2014

4月

4月6日(日)

日連神社での「市」にて

 ここ数日、金土日と、北から冬の寒気が降りてきたのか、積乱雲が沸いて雹混じりの雨を降らせたり強風を吹き荒したりする。日曜日に行われた「」も、そんな気まぐれな荒天に振り回されたらしい。上の写真はまだ降ってない時のものだけど。
 どうやら山の上では雪も降ったようだ。牧馬の気温も、少し冬を思い出したように冷え込む。でも、また初夏みたいな陽気になる時も来るのだろう。

 先月の月末に、福島から子供達が篠原に保養にやってきた。そのことが記事になって紹介されている。

「肩の荷 軽くなった」、福島から親子招き保養キャンプ
こちら>>

 福島の親子が抱えている苦悩が、わずか数日の保養で解決できるわけもないし、そのような苦悩の重さを、私が理解できるわけもない。でも、僅かでもそんな苦悩の重さを軽くする一助になれれば、と願う。
 私も微力 ながら、ホントに微力ながら、皿洗いとか掃除とか手伝いに参加しましたが、最後の集合写真の撮影を私がやったのですが、ピンぼけで全滅という失態もしました。

 沸き上がる積乱雲

 最終日、四頭身のかわいい生き物がブランコに乗って、私に「押して押して」とせがむ。
「いいですか、手をブランコから放さないでくださいよ」
 なんだかどこかの国の王族の幼少の王子様に仕える侍従のような気分でブランコを押していたら、隣のブランコをこいでいた地元の女の子は、
「自分の力でこぎなさい、前に行く時は足を前に出して勢いを付けて!、後ろに行く時は足を後ろに振って勢いを付けて!」
 と、スパルタ的教育を施していた。子供は自由で遠慮がないのがいいね。

 こういう保養活動を継続して行っている「しのばらんど」の方々にはアタマが下がるし、感謝もしている。自分でも、ささやかな形であれ、何か行動できるきっかけを作ってくれるから。

 記事には書かれて無いけれど、この活動には、直接参加できなくても、様々な形で支援してくれている人がいる。食事で使う食材を提供してくれる土地の方とか。牧馬にも、自作の漬け物を出してくれた人がいる。

 相模原市の市の職員が寄付をしてくれたし、緑区のキャラクターの「ミウル」の訪問もあったらしい。ありがたいことだ。このキャラ、ちゃんと子供達に人気がある。よく言われる「ゆるキャラ」という言葉ほどにはユルくない。腕のある人がきちんと造形して、子供が好む「ツボ」を、よく押えているのだろう。

 ここ数年、御当地グルメ、御当地ヒーロー、御当地アイドルとかいった「御当地○○」が雨後のタケノコのように増えたけど、御当地キャラも、その流れの中の現象なんだろうな。地域が、「自分自身の中から」何かを生み出し、それを育てていこうという・・・。

タネツケ花

 それとちょっと似た話で、最近、心に響いた記事に、こんなのがある。

ライターさんには無料で空き家をプレゼント!?
デトロイトに誕生した「Write A House」の狙いとは?
こちら>>

「ライターは最初の2年間、保険料などの最低限の費用だけで家を借りることができる代わりに、地元の方向けの朗読会や、これから立ち上がるタウン誌への執筆といったコミュニティ活動に参加することが求められます。そして2年間責任を持ってやりきった方には、なんとその家がプレゼントされ、正式なオーナーになることができるのです。」(記事より引用)

 またこの家は、建設分野への職業訓練の一環として行われている点も興味深い。仕事が無い若者たちが、家を作る技術を空き家の再生作業で学び、若者は手に職を付けていくし、荒廃するにまかされていた空き家は復活されていく。

 個人的には、いっその事、家を再生した職業訓練の若者には、その家をあげちゃったらどうか、とも思った。

 記事の末尾に、こんなくだりがある。

「日々変化に溢れるまちの魅力を多くの人に伝えることができれば、その魅力に気づきデトロイトを訪れようという人が増えるはず。そして素敵なまちの未来像をライターが物語ることができれば、それはデトロイトだけにとどまらず他の地域にも共有されていく可能性を秘めています。」(記事より引用)

