2015

3月

3月3日(火)

フキノトウ

 3月に入り、時には朝起きてもストーブを欲しいと思わないような日も出てくる。日の出の時間の早さ、日の入りの時間の遅さ、陽の光の高さ強さ、どれも既に冬の気配はない。もちろん、藤野の場合、4月初旬までは雪が降る事もあるので、車のタイヤもスタッドレスじゃないと、まだまだ安心できないけど。
 このところ、まるで計ったかのように3日に一回雨が降るようだ。これももはや冬の気候ではない。冬には枯れるように細くなった沢の水も、勢いを増している。

 フキノトウも顔を出し始めたし、梅も咲き始めた。2月28日には篠原の里で年に4回行われる「里の市」があり、冬の間、眠っていたように静かだった藤野の屋外のイベントも、そろそろ動き始めた感じ。田畑の準備も動き出す頃だ。

 個人的な話ですがワタシも動いています。今月のシーゲル堂の企画展で、私も出品しています。今回は水彩画を出しました。藤野在住の陶芸家の清水勝さんとの2人展です。よろしかったら是非おいでください。
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 この企画展に向けて絵を描いていたら、冬の寒い中に絵を描くと、春や初夏を待ち望むような絵ばかり描いている自分に気付いた。たぶん、ハラが減ると食い物の絵でも描くのだろう。

梅の開花

 また3月11日が近付いているけれど、2月27日に、神奈川県の津波浸水想定検討部会が、これまでの津波による浸水予測を見直して、最新の科学的知見も取り入れた新しい浸水予測を発表していた。

最大クラスの津波による浸水予測の見直し結果について
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 なんでも、「想定外」を無くそうという考えで、発生頻度が極めて低い巨大地震も含めた浸水予測にしたとのこと。「発生頻度が極めて低い」って、どれくらいかと見てみたら、2千年から3千年に一度というから、確かに滅多にある地震じゃない。

 そんな地震も含めると、最悪、どんな津波が来るのかしらんと、添付資料の「3 津波浸水予測について(解説)平成27年2月(第10回津波浸水想定検討部会資料)」というPDFファイルを読んでみると、17ページあたりから、なかなか深刻なデータが出てくる。19ページに、「地震ごと・沿岸市区町ごとの最大津波高さ及び最大到達時間」が出てくるけど、大磯町や二宮町では、地震発生後3分で17メートルの津波が来るって、どうすりゃいいんだ。
 2千年から3千年に1度といった地震も考えると、こういう結果が出ちゃうんだね。

 あとなー、そんな頻度の極端に少ない地震の津波じゃなくても、数百年に一度程度の地震の津波でも、川崎あたりの工業地帯は確実に浸水しちゃうみたいですね。

 「里の市」の一こま。地元の大人達が音楽を披露し、子供達が聴いている。普通は逆かもしれないけど、藤野では大人も率先して楽しむのだ。

 しかし、「2千年から3千年に1度」ですかー、これは誰だって迷っちゃうよね。
「2千年から3千年に1度とは言え、それは明日もしれない」と、高台に移住を決意する人もいるかもしれないし、そんな人を指して「臆病にも程がある」と笑う人もいるだろう。

 現実的な対応としては、避難経路の再確認や、高いビルを避難場所として人々に周知させたり、シェルターを建設したりするのだろう。問題はその後だな。
 人々は、どう行動するのか。

 行政とか、国家権力が強制的に「浸水予想地域から安全な場所に移住しろ」と命令したら、案外、人々は楽かもしれない。でも当面は、自由意志に委ねられるだろう。
 自分の責任で何らかの決断を下すのは、苦しい事でもある。

 ここまで書いてきて、決断を迫られるのは何も津波に限った事ではないと思い直した。
 人によっては、「いつまでもこんな悪徳企業で働いていないで、ここから飛び出すべきではないか」とか、このままここに居ても未来の可能性は縮まる一方だから、人生の方向を変えるべきではないかと考える人は、この御時世、多いと思う。

