高橋 賢氏の雑誌「合気ニュース」連載「大東流合気武術史初考」について(その三)
 〜高橋氏の「読者からの反論に答えて」に対して〜

 高橋氏は「合気ニュース」第130号で、同誌第120号の私や他の読者からの批判に、あるいは130号での公開質問状に応えるという形式で、これまでの鶴山師範への攻撃の総決算を試みています。
 それはこれまで(その一)(その二)で繰り返されてきた、架空の鶴山師範説をでっち上げたり、師範の著作を改ざんして取り上げたりした今までの方法とは違い、正面から師範の説に対して批判をしているようにも見えます。
 そのような方法論をとられるのであれば、私としては口を挟む必要はありません。鶴山師範の説に対して異論を持たれるのは高橋氏の自由ですし、ルールを守った学説の応酬は当然あってしかるべきものだからです。これまで私が氏の論説を批判してきたことは、「死人に口なし」を良いことにねつ造を繰り返す氏の方法論です。
 しかしその一方で、これまでの私の批判には論点をずらしてその一部だけに答えを示し、それで全てに応えたかのように装うだけで、真正面から私の質問状には応じていません。あるいは私の非難に到底応えることができないと思ったのか、自分が批判したのは別の論点だったなどというすり替えをするなどの単なる言い訳を繰り返すのみです。そのことは(その一)(その二)で繰り返し明らかにしたとおりです。
 さらにでっち上げも難しくなったのか、「こじつけ」「独善の奇説」「根拠のない奇怪な説」などの修辞をちりばめ、また自分の薄っぺらな歴史認識や「常識」などを振りかざし、あるいは「資料がない」「文献など存在しない」などで読者を幻惑して自説を押し通そうとしています。
 それもまた氏の常套手段でしょうから今更取り上げるのも詮無いことですが、それでも問題点の指摘は必要でしょう。私の公開質問状への「回答と言われるもの」についての検証や、鶴山師範の説の取り上げ方、など「合気ニュース130号」の記述に従い詳述してみましょう。

1、まず私の公開質問状の中の「3・・・・鶴山師範への攻撃を繰り返されるのは、故師範に対して何らかの意趣をお持ちなのか」という問いかけに対し、
 「・・・・大東流合気武術史の真実にせまろうとして、種々の大東流に対する資料文献を順次検討していくものです。その一環として、鶴山氏の著作を取り上げたままで、別に他意はありません。・・・・」と弁明されました。
 それにしては11回にも及ぶ連載を続けながら、大東流の他の人の著作には一度も触れたことがない(この場合、西郷派や平上氏に対する言及は論外なので除外します)のはなぜなのか、不思議でなりません。
 これに対する回答は氏の論説の中に隠されているようです。氏の言わんとするところを要約すると、
@鶴山師範の説が(いかに氏が荒唐無稽だと謗ろうとも)多くの読者には信じられるものであったこと。
A氏自らも(批判するためとはいえ)約30年も鶴山説に振り回されてきたこと。
Bようやく批判できる資料が揃ったと氏が判断できたので、(鶴山師範が死んで10年以上も経つのですが、今更ながら)この連載を契機に積極的に鶴山説を葬り去りたい。
ということでしょう。
 ですからやはり高橋氏にとって鶴山説は最大の仮想敵なのでしょう。それはそれである意味、名誉なことかもしれません。そこまで氏が忌避されるとなれば、いかに鶴山説が大東流界にとって大きな存在であるかを如実に示しているからです。
 しかし「30年も反証を積み上げる作業を行ってきた」と自画自賛するのなら、なぜ中間報告でもよいから鶴山師範が存命の時に発表されなかったのでしょうね。鶴山師範が生きていた時は到底無理だったのでしょうか。個人的にも鶴山師範と交流があったはずですよね。
 それはそれとして公開質問状の「1、わざと間違った鶴山説のねつ造と引用について」と、「2、そうでないというなら、反論されたい」という主旨には答えてもらっていません。そのことはどうなっているのでしょうか。都合の悪いことには頬被りして逃げるおつもりなのでしょうか。

2、次に「合気ニュース」第130号第67頁では私の批判に対して

私の第120号の文 第130号の高橋氏の文
 高橋氏は「合気ニュース」の118号p66では、武田惣角が一人で大東流を作り上げ、会津藩家老の西郷頼母の名は宣伝のために使ったという説のようですので、惣角が西郷頼母から御式内を習ったと言ったことを嘘とは思わなかった鶴山師範と、議論がかみ合わないのは当然かもしれません。  武田先師は、大東流は新羅三郎源義光公以来の武田家伝来の秘術と言われています。
 この言を嘘として鶴山氏は「護身杖道」p36に、「今一つの伝説的流言に”大東流は新羅三郎源義光が伝えたもの”とする伝承経路を喧伝するものがあるが、これは虚言ともいうべき内容である」と説き、新説「大東流日新館編纂説」を樹立されたのです。
 このように武田先師の大東流家伝説に対しては、鶴山氏も私も同じ否定の立場に立っています。しかし、鶴山氏が武田先師が嘘をついたと言っているのに対し、私は、武田先師がその独創発明の合気之術と大東流を世に出すため、止むを得ず、大法螺を吹いた、と思っております。これは、武術の大天才であり、合気の発明者であった武田先師であってこそ許されることと考えております。

