木の錨
紀元前700~紀元後1300 この頃に木碇が登場する。最初は、ただ棒状に加工した石を木の本体で挟み、ロープなどで縛り付けて使っていたと考えられる。その形式が定着してくると、挟みやすいように加工した、碇石と呼ばれる石が使用されるようになる。右の絵はその碇石を使った木碇の想像復元図で、木碇本体の長さは、大きなもので3mもあり、碇石は長さ2m、重さが200kg以上になるものがあったと言われている。
右の写真は、昭和15年に博多湾工事の際に見つかった碇石で、八幡宮に奉納されたものである。この碇石は13世紀頃蒙古襲来の際沖で沈んだ中国側の船が使用していたものである。
BC700年には既に鉄が発見され武器などに使用されていたが、碇には丈夫にするためと利きをよくするため爪の先端にだけ鉄などの金属を使用していた。また碇石は巨大な岩を加工して作るため、時間がかかり、取り扱いも容易ではないため、後に金属製のストックに移り変わる。
  紀元前500~紀元後500これまで碇石だった部分が鉛などの金属でできた木碇が登場する。この碇はヨーロッパを中心に広まり、この形が現在のストックアンカーの原型となる。
 1928年に古代ローマ帝国の第3皇帝(AD40頃)が建造した巨大船がローマ郊外のネミ湖に沈んでいることがわかり発掘が行われた。左が発掘現場の写真で、右が発見された木碇の図である。この木碇はストックに鉛を使用しており、爪の先端には青銅のプレートが取り付けてあった。この碇と一緒にストックから本体全てが鉄で出来た錨が発掘されている。重さは300kg以上あり、ストックも可動式で現在のストックアンカーとほとんど変わらないものであった。

 BC450年頃ギリシャ領のアポロニア(現ソゾポール)で使用されていたと思われる市民貨幣(Greek coin)が多数残されているが、このコインの模様には様々な種類があり、その代表的な模様の1つに錨がある。右の模様は錨と卍を描いているが、この錨はストックアンカーでその様子から鉄製錨の様に見える。ただし、この様に古い時代では、まだ鉄自体が貴重なため、本格的な鉄製錨の登場は後の話になる。
 この事から紀元前300~200年ぐらいには、鉄錨が使われ始めていた事が推測できる。但し、ローマ帝国の衰亡と共にこの鉄錨の技術は無くなってしまう。