 それにこの問題は、行政も国家権力もアテにならない。もしかしたら将来、「このまま公務員をしてても未来の可能性は縮まる一方だから、人生の方向を変えるべきではないか」と決断を迫られる人だって、出てくるんじゃなかろうか。

 でも一方には、自分が行くべき道を早々に見つけて、迷いも疑いもなくその道に進んで、悠々と路線の変更に成功した人もいるのかもしれないな。こんな事ができるのは、よほどできた人だろう。

 義務教育で、「決断のしかた」なんて習わないし。

光る川面

3月8日(月)

山の雨

 雨の多い、しっとりとした日が続く。そのぶん、花粉症の人には有り難い天気でもあるのだろう。杉花粉が盛大に飛び回ると、車のガラスにうっすらと黄色い粉が積もるくらいになるからな。今年はまだ、そんな状態になった日はないようだ。

 篠原の県道沿いに、土日だけのパン屋が出来ている。この日記では、2013年5月の所で、そのパン屋の建設途上の紹介をしています。
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 地元の仲間たちが手伝って、建物が完成し、パンを焼く窯も完成し、イベントの時とかでは臨時でパンを売る事も始めていましたが、保健所の許可が下りて、正式に土日に営業できるようになった次第。
 それにしても、大工仕事のできる心強い助っ人が手伝ってくれたとはいえ、ホントにパン屋を作っちゃったなァ。たぶん、真の意味での「地方再生」は、こんな素朴なパン屋を、仲間たちで協力して作るような所から始まるのだろう。10人が協力してパン屋を作ったら、今度は20人が協力して何かを作り、その次は30人、40人と経験と自信を深めながら、地域は力を強めていくのではないか。

 場所は、篠原の宅老所「すずかけの家」のすぐ近く。営業日の土日には、道路沿いに看板を出しているので、すぐに判るでしょう。

 ああ、肝心の事を書くのを忘れてた。ここのパンは美味しいですよ。

 篠原のパン屋「アカラナ」

 今回は特に書く事も思い付かないので、日頃、考えていた事を一つ。

 これからしばらくの間、笑いのセンスのある人間が世の表に出てくるのではないか、と言うより、笑いのセンスがある人でないと、世の表には出られなくなるのではないか。
 端的に言えば、リーダーの条件として、ジョークが上手な人、というのが出てくると言う事です。

 これは長い話になりそうだな。思い付くままに、いくつかに分けて書いてみます。

 まずその1。
 苦しい時に、その状況をジョークにできる人は強い。
 苦しい時に、顔も暗くなり、悲嘆にくれて愚痴ばかり出てくるのが平均的な人間の姿だ。

 そんな苦しい状況下を、パッとジョークにして笑いに変え、気持ちを前向きに明るくできる人間が、最初にその苦境から脱出できる人になるだろう。

その2
 そんな、苦しい時にこそ、その状況を笑いにできる人間は、発想に豊かさと柔軟さがある。逆に言えば、発想が硬直しているか、発想力そのものが衰えていれば、苦しい時に「苦しい」としか言えない人になってしまう。

 今までのやりかたでは上手く行かなくなった時、発想の豊かさと柔軟さがある人間の方が、新しいやり方の発見も実現も早いだろう。

その3
 そもそも、「ジョークの得意な人」と、「仕事で成功する人」には、似た性質がある。

 例えば、あなたが何人かを前にしてジョークを言う時、そのジョークが成功して笑いが起こるには、どんな条件があるだろう。

丹沢の雪

 まずジョークそのものがセンスのあるものだろう。そして、ジョークを聞く人も、そのジョークを笑える人である必要がある。同じジョークでも、人によって笑えるものと笑えないものがあるからだ。

 更に、あなたがそのジョークを出す技術が優れている必要がある。これは落語を想像すれば判るだろう。同じ演目でも、名人と素人では比較にならないほど、発生する笑いに差が出来てしまう。

 ジョークを出す技術とは何かとなると、説明が難しい。タイミング、口調、いろいろあるとは思うけれど、老練な人ほど、ハラが座った状態で言えるものなのかもしれない。

 また、ジョークを言う自分自身が、みんなからどう見られているかを、正確に把握している必要がある。
「自分はこういう性質の人間だとみんなから思われている。だから、こういうジョークを、こういうタイミングで言えば、すごい笑いになるだろう」という計算もできる。