 これは私にもよく判る話で、衰退した地域を再出発させる時には、その地域の、ほんの些細な事でもイイから「何か面白い事」を発掘して、地域内と地域外に情報発信する必用がある。同じく、その地域の理想の未来像の提示も、地域内と地域外に発信していく。これは、その地域の気持ちが前向きになる、有効な方法だろう。

 それにしても、衰退したと言われるアメリカだけど、こういうプラグマティック(実用的・実際的)な問題解決の手法を自力で作り出す市民の能力は、なんだかんだいっても世界一なんじゃなかろうか、と思った。

4月16日(水)

 春は徐々に深みを増し、地は緑に覆われ、木々の新緑も膨らみ始めた。例年よりやや遅めの開花となった桜も、牧馬では週末頃に満開を迎え、日曜日には花吹雪を散らした。
 来月の17・18日に行われる陶器市のパンフレットも出回ってる。藤野の行楽シーズンも本番になって、土日には車やバイクが道を大挙して走るようになる。

 ちょっと今回は我ながらトンチンカンな事を書くと思います。

 このホームページを始めたきっかけが、ある地元の人がはき捨てるように言った「なんだ、こんな何もない町」という言葉からだった。じゃあ自分が、ささやかなものでもかまわないから、何か面白いモノを見つけては、ささやかにネット上にアップし続けてみたのが出発点。
 ただ、この「なんだ、こんな何もない町」と言う住民の絶望的な感情は、当時はまだ町の住民の多数派で、結局この絶望や無力感が、藤野が相模原市に吸収合併される一因にはなったのだろう。個人的には、その流れに対抗するサイトを作ったりもしたけど。

 妙なもので、この合併に前後する頃から、フジノで何か面白い事をしてみようと動き出す人や団体がフジノの外からやってきたり、またフジノの中からも発生してきた。
 この頃からかな。このホームページでこの土地の「何か面白いモノ」がどんどん増えて、紹介しきれなくなってきたのは。

 カタクリの花の季節も終わりました

 都会から案外近い割には、濃厚な自然が残っている山里に、心惹かれる人も増えてきた。3月23日の日記でも書いた「従来の都会の生き方にも飽き足らず、また従来の田舎の生き方にも飽き足らない、新しい生き方を模索している人」も、その中には多くいた。

 そんな新しい流れの中で、最初にフジノで目立った動きは、住民による手づくりのイベントや祭りが増えた事だろう。
 これは、観光客を呼び込む為の祭りというより、自分自身が楽しむ意味の方が大きかった。

 マツリは参加者の共同作業でもあり、参加者のそれぞれの得意分野の見せ場でもあった。お互いの事が今まで以上に良く判るようになり、何より一緒に御飯を食ったり酒を飲んだりすれば、そこにコミュニティー・地域の仲間が生まれ、進化していく。

 こうした仲間達は、もともと環境問題や芸術(・・・自分の手足を使って何か面白いモノを生み出す行為・・・)に対して意識が高い人々が多かったので、世の中が持続可能性を失って徐々に壊れつつある中で、どうやって自分達で世の中の持続可能性を維持・再生していくかを考えたり、実践する人や組織も生まれてくる。マツリで培われた濃厚なコミュニティーは、そんな活動を開花しやすくする肥沃な土壌だった。
 まあ、ここまでは前述の3月23日の日記でも書いている。2011年3月11日以降、その動きは更に加速した。

 この頃になると、私としても、ホームページでこの地域の「何か面白いモノ」を紹介する気力は完全に萎えて諦めた。多過ぎるのである。それに、何もこんな拙いサイトでフジノを紹介しなくても、外部からフジノを取材に来る媒体もかなり増えた。つい先日になると、こんな記事まで出たよ。

