2015

5月

5月4日(月)

相模湖

 新緑が眩しい季節になった。5月の連休になって、例年通り、行楽の車が行き交う。なのでこの時期は、あまり車で出かけたくない。いつもなら車の通りもそれほどないような道路でも、長々と渋滞ができていて、そこにうっかりはまると身動きがとれなくなる。

 すでに毎週のようにどこかでイベントが発生している藤野だけど、5月の半ばの16日と17日の土日には、藤野でも最大級のイベントの一つ「藤野ぐるっと陶器市」が行われます。
 藤野全体を会場にして、各地の陶芸家たちが作品を展示販売したりアトリエを公開したり。陶器以外のクラフトや飲食も、多種多様な出店があって、とても一日では見切れないし、二日でも見切れないだろう。まあ、いかに出展者と出店者が多いかは、以下のホームページを見れば判ると思います。

藤野ぐるっと陶器市
こちら>>

 こんなイベントなので、車がないと観て回れないのが悩みの種だったが、今回、初の試みとして無料のシャトルバスが各会場を回るのだとか。そのバスの時刻表も、このサイトのトップページにありますね。

 イベントも、ここまで規模が大きくなると、準備する方も大変だろうなぁと思う。

 これがその本の表紙、B5版で32ページ。1300円。

 最近、藤野のお隣の上野原で、こんな本が誕生した。題は「せいだイモのはなし」。

 現在でも、山梨県ではジャガイモの事を「セイダいも」と呼ぶ所が各地にあるそうな。その「セイダ」の由来が、かつて江戸時代に甲州の代官として治世にあたった中井清太夫の名前から。
 この人が、飢饉が続いて荒廃した甲州の農村を救うべく、天候不純に強いジャガイモを普及させて行く。

 清太夫が甲州の代官として活動した期間は数年しかないが、ジャガイモの名前に残るくらいだから、当時の農民にとっては、大変な感謝の念があったのだろう。

 あまりここで粗筋を紹介したらダメだよね。興味のある方は、是非買って下さい。

 ただこの本。一般の書店では手に入りません。今後、上野原市の各地で置かれるとは思いますが、確実に購入しようと思ったら、メールかファックスで購買申し込みを行うしかない。
 一応、購買申し込み書のPDFを貼っておきます。
こちら(PDF約4MB)>>

 それにしてもこの絵本。製作にも苦労があったと思うけれど、製作に関わった人が凄い。文章が児童文学作家の丘修三さん、絵が絵本作家の西村繁男さん。お二人とも藤野の作家ですけど、この分野の大家に依頼した事になる。この本を作るのに、いったいいくらかかるんだろう・・・と、気の弱い私なんか、勝手に不安になるが。
 大丈夫か、「せいだイモの話を伝える会」絵本製作委員会は。

 ただ、この本の内容の性質上、山梨県各地の学校の図書室にも置かれるかもしれないし、山梨県各地の図書館にも置かれるかもしれない。また、上野原市の郷土料理「せいだのたまじ」をこれから地域で推して行くみたいだから(イメージキャラクターまで既に作ってある)、確実に必要とされる冊数はあるでしょう。

 ああそうだ、絵本には、その料理「せいだのたまじ」の作り方も巻末に載っています。

湖と山

 この手の「地元を紹介する絵本」って、各地で作られているし、幾つか見た事もあるけれど、本式の絵本とくらべると、内容や本としての造りが安っぽかったりする事がある。絵本作りのプロが関与していない場合もあるだろうし、そもそも、製本自体も素人の人が作っている事もあるのかもしれない。

 ただこの本に関しては、そんな安っぽさは皆無です。前述の通り、文も絵もプロ中のプロだし、それを絵本として形にするのも、その道のプロがやっている。印刷された、それぞれのページの色も美しいし、絵本の中に配置される文章の位置も美しい。

 今後、全国各地で作られるかもしれない「地元を紹介する絵本」が、この本を参考にしたら、一気に目指すべき水準が上がるんじゃないかなぁ。それだけの力を持っている絵本でした。