と、わけのわからない言い訳をされています。
 このことについて言えばまず、鶴山師範は誰の説を否定していたのかを特定する必要があります。実はこの文は武田惣角の言を否定していたのではなく、大東流の一側面であった「武田家家伝」を特に強調したかったある方への批判でした。それは「免許皆伝」ではなく「宗家」を強調するしかなかった故とはいえ、「大東の館に新羅三郎が住んでいたから大東流と命名した」などの無理な説を標榜せざるを得なかった方への警鐘でした。
 確かに一面では鶴山師範は「武田家伝」を全面否定しているかのように見えますが、実はそうではありません。高橋氏の言っていることとは全然別の問題です。
 鶴山師範は、会津藩が日新館で柔術諸派を参考に制定した新しい「武術」を惣角が習い覚え、明治31年に西郷頼母が「大東流」と命名したという説を立てたのであって、惣角が一人で大東流を作り上げたなどとは一言も言っていません。
 高橋氏の立場としては、どういう訳か「大東流」が由緒正しい物であっては困るようです。どうしても惣角一代で作り上げたものにしたい、と思いこまれているようです。なぜでしょう?
 それにしても「武術の大天才であり、合気の発明者であった」武田惣角なら、何をしても許される、というのはどういう意味なのでしょう。「その武田惣角を越えた(と称されていた)人物」なら、さらに何をやっても許されるとでも言いたいのでしょうか。
 
3、さて次はいよいよ鶴山師範の「大東流日新館編纂説」に対する、正面切っての批判です。先に述べたように真摯な議論であれば、浅学非才な私の出る幕はありません。鶴山師範の継承者の方々が応対するべきでしょうし、それを契機として、大東流の歴史的研究が進めば良いと考えているからです。
 しかしあれだけ批判されたにもかかわらず、あいかわらず薄っぺらな「歴史的」とか「常識的に」とかいう言葉を使われると、やはり氏の言っていることの誤りを正さざるを得ません。

 まず「歴史」です。

氏の第130号68頁の文 私の反論
 まず、歴史的にみて、藩主保科容保公の京都守護職任務遂行中に全藩を挙げて専念する会津藩に、遠く離れた会津藩内の日新館で、時代遅れの柔術の教育体系を新たに編成する意義、財政的、人材的余裕があったのかということです。これは常識的に見てもまた歴史的事実に照らしても、とても考えられないことです。  まず、歴史的にみて、会津藩がどういう編成で何人の藩士を京都黒谷の金戒光明寺に駐屯させたのか、調べたことがあるのだろうか。一年交代で千人ずつが常駐していたのだが(一説には数百人)、精鋭とはいえ2千人が出払ってしまったら、藩には誰も人材がいなくなったとでも言いたいのだろうか。これは常識的に見てもとても考えられないことです。会津藩の藩士は全部で何人居たと思っているのだろう。
 京都駐留に役料として5万石を加増され、また3万両を貸与されたとはいえ、確かに会津藩にとっては大変な負担であったことは事実である。しかしそれでも藩の運営は通常通りに行われなければならなかったし、留守居の藩士もそれ故にこそ今まで以上に仕事に打ち込まざるを得なかった。
 戊辰戦争時のように藩域内での総力戦になったのならまだしも、この時点での会津藩にはまだまだ余力があったし、それこそ藩を挙げてこの緊急事態に対処しようとしていたのである。
 その一つとして、その時点では決して時代遅れとは認識されなかった(この点はその一に詳述)武術の総合研究もされていたのである。

 「常識」とか「歴史」とかを振りかざす前に、せめて時代小説でいいから、幕末史を少しは読んでから言ってほしい、と思います。


 次に「武術史」です。

氏の第130号68頁の文 私の反論
 次に、武術史に照らして「大東流日新館編纂説」は、全くあり得ません。鶴山氏は、「そのとりまとめの体系は、幕末期に会津藩が京都を経て入手した清国制定の内家拳法の文献をモデルとして取りまとめられている」としています。ところが、清国で制定した「内家拳法」の文献など存在しないのです。
 鶴山氏の大東流は、存在しない中国武術の文献をモデルとして、日新館で成立したということです。鶴山氏の「日本伝合気柔術」は成立し得ない虚構の体系と言わざるを得ません。 
 鶴山師範の説は「大東流の技法は、徳川中期より派生した日本伝統諸流派の秘伝・奥伝のみを会津日新館で集約したもの」であって、三大技法というカテゴリー分けのとりまとめの体系に「中国武術の文献をモデルとして」使ったと言っているにすぎない。
 それは師範が「中国拳法」を研究する際に考証した資料から導き出した「内家拳」の構造に関する仮説と、大東流の構造との近似性から出された結論である。
 それが区分方法であって、技術論としての問題提起ではないことに留意すれば、「虚構の体系」などとは言えないはずである。
 なお「文献」が存在しないかどうかは、師範の残された膨大な資料群を引き継がれた方々でないとわからないため、私には論評する資格がないのが残念である。

