2013

2月

2月7日(木)

 立春の前から、妙に暖かい空気が入りこんでいたけど、2月6日は朝から雪になった。といっても、牧馬でも数センチ程度の雪でしたけど。
 ぼちぼちフジノのイベントも動き始めたようで、例えば今度の日曜日には日連神社で『市』が行われますね。何でも今回はお囃子があるとか。
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 少し先の2月16日・17日には、フジノは名倉の芝田地区でピアノと舞踊のライブがあります。芸術の小径サイトに紹介が出ていますね。会場は雰囲気のある古民家ですよ。
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 同じ日の16日(土曜日)には芸術の家でもピアノのコンサートがある。まだ冬が終わったわけでもないのに、土日は必ず町のどこかで何かをやっている状態になってきたな。
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 忘れて欲しくないのはシーゲル堂も冬期休業を終えて再開している事。今回の企画展は、藤野在住の絵本作家の、いまきみちさんの絵本原画展です。まだ紹介のページができてない。
 いまきみちさんの旦那さんの西村繁男さんの原画展も、駅前の観光案内所「ふじのね」で始まっています。
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峠にて

 「ふじのね」のブログに興味深い記事がある。宝島社の『いなか暮らしの本2月号』という雑誌で、フジノが住みたい田舎の22位に選ばれたそうな。
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 なんでフジノがこんなに上位に選ばれたんだろう。たぶん審査員は、フジノには芸術家がうじゃうじゃ棲んでいる事を知らなかったんだろう。知ってたら怖くて住めたもんじゃない。
 そういえば最近、フジノには芸術家がうじゃうじゃ棲んでいる事をバラしてしまう映像が出来た。

FUJINO アートのたねが芽吹くまち
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 冗談はともかく、フジノの場合「アート」とか「芸術」という言葉が、必ずしも美術や音楽といった表現だけにとどまらない。映像の中でも言われているように、畑で野菜を作るのも家を建てるのも料理を作るのも、何かに楽しみながら取り組んで、それが自分自身と周囲を明るく楽しく開花させるものならば、すべてアートだという了解がある。なので、芸術家と有機農家とか福祉施設とか市民活動とかが、普通に水平的に交流が多い。

 人々が手を加えて、より楽しく喜びに満ちたものになるのなら、人の営みは何でもアートだろう。いずれは町づくりも「アート」とされるようになっても、その意味では不自然ではない。

 残念ながら今の世界は「芸術作品」と呼べるほど美しくはない。基礎や土台が駄目になりかけているのに壮麗な天守閣を作る事ばかりにカネを注いでいる。これは早晩もたないだろう。
 これは政権だけに問題があるのではなく、国民の大半にも責任がある。相変わらず、「経済成長」という考えで世の中が良くなると思っているのなら、行き着く先はイカロスの失墜しかない。

 これは今までにも何度か書いたけど、現代において科学技術の進化は、人々の仕事を減らす方向に作用する。
 例えば近年になって、自動車にカメラやレーダーを搭載して、人やモノが道路に飛び出しても自動的に停止したり、ぶつからないように回避する機能を付けたものが出始めた。昨年の暮れにはダイハツのムーブのような小型の大衆車にも、(時速30キロまでしか機能しない簡易版ではあるが)付けられるようになっている。

オオイヌフグリ、咲き始めています

 これ自体はもちろん良い事なのだけど、「事故の起こらない車」が当たり前の存在になると、自動車保険の必要性は後退していくだろう。必要性がゼロにはなるまいが、そこに流れていくカネも、そこが養ってきた労働者も、未来にはだいぶ減っていくと思う。
 こんなふうに、企業が仕事を熱心にすればするほど仕事は減っていく。やがて、100人を養うのに必要な仕事は10人で大丈夫、なんて世の中になったら、残りの90人は何をやったらいいんだ、という問題になってくる。「経済成長」とか「景気対策」では、もはや持続可能な世の中は作れない。

