日本語の難しさ
『日本語のむつかしさ』(PR誌『図書』掲載) 金達寿 1976年 岩波書店
――「日本語のむつかしさ」としたが、これからして「むずかしさ」と書く人のほうが多いようである。別に異をたてるつもりではなく、その語感からして、私は「むつかしい」と書くことにしている。すると、ときには編集者からこれは「むずかしい」と直されることがある。――
これは、かつて作家の金達寿(1919〜1997年)氏が、岩波書店のPR誌『図書』に掲載した文章(1976年9月号)の冒頭である。亡くなってもう15年ほど経ち、若い人にはなじみが薄いが、この人は芥川賞の候補とされたこともある有名作家である。金氏は続けて――私は「たたずむ」というのを長いあいだ「ただずむ」と書いて平気でいた。近年になって私はようやくそれが「たたずむ」であることを知った――と書いている。
現在の一般的な表記では「難しい」は「むずかしい」だが、たしかに「むずかしい」は、「むつかしい」ともいう。日本語のあいまいなところだ。これを最初に読んだときは、そんな風にしか考えなかった。しかし、今では少し違った思いも浮かんでくる。
韓国語・朝鮮語は、日本語とある程度の類似性があることはよく知られている。語順が似ているうえ、漢語から入った言葉の読みなども、ほぼ同じに聞こえるものも多い。聞いているとわかってしまうことがあると言えば言いすぎだが、ついそんなことを感じてしまうくらい似ている。パソコンの翻訳ソフトなども日本語と韓国語の間で使うと、若干の語尾の修正だけでそのまま通用してしまうほどなのだ。
そんなことから互いに言語の習得は容易で、韓国語・朝鮮語話者が日本語を習得した場合、その話す日本語は、ほぼ完璧な場合が少なくない。その違いは、中国人やアメリカ人の話す、受け身のや活用形の混乱した日本語と比較すればはっきりとわかる。
ただ、いくつかの弱点もないではない。そのひとつが日本語の濁音、半濁音で、彼らはかなり日本語の達者な場合でも、しばしば間違うことがある。濁音になるべきところが清音のままだったり、半濁音になってしまったりするのだ。
どうやら韓国語・朝鮮語には、現代日本語と同様な姿の清音、濁音、半濁音の使い分けは存在しないらしい。したがって、この点ばかりは、中国人、アメリカ人同様、ひとつひとつ覚えねばならないもののようだ。ただし、ほかのほとんどの点では完璧なので、これはちょっと目立ってしまう
もっとも同じ韓国人、朝鮮人の場合でも、いわゆる在日韓国人・朝鮮人の場合は違う。ことに日本で生まれ育った2世、3世の場合には、日本語ネイティブであるから、そのようなことは起こらない。ただ、自身が渡ってきて日本語を習得した1世の場合には、見られることだった。
さて、金達寿さんである。金さんは、子どものころ戦前の日本に来て、夜間小学校で日本語を習得した1世であった。長じてのち、日大専門部芸術科を了え、同人誌活動などを経て、職業作家となった。前述のとおり、芥川賞の候補にも挙げられたほどで、ひょうひょうとして、ときにユーモラスな金さんの日本語がおかしいとは露ほども思わない。ただ、言語をあとで習得すると、どこかでひょいとその痕跡が顔を出すときがあるのだなと思う。
ちなみに金さんの名前の読みは、最初は「きむ・たるす」だったが、晩年には「キム・ダルス」となっている。
(2012.5.18)
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