まぶしい緑

 清太夫が甲州の代官としての任期を終えて江戸に帰る時、人々は相模の国境まで見送って別れを惜しんだとか。
 今となっては、そこまで人々の心をつかめるリーダーの存在なんて想像もつかないが、日本全体が貧しい時代には、けっこう名も知れずに存在していたのかもしれないね。清太夫の場合はジャガイモの名前として残ったけど。

 一つ思ったのは、民衆の心を動かし、民衆の心を掴むのには、言葉だけいくら立派な事を言ってもダメなんだろうなァ、という事。
 実際に行動して、実際に事実として民衆を救わないと、人の心は動かないだろうな。

5月10日(月)

 既に木々の緑は深く、木陰は深い暗がりになった。これから草刈りが欠かせない季節に入って行く。

 先日、「そもそもを話そう」という対話の場に出席した。企画は藤野で持続可能な地域社会を作って行こうと活動している「トランジション藤野」。
 「お金」とか「教育」とか「生と死」とか「宗教」とか、あまりにも大きく複雑で、自分には手の届かない問題になってしまったかのような話題を、「そもそも●●とは」と、「少し自分に近づけて、じぶんごととして話し、意見を出し合ってみる」場を作ってみようというもの。その第一回目のテーマに『政治』が選ばれた。実はこのテーマ、私も言い出しっぺの一人でもある。以下の、この会の呼び掛けの文案は私が書いた。

 「政治」という言葉は、普通の生活の場からは、すでにすっかり遠いものになってしまいました。
「おまえはどの派閥だ」と、保守だとか革新だとか、右だとか左だとか、踏み絵を踏まされるような圧力を味あわせ、政治に参加する事、政治に関して 意見をいう事に、大変な決断と勇気が必要になり、多くの人々が自ら政治から距離を置くようになりました。

 篠原にて。以前紹介した子ヤギもすっかり大きくなって、親のヤギと、体格はそれほど変わらなくなっている。

 しかし、そもそもの政治の目的は、今日より明日が、今年よりも来年が、もう少し苦労や不幸が少なくなり、安楽と幸福が増えるように、人々の知恵 を集めて語り合い、実践していくものでした。
 そんな、人々の「夢」を形にしていく作業である政治が、こうも人々から遠く手の届かない存在になったのはなぜなのか。それとも、また自分達の手 で政治を形作る時が来るのか。

 「地産地消」という言葉が広まって久しくなりました。
 食料やエネルギーや産業だけでなく、地産地消型の政治というのはありうるのか。ありうるとしたら、どのように作り上げられるのか。
 現代の、あまりにも大掛かりになった政治とは別に、昔の山里ではどこでも行われていただろう「まつりごと」にまで思いを馳せながら、人々の 「夢」を形にしていく作業としての「そもそもの政治」について、考える場があればと思いました。

 この会の当日、5〜6人も集まればいいかと思ってたけど、12人の参加者があった。対話の環境としては、多すぎず、少なすぎずで理想的だったと思う。時間も夜の7時から9時までと限られていたし。
 内容が内容だけに、簡単に結論が出る話ではない。議論の方向性として、これといった明確な切り口を用意したわけでもない。とりあえず、自己紹介をしながら、それぞれの政治に対する思いを話しながら、対話はゆっくりと始まったのだけど。

「政治の話をしようとすると、避けられたり、気味悪がれたり、距離を置かれたりする。」

 人が複数集まれば、そこには考え方の違いも出てくる。どちらかの考え方に方針を決めようとしたら、ケンカも生じ、勝ち負けも出てくる。政治は闘争だとなると、政治は怖いものだと言われても仕方が無いし、できるだけ距離を置きたくもなる。

「しかし、そもそも人が複数集まって集団を作るのは、お互いが幸福になるためだ。一人で衣食住を含めたすべての作業をこなすよりも、一人一人が得意分野を活かした専門職を担う事によって、文化的な暮らしが出来ている。」