 じゃあどうしたらいいのか、という話になるけど、政府の批判ばかり言ってても仕方がないので、自分なりの拙い一案を。とりあえず、無理矢理にでも公共事業をするのであれば、せめて価値のある事業をしてみてはどうか。
 例えば、東日本大震災で津波の被害を受けた地域は、住居を高台に移転しようとしている。これを、津波の被害を受ける前に、少しずつでもいいから実行してみてはどうか。東海、東南海、南海地震では太平洋側の多くの地域で津波の被害が予想されている。このアニメなんかは感覚が掴めやすい。神奈川県でも津波浸水予想図を公表している。

立春の頃

 未来の方向性として、原則として津波の浸水を受ける可能性のある所からは、住居や町を減らしていく。残された海辺の平原は田畑にして、万一津波に曝されても諦めがつく用途に限る。漁港など、海辺に住まなければならない人々で、近くに高台が無い場合は津波用のシェルターを設置する(例えばこんなの>>)。
 まあ、九分九厘賛成は得られない提案だろう。それに、たとえ賛成が得られても、実現までどう頑張っても50年以上はかかるんじゃないのか。それまでには、地震も津波も来てしまう。

 こんな浮き世離れした提案でも、後押ししてくれる要素を探すとしたら二つほどある。一つは、どのみちこれからしばらくは人口減少が進む事。これは、今後家が余っていく事でもある。災害が予想される所から引っ越しても、空家が無いわけではないだろう。
 もう一つは、今後は食料も、あまり輸入にばかりは頼れないのではないかという事。そうなれば、宅地を減らして、その分を農地に転用していくのは、時代の流れという話にもなる。

2月14日(木)

牧馬峠にて

 昨年の末、中央自動車道の笹子トンネルの崩落事故が起きた時に、老朽化したインフラを今後どうやって維持していくかの話を書いた。似たような事故は、これから全国各地でも発生するだろうなァと思ってたら、なんと牧馬でも起こりましたよ。

 牧馬峠の北側の道沿いの、コンクリートの吹き付けで覆ってある崖の一部が、コンクリートが剥がれ落ちるように崩れて土砂も流れ落ちた。現場を見てみると、どうも市としても、当初は道路の片側だけでも通行可能にしようと思ってたらしいが(道路にコーンがそんな感じに置いてある)、結局、安全が確保できないと判断したのか通行止めとなった。峠の入口は鉄パイプで塞がれている。

 牧馬の住人としては、ずいぶんフジノの中心部が遠くなったなァと実感した。藤野駅まで行くだけでも何キロ遠回りする事になるんだろう。
 これで牧馬の道を通過する車がすっかり減った。当たり前だ。牧馬の住人しか使わないんだから。もともと、それほど交通量の多い道じゃなかったけど、昼間でも恐ろしいほど静かになっちゃったな。

崩落箇所

 で、いつまで通行止めの期間が続くのかと言えば「補修工事完了まで」との事。復旧の目処は立っていない状態だ。
 左の写真を見てもらえば想像がつくと思いますが、崩落した穴自体は法面のごく一部ですが、恐らく、他にも劣化した場所があちこちにあるだろうと思わせる。補修工事をするにしても、他に劣化している場所が無いかも含めて調査する必用があるんじゃないか。
 ずいぶん長い通行止めになりそうだ。

 崩落したのは2月12日。この日は大雨が降るでもなく、地震が起こるでもなく、崩落の引き金になった理由が判らない。
 私が想像するに、低温が原因なんじゃないかなァと思います。その日は久々に池の水も凍るくらいに冷え込んだ。すると、岩やコンクリートの隙間に染み込んだ水が、凍って膨脹して破壊する事がある。