 例をあげれば、日頃ふざけている人が、真顔になって真面目な口調でジョークを言ったり、日頃真面目にしている人が、顔つきは真面目なままで、内容は破天荒なジョークを言ったりすると、生まれる笑いは倍加する。

まだ芽吹くには早い森

 さてここまで書いた事柄は、そのまま仕事(特に商売)で成功する人の条件と相似している。前述の「ジョーク」を「商品」に置き換えて連想すればいい。

 まず、自分自身の手許に良質な商品がある。そして、その商品を必要とし、気に入ってくれるお客かどうかを、きちんと知っている。
 なにより、お客の心を掴むような商品のアピールの仕方が上手い。また、お客が自分の事を、どんなふうに見ているかも正確に把握している。「まだ十分な信頼は得られていないな」と感じている時と、「もう十分に信頼は得られているな」と判っている時とでは、お客に対する戦略も変わってくるだろう。

 これらは、「相手を事を熟知し、自分の事も熟知していれば、百回戦っても危険な状態には陥らない」という孫子の言葉そのままだ。

その4
 笑いは周囲を明るくし、仲間を増やす行為である。
 明るく、仲間が増える行為が得意なら、そりゃあ成功もするだろう。

・・・とまあ、乱雑ではあるけれど、「これからのリーダーの条件として、笑いのセンスがある」という説明を、幾つか並べてみました。まだまだ、他にもあるかもしれません。

3月15日(日)

宮ヶ瀬の湖

 少しずつ冬から遠ざかりつつあるのは確かなんだけど、10日頃から降りてきた寒気の影響で、その週は春の進行も足踏みした感じだ。
 眠気に襲われるのもこの季節。何でも、冬の寒さの中で体温を維持するのは、身体にとって、なかなかエネルギーを使うものらしい。そんな冬の疲れが、春になって身体が安心しかけた時に表に出てくるのだろう。無理せずに、眠い時には存分に眠るべきかもしれない。

 春の鉄道ダイヤ改正では、中央本線の藤野駅は特にこれといった変更はなかった。世間一般では、北陸新幹線の開業で湧いているのかもしれないが。
 ただ、新幹線の開業も、東海道や山陽の頃の、高度経済成長期のものとは違う。新幹線の開業に伴って平行して走る在来線は第三セクター化されて、値上げもされていくだろう。華やいだ新幹線の開業の影で、地元に密着した住民の足としての鉄道は衰退していく。

 藤野はこれといった変更はなかったが、関東周辺部では、在来線の衰退が現れ始めている。千葉県の特急列車は廃止されたり縮小されたりしているし、こんな記事もある。

首都圏の交通インフラ縮小が示唆する「これからの国内不動産投資」
こちら>>

 衰退が始まっているのは何も地方だけではない。首都圏の周辺部でも、そんな現象が始まりつつある。

満開

 人間は頑固なもので、自分達が属している組織が「衰退している」とは、なかなか認めたがらない。その一方で、新幹線や高速道路の開通で「見ろ、こうしてこの地域はますます発展していく」と考えたがるのだろう。実際は、新幹線や高速道路の開通で地域が発展する方式は、過去のものになっているし、むしろ逆効果で、衰退を加速させる要因にすらなっている。

 地方の僻地から始まった衰退の波は、やがて地方全体に広まり、今では中央の周辺部にまで迫ってきた。いずれ中央部もその波に飲み込まれるだろう。
 衰退を跳ね返す力は、その土地に住んでいる人々が、独力で事業を起こす活力があるかにかかっている。私には、その活力が、地方には無かったが中央にはある、とは思っていない。

 逆に私はこう考えている。一度ひどい衰退を経験した地方の一部から、ようやく「独力で事業を起こす活力」を再興しようという気運が始まって来たが、中央はまだ恵まれているので、そんな気概を奮い立たせる状況には住民は至っていない、と。