いち早く芸術家ら「人」を誘致、人が人を呼んで気がつけば神奈川県旧藤野町はエコビレッジに
こちら>>

 この記事、私としては、フジノのこれまでの経緯を手際良くまとめてはいるけど、手際が良すぎて、もっと人間臭い「裏の歴史」が綺麗にスっぽ抜けている部分を思うと、イヒヒ、イヒヒと読んでいてニヤニヤしてしまう所もある。まあ、雑誌や新聞の記事は、そういうものですけどね。

道志川沿いの桜

 さて、ここからが、始めに書いた「トンチンカンな事」なのですが。
 最近になって、急に、自分の中で「持続可能社会への関心」が、解けて無くなりつつある。

 これまでが持続可能社会への萌芽期だとすれば、これからは成長期に入るのだろう。まだまだ、持続可能社会への関心を持っている人は、全人口から見れば1パーセントいるかどうかだろうけど、この分野には、イキの良い人材が参加し続けている。自分で考えて、自分で情報を集めて、自分で決断して、自分で行動して、その行動の結果に対して自分で責任をとるような人材が。

 これと対称的に、自分で考えず、自分で情報を集めず、自分では決断も行動もせず、そのまま行き着いた結果に対して責任はとらない集団は、やはり縮小再生産を繰り返しながら内部崩壊していくしかないだろう。

 なんとなく、もう流れは決まったのかなァと思い、そう思ったと同時に、自分の中で「持続可能社会への関心」が薄れてきた。正直言うと、心にポッカリと穴が空いたような感じなのですが、しいて次の関心を探すと、「持続可能社会が完成した後、人はどう生きるか」という事になるのでしょうか。

新緑

 最後の最後には、人間に対して、こんな問いかけが突き付けられると思うんですよね。
「もし、無理してやらなければならない労役も無く、衣食住にも不自由なく、好きなように、やりたいことやって生きていいよと言われた時、人は幸せな生き方を自ら見つける事ができるかどうか」

 次の時代の「正しい人」・「リーダーたるべき人」というのは、こういう問いかけに対して、じっくりと考え抜いた上で、自分の言葉で説明できる人なんじゃ無いかなぁ、と漠然と感じているのです。

4月20日(日)

明るい谷

 あれよあれよという間に、山の木々は新緑に覆われて、山全体が膨らんで見えるようになってきた。山菜を採りに来る人々が、手にビニール袋を持って山に入って行く。芸術の家でも、タケノコ狩りのイベントがあるそうな(こちら>>)。
 もはや冬の気配もないが、ここ数日は冷たい雨が降って、久々に石油ストーブに頼った。

 「芸術の小径」サイトで、5月に行われる陶器市の紹介が詳しくされている。
こちら>>

 このイベントは二日に渡って行われるけど、例年、二日の内のどちらか、もしくは両方の日が雨に降られる事が多い。そのためだろうか、以前は5月の最終の土日に行われていたのが、だんだん梅雨時から離れて5月中旬にやるようになった。さて今年はどうだろう。

 今年の年度末・年度始めには例年以上にいろんな動きがあった。中には長年に渡って続けてきたお店が閉店するなど、ちょっとしんみりする話もあったけど、新しく開店する所もある。
 これは開店というよりも再開といった方がいい話。昨年、道路の拡張工事の決定によって建物の取り壊しが行われて閉店になった、日連の「カフェてくてく」だけど、同じ場所に建物が新しくなって4月から営業を再開している。

 明るい感じの「カフェてくてく」

 道路拡張工事のために、それまでの敷地が削られてしまうので、敷地面積を小さくしたぶん、平家だった建物が2階建てになった。

 実を言うと、個人的にはこの新しい建物には不安があった。いくら2階建てにしたとはいえ、敷地が狭小になった影響は避けられないんじゃないかと思ったから。店内に入ったら「やっぱり狭くなったなァ」と感じるのではないかと。

 それが実際は、かえって以前よりも明るく開放的な感じになってました。2階へと通じる階段のあたりに、わりと広めの吹き抜けが作られているのが、良い効果を発揮しているのかなァ、と思ったけど。