 今後も更に崩れが進行する可能性もあるとの事。車が通るという事は震動を与える事でもある。確かに、通行止めにする必用があるのかもしれない。

 たぶんこういう出来事が、全国各地で起こっているんだろうな〜。そして、それを遥かに上回る数の「崩落直前」の場所もあるのだろう。そう考えてみると、もはやこの国には新しい道路を作る余裕なんて無いんじゃないかと思う。進行する劣化を食い止めるだけでも精一杯になるのではないか。

 いや、食い止められるだけでもマシで、もしかしたら利用頻度の少ない道は、維持管理を諦めて放棄する事例も出てくるかもしれない。そんな時、その時代の人はこんな事をボヤくのかなァ。
「昔はなぁ、痛んでもいない道でもせっせと補修工事をしたものだ」

 未来の人々が、今の日本人のカネの使い方を見たらどう思うかな。逆に言えば、未来の人々が最も感謝する使い方って、どんなだろ。

暮れる山並

 教育現場での体罰の話が世間で話題になり、体罰は必用か無用か、必用としてもどこまでなら許されるかといった話を聞く事もあるけど、どうも私には(尊大な言い方に聞こえたらスマンが)、どれもこれも程度の低い話に聞こえてくる。
 持続可能性とは、何もエネルギーだけの問題ではない。持続可能性のない教育と言うのもありうる。出来の悪い教師が出来の悪い生徒を育てる。出来の悪い生徒が大人になって、更に出来の悪い教師になり、更に出来の悪い生徒を育てる。この悪循環の行き着く先には未来が無い。

 先日、知人とそんな話になり、この悪循環を避けるにはどうしたらいいかという、自分なりの提案をしてみた。その提案とは、とにかく、教育とは教師が生徒に対して「強いる」ものではなく、生徒が教師に「求める」ものである、という大前提を、みんなが共有する事だ、と答えておいた。
 さすがに、小中学校のような義務教育では非現実的な提案かもしれないが、とにかくこの大前提をしつこいほど繰り替えし言い続ける。

 教育が「強いる」ものではなく「求める」ものであれば、もはや罰は存在しなくなる。

雪の朝(2月13日 牧馬でも5センチ程度降りました)

 実は、この生徒が教師を「求める」関係というのは、上下関係ではなく、両者は対等になる。生徒の方で、「どうも今習っているこのセンセイは、実力も知性も人格も、たいした事はなさそうだ」と判断してしてしまえば、その教師に見切りをつけて、もっと良い人を探せばいい。どの教師を選ぶかは生徒次第だ。

 うーん、小中学校はおろか、高校や大学を含めても浮き世離れした提案かな。
 でも私は、ことあるごとに、教育は「強いる」ものではなく「求める」ものであって、教師が生徒に対して教育を「強いる」ものではなく、生徒が教師に「求める」ものである、と、しつこくしつこく繰り返して言い続けるのだと思います。

 教育現場の「好循環」が始まるのは、この出発点しかない、と確信があるもので。

2月20日(水)

雨水

 2月18日は「雨水」。この日以降は、雪は降らずに雨になるという意味らしいが、確かに18日は雨だったけど、その翌日の19日は雪になりましたよ。まあ、いかにも春の雪らしい、大粒のボタン雪でした。牧馬の積雪は5センチ程度かな。
 こんな、すぐに解けるような降雪でしたが、牧馬の道路は冬タイヤでないと走れない状態にはなりました。その日の夜の内に除雪車が入ったのは有難い。

 話は変わって、藤野の観光協会のホームページが新しくなりましたね。

藤野観光協会
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 普通の観光案内以外に、「市民活動団体」とか「エコなとりくみ」なんて紹介があるのは今風か。ただ、これは以前にも書いた事があるけど、これからの観光は単なる物見遊山だけでは終わらないようになるでしょうね。
 例えば、その土地ならではの美味しい名物料理があるとする。その名物料理の為の新鮮で高品質な材料は、環境に配慮したその土地から、熟練の農家によって産まれるものだし、そんな名物が持続可能であり続けるには、市民団体の活動も支援になってくるだろう。

