるけれど、この「こも巻き」という手法、害虫の毛虫はあまり殺さずに、害虫を食べてくれる益虫のほうをむしろ殺してしまうと言う研究結果もあるらしい。

 ヤマビルの場合はなぁ、ヤマビルには天敵がいないとされているから、「刈った草を処分しても、ヤマビルはほとんど死なずに、ヤマビルの天敵の方をむしろ殺してしまう」という心配はないと思うけれど。

6月8日(月)

しろかき

 自分も参加している田んぼの仲間で、先日、田んぼのしろかきが行われた。今回の田んぼはある御縁で、子供づれの親御さんの参加が一気に増えて賑やかになった。もっとも小さな子供たちは、田んぼの作業そっちのけで近くの小川へ遊びに行ったりしているけれど。
 明るい嬌声の響く田んぼの作業と言うのは、楽しくていいですね。

 これでなぁ、ちゃんと参加者にも行き渡るだけの収穫があればいいのだけれど。
 もっとも、今度参加した方々は、田んぼの草取りにも熱意のある方みたいで、もしかしたらスーダラな我々たちだけで田んぼをやっていた時よりも、見事な収穫を成し遂げるかも知れない。

 この日はもう一つ、山里の暮らしを体験しに来た人たちがいた。もう10年も前、廃校になった篠原小学校を、山里を体験できる施設へと生まれ変わらせて『篠原の里』を作り上げるのに、日大のゼミの方々が助力してくれました。その御縁で、今年もそのゼミの学生が篠原の里に泊まって、いろいろと篠原地区の作業に参加してくれた。

 草刈り作業後、木陰で休息

 炭焼き用に切り倒した木々を、炭焼き小屋まで運ぶような過酷な作業のボランティアもあったらしい。牧馬にも10人の学生が来てくれて、今年も草刈りの手伝いをお願いしました。

 始めは5〜6人の参加だろうと思ってたら10人も来てしまい、予定していた草刈り作業もあっという間に終わってしまったな。

 学生さんに一人ずつエンジン式の刈り払い機を使ってみてもらったけど、やっぱり初めて使う機械、それもけっこう物騒な機械を扱うと言うのは、おっかなびっくりな使い方になりますね。
 まあ私も初めて使った時は、まさにそんな感じだったけど。

 この時期の草刈りの手伝いは、ホントに助かる。草刈りってね、十分に草の背丈が伸びてから一気に刈るよりも、少し伸びた段階でこまめに刈る方が楽なんですよ。

 牧馬峠の、崖をコンクリートで吹き付けた所が崩落したのが2013年の2月12日。その後、道路の片側だけが通行可になり、信号による交互の車の交通でしのいできた。ようやく、この6月から修復工事が始まったらしい。何でも、これから10月5日まで工事が続くとか。
 いつだったか、崩落現場に資材運搬用のモノレールが建設されて、「さあ、いよいよ復旧工事か」と思ったけど、あれは何だったのかなァ。単なる調査だったのかしらん。

 山の中の道とは言え、まぎれもない県道だ。それの復旧工事開始に2年以上かかる というのは、よほど金が無いのだろうか。

 でもねえ、これからこういった道路の壁の崩落とか、けっこう増えると思うなぁ。これからは、新たに道路を作る金よりも、次々に老朽化して壊れかける道路の修復に使われる金の方が、ずっと多く必要になるだろう。

牧馬峠の崩落現場 現在、信号による交互通行

 これは道路だけじゃあないだろうね。箱ものと呼ばれる大型の公共施設から、民間の小さな家に至るまで、一度作られたものは老朽化は防げない。適度な維持や更新を行わないと、せっかくの建物も使えなくなって無価値になってしまう。

 いや、無価値になるだけならまだ良い方で、ろくな管理もされずに放置されてたような家は、いつのまにか雨漏りやらシロアリやらでボロボロになっていて、台風や地震が来ようものなら隣家に被害を及ぼすような、有害な建物も現れてくる。
 こういった家は解体しなければならないが、解体費用だってバカにならない。

 建物に限らず、もはや、「モノはあれば良い」という時代では無くなっている。モノを持つのにも、モノを持つリスクも一緒に背負う覚悟が無いとな。
 逆に言えば、これからモノを持つ人の資質と言うのは、所有に伴うメリットとデメリットを正確に判断して、上手に運用できる人ということになるんだろう。

 これは悪い事じゃ無いよね。むしろ健全化と言っていい。

夕空

 老朽化した設備が、どうにも維持できなくなって、おまけに使わなくても費用はかさむ。そんな設備に日本が埋まる。こんな事を考えると気が重くなるけれど、そろそろ、明るい動きも出てくる頃だと思う。
 例えば、「私は金は無いけれど、少々、壊れかけた家くらいなら、自力で直せる」という実力の持ち主なら、これからの世の中は天国だろう。

 モノの上手な使い方、維持や修理の仕方に精通している人が求められる世の中になるのなら、未来は明るい気がする。これはようやく、大量生産・大量消費・大量廃棄とは違った時代に入りつつあるという事でもあるのだろう。