 たしかに、国の発生の由来は、そんな素朴な助け合いの場からだったかもしれない。ただ、その規模が大きくなるに従って、支配と被支配、命令と服従の関係は厳しくなり、一般の民衆は人格を失った「コマ」に過ぎなくなってくる。規模が大きくなるに従って、政治は非人間的になっていく。

ミズキの花

「そんな状況で政治に対して発言できる人間であるには、『個』の確立した人間でないと難しい。」

 集団の中で、たとえ自分の意見が少数派であろうと、自分の考えを言い、行動を起こす。これには大変な勇気が必用で、結局、できれば政治には関わりたくないという人々を増やす結果になる。政治に対して自分の考えを述べるというのは、ただでさえ一般の人にはハードルが高い。

「政治を行っている当事者も、実は『個』が確立されているとは言えない。」

 国も県も市町村も、多くの政治の場では、ろくな議論も行わず、強引に方針を決めようとし、仲間も『異議なし』のシャンシャンで決めることを望んでいるし、そのやり方に慣れている。決して、自分たちと異なる考えの人々と、粘り強い対話をして、双方が納得のいくような議論が出来る人格の持ち主というわけではない。

 これは、政治の話題を避ける人々と相似の関係にある。自分とは異なる意見の持ち主に対して、対話の試みをする勇気がないという点で一致している。政治を行う側も、政治に服従する側も、「勇気」と「個」を失った同調圧力で動いている。

 民衆の同調圧力によって選出された議員が、同調圧力による議会を運営し、同調圧力の政治が進められていく。政治は民衆のレベルの正確な反映といえる。

花畑

 「その民衆のレベルを、どう底上げしていくか。」

 ブラック企業の横行で悲惨な労働環境に苦しむ人も多いが、そのような社会を作った遠因は、10年、場合によっては20年も昔に作られた法律だったりする。逆に、今作られた法律が、10年後や20年後に、より悲惨な社会(もしくはより幸福な社会)を作る原因になるとも言える。
 そのような、過去を良く知っている人や、先が良く見える人たちと、語り合えるコミュニティーがあると良いのではないか。

 以上は、私が印象に残った、この日の対話の一部。実際は、この10倍くらい、多様な方向に話は展開した。自治体だけでなく、自治会のありかたにも話が弾んだし、議員経験者が二名も同席していた事もあり、生々しい実話も多く話された。

 始めから判っていた事だが、結論めいたものは無く、それぞれが思い思いの話をして、それぞれが興味深かった。たぶん、こんな語り合える場が、健康な政治を生み出すささやかな土壌になるのだろうと思う。

5月18日(月)

ぐるっと陶器市の会場の一つ

 5月16・17日に行われた「藤野ぐるっと陶器市」。藤野の各地で陶芸等の作品が展示販売されるこのイベント、初日は朝に雨が降ったがお昼前頃から天気は安定し、翌日は抜けるような快晴に恵まれた。毎年のように「関係者の中に強力な雨男がいるんだ」と噂されている陶器市だけど、今回は天気が味方してくれた方だろう。

 天気が良かったせいか、今回は例年にも増してお客さんの数が多かった気がする。車が無いと全体を見切れないイベントだけど、今年は各会場を巡回するバスを運行して、鉄道で藤野に来たような車を持たないお客にも便をはかった。それも、お客が盛況だった原因かもしれない。

 一方で、そろそろこれだけお客が来るようになると、問題になってくるかなァ、と思った点もあった。その一つは車で来るお客さんの駐車スペースの事。
 それなりの規模の大きさの駐車場を用意した会場もあるけど、作家の個人宅のアトリエを会場にした場合、近くの道路に駐車しざるを得なくなる。道路の片側だけに駐車するように呼び掛けたり工夫はしているけど、そろそろ一般の道路利用者から苦情が出てくるのではないか。