 たぶんそれ以外にも、私のような素人には気付かないような、狭く感じさせない工夫が幾つもなされているのでしょう。来月にはエレベーターも付けられるとか。

 先日、地元の地域通貨のメールで、こんなブログの記事が紹介されていた。

省エネできる合併浄化槽
こちら>>

 合併浄化槽ではブロアを使って浄化槽内に空気を送り込まなければならないが、果たして24時間連続で送らなければならないのか。もし、1時間おきに使用を止めたり再開したりしても、浄化槽の能力に問題が無いのなら省エネになるのだけど。
 そんな考えを実行に移して実験してみた記録。この記事の人の場合、1時間運転・2時間停止のサイクルでも問題ないとの事。

 なるほどなあと思いつつ、かといって、すぐに万人に対して「1時間運転・2時間停止でも大丈夫だよ」とは言えない所もあるのでしょうね。気温の違いもあれば、浄化槽の容量と家族の人数の違いもあるでしょうし。
 それに、こういう工業製品って、たいがい性能には最初から余裕を持たせている場合が多い。何しろ世の中には、「まさかそんな使い方をする人がいるとは!」と驚かせるような、型破りな使い方をする人が100人に1人以上はいるものだ。

 そんな人もいる事を想定して製品は作られているから、このブログの記事のような実験が成功するのも、当然なのかもしれない。

淡く萌え出ずる山

 逆に考えてみれば、もっと積極的に浄化槽に負担のかからない生活習慣を心掛ける人であれば、更に押し進めて「1時間運転・3時間停止、もしくはそれ以上」なんて事も可能になるのかな。

 例えば、食器を洗うのにも自然に分解されやすい洗剤を使うとか、油汚れは前もって紙で汚れを拭って洗うとか。
 ラーメンを食べ終えた後の残ったスープなんか、浄化槽に流さずに庭にでもしみ込ませた方がエコなんじゃないか。もちろん、こんな考え方には「気持ち悪い」と抵抗のある人も多いでしょうね。

 太陽電池で自宅の電気をまかなう生活をすると、自分の生活で、どんな家電がどの程度電気を使っているのかについて、敏感になる。意外なものが意外に電気を使っていたり、逆に意外に使ってなかったり。その事に初めて気付くようになる。

 合併浄化槽も、意外に浄化槽に負担になる排水があったり、意外に負担にならない排水があるのかもしれません。利用者にその知識があれば、浄化槽が消費するエネルギーは、もっと削減できるのでしょう。

相模湖

 これは浄化槽に限らないんでしょうね。利用者・消費者が、もっと知識を深めて賢くなれば、無駄なエネルギーや資源の削減はもっと可能なんじゃないのか。
 資源やエネルギーだけではない。たとえば食品添加物だって、製造メーカーばかり責めるわけにもいかないだろう。消費者が賢くなって、例えば「この食品は常温だったら●●日で、冷蔵庫に入れても■■日で食べられなくなる」という『常識』が身についていれば、防腐剤を使わない食品の流通だって可能になるだろう。

 政府や大企業ばかり責めても世の中は良くなるわけではない。もし、政府や大企業の悪徳を責めるのならば、その悪徳を育てて大きくしてきたのは、民衆が自ら考える事を止めて、知性を放棄して政府や大企業に依存してきたのが原因である事を、率直に認める必用があるだろう。

 そんな、民衆の知性の再生が始まるのは、いつごろだろうか。

4月27日(日)

相模湖

 新緑の季節。これから連休も始まる。今までは、まだストーブを片付けるには早い気がしたけど、そろそろ「汗ばむような陽気」も普通にやってくるだろう。
 私はといえば、前々回の日記で書いた、「心にポッカリと穴が空いた状態」が続いている。その時の文章を再度もってくるけど。

『最近になって、急に、自分の中で「持続可能社会への関心」が、解けて無くなりつつある。

 これまでが持続可能社会への萌芽期だとすれば、これからは成長期に入るのだろう。まだまだ、持続可能社会への関心を持っている人は、全人口から見れば1パーセントいるかどうかだろうけど、この分野には、イキの良い人材が参加し続けている。自分で考えて、自分で情報を集めて、自分で決断して、自分で行動して、その行動の結果に対して自分で責任をとるような人材が。