6月17日(水)

梅雨空

 関東も梅雨入り。田植えを終えて、麦も刈り終えた。今年の麦は、芽の出始めの頃に鹿の食害に遭い、残念な結果になっている。それでもまあ、少しは収穫できそうだけど。
 イノシシや鹿や猿といった有害鳥獣の問題、また、それらによって山里に拡散されるヤマビルの問題。事態は徐々に悪化して行き、それまでイノシシや鹿や猿が現れなかった所でも、目撃例が出てくるようになってきた。
 市にしても各地の自治会にしても、そろそろ真正面から具体的で効果的な対策を考えないといけない時期に来ていると思うが、なかなかそんな気運は生まれない。もっと悲鳴をあげる犠牲者が増えるのを待つしかないのかもしれない。

 津久井各地の若手の新規就農者があつまって「つくいやさい」という団体を立ち上げた。フェイスブックのページなら既にあります。
こちら>>

 7軒の農家が作った農薬不使用・化学肥料不使用・除草剤不使用の野菜を「野菜ボックス」という形で配送し、その野菜を求める地域の人たちが拠点になって受け取るという仕組みらしい。詳細はリンクしたページを御覧ください。

 農産物を消費する人も、農家と一緒になって地産地消の仕組み作りに協力して行くこの試み。うまく成長してほしいけれど、こんな活動の為にも、有害鳥獣の問題には早めに本気になって取り組んでほしいと思う。

田植え

 自分も参加している田んぼの仲間だけど、今年はある御縁で一挙に参加者が増えた事は前回の日記でも書いた。そのお陰もあって、田植えの作業もあっというまに終わってしまった。

 藤野には様々な団体が様々な活動をしているが、その活動の規模や勢いには盛衰がある。ある時は参加者が続々と集まり、熱意も高まって爆発的に活動が活発になる時もあれば、その勢いが停滞して静かになっていく時もある。
 そして、また別のテーマを見つけたり、別の分野から参加者が入ってきたりして、また活発になって行く時もある。

 このあたりの成りゆきを良く理解しておくのも、これから重要になってくる知恵の一つだなと、最近思うようになった。
 活動が爆発的に盛り上がる時にも、やがてその勢いが減衰する時が来る事も想定できる知恵。活動が停滞した時も、それを無理して頑張って維持しようとして、ますます体力を消耗させてしまわないようにする知恵。

 特に、うまく波に乗った活動が続いた団体って、その後にちょっと苦しい時期が来る事がある。「『うまく波に乗った状態』を維持しなければ」、と努力するようになり、活動を続ける楽しさよりも、維持し続ける労苦の方が重荷になってくる。

 神様だって、6日働けば7日目は休んだのだ。活動にも「日曜日」を入れる必要もあるのだろう。

絵本の読み聞かせ

 先日、牧郷小学校の体育館で「野楽り、暮らり(のらりくらり、と読む)」という交流会があった。藤野にはいろんな活動をしている個人や団体があるけれど、数がありすぎて同じ町にいるのに接点もないまま、お互いがどんな事をやっているのかも判らない。それで、交流会をやろうと昨年から始まった。上の写真の絵本の読み聞かせも、その交流会の一こま。「藤野図書館を考える会」がやっている。

 こんな会場で、いままでなんとなく名前は聞いた事がある人、ネット上で時々名前を見かける人と、初めて面識を得る事が多い。
 近況の確認も沢山するな。以前、この日記で紹介した、倉を改装して喫茶店を開こうと活動している人も、この交流会でコーヒーを売りに来ていた。工事の進捗状況や、改装作業を手伝ってくれるボランティアの募集とか、改装に必要な資材の募集とかも、いろんな人との会話の中で話が進みます。そんな雰囲気を絵にしてみましたが。

 ああそうだ、さっき、「うまく波に乗った活動が続いた団体って、その後にちょっと苦しい時期が来る事がある」と書いたけど、絵も似た所がありますね。
 我ながら上手く描けたな、という絵が何枚か続くと、ちょっと描くのが苦しくなってくる。「じぶんは、これくら上手い絵は普通に描けるはずだ」と思い込み、それ以下の水準の絵は描くまいと自分に厳しくなってくる。
 すると、だんだん絵に対して、自由な発想とか冒険とかを恐れるようになって来て、絵が硬直してくるんですね。

 そこで派手に失敗作ができると、「いったい何を自分は身構えていたんだ」と、気持ちが緩やかになって、のびのびと絵が描けるようになるのですが。

雨の山

 絵でも、何かの活動でも、「やっていて、ちょっと苦しくなって来たな。楽しさよりも、気疲れを感じるようになって来た。」と思ったら、少し内省してみる時期だ。そこには何か、病的な因子を含み始めている。
 逆に言えば、健康な活動のあり方とはどんなものなのか。