 陶器市の一こま

 まあそれだけ、お客さんがどっと来てくれるイベントに、この陶器市が成長したという事でもあり、贅沢な悩みとも言えるかな。

 これが10年前、20年前の事を思うと感慨深いものがある。かつては芸術で町起こしなんて言っても、「芸術なんかで金になるか」という批判の方が主流で、酷い話になると、山や谷に産業廃棄物や建設残土を埋めて金にした方が町のためになるといった意見に藤野は翻弄され続けて来た。

 山里の、そのままの風情や自然、芸術や文化や暮らし方を楽しむような観光のスタイルなんて、当時の人々にはあまり想像がつかなくて、説得力が無かったのだろう。
 でも今だったら、それほど反発も無く、受け入れられるんじゃなかろうか。

 これからどの地域でも、「自分達の住む地域は、何で食べて行くか」という話と向き合いざるを得ない時期に来るだろうな。
 前回の日記で書いた「そもそもを話そう」という対話の企画で、政治、それも政治家について、こんな負のイメージについて意見が出た。

「政治とか政治家って、なんか強引で横暴な経営者っぽい所があって嫌いだ。」

 時代遅れになった無用の箱ものを作りたがったり、需要があるのか疑わしい道路やダムを作ったり。それに対する反対意見は無視するか強引にねじ伏せたり。
 実際、そんな前例だらけなので、そんなイメージが定着するのも仕方が無い。

 ただ「そもそも」の話しからすれば、地域の経営者というのは、実力と人道の持ち主であれば、大変ありがたい存在でもある。
 その地域の特徴や長所を継承発展させ、その地域在住の個性や長所を持った人材を育成したり活用して、その地域の特徴や長所を活かした事業を興していく。

 木に登ってサクランボをむさぼり食う子供たち。ほとんど山ザルの所行。

 経済の語源である経世済民の意味は、「世の中を上手に運営して人々を救う」というものだ。地域の経営が、確かな実力と人道主義で行われれば、実際に人々が救われる世の中にもなるだろう。しかし、なかなかそのような「理想の経営」としての政治は語られない。

 これは、「リーダーシップ」という言葉に対する違和感や反発心にも通じるだろう。「リーダーシップ」なんて言うと、どこかの偉いさんが、人々から無理矢理に税金を巻き上げて、人々が望まない事業を無理矢理にやらせ、それに反抗しようものなら強権で罰を与えるようなやり方を想像してしまう。

 また困った事に、「反抗するものは処罰してでも強力に決めた道を突き進む、それこそが理想のブレないリーダーシップだ」と言う人も多いしな。こういう人は、まさか自分が処罰される側になるなんて、夢にも思っていないんだ。

花ざかり

 実力と人道主義の地域の経営、ひいては国の経営。そのための実力と人道主義のリーダーシップというものも当然あるだろうし、これから必要にもなってくるだろう。

 今の10代や20代の若い世代に、そんな理想的な地域の経営やリーダーシップという世界もあるんだよ、と伝えてやりたいけれど、どんな方法があるのかね。

5月24日(日)

 5月の風に、花の群れは心地よくなびき、爽やかな日々が続いている。日もすっかり長くなって夜の7時でもけっこう明るい。麦も黄色くなり、田植えの時期が来ている。地元の新茶も出始め、蒸し暑くなるのはこれからだろう。

 一見、何ごともないようないつもの山里だけど、箱根での火山活動の活発化の話を聞いたりするとね。あの火山が勢い良く噴火するようになったら、藤野の生活も混乱するだけならまだしも、維持できなくなる可能性だってあるだろう。
 ネパールでの大地震の話もあるし、なんだか地球全体が賑やかな感じだ。やはり、災害に対応した暮らし方とか、生活基盤や都市の作り方を考えなければいけない時期になっているのだろう。

 つい先日、私の住む地域で土砂災害警戒区域等の指定説明会というのがあった。昨年の広島県での土砂災害の問題もあって、市や県も、改めて地域の土地の具合を調べて、「ここは土砂災害の心配がある土地ですよ」と指定していった。
 でもなぁ、渡された資料を見ると、藤野でも私の住む牧野地区は、ほとんどの家が「土砂災害警戒区域」に入っているけどなぁ。入っていない家の方が「例外的」という感じだ。