 新幹線だとか高速道路だとか、何か「大規模なもの」を持ってくれば自分達も豊かになれると考えている内は、かえって「大規模なもの」に身ぐるみ剥がされるだけだ。自分達の足下から、自分達の手足を使って豊かさを創造する覚悟と活力が無いと、衰退を止める力にはならないだろう。

 前回の日記で紹介した、ささやかなパン屋作りのあり方に私が期待しているのは、そんな理由からだ。

梅林

 以前、この日記で「豊かさの弊害」について書いた事がある(こちら>>)。一度豊かさを経験した人間は、その成功体験から離れられず、時代の変化から目をそらせるようになり、知性を喪失していく。

 その時の日記では、最後に「日本と言う国は、明治の文明開花以降、第二時大戦の敗北という破滅もあったが、豊かさと勢いのある国ではあり続けただろう。だが同時に、豊かさの弊害も深く蓄積してきた。この豊かさの弊害をどうやって解消し、次の豊かさへとつなげていくか。それが今の日本人にできるかどうかは、判らない。 」と書いたが、私が考える「豊かさの弊害」の最たるものは、日本人に「依らば大樹の陰」の依存心と、「虎の威を借る狐」の精神を植え付けた事だ。

 自分の力で世間を納得させるような価値を産み出すのではなく、とにかく大きな組織の傘下に収まれば安心できるという考え方。
 それ自体は、それはそれで一つの生き方であって批難するようなものではないが、困るのは、こういう生き方を選んだ人間の一部が、悪質な「虎の威を借る狐」になる事だ。

 大きな組織の傘下に収まる事で安心を得ているので、その「大きな組織」の事が批判されたりすると、それが合理的な批判であっても、自分の安心の根拠がぐらついて不安になって逆上し、批判した人間を攻撃しようとする。偏狭な愛国主義者が、「国のやる事に文句を言うな」と騒ぐのは、その典型例だろう。

薄暮の梅

 ただ、そう言う人たちは気付いているのかどうか。太平洋戦争の教訓の一つは、「愛国者が国を滅ぼす」という矛盾だった。
 では国を滅ぼす愛国と、国を栄えさせる愛国の違いはどこにあるのか。

 偏狭な愛国主義者の陥る間違いは、「私は国を愛している、だから私は正しい」という考えに依存している点だ。こういう考えに染まると、「お前は国を愛していない、だからお前は悪だ」と単純に決めつける快感に酔うようになる。
 しかし、この考え方は未完成で不十分だ。

 大事なのは、あなたの「国の愛し方」は正しいのか?、正しいと自信があるのなら、その正しさを、どうやって人々に客観的な説得力を持って説明できるか、にある。
 間違った国の愛し方をする人間は、国を愛していない人間よりも、かえって国を賊する。

 「愛し方」にもいろいろあるだろう。相手が喜ぶものもあれば、ストーカー行為もある。そして、「正しい愛し方」は、自分で、独力で考えなければ本物ではない。これは、大きな組織の傘下に収まって、その大きな組織が与えてくれる「模範回答」の受け売りでは、真の自信にはならないだろう。

 衰退の波は、国でも防ぎきれない状況にある。国が「模範回答」を出せないのなら、民衆が、それぞれ独力で考えるしかない。

3月23日(月)

梅の木

 彼岸も過ぎて、いよいよ春になった感じ。山中の牧馬でも、ストーブを必要としない日が増えた。
 個人的には、これからしばらくの間、絵の展示で忙しくなるので、この日記も更新が怪しくなります。

個展のおしらせ
詳細はこちら>>

 日にちは3月30日(月)から4月4日(土)まで。場所は東京の京橋にあるギャラリー・モーツァルト。時間は11時から夜の7時までですが、初日は午後1時から、最終日は夕方5時までです。
 今は必死になって最後の追い込みなんだけど、大丈夫だろうか。