 最後に「常識」です。

氏の第130号68頁の文 私の反論
 常識で考えておかしいのは、鶴山氏は氏の「日本伝合気柔術」大東流三大技法を(ァ)地之巻〈大東流柔術〉、(ィ)人之巻〈大東流合気柔術〉、(ゥ)天之巻〈大東流合気之術〉と三つに分けて、(ァ)を「青年将校向け」に、(ィ)を「肉体が老化してくる中高年武士〈徳川時代の中間管理職)を対象」「中高年武士の回春(若返り)療法的な性格」、(ゥ)を「(ァ)(ィ)よりはるかに上級武士である家老職以上の者(前後の文脈より高齢者、老年者)を対象」としています。つまり、(ァ)(ィ)(ゥ)を年代別に振り分けて区分しています。
 これは、封建時代が身分制の社会であったことをすっかり忘れてしまって、年功序列によって出世可能な現代サラリーマン社会のように勘違いしてしまったところに滑稽な誤りがあります。身分の低い足軽同心でも、若年者もいれば初老の者もいるのです。反対に、西郷頼母悳の父西郷頼母近思は、文政十年、僅か23歳で家老となっています。
 ですから大東流三大技法を年代別に振り分ける方法は、現代人には魅力あることかもしれませんが、江戸時代の会津藩においては全く意味のないことなのです。
 
 いつの間に鶴山師範の説は年代別にされてしまったのであろう。どうやら師範のカルチャーセンターなどでの、おもしろ話としての講話と文章を混同されているのではないか。あるいは師範の説と弟子の説を取り違えているのではないか。
 それに誰が勝手に「前後の文脈より高齢者、老年者」と決めつけ、文章を挿入して良いのであろう。これは高橋氏の解釈に過ぎない。
 師範は三大技法それぞれのカテゴリーの特徴を、分かりやすく説明したのであって、「柔術」は若年だけのもの、「合気柔術」は中高年だけのものと限定したわけではない。それは「護身杖道」の前後の文章を見ていただければわかることである。
 高橋氏の常套手段と言って良い、勝手に自分の解釈とそれに基づいた文章を付け加えて「三大技法とはこうだ」と読者を誘導するのは、それこそ氏の言う「巧みに情報操作をせんとしている」ことに他ならない。


4、氏は最後に「質問に答えて」という項を設け、私や難波氏への反論を試みています。しかしそれが全く成功していないことはすでに(その一)(その二)を再読していただければ一目瞭然です。

5、これまで見たように、高橋氏は執拗とも言える熱意を持って鶴山師範批判を繰り返しています。その方法論が正当なやり方ではなく、ねつ造と欺瞞に偏った方法であることも明らかにしてきました。
 なぜ真っ向から立ち向かおうとはせず、このような方法をとるかは全くの謎です。氏の鶴山師範に対する敵意は氏がどのように否定しようとも隠しようがありません。連載の初めから徹頭徹尾、引き合いに出されるのは鶴山師範の著作です。
 氏は大東流を想っての公憤と言いたいのでしょうが、どう見ても鶴山師範に対する私憤としか思えません。どう飾ろうと、言葉の端々から悪意が感じられます。これは氏個人だけなのか、それとも佐川派全体の傾向なのでしょうか。
 氏がなぜこのような方法をとり続けて、誤った「鶴山師範」像を流布しようとするかは、今後氏の連載の中で徐々に明らかになるでしょう。
 しかしこのような方法論を繰り返すことが逆に、氏の評判を失墜させることにならないかと、人ごとながら危惧しています。それは意固地とも言える鶴山師範批判を除けば、氏の大東流に対する姿勢は一定の評価に値するからです。
 いずれにせよ今後も鶴山師範に対して、氏の勝手な思いこみによるあらぬ攻撃がされないように、逐一氏のねつ造と欺瞞を暴き続けていきます。
 最後に高橋氏に一言。これだけ鶴山説を悪し様に言われるからには、氏には当然大東流のルーツについて対案があるはずでしょう。その対案がなければ、これまでの連載はまったく無意味になってしまいます。
 それはさだめし、「常識はずれ」でなく「歴史的事実」に一切違反せず、「会津藩の武術史」の中にそのルーツがあり、さらに憶測などではなく具体的な資料・文献に基づいた、全ての武術研究家の賛同を得られるものであるはずです。氏が今までの自分の言動の責任を取るなら、当然そのようなものであるはずですね。
 氏にそのような提示をなし得るとは到底信じられませんが、当方としては手ぐすねを引いて、それが公表されることを期待しています。