やめときゃいいのに

『煙草おもしろ意外史』 日本嗜好品アカデミー編 2002年 株式会社文芸春秋

 久しぶりに不思議な本に出会った。
 もう10年も前に刊行されたもので、都内の区立図書館の棚で偶然めぐりあったものだ。開いてみるとタイトルどおりタバコの文化史を解説する本だ。ところどころに「喫煙するブラジル先住民とタバコの樹」とか「イギリスのスモーキングクラブ」といった昔の絵が紹介されている。「フリードリッヒ・ウィルヘルム一世が開催した「たばこ会議」」などという絵もあって、なかなか興味深い。
 こりゃあ楽しそうだ。借りていこう。
 そう思ったが、今すぐ読んでみたい衝動にも駆られた。そこで書架の近くにあったイスに腰をおろし、パラパラとめくり始めた。
 まずは目次から。「第一章 神との出会い――神話・伝説のたばこ」、「第二章 他者との出会い――たばこは世界をめぐる」、「第三章 自己との出会い――嗜好品の成立」、「第四章 たばこ迫害にみる時代風潮――大人になれない大人たちの氾濫」……ここまで目を通して、ますますこの本への興味が深まった。私も喫煙者である。近年肩身の狭いことおびたたしい。時には、いきなりケンカ腰の攻撃を受けることもあり、腹の底には鬱屈したものが溜まっている。さっそく第四章から読み始めることにした。
――すでに見てきたように、今日のたばこ排撃論は、かつてのように宗教観に基づくものであったり、風紀の乱れを説いたりするするものであるよりは、「健康」に有害とする医学的見地に基づくものが主流となっている。――
 たしかにそのようだ。で?
――ところで、たばこ有害論が論拠とする「健康」には、いくつかの特徴があるように思われる。
 まず、今日の「健康」には、社会がかかわっているということである―
 そうだろう。国民健康増進法以来だものな。タバコの排除が激しくなったのは。
――香川大学の上杉正幸教授はその著『健康不安の社会学』(世界思想社)の中で「近代から現代にかけての健康観は、進歩主義を基盤とする考え方に立っている」と述べ、その健康観を代表するのがWHOの……――
 以後、健康観についての解説が淡々と続いた。引用するのも面倒なので小見出しだけ並べると、「人間不在の健康観」、「物質主義と科学信仰」、「心の空洞化とスケープゴート」といった項目が続く。いずれの項も、奥歯にモノのはさまったような言い回しが繰り返され、ただただまわりくどいばかりで、何を言わんとしているのか容易につかみかねるのが特徴といえば特徴だ。まるで書くことがないのにページを埋めなければならず、ひたすら飴のようにのばしているような印象を受ける。
 タバコ有害論の穴でも見つけて、説いてくれるものかと思って読み始めたものの、歯切れが悪く、うっとうしい限り。全部で2折、32ページあるこの章全体が、そんな調子で続くのだ。とても読み続けておれない。
 やめた。時間の無駄。全体で214ページの本の中で、こんな具体性を欠いた言い訳が15%に及ぶのだ。反論なら、もっと正々堂々とあるべきだ。言い返せないなら、やめときゃいいのに。
 この本は日本嗜好品アカデミー編となっているが、巻末には3人の著者が紹介されている。ひとりはJTのOBで、元広報部長。もうひとりは大手広告代理店や新聞社を経て、いくつかのJTの関連団体に勤めた人物。そしてもうひとりは、たばこと塩の博物館の学芸員である。もう少しなんとかならなかったものだろうか。これでも文春新書の一冊なのだが。

 (2012.4.30)

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