 さて、この調査結果を受けて、住民はどうしたらいいものか。

倉の改造

 藤野のお隣の上野原で、藤野のイベントでもいろいろと御縁のある方が、倉を改造してカフェにしようと工事を進めている。場所は上野原の賑やかな商店街のまん中にあるし、駐車場にも困らないし、カフェをやるには理想的なのだけど、倉を改造するというのは、なかなか困難が伴うようだ。

 水道や廃水の配管を入れたり電気工事をしたりするのも大仕事だし、カフェをやるにしても消防法の許可を得るのも難しかったりと、いろいろと壁にぶつかったらしい。
 それでも、今までのイベントやらで築いてきた人脈がモノを言うのか、様々な分野の知恵や技術を持った人たちが、そのつど助けに来てくれて、徐々に完成に近付いている。
 その土地の、様々な分野の知恵や技術を持った人々が、わいわいと集まって協力して作り上げる店という点では、以前にここで紹介した篠原のパン屋と似ている。

 この倉もそうだけど、使われなくなって放置状態だった建物を再生して、地域起こしの一環としていくのは、全国的な手法になってきた。最近読んだ記事にこんなのがあったけど。

物件の市場的価値より、まちをおもしろくする価値をつくる! 小田原に誕生した「旧三福不動産」立ち上げメンバーに聞く、これからの不動産会社のあり方
こちら>>

 従来の不動産屋では値段もつけられなかったような物件でも、これからは新たな価値や活かし方を見つけて、再生していくのが普通になっていくのだろう。

 よくもまあ、これだけ回収したものだ

 牧馬では、年に一度の道路沿いのゴミの掃除があった。これは5月30日を語呂合わせでゴミゼロの日として、その日に近い日曜日をゴミ掃除の日に当てている。

 年々、ゴミの量は少なくなっている感じなのだけど、今年は、昨年に牧馬に引っ越して来た若手が張り切って、これまでだったら「あそこのゴミの回収は、我々住民では難しいから諦めよう」と放置していたゴミまで回収に挑戦し、そのかいあって山のようなゴミが集まった。
 何しろ、谷の下のような所からゴミを引き上げていたからな。

 ただそれでも、道路から捨てられたゴミは、まだまだ谷の下にたくさん残っている。たくさん回収したようでも、この10倍はあるようだ。

 ここまで来ると、ちょっと住民の力では、美化するにも限界がある。

 市としても、大変なゴミの場合は、行政の力で回収する予算を出す事もある。最近では、谷底に落ちた車の回収とかにも、そんな予算と人員が使われたようだ。
 ゴミの不法投棄が甚だしい場所には共通点があり、それは「捨てやすい」というもの。近所に人家が無く、トラックの荷台から簡単に捨てられるような谷沿いの道路なんかは、おあつらえ向きだ。

 そんな場所には、簡単にゴミが捨てられないように金網を設置したり、監視カメラを付けて警戒したりする。金網を設置する際には、大掛かりなゴミの除去作業も合わせて行われる。そんな作業の時に、洗濯機やら冷蔵庫やら、巨大な家電まで出てくるから大変だ。

ノビル

 こういう不法投棄を行う人や業者に対して、私だってハラは立つ。しかし、その一方で、そういった行為に及ぶ人たちに、ある悲劇性も感じている。
 自分の利益になるためだったら、他人にゴミを押し付けてもかまわないという精神性に、明るい未来があるのかどうか。

 人は、似たものどうしが集まる傾向がある。自分の欲望のためなら他者を犠牲にしてもかまわないという人間だって、結果的には、似たものどうしが集まるだろう。そんな人々は、真に友達と言える人間がいるのだろうか。

 今回の日記で紹介した、倉を改造してカフェに再生しようと取り組んでいる人みたいに、困った時に、いろんな技術や知恵を持った人が助けに来てくれるような人間関係が、そこにあるとは思えない。