マーチンスアンカーの変遷
 1863年Yoangによれば、「マーチンスアンカーは以前からあったPiper錨を改良したものだ」と述べている。当時のマーチンスは右の図のような姿をしており、横須賀に保存されている戦艦「三笠」マーチンスアンカーとは大分異なっている。
 ストックはこれまでのアドミラル型の円棒ではなく平らになっており、先端が尖っている。さらに爪と同じ方向(シャックル方向)へ大きく曲がっている特徴をもつ。
 ストックアンカーのトロットマンス、コンモン、アドミラル等では、ストックにロープや鎖が絡まった時、ストックがまっすぐな棒状になっているためはずれる事が無く、爪が正常に底質へ入らなくなってしまう問題があった。

1863年 マーチンスアンカー
   これをマーチンスアンカーではストックを曲げ、ロープや鎖が引かれると絡まりがはずれるように工夫されている。
 クラウンにはトリッピングパームと呼ばれる構造体が考えられ、アンカーが引かれると底質にパームが引っ掛かる事で爪が下を向き、アンカーが掛かり易くなっている。
 

1885年 マーチンスアンカー
1880年の新聞記事(海事新聞の様なもの)には、それまで多く使用されてきたAdmiraltyやRodger'sアンカーとの比較実験でマーチンスアンカーが良い成績を出し、重量が25%軽減できる。と述べている。この頃のマーチンスアンカーは形状が改良され左の図の様な形になり、「三笠」に艤装されたマーチンスアンカーに似ている。
   マーチンスアンカーが開発された当時、錨のほとんどは鍛造によって製造されており、構造上ピンやビス又は鍛接されるため鋳造によって製造されるマーチンスとは微妙に形が変わっている。
 前述の「日本における錨の近代史」で明治・大正と日本では艦船と共に錨が輸入されたと述べたが、当時輸入されたマーチンスアンカーには2つの形状パターンがあった。一方は戦艦「三笠」に装備された形で爪が角張っていてシャープな作りで、一方は明治29年イギリスへ発注した駆逐艦「不知火」の錨で、爪の外側は丸く作られ、内側は釣針のかえりの様な突起がある形状で、1885年のイラストにもこの突起を見る事が出来る。
   
戦艦「三笠」の錨

駆逐艦「不知火」の錨
 
 これらの爪形状の違いが何故生まれたのか正確な理由は分かっていないが、様々な資料から推測すると、爪・ストック・クラウン等の微妙な違いは各製造会社の違いによって生み出され、1863年にフランス人のマーチンが特許を取得した純正マーチンスアンカーに似ている物を総じてマーチンスアンカーと呼んでいたのではないかと思われる。「不知火」の錨は刻印が確認でき、ある程度読み取ることが出来たので下表に文字とその意味をまとめた。本来LLOYDSの下に錨重量および承認番号などがあるはずだが、長年海で使用され更に記念碑として風雨に晒されたため読めなくなっていた。大きさからすると400kg前後(イギリスなのでポンド表記)だと思われる。
刻印 意味 
ANNEALED CASTSTEEL 焼きなまし鋳鋼
BROWN LENOX & C ブラウン レノックス(会社名)
PATENT 特許
1898 1898年製造
LLOYDS ロイド船級協会

 BROWN LENOX & Cは元々イギリス海軍で錨鎖等の研究開発を行っていたBrownが海軍を抜け、主にチェーンを製造する会社として設立され、アドミラルやマーチンスと云った錨、アンカーケーブルやチェーンのよじれを防ぐスイベル、チェーン自体の絡まりを防ぐスタッド等の特許を持ちイギリス海軍御用達の会社として栄える。日本が「不知火」を発注した時代は大いに栄えていたと思われる。しかし、時代の流れか2000年に全ての工場を閉鎖し廃業に至っている。
 マーチンスアンカーはイギリスを初めとしヨーロッパで様々な会社から製造され、旗艦船や日本の戦艦等にも使用されその雄姿を世界に知らしめたが、大戦後の船舶の変化やストックレスアンカーの台頭と共にその姿を消し、今ではモニュメントや資料集の中でしかその姿を見る事は無い。

 今回、ある問い合わせからマーチンスアンカーに焦点を合わせ両国小学校の「不知火」の錨を調査したり、これまで集めていた古い資料を見直してきたが、また一つ錨にまつわる栄枯盛衰を見た気がする。この機会を与えて頂いた墨田区文化財調査員 中野日出夫様にこの場を借りて感謝の意を表したい。(了)