 良い観光地は、良い人の輪が出来ている所と言えなくもない。

牧馬谷

 昨年の末、老朽化したコンクリート製の小田原城の天守閣を、地元の木材で再建しようという団体の立ち上げが進められているらしい・・・という記事を紹介しましたが(こちら>>)。
 どうやらその団体が立ち上がったようです。

「みんなでお城をつくろう!」を合い言葉に
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 記事を読んでみると、単に木造で再建しようという話ではないようだ。

「天守閣木造化は歴史的遺産を受け継ぎ未来へつなげることです。しかし、その文化を未来につなげるためには経済的価値と、文化的価値と、市民参加型の新しい公共事業の価値を見出さなければなりません。

 逆に言えば天守閣木造化を切っ掛けに、この町の歴史的遺産を復元、再生することでこの3つの価値を生み出します。この価値は、大量生産、大規模資本による市場の集約化など地域社会とは切り離されたこれまでの産業構造とは逆向きの、地域経済を再生し持続可能な社会をつくる方向です。

 私たちの使命は持続可能な地域社会を再構築することです。天守閣木造化はそのシンボルとなるでしょう。それが私たちの使命です。」
(記事より抜粋)

 いやはや、そこまで射程の広い話だったか。

ボタン雪

 この記事を読んで、「ああ、始まったんだな」と思った。何が始まったかと言えば、ようやく、地域が自ら主体になって、自分達の力で自分達の価値を高めていこうと言う動きです。今まで地域が自らを発展させようとしたら、どうしても大企業を誘致しようとか、国の大規模な公共事業を誘致しようとか、自分の「外」から、なにかデカイものを持って来るという発想から抜けられなかった。

 でも、そんな自分の「外」に価値を見い出して来た結果、地域は寂れる一方になってしまった。その上、とうとう国や大企業までおかしくなってしまい、「外」から何かデカイものを持ってくる事も出来なくなった。
 国はカネが無いという。大企業は人件費の安い海外に行ってしまう。それじゃあ、何とかして自分自身で何かをしざるをえない。

 この小田原城の話。まだまだ先は長く、ささやかな第一歩かもしれないけど、うまく行けばいいなと思う。とは言うものの、ドロドロした金や権力がからむ話ではなさそうだし、変な悪人が寄り付いて計画を台無しにするような心配はいらないみたいですね。
 これ以外にも、ニホンの各地で似たような動きが始まっているのだろうか。地方にとっての長い冬がようやく終わりかけ、小さな春の芽生えが出て来たような気がする。

山の雪

 それにしても、志の高い人たちはどこの町にでもちゃんといるみたいですね。フジノにフーターズを誘致しよう、と思っている私なんて時代遅れの遺物もいいところだ。

 最後に意地悪な懸念を書くと、たぶんこれから全国各地で、地域が自分達の力で自分達の価値を高めていく運動が増えていくと思うけど、その中で大成功を収めた所では、当初の志を忘れて先祖帰りしてしまうのもあるんじゃないかな。
 つまり、大量生産・大規模資本とは違う地域発・地域密着型の産業を作るつもりが、大成功を収めてしまうと大量生産・大規模資本の産業に成長してしまう。それ自体は悪い事だとは思わないけど、そんな産業がいつしか、「地域のことなんかどうでもいい」と言うようになりはしないか。

 まあ、そんな先の話を、今から心配する事もないですね。

2月25日(月)

川沿いの木

 2月も終わりかけようとしているけど、今回の冬は情け容赦なく真冬の寒さが持続している。牧馬では冷たい季節風が吹き荒れ、雪国では記録を更新するような大雪が降っているとか。川沿いの木々では雪解けの湿気をまとった小枝が、花のような氷を付けて朝日に光らせていた。

