区々たる意見
『沖縄かくて壊滅す』 神直道 著 1967年 原書房
沖縄守備の第32軍で航空参謀を務めた著者による、沖縄戦の記録である。守備軍の中枢にいただけに、戦闘の経過を作戦の経過とともに俯瞰でつかんだ戦記である。
質量ともにはるかに勝る米軍の猛攻の前で、「攻防の問題に関連して、常に積極策採用を主張し続けて来た」という著者は、沖縄戦の性格について、次のように触れている。
―― 一体沖縄作戦は、決戦であったのか、持久戦であったのか。私自身は決戦と解していたが沖縄軍は持久戦と解していたようである。――
中央と現地の間に生じた作戦思想の違い、それは沖縄における戦闘の意義をどうとらえるかの違いでもあったのだろう。著者は、このような齟齬が生じた場合、当然、上級者の意図のもとに行動すべきだと考える。それが軍隊だからである。
――古くからの戦史の教訓によれば、幕僚会議で「方針」や「方策の根本」になることを決定するのは有害無益であるということである。軍隊は本質的に民主的なものではなく、上からの命令や意図を忠実に実行すべき性質のものである。根本方針のような極めて重大な事は司令官の意図に基づいて、主務者が起案し、参謀長の承認を得て、最終的に司令官が決済するというのがオーソドックスなやり方であり、区々たる幕僚の意見などはどうでもよいのである。――
続いて著者は、幕僚の仕事について、こう述べている。
――種々の場合を想定して、各々分担の幕僚が専門の業務の上から、意見を述べ、会議の司会者(普通は参謀長)が方針決定のための資料を集める、というのが本旨でなければならない――
ここにあらわされる関係は、現地軍の幕僚会議における司令官と幕僚の間だけでなく、現地軍と大本営の間にも同様のものとしてあり、それが軍隊の姿だとすれば、そこに齟齬の生じる余地はない。
しかし、沖縄守備隊は、大本営の意図と、自身の間で揺れ動くこととなり、首脳部の間にも意見対立を生むことになった。
激しい地上戦が巻き起こってひと月ほどが過ぎたころ、著者はひとり司令部のある首里の地下豪を脱出することになった。参謀長の命を受け、大本営に「一大航空作戦の再興」を求めるためである。
当初予定した水上機での脱出は、うまくいかず、結局、小舟で脱出に成功する。
軍司令官、参謀長、そして多くの参謀が命を落とす中、本土に帰還したことで、終戦後、「思いもよらぬ事」を聞くことになる。
――私が、そもそも沖縄へ赴任したのは、大本営から軍への督戦スパイとして派せられた、だから内地帰還も当然だ、というのである。――
これを誰から聞かされたのか、誰がこんな話を振りまいているのかといったことは書いていない。振りまいた人については、ただ、次のような記述があるのみだ。
――もしそのような人が現地で作戦を計画し、指導をしていたとしたら、敗戦は戦はざる前に決していたといっても過言ではない。――
(2012.5.26)
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