さらりとわかる韓国現代史

『ある韓国外交官の戦後史』 梁世勲 2007年 すずさわ書店

 著者は1937年朝鮮・平安北道の新義州の生まれだが、育ったのは「満州」である。
――かつて終戦前は父は大きな農場を持っていた。だから、スイカや瓜はいつでも食べられた。当時、父はよく私を農場に連れて行っては、こう言った。
 「チビあそこに太陽が沈むのが見えるだろ?あそこまでうちの土地なんだよ。どうだ? よく見えるだろう?」
 日本が建てたという「満州国」には、祖国から離れざるを得なかった多くの朝鮮人らが集まって暮らしていた。他にもいろんな民族がいたが、なぜか私たち朝鮮人だけは、日本人扱いされた。兄や姉も日本人学校に通い、私も小学校に入ると日本語を習い始めた――
 豊かで平穏な暮らしだったが。やがて壊れるときが来た。1945年8月、日本の敗戦である。徹底して排斥された日本人に比べ、朝鮮人への扱いは比較的穏やかだったようだが、いつまでも「満州」で農場を続けるわけにはいかなかった。現地の教会で神父を務める兄を残し、一家は朝鮮へ向かう。国境を越えて新義州に入るが、そこはソ連占領下。決して安心して住めるところではなかった。一家はさらに南へ向かい、閉ざされた38度線をひそかに越えてソウルへ。
 豊かではないものの得ることができたつかの間の平穏は、朝鮮戦争で再び破られ、さらに南に逃げる。休戦後、ソウルに戻り、ソウル大学に入学した著者は、徴兵による入営生活を経て、李承晩打倒の学生革命に加わり、卒業後は国家公務員に。そして外交官に転じる。以後、ノルウエー大使在任中に1997年のアジア経済危機による政府の定年短縮で退官するまで、著者の人生は、まさに韓国現代史そのものである。外交の現場を舞台に、韓国という国の歩みと、政治の中枢を担った人々の横顔が簡潔ながらいきいきと描きこまれている。
 「満州」からの引き揚げ、南への脱出と、その間に知り合った人々との交流と、後の再会。また、かつて「満州」で行き来のあった日本人教師との後年の日本での再会など、政治の中枢と無関係な市井の人々との交友をめぐるエピソードも豊富だ。
 中韓国交正常化の地ならしに中国と行き来を重ねた著者が、かつて住んだ長春(満州国時代の新京)の街を訪ね、かつて兄が奉職していた教会の守衛から、兄の刑務所での死を知らされる場面は圧巻。
 
(2012.09.09)

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