 これと対称的に、自分で考えず、自分で情報を集めず、自分では決断も行動もせず、そのまま行き着いた結果に対して責任はとらない集団は、やはり縮小再生産を繰り返しながら内部崩壊していくしかないだろう。

 なんとなく、もう流れは決まったのかなァと思い、そう思ったと同時に、自分の中で「持続可能社会への関心」が薄れてきた。正直言うと、心にポッカリと穴が空いたような感じなのですが、しいて次の関心を探すと、「持続可能社会が完成した後、人はどう生きるか」という事になるのでしょうか。』

新緑

 似たような事は昨年の夏にも書いている。8月9月に、5回に渡ってだらだらと書いた。その時は「持続可能社会が完成しても、それが停滞と頽廃の社会にならないためには、どんな工夫が必用か」という形で書いた。

 人によっては、「まだ持続可能社会が実現しているわけでもないのに、そもそも実現するかも判らないのに、随分先の事を考えているんだな」と笑われるかもしれない。
 ただ、私が思うに、この問題はちょっと複雑で、「人々が、持続可能社会が成立した後、人はどう生きるべきかを考え始めたら、持続可能社会が成立してしまう」という可能性があると考えている。

 ややこしい表現なので、もう少し噛み砕いて書く。例えば前々回の日記で最後に書いたような状態が成立してしまったらと考えてみる。

「もし、無理してやらなければならない労役も無く、衣食住にも不自由なく、好きなように、やりたいことやって生きていいよと言われた時、人は幸せな生き方を自ら見つける事ができるかどうか」

 たぶん、人々が本気でこんな事を考え始めたら、人々の行動も変わるだろう。たとえ、こんな考え方をし始めた人々が、人口の10%程度でも、それがもたらす変化は強力だと思う。
 その変化の一例として、人々が、あまりモノをガツガツと欲しがらなくなるとする。

峠より丹沢を望む

 そうなると、人々が、そして社会が欲しがる資源や労力の量は減少する。大量生産・大量消費の世の中からの移転が、結果的に生ずる。

 もう一つ、別の一例もあげてみる。再度、同じ文章をあげてみるが。

「もし、無理してやらなければならない労役も無く、衣食住にも不自由なく、好きなように、やりたいことやって生きていいよと言われた時、人は幸せな生き方を自ら見つける事ができるかどうか」

 一見、理想郷の実現のような状態だけど、実は、この状態と言うのは、最も人々に対して、「死」の自覚を強いるものでもある。これは、上述の文章を逆にしてみれば、すぐに判るだろう。

「日々、無理してやらなければならない労役が続き、衣食住にも不自由を強いられ、好きなように、やりたいことやって生きるのが極めて難しい時、人は幸せな生き方を絶えず思い描く」
が、その間、自分がやがて死に至る存在だという事は、あまりアタマに浮かばなくなる。日々の生活に追われる状態というのは、死を忘れられる状態と言ってもいい。

 考えてみれば、釈迦が幼少の頃から「やがて死ぬべき身」である事を思い悩み、ついには出家して僧になってしまったのも、何不自由ない王宮で暮している王子様だったからではなかろうか。

薄暮の山桜

 人々が、「やがて死ぬべき身」を強く自覚するような時代になったら、これも同様に大量生産・大量消費の世の中からの移転が、結果的に生ずるだろう。
 言い方を変えれば、現在の大量生産・大量消費の世の中というのは、人々が「死」から目をそらし、気を紛らわせる為に機能していると言っていい。
 ただ、そんな「気の紛らわし」の装置も、だいぶメッキが剥げて賞味期限が切れかかっているようだ。

 おそらく、持続可能社会というのは、単なるテクノロジーの進化の問題だけで成立するものではないのだろう。「原発に替わる、理想のエネルギーが実現しました、めでたし、めでたし」で終わるような単純なものではない。
 現在よりもずっと、人々に対して、「人はいかに生きるべきか」を問いかけるような世の中が、持続可能社会の成立と並行して進展していくのだと思う。