 「ロハス」という言葉が使われるようになって既に久しい。健康で持続可能なライフスタイルという意味だが。
 健康は、なにも身体だけの話ではないのだろう。組織の動かし方、組織を動かす際の心のあり方にも、健康な場合と、そこから逸脱している場合があるのだろう。無理に無理を重ねて、心と体を壊しつつある組織も、多いのではないか。

 健康で持続可能な社会を目指して活動している組織が、不健康で持続可能ではなかったとなると笑い話になってくる。活動の仕方、運営の仕方が、健康で持続可能なものなのか、時々、我が身を振り返って確認しなければならない。

 そんな時、自然に溢れた環境というのは、人々を静かな内省を導くのに、理想的だ。自然は生命力に溢れてはいるが、無理はしていない。

6月28日(日)

ナワシロイチゴ

 今年の梅雨は、なんか昔ながらの梅雨のような感じがする。例年通りの時期に梅雨入りし、このところよくあるようなゲリラ豪雨みたいな降り方はせずに、しとしとと落ち着いた雨が降る。
 別の言い方をすれば、こういう梅雨を改めて「昔ながらの梅雨」と感じるほどに、ここ数年の梅雨は、違和感を感じさせる梅雨が多いという事でもあるのだろう。

 牧馬でも数こそ少ないが螢が飛び交う。当初は梅雨寒を感じさせた梅雨だったが、最近は蒸し暑さも押し寄せて来た。

 3月の下旬に、圏央道と津久井広域道路を繋ぐインターチェンジが開通したが、その際に、津久井広域道路が県道65号線まで延長された。
 開通当初から、この津久井広域道路と県道65号線の交差点に信号が設置されておらず、騒ぎになっている。

 現場を見れば誰にでも判るが、信号が無いのが信じられないような交差点で、実際に今までにも幾つか事故が起きているようだ。今は交通を誘導する係りの人が常駐して、交差点で車が衝突しないようにしている。

 さっさと仮の信号でも設置すればいいのにと思うが、何でも8月を目処に信号の設置が計画されているとか。何とも、のんびりした話だ。

これがその交差点

 何でこの交差点ができる時に信号が出来なかったか。どうも、信号の設置を管轄する神奈川県警と相模原市の間で、いろいろゴタゴタがあったようだ。
 それぞれ、双方で言い分はあるだろうが、これはもう組織の劣化の現れと言っていいのではないか。

 鉄道の建設をしていたら、踏み切りを作るのに様々な組織との話し合いがうまくいかずに、踏み切りができないまま列車が走り始めたような話だ。繰り返しになるけど、この現場を見れば、どんなバカでも、信号がないと下手すれば死人が出るような交差点だと言う事は判る。

 神奈川県警と相模原市の間にどんなゴタゴタがあったかは知らないが、開通までのどこかの段階で、「いったいいつまでクダランもめ事をしているんだ、下手すれば死人がでるぞ」と話の判る人間が現れて、組織の枠を越えて話をまとめて、期限までに解決してしまうのが、普通の組織に観られる人間力だろう。その人間力が無かったと言う事なんだと思う。

 なんか最近、こんな事件が増えた気がする。オリンピックの会場に予定されている競技場の建設に関するゴタゴタも、これと良く似ている。あの競技場も、これからゴタゴタにゴタゴタを重ねて、期限までに完成しませんでした、なんて事になりやしないか。

梅雨の晴れ間

 今までの日本の政治が善政だったとは言わない。悪政の要素も多かっただろう。ただそれでも、たとえ無駄な公共事業であっても、期日までには立派な橋や道路は完成させていた。
 少々無茶な計画であっても、予定外の困難に直面しても、なんとかやり終えてしまう人間力が、そのころにはあったのだろう。しかし、今後はどうだろう。
 それまでの日本では考えられなかったような、派手な失敗に終わる事業も、これから現れてくるのではないか。

 今回の交差点の問題は、私には「たまたま今回だけ問題があった」という話では無いと思う。人間力の低下は、これまでにもゆっくりと進行していて、組織の中にいるまともな人間の割合が、90%、85%、80%・・・と、これまで静かに劣化を進めていたのだろう。それでも、定型業務の繰り返しであればボロも出さずにすんだのが、何か特殊な事例に直面した時に、それを乗り越える力が無く、機能不全に陥ってしまう。

 神奈川県警にしろ、相模原市にしろ、今頃どんな議論やら反省会が開かれているのだろう。
「ここまで酷くなる前に、なんでもっと早い段階で対策を打てなかった!」
 そんな反省が真摯に進んでいれば結構だけれど、もしかしたら、神奈川県警は「相模原市が悪い」と言い、相模原市は「神奈川県警が悪い」と言っているのだろうか。そうだとしたら絶望的だが。

夕暮れ

 こうも日本全体に人間力の劣化が進んでしまったら、これからどうしたらいいかと途方にくれるところだ。これを人間力の再生にもっていくのも、大変な知恵と労力が必要になってくるだろう。

 はたして、この国にそんな知恵や労力が残っているのだろうか。