 2月14日の日記で、牧馬峠の道が崩れて通行止めになった話を書いたけど、その後、復旧工事についてのお知らせが市からやってきた。2月14日の日記では「補修工事をするにしても、他に劣化している場所が無いかも含めて調査する必用があるんじゃないか。」と書いたけど、やはり詳細な地質調査が行われるようだ。
 ただ、そんな調査と工事が終わるまで通行止めというわけではなく、仮設の防護壁を設置したりして、とりあえず片側交互通行だけでもできる状態にするらしい。開通は3月下旬を目処にしているとの事。これだけでもだいぶ有難い。本格的な復旧工事は来年度という事になるのだろう。

 人から聞いた話だけど、こういう年度末に起こった災害の場合、復旧の為の予算をかき集めるのに市の職員は苦労するのだそうな。あー、そりゃそうだろうなァー。

これも同じく川沿いの木々

 次の土曜日の3月2日には、「篠原の里」で「里の市」が行われます。うーん、この頃までには寒さが和らいでくれないものか。

 少し先の話になりますが、3月に行われる演劇の話を2つ。一つは毎年恒例の、地元の子供達が行う「ふじのキッズシアター」の劇。3月23・24日の二日です。会場は芸術の家。チラシが出回り始めているので、PDFにしてみました。

ふじのキッズシアター 第12回公演
ブルーバードをさがして
こちら(PDF約1.5MB)>>

 もう一つは平日ですが、3月26日(火曜日)に同じく芸術の家で、宮城県亘理町の亘理高校演劇部の公演があります。駅前の観光案内所「ふじのね」のブログで紹介されています。

宮城県立亘理高校演劇部公演
ブンナよ木からおりてこい
こちら(ページの下の方)>>

 平日とは言え、子供達は春休みに入っているでしょう。夜の公演なので親子で行くにはちょうど良い時間帯かもしれません。

やどりぎ

 前回の日記で「持続可能な地域経済」という言葉が出て来た。
 地域経済の反対の言葉はグローバル経済という事になるんだろうけど、どうもこのグローバル経済というのは、私には持続可能に見えない。結局の所、大規模な資本による大量生産で何とか経済を回そうとした挙句、「100人の生活を維持するのに必要な仕事量が10人で可能になったら、残りの90人は何をしたらいい?」という世の中を作るしかなくなる。行き着く先はイカロスの失墜だろう。

 中国の自動車メーカーの長城汽車が、マレーシアに東南アジア向けの低燃費自動車を供給する工場を作るとか。初期の生産能力は8万台程度というから、まだそれほど大きな規模ではないけど、いずれは東南アジア全域に車を供給する拠点に育てるのだろう。
 だんだん、日本やドイツやアメリカだけが新興国に工場を作って車を作る時代ではなくなっている。新興国の自動車メーカーも、もっと安く自動車が作れる新興国で同じ事を始めている。

 いずれは自動車も、100円ショップの製品と同じような作られ方になるのかもしれない。電気自動車の時代になったら、その傾向は一層加速されるだろう。

野の花

 グローバル経済は椅子取りゲームみたいなものだ。「フルーツバスケット」なんて遊びを覚えている人も多いと思う。ゲームの進行につれて椅子の数は減らされて行き、それに従ってゲームから脱落した人も増えて行く。ゲームの終り頃には、数人だけになったゲームの参加者と、ヒマを持て余した多数の傍観者が残る。
 グローバル経済なんて言うと、まるで世界が拡大し、経済も拡大しているかのような言葉の響きがあるけど、実際は逆で、そこで進行しているのは経済の縮小再生産でしかない。

 こんな事を書いていると、まるで私が大資本による大量生産を行う大企業を憎んでいるかの様に感じる人もいるかもしれないけど、そうではない。だいたい、私だってモノが大好きだ。ニコンのカメラにしろ、ホンダの車にしろ。
 ただ、そんな一時代を築いた企業たちが、次の時代の着地点を見出せるのか、グローバル経済の風に揉まれている内に自分自身を見失って雲散霧消していくのか、気になる所だ。