 こういう忙しい時に、自治会の総会やら、そのための準備やらで、更にいろんな用事が重なる。山里は一見のどかだけど、やっぱり年度末は慌ただしいです。
 自治会の総会では、住民の方からもいろんな要望やら提案やらも出てくるだろう。今年もまた、「年々、イノシシの害が酷くなる。何か対策は打てないものだろうか。」という意見が、あちこちから出るんだろうが、なかなか藤野各地の自治会(もしくは相模原市の山間地すべての自治会)で、総合的な対策を打ち出す所まではいかない。

 トイレボールのイノシシ避け

 先日、ある方から「ペットボトルにトイレボールを入れて吊るしておくと、イノシシが来なくなった」という話を聞いた。左の写真がその仕掛け。

 男性用の小便器によく置いてある、防臭のための緑や黄色のボール。これを、穴を空けたペットボトルに入れて木に吊るす。すると、このトイレボールの臭いが辺りに漂う。イノシシはこの臭いが嫌いらしい。

 このボール、2ヶ月ほどすると臭いが出なくなる。するとまたイノシシがやってきて庭を掘り返すようになったので、新しいトイレボールを入れると、またイノシシは来なくなったとか。どうやら効果はあるらしい。

 トイレボールの主成分はパラジクロロベンゼン。イノシシに限らず、この物質は動物に忌避作用があるらしく、鳩を来させないための薬剤としても使われているらしい。

 かつて、クレオソート油をイノシシの忌避剤として使った事例があるらしいが、これは発ガン性があって、今は行われていないようだ。

 トイレボールのパラジクロロベンゼンも、人体にとって有害ではあるのだけど、とりあえず衣類の防虫剤とかトイレの消臭剤とか、日用品としての使用程度であれば、害は無いとされている・・・が、気になる人は気になるかもしれない。
 まあ、健康被害と言っても密閉された狭い室内でパラジクロロベンゼンを吸い続けたような時に現れるので、このイノシシ除けのような屋外での使用なら、さほど問題はないでしょう。

 ただなー、私としては、そろそろ地域が一丸となって、イノシシ対策に乗り出すべき時に来ているんじゃないかと思う。
 昨年、この日記で、自分なりのヤマビル対策についての考えを書いた事がある(こちら>>)。その時は、「ヤマビルにはヤマビル対策」「イノシシにはイノシシ対策」と個別に対応するよりも、山里そのものの再生の問題として取り組んだ方が良いと思う、と書いた。そのための第一歩として提案したのは、山里に鹿やイノシシの移動を制限する柵を作る事だった。今でもこの考えは変わっていない。

山の道の一例

 相模原市の近隣の愛川町や厚木市では、そんな柵の設置を行っている。費用もかかるだろうし、一度設置した柵の維持管理も大変だろうけれど。以下のページの3ページ目に、柵の様子が写真付きで説明されています。

地域ぐるみで 取り組む鳥獣被害対策
こちら(PDF)>>

 ただ藤野のような山里の場合、既に柵が作られている場所もある、とも言える。上の写真のように、山を切り開いて作られて来た道路には、道路そのものが障壁となって、イノシシや鹿の移動を制限するに足る機能を備えたものも多い(サルなら、これでも平気で移動するだろうが)。
 このような既存の柵を組み合わせつつ、山の中にも柵を作っていく。この話には、地元のハンターにも助言を求める必要がある。柵を作るのなら、あそこはやめてくれ、どうせ作るならあっちにしてくれれば、我々もケモノを追うのに便利だ、という話だってあるかもしれない。

 他に、山の林業や、山道をハイキングで歩く観光の観点から、「ここには柵は困る」というのも、あるだろうな。

春の花

 いろいろ書いてみたけれど、だんだん、「地域が一丸となってイノシシ対策に乗り出す」なんて、ずいぶん先の話のような気がしてきた。
 イノシシの害に悩むようになったのは、何も昨日今日の事では無い。
 また、既に柵を作っている地域もあれば、柵を作る気運もない地域もある。
 この差は、どこから来ているのか。なかなか根深い理由がありそうだし、だから簡単に解決に向かうような気もしない。

 しゃあない、しばらくは、このまま自力で網を張ったり、今回参考にしたトイレボールを試してみたり、